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石原慎太郎都知事 会見詳報 2012.10.25

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【石原知事会見詳報(1)】
辞任を表明「新党を作って、仲間を作ってやろうと思って」
産経ニュース2012.10.25 15:17
 東京都の石原慎太郎知事は25日、都庁で記者会見し、知事を辞職して新党を結成、国政に復帰する考えを示した。一問一答は次の通り。
 「お呼びかけしましたけれども、ありがとうございます。今日をもって都知事を辞職することに致しました。なんで辞めて、何をするのかということでしょうけれども。私はあしかけ14年、正確には13年と8カ月にわたって、都知事を務めて参りました。
 日本の心臓部に当たる大都会の行政を監督する間に、ほかの県と違って、強いて言えば、日本の心臓部である東京の問題は日本全体の問題になる。それを踏まえ、東京のためだけではなくて、日本のためになる。
 国との関わりに関しては、国の妨害にあって苦しい思いをして参りました。新党を作って、仲間を作ってやろうと思ってますが、これからやろうとしていることは、都知事として14年間やってきたことの延長です。
 私は共産主義が嫌いでして、国父とされている毛沢東が書いた「方法論」「矛盾論」「実践論」がある。私も学生のころ見ました。 テキストがありまして、特に矛盾論。目の前にあるやっかいな問題ということだが、矛盾を解決するためには、目の前の背後にあるもっと大きな問題を解決しなければならないと言っている。まさにその通りだ」

【石原知事会見詳報(2)】
発想なき中央官僚の独善 会計制度を世界並みに
2012.10.25 15:52
 引き続き石原知事の会見が続く。
 「具体的な行政となると日本の財政はピンチというが、まだまだ余力がある。それを引き出せないし使えない。中央官僚が把握していながら、それを隠している。東京として国家との摩擦の中で感じてきたことは中央官僚の独善。発想力がないことが欠点だ。ないからこそ自分で責任を持って判断し、解決しようとしない。尖閣の問題でも全て官僚は自分の手で解決しようとしない。こうした通弊を変えなくてはならない。メディアは何で批判しないのか」
 「また、国の会計方式は単式簿記だが、こんな会計方式でやってるのは北朝鮮とパプアニューギニア、フィリピン、マレーシアとかくらいだ。なぜ複式簿記にしない。なぜかほとんどの自治体も入れていない。外部監査を入れればいい。そういうことをどうして役人がやらない。経済界もうとくて歴代の経済団体の会長にいってきたが、『はあ』というだけでよく知らない。だからバランスシートがない。財務諸表がない。健全な財政ができるわけない」
 「東京は複式簿記で合理化し、財政再建をした。何で同じことを国がやらない。会計方法を世界並みに変えたらいい」

【石原知事会見詳報(3)】
教育、子育て、会計制度…石原知事、持論を展開「国民へ最後のご奉公をしよう」
2012.10.25 16:22
 石原知事の会見は続いている。教育や子育て、外交、国の会計制度など石原節が炸裂する。
 「それから、たとえば文部省(現・文部科学省)。これが主導したゆとり教育はどうなったか。たちまち学力が落ちた。私立は全く(文科省の)いうことを聞かなかった。自分の犯した過ちを文科省が取り消しましたか。そのばかなリーダーシップを」
 「厚生省(現・厚生労働省)。子供が減って、人口が減って、都会で幼稚園作ろうと思ったら、国の規格ではとてもできない。(東京の地価では)べらぼうな値段になる。何で、国鉄がいろんな資産を持っている。(民間が)もてあましてる資産もあるから、そこで子供を遊ばせようと動いたら、猛反対を食った。土地の値段を踏まえた保育行政を国がやらなければだれがやるのか。一切、役人は現場を見ない。こういう行政が続いている」
 「私が代議士のころから、横田の基地の問題がある。皆さん行ったことがないでしょ。行ってみろよ、みんな。アメリカ軍に占領される形でもある。何で活用できないんですか。(官僚は)『国防総省だけは刺激しないで』という。タブーってのはいろいろあるんでしょうな」
「(こうした問題は)国民全体のためになることだ。国民や市民を、国は全然無視。苦い経験から逃げてきたからだ。私はこれは限界に来たなと。私はいい年ではありますけども、中央集権を削除しないと受け入れられない。有志の方と協力して、大阪にも機運がある。徳川時代が終わり、中央は47都府県へ知事を派遣し、支配を徹底してきた。徳川時代以上だ」
 「国は会計制度もやり直して、外部監査を入れたらいいじゃないですか。公認会計仕入れて、やらしたらいい。なんでやらさないのか。ちゃんとしたバランスシートでてくる。ちゃんとしたバランスシートもないのは、基本的に先進国は日本だけだ。性根を据えて、地方の役人と戦っていかないといけない、そうでないと窒息死すると、辞任を決心しました。国民へ最後のご奉公をしようと思っています」

