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「オウム真理教事件が私たちに問いかけるもの」

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[加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書 2006年8月17日第1刷発行] より抜粋
オウム真理教事件が私たちに問いかけるもの
 薬物で補強されたマインド・コントロール
P133〜
 オウム真理教という名前が広く世間一般に知られるようになったのは、宗教法人としての認可がおりて急速に信者数を増やし、マスコミも盛んに取り上げはじめた1989年ぐらいからでしょうか。その年の11月、出家信者の親たちの依頼で被害者の会を結成し民事訴訟の準備をしていた坂本弁護士が、妻子ともども行方不明となります。オウムの関与が取りざたされたものの捜査の手はおよばず、翌年2月の衆議院総選挙には教祖の麻原彰晃以下25人が出馬。白いユニフォームに身を包み、麻原の面をかぶって「ショーコーショーコー」という「尊師マーチ」を歌う奇妙な集団に多くの人が抱いたのは、まだ恐れではなく、嘲弄混じりの驚きだったような気がします。
 しかし裁判での検察側主張によれば、その数年前から麻原は内部のセミナーなどで、殺人行為を正当化する「ポアによる救済」について語っていたそうです。そして選挙で全員が落選すると、通常の布教方法では現代人を救済できないとわかったから「これからはタントラ・ヴァジラヤーナでいく」と決意。90年4月には、ポツリヌス菌を気球で散布する計画を立てていたとか。幸い、これは技術力のなさゆえ失敗に終わりましたが。
 タントラ・ヴァジラヤーナとは、密教の教義の1つである秘密金剛乗のこと。そのなかに「五仏の法則」というものがあり、救済のためにあえて悪をなすといったことが書かれています。これは天界の如来たちがさらなる修行のため行う法で、人間にはなしえないといった注釈のもとに説かれたものなのですが、それを麻原は「ポア(意識をより高い位置に移し替えること、転じてオウムでは死をもたらすこと)という言葉を使って、殺人さえも善行として肯定する形に都合よく拡大解釈していきました。
 麻原の論はこうです。悪行を重ねている現代人は、このままでは三悪趣(地獄道、餓鬼道、畜生道)にしか生まれ変われないが、死の直後の煩悩が弱まった状態で意識の移し替えをしてやれば、次の生で今生より高い次元に行ける。だから、早くポアしてやることが本人のため、最高の善なのだ。また、ポアによって人々を救済し修行と功徳を積んだ信者は、いずれ私のように最終解脱することができる。(〜p134)
p135〜
 選挙での敗北を、麻原は敵対勢力の妨害のせいと位置づけ、国家から弾圧されていると主張し、革命を目指すようになります。選挙後、脱会していく信者が増え揺らいでいた教団の結束を強め、みずからのカリスマ性を保持するのが狙いだったのか、相当に妄想が悪化していたのか・・・いずれにせよ、化学知識を持つ信者に命じて炭疽菌の培養や神経ガスのサリン、VXガスの生成に着手するなど、教団の武装化に邁進。やがて、ハルマゲドンなる世界最終戦争が数年後に起こり、生き残るのはオウム信者だけなどと予言するようになり、ハルマゲドンにのなえて国家権力打倒の思いをさらに強めていきました。そして、94年にサリンの殺傷能力を確かめるため松本市で噴霧。翌95年3月20日、地下鉄サリン事件を起すのです。
(略)
 事件の実行犯や教団幹部のプロフィールが、さらに私たちを驚かせました。早稲田大学大学院理工学部卒で修士号を取り、宇宙開発事業団に勤めていたこともある事件当時32歳。東京大学大学院理学系研究科で素粒子を研究し、物理学専攻修士課程を修了した27歳。(略)最高学府で教育を受けた優秀な人材で、科学的精神をたっぷり持っていただろう若者たちが、いったいなぜ、第3者から見たらいかがわしさの極地のように思える男をグル(霊的指導者)として敬い、その教義に傾倒していったのか。空中浮揚だのポアだの国家革命だのハルマゲドンだのといった非科学的、非論理的なものを信じ、あれほどの事件を起してしまったのか。
