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佐藤栄佐久氏、ずっと前から指摘「国と東電が安全神話を拡散、事故発生しても先ず隠蔽」

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佐藤栄佐久前福島県知事は「反原発派」だったから逮捕されたのか 福島原発事故隠蔽で国と対立した直後に捜査
現代ビジネス ニュースの深層 2011年03月17日(木)伊藤 博敏
  
 炉心溶融のメルトダウンへ向けて、カウントダウンを続けているかのような福島原子力発電所---。
 その根源的問題が、国と電力会社が一体となって「安全神話」を撒き散らし、国民の声を聞かずに原子力政策を推進、事故が発生してもまず隠ぺい、真摯な事故対応を怠ってきたからだと指摘していた人がいる。
 佐藤栄佐久前福島県知事である。
 佐藤氏は、06年10月、木戸ダム建設工事に絡んで、ゼネコンの前田建設工業、サブコンの水谷建設から賄賂を受け取ったという収賄罪で逮捕起訴され、一審で有罪判決を受け、控訴したものの覆らなかった。
 「冤罪」の声もある事件については後述しよう。ここで強調したいのは、佐藤氏が、09年6月の高裁判決後に上梓した『知事抹殺』(平凡社)で、2章を割いて「国の原子力行政との戦い」を訴えていることだ。
内部告発の調査を電力会社に「丸投げ」
 佐藤氏は、まるで今日の事態を想定していたかのようである。
「この事故で、強烈な教訓として残ったのは、『国策である原子力発電の第一当事者である国は、安全対策に何の主導権もとらない』という『完全無責任体制』だった」
 この事故というのは、1989年1月6日に発覚した福島第二原発3号機の部品脱落トラブルである。原子炉冷却水再循環ポンプ内にボルトや座金が脱落、それが原子炉内に流入していた。前年暮れから3回も警報が鳴っていたのに東電は事故を隠し続け、1月6日の異常警報でようやく県に報告した。
 佐藤氏は、参院2期を経て、知事に就任2年目のこの事故で、原発が抱える根源的問題を直観、原発や原子力行政を学び、その在り方に批判的になっていく。
 それが頂点に達したのが、2002年8月29日、経済産業省原子力安全・保安院から県に送られてきた18枚のFAXだった。
 そこには、「福島第一・第二原発で、原発の故障やひび割れなどの損傷を隠すため、長年にわたって点検記録をごまかしてきた」と、書かれていた。
 炉心を支えるシュラウドと呼ばれる重要部分の損傷まで隠ぺいしていた事態に、国民は驚き呆れ、東電は平岩外四、那須翔、荒木浩、南直哉の歴代社長が総退陣、恭順の意を示した。だが、佐藤氏が怒ったのはむしろ国の対応である。
 改ざん隠蔽の事実は、内部告発によって明らかとなったが、それを原子力安全・保安院が受け取ったのは00年7月である。
 保安院は立ち入り調査することなく、「こんな告発があるけど」と、東電に紹介、調査は東電に任せて「調査の結果、告発内容と一致しなかった」という東電報告を受けて、口を拭っていた。
「国と東電は同じ穴のムジナだ」と、書く佐藤氏は、2年も放置した国の責任を重く見て、「本丸は国だ。敵を間違えるな」と、県の担当に檄を飛ばしたという。
「佐藤知事のせいで目算が狂った」
 使用済み燃料を再処理して使うプルサーマル計画を含めた核燃料サイクルに批判的な佐藤氏は、そのプルサーマルを推進する資源エネルギー庁と安全を司る原子力・安全保安院が同居、そこに現場の東電など電力会社が加わって「原子力村」を構成、何のチェック機能もない原子力推進体制が出来上がっていることを危惧した。
 事故も隠ぺいも、その体質が生みだしたものだ---。
 従って、事故を機に、原発を点検に合わせて次々に運転停止、東電管内の17基の原発がすべて停止しても、攻撃の手を緩めることはなかった。
 全基停止中の04年12月21日、『朝日新聞』の「私の視点」で、事故への反省もなく、体質改善の努力もなく、専門家が決めたことを押し付け、原子力政策を推進していることを問題点として訴えた。
 05年夏の電力需要期を迎えても、佐藤氏は運転再開のゴーサインを出さなかった。
 『日本経済新聞』(05年6月5日付)が、「運転再開に注文をつける佐藤知事のせいで目算が狂った」と、社説で批判するなど風当たりが強くなるなか、7月10日、ようやく佐藤氏は、東電の勝俣恒久社長と面会、再開を容認した。
 原発行政と東電などに「佐藤批判」が高まるなか、佐藤氏が最後まで許さなかったのは、「譲れない一線を国や関係者が考えてくれなかったからだ」という。
「それは、『事故情報を含む透明性の確保』と、『安全に直結する原子力行政に対する地方の権限確保』である」
「一罰百戒」という検察の思惑
 佐藤氏に対する捜査は、同時期の05年7月に特捜部が捜査着手した水谷建設脱税事件の関連先として始まった。脱税額は約9億円。そのなかには、佐藤氏の実弟が経営するスーツ会社の土地を、水谷建設が相場より約7000万円高い約8億7000万円で購入した件が含まれていた。
 特捜部は、この差額の約7000万円を、木戸ダムを前田建設工業、水谷建設で受注する際の「賄賂」と見立てた。佐藤氏の罪は、実弟の要請を入れ、県に対して「天の声」を発したというものである。
 佐藤氏は、実弟のスーツ会社の経営にタッチしていなかったこと、福島県の公共工事は「天の声」を発する環境になかったこと、などを理由に無罪を主張。だが裁判所は、一度は拘置所内で「天の声」を認める調書にサインをしていることと、実弟に「口利き」の形跡があることなどを理由に有罪とした。
 佐藤氏が原子力行政に、物申していた時、収賄捜査は始まった。そのタイミングの良さに、「国による反原発派知事つぶし」という声があがるのも無理はなかった。
 もちろん特捜部が、「反原発派」だから佐藤氏を狙ったというのはうがち過ぎである。
 安全性に顧慮することなく、地元を含めて国民に「お上のやることだから従え」と強圧的な態度で臨み、事故が起きれば現場(東電など)のせいにして逃げる国(経産省、資源エネルギー庁、原子力安全委員会、原子力安全・保安院)などへの怒りは強いが、佐藤氏は容認派であって反対派ではない。
 むしろ特捜部は、「平成の政商」と呼ばれた水谷功氏の脱税事件を起点に、北朝鮮、中部国際空港、東電など、水谷建設絡みの案件のすべてを家宅捜索するという投網方式で捜査着手、そこに引っかかってきたのが佐藤氏の実弟だった。
 政治家(知事)本人は手を汚さず、親族を含む周辺が、"汚れ仕事"を引き受ける---。収賄罪を避けるために一般化していたこの脱法を乗り越えるために、特捜部は「身分なき共犯」で実弟を逮捕、兄に吐かせて事件を組み立てる、という絵を書き、見事にそれがハマった。
 大阪地検事件までは認められていた「捜査の常道」である。その検察の目に佐藤氏は、「一罰百戒」を与えるのに相応しい政治家であり、検察の威信を見せつけるコマであり、実績をあげる材料だった。
 その思惑のなかで、「収賄意識ゼロ」の首長が逮捕されたが、原発行政に厳しい知事がいなくなったのは、経産省にとっても東電にとってもありがたかっただろう。
 「佐藤不在」が、未曾有の原発事故につながったというつもりはない。ただ、「緑の革命」のなかで原発がクリーンエネルギーとして称揚され、厳しい監視役の不在で気のゆるみが生じていたのだけは、間違いあるまい。

伊藤博敏(いとう・ひろとし)
 ジャーナリスト。1955年福岡県生まれ。東洋大学文学部哲学科卒業。編集プロダクション勤務を経て、1984年よりフリーに。経済事件などの圧倒的な取材力では定評がある。著書に『「カネ儲け」至上主義が陥った「罠」』、『トヨタ・ショック』(井上 久男との共著)、『金融偽装―米国発金融テクニックの崩壊』(いずれも講談社刊)など
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<福島原発>知事在職中に、国の原子力政策に疑問を投げかけていた佐藤栄佐久氏2011-04-08 | 地震/原発
「10基もの原発を有する原発銀座 福島県〜佐藤栄佐久氏〜水谷建設〜検察」(〜小沢一郎氏)2011-03-16 | 地震/原発


特捜部の是非を問わずに終わった「検察の在り方検討会議」/小沢氏と堀江氏の転落

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特捜部の是非を問わずに終わった「検察の在り方検討会議」への不満 厚労省冤罪事件を生んだシナリオ捜査の構造にメスは入れず 
2011年03月31日(木)現代ビジネス「ニュースの深層」 伊藤 博敏
 「3月末までにとりあえずまとめてみた、といった感じの内容で、検察の在り方を問う内容にはなっていません。単なるガス抜き、検討会議の名が泣きます」
 大阪地検特捜部の資料改ざん、犯人隠避事件を機に、法相の私的諮問機関としてスタートした「検察の在り方検討会議」の傍聴を続けてきた司法関係者が、3月31日にまとまった提言に対し、こう不満を漏らす。
 当然だろう。
 提言の柱は、特捜部のチェック体制の強化と取り調べの可視化(録音・録画)の範囲拡大。テクニカルな問題であって、「検察の在り方」、もっといえば「特捜捜査」に対する根源的問題に迫っていない。
ピークだった「金丸事件」
 権力は腐敗する。
 この前提のもとで、中央政界の「永田町」と、官僚機構の「霞が関」のチェック役を担ってきたのが地検特捜部だった。
 自民党長期政権のもとで、「政官業」のトライアングルが強固に出来上がり、放置すればとめどなく腐敗、利権癒着は度し難いものになっていった。
 「ドン」と呼ばれた故・金丸信自民党元副総裁が、金融債や金の延べ棒で、70億円近くを蓄財していたのがいい例で、一度は見逃そうとした検察が、東京国税局の手を借りて、脱税事件に仕上げた時、国民は拍手喝さい、マスコミは検察と一体となって、その構造に切り込んでいった。
 「小沢捜査」もそうである。金丸氏の薫陶を受けた小沢氏に、政治資金を不動産に変える計算高さはあったが、違法の認識はなかった。小沢氏を恐れたのは、その剛腕で「霞が関」を自在に操って、自分たちの権益を奪うのではないかと心配した官僚たちであり、そこには当然、「法務・検察」も含まれた。
 つまり、堀江氏と小沢氏は、その存在を面白く思わない官僚やマスコミといった既得権益層が、同じ価値観を持つ検察と握ったことで、転落が運命づけられた。
 日本の権力構造が、どこにあるかを示した事件であり、『日本権力構造の謎』の著者であるカレン・ヴァン・ウォルフレンは、その名もなきエリート集団による仕掛けを、「画策者なき陰謀」と呼んだ。
「一部可視化」では何も変わらない
 高学歴で共通の価値観を持つエリート集団が、官僚機構、検察・国税といった捜査当局、マスコミ界にいて、「異物」を取り除く。彼らこそ、本当の意味の権力者。彼らにとっては、孫正義、三木谷浩史といった大物ベンチャー経営者も、数年前までは、秩序の側のこちら側に来るか、向こうに落ちるかの要チェック対象だった。
 「法」に基づいて捜査するハズの特捜部が、感情に流され、「堀江の錬金術」「小沢の蓄財術」を、正義や不文律の観点から捜査着手するから検察捜査は歪む。
 そのポピュリズムに自己目的化という要素も加わって、捜査は暴走、厚労省元女性局長の冤罪事件を生んだ。
 つまり特捜部は、国民の側に立っているのか、という根源的なところを問われている。堀江氏の逮捕で新興市場マーケットが大崩れとなり、小沢捜査で民主党の権力機構が大きく変化したことを思えば、特捜部の自己目的化した正義感による捜査には問題が多い。
 検察の在り方を考えるなら、検討会議は「特捜部」の「検察捜査」の意義や意味を問い直すべきではなかったか。
 一部可視化では、検察は何も変わらず、「試案」で「特捜部は廃止する必要はない」との文言が盛り込まれ、それはさすがに、「特捜部の組織の在り方を見直すための検討を行うべき」という言葉に代わったという。
 大阪地検事件は、「国家と検察」の関係を問い直すいいチャンスだった。検察を通じて、日本の権力構造が停滞、活力ある組織や人物を検察が封じるという「負の側面」も見えている。検討会議が「ガス抜きの場」で、特捜部が以前と同じ形で存在するなら、その是非を再度、考える場が必要だろう。 *強調(太字)は、来栖
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◆前田恒彦被告に懲役1年6月の実刑判決/元検事をスケープゴートにして、国民の目を検察組織から逸らす2011-04-13 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
幾度選挙を重ねても日本は変わらないだろう/誰が小沢一郎を殺すのか/死刑弁護人/黒シール事件2011-04-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
前原誠司外相辞任と『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉2011-03-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声/戦争ではないが、この国は間違いなく長期戦の最中にある

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災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声 なぜ政府は現場が活動しやすいように手を打たないのか
JB PRESS 2011.04.14(Thu)藤井源太郎(現役自衛官)
  
