日刊ゲンダイ本紙記者がまざまざと見た 福島原発廃炉作業の絶望
日刊ゲンダイ 5月29日 掲載
30〜40年では到底ムリ
<東電は電力事業から手を引くべきだ>
福島原発事故から1年2カ月余り経った今月26日、東京電力が原発施設の一部を報道陣に公開した。同行取材した日刊ゲンダイ本紙記者があらためて感じたのは、廃炉実現に向けた作業の難しさである。野田首相は昨年12月に「収束宣言」し、政府は廃炉までに「30〜40年」と公表している。だが、現地を取材した印象は「絶望的」だ。「30〜40年」どころか、今世紀中に廃炉できるのか。それすら怪しいのが実態だ。
記者を乗せた大型バスが福島原発の「免震重要棟」を出て真っ先に向かった先は4号機。バスを降りて原子炉建屋の南西70〜80メートルの位置から見上げた地上約50メートルの建物は、水素爆発で屋根が吹き飛び、無残な姿をさらしている。事故後、ガレキを一部処理したとはいえ、ほとんど手付かずの状態だ。厚さ1〜2メートルの分厚いコンクリートの壁はボロボロで、辛うじて残った壁や柱も、ちぎれた鉄筋があちこちから飛び出している。事故直後のような生々しさだ。
東電は「4号機建屋は震度6強の地震に耐えられる」と説明しているが、次に大地震や津波の直撃を受けたら「倒壊」は避けられないことは容易に想像がつく。「メルトダウンしたら世界が終わる」と世界を震撼させている計1535本の核燃料が、そんな“ボロ屋”に今も保管されている。
東電は来年末から、4号機の燃料取り出しを始める計画を立てている。7月にも、使用前の燃料をクレーンで試験的に取り出す方針だ。使用前の燃料は、核分裂させた使用済み燃料とは異なり、取り出す際のリスクが低い。“本番”の使用済み燃料の取り出しは、建屋南側に屋根を覆う形の「L字形建物」を造り、燃料を1本ずつ引き上げる予定だ。ところが、建設予定地には震災時に発生したガレキや鉄骨などがごちゃごちゃに埋まっていて、工事は「ようやく基礎工事に入った段階」(東電関係者)。燃料取り出しどころか、建物建設計画すら怪しいのだ。
<線量計は鳴りっぱなし>
しかも、今回の現地取材であらためて分かったのは、怖いのは4号機だけではないということだ。
取材バス車内で、記者たちが自前で持ち込んだ線量計が一斉に「ピーピー」と大きな警告音を発したのは、3号機から2号機のタービン建屋裏の海側の道を走っていた時だ。
「線量は、1500マイクロシーベルト(1.5ミリシーベルト)です」
同行した東電担当者が叫び、バス内に緊張感が走った。1.5ミリシーベルトといえば、通常の年間基準線量(1ミリシーベルト)を1時間で軽く超える。4号機は事故当時、定期検査中だったために原子炉が損傷せず、線量もそれほど高くない。重機を使った作業も可能だ。しかし、1〜3号機は線量が今も高く、人の作業はムリだ。敷地や建屋周辺には「即死レベル」の高線量地域がゴロゴロある。
となると今後、もっとも懸念されるのは、作業員の確保になる。福島原発では現在、1日約2500〜3000人が復旧作業に当たっている。しかし、全面マスク、防護服を着た作業のつらさは想像を超える。
記者も全面マスクをかぶり、防護服を着たのだが、気密性を高めたマスクは、骨格が合わないと顔の左右のこめかみ部分を“ウメボシ”されて痛くなる。そのうえ、常に息苦しい。大声で話さないと言葉を伝えられないし、相手の声も聞きにくい。少し歩いただけで汗が噴き出す。たった2時間、着ただけだったが、最後は酸欠状態で、生アクビが出る始末だ。
防護服に慣れたベテラン作業員でも、「作業は連続2時間程度が限界」(東電関係者)という。夏場の作業は過酷極まりない。積算線量が高くなれば、オーバーした作業員はどんどん現場からいなくなる。
<チェルノブイリでは6万〜8万人が作業した>
京大原子炉実験所助教の小出裕章氏はこう言う。
「86年のチェルノブイリ事故では、事故から石棺までの間に(7カ月間で)6万〜8万人が作業に当たったといわれています。チェルノブイリはたった1基の事故だったが、福島原発は4基同時に事故を起こした。今後、どのくらいの作業員が必要になるのか想像もできないし、日本だけで作業員を集められるのかどうか分かりません。そんな状況で30年後、40年後の廃炉など不可能です」
こうなったら、東電は電力事業からさっさと撤退し、福島原発廃炉作業に全力を傾注するべきだ。今のように片手間の作業でケリがつかないことは現場の東電関係者、作業員がよく分かっている。
勝俣会長や清水前社長以下、事故当時の役員を全員引っ張り出し、東電グループの社員を「徴兵」してかき集め、復旧作業に当たらないとダメだ。
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◆「ツイッター」で原発現場の情報を発信してきた地元作業員「自分の健康や将来をあきらめながら働いている」 2012-03-16 | 地震/原発/政治
収束などしていない 福島発つぶやき 1年続けた原発作業員
中日新聞《 特 報 》2012/3/16 Fri.
