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イスラム過激派はなぜ過激なのか? オバマとイスラム国の戦争(その4) 黒井文太郎

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イスラム過激派はなぜ過激なのか? 「平和」な宗教がテロを生み出すメカニズム オバマとイスラム国の戦争(その4)
 JBpress 2014.10.27(月)黒井文太郎 
 10月23日、カナダの首都オタワで、男がカナダ軍兵士を射殺し、さらに連邦議会議事堂に侵入して銃を乱射するという事件が発生した。男は警官隊と銃撃戦の末、射殺された。
 男は敬虔なイスラム教徒で、海外に出国するために旅券を申請していたが、審査によって交付されていなかった。母親には「シリアに行く」と話していたという。イスラム国支持者かどうかは現時点で不明である。
 また、その2日前の同20日には、やはりカナダのモントリオールで、イスラム国支持者とみられる25歳の男がカナダ兵2人を轢き、うち1人を殺害する事件もあった。
 カナダはかねてから米軍のイラク空爆を後方支援しており、イスラム国が敵視していた。9月22日にイスラム国幹部がツイッターで支持者に呼びかけたテロ指令でも、標的国として挙げられていた。
 カナダ政府は10月3日に空爆への参加を表明し、同21日にはカナダ空軍の戦闘爆撃機「CF-18 ホーネット」6機が空爆作戦に合流するために現地に入っている。一連の事件はそんなタイミングで発生した。
 他方、アメリカでも同23日、ニューヨークで男が手斧で警察官を襲撃する事件が発生した。男はイスラム過激派の影響を受けていた可能性があり、現在、警察が背景を捜査しているという。
 この他にも、例えばこの9月にも、オーストラリアでイスラム国支持者が警察官を襲撃したり、アルジェリアでイスラム国支持者がフランス人を殺害したりする事件が起きている。
 イスラム国とアメリカの戦争は、もはや現地の戦場だけのことではなく、世界中に影響を与えている。各国でイスラム国を支持する若者が生まれ、実際に義勇兵としてイスラム国に合流しようとしたり、あるいはイスラム国と敵対する国でテロを起こそうとしたりする動きがある。
 すでに世界80カ国から外国人義勇兵がイスラム国に参加している。イスラム国の兵力は3万数千人程度とみられるが、うち半分近い1万5000人もがシリア・イラク両国以外の出身者だ。大半は近隣アラブ諸国の出身者だが、欧米国籍者も3000人ほどいるようだ。日本でも、10月6日にイスラム国に参加しようとしていた北海道大学の学生がいたことが判明し、大きく注目された。
「イスラムは危険な宗教だ」という決め付けは暴論
 ところで、特にこの北大生の事件の後、日本でもイスラムについて様々な言説を目にする機会が増えた。ただ、日本にはもともと日本人イスラム教徒が少なく、イスラムに接触する機会も希少なため、なかなか一般の人には遠い話であるようだ。
 また、日本ではイスラム学の研究者や中東問題の専門家も少なく、特に「なぜイスラム過激派はかくも過激なのか?」という点が充分に議論されているようには感じられない。しかも、その数少ない専門家や事情通も、それぞれの立場によって考え方が全然違う。その少ない発言者がそれぞれ自分流の解釈を主張し、狭い言論空間で論戦しているのが現状である。それは例えば、昨今の飲食業界の流行語になぞらえれば、まさに「俺のイスラム」が林立した状態のようでもある。
 様々なベクトルの議論があって然るべきではあるが、その中で筆者が強く感じるのは、イスラム・テロを現代イスラム社会の現状から読み解く試みが、ほとんどスルーされているのではないかということだ。
 例えば「イスラムは危険な宗教だ」という決め付けは、明らかに偏見と差別に基づく暴論である。しかし、だからといって「イスラムは平和的な宗教だ」として議論を遮断するのは、「ではなぜ今、イスラム過激派が過激なのか?」という問いの答えになっていない。
 そこで、今回はオバマとイスラム国の戦争の根本にある現在のイスラム過激思想の社会的背景について考察してみたい。この問題は、当然だが立場によって考え方が異なり、異論も当然あるだろう。筆者の立場は、現地取材でイスラムと出会い、イスラム社会と個人的な関係を長く持ち、テロリズム研究の視点からイスラムについて考察してきたというものだ。
 以下は、そんな筆者流の「俺のイスラム」論である。もちろんイスラムの問題は複雑なもので、以下はその中の一面を指摘するに留まる。他にもイスラムについて様々な言説があるので、読者の皆様にはできればなるべく多くの多様な論考に接していただきたいと思う。
外国人兵士のバックグラウンドは十人十色
