陸山会事件、調書却下の検察側異議を棄却
日本経済新聞2011/7/12 19:44
小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、東京地裁(登石郁朗裁判長)は12日、衆院議員、石川知裕被告(38)ら元秘書3人の供述調書の大部分を不採用とした決定に対する検察側の異議申し立てについて、「理由がない」として棄却した。
検察側は、小沢元代表の虚偽記入への関与を認めた石川議員らの調書など、主要な調書を欠いたまま20日の論告求刑に臨むことになった。
同地裁は6月30日付の決定で、元秘書への東京地検特捜部の取り調べについて「威迫ともいうべき心理的圧迫や小沢氏の不起訴という利益誘導があった」と認定。検察側が証拠請求した38通の調書のうち、12通の任意性を否定した。
◆「特捜部は恐ろしいところだ」ストーリー通りの供述を取らなければ、という強いプレッシャー〈陸山会事件〉2011-07-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「特捜部は恐ろしいところだ」なぜ検事は取り調べでその言葉を発したのか?
NCNニコニコニュース 2011年7月11日(月)16時39分配信
小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、政治資金規正法違反罪で起訴された小沢氏の元私設秘書、石川知裕衆院議員は2011年7月10日、ニコニコ生放送の特別番組に出演し、東京地検による取り調べの際、担当検事が「特捜部は恐ろしいところだ」と発言したときの様子を語った。また、元検事の市川寛氏は、自らの体験を基に同発言が出た理由を推測した。
陸山会事件とは、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、政治資金収支報告書に虚偽記入や不記載があったとして、石川議員を含む小沢氏の元秘書3人が政治資金規正法の罪に問われている事件。今年の2月に行われた初公判では3人とも無罪を主張。裁判の行方が注目される中、東京地裁は6月30日、検察側が証拠請求した石川議員ら元秘書3人の供述調書の一部について「威圧的な取り調べや利益誘導があった」などと任意性を否定し、証拠として採用しないことを決めた。裁判所の判断の根拠となったのは、担当検事が発したとされる「特捜部は恐ろしいところだ」という言葉だ。
石川議員は取り調べ中に東京地検特捜部の田代政弘検事から「特捜部は恐ろしいところだ。何でもできるところだぞ。捜査の拡大がどんどん進んでいく」と言われたと主張。これに対し、田代検事は否定したが、東京地裁は石川議員の主張を認め、「威迫ともいうべき心理的圧迫があった」として供述調書の証拠採用を却下した。決め手となったのは石川議員が保釈後の再聴取のときに録音していた取り調べのやり取りの様子。そこでは、田代検事が同発言を認める様子が記録されていた。
田代検事がこのような発言をした理由について、個人的に田代検事を知っているという元検事で弁護士の市川寛氏は
「彼(田代検事)自身は追い込まれて、石川さんから所定の供述を取らなければいけないというプレッシャーがあったので、そういう言葉を使わなければいけなかったのではなかったのか」
と、検察官当時に自分が置かれていた立場に重ね合わせて語り、上層部が描いたストーリーに沿った供述を取らなければいけないという強いプレッシャーが検察内部にあることを指摘した。市川氏は冤罪事件として知られる佐賀市農協事件に主任検事として関わった際、事情聴取した元組合長に対して「ぶち殺すぞ!この野郎!」と暴言を吐いたことが原因となり検事を辞職している。
市川氏の発言に対し、石川議員も
「罵倒して脅すように『恐ろしいところだ。何でもできる』と言ったわけではなかった。田代さんが私に言ったのは『(検察は)こういう恐ろしいところだから、どうなるかわからない。(特捜部を)止められるかわからない』というセリフ。恐らくそういう組織の中で、結果を出さなければいけない。一人一人が追い詰められていくのはそういうところなんじゃないか」
と述べた。
(三好尚紀) *強調(太字)は来栖
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「カバンの脇にICレコーダーを入れていた」 石川知裕議員、検察取調べの「録音方法」を説明
ニコニコニュース2011年7月9日(土)23時00分配信
小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記入)の疑いで起訴されている同会元事務担当の石川知裕衆議院議員は2011年7月8日、自由報道協会の主催する記者会見に出席し、東京地検の事情聴取をICレコーダーで録音したときの模様を語った。
石川議員の調書は検察側によって裁判所に提出されたが、その一部は「任意性がない」として却下されている。その点について「録音データが影響したと考えてもいいのか」と記者に問われると、石川議員は「その通りです」と答えた。
