米中を両天秤にかけていく政策を明らかにしたミャンマーを巡り、米中の攻防が浮上
現代ビジネス2011年12月05日(月)近藤大介
11月30日、ミャンマーの新首都・ネビトー空港に降り立ったヒラリー・クリントン米国務長官は、ド派手なピンクのジャケットに、迎えた人々が仰天する中、誇らしげに高々と右手を振り上げた。それはまるで、振り上げた手の先にある陸続きの中国を、制圧するかのような仕草だった。
11月のハワイAPEC(アジア太平洋経済協力会議)、インドネシアEAS(東アジアサミット)では、G2(アメリカと中国)が立て続けに直接激突し、東アジア諸国は両大国の角逐に翻弄された。日本を含む東アジアの多くの国々が、軍事的にはアメリカに依存し、経済的には中国に依存している。このため、前世紀の米ソ冷戦の構造と違って、米中どちらかの傘下に入るというわけにはいかないのである。
ハワイAPECを終えたオバマ大統領は、ダメを押すかのように11月16日、インドネシアからオーストラリアへ飛び、南太平洋に面した北部ダーウィンに、2500人の米軍部隊を駐留させると発表。中国をさらに刺激した。中国国防部は11月30日に緊急記者会見を開き、「南太平洋での米軍駐留は、地域の平和を脅かす愚行だ」とアメリカを非難した。
そして今回、ついにミャンマーにまでクリントン国務長官が足を運んだというわけである。1988年にいまの軍事政権に移行して以降、アメリカはミャンマーと国交を断絶しており、クリントン政権、ブッシュ・ジュニア政権と、経済制裁を強化してきた。ミャンマーは昨年11月に、軍事政権下で「多党制民主選挙」を実施したが、クリントン国務長官は「軍事政権主導の傀儡選挙」と歯牙にもかけなかった。
それが一転して、56年ぶりとなる米国務長官のミャンマー電撃訪問となったのである。クリントン国務長官は、ミャンマー入りする直前に、「(ミャンマーの)資源漁りにしか興味のない国(中国)に、国家建設を助ける資格などない」と述べ、中国への敵愾心を剥き出しにした。
そして12月1日、ネピトーの大統領府謁見の間で行われたテイン・セイン大統領との首脳会談では、「最近のミャンマーの民主化の動きには勇気づけられた」と笑顔を見せ、両国の国交回復と経済制裁の解除、オバマ大統領が近く訪問する可能性にまで言及したのだった。クリントン長官は翌2日には南部の旧首都ヤンゴンへ飛び、20年以上軟禁が続いた「民主化の象徴」アウン・サン・スーチー女史を囲む盛大な宴会を開き、政治的後押しを約束したのだった。
こうしたアメリカの突然のミャンマーへのラブコールの目的はズバリ、中国包囲網の構築に他ならない。
中国の外交関係者が怒りを震わせて語る。
「アメリカは、わが国の『新旧二つの生命線』を断とうと目論んでいるのだ。『二つの生命線』とは、中東からの原油を調達するルートに他ならない。一つは南シナ海の延長線上にあるマラッカ海峡で、このわずか幅2・4kmの海域を、わが国へ輸入される原油の8割近くが通ってくる。アメリカ軍のオーストラリア駐留は、このマラッカ海峡を威圧しようという狙いだ。
わが国のもう一つの生命線が、新たなミャンマー・ラインだ。リスクのあるマラッカ海峡を通らずに中東からの原油を運べるよう、わが国は2013年に、ミャンマーから直接、雲南省へ原油と天然ガスのパイプラインを通すべく、工事を開始している。今回のクリントン国務長官のミャンマー訪問は、これに楔を打ち込もうという意図だ。つまり『新旧二つの生命線』を同時に塞ごうというもので、絶対に看過できない」
中国のエネルギー政策について見ておこう。「富煤、少気、欠油」(石炭が豊富=全エネルギーの7割、天然ガスが少ない、原油に欠ける)が中国のエネルギー資源の特徴で、2010年の原油輸入量は、2億3930万t(前年比17・5%増)に上り、対外依存度は52%と過半数に達した。中国国内の原油産出量は、年間約2億tで頭打ちなので、毎年2割増しの海外からの調達が「使命」となっている。つまり2015年には、年間3億t以上の原油の輸入が必要となる。
2010年の原油輸入国の内訳は、以下の通りである。
1. サウジアラビア 4464万t(前年比6・9%増)
2. アンゴラ 3938万t(同22・4%増)
3. イラン 2131万t(同7・9%減)
4. オマーン 1586万t(同35・1%増)
5. ロシア 1524万t(同0・4%減)
6. スーダン 1259万t(同3・3%増)
7. イラク 1123万t(同56・8%増)
8. カザフスタン 1005万t(同67・3%増)
9. クウェート 983万t(同38・9%増)
10. ブラジル 804万t(同98・3%増)
一般に原油や天然ガスの埋蔵国は、独裁国家や政情不安定な発展途上国が多いため、中国はエネルギーの安定確保に、恒常的に悩まされている。加えて、上記の1、2、3、4、6、7、9がマラッカ海峡に依存しているため、マラッカ海峡をアメリカに封鎖されれば、巨竜の息の根は止まるわけである。
そこで中国は21世紀に入って、マラッカ海峡に依存しない4つの新ルートを開拓してきた。それは、隣国から石油・天然ガスのパイプラインを直接引いて、国内に送る方法である。
具体的には、次の通りだ。
1. ロシア・ルート
2. カザフスタン・ルート
3. 中央アジア・ルート(トルクメニスタン→ウズベキスタン→カザフスタン→中国)
4. ミャンマー・ルート
