さあ、孫崎氏を国会に呼ぼう
産経新聞2012.12.28 07:22[from Editor]
1988年夏だから、もう25年近く前になる。自民党の麻生太郎氏は米国ワシントンの大学で、学生たちに語った。
「日本の政治が安定している理由を教えましょう。相撲にたとえれば、土俵上でプレーをするのは自民党議員だけです。野党は、その周りに座る審判で、簡単に政権運営に介入できない」
新聞社派遣の留学生として、その場に居合わせた私は、この人の英語の野太い声に、吉田茂元首相の孫、日本の保守本流の家系という自負があふれるのを感じずにはいられなかった。
いま、その政治構図が復活しそうだ。圧勝した自民党と公明党が組んで、野党側は小粒な「土俵下の審判」になりさがる。麻生氏が入閣というのも、私には因縁めいてみえる。
さてあの人、元外務省国際情報局長、孫崎享(うける)氏は、この結果をどう評するだろうか。
「日本の戦後指導者の多くが米国に操られてきた」。そう断じた元外交官に、政権交代を機に弁明を求めたい、と考える政界人は少なくない。私も、孫崎氏をぜひ国会に呼び、論議の場をつくってほしい、と思う。
鳩山由紀夫氏について出馬断念する前に、この欄で、「その無定見を拒否したのは日本の国民」と書いたが、結局、その通りになった。彼の政治家としての失敗は本人の資質に起因しており、孫崎氏のように、“対米自主”路線への米国の圧力にからめても意味がないのだ。
孫崎氏は首相当時の鳩山氏に何度も会い、沖縄の米軍普天間飛行場の県外移設を進言した。最近では、小沢一郎氏の旧「国民の生活が第一」とほぼ同じ主張を述べて、「修羅場から逃げない。失うことを恐れない」を、政治家の条件と言っていた(著書『アメリカに潰された政治家たち』)。
だったら率先垂範、自ら出馬した方が早いだろうが、そうならなかったのは残念だ。
新政権には、麻生氏と安倍晋三氏という“対米追随”の両雄が返り咲いた。残念というのは、外務省で局長までつとめ、防衛大学校でも教えた孫崎氏が野党議員の一人に列していたら、さぞや立派な土俵下の審判になっただろう、と思うからである。
「追随」と並べれば「自主」が心地よく響く。だが鳩山氏を出すまでもなく、それが現実の国際舞台で有効かどうかは別問題で、よく吟味する必要がある。(編集委員 平山一城) * リンクは来栖
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「無法」中国との戦い方 古森義久著 小学館101新書 2012年12月8日初版第一刷発行
p39〜
朝日新聞が喧伝する元外交官の「奇説」
こうした膨張を続ける中国に対し、日本側では尖閣の実効支配を明確にする措置に反対する声も聞かれる。たとえば朝日新聞は、東京都の購入提案に反対し、なにもせず、もっぱら「中国との緊張を和らげる」ことを求める。2012年7月11日付の同紙では、孫崎享・元外務省国際情報局長の「尖閣は日本固有の領土ではない」という意見までを喧伝する。この孫崎氏の発言は日本の国益を守るために長年、活動した日本国外交官だった人物のそれとはとても思えないほど奇異だった。とにかく中国の主張を優先させ、ひたすら中国への歩み寄りを説くのである。
孫崎氏は朝日新聞のインタビューで、日本の尖閣領有が100年ほどでは固有の領土とは呼べないとして、中国は14世紀に尖閣周辺まで軍事的影響を及ぼしていたから、「中国のものと主張」することも根拠がないわけではない、と述べた。中国の14世紀といえば、モンゴル帝国の元の統治時代だったが、モンゴルといまの中国の領有権が直結できる、というのだからメチャクチャな理屈である。
p40〜
孫崎氏はまた、中国が尖閣に軍事攻撃をかけても、米国が日本を支援して防衛にあたるると考えるのは甘い、とも断言する。米国政府が公式に日米安保条約の尖閣への適用を宣言しているのに、孫崎氏の言はそれがウソだと断じるのに等しいのだ。そして尖閣問題は「現状が日本に最も有利」と説く一方、「係争地」と認めて中国との協議にのぞむことを勧めるという矛盾を語る。なにしろ尖閣についての「日本の主張は国際的にも認められない」と簡単に自国の権利を切って捨てるのだから、なにをかいわんや、である。なにがそこまで中国に媚びさせるのか。