 その理由として、まず挙げられるのがマインド・コントロールでした。社会心理学者の西田公昭は、破壊的カルトが行うマインド・コントロールをこう定義しています。
 他者が自らの組織の目的達成のために、本人が他者から影響を受けていることを知覚しないあいだに、一時的あるいは永続的に、個人の精神過程(認知、感情)や行動に影響を及ぼし操作すること
 オウム真理教という破壊的カルトでは、これが最大限に行われていました。社会心理学的テクニックを応用した心理操作については、氏の著書『マインド・コントロールとは何か』のなかで非常に明快かつ詳細に説明されているので、そちらを読んでください。ここでは、信者のコントロールをより効果的に行うため併用されていた、薬物や電子機器などについて簡単に触れておこうと思います。
 麻原は、こめかみに電極をあて脳に通電して、けいれんを引き起こす「電気けいれん療法」−−かつて精神科の治療で行われ批判を浴びて下火になった、いわゆる電気ショックを取り入れていました。教団の医師だった林郁夫被告が書いた『オウムと私』によれば、記憶を消す方法を考えろという麻原の命令でオリジナルの機械を製作したとのこと。欧米では近年、難治性うつ病の治療法として再び注目され、安全性の高い機械を使用し麻酔や筋弛緩剤を投与したうえで電気療法を行う病院もありますが、健康な人間に用いれば意識障害や記憶障害を起こす恐れがあります。
 また、ステージをあげ悟りに近づくためという名目で行われていたイニシエーションと称する儀式では、麻原の血や風呂の残り湯といった馬鹿馬鹿しいものを飲み物に混入するだけでなく、アミタールやメスカリン、LSDなどが多用されていました。アミタールは嘘発見用の自白剤として使われていた薬で、意識が拡張し幻覚も見ます。今では人権上、精神科医でも使用することは禁じられています。メスカリンも幻覚をもたらし、麻薬に指定されています。
 LSDは、みなさんご存知の悪名高い合成麻薬。ほんの少量摂取しただけで、強烈な幻覚が現れ、6時間から12時間ぐらい作用が続く。私はLSDが日本に導入された60年代の初め、まだ麻薬指定になる前に、精神科医仲間が行った実験の被験者になったことがあります。頭に電極をつけ脳波を取りながら、医局員たちに囲まれて少量の注射を打ったんですが、もう完全に意識障害を起こしてしまいました。
 まず自分の手が透明になって骨が見える。それから身体がうんと軽くなって空中を浮遊しているような状態になり、窓から飛び出していこうとして友達に止められました。また、遠近が極端に誇張されて見えるので、人の顔なども鼻が天狗みたいに長くなり、ウウーッと迫ってくるのです。自分がものすごい力持ちになったようにも感じられ、ふと見ると身体が鎖でグルグル巻きにされているものだから、「よし、こんな鎖切ってやる」と力を入れたら鋼鉄の鎖がガラガラと切れて落ちた。もちろん、本当は縛られてなどいないんですけどね。そのうち床に炎の柱が立ってバーッと燃えあがり、「火事だ、火事だぁ」と騒ぎ出す・・・私の場合はそういう感じでした。
 おそらく麻原は、こういった幻覚作用のある薬を多用することで多くの人に異常感覚を起させたんだと思います。まず自分が試してからやってみたんでしょう。LSDを使うとだいたいどうなるか知っていれば、予言ができます。「おまえは今からこういう状態になるであろう」と予言しておいて、そのとおりの異常な感覚が生じれば神秘体験だと誤解し、「尊師のおっしゃるとおりです。私は解脱しました」と思いこんでしまう。
 薬物をひそかに摂取させたうえで、目に交差信号を送る黒い眼鏡のような機械をつけさせたり、ヘッドギアをつけて座禅などをさせていたと言います。(略)一定のリズムで周波数を変調させ、それを繰り返すことで装着している人間の脳波になんらかの影響をおよぼす効果があったのではないか、と推理している電子工学者もいます。マインド・コントロールといっても単に催眠術みたいなものをかけて行うのではなく、きわめて科学的、医学的な作用を脳に与えて、計画的に操作しやすい状態へと持っていったわけです。