 美化することなく、英雄扱いすることなく、感謝も、慰労も求めておりません。ただただ、被災者の安心と被災地の復興のために必要な装備と、活動に対するご理解をいだたきたくて、国民の皆様にお伝え致します。
1.被災地の実情
 多くの被災者は、想像を絶する悲しみや心身の苦痛を伴いながらもなお、冷静さを保って不自由な生活に辛抱されておられます。
 しかしながら、被災地の現実は、きれいごとや美談ばかりではありません。
 被災地では、地震および津波発生以来、避難者の自宅への不法侵入による窃盗や、ドラッグストアやスーパーからの商品窃盗、銀行その他のATMや金庫の破壊および盗難、車両の給油口をバールでこじ開けてのガソリン窃盗なども発生しています。
被災者に生活物資を法外な値段で売りつける輩
 また、地元住民ではない人たちが自警団の目や警察の巡回をかいくぐって窃盗行為を行ったり、東京ナンバーの車両が、避難所周辺でロウソクやガスコンロ・ボンベなどの生活物資を法外な値段で売るような人もいます。
 捜索活動中に、バールなどでこじ開けられた金庫の残骸が多数発見されています。被災地では、マグロやサバ、特にイカの腐敗臭が非常に強くなっています。ご遺体の腐臭もあります。
 1カ月を経過して、今後ますます腐敗臭は強くなります。それは、自衛官の心身のストレスを高め、疲労させます。そして、泥は乾き、ご遺体の捜索、収容作業がますます困難になっています。
 津波の影響で、泥の上にがれきがあったのですが、がれきを撤去しても、その下の泥が日を追うごとに乾いて、ご遺体を隠してしまっているからです。
 一方、沿岸部では、海上自衛隊の掃海隊群が中心となって、ご遺体の捜索が行われています。その主体は、海の中で発見された不発弾や機雷等爆発物の水中処分(Explosive Ordnance Disposal:EOD)を任務とする水中処分員です。
少し力をかけただけでボロボロになる遺体
 こちらも、津波で流された木片や浮遊物といった障害物を除去しながら、捜索しています。特に、3週から5週目の間に、多くのご遺体は海中で膨張するため浮き上がってきます。そのため、地引き網より編み目の細い網で、慎重に収容します。
 少しのテンションでもぼろぼろになるので、丁寧に、丁寧に、棺やご遺体袋へ納めます。
 車から脱出できなかったご遺体や自宅ごと流され家から出られなかったご遺体は、なかなか浮上しませんので、極めて困難な収容作業となっています。
 しかし、このEOD員も、自民党時代から続く連年の人員削減、すなわち部隊の近代化、集約化と称する削減により、隊員数が少ないのです。
 横須賀、呉、佐世保にわずか4個隊(30隻)しかおらず、掃海隊が交代でことに当たっているものの、連日数度の捜索により隊員個々の疲労が蓄積しています。
 それでもなお、「我々は艦艇に戻れば温食、お風呂がある。現地で冷たい食事して、毛布にくるまって寝ている陸・空自の方が大変だ」という他部隊を労(いたわ)る言葉を発してくれます。
 いずれも梅雨が始まり作業が困難になってしまう6月までが勝負と、日々全力で作業に当たっています。
2.相変わらずの装備品不足
 泥濘(ぬかるみ)や水位の高い場所で作業する場合、防水ツナギ(胴付き長靴)を履いて行うのですが、このツナギの靴部分は軽易なゴム製になっており、非常にタイトなため半長靴を履いたままでは履けません。
 そのため、半長靴なしで胴付き長靴を履きます。その結果、がれきが散乱している現場では、釘などが長靴のゴムを貫通して足裏に刺さるという負傷事故が多数発生しています。
ケガをしても抗生物質がない!
 なお、その胴付き長靴すら需品在庫が少ないため、民間から買い上げています。加えて、現場に随行している衛生班には抗生物質が不足しており、十分な衛生が行えておりません。
 原子力災害用では、ヨウ化カリウム剤が不足しています。陸自の福島駐屯地や空自の百里基地に集積されているものの、原子力災害派遣部隊は各部隊1000錠ずつ用意して派遣隊員に持たせることになっています。
 しかし、部隊ごとに製薬会社と調整するため交渉が難航しており、いまだ購入に至っておりません。今後、福島第一原発付近でのご遺体捜索や、がれき等の除去作業を行ううえで、薬剤の不足が予見されます。
 防衛大臣は、中期防衛力整備計画において約1000億円の予備費(安全保障会議の承認を得て支出し得る予備的経費)を持っています。
 その予備費を、今こそ現場が渇望している最低限の装備や薬剤などの購入費として活用することはできないものでしょうか。
私物の携帯電話で連絡を取り合う隊員たち
 自衛隊の行動は編制単位部隊(いわゆる○○中隊や○○隊)毎で行われます。その下に、小隊や分隊、班があります。被災地で活動する場合、中隊長や隊長の指揮の下、小隊に別れて作業を行います。
 部隊間の連絡は野外通信用の携帯無線機を使用するのですが、小隊に1台、分隊にはなしというのが当たり前になっています。
 小隊以下はどのように連絡を取っていると思いますか?
 それは隊員の私物携帯(通信料ももちろん隊員負担)です。電波が通らない所では、伝令を走らせるか大声で呼ぶのです。
 肝心の携帯無線機の周波数帯も、警察、消防、国交省が良いところを押さえているため、防衛省の割り当て区域は、伝播(でんぱ)能力の低い周波数帯です。ちょっとした障害物で電波が届かないとか、この位置から少しずれると電波が入らないということが多いのです。
懐中電灯も自衛隊員の私物
 こういった非常事態の場合においては、実際の活動状況を踏まえたうえで、伝播能力の高い周波数帯の割り当てを再検討して頂きたいです。
 東北の夜は早く、夕方になると暗くなります。その際、懐中電灯やヘッドライトを使用しますが、これもほとんど隊員の私物です。
 官品は、懐中電灯で約30人の小隊で5個程度、ヘッドライトの支給はなし。LEDライトは、100人以上いる各中隊で5個程度。私物用の電池も、隊員が自腹で購入しており、官品補給はありません。
 海上自衛隊や米海軍のほか、民間船による海上輸送も始まりましたが、荷揚げ作業に用いる施設器材が不足しています。
 また、被災地では、がれきと車両などの除去を行っていますが、がれき除去の進捗に比べ、車両などの除去が圧倒的に捗っておりません。陸海空自の築城施設器材を動員して作業に当たっていますが、不足しているからです。
民間の建設機械を貸与してほしい
 クレーンを例に取ると、施設部隊や後方支援部隊に、トラック・クレーン、重装輪回収車、簡易クレーン付き3.5トントラックなどがあります。
 しかし、簡易クレーンは軽量物しか運べませんし、重装輪回収車は重量物を持ち上げられてもその速度は極めて遅いので、やはりトラック・クレーンが適しているのですが、台数がそんなにありません。
 自衛官は大型自動車、トラック・クレーン、玉かけ、フォークリフトなどの免許を持っている隊員が多数おります。
 現場に必要な築城建設器材を、民間から借り上げてでも用意して頂ければ、被災地の方々へ迅速に救援物資を運ぶことができます。
 政府にあっては、是非、防衛省を超えた施設器材等の管理換えを英断して頂きたいです。3.5トントラックも不足しており、現場では高機動車を使用しています。
自衛隊に災害救助の予算はほとんどない
 しかしこの高機動車も問題です。トヨタ自動車が開発した650万円の車両なのですが、雨天時にはメーター類や器材をビニールシートで覆って走行しなければなりません。
 また、頼みのランフラットタイヤもがれきでパンクしやすく、パンクすればわずか40キロ程しか走行できません。
 原子力災害やテロ対策は、空港、港湾警備と同じで、防衛省ではなく、警察の所掌業務であり、警察に予算がついています。
 放射線や放射性物質災害やテロ対策についても、警察と消防に予算がついており、防衛省にはCBRNテロ対策名目で、主に生物、化学兵器対策でしか予算はついていません。
 そのため、放射線防護服や除染車、無人機などの装備は、警察、消防の方が充実しているのです。
放射線防護服も絶対的に不足
 自衛隊の化学防護衣は、化学部隊を除いて、陸自では100人当たり10着程度しか配分されていませんし、海空自についても航空機救難(航空機事故)や基地警備に当たる隊員用にわずかしかありません。
 自衛隊の大型消防車は、消防庁と違い、基地、空港内だけの運用で長距離走行を意図していませんし、20年選手が多く老朽化しているため、フェリー輸送する際船着き場へ着くまでに故障しています。
 自衛隊は戦う組織だから、自衛隊の方が何だか良い装備を持っていると思うのは、幻想にしか過ぎません。
 隊員は、使命感を持って任務の完遂に取り組んでいますが、政府にあっては、現場の隊員個人の努力に頼りすぎず、長期化を見越して現場に必要なものを用意して頂きたいです。
3.10万人体制に問題あり
 極東情勢が緊張している今、国防が「主たる任務」でありながら、「従たる任務」である災害派遣に10万人体制で取り組むことが真に妥当であるか、この疑問は前回皆さまにお伝えいたしました。
 震災後、ロシアや中国は我が国の防衛体制に穴がないか、たびたび確認に来ています。誤解がないように強調したいのですが、10万人すべてが現地へ行っているというわけではありません。被災地にいて実働している人員は陸海空すべてで3万人程度です。
 そのほか、各基地、各駐屯地、市ヶ谷などを含む指揮所、指揮通信システム維持、空輸、陸送、海上輸送、補給要員などを全て含めての10万人体制です。
 戦力投射能力(パワー・プロジェクション・アビリティー)という観点から見ると、災害派遣、原子力災害派遣において早々に10万人体制を確立したことは、他国からの高い評価からも分かる通り、それ自体が抑止力になっています。
10万人体制の結果、交代部隊が確保できない
 ですが、10万人体制の問題は、2つあります。まず交代部隊がほとんど確保できないという点です。
 今、3週間現地勤務して、1週間原隊(げんたい)復帰(休暇)、その後また3週間勤務・・・と、同一部隊、同一隊員が行っています。
 警察や消防は、約1週間ごとに交代していますが、自衛隊では10万人体制維持のため、交代要員が確保しづらい状態になっています。
 これから、今まで以上に酷い光景を見て、匂いを嗅ぐことになります。
 1次派遣中に陸上自衛隊でも死者が出ました。災害派遣中に大量のご遺体を見て、いたたまれなくなっての自殺です。殉職と言ってもいいでしょう。また、50代陸曹長が病死しました。こちらも、殉職と言えます。
陸路で東北と九州を何度も往復する自衛隊員
 同様に、薬の欠かせない持病があるにもかかわらず、災害派遣に押っ取り刀で派遣されたため、薬がなく体調を崩す隊員が出る危険性もあります。
 2番目に、輸送機や輸送トラックが不足しています。空自の輸送機の多くが老朽化し退役しつつあるため、空中給油機なども使用しているのですが、それでも機体が足りません。トラックに関しても、物資とともに隊員も輸送しているため、絶対数が足りません。
 このような状況でも、民航機や民間鉄道を使用させてもらえません(空自の場合、空輸困難な場合に限り一部鉄道利用可能)。
 例えば、宮城県に展開している陸自は西方総監隷下が多いのですが、2日かけてトラックや高機動車で九州の原隊に戻り、6日ほど休んで、また2日かけて陸路被災地へ向かっています。運転する隊員も、作業に当たっています。
 このあたり、10万人体制を政治力で敷いたのですから、予算どうこうではなく、輸送、補給といった、民間力を活用できる点についても政治力を発揮して頂きたいです。
4.装備品は能力に適した使い方を(74式戦車と無人機の例)
 装備品は、能力(性能)に合わない使い方(運用)をしようとすると、現場は混乱し、遊兵(ゆうへい)ができてしまいます。
 提案なのですが、74式戦車は、原発敷地内のがれき除去では無く、投光器(サーチライト)として使用した方が効果的だと思います。
 74式戦車は、砲塔横に脱着可能なアクティブ(自ら発する)式赤外線/白色光投光器が付いています。
 この投光器は、戦車主砲の横に装着するもので、夜間戦闘を可能にするための装置なのですが、白色光線を出すことも可能で、その性能は3000メートル先でも新聞がはっきり読める明るさです。
 このアクティブ式赤外線/白色投光器装着の74式戦車は、1991年2月の長崎県雲仙普賢岳再噴火および溶岩ドーム形成の際は待機のみでしたが、2011年1月の鹿児島県新燃岳(しんもえだけ)噴火の際には、火山活動調査のため、投光器で噴火口を照射しています。
喧伝されたブルドーザーには向かない74式戦車
 同じく鹿児島県桜島についても、投光器で噴火口を照射しています。
 2011年3月21日(月)早朝、74式戦車2両がJヴィレッジに到着しましたが、そのまま待機し続けており、使われておりません。
 ニュースでは、「原発所内がれき除去のため、74式戦車を投入。74式戦車は、放射線や放射性物質への防護能力が高く、ブルドーザーとして使える」と盛んに解説されていました。
 74式戦車の放射線および放射性物質への防護能力とは、以下の3点のことであって、対核兵器戦闘ができるということではありません。
 1に、装甲が厚い。2に、水上走行のために完全気密の作りになっている。3に、車内への空気取り入れ口に活性炭フィルターを装着している。
 カタログデータ上はそうなのですが、装甲が厚いのは一部のみ。老朽化やサビ等により気密性は損なわれています。活性炭では放射性物質を完全に除去できません。また、ブルドーザーとしての能力はほとんどありません。
強力なサーチライトを生かすべし
 今回投入された74式戦車は、「ドーザーアタッチメント」を装着しています。これは、上下可動式であり、戦車自身が隠れる掩体壕を掘り、盛り土するためのものです。走行時に、小さながれきを除去することも、一応可能ではあります。
 しかし、大きな配管や電柱などを除去することはできませんし、横方向などの複雑な動きはできません。
 また、臨時の電源や通信回線が地面上に敷かれているため、それらを断線する危険性もあることから、視界が得られない74式戦車の出番は、恐らくないでしょう。
 それよりもむしろ、窃盗や不法領得が横行しており、電気も通っていない被災地に戦車を各所に配置して、白色光投光器による夜間照明を行った方が、治安の維持に活用できると思います。
 米空軍は、高々度無人偵察機RQ-4Bグローバル・ホーク2機を投入。米陸、海軍は小型垂直離着陸無人偵察機RQ-16タランチュラ・ホークを投入しています。
米軍に頼らず自前の情報収集力を
 平成23年度予算で高々度滞空無人機の調査費が計上され、ノースロップ・グラマン社が熱心に売り込んでいるRQ-4Bから、福島第一原発の凄惨な映像データがもたらされました。
 一方、陸自には、民間でも農薬散布実績のある富士重工業製の遠隔操縦観測システム(FFOS)やイラク復興支援での運用実績のあるヤマハ製無人ヘリコプターシステムが、方面特科隊(昔の砲兵、りゅう弾砲や対艦ミサイルなどを保有)等の観測用として配備されており、すぐに使えます。
 これらの無人機システムを、原発所内や被災地で運用すべきだと思います。我が国における大震災、原子力災害にもかかわらず、同盟国から情報を得ている現状は、やはり問題だと思います。
 それに、「トモダチ作戦」の費用は半分以上が我が国負担になるため、真に必要な点以外で依存しすぎるのは良くありません。
 米軍並みの高精度ではないとはいえ、我が国自身の手で、無人機を運用し情報を得て、爾後の対策に活用することは重要なことだと思います。
 また、被災地での無人機巡回は、74式戦車の投光器とともに、横行している窃盗等の不法行為への抑止力になると思います。
5.隊員の生活例
 5時起床、18時捜索終了、作戦会議やミーティングなどで23時頃就寝。物資輸送については、交代制で夜間も行っています。4日に1度の入浴(片道3時間)。多くの場合、洗濯は入浴を早めに切り上げて行います。
 食事は、ほとんど1日2食です。当初は乾パンばかりだったのが、除々に冷たい缶飯になり、たまに温食が出ます。週に1度の休日は、入浴とほとんど疲れて眠るだけ。
 国家、国民の一大事に派遣される時、最初、士気は高いものです。しかし士気は弓矢と一緒で、最初は勢いよく放たれますが、弓なりに失速するものです。
 士気も日を追うごとに、見たくないものを見て、嗅ぎたくない匂いを嗅いでいると衰えていきます。
 そんな士気が衰えてきた時に、隊員を奮い立たせるのは、堅確な意志を体現した指揮官の姿であり、熱誠を込めた言葉なのです。堅確な意志と熱誠を込めた言葉によって、衰えた士気は振作されます。
 我々自衛官は、国民の皆様から感謝されればもちろん嬉しく思います。ですが、そのためにやっているのではありません。
現場で活動する自衛官のためにお願いしたいこと
 自衛官は国民の生命と財産を守ることが任務であり、使命であり、当たり前のことなのです。また、こういう文章を書く理由は、感謝してほしいのではなく、理解して、活動を支援して頂きたいからです。
 今回の自衛隊災害活動においてさえ、マスコミには心ない発言をしたり、作業をしている隊員に心ない発言を浴びせる方がおります。
 また、周波数割り当てや装備品等、他省庁で持っているものを貸与して頂くといった支援が必要なことを理解して、その気運を高めて頂きたいのです。
 そして、疲労を忘れさせ、士気を奮い立たせる、隊員の心に響く指揮官の意志と態度が必要なのです。隊員の士気を維持し続けているのは、次のような某中隊長の言葉なのです。
 「被災者や行方不明家族のおられる方々が、固唾をのんで見守る中での作業は辛いものがある。しかし、崇高な使命を達成できるのは我々しかいない」
 「現地での作業で見せた諸官の行動は間違っていない。何かあれば、私が責任を取るから、存分に作業に当たってほしい」
 「避難所などで被災者が心身疲労しており、真に必要な救援物資の到着を待っている。被災者に会ったら、何が必要か、何が不足しているか、どうしてほしいか、少しでも情報を取ってこい。ただで帰ってくるな」
.....................
中日春秋
2011年4月15日
 太平洋戦争の末期、米側でマリアナ沖海戦を戦ったのは、スプルアンス率いる第五艦隊。レイテ沖海戦は、ハルゼーが指揮官を務める第三艦隊だ▼こういうと、あたかも二つの艦隊のように思えるが、作家の半藤一利さんによれば、艦隊は一つだけ。使う艦船は同じで、休暇の時期が来ると、司令部と参謀がそっくり入れ替わる交代制をとっていたのだという▼これに対し、日本軍には休暇制度がなかった。半藤さんは言う。<三年半以上の戦争を休暇なしでやるというのは、狂気の沙汰としか考えられません>(江坂彰氏との共著『撤退戦の研究』)▼当然、休暇制度の有無だけで、あの戦争の帰趨(きすう)が決まったわけではない。けれど、長期戦を戦う上で「休む時間」が重要なポイントであることは確かだろう▼福島第一原発で、ぎりぎりの危険な仕事を続けている人たちの疲労が気になる。先日も「作業員の体力、気力は限界に近い」と語る原発作業員の記事を読んだ。被災者救援や、救援に関連するさまざまな分野で休みなく働いている人たちにも同じことはいえる。そして、被災者自身にも▼それどころではない状況も無論、続いている。でも、どうかできる部分では、システムとして、あるいは個人レベルで「休む時間」の確保を意識してほしい。戦争ではないが、この国は、間違いなく長期戦の最中(さなか)にあるのだから。
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福島第一原発:報道をはるかに超える放射能 死を覚悟する自衛官2011-03-18 | 地震/原発
福島第一原発「被曝覚悟で闘う現場作業員たち」2011-04-08 | 地震/原発

「闇サイト事件」死刑回避の理由とは/卑見 下山裁判長の考えのなかに「死刑」は確かに含まれていた

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闇サイト 死刑回避の理由とは
中日新聞【社説】2011年4月15日
 名古屋市内で女性を拉致殺害した闇サイト仲間三人のうち、一審死刑の被告を二審は無期懲役とした。一人はすでに死刑が確定しており、司法の判断が分かれた。死刑の重さをあらためて考えたい。
 ネットの闇サイトで知り合った男三人が、金目的で見ず知らずの女性を拉致。現金やキャッシュカードを奪ったうえ、頭をハンマーで三十回も殴り、ロープで絞殺するという残虐な事件だった。
 名古屋地裁は二人を死刑、自首した一人を無期懲役とした。一人は控訴を取り下げ、すでに死刑が確定。名古屋高裁は「最も重要な役割を果たした(死刑囚と)全く同等にまでみられない」と一審の死刑判決を破棄し、二人とも無期懲役とした。
 死刑の適用について、最高裁が一九八三年に示した「永山基準」に「動機」「被害者の数」など九項目が盛り込まれて以降、残虐で特殊な事件以外は、被害者が複数の場合、死刑判決が出る傾向があった。高裁はそうした判例の流れに沿った判断をしたといえる。
 だが、死刑破棄に十分な説明を尽くしたと言えるだろうか。一、二審とも無期懲役の被告については、殺害行為への関与が低いことや自首などが量刑で考慮されており、一定の理解は得られよう。一方、高裁は「(死刑囚が)主犯で、被告人両名が従属的であったといえるほどの明確かつ重大な差があるとはいえない」と言い、死刑を回避した理由に十分な説得力があるとはいえない。
 極刑を求める被害者の母は「判決は娘の命より被告らの命の方が重いと証明した」とおえつした。プロの裁判官でも判断が分かれたケースだけに、高裁は死刑破棄の理由を、もっと丁寧に説明すべきではなかったか。死刑と無期懲役では天と地ほどの差があり、高裁は死刑を選ばなかった理由の一つとして矯正可能性を強調した。一方、被害者の母は「被告が私の方に向かって頭を下げたのは一回だけ」と話し、反省を一切感じないと明かした。
 死刑のある今の法制度の下でも、究極の刑罰である死刑の選択には格別に慎重でなくてはならない。市民感覚を反映させるため裁判員制度がスタートした。昨年十一月には横浜地裁で裁判員裁判としては初めて、男性二人を殺害し遺体を捨てた被告に死刑判決が出された。今後も市民が死刑選択の是非を迫られる場面もありえるだけに、死刑の重さはわれわれみんなの課題だ。
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闇サイト殺人事件 2審判決〈2011/4/12 下山保男裁判長 言渡し〉【判決理由】のうち「量刑判断」〈中日新聞2011/4/13Wed.〉
▽量刑判断
 原判決の量刑判断は以下の点で是認できない。
 インターネットを通じて知り合った素性を知らない者同士の犯罪の場合、意思疎通の不十分さから、失敗に終りやすい側面もある。殺害の方法や時期、死体遺棄の方法などは事前に決められていないなど計画は綿密でなく、その結果として、被害者が告げた暗証番号が正確なものであることを確認しないまま、最終目的である預金の引き出しは失敗していることに照らすと、犯行がさほど巧妙であったとはいえない。原判決がいうほどに、犯罪の巧妙化につながりやすいとは一概にはいえない。
 本件は、川岸被告が共犯者2人への不満等の感情もあって、自首した。素性を知らない者同士の結束力の乏しさが早期の検挙を招いたともいえ、模倣性が高いとも一概にいえない。他の強盗殺人等の事案と比べ、特に厳罰をもって臨む必要性が高いとする原判決は相当でない。
 神田司死刑囚が計画段階でも殺害の実行行為でも最も重要な役割を果たしたという点は原判決が示す通りである。堀、川岸両被告は拉致した女性を最終的に殺害するという神田死刑囚の提案に安易に応じた側面があり、殺害の共謀成立前から殺害という明確な意思を有していたとはいえない。両被告が殺害で果たした役割には、神田死刑囚と差があることは否定できない。川岸被告が他の2人より関与の度合いが低く、犯行後に自首した点は、量刑にあたり相応の評価がされるべきだ。
 両被告は犯罪に対する抵抗感が稀薄であることは否定できないが、本件のほかに凶悪犯罪への傾向を示すものが見当たらないことに照らせば、犯罪性向が強いとはいえず、矯正可能性もあると考えられる。殺害された被害者が一人である本件において、死刑の選択がやむを得ないといえるほど他の量刑要素が悪質であるとは断じ難く、死刑に処することには躊躇がある。
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〈来栖の独白〉
 闇サイト殺人事件2審判決(2011/4/12)について、少しく卑見を述べてみたい。
 そのまえに、(上掲)社説子の言われる「市民感覚を反映させるため裁判員制度がスタートした。」との文脈であるが、裁判員法1条は裁判員裁判の目的を「国民の理解の増進と信頼の向上」と定めており、社説子や最高裁、法務省の言う「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない。裁判員裁判の目的が「国民の理解の増進と信頼の向上」である以上、それはすでに相当程度、達せられたのでは、とも思う。