いまだ放射線量が高い過酷な環境のもと、事故処理作業が続く東京電力福島第一原発。先行きが見通せない中、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」で現場などの情報を事故直後から発信してきた地元出身の男性作業員が、発生から1年を機に本誌の取材に応じた。自宅へ帰ることすらまだかなわない自称「国策の被害者」の胸中は−。 (小倉貞俊)
■心配しなくていいが 安心してはいけない
「今は、くすぶっているたき火に水をかけ続けているような状態。心配はしなくていいが、安心してはいけない。もちろん収束などしていない。解決まで道のりはまだ遠いことを、多くの人に知ってほしい」
険しい表情でそう語るAさんは、第一原発が立地する福島県大熊町で育った30代。「協力企業」と呼ばれる東京電力の下請け会社社員で、ずっと地元の原発で働いてきた。
福島原発事故後、全国に放射能への恐怖が広がった。ちまたでは情報交換の新しい手段としてツイッターの利用者が急速に増加。匿名で情報を発信する作業員も現れた。そのうちの一人がAさんだ。
「ネット上には『核爆発だ』といったデマや、不安をあおる書き込みがあふれていた。リスクを冒してでも、真実を伝えなければと思った」
身元が特定されないよう、ツイッターでは「TSさん」と名乗り、デマを打ち消す一方、原発内部の復旧作業の様子などを投稿。当初はわずかだったフォロワー(読者)は、1万9千人にまで増えた。昨年暮れまでの投稿は、スマートフォン(多機能携帯電話)向けとパソコン向けの電子書籍「福島原発現役作業員のツイッター」(マイクロコンテンツ社)にまとめられている。
■作業することで国家の危機を回避できるなら
震災当日、Aさんは第一原発でいつものように作業をしていた。強烈な揺れとその後の津波から逃げ、勤め先に自宅待機を命じられて帰宅。翌日以降しばらくは、他の住民とともに被災者の一人として避難所に身を寄せた。やがて、勤め先から第一原発に戻るよう連絡が届いた。爆発で大破した原子炉建屋をテレビで見ていたので、大変な事態が進行していることはわかっていた。
「いわば“召集令状”だったが、誰かが作業をすることで国家の危機を回避できるのなら自分がやろう、と腹を決めていた」
当時の心境をそう振り返る。
「最後の日常。周りがすべてセピア色に見える」
ツイッターにこう書き込んだ翌日、目に飛び込んできたのは変わり果てた職場の光景だった。敷地内の膨大ながれき、横転した車、巨大な魚の死骸、完全防備の同僚たち…。屋外にわずか10分間いただけで被ばく線量は一ミリシーベルトに達した。
「二重、三重に講じられた対策のどれかで過酷事故は防げると思い込んでいた。東電同様、私も自然をなめていた」
Aさんはそう話し、唇をかんだ。
■自分の健康や将来を あきらめながら働く
昨年5月の大型連休あたりまで、現場は復旧作業が迷走し、大混乱だった。作業は平時とは異なるものばかりで、しかもマニュアルなどは皆無。東電から下請け業者への指揮系統も交錯した。
「ホースを一本引っ張るだけでも、複数の指示が飛び交い、誰の言うことを聞いたらいいのかわからないので仕事が進まない。現場にあると言われた部品が、行ってみたらそこになかったなんてことは日常茶飯事。すぐに被ばく限度を超えて線量計が鳴りだしたが、聞こえないふりをするしかなかった。そうでなければ作業にならない」
多額の損害賠償を見越して支出を抑えるためか、東電はメーカーに部品だけを発注し、取り付けは専門外だが単価が安く済む下請けに行わせていた。その結果、施工ミスが頻発した。
「短期間で効果的に人員と予算を投入していれば、作業はもっと早く進んだはず」
予算不足が工事に与えている悪影響はほかにもあるのではないか、とAさんはいぶかる。
例えば、原子炉格納容器から漏れ出す汚染水を冷却水として再注入するため浄化する仮設の循環装置。水を送るホースが凍結などにより破損し、何十件もの水漏れが発生した。
「仮設ではなく、予算を投じて金属製の頑丈な配管にしておけばそんなことはなかった」「原子炉建屋を覆うカバーを設置できたのはまだ1号機だけ。ほかは放射性物質の飛散を防ぎきれていない」
廃炉に向けた政府の工程表では、完了までに30〜40年と試算する。
しかし、格納容器の底に溶け落ちた核燃料の取り出しなどは新技術の開発が必要で、想定通りに行くかは未知数だ。
まだまだ働き続けることになる職場の労働環境にも、不安は付きまとう。何より心配なのは被ばく量だ。Aさんの場合、現在の基準では「5年で100ミリシーベルト」が上限だが、すでに70ミリシーベルト超。それでも指示があれば、今後も線量の高いエリアに向かう覚悟でいる。
「10数年後には、ベッドの上でもがき苦しんでいるかもしれない。事情は人それぞれだけれど、作業員仲間のほとんどは故郷への思いと、使命感に燃えて現場に戻ってきた。そして、自分の健康や将来をあきらめながら働いている」
■声を上げることが大事 関心を失わないで
だからこそAさんは、「収束」を唱えて事態を小さく見せようとする政府や東電の姿勢に憤る。
「収束したというなら、なぜ私たちはこんなに被ばくしているのか。原子炉建屋に来てみろと野田(佳彦)首相に言いたい」
