アメリカに対して異議申し立てをきちんとする野田佳彦首相を外務官僚は全力で支えよ
【佐藤優の眼光紙背】2011年11月15日17時00分
国際社会が再び日本外交に対する関心を強めている。野田佳彦首相が外交面で急速に力をつけているからだ。そのことが顕著に現れたのが、11月12日(日本時間13日)、米国ハワイで行われた日米首脳会談だ。野田首相はオバマ大統領に対して日本がTPP(環太平洋経済連携協定)に関する交渉に参加するという方針を伝えた。これは外交戦略的に大きな意味を持つ。野田首相は、アジア太平洋地域における新秩序を日米を基軸にして構築するという日本の国家意思を表明したと、世界は受け止めている。
現在、世界的規模での帝国主義的再編が進んでいる。これまで日本は、「二股」をかけていた。第1は、日中を基軸とする東アジア共同体構想だ。しかし、中国は航空母艦を建造し、海洋覇権の獲得を本気で画策している。さらに中国政府は否定しているが、日本や米国に対するサイバー攻撃に中国の国家機関が関与していることは、インテリジェンス関係者やサイバー・セキュリティー専門家の間での常識だ。より根源的に、中国は現下国際社会で受け入れられているゲームのルールを一方的に変更しようとしている。このような状況で、東アジア共同体構想を進めることは、日本の国益に反する。
そこで、第2のシナリオ、すなわち日米同盟をTPPという形で、経済面でも深化していく必要が生じたのだ。野田首相が、東アジア共同体構想と訣別し、TPP交渉に参加するという姿勢を明確にしたことは、日本の国家戦略として正しい。農業や医療など、経済的な部分均衡の問題で、国家としての大局を見失ってはならない。客観的に見て日本は帝国主義大国である。本気にならば、米国と五分に渡り合うことができる。日本の力を過小評価してはならない。
野田首相が、TPP交渉へ参加するという日本の国家意思を表明したことを受けて、中国政府も前言を翻し、TPPを評価する発言をし始めた。特に11月12日(日本時間13日)、ハワイで行った講演で中国の胡錦涛国家主席が、<経済統合の動きは「異なるレベル、異なる範囲で、多くのチャンネルと方法を通じて推進することがより好ましい」と指摘。あくまで、中国が訴える東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓3カ国の自由貿易協定(FTA)などの動きを引き続き進める立場を強調した。/そのうえで、「中国はASEANとの自由貿易区や東アジアの全面的な経済パートナーシップ、TPPなどを基礎にして、アジア太平洋自由貿易区の建設を着実に進めることを支持する」と述べた。>(11月13日朝日新聞デジタル)ことが実に興味深い。中国は、TPPが対中包囲網になることに対して強い焦りを感じるとともに危惧を覚えている。それだから胡錦涛主席がTPPに擦り寄る姿勢を示しているのだ。今後、中国はTPP交渉への参加を求める可能性がある。そこで議論を混乱させ、TPPによる日米を基軸としたアジア太平洋地域の帝国主義的再編を阻止することを試みると筆者は見ている。中国が日本との関係でこれほど狼狽したのは、近年では珍しい。野田外交の勝利と言える。
さらに戦術面でも、日本政府は緊張感を持った外交を行った。
*すべての物品自由化? 日米会談、米発表資料に訂正要求関連
環太平洋経済連携協定(TPP)交渉では例外なき貿易自由化について協議すると、野田佳彦首相が約束した――。12日の日米首脳会談で、野田首相がオバマ米大統領にこんな発言をしたと米ホワイトハウスが発表し、日本側の指摘で訂正する一幕があった。
会談直後に米側が発表した資料には「大統領は、野田首相が『すべての物品及びサービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せる』と発言したことを歓迎する」とあった。日本国内にはTPP参加で、主要農産物の関税撤廃や保険診療の崩壊への懸念が根強い。それだけに、首相がいきなり柔軟姿勢を示した印象を与える内容だった。
驚いた日本側は「発表内容が事実と異なる」と米側に説明を要求し、米側と協議した上で日本側が訂正資料を発表。それによると、米側は「日本側がこれまでに表明した基本方針や対外説明をふまえ、米側において解釈したものであり、会談でそのような発言はなかった」と説明したという。
菅前政権が昨年11月に閣議決定した「包括的経済連携に関する基本方針」では、「センシティブ品目(重要品目)について配慮を行いつつ、すべての品目を自由化交渉対象(とする)」としている。早くも米側が揺さぶりをかけた形だが、外務省は「深読みすべきではない」(幹部)と沈静化に躍起だ。(ホノルル=土佐茂生)(11月14日朝日新聞デジタル)
米国のホワイトハウスが発表した内容に、日本外務省がこれだけ噛みつき、しかもその内容をマスメディアに文書で伝えることは稀だ。9月21日(日本時間22日)米国ニューヨークで行われた野田・オバマ会談において、普天間問題に関し、米国側がオバマ大統領が「結果を求める時期が近づいている」と述べたと事実と異なるブリーフしたために混乱が生じた「負の遺産」から、野田首相は学習している。野田首相の強さは、失敗に対して目を閉ざさずに、そこから学習していることだ。
