「上杉隆の「ここまでしゃべっていいですか」1(1〜2)朝日新聞が世間の感覚とズレにズレている理由」からの続き
■書いてはいけないことがある、という不思議
相場:ボクは現役時代に、他社の先輩からよく怒られました。「あの記事はちょっと書きすぎ」「あの書き方は卑怯だ」「お前、ちょっと守りに入りすぎ」などと。しかしそうした反応が返ってくると、こちらもリアクションがとれます。
しかし上杉さんが官房機密費を報じるようになってから、他社からのリアクションがなくなったというのは本当ですか?
上杉:彼らにとって、ボクは見えない存在になっている。
窪田:ボクの知り合いの記者もこんなことを言っていました。「個人的に、上杉さんの書いていることは賛成している。だけど会社的にはちょっとな」と。たぶんこの記者は、上杉さんのことを無視している1人だと思います(笑)。
上杉:ある先輩はこんなことを言っていました。「君の書いていることは正論なんだよ。けどね、書いちゃいけないこともあるんだ」と。じゃあ、嘘を書け、ってことですかね。一体どうすればいいんでしょうね。
またある人は「政治記者というのは、政治家が言ったことを全部書いてはダメなんだよ」と言っていましたが、そもそもボクは政治記者じゃないし(笑)。ゴルフジャーナリストだし(笑)。
相場・窪田:ハハハ。
■江頭2:50のキャッチフレーズ
上杉:今後は日本にも「ハフィントン・ポスト(The Huffington Post)」(政治ブログとしてスタートし、今や新聞社のWebサイトを上回る影響力を持つ)や「ポリティコ(Politico)」(ワシントンDCを拠点にした政治専門メディア)のようなWebサイトができるといいですね。例えば掲載されている記事に対し、読者がお金を支払うシステムになれば、記者も活性化されるのではないでしょうか。
しかし今は大きな組織が、記者個人の発信を邪魔している。多様な価値観を持つ記者がたくさん出て、論争を起こし、その中から選択すればいいだけなのに。社説などで「ウチの会社の考え方はこうです」と提示するより、記者個人の考えに対し、読者が賛成・反対すればいいと思う。
これまでは記者クラブ制度があって、みんな横並びの記事を書かざるを得なかった。これからは同じ記事を書かない方が、ビジネスになるのではないでしょうか。
相場:あるネタをつかんでいるのにもかかわらず、そのネタを扱う記者クラブのキャップと仲が悪いから記事を書けないというケースがあるんですよ。例えばボクは金融関係のクラブにいましたが、産業関係クラブに詰めている記者ともめたりする。そうなると声が大きい方が勝ったり、年次で勝ったりする。
窪田:私の知人のある大企業の広報が、A新聞の記者にこっそり特ダネをリークして言ったそうです。「これは公的に発表するつもりはないネタだ。A新聞だけだ」と。ところが、その記者は「それじゃ書けませんよ」と特ダネを断った。きわどいネタがゆえリスクがある。クラブの発表じゃないですが、ペーパーで書かれた情報じゃないと安心できないという他社との横並び意識が邪魔したんですね。その広報担当者はあきれていましたね。
上杉:やはり新聞記者というのはエリートなんでしょうね。失敗することに対し、ものすごく恐怖感を抱いていますから。でもジャーナリストであれば失敗を恐れてはいけない。もちろんミスは極力少なくした方がいいが、人間だから失敗は避けられない。
社内での立場やこの記事を書いたらこうなる、ということを考えれば書けなくなってしまう。あえて物議をかもす必要はありませんが、少なくとも自分の取材に対しては正直になった方がいいですね。