石原知事会見詳報(4)】
「猪瀬さんで十分」 後継者に副知事を“指名”
2012.10.25 16:41
 東京都の石原慎太郎知事の記者会見は質疑に移り、焦点となっている新党構想や後継者の話に質問が集中した。
−−辞任の時期、新党結成の時期はいつ
 「辞任の時期は今日ですよ。新党結成は昨日でも今日でも準備はできている」
−−次の衆院選では新党からどのくらい候補者を立てるのか。自民と連立を組むつもりはあるのか
 「いやいや、自民は第1党にはなれないと思う。私は自民にいた当時、苦い思いをした人間。自民に戻らないし、戻りたくもない」
 「新党の候補者については、この前、平沼(赳夫衆院議員)さんたちと一緒に塾を開き、30−40人を育成した。当選するかどうかは分からないけど、レベルは高かった。やっぱり日本は選挙制度が悪い。中選挙区制に戻さないといけない」
−−今回、任期を残してやめることになったが、獲得した260万票分の都民には、どう説明するのか
 「仕方がない。もっと役に立つ仕事をするから。必ず役に立つ。都政を放り出す訳じゃあない」
−−都知事の後継候補者で、具体名は上がっているのか
 「私は猪瀬(直樹副知事)さんで十分だと思っている。あんな優秀な人はいない。官僚じゃないし、同じ物書きでも私よりよっぽど優秀。言ったことは全て着手してくれた。(知事になれば)私の代わりに行動を取ってくれると思う」
−−万が一、石原知事が首相になったら形を変えての徴兵制、最低でも青年海外協力隊みたいなものを導入するのか。新党を結成したら柱の政策にするのか
 「もうちょっと若い人に人間の連帯感というものを感じてほしい。自衛隊に入ってでもいいし、警察ででもいいし、無償の行為をする経験をしてもらった方がいい。実際にやるかやらないかは仲間と相談する」
−−日本国憲法は無効と話していたが、次期衆院選では公約にするのか
 「(『無効』というだけでは)言葉が足りない。今の憲法のどこに合法性があるのか。(メディアも政党も)それぞれ草案を持っている。草案を持ち寄ってブラッシュアップし、それに変えればいい。占領軍の憲法が独立後も通用する事例なんて聞いたことがない」
−−無効とすると憲法に基づいて、これまで国会で成立した法律の正当性はどうするのか
 「それは考えるしかない。変えるとはそういうことじゃないのか」

石原知事会見詳報(5)完】
新党での役職は「代表」 連携相手は明言せず
2012.10.25 17:08
 東京都の石原慎太郎知事の記者会見は終盤にさしかかったが、さらに新党構想についての質問が続く。その中では具体的な連携先の話題も出てきた。
−−石原知事が次期衆院選で比例候補として立てば当選すると思うが、政策を実行するには他の政党と組まないとならない。そうした場合は自公との連立を中心に考えているのか
 「先のことは分からない。愚問だよ」
−−次期衆院選に向けて色々な動きがある中、日本維新の会とはどのような連携を考えているのか
 「政策については(同会代表の橋下(徹大阪市長)君と話し合ってきた。連合を組むかどうかは分からない」
−−辞表を用意したのは、いつどのようなシチュエーションで書いたのか
 「辞表は1年前から書いていたよ。(それは冗談で)1週間前くらいに」
−−日本維新の会は2030年代に既存の原発を全廃する政策を掲げたが、その点についてはどう考えているか
 「経済をどう再生していくかについて、10−20年先まで緻密な計画を立てて、これだけの電力がいるということをシミュレーションすることが必要。それもなしに、いきなりの乱暴な提案は提案にもならない。そういうシミュレーションをやれっていっても民主も自民もやらない」
−−政策の主要点で一致しないと連携はないのか
 「そういう話はしてきている。(互いに)異論を唱え合って、初めて連携ができる」
−−新党での石原知事の役職は
 「代表だよ」
 石原知事は会見場所から離れる動作を取りながら、最後の質問にそう答えて会見場から姿を消した。
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日中関係に「具合悪い」=石原知事の新党結成−米倉経団連会長
 経団連の米倉弘昌会長は25日、東京都の石原慎太郎知事の新党結成について「なぜ都政よりも新党結成の方が重要なのか」と疑問を呈した。その上で、沖縄県・尖閣諸島をめぐり悪化している日中関係にとって「具合が悪い」との認識を示した。石原知事の辞任表明会見に先立ち、都内で記者団に語った。
 石原知事は同日の会見で、国家財政に関して経済界は認識不足であると厳しく批判しつつ、経団連の米倉会長を「たぬきみたいなおっさん」とこきおろした。
 一方、日本商工会議所の岡村正会頭は同日、「石原氏の政治実績と見識は、今後の衆院選挙で大きな注目を集める」などとする談話を発表した。(時事通信2012/10/25-18:35)
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石原慎太郎著『新・堕落論』 新潮選書2011/7/20発行 

   

