廃炉まで100年"福島に突きつけられる覚悟 チェルノブイリが教える現実 最終回 ---彼の地は25年経った今も「石棺作業」に追われていた
現代ビジネス2011年10月01日(土)
「フクシマでは、原発作業員はどのぐらい給料をもらってるんだい?」
チェルノブイリ原発から約10km離れた作業員専用の宿舎。その食堂で、30代の作業員が興味津々の様子で聞いてきた。
「普通の建設作業員と大差ないと思う」
記者がそう答えると、目を剝いた。
「えっ!? そんなんじゃ人は集まらないだろう。俺たちの年収は、ウクライナの普通の労働者の2倍だぜ!」
作業員は自慢げにそう言った。
事故から25年経った今も、チェルノブイリ原発では、作業員や技術者、研究者が数百人単位で働いている。放射線量を監視し、老朽化した施設を補修し、廃炉作業を進めるためだ。
作業員は、明日も爆発事故を起こした4号機の補修作業があるのだという。不気味にそびえる排気塔は、福島第一原発の未来を暗示しているのか---。
本誌は8月末にウクライナ・チェルノブイリに入り、隣接するベラルーシも訪れ、放射能汚染瓦礫の実態や、農業問題を取材。前号まで2週にわたってレポートした。今回は、チェルノブイリ原発の敷地内に入り、廃炉作業にスポットを当てる。そこで見えたものは、「100年間に及ぶ覚悟が必要だ」(現地の技術者)という厳しい現実だった。
チェルノブイリ原発の半径30km圏内は立ち入り禁止区域となっていて、ぐるりとフェンスで仕切られている。中に棲息する動物が放射性物質を外に持ち出さないようにするためだ。作業員は月に12日間だけ?ゾーン?と呼ばれる30km圏内に入り、泊り込みで作業に従事する。それ以外の日は、70~80km離れたスラブチッチという町で家族とともに暮らしている。スラブチッチは、事故処理にあたる作業員たちのために新たに造られた町だ。
「ウクライナは仕事が少ない。家族を養うためにこの仕事をやっている。給料が高いし休日も多い。きれいな町に住めるので今の生活が気に入っている」
作業員の一人は屈託のない表情でそう話した。その一方で、ゾーンの中に造られた作業員専用の宿泊施設は放射線量が高い上に、男臭い。食堂、売店、研究所など設備は揃うが、一日回っても、食堂の老女と娘以外、女性の姿は見かけなかった。施設は、チェルノブイリのかつての市街地の建物を利用している。事故処理の本部基地は元は市役所だった。
チェルノブイリには今もなお、全部で4基の原発が存在する。爆発した4号機は鉛とコンクリートで覆う石棺作業中だ。コンクリの崩壊などがあり、25年経っても終わらない。隣接する1~3号機は運転停止中だが、各機の燃料プール内には燃料棒が入ったままだ。使用済み燃料の廃棄場所が見つからず、これまた25年間、冷却し続けている。つまり、何も終わっていないのである。
記者は、原発のオフィス棟から1号機の制御室に向かった。厳重なチェックがあり、ホールボディカウンターをくぐってOKが出ないと中に入れない。チェックが終わるとICタグをつけられ、専用の白い靴に履き替える。制御室は学校の教室ほどの広さで、塵ひとつ落ちていない。ただし、壁に設置されたコントロールパネルやモニターは、さすがに年季を感じさせる。
ここには4人の技術者が常駐し、交代しながら24時間態勢で燃料プールの監視をしている。燃料プールに設置されている可動式のカメラの映像が、14インチほどのモニターに映し出される。プールに沈む燃料体が見えるが、この部屋の空間線量は1マイクロシーベルトあるかないかといった程度だ。
技術者の一人はこう話した。
「1号機の燃料は二つのプールに分けて管理しています。温度は38℃前後で安定しています。核反応を起こす可能性があるので監視しているのです。専門的な資格を持たないとこの仕事はできませんが、個人的には、あまり専門的な知識は必要ないと思います」
何も起こらなければ、ただ監視するだけの退屈な仕事である。いったいいつまで監視を続けなければいけないのか聞くと、大きな課題が三つあるという。
「まず、燃料という高濃度の汚染物質を半永久的に貯蔵(ストレージ)する施設がない。二つ目は、燃料を貯蔵するために処理をする施設がない。そして三つ目は、処理を施すためのルール(法整備)がまだ整っていないことです。現在、ストレージする施設を建築中です。燃料を小分けし、それぞれを容器で覆い、穴に埋めるのです」(前出・技術者)
