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「感情司法」はびこらせるな 強制起訴の運用に問題 / 政治家の金銭感覚

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「感情司法」はびこらせるな 強制起訴の運用に問題
産経新聞2012年5月1日(火)15:38
 【西論】
 犯罪容疑者は検察官によって裁判に付され(起訴)、裁判官の審理で有罪か無罪かが決定される−。当たり前だと認識してきた刑事司法のありようは、大きく形を変えている。
 厳罰犯罪は国民から選ばれた裁判員が第1審を裁き、死刑宣告にも関わるようになった。裁判員制度は3年前に実施された司法制度改革の象徴だ。
 その陰に隠れて当時は存在感が薄かったが、同時期に改正された検察審査会法は、拘束力のない検察審査会(検審)の議決に権限を与えた。検察の不起訴処分に対し、国民から選ばれた審査員による検審が2度「起訴すべし」と議決すれば、強制的に起訴される権限だ。新制度が開始されるや、すさまじいばかりに存在感を強めてきた。
 4月26日。資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり政治資金規正法違反の罪に問われた民主党の小沢一郎元代表に、東京地裁は無罪を宣告した。元代表を法廷に立たせたのは検察官ではない。検審である。
 法律家である検察官が「この証拠では起訴できない」と不起訴にした小沢元代表を、法律素人の検審という「民意」が「起訴すべし」と議決、これを裁判所が「無罪」と退けたのだ。
 強制起訴制度の開始から3年。小沢元代表を含め、強制起訴されたのは全国で6事件。判決が出されたのは沖縄の未公開株詐欺事件と小沢元代表の事件の2件で、いずれも無罪である。
 正直、強制起訴制度の運用はまことに問題が多いと言わざるを得ない。
 ■起訴の基準が異なっている
 全国で初めて強制起訴を議決したのは神戸第2検察審査会だった。兵庫県明石市の歩道橋事故(平成13年)をめぐり、業務上過失致死傷罪で元明石警察署副署長を平成22年1月に強制起訴議決。2カ月後には神戸第1検審が、JR福知山線脱線事故でJR西日本の歴代3社長を業務上過失致死傷罪で強制起訴すべく議決した。全国6件のうち2件が兵庫県の事件というのも皮肉だが、いずれも有罪への壁は厚い。
 強制起訴されたのは、検察が「難しい」と起訴を見送った事件だ。有罪立証はもともと難しい。それは当初から分かっていたが、問題は、これを逆手にとった起訴の定義が検審の中で芽生えていることである。歩道橋事故の起訴議決で神戸第2検審は明記した。
 《有罪か無罪かという検察官と同様の立場ではなく、市民感覚の視点から公開の裁判で事実関係と責任の所在を明らかにし、同様の重大事故の再発防止を望む点に置いた》
 日本の刑事裁判の有罪率は99%。「精密司法」と称される所以(ゆえん)で、「有罪を確信できる事件でなければ起訴しない」という検察の慎重な起訴基準がもたらしたものだ。「公開裁判の場で事実関係の解明を」という検審の起訴議決は検察のそれとは明らかに異なる。起訴の基準にダブルスタンダードが発生しているのだ。これは同じ証拠環境でも起訴される人とされない人が出ることを意味し、法の下の不平等を誘発する。
 ■制度を見直すべきだ
 法は検審に独自の起訴基準を認めたわけではない。由々しき状態と思うが、学識者には基準の乱立を「それが強制起訴の目的」と当然視する見方もある。そのあたりのコンセンサスが形成されていない。
 小沢元代表のような大物政治家はともかく、普通の国民にとって起訴されることは社会的な死に等しい。組織が懲戒免職などの処分を行うタイミングは起訴時が圧倒的に多い。「起訴イコール有罪」が定着しているからだ。