窪田:社内で、賛否両論になる記事は書きたくない、という思いがあるのかもしれない。当たり障りのないスクープであればいいのでしょうが、「お前、これはやりすぎじゃないのか!?」という記事を書いてしまうと、その後の出世に響くかもしれない。
相場:社内で真っ先に刺されましたね。ボクの背中は傷だらけですよ(笑)。
窪田:相場さんは然るべくして、外に飛び出して行ったのでしょうね(笑)。
上杉:この問題は新聞社だけに限りません。テレビでも出版社でも同じこと。なので官房機密費問題を『週刊ポスト』で取り上げるときには、念には念を押しましたからね。そうしないと必ず、小学館内部からも自主規制を行う人が現れますから。
窪田:平気な顔して、ハシゴをはずす人がいますからね。
上杉:あとは、いつでもこの職業を辞める覚悟がないといけない。
相場:そうですね。
上杉:例えばテレビに出ているときには「ワンクールのレギュラー(出演)よりも、1回の伝説を」という江頭2:50のキャッチフレーズを常に頭に入れていました(笑)。
相場・窪田:ハハハ。
上杉:江頭さんのように裸になれという意味ではなく、言いたいことを我慢するくらいであれば言いたいことを言って番組を降ろされる方がいい。
相場:ボクのところにも某局からコメンテーターとしてオファーがありました。そして「どんなネタをやれますか?」と聞かれたので、大きい自動車会社や大きい流通会社の裏話をちょっとしただけで、「頼むから止めてください」と言われてしまった(笑)。
こちらはビックリして「こんなネタでもダメなんですか?」と聞いたところ「絶対にダメです」と言われ、結局断わられました。
窪田:コメンテーターの仕事というのも難しいですよね。いたるところに"地雷"があるわけじゃないですか。番組スポンサーのことを気にしながらコメントをしなければいけないし。なので当たり障りがない人の方が向いている。漫画家のやくみつるさんも、相当に気をつかっているはずですよ(笑)。
■最後に残る新聞社
相場:通信社での仕事は一瞬で記事をまとめる――いわば職人技が求められます。「このネタはダメだ」と判断したときには、速報を流しません。しかし最近はネットの発達によって、各社の速報競争に拍車がかかってきた。これは複数の現役記者から聞いた話なのですが、記事にするか判断に迷っていると、上司から「書いてしまえ!」と命令が飛んでくるそうです。昔だったら、確実に書かなかったことでも、最近では突っ走る傾向があるようですね。
上杉:通信社の仕事というのは、それなりの職業訓練が必要になってきますよね。新聞社もまた別の訓練が必要となります。
相場:そうですね。
上杉:なのに大手新聞各社は、ネット上で速報記事を流している……。それは通信社の仕事、危ないなあ朝日新聞は(笑)。
相場:ハハハ。
窪田:朝日新聞の記者は、通信社が行う訓練を受けていませんからね。
上杉:新聞各社は生き残り策を模索しなければいけないのに、まだ合従連衡がうまく進んでいない。しかし最後に残るのは逆に現在の弱者の毎日新聞や産経新聞ではないか、という話をホリエモン(堀江貴文)としました。いまの記者クラブを中心としたメディアシステムは、すでに破たんしている。
また1つの事業者が多くのメディアを傘下に置くクロスオーナーシップの制度の下では、読売グループが強かった。しかしこうした制度がなくなってくると、これまで強かった読売新聞などのメディアが一気に瓦解するかもしれない。その一方で、なんとか生き残ろうと必死にもがいている毎日新聞や産経新聞が残るかもしれません。
■プチスピンドクターがいない
相場:今の菅政権はどのくらいヒドイのでしょうか?
