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ASEAN諸国がTPPにかける期待と恐れ 中国とのFTAに対する評価が、TPP参加への判断を分ける

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ASEAN諸国がTPPにかける期待と恐れ 中国とのFTAに対する評価が、TPP参加への判断を分ける
吉野 文雄 日経ビジネス2011年11月24日(木)
 環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐって賛成派と反対派が激論を戦わせている。
・日本の農業が壊滅する!
・参加しないと日本は孤立する!
・米国の陰謀に乗ってはならない!
 強い言葉が飛び交う。だが、これらの議論は「日本の視点」に偏っていないか?
 TPPは10を超える国が参加を表明した多国間の貿易協定だ。日本と米国以外の国がTPPをどのように見ているのか知る必要がある。交渉に参加していない他の環太平洋諸国の態度も参考になる。
 自由貿易協定(FTA)の網を世界に張り巡らす韓国は、なぜTPP交渉に参加していないのか?ASEAN諸国も一枚岩ではない。ベトナムが交渉のテーブルに着く一方で、タイは参加していない。
 今回は、拓殖大学の吉野文雄教授に、ASEAN諸国の動向を解説してもらう。

*TPPはASEANを分断する?
 環太平洋経済連携協定(TPP)は東南アジア諸国連合(ASEAN)分断を図る米国の構想だという指摘がある。
 確かに、TPPへの対応は国ごとに異なっている。ASEANには、現在10カ国が加盟している。TPPの原協定とも言うべきP4(パシフィック4)には、ASEANからシンガポールとブルネイが加盟した。TPP加盟交渉に新たに参加したASEAN加盟国は、マレーシアとベトナムである。フィリピンとラオスもTPP加盟を表明している。他の国はTPP交渉への参加を表明していない。
 しかし、ASEANはアジア太平洋経済協力(APEC)によって既に「分断」されている。ASEAN加盟国のラオス、カンボジア、ミャンマーがAPECに加盟できないでいるのだ。各国ごとにお家事情が異なるとしても、今に始まったことではない。
 そもそもP4は、極めて偏った経済構造を持つ国々の自由貿易協定(FTA)である。農業を持たないシンガポール、石油と天然ガスに依存するブルネイ、酪農・牧畜に特化したニュージーランド、鉱業を基礎として経済発展を目指したチリ――各国の経済構造はそれぞれに補完的である。1つにまとまろうとするのは当然の成り行きであった。
*マレーシアとベトナムは輸出拡大に期待
 以下に、各国の事情を順番に見ていこう。まずはTPP加盟交渉に新たに参加したマレーシアとベトナムだ。
 マレーシアの輸出(7453億リンギット、2010年)は、GDP(国内総生産)(7660億リンギット、同)にほぼ匹敵する。言い換えると、投資や消費ではなく、輸出が経済成長を左右する。競争力のある電気・電子製品の主要輸出先である米国市場の開放をにらんで、TPP加盟は当然だ。
 同様に新たに交渉に参加したベトナム最大の輸出品目は縫製品、次いで履物である。ともに米国を主要輸出先としている。域内貿易自由化の効果がすぐに出るとの見通しから、TPP加盟を決めた。
 ASEAN諸国の事情を考えるには、ASEANと中国、日本、インドとの間のFTAが既に発効していることを忘れてはならない。これらの国々に対して既に自ら門戸を開いているのだから、米国やオーストラリアに対して新たに自国市場を開放しても、国内産業への影響は小さいと見込んでいるのである。
 ただし、課題もある。
 マレーシアは日本と同様に農業問題を抱えている。マレーシアの農業は、全農地の8割を占めるプランテーションに象徴される。天然ゴムや油ヤシである。残りの2割の農地にコメなどを作付けしている。穀物自給率は低下傾向にあり、コメはタイからの輸入に頼っている。ナジブ政権はコメの自給を目指しており、「例外なき開放」とはいかないであろう。