・卑見 闇サイト殺人事件2審判決に思う
1、名古屋高裁 下山裁判長の考えのなかに、「死刑」は確かに含まれていた
 判決前に争点と目されたのは川岸被告の自首がもたらす量刑への反映であったが、判決が出てみると、「堀、川岸両被告とも無期懲役でよいのか」というところに移ったような感じを私は受けた。「2人とも」(全員)無期懲役でいいのか、という量刑に対する不服である。自首についての議論は忘れられた。置き去りにされた。
 あくまでも私の感想であるが、そもそも下山裁判長は、本事件において死刑判決が出なくてよい、とは考えておられないのではないか。量刑判断で次のように言っている。
 “神田司死刑囚が計画段階でも殺害の実行行為でも最も重要な役割を果たしたという点は原判決が示す通りである。”“両被告が殺害で果たした役割には、神田死刑囚と差があることは否定できない。川岸被告が他の2人より関与の度合いが低く”
 神田死刑囚は控訴を取下げて死刑が確定しているため、下山裁判長が控訴審で量刑を言渡すことはなかったが、もし未決で在廷していたなら、下山裁判長は死刑を宣告したのではないか。宣告したに違いない。無期懲役を言渡した2被告と神田氏(被告)との罪の重さの違いをあれほど明瞭に区別して(説明して)みせたのだから。言渡しこそなかったけれど、2審下山裁判長の考えのなかに、「死刑」は確かに含まれていた。
2、被害者感情・厳罰化
 「永山基準」と言われるものから世間一般が受け止めているイメージにも私は違和感をもっているが、それとは別に、被害死者1名という本事件で3名に死刑を下すとすれば、今や世論の如くになった被害者感情と厳罰化の潮流に押し流されたというほかないように思う。そういった世論、厳罰化をそのまま描き出したのが、先月3月10日の最高裁判決であった。木曽川長良川リンチ殺人事件である。少年事件であったが、最高裁は3被告全員に対して死刑を言い渡した。
 上告棄却という「司法」判断を受けてマスコミは「行政官」となり、更生可能性はなくなったとして3被告の実名報道に踏み切った。中日新聞はそうではなかったが。
 闇サイト殺人事件の被害者遺族が堀・川岸両被告の無期懲役判決に無念な気持ちは、鈍い私にも分からないではない。けれど、刑事司法は被害者のためにあるのではない。被害者自身による報復や、被害者個人の損害回復のための制度ではなく、犯罪を抑止することと同時に犯罪を犯した人の改善更生を実現することを目的としている。 
 刑事司法への被害者参加について、ジャーナリストの菊池歩氏は、【「公益」色あせる検察 光市母子殺害事件と被害者の存在感の高まり】のなかで、次のように言う。 
“この10年間、刑事司法での被害者の存在感は高まり、検察官の職域に被害者が同席するようになってきた。2000年に成立した犯罪被害者2法で被害者の意見陳述権が認められた。2004年には刑法、刑訴法が改正されて重大犯罪の法定刑が重くなり、公訴時効が長くなった。同時に制定された犯罪被害者基本法を受けて司法への「被害者参加」が計画され、2007年の法改正によって被害者が検察官の横に座って被告人に質問したり証人尋問したりすることができるようになった。
 ところが、こうした被害者参加については検察を含む司法当局内からも歓迎の声が少ない。「本来、そういうものではない。世論の力に押された」「被害者参加を強く求める被害者の人たちの声が一時期非常に高まったのが大きい。本当はどうかと思う。導入の流れが決まった後になって、被害者の人たちも含めて慎重論が急に出てきたのだが、遅すぎた」という声が漏れてくるのである。
 被害者運動が、厳罰に偏りすぎているという声が検察幹部から聞こえてくることすらある。”
3、永山基準
 いわゆる「永山基準」の理念は「『死刑にするなら』、それ相応の理由がないといけませんよ」というものだが、世間が受け止めている理解は、「『死刑でないなら』、それ相応の理由がないといけませんよ」と転倒してしまったようだ。この辺り様子を「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法 光市事件最高裁判決の踏み出したもの」から見てみたい。
“ 光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べていますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでしょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
 ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。このように、死刑の適用の是非を、こういう政策的な問題にしてしまうこと自体、最高裁そのものが質的に堕落してしまったというか、機能不全現象を起こしているんですね。ですから第三小法廷の裁判官たちは、被告人を死刑か無期か翻弄することについて、おそらく、何らの精神的な痛痒さえ感じることなく、もっぱら、政治的な必要性、思惑と言っていいのでしょうが、そのようなことから無期を死刑にひっくり返したんだと思います。悪口ばっかりになってしまうんですけど。”
4、矯正可能性
 高裁下山裁判長は死刑を選択しなかった理由の一つとして「本件のほかに凶悪犯罪への傾向を示すものが見当たらないことに照らせば、犯罪性向が強いとはいえず、矯正可能性もあると考えられる」と言う。
 「矯正可能性」或いは「更生」といった言葉は、死刑か否かの選択を迫られる事案でしばしば語られてきた。
 極めて個人的な考えかもしれないけれど、死刑か否かの選択に矯正(更生)可能性の有無は関連ないと私は思う。人の命というものは、如何なる理由があれ、人為的に絶ってよいものではないと考えるし、更生は本人だけの力で出来るものではないとも考えるからだ。
 更生可能性の鍵は、実は罪を犯した彼の側ではなく、社会(周囲の人間)が握っているのではないだろうか。
 更生の可能性というが、誰一人自分を信じてくれる人がいない地平では、人は更生などできぬのではないか。人間らしい信頼のなかに置かれずして、果たして人間らしく生きてゆけるだろうか。
 勝田清孝は、その昔、少年事件によって少年院送致となった。6ヶ月の院生活であったが、退院後の人生は苦渋を極めた。職場において盗難事件があれば、一番に彼が疑われた。殺人事件が起きたときも、然りであった。いかに努力しても、少年院上がりのレッテルの故に信頼関係は築けなかった。人の心(信頼)を得られず、代替として物欲に走った彼は、取り返しのつかない大きな罪を犯し、死刑囚となってしまった。人の更生を阻害する要因は社会にあったのではないか、とすら私は考えてしまう。
 松原泰道師は、この世を障子に譬えて云われる(勝田事件に観る「更生」)。
 “障子の枠は、見たところ一つひとつの枠ですが、この枠をひとつくださいといって切り取ってしまったらどうなるでしょう。ばらばらになってしまいますね。ひとつの枠があるためには、前後左右の網の目のようにつながった枠があり、その中にひとつの目や枠ができている。ひとつの目や枠があるためには、まわりに無数の目や枠がなければなりません。互いに関連しあって世の中というものができている”と。
 過ちを犯した者を許したり、この社会に自由に置いたりすることの不安は、確かに強い。
 しかし、人を根こそぎ否定し排除することで希望的な社会が現れるだろうか。死刑に支えられる社会・・・何やら不確かで、安全も幸福も想像しにくい。
5、一つの場にしか
 闇サイト殺人事件の被害者遺族の方の悲痛な思いは、誰にも実感できないものだろう。私が今こうして、こんなものを書いているこの時も、遺族の方は、これ以上ない苦しみを苦しんでいらっしゃる。
 僧侶の瀬戸内寂聴さんは、「この世は無常なのです」と言われる。あれほど燃えた憎しみだって、やがては薄まるのです、と。そんな言葉も、憎しみを保有する本人でないからこそ、言える言葉だろう。
 人は一つの場にしか立てないものだ。
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少年事件:石巻3人殺傷事件/名古屋アベック殺人事件:更生可能性の鍵は社会の側に2010-11-24 
木曽川・長良川リンチ殺人事件「少年法が求める配慮の必要性から、中日新聞は3被告を匿名で報道します」2011-03-11 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 なぜ匿名報道か「更生になお配慮必要」2011/03/11中日新聞朝刊1面
 本紙は連続リンチ殺人事件で、事件当時18、19歳だった3被告の逮捕段階から、本人を特定できるような記事や写真の掲載を禁じた少年法61条の趣旨を尊重し、匿名で報じてきました。
 61条は、少年の更生や社会復帰の妨げにならないよう社会に配慮を求めた規定です。表現の自由との関係で罰則はなく、社会の自主的な規制に委ねているとされます。
 報道は実名を原則とし、重大事件の加害者の氏名は社会の正当な関心事です。人命を奪う究極の国家権力の行使が、誰に対してなされるのかも曖昧にはできません。
 3被告の死刑が確定すれば、更生する可能性が事実上なくなったとみなせます。
 死刑判決が覆る可能性もほとんどないことから、実名への切り替えも議論しました。
 しかし、この段階で更生に配慮する必要はないと言い切れるか、との疑問はぬぐえません。
 3被告との面会や書簡のやりとりから内心の変化もうかがえます。死刑執行時まで罪に向き合う日々が残されています。
 本紙は、実名報道の目的、意義を踏まえても、現時点では、少年法が求める配慮の必要性はなお消えていないと判断し、これまで通り3被告を匿名で報道します。(東京本社社会部長・大場司)
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 「解説」 刑罰と少年法理念
 元少年3人を死刑とした10日の最高裁判決が、被告が少年である点に言及したのはわずか1箇所、「くむべき事情」の一つとして「いずれも少年だった」と触れただけだった。成人被告に対する判決と、ほとんど変わるところのない判決は、年齢は特段重視すべき事情ではないとの考え方をあらためて示したとも言える。
 死刑判決された少年事件で、最高裁の判断の分岐点となったのは、1、2審の無期懲役判決を疑問視し、審理を差し戻した山口県光市母子殺害事件の上告審(2006年)だ。
 この判決は被告が18歳になったばかりだったことについて「罪の重大性などと比べ総合判断する上での1事情にとどまる」と指摘。今回もこの枠組みを踏まえ、犯行自体の悪質さを重視し、極刑以外の選択肢はないと判断した。
 今回の判決は、09年に裁判員裁判が始まって以来、重大な少年事件で最高裁が初めて判断を示す場でもあった。にもかかわらず、更生の可能性をどう検討したのか、まったく触れなかった点には疑問が残る。
 凶悪事件を起こした少年にも更生を重んじる少年法の理念は生かされなければならない。死刑という究極の刑罰を選択したのだからこそ、犯罪の重大さとこの理念をどう判断したのか明示してほしかった。(東京本社社会部・小嶋友美)
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中日新聞2011年3月11日 朝刊
 元少年3人の死刑確定へ 連続リンチ殺人、最高裁が上告棄却
 愛知、岐阜、大阪の3府県で1994年、11日間に男性4人が殺害された連続リンチ殺人事件で、強盗殺人罪などに問われ、二審で死刑とされた犯行時18〜19歳の元少年3被告=いずれも(35)=の上告審判決で、最高裁第1小法廷は10日、「短期間に4人の青年の命を次々と奪った結果は重大。少年だったことなどを考慮しても死刑はやむを得ない」として被告側の上告を棄却した。3被告の死刑が確定する。
 少年事件の死刑確定は、千葉県市川市で一家4人を殺害して強盗殺人などの罪に問われた元少年=犯行時(19)=以来、10年ぶり。最高裁に記録が残る66年以降、10件目だが、一度に複数の死刑確定は初めて。
 3被告は、リーダー格で愛知県一宮市生まれの被告=同(19)=と大阪府松原市生まれの被告=同(19)、大阪市西成区生まれの被告=同(18)。桜井龍子(りゅうこ)裁判長は「無抵抗の被害者に執拗(しつよう)な集団暴行を加え、処置に困って殺害した理不尽な動機に酌量の余地はない」と指摘した。判決は裁判官5人の一致した判断。
 役割については、リーダー格の被告と松原市生まれの被告が主導的な立場で、もう一人も「犯行に積極的、主体的に関わっており、従属的だったとは言えない」と認定。「犯行が場当たり的だったことや、犯行時少年だったことなどを最大限考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。
 2001年の一審名古屋地裁は、リーダー格以外は「追従的立場だった」と無期懲役の判決。05年の二審名古屋高裁は「被告間の役割に差異はない」として一審を破棄し、3人全員を死刑とした。
 上告審判決について被告の弁護人らは「結果重視で、少年事件の特質にほとんど触れていない」と批判し、訂正申し立てをする考えを示した。
<判決の認定事実>
 ▽大阪事件 1994年9月28日、大阪市内で通りがかりの無職林正英さん=当時(26)=をビルに連れ込んで暴行し、絞殺。翌日、遺体を高知県の山中に遺棄した。
 ▽木曽川事件 同10月6日夜、愛知県稲沢市で、主犯格の被告の知人だった建設作業員岡田五輪和(さわと)さん=同(22)=に暴行。瀕死(ひんし)の状態で7日未明、同県尾西市(現一宮市)の木曽川河川敷に放置し、殺害した。
▽長良川事件 同7日夜、稲沢市内のボウリング場に居合わせた会社員渡辺勝利さん=同(20)=とアルバイト江崎正史さん=同(19)=を車内に連れ込んで監禁し、現金を強奪。岐阜県輪之内町の長良川河川敷で、金属製パイプで殴るなどして殺害した。
 罪と向き合い 償いの日々 3被告、文通や面会で胸中
 償いきれない罪と更生の道。3人の被告は記者との文通や面会で罪と向き合う胸の内を明かしていた。
 「お仕事の中で私たちのことを話してください。それが反面教師としての償いの道ですから」。主犯格の愛知県一宮市生まれの被告(35)は2月に寄せた手紙で思いをつづった。
 幼少時に母が病死、養母に虐待された。小学校の担任に教室で起きた盗難で犯人扱いされ、大人への不信を深めた。非行や罪を重ね、4人の命を奪って拘置所へ。絶望していた被告はキリスト教に救いを求めた。「聖書を教えてほしい」とミニコミ誌に投稿した縁で1998年秋、後に「おかん」と呼ぶようになる女性と出会う。凍った心が溶け出し、多くの受刑者らと文通を始めた。元暴力団の無期懲役囚には聖書を送って更生を決意させた。非行を重ねる中学生に「俺のようになるな」と立ち直りを促した。遺族への謝罪に悩み続け、体調も崩した。それでも、一昨年に初めて被害者の兄との面会がかない、「死刑ではなく生きて償え」と言われて泣いた。
 「自分がやったことですから、判決については覚悟しています」。2月に記者と面会した大阪府松原市生まれの被告(35)は、こう語った。死刑の確定を望む遺族からは見舞金の受け取りを拒まれているが、一部の遺族とは面会を続けた。今年に入り、稲沢市内の寺に便箋に記した般若心経の写経5千枚を納めた。拘置所で9年かけて書き上げたという。
 大阪市生まれの被告(35)は2審で3人に死刑が下され、罪に大差がないと判断されたことを不服に思っていた。3月に記者と面会した際、「『争う』のではなく、真実を求めたい。1審の『従犯』が2審では『大差ない』。どれだけ慎重に判断したといえるのか」と話した。(佐藤直子、福田要)
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≪核心≫揺らぐ更生の理念
 犯行時18〜19歳の元少年3人を死刑とした10日の最高裁判決の底流には、少年犯罪に厳しく、被害者の立場を重んじるようになったこの10年余の世論の変化と法改正がある。少年の更生を理念に置く少年法の存在感は薄らぐばかりで、懸念も広がる。(東京本社社会部・小嶋友美)
少年法影薄く進む厳罰化
■悪質
 「何といっても『罪質』なんだ」
 少年であっても凶悪事件には厳罰で臨む姿勢をあらためて示した最高裁判決に、ベテラン刑事裁判官たちは口をそろせた。
 罪質は犯罪の性質、つまり、何を目的に、どういう被害者に、どのような行為に及んだのか。死刑選択の指標を挙げた「永山基準」の9項目の1つだ。
 今回の事件で元少年らは、通りかかった男性を裸で監禁して集団で暴行し、処置に困って殺害したり、口論になった遊び仲間をビール瓶や金属パイプで7時間にわたって殴り続けた。犯行の悪質さを認めつつも、1審では裁判官3人中2人が死刑を避けたのは、役割の軽重や更生の可能性をくんだためだった。そもそも、少年への死刑に抑制的だったようにもみえる。
 しかし、第2審の高裁と今回の最高裁は、年齢や構成可能性は判断の1要素でしかないと位置付けた。
■世論
 背景には、相次ぐ少年の凶悪事件や犯罪被害者への関心の高まりを受けた厳罰化の流れがある。2001年には改正少年法で刑事罰の対象年齢が引き下げられ、05年の刑法改正で重罰化が進んだ。死刑制度に対する世論も、容認派が04年には8割を超えた。
 05年、最高裁が市民と裁判官に行った調査では、殺人事件の被告が少年であった場合、成年より刑を「重くする」と答えた市民が25%を越えた。一方、裁判官で「重くする」はゼロで、逆に9割が「軽くする」。“市民感覚”との隔たりを、裁判所は意識せざるを得なかった。
 09年に始まった裁判員裁判では、仙台地裁が昨年11月、18歳の少年が2人を刺殺し、1人に重傷を負わせた事件で死刑判決を言い渡している。
 これまでの量刑感覚では無期懲役が相当との見方もある中、裁判員の1人は判決後に「人の命を奪う重い罪には、大人と同様の判断をすべきだ」と断じた。
「集団」の特性 判断示さず
■未熟
 「少年であっても死刑は免れないという世の中の考え方は、もはや揺るぎないようにみえる。国民の声を無視し、裁判に『少年法の理念』を持ち出すわけにはいかない」とある刑事裁判官は漏らす。
 これに対し、元東京高裁判事の原田国男・慶応大法科大学院客員教授は「少年法がある以上、少年であることは有利な事情として考えなければいけない。少年法の理念を、裁判員にもよく理解してもらわなければ」と強調する。石塚伸一・龍谷大法科大学院教授は「残虐性は未熟さによるもの。行為の残虐さを重視すれば、未熟さによって刑が重くなることになってしまう」と懸念。「最高裁は、少年の集団事件という特性について何ら判断を示していない」と批判した。