p29〜
 さらにその結果、あの戦争を起こした日本だけを一方的に悪人とした、いわゆる東京裁判史観が、戦後において日本の近代史、現代史を考える基準にされてしまったのです。
 東京裁判でも外国人を含めて一部の弁護人が、あの戦争の中でアメリカが行った戦争における非道、つまり戦争の在り方を既定したジュネーブ条約違反を列挙してみせたが(〜p29)相手にはされなかった。
p30〜
 ジュネーブ条約では戦闘によって意識的に非戦闘員を殺してはならぬとありますが、アメリカの原爆投下は一瞬にして20万人を超す日本人を殺戮してしまった。
 その他の例としても(中略)制空権を失っていた首都東京に、アメリカの空軍司令官のルメイは、それまで高射砲の届かぬ亜成層圏を飛んでいたB29を超低空の2、3百?を飛ばせ、焼夷弾による絨毯爆撃をさせ一晩で十万人を超す都民を殺戮してしまった。
 これは相手側の記録にもあるが、その計画に一部のスタッフはこれはあきらかにジュネーブ条約違反だと反対したが、ルメイは「日本は薄汚い国だから、焼いて綺麗にするのだ」と公言しことを行ってしまったのです。その相手に日本は戦後、航空自衛隊の創立に功あったとして勲章を贈ったのだから馬鹿みたいに人のいい話だ。
 日本及び日本人が真に自立するために絶対に必要な精神的要件とは、連合軍が勝利者(〜p30)として一方的に行った東京裁判の歴史観を払拭することです。
p31〜
 そのための格好のよすががあります。敗戦後日本を統治君臨したマッカーサー元帥は、帰国後アメリカ議会で、日本が引き金を引いた太平洋戦争は、歴史的に、あくまで自衛の戦争だったということがわかった、と証言しているのです。その訳は、その頃になって、日本を開戦に追い込んだ悪名高いハル・ノートは国務長官だったコーデル・ハルが書いたものではなく、実は彼のスタッフだったホワイトという男がものしたということがわかり、さらにマッカーシー上院議員による赤狩りの中でホワイトがなんとコミンテルンの隠れたメンバーだったことが露見しホワイトは自殺に追い込まれた。
 モスクワの密命を受けたスパイが、ソヴィエトの南進の野心を遂げさせるために日本を戦争に追い込み、実際にソヴィエトは敗戦のどさくさに南下して日本の北方領土をかすめとってしまったのです。
 ハル・ノートとは、日本が近代化以来行った戦争、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦での勝利の結果獲得した海外領土と種々権益を一切放棄して返さぬ限り、アメリカ、イギリス、フランスの国々は一切の物資の供給を停止するという過酷なものでした。戦争に反対し続けていた昭和天皇もそれを見て、ここまでいわれるのなら覚悟せざるを(〜p31)得まいと決心をされたのです。
p32〜
 アメリカ議会における、かつて占領時代の統治者マッカーサー元帥の重要な証言は、東京裁判を行わしめた当事者としての画期的な認識を示したものなのに、なぜか日本の政府、特に文部省はその重要な史実を教科書に載せることは禁止してきました。これは敗者の卑屈とか弱腰などというよりもまさに売国的な指導でしかありはしない。
 日本は売られた喧嘩をやむなく買ったのに、有色人種ゆえに野放図な侵略者として位置づけられ、それを一方的に断定した東京裁判のトラウマから未だに抜けきれずにいるのです。自らのことながら、情けないというより哀れといわざるを得ない。
p37〜
 そしてその巻き添えで日本はアメリカに強要され、実質金丸信と小沢一郎の支配下にあった日本政府は何と130億?の戦争援助金を拠出させられ、その一部はそれをとりもった日本の有力政治家たちにキックバックされたという噂もアメリカにあります。現にアメリカの公式発表では、日本の拠出金額はなぜか100億?とされている。その差額の30億?についてアメリカはどう解釈しているのだろうか。その金はどこの誰にいってしまったのか。日本の臆病、或いは無能なメディアは国民のためにそれを探索することは無さそうです。
 つまりイラクでのアメリカの失敗は、所詮自業自得でしかない。そうした積み重ねの上に、かつて彼等を植民地支配した欧米は歴史の報復を受け混乱沈滞するでしょう。そうした大きな流れの中でこの日本はどうするかということですが、今の日本にはそうした世界の大きな流れの中での国の大計を想う人材は枯渇してしまいました。
p61〜
 アメリカによる先端技術の一方的な収奪の事例にはこと欠かず、その典型的、歴史的事例は、以前私の著書、アメリカでは悪名高い『「NO」と言える日本』に記したことですが、日本から強引に130億?という戦費を調達して行った、前述のように自ら仕組んで行った湾岸戦争で、アメリカが勝利できたのは日本からの戦費調達だけではなく当時の日本の先端技術が多大な貢献をしたからです。
p63〜
 しかしその癖アメリカ政府は戦争直後、日本だけは兵隊も送らず一緒に血を流して戦うことはなかったと非難し、ブッシュ大統領は約束していた日本での首脳会談には行かないなどといいだし、海部総理はサンフランシスコまで謝りに出かける始末だった。馬鹿な話だ。