「中国を刺激するな」的なこの種の主張は、中国側の尖閣奪取への意欲を増長するだけである。この種の宥和は、尖閣が日本領であることを曖昧にするのが主眼だから、それだけ中国の主張に火をつける。そもそも緊張の緩和や融和を求めても、中国側の専横な領有権拡大を招くだけとなる現実は南シナ海の実例で証明済みなのである。
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◆ 中国 増長する威圧経済外交〜南シナ海紛争/「永遠の摩擦」覚悟を〜東シナ海の尖閣諸島 古森義久 2012-08-11 | 国際/中国/アジア
ワシントン・古森義久 中国、増長する威圧経済外交
産経ニュース2012.8.11 07:47[緯度経度]
中国が経済パワーを他国に対し安全保障や政治の目的に威嚇的に使う「威圧経済外交」への警告が、米国側から発せられるようになった。今後の国際関係でも新たな震源となりそうな中国のこの戦略はすでに日本をも経済のムチの標的にしたという。
米側の識者がこの中国の「威圧経済外交」の最新かつ最大の実例として指摘するのは、先月の東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議で議長国カンボジアが中国からの圧力で同会議の共同声明を葬ってしまったケースである。
ワシントンの大手研究機関「戦略国際問題研究所(CSIS)」の上級研究員で中国の戦略や外交の専門家ボニー・グレーサー氏が「中国の威圧的な経済外交=懸念すべき新傾向」と題する最新論文で警告を発した。同氏は1990年代以来、歴代政権で国防総省や国務省の対中政策の顧問を務めたベテランの女性研究者である。
同論文は中国がこの10年、総額100億ドル以上、昨年度だけでも米国の援助の10倍を超える額の経済援助をカンボジアに与え、今回のASEAN外相会議の舞台となったプノンペンの「平和宮殿」の建設資金をも提供したことを記し、「中国はカンボジアのこの対中経済依存を利用して、ASEAN外相会議では共同声明に南シナ海に触れる記述を一切、含めないようにすることを強く要請し、カンボジアはそれを実行した。その結果、同会議は発足以来45年間、初の共同声明なしとなった」と総括していた。
同論文は中国の威圧経済外交の対象としてさらにフィリピンを挙げる。フィリピンは今年4月、南シナ海の中沙諸島スカボロー礁の領有権をめぐり中国と対立。両国が同礁海域に艦艇を送りこんだが、フィリピン政府が6月にすべての艦艇を同海域から引き揚げたのと対照的に、中国は数隻を残した。その背景には中国政府がフィリピンからのバナナ、マンゴーなどの果物の輸入の検疫措置を異常に厳しくし、中国人観光客のフィリピン訪問を禁止したことでフィリピン側の経済が大きな打撃を受け、財界が自国政府に領有権問題での中国への譲歩を訴える経緯があったという。
グレーサー氏の論文は同様の事例として2010年9月の中国政府の対日レアアース(希土類)輸出停止をも指摘した。尖閣諸島海域への中国船侵入に端を発した日中衝突で中国側は経済手段を使って、日本側の政策を変えさせるという政治目的を図ったというのだ。
同論文がさらに強調したのは、中国がノーベル平和賞をめぐってノルウェーに露骨な経済圧力をかけたことだった。同年10月、中国はノーベル賞委員会がノルウェー政府とは別個であるにもかかわらず、同政府に同平和賞を中国の民主活動家の劉暁波氏に与えないことを求め続けた。その要求がいれられないとみた中国はノルウェー産サケの自国への輸入を新規制の発動で大幅に削減した。その結果、翌年のノルウェーの対中サケ輸出は60%も減ってしまったという。