25年経っても、まだ廃炉の終着点が見えてこないのだ。3基がメルトダウンを起こしたとされる福島第一原発の廃炉作業は、どうなるのだろうか。
*廃炉に必要な技術がない
福島第一原発は、9月に入って1号機を建屋カバーで覆う作業が進んだ。中旬にはほぼ終了に近づき、何とか放射性物質拡散を抑えられる目途がついた。安定冷却も見えてきて東京電力には、どことなくホッとした雰囲気が窺える。9月14日には、内閣府原子力委員会の中長期措置検討専門部会が、廃炉完了までに必要な「19項目の作業課題」を確認した。その中で、燃料取り出しの前提となる、格納容器全体を水で満たす「冠水(水棺)」など5項目については、作業に必要と予想される技術開発が追いついていないことも明らかになった。
つまり、見えているようで、廃炉への道のりは見えていないのである。同部会自身、「研究開発課題が多く開発は長期間になるだろう。これまで格納容器にまで漏れ出た燃料を回収した経験はなく新規の研究開発が必要となる」
と、これまでの技術では対応できず、廃炉が実現するまでには長い期間が必要であることを認めているのだ。
福島第一原発の廃炉問題は、原子炉のほぼすべてが吹っ飛んだチェルノブイリよりも、'79年に米国でメルトダウン事故を起こしたスリーマイル島原発事故と比較したほうが分かりやすい。京都大学原子炉実験所教授・中島健氏が解説する。
「スリーマイル島では、事故後3年でようやく中にカメラを入れることができた。6年後に核燃料を取り出せるようになり、事故から11年経った'90年にやっと核燃料の取り出しが終わったのです。福島第一原発の場合はスリーマイル島より、もっと燃料が壊れ、ほとんどの部分が崩落しているでしょう。圧力容器が損傷している可能性も非常に高い。そうなると、作業的にはかなり厳しい条件です。いまだに線量が高くて、うかつに中に入れない状況が続いていますから」
炉心が高温になり圧力容器内で溶融することをメルトダウンという。そして、圧力容器を突き抜けて格納容器に溶け出すのがメルトスルー。福島第一原発では、さらに格納容器の底も溶かして建屋のコンクリート床部分にまで達するメルトアウトを起こした可能性がある。そうなると、核燃料をどうやって取り出すのか。中島教授が続ける。
「東電は廃炉までの作業イメージを発表していますが、いくつか想定が甘いと思うところがあります。まず、建屋内の燃料プールに残された使用済み燃料については、燃料の健全性がある程度維持されていることが前提になっています。しかし、大きく損傷した燃料が存在した場合の対策、処理方法を検討しておくべきです。次に、炉心の燃料の抜き取りですが、格納容器内の冠水が前提となっています。冠水を実現するためには格納容器の補修が必要になりますが、その損傷個所も特定できない状況です。最後の燃料の取り出しは、相当な技術的困難を伴います。格納容器外に燃料が流出していた場合の対応策も検討しておく必要がある」
いまだに格納容器、圧力容器内の状態が見えていないのだから、対策をたてても「絵に描いた餅」に終わる可能性が高いというのだ。中島教授はこうも言う。
「日本の技術は、決められた通りに物事を進めるのは得意です。しかし、事態が次々に変わり、臨機応変に対応しなければならなくなると、途端にダメになるところがある。その点も心配ですね」
スリーマイル島ですら、原子炉の浄化が終わったのは事故から14年後。チェルノブイリでは、25年経った今も4号機の石棺の修復作業に追われ、1~3号機に至っては燃料の廃棄場所が見つからず監視し続けるしかない状態にある。
福島第一原発の廃炉実現には、何世代にもわたる覚悟が必要なのである。
「フライデー」2011年10月7日号より
=========================
作業員「働けなくなる」 福島第一 被ばく100ミリシーベルト超99人
東京新聞2011年9月30日 朝刊
福島第一原発の事故収束作業で、一〇〇ミリシーベルトを超える被ばくをした作業員が百人に迫っている。この上限値を超えると、福島第一以外の原発では今後四年以上も働けなくなる。ずっと原発の仕事で生計を立ててきた人の生活はどうなるのか。作業員からは、「仕事ができなくなるのが一番怖い。どこで働けばいいのか」と不安を訴える声が出ている。 (片山夏子)