 ことほど左様に、日本の技術に関してアメリカの抑圧と収奪は続いているのです。
p47〜
 しかし我々が敗戦から65年という長きにわたって享受してきた平和は、他国が願い追求努力して獲得してきた平和とはあくまで異質なものでしかありません。それは敗戦の後、この国の歴史にとって未曽有の他者として到来したアメリカという為政者が、あのニューヨークタイムズの漫画に描かれていたように、彼等にとっては異形異端な有色人種の造形した日本という、危険な軍事力を備えた怪物の解体作業の代償としてあてがったいびつな平和でしかありません。
 ドイツは敗戦後連合軍の統治下、国是として2つのことを決めました。1つは新生再建のための国家規範となる憲法はドイツ人自身が決める。2つは戦後のどいつにおける教育はドイツ人自身が決めて行う、と。我々に人がやったことはドイツと正反対のものでしかなかった。
 我々は、他人が彼等の目的遂行のために造成しあてがった国家の新しい規範としての(〜p47)憲法と引き換えに、自らの手で造成に努めることなしに、いや、努めることを禁じられた囲われ者へのお手当としての平和を拝受してきたのでしかありません。
p48〜
 平和は自ら払うさまざまな代償によって初めて獲得されるもので、何もかもあなたまかせという姿勢は真の平和の獲得には繋がり得ない。(以下略)
p49〜
 戦後から今日までつづいた平和の中で顕在したものや、江藤淳の指摘したアメリカの手によって『閉ざされた言語空間』のように隠匿されたものを含めて、今日まで毎年つづいてアメリカからつきつけられている「年次改革要望書」なるものの実態を見れば、この国がアメリカに隷属しつづけてきた、つまりアメリカの「妾」にも似た存在だったことは疑いありません。その間我々は囲われ者として、当然のこととしていかなる自主をも喪失しつづけていたのです。
 未だにつづいてアメリカから突きつけられる「年次改革要望書」なるものは、かつて自民党が金丸信支配の元で小沢一郎が幹事長を務めていた時代に始まりました。
p51〜
 あれ以来連綿とつづいているアメリカからの日本に対する改革要望書なるものの現今の実態はつまびらかにしないが、ならばそれに対して日本からその相手にどのような改革要望が今出されているのだろうか。国際経済機関に属している先進国で、こうした主従関係にも似た関わりをアメリカと構えている国が他にある訳がない。
 トインビーはその著書『歴史の研究』の中で歴史の原理について明快に述べています。「いかなる大国も必ず衰微するし、滅亡もする。その要因はさまざまあるが、それに気づくことですみやかに対処すれば、多くの要因は克服され得る。しかしもっとも厄介な、滅亡に繋がりかねぬ衰微の要因は、自らに関わる重要な事項について自らが決定できぬようになることだ」と。
 これはそのまま今日の日本の姿に当てはまります。果たして日本は日本自身の重要な事柄についてアメリカの意向を伺わずに、あくまで自らの判断でことを決めてきたことがあったのだろうか。これは国家の堕落に他ならない。そんな国家の中で、国民もまた堕落したのです。(〜p51)
p52〜
 ものごとの決断、決定にはそれを遂行獲得するための強い意思が要る。意思はただの願望や期待とは違う。その意思の成就のためにはさまざまな抑制や、犠牲をさえ伴う。
 現代の多くの日本人の人生、生活を占めているのは物神的(フェティシュ)な物欲、金銭欲でしかない。それはただ衝動的な、人間として薄っぺらな感情でしかない。そして日本の今の政治はひたすらそれに媚びるしかない。それもまた政治家としての堕落に他ならない。(略)
 ワシントンの消息通に聞けば、政権を構築しているワシントンの重要省の幹部たちは本音では、日本の財務省はアメリカ財務省の東京支店、日本外務省はアメリカ国務省の東京支店と疎んじてはばからないそうな。特に日本の外務省は、外交の基軸に日米安保を絶対前提(アプリオリ)として捉えているから、日米関係間のさまざまな摩擦に関しても、最後は安保条約に依る日本の安全への斟酌で腰がひけ、正当な主張をほとんどなしえない。
 それを証す露骨な例がありました。何年か前のニューズウィークの表紙一杯(〜p52)(p53〜)に、何のつもりでかアメリカの国旗星条旗が描かれていた。よく見ると、並んだ40幾つかの星の最後の星は小さな日の丸だった。本国でならともかく、この日本での版に、そうした絵をぬけぬけと描いて載せる相手の心情とは一体何なのか。語るに落ちる話だ。
  横田基地は「戦勝記念品」
 世界が時間的、空間的に狭小になったこの現代、航空機による往来は国家の繁栄のために欠かせぬものだから、まだまだ大きなビジネスチャンスがあると思われる日本や、育ち盛りの中国を含む東アジアへの往来のために日本の空をもっと開けろという声は世界中で高いし、現今の機材の飛行距離の能力からしても日本に有力なハブ空港が在るのが望ましい。現時点でも、日本への乗り入れを希望しながら待ちぼうけを喰わされている外国の航空会社は35もあります。しかし首都東京の中に日本で最長の滑走路を持ち、ただの兵站基地として日常殆ど使われていない厖大な横田基地を保有しながら(ちなみに横田基地がもっとも頻繁に使われたのはベトナム戦争の折、戦死したアメリカ兵の遺体を運び込み、日本の医学生を動員して死体の継ぎはぎをさせた時のことだ)、それを返還するという意欲は彼等には全く無いし、日本側にも国益のためにせめてもの共同使用を進める意欲もありません。
