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名張毒ぶどう酒事件 奥西死刑囚の再審認めず/「自供後は豹変したように穏やかに」鑑識係古川秀夫氏

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【三重】
51年…思い交錯 奥西死刑囚の再審認めず
中日新聞2012年5月26日
 名古屋高裁が二十五日に下したのは「再審認めず」だった。一九六一(昭和三十六)年、名張市葛尾で女性五人が犠牲になった名張毒ぶどう酒事件の第七次再審請求差し戻し審。「当然の結果だ」「物証がないのに死刑でいいのか」。事件から五十一年、地元住民や支援者の間では、それぞれの思いが交錯した。
 「よかった。これで事件に区切りがつく」。午前十時、決定の一報が流れると、自宅でテレビを見ていた神谷(しんたに)すづ子さん(85)が大きく息をついた。事件で親しい友人を亡くし、自身もぶどう酒を飲んで一時意識不明になった。裁判の節目を迎えるたび事件の記憶がよみがえり、心がざわついた。「暗いニュースで地元が有名になるなんてもう嫌や」
 三重、奈良県境にまたがる葛尾地区。普段は二十三世帯六十七人が暮らす静かな山里だが、この日は決定を受けて大勢の報道陣でごった返した。
 事件で姉の新矢好(しんやよし)さんを亡くした神谷(しんたに)武さん(74)は「事件を忘れることはできないが、もう裁判で騒ぐのはやめてほしい」と願う。当時の葛尾区長の平井藤太郎さん(94)も「人が少ない集落で他に犯人がいればとっくに出てきているはず」と話し、事件が起きた懇親会に出席した宮坂勇さん(74)は「もう再審請求をしないでほしい」と注文を付けた。
 一方、奥西勝死刑囚(86)の無罪を長年訴えてきた地元支援者や知人の間には失望が広がった。
 奥西死刑囚と葛尾近くの採石場で一年間働いた元同僚の山田清さん(70)=伊賀市=は「凶器とされた農薬の瓶も見つかっておらず、確かな証拠が一つもない。裁判所の判断はおかしい」と話す。事件当日の夕方まで奥西死刑囚と一緒だったが、事件を起こすような様子は感じなかった。「再審開始で拘置所から出られたら『ご苦労さん』と声を掛けたかったのに」
 特別面会人の一人で奈良県山添村議の奥谷和夫さん(54)は「奥西さんの人生をもてあそぶ不当決定。疑わしきは被告人の利益と言うが、それに反する結果だ」と怒りをあらわにした。
 (河北彬光、小西亮、山田雄之、安部伸吾)
◆名張市民「ひと区切りついた」
 今回の不開始決定を、地元の名張市民はどう受け止めたのか。
 「また再審請求すれば、同じことが繰り返されるだけではないか」。会社員の向井正枝さん(55)=桔梗が丘三番町=は事件のさらなる長期化を心配する。パート従業員の北原理美(さとみ)さん(62)=つつじが丘北=も「どんな決定が下されても、無罪だと声を上げる人がいる限り、事件は終わらないと思う」と話した。
 一方、今回の決定が事件の幕引きにつながると評価する声も。事件のあった葛尾地区の近くに住む自営業男性(70)は「とりあえずひと区切りついたのでは」と胸をなで下ろした。農業杉原義夫さん(66)=美旗中村=も「もうこれで終わり。これ以上、名張を毒ぶどうのことで報道してほしくない」と語った。
 (安部伸吾)
◆北浦ヤス子さんの妹「裁判がどうなろうと命は帰ってこんのや」 
 再審不開始の知らせを聞いても、感情に変化はない。事件で八歳年上の姉を亡くした山下敏子さん(78)=名張市=は、何度も繰り返しつぶやいた。「裁判がどうなろうと命は帰ってこんのや」
 ぶどう酒を飲んで死亡した北浦ヤス子さん=当時(36)=は、自慢の姉だった。八人きょうだいの二番目。「頭がよくて人の悪口は言わない。べっぴんさんやったな」。すっと通った鼻筋がうらやましかった。
 互いに結婚し、それぞれ家庭を築いていたころ、夜に突然電話が鳴った。「ヤス子がぶどう酒を飲んで倒れた。もうだめかもしれん」と、父の張り詰めた声。事件現場近くの実家に向かう車中で震えが止まらず、到着後に訃報を聞いた。
 元気だった母はめっきり老け込み、事件から二年後にがんでこの世を去った。「姉だけでなく、母まで奪っていったわ」。事件を忘れようと思っても、裁判の動きが報道される度に心が乱される。だから無関心でいるようになった。
 あれから半世紀がたっても、よくヤス子さんが夢に現れる。ほほ笑む姿に懐かしさを感じる。「姉を思うことはあっても、事件はもう思い出さない」。敏子さんは言い切った。
