改憲論者が体を張って反対する自民党憲法改正草案 愛される政治をせずして愛国を強要するストーカー的発想〜小林節氏
JBpress 「ずばり勝負」2013.04.26(金)
マット安川 ゲストに憲法学者・小林節さんを迎え、改憲派でも批判せざるをえない、という自民党の憲法改正草案を斬っていただきました。96条改正の是非、愛国心や家族のことを憲法に入れるのは筋違い、など、ポイントごとに詳しくお聞きしました。
■憲法96条の改正はアンフェア。9条改正に真正面から挑め
小林 自民党は憲法改正を目的につくった党でありながら、歴代内閣は自分の内閣の間は憲法は議題にしないと言って逃げてきました。
ところが、安倍(晋三、首相)さんだけは憲法を必ず議題にし、前の安倍内閣の時に憲法改正国民投票法を作った。安倍さんは今も本気で動いているという感じがします。
私は憲法の中身を変えることについて大賛成です。よい憲法にしようと。憲法9条の改正は私の持論であり、その点では安倍(晋三、首相)さんとまったく一致しています。
侵略はしない、自衛はする、そのための軍隊は持つ、条件次第では国際貢献で海外派遣もする、と。そうやって堂々と国民に語りかけて、憲法9条改正に真正面から取り組めばいいんです。
しかし、今の動きは96条をまず変えて憲法改正の手続き条件を下げるというものです。まるで裏口入学のようで、フェアではありません。
安倍さんは「普通の国」が好きですが、世界の普通の国では憲法改正のハードルを高くするのが常識です。
日本の改憲の規定である両議院の総員の3分の2以上の賛成が必要というのは、欧米諸国などと比べても特別厳しいものではありません。今の日本の規定は世界標準です。
■安倍内閣は憲法の何たるかを理解していない
憲法は、「硬性憲法」といって権力者がそう簡単に触ってはいけないものです。なぜならば、憲法は国の法の中でただ1つの例外で、主権者である国民すなわち非権力者が意思として権力者を縛るものだからです。
そのほかの刑法や民法は、権力を預かった人が国会で作ったり改廃して、国民に対する行動を規律するものです。
憲法96条に触ると、憲法の本質を壊して憲法ではなくなってしまいます。憲法が普通の法律と同じになってしまう。
そういう憲法の何たるかを理解していない人々が、本気で改憲を目指し始めたということは危険だと思います。憲法に管理されている人々が、憲法破壊を考えているわけです。
憲法には憲法尊重擁護義務が書かれています。ところが、自民党の勉強会などに呼ばれると、憲法尊重擁護義務はなぜ公務員だけに向けられて、国民には向けられないのかという愚かな質問をする。
憲法は国民が権力者に守らせる法であることを理解していない。ですから自民党の憲法改正草案は、前提となる憲法観がそもそも間違っているんです。
したがって私は改憲派ですが、安倍政権で憲法改正を実現させてはならないと考えています。絶対反対の立場で、体を張ってでも抵抗せざるを得ません。
■お坊ちゃん世襲議員が上から目線で作った草案
自民党には全体的に上から目線があります。本来は国民が上から目線で権力を管理するための憲法を、逆に権力者たちが使おうとしている。
自民党の改憲草案を作った人たちは、ほとんどが世襲議員です。小さい時から、どこに行っても、あの方のお坊ちゃん、お孫さんと言われて育ってきたから、我われとは感覚がズレている。
私は何度も経験しましたが、自民党に参考人などで呼ばれると、意見を聞く時は「先生」と言う。ところが彼らと違う意見を言うと、「小林さんアンタね、現実を知らないんだよ」などと言う。エッて思うことが何度もありました。要するに彼らはすごくおごっているんです。
歴史を見ても、悪しき権力者ほど批判的発言に寛容ではない。これはとても親しい人から聞いた話ですけど、今の権力者の中には、批判に対して感情的に反発する人が多いと。やはりお坊ちゃん育ちなんですよ。
だから草案も、露骨に自民党的感覚で、この国はおかしい、国民は権利が多すぎておかしい、憲法でしつけてやろうみたいな考えで作ったものなんです。
例えば、前の安倍内閣の時に、草案に「愛国の義務」と明記しました。憲法を使って、国民に、汝ら国を愛せと。
私は怒り狂って、大論争しましたよ。国民に国を愛してほしかったら、よい政治をすればいいだけだと。そうすれば国民はハッピーになり、国を愛するようになる。それをストーカーじゃあるまいし、国を愛せなんておかしいんじゃないのと。
ほかにも、家族は助け合わなければいけないなどと書いてありますが、まったくのおせっかいです。そういうことは道徳の世界のことで、法、しかも最高法をもって権力者に言われる話ではない。
■4月28日は真の「主権回復の日」ではない
4月28日の「主権回復の日」については、政治家たちはデリカシーがなさすぎると思います。政治家の人格を疑いますね。これは人間性の問題です。
4月28日は東京にとっては主権回復の日ですが、沖縄にとっては屈辱が始まった日です。沖縄はそれを今でも引きずっているわけです。
政治家たちが沖縄の人々も同じ日本人だと思っているならば、もちろん私は思っていますが、国全体で喜べる日を探すべきです。真の主権回復は1972年に沖縄が戻ってきた時だと私は思います。
