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オウム 高橋克也被告 第2回公判 2015.1.19 上祐史浩氏「ダライ・ラマの麻原称賛を“金で買った”」

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ダライ・ラマの称賛を“金で買った” 上祐氏が古巣・オウムに爆弾
 東スポWeb 1月21日(水)8時0分配信
  オウム真理教元信者高橋克也被告(56)の第2回の裁判員裁判が19日、東京地裁で開かれ、元幹部の上祐史浩氏(52)が証人出廷した。
  オウム裁判に証人として出るのは初。現在は麻原彰晃死刑囚(59)と決別して、新団体「ひかりの輪」代表の立場だ。法廷では古巣への冷静な批判を繰り広げた。
  オウム教義は「ヨガ団体にチベット密教とキリスト教の終末思想が入った寄せ集め」と指摘。当時、入信した若者たちは上祐氏を含めて、「ノストラダムスの大予言」やアニメにかなり影響されていたと語る。
 「私は第3次世界大戦が起こると思っていた」。裁判後の会見では「『宇宙戦艦ヤマト』も『機動戦士ガンダム』も世界大戦を描いた。ハルマゲドンのキーワードがいくらでもあった」と述べた。
  幹部しか知らない仰天事実も明らかに。サリン事件後、麻原死刑囚が「1995年の11月には戦争だ!」と発言したと証言した。「11月」「戦争」という言葉は記憶しているという。サリン以上のテロの可能性があったとは恐ろしい。
  また、教団がダライ・ラマ14世に莫大な寄付をしていたことも明らかに。「麻原は100万ドルを目標にして、たぶん1億円を超えた」。80年代後半、ダライ・ラマは麻原と対談して称賛の言葉を贈っている。
 「お金の取引で、高名なダライ・ラマが称賛の言葉を贈ると思えず、信じた」と上祐氏。ダライ・ラマは89年にノーベル平和賞を受賞。名僧ブランドでオウムの信用が上がったことは、信者獲得の一因に違いない。
  高橋被告とは出家の時期が近いが「付き合いがない。要するに影の薄い男」と振り返る。謝罪の言葉が出ないことに「心の中が整理できてない。(信仰心が)残ってなければ、宗教的に正当化できない事件だった。個人の関与は別にして、教団の関与は明らか。それでも(謝罪が)ないのは、麻原への信仰が残っていると考えるのが合理的」と指摘した。
 ◎上記事の著作権は[Yahoo!JAPAN ニュース]に帰属します
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オウム 高橋克也被告 第3回公判 2015.1.20 Tue. VX事件審理開始 永岡弘行さん証言に被告、動揺 2015-01-21 | オウム真理教事件 
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関連; <消えない狂気の記憶>オウム真理教事件 (1)松本サリン事件~(5)カルトに潜む危険意識 2014-06-29 | オウム真理教事件 
   (抜粋)
<消えない狂気の記憶>(3) 終わらない家族の戦い
 中日新聞 2014/6/24 朝刊
 息子をオウム真理教から脱会させた永岡弘行さん(76)は、猛毒ガスの「VX」でオウムに殺されかけた後遺症で手を震わせながらも、今なお得体(えたい)の知れない教団相手に戦う姿勢を崩さない。松本サリンなど凶悪事件の記憶は遠くなりつつあるが、「まだまだ悩んでいる家族がいる」と語る。
 息子の辰哉さん(45)を取り戻そうと一九八九年に他の信者家族とつくった「オウム真理教被害者の会」はその後、教団が無差別テロを犯してから「自分たちが被害者と名乗るのはおこがましい」と「家族の会」に名前を変えた。いまだに家族のもとに帰らない信者は多い。
 オウムから改称した「アレフ」や「ひかりの輪」の新たな入信勧誘の動きに対抗して、家族の会は今年四月、インターネット上に初めてホームページをつくった。埋もれたトラブルや信者家族の掘り起こしを目指す。
 早速二件の相談が寄せられた。弘行さんは「お年寄りが入信させられているんです。年金があるから」と、弱者に付け込んでくる手口に怒りを新たにする。
 七十余の会員家族が今も現役信者の子を抱える。会員男性(62)の三十代の娘は中学三年で入信し、完全には信仰を捨てていない。精神状態に波があって今も説法のCDを聴くときがあるが、精神科のカウンセリングが効き目をみせ、穏やかに家族と会話を交わせる日も増えてきた。
 男性は「ここまで粘り強く娘と向き合ってこられたのは、会のアドバイスのおかげ」と話す。
 息子を奪還してから二十年以上も会を引っ張り続けるわけを、弘行さんは「大人の責任」と説明する。「辰哉が入信した理由の一つは父親である私だった」
 家庭より仕事を優先し、厳しく叱るばかり。辰哉さんも「父には力でも理屈でも勝てない。僕は病気がちで体力もなく、それで超能力とか神秘的なものに興味が向いた」と振り返る。
 出家後、原因不明の記憶喪失になった辰哉さんは九〇年一月、家に戻ってきた。しかし回復して信仰の記憶を取り戻して心が揺れだした時、父親は粘り強い対話を心がけた。
 信仰の根底に、チベット仏教の指導者ダライ・ラマ十四世が、麻原彰晃死刑囚(59)を「最終解脱者」と認めたという“事実”があると分かった。すぐに息子を連れてインドへ飛んだ。
 ダライ・ラマの側近はその“事実”を完全否定。オウムが宣伝に使うダライ・ラマと麻原死刑囚が肩を並べる写真も、高額な寄付金のお礼代わりと分かった。「自分はどんなにバカだったんだ」。辰哉さんははっきり悟った。
 帰国から十日後、弘行さんはインドでつかんだウソの証拠を麻原死刑囚本人にぶつけた。家族の会などでも公表。一方の辰哉さんは、元信者の立場を生かして脱会カウンセリングの活動に打ち込んだ。
 オウムの大きな脅威となった父子。松本サリン事件から七カ月後の一九九五年一月、教団はVXで弘行さんを襲撃。奇跡的に命を取り留めたが「警察は自殺だろうとか言って捜査もろくにしてくれなかった」と弘行さんは警察不信を今もぬぐえない。
 <オウム真理教のだましの手口>
 麻原死刑囚がダライ・ラマと並んだ写真のほか、座禅を組んだ信者が空に浮いているかのような写真が、オウムの出版物にたびたび載った。修行によって「空中浮揚」できるようになると宣伝していたが、被害対策弁護団の滝本太郎弁護士は自ら座禅を組んだまま跳躍した一瞬を撮影した写真を公表。空中浮揚はウソだと訴えた。
 オウムには「イニシエーション」と呼ばれる儀式があり、信者は麻原死刑囚や幹部からグラスを手渡されて、液体を飲み干す。幻覚症状などが起き、教祖の力で神秘体験したと思わせていた。教団内でLSDなどの幻覚剤や、覚せい剤を密造していたことが後の捜査で分かり、こうした薬物が儀式に使われていた。
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