 (小西亮)
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毒ぶどう酒 再審認めず 現場の集落、複雑な思い 三重
産経ニュース2012.5.26 02:08
 ■忘れたい/区切りついた
 名張市で昭和36年3月にぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が入院した名張毒ぶどう酒事件で奥西勝死刑囚(86)の7度目の再審請求を退けた名古屋高裁の25日の決定。半世紀前に現場があった葛尾地区は鳥の鳴き声が時折、のどかにこだまするだけの山里だが、この日は決定の反応を取材するテレビカメラなどがあわただしく行き交っていた。決定に対し、地区をはじめ関係者からはさまざまな声が聞かれた。
                   ◇
 地区の区長で毒ぶどう酒を飲み母が一時重体になった福岡芳成さん(63)は「50年以上前の話がぶりかえされても同じだった。亡くなった人はかえらないし、私も事件は忘れたい。そっとしておいてほしい」。福岡さんらの母とぶどう酒を飲み入院した神谷すゞ子さん(85)は「長かった。関わった人たちはほとんど亡くなっているんだから。まだ続くのかもしれないが、ある区切りがついた」と話した。
 当時、伊勢新聞カメラマンとして名張署で奥西死刑囚の「私がやった」という声も聞いた名張市上八町の田中芳朗さん(78)は「永い歳月がたった。転変はあったが、こんなに長引くなんて、どんな捜査をしていたのか」。県警名張署鑑識係主任として奥西死刑囚の家宅捜索にもあたった古川秀夫さん(77)は「当時は間違いないという自覚のもと捜査をしていた。奥西死刑囚は逮捕前の取り調べで緊張した顔つきだったが、自供後は豹変(ひょうへん)したように穏やかになったのを覚えている。まっとうな判断をされたと思う」と話した。
 一方、名張市緑が丘中に住み名古屋高裁(名古屋市)まで出向き再審可否の決定を待った「名張市奥西勝さんを支援する会」の代表幹事、赤瀬川勝彦さん(65)は「こんな結果になるなんて、はらわたが煮えくりかえりそうな気持ち」と悔しがり「無罪を勝ち取る支援を続けるが体調が心配」と86歳の奥西死刑囚の拘置生活を気遣った。

奥西死刑囚の「今」 名張毒ぶどう酒、あす再審可否 三重
産経ニュース2012.5.24 02:07
 ■高齢「耳遠く」/支援の絵手紙に癒やし
 名張市で昭和36年にぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が入院した名張毒ぶどう酒事件。名古屋拘置所(名古屋市東区)に収監されている奥西勝死刑囚(86)は無実を訴えながら第7次再審請求差し戻し審で25日に出る再審可否の決定を待っている。
 約45年以上、拘留状態にある奥西死刑囚。市役所や名古屋城が近い街の中心部に位置する拘置所周辺は、たくさんのサクラの花々が咲き誇った。
 しかし、独房に設けられた三重構造の窓からは外は見えず、戸外を眺めることはできない。上部のわずかな隙間からは、空しか見えないという。
 「愛知・奥西勝さんを守る会」(名古屋市中区)の事務所には、弁護団の1人が平成7年に拘置所で面会した際に描いた奥西死刑囚のスケッチが、額に入れられ飾られていた。事務局長の竹崎義久さん(52)は「長年にわたって支援運動を続けているわれわれの宝物」と語る。
 スケッチには、5分刈り程度に短く切った髪形で、眼鏡をかけた細身の老人が描かれていた。逮捕当時の面影はない。
 親類や担当弁護士以外に面会が許される特別面会人奥谷和夫さん(57)は「年齢の割には元気に見えるし髪は黒々。背筋は伸びていて一定の品があり、哲学者や退官した大学教授のような雰囲気」と表現する。しかし、さすがに「5、6年前に比べると、年を取ったという感は否めない。耳も遠くなった」と話した。
 特別面会人の日本国民救援会中央本部副会長の稲生昌三さん(73)によると、毎日の楽しみは、インスタントコーヒーを飲むことだという。入浴は週に夏が3日、冬は2日で、着替えも含め、各15分。高齢の奥西死刑囚にとっては着替えは遅い上、身体が不自由になったため、ゆっくりと風呂に入れば、ひげをそる時間がない。このため、稲生さんらが拘置所側に申し入れ、今では風呂とトイレに手すりがついたという。
