中東・アフリカ
イスラム国の「真の狙い」など存在しない 錯綜した人質事件の情報(前篇)
JBpress 2015.02.03(火) 黒井 文太郎
2月1日、イスラム国はジャーナリストの後藤健二氏を殺害した映像を公開した。残念な結果だが、これはイスラム国がかねて予告していたとおりのこと。後藤氏解放の条件としてイスラム国が要求していたのは、ヨルダン政府が収監中のサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放・引渡しだったが、ヨルダン政府がそれを拒否したことで、時間切れとなったかたちだ。
この間、さまざまな情報が飛び交い、あたかもヨルダンとイスラム国の交渉が進んでいるかのような印象もあったが、そうした情報はいずれも誤情報だったということになる。
今回の人質事件をめぐっては、イスラム国の目的について「存在感のアピール」とか「有志連合への揺さぶり」などとさまざまな説が飛び交ったが、それには大いに疑問がある。実際のところ、すでにこれまで何度も繰り返してきた外国人人質殺害によって、イスラム国の存在感は国際的にも十分に大きなものとなっており、いまさら新たな誘拐・殺人を重ねても、国際的な宣伝効果はさほど高くない。
また、ヨルダンと日本を結びつけた今回の脅迫も、日本人の反イスラム国感情を高めこそすれ、有志連合を揺さぶるほどの効果など最初から期待できない。つまり、イスラム国の「真の狙い」なるものが、本当にあったのか甚だ疑わしいのだ。
イスラム国の本当の考えなど、外部の人間には分かるはずもないが、彼らは脅迫映像でその主張を自ら公表している。われわれが知り得るのは、その情報だけであることに留意する必要がある。
■「やっていること、言っていること」を分析のベースに
筆者は今回の事件において、イスラム国の出方を探るために必要な状況分析に、根拠の薄い主観的推測と未確認情報が広く見られたとの印象を持っている。
真実を探るうえで、考え得るさまざまな可能性を検討することは重要だ。したがって、未確認情報でも「それが事実だったら?」との仮定で状況を分析する意味はある。主観的な推測も、なるべく多くの想定に基づいて検討すべきだ。
しかし、その前にまず行うべきは、実際にイスラム国のやっていること、言っていることをシンプルに分析する作業である。それがベースになって初めて、「もしかしたら他に狙いがあるのかも?」と検討するという手順が必要だ。それが最初から、主観的推測と未確認情報を前提にした分析がベースになってはいけない。
今回の事件で言えば、主観的推測と未確認情報をいったん排除し、実際のイスラム国の言動だけを検討しても、そこには一貫性があることが分かる。
繰り返すが、イスラム国の考えは外部には分からない。もちろん彼らの言動に大きな矛盾があれば、隠された裏の狙いがあるといった「穿った見方」も説得力を持つが、矛盾が見当たらなければ、まずはストレートに考えることが必要だ。前述したように、もちろんさまざまな可能性について考察することも重要だが、「穿った見方」が先行しては、観念的な世界に囚われ、リアルを見失う。
そこで、ここでは「イスラム国には特に隠された狙いなどなかった」と仮定して、彼らの語ったこと、行ったことを検証してみたい。
■その行動は完全にプロの誘拐団のもの
まず、イスラム国の過去の行動を見れば、今回の人質事件は、これまでイスラム国が何度も繰り返してきた「外国人誘拐ビジネス」の延長にすぎないことが分かる。イスラム国は、特にシリアにおいて、自分たちの手に入った外国人を片っ端から監禁している。
監禁した外国人に対し、イスラム国はまずはスパイ容疑で尋問し、その後はほぼ例外なく身代金目的の人質としている。そして、身代金が支払われた人質は必ず解放し、支払われなかった人質は殺害している。
この方針は徹底したもので、例えば彼らが敵視しているキリスト教主導先進国であるフランスの国民でも、身代金が支払われれば解放している。米英の両国は国策として身代金支払い拒否を公言しているが、それでも例えばアメリカ人人質の家族に身代金が要求されていたケースがいくつか明らかになっている。たとえ敵国でも、解放するか殺害するかは、完全に身代金支払いの有無によるのだ。