 ベトナムはコメの輸出国であり、農業の競争力を保っている。だが、今後電気・電子製品などの分野で世界市場に打って出るには、TPP加盟は大きな賭けである。国産自動車はあるがも、外資企業がパーツのほとんどを輸入して、ベトナムで組み立てるだけである。電気・電子製品にしても自動車にしても、今から部品産業を育成し、ナショナル・ブランドを確立する必要がある。TPP加盟によって、完成品だけでなく、安価な部品が流入してくると、その芽を摘むことになる。
 フィリピンとラオスもTPP加盟を表明している。しかし、両国とも課題を抱えている。フィリピンは今のところ、なんとか、中国に伍して電気・電子をはじめとする機械部品などを輸出し続けている。だが、ベトナムと同様に、TPP加盟の衝撃に耐え得るか、懸念される。ラオスについては、交渉に参加できるかどうか、そのものが不透明だ。TPPは基本的にはAPEC内の取り組みなので、APECに加盟していないラオスがTPP交渉に参加できるのか? 他の交渉参加国の判断に委ねられている。
*インドネシアとタイはTPPと距離を置く
 一方、インドネシアとタイはTPPと距離を置いている。
 ASEAN内で最大の人口とGDPを誇るインドネシアは2010年末に、当面は不参加という決定を下した。インドネシアは、ASEAN=中国のFTAが発効した後、安価な中国製工業製品の流入によって、低付加価値の消費財が痛手を負った。ダイソーが展開している廉価品販売店では中国製品が飛ぶように売れている。インドネシア民族資本のスーパーでも、衣料品は中国からの輸入品が幅を利かせている。さらに米国に対して市場開放すると傷が広がる可能性がある。TPP参加という選択肢はなかったのである。
 タイは、2001年に就任したタクシン元首相が積極的にFTAを締結した。その結果、タクシン元首相が2006年に退陣して以降、産業調整を迫られている。オーストラリアとの2国間FTAで、牛乳や鶏卵を生産する多くの酪農家が廃業した。
 ASEAN=中国のFTA発効前の2004年と比較すると、2005年の対中貿易は、輸出も輸入も3倍に増えた。リンゴ、イチゴ、メロン、柿が雲南省や広東省から輸入され、店頭に並ぶようになった。温帯で生産されるこれらのフルーツは、地場のフルーツと直接競合しない。しかし、ニンニクや玉ねぎといったタイ国内でも生産される野菜の輸入は、それらに特化する小規模農業者を窮地に立たせた。政府は補助を手厚くするなど対策を講じたが、転作した農業者も多い。
 こうした経験からタイはTPP対しても警戒感を持っている。加えて、医療保険改革や医薬品価格自由化がTPP加盟交渉で議論されたとの報道を受け、いっそう態度を堅くしている。タイでは、初診料を一律30バーツに設定するなど、タクシン首相が意欲的な医療制度改革を試みた。タクシン路線を引き継ぐ現インラック政権は「TPPは、その流れに歯止めをかけるもの」と考えている。
 タイの代表的な輸出品であるコメは、競争相手であるベトナムがTPPに加盟することによって、TPP加盟国の市場から締め出される恐れがある。すでに価格面では、ベトナム米のほうが優位に立っている。タイは既に、マレーシア、シンガポールなどのTPP加盟交渉参加国にタイ米を輸出している。これらの国々がベトナム米の輸入に転じる可能性がある。それでもタイがTPPに加盟しないのは、ようやく立ち上がった自動車部品や電機・電子部品などの機械工業を、米国などとの競争から守るためである。
 バブルとも言える現在のインドネシアの好況は、資源価格高騰という外部要因によって実現した。同国の産業に競争力があるわけではない。タイでは洪水被害の影響を見極められないである。両国は浮足立つことなく、TPPのもたらすドラスティックな影響を冷静に分析する構えだ。
*TPPはASEAN統合の妨げになるか?
 ASEANは、既に完成したAFTA(ASEAN自由貿易地域)をベースに、2015年にASEAN共同体を形成しようとしている。これは、経済だけでなく、政治・安保、社会・文化の統合を進める包括的な構想である。経済面では、「財、サービス、投資、熟練労働が自由に移動し、資本がよりも自由に移動する、単一の市場かつ生産拠点」を形成する。TPPはASEAN共同体に水を差すことにならないか?