 拘置所の奥西死刑囚には、稲生さんらの呼びかけに応じ全国の支援者らが四季折々の絵手紙や、故郷を流れる名張川などの写真が送られている。5月9日に軽い肺炎の診断を受け、病舎に移った奥西死刑囚にとって数少ない「心を癒やす良薬」になっているという。
 奥西死刑囚が稲生さんに宛てた手紙は「字体がしっかりしている」といい「精神的に落ち着いている証拠」とみている。
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名張毒ぶどう酒事件の人々
名張毒ぶどう酒事件 扉は開くか 
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半世紀の証言:名張毒ぶどう酒事件 2011-06-17 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
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名張毒ぶどう酒事件 「今さら真犯人を…」住民から不安や怒り2010-04-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 名張毒ぶどう酒事件 惨劇の公民館すでに撤去
 4月7日11時44分配信 毎日新聞
 集落は田んぼや茶畑に囲まれた静かな山すそにある。「名張毒ぶどう酒事件」から丸49年となる今年3月28日、事件の舞台となった三重県名張市の葛尾地区を訪れた。市中心部から北西に約5キロ。桜並木はまだつぼみのままだった。「あまり思い出したくないね」。事件について、地元の住民は言葉少なだ。現場は当時と一変、外部からの訪問者に惨劇を思い起こさせる痕跡は見当たらなかった。【伊藤一郎】
 急な坂道を歩いて上ると目の前にゲートボール場があった。事件現場だった公民館は小高い丘の上にあったが、建物はかなり前に取り壊されたという。
 敷地の片隅に大きなムクの老木がそびえ、枝の下に黒い種が落ちていた。「ムクの種は羽子板の羽根の重りになる。この木は、事件の真相を見ていたかもしれないな」。近くにいた地元の区長、福岡芳成さん(61)が話してくれた。
 道を挟んで南側の広場の集合墓地に、犠牲者を慰霊する背の高い仏像がまるで多くの墓を見守るように立っている。その仏像の顔の向きと反対側。今は畑となっている場所に、かつて奥西勝死刑囚(84)の家の墓だけがポツンと離れてあった。今は家族の手で別の場所に移されたという。
 同じ日に現地を訪れていた奥西死刑囚を支援するグループが、仏像の前に供養の花束を供えた。福岡さんはその様子を遠目に見ながらいらだつように話した。「遺体解剖が行われた場所を踏んでいることも知らないのに、事件の何が分かる」
 墓地がある丘の下には以前、奥西死刑囚の家があった。その家から現場までは、歩いて1分足らず。隣には、奥西死刑囚が公民館に運ぶぶどう酒を取りに行った当時の地区会長の家が今もある。数分で歩き回ることのできる範囲内で、日本中を騒がせた事件が起きたとは想像できない。
 近所の女性に話を聞いた。「事件の日は毎年、地域で集まって供養していたが、十三回忌でやめてしまった」。別の女性は「事件後は公民館に寄るのも怖かった」という。「忙しいから、そんな話しゃべっちゃおれん」。ある男性は目をそらし問いかけを遮った。記者が来なければ、この日が事件当日だと思い出すこともないのにと感じているようだった。
 県境をまたぎ、奈良県側に出ると、視界が広がった。眼下には奥西死刑囚が「農薬の瓶を捨てた」と「自白」した名張川が見えた。
 最高裁は5日付の決定で、混入農薬について疑問を示し名古屋高裁に審理を差し戻した。発生から半世紀近く。惨劇の痕跡は消えても、住民たちは事件の記憶をぬぐい去ることはできない。
 【ことば】名張毒ぶどう酒事件
 61年3月28日、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた住民の懇親会で、農薬入りぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が重軽傷を負った。「妻と愛人との三角関係を清算しようとした」と自供した奥西死刑囚(当時35歳)が殺人容疑などで逮捕されたが、起訴直前に全面否認に転じた。1審津地裁は無罪、2審名古屋高裁は逆転死刑、最高裁(72年)で死刑が確定。高裁は第7次再審請求審(05年)で再審開始を決めたが、異議審で取り消した。