こういう事例はみな中国政府が政治や安保面で他国の政策を自国の主張に沿って変えることを求めるために、経済手段を威嚇的に使うという威圧経済外交を明確にしている。中国は貿易でも援助でも投資でも、経済面でのグローバルな活動を急速に広めている。その種の活動を本来、経済とはまったく無関係の領有権や政治的な紛争での相手国攻撃の手段として平然と使うというわけだ。となると、中国との経済取引はいつも慎重に、ということとなる。
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ワシントン・古森義久 「永遠の摩擦」覚悟を
産経ニュース2012.7.14 15:14[緯度経度]
「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの。南シナ海での領有権問題を扱うのに、公正な態度だといえますか」
こんな発言がフィリピン外務省の海洋問題担当代表のヘンリー・ベンスルト氏から出た。6月末のワシントンでの「南シナ海での海洋安全保障」と題する国際会議だった。主催は米側の大手研究機関「戦略国際問題研究所(CSIS)」である。この会議の特色は南シナ海で中国の領有権拡大の標的となった諸国の代表の発言だった。中国の海洋戦略攻勢が国際的懸念を高める表れである。
同じ会議でベトナム外交学院のダン・ディン・クイ院長も発言した。
「中国は結局は南シナ海全体を自国の湖にしようというのです。南シナ海紛争はその産物なのです」
フィリピンが主権を宣言する南シナ海の中沙諸島スカボロー礁の領有権を主張する中国は最近、艦艇を送ってフィリピン側を撃退した。この環礁はフィリピンの主島ルソンから250キロだが、中国本土からは1350キロの海上にある。ベンスルト氏の言もこの落差を踏まえての中国批判だった。
ベトナムは実効統治してきた西沙諸島から1974年1月に中国海軍の奇襲で撃退された。当時の南ベトナムの政権が米軍の離脱で最も弱くなった時期だった。クイ氏もそんな歴史を踏まえると中国の南シナ海制覇は自国の海よりも湖に、と評したくなるのだろう。
中国の海洋攻勢はプノンペンでの東南アジア諸国連合(ASEAN)主体の一連の国際会議でも主題となった。日本にとっても尖閣諸島の日本領海への中国漁業監視船の侵入は大きな挑戦となった。この監視船は米側では中国当局が準軍事任務の先兵とする「5匹のドラゴン」のひとつとされる。
こうした膨張を続ける中国に対し日本側では尖閣の実効支配を明確にする措置に反対する声も聞かれる。朝日新聞は東京都の購入に反対し、なにもせず、もっぱら「中国との緊張を和らげる」ことを求める。外務省元国際情報局長の「尖閣は日本固有の領土という主張を撤回せよ」という意見までを喧伝(けんでん)する。
しかし「中国を刺激するな」的なこの種の主張は中国側の尖閣奪取への意欲を増長するだけである。この種の融和は尖閣が日本領であることを曖昧にするのが主眼だから、それだけ中国の主張に火をつける。そもそも緊張の緩和や融和を求めても、中国側の専横な領有権拡大を招くだけとなる現実は南シナ海の実例で証明ずみなのだ。
米国海軍大学校の「中国海洋研究所」のピーター・ダットン所長は中国の海洋戦略の特徴として「領有権主張では国際的な秩序や合意に背を向け、勝つか負けるかの姿勢を保ち、他国との協調や妥協を認めません」と指摘した。「中国は自国の歴史と国内法をまず主権主張の基盤とし、後から対外的にも根拠があるかのような一方的宣言にしていく」のだともいう。だから相手国は中国に完全に屈するか、「永遠の摩擦」を覚悟するか、しかないとも明言する。
ダットン氏はそのうえで次のように述べた。
「中国が東シナ海の尖閣諸島に対してはまだ南シナ海でのような攻勢的、攻撃的な態度をとっていないのは、紛争相手の日本が東南アジア諸国よりも強い立場にあるからです。同盟国の米国に支援された軍事能力の高さや尖閣領有権の主張の論拠の強さには南シナ海でのような軍事行動や威嚇行動に出ても有利な立場には立てないと判断しているといえます」
だが中国は現在の力関係が自国に有利になれば、果敢な攻勢を辞さないということだろう。となると、日本側のあるべき対応も自然と明白になってくる。