「マット安川のずばり勝負」2013年4月19日放送
*小林 節(こばやし・せつ)氏
憲法学者、慶應義塾大学教授、弁護士。日本海新聞・大阪日日新聞客員論説委員。近著『「憲法」改正と改悪』など著書多数。
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◆ 「現行憲法はぶっ壊れた中古車、説得力ある改憲案を」小林節氏 2013-01-28 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
現行憲法はぶっ壊れた中古車、説得力ある改憲案を バランスを欠いた体罰教師、暴力では代えられない言葉と力〜小林節氏
JBpress2013.01.25(金)「マット安川のずばり勝負」2013年1月18日放送
マット安川 今回は憲法学者の小林節さんを迎え、憲法改正の現状や改憲にあたっての問題点から体罰問題まで、解説していただきました。
■安倍政権は憲法論議を進めるべし。今は9条改正のチャンス
小林 憲法改正というと、昔はそれ自体が非常に恐ろしいことのように言われたものでした。改正したら明日戦争になって若者が死ぬかのような空気があった。
民主党が政権を取った時点で、党内の一部はすでにそんな束縛から脱して合理的改憲を論じていましたが、結局は何もしませんでした。それだけに安倍政権には期待しています。
「安倍学説」には反対の部分もあります。思い込みの強い方ですし怖いところもありますが、逆に言えば怖い物知らずのお坊ちゃんだからこそ何かを動かすと思うんですね。きちんと生産的な議論をして、前に進めるのはよいことだと思います。
現行憲法はぶっ壊れた中古車みたいなもので、改正が急務などころかとうの昔にやってて当たり前なんですから。
中国が今、事実上、軍事的に日本を襲ってるじゃないですか。こういうときにですね、われわれは戦争という概念をドブに捨てましたから戦争はしませんよハハハのハ、その証しに軍隊持ちませんよハハハのハ・・・じゃ済まないんですね。
侵略の意図がないことなんて当たり前の話で、しかし現行憲法では防衛の意思すらなくなっちゃってる。そうかと思うと9条の下で海外派兵ができたりする。改正して、できることとできないことをはっきりさせないといけません。
今の状況というのは、隣りの住人がこっちの庭に入ってきたから出てけといったら、その盗人に「おまえ盗人猛々しい」と言われているようなものです。9条改正のいいチャンスじゃないですか。
■憲法は権力者を抑えるもの。国民の権利を強調するのは当然
今の憲法は権利の規定ばかりで義務の規定がないとは、自民党や櫻井よしこさん、あるいは産経新聞もよく言っていることですが、私は学問的に間違いだと思います。
憲法というのは六法全書の中で唯一、国民大衆という非力な者どもが、権力者である政治家、公務員に対して権限の根拠と権限の枠を与えるものです。権力が国民の幸福追求の自由を邪魔をすることを防ぐもの、と言ってもいい。
権力の濫用を人権で跳ね返すという構造がそこにはあります。当然のこと、国民の権利が強調される。これが憲法という道具をめぐる世界的常識です。
それに必ずしも権利ばかりではない。12条と13条には、国民はその権利を常に公共の福祉のために利用する責任を負う、濫用してはいけないということが書いてあります。たった2つの条文ですけど、これはすべての人権に及ぶんです。
こういうことが理解されていないのは、9条ばかりを取り上げてきた戦後日本の憲法教育の大きな間違いだと思います。私はアメリカで勉強したときにこれに気づいて、日本に帰ってきてからもずっと主張してきました。この真理を譲る気はありません。
■不倫したら刑務所行き? 憲法に道徳を語らせてはいけない
私は改憲論議を動かさなきゃいけないと思っているんで、今は鷹揚に構えています。でも動き出したら、自民党にいっぱい文句をつけようと思っています。
9条について言えば、国会の多数決で簡単に海外派兵できるようにしちゃうのはまずい。もしかすると国が滅ぶかもしれない重大なことなんですから、憲法の中にその条件を書くべきです。
自民党は党内分裂を恐れて参議院廃止を引っ込めましたよね。参議院は慎重審議と言いますが、党議拘束のせいで結局は同じ議論しかしようがない。
一方で衆参ねじれ現象というのがあって、2つの意見が同時にひとつの国を縛ることになったりします。この際、一院制にしちゃえばいいというのが大方の理論家、実務家の意見だと思うんですね。それを言ったら参議院が怒るとかいうのは、次元の低い話です。
国を愛せとか家庭を大事にしろとか、憲法に盛り込むのも考え物です。たまたま運命的な出会いがあって、不倫してしまったらそれ自体が憲法違反になってしまいます。刑法を作って刑務所に送ることだってできるようになる。
だいたい結婚なんて頭に血が上ってるときに決めることですから、外れることもあるんですよ・・・ていうくらいの構えでいないとね。憲法で道徳を語っちゃったら法学じゃなくなります。
■説得力ある改憲案が必要。96条改正は邪道である!