筋金入りの原発推進派だったAさんは昨年9月、ツイッターで「脱原発」を宣言した。
「安定した職場として満足していたが、被災者になったことで考えが変わった。第一原発にいる作業員の6割は地元出身。みな気持ちは同じはず」
そんな思いとは裏腹に、経済産業省原子力安全・保安院が大飯原発、伊方原発の安全評価(ストレステスト)の一次評価を「妥当」とするなど、再稼働に向けた環境整備は着々と進む。
「福島の処理が終わる前にどこかで事故が起きたら、日本は終わる。福島県民の姿は明日のわが身かもしれないのに、立地市町村は危機感がなさすぎる」
Aさんはいら立ちを隠さない。
「今まで、都心などで行われる脱原発デモには『安全圏にいるだけの人に言われたくない』と反発を感じたこともあった。でも、声を上げてもらうことこそ大事だと思い直した。関心を失わないでほしい。少なくとも今後40年間、国民全体で向き合っていかねばならない問題なのだから」
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◆福島第一原発「被曝覚悟で闘う現場作業員たち」 2011-04-08 | 地震/原発/政治
潜入ルポ 福島第一原発「被曝覚悟で闘う現場作業員たち」 放射線量が増大し作業はますます危険に
現代ビジネス2011年04月08日(金) FRIDAY
福島第一原発周辺の通行車両を除染する作業員。「一日1回、防毒マスクのフィルターを交換しています」
芝生の上にサッカーボールは見当たらなかった。ピッチの隅に追いやられたゴールの脇では、クレーン車が鉄板を敷き詰める作業を進めている。駐車場に目を向けると、陸上自衛隊の74式戦車が2台と航空自衛隊の赤い消防車数台が見える。
パタパタパタパタ・・・。
大きな音がする方角を見上げると、迷彩色のヘリコプターが降下してきた。砂埃が上がる着地点に向け、防毒マスク、防護服をまとった白装束の男たち数人が駆けていく—。サムライジャパンの合宿所として知られる、日本最大のサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県双葉郡楢葉町)。原発建設の見返りとして東京電力が県に寄贈した広大なサッカー場は、皮肉なことに、その東電のために戦場と化していた。
東日本大震災以来、緊迫した状態が続いている福島第一原発。東電社員、自衛隊、東京消防庁ハイパーレスキュー隊らが連日、命がけの復旧作業を行っている。
その前線基地となっているのが、第一原発から南方20Kmに位置するJヴィレッジだ。避難勧告エリアにあるため、メディアのカメラが入るのは本誌が初。だが、記者が現地に足を踏み入れた3月27日午後の時点で"基地"には100名以上の男たちがいた。自衛官や消防隊員より、むしろ目立ったのは大手ゼネコンや東京電力の協力会社の作業員たち。
「私たちはテレビには映りませんから」
「一般人」の多さに戸惑う記者に、笑いかけたのは大成建設の作業員だった。東電の要請を受け、社員26名、協力会社の作業員100名の陣容で、3月16日から福島第一原発内で作業を行っているという。
実際に第一原発敷地内で作業を行った作業員の一人はこう語った。
「防護服を着て、3号機の10mくらいまで接近して作業をしました。消防車やポンプ車が通れるように、重機で瓦礫を撤去するのが私たちの仕事です。3月18日の朝7時に敷地内に入り、戻ってきたのは夜8時くらい。東電さんが線量計で放射線の数値を測ってくれます。
限界に達するとアラームが鳴って知らせてくれる仕組み。社の規定では1時間あたり100ミリシーベルトが被曝の限度ですが、今回は80ミリシーベルトに設定して、安全第一でやっているので、実際に作業できる時間は2時間程度。一度に作業するのは20人くらいで、その他の人は、敷地内にある免震棟という非常時に使う施設で待機。目に見えない放射能の恐怖の中での作業は緊張します」
そう言うものの、作業員の言葉は力強い。士気が高いのだ。
「みな、志願した上で、上長と面接して意思を再確認してから、ここに来ています。国を救いたいという一心です」
Jヴィレッジ内の駐車場で待機していた東電の二次請け会社の役員が恐怖体験を振り返る。
「私たちは物流を担当しています。毎日、「カロリーメイト」や野菜ジュースなどの食料、ホースなどの資材を原発まで届けるのです。問題なのは、私どものような下支え作業員のところには、情報が届くのが遅いということ。3号機から原因不明の黒煙が出た日(3月23日)も、煙の中を、車を走らせ、原発敷地内に入っていました。『これはヤバイな』と慌てて荷を下ろして引き揚げたんですが、まさか退避命令が出ていたとは・・・。幸いその日の放射線量検査はセーフ(基準値内)でしたが、翌日はアウト。少し、被曝してしまいました」
彼の言う「翌日」とは、東電の協力会社の作業員3名が、3号機のタービン建屋地下で作業中、170〜180ミリシーベルトという高濃度の放射線に被曝。うち、2人が病院へ運ばれた3月24日のことだ。