 高学歴の若者たちが抱えていた「大いなる退屈」
 (略)
 地下鉄サリン事件があった95年春の時点で、オウム真理教の出家修行者千百十四人のうち20代が47.5%。30代も合わせると75.4%にのぼるそうです。なぜ若い世代に信者が多かったのか。
 まず1つには、若者たちが抱えていた大いなる退屈があると思います。事件当時、20代、30代ということは、ほとんどが60年代以降に生まれた世代です。物心ついたときから食べることに困らず、しょせんは他人事としてしか受け止められない凶悪犯罪をのぞけばとくに驚くべき事件も起こらない。そんな平和で豊かな、言い換えれば非常に平板な社会に生きてきて、彼らは一種の精神的退屈を抱えていたのではないか。もっと心をわくわくさせるような出来事、非日常の体験を待ち望んでいた。70年代から80年代前半にかけてのオカルト・ブームも、その1つの表れだった気がします。
 そんな彼らの前に現れたのが、麻原彰晃でした。麻原についていけば、普通の世のなかで普通の生活をしている人間が経験できないような新しい経験を次々に与えてくれる。これまで体験したことのない刺激を与えられ、いまだかつて味わったことのないタイプの感覚や、何やら神秘的に思える超現実的な出来事が自分に起こる。新しい世界が開けて、平凡な日常のなかに埋没していた自分が何か特別な存在になったかのように思える・・・・。その魅力に大勢の若者たちが次々と憑りつかれ、信者になっていったのでしょう。釣り堀の魚が餌が欲しくて口をパクパクさせていたら、悪魔がおいしそうな餌を投げてくれたものだからパクッと飲みこんでしまったようなものです。それが自分たちを破滅させる毒餌かもしれないなんてことは、まったく疑いもせずに。
 2つ目の要因は、宗教的知識があまりにも欠如していたこと。戦後の日本は、国家神道一色だった戦前、戦中の反動で、子供たちに学校で宗教について教えることがタブー視されてきました。いや、学校だけではありません。宗教教育は戦後60年間ないがしろにされ続けてきたのです。結婚式を教会で挙げ葬儀を仏式で行っていたとしても、60歳以下の日本人の多くは仏教もキリスト教も神道もイスラム教も、基本的なことさえ知らない。そういう親のもとで育った子供たちは、いわば無菌室のなかにいたようなもの。だから、カルト宗教という悪魔に対する免疫がまったくないと言っていい。
 オウム真理教は、麻原彰晃が1984年に設立したヨーガ道場「オウムの神仙の会」にはじまります。ヨーガを用いた修行による煩悩からの解放を説き、煩悩を1つずつ超越することを解脱と呼び、またみずからは単身ヒマラヤで修業し「ただ一人の最終解脱者」となったなどと自称していましたが、その教義は既存の宗教を知っている人間から見れば笑ってしまうようなものでした。ヒンドゥー教、小乗仏教、大乗仏教、チベット密教、キリスト教、ゾロアスター教など、さまざまな宗教の教義から利用しやすい部分を切り取って、自分に都合のいいよう解釈し、つぎはぎしたにすぎません。宗教に関する基本的な知識を持っていれば、マインド・コントロールされる前の段階で、そのいかがわしさに気づき、ほかに魅力的な要素があろうとも客観視できたのではないでしょうか。
 麻原が予言していたハルマゲドン、世界最終戦争にしてもそうです。『新約聖書』のヨハネ黙示録に、ハルマゲドンという場所で天使と悪魔との大戦争が勃発するといった記述があったため、そこから転じて後年、ハルマゲドンを「最終戦争」、「この世の終わり」などの意味で使う人々が現れました。しかし、現代のキリスト教徒の多くは、ヨハネ黙示録を未来の出来事の予言ではなく黙示文学として受け止めています。そういう知識や、これまでも多数のカルトや新興宗教がハルマゲドンという概念を人々の恐怖を煽って入信させるために利用していたという認識を、オウムにはまる前に若者たちが持っていたなら・・・と思わずにはいられません。