何より大反対なのは96条の改正です。国会議員の3分の2の賛成がないとダメだというのにいらだって、自民党はこれを2分の1にしちゃいましょうという案を出してますよね。
憲法を改正するのなら国民を説得して賛成を得るべきで、それができないから手続きを変えるというのは邪道です。
本来、権力者を制限する、権力者を不自由にするのが憲法ですから、こんなことが許されたら憲法は要らないということになる。憲法は基本法であって、「硬性憲法」と言われるように簡単には改正できないものなんです。
96条を改正しようとしたら、良心的な法律家、憲法学者はみな反対するでしょう。身体を張って反対する。
ここに宣言しますが、96条の改正は永遠にできないと思います。私はそういう企みが挫折する、してもらうように論陣を張ります。だって憲法が憲法じゃなくなっちゃうんですから。
説得力のある改憲案でハードルを越えてこそ、国民の意思として定着する。裏口入学みたいな改憲は、やったらダメです。
■教師は体罰で自分の限界を露呈する
最近、体罰の問題がクローズアップされていますが、教育者が刑事事件になりうるような手段を使うこと自体、教育としてアウトだと思います。昔は許されたことだというのは、その通りかもしれません。しかし時代は変わったんです。
教師の端くれとして言いますが、教師に求められることは、まず、いい講義ができることです。子どもたちに、こんなに素晴らしくて楽しい世界があるんだと思わせる、学問に興味を持たせる講義ができないといけない。
その上で大人として、おまえらそこがおかしい、社会じゃ通用しないぜということを説得力を持って言うことができれば、子どもたちは目を輝かせて勉強しますし、教師を尊敬します。教師がそうなれば、親だってチャチャを入れずに教師に任せるでしょう。
教師に子どもを指導する言葉と実現する力があれば、ちゃんと伝わるんです。殴るというのはただのヒステリーで、教師が自分の限界を露呈してるってことじゃないですか。それが教育であるはずはありません。
子どもを愛して、面倒を見て、でもたまにおまえらいい加減にしろよって怒るのはいいんです。問題になる教師は愛情もなければ責任を背負ってもいない。バランスを欠いてるんだと思います。
*小林 節(こばやし・せつ)氏
憲法学者、慶應義塾大学教授、弁護士。日本海新聞・大阪日日新聞客員論説委員。近著『「憲法」改正と改悪』など著書多数。
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◆ 「憲法改正の政治術」田中良紹 / 憲法96条改正が動き出した 民主党は分裂、朝日新聞は迷走する 2013-04-15 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
憲法改正の政治術
田中良紹の「国会探検」2013年4月9日 0時37分
スティーブン・スピルバーグ監督のハリウッド映画「リンカーン」を観た。スピルバーグが作る映画と言えば娯楽性の強い作品を想像するが、これは奴隷制を廃止する憲法改正が成立するまでの28日間の議会審議に焦点を当てた政治映画である。政治のリアリズムに関心がある方には面白いだろうが、政治を理想化して考えるタイプの人間には退屈かもしれない。
映画ではリンカーンを理想化するために語られてきた幼少時代の丸太小屋生活も、リンカーンが大統領に就任した事で始まった南北戦争も、南軍が支配する地域の奴隷解放を命じた奴隷解放宣言も、「人民の人民による人民のための政治」で有名なゲティスバーグの演説もほとんど出てこない。
描かれるのは奴隷制を廃止する憲法修正第13条を成立させるため議会で駆け引きを繰り返すリンカーンの政治術と、政治に没頭するリンカーンへの不満からヒステリーを起こす妻や父親に反抗する息子などとの苦悩に満ちた家庭生活である。
南北戦争は、奴隷労働に支えられた農業中心の南部諸州が綿花を輸出するため自由貿易を主張したのに対し、工業化を推進するため奴隷ではない流動的な労働力を必要とした北部が自国の工業製品を保護貿易で守ろうとして始められた。連邦議会で奴隷制存続を主張したのは民主党、奴隷制反対を主張したのが共和党である。