「実は、私はあの3人のすぐ隣で除染を受けていたのです。裸になって、空のプールに入って水で体を洗うのですが、仕切りがあって、彼らの表情までは見えませんでした。ただ、東電社員や消防隊員が大勢駆けつけたので、かなりヤバい状況だというのは分かった。ここに来て10日になります。もちろん、ニュースはチェックしているんですが、放射能に対する恐怖に慣れつつあるのが怖いですね」
自衛隊員や消防隊員で宿泊施設が一杯なため、彼らは自分たちのバスの中で寝泊りしているという。
■「命の保証はできない」
話を聞いている最中に東電の総務と名乗る男が険しい顔で近づいてきた。
「許可は取っているのですか。作業員たちに声をかけるのはやめてください」
その後、作業員たちは口をつぐんでしまった。3月29日付「東京新聞」は、東電の協力会社が日当40万円という高報酬で作業員たちを募っていたという証言を掲載した。
「現在は20万円ほどだそうですが、震災翌日には100万円の値がついたそうです」
と驚きの証言をするのは、原発から約25Km、屋内退避エリアの福島県南相馬市に今も暮らす田中大さん(30・仮名)だ。
「知人が福島第一原発で働いていたんです。震災当日は4号機で作業をしていたんですが、新潟への避難を決断。親戚にも県外退避を促していると、作業員仲間から電話があって、『明日、現場に出たら報酬100万円だそうだ。命の保証はできないらしいけど』と誘われたそうです」
知人がこのオファーを蹴ったことを知って、田中さんは恐怖を覚えたという。
「いわば、原発の現場を熟知する人間が避難する道を選んだワケですから。彼は『いつまで南相馬にいるつもりだ? プルトニウムが撒き散らされていることが発表されたら、自由に移動できなくなるかもしれないぞ。浪江(原発のある地区)から福島市までは汚染されやすいホットスポット。間違いなく人体に影響はある。
ヨウ素は甲状腺、セシウムは精巣に貯まり、がん発症の引き金になる。水も飲むな。今の基準値は事故後、100倍甘く引き下げられた数値だ。みな、パニックが起きないよう安全を強調しているんだと思う』とまで言っていた。彼と話した3日後の3月28日、プルトニウムが検出されたという報道が出てゾッとしました」
プルトニウムは報道の1週間前に採取された土から検出されたことを考えると「安全を強調している」という言葉が不気味なほど真実味を帯びる。
Jヴィレッジには、そんな被曝確実の現場に向かう人が現在も溢れていた。一体、なぜ、何のために—前出の会社役員はこう理由を語るのだった。
「ウチは発注元と条件面の話はできていませんが、仕事だからというのはある。けれど、それ以前に日本を救いたい。家族を守りたいという使命感が我々を突き動かしています。中一になる息子は『父さんが頑張ってるんだから、俺も頑張るよ』と見送ってくれましたが、不安は隠せなかった。確かに放射能は怖い。けれど、誰かが行かないといけないから」
テレビには映らない、無名のヒーローたちが原発危機と日夜戦っている。
■命懸けで働く作業員に、被曝に対する予防を!
「隊長の会見を見て、胸を打たれました。彼らは命を懸けて最前線で戦っていた。ならば、我々、医療者は有効な予防法を考え、彼らを守らなければならないと感じたのです」
3月18日から行われた、福島第一原発内での東京消防庁ハイパーレスキュー隊による放水作業は、一定の効果を得たと言われている。被曝しながらも任務にあたった隊員、なかでも冨岡豊彦総括隊長(47)らの涙ながらの会見に多くの人が胸を打たれた。冒頭のように語る、虎の門病院血液内科部長の谷口修一医師もその一人だ。原発内外では今もなお、高濃度の放射線が測定されている。
「これからも原発の第一線で働き、被曝してしまう人は多いでしょう。急性の放射線障害は細胞分裂が速い細胞で起こりやすい。まず、破壊されるのは骨髄(造血)機能と生殖機能です。造血障害による"致命的な状況"を防ぐには、"造血幹細胞移植治療"が効果的。作業員から事前に血液を造る幹細胞を採取・保存しておけば、造血機能が破壊されても、保存した幹細胞を再注入して、造血機能を回復させることができるのです」(谷口医師)
3月28日、原発2号機タービン建屋脇のトレンチに溜まった水の表面から、毎時1000ミリシーベルト以上の放射線量が計測された。これは、作業員の被曝線量上限の約4倍。30分その場にいただけでリンパ球が半減。1時間で嘔吐などの急性症状が現れ、4時間いれば1ヵ月以内に50%の確率で死亡するとされる値である。しかし、冷却機能復旧のためには汚染水の除去が目下の最優先課題。当然、多くの人が現場で作業することになる。その際に、先の"造血幹細胞移植治療"は有効な"予防"になるという。
「地震発生以来、我々の想像を絶することばかりが起きている」
こう語るのは、九州大学病院遺伝子・細胞療法部の准教授・豊嶋崇徳(てしま・たかのり)医師。対応が後手後手の東電と政府に苦言を呈し、豊嶋・谷口両氏は、作業員への予防医療の重要性を語る。
「重大事故時の緊急作業において総被曝線量の国際基準上限は500ミリシーベルト。"予防"をしておけば、その10〜20倍くらいまでの被曝をしても治療が出来る」(谷口医師)
つまり、急性症状が現れ始める1000ミリシーベルト以上の被曝をしても治療は可能なのだという。方法は?
