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一番心配なのは巨大海底断層の上に立つ浜岡原発 / 直下型東海地震、その時期が近づいている

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放射能汚染列島ニッポン、本当の恐怖はこれから 福島とともに心配な浜岡原発、今後も事故が相次ぐ危険性
JB PRESS 2011.03.25(Fri) 広瀬 隆
 あらかじめ申し上げておきますが、私は日本の国民を脅かそうとか、危機意識を煽って風評被害を広げようなどという意図は全くありません。
 これから私が申し上げることが、起こらなければ結構。幸いなことです。でも、万が一起きてしまったら日本は取り返しのつかないことになります。その前に、きちんと目の前にある事実と向き合い、対策を打つことが大切ではないでしょうか。
福島第一原発の事故は明らかな人災
 なぜなら、福島第一原子力発電所で起きた今回の事故は、天災では決してなく、明らかな人災だからです。
 福島第一原発を襲った津波は想定を超えていたと、よくテレビや新聞では伝えられています。NHKなどは「100年に一度の想定外の地震と津波」と、何度も何度も繰り返しています。これはいったい何なのでしょう。
 想定外を繰り返すことで、国民にこれは避けられなかった災害であり国や地方自治体、東京電力には責任がないということを刷り込もうとしているのでしょうか。
 でも、本当に想定外なのですか。今回よりも地震のエネルギーが大きかったスマトラ島沖地震が2004年に発生しています。この時のマグニチュードは9.3でした。今回の地震よりもはるかに大きかった。
 この時、津波の高さは最も高かったところで49メートルだったと記録されています。今回、東北地方を襲った津波の高さは最大15メートルとようやく推定が出ました。津波に襲われた人がほとんど亡くなってしまったこともあり正確にはこれからも分からないかもしれない。
スマトラ島沖地震の津波は想定外?
 しかし、スマトラ島沖地震では49メートルの高さになったのだから、日本でもこれくらいは最悪のケースとして想定しておくべきではないでしょうか。日本にはそんな巨大な津波は襲ってこないと言う人がいるかもしれません。
 しかし、過去の事例を調べれば日本を巨大津波が何度も襲っている。明治29年、1896年に発生した明治三陸地震というのがありました。この時は、津波の高さが38メートルの高さになったと記録されています。
 わずか100年ちょっと前に起きているわけです。この事実があるのに想定外とはどうなんでしょうか。こうした津波が来る危険性を福島第一原発が想定していなかったとすれば、これは無責任な人災以外の何ものでもない。
 原発だけではありませんね。岩手県宮古市の田老地区。ここで津波の被害に遭った人たちは本当にお気の毒です。ここは、明治三陸地震による津波の被害を受けて、日本でも屈指の防潮堤が造られていました。
 しかし、今回の津波はその防潮堤をはるかに乗り越えて町全体に襲いかかり甚大な被害を及ぼしました。住人たちは「防潮堤があるから大丈夫」との油断があったと伝えられています。
かつて建設が計画されたことがある田老原発
 大きな建設費をかけて完成した防潮堤でしたが、今回のような津波は想定していなかったわけです。
 でも、過去には今回のような津波が現実として起こって、田老では防潮堤より高い14.6メートルを記録しているわけです。人災以外の何ものでもないでしょう。
 実は、報道ではほとんど伝えられていませんが、この田老地区にはかつて田老原発の計画があったのです。
 その計画は潰れてしまったとはいえ、高い津波が襲う危険性があるところに原発を造ろうとしたわけですから、当然、想定はされているはずでしょう。
 だから、テレビの解説者や政府の人たち、東電の人たちが「想定外、想定外」を繰り返すのは明らかにおかしい。想定外という言葉を安っぽく使ってほしくありません。想定が全部できたことなのです。
チェルノブイリのような事故に発展する可能性はないのか
 今回のような津波と原発の被害が想定できることは、昨年8月、『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)にまとめました。本を出版して強く警鐘を鳴らしたことが、今回、本当になってしまって実に無念な思いです。
 もし、本当に想定外だと言うのであれば、その人たちは専門家ではないことになるでしょう。私はこの本で、誰でも分かる原発の地震災害の可能性を指摘しました。しかし、想定外を繰り返している人たちは、曲がりなりにも専門家と呼ばれる人たちですよ。