 では、まず「なぜ外国人がイスラム国に加わるのか?」を考えてみたい。
 イスラム国の外国人兵士に関しては、「欧米の白人キリスト教徒の若者がイスラムに改宗し、シリアに乗りこんでいった」というイメージで語られることがしばしばある。だが、実はそういうケースは少数派だ。
 イスラム国の外国人兵士には、大きく分けて、事情の異なる3つのパターンがある。
 まず圧倒的多数派なのが、近隣アラブ諸国、あるいはチェチェンなど、イスラムが根ざした社会の出身者だ。
 次に、欧米国籍者といっても、もともとイスラム系だったケースがある。欧米国籍者の多数派は、このカテゴリーに相当する。
 そして、前述したような改宗者のケースだ。このケースは非常に目立つが、数としては少数派である。
 問題はそれぞれの動機ということだが、改宗者の場合、事情は人それぞれだ。現実の人生の壁に悩み、なんらかの苦悩を経てという人もいれば、戦いたいという気持ちがモチベーションの人もいるだろう。いわば「変人」の部類であり、特殊ケースなので、それはそれで無視はできないが、社会思想という点ではそれほど重要ではない。
 イスラム系移民の欧米国籍者の場合も、様々なケースがある。純粋に宗教意識の場合もあれば、宗教的・民族的な差別感が動機になっている場合もある。
 知人に誘われるケースもある。彼らはイスラムに接する機会が日頃からあり、イスラム過激思想に接する機会もそれなりにある。テロリズム研究の観点で言えば、いわゆる「ホームグロウン・テロリスト」(欧米社会で生まれ育ったイスラム系移民の子弟がテロリスト化したもの)や「ローンウルフ」(テロ組織と接触せず、単独で独自にテロを実行する者)に関連するパターンで、注目すべきホットな分野と言える。
 他方、いちばん多い中東イスラム社会出身者の場合は、やはり純粋に宗教意識の人が、おそらくもっとも多い。イラクのシーア派政権、あるいはシリアの独裁政権がスンニ派の人々を虐殺していることに義憤を感じたという動機も当然強くあるだろう。
 これらの背景が異なる各兵士の事情は、それぞれに目を向けなければならない。この点で、日本の言説をみると、イスラム過激派の最大の供給源である中東イスラム社会への考察が非常に浅いように感じる。「イスラムは本来、平和的な宗教であり、過激派はイスラム本来の教えから大きく逸脱している。イスラム教徒の大多数もそう思っている」というのは、正しい解説ではあるが、それだけでは不十分だ。
共同体意識が強い中東の社会
 イスラムについて論じる前に、ここでまず大前提として指摘しておきたいのは、イスラムだけではなく、宗教というものは本来、社会的にはラジカルなものだということだ。
 およそ宗教である以上、その教義は現世のどんなルールよりも、信者にとっては優先されるのが、筋である。なにせ神や仏といった現世を超越した絶対的存在を信仰するなら、その教えは絶対的なものであるのが当然だ。宗教を信じるということは、自分の宗教が唯一正しいということになるわけなので、他の宗教は否定するのがむしろ論理的帰結である。
 しかし、それをその通りに実践すれば、人類は果てしない対立に陥る。そこで、信仰心は個人的なものであり、他人が同じでなくても構わないとする考えを多くの人々は採り入れている。異教徒はまだ真理を知らないだけだとも考えられるし、あるいはそもそも神は異教徒も作ったのだという考えもできる。そうして共存していくことは、人類の智恵でもある。
 それでも、古今東西、宗教対立はしばしば発生している。それが流血の事態に至る場合、多くのケースで宗教共同体間の対立の構図に陥っていることが多い。
 世界の多くの地域で、宗教は個人の単なる信仰に留まらず、社会の共同体に結びついている。人々は自分の意思で入信するのではなく、生まれながらにして自動的にある宗教共同体に属するが、そこで人間社会の闘争が、宗教・宗派という共同体を単位として発生するのだ。こうした争いは、民族主義の抗争に似ている。
 そして、こうした闘争は、いったん始まってしまうと先鋭化しやすい。こちらからやらなければ、いつやられるか分からない。共同体を守らなければ、自分も家族も守れないという状況になりがちだからだ。
 このような宗派間の抗争は歴史上いくつもある。しかし、現在、イスラム関連の抗争が多いのも事実である。それはなぜなのか? がもっとも重要な論点だ。
 1つには、中東の社会が、いまだ闘争社会だということが挙げられる。かの地域の多くは縁故社会で、部族や宗派などの共同体意識が強固にある。その共同体内部では同調圧力や相互監視が根強い。コミュニティは排他的になりがちで、それらのコミュニティ間の競争がある。イスラムの宗派は、この排他的コ ミュニティにシンクロしやすい。中東社会では、それが例えばスンニ派 vs. シーア派のような宗派対立を引き起こしやすいのだ。