 3つ目は、第2章でも述べたように自分の頭で考えるという習慣がないこと。昔から、日本人全般にその傾向があるところへもってきて、彼らは子供のころから受験戦争で勝つためのパターン化された勉強法を強いられてきた世代です。オウム幹部のように、先生や親の言う通りいい成績を取り、いい大学に入ることを第一義として生きてきた受験戦争の勝利者は、なおさらそうでしょう。1979年からは国公立の大学入試にマークシート方式が導入され、ますます若者から考える力を奪ってしまいました。大学や大学院で勉強した物理や化学の専門知識は、サリンやVXガスを作れるほど豊富であっても、みずから進んでさまざまなジャンルの本を読み、きちんと自分の思想を整えるというところまでいっている人は非常に少ないと思います。だから、出来の悪いマンガのようなオウムのイデオロギーに簡単に取り込まれてしまったのではないか。林郁夫被告は、前出の体験記にこうもつづっています。
〈麻原のいうことを至上のものとして生活していたことから、そのように葛藤すること自体を、私自身が麻原の教えを理解できない劣った心の持ち主であるからだと思うようになりました〉
 教団の医師であり、薬物を使ったマインド・コントロールのことを熟知していたはずの彼でさえ、麻原の方針を疑いながらも、そんな自分のほうを否定し教祖の指示に従ってしまう。もちろん、オウム真理教は多くのカルトがそうであるように、教えに疑問を持ち脱会しようとする者に対しては、最悪の場合ポアという手段を取るなど恐怖による締めつけを行っていました。しかし、林の発言からはやはり、彼らが共通して持っていただろう自分の頭で考えてこなかったがゆえの弱さ、立場が上の者、声の大きな者に流されがちな傾向を強く感じます。
 4つ目の要因としては、教団で採用されていた「ステージ」という階級制が挙げられるでしょう。90年4月ごろから、麻原は修行の達成度や精神性のレベルを示すものとしてステージ制度なるものを導入。尊師の下に正大師、正悟師、師、師補、サマナ長など12階級を置き、絶対服従を強いる上位下達の独裁体制を強化していきます。一所懸命修行すれば、ステージをあげていくことができる。小、中、高、大学と、人と競い合って生きてきて、勝つことが幸せな未来につながると刷り込まれてきた信者たちの競争心やプライドを巧みに利用した、実にうまい戦略だと思います。サリン製造や殺人さえも「ワーク」や「ポア」という名で修業の一環に組み込まれ、また悪行を積んでいる者を殺してやることは善行だという大義名分まで教祖が教えてくれていたのです。
 教祖に対する疑念が芽生えたとしても、林被告のように打ち消してしまったほうが、実は一時的にはらくなのです。一度入信して走り出してしまったら脱会するのは困難だし、これまで信じていたこと、してきたことを否定するには相当のエネルギーが必要です。何より自分自身が傷つく。だから自己防衛と自己正当化のため、意識下で疑念を打消し、教祖の言うことを積極的に信じようとするのだと思います。そうすれば、恐ろしい罪をおかしているという罪悪感も薄れるわけですから。
 94年6月になると、麻原はステージ制に次いで省庁制を導入。みずからを神聖法王とし、その下に大蔵省、科学技術省、治療省など22の省庁を置いて教団を疑似国家に見立て、信者を再編成して各省庁のトップに幹部たちを据えました。人間は、他者から認められたいと願わずにはいられない動物です。評価されればますます頑張ろうとし、期待に応えたいと思う。大阪大学大学院理学研究科で博士の前期課程を修了した村井秀夫は、きみの優れた能力を人々を救済するために使ってみないかという麻原の言葉に感動し、オウムに入ったそうです。科学技術省大臣として松本サリン事件や地下鉄サリン事件に深く関わった彼は、事件後、マスコミに取り囲まれ取材を受けていた最中、暴力団に刺殺されました。
 麻原彰晃にひかれた若者たちについて考えるたび、私にはオウム真理教というものが90年代の日本における悪魔のささやきの大きな実験の1つだったような気がします。地下鉄サリン事件から10年以上の時が流れましたが、今の日本の20代、30代はどうでしょう。ここに挙げた4つのウィークポイントを克服しているでしょうか。
 残念ながら、私にはそうは思えません。むしろ、ひどくなっているように感じられる。オウム真理教事件の記憶が埋もれてしまえば、また別のカルトが若者たちの心の隙間に忍び込まないとも限らない。いや、今度彼らを操るのは破壊カルトのようなわかりやすいものではなく、もっとわかりにくくて強大なもの----たとえば、かつてのような国家かもしれない。