石川議員は、小沢氏の秘書をしていたとき政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたとして、政治資金規正法違反の疑いで逮捕・起訴された。刑事裁判は2011年2月に始まり、7月には検察側の論告求刑が予定されているが、その直前の6月、東京地裁は石川議員の供述調書15通のうち10通を証拠として採用しないことを決めた。
そのうちの一つは、石川議員が保釈された後の2010年5月に再聴取されたときの供述調書だ。そこには、政治資金収支報告書の虚偽記入について小沢氏に報告し了承を得ていたなど、勾留中の取調べで石川議員が話したとされる内容がそのまま維持された形で記録されていた。
ところが、石川議員はこの再聴取の模様を秘かにICレコーダーで録音。起訴された後に、裁判所に証拠として提出したが、その録音記録には、取調べを行った検事が東京地検特捜部の力を暗に示し、勾留時の調書と矛盾する主張をすれば再逮捕の可能性もあると示唆する様子が残されていた。結局、東京地裁は「威迫ともいうべき心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら巧妙に誘導」したものとして、検察側が提出した調書を却下した。
石川議員は記者会見で、再聴取の模様を秘かに録音したことについて、元外交官の佐藤優氏の薦めで実行したと説明。録音したときの心境について、
「簡単なようで、心理的圧迫は大きい。取調べのとき、必ず検事に『録音していないよね?』と聞かれる。検事さんに『本当に録音していないよね?』と聞かれて、そのまま平気で録音できる神経というのはなかなか大変」
と語った。また、自分のカバンの脇のポケットを指さしながら、
「カバンの脇のところにICレコーダーを買って入れて行った。それに加えて、高度な集音マイクをつけて中に入れた。(録音は)認められている権利だが、もしガチャッと音がしてバレたら、と緊張した」
と説明した。
また、記者から「供述調書の却下に録音データが影響したと考えてもいいのか」と質問されると、「その通りです」と回答。検察については、
「真面目な人が多く正義感に燃えている。しかし、検察としてなにか成果を挙げなきゃいけないという、組織の体制そのもの自体に問題がある」
と指摘し、検察組織の改革と取調べの可視化の必要性を主張した。
(中村真里江、亀松太郎)
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◆石川知裕:最後に特捜部にエールを送って、この事件を終わりにしたい「陸山会事件」2011-07-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆もはや小沢氏を法廷に縛りつける理由はないのに、検察官役の指定弁護士、前田元検事を証人申請2011-07-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆「陸山会事件」東京地裁 検察のデッチ上げ調書を証拠採用せず/小沢強制起訴の根幹崩れる2011-07-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
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◆検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)
◆「誰が小沢一郎を殺すのか?」日本の人格破壊システム/政治資金規正法を皆さん勘違い2011-06-01 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「誰が小沢一郎を殺すのか?」 日本の"人格破壊"システムとは
NCN 6月1日(水)17時42分配信 「誰が小沢一郎を殺すのか?」――この謎を紐解くと、日本の真の姿が見えてくる。ジャーナリストの上杉隆氏は2011年5月27日、ニコニコ生放送で『誰が小沢一郎を殺すのか? 画策者なき陰謀』(角川書店)を先日上梓したジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏とスカイプ中継でトークセッションを行った。ウォルフレン氏は、政治家・小沢一郎を取り巻く環境を、日本特有の「人格破壊」システムであると指摘し、問題提起した。
ウォルフレン氏の最新刊『誰が小沢一郎を殺すのか?』は、民主党・小沢一郎氏の波乱に満ちた政治家人生を分析し、そこから浮かび上がる日本独特のシステムや日本人のネガティブな一面を浮き彫りにした本である。日本の政治を30年以上見つめ続けてきた外国人記者ならではの、客観的かつ冷静な視点が光る、珠玉の日本人論にもなっている。