 この認識が変わらないまま有罪の心証が薄い強制起訴がなされれば被告の不利が大きすぎる。「強制起訴は通常の起訴と異なり、必ずしも有罪の心証があるわけでない」との認識を社会として共有する必要がある。
 小沢元代表の公判では「検察の虚偽の捜査報告書を根拠とした検審の強制起訴議決は有効か」も争点になった。判決は「虚偽報告書と起訴議決の有効性は別の問題」と適法性を認めた。
 が、視点を広げると、これは故意の誤情報で検審に起訴させることが可能ということを示す。性悪説の見方だが、現状では悪意の排除策がない。
 不適切な強制起訴を議決してしまった場合、責任はどこに帰し、被害の回復・賠償は誰の義務となるのか。審査過程が情報公開されないままでいいのか。権限の大きさに比べ、検審運営には首をかしげたくなることが多い。
 日本は起訴権限を検察官にのみ付与してきた。起訴基準に不平等を生じさせないためだ。が、起訴独占主義は訴追権の運用が官僚的と映りがちで、このあたりのギャップに民意を反映させるのが検審改革の狙いであった。その目指す方向は間違っていない。
 諸問題を置き去りにしたまま制度を走らせたため、あちこちで矛盾が生じているのが現在の姿だろう。
 検察が証拠不十分で起訴できないというものを「起訴すべし」とする「民意」にはえてして「感情」が紛れ込みやすい。「けしからん罪(ざい)」を野放しにすると「感情司法」が幅を利かせ、築いてきた「精密司法」の駆逐につながる。それで、いいのか。
 とはいえ「小沢公判」からは、政治家がいかに資金の扱いに無責任かが詳細に伝わってきた。強制起訴がなければ、こうした生の供述を引き出すのは不可能だった。この意義は大きい。
 法曹は制度見直しに着手すべきだ。おのずと強制起訴に適する事件と適さないものの差はあるとみられる。「政治」から手を突っ込まれる前に、「小沢公判」の経験を検審運営に反映させたほうがいい。(編集長・井口文彦)
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【政治家の金銭感覚】 田中良紹の「国会探検」2012-01-13 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
  政治家の金銭感覚
  強制起訴された小沢一郎氏の裁判でヤマ場とされた被告人質問が終った。法廷でのやり取りを報道で知る限り、検察官役の指定弁護士は何を聞き出したいのかが分からないほど同じ質問を繰り返し、検察が作り上げたストーリーを証明する事は出来なかった。
 検察が起訴できないと判断したものを、新たな事実もないのに強制起訴したのだから当たり前と言えば当たり前である。もし検察が起訴していれば検察は捜査能力のなさを裁判で露呈する結果になったと私は思う。従って検察審査会の強制起訴は、検察にとって自らが打撃を受ける事なく小沢一郎氏を被告にし、政治的打撃を与える方法であった。
 ところがこの裁判で証人となった取調べ検事は、証拠を改竄していた事を認めたため、強制起訴そのものの正当性が問われる事になった。語るに落ちるとはこの事である。いずれにせよこの事件を画策した側は「見込み」が外れた事によって収拾の仕方を考えざるを得なくなった。もはや有罪か無罪かではない。小沢氏の道義的?責任を追及するしかなくなった。
 そう思って見ていると、権力の操り人形が思った通りの報道を始めた。小沢氏が法廷で「記憶にない」を繰り返した事を強調し、犯罪者がシラを切り通したという印象を国民に与える一方、有識者に「市民とかけ離れた異様な金銭感覚」などと言わせて小沢氏の「金権ぶり」を批判した。
 しかし「記憶にない」ものは「記憶にない」と言うしかない。繰り返したのは検察官役の指定弁護士が同じ質問を何度も繰り返したからである。そして私は政治家の金銭感覚を問題にする「市民感覚」とやらに辟易とした。政治家に対して「庶民と同じ金銭感覚を持て」と要求する国民が世界中にいるだろうか。オバマやプーチンや胡錦濤は国民から庶民的金銭感覚を期待されているのか?
