『人は死なない』矢作直樹著 2011年9月1日 初版第1刷発行 バジリコ株式会社
(抜粋)
p141~
私の友人に、Eさんという会社経営をしている60歳代の女性がいます。Eさんとは、これまで電話では何度もやりとりをしていたのですが、なかなか会うタイミングがなく、実際に会ったのは平成21年の3月でした。(略)
p142~
そのEさんから、平成21年3月のある日の朝電話がかかってきたのですが、いつもの率直な話し方と違って何か言いにくそうな気配なので私は訝しく思いました。そして、一呼吸おいてEさんが私に話した内容は、実に驚くべきものでした。
Eさんは、言いました。
「実は、あなたのお母様のことなんです」
「はっ?」
「矢作さんと先日お会いした後からお母様が矢作さんのことを心配されて、息子と話したい、と私にしきりに訴えてこられるのです」
それを聞いた私は、心中「ええっ、まさか」と驚き、俄かには信じることができませんでした。(略)
「どうして母は私のことを心配しているのですか」と私が訊くと、Eさんは、
「矢作さんがお母様に、申し訳ない、という非常に強い思いを送っていらっしゃったからのようですよ」
「どうしてそんなことが母にわかるのですか」
「そういうふうにお母様がおっしゃっていますよ」
私は黙ってしまいました。確かに私は、生前の母に対して親孝行らしきこともせず、また晩年の母にも十分な対応をしてやれなかったことがひどく心残りで、毎晩寝る前にそうした悔悟の念を込めて手を合わせていました。
そんな私の思いを知ってか知らずか、Eさんは「どうしますか?」と訊いてきました。(略)
p144~
交霊の当日、Eさんに伴われてFさんのお宅にうかがうと、Eさんが母からの接触以来のことを簡単にFさんに話した後、事前に打ち合わせてあったせいか、すぐさま降霊が始まりました。(略)
まず最初に、Fさんが何ごとか言葉を述べ、次いでEさんの頭に向かって右手の人差し指をまっすぐに伸ばし、「矢作美保子(母の名)様ですね」と声をかけました。するとそのときです。いきなりEさんが前屈みになり、礼をするような姿勢になったとたん間髪を入れず「直樹さん、ごめんなさいね。心配をかけてごめんなさい、ごめんなさいね」と、堰を切ったようにまったく別人の口調で話し始めました。それは、いきなりドスンと天から母が降ってきたような感じでした。突発的で、まるで桶の底が抜けたようでした。
真横に控えていた私は、ずっと昔、まだ母が若かった頃の感情的になったときのような口調に驚きました。(略)
p145~
「「お母さん、私は元気でやっています。心配いりませんよ」
「直樹さんに心配させて本当にごめんなさいね」
「私は元気で何も心配していないから大丈夫ですよ」
「そう、それなら安心したわ」
力んでいた母は、いきなりほっとしたようで、すぐに生来の重たい口調になっていました。こちらから訊かない限り、自分からは口を開きません。
私は一呼吸入れた後、さらに話しかけました。
「お母さん、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
Eさんの体を借りた(?)母は、ゆっくい頷きました。Fさんも向こうからにっこりしながら、右手指でOKサインを出します。
「お母さんは、どうして亡くなったの。ずっと疑問だったんだけど」
「心臓発作らしいの」
そのとき私は、母の死後に警視庁の刑事が「入浴中に心臓発作で亡くなられた方々は、前屈みで横に倒れ、浴槽にはまったように水没していることがよくあります」と言っていたのを思い出しました。
p146~
「いつ亡くなったの?薫(私の弟)が電話をかけなかった日? それより前?」
「薫さんが電話をくれなかった日には、もうこちらに来ていたわ。直樹さんが帰った日の夕方ね(註:5月6日。つまり死体検案書に記載された日)」
母は、いつも夕方17時頃に風呂に入り、18時に弟からの電話を受けるというのが日課でした。(略)
「亡くなる前に、同居をもっと強く勧めておけばよかったですかね?」
「そんな必要はありません」
「でも、最期はずいぶん不自由だったでしょう?」
「それは問題ではなかったわよ」
p147~
