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[次世代の党惨敗] 我が子可愛いさで引退宣言した石原慎太郎 / 比例票目当てに田母神擁立した山田宏

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 NEWS FILE PRESIDENT 2015年2月2日号 2015年1月14日(水)
次世代の党惨敗、こうして日本の“保守”は壊れた  
■石原慎太郎、山田宏のナゾ
 自民党の右に柱を立てる──国家や民族を重視する本格的な保守政党として衆院選に臨んだ次世代の党だが、公認48名に対して当選は2名と大惨敗。何より選挙戦は不可解なことだらけだった。石原慎太郎最高顧問は、田母神俊雄候補の応援演説に入らない。杉並区長として名を馳せた山田宏幹事長は杉並区とはまったく違う地域での立候補をする。瀕死の保守政党に何が起きたのか。選挙戦の内幕を追った。
 3年前の2012年の衆議院選挙。山田宏は自身の地元である東京8区(杉並区)から19区(国立、国分寺など)へ移動し、「日本維新の会」より立候補する。東京8区の現職代議士である石原伸晃(慎太郎の長男)は、東京自民党の三本指に入るほどの強い地盤を持っていたため、山田は逆立ちしても勝てない情勢だった。つまり山田は、党の比例名簿の順位で優遇を受けなければ当選できない状態だった。山田をよく知る党関係者Aは語る。
 「山田は国替えし、伸晃と対決しない代わりに、比例優遇を党に要求した。党代表の慎太郎は息子の件では極度の心配性であり、山田の要求を呑む。山田にとっては、東京8区という不利な選挙区から逃れられるし、比例優遇され当選が確約され、万々歳となった」
 今後も「伸晃カード」を活用すれば、比例で優遇されると考えたのか。12年の衆院選以後の山田の政治活動は、慎太郎とぴったり歩調を合わせることになる。14年初の都知事選では田母神を支援した。日本維新の会分裂の際には、慎太郎サイドである「次世代の党」に参画する。橋下サイドの「維新の党」では比例優遇の措置が原則ない。
 山田は、維新分党の際に中間派を引き連れた功績も評価され、「幹事長ポスト」を勝ち取る。政党の選挙責任者である幹事長ポストさえおさえれば、自分の手で自分の比例優遇を獲得することが可能だ。
 ただし、次世代の党が東京ブロックで比例議席を獲得するためには、国民的人気の高い慎太郎を立候補させなければならないし、慎太郎の選挙前の引退は阻止しなければならなかった。
ところが、慎太郎が出馬する以上、比例順位で山田が慎太郎より上位に行くことは党支持者の反発を招くために困難である。前出のAは語る。
 「山田は東京8区での立候補を、慎太郎にちらつかせた。慎太郎は、伸晃かわいさで、比例順位最下位での立候補を受諾する。この理由を『若い議員の議席獲得のために、石原慎太郎が落選覚悟で比例最下位に回った』との美談に仕立てたのだ」
 果たして、次世代の党は東京ブロック比例順位で、山田よりも慎太郎を下位に並べることになった。選挙情勢が劣勢だった次世代の党にとってかなり比例順位が上でないと当選はおぼつかない。しかし、次世代の党は、東京以外の比例ブロックで、特定の人物だけを1位にするような順位づけは行っていない。今回次世代の党から出馬し、落選した候補者Bは怒る。
 「山田は東京ブロック内の重複立候補者に対し、慎太郎以外は比例名簿の順位は同一であることを約束していた。一方、山田を信用しない他の候補者たちは、約束を履行するよう党首の平沼赳夫に要望書を提出した。大方の予想通り、山田は発言を翻し、東京ブロックで自分の比例順位を1位にした。この行為は絶対許せない」
 比例で当選を増やすために行うべきことは、票を上積みできる知名度の高い人物を東京で立候補させることである。そこで白羽の矢が立ったのが、田母神だ。田母神は都知事選では、千代田区や中央区など都心部での得票が高かった。にもかかわらず、田母神を支持基盤の弱い東京12区(北区、足立区)で、わざわざ公明党議員にぶつけ争点化しようとした。これは反創価学会の宗教団体や保守層からの比例票得票を狙ったものである。
 もし本気で公明党と戦う姿勢を国民に見せたいのであれば、田母神の東京ブロックの比例優遇をすることも可能だったが、それはなされなかった。次世代の党の選対関係者Cは語る。
 「結局、田母神は『票集めが目的で使い捨て』にされただけだ。田母神の立候補に異を唱えたのは、実は、盟友とされる慎太郎である。なぜなら、公明党が伸晃、宏高(慎太郎の三男)の支援をしないと言い出したからだ。公明党の恫喝に屈した慎太郎は、田母神の立候補を取り下げるために、奔走する。11月27日の党都連大会で、田母神の公認が発表される予定であったが、慎太郎の指示で急きょ見送られた」
■「リベラル」は躍進、「保守」は壊れた!