上杉:官邸内の話でいうと、とてもヒドイですね。その理由は2つあって、1つ目は官邸官僚を使いこなせていないこと。もう1つは記者クラブ制度を中途半端にしてしまっていること。中途半端に開放するという選択肢はなく、もうオープンにするかクローズにするしかない。しかし中途半端なままにしているので、ヘンな敵まで作ってしまった。
そういう意味ではスピンコントロール(情報操作などを行うこと)が全くできていない。メディアコントロールはとても大切なのに、日本の政権だけができていない。
窪田:なんでこんなにコントロールされていないんだろう、といった感じですね。
上杉:スピンコントロールを意識的に行っていたのは、小泉政権のときの飯島勲さん。小泉政権が強かった背景の1つに、飯島さんの力が大きかったのではないでしょうか。あとは石原都知事の特別秘書を務めている高井英樹さんも、スピンコントロールを行っている。
窪田:官房機密費を手にしていた“大物”解説委員たちは、これまでプチスピンドクターのような役割を果たしていた。しかし今は、彼らのような後継者が育っていない。プチスピンドクターもいることはいるのですが、みんな小物ばかりなので、中途半端なスピンしかできていないですね。
上杉:以前、窪田さんと対談したときに「日本は記者クラブがスピンドクターだ」いう話をしました。しかしその記者クラブが崩壊しつつあるので、今はスピンがきかなくなっている状態ですね。
相場:1990年代の半ば、銀行はスキャンダルまみれでしたが、ある銀行の行員は情報操作がものすごくうまかった。もちろん本人は「自分はスピンドクターだ」という意識はなかったと思うのですが、直に頭取と記者をつないでくれたりした。なので、その人にあたれば、記者は情報をとることができた。また情報操作がうまい人がいる銀行では、問題が起きても、あまり傷が大きくならないんですよ。
窪田:頭取という意思決定ができる人間と直にやりとりができる情報参謀みたいな人がいたわけですね。それを政治で例えると、自民党の派閥のボスにくっついていた政治記者になる。しかしそうした政治記者も、かつての輝きを失ってきている感じがしますね。
相場:例えば出版社から「菅政権のことについて書いてくれ」という話が来ても、誰に取材すればいいのか分からない。つまり、キーになる人が見えてこないんですよ。しかし民間企業であれば、ニオイで分かったりする。この人を抑えておけば、記事にすることができる、といった感じで。
上杉:菅さんと(官房長官の)仙谷さんに関しては、記者クラブ制度に関する理解がない。そもそも多くの政治家は、記者クラブに問題があることすら理解できていない。なぜなら政治家も一緒になって、“洗脳”されてきたから。問題がそこにある、ということすら分かっていない。
窪田:政治家になったときからスピンコントロールされているので、理解することができないんでしょうね。
上杉:官邸システムのことを一番よく分かっているのは、古川元久官房副長官ですね。彼とは記者クラブ制度のことをよく話をしていたので、完璧に理解している。しかしマスコミ担当からはずれてしまった。で、福山哲郎官房副長官が担当することになったのですが、古川さんと比較すると記者クラブの問題点を完璧に理解しているとは言いがたい。菅さんについては、スピンコントロールのことを言っても「はあ!?」といった感じ。彼はネットをうまく使いこなせていないし、そもそも記者クラブ問題を理解しようともしない。だから、なぜネット上で記者クラブ問題が盛り上がっているのかが分かっていない。ただ40代の枝野幸男幹事長は違う。情報公開の意味を認識し、記者クラブ制度に問題があることも分かっている。なので政治家の間にも、世代による差がものすごくありますね。これは政治の世界だけではなく、メディアでも同じことが言える。日本民間放送連盟の広瀬道貞会長は正しいことを言っている。正しいことを言っているんだけど、それは1980年代であれば正しい、といった内容。要するに時代から遅れてしまっているのに、そういう人たちがメディア界を牛耳っていることが問題です。
■最後の護送船団
上杉:政治の世界というのは、まだまだ55年体制の古い体質が残っていて、いわば“最後の護送船団”のようなもの。