小沢一郎を"殺す"存在――それは官僚・マスコミ・検察に代表される「非公式権力」であるとウォルフレン氏は語る。小沢氏は1993年に自民党を飛び出し、新生党を結成。それが結果的に55年体制の崩壊につながった。改革派として一気に政治の表舞台に立った小沢氏に、"官"は徹底的な圧力をかけ、マスコミはネガティブキャンペーンを展開したと指摘する。ウォルフレン氏はこの「圧力」は日本特有のものであるとし、これを「人格破壊」という言葉で表現。この「人格破壊」によって、小沢氏は政治家としての命をじわじわとはぎ取られることになった。それがウォルフレン氏の言う、"殺す"ということだという。
さらに上杉氏から「なぜ、非公式権力は小沢一郎の人格破壊を行ったのでしょうか?」と質問を受けたウォルフレン氏は、「第一にそれが日本の慣習であるから」と回答。「変化を望まず傑物を嫌う」日本のネガティブな慣習――。それは、「アメリカからの独立」を掲げ表舞台に登場した小沢氏を嫌ったアメリカによる外圧と合わせて、過去にないほど大掛かりな「人格破壊」につながったという。だからこそ、今回の著書では小沢氏を「象徴」として取り上げたのだ、と。
上杉氏はまた「93年以前からウォルフレン氏は『人格破壊』をする日本のシステムの問題点を指摘しており、自らも学生時に著作に触れて影響を受けた」とウォルフレン氏の先見性を高く評価。非公式権力による「人格破壊」は小沢氏だけではなく、表舞台に登場し行動してきた、あらゆる"改革者"が通ってきた日本のシステムであるという解釈を示した。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]ウォルフレン氏登場部分から視聴 - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv49780531?ref=news#14:00
(村井克成)
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◆政治資金規正法を皆さん勘違い。小沢さんがいなくなることはプロの政治家がいなくなること=安田弁護士2011-01-08 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
7/19緊急シンポジウム!! ''ニッポン''は何を守ろうとしているのか!H.22-06-08
「唯一はっきりしている条文があるんです。政治資金規正法で処罰されるのは、会計責任者だけなんです。政治家は処罰されないんです。政治家は処罰の対象から外れているんです。始めから、そういう法律なんです。そもそも法律の目的というのは、会計責任者が責任を持って会計の結果について報告する、ということが義務付けられているんです。ところが皆さん、勘違いしている。小沢さんが秘書と一蓮托生で処罰されるべきだと。これほど法律違反、法律の主旨に反することは、ないんです。つまり、どこかで法律が歪められて、トリッキー歪められて、つまり、政治資金規正法は政治家取締法なんだというふうに完全に勘違いしている。この勘違い、実は検察審査会も、まったく同じ評決をしているわけですね。小沢さんは、これだけ権力を持っている人間が、小沢さんの指示なしに物事が行われるはずがない、と。しかし法律の枠組みは、およそそんなことは無いんです。もし小沢さんが有罪になるとすればですね、責任者との共犯なんです、あくまでも。単に、知っていたとか、報告受けていたとか、そんなことでは共犯になるはずありませんね。これは、税理士さんが「これで申告しますよ」と言って「ああ、はい、どうぞ」って言ったら共犯になるか、といえば、そんなことはないわけなんです。ですからもし小沢さんが共犯になるとすれば「おい、石川、こうやれ」という形ですね。「こうやらんと許さんぞ」と、指示・命令、絶対的に服従させたと、そういう場合に初めて共犯として存在する。それを皆さん、完全に誤解している。大変な誤解(笑)。それで、皆さん、恐らくテレビなどで論評していらっしゃる。
次の問題です。政治資金規正法の中に、何を記載せよとか、どのような会計原則に則れとか、何一つ書いてないんです。ですからたとえば、ちょっとお金を借りましたとか、立て替えて貰いましたとか、或いは、今日帳簿に載せるよりは来年のほうに載せとこうか、というような話は、本当に虚偽記載になるのかどうか、或いはそれを載せなければならないのかどうか、それさえもあの法律の中には書いてないんですよ。つまり、虚偽を記載してはいかん、という話だけなんですよ。何が虚偽なのか、さえ書いていない。しかしそれを検察が勝手に解釈してですね、例えば今回の場合の、今年載せずに来年載せたということが犯罪だと、虚偽だと、やったわけです。或いはAという政治団体からお金貰った、それを実はこうだった、違う人だった、と言って、それは虚偽だというわけですね。しかしAという政治団体を通して貰ったんだから、それを記載するのは当たり前の話でして、それを虚偽といえるかどうか、それこそ大変大きな問題なわけです。ですから小沢さんの一昨年の問題、或いは今年の問題、いずれも法律の解釈を彼らがやって初めて有罪に出来るだけの話でして。ですから立法者の条文とは違うんですね。