「直接、骨髄に針を刺して髄液を採取するのは、かなりの痛みを伴い、作業員が仕事に復帰するにも1週間ほどかかる。他に、G‐CSF(体内に存在する白血球を増やすサイトカインというタンパク質)という薬剤を投与し、骨髄から造血幹細胞を追い出し、採血する方法もあります。ただ、この方法でも、充分な幹細胞を得るには4〜5日かかる」(豊嶋氏)
今、この瞬間も現場の最前線では作業員が戦っている。一刻の猶予もない。だが、別の手立てがあるという。
「『モゾビル』とG‐CSFを併用することで、幹細胞を採取するため、4〜5日かかっていた治療を1泊2日の入院に短縮できます。ただ、『モゾビル』は日本では未承認なんです。欧米やアジア諸国ではすでに使用されている薬剤なのですが・・・」(豊嶋氏)
『モゾビル』は造血幹細胞の血中濃度を高め、採取しやすくする注射薬。入院1日目の夜12時頃、皮下注射で投与する。翌朝6時にG‐CSFを筋肉注射し、9時頃から採取開始。3時間後の12時頃に終了する。
「副作用は一切ない。採取も通常の採血と同様で両腕を伸ばした状態で針を刺すだけ。退院後、すぐに作業に戻っても問題はありません。私どもは、モゾビルの使用許可を得るために官邸にも足を運びました」(谷口医師)
他国で使用を許され、日本では未承認の薬剤の使用要請を官邸はどう受け止めたのか? 厚労省関係者が明かす。
「仙谷由人官房副長官はその案件について、表立って了承はしないが、薬剤の使用を禁止することもしなかった。前代未聞です」
明るい話に聞こえるが、豊嶋医師は"治療の限界"についても明かす。
「急性障害自体は2週間で治ります。だが、これはあくまで"血液の部分"に関してのみ。例えば造血器官の次に影響を受けやすい、腸などに内部汚染が進むと、腸管破壊が起こってしまいこの予防法では手に負えない。あくまで、限定的な保険のようなものです」
3月30日時点、すでに谷口医師の下には、"移植医療"依頼が届いている。患者は原発周辺のガレキ除去に向かう作業員。費用は保険が利かないため、1回20万円と高額だ。
「治療費を支払うのは国か、それとも東電や関連企業なのかー。早急に対応していかなければならない問題です」(豊嶋医師)
高い"保険料"だが、命をお金の多寡では語れない。国や東電は最低限この移植の費用を負担すべきではないか。
*強調(太字)は、来栖
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◆廃炉まで100年 チェルノブイリが教える現実--25年経った今も石棺作業/ 福島第一原発 作業員 疲労蓄積 2011-10-01 | 地震/原発/政治
現代ビジネス2011年10月01日(土)
「フクシマでは、原発作業員はどのぐらい給料をもらってるんだい?」
チェルノブイリ原発から約10km離れた作業員専用の宿舎。その食堂で、30代の作業員が興味津々の様子で聞いてきた。
「普通の建設作業員と大差ないと思う」
記者がそう答えると、目を剥いた。
「えっ!? そんなんじゃ人は集まらないだろう。俺たちの年収は、ウクライナの普通の労働者の2倍だぜ!」
作業員は自慢げにそう言った。
事故から25年経った今も、チェルノブイリ原発では、作業員や技術者、研究者が数百人単位で働いている。放射線量を監視し、老朽化した施設を補修し、廃炉作業を進めるためだ。
作業員は、明日も爆発事故を起こした4号機の補修作業があるのだという。不気味にそびえる排気塔は、福島第一原発の未来を暗示しているのか---。
本誌は8月末にウクライナ・チェルノブイリに入り、隣接するベラルーシも訪れ、放射能汚染瓦礫の実態や、農業問題を取材。前号まで2週にわたってレポートした。今回は、チェルノブイリ原発の敷地内に入り、廃炉作業にスポットを当てる。そこで見えたものは、「100年間に及ぶ覚悟が必要だ」(現地の技術者)という厳しい現実だった。
チェルノブイリ原発の半径30km圏内は立ち入り禁止区域となっていて、ぐるりとフェンスで仕切られている。中に棲息する動物が放射性物質を外に持ち出さないようにするためだ。作業員は月に12日間だけ?ゾーン?と呼ばれる30km圏内に入り、泊り込みで作業に従事する。それ以外の日は、70~80km離れたスラブチッチという町で家族とともに暮らしている。スラブチッチは、事故処理にあたる作業員たちのために新たに造られた町だ。
「ウクライナは仕事が少ない。家族を養うためにこの仕事をやっている。給料が高いし休日も多い。きれいな町に住めるので今の生活が気に入っている」