 専門筋だけが知っていることですが、横田を占有している米軍が、演習のためと称して民間機を排他している空域は成田や羽田、入間といった飛行場の管制空域よりもはるかに大きく新潟県にも及んでいて、ヨーロッパからロシア経由で日本に飛来する飛行機は日本を横断してそのまま真っ直ぐ成田に向かうことは出来ずに、その空域を迂回し一旦太平洋に出て成田に向かうしかない。
 最近になって東京都による横田の共同使用の働きかけの中で、日本の中で最も混雑している東京から大阪、福岡、さらにそれを延長して韓国のソウルに向かう最大幹線の西行線の管制がようやく緩和され、今まで往復1車線レベルだったものがなんとか2車線程度とはなりました。それによって飛行時間は10分ほど短縮されたが、それとて狭い幹線の中で正面衝突しかけた民間機が、互いに急上昇と急降下をしたため片方の乗客乗員が重傷を負う出来事があってのことだった。
 高速で飛ぶ飛行機の往来の時間が10分短縮されるというのは経済利益として多大なものだが、それを彼等は最近まで譲ろうとはしなかった。それも人命の危険においてようやくのことです。
p55〜
 かつて日本と韓国の共催で行われたワールド・カップの折、韓国では従来の金浦飛行場が国内線専用となり、仁川に新しい国際空港が出来ていたので私は韓国側と相談し、開催期間CIQ(入国手続)無しで横田での選手と観客の行き来の便を図ろうと合意し合いました。しかしそれを聞いたアメリカはあの基地に指一本触らせまい、と突然、従来殆ど使ってもいない空港の滑走路を向こう50年間使用可能とするべく滑走路の舗装をあくまで日本側の金で改修するといいだし、サッカー戦の期間中横田を強引に閉鎖してしまった。
 こうした事態の中で露呈してくるのはアメリカ国防省の意向への日本政府の切りない気兼ねで、最近になって判明してきたことですが、彼らは首都東京の中に在るあの厖大な横田基地を、かつての世界大戦での勝利の記念品(スブニール)と称しています。かつまた横田問題は“That Ishihara’s baby”だといっているという。
「あの石原めの」という所以は私がかつて書いた『「NO」と言える日本』への腹いせでしょうが、これまた率直というか馬鹿正直といおうか。そういわれていろいろ思い当たることも多いのも当然のことかも知れぬが、日本の国益を全く鑑みない彼等の魂胆は結局アメリカに対する我々の従来の姿勢に起因しているのです。
p66〜
  「核の傘」という幻
 アメリカによる日本統治は実に巧みに、実に効果的に運ばれてきたものだとつくづく思います。
 その象徴的な証左は広島の原爆死没者慰霊碑に記された「過ちは繰返しませぬから」という自虐的な文言です。これでは主語は我々日本人ということになる。過ちを犯したのは、彼らアメリカ人ではないか。(略)
 人類にとっての原爆の悲劇性について実は1番肝に銘じていたのは、原爆の被害者たちの他には、原爆を造った当人のオッペンハイマーだったと思います。
p67〜
 彼の伝説を読めば彼が逡巡しながらものした原爆の絶大な効果に彼自身が強い衝撃を受け、人間としての良心から原爆につづいての水爆製造に携わることを拒否し、非米活動委員会で非国民として糾弾されたことでもわかります。(略)
 慰霊碑に記されている「過ちは繰返しませぬから」という自虐的言葉の呪縛は、日本が持てる技術力によって核兵器を製造保有することをタブーにしてしまいました。
 世界で初めての原爆投下で、瞬時にして20万余の非戦闘員を殺してしまったのはアメリカ人であって他の誰でもありはしない。あの強力な破壊兵器の使用について、それを過ちとして反省すべきはアメリカ人であって、その相手の殺された日本人であるはずがない。記念碑の文言の主語があきらかに違っています。
p71〜
 私がコロラド州のコロラドスプリングズの、頭上で相手の水爆が爆発しても警備システムの機能が損なわれないためにと、アメリカ中で1番硬質な岩で出来ているシャイアンマウンテンをくりぬいて、上下、前後左右、幅1メールもあろう巨大な鋼鉄のコイルで作られた螺旋の幅数メートルのスプリングで支えられ、つまりくりぬかれた山中の虚空に宙吊りにされた、容積は当時日本に出来たばかりのマンモスビル、霞が関ビル(〜p71)ほどのNORAD本部を訪れた時、丁度アジアからの新聞記者団が訪問中だったが、議員の私と彼らは別待遇で、私は司令官にじきじきの案内でかなりの奥部までを視察出来ました。
p72〜
 その結果私が得た認識は、現地における彼等の説明の通りだと、彼等が日本で口にしている、アメリカに依る核戦略での日本への抑止力なるものは機能的に存在はしないということだった。
 私がそういったらNORADの司令官は、