 ここで山田は、東京ブロックでの比例票目当てに田母神擁立の巻き返しをはかったという。
 「中田宏など田母神入党に批判的な穏健派には、田母神擁立を平沼ら『旧たちあがれ日本』勢の仕業にしたウラで、田母神擁立に尽力した」(前出C)
 翌28日に田母神の公認が発表される。公認の決定権をもつ党幹事長である山田が、首を縦に振らない限り、田母神の公認はありえない。
 「慎太郎は、田母神の応援に行かないことを公明党に伝え、伸晃、宏高への公明支持を取り付けた」(前出C)
 田母神の応援に行かない以上、慎太郎は都内のほかの次世代候補の応援にも行けなかったようだ。一見すると特定の候補者の応援に行ったように見えない、大きなターミナル駅などで演説をするだけで、自民や公明と競っている地域には入らなかった。この点について、次世代の党は「石原氏の街頭演説は体調を勘案して行いました」と回答するが、慎太郎の選挙中の動きは3年前の日本維新の会のときと同様だった。今回は、都内では唯一、幹事長である山田の箱もの演説会(参加者150名程度)だけ顔を出した。一方、他県の次世代候補の応援は、慎太郎は積極的に行った。これが日本を代表する保守論客の活動実態とすれば残念な話だ。
 山田にとって、比例票掘り起こしのために、東京都内の多くの選挙区で候補者を擁立することは必須である。ただし、当選の見込みがない次世代の党からわざわざ立候補する物好きは少なく、擁立作業は困難を極めた。そこで、15年4月の統一地方選挙の党公認立候補予定者数名を、急きょ衆議院候補として擁立する。地方議員を志す人間を無理に国政で働かせるという発想自体、まともな政党の体をなしていない。選挙前から次世代の党は泡沫化していたのだった。
 時間は遡るが、山田は、自身の選挙区での戦いを有利にするために、民主党との選挙協力を画策したという。山田の地盤である東京19区は自民現職、民主元職が強い地域であり、山田は選挙区で苦戦することは必至であった。解散直後、東京20区は、民主党候補者が決まっていなかった。前出のAはこう語る。
 「山田は、民主党と交渉し、自身の19区から20区への移動を提案した。19区の民主候補を山田が支援する代わりに、自分が立候補する20区で民主候補の擁立をしないよう求めたのだ。しかし、この取引が成立しなかったため、山田は19区での立候補を余儀なくされる。その後山田は、比例票掘り起こしのために20区で次世代候補者擁立に奔走するも、実現しなかった」
 ここで次世代の党を代表して幹事長である山田に、A、B、Cの3名らから得た取材内容に関して事実関係の確認を行った。回答は平沼党首名義で、「そのような事実は承知しておりません」と返信がきた。
 慎太郎は伸晃、宏高の選挙区情勢がよいと見るや、選挙中にもかかわらず引退宣言をしてしまう。これは、慎太郎が次世代の党から手を引いたとのメッセージを公明党に示すためと推測される。さらに平沼は選挙中に、自民党との連立を望む発言をした。これらの発言に失望した有権者は多かった。
 選挙結果については、次世代の党は比例当選者ゼロであり、小選挙区当選者も全国でたった2名、都内ではゼロである。東京都内の候補者8名のうち6名が供託金没収であった。山田は辛うじて供託金没収を免れたものの、実態は泡沫候補であった。最早、政界に復帰できないであろう。
 落選した前出のBは、「次世代の党とは、まったく保守ではない集団であり、自民党に入りたくてしょうがない議員の集まりであり、私利私欲の議員の集まりであり、存在価値のない政党だ」とため息をつく。日本共産党、公明党というリベラルな政党が躍進するなかで、日本の保守政党は自ら壊れてしまった。 (文中敬称略)
 ◎上記事の著作権は[PRESIDENT Online]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖
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〈来栖の独白〉
 選挙運動期間中、石原慎太郎氏が引退宣言をした。引退する人が(たとえ比例順位最下位であれ)立候補、というのは如何にも矛盾しているし、次世代の党にとって不利な宣言である。このことが、私には不可解でならなかったが、上記事により理解できた。結局、「我が子可愛い」ただの「年寄り親父」だった。
 山田宏も、とんだ食わせもの、ワル(悪)にすぎなかった。
 <自民党に入りたくてしょうがない議員の集まりであり、私利私欲の議員の集まり>とは、実に情けない。
 私は2年前まで小沢一郎氏を応援してきたが、この人もただの「銭ゲバ」だった。引退後を睨んで、(永年お世話になった岩手ではなく)沖縄に豪邸を建てたのも数年前のこと。昨年暮れ、政党交付金目当てに山本太郎と組んだ。「生活の党と山本太郎となかまたち」、何じゃ、これは。恥を知れ。
 つくづく、私は人を見る目がないなぁ。しかし、「次世代の党にも人材はいる」と今なお思いたい私。田沼たかし、中山なりあきさん・・・。懲りても懲りないか・・・。
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