作業員の一人は屈託のない表情でそう話した。その一方で、ゾーンの中に造られた作業員専用の宿泊施設は放射線量が高い上に、男臭い。食堂、売店、研究所など設備は揃うが、一日回っても、食堂の老女と娘以外、女性の姿は見かけなかった。施設は、チェルノブイリのかつての市街地の建物を利用している。事故処理の本部基地は元は市役所だった。
チェルノブイリには今もなお、全部で4基の原発が存在する。爆発した4号機は鉛とコンクリートで覆う石棺作業中だ。コンクリの崩壊などがあり、25年経っても終わらない。隣接する1~3号機は運転停止中だが、各機の燃料プール内には燃料棒が入ったままだ。使用済み燃料の廃棄場所が見つからず、これまた25年間、冷却し続けている。つまり、何も終わっていないのである。
記者は、原発のオフィス棟から1号機の制御室に向かった。厳重なチェックがあり、ホールボディカウンターをくぐってOKが出ないと中に入れない。チェックが終わるとICタグをつけられ、専用の白い靴に履き替える。制御室は学校の教室ほどの広さで、塵ひとつ落ちていない。ただし、壁に設置されたコントロールパネルやモニターは、さすがに年季を感じさせる。
ここには4人の技術者が常駐し、交代しながら24時間態勢で燃料プールの監視をしている。燃料プールに設置されている可動式のカメラの映像が、14インチほどのモニターに映し出される。プールに沈む燃料体が見えるが、この部屋の空間線量は1マイクロシーベルトあるかないかといった程度だ。
技術者の一人はこう話した。
「1号機の燃料は二つのプールに分けて管理しています。温度は38℃前後で安定しています。核反応を起こす可能性があるので監視しているのです。専門的な資格を持たないとこの仕事はできませんが、個人的には、あまり専門的な知識は必要ないと思います」
何も起こらなければ、ただ監視するだけの退屈な仕事である。いったいいつまで監視を続けなければいけないのか聞くと、大きな課題が三つあるという。
「まず、燃料という高濃度の汚染物質を半永久的に貯蔵(ストレージ)する施設がない。二つ目は、燃料を貯蔵するために処理をする施設がない。そして三つ目は、処理を施すためのルール(法整備)がまだ整っていないことです。現在、ストレージする施設を建築中です。燃料を小分けし、それぞれを容器で覆い、穴に埋めるのです」(前出・技術者)
25年経っても、まだ廃炉の終着点が見えてこないのだ。3基がメルトダウンを起こしたとされる福島第一原発の廃炉作業は、どうなるのだろうか。
*廃炉に必要な技術がない
福島第一原発は、9月に入って1号機を建屋カバーで覆う作業が進んだ。中旬にはほぼ終了に近づき、何とか放射性物質拡散を抑えられる目途がついた。安定冷却も見えてきて東京電力には、どことなくホッとした雰囲気が窺える。9月14日には、内閣府原子力委員会の中長期措置検討専門部会が、廃炉完了までに必要な「19項目の作業課題」を確認した。その中で、燃料取り出しの前提となる、格納容器全体を水で満たす「冠水(水棺)」など5項目については、作業に必要と予想される技術開発が追いついていないことも明らかになった。
つまり、見えているようで、廃炉への道のりは見えていないのである。同部会自身、「研究開発課題が多く開発は長期間になるだろう。これまで格納容器にまで漏れ出た燃料を回収した経験はなく新規の研究開発が必要となる」
と、これまでの技術では対応できず、廃炉が実現するまでには長い期間が必要であることを認めているのだ。
福島第一原発の廃炉問題は、原子炉のほぼすべてが吹っ飛んだチェルノブイリよりも、'79年に米国でメルトダウン事故を起こしたスリーマイル島原発事故と比較したほうが分かりやすい。京都大学原子炉実験所教授・中島健氏が解説する。
「スリーマイル島では、事故後3年でようやく中にカメラを入れることができた。6年後に核燃料を取り出せるようになり、事故から11年経った'90年にやっと核燃料の取り出しが終わったのです。福島第一原発の場合はスリーマイル島より、もっと燃料が壊れ、ほとんどの部分が崩落しているでしょう。圧力容器が損傷している可能性も非常に高い。そうなると、作業的にはかなり厳しい条件です。いまだに線量が高くて、うかつに中に入れない状況が続いていますから」
炉心が高温になり圧力容器内で溶融することをメルトダウンという。そして、圧力容器を突き抜けて格納容器に溶け出すのがメルトスルー。福島第一原発では、さらに格納容器の底も溶かして建屋のコンクリート床部分にまで達するメルトアウトを起こした可能性がある。そうなると、核燃料をどうやって取り出すのか。中島教授が続ける。