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『アメリカに潰された政治家たち』孫崎亨著(小学館刊)2012年9月29日初版第1刷発行
p93〜
第2章 最後の対米自主派、小沢一郎
角栄に学んだ小沢の「第七艦隊発言」
私は情報局が人材のリクルートのために製作したプロモーション映像を見たことがあるのですが、そのなかで「我々は軍事だけでなく、政治的な分野でも諜報活動を行っている」と活動を紹介し、オサマ・ビン・ラディンの映像などを流していました。そういった一連の映像や画像のなかに、小沢一郎氏の写真が混ざっていて、私はハッとしました。
彼らにとっては、小沢一郎に工作を仕掛けているということなど、隠す必要がないほど当たり前のことなのです。
p94〜
明確にアメリカのターゲットに据えられている小沢一郎とはどんな人物なのか、簡単におさらいしておきましょう。
小沢一郎は27歳という若さで衆議員議員に初当選した後、田中派に所属し、田中角栄の薫陶を受けて政界を歩んできました。しかし、1985年に田中角栄とは袂を分かち、竹下登、金丸信らと創政会を結成。のちに経世会(竹下派)として独立しました。
1989年に成立した海部俊樹内閣では、47歳で自民党幹事長に就任しています。おそらく小沢一郎という人物をアメリカが捕択、意識し始めたのはこの頃だと考えられます。1990年にサダム・フセインがクウェートに軍事侵攻し、国連が多国籍軍の派遣を決定して翌年1月に湾岸戦争が始まりました。
ここでブッシュ(父)大統領は日本に対して、湾岸戦争に対する支援を求めてきます。
アメリカ側は非武装に近い形でもいいので自衛隊を出すことを求めましたが、日本の憲法の規定では、海外への派兵は認められないとする解釈が一般的で、これを拒否します。アメリカは人を出せないのなら金を出せとばかり、資金提供を要請し、日本は言われるまま、計130億ドル(紛争周辺国に対する20億?の経済援助を含む)もの巨額の資金提供を行うことになります。
p95〜
当時の外務次官、栗山尚一の証言(『栗山尚一オーラルヒストリー』)では、この資金要請について「これは橋本大蔵大臣とブレディ財務長官の間で決まった。積算根拠はとくになかった」とされています。何に使うかも限定せず、言われるまま130億?ものお金を出しているのです。
橋本は渡米前に小沢に相談していました。小沢は2001年10月16日の毎日新聞のインタビューでそのときのやりとりを明かしております。
「出し渋ったら日米関係は大変なことになる。いくらでも引き受けてこい。責任は私が持つ」
この莫大な資金負担を決定したのが、実は小沢一郎でした。当時、小沢はペルシャ湾に自衛隊を派遣する方法を模索し、実際に「国連平和協力法案」も提出しています(審議未了で廃案)。
“ミスター外圧”との異名をもつ対日強硬派のマイケル・アマコスト駐日大使は、お飾りに近かった海部俊樹首相を飛び越して、小沢一郎と直接協議することも多かったのです。小沢一郎が「剛腕」と呼ばれるようになったのはこの頃からです。
p96〜
この時代の小沢一郎は、はっきり言えば“アメリカの走狗”と呼んでもいい状態で、アメリカ側も小沢を高く評価していたはずです。ニコラス・ブレディ財務長官の130億?もの資金要請に、あっさりと応じただけでなく、日米構造協議でも日本の公共投資を10年間で430兆円とすることで妥結させ、その“剛腕”ぶりはアメリカにとっても頼もしく映ったことでしょう。
田中派の番頭だった小沢は、田中角栄がアメリカに逆らって政治生命を絶たれていく様を目の当たりにしています。ゆえに、田中角栄から離れて、「対米追随」を進んできたものと思われます。
しかし、田中角栄の「対米自主」の遺伝子は、小沢一郎のなかに埋め込まれていました。
1993年6月18日、羽田・小沢派らが造反により宮沢内閣不信任案が可決され、宮沢喜一首相は衆議員を解散しました。それを機に、自民党を離党して新生党を結成し、8党派連立の細川護煕内閣を誕生させました。その後は、新進党、自由党と新党を結成しながら、03年に民主党に合流します。(略)