1は、2011年1月に開通し、年間3000万tの原油と300億立法メートルの天然ガスの輸入を目指している。2は2006年7月に開通し、年間2000万tの原油の確保を目指す。3は2009年末に開通し、年間650億立法メートルの輸入が目標だ。
そして中国がいま一番期待をかけているのが、2013年に開通予定の、4のミャンマー・ルートというわけだ。
「ミャンマー・ルートからは、年間2200万tの原油と120億立法メートルの天然ガスの輸入を目指すが、他のルートと異なって、中東からの原油も、このルートに乗せて直接、中国へ運べる。起点となるミャンマーのキャウキュピュ港から昆明(雲南省の省都)まで、約1700kmが、マラッカ海峡に代わる新たな生命線となる。これまでミャンマーとの関係に腐心してきたのは、ひとえにこのラインの確保のためと言っても過言でない」(前出・中国の外交関係者)
中国とミャンマーは、2210kmに及ぶ国境線を持ち、古代から幅広い交易を持ってきた。そんな中、中東からの原油をミャンマー経由で運ぶという構想は前世紀からあったが、本格的に中国とミャンマーで交渉に入ったのは、胡錦濤政権が発足した翌2004年のことだ。以後、中国はミャンマー最大の投資国に躍進し、2011年7月時点で、海外からの投資総額の44%を中国が占める。ミャンマーが2006年に、インド洋沿いのヤンゴンから中国との国境に近いネピドーに遷都した際にも、中国は首都建設に大きく貢献した。
さらに2009年12月に、習近平副主席がミャンマーを訪問した際には、中国国境近くのミソン水力発電所の建設を、中国が受注した。2017年の完成を目指して、ミャンマー最大となる600万kwの巨大ダムを建設することになったのだ。
2010年6月には、両国の国交正常化60周年を記念して、温家宝首相がミャンマーを訪問。前述のパイプラインを始めとするインフラ建設など、15項目の大型提携に合意したのだった。同年9月には、国家平和発展委員会のタン・トゥアン委員長(当時のミャンマー・トップ)が訪中し、胡錦濤主席と会談。中国を後ろ盾として同年11月にはミャンマー総選挙が行われ、政権党が圧勝した。この年の中国とミャンマーの貿易額は、前年比53・2%増の44・4億ドルに達した。
2011年3月に、ミャンマーにテイン・セイン大統領を首班とする新政権が発足。テイン・セイン大統領は5月にまずは中国を訪問し、胡錦濤主席らに挨拶を済ませた。
だが、この両国関係に楔を打ち込みたいアメリカは、水面下でこの新政権と接触を始める。9月には、オバマ大統領が新設したミッチェル・ミャンマー問題特使を5日間も派遣。同月29日には、アメリカとミャンマーの初の政府間高官協議をニューヨークで開催した。
そしてその翌30日、テイン・セイン大統領が突如、「環境問題と、立ち退きに伴う少数民族の感情を考慮して、私の在任期間中は、ミソン水力発電所の計画を見合わせる」と発表したのだった。中国にとってはまったく寝耳に水の話だった。
11月16日、衝撃の第二波が走った。ミャンマー大統領府のザウ・フタイ長官が、『ワシントン・ポスト』紙に、「東南アジアにおけるミャンマーとワシントンの新戦略の選択」と題した長文の論文を掲載したのだ。私も全文に目を通したが、そこには仰天の内容が書かれていた。
〈 ワシントンは、アジア太平洋の重要性を十分認識すべきである。今日この地域で起こっている地理的政治的状況、特に中国の台頭に対処するには、ワシントンにはミャンマーが必要ではないのか。テイン・セイン大統領の先のミソン・ダムのキャンセルの発表は、今後われわれがどう世界に対処していくかを世界に示したものだ。アメリカがこのシグナルを無視するなら、ワシントンはインドシナ海域でのチャンスを逸するであろう。
ミャンマーはこの間、多くの改革を行ってきており、昨年11月には多党制の総選挙を実施し、テイン・セイン大統領は改革派の旗手だ。中国が北京オリンピックを踏み台にして世界に羽ばたいていったように、ミャンマーも2014年のASEAN(東南アジア諸国連合)の議長国を踏み台にして世界に羽ばたいていく 〉
ミャンマーはこのように、米中を両天秤にかけていく政策を明らかにしたのだった。
これを受けて、11月20日のEASで、クリントン国務長官はミャンマー訪問を電撃発表したのである。アメリカはまた、ミャンマーの悲願である2014年のASEAN議長国についても、賛意を表した。
逆に中国は、ついにミャンマーに対する堪忍袋の緒が切れた。11月28日、これまでミャンマー問題に深く関わってきた習近平副主席が、ミャンマー軍トップのミン・アウン・ライン国防軍総司令官を北京に呼びつけ、「事情聴取」に及んだのだった。ミン司令官は、「クリントン国務長官の訪問はあくまでも形式的なもので、中国との友好の伝統が揺らぐことはないし、パイプライン建設も継続する」と釈明した。
パイプライン建設は、「第二のミソン・ダム」となるのか。ミャンマーを巡る米中の攻防は、今後の米中のアジア権益の雌雄を決する重要なポイントに浮上してきた。
*近藤 大介
(こんどう・だいすけ) 1965年生まれ。埼玉県出身。東京大学卒業後、講談社入社。『月刊現代』副編集長、『週刊現代』副編集長などを経て、現在は講談社(北京)文化有限公司副総経理。2008年より2009年まで、明治大学講師(東アジア論)。『日・中・韓「準同盟」時代』、『東アジアノート』他、著書多数。
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