ですからこの間(かん)も法律が守られずにどんどんどんどんきている。今回典型的なことはですね、石川さんが逮捕されました。しかしその2日後、3日後ですかね、3日後には国会が開かれるわけです。国会が開かれた場合、国会議員を逮捕するためには国会の議員の議決の承諾がないといけないわけなんです。それを抜き打ち的に、先達する形で石川さんを逮捕する。これは立法権に対する侵害じゃないですか。つまり憲法違反の事を彼ら、やっているわけです。つまり憲法に違反している行為に対する批判がどこにもない。これは、私ももう、大変びっくりしたわけです。
検察はしっかりと政治をやっている、というふうに私は理解しているんです。例えば今回、石川さんの弁護をやっていて3日目か4日目ですかね、あ、検察はこれを狙っているな、というのは大体、私も、石川さんが検察にどういうことを言われているかというのを聞いて分かるんです。
つまり検察は小沢さんを逮捕することは恐らく不可能だろうと最初から思った。しかし検察審査会で勝負をかける、ということを彼らは考えている。彼らのやり方はこうだな、と。検察審査会で起訴相当を取ることによって小沢さんの政治生命を奪う、と。そのシナリオ通りに見事に小沢さんの政治生命はなくなってしまった。ま、これが今回のシナリオでですね。小沢さんを直接起訴すれば当然全面戦争になってしまうわけでして。むしろ国民を総動員して、或いは市民という名を、怒れる11人の市民を使って小沢さんの政治生命を奪うという戦術に彼ら、でてきた。
で検察審査会も、トリック、ま、検察審査会には助言者といってですね、弁護士がその場に同席していろんな助言をするわけです。法律の解釈とかそういうものを。恐らくその助言者がとんでもない助言をしたんだろうと思うんです。どういうことかというと、政治資金規正法は政治家の犯罪、取締法なんだという解説をしたんだと思うんです。
ですからとんでもない、検察でさえ起訴しなかったものを検察審査会が起訴相当という結論をだしたんだろうと、そしてそのことを検察は最初から予想、予定していたんだろうと、そう思うわけです。
先に、情緒的な風潮の中で有罪無罪が決まっていくと、そういう話がありましたけど、私は思うんですね。弁護士は弁護士として、政治家は政治家として、メディアの人間はメディアの人間として、それぞれの人間がプロ的な精神を持ってそれぞれの職責を全面的に発揮すれば、おそらくこんな体たらくな状態にはならんだろうと思うんです。法廷でも、捜査段階から弁護士が弁護人として責任をしっかりと果たせば、恐らく情緒的な社会の動きに対してたえることが出来る、或いは十分に弁護して勝つことが出来るだろうと思うんですね。
プロ性がどんどん抜けていく、今回の政権交代でも、ま、アマチュアの集団というか、益々プロがなくなる。小沢さんがいなくなることは、プロがいなくなる、そういうことだろうな、と。崩壊の社会が来たな、と。プロが居なくなるということは、結局情緒的なものに流されるし、或いは、世間の風潮に流される、とこういう時代に益々突入したな、と思っているんです。
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◆前原誠司外相辞任と『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉2011-03-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
〈来栖の独白2011-03-07 〉
前原誠司氏辞任劇に接し、またもやありふれた光景が繰り返されていると慨嘆する。「検察当局の横暴が政治を翻弄する」という、これまで幾度も目に映った光景だ。
当局は、「政治家」が嫌いである。当局にとって、菅政権も前原氏もアメリカ追従であり、おとなしいポチには違いないが、自民党に比べれば遙かに安定感を欠く。官僚の下位に位置する法律(政治資金規正法)を使って、一気に民主党を政権の座から追い落とそうとした。
小沢一郎氏に比べれば、前原氏など、脆いものだ。
検察とマスコミの口車にのって思いっきり小沢氏排除を進めてきたやり方が、いま、菅政権の首を絞める。
カレル・ヴァン・ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?』から、見てみたい。
p47〜
歴史が示すように、日本では政党政治は発展しなかった。しかも1世紀以上を経たいまなお、それはこの国にとって大きな問題であり続けている。だからこそ民主党は与党となっても悪戦苦闘を続けているのだ。政党政治が発展しなかったからこそ、軍事官僚が、当時の日本の10倍にも達する産業基盤を有する国アメリカを相手に戦争をはじめても、それに対して日本はなんら対処することができなかったのだ。
p48〜
小沢氏をはじめとする改革派政治家たちはみな、彼らにこそ国家を運営する権利があり、義務があると信じている。官僚が国に滅私奉公する善なる存在であるなどと、彼らはもちろん考えてはいない。我々が一歩退いてみるとき、小沢氏のような政治家をつぶそうとするメカニズムは、近代国家の道を歩みはじめたばかりの当時の日本で、すでに機能していたことがわかる。つまり日本の近代化が推し進められるのとときを同じくして、政治家に対する陰謀も進行していったということだ。そして小沢氏こそ、この百数十年もの長きにわたり、連綿と続けられてきた陰謀の犠牲者にほかならないのである。
