東電と検察の「独占」をチェックしてこなかったマスコミの「責任」 いつまで国民を愚民視しているのか
2011年04月14日(木) 伊藤 博敏「ニュースの深層」
福島原発事故を起こした東京電力に問われているのは、地域独占、発送電一体の権益を、政官界工作を通じて保持、一民間企業でありながら原発を含む電力行政を担ってきたという自負が生む傲慢さだろう。
一方、大震災の陰に隠れた感はあるが、同時期、「検察の在り方検討会議」を通じて検察に問われていたのは、政官界のチェック役として、強引な捜査も許されると勘違いした検事たちの傲慢さだった。
東電と検察---。
役割も依って立つ基盤も違うが、共通するのは、独占と監視役不在がもたらす横暴である。
チェック機能を放棄したマスコミの責任
東電には、原子力安全委員会、原子力安全・保安院という二重三重のチェック機能があるものの、原子力は推進すべきものという「原子力村」の共通認識で一体化、東電の資力に、経産省資源エネルギー庁とその傘下のチェック組織も世話になっているという現実の前では、用をなさなかった。
検察は、法務大臣の指揮権発動によって行動を制約されるが、国民監視のなか法務相が政権を擁護、政治家や官僚を保護するために指揮権を発動することはなく、終戦直後の混乱期の造船疑獄を除いて、「抜かずの宝刀」となっている。
監視役不在のなかで、東電は原発の安全神話を、検察は有罪率99・9%の無謬性をアピールした。
だが、当然のことながら組織も人間も間違いを犯し、それを隠ぺいする権力があれば腐敗する。福島原発事故の目を覆うばかりの惨状と、大阪地検事件の証拠改ざん、調書ねつ造の破廉恥は同根である。
本来、権力の腐敗を暴き、独善に警鐘を鳴らすのはマスコミの役割である。だが、日本のマスコミは記者クラブ制度という"もたれあい"のなかで、官庁と意識を一体化させ、監視という立場を放棄してきた。
東電は、電力という企業と人間にとって最も重要なインフラを握る権力であり、応対は役所そのもの。にもかかわらず広告出稿は民間企業の側面をいかんなく発揮、マスコミにとっては大スポンサーで、「反原発」の立場に立つことはできなかった。
検察は、マスコミにとって最も重要な情報源で、各社は社会部の精鋭を投入、特捜案件、国税案件、証券取引等監視委員会案件などを、細大漏らさずフォローしている。検察は、一体となって正義を体現する相手であり、批判など思いもよらない。
そういう意味で、福島原発事故と大阪地検事件の責任の一端はマスコミにもある。だが、それはおくびにも出さない。
自浄能力の欠如については脇に置こう。
今、問題とすべきは、マスコミに問われている役割の変化と、それに気づくことなく同じ"立ち位置"の報道を続けている意識の低さについてである。
なぜ「ただちに問題はない」を追及しないのか
ネット革命によって国民は、膨大な量の情報をマスコミというフィルターを通さずに手に入れることができるようになった。かつて、マスコミは役所と企業の発する情報を独占、配布されるペーパーと記者会見でのレクチャーをもとに、他のニュースと比較のうえ、優劣をつけて報じた。
今や、情報はほとんどすべてホームページ上で公開され、解説はその道のプロが、自分のブログで行っており、それほど手間暇かけることなく、情報を入手できる。マスコミの役割が少なくなり、淘汰されるのも仕方がないが、ネットが太刀打ちできないのが、事件事故に飛び込み、一次情報を取ってくる組織力と機動性である。
そこに存在価値はあるものの、「情報を加工する」という東電のような大組織を含む官僚機構と同じ過ちを犯している。
国民はバカではない。
福島原発事故の当初から、ただならぬ事態が起きたことを承知している。また、NHKを始めとしたテレビ各局が、その「ただならぬ事態」を、できるだけ覆い隠し、国民にパニックを起こさせないよう、冷静な報道をしていることに気づいている。
そこにあるのは、「ただちに問題はない」「今のところは大丈夫」と繰り返す、官房長官発言と同じ上から目線のごまかしである。確かに、いたずらに動揺させてはならないかも知れないが、「ただちに」「今のところは」というあいまいな発言は追及すべきだし、「20キロ避難の是非」は問うべきだろう。
海外メディアとの落差は大きく、米国務省が「半径80キロの在日米国人の退避勧告」に従って、80キロどころか200キロ以上離れた東京在住の外国人が、続々と東京を脱出した。
今や、ネットや海外メディアも含めて、開示情報はいくらでもある。日本のマスコミに欠けているのは、役所が隠そうとする情報をストレートに伝えるという姿勢である。
情報を、役所の要望を入れて、解釈咀嚼して報じる時代は終わった。もちろん、解釈は必要だが、それはストレートニュースを経て、熟練した記者の独自目線からの発言であり、役所の代弁であってはなるまい。
のど元過ぎれば忘れる官僚たち
東電と検察の蹉跌は、チェック役不在の傲慢から起こった。その反省を共有すべきマスコミは、今も「官」の側にいて、情報統制している。
先例がある。
絶大な権力を誇った旧大蔵省は、日銀とともに接待汚職事件を暴かれ、金融監督部門を切り離されたうえで、千数百年の歴史を持つ「大蔵」の名を奪われて、素っ気ない財務省に変わった。政府系金融機関は統廃合、天下りポストは削減され、一般の官庁に成り果てるかと思えば、財務省頼みの民主党政権になったことで復活を遂げた。
今や、郵政民営化は押し戻され、ゆうちょ銀行は国債のさらなる受け入れ窓口となり、復興財源を増税に求めるなど、財務省の財政健全化路線が幅を利かせ、大連立の仕掛けにも関与する。
この財務省路線を支えているのが、消費税増税賛成に回ったマスコミである。
官僚組織は、のど元を過ぎた失敗をすぐに忘れて復活する。このまま福島原発が沈静化すれば、また原発推進論が復活、特捜検察も「一部可視化」を錦の御旗に、再び、猛威を振るう。
マスコミはその時、財務省の例が示すように、「官」と手を携えて"秩序"を担おうとするだろうが、そうした読者・視聴者を愚民視した手法が、いつまでも通るものではない。それに気づき、大胆な変革を遂げた社が、情報化社会に新たな地位を築くのだろう。そうなる既存マスコミはあるのだろうか。 *強調(太字)は、来栖
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福島原発事故と検察=破廉恥は同根/「官」の側にいて情報統制するマスコミ
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