「当たり前ではないか、第一、アメリカの核戦略展開はあくまでアメリカ自身のためのものであって、それ証かすようにこの警備本部の名前を見てみろ。ノース・アメリカとは、アメリカ本土とアメリカに隣接している東部カナダの1部であって、日本が我々の警備体制の管轄内に入る訳がない。日本は我々の国からは遠すぎ、ソヴィエトからは近すぎる。
 我々は重要な海軍基地のあるハワイをも敢えて見殺しにするだろう。ハワイが攻撃を受ければこれは歴然とした攻撃と見なせるし、もし彼等がハワイを飛び越して来たら、彼等を迎撃して撃ち落とすのはハワイからカリフォルニアの間の海というきわどい作業になるはずだ」
「ということは、この基地を基点とするアメリカの核戦略は日本に対する警備力も抑止力も全く持たぬということか」
 念を押して質したら、
「その通りだ。政治家たちが何を言っているかは知らないが、我々にはそんな力はないし、つもりもない。この時代にそれが心配なら、何で日本は自前の核を持って相手を牽制しないのだ」
 と言い返され私は言葉がありませんでした。
p74〜
 沖縄返還に関して、有事の際の核の持ち込みを認める密約が明らかになり、それが国民への配信のごとく騒がれましたが、当たり前のことではないか。日本に戦略基地を構え、安保に依って日本を守る約束を(一応)しているアメリカが有事の際でも日本人の奇矯な核に関するアレルギー、というよりも非核のセンチメントに気兼ねして有力な兵器の持ち込みをしないなら大層危ない話だし、敵に乗じられることにもなる。
 若泉敬はその著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の中で持ち込みの密約についての苦衷を述べていますが、そんなことより、実は彼も当時の佐藤総理も、アメリカの核の抑止力なるものがはなはだ当てにはならぬということを知っていたということです。しかしなお、この際沖縄は取り戻すべきものとしてとりあえず取り戻そうということだったのでしょう。
 先年、当時の自民党政調会長を務めていた中川昭一議員が、日本もそろそろ核の保有についての議論をかまえてもいいのではないかと発言しただけで、当時のアメリカ政府のナンバー2的存在だったライス国務長官が急遽飛んできて、アメリカは必ず核兵器によって日本を守るからそうした発言を控えてくれと抑制したものでした。中川氏の発言の余韻はそれきり消えてしまったが、まさかそういわれて誰しもがまたぞろアメリカのいい分を信じ直した訳でもありますまい。
 中川の発言はさまざま討論の余地はあろうが、しかしその前に我々は国家の命運に関わる重要な問題を、こと核問題に限らず自分自身のこととして考え討論するという、国家、国民としての当然の習いを忘れてしまったのです。現実に我々が我事として考え討論すべき問題を決めるのはまず実質的統治者であるアメリカであって、我々ではありえない。ことの結論を決めるのは、決め得るのは、我々ではなしに日本を囲い者として収奪しているアメリカという旦那でしかない。こんな危ない、馬鹿な話があるものか。
p76〜
 日本の核保有に関して、私と、もう一人複雑な思いを抱えていた若泉敬にとって極めて印象的な思い出があります。ある機会に私はかつて強い影響を受けた、サルトルと並んで戦後のフランスにおける実存主義の旗手の一人だった哲学者のレイモン・アロンとの知己を得て以来彼が来日する度会って会話を楽しみましたが、ある時親友の若泉を伴って会食したことがあります。
 その時話題が世界の核に及んだらアロンが、
「日本は何故自ら核兵器をもとうとしないのだ。世界で核を保有する権利が最もあるのは、世界で唯一の被爆国の日本以外にありはしないのに」と詰問してき、何か言い訳をしようとした若泉を遮って、
「日本にはドゴールのような指導者はいないのか。我々は我々の危機に及んでの、友人と称する他国の善意を信じることはあり得ない。君ら一体何を根拠に他国の善意なるものを信じようとするのか」
 といわれ返す言葉がありませんでした。
p77〜
 若泉にとってその時の会話はよほど肺腑をえぐるものだったらしく、彼はその後すぐに生まれた次男に核という名前をつけましたが。
 現代この時点で核戦略に関する議論は新しい技術体系を踏まえてさまざまあり得よう。核兵器による攻撃は弾道ミサイルで運ぶ以外に、潜水艦からの発射や巡航ミサイル、あるいは今日では宇宙船搭載による等。しかし日本という狭小な国家は、今日の水爆ならばただの2発で全滅してしまいます。そんな国が、例えばまず1発の水爆で半ば消滅しかけているのに、それを救うべく他の一体誰が自らの危険を冒して乗り出してくるだろうか。
 特に中国が「軍民統合、平戦結合、以民養軍、軍品優先」なる16文字政策によって1989年から2006年にかけての17年間に軍事予算をなんと8倍に増やし、核に関しても十分な抑止力を超えた装備を備えた今、彼らのいうように「中国の国防は純粋に自衛のためのもの」と信じる者はどこにもいません。今限りで中国がいずれかの国に対して直接武力による侵犯を行う意図はうかがえぬにしても、日本との間にある尖閣諸島周辺の資源開発問題や、あるいは領土権そのものに関しての紛糾の際に、その軍事力はさまざまな交渉の際の恫喝の有効な手立てとなってくるのです。