米国に対してもきちんと異議申し立てをし、それを明らかにする野田外交を筆者は支持する。ちなみに米国側は、ホワイトハウスの発表内容が事実と異なっていたことは認めたが、解釈は間違えていないので、発表文を訂正しないという姿勢をとっている。
*米側、TPPの発表文は正確「修正しない」 日米会談関連
日米首脳会談での野田佳彦首相の環太平洋経済連携協定(TPP)を巡る発言について、米ホワイトハウスのアーネスト副報道官は14日の会見で、ホワイトハウスの発表文は正確との認識を示し、「修正するつもりはない」と話した。
ホワイトハウスは12日、会談について「すべての品目とサービス分野を貿易自由化の交渉テーブルにのせるとの野田首相の発言を、オバマ大統領は歓迎した」との発表文を出した。日本政府は「会談の場では、そのような発言はしていない」と反論していた。
朝日新聞の取材では、野田首相は、重要品目に配慮しつつ、全品目を自由化交渉の対象にする、とした昨年の政府方針に言及。「この基本方針に基づき、ハイレベルな経済連携を目指す」という内容の発言をした。
アーネスト氏は発表文について、「オバマ大統領と野田首相との私的な協議、そして野田首相らによる広く知られた宣言に基づくものだ」と説明。ホワイトハウス側は、野田首相が、全品目を自由化交渉の対象にするとした「基本方針」に直接言及していることから、発表文の趣旨は正確と判断しているとみられる。(ホノルル=尾形聡彦)(11月15日朝日新聞デジタル)
外交交渉において、事実関係と認識をきちんと区別することが肝要だ。
本件に関する事実関係は、首脳会談で野田首相が、「すべての物品及びサービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せる」という発言をしたかどうかだ。ちなみにホワイトハウスの発表文では、<そして彼(オバマ大統領)は、野田首相がすべての物品及びサービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せると発言したことを歓迎する(and he welcomed Prime Minister Noda's statement that he would put all goods, as well as services, on the negotiating table for trade liberalization. )> と記されている。野田首相は、このような発言をしていないので、ホワイトハウスの発表文で野田首相の発言とされる部分は事実でない。同時にこの英文は、引用符(””)で囲われているわけではないので、野田首相の発言を直接引用したものでない。米国側は、「過去の経緯に照らして、われわれはこう解釈した」という認識を示したという釈明は、外交の世界において絶対に成り立たないとは言えない。こういう手法で、自国に有利な状況をつくり出していこうとする外交的駆け引きがときどき行われる。こういうときに黙っていると、相手側の認識が既成事実化される。今回、日本側は適時の有効な反撃を行った。この先はあまりギリギリ詰めないで「今回は貸しだ」くらいの少し余裕のある態度を取った方が、日本側にとって有利な状況をつくることができると筆者は考える。
外交交渉における事実関係と認識の区別が重要であることを、外交の専門家である外務官僚は、国会議員、マスメディア関係者、国民にわかりやすい言葉で解説すべきだ。
それと同時に、認識や解釈をめぐる問題を記者会見やマスメディアを通じて行うことは非生産的だということを米国側に伝えるべきだ。アーネスト副報道官の発言について、日本側も外務報道官か外務副報道官が、以下の2点を指摘すべきと思う。
1.首脳会談で野田首相が、「すべての物品及びサービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せる」という発言をした事実がないということは、米国側に意義を申し立て、米国側もそれを認めている。アーネスト副報道官は、米国側の認識について述べたのであろう。日本側の認識はこれとは異なる。
2.日本側は、外交交渉を記者会見やマスメディアを通じて行うつもりはない。認識の相違については、政府間の外交交渉の場で行うべきことだ。
こういう表現で、米国側を少し牽制しておいた方がいい。いずれにせよ、日本のマスメディアが、「外交交渉の文法」を理解していないために、日米間に不必要な軋轢が生じるのではないかと筆者は危惧している。
こういう問題を迅速かつ適切に処理することが外務官僚の仕事だ。TPP交渉で外務官僚は野田首相を全力で支えて欲しい。(2011年11月15日脱稿)
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