p50〜
そして体制の現状維持を危うくする存在であると睨んだ人物に対して、その政治生命を抹殺しようと、日本の検察と大新聞が徒党を組んで展開するキャンペーンもまた、画策者なき陰謀にほかならない。検察や編集者たちがそれにかかわるのは、日本の秩序を維持することこそみずからの使命だと固く信じているからである。そして政治秩序の維持とは旧来の方式を守ることにほかならない。そんな彼らにとって、従来のやり方、慣習を変えようとすることはなんであれ許しがたい行為なのである。この種の画策者なき陰謀で効果を発揮するツールこそがスキャンダルである。そして検察や編集者たちは、そのような人物があらわれたと見るや、まるで自動装置が作動しているのではないかと思えるほどに、予想に少しも違(たが)わない反応を見せる。
p60〜
欧米諸国を参考とした大日本帝国憲法もほかの法律も、専制的な権力から国民を守ることを想定したものではなかった。つまり日本の当局は欧米の法律を参考にしはしても、その「精神」を真似ることはなかったというわけだ。そして今日、もちろん不当なあつかいから国民を守るべきだという理念はあり、それが過去数十年で強められてきてはいても、現実には、それはいまなおきわめて曖昧模糊とした感情の領域に押しとどめられている。そのため大抵の日本人はいまだに、法律というのは単に政府が人々の行動を抑制するための手段なのだ、と見なしている。これに関して忘れてはならない事実がある。東京大学法学部というのは、日本の政治システムの最上部を占める高官を輩出することで知られているわけだが、その教授陣はいまだに法律を官僚が統治に利用する手段にすぎないととらえている。そして彼らはそうした視点に立って、学生に教え続けているのである。要するに、時代が変わったとはいえ、法律は権力エリートが用いるツールであるとする見方は、日本では以前とまったく変わっていないということなのだ。
また日本の官僚たちの間では、自分の目的を達成するために、法律のなかから適切なものを選び出すという習慣が長いこと続いてきた。そして自分たちの計画が法律の文言に抵触しかねない場合は、実に巧に新しい解釈を考え出す。このように日本では、法律というのは当局にとって、あくまでも秩序を維持するためのツールでしかない。そのため、国民みずからが与えられているはずの権利を政治システムの上層部に対して主張する目的で、法律を利用するよう奨励されているなどということは決してないのである。
p64〜
1960年代と70年代に日本の政治、そして権力構造について研究していた時期、私はそのようなやり方が繰り返し行われていることに気づいた。だからこそ日本の政治・経済について初めて執筆した著書〔『日本/権力構造の謎』〕のなかで、「法を支配下におく」という1章を設けたのだ。
私はそのなかで、権力者の独り歩きを可能にするような方法で、日本では法律は支配するのではなく、支配されているのであって、この国の権力システムにおいて、法律は政治に関して許容すべきこととそうでないことを決定づける基準にはなっていない、と説いた。すなわち独り歩きをする日本の権力システムに対して、異議を唱え、改革を加えようとする者を阻止するような仕組みがある、ということだ。本書のテーマに当てはめて解説するならば、小沢氏のような野心的な政治家、あるいは彼のように改革を志す政治家が将来何人あらわれようと、現体制はあくまでそれを拒むというわけだ。
いま、小沢氏の政治生命を抹殺しようと盛んにキャンペーンが繰り広げられているのも、これによって説明がつく。
p65〜
99・9%という「無謬」
中立的な権威としての法律を日本の政治システムから遠ざけておくやり方はそのほかにもいくつかある。法律が非公式な政治システムに対して、なんら影響をおよぼすことが許されないとしたら、ではなにがシステムをつかさどっているのか?。それは暗黙の了解事項、つまり不文律であり、記憶のなかで受け継がれる古い習慣だ。裁判官もまた体制に大きく依存している。最高裁事務総局に気に入られるような判決を下さなければ、地方に左遷されかねないことを、彼らは考えないわけにはいかない。戦前、戦後を通じて日本の裁判官たちは、法務省のトップクラスの検察官を恐れてきた。これが99・9%という人間の検察の有罪判決率を可能にした理由の一つである。
つまり、みずから裁判にかけたケースで99・9%の勝利をおさめるに日本の検察は、事実上、裁判官の役割を果たしているということになる。つまり、日本ではわずか0・1%、あるいはそれ以下に相当するケースを除いては、法廷に裁判官がいようといまいと、その結果に大した違いはないということだ。
p68〜