 さて、福島第一原発はこれからどうなるのでしょう。この点は日本のみならず世界中の関心事だと思います。経済産業省の原子力安全・保安院は、福島第一原発の事故を米国のスリーマイル島で起きた事故と同じレベル5に引き上げました。
 これで済むのか、旧ソ連で1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所のような大事故に発展するのか。このところの動きを見ていますと、自衛隊や東京都の消防庁や各都道府県から応援に駆けつけた消防隊のおかげで小康状態を保っています。
 このまま、原子炉や使用済み核燃料の冷却が順調に進んで、これ以上の事故に発展しないことを心から願っています。また現場で必死で作業に当たっている人たちには、本当に頭が下がります。日本の宝とは、この人たちのことを言うのでしょう。
原子炉のポンチ絵に騙されるな
 しかし、現実は決して甘くありません。私が心配するのはやはり原子炉です。テレビではもう皆さん見飽きたかもしれませんが、原子力発電所の模型や仕組みを示した図が何度も登場しています。
 これを見る限り、原子炉の圧力容器内に冷却水を入れ、また使用済み核燃料を保存しているプールに水を供給している限り、大きな事故は起きそうもないような気がします。
 でも、テレビで示される図は、あまりに図式化されすぎています。このポンチ絵と実際の本物とはかけ離れています。例えば、原子炉のお釜の下には制御棒を出し入れする部分がありますよね。
 これがどうなっていると思いますか。例えて言うなら、戦国時代の槍衾(やりぶすま)なんですよ。何本もの槍が下からお釜に突き刺さっていると思ってください。それだけではありません。何本もの計器類もそこに挿入されているのです。
 そして、その下にはケーブルが走り回っています。非常に複雑な構造をしているわけです。そんな中に、冷却水として塩水を大量に入れたわけです。何事もないと考える方がおかしいと思いませんか。
一縷の望みは電源の回復
 原子炉や原子炉格納容器が破壊されて最悪の事態を迎える危険性は、十分に残っています。別に脅かすわけで言っているのではありません。そういう最悪の事態を想定しながら、今できることを着実にやっていく。それが必要です。
 もちろん、専門家は分かっているはずです。そして唯一の望みはやはり電源です。1号機から4号機まで外部電源がつながったという報道がありました。これは、事態改善の第一歩だと思います。
 電源をつなげて恒常的に原子炉と原子炉格納容器、そして使用済み核燃料のプールを冷却できるようにする。これができれば、最悪の事態は避けられます。
 ただし、電源が来たからと言って、そのようにスムーズに進むと考えるのは楽観的すぎます。大量の塩分が残っている中で、精密機械が果たしてきちんと機能するのか
 また、現場には相当な放射能が降り注いでいます。その中での作業は大変だと思います。時間との戦い、放射能との戦いなんです。しかしそれをやり切らなければ、最悪の事態に向かってしまう。
4基が一度に被害を受けた衝撃
 そして、今回の事故で特徴的なのが、福島第一原発の1号機から4号機まですべて大被害を受けたということです。スリーマイル島やチェルノブイリと大きく違う点がここにあります。
 4つある原子炉のうち、どれ1つとっても失敗できないということを意味しています。万が一、どれか1つの原子炉でメルトダウンや再臨界が起きてしまったら、福島第一原発に誰も近づけなくなってしまいます。
 そうなれば、残りの3つの原子炉の冷却作業を行えなくなる。つまり、残り3つの原子炉もメルトダウンが避けられなくなるということです。そうなれば、人類史上空前の原子力事故が発生する危険があります。
 電源が回復して恒常的に原子炉全体を冷却できるようになる確率はどれほどでしょうか。私はかなり薄氷を踏むような作業ではないかと思っています。
 簡単に成功する確率を1基当たり50%としましょう。1つの原子炉で50%だったら、4つ全部成功させるには、2分の1の4乗ですから、6.25%の確率ということになります。
600度でメルトダウンを起こす危険性も
 1基80%の確率としても、4基全部成功するには41%の確率しかありません。ことの重大性がお分かりだと思います。これほどの危険性がありながら、想定外だとして今回の津波に対処できる対策を講じてこなかったのは、明らかに東電の経営幹部に責任があります。
 東電の幹部が記者会見に出て発言している姿を見て聞いて、私は本当に腹が立ちますね。それに比べて、現場で作業している人たちは命をかけて取り組んでいる。日本を救うために。現場の人たちの力を信じたいですね。いや信じるしかありません。