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名張毒ぶどう酒事件 「再審決定を」支援者が高検に要請
4月7日11時48分配信 毎日新聞
 名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚(84)の第7次再審請求で、審理を名古屋高裁に差し戻した最高裁決定(5日付)を受け、奥西死刑囚の支援者が7日、名古屋高検を訪れ、05年に高裁が一度決定した再審開始に対する検察側の異議申し立てを取り下げて再審決定を確定させるよう要請した。 支援団体「名張毒ぶどう酒事件愛知・奥西勝さんを守る会」のメンバーら約15人が午前10時過ぎに訪問。異議取り下げのほか、▽奥西死刑囚の即時釈放▽捜査の初期段階における重要参考人の供述など未開示証拠の開示−−を盛り込んだ要請書を提出した。
 最高裁決定により、高裁の再審開始決定に検察側が異議申し立てをした段階まで審理が差し戻される。このため要請では、差し戻し審に入る前に検察側が異議申し立てを取り下げるよう求めた。
 また即時釈放については、足利事件で検察側が職権を発動して無罪確定前の菅家利和さんを釈放したことを引き合いに要望した。【沢田勇】
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「今さら真犯人を…」 「毒ぶどう酒」住民から不安や怒り
中日新聞【三重】2010年4月7日
 6日、明らかになった最高裁の名張毒ぶどう酒事件の名古屋高裁への差し戻し決定。事件現場となった名張市葛尾地区の住民からは「犯人は奥西死刑囚で間違いない」との声が上がった一方、「50年近くたって今さら真犯人を調べられるのか」と漏らす住民もいた。
 この日、事件現場となった葛尾公民館跡のゲートボール場に人影は見えず、ひっそりと静まりかえっていた。そばにある犠牲者5人の供養塔には、最近手向けられた菊などが飾られていた。
 現在の区長、福岡芳成さん(61)は「今、地区では事件の記憶も薄れ静かになっているのに、また騒がしくなる」と話す。3年前に81歳で亡くなった母親の二三子さんが事件でぶどう酒を飲んで一時、重体になり、事件の記憶は消えていない。「今さら調べるといっても関係者は亡くなっているか高齢だ。難しいだろう」と指摘する。
 事件発生後、医師として最初に現場に到着し、住民の治療にあたった集落近くの開業医武田優行さん(82)は「長年の服役はかわいそうだが、正直死刑が確定すると思っていた。裁判が何年もずるずると続いており、自分は第三者だが、(死刑か無罪か)どっちかに結論を決めてほしい思いはある」と話した。
 「何度裁判をしても同じことだ」。事件当時、懇親会に出席していた男性(70)はテレビで差し戻し決定を知り、怒りをあらわにした。「自白したのだから彼(奥西死刑囚)と確信している」と語気を強めた。
◆支援する会代表「勝つまで健康保ち頑張って」
 「獄死するのを待っているとしか思えない」。名張毒ぶどう酒事件で服役中の奥西勝死刑囚を支援してきた市民グループ「名張市奥西勝さんを支援する会」の赤瀬川勝彦代表(63)は6日、最高裁の高裁差し戻し決定に怒りをあらわにした。
 再審開始を求め20年にわたり活動してきた赤瀬川さんは今回、最高裁が再審を決定するかどうかの判断を「避けた」と指摘する。これまでに弁護側が科学的な新証拠をたびたび提出してきたことを挙げ「これだけやって差し戻すなんて、批判を受けるのがよほど嫌だったのだろう」と最高裁への不満を語る。
 「奥西さんには石にかじりついてでも生きてもらわないと。勝つまでは健康を保って頑張ってほしい」。今後も署名運動や裁判所への要請行動を続ける。(名張毒ぶどう酒事件取材班)

名張毒ブドウ酒事件 辛い地元住民「無罪ならやっていない証拠を示して」 
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名張毒ぶどう酒事件異議審決定 唯一目をひいた記事 2006-12-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
〈来栖の独白2006/12/27〉
 再審決定取り消しにつき、今朝の中日新聞<名古屋版>で唯一目をひいた記事があった。奥西氏逮捕直後に行われた氏の記者会見についての記事だ。この3分間の記者会見が、今回の取り消し理由の一つになった。記事は柳川善郎岐阜県御岳町長の話。柳川さんは、事件当時NHKの記者で、この会見で奥西氏にインタビューした。以下。