「東電は廃炉までの作業イメージを発表していますが、いくつか想定が甘いと思うところがあります。まず、建屋内の燃料プールに残された使用済み燃料については、燃料の健全性がある程度維持されていることが前提になっています。しかし、大きく損傷した燃料が存在した場合の対策、処理方法を検討しておくべきです。次に、炉心の燃料の抜き取りですが、格納容器内の冠水が前提となっています。冠水を実現するためには格納容器の補修が必要になりますが、その損傷個所も特定できない状況です。最後の燃料の取り出しは、相当な技術的困難を伴います。格納容器外に燃料が流出していた場合の対応策も検討しておく必要がある」
いまだに格納容器、圧力容器内の状態が見えていないのだから、対策をたてても「絵に描いた餅」に終わる可能性が高いというのだ。中島教授はこうも言う。
「日本の技術は、決められた通りに物事を進めるのは得意です。しかし、事態が次々に変わり、臨機応変に対応しなければならなくなると、途端にダメになるところがある。その点も心配ですね」
スリーマイル島ですら、原子炉の浄化が終わったのは事故から14年後。チェルノブイリでは、25年経った今も4号機の石棺の修復作業に追われ、1~3号機に至っては燃料の廃棄場所が見つからず監視し続けるしかない状態にある。
福島第一原発の廃炉実現には、何世代にもわたる覚悟が必要なのである。
「フライデー」2011年10月7日号より
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作業員「働けなくなる」 福島第一 被ばく100ミリシーベルト超99人
東京新聞2011年9月30日 朝刊
福島第一原発の事故収束作業で、一〇〇ミリシーベルトを超える被ばくをした作業員が百人に迫っている。この上限値を超えると、福島第一以外の原発では今後四年以上も働けなくなる。ずっと原発の仕事で生計を立ててきた人の生活はどうなるのか。作業員からは、「仕事ができなくなるのが一番怖い。どこで働けばいいのか」と不安を訴える声が出ている。 (片山夏子)
東京電力によると、二十九日現在、一〇〇ミリシーベルトを超えた作業員は九十九人いる。うち東電の社員が八十人で、協力会社の社員は十九人いる。四月以降、人数は増えていないが、被ばく線量の最高は、東電社員は六七八ミリシーベルトで、協力会社では二三八ミリシーベルト。
作業員の被ばく線量上限は、労働安全衛生法に基づく規則などで年間五〇ミリシーベルトかつ五年間で一〇〇ミリシーベルトと定められている。福島第一では、大量被ばくが相次ぐと予想され、今回の事故収束作業に限り年間二五〇ミリシーベルトに引き上げられた。
東電社員は一〇〇ミリシーベルトを超えると線量が低い場所で作業し、一七〇ミリシーベルトを超えると本社などで働く道を用意している。十五人が一七〇ミリシーベルトを超え、福島第一を去った。
だが、協力会社はそうはいかない。補償のこともあるため、年間二〇〜五〇ミリシーベルトと独自の基準をもうけている会社が多い。
福島第一など原発で働き、孫受け会社の代表でもある男性作業員は「原発の仕事で生活している。被ばくも怖いが、働けなくなるのが一番怖い。従業員やその家族の生活もある」と厳しい表情を見せる。従業員を雇うにも「残っている線量」を気に掛けている。
別の協力会社の代表も「五年で一〇〇ミリシーベルトだから、うちは一年で二〇ミリシーベルトまで。東日本大震災の前までは一五ミリシーベルトまでだったが、引き上げた」と言う。
これだけ重大な事故なのだから、特別の補償があってもよさそうだが、厚生労働省は、東電に被ばく線量が高い作業員の処遇などに配慮するよう求めるにとどまっている。
東電は「二五〇ミリシーベルトを超えた人は今はおらず、国が上限を一〇〇ミリシーベルトに下げたときはそれを受けて検討する。作業員への補償は今のところ特にない」と回答した。
こうした状況に、ある男性作業員は「自分たちで線量上限を設定して、仕事ができるように守るしかない。線量を浴びた作業員のその後を、国も東電も考えてほしい」と話す。
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収束遠い福島第一原発 作業員 疲労の蓄積深刻
東京新聞2011年10月1日 夕刊
事故収束まで少なくとも10年はかかるとされる福島第一原発。放射能という見えない敵と闘いながら働く作業員たちの心身の疲労が深くなっている状況が、作業員らのケアに取り組んでいる東京都豊島区の巣鴨総合治療院・整骨院の沢田大筰(だいさく)総院長(32)へのインタビューで浮かび上がった。沢田さんは「3カ月前に比べ、表情は良くなったが、心身の疲労は回復しにくくなっている」と話している。
沢田さんは作業員の体の疲労を少しでも和らげたいと東京電力に申し出て、六月十四日と九月十九〜二十日の二回、福島第二原発の健康管理室で、第一と第二の両原発で働く東電社員約三十人に整体治療を施した。