そこは?死の灰?が降る戦場だった/もたれ合い原発ムラの科学者たちはテレビに出るのではなく、現場へ行け

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「そこは?死の灰?が降る戦場だった」作業員が語る福島第一原発の内部!
現代ビジネス 2011年04月16日(土)フライデー 経済の死角
 手前が、最も損傷の激しい3号機。鉄筋がぐにゃぐにゃに曲がっている。後方の4号機も、3月15日と16日に大きな火災を起こしている 
「作業中は、白煙が絶え間なく出ていた2号機が爆発するのではと不安だった」「お前ら、死ね」と言い放った元請け会社社員、10人に1人しか渡されない放射線測量計、そして通常の1万倍の被曝量!
「原発内部で私が目の当たりにしたのは、想像を絶する凄まじい現実です」
 福島第一原発で働き始めて7年になるという30代の男性A氏は、同所で受けた衝撃を抑えられない様子で語った。
「『何だこれは・・・』と、言葉を失いました。テレビでも福島第一原発の映像を流していますが、ひどさはあんなものではありません。水素爆発を起こした1号機や3、4号機の鉄筋はぐにゃりと曲がり、まるで爆撃を受けたようです。鉄筋の直径は20cm近くもあります。
 そんな太い鉄の棒が何十本も飴細工のように曲がってしまうほど、爆発の威力が凄まじかったのでしょう。地上もひどい状況です。1号機近くには原発内の移動用のバス停があるのですが、その前には高さ10mはあると思われる重油タンクが吹き飛ばされ、黒焦げになって道を塞いでいました。
 地面を覆っていたのは、瓦礫ばかりではありません。津波で押し流されてきた魚の無数の死骸が、散乱しているのです」
 A氏は福島第一原発で電気設備関係の仕事に従事する、東京電力(以下、東電)の協力会社の中堅作業員だ。3月11日に起きた東日本大震災の影響で一時福島県外に避難したが、上司の要請で再び福島第一原発に戻って来たという。
 東電や政府が限定的な発表しかしないため、福島第一原発内部の詳しい状況はいまだに不明のままである。一体、原発では何が起きているのか。A氏の証言から、その驚愕の事実を明らかにしよう。
「私が福島第一原発に戻ったのは、3月25日の午前中でした。数日前に上司から電話で『また作業をしてくれないか』と言われ、それを受けたのです。放射性物質の濃度が高く、とても危険な状況にあることは報道で知っていました。でも私たち作業員が行かなければ、原発の状況は悪化するばかりです。私には、妻も子供もいます。家族に相談すれば反対されるのは明らかだったので、妻には『今度は福島県広野町の火力発電所に行くよ』と嘘をついて安心させました」
 A氏は3月25日の朝、まず避難先の埼玉県から自分の車で福島県へ向かった。指定された集合場所に行くと、20人ほどの作業員が集まっている。バス2台に分乗してA氏らが次に向かったのは、原発事故対応の前線基地となっている日本最大のサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県双葉郡楢葉(ならは)町)だ。だが、そこでA氏は思いもよらない扱いを受ける。
「Jヴィレッジで作業員は元請けの企業ごとにバスを乗り換えるのですが、私の親会社である大手電機メーカーの社員の態度はひどく高圧的でした。私たちが到着するなり、『今来た人たちは東電? 東芝? 日立?』と乱暴な口調で詰問するのです。啞然としていると、彼は『さっさと防護服に着替えて!』とまくし立ててきます。
 さすがに腹が立って、私は彼に詰め寄りました。『これから危険な場所に行く人間に対し、その態度はないんじゃないですか。どのバスに乗ればいいのか知りたいのは俺たちなんだから、もっと言い方があるでしょう』と。すると彼は謝るどころか無言で歩いて数mほど離れたかと思うと、こう言い放ったんです。 『悪かったな。お前ら、死ね!』
 被曝覚悟で仕事にあたる作業員に対し、この暴言は許せません。私たちは『こんな屈辱を受けてまで危険にさらされたくない』と、そのまま乗ってきたバスで帰ろうとしました。すると暴言を吐いた社員の上司が飛んできて、『帰られては、今後の作業員の動員に支障をきたす。何とか残ってください』と何度も謝ります。
 暴言社員も上司に『来てくれた人に対して何を考えているんだ、慎め!』と激しく叱責され謝罪したので、私たちは帰ることを思いとどまり、元請け会社の用意したバスに乗り込んだんです」
「すぐに首を拭いて!」
 バスが福島第一原発から20km圏内にある富岡町に入った時点で、A氏たちはフィルター付きマスクを着用。福島第一原発に到着すると、さっそく機材を用意して、元請け会社の指示通りに1号機へ向かった。そこで見たあまりの惨状に、A氏は我が目を疑ったという。
「見慣れた福島第一原発の様相は、半月ぶりに訪れると一変していました・・・。敷地内の重油タンクは津波のために大きく凹み、4号機近くにあった重量200tのクレーン車も踏み潰されたようにぐしゃぐしゃに壊れていたんです。戦場のような光景です。周囲には消防車が不規則に停まり、散在したホースが行く手を遮っています。1号機へ向かうにも、大きく迂回せざるを得ませんでした」
 ようやく作業に取り掛かったA氏だが、妙なことに気づく。パラパラと、白い小さな物体が降り注いでいるのだ。
「最初は雪かなと思いましたが、よく見ると灰なんです。2号機からは絶えず白煙が上がっていたので、中で何かが燃え続けていたのでしょう。雪と勘違いしたのは、放射線量の強烈に高い2号機からの粉塵だったのかもしれません。まさに ?死の灰?です。もしマスクをしないで作業をしていたら・・・。考えただけで、背筋が寒くなります」
 高濃度の放射線の中では、長時間の作業はできない。A氏たちは20~30分ほどで仕事を切り上げ、「免震棟(めんしんとう)」と呼ばれる、耐震機能が強化され放射線を遮る特別な素材で覆われた敷地内の建物へ、昼前に引き上げた。建物の中に入り防護服を脱ぐと、一人ひとりの作業中の被曝量を計測するのだが、A氏はそこで自分が大量の放射線を浴びていたことを知る。
「私の防護服は、首回りの部分が完全には閉まらない状態でした。他の作業員はテープを巻いていましたが、私はそうした補強もしなかったんです。それがいけなかったのでしょう。免震棟に戻り放射線量をチェックした保護官が、計測器に表示された数値を見て慌てて叫ぶんです。『アルコールで湿らせたタオルで、すぐに首を拭いてください!』
 私は『被曝してしまったのか』とパニック状態になり、言われるがままに、その特別なタオルでごしごしと首を拭きました。直後に保護官が計測し直すと、どうやら問題なかったようで『数値は下がりました』とホッとしていましたが、私は安心できるはずがありません。身体が汚染されてしまったのではないかと、今でも不安でならないのです」
 A氏の知り合いの作業員の中には、3号機のタービン建屋近くのマンホールを開けるために、4ミリシーベルトの放射線を浴びた人がいる。わずか4分ほどの作業だったという。A氏が昨年1年間で浴びた放射線量は、約0・03ミリシーベルト。この作業員の4ミリシーベルトという被曝量は、昨年150日ほど働いたA氏の1日あたりの被曝量、いわば通常の被曝量の1万倍以上になるのだ。
日当40万円はありえない
 それほど危険な状況での作業にもかかわらず、東電の対応は、かなりズサンなものだった。
「普段は、『APD』と呼ばれる警報付き放射線測量計の携帯が全員に義務づけられているのですが、今回は違いました。何と、10人に1人しかAPDを渡されないんです。担当者は『数が足りない』の一点張り。1m離れていれば、放射線量がまったく違うような現場です。自分たちがどれほどの放射線を浴びているのか分からず、私たちは不安にかられながら作業を続けていました。しかもAPDは設定された放射線量を超えると警報が鳴る仕組みになっているのですが、その設定値が通常なら0・03ミリシーベルトなのに、今回は2.5ミリシーベルトだったんです。明らかにおかしい。
 1日目の作業を終え、私たちは免震棟で支給された弁当を食べましたが、気が気ではありません。『東電は、俺たちの被曝量をごまかしているんじゃないか』『本当は測定できないほど大量の放射線が出ているのかもしれない』。作業員はみな不安を口にし、表情は曇っていました」
 作業を終えたA氏らは、夕方、バスでJヴィレッジに戻る。そして周囲の温泉旅館などに分かれ、大部屋で数人ごとに宿泊。翌日は早朝5時に出発し、前日同様午前中に20~30分ほど作業に当たった。
「仕事は2日間の予定でしたが、機材などの調達が遅れ元請け会社の所長に『もう1日だけお願いします』と頼まれたため、結局3月27日まで福島第一原発にいました。東電の社員も現場にいましたが、作業員任せで特に指示はありません。私たちは淡々と仕事をこなしていました。
 私たち作業員の詰め所になっていた免震棟にはテレビがあり、枝野幸男官房長官が『原発は安全だ』と繰り返しているのを聞きましたが、『何を言っているんだ』という気分でしたね。原発内の凄まじい現状を知らないのに、よく安易に『安全だ』なんて言えるものだと。
 免震棟には500人ほどの作業員がいましたが、過酷な労働環境と被曝への不安から、みんな疲弊していました。廊下にも人が溢れ、作業を終えるとJヴィレッジへのバスを待つ数時間、疲れた顔をして無言で座っているんです。一部では『震災後の作業員は日当40万円で雇われている』という報道がありましたが、私の知る限りそんな契約で来た人はいません。私の日当は1万5000円ほどですが、元請け先からは『いつもと変わらないように請求してください』と言われています」
 東京の「安全な」会見場で福島第一原発の状況を発表している政府や東電幹部は、A氏の明かす「原発内部の惨状」をどう受け止めるのだろうか。これほど危険な状況で作業に従事しながら、A氏は「要請されれば、また福島第一原発に戻ります。私たちの他に誰もやる人はいませんから」と力強く語った。
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災害派遣の自衛隊員死亡=宿営テントで倒れる―陸自 
時事通信社 4月15日(金)17時47分配信    陸上自衛隊は15日、東日本大震災で災害派遣中だった八戸駐屯地(青森県八戸市)第9施設大隊に所属する40代の男性1曹が岩手県遠野市の宿営地で倒れ、同日未明に搬送先の病院で死亡したと発表した。今回、災害派遣された自衛隊員の死亡は2人目。防衛省は同日付で、1曹を曹長に特別昇任させた。
 陸自によると、1曹は地震が発生した3月11日から遠野市に派遣され、重機や車両の配備調整任務に当たっていたが、4月10日午後11時半ごろ、宿営テント内で倒れているのを同僚が発見。盛岡市の救命救急センターに運ばれた後、脳出血で死亡した。
 1曹は派遣期間中、休日を9日取っており、6日の健康診断では公務継続に支障はないと診断されていたという。
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災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声/戦争ではないが、この国は間違いなく長期戦の最中にある2011-04-14
福島第一原発:報道をはるかに超える放射能 死を覚悟する自衛官2011-03-18
福島第一原発「被曝覚悟で闘う現場作業員たち」2011-04-08 | 地震/原発 
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そんなに「安全」と言うのなら、テレビに出るのではなく原発ムラの科学者たちは現場へ行け! 君たちにも責任があるだろ
2011年04月15日(金) 週刊現代 経済の死角
 自分たちでさんざん安全だと言って作っておいて、いざ壊れたら今度は「それでもたいしたことないから大丈夫です」って、どういう神経なのか。御託はもういいからあの「化け物」を止めて来てくれ。
東電から東大に5億円の寄付
「原子力安全・保安院」に「原子力安全委員会」と「原子力委員会」、さらに連日のようにテレビに登場する科学者たち。
 しかし、会見やテレビでの彼らの解説を聞くと、どうしても違和感が拭えない。「ただちに健康に影響はない」と連呼しているのに、日々伝わってくる原発の状況は、好転の兆しが一向に見えないからだ。現にチェルノブイリ原発事故の影響について調査しているロシアの科学者アレクセイ・ヤブロコフ博士は、ワシントンで会見して、こう語っている。
「日本政府は、国民に対して放射能被害を過小評価している」
 こんな発言と、我々がテレビで聞く話には雲泥の差がある。たとえば、NHKに出ずっぱり状態の関村直人東京大学大学院工学系研究科教授。
「燃料のごく一部が溶けて漏れ出たと思われるが、原子炉はすでに停止しているうえ、冷やされている状況だ。冷静な対応を」
「炉心溶融(メルトダウン)はありえない」
「冷却水が漏れている可能性は低い」
 最近、メディアへの登場回数が増えている中島健京大原子炉実験所教授は、何を聞かれても「まず、大丈夫でしょう」と繰り返し、プルトニウムの漏出についても「プルトニウムは重いので、遠くまで飛ばないから安全」と語っていた。
 ところが、その後の原発の状況は、彼らの発言のほとんどが楽観的な願望に過ぎなかったことを証明した。なぜ、そんなことが起きるのか。それは、彼らが原子力政策を支持・推進する「原発ムラ」の住人だからである。
 関村教授は、経産省の原子炉安全小委員会の委員を務めるなど、経産省との関わりも深い。同時に関村教授が所属する東大大学院工学系研究科には、東電から「寄付講座」名目で約10年にわたり合計5億円ほどのカネが流れている。東大にとって、東電は大スポンサーなのだ。中島教授も関村教授とともに核燃料サイクル安全小委員会の委員を務めたり、文科省の原子力安全技術アドバイザーをしていた。
「原子力分野では、東大工学部と東工大原子炉工学研究所、京大原子炉実験所の科学者たちが3大勢力です。京大には原発の危険性を訴えている研究者グループもいますが、彼らは昇進やポスト配分などで冷遇されていて、テレビ局なども敬遠しています。原発推進派の研究者でないと研究費も付かないし、電力会社からの寄付ももらえない。彼らが『安心です』と繰り返すのは当然のことでしょう」(全国紙科学部記者)
 原発ムラは、かねてから産・官・学一体となった共同体だと言われてきた。その詳細は後述するが、テレビで解説しているような教授たちは、いわば「ムラの新人」に過ぎない。その背後には強固なネットワークが築かれている。
 経産省OBが語る。
「原発ムラの中心メンバーは東大大学院工学系研究科で原子力を専攻した人たちです。そのなかにもヒエラルキーがあって、もっとも成績が良く、教授からの受けがいい人間が大学に残る。次は日本原子力研究開発機構(旧・動燃)のような政府系研究機関に行く。3番目が日立、東芝、三菱といった原子力プラントメーカー。4番目が電力会社で、最後が経産省や文科省の役人になる。
 彼らに共通するのは、『日本は核兵器を作る能力を持っている』という自負で、自分たちこそが技術系の最先端だと信じています。大学時代から先輩が後輩を指導する形で、同じような考えを持った人々を脈々と原発ムラに送り込んできた」
 この発言を裏付けるように、原発推進側の原子力委員会委員長・近藤駿介氏(68歳)は東大大学院工学系研究科修了の東大名誉教授。規制側の原子力安全委員会委員長の班目春樹氏(63歳)も同じ大学院を修了、東大教授を経て、現在のポストに就いている。
 原発ムラの一員として純粋培養された人々は、推進側も規制側もまったくの同根で、原発の安全性を声高に叫び、危険性を過小評価する。こうして、原発行政の関係者は、揃いも揃って推進派という現在の状況が生まれたのである。
 '01年に経産省の外局として作られた原子力安全・保安院も、こうした状況を打開するどころか、発足当初から実効性には疑問符が付いていた。
「経産省はもともと原発を推進する立場で、年に一度くらい全国の電力各社幹部を集めて懇親会を開き、『原子力の開発をお願いしますよ』と要請する。電力各社幹部たちは自社の推進計画について説明します。そんな経産省の傘下に保安院のようなチェック機関があること自体がおかしい。アメリカの場合は、原発を推進するのはエネルギー省(DOE)、規制するのは連邦原子力規制委員会(NRC)と、それぞれ独立した組織が担っています。推進と規制が同じ省の管轄になっている日本の体制が不自然なのです」(原発に詳しい『エンジニアリング・ビジネス』編集長の宗敦司氏)
立ち入り検査も馴れ合い
 また、保安院は経産官僚たちの人事異動でメンバーが替わる。
 たとえば、保安院のスポークスマンとして連日会見に出ている西山英彦審議官にしても、原子力は専門外。今回の事故が起きるまではTPP(環太平洋パートナーシップ協定)担当だった。西山氏は20年間で20人以上の死者を出したパロマ瞬間湯沸かし器の一酸化炭素中毒事故の事後処理を担当したことがあり、「省内きってのトラブルシューター」(経産官僚)として会見を任されただけのことである。
 これは西山氏に限ったことではなく、保安院発足に備えて検査官の約半数に当たる52名を、原発のプラントメーカーなどから中途採用したのも、急場を凌ぐためだった。国会でも問題になったこの中途採用だが、彼らの専門知識は原発の安全性を高めるために使われるどころか、現実には「仲間意識」から互いにかばいあうばかりで、まともな検査すらできない状態だという。
 前出の経産省OBが明かす。
「保安院の検査官は、原発で問題が起きたときに立ち入り検査をします。その際の検査マニュアルはプラントメーカー出身者らが作ったもの。彼らは自分たちが原子炉を設計しているわけで、どこを調べられるのが電力会社にとって嫌か、よく分かっています。だから、安全と分かっている部分ばかりを意図的に検査項目に挙げたりする。それで実際の検査はノンキャリアの技術系官僚が、電力会社の社員から『ご指摘の部分はこのように安全です』と説明されて、別室で高級弁当を振る舞われて終わり。電力会社にとって、保安院の検査は恐るるに足りません」
 もう一つの規制機関、原子力安全委員会も、5人のメンバー中、前出の班目委員長を筆頭に、久木田豊氏(63歳)、小山田修氏(64歳)の3名が東大大学院工学系研究科出身。久木田氏は日本原子力研究所、小山田氏は原発プラントメーカーの日立製作所などを経て、現在に至っている。
 なかでも、班目氏の危機意識の低さは驚かされる。'07年2月の中部電力浜岡原発を巡る訴訟に、現役東大教授だった班目氏は、中電側証人として出廷。今回、福島原発で起きたように、地震などで非常用電源がすべて使えなくなる可能性を問われ、「すべての電源が喪失するようなことを想定していては、原発はつくれない」などと証言した。こんな人物が原発の安全性を監視する原子力安全委員会のトップなのである。
「班目氏は地震発生直後に菅直人総理に呼ばれ、『原発が爆発するような危険性はないのか』と問いただされた。それに対して『大丈夫です。水素はありますが爆発するようなことはありません』と答え、菅総理が『水素があるんなら、爆発するだろ!』と激怒。菅総理に引っ張られて3月12日に現地視察しましたが、その日のうちに水素爆発が起きたのは周知の通り。記者たちの間では『班目ではなく、デタラメ』と言われている」(全国紙政治部記者)
原発事故でムラは崩壊寸前
 原発ムラには他に、経産省や文科省が所管する各種団体がある。これらの団体のトップたちは、経産大臣の諮問機関である「総合資源エネルギー調査会」の原子力部会(会長は東大大学院工学系研究科の田中知教授・60歳)に所属し、原子力行政を牛耳っている。
 たとえば、前原子力安全委員会委員長で、班目氏の東大の先輩に当たる鈴木篤之東大名誉教授(68歳)は、昨年8月、日本原子力研究開発機構の理事長に就任した。同機構は'95年にナトリウム漏出事故を起こした高速増殖炉「もんじゅ」を管理している。言ってみれば、規制側のトップがそのまま推進側のトップに横滑りしているのである。
 上の相関図(略=来栖)にあるように、各団体のトップには官僚の天下りや、電力会社、原発プラントメーカーのOBが多い。これを見れば、東電など電力メーカーも、学者や官僚たちと関係を強化しようとしてきたのは明らかだ。
「東電の関係会社は258社ありますが、あらゆるところに官僚OBを受け入れてきた。原子力行政はすべて役所の許認可がなければならないからです。今年1月には4カ月前に資源エネルギー庁長官を辞めたばかりの石田徹氏を顧問に迎え、国会で批判された。今回の事故がなければ、石田氏は6月には副社長になる予定でしたが・・・」(東電幹部)
 役所、企業、科学者までがズブズブの運命共同体となって生きてきた原発ムラも、福島原発事故をきっかけに、いまや崩壊寸前だ。別の東電幹部が語る。
「ウチの対応も悪いが、役所の対応はもっとお粗末です。我々は彼らの許認可を受けてやってきたのに、保安院の会見は、ウチが全部悪いような言い方です」
 一方、3月30日に行われた東電・勝俣恒久会長の会見後、記者会見した原子力安全委員会の面々は、勝俣会長が原子炉の状態について「一定の安定を見ることができた」と発言したことについて、「何が起こるか予断を許さない、そういう状況がまだ続いているというように思うのが普通だと思います」などと批判した。
 ちなみに班目委員長は、福島第一原発2号機から、放射線により高濃度に汚染された水が漏れていることが判明した3月28日、解決法を問われ、専門家とは思えない発言をしている。
「どのような形で処理できるか知識を持ち合わせていない。原子力安全・保安院で指導していただきたい」
 だが、保安院がアテにならないのは前述の通り。なんのことはない。事故発生直後こそ、「素人には何もわからないだろう」と言わんばかりに「安全」を繰り返してきた原発ムラの科学者たちだが、彼らが言う「想定外」の事態を前に、責任のなすりつけ合いをしているに過ぎない。
 電力マネーという甘い汁に浸りきったムラを守るため、暴走する原発の実態を隠し続けた罪は重い。「安全」「健康に影響がない」なら、まず自らが今すぐ現地に行くべきだろう。それが、科学者としての最低限のモラルではないか。
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幾度選挙を重ねても日本は変わらないだろう/誰が小沢一郎を殺すのか/死刑弁護人/黒シール事件2011-04-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
福島原発事故と検察(大阪特捜事件)=破廉恥は同根/「官」の側にいて情報統制するマスコミ2011-04-14 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