窪田:記者クラブもそうですね。最後に残った談合組織といった感じ(笑)。そういう意味では経済界の方が、古い体質が早く消えましたね。もちろんまだまだ古い体質が残っている部分もあるかとは思いますが。
上杉:1990年代の銀行を象徴に、古いシステムが変化を余儀なくされていきました。
相場:それまで残されていた秩序が、完全に崩れました。
上杉:官僚についても、2000年からの官僚バッシングで自浄作用が働いた。ところがメディアだけは、いまだに変わらない。なぜかというと、メディアを叩くメディアがないから。やはり日本人はメディアに洗脳されすぎ。久米宏さんは『ニュースステーション』でいろいろな問題発言をして、物議を醸していました。当時、久米さんに「意識的に問題発言をしているのですか?」と聞いたところ、「ボクは100人の視聴者がいたら、そのうちの10人が賛同してくれたら大満足」だと言っていました。つまり、残りの90人を敵に回してもいい、といったことを話していました。そのとき「なるほど」と思いました。万人を納得させなくてもいいとなれば、自分の考えにブレがなくなるな、と。久米さんを真似して、ボクも「100人中1人が賛同してもらえれば満足」と思うようにしている(笑)。
相場・窪田:ハハハ。
上杉:いや、ひょっとしたら1人もいないかもしれない(笑)。
窪田:もし万人が賛同すれば、それはもう意見ではないですよね。
上杉:自分の意見に100人中10人が賛同してくれれば満足……と思っている人が増えればいいんですよ。そうすればいろんな意見が出てくるので、そこからベターなものを選択していけばいいだけのこと。なので視聴者や読者に合わせる必要なんてない。ベターなものを選択できるように、視聴者や読者に情報を提供していけばいい。しかし既存メディアは「自分たちはこう思っている。だから視聴者・読者もここに当てはめよう」といった考え。しかし、こうしたメディアの考えはとても傲慢ですよね。
むしろ「自分たちはこう思っています。これに賛同してくれる一部の方は、どうぞ支持してください」というスタンスの方が健全ですよ。
■官房機密費問題に賞を
窪田:話は変わりますが、今回(2009年度)、新聞協会賞を受賞した記事を知っている(参照リンク)、という人はどのくらいいるのでしょうか。ちなみに編集部門では東京新聞の「東京Oh!」、毎日新聞の「無保険の子」救済キャンペーン、熊本日日新聞の「川辺川ダムは問う」の3本。しかし多くの人が知らないような記事が受賞するのは、いかがなものでしょうか。
上杉:あんなくだらない賞はさっさと止めた方がいい。
窪田:新聞協会賞というのは「この記事が社会をよくしているんですよ」といった意味が含まれている。しかし多くの人が「オレ、そんな記事知らないよ」というのであれば、ちょっとおかしい。
相場:であれば官房機密費問題に賞をあげればどうでしょう?
窪田:上杉さん、新聞協会賞を受賞すればどうしますか?
上杉:もちろんお断りします(笑)。
→鼎談連載終わり。
上杉×相場×窪田の「ここまでしゃべっていいですか」バックナンバー:
→朝日新聞が、世間の感覚とズレにズレている理由(1)
→政治家のフトコロから記者にカネ……メディア汚染の問題点とは(2)
→“ブラックなカネ”と記者クラブの密接な関係(3)
→あなたはモグリの記者ですか? そう感じさせられたエライ人の論理(4)
→主要メディアが、官房機密費問題を報じないワケ(5)
→新聞社の立派な建物が残り、報道が消えてしまうかもしれない(6)
→大臣を逃がしている自覚がない? つまらない質問をする記者たち(7)
→「裸になる」わけではないが……江頭2:50を見習う理由 (8)
→最後に残る新聞社はどこなのか(9)
→久米宏さんに学んだ、既存メディアのココがダメ(最終回)
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〈来栖の独白2011/12/28 Wed.〉
久米宏さんの「ボクは100人の視聴者がいたら、そのうちの10人が賛同してくれたら大満足」〈つまり、残りの90人を敵に回してもいい〉との言葉が、快く響く。
釈迦は次のように云ったではないか。
“「一つの道を二人して行くな」「犀の角のようにただ独り歩め」と。世尊御自身が群れを成すのを嫌悪していられた。弟子がともすれば徒党を組むのを厳しく戒められた。”(瀬戸内寂聴著『釈迦』新潮文庫)