 ついでに厳しい見方を言えば、日本の原子力の専門家たちは炉心溶融、メルトダウンは摂氏2000度を超えないと発生しないと言っていますが、フランスの原子力学者は600度を超えるとその可能性があると発言しています。そのことはかつてNHKの番組でも放送していました。
 いま福島第一原発で本当に何が起きているのかは、外からは分かりません。とにかく、現場での冷却が成功することを祈るのみです。
 ところで、この福島第一原発は、1971年の3月26日に運転を開始しています。そうです。運転開始から40年が経つわけです。米国では法律で、40年経った原子炉は廃炉にすると決めている。
設計者が退社したら廃炉にするのは世界の常識
 ところが、日本は昨年、この原子炉を60年運転すると決めています。これも理解不能ですね。だって、考えてみてください。40年という月日をです。
 実際に原子炉が建設を始めたのは1960年代末でしょう。その頃の技術者は誰一人残っていません。とりわけ、1号機は米GE製です。そんな設計者もいない、そして図面も残っていないと聞いています。
 そんな細かい技術が分からなくなった原発を20年も延命させて運転させるというのは、狂気の沙汰ですよ。設計した技術陣がいなくなったら廃炉にするのが常識です。
 原子炉というのは非常に複雑であり、当初の設計から変えている部分もある。設計者にしか分からないことも多いのです。
 さて、私がもう1つ言いたいのは、福島第一原発のことではありません。日本にはこれと同じように怖い原発が存在しているということを、日本の国民は知るべきです。
一番心配なのは静岡県の浜岡原発
 それは静岡県御前崎市にある浜岡原発です。今回、東日本で歴史的な地震が発生しましたが、ついこの前、静岡県沖でも大きな地震が発生したでしょう。ついに始まったかと思い、心配になってしまいました。
 詳しくは『原子炉時限爆弾』をお読みいただきたいのですが、明らかに太平洋プレートの大きな変動が始まっています。それは国土地理院のデータから私のような素人が調べても明らかです。
 スマトラ島で起きた大地震、そしてチリの大地震、バヌアツで起きた地震。全部相関関係があるのです。東海大地震はいつ起きてもおかしくないと言われていますが、私が調べたデータでは、まさにその時期が近づいている。
 御前崎の浜岡原発は、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む、まさに巨大海底断層の上に立つ原子力発電所です。ここでもし巨大地震が発生したら、どうなるでしょうか。
 福島第一原発とは様相が全く異なると思います。福島の場合には沖合いの深いところで発生した地震でした。
直下型地震の被害は今回とは違う
 マグニチュード9.0と言いますが、これは、気象庁が勝手に尺度をモーメント・マグニチュードに変えてしまったために大きな数字になっただけで、実際には、従来の気象庁マグニチュードで8.4です。
 その巨大な地震エネルギーの割には、揺れによる被害はそれほど大きくありませんでした。被害の大半が大きな津波によるものでした。
 ところが、今後発生が懸念されている東海大地震の場合には、阪神大震災のような直下型になる危険性が高い。阪神大震災のマグニチュードは7.3ですから、地震のエネルギーとしては今回の約45分の1です。
 それでもあれだけの被害を出したのです。しかも東海地方は4つのプレートが集まったところです。一重ではなく四重に入り組んだプレートの上に原発が立っているのです。そこで阪神大震災以上、現在予想されている揺れでその数十倍にもなる直下型地震が起きたら、どうなりますか。
 今回の福島第一原発の事故は、想定されたものですが、それを防げなかった。その責任は置いておいて、ではこれから何を学ぶかが大切です。日本中の原子炉の安全基準を一斉に見直さなければならないのは当然でしょう。
 3月15日。震災の発生から4日が経って、実は中部電力はこっそりと安全対策の引き上げを発表しています。12メートルの津波に耐えられる堤防を造るそうです。福島が5メートルですから、慌てて対策に出たことが分かるでしょう。もちろん、それで万全な対策になるはずはありません。
 しかし、堤防だけの対策で東海地震から原発事故は免れません。できるならば今すぐに原子炉を止めて、万が一の地震に備えるべきでしょう。電力不足が懸念されていますが、中部電力の火力発電所は十分にあります。
 停電よりも原発事故は、何倍どころか何百倍、何千倍も怖いということの認識が必要です。
〈筆者プロフィール〉
広瀬 隆Hirose Takashi
 作家