 政治家の仕事は、国民が納めた税金を無駄にしないよう官僚を監督指導し、国民生活を上向かせる政策を考え、謀略渦巻く国際社会から国民を守る備えをする事である。そのため政治家は独自の情報網を構築し、絶えず情報を収集分析して対応策を講じなければならない。一人では出来ない。そのためには人と金が要る。金のない政治家は官僚の情報に頼るしかなく情報で官僚にコントロールされる。官僚主導の政治が続く原因の一つは、「政治とカネ」の批判を恐れて集金を自粛する政治家がいる事である。
 今月から始まったアメリカ大統領選挙は集金能力の戦いである。多くの金を集めた者が大統領の座を射止める。オバマはヒラリーより金を集めたから大統領になれた。そう言うと「清貧」好きな日本のメディアは「オバマの金は個人献金だ」と大嘘を言う。オバマが集めたのは圧倒的に企業献金で、中でも金融機関からの献金で大統領になれた。オバマは150億円を越す巨額の資金を選挙に投入したが、目的は自分を多くの国民に知ってもらうためである。そうやって国民の心を一つにして未来に向かう。これがアメリカ大統領選挙でありアメリカ民主主義である。政治が市民の金銭感覚とかけ離れて一体何が悪いのか。
 スケールは小さいが日本の政治家も20名程度の従業員を抱える企業経営者と同程度の金を動かす必要はある。グループを束ねる実力者ともなれば10億や20億の金を持っていてもおかしくない。それが国民の代表として行政権力や外国の勢力と戦う力になる。その力を削ごうとするのは国民が自分で自分の首を絞める行為だと私は思う。
 日本の選挙制度はアメリカと同じで個人を売り込む選挙だから金がかかる。それを悪いと言うから官僚主義が民主主義に優先する。それでも金のかからない選挙が良ければイギリス型の選挙制度を導入すれば良い。本物のマニフェスト選挙をやれば個人を売り込む必要はなく、ポスターも選挙事務所も街宣車も不要になる。「候補者は豚でも良い」と言われる選挙が実現する。いずれそちらに移行するにせよ今の日本はアメリカ型の選挙なのだから金がかかるのをおかしいと言う方がおかしい。
 ところで陸山会事件を見ていると1992年の東京佐川急便事件を思い出す。金丸自民党副総裁が東京佐川急便から5億円の裏献金を貰ったとして検察が捜査に乗り出した。捜査の結果、献金は「金丸個人」ではなく「政治団体」へのもので参議院選挙用の陣中見舞いである事が分かった。しかも既に時効になっていた。要するに検察が描いたストーリーは間違っていた。
 ところが検察はメディアを使って「金丸悪玉」イメージを流した後で振り上げた拳を下ろせなかった。しかし金丸氏を起訴して裁判になれば大恥をかくのは検察である。検察は窮地に立たされた。そこで検察は取引を要求した。略式起訴の罰金刑を条件に、検察のストーリー通りに献金の宛先を「金丸個人」にし、献金の時期も時効にならないよう変更しろと迫った。「拒否すれば派閥の政治家事務所を次々家宅捜索する」と言って脅した。その時、小沢一郎氏は「裁判で検察と徹底抗戦すべし」と進言した。法務大臣を務めた梶山静六氏は検察との手打ちを薦めた。この対立が自民党分裂のきっかけとなる。
 金丸氏が取引に応じた事で検察は救われた。そして金丸氏は略式起訴の罰金刑になった。しかし何も知らない国民はメディアの「金丸悪玉説」を信じ、余りにも軽い処罰に怒った。怒りは金丸氏よりも検察に向かい、建物にペンキが投げつけられ、検察の威信は地に堕ちた。検察は存亡の危機に立たされ、どうしても金丸氏を逮捕せざるを得なくなった。
 総力を挙げた捜査の結果、翌年に検察は脱税で金丸氏を逮捕した。この脱税容疑にも謎はあるが金丸氏が死亡したため解明されずに終った。世間は検察が「政界のドン」を追い詰め、摘発したように思っているが、当時の検察首脳は「もし小沢一郎氏の主張を取り入れて金丸氏が検察と争う事になっていたら検察は打撃を受けた」と語った。産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏の著書「歪んだ正義」(情報センター出版局)にはそう書かれてある。
 小沢一郎氏は金丸氏に進言したように自らも裁判で検察と徹底抗戦する道を選んだ。検察は土地取引を巡って小沢氏が用立てた4億円の原資に水谷建設から受け取った違法な裏金が含まれているというストーリーを描き、それを隠すために小沢氏が秘書と共謀して政治資金収支報告書に嘘の記載をしたとしている。それを証明する証拠はこれまでのところ石川知裕元秘書の供述調書しかないが、本人は検事に誘導された供述だとしている。
 その供述調書が証拠採用されるかどうかは2月に決まる。その決定は裁判所が行政権力の側か国民主権の側かのリトマス試験紙になる。そして小沢氏に対する道義的?責任追及も民主主義の側か官主主義の側かを教えてくれるリトマス試験紙になる。
投稿者:田中良紹 日時:2012年1月12日 23:53
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