小沢一郎氏「国民の命と生活を守るためには、政治家が決断」/原口前総務相「決断できぬ政府なら総退陣を」

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小沢一郎氏、国民を守るため「いまを生きる政治家が決断しなければいけない」 
NCN 4月16日(土)20時16分配信
 小沢一郎元民主党代表は2011年4月16日、「ネットメディアと主権在民を考える会」が主催する座談会に出席。「この国難を乗り切るためには、小沢さんがリーダーとして国を引っ張るべきでは」との質問に、「ここで何もしないのは、後世の日本人からの批判に耐えられない。私は政治家である以上、そういう方向に向かうべきだと思っている」と語った。
 「ネットメディアと主権在民を考える会」は、大手メディアの発表に対し、庶民の武器であるネットメディアを駆使して真実を追求しようとする有志の会。今回は「世界中で注目される政治家のひとり」として、小沢一郎元民主党代表を招き、質問を投げかけた。なおこの模様は、ニコニコ動画で生放送された。
 座談会では福島第1原子力発電所での事故に関連し、ニコニコ動画の視聴者からの「現内閣でこの国難を乗り切れるとはどうしても思えません。小沢さんとその仲間にも与党として責任があると思います。そして、その責任のとり方は、小沢さんがリーダーとして国を引っ張ることではないでしょうか。福島(第1)原発の最終収束まで10年、20年かかるわけで、政権交代の政治空白など取るに足らないものだと思います。いかがでしょうか」という質問が、参加者である市民によって代読された。
 すると小沢氏は「最近の心境としては、自分自身のことや民主党政権うんぬんというレベルではない。本当に国民の命と生活を守るためには、そうしたことを越えて、今を生きる政治家が決断しなければいけない」とし、
「先週来、若い議員と話をしているが、このままだと大変だとわかっていながら何もしない、拱手傍観(きょうしゅぼうかん)しているというのは、後世の日本人からの歴史の批判に耐えられない。だからここは、お互いに行動しなければならないのではないかと話をした。私は政治家である以上、そういう方向に向かうべきだと自分自身も思っている」
 と、決意を語った。
小沢一郎元民主党代表VSフツーの市民 「東日本大震災」と「福島原発大事故」、第三の建国に向け二つの国難にどのように立ち向かうか
「ニコニコ動画視聴者からの質問を代読」部分から再生
http://live.nicovideo.jp/watch/lv46671523#1:15:20

(番組はタイムシフト機能でいつでも視聴できる)
(土井大輔)
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小沢氏の発言要旨
 民主党の小沢一郎元代表が16日、インターネットの番組で発言した内容は次の通り。
 【政局】
 最近の心境としては、自分自身のことや民主党政権うんぬんのレベルではない。国民の命、生活を守るには、政治家が決断しなければならない。このままだと大変だと分かっていながら傍観しているのは、歴史の批判に堪えられない。
 −新党結成や内閣不信任決議案についてどう考えるか。
 今のような状況を政治が続けるということは許されない。これを転換して思い切った政策をする決断を菅直人首相がして、皆で頑張ろうというならいいが、そうでない場合は、政治家としてどうすべきかを考えなければならない時期だと思っている。
 【福島第1原発事故】
 将来何十年という命と生活、日本経済全体の問題に関わる。本当に深刻に考えないといけない。(政府は)いろんな委員会などをいっぱいつくっているが、誰が責任者で、何をするところなのかがさっぱり分からない。役所に任せきりの時よりもごちゃごちゃして、訳が分からなくなってしまっているのが今の原発対策の現状ではないか。
 (事故評価をレベル7に引き上げたことについて)日本政府は本当のことを言っていない、いいかげんだという(国際社会の)評価になってしまい、二重に日本の国民の被害が大きくなった。(今後)思い切って皆の知恵を集め政府が対策をしないと、取り返しのつかない状況に陥る。(時事通信2011/04/16-20:46)
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“今のままの対応なら首相退陣を”
NHKニュース4月16日 17時55分
 民主党の小沢元代表は、インターネットの番組に出演し、東京電力福島第一原子力発電所の事故への政府の対応を批判するとともに、菅総理大臣が今のままの対応を続けるのであれば、退陣を求めざるをえないという認識を示しました。
 この中で、小沢元代表は、政府の原発事故への対応について、「国内的なダメージと国際的な信用の低下で、国民にとっては二重の被害になっている。本当のことを正直に語ると同時に、みんなの知恵を集めて、思い切った対策をとらなければ、取り返しのつかない状況に陥ってしまう」と述べて、批判しました。そのうえで、小沢氏は「政府が今のような状況を続けることは許されない。菅総理大臣が、これを転換して、思いきった政策をするという決断をし、みんなで頑張ろうというのであればいいが、そうでない場合は、政治家としてどうするかということを考えなければならない時期だと思っている」と述べ、菅総理大臣が今のままの対応を続けるのであれば、退陣を求めざるをえないという認識を示しました。また、小沢氏は、原子力発電について、過渡的なエネルギーとして頼らざるをえないとしたうえで、できるだけ早く太陽光などの自然エネルギーへの転換を進めるべきだという考えを示しました。
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小沢元代表:内閣不信任案、同調示唆 ネット番組に出演
 民主党の小沢一郎元代表は16日、インターネットの番組に出演し、新党結成や内閣不信任案に同調する可能性について「今のような状況を政府が続けることは許されない。思い切った政策を菅直人首相がするのであればいいが、そうでない場合は政治家としてどうすべきかを考えないとならない時期だ」と述べた。野党が内閣不信任案を提出した場合、同調する可能性を示唆したとみられる。
 衆院の民主、国民新両党に与党系無所属議員を加えた勢力は313議席で、不信任案が可決されるには73人以上が造反する必要がある。小沢元代表に近い議員からは不信任案が出れば賛成するとの声が出始めている。
 また、福島第1原発事故への政府対応について小沢元代表は「国内的な実害と、日本政府は本当のことを言っていない、いいかげんだという(国際社会の)評価になり、二重に被害が大きくなった」と厳しく批判。被災者支援でも「政府の対応は非常に遅いし、十分ではない」と語った。【葛西大博】毎日新聞 2011年4月16日 19時56分(最終更新 4月16日 21時35分)
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「決断できぬなら総退陣を」 民主・原口氏、政府の原発対応を批判 
NCN 4月15日(金)22時21分配信
 民主党の原口一博前総務相は2011年4月15日午後に自由報道協会の主催で行われた会見で、放射性物質に汚染された水を海に流さないための有効な施策を未だ模索している政府について、「決断が1分1秒できないのであれば、政府は総退陣するべきだと思う」と自身の考えを述べた。
 会見の質疑応答の時間にニコニコ動画の七尾功記者が、元佐賀大学学長で福島第1原発3号機の設計者の上原春男氏が提唱する原子炉から離れた場所に熱交換器を設置し、海水を使って冷やすという「全溶接型プレート式熱交換器」について質問。「上原氏の提案、上原プランについて、枝野幸男官房長官に質問したところ採用に乗り気であったような印象を受けたが未だ検討中。なぜ採用されないのか」と問いかけると、原口前総務相は、
「それが分かれば、原発事故は1ヶ月前に解決している。私もなぜ提案が途中で消えるのかわからない。上原先生を政府に紹介したのは事故が起きた直後」
と述べ、続けて、前日の4月14日に「スペックがあわないから採用しない」と上原プランが却下されたことを明らかにした。その上で、上原プランのような放射性物質に汚染された水を海に流さないための施策について、
「日本にはたくさんの技術がある。例えば水を蒸発させて濃縮した放射能を閉じ込める技術があるのにどうして使わないのか。世界の人が日本を疑っている。決断が1分1秒できないのであれば、政府は総退陣するべきだと思う」
と厳しい意見を口にした。
原口一博衆議院議員・緊急記者会見 主催:自由報道協会
「ニコニコ動画の七尾功記者の質問」部分より再生
http://live.nicovideo.jp/watch/lv46641583#18:27

(番組はタイムシフト機能で2011年4月22日まで視聴できる)
(丹羽一臣)
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小沢 痛烈な菅批判 「原発処理、オレなら手がある」
ゲンダイネット2011年4月13日
補正成立後に民主党内政変
 さすがに黙っていられなくなったのだろう。「東日本大震災」後、沈黙していた民主党の小沢一郎元代表が、菅首相をロコツに批判し始めた。
 12日鳩山由紀夫と会談し、政府が原発事故の深刻度を「レベル7」に引き上げたことについて「俺は最初からチェルノブイリ並みの事故だと思っていた。それを今更なんだ」と批判。鳩山との共同で、菅政権を批判する声明文をまとめる調整に入った。
 さらに、民主党議員20人と自宅で懇談し「首相官邸の一部の人間が右往左往している。与党の国会議員を総動員して国民が安心できる態勢を整えないといけない」と語った。
 親しい議員には「原発は夏までに収束するのか。俺ならいくつも手はある」と漏らしているという。
「小沢グループに限らず、民主党内には菅首相に対する不満が充満しています。被災者対策も原発対応も後手後手でまったく前へ進まない。その結果、政権与党の存在感を示せず、民主党の支持率まで下落し、4月10日の統一地方選は大惨敗だった。系列の県議を次々に落選させてしまった。このままでは4月24日の統一地方選の後半戦も苦戦間違いなしです。菅首相が最悪なのは、野党に連立を持ちかけたり、民間の学者を参与にするだけで、400人の民主党議員を活用しないことです。これではモノが動くはずがない。小沢さんはこうした党内の声を代弁したのでしょう」(民主党若手議員)
 共同声明文の原案は菅政権の原発事故の対応について、「深刻な惨禍を招きかねない」、地方選の結果は「国民からの警告」と主張。「菅首相では日本はおかしくなる」――小沢は本気でそう思いはじめているという。
「不満を強める民主党議員は、震災対策の補正予算が成立したら、一気に菅降ろしに動く。その時、中心になるのは、地元が被災地の岩手で、東北人のことを誰よりも思っている小沢しかいない。世間も認めますよ」(政界関係者)
 決起すべきだ。

死刑か無期懲役か/刑事裁判は、遺族のためにあるのではない

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中日新聞を読んで 「死刑か無期懲役か」後藤昌弘(弁護士)
2011/04/17 Sun.
 13日の朝刊に、いわゆる闇サイト殺人事件の控訴審判決が報じられていた。1審では3人の被告のうち2人が死刑だったが、控訴した2被告ともに無期懲役の判決が下されたのである。
 関連して本紙30頁には、「誰のための裁判か」と被害者の母の言葉を見出しにとって、記事が書かれていた。
 遺族の無念の思いは痛いほどわかる。しかし、建前論でいえば、残念ながら刑事裁判は、遺族のためにあるのではない。
 刑事裁判の目的は、起訴された被告人について合理的疑いを入れない程度に有罪と証明されたか否かを確認し、また有罪と認定された場合には法に定める範囲内で個別事情に応じた相当な刑罰を科するのが目的である。
 裁判の過程で被害者が関与できるようにはなったが、刑事裁判の本質的な目的は遺族のためではないし、裁判員となる国民の司法教育の場でもないのである。
 昔、冤罪事件の弁護人として示談に赴いたことがある。被害者もさることながら、両親の憤りは尋常なものではなかった。「殺してもあきたらない」とまで言われた。
 強姦罪の法定刑に死刑はない。被告人は刑務所に行ったが、それで被害者の心の傷が癒えるものではない。被害者のケアの問題は別の次元で考えていくしかないのではと思う。
 今回の控訴審判決では、検察官も控訴していた。自首の事実を考慮して無期懲役とした1審判決について、軽すぎるというのである。
 しかし、自首してもしなくても量刑が同じであれば、自首するものはいなくなる。犯人の一人が自首したことで犯罪が発覚することが現実にある以上、自首したことを有利な情状として考慮することは刑事政策上あり得ることではないかとも思う。
 死刑か無期懲役か、今回の事件では、裁判官も随分悩んだであろう。
 人を裁くことは重いことである。
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「闇サイト事件」死刑回避の理由とは/ 卑見 下山裁判長の考えのなかに「死刑」は確かに含まれていた2011-04-16 | 死刑/重刑/生命犯 問題