 また、現在の世界が、キリスト教徒が主役の欧米先進国が主導権を握っているということへの反発も、イスラム社会の一部にはある。実際に欧米主要国は中東エリアに強い影響力を持っており、欧米人と中東人には格差がある。アルカイダなどは、中東の紛争に介入する米英仏などをしばしば「十字軍」と呼んでいるが、 そこにはこうした欧米による「支配」への反発・敵意がある。
 さらに、これはよく言われることだが、イスラエルの問題がある。中東イスラム社会と敵対するイスラエルをアメリカが支えていることに対し、イスラム社会には強い反発・敵意がある。以上、このあたりまでは、中東問題の解説ではしばしば指摘されていることで、分かりやすい構図だ。
 前述したように、イスラムは危険な宗教だというのは、暴論である。圧倒的大多数のイスラム教徒が、平和的な考えであることは、誰でも分かる。しかし、こうしたイスラム社会側の対外的な反発・敵意の存在、さらには前述したようなイスラム・コミュニティの排他的な閉鎖性は、逆にいえば、欧米社会のイスラム社会への警戒心を呼び起こし、さらなる偏見や差別につながりがちなのも現実である。
後発の宗教ゆえの排他性
 イスラムの問題でさらに難しいのは、教義の問題だ。
 しつこく繰り返すが、イスラムは危険な宗教だというのは暴論だ。しかし「イスラムは平和的な宗教だ」との綺麗事では済ませられない部分も、実際にある。それは、イスラムの排他性だ。
 例えば、本論考の第2回「イスラム国を力でねじ伏せなければならない理由」でも簡単に紹介したが、イスラムの絶対的な聖典「コーラン」に、無神論者や異教徒に対する差別的で抑圧的な文言がいくつか書かれている。
 イスラムは、真理を知らない人々ということで異教徒の存在を認めているが、異教徒には上納金を要求するなど、寛容とは言えない教えもある。改宗の自由を保証しているが、実際には改宗を強く促しているといってもいい。
 これは、イスラムがもともと後発の宗教だったからであろうと思う。イスラムが誕生した7世紀当時のアラビア半島では、多神教が多数派を占めており、少数派の一神教でも、すでにユダヤ教とキリスト教が存在していた。イスラムはその同じ一神教の後発であるため、その教義では他の宗教の存在が強く意識されており、イスラムの絶対性・優位性が強く主張されている。
 それにはおそらく、そもそもイスラムは闘争社会で戦う軍団でもあったことも背景にある。預言者ムハンマドは共同体のリーダーであり、かつイスラム軍団の司令官でもあった。イスラムは共同体を団結させ、勢力を拡大する支柱でもあったのだ。
 もっとも、コーランには、無実の人間を殺してもいいというようなことは一切書かれていない。しばしば激しい口調の激烈な言葉が出てくるが、寡婦の救済など、弱者の利益に配慮する「優しい」文言もある。
 いずれにせよ、イスラム国が現在行っている処刑や略奪、改宗強制、女性の奴隷化などの蛮行は、イスラムの教えにはない。だが、それで「イスラム国は反イスラム的だ」と片付けては、議論はそこで停止する。
 では、仮にイスラム国が今のような極端な残虐集団ではなく、本来の初期イスラム共同体を目指す集団だったらどうだったか? イスラム過激派の問題を考えるには、そうした議論も必要だと思う。
イスラム法の法源となる「コーラン」「スンナ」
 重要なことなので、長くなるがイスラムの基本事項を記しておきたい。
 そもそもイスラムとは何かと言えば、それは基本的には至ってシンプルである。アッラー(神)を唯一神だと信じること。預言者ムハンマドは神の使いであると信じること。この2点だ。
 「アッラーの他に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒である」
 この1節を唱えることを「シャハーダ」(信仰告白)というが、それを行うことによって、現世の人間は誰でもイスラム教徒、すなわちイスラム共同体(ウンマ)の一員となることができる。
 その教えの中身と言えば、なんといっても神の言葉に従うことに尽きる。神の言葉をムハンマドが預かり、彼が話した神の言葉が後に書き残されたものがコーランだ。したがって、コーランは神の言葉そのものであり、それがイスラムではもちろん絶対視されている。
 また、その他にも、ムハンマドの生前の言行も、神の預言者の言行ということで絶対視される。ムハンマドの言行は「スンナ」と呼ばれ、コーランと並んでイスラム法(シャリーア)の絶対的な法源とされる。
 イスラム法の法源としては、それ以外にもいくつかあるが、優先順位としては圧倒的にコーランが第一であり、続いてスンナが重視される。いずれにせよ、コーランやスンナは絶対的なものであるから、人間社会はそれらに基づくイスラム法によって統治されるべきというのが、本来のイスラム共同体の姿である。