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◆福永武彦の『草の花』など・・・2010-09-07 | 読書
〈来栖の独白2010/09/07〉
本日、中日新聞夕刊に、福永武彦に関する記事。じっと読んだ。福永武彦の一連の作品は大学のころ愛読し、大きな影響を与えられた。私の美意識、人生観を形成した。
若かったあの頃。学生時代。
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「Chopinと福永武彦と」2008/01/21 より
ショパンの華麗さとしなやかさに惹かれて、一昨年から弾いてきた。高く深い美しさに惹かれた。ダン・タイ・ソンで聴いてからは、虜になった。小原孝さんがご自分の番組NHKFMのなかで「フォルテは無いと思ってください。すべてピアノで」とおっしゃっていたが、本当にそう。あくまでも、やさしくしなやかに弾く。特にノクターンは。
先日もNocturnesを弾いていた。No1.Op.9-1「変ロ短調」。ちょっとロマンチックな出だし、甘さすら感じさせると、ずっと思っていた。
しかし突然、違う、と感じた。甘くない、と。凛とした孤独が聴こえた。そしてすぐに、それはそのはずだ、と思った。ショパンが、孤独を奏でないはずがない。他人の寄り付くことを頑なに拒んで強靭な美のリアリストだったショパンの音楽に、孤独が漂っていないわけがない。
私がショパンに強く惹かれたのはこの孤独の旋律の故だった、と気づいた。
ショパンは、次のように言う。(音楽とは)「音によって思想を表現する芸術」、「自分の耳が許す音だけが音楽である」と。この思想の故に、ショパンは孤独であった、と私は思う。
思想とは、生命の証、生きる意味である。
不意に(いや、当然のように)、福永武彦を思い出した。
福永武彦の作品に出会ったのは、大学の教養時代だったと思う。青年特有の寂しさと不安(落ち着かなさ)を持て余し悩んでいた私は、この『草の花』に衝撃を受けた。たまたま前期の試験と時期を同じにしたが、福永作品の世界から抜け出せなかった。単位を落とすことも覚悟した。が、試験を受けることだけはしておこうと思った。アメリカ文学史(アメリカン・フォークロア)の試験で、答えがさっぱり書けず、問題とは関係のない要らぬことを書いて出した。「私はいま福永武彦の小説に夢中になっています。氏の描く『孤独』は、いまの私にとってのっぴきならないテーマなのです・・・」。単位を落とすことを覚悟しているので、気持ちだけは強かった。ところが、後日発表を見ると「優」をくれていた。びっくりした。申し訳ない気持ち、単位が貰えてほっとしている自分、弱い自分が恥ずかしかった。
長い時を隔てて、『草の花』を手に取った。懐かしい文字列。しかし、今回初めて、この小説にショパンという文字が出てくることを発見した。福永氏の心の中で、恐らくショパンの孤独が鳴り響いていたのだろう。
福永武彦著『草の花』(抜粋)
しかし、一人は一人だけの孤独を持ち、誰しもが閉ざされた壁のこちら側に屈み込んで、己の孤独の重味を量っていたのだ。
----僕は孤独な自分だけの信仰を持っていた、と僕はゆっくり言った。しかしそれは、信仰ではないと人から言われた。孤独と信仰とは両立しないと言われたんだ。僕の考えていた基督教、それこそ無教会主義の考え方よりももっと無教会的な考え方、それは宗教じゃなくて一種の倫理観だったのだろうね。僕はイエスの生き方にも、その教義にも、同感した。しかし自分が耐えがたく孤独で、しかもこの孤独を棄ててまで神に縋ることは僕には出来なかった。僕が躓いたのはタラントの喩ばかりじゃない、人間は弱いからしばしば躓く。しかし僕は自分の責任に於いて躓きたかったのだ。僕は神よりは自分の孤独を選んだのだ。外の暗黒(くらき)にいることの方が、寧ろ人間的だと思った。
孤独というのは弱いこと、人間の無力、人間の悲惨を示すものなんだろうね。しかし僕はそれを靭いもの、僕自身を支える最後の砦というふうに考えた。傲慢なんだろうね、恐らくは。けれども僕は、人間の無力は人間の責任で、神に頭を下げてまで自分の自由を売り渡したくはなかった。
---ピアノコンチェルト一番、これ、前の曲ね。これはワルツ集、これはバラード集。どうしたの、これ?
