特捜部の是非を問わずに終わった「検察の在り方検討会議」への不満 厚労省冤罪事件を生んだシナリオ捜査の構造にメスは入れず
2011年03月31日(木)現代ビジネス「ニュースの深層」 伊藤 博敏
「3月末までにとりあえずまとめてみた、といった感じの内容で、検察の在り方を問う内容にはなっていません。単なるガス抜き、検討会議の名が泣きます」
大阪地検特捜部の資料改ざん、犯人隠避事件を機に、法相の私的諮問機関としてスタートした「検察の在り方検討会議」の傍聴を続けてきた司法関係者が、3月31日にまとまった提言に対し、こう不満を漏らす。
当然だろう。
提言の柱は、特捜部のチェック体制の強化と取り調べの可視化(録音・録画)の範囲拡大。テクニカルな問題であって、「検察の在り方」、もっといえば「特捜捜査」に対する根源的問題に迫っていない。
ピークだった「金丸事件」
権力は腐敗する。
この前提のもとで、中央政界の「永田町」と、官僚機構の「霞が関」のチェック役を担ってきたのが地検特捜部だった。
自民党長期政権のもとで、「政官業」のトライアングルが強固に出来上がり、放置すればとめどなく腐敗、利権癒着は度し難いものになっていった。
「ドン」と呼ばれた故・金丸信自民党元副総裁が、金融債や金の延べ棒で、70億円近くを蓄財していたのがいい例で、一度は見逃そうとした検察が、東京国税局の手を借りて、脱税事件に仕上げた時、国民は拍手喝さい、マスコミは検察と一体となって、その構造に切り込んでいった。
「小沢捜査」もそうである。金丸氏の薫陶を受けた小沢氏に、政治資金を不動産に変える計算高さはあったが、違法の認識はなかった。小沢氏を恐れたのは、その剛腕で「霞が関」を自在に操って、自分たちの権益を奪うのではないかと心配した官僚たちであり、そこには当然、「法務・検察」も含まれた。
つまり、堀江氏と小沢氏は、その存在を面白く思わない官僚やマスコミといった既得権益層が、同じ価値観を持つ検察と握ったことで、転落が運命づけられた。
日本の権力構造が、どこにあるかを示した事件であり、『日本権力構造の謎』の著者であるカレン・ヴァン・ウォルフレンは、その名もなきエリート集団による仕掛けを、「画策者なき陰謀」と呼んだ。
「一部可視化」では何も変わらない
高学歴で共通の価値観を持つエリート集団が、官僚機構、検察・国税といった捜査当局、マスコミ界にいて、「異物」を取り除く。彼らこそ、本当の意味の権力者。彼らにとっては、孫正義、三木谷浩史といった大物ベンチャー経営者も、数年前までは、秩序の側のこちら側に来るか、向こうに落ちるかの要チェック対象だった。
「法」に基づいて捜査するハズの特捜部が、感情に流され、「堀江の錬金術」「小沢の蓄財術」を、正義や不文律の観点から捜査着手するから検察捜査は歪む。
そのポピュリズムに自己目的化という要素も加わって、捜査は暴走、厚労省元女性局長の冤罪事件を生んだ。
つまり特捜部は、国民の側に立っているのか、という根源的なところを問われている。堀江氏の逮捕で新興市場マーケットが大崩れとなり、小沢捜査で民主党の権力機構が大きく変化したことを思えば、特捜部の自己目的化した正義感による捜査には問題が多い。
検察の在り方を考えるなら、検討会議は「特捜部」の「検察捜査」の意義や意味を問い直すべきではなかったか。
一部可視化では、検察は何も変わらず、「試案」で「特捜部は廃止する必要はない」との文言が盛り込まれ、それはさすがに、「特捜部の組織の在り方を見直すための検討を行うべき」という言葉に代わったという。
大阪地検事件は、「国家と検察」の関係を問い直すいいチャンスだった。検察を通じて、日本の権力構造が停滞、活力ある組織や人物を検察が封じるという「負の側面」も見えている。検討会議が「ガス抜きの場」で、特捜部が以前と同じ形で存在するなら、その是非を再度、考える場が必要だろう。 *強調(太字)は、来栖
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