これは、彼らが政治的アピールを最大の目的とはしていないことを示唆している。彼らの行動は完全に、営利目的のプロの誘拐団のものだ。彼らはただ1回だけ誘拐しているわけではなく、資金源として誘拐をとらえている。彼らは自分たちの脅しが言葉だけでないことを担保し、さらなる脅迫を円滑に行うために、必ず約束は守る。少なくともイスラム国はこれまでの誘拐事件で、そのルールを一度も破ったことがない。
ちなみに、シリアで誘拐ビジネスが流行しだしたのは、内戦が泥沼化した2012年半ばであり、イスラム国がその主役になったのは2013年半ば頃からだが、現地での誘拐ビジネスには当初からそうしたルールがあったようだ。その背景には、かつて米軍駐留時代のイラクで、地元富裕層に対する誘拐ビジネスが広く蔓延していたことがあるのかもしれない。誘拐ビジネスの手法が、イラクからシリアに持ち込まれたという構図である。
なお、シリアでは実際には外国人だけでなく、現地の人間も誘拐ビジネスの対象になっているが、筆者がヨルダン在住のシリア難民から直接聞いた話では、現地住民の身代金の相場は800ドル程度であり、平均して数億円が要求されている外国人人質の相場とはケタが違うとのことだ。やはり外国人は、それだけ彼らにとっても大きな資金源なのである。
ともあれ、イスラム国は以上のように、外国人人質はまずカネに換えることを考える。政治的な利用は二の次だ。その点で、イスラム国は政治的なアピール、または駆け引きを重視するアルカイダのような既存のイスラム過激派とは一線を画している。「日本は人道支援を行っているだけだ」と説得すれば対話が可能だという見方は、イスラム国とアルカイダ等を混同している甘い見方であろう。
■求めているのは政策変更ではなくカネ
そして、イスラム国は、彼らの最大の目的である身代金が支払われなかった人質については、他の利用法を考える。身代金が支払われない英米の人質は、米英に対する政治的な脅迫の材料に使い、その生命を断つ。
イスラム国は両国以外にも、少なくとも2人のロシア人人質を殺害している。おそらく身代金要求に応じなかったものと思われるが、うち1人はスパイと断定して、少年に殺害させている。
今回の人質事件で、湯川氏殺害の時点までを見れば、イスラム国の要求は一貫している。身代金の要求である。湯川氏については身代金の要求が早い段階からあったのかどうか、情報が明らかになっていないので、分からない。
しかし、すでに明らかなように、後藤氏に関しては、お身内に早い段階からメールでコンタクトがあり、高額な身代金の要求があった。イスラム国が期限をきって公開の脅迫に切り替えたのは、身代金支払いに応じる意思がいつまでもなかったことで、いわば最後通牒を行ったと考えても、そこに矛盾はない。
イスラム国は最初の脅迫動画において、イスラム国と敵対する陣営に巨額の援助を決めた日本政府を「十字軍に加わった」と非難しているが、要求していることはカネだ。日本政府に政策変更を求めているわけではない。もちろん日本政府の政策を非難していることから、そこに強い敵意は認められるものの、彼らの要求はあくまで身代金である。
イスラム国の誘拐ビジネスの過去事例から言っても、ここで期限までに身代金支払いの意思を日本政府が表明し、実際に支払われれば、人質は解放された可能性が極めて高い。
■最初に巨額を提示するアラブ世界のバザール的商談
この脅迫について、身代金があまりに高額だったことで、最初から身代金を受け取れるとは思っていなかったのではないかとの推測がある。最初から殺害するつもりで、非現実的な金額を持ち出したのではないかとの推測である。
その可能性ももちろんある。しかし、そうでない可能性もある。もちろん2億ドルという金額が、これまでの身代金相場から言っても破格であるのは事実だが、単に日本政府の周辺国援助の金額を見て、吹っかけてきただけだったのではないか。
これは、誘拐ビジネスにおいては、むしろ一般的なやり口でもある。初めに巨額を提示し、その後、現実的な金額に交渉するというプロセスは、決して珍しいことではない。これまでの他国の人質解放交渉の内幕は一切秘匿されているため、イスラム国のやり口は分からないが、特にアラブ世界においてはこうしたバザール的商談はむしろ一般的なマインドと言える。
われわれが分かるのは、実際にイスラム国は過去に外国人人質を必ず身代金に替えようとしてきたこと、今回、彼らは身代金を要求し、それが受け入れなかったことで人質を殺害したという事実である。その行動は一貫しており、矛盾はない。
■安倍首相の発言がなければ殺害されなかったのか?