p97〜
外交政策についても、対米従属から、中国、韓国、台湾などアジア諸国との連携を強めるアジア外交への転換を主張するようになりました。「国連中心主義」を基本路線とするのもこのころです。
小沢一郎は、09年2月24日に奈良県香芝市で「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ。あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う。米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と記者団に語っています。
つまり沖縄の在日米軍は不要だと明言したわけです。
この発言を、朝日、読売、毎日など新聞各紙は一斉に報じます。『共同通信』(09年2月25日)の配信記事「米総領事『分かっていない』と批判 小沢氏発言で」では、米国のケビン・メア駐沖縄総領事が記者会見で、「『極東における安全保障の環境は甘くない。空軍や海兵隊などの必要性を分かっていない』と批判し、陸・空軍や海兵隊も含めた即応態勢維持の必要性を強調した」と伝えています。アメリカ側の主張を無批判に垂れ流しているのです。
p98〜
この発言が決定打になったのでしょう。非常に有能だと高く評価していた政治家が、アメリカから離れを起しつつあることに、アメリカは警戒し、行動を起こします。
発言から1か月も経っていない2009年3月3日、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の会計責任者で公設秘書も務める大久保隆規と、西松建設社長の國澤幹雄ほかが、政治資金規正法違反で逮捕される事件が起きたのです。小沢の公設秘書が西松建設から02年からの4年間で3500万円の献金を受け取ってきたが、虚偽の記載をしたという容疑です。
しかし、考えてもみてください。実際の献金は昨日今日行われたわけではなく、3年以上も前の話です。第7艦隊発言の後にたまたま検察が情報をつかんだのでしょうか。私にはとてもそうは思えません。
アメリカの諜報機関のやり口は、情報をつかんだら、いつでも切れるカードとしてストックしておくというものです。ここぞというときに検察にリークすればいいのです。
この事件により、小沢一郎は民主党代表を辞任することになります。しかし、小沢は後継代表に鳩山由紀夫を担ぎ出します。選挙にはやたらと強いのが小沢であり、09年9月の総選挙では“政権交代”の風もあり、民主党を圧勝させ、鳩山由紀夫政権を誕生させます。ここで小沢は民主党幹事長に就任しました。
p99〜
小沢裁判とロッキード事件の酷似
ここから小沢はアメリカに対して真っ向から反撃に出ます。
鳩山と小沢は、政権発足とともに「東アジア共同体構想」を打ち出します。 対米従属から脱却し、成長著しい東アジアに外交の軸足を移すことを堂々と宣言したのです。さらに、小沢は同年12月、民主党議員143名と一般参加者483名という大訪中団を引き連れて、中国の胡錦濤主席を訪問。宮内庁に働きかけて習近平副主席と天皇陛下の会見もセッティングしました。(略)
しかし、前章で述べたとおり、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」はアメリカの“虎の尾”です。これで怒らないはずがないのです。
その後、小沢政治資金問題は異様な経緯を辿っていきます。
p100〜
事件の概要は煩雑で、新聞等でもさんざん報道されてきましたので、ここでは触れませんが、私が異様だと感じたのは、検察側が10年2月に証拠不十分で小沢を不起訴処分にしていることです。結局、起訴できなかったのです。もちろん、法律上は「十分な嫌疑があったので逮捕して、捜査しましたが、結局不起訴になりました」というのは問題ないのかもしれません。
