野田首相はTPP加盟国拡大の“ドミノ倒し”を意識せよ
ASEAN域内の競争がFTAAPへの道を開く
菅原 淳一 日経ビジネス2011年11月22日(火)
環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐって賛成派と反対派が激論を戦わせている。
・日本の農業が壊滅する!
・参加しないと日本は孤立する!
・米国の陰謀に乗ってはならない!
強い言葉が飛び交う。
だが、これらの議論は「日本の視点」に偏っていないか?TPPは10を超える国が参加を表明した多国間の貿易協定だ。日本と米国以外の国がTPPをどのように見ているのか知る必要がある。
交渉に参加していない他の環太平洋諸国の態度も参考になる。
自由貿易協定(FTA)の網を世界に張り巡らす韓国は、なぜTPP交渉に参加していないのか?ASEAN諸国も一枚岩ではない。ベトナムが交渉のテーブルに着く一方で、タイは参加していない。
今回は、みずほ総合研究所の菅原淳一 上席主任研究員に、ASEAN諸国の動向を解説してもらう。
野田佳彦首相が11月11日に、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加に向けた関係国との協議を開始すると表明した。これによって、TPPを巡る狂騒は第1幕を終えた。
*TPPはFTAAP実現への最有力手段
続く第2幕の議論では、TPP交渉参加のメリット、デメリットを冷静に検討する必要がある。その際のポイントの1つは、現在9カ国で交渉が進んでいるTPPが、将来的にはアジア太平洋全域に拡大する可能性があるという点である。
第1幕において、参加支持派はTPPがもたらすメリットとして、「アジア太平洋地域における重要なルールの形成に参画することで、新たな成長の機会を創出する」「アジアの成長を取り込む」という点を主張した。
これに対して、参加反対(慎重)派は、「中国や韓国などのアジア諸国が参加しないTPPで、アジアの成長を取り込むことはできない」と批判した。TPPを現在の交渉参加国に限定して見るのであれば、反対派の主張は正しい。しかし、それでよいのだろうか。日本が交渉参加に向けた協議の開始を表明した後、カナダとメキシコも同様の意思を表明した。TPPは既に、参加国拡大に向けて動き始めている。
日本は、TPPへの参加を巡る議論において、TPPがアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)実現の最有力手段となっていることを念頭に置くべきである。日本政府は2010年6月に「新成長戦略」を閣議決定し、2020年までにアジア太平洋経済協力(APEC)参加21カ国・地域が参加するFTAAPを構築するとの目標を掲げた。日本が議長を務めた2010年11月のAPEC首脳会議は、FTAAP実現への道筋として、「ASEANプラス3」(東南アジア諸国連合の加盟国と日中韓)、「ASEANプラス6」(ASEAN加盟国と日中韓豪NZ印)とともに、TPPを位置づけた。このうち、「ASEANプラス3」と「ASEANプラス6」が構想段階であるの対し、TPPは既に交渉段階にある。
また、TPPには米国、豪州、シンガポール、チリが参加している。APECにおいて貿易投資の自由化やルール形成で主導的役割を果たしてきた国々だ。このため、TPPで合意されたルールがアジア太平洋地域における新たなルールとなる可能性が高い。
*ASEAN域内の競争が加盟国のTPP参加を促す
中韓両国をはじめとするアジア諸国がTPPに参加する可能性も十分にある。そのカギを握るのはASEAN諸国だろう。ASEANは、アジアにおける地域経済統合はASEANがその中心に位置すべき(ASEANプラスX)との方針を掲げている。
一方、ASEAN10カ国のうち4カ国が、TPP交渉に既に参加している。タイやフィリピンなど、交渉参加に関心を示している国が他にもある。ASEANが域内統合――ASEAN諸国は2015年にASEAN経済共同体を実現することを目指している――を進め、市場としての一体性をさらに高めれば、事業拠点としての魅力を高めるASEAN諸国間の競争はむしろ激しくなる。
その際、TPPに参加して米国などの巨大市場との結びつきを強めた国は、TPPに参加していない域内諸国との競争で優位に立てる。マレーシアやベトナムが厳しい自由化交渉を覚悟してTPP交渉への参加を決断した理由の1つに、こうした判断があったものと思われる。インドネシアは、現時点ではTPPに対して警戒心を抱いている。しかし、今後厳しくなるASEAN域内の競争を考えると、TPP参加に向けて動き出すことは十分に考えられる。
日本とASEAN主要国がTPPに参加した場合、韓国はどうするだろうか。韓国は、ASEANや米国、EUとFTA(自由貿易協定)を締結し、アジアと域外大国の橋頭堡となることで、経済的優位性を高める戦略をとってきた。しかし、日本やASEAN諸国がEUとのFTA締結に動き出し、TPPも大枠合意に至る段階に来て、韓国の戦略は危うくなりつつある。この状況で日本とASEAN主要国がTPPに参加するとなれば、韓国もTPP参加に踏み出すのではないだろうか。米韓FTAをすでに締結している韓国がTPP参加を決断すれば、そのために越えるべきハードルは日本ほど高くない。
*将来的には中国の参加も
中国にとり、自由化水準も国内規制規律も高度なTPPに参加するためのハードルは極めて高い。短期的には、中国がTPPに参加することは望めないだろう。しかし、日韓両国とASEAN主要国がTPPに参加した場合でも、中国は不参加の姿勢を貫くだろうか。この場合、米国とASEANプラス6の大半がTPPに参加することになり、TPPがFTAAPへと大きく近づくことになる。
かつて中国は、厳しい自由化要求を突きつけられながらも、それを上回るメリットを見出し、WTOに加盟した。その中国が、主要貿易相手国がこぞって参加しているTPPへの参加を決断する、というシナリオは、短期的には絵空事かもしれないが、中期的には現実味を帯びるのではないだろうか。
TPPを巡る議論の中には、TPPと、日中韓FTAやその先にあるASEANプラス3及びASEANプラス6を相互排他的に捉えるものもある。しかし、TPPと日中韓FTAなどは、FTAAP実現に向けた道筋において相互補完的な関係にあるのではないか。日中韓FTAなどの締結を通じて、中国はより高い自由化・より高い規律を求めるFTAを経験することになる。それは、中国にとって、TPP参加に向けた重要なステップとなる。また、TPPと日中韓FTAなどは、一方の交渉進展が他方の交渉進展を刺激するという相互作用を通じて、それぞれのルートからFTAAPの実現へと近づいていくことになる。
日本がTPPに参加した場合、TPPは事実上の日米FTAになるとの指摘がある。TPP交渉参加国の中で、日米の経済規模が格段に大きいからだ。しかし、TPP交渉の過程からは、米国は将来の中国加盟を意識して議論していることが見て取れる。国有企業の規律を巡る議論などは、ベトナムなどの交渉参加国を直接の対象としながらも、将来的には中国に適用することを米国は念頭に置いている。2020年のFTAAP実現を掲げている日本も、TPP交渉への参加を検討するに当たっては、TPPの将来像を見据えて議論しなければならない。