p79〜
 しかしその間中国の潜水艦は沖縄の島々の間の海峡を無断で通過するという侵犯を敢えて行い、日本側はそれに抗議するだけにとどまる不祥事がつづき、日本側は、本来なら警告の爆雷投下ぐらいはすべきだろうに放置してきました。これがもし日本の潜水艦が中国なり北朝鮮、いや韓国の領海にしても無断で押し入ったなら当然撃沈されるされるでしょう。それが「国防」というものだ。国防のためにすべきことを行わない国家にとっては、領土も領海も存在しないに等しい。
 この尖閣問題はさらに今後過熱化され、日本、アメリカ、中国三者の関わりを占う鍵となるに違いない。要はアメリカは本気で日米安保を発動してまで協力して尖閣を守るかどうか。守るまい、守れはしまい。
p81〜
 尖閣諸島への中国の侵犯に見られる露骨な覇権主義が、チベットやモンゴルと同様、まぎれもなく、この国に及ぼうとしているのに最低限必要な措置としての自衛隊の現地駐留も行わずに、ただアメリカ高官の「尖閣は守ってやる」という言葉だけを信じて無為のままにいるこんな国に、実は日米安保条約は適応されえないということは、安保条約の第5条を読めばわかることなのに。後述するが、アメリカが日米安保にのっとって日本を守る義務は、日本の行政権が及ぶ所に軍事紛争が起こった時に限られているのです。
 つまりあそこでいくら保安庁の船に中国の漁船と称してはいるが、あの衝突の(略)アメリカはそれを軍事衝突とはみないでしょう。ましてその後ろにいるのが中国としたら、アメリカの今後の利害得失を踏まえて本気のコミットメントは控えるに決まっている。
  安保条約への誤解
 ちなみに現時点ならば、核兵器に関しては別ですが日本が独自に保有する通常兵器での戦力は中国を上回っています。(p81〜)F-152百機による航空集団はアメリカ空軍に次ぐ世界第2の戦闘能力があり、その訓練時間量は中国の寄せ集め機種での実力に勝っているし、制海権に関しても関しても保有する一次に7発のミサイルを発射し得る6隻のイージス艦を旗艦とする6艦隊は中国の現有勢力に十分対抗し得る。予定のイージス艦10隻保有が達成されれば日本独自で制海権を優に獲得し得る。ということを、政府は国民に知らしめた上で尖閣問題に堂々と対処したらいいのです。
 もともと尖閣諸島に関する日中間の紛争についてアメリカは極めて冷淡で、中国や台湾がこれら島々の領有権について沖縄返還後横槍を入れてきていたので、日本はハーグの国際司法裁判所に提訴しようとアメリカに協力を申し入れたのに、アメリカは、確かに尖閣を含めて沖縄の行政権を正式に日本に返還したが、沖縄がいずれの国の領土かということに関して我々は責任を持たないと通告してきています。
 さらに、かつて香港の活動家と称する、実は一部軍人が政府の意向に沿って民間船を使って尖閣に上陸し中国の国旗を掲げたことがありましたが、一方同時に沖縄本島ではアメリカ海兵隊の黒人兵3人が小学校5年生の女の子を強姦し県民が激怒する事件が重ねて起こりました。
p83〜
 その時アメリカの有力紙の記者がモンデール駐日大使に、尖閣の紛争がこれ以上拡大したら、アメリカ軍は安保条約にのっとって出動する可能性があるかと質したら、大使は言下にNOと答えた。
 しかし不思議なことに日本のメディアはこれに言及せず、私一人が担当していたコラムに尖閣の紛争に関してアメリカの姿勢がそうしたものなら安保条約の意味はあり得ないと非難し、それがアメリカ議会にも伝わり当時野党だった共和党の政策スタッフがそれを受け、議員たちも動いてモンデール大使は5日後に更迭されました。
 丁度その頃、アメリカでは中国本土からの指令で動くチャイナロビイストのクリントン政権への莫大な献金が問題化しスキャンダル化しかかっていたが、それとモンデールの発言との関連性ははたしてあったのかどうか。(略)
p84〜
 さて、尖閣諸島の安保による防衛に関してのモンデールの発言ですが、実はこの発言には、というよりも安保条約そのものにはある大切な伏線があるのです。はたして彼がそれを熟知して発言したのかどうかはわからないが。
 彼だけではなしに、政治家も含めて日本人の多くは、安保条約なるものの内容をろくに知らずに、アメリカはことが起こればいつでも日本を守ることになっていると思っているが、それはとんでもない思い込み、というよりも危ない勘違いです。
 「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全をあぶなくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 前記の武力攻撃およびその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章第51条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない」(日米安保条約第5条)