1943年東京都生まれ。66年早稲田大学理工学部卒業。メーカーの技術者を経て、作家に。代表作には米ロスチャイルド家のことを徹底的に調べて書いた『赤い盾』がある。また、スリーマイル島原子力発電所事故を機に、81年『原子力発電とはなにか そのわかりやすい説明』、同年『東京に原発を!』を出版。2010年には日本の地殻変動を徹底的に調べて書いた『原子炉時限爆弾』を出版した。
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原発を私は「許容していた」。 原発を許容したのは、自分であり国民それ自体なのだという洞察2011-03-26 | 地震/原発
 時代の風:東日本大震災
◇原発を「許容していた」私−−東京大教授・加藤陽子
 3月11日午後2時46分。日本人あるいは日本に住む人々にとって、この時刻に何をしていたかについては、これから何度も問い返され、何度も記憶に再生されることとなろう。
 東京都文京区に住まいのある私は、その時、マンション中庭の草花に水をやっていた。しおれ気味の花々に、数日間水やりを怠ったことをわびつつ水をやっていると、自分の視界が、突然、横に引っ張られる感じがした。これから会議が一つあるのに目まいとは困ったことだと思った数秒後、地震だと気づいた。水道栓を閉め、ころがるように部屋に戻るまで、この間5分。
 それ以来、何をしていれば心が休まるかといえば、中庭で水をやることなのだ。あの時、水やりをしていた自分。依然として生きている自分。その単純な関連を、身体が勝手に何度も確認したがっていたようだ。震度5強とはいえ、ほぼ被害のなかった地域において、こうだ。被災された人々の心と身体を思えば暗たんたる気持ちになる。
 地震と津波の直後には、東京電力福島第1原発の複数の炉が制御不能となった。テレビは、首相官邸、原子力安全・保安院、東電等による記者会見の模様や現場の状況を臨戦態勢で報じていた。映像を見ながら私の頭に浮かんだのは、奇妙にも次に引く大岡昇平の言葉だった。
 「(昭和)十九年に積み出された時、どうせ殺される命なら、どうして戦争をやめさせることにそれをかけられなかったかという反省が頭をかすめた、(中略)この軍隊を自分が許容しているんだから、その前提に立っていうのでなければならない」
 「俘虜記」「レイテ戦記」あるいは「花影」で知られた大岡が、自らの戦争体験を語った「戦争」(岩波現代文庫)の一節である。1944年7月、大岡は第14軍の補充要員(暗号手)として門司港からフィリピンへ向けて出発する。
 輸送船に乗せられた時、自分は死ぬという明白な自覚が大岡を貫いた。これまで自分は、軍部のやり方を冷眼視しつつ、戦争に関する知識を蓄積することで自ら慰めてきたが、それらは、死を前にした時、何の役にもたたないとわかった。自ら戦争を防ぐという行動に出なければならなかったのにもかかわらず、自分はそれをしなかった、こう大岡は静かに考える。
 よって、戦争や軍隊について自分が書く時には、自分がそれらを「許容してい」たという、率直な感慨を前提として書かねばならない、と大岡は理解する。その成果が「レイテ戦記」にほかならない。この大岡の自戒は、同時代の歴史を「引き受ける」感覚、軍部の暴走を許容したのは、自分であり国民それ自体なのだという洞察だろう。
 以上の文章の、戦争や軍部という部分を、原子力発電という言葉に読み替えていただければ、私の言わんとすることがご理解いただけるだろう。
 原発を地球温暖化対策の切り札とする考えは、説得的に響いた。また、鉄道等と共に原発は、パッケージ型インフラの海外展開戦略の柱であり、政府の策定にかかる新成長戦略の一環でもあった。生活面でも「オール電化」は、火事とは無縁の安全なものとして語られていた。これらの事実を忘れてはならない。私は「許容していた」。
 敗戦の総括については自力では行えなかった日本。ならば、せめて今回の事故について、同じ過ちを繰りかえしたくはない。政府に求めたいのは、事故発生直後からの記録を完全な形で残し、その一次史料を、第三者からなる外部の調査委員会に委ねてほしいということだ。
 公文書管理法は、現在、内閣府の公文書管理委員会において、施行令・各府省文書管理規則等の審議を経て、本年4月から施行予定となっている。
 枝野官房長官は鳩山内閣期、内閣府特命担当大臣として行政刷新の一環としての公文書管理を担当された方である。復興庁を創設するのならば、まさに、震災・事故関係記録の集中保存から入っていただきたい。これが、亡くなった方を忘れない、最も有効な方法だと信ずる。
毎日新聞2011年3月26日 東京朝刊


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