しかし日本に関してもうひとつ気づいたことがある。それは社会秩序を傷つけかねないどんなものをも未然に防ぐという検察の任務が、政治システムにおいても重視されているという事実だ。当然、そのためにはシステムの現状を維持することが必要となる。問題は、現状をわずかでも変える可能性があると見れば、どんな人間であっても既存の体制に対する脅威と見なしてしまうことである。そのような姿勢は当然のことながら、小沢氏のみならず、日本という国家そのものにとっても望ましいものではない。なぜならば多くの日本人は長い間、権力システムの改革が必要だと考えてきたからだ。後述するが、自民党と日本の秩序をつかさどる人々との間には、一種、暗黙の了解のようなものがあり、それが50年にわたって保たれてきたのだろう。そして自民党が政権の座を追われたいま、単に自民党とは行動の仕方が違うという理由で、体制側は民主党を、小沢氏という個人とともに、脅威を与える存在と見ているのだ。
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◆未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸/小沢一郎の日本再造計画2011-05-05 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
【カレル・ヴァン・ウォルフレン(ジャーナリスト)インタビュー】
ゲンダイネット2011年5月2日
菅政権は東電と保安院に動かされている
「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)――オランダ人のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書が話題だ。小沢一郎という異能の政治家を検察、メディアに代表される旧勢力がよってたかって潰そうとした事実が詳細に明らかにされている。小沢氏は民主党の党員資格を剥奪されて、表舞台から去った途端に大震災が起きた。右往左往の菅政権を冷徹なジャーナリストはどう見ているのか。
小沢一郎氏はいま日本の超法規的な権力といえる官僚や検察、また大手メディアから政界を追われる身にあります。日本は民主国家であるはずですが、非公式な権力によって小沢氏の政治力は奪われ、おとしめられようとしています。
彼は何度か首相の座に就くチャンスがありましたが、非公式権力が団結してそれを阻んできたのです。個人的には、小沢氏には政界の中枢で動いてほしい。多くの国民は彼の時代は終わったと思っているでしょうが、今こそ日本は彼のような強いリーダーシップを持った政治家が必要なのです。
それは東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた被災地と原発事故の対応で、菅政権が行政コントロールを失ったかのような印象を内外に与えたことでも明らかです。もし小沢氏が首相であれば、統括的な政治力を発揮していたことでしょう。
というのも、福島の原発事故で東京電力と原子力安全・保安院は政治家との関係構築がうまくゆかず、むしろ首相官邸が彼らに動かされてしまった。これこそが、小沢氏がもっともあってはならないと考えていたことだからです。政治主導といいながら、政治家が既成の権力にひれ伏した証拠なのです。小沢氏であれば、こうした状況でこそ既成権力のいいなりにならなかったと思います。
今回の震災では、日本人の忍耐強さが世界中の人たちから驚嘆されました。オランダのテレビ局は「なぜ日本人は盗みをしないのだ」と聞いてきました。日本人は良識の民です。
菅政権の全体的な震災対応は及第点をつけられるかもしれません。ただそれは、1995年の阪神・淡路大震災時の自社さ政権の対応と比較してという条件においてです。
率直に言えば、日本政府の対応は全体を統括する行政力が不足しています。官邸と関係省庁との連携が円滑でないばかりか、地方自治体への情報伝達や物資の輸送など必須の危機管理体制が整備されていなかった。
私が力説したいのはここです。どの国家もこの地震ほど大規模な災害を被ることはそうはありません。ただ首相が強いリーダーシップを発揮して、政治力を十分に機能させれば、地方自治体やさまざまな団体、組織を統制でき、今よりも効果的な結果が出せたはずです。
今後、日本が抱える課題は、被災地をどう復興させるかです。
東北地方の再開発は原子力ではなくソーラーを基礎に、全産業を取り込んだ計画を策定すれば、ソーラー技術のさらなる発達が期待できます。ただ、日本はいまだにアメリカの準植民地という立場にいます。独自の外交政策を策定し、実践してはじめて独立した民主国家になれる。それを実現しようとしているのが小沢氏なのですが、国民だけでなく権力機構からの反発がある。それが残念なことです。(インタビュアー・堀田佳男)
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「陸山会事件」異議を棄却/検察側は主要な調書を欠いたまま20日の論告求刑に臨むことになった
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