p145〜
 獄中の麻原彰晃に接見して
 2006年2月24日の午後1時、私は葛飾区小菅にある東京拘置所の接見室にいました。強化プラスチックの衝立をはさみ、私と向かい合う形で車椅子に座っていたのは、松本智津夫被告人、かつてオウム真理教の教祖として1万人を超える信者を率い、27人の死者と5千5百人以上の重軽傷者を出し、13の事件で罪を問われている男です。
p146〜
 04年2月に1審で死刑の判決がくだり、弁護側は即時、控訴。しかし、それから2年間、「被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない」と松本被告人の精神異常を理由に控訴趣意書を提出しなかったため、裁判はストップしたままでした。被告の控訴能力の有無を最大の争点と考える弁護団としては、趣意書を提出すれば訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうと恐れたのです。それに対し東京高裁は、精神科医の西山詮に精神鑑定を依頼。その鑑定の結果を踏まえ、控訴を棄却して裁判を打ち切るか、審議を続行するかという判断を下す予定でした。2月20日、高裁に提出された精神状態鑑定書の見解は、被告は「偽痴呆性の無言状態」にあり、「訴訟能力は失っていない」というもの。24日に私が拘置所を訪れたのは、松本被告人の弁護団から、被告人に直接会ったうえで西山の鑑定結果について検証してほしいと依頼されたためです。
 逮捕されてから11年。目の前にいる男の姿は、麻原彰晃の名で知られていたころとはまるで違っていました。トレードマークだった蓬髪はスポーツ刈りになり、髭もすっかり剃ってあります。その顔は、表情が削ぎ落とされてしまったかのようで、目鼻がついているというだけの虚ろなものでした。灰色の作務衣のような囚衣のズボンがやけに膨らんでいるのは、おむつのせいでした。
「松本智津夫さん、今日はお医者さんを連れてきましたよ」
 私の左隣に座った弁護士が話しかけ、接見がはじまりましたが、相変わらず無表情。まったく反応がありません。視覚障害でほとんど見えないという右目は固く閉じられたままで、視力が残っている左目もときどき白目が見えるぐらいにしか開かない。口もとは力なくゆるみ、唇のあいだから下の前歯と歯茎が覗いています。
 重力に抵抗する力さえ失ったように見える顔とは対照的に、右手と左手はせわしなく動いていました。太腿、ふくらはぎ、胸、後頭部、腹、首・・・身体のあちこちを行ったり来たり、よく疲れないものだと呆れるぐらい接見のないだ中、ものすごい勢いでさすり続けているのです。
「あなたほどの宗教家が、後世に言葉を残さずにこのまま断罪されてしまうのは惜しいことだと思います」
「あなたは大きな教団の長になって、たくさんの弟子がいるのに、どうしてそういう子供っぽい態度をとっているんですか」
 何を話しかけても無反応なので、持ち上げてみたり、けなしてみたり、いろいろ試してみましたが、こちらの言うことが聞こえている様子すらありません。その一方で、ブツブツと何やらずっとつぶやいている。耳を澄ましてもはっきりとは聞こえませんでしたが、意味のある言葉でないのは確かです。表情が変わったのは、2度、ニタ〜という感じで笑ったときだけ。しかし、これも私が投げた言葉とは無関係で、面談の様子を筆記している看守に向かい、意味なく笑ってみせたものでした。
 接見を許された時間は、わずか30分。残り10分になったところで、私は相変わらず目をつぶっている松本被告人の顔の真ん前でいきなり、両手を思いっきり打ち鳴らしたのです。バーンという大きな音が8畳ほどのがらんとした接見室いっぱいに響き渡り、メモをとっていた看守と私の隣の弁護士がビクッと身体を震わせました。接見室の奥にあるドアの向こう側、廊下に立って警備をしていた看守までが、何事かと驚いてガラス窓から覗いたほどです。それでも松本被告人だけはビクリともせず、何事もなかったかのように平然としている。数分後にもう1度やってみましたが、やはり彼だけが無反応でした。これは間違いなく拘禁反応によって昏迷状態におちいっている。そう診断し、弁護団が高裁に提出する意見書には、さらに「現段階では訴訟能力なし。治療すべきである」と書き添えたのです。