なお、最初の脅迫動画の出たタイミングに関して、「安倍首相がエジプトでイスラム国を刺激するようなことを言ったのが原因だ」との推測がある。イスラム国が日本政府の周辺国援助を口実にしていたことから、そのニュースがこの公開脅迫に結びついたことはおそらく事実だろう。2億ドルという身代金の法外な金額も、このニュースを見て思いついたのもおそらく間違いない。
しかし、では仮に安倍首相があくまで「人道的援助」とだけ話していれば、人質は身代金なしでも解放されたか? あるいは日本政府がそもそも援助など行わなければ人質は解放されたか? と考えると、イスラム国に限って、その可能性はないと判断するしかない。彼らはその前から、身代金の要求を行っていたからである。
そこで日本政府が判断すべきは、まずは人質の生命を最優先と考えて身代金支払いに応じるか、あるいはテロに屈しないことを優先して身代金の支払いに応じないか、という非情な二者択一の選択だけだったことになる。
例えば、日本は人道支援だけを行っていること等をイスラム国に伝え、いくら説得しようとしても、彼らは誘拐ビジネスの原則を曲げない集団であるから、結果は変わらなかったであろう。少なくともイスラム国に限っては、過去事例から見ると、まずあり得ないと考えるべきである。
また、水面下での交渉のうちなら救出の可能性があったとの推測も説得力はない。イスラム国が求めていたのは身代金であり、水面下であろうと公開であろうと、彼らは身代金を入手できるか否かが判断の材料である。日本政府は一貫して身代金の要求に応じていない。水面下であっても、身代金支払いに応じなければ、解放されなかったと考えるべきである。
■目的は「身代金」「仲間の奪還」の2点
イスラム国側が唯一、要求を変えたのは、最初の期限が過ぎても日本が身代金支払いに応じなかったことを受け、予告どおりに2人の人質のうちの湯川氏を殺害した後、後藤氏を使ってヨルダンの死刑囚との交換という新たな要求を持ち出してきたことだけである。
最初の脅迫動画では、イスラム国は明確に「1人につき1億ドル」という言い方で、身代金支払いに応じない場合に2人を殺害することを宣言している。しかし、期限切れとなった時点で彼らは、2人ともの殺害を行わず、後藤氏をヨルダンの死刑囚との交換という奇妙な要求に変えてきた。
この要求には不可解な点もあるが、それでもイスラム国はそれ以降、この要求を一貫して変えず、ヨルダン側が折れなかったことで期限切れとなり、予告どおりに後藤氏を無残にも殺害した。
今回の一連の事件でイスラム国が要求したことは、最初は「身代金」であり、次が「仲間の奪還」だった。要求が変わったのはその1回であり、それ以外は一切妥協することがなかった。彼らの目的はその2点だったと考えても、特に矛盾点はない。
もっとも、第2幕とも言える死刑囚との交換に関しては、その要求の内容に唐突感も否めない。次回は、この死刑囚奪還という要求について、彼らにはそれ以外の隠された狙いがあったのか否か? また、なぜその過程で交渉が進展していたかのような情報が飛び交うことになったのか? その経緯を振り返って、考えてみたい。
(つづく)
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◇ シリアに行ったことがない方へ 黒井文太郎 2013-09-20 | 国際
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