福島第1原発事故 「東電工程表」 最低でも半年間は帰宅できないという宣告

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東日本大震災:福島第1原発事故 東電工程表「信用できるのか」 怒りや疑問の声
 「思ったより長い」「発表は単なる目安なのでは」……。東京電力が福島第1原発事故収束までの「道筋」を示した17日の記者会見。既に原発周辺から避難したり、避難を指示される恐れのある「計画的避難区域」に住む住民たちは、事故から1カ月以上たって聞かされた日程に複雑な表情を見せた。不便な生活への怒り、将来の不安、そして東電への疑心暗鬼。さまざまな感情を抱きながら、発表を受け止めた。【河津啓介、和田武士、荻野公一、町田結子】
 ■双葉町住民
 役場ごと埼玉県加須市に避難した双葉町の住民たち。両親と妻の4人で旧騎西高校に避難している配電線工事業、舘林孝男さん(56)は放射線量の大幅抑制までの期間について「自分では3カ月程度と思っていた。(6〜9カ月は)長い」と憤る。福島県内で電気の復旧工事に携わることもできるが、高齢の両親を避難所に置いて行けない。「とにかく早く双葉に帰って働きたい。9カ月を目標にするのではなく、一日でも早く収束させてほしい」と訴えた。
 父親と同校に避難した養蜂業、小川貴永(たかひさ)さん(40)は「暫定的な発表に過ぎないのでは」と疑う。知りたいのは帰れるめどだ。「人間が住めるまでどのくらいかかるのか、1次産業は復活できるのか。それを教えてほしい」と語気を強めた。
 井戸川克隆・双葉町長は「町民のことを考えると、明確に安全な数値が確認されるまで帰宅できないと考える。さらにしっかりした作業をされることを望む」とコメントした。
 ■郡山市
 福島県内最多の約1700人が避難する郡山市の多目的ホール「ビッグパレットふくしま」。避難指示が出ている半径20キロ圏内の富岡町や屋内退避が指示されている20〜30キロ圏内の川内村の住民が中心だ。富岡町の斉藤義男さん(76)は「避難は一時的と思っていたが、そんなにかかるのか」と落胆の様子を見せたが、すぐ思い直したように「収束時期がはっきりすれば先の見通しも立つ。(見通しが)ないよりいい」と付け加えた。夫が原発関連の会社に勤めている富岡町の女性(52)は「政府や東電からいろんな発表があるが、言うことがころころ変わるように見える。今日の発表も信用できるのか」と手厳しい。
 ■飯舘村
 全域が計画的避難区域になる飯舘村。菅野典雄村長は村役場のテレビで会見を見守った。「初めて先が見えたことは歓迎したい。だが、これで安心できるものではない」と感想を述べた。
 事故は、村の基幹である農業、畜産業に大打撃を与えた。放射性物質の漏えいが抑えられたとしても、再建はその先だ。
 「土壌の(除染などの)問題などはもっと日数がかかる。私たちにとっては、土地や牛も命の一つだ」とため息をついた。
 ■川俣町
 一部が計画的避難区域になる川俣町の主婦、高木栄子さん(66)は「本当に6〜9カ月で収まるとは信じられない」と疑問視した。事故後の生活上の悩みも訴える。「窓も開けられず、思うように外出もできない。ちょっとした家族の言動にもきつく当たるようになってしまった」毎日新聞2011年4月18日 東京朝刊
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中日春秋 2011年4月18日
 「人間は柔順な動物であり、どんなことにも馴(な)れてしまうところの存在である」と断じたのはドストエフスキーだが、今ここにある危機には、慣れてしまうわけにはいかない▼天気予報と同じように、新聞に日々載っている「最大放射線量」の図がある。「おや、今日は低いな…」などとつぶやくことに違和感を覚えなくなる自分を想像したくない。先の見えない不安の中、感覚が鈍磨し関心自体を失ってしまうことが怖い▼東京電力はきのう、原発事故の収束に向けた「工程表」を発表した。福島第一原発1〜4号機からの放射線量を着実に減らし、放射性物質の漏出を封じ込めるまでに半年から九カ月を要するという▼収束に向けた見通しが初めて示された意味はあるが、どこまで客観的事実に裏付けられた見通しなのか疑問もある。余震が続けば工程はずれ込む。楽観的な気持ちにはとてもなれない▼海江田万里経済産業相は六〜九カ月後を目標に一部地域の住民に帰宅可能かどうかを伝える考えを明らかにした。住民からすれば、最低でも半年間は帰宅できないという宣告でもある
▼牛を飼っている酪農家はどうするのだろう。作付けを断念する農家は、何を支えに生きていくのだろう…。起こしてしまった事故の影響の深刻さをつくづく思う。最大放射線量の図。こんなものが新聞から一日も早く消えることを願う。
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〈来栖の独白〉
>牛を飼っている酪農家はどうするのだろう。作付けを断念する農家は、何を支えに生きていくのだろう…。
 私たちが電力を原発を必要とした。より快適な生活を享受しようとした。・・・頭を垂れるばかりだ。

原発を私は「許容していた」。 原発を許容したのは、自分であり国民それ自体なのだという洞察2011-03-26 | 地震/原発


聖週間 スタバド・マーテル 母は十字架の下に立ち尽くした

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聖週間
2011/4/17 枝の主日

・「第1朗読 イザヤ書 50章4〜7節」
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え 疲れた人を励ますように言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし 弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っているわたしが辱められることはない、と。

・答唱詩編 176

・「第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章6〜11節」
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、 へりくだって、死に至るまで、 それも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神はキリストを高く上げ、 あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
こうして、天上のもの、地上のもの、 地下のものがすべて、 イエスの御名にひざまずき、 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」 と公に宣べて、 父である神をたたえるのです。

・詠唱 317

・「福音朗読 マタイによる福音書 26章14節〜27章66節」
そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。
そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。
イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」
弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。
夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。
一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。
イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」
イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。
「取って食べなさい。これはわたしの体である。」
また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。
「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。
弟子たちも皆、同じように言った。
それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、
「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。
そして、彼らに言われた。
「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。
「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
更に、二度目に向こうへ行って祈られた。
「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」
再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。
そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。
それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。
「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。
イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。
ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。
イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。
すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。
そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。
そこで、イエスは言われた。
「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」
またそのとき、群衆に言われた。
「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」
このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。
そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。
ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。
さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。
偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。
最後に二人の者が来て、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。
そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。
「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」
イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。
「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
イエスは言われた。
「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」
そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。
「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。
そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、
「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。
ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。
「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」
そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。
するとすぐ、鶏が鳴いた。
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。
そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。
そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。
しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。
このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。
こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。」
さて、イエスは総督の前に立たれた。
総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。
それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。
ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
ピラトは、人々が集まって来たときに言った。
「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」
人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。
「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。
そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。
ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。
ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。
ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」
民はこぞって答えた。
「その血の責任は、我々と子孫にある。」
そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。
そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。
また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。
このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。
兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。
そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。
彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。
「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。
そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。
ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。
しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。
その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。
この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。
そこでピラトは、渡すようにと命じた。
ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。
マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。
「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」
ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」
そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
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〈来栖の独白〉
 平日は、翌週の主日のミサに焦点を当てて自室でオルガン(エレクトーン)を弾き、答唱詩編など典礼聖歌、カトリック聖歌を歌う。
 聖週間に入った。いつも不思議に思うのは(シスターもいつだったか言っていたが)、四旬節や復活の主日の時期というのがその年々の社会状況に何故か合致していることである。今年は、特にそれを感じる。3月中に迎える年もあるのに、今年のイースターは4月24日で随分と遅い。日本が、世界が、東日本大震災で被災された方々の苦難を思っている。それで、このように遅い日付がイースターとして設定された・・・そんな気がする。
 イザヤ書を読めば勇気が湧き、福音書に聴けば何やら腹が据わる、そんな私である。
 「カトリック聖歌191 悲しみの聖母(スタバド・マーテル) 
 かみのひとりご いとしきみこの じゅうじかのもと みははマリアは なみだにむせび たたずみたもう」
 多くの弟子が弱さゆえイエスを裏切ったが、聖母は十字架の下に立ち尽くした。わが子が目の前で死刑に処せられる・・・。胸、刺し貫かれる思い。
 それがどのような子であれ、母というものは、わが子を守ろうとする。何の計算もない。ただただ、わが子が、いとおしいのだ。
 獄中のイエスを訪ねる人は多いが、主義や思想でなく、母親のような純一無雑な思いで訪ねる者が何人いるだろう。母の無償の愛に気づき理解し、感謝の心が生まれるとき、人は(子は)歩むべき正しい道を見いだすのではないか。そんな気がする。
......................
(ルカによる福音書2:25〜35)
 その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
 そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。
 この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、
 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます、
 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。
 するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。―― そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。 ――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。
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◆マタイによる福音書(25.31-46)
 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪(のろ)われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

トヨタ全工場再開 愛知の町工場「5割操業では夏以降倒産」

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【自動車産業ニュース】
トヨタ全工場再開 6月まで稼働5割
2011年4月18日
 トヨタ自動車は18日、東日本大震災の影響で操業を停止していた国内14工場での車両生産を再開。被災した東北地方の2拠点を含め、約5週間ぶりに国内17の全生産拠点でラインが動き始めた。宮城県大衡村のトヨタ子会社、セントラル自動車の宮城工場にも、被災した地元の従業員たちが生産現場に戻った。ただ、部品調達の問題で稼働率は5割程度にとどまっており、生産の全面回復の見通しは立っていない。
 セントラル宮城工場前では、午前6時半ごろから従業員がマイカーで出勤。午前8時ごろ、従業員ら約800人が朝礼で黙とう、ガンバロー三唱をして作業に取り掛かった。また同日朝、岩手県金ケ崎町でもトヨタ子会社の関東自動車工業岩手工場が操業を再開した。
 セントラル宮城工場は震災で工場設備が損傷して生産を停止したため、復旧に取り組む社員ら約100人を除き、大半は自宅待機を余儀なくされていた。生産再開後も4月中は操業率は震災前の25%程度にとどまる。その後、相模原工場(相模原市)から主力車「カローラ」の生産を移管して、大型連休後には50%程度に引き上げる。
 4月に入社したばかりの男性社員(18)は「正直言って内定取り消しの不安があった。入社式は今月11日に延びたが、普通に働けるのがうれしい」と話していた。別の男性社員(22)は「今は期待でいっぱい。(生産再開で)地域を盛り上げていきたい」と話した。
 震災後、自動車業界全体で電子部品などで調達が困難に。トヨタは「プリウス」を生産する堤工場(愛知県豊田市)など3拠点でハイブリッド車を中心に先行して生産を再開、全拠点での再開のタイミングを計っていた。しかしトヨタには安定的な調達が難しい部品は依然約150品目あり、6月3日までは稼働率は5割程度。その後も電子部品メーカーの復旧状況や電力事情に左右される見通し。
 この日は、日産自動車のいわき工場(福島県いわき市)と栃木工場(栃木県上三川町)も再稼働。これでトヨタ、日産、ホンダの主要メーカーが全生産拠点再開にこぎ着けた。
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愛知の町工場「5割操業では夏以降倒産」 トヨタ全工場再開も
2011年4月18日 15時06分
 東日本大震災の影響による自動車メーカーの生産停止で、部品製造業者の資金繰りが深刻化している。18日はトヨタ自動車が国内の全生産拠点で操業を再開したが、6月3日まで稼働率は通常の5割程度。名古屋市内の4次下請け会社を経営する40代男性社長は「半分では赤字が続く。新たに融資がなければ、持ちこたえられない」と窮状を打ち明けた。
 男性の会社は自動車のシート周りの部品を製造。トヨタやホンダ、三菱自動車など各社に使われているが6割はトヨタに依存している。今年2月は1030万円を売り上げたが、地震が起きた3月は注文が止められ、895万円に減少。4月はさらに210万円に落ち込む見通しだ。
 「材料を仕入れた直後に、取引先から部品の注文をキャンセルされるのがつらい。生産の計画が立たない」。工場内は部品が詰まった500箱もの在庫が積み上げられている。材料の鉄板を巻いた重さ1トンのコイルも機械にかけられることなく、並んでいる。
 会社は2008年のリーマン・ショックで経営が悪化し、手持ちの運転資金は底をついた。銀行と話し合い、現在、借金の返済は利息分だけに減らしている。10人の社員は勤務時間を短縮し、給料は20万円から15万円に下げた。「メーカーの5割操業が続けば、赤字の下請けが増える。夏以降は零細企業の倒産が出てくるはず」と漏らす。
 愛知県によると、中小企業からの資金繰りの相談数は震災前が月20件ほどだったが、3月16日からの1カ月は自動車関連を中心に95件に急増。うち69件(72%)が震災による経営の悪化を訴えた。
 県は震災後、利率が低い融資制度を緊急で導入し、すでに7件計8050万円を融資している。担当者は「予想以上に震災の影響が広がっている。利用する企業は今後、増えるだろう」と説明した。
 男性もこの制度の申請を考えているが、経営状況が不安定で審査に通るか分からない。「愛知は零細企業が多く、倒産が増えれば、地元の雇用への影響が大きい。元気を取り戻し、東北地方が復興する力にもならないといけない」と融資を期待している。
 自動車は1台に2万点の部品が使われる。「うちのような町工場が部品を供給できなくなっただけでも、メーカーの生産ラインはしばらく止まる」。下請けが倒産すれば、生産への影響が出かねないと危機を強調した。(中日新聞)

日経平均1015円安の8605円/ トヨタ系関自やセントラル宮城、操業停止/福島第1原発爆発 高濃度放射能漏れ2011-03-15 | 社会(経済)

尊厳死と安楽死/誰も死と隣り合わせ/脳死と人の死

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〔尊厳死と安楽死〕鈴木修(すずき おさむ=法医学者、浜松医科大理事)
中日新聞2011/4/9Sat.夕刊「紙つぶて」
(前段略)
 最近、老人病院を訪問すると、寝たきり老人ばかりで、胃ろう設設術(PEG)を施された患者さんが多い。つまり、上腹部皮膚に直接穴を開け、直接胃の中に管を通し、点滴と同様な要領で半流動性の栄養豊富な液状物をゆっくり胃に流し込むのだ。病院の手間は大幅に減り、口から食物を与える時に頻発する誤嚥性肺炎も回避できる。
 ところが、患者の立場からすれば、口から食物が入ってくるわけではないので、それこそ味もそっけもない。この「食事」で患者さんは、場合によっては10年以上も生きるそうだ。自分がそうなったら、そこまでして生きる必要があるだろうか考えてしまう。
 事故か何かで大病院に運ばれ、人工呼吸器で意識無く1ヵ月以上生き続けることだってある。家族は看病に疲れ果て、医者に人工呼吸器を止めてくれるよう頼むが、大抵断られる。それは、殺人罪に問われたり、マスコミで安楽死として報道されたりした過去の多くの例があり、医療側が過剰に恐れているからだ。
 延命治療を回避する1番の方法は、この業界最大手の日本尊厳死協会に入会して、「尊厳死の宣言書(リビングウィル)」を作成し、本人の意思を示しておくことだ。これを示せば、医者の方も安心して延命治療を停止できる。私も近々入会するつもりだ。
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〔誰も死と隣り合わせ〕鈴木修(すずき おさむ=法医学者、浜松医科大理事)
中日新聞2011/4/16Sat.夕刊「紙つぶて」
 今回の大震災では、膨大な数の人びとが犠牲となった。いろいろな天災や戦争は、希望を持って生きようとしている人々を、無残に殺す。
 日本では毎年100万人余の人々が死亡している。そのうち30万人以上ががんで死に、3万人以上が自殺している。1991年、私はぼうこうがんで手術を受けた。幸いにも名医にめぐり合い、再発せず、今のところ元気だ。がんを告げられたときの私の心境は、独房に投げ込まれた死刑囚のようだった。、あさに孤独の戦争だ。私の友人や親族にも現在がんと闘っている人が何人もいる。克服してくれることを切に祈るばかりだ。
 生きたいのに死ななくてはならない人々は、大震災以外でもどこにもいる。実は、死は誰にとっても、いつも隣り合わせなのだ。せっかく生きているのだから、いつかは死ぬのだから、今ある命を大切にして、笑顔を絶やさず生きてほしい。たとえ深刻な悩みを抱えていてもだ。
 阪神大震災が収まり、復興が始まったころ、多くの人々が自殺したり、アルコールや薬物乱用に走ったと聞く。今回の大震災が一段落してから、同様のことが起らないかと心配だ。しかし、テレビを見る限り、全てを失った東北の被災者の方々が大変気丈で、インタビューなどにしっかり受け答えしているのに感心する。東北地方には、昔からの日本人の良さが強く残っている。それは人と人との温かい絆だ。絆を糧にすれば、この不幸を必ず克服できると信ずる。
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〔脳死と人の死〕鈴木修(すずき おさむ=法医学者、浜松医科大理事)
中日新聞2011/3/5夕刊「紙つぶて」
 政権交代の直前2009年、混乱に乗じてといったら叱られそうだが、改正臓器移植法が国会で成立した。しかも、いわゆるA案が成立したのだ。A案では、脳死は無条件で人の死とうたっている。
 私も脳死状態の死体の解剖をたくさん経験している。司法解剖では、必ず、頭蓋腔(くう)、胸腔、腹腔を開く。脳死者の場合、首から下の各臓器は新鮮でしっかりとしているのに、大脳、小脳などは原形なく、まるで灰色の泥のようだ。頭蓋骨を電動のこぎりで切り始めると、その時点で、泥状の脳がポトポトと漏れ出してくる。やむをえず、洗面器を下にあて、頭蓋骨を開きながら、流れ出てくる泥状脳全体をすくいとる。もちろん脳の所見は取れないことが多い。
 この様に脳死者の脳の状態を見せ付けられると、脳死とは全人的に人の死と実感する。しかし、A案が通っても、まだ脳死を人の死と認めたくない人も多い。一度私どもの解剖をビデオに撮り、お見せすれば考えを変えてくれる人も出てくると思ったりする。
 もちろん、家族の気持ちも理解できる。脳死といわれても、心臓は拍動し、体は温かい。しかし、むごいかもしれないが、医学的に脳死は人の死なのだ。
 臓器だけでも他人の体の中で生きつづけることができると思って、移植を希望した家族も多いと聞く。
 改正臓器移植法が施行されてから、脳死臓器移植件数は3倍以上に跳ね上がった。それだけの数の命が救われるのだ。