 拘禁反応というのは、刑務所など強制的に自由を阻害された環境下で見られる反応で、ノイローゼの一種。プライバシーなどというものがいっさい認められず、狭い独房に閉じ込められている囚人たち、とくに死刑になるのではという不安を抱えた重罪犯は、そのストレスからしばしば心身に異常をきたします。
 たとえば、第1章で紹介したような爆発反応。ネズミを追いつめていくと、最後にキーッと飛びあがって暴れます。同じように、人間もどうにもならない状況に追い込まれると、原始反射といってエクスプロージョン(爆発)し、理性を麻痺させ動物的な状態に自分を変えてしまうことがあるのです。暴れまわって器物を壊したり、裸になって大便を顔や体に塗りつけ奇声をあげたり、ガラスの破片や爪で身体中をひっかいたり・・・。私が知っているなかで1番すさまじかったのは、自分の歯で自分の腕を剥いでいくものでした。血まみれになったその囚人は、その血を壁に塗りつけながら荒れ狂っていたのです。
 かと思うと、擬死反射といって死んだようになってしまう人もいます。蛙のなかには、触っているうちにまったく動かなくなるのがいるでしょう。突っつこうが何しようがビクともしないから、死んじゃったのかと思って放っておくと、またのそのそと動き出す。それと同じで、ぜんぜん動かなくなってしまうんです。たいていは短時間から数日で治りますが、まれに1年も2年も続くケースもありました。
 あるいはまた、仮性痴呆とも呼ばれるガンゼル症候群におちいって幼児のようになってしまい、こちらの質問にちょっとずれた答えを返し続ける者、ヒステリー性の麻痺発作を起こす者。そして松本被告人のように昏迷状態におちいる者もいます。
 昏迷というのは、昏睡の前段階にある状態。昏睡や擬死反射と違って起きて動きはするけれど、注射をしたとしても反応はありません。昏迷状態におちいったある死刑囚は、話すどころか食べることすらしませんでした。そこで鼻から胃にチューブを通して高カロリー剤を入れる鼻腔栄養を行ったところ、しばらくすると口からピューッと全部吐いてしまった。まるで噴水のように、吐いたものが天井に達するほどの勢いで、です。入れるたびに吐くので、しかたなく注射に切り替えましたが、注射だとどうしても栄養不足になる。結局、衰弱がひどくなったため、一時、執行停止処分とし、精神病院に入院させました。
 このように、昏迷状態におちいっても周囲に対して不愉快なことをしてしまう例が、しばしば見られます。ただ、それは無意識の行為であり、病気のふりをしている詐病ではありません。松本被告人も詐病ではない、と自信を持って断言します。たった30分の接見でわかるのかと疑う方もいらっしゃるでしょうが、かつて私は東京拘置所の医務部技官でした。拘置所に勤める精神科医の仕事の7割は、刑の執行停止や待遇のいい病舎入りを狙って病気のふりをする囚人の嘘や演技を見抜くことです。なかには、自分の大便を顔や身体に塗りたくって精神病を装う者もいますが、慣れてくれば本物かどうかきっちり見分けられる。詐病か拘禁反応か、それともより深刻な精神病なのかを、鑑別、診断するのが、私の専門だったのです。
 松本被告人に関しては、会ってすぐ詐病ではないとわかりました。拘禁反応におちいった囚人を、私はこれまで76人見てきましたが、そのうち4例が松本被告人とそっくりの症状を呈していた。サリン事件の前に彼が書いた文章や発言などから推理するに、松本被告人は、自分が空想したことが事実であると思いこんで区別がつかなくなる空想虚言タイプだと思います。最初は嘘で、口から出まかせを言うんだけれど、何度も同じことを話しているうちに、それを自分でも真実だと完全に信じてしまう。そういう偏りのある性格の人ほど拘禁反応を起こしやすいんです。