しかし、検察が民主党の党代表だった小沢の秘書を逮捕したことで、小沢は党代表を辞任せざるをえなくなったのです。この逮捕がなければ、民主党から出た最初の首相が鳩山由紀夫ではなく、小沢一郎になっていた可能性が極めて高かったと言えます。小沢首相の誕生を検察が妨害したということで、政治に対して検察がここまで介入するのは、許されることではありません。
小沢は当初から「国策捜査だ」「不公正な国家権力、検察権力の行使である」と批判してきましたが、現実にその通りだったのです。
この事件には、もう1つ不可解な点があります。検察が捜査しても証拠不十分だったため不起訴になった後、東京第5検察審査会が審査員11人の全会一致で「起訴相当」を議決。検察は再度捜査しましたが、起訴できるだけの証拠を集められず、再び不起訴処分とします。それに対して検察審査会は2度目の審査を実施し「起訴相当」と議決し、最終的に「強制起訴」にしているところです。
p101〜
検察は起訴できるだけの決定的な証拠をまったくあげられなかったにもかかわらず、マスコミによる印象操作で、無理やり起訴したとの感が否めないのです。これではまるで、中世の魔女裁判のようなものです。
ここで思い出されるのは、やはり田中角栄のロッキード事件裁判です。当時、検察は司法取引による嘱託尋問という、日本の法律では規定されていない方法で得た供述を証拠として提出し、裁判所はそれを採用して田中角栄に有罪判決を出しました。超法規的措置によって田中は政界から葬られたのです。(略)
東京地検特捜部とアメリカ
p102〜
実は東京地検特捜部は、歴史的にアメリカと深い関わりをもっています。1947年の米軍による占領時代に発足した「隠匿退蔵物資事件捜査部」という組織が東京地検特捜部の前身です。当時は旧日本軍が貯蔵していた莫大な資材がさまざまな形で横流しされ、行方不明になっていたので、GHQの管理下で隠された物資を探し出す部署として設置されました。つまり、もともと日本のものだった「お宝」を探し出してGHQに献上する捜査機関が前身なのです。
東京地検特捜部とアメリカお関係は、占領が終わった後も続いていたと考えるのが妥当です。たとえば、過去の東京地検特捜部長には、布施健という検察官がいて、ゾルゲ事件の担当検事を務めたことで有名になりました。
ゾルゲ事件とは(略)
p103〜
さらに布施は、一部の歴史家が米軍の関与を示唆している下山事件(略)
他にも、東京地検特捜部のエリートのなかには、アメリカと縁の深い人物がいます。
ロッキード事件でコーチャンに対する嘱託尋問を担当した堀田勉は、在米日本大使館の一等書記官として勤務していた経験があります。また、西松建設事件・陸山会事件を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も同様に、在米大使館の一等書記官として勤務しています。
この佐久間部長は、西松建設事件の捜査報告書で小沢の関与を疑わせる部分にアンダーラインを引くなど大幅に加筆していたことが明らかになり、問題になっています。
この一連の小沢事件は、ほぼ確実に首相になっていた政治家を、検察とマスコミが結託して激しい攻撃を加えて失脚させた事件と言えます。
『文藝春秋』11年2月号で、アーミテージ元国務副長官は、「小沢氏に関しては、今は反米と思わざるを得ない。いうなれば、ペテン師。日本の将来を“中国の善意”に預けようとしている」と激しく非難しています。
p104〜
アメリカにとっては、自主自立を目指す政治家は「日本にいらない」のです。必要なのはしっぽを振って言いなりになる政治家だけです。
小沢が陥れられた構図は、田中角栄のロッキード事件のときとまったく同じです。アメリカは最初は優秀な政治家として高く評価していても、敵に回ったと判断した瞬間、あらゆる手を尽くして総攻撃を仕掛け、たたき潰すのです。小沢一郎も、結局は田中と同じ轍を踏み、アメリカに潰されたのです。
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