「名張毒ぶどう酒事件」ニッカリンT、再製造と鑑定人選任へ 名高裁 下山保男裁判長

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名古屋高裁、農薬分析の鑑定人選任へ 名張毒ぶどう酒事件
2011年4月18日 23時54分
 三重県名張市で1961年、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件の第7次再審請求をめぐる差し戻し審の三者協議が18日、名古屋高裁であった。下山保男裁判長は、犯行で使われたとされる農薬「ニッカリンT」を再製造し、最新鋭機器を使った成分分析を鑑定人に依頼する方針を、名古屋高検と弁護団に示した。鑑定人を選任し、結果が出るのは9月以降の見通し。
 差し戻しを命じた昨年4月の最高裁決定から1年余。成分分析の実施で実質的な審理に入る。ただ、最高裁が求めた事件当時の分析法による鑑定の再現のめどは立っていない。
 捜査段階で奥西勝死刑囚(85)は「ぶどう酒にニッカリンTを入れた」と自供したが、直後の捜査側鑑定では、現場に残されたぶどう酒から、ニッカリンTに含まれる副生成物(トリエチルピロホスフェート)が検出されなかった。
 このため、毒物がニッカリンTかどうかが、奥西死刑囚の有罪・無罪を判断する焦点として注目されてきた。
 弁護団によると、高裁は今後、検察側が推薦した化学者を鑑定人に決定し、鑑定人を通じて5月中に化学薬品メーカー(東京)に、事件直後に製造中止となったニッカリンTの製造を依頼。再製造と鑑定書作成にはそれぞれ2カ月を要する。高裁は比較のため弁護団保有のニッカリンT(60年代製造)の成分分析も行う。
 ニッカリンT製造時の副生成物の含有量について、弁護側は「17〜18%」、検察側は「5%以下」と主張。考え方の隔たりは大きい。(中日新聞)
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〈来栖の独白〉
 10年以上前になるが、名古屋カトリック正平委の活動の一環で柳川喜郎氏(岐阜県御嵩町長=当時)とご一緒したことがあった。御嵩町の産業廃棄物処分場の問題だった。柳川さんはかつてNHKの記者だったのを、乞われて岐阜県御嵩町町長になられたのだった。
 NHK記者時代、柳川さんは奥西氏を取材している。そして、伏し目がちに話す奥西の姿に「犯人に間違いない」と思ったそうだ。
 歳月を経て、また柳川さんご自身の経験(暴漢に襲われた)もあって、柳川さんの口は退けたような感じを受けるが、依然私には、氏の記者時代の「直感」が大変印象深く残っている。
 本件第7次再審請求をめぐる差し戻し審、名古屋高裁の裁判長は下山保男氏である。つい先日(4月12日)闇サイト殺人事件の判決を言い渡した裁判長として、私の記憶に新しい。刑事司法は、冤罪を出さないためにある。むろん冤罪はあってはならないが、「疑わしきは被告人の利益に」というのは、どうも好きになれない。
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名張毒ぶどう酒事件異議審決定 唯一目をひいた記事2006-12-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 〈来栖の独白2006-12-27 〉
 再審決定取り消しにつき、今朝の中日新聞<名古屋版>で唯一目をひいた記事があった。奥西氏逮捕直後に行われた氏の記者会見についての記事だ。この3分間の記者会見が、今回の取り消し理由の一つになった。記事は柳川善郎岐阜県御岳町長の話。柳川さんは、事件当時NHKの記者で、この会見で奥西氏にインタビューした。以下。

 「大きな事件を、自分のちょっとした気持ちから・・・。何とお詫び申し上げてよいか分かりません」ぼさぼさの頭、落ち窪んだ目。奥西死刑囚は終始、うつむいたまま、ぽつりぽつりと語った。わずか三分間の短いやりとりだった。1961年4月3日の正午過ぎ、三重県警名張署の宿直室で、異例の容疑者の記者会見が行われた。事件発生から7日目。自白の模様はテレビ中継され、新聞各紙にも載った。「はめられた」。奥西死刑囚は45年経った今も、このインタビューを悔やむ。「警察から『家族を救うために会見して謝罪しろ』と言われ、取調官が書いた文を(暗記して)読んだだけ」と裁判官にあてた手記でも訴えた。
 柳川さんは当時、NHKの三重県警担当キャップ。記者クラブの代表取材の一員として、奥西死刑囚の話を聞いた。柳川さんによると、会見は「報道陣が警察に押し込む形で」実現した。その前日、県警幹部が「奥西の妻」犯行説を明らかにしたばかり。一晩で犯人が一転したことに「記者たちはいきり立っていた」という。
 待ち構えた容疑者の第一声。「ちょっとした気持ちから・・・」。冒頭の言葉に柳川さんは「真犯人」と直感したという。うなずける。本当の動機はそんなものだろう。単純に困らせてやろうとしたのだ。「うーん」。迫真の受け答えに次の質問が思い浮かばなかった。
 ただ、その後の司法判断は無罪から死刑に、そして再審開始決定から取り消しに。この取材を機に、「人は判断を誤る」と、死刑廃止論に傾いた。自身は十年前、暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う被害者になった。それでも、いくら犯人が憎くても、死刑はいけないと思う。柳川さんは、奥西死刑囚に呼びかける。「お互い生きているうちに、もう一度会ってみたい。無実を訴えるなら、今度は目と目を合わせて」

 
「ちょっとした気持ちで・・・」逮捕後、記者会見で犯行を認めた奥西死刑囚(左)=1961年4月、三重県名張市で 
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名張毒ぶどう酒事件 扉は開くか
名張毒ぶどう酒事件の人々

闇サイト殺人事件 「検察にはどうしても上告してほしい」=遺族

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上告求め母親が陳情書 名古屋・千種区の闇サイト殺人
中日新聞2011年4月19日 13時26分
 名古屋市千種区で会社員磯谷(いそがい)利恵さん=当時(31)=が殺害された闇サイト殺人事件で、母親の富美子さん(59)が19日午前、上告を求める陳情書を検事総長や名古屋高検検事長に出した。
 12日の控訴審判決で名古屋高裁は、1審で死刑を言い渡された堀慶末(よしとも)被告(35)と無期懲役とされた川岸健治被告(44)の2人を無期懲役とした。富美子さんは「被害者が1人の事件は量刑相場で刑の重さが決まり、極刑回避の理由は後付け。検察にはどうしても上告してほしい」と話した。
 高裁判決後、富美子さんは極刑を求める8756人分の署名を名古屋高検に提出した。署名総数は計32万9878人分となった。(中日新聞)
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〈来栖の独白〉
 刑事司法の目的は何なのか、誰のために刑事裁判はあるのか、このことを磯谷さんに論理的に語る人がいないのかもしれない。深い傷を負った遺族の心のケアは量刑とは別のところでなされなければならないのに、磯谷さんには、その方向に一緒に目を向けようとする心の友が少ないのかも知れない。
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死刑か無期懲役か/刑事裁判は、遺族のためにあるのではない2011-04-18 | 後藤昌弘 弁護士
「闇サイト事件」死刑回避の理由とは/ 卑見 下山裁判長の考えのなかに「死刑」は確かに含まれていた2011-04-16 | 死刑/重刑/生命犯 問題

東金女児殺害:控訴中の勝木諒被告に賠償命令 千葉地裁 栃木力裁判長

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女児殺害、勝木被告に賠償命令=被害者母が申し立て−千葉地裁
 千葉県東金市で2008年9月、保育園児成田幸満ちゃん=当時(5)=が殺害された事件で、殺人罪などで懲役15年の判決を受けた無職勝木諒被告(24)=控訴中=に対し、千葉地裁(栃木力裁判長)が慰謝料3000万円を幸満ちゃんの母多恵子さん(40)に支払うよう命じる決定をしたことが19日、分かった。決定は3月30日付。異議申し立てはなく、今月14日に確定した。遺族側代理人の安福謙二弁護士が明らかにした。(時事通信2011/04/19-18:11)
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〈来栖の独白〉
 附帯私訴制度。確定してもいないのに。
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東金女児殺害:勝木諒被告に懲役15年判決…千葉地裁2011-03-04 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 毎日新聞2011年3月4日10時9分 更新:3月4日12時52分
 千葉県東金市で08年9月、保育園女児(当時5歳)が殺害された事件で、殺人罪などに問われた同市の無職、勝木諒被告(24)に対し、千葉地裁は4日、懲役15年(求刑・懲役20年)を言い渡した。軽度の知的障害がある勝木被告の訴訟能力や責任能力を弁護側は争ったが、栃木力裁判長はいずれも問題ないと判断しつつ「障害の影響が一定程度あり、一般人と比べれば刑事責任の度合いには限りがある」と述べた。
 事実関係に争いはなく、公判は(1)裁判手続きの意味を理解して被告が自分の権利を守る「訴訟能力」(2)殺人罪について責任能力−−の有無が争点だった。
 判決は
 (1)に関し「被告人質問の受け答えなどを見ても弁護人らとのコミュニケーションに支障はない。公判の進行状況に応じた対応を取ろうとしている」と指摘。「手続きの理解力もコミュニケーション能力も不十分」として公判停止を求めた弁護側主張を退けた。
 (2)で弁護側は「パニック状態になり衝動的に殺害した」と心神耗弱を主張。だが判決は「判断能力が一部損なわれていたが、著しく低下している状況ではなかった」と完全責任能力を認めた。その上で「殺害方法が残忍で、隠蔽(いんぺい)工作をした点も悪質」と非難した。【中川聡子、駒木智一】
 ◇判決の認定内容◇
 勝木被告は08年9月21日昼、自宅近くの路上で見かけた面識のない保育園児の成田幸満(ゆきまろ)ちゃん(当時5歳)をマンション自室に連れ込み=未成年者略取罪▽「帰りたい」「ばか」などと言われて腹を立て、浴槽に沈めて水死させ=殺人罪▽衣服を脱がせた遺体を、自宅近くの資材置き場前の路上に放置した=死体遺棄罪。
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東金女児殺害:勝木諒被告に20年求刑 弁護側は公判停止要求2011-01-20 
東金女児殺害事件:勝木諒被告--千葉拘置所、責任能力について弁護側精神科医らの調査を認める2009-09-28 
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被害者参加制度2007-01-31 | 被害者参加・裁判員裁判 / 検察審査会 
 <法制審議会>被害者参加制度と付帯私訴制度導入 部会要綱
1月30日19時21分配信 毎日新聞
 法制審議会(法相の諮問機関)の刑事法部会は30日、犯罪被害者が刑事裁判の公判に出席して被告への直接質問などができる「被害者参加制度」や、被害者が刑事裁判に併せて被告に損害賠償を請求できる「付帯私訴制度」の導入を柱とする要綱をまとめた。05年12月に閣議決定された犯罪被害者等基本計画に基づき、法務省が具体案の検討を諮問していた。政府は今国会に刑事訴訟法などの改正案を提出する。
 被害者参加制度が導入されると、被害者や遺族、被害者の委託を受けた弁護士に(1)公判への出席(2)被告人質問(3)情状証人への尋問(4)検察官の論告に相当する最終意見陳述――などが新たに認められる。被害者側が、公判の進め方などについて検察官に意見を述べ、説明を受けることもできるようになる。
 被告人質問は「被害者が意見陳述をするために必要な場合」に、証人尋問は「情状について証言の証明力を争う場合」に認め、被害者側は事前に検察官を通じて質問・尋問事項を明らかにする。また、処罰感情などを述べる従来の意見陳述に加えて、検察官の論告と同様に、被害者側が起訴事実の範囲内で事実関係や法律適用についての意見を述べられる最終意見陳述の手続きも新設する。
 被害者参加制度の対象事件は▽殺人や傷害など故意の犯罪行為で人を死傷させた罪▽強制わいせつ、強姦(ごうかん)罪▽業務上過失致死傷罪▽略取、誘拐、人身売買罪――など。参加を希望する被害者は、検察官を通じて申し立て、裁判所が許可する。
 一方、付帯私訴制度では、刑事の有罪判決が出た後に、同じ裁判官が引き続いて民事の審理を行う。口頭弁論を開く必要はなく、非公開の「審尋」と呼ばれる手続きも可能。4回以内の簡易・迅速な審理で賠償額を決定し、決定に不服がある当事者が異議を申し立てれれば、通常の民事訴訟に移行する。
 刑事裁判の証拠を利用して損害賠償額を認定する付帯私訴制度は、被害者側の立証負担が軽くなる利点がある。対象事件は被害者参加制度とほぼ同じだが、業務上過失致死傷罪については、過失の割合などの審理が長引く恐れがあるため、対象から除外した。
 要綱はこのほか、民事訴訟を起こすために必要な場合など「正当な理由がある場合」に限って被害者側に認めていた公判記録の閲覧・謄写の要件を緩和し「不当な理由である場合」以外は原則として認めた。また、性犯罪被害者らのプライバシーに配慮し、公開の法廷で氏名を明らかにしない措置を法律に明記する。【森本英彦】
 ◇要綱の骨子
・犯罪被害者や遺族に、公判への出席や被告人質問などを認める
・刑事裁判に併せて被害者側が損害賠償請求できる付帯私訴制度を導入
・被害者側による公判記録の閲覧・謄写を原則として認める
・性犯罪被害者らの氏名を公判で明らかにしない措置を法律で定める
最終更新:1月30日19時21分
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付帯私訴 一律2007-03-08 | 被害者参加・裁判員裁判 / 検察審査会
 <賠償請求>犯罪被害者の手数料は一律2千円に 法務省
(毎日新聞 03月07日 15:11)
 犯罪被害者が、刑事裁判に併せて被告に損害賠償請求できる「付帯私訴制度」の導入にあたり、法務省は、被害者が裁判所に納める手数料(印紙代)を請求額にかかわりなく一律2000円とする方針を決めた。被害者団体から「制度を利用しやすくするため、手数料を低額にしてほしい」という意見が出ていることに配慮した。
 通常の損害賠償請求訴訟では、手数料として訴状に張る印紙の代金は、請求額に応じて増えていく。例えば、請求額が5000万円なら印紙代は17万円、1億円なら32万円になる。このため、被害者団体などからは「負担が重過ぎる」という声が出ている。
 付帯私訴制度でも同じように手数料が高額になれば、被害者が制度の利用をためらい、被害者支援の意義が損なわれる恐れがあるため、法務省は手数料を一律2000円と決めた。刑事裁判で調べた証拠を利用して賠償額を算定するこの制度では、裁判所に新たに大きな負担を与えるわけではないことから、手数料を低く抑えることが可能と判断した。
 全国犯罪被害者の会(あすの会)の岡村勲弁護士は「手数料はできれば無料にしてほしかったが、2000円であっても被害者の負担は軽くなり、大変ありがたい。引き続き、通常の民事訴訟の手数料の引き下げも求めていきたい」と話している。【森本英彦】
 ◇ことば【付帯私訴】 刑事裁判手続きの中で被害者が民事の損害賠償請求をする制度。刑事裁判の証拠を利用して賠償額を算定するため、被害者の立証負担が軽くなる。政府が導入しようとしている案では、刑事の有罪判決が出た後に、同じ裁判官が引き続いて民事の損害賠償請求を審理し、賠償額を決定する。当事者に不服がある場合は通常の民事訴訟に移行する。政府は今国会に刑事訴訟法改正案を提出し、08年秋の導入を目指している。

リンゼイさん事件初公判 7月4日 市橋達也被告 裁判員裁判−千葉地裁

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市橋被告の初公判、7月4日=英女性殺害で裁判員裁判−千葉地裁
 千葉県市川市のマンションで2007年、英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪で起訴された無職市橋達也被告(32)の第16回公判前整理手続きが19日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)であり、初公判の期日が7月4日に指定された。
 事件は裁判員裁判で審理され、同月21日に判決が言い渡される。被害者参加制度が採用され、リンゼイさんの両親が出廷する予定。
 弁護側によると、市橋被告の殺意の有無などが主な争点になるという。弁護側は被告に殺意はなく、強姦と傷害致死の罪が適当と主張している。(時事通信2011/04/19-17:00)
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〔リンゼイさん事件〕市橋達也被告手記『逮捕されるまで 空白の2年7ヶ月の記録』/吉村昭著『長英逃亡』2011-01-25 | 死刑/重刑/生命犯 問題
リンゼイ・アン・ホーカーさん事件 市橋達也被告 第1回公判前手続き2010-06-28 
市橋達也被告への支援金、100万円突破「リンゼイさん殺害事件」
英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件 市橋弁護団vs捜査当局、すでに激しい“つばぜり合い” 


苛酷な作業を強いられる東電社員 自らが被災者/「東電」と指さされ誹謗中傷/心理的に厳しい状況

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作業員のストレス対策必要 原発で産業医が聞き取り
2011年4月20日 07時05分
福島第二原発の体育館で、寒さをしのぐため防護服を着て眠る準備をする作業員ら=谷川武教授提供
 福島第一原発で事故処理作業にあたる東京電力社員らの心理的状態を調べた愛媛大大学院の谷川武教授(49)=公衆衛生学=が十九日、本紙の取材に応じ、「社員の多くも被災者であり、家族が避難所にいる。厳しい作業に追われる上、休む場所がまったくない」と話した。作業員にとって心理的に厳しい状況が続いており、早期の対策が不可欠だという。
 谷川教授はこれまで約二十年間、非常勤産業医として社員らの健康管理にあたってきた。今回は十六日から十九日まで、福島第二原発の免震重要棟内の仮設診療所で寝泊まりしつつ、福島第一と第二の東電社員ら九十人から話を聞いた。事故後、社員らのストレス対策で専門家が入ったのは初めてだった。
 社員自らが、家族や自宅を失っていたり、避難指示区域に住む被災者だ。震災発生直後は、家族の安否確認もできないまま、十日以上も家に帰れず、長時間の厳しい作業をした。この間、床や椅子で眠る生活が続いた。
 社員らは、谷川教授に避難所でのつらい体験を打ち明けた。休みを取って避難所の家族の元に帰っても、事故を起こした東電社員であることから「申し訳ない」との思いを抱え続けている。
 家族とくつろぐはずの避難所で、「東電」と言われながら指さされたり、誹謗(ひぼう)中傷を受けたと吐露した社員もいたという。
 谷川教授は「彼らには発電所でも、避難所でも休む場所がない。死に物狂いで頑張っているが、さすがに疲れが隠せない状態」と話した。第二原発の社員も津波や地震対策に追われ、激務をこなしているという。
 福島第二原発の体育館には畳四百五十六枚が敷き詰められ、その上で第一原発の作業員ら二百人が寝袋や毛布で眠る。夜、谷川教授が巡回すると、重症の睡眠時無呼吸症候群の患者のすさまじいいびきが響く。「強烈ないびきで他の作業員がよく眠れていない状況」といい、谷川教授はいびきの大きな人に治療を施し、睡眠環境の改善を図った。
 東電が示した事故収束への工程では、うまくいっても半年以上の緊張した作業が続く。谷川教授は「今後は、慢性的なストレス状態が続く。長期にストレスがかかると、うつ病や脳卒中など循環器系の疾患の発症リスクが高まる」と指摘。
 「ストレスの緩和や長期にわたる心のケアが必要だ。医師の応援も拡充し、ストレスや被ばく対策を含めた計画的な健康管理体制を早急に取り組まなくてはならない」と話した。(東京新聞)
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〈来栖の独白〉
 東電社員(作業員)や自衛隊の方たち。最もしんどい辛いところを担ってくださっている方たち。「東電の」と罵声もあびせられる。
 私たちの快適な生活のために、今回の事故が起きた。人災である。私たち日本人が全員、この苦難を担うべきところ、僅かの作業員、関係者の方々に担わせている。「代受苦」という言葉は、イエスの十字架を意味する。我々人類の罪を一身に背負ってイエスは十字架の苦しみに身を委ねられた。作業員の方々の苦難が、イエスの痛みに重なってならない。頭を垂れる。夜も昼間のように明るくし、ドアを手で開けず足で、或いはセンサーで開けさせた。・・・頭を垂れる。