 「大きな事件を、自分のちょっとした気持ちから・・・。何とお詫び申し上げてよいか分かりません」ぼさぼさの頭、落ち窪んだ目。奥西死刑囚は終始、うつむいたまま、ぽつりぽつりと語った。わずか三分間の短いやりとりだった。1961年4月3日の正午過ぎ、三重県警名張署の宿直室で、異例の容疑者の記者会見が行われた。事件発生から7日目。自白の模様はテレビ中継され、新聞各紙にも載った。「はめられた」。奥西死刑囚は45年経った今も、このインタビューを悔やむ。「警察から『家族を救うために会見して謝罪しろ』と言われ、取調官が書いた文を(暗記して)読んだだけ」と裁判官にあてた手記でも訴えた。
 柳川さんは当時、NHKの三重県警担当キャップ。記者クラブの代表取材の一員として、奥西死刑囚の話を聞いた。柳川さんによると、会見は「報道陣が警察に押し込む形で」実現した。その前日、県警幹部が「奥西の妻」犯行説を明らかにしたばかり。一晩で犯人が一転したことに「記者たちはいきり立っていた」という。
 待ち構えた容疑者の第一声。「ちょっとした気持ちから・・・」。冒頭の言葉に柳川さんは「真犯人」と直感したという。うなずける。本当の動機はそんなものだろう。単純に困らせてやろうとしたのだ。「うーん」。迫真の受け答えに次の質問が思い浮かばなかった。
 ただ、その後の司法判断は無罪から死刑に、そして再審開始決定から取り消しに。この取材を機に、「人は判断を誤る」と、死刑廃止論に傾いた。自身は十年前、暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う被害者になった。それでも、いくら犯人が憎くても、死刑はいけないと思う。柳川さんは、奥西死刑囚に呼びかける。「お互い生きているうちに、もう一度会ってみたい。無実を訴えるなら、今度は目と目を合わせて」

 
「ちょっとした気持ちで・・・」逮捕後、記者会見で犯行を認めた奥西死刑囚(左)=1961年4月、三重県名張市で
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<2006.12.27中日新聞三重版>
再審取り消しに葛尾・住民は納得
名張毒ぶどう酒事件
 名古屋高裁が26日に出した名張毒ぶどう酒事件の再審開始を取り消す決定。いったん開きかけた再審への道は再び閉ざされた。「犯人は奥西勝死刑囚」との思いが強い事件の舞台・名張市葛尾区の住民からは「当たり前」「信じていた」と取り消しの決定を支持する声が聞かれた。一方、地元・名張で奥西死刑囚の救済活動を続けてきた支援者は「司法の原則が守られていない」と怒りをぶちまけた。
 「良かったな…」。事件で妹を失った葛尾区の坂峰敏一さん(79)は、名高裁の決定を報じるテレビ画面を見つめ、数回うなずいた。納得の表情を浮かべながら「真相究明を行った検察と、弁護団のいいかげんな理屈のどちらが信頼できるか。裁判官はよく見てくれた」と評価した。
 いまだ決着せず、二転三転する裁判に「弁護団はもう言い掛かりを付けるのはやめてほしい。早く決着をつけ、5人を極楽往生させてやりたい」と強い口調で語った。
 事件で妻を亡くした奥西楢雄さん(81)は「再審開始取り消しは当初から確信していた。ニッカリンTが凶器でないという(弁護団の)主張がそもそもぼけていたんだ。あれだけ調べたのだから犯人は絶対間違いない。騒いでいるのはあなたたち(報道陣)だけで、事件は解決済みだと思っている」と言い切った。
 葛尾区は人口53人、世帯数16戸(12月1日現在)の奈良県との県境に近い山あいの、のどかな集落。事件現場となった葛尾公民館は1987(昭和62)年12月に取り壊されて今はゲートボール場になっており、かつてこの集落で未曾有の大事件が起きた気配はない。
 ゲートボール場近くにある犠牲者の女性5人をまつった供養塔だけが、事件があったことを今に伝える。この日も地元住民が名高裁の決定の報告を兼ねて供養塔に花を手向けに来る姿があった。
 供養塔に足を運んだ地元の神谷道代さん(64)は名高裁の決定には「ほっとした」と語ったが「裁判の節目のたびに騒がれ、再審開始決定以後は葛尾の人たちを悪者扱いする風潮もあった。45年たっても結論が出ないから苦しい思いをさせられている」と長引く裁判への苦悩を吐露した。


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