不自由な独居生活の末、独りで亡くなった晩年の母に対して、何もしてやれなかったことに強い後悔の念を持っていた私は、いつもの淡々とした調子の母の言葉で、救われたような気がしました。(略)
p148~
「ところで、どうして私がお母さんに申し訳ないと思っていることがわかったの?」(略)
p149~
「ずっと見ていたの?」
間を置いて、母は微笑みながら「そうよ」と答えました。そのときの、心の中に言いたいことを留めようとするように視線を落とす様子が生前の母独特のもので、私は本当に生きている母と向き合っているように錯覚しそうでした。
「私が毎晩念じていたのも?」
「そうよ」
母は、ニコニコと笑っています。
「そちらの居心地はいいのかな?」
母は嬉しそうに頷きました。
「私がいつ頃そちらに行けるのか知らない?」
「そんなことは訊いてはいけませんよ」
少し困ったような顔をしながら母は言いましたが、母にはわかっているのでしょうか。
「とにかく、こちらのことは心配しないで」と、母は再び念を押しました。
「わかりました。でも私が毎月行っている納骨堂へのお参りはつづけていいんでしょう?」
「それは嬉しいわ」
ここで、向こう側に座っているFさんが言葉を挟みました。
p150~
「お供え物をしなくてよろしいですか?」
「ええ、要りません」と、母はいつもの調子できっぱりと言いました。
「私は摂理を理解しているつもりなので宗教を必要としていないから、儀式らしいことを一切しませんがいいですね?」
「それでかまいません」
母は大きく頷きました。生前の母は、弔いの形式などまったく意に介してしなかった。
まだまだ訊きたいことはいろいろありましたが、私はなぜか直感的に世俗的な興味で母を引き留めてはならないような気がして、別れのときが来たと思いました。
「じゃあそうするから。僕のことは心配しないでね」
「わかったわ。兄弟仲良くね」
母は安心したように、大きく頷きながらそう言いました。
「大丈夫ですよ」
「そう」
「じゃあ、これでもうこちらには来ないんですね?」
「ええ、お別れよ。元気でね」
P151~
母のまったく未練がましくなく晴れ晴れとした口調に、私は一瞬拍子抜けしました。親が子をぽいっと突き放す、動物の子別れのようでした。
私は万感の思いを込めて言いました。
「お母さんも元気でいてくださいね。さようなら」
すると、その瞬間にEさんが背を伸ばしてぱっと目を開け、元の口調に戻って「よかったですねえ。それにしてもすごくサッパリした方ですね」と、感動したように言いました。(略))
■矢作直樹(やはぎ・なおき)
1956年、神奈川県生まれ。金沢大医学部卒。麻酔科、救急・集中治療、外科、内科など経験し、2001年から、東大医学部救急医学分野教授、同大病院救急部・集中治療部長。
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「人は死なない、魂は永続します」 現役東大医学部教授の「スピリチュアル」が話題
J-CASTニュース 2014/9/21 18:38
「人は、死なない」――こう主張する東大医学部教授がネットの一部で話題になっている。その人物とは、東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部付属病院救急部・集中治療部部長の矢作直樹さんだ。
『人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』(バジリコ)、『おかげさまで生きる』(幻冬舎)などの著作がある。「スピリチュアル(精神的、霊的な世界)」を思わせ、オカルトではと指摘する声もあるが、いったいどんな内容なのか。
■「病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのです」
「子どもの頃から人は死んだらどうなるのだろうかと考えていた私が、『見えない世界』への確信を得たのは、(...)一番身近な肉親の死からでした」――話題の本『おかげさまで生きる』の書き出しはこうだ。本の中では、医療の現場では机上の科学だけでは説明できない事象がしばしば起こることを引合いに出しながら生命にはわからないことが多いとし、その上で「見えない世界」や気、奇跡体験に触れながら「楽しく生きる」ためのヒントについて説いている。