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そこは?死の灰?が降る戦場だった/もたれ合い原発ムラの科学者たちはテレビに出るのではなく、現場へ行け2011-04-16 | 地震/原発
災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声/戦争ではないが、この国は間違いなく長期戦の最中にある2011-04-14 |
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ACのCM「あいさつするたび友達増える」衝撃の実験結果

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YAHOO!ニュース「あいさつするたび友達増える」衝撃の実験結果
web R25
 4月19日(火)10時5分配信
震災後、テレビのCM枠をほぼ埋め尽くして話題になったACのCM。いくつかバージョンがあるなかで、「たーのしーーーなーかまーがーー」というテーマソングが耳になじんだACのCMは、「あいさつするたび友達増えるね」というフレーズで締めくくられるが、個人ブログで、「実際にあいさつしたら友達が増えるのか?」を実践しレポートする人が登場。その衝撃的な結末がネット上で大変な話題となり、わずか3日間でこのエントリーに対するツイートは4万5000件だ。また、13日には、同ブログがFC2ブログランキング1位になったことをブログ主が報告している。
話題となっているのは、個人ブログ『バカだもん。-月に吠える-』に4月12日にアップされた「あの『広告』は本当なのか。」というエントリー。「あいさつするとともだちはふえるのか?」と、半ば屁理屈のような疑問を思ったブログ主は、「自分達の前を人が通るたびにあいさつする」というルールを設け、それを実践した結果を報告している。
エントリーによると、
1人目、普通のオジサン。
「こんにちわ!」
無視
2人目、普通のオジサン
「こんにちわ!」
無視
3人目、主婦
「こんにちわ!」
無視
と、つらいスタートを経て、小一時間あいさつし続けたブログ主。初めて向こうからあいさつされたのは警官で、彼はそのまま署に連行されてしまい、事情を説明すると警官は「悪いことではないけど、不審だからやめなさい。普段の生活で頑張りなさい」と諭したという。
このエントリーがツイッターで紹介されると、ツイッター上には
「誰もが気になってたことを実験してくれた!」
「これはひどいwwwww」
「実験結果がおもしろすぎる」
「この記事最高すぎるwwwww」
と、絶賛のコメントが殺到し、いまもRTする人が増え続けている。
なおブログ主は、ツイッターなどに寄せられる「ホントなの?」という質問に対し、「もともと身内ネタでダラダラやろうと思ってたブログです。一切金にも名誉にもならんのに嘘なんか書きません」と、この実験を本当に行ったことを強調。「みんなありがとウサギ!!」というエントリーで、「ものすごいアクセスありがとうございます」と、感謝の言葉を述べている。
(R25編集部)最終更新:4月19日(火)10時5分
※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびweb R25から一部抜粋したものです
※一部のコラムを除き、web R25では図・表・写真付きのコラムを掲載しております

五木寛之著『親鸞』どうしてあなたなどを恐れることがあるだろう。あなた以上の悪人がここにいる

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五木寛之著『親鸞』106 激動編 2011/4/18 Mon.夏の終わり(11)
(抜粋)
「失礼ないいかたかもしれぬが、この地の人びとは、ほとんど念仏についておわかりになっていないように思われる。念仏を、なにか呪文かお祈りのようにまちがって考えておられるのです。あなたもそうらしい。もしあなたに、わたしの話を聞く気があれば、これまでに学ばれた一切のことを忘れさって、赤子のようにうけ入れてほしい。いや、それは無理なことです。法然上人は、痴愚にかえれ、とおっしゃった。でも、人はいったん身につけたものを捨てても、最初から何ももたなかった者になることはできない。わたし自身、つくづくそう思うのですから」
「痴愚のふりをしても、過去は消えないのです。現に、わたしはいま、郡司の役所の書きものや、あちこちから頼まれる写経、写本などをひきうけて、暮らしの足しにしている。朝から晩まで筆をおくいとまもないほど忙しいのです。また荘官の子弟たちや、名主、商人の息子たちに四書五経の手ほどきもする。すべて過去に身につけた知識のはしくれだ。痴愚どころか都からやってきた知恵者のような顔をして日を送っているのです。恥ずかしいかぎりです。(略)」
 恵信のいない心細さのせいかもしれない、と思ったが、それはいわなかった。不意に現れた鉄杖という男に、親鸞はなぜか心を許すところがあったのだ。
 彼の言葉には、飾り気はないが、人のいわんとする心の背景を無言で察するような配慮がある。山伏修行で長く山中に暮らしていたというのに、人情の機微をよく心得ている感じもする。かつて人を殺したという物騒な人物とは、とても思えないのだ。
 この男を身近におきたい、と親鸞は思った。

五木寛之著『親鸞』107 激動編 2011/4/19 Tue.夏の終わり(12)
 そんな親鸞の心の動きを読みとったように、鉄杖がそっとむしろからはいだして、闇の中に平伏する気配があった。
「弟子とよんでくださらなくても結構です。わたしを親鸞さまの下人としてそばにおおきください。わたしは人を殺めて逃れた人間です。十悪五逆の悪人です。そのことは名香房からすでにお聞きになっているはず。そんな人殺しを警戒もせずに、平気で枕をならべて眠ろうとする人など、この世にはほかには絶対におりませぬ。どうぞわたしを親鸞さまの下人としておそばに・・・」
 親鸞は苦笑した。
「わたしは下人も、弟子も、もつ気はありません。さあ、横になって、おやすみなさい」
「自分で自分の片腕を斬りおとしてごらんにいれれば、承知してくださいますか」
 鉄杖がなにをいおうとしているかは、親鸞にはすぐにわかった。かつて達磨大師に弟子入りしようとして断られた慧可が、自分の片腕を切断して決心の固さを示した有名な故事を、この男は実行する気なのだろうか。
 闇の中に白く鋭い光が見えた。鉄杖がかくしもっていた小刀だろう。
〈この男は本気だ〉
 親鸞はおきあがった。そして弟に語りかけるような語調でいった。
「わかった。刃物はおしまいなさい。あなたに、聞いてほしい言葉がある。むかし偈として教えられた古い仏典の中の釈尊の言葉に、犀のごとく独り歩め、と---」
「わたしも聞いたことがございます」
 と鉄杖はいった。
「すべての命あるものを殺すな、子を欲することも、道づれを求めることもやめよ、犀のごとく独り歩め、と」
「僧だ。だが、わたしには、それはできない。命あるものを食べる。人とも争う。そして妻もめとった。友もいる。わが子もほしいと思う。わたしはそういう人間なのだ。どうしてあなたなどを恐れることがあるだろう。あなた以上の悪人がここにいるのだから。それでもよければ、一緒に念仏の道をいこう。釈尊の言葉さえ守れぬ悪人同士として」
 鉄杖は身じろぎもせず闇の中で親鸞の声を聞いていた。そのとき親鸞は、人に語ることは、自分に問いかけることなのだ、と、はっきりと感じた。人に語ることは、教えることではない。それは、人にたずねることなのだ。もっと話したい、と親鸞はつよく思った。

五木寛之著『親鸞』108 激動編 2011/4/20 Wed.夏の終わり(13)
「鉄杖どのは、おいくつになられるのか」 と、親鸞はきいた。
 三十四歳です、と鉄杖はこたえた。
「ふだん五十歳くらいに見られることが多ございますけれども」
 あやうく磔の刑にあいそうになって、一晩で20も歳をとった顔になったのだ、と彼はいった。(以下略)
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瀬戸内寂聴著 『釈迦』 新潮文庫 
「あらゆる生きとし生けるものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、子女を欲するなかれ、況んや朋友をや、犀の角のようにただ独り歩め」
 常に弟子たちに説かれる世尊の言葉がその背から、ひしひしと聞こえてくる。
p140〜
「泣くがいい、心のすむまで泣くがいい。お前の苦しんだ苦しみは、ひとりの苦しみではない。人みなの受ける苦しみだ。人が苦しまねばならないのは、心に執着があるからだ。人の苦しみには生・老・病・死という避け難い苦悩の他に、愛する者と別れねばならない愛別離苦という苦しみがある。憎悪する者に出逢わねばならぬ怨憎会苦という苦しみもある。欲しいものが手に入らない求不得苦という苦しみもある。人間の五体が生じる欲望にもだえる苦しみもある。これを五蘊盛苦という。お前の運命は、この世の苦のすべてを受け入れてきた。ウッパラヴァンナーよ、よく堪えた。こうして生きているわれわれ人間の存在そのものが苦なのだということを、お前は身をもって味わい尽くしてきたのだ。多く愛した者ほど苦しみの深さも大きい。そのかわり多く苦しんだ者ほど聖なるものの愛を受けることが大きい」
 ウッパラヴァンナーは、はっとした表情で、涙に濡れた顔をあげた。
 母と夫の醜い姿、娘と自分の不幸な結婚、二度までも、母が娘と同じ夫を分けもたねばならなかった屈辱と痛恨。それらはすべて、世尊が今説かれた人間の存在そのものが苦だということばの中に含まれている。
 ウッパラヴァンナーは大きな目を黒々と輝かせ、世尊の前に合掌し、そのお顔を見上げた。
「お願いでございます。どうか私を、み仏の弟子にして下さいませ」
 それにはお答えにならず、世尊は静かな声で話しつづけられた。
「人の心の中に無明の闇が抱かれている。そこに燃えさかる渇愛の焔を、お前は今こそ静める時が来たのだ。どんな激しい火も燃え尽きる時がある。今、すでに人より多く苦しんできたお前は、その苦悩の代償として人より深い叡智を与えられ、阿羅漢に近づきかけているのだ。ウッパラヴァンナーよ、み仏はお前の出家の希望をかなえてくださるだろう」
p301〜
 世尊は命尽き果てる場所と時を、この旅にゆだねきっていられたのだ。
 昔、世尊は弟子に向かって口癖のようにおっしゃったではないか。
「一つの道を二人して行くな」
「犀の角のようにただ独り歩め」
と。世尊御自身が群れを成すのを嫌悪していられた。弟子がともすれば徒党を組むのを厳しく戒められた。
p302〜
 生涯、ただ独り歩きたいと望む単独行の願望者にとって、弟子や同志に囲まれた教団の長としての立場から逃れたいと、切に思われる日はなかったであろうか。
 アーナンダという杖なくしては、もはや単独行さえ適わなくなった厳然たる老いを、世尊はどうしてもうけいれられなかったのだろう。
 ふと気が付くと、思いに捕らわれている私の横を、チュンダはとうに追い越していた。道の前途に、チュンダの背に負われた世尊の力ないお姿が、痛ましく見える。
----アーナンダよ、わかったか、私の最後の旅は、どこの涯にか、野垂れ死の死場所を需め、そこにたどりつくだけが目的の旅だったということが----
 ぼろ布のようにチュンダの背にしがみつかれた世尊の背が、私にははっきりそう語りかけてくる。 無双の尊い覚者ともあろう聖なる人が、下痢と下血の汚穢にまみれながら、最後の旅を、人の背に運ばれて行くとは。
 そう思うことが凡夫の浅はかな憶測なのであろう。
p318〜
「私はこのように聞いた。世尊のお言葉のままである。
 ----この世は美しい
     人の命は甘美なものだ----」
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〈来栖の独白〉
>どうしてあなたなどを恐れることがあるだろう。あなた以上の悪人がここにいるのだから。
>人に語ることは、自分に問いかけることなのだ、と、はっきりと感じた。人に語ることは、教えることではない。それは、人にたずねることなのだ。
 親鸞のこの告白は、そのまま私自身のものだ。誰に対しても私は心の裡で語りかける、「あなた以上の悪人がここにいる」と。
 そんな私だから、イエスの言葉に涙し、ついて行こうと思ったのだ。
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世間でさげすまれている人たち=彼らこそ私の師であり、兄であり、友であった。彼らとともに生きてゆく。2009-08-30 | 仏教/親鸞/五木寛之・・

福島第1原発から半径20キロ圏内を警戒区域に/処罰覚悟の住民も

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東日本大震災:福島第1原発事故 南相馬市、20キロ圏50世帯に避難促す/福島
 ◇「警戒区域」設定方針受け
 政府が福島第1原発から半径20キロ圏内を「警戒区域」に設定する方針を受け、南相馬市は圏内に残っている市民に避難を促している。現在は強制力のない「避難指示区域」だが、警戒区域は災害対策基本法に基づき、強制的に立ち入りを禁じたり、退去を命じたりできる。約50世帯が生活しているとみられ、市は広報車などを出して引き続き避難を呼びかける方針だ。
 同市によると、警戒区域は同市小高区の全域と、原町区の▽小沢▽堤谷▽江井▽下江井▽小木迫▽鶴谷▽米々沢▽小浜(間形沢を除く)▽雫のうち袖原▽大甕のうち田堤、森合、森合東、観音前▽高のうち町田、北ノ内、北川原、山梨、高田、舘ノ内、弥勒堂、薬師堂、御稲荷、花木内、鍛冶内、中平、大久保前、原、権現壇、高林。【神保圭作】毎日新聞 2011年4月21日 地方版
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警戒区域 9市町村百数十人超 処罰覚悟の住民も
2011年4月21日 東京新聞 朝刊
 政府が「警戒区域」に設定する福島第一原発の半径二十キロ圏内に、少なくとも百数十人が今も住んでいることが、圏内にかかる九市町村への取材で分かった。警戒区域になれば強制退去もあり得るが、住民からは「慣れない土地に行きたくない」と渋る声も上がる。行政側も「説得に応じてくれるか分からない」と困惑している。 (原発事故取材班)
 ●妥協
 「もう疲れたので妥協するが、また戻る。罰則は気にしない」。震災後も第一原発から十数キロの自宅で、妻(81)と暮らしてきた南相馬市小高区上浦の阿部清さん(83)は二十日、市の説得で避難することを決めたが、納得はしていない。
 二十キロ圏内が避難指示区域となった震災翌日の三月十二日、近隣住民は皆避難した。直後は電気も使えて不自由は感じなかったが、月末に突然停電。電力会社に抗議しても「国の方針」と言うばかり。冷蔵庫の食料は腐り、米を炊くプロパンガスも残りわずかとなり、阿部さんは避難を受け入れた。だが「私はガン宣告を受け、ほかにも持病がある。避難所に行った方が寿命が縮む」といずれ帰宅するつもりだ。
 二十キロ圏内の楢葉町の自宅に残る松井義男さん(84)は「一度は避難所に行ったが、人混みが嫌で戻った。寂しかあないよ」。足が悪く外出はほとんどしないが、友人がカップ麺や弁当を届けてくれるという。警戒区域の設定については「年寄りだけえね。放射能はどこさ行っても同じ。原発の南側で風上だし、大丈夫だ。心配しないでええ。放っといてくれればええよ」と笑った。
 ●治安
 「町の治安を守るためには警戒区域が必要」と話すのは、原発から二十一キロの緊急時避難準備区域に住む南相馬市原町区下太田の七十代男性。「二十キロ圏内は県外車両が来て空き巣が横行している」として仲間と防犯パトロールをしている。「圏内に入る人に『どこへ行く』と聞いても、『親類の家に来た』と言われたらおしまい」。立ち入り禁止になれば警戒しやすくなると考えている。
 ●説得
 九市町村のうち、避難していない住民が最も多いのは南相馬市。市南部の二十キロ圏内に、今も約百人がとどまっているという。
 楢葉町には十二世帯十七人の住民が残留。町は自衛隊と協力して十二日までに二〜三回にわたり、直接家を訪ねて避難するよう説得したが、拒まれた。町の担当者は「生まれた土地を離れたくないという高齢の住民ばかり。警戒区域になる前に、あらためて説得したいが応じてくれるか分からない」と苦悩を明かす。
 町全域が圏内に入る富岡町。十日時点の町の調査では、少なくとも高齢者を中心に七世帯八人の住民が確認された。避難の説得にあたっているが、町の担当者は「牛を置いてはいけないという人もいた」と当惑気味だ。
 村東部が圏内に入る川内村では、一人暮らしの五十七歳と八十四歳の女性が残る。職員は何度も自宅を訪れたが、「慣れない土地に行きたくない」「避難所での共同生活に自信がない」など本人の意志が固く、避難の説得に難航している。八十四歳の女性には介護施設に入所してもらうことを検討しているが、要介護認定の手続きも済んでおらず時間がかかる見通しという。
 田村市と浪江町にも数人残っており、連日説得を続けている。一方、第一原発がある大熊町と双葉町、一部が圏内にかかる葛尾村には、避難していない住民はいないという。

原発支持 日本=事故前62%⇒39%/フランス58%/中国70%/韓国64%

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仏原発支持、58%に低下=日本は39%―世論調査
(時事通信社-04月21日 09:03)
 【パリ時事】フランス人の58%が原子力発電に賛成しているものの、その割合は東日本大震災前の66%から低下したとする世論調査が20日、同国テレビで公表された。電力供給の約8割を原発に依存する「原発大国」フランスだが、福島第1原発の事故を受け、信頼が揺らいだ。
 AFP通信によれば、調査は事故後に47カ国で実施された。原発への支持率が最も高かったのは中国で、70%。韓国が64%、ナイジェリアが63%、ブルガリアとチェコが各61%でこれに続く。
 原発反対はオーストリアの90%を筆頭に、89%のギリシャ、80%のグルジアなどが高率。原発計画の無期限凍結を決めたイタリアは75%、反原発を掲げる「緑の党」が支持を伸ばしているドイツでも73%が反対と回答した。
 日本では事故前に62%だった原発支持が39%にまで急低下。米国は支持が47%、ロシアは52%と、賛否が拮抗(きっこう)している。
 調査はギャラップ・インターナショナルなどが実施した。

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