東京電力によると、二十九日現在、一〇〇ミリシーベルトを超えた作業員は九十九人いる。うち東電の社員が八十人で、協力会社の社員は十九人いる。四月以降、人数は増えていないが、被ばく線量の最高は、東電社員は六七八ミリシーベルトで、協力会社では二三八ミリシーベルト。
作業員の被ばく線量上限は、労働安全衛生法に基づく規則などで年間五〇ミリシーベルトかつ五年間で一〇〇ミリシーベルトと定められている。福島第一では、大量被ばくが相次ぐと予想され、今回の事故収束作業に限り年間二五〇ミリシーベルトに引き上げられた。
東電社員は一〇〇ミリシーベルトを超えると線量が低い場所で作業し、一七〇ミリシーベルトを超えると本社などで働く道を用意している。十五人が一七〇ミリシーベルトを超え、福島第一を去った。
だが、協力会社はそうはいかない。補償のこともあるため、年間二〇〜五〇ミリシーベルトと独自の基準をもうけている会社が多い。
福島第一など原発で働き、孫受け会社の代表でもある男性作業員は「原発の仕事で生活している。被ばくも怖いが、働けなくなるのが一番怖い。従業員やその家族の生活もある」と厳しい表情を見せる。従業員を雇うにも「残っている線量」を気に掛けている。
別の協力会社の代表も「五年で一〇〇ミリシーベルトだから、うちは一年で二〇ミリシーベルトまで。東日本大震災の前までは一五ミリシーベルトまでだったが、引き上げた」と言う。
これだけ重大な事故なのだから、特別の補償があってもよさそうだが、厚生労働省は、東電に被ばく線量が高い作業員の処遇などに配慮するよう求めるにとどまっている。
東電は「二五〇ミリシーベルトを超えた人は今はおらず、国が上限を一〇〇ミリシーベルトに下げたときはそれを受けて検討する。作業員への補償は今のところ特にない」と回答した。
こうした状況に、ある男性作業員は「自分たちで線量上限を設定して、仕事ができるように守るしかない。線量を浴びた作業員のその後を、国も東電も考えてほしい」と話す。
=====================
収束遠い福島第一原発 作業員 疲労の蓄積深刻
東京新聞2011年10月1日 夕刊
事故収束まで少なくとも10年はかかるとされる福島第一原発。放射能という見えない敵と闘いながら働く作業員たちの心身の疲労が深くなっている状況が、作業員らのケアに取り組んでいる東京都豊島区の巣鴨総合治療院・整骨院の沢田大筰(だいさく)総院長(32)へのインタビューで浮かび上がった。沢田さんは「3カ月前に比べ、表情は良くなったが、心身の疲労は回復しにくくなっている」と話している。
沢田さんは作業員の体の疲労を少しでも和らげたいと東京電力に申し出て、六月十四日と九月十九〜二十日の二回、福島第二原発の健康管理室で、第一と第二の両原発で働く東電社員約三十人に整体治療を施した。
六月の時は、どの作業員も背中や首のこりがひどく、筋肉がこわばって指が入っていかないほどだった。こりからくる頭痛や吐き気を訴える人が多かった。五月半ばにベッドが入ってきたものの、長い間、床に寝袋やマットレスを敷いて寝ていたためか、腰を痛めている人も多く、座骨神経痛で歩けない人もいたという。
沢田さんは、「一様に表情が暗く、変化が無いのが気になった。自身が被災者であり、同時に加害者でもあるというストレスに加え、原発の状況が少し落ち着き、将来への不安を訴える人もいた」と話す。
九月の治療では、居住環境が改善されたこともあり、筋肉の状況は良くなったものの、疲労が蓄積して回復しにくくなっていた。
幹部は、泊まり込みで二週間以上の連続勤務を繰り返しているといい、「通常は押さえると痛い場所でも、まひして痛いと感じていなかった。責任が重い人ほど症状がひどかった」という。
一回の治療では症状が改善しない状況に対応するため、沢田さんは回復や予防のための体操メニューを作って教えてきた。ただ、作業員約三千人のうち東電社員は約七百人にすぎず、ほとんどは協力会社の従業員だ。
「作業が長くかかる中で、少しでも体の状態を回復することは心身両方に大切。マッサージ師が常駐して、協力会社の作業員にも広げられれば」と指摘。自らも作業員のケアを続けていきたいとしている。
↧
廃炉まで100年 チェルノブイリが教える現実--25年経った今も石棺作業/ 福島第一原発 作業員 疲労蓄積
↧