 まして松本被告人の場合、隔離された独房であるだけでなく、両隣の房にも誰も入っていない。また、私が勤めていたころと違って、改築された東京拘置所では窓から外を見ることができません。運動の時間に外に出られたとしても、空が見えないようになっている。そんな極度に密閉された空間に孤独のまま放置されているわけですから、拘禁反応が表れるのも当然ともいえます。接見中、松本被告人とはいっさいコミュニケーションをとれませんでしたが、それは彼が病気のふりをしていたからではありません。私と話したくなかったからでもない。人とコミュニケーションを取れるような状態にないからなのです。(〜p151)
 「死刑にして終わり」にしないことが、次なる悪魔を防ぐ
 しかるに、前出の西山医師による鑑定書を読むと、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性の無言状態にある〉と書かれている。偽痴呆性というのは、脳の変化をともなわない知的レベルの低下のこと。言語は理解しており、言葉によるコミュニケーションが可能な状態です。西山医師は松本被告に3回接見していますが、3回とも意味のあるコミュニケーションは取れませんでした。それなのにどうして、偽痴呆性と判断したのでしょうか。また、拘禁反応と拘禁精神病は違うものであるにもかかわらず、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく〉と、あたかも同じ病気で片や病状が軽く、片や重いと受けとれるような書き方をしてしまっている。
 鑑定書には、さらに驚くべき記述がありました。松本被告人は独房内でみずからズボン、おむつカバー、おむつを下げ、頻繁にマスターベーションをするようになっていたというのです。05年4月には接見室でも自慰を行い、弁護人の前で射精にまで至っている。その後も接見室で同様の行為を繰り返し、8月には面会に来た自分の娘たちの前でもマスターベーションにふけったそうです。松本被告人と言葉によるコミュニケーションがまったく取れなかったと書き、このような奇行の数々が列挙してあるというのに、なぜか西山医師は唐突に〈訴訟をする能力は失っていない〉と結論づけており、そういう結論に至った根拠はいっさい示していない。失礼ながら私には、早く松本被告人を断罪したいという結論を急いでいる裁判官や検事に迎合し、その意に沿って書かれた鑑定書としか思えませんでした。
 地下鉄サリン事件から11年もの歳月が流れているのですから、結論を急ぎたい気持ちはわかります。被害者や遺族、関係者をはじめ、速やかな裁判の終結と松本被告人の断罪を望んでいる人も多いでしょう。死刑になれば、被害者にとっての報復にはなるかもしれません。しかし、20世紀末の日本を揺るがせた一連の事件の首謀者が、なぜ多くの若者をマインド・コントロールに引き込んだのかは不明のままになるでしょう。
 オウム真理教の事件については、私も非常に興味があったため裁判記録にはすべて目を通し、できるだけ傍聴にも行きました。松本被告人は、おそらく1審の途中から拘禁ノイローゼになっていたと思われます。もっと早い時期に治療していれば、これほど症状が悪化することはなかったはずだし、治療したうえで裁判を再開していたなら10年もの月日が無駄に流れることもなかったでしょう。それが残念でなりません。
 拘禁反応自体は、そのときの症状は激烈であっても、環境を変えればわりとすぐ治る病気です。先ほど紹介した高カロリー剤を天井まで吐いていた囚人も、精神病院に移ると1カ月で好転しました。ムシャムシャ食べるようになったという報告を受けて間もなく、今度は元気になりすぎて病院から逃げてしまった。すぐに捕まって、拘置所に戻ってきましたが。
 松本被告人の場合も、劇的に回復する可能性が高いと思います。彼の場合は逃亡されたらそれこそたいへんですから、病院の治療は難しいでしょうが、拘置所内でほかの拘留者たちと交流させるだけでもいい。そうして外部の空気にあててやれば、半年、いやもっと早く治るかもしれません。実際、大阪拘置所で死刑囚を集団で食事させるなどしたところ、拘禁反応がかなり消えたという前例もあるのです。(〜p153)
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