六月の時は、どの作業員も背中や首のこりがひどく、筋肉がこわばって指が入っていかないほどだった。こりからくる頭痛や吐き気を訴える人が多かった。五月半ばにベッドが入ってきたものの、長い間、床に寝袋やマットレスを敷いて寝ていたためか、腰を痛めている人も多く、座骨神経痛で歩けない人もいたという。
沢田さんは、「一様に表情が暗く、変化が無いのが気になった。自身が被災者であり、同時に加害者でもあるというストレスに加え、原発の状況が少し落ち着き、将来への不安を訴える人もいた」と話す。
九月の治療では、居住環境が改善されたこともあり、筋肉の状況は良くなったものの、疲労が蓄積して回復しにくくなっていた。
幹部は、泊まり込みで二週間以上の連続勤務を繰り返しているといい、「通常は押さえると痛い場所でも、まひして痛いと感じていなかった。責任が重い人ほど症状がひどかった」という。
一回の治療では症状が改善しない状況に対応するため、沢田さんは回復や予防のための体操メニューを作って教えてきた。ただ、作業員約三千人のうち東電社員は約七百人にすぎず、ほとんどは協力会社の従業員だ。
「作業が長くかかる中で、少しでも体の状態を回復することは心身両方に大切。マッサージ師が常駐して、協力会社の作業員にも広げられれば」と指摘。自らも作業員のケアを続けていきたいとしている。
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◆「重荷を分かち合う。怒りと責任追及に加え、2年目はそのことを読者の皆さんと考えたい」特報部 田原 牧2012-03-16 | 地震/原発
メディア観望 上り坂をゆく覚悟
特別報道部 田原 牧 (中日新聞2012年3月6日 夕刊)
東日本大震災と東京電力福島原発事故から、間もなく1年がたつ。後者については1年という区切りを感じない。むしろ、事故が2年目に入ると言った方がピンとくる。
事故発生以来、担当する「こちら特報部」では、今日まで紙面の多くを原発問題に割いてきた。こだわる理由は記者によって異なると思う。個人的には、原発に日本社会の縮図を見たからである。
原発は放射性廃棄物という未来へのツケと、被ばく労働者という犠牲が不可欠なシステムだ。それを無責任な原子力ムラが増殖させてきた。下地にある差別とムラ構造。それは日本社会のあちこちに顔をのぞかせている。原発はそうした精神風土のあだ花だ。
東電や政府をはじめ、原子力ムラの虚飾をはぎとろうと奔走してきた。ただ、そうした作業の間も、どこか割り切れない感情を抱えてきた。
■都市生活者の責任
11日には福島で大きな脱原発集会があり、首都圏からも多数が参加しそうだ。そのことで、福島の友人にこう云われた。「地元には逃げ出したくても、介護や収入に縛られて逃げられない住民たちがいる。都会の人は1日ここに来て、原発は危険だと騒いですぐに帰る。それを不愉快に思う人は少なくない」
特報部の紙面への批判に聴こえた。そうかもしれない。事故以前にも、原発を批判する記事を書いてきた。だが、私も都会で原発に頼り、安穏と暮らしてきた一人だ。
■避け難い国民負担
事故で進学を断念した若者の将来。緊急避難で津波に襲われた家族を探せなかった悔恨。荒れる農地。事故の被害はいまも拡大している。
にもかかわらず、東電も政府も賠償には逃げ腰だ。同社に十分な支払い能力はない。だが、巨額の費用ねん出も理由のひとつに、もっとも稼ぎやすい再稼働へと突き進んでいる。
東電を徹底的に絞っても、賠償や廃炉のための国民負担は避け難い。その負担軽減に固執すれば、再稼働は必然の流れだ。さらに間もなく、東電の処分や新たなエネルギー計画が固まる。脱原発は上り坂にさしかかっている。
■ただでない脱原発
もう一度、苛酷事故が起きれば・・・と考えれば、進行中の再稼働の企てに対する答えは明白だ。ただ、それは地方に原発依存を強いてきた構造を正すことでもある。それには賠償問題と同様、都市住民の協力が不可欠だ。原発に頼ってきたツケを払うことに等しい。脱原発はただではない。
重荷を分かち合う。怒りと責任追及に加え、2年目はそのことを読者の皆さんと考えたい。「福島の痛みを共有する」といった大それたことは言えない。けれども、この事故は「誰かの犠牲」を無言で認めるような社会を変える機会でもある。
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◆あれから一年、早くも復活する原発「安全神話」 / 再稼動が他党や経済界との取引材料に2012-03-16 | 地震/原発