---千枝ちゃんにあげるんだよ。千枝ちゃんがショパンを大好きだって言ったから、それだけ探し出した。向うものの楽譜はもうなかなか見付からないんだよ。
僕の書いていたものはおかしな小説だった。(略)全体には筋もなく脈絡もなく、夢に似て前後錯落し、ソナタ形式のように第一主題(即ち孤独)と第二主題(即ち愛)とが、反覆し、展開し、終結した。いな、終結はなく、それは無限に繰り返して絃を高鳴らせた。
僕はそうして千枝子を抱いたまま、時の流れの外に、ひとり閉じこもった。僕はその瞬間にもなお孤独を感じていた。いな、この時ほど、自分の惨めな、無益な孤独を、感じたことはなかった。どのような情熱の焔も、この自己を見詰めている理性の泉を熱くすることはなかった。山が鳴り、木の葉が散り、僕等の身体が次第に落ち葉の中に埋められて行くその時でも、愛は僕を死の如き忘却にまで導くことはなかった。もう一歩を踏み出せば、時は永遠にとどまるかもしれない。しかしその死が、僕に与える筈の悦びとは何だろうか、・・・・僕はそう計量した。激情と虚無との間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕は僕の孤独を殺すことはできなかった。そんなにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のささやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。
孤独、・・・いかなる誘惑とも闘い、いかなる強制とも闘えるだけの孤独、僕はそれを英雄の孤独と名づけ、自分の精神を鞭打ちつづけた。
支えは孤独しかない。
僕の青春はあまりに貧困だった。それは僕の未完の小説のように、空しい願望と、実現しない計画との連続にすぎなかった。
藤木、と僕は心の中で呼びかけた。藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう。
>この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。・・・・僕は一人きりで死ぬだろう。
なんという、ぞっとさせるような孤独だろう。しかし、冷静な理知の眼には、人生の現実はそのような残酷なものだ。『草の花』は知的な青年の孤独を描いている。私はこの孤独(純潔)に魅せられ、惹かれ続けてきた。守りたいものであった。群れることを嫌った。
若いときには若いときの、老いには老いの孤独があるだろう。老いての孤独は、若いときとは比較にならぬ峻烈なものであるのかもしれない。人は、そのようにして、やっと死に辿りつくことができる。2008/01/21 up
◆福永武彦の日記発見 克明に記した戦後の日々
中日新聞夕刊2010年9月7日
「風土」「死の島」などの作品で知られる作家福永武彦(1918〜79年)が終戦後に書いた日記4冊が、6日までに見つかった。敗戦の混乱期に文学を志した日々や、結核に苦しめられた苦悩を克明につづっており、戦後文学の貴重な研究資料となりそうだ。
日記は45〜47年の3冊と、51〜53年をまとめて記した1冊。大学ノートなどに書かれていた。10年前に研究者が47年の日記の写しを入手し、その後、古書店などで現物が見つかったという。
日記からは、文芸誌創刊を夢見て奔走していたことや、長引く闘病と貧困の中で苦悩の日々を送っていたことがうかがえる。「5年以内に文筆、それも翻訳でなく創作で、生活出来るやうになりたい」(46年1月3日)など、文学への情熱を読み取ることもできる。
長男で作家の池沢夏樹さんは「日記文学として価値がある。今、忘れられがちな戦後の生々しい風俗、歴史の記録そのものでもある」と発見の意義を話していた。
45〜47年の日記の一部は、7日発売の「新潮」10月号に掲載される。(共同)
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