多様なイスラムの「解釈」
 ただし、コーランやスンナは、人間社会のすべてに関して細かく具体的に規定しているわけではない。そこで重要になるのが「解釈」だ。例えばイスラム教徒やアラブ研究者以外でコーランを最後まで読んだ人は少ないと思うが、コーランの中身は、今でいう刑法や民法のような社会のルールを規定した文章と、きわめて宗教的な文章とが混在している。しかも、その文言は微妙に曖昧で、かなり難解なものだ。
 イスラムにおいては、コーランは神の言葉だから、信者が個人的に恣意的に解釈はできない。しかし、難解で曖昧であるからこそ解釈は必要で、そこを深い宗教的知見を持ち、イスラムの教義に習熟した高位のイスラム法学者が担っている。
 ここで留意すべきは、イスラムが誕生したのは、前述したように7世紀のアラビア半島であるということだ。コーランもスンナも当時のアラビア半島の社会を背景に誕生したものであり、現代の人間社会の諸問題をすべて具体的にカバーしたものではない。したがって、ここでもやはりその後の時代に対応した「解釈」が必要になる。人間社会のすべてのことに具体的に言及されているわけではないが、「コーランのこの言葉は、こういうことを意味している」と読み解くわけだ。
 コーランの解釈はなかなか難しいもので、人間が行う以上、やはりそこに差は生じる。こうした解釈の違い、あるいはムハンマドの後継者の系譜などをめぐってイスラム社会は内部抗争を繰り返しており、それが同じイスラム社会の中の宗派対立に繋がっている。
 また、当時のアラビア半島は、人権意識ももちろん現代社会のレベルと同じではなかった。現代社会に比べれば、これは当たり前のことだが、イスラム社会は当時の他の社会と同じ程度に、厳しいものだった。
 現代の世界で、イスラム過激派と分類される勢力の主流派は、この7世紀の初期イスラムを規範とすべしという考えである。いわゆるイスラム回帰主義、もしくはイスラム復古主義(サラフィー)だ。
 「サラフィー」のなかで、コーランの一部にある異教徒への攻撃的な文言を重視し、初期イスラムの戦闘集団的な性質を模倣するのが、イスラム国をはじめとする過激派だ。彼らは、彼ら独自の解釈による独善的な正しきイスラム共同体の実現のために戦うことを「ジハード」と考え、行動する。
 もっとも、こうした戦闘的な姿勢では、前述したように、その後の時代にそぐわないことも出てくる。そこで、後世のイスラム法学者たちは、平和な世とするために、解釈によって正しい人の道を示すものとしてきた。イスラム社会内部からの解釈の努力のある部分は、排他性や戦闘性を否定する努力でもあった。こうしてそれぞれの時代に合うように解釈の努力を続けてきたことは、筆者なりの「俺のイスラム」論で言わせてもらえば、人間の大いなる智恵だったと思う。
解釈の曖昧さが過激派を生み出す
 いずれにせよ現在の世界で現実社会を生きるイスラム教徒の大多数は、イスラムの教えが、異教徒や自分たちが異端とする人々を随意に殺してもいいとしているとは考えていない。彼らは、サラフィー・ジハード主義の過激派のことを、正統なイスラム解釈を逸脱した者たちと認識している。
 例えば、9月19日に、イスラム国に反対する世界中の高位イスラム法学者が連名で、イスラム国の最高指導者であるアブバクル・バグダディに公開書簡を出したが、そこでは次のような文言がある。
 「コーランやハディース(ムハマンドの言行録)がその問題に関して教えることの全体を見ずに、判断を引き出すために、コーランの一節、あるいはその中の一文だけを引用してはならない」
 つまり、イスラム法学者たちはコーランの一部に攻撃的な文言があることを認めているわけだが、そこだけを都合よく引用するのではなく、神の教えの全体を通じて解釈せよと主張しているのだ。
 このように、現代のイスラム社会というものは、ひとことで割り切れない曖昧さの上に成り立っている。ただ、現在のイスラム社会には、サラフィー的な感覚そのものに共感する人は、それなりに一定数はいる。純粋なイスラム共同体こそが理想であるとの考えだ。
 それでも、そこから短絡的に飛躍して、殺人や人間の奴隷化を正当化するような考えには、もちろんほとんどの人が反対している。実際、イスラムの主流の解釈は、決して理不尽な暴力を肯定しているわけではないのだ。
 しかし、そうした曖昧さから、物事を短絡的に考える過激派の主張は、いくらかの求心力を常に維持する。イスラム国やアルカイダに参加するような過激な若者は、もちろんごく少数派ではあるものの、これからも生まれてくるだろう。
 ◎上記事の著作権は[JBpress]に帰属します

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