p85〜
 ここで規定されている日本領土への侵犯を受けての紛争とは、あくまで軍事による紛争です。尖閣でのもろもろの衝突事件は日米安保の対象になり得ないというアメリカの逃げ口上は条約上成り立ってしまう。
 だからヒラリー国務長官がいくらアメリカは日本の尖閣を守ってやると大見得を切っても、その後彼女の子分のクローリー国務次官補が圧力をかけてきて日本の政府にああした措置をとらせてきたのです。
 日米安保に関するもう一つの大きな不安要素については、ほとんどの日本人が知らずにいます。
 それはアメリカのれっきとした法律、「戦争権限法」だ。これは戦争に関する大統領の権限を強く拘束制限する法律です。大統領はその権限を行使して新しい戦争を始めることは出来るが、それはあくまで剥こう60日限りのことで、その戦争のなりゆき次第で議会は60日を過ぎると行われている戦争に反対しそれを停止させることもできるのです。
 しかしこれは彼等白人同士の結束で出来ているNATOが行う戦争には該当され得ない。
p86〜
 だから現在アフガンで行われている不毛な戦闘には適応され得ないが、彼等が作って一方的に押しつけた憲法にせよ、それをかざして集団自衛権も認めず、日本にとっても致命的なインド洋のタンカールートを守るための外国艦船への海上給油作業も止めてしまうような国での紛争に、果たして長い期間の戦闘を議会が認めるのかどうか。ここらは日本人も頭を冷やして考えた方がいい。
 私の発言でモンデールが更迭された後、フォーリーが就任するまでなんと1年近くもの間アメリカの駐日大使は不在のままでした。つまり日本などという国には、ことさら大使を置かなくとも何の痛痒も感じないということだろう。
p143〜
 同じ敗戦国のドイツは、戦後の復興の過程で、新しい憲法と新しい教育の指針は絶対に勝者たる外国にはまかせず、自分自身で決めるといい張り通しました。当たり前のことだが、その当たり前のことをこの日本は出来ずに全て占領軍の言いなりになってしまった、その結果が今の体たらくだ。

      

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『アメリカに潰された政治家たち』孫崎亨著(小学館刊)2012年9月29日初版第1刷発行

    

p94〜
 明確にアメリカのターゲットに据えられている小沢一郎とはどんな人物なのか、簡単におさらいしておきましょう。(略)
 アメリカ側は非武装に近い形でもいいので自衛隊を出すことを求めましたが、日本の憲法の規定では、海外への派兵は認められないとする解釈が一般的で、これを拒否します。アメリカは人を出せないのなら金を出せとばかり、資金提供を要請し、日本は言われるまま、計130億ドル(紛争周辺国に対する20億?の経済援助を含む)もの巨額の資金提供を行うことになります。
p95〜
 当時の外務次官、栗山尚一の証言(『栗山尚一オーラルヒストリー』)では、この資金要請について「これは橋本大蔵大臣とブレディ財務長官の間で決まった。積算根拠はとくになかった」とされています。何に使うかも限定せず、言われるまま130億?ものお金を出しているのです。
 橋本は渡米前に小沢に相談していました。小沢は2001年10月16日の毎日新聞のインタビューでそのときのやりとりを明かしております。
「出し渋ったら日米関係は大変なことになる。いくらでも引き受けてこい。責任は私が持つ」
 この莫大な資金負担を決定したのが、実は小沢一郎でした。当時、小沢はペルシャ湾に自衛隊を派遣する方法を模索し、実際に「国連平和協力法案」も提出しています(審議未了で廃案)。
 “ミスター外圧”との異名をもつ対日強硬派のマイケル・アマコスト駐日大使は、お飾りに近かった海部俊樹首相を飛び越して、小沢一郎と直接協議することも多かったのです。小沢一郎が「剛腕」と呼ばれるようになったのはこの頃からです。
p96〜
 この時代の小沢一郎は、はっきり言えば“アメリカの走狗”と呼んでもいい状態で、アメリカ側も小沢を高く評価していたはずです。ニコラス・ブレディ財務長官の130億?もの資金要請に、あっさりと応じただけでなく、日米構造協議でも日本の公共投資を10年間で430兆円とすることで妥結させ、その“剛腕”ぶりはアメリカにとっても頼もしく映ったことでしょう。
 田中派の番頭だった小沢は、田中角栄がアメリカに逆らって政治生命を絶たれていく様を目の当たりにしています。ゆえに、田中角栄から離れて、「対米追随」を進んできたものと思われます。
 しかし、田中角栄の「対米自主」の遺伝子は、小沢一郎のなかに埋め込まれていました。
 1993年6月18日、羽田・小沢派らが造反により宮沢内閣不信任案が可決され、宮沢喜一首相は衆議員を解散しました。それを機に、自民党を離党して新生党を結成し、8党派連立の細川護煕内閣を誕生させました。その後は、新進党、自由党と新党を結成しながら、03年に民主党に合流します。(略)
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