あとがきでも「死は終わりではありません。私たちの魂は永続します。そもそも私たちの本質は肉体ではなく魂ですから、病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのです」とし、近しい人を亡くしても、悔いや悲しみを抱かずあの世での反省会でもしたいという気持ちで生きているという自身の人生の捉え方も語っている。
ここまで読むと、確かに「オカルト」「スピリチュアル」といった単語が頭をよぎる。実際、矢作さんの別の著作『人は死なない』では、心肺停止からの生還をはじめ、憑依や体外離脱といった非日常的現象について「霊性」といった言葉を使いながら紹介している。とくに紙幅を割いている、亡くなった母親を霊媒師の力を借りて降霊し、会話をした話などは、かなり「オカルト」といってもよさそうな内容だ。
ただし、こうした体験を紹介する理由を矢作さんはあとがきでこう説明している。
「生命は我々が考えるほど単純ではないこと、医療でできることはごく限られていることを一般の人々に理解していただき、自分の命を人任せにせず自分自身で労わってほしいという思いをささやかながら述べてみたい」
「頭から先入観を持って否定するのではなく、そんなこともあるのかもしれないなという程度の思索のゆとり、そう考えれば日々の生活思想や社会の捉え方も変わるのでは」
■まぁ、この著者は、なんて見事にぶちまけてくれているのでしょう
こうした本について、ネットでは矢作さんの役職と合わせ、
「確かにこの人が東大付属病院の『救急部・集中治療部部長』という要職についていることは問題だと思う。処遇を考えるべきだろうな」
「東大医学部教授がオカルトに嵌まるか。 典型的な死への恐怖からオカルトにすがるてパターンじゃないかな? 昔なら宗教にすがるんだが、今は宗教(既成の)に力がないからね」
と批判的に見たりする人も出ている。
一方で、「その信仰と現代医療を両立させられているなら、欧米に多いキリスト教信者の医師と同じだろ。重要なのは、信仰をトンデモにしないことで」という人もいる。矢作さんの考え方に同調する人も多いようで、Amazon.jpでの本の評価は高い。たとえば「人は死なない」については、123件のレビューが付き、星の数は3.7と低くない。東大医学部教授で医師という立場からスピリチュアルについて言及したことについて、評価するコメントもある。
「私も医師ですが、(...)より多くの医師たちが、意識して、『スピリチュアル』な領域にも触れようとするなら、『医療』はよりよいものになるだろうと、『私は』は思っています。『東大の救急部の部長』という肩書きを持つ矢作さんがこのような本を著したことが、『日本の医療』をよりよい方向に向かわせていく動きを増すことになればよい、と私は思います」
「宗教がらみではないので、多くの人が抵抗無く読める内容ではないかと思います。私は医師ではありませんが、沢山の方を看取ってきましたし、不思議な(と皆さんが言われている)体験も日常的に経験しています。その中で色々と考えることがある訳ですが、それについては誤解されることが多いので、今まではごく親しい同業者以外にはお話ししませんでした。それなのに、まぁ、この著者は、なんて見事にぶちまけてくれているのでしょう。死への恐れを持つ方や家族を失うことへの悲しみを抱えている方へ、私たちがするべき最も大切なこと(・・でもナカナカ困難なこと)は、涙ぐみながら同情の言葉をかけることではありません。死への恐怖を和らげること。死は生と続いている自然な出来事なのだと気づいてもらえること。その上で最後まで自分を失わずに穏やかな気持ちで生きてもらえるように援助すること。だと思います」
◎上記事の著作権は[J-CASTニュース]に帰属します
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『人は死なない』 矢作直樹著 2011年9月1日 初版第1刷発行 バジリコ株式会社
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