 結論から言えば、影響はないと言えよう。TPPは基本的にAPECにおける取り組みだ。APECはAPEC全体の自由貿易地域であるアジア太平洋自由貿易地域(FTAAP)を目指している。これには3つの代替的な道筋が考えられている。1つ目がTPPを通じた取り組み。2つ目は、中国が力を入れるASEAN+3(日中韓)を通じた取り組み。3つ目が、日本が主導しようとするASEAN+6(日中韓豪印ニュージーランド)を通じた取り組みである。
 これらの構想はAFTAを取り込むかもしれないが、AFTAは既に完成しおり、ASEANに一日の長があると言えよう。ASEAN諸国がTPPに加盟しても、ASEAN共同体という最終的なゴールは変わらない。
*対中FTAが残した“傷”に対する各国の反応
 ASEAN諸国と中国は、2001年から交渉を始め、2010年に実質的に自由貿易地域を完成した。2000年から2010年にかけて、中国の輸出総額に占める対ASEAN諸国輸出のシェアは、7.0%から8.8%に上昇した。逆にASEAN諸国の輸出総額に占める対中輸出のシェアは、5.2%から14.0%へと大きく上昇した。この間、中国の輸出総額は4.5倍拡大したが、ASEAN諸国の輸出総額の増加は1.9倍にとどまった。中国にとってASEAN市場は取るに足らない存在だが、ASEAN諸国にとっての中国市場は他に代えがたい重みを持つようになった。
 ASEAN諸国がTPP交渉参加を考える時、対中FTAがもたらした影響をどう評価するかが各国の判断を分ける。中国とのFTAが発効した2005年から2010年にかけて、インドネシアの一般機械類の対中輸出は5.8%減少した。一方、中国からの輸入は5倍近く増えた。電気機械については、同期間インドネシアの対中輸出は2倍近く伸びたが、中国からの輸入は8倍近い増加を示した。インドネシアはこれ以上のFTAには耐えられぬと判断し、TPP参加を見送った。
 フィリピンの状況もインドネシアに似ており、対中貿易における輸入超過に苦しんでいる。だが、フィリピンは、FTAのメリットが出るまで自由化を進める覚悟でTPP参加を目指している。アロヨ政権が進めた、中国に接近し米国と距離をおく外交戦略を修正する狙いもある。
 農業に競争優位を持つタイとベトナムもまた対中FTAに対する評価がTPP参加への判断を分けた。両者ともに中国からの安価な農産物の流入に辛酸をなめた。だが、農産物の高付加価値化を実現していたタイの受けた衝撃のほうが大きかった。タイと比べて生産性が低く品質も高くないベトナムの果物、香辛料、野菜などが中国に輸出されるようになったのである。農業だけでなく、工業、サービス分野における自由化の影響も勘案して、タイはTPPへの参加を見送っている。
 今までベトナムが課す高い関税を乗り越えるために、ベトナムに進出する外資企業が多かった。完成車の関税率は、今年になって引き下げられて、ようやく70%である。エンジンなどの部品に対する関税率は5〜20%程度なので、自動車メーカーは部品を輸入して現地で組み立てるのである。だが、ベトナムがTPPに加盟し障壁がなくなれば、あえてベトナムに進出する意味がなくなる。TPPに参加するベトナムは自前の技術で、自国企業を育成せざるを得なくなる。みずから大きな課題に挑戦しようとするベトナムの姿勢に、新興国の勢いを感じる。
*屋上屋を架す必要があるのか?
 日本が、WTOを舞台とするマルチラテラリズムを離れて2国間のFTA/EPA (経済連携協定)推進に戦略転換した大義名分の1つは、「日本の経済構造を変える」というものであった。しかし、幾多のFTA/EPAを締結したものの、保護する分野を残したままであったため経済構造は変わらなかった。
 ASEAN諸国との貿易関係も同様である。日本との貿易自由化はASEAN諸国にとって、中国とのFTAほどの影響を持ち得なかった。日本は、TPP加盟交渉に参加しているマレーシア、ベトナム、ブルネイ、シンガポールと2国間でFTAを結んでいるだけでなく、ASEANともEPAを締結している。日本がTPPに加盟すれば、これら4カ国と3重のFTAとなる。屋上屋を架すことに、果たして意味があるのであろうか?
 日本政府は、自らが締結するFTAをあえてEPA(経済連携協定)と言い換え、その他の国が締結するFTAよりも自由化する分野が広く、そのレベルも高いと自負している。TPP加盟を主張する人々は「アジアの成長の勢いを取り込むため」と言うが、2重のFTAでも取り込めなかったものをTPPで取り込めるのか? ASEAN諸国にとって、中国との“レベルの低い”FTAがもたらした影響のほうが、日本が誇るEPAより深刻であったことは皮肉である。
 今回のTPP騒動は、日本のこれまでのFTA/EPA戦略がいかに実効性を欠いていたかを証明するものである。日本のこれまでのFTA/EPAが効果を上げていれば、屋上屋を架す必要はない。日本は、TPPではなく日米FTA締結を進めればすむことである。また、ASEANを教訓とするならば、真に求められているのは日中FTAであろう。日本の通商政策当局は虚心坦懐にこれまでのFTA/EPA戦略を評価する必要がある。
<筆者プロフィール>
吉野 文雄(よしの・ふみお)
拓殖大学海外事情研究所教授
1981年、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。
1987年、金沢工業大学国際問題研究所客員研究員、1989年、高崎経済大学経済学部専任講師。
1996年、拓殖大学海外事情研究所助教授、2001年、拓殖大学海外事情研究所教授


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