リンカーンは、南北戦争に勝利しても奴隷制廃止を憲法に盛り込まなければ奴隷制はなくならないと考え、憲法改正を目指す。しかしアメリカ合衆国憲法は上院、下院とも改正に三分の二以上の賛成が必要な「硬性憲法」である。南北戦争が開始されて3年目の1864年春、修正案は連邦上院を通過するが、連邦下院では共和党が賛成、民主党が反対して三分の二を集める事は出来なかった。
戦況は次第に北軍に有利となるが、国民は長く悲惨な戦争に嫌気を感じ始めている。リンカーンは戦争が終わってしまえば全州で奴隷制を廃止する事は難しいと考え、翌65年1月、連邦議会に再び憲法改正を促す。映画はそこからの28日間を描き出す。
民主党と中間派の賛成を得なければ三分の二を超えることは出来ない。戦争の終結も憲法改正にはマイナスに働く。リンカーンは反対派の議員を個別に説得する作業を始める。論理で説得するだけではない。大統領には恩赦、選挙資金の配分、議員本人や親族・友人を政府の要職に就ける人事権などがある。そうした手段を使って反対派の切り崩しを進めた。政治を理想化する人間は「買収」と「供応」の政治を否定するだろうが、人類の未来のためにはありとあらゆる手段を使うと考えるのが政治家リンカーンである。
また急進的奴隷廃止論者が、白人と黒人の完全な人種平等を唱える事にリンカーンは反対する。それが正論であっても、中間派の議員たちを反対派に追いやる危険性があり、憲法改正にはマイナスに働く。実際、反対派は賛成派に急進的な発言をさせて反対票を増やそうと画策していた。そこで急進派には年来の主張を抑えさせ、「法の下での平等」だけを言わせて中間派の取り込みを図る。
こうして憲法改正の投票当日を迎えるが、連邦議会には南部の和平交渉団がワシントンに到着したとの噂が流れる。それが事実であり南北戦争が終結する事になれば、憲法改正作業など吹き飛んでしまう。和平交渉団の到着を問われたリンカーンは断固として否定する。しかし実際には和平交渉団がワシントン近くに到着していた。到着を事前に知ったリンカーンが市内ではない場所に誘導していたのである。奴隷解放の大義のための嘘であった。
反対から賛成に回った議員が選挙民から批判されないよう、議会では十分な弁明の機会が与えられ、5名の民主党議員が賛成して憲法修正第13条は三分の二を超える賛成で成立する。リンカーンの巧みな政治術でアメリカ政治は世界史に残る決断を下したのである。
戦後アメリカによって作られた日本国憲法はアメリカと同様に衆参両院の三分の二の賛成を必要とする「硬性憲法」である。国家の最大規範である憲法は通常の法律より厳格な手続きで行うべきだと考えるからである。ところが安倍政権が誕生するや、それを変えようとする動きが活発化している。 「硬性憲法」を規定している憲法96条を改正しようというのである。
次の参議院選挙の争点にしようとする発言も相次ぐが、そうした動きの政治家たちは本当に政治の本質を理解しているのかと疑いたくなる。通常の法律と同様の手続きで憲法を変えられる事になれば、政権交代のたびに国家の最大規範を変更する事が可能となる。それで国家の安定は保たれるのであろうか。それとも日本を再び政権交代のない国に戻そうとでもするのだろうか。
私は現行憲法を変えるべきだと考える憲法改正論者である。しかし政治家が政治の努力を放棄する96条改正には反対である。私が変えるべきだと考えるのは、衆参の「ねじれ」を生み出す憲法の規定である。通常の法律を成立させるのに参議院が否決すれば再議決に衆議院の三分の二の賛成が必要とされる。普通の法律なのに憲法並みの厳格な手続きが求められているのである。
一方で総理大臣は衆議院の過半数の賛成で選出される。間接的ながら国民の過半数の支持で就任した国家のリーダーが、成立させたいと願う政策を参議院で否決されると国家の最大規範を変えるのと同じ努力を求められるのは合理的でない。法案は三分の二ではなく過半数で再議決できるようにすべきである。それが日本政治の停滞を招かない方法でもある。
しかし憲法改正を三分の二ではなく過半数で可能にするのは話が違う。世界のどの国でも憲法改正は厳格な手続きの下に行われる。ただし日本にはかつて特殊な事情があった。55年体制時代の社会党は決して過半数の候補者を選挙に擁立せず、従って初めから政権交代を放棄して、代りに憲法改正を阻止できる三分の一を獲得する事を選挙の目標とした。結果、与野党が政権を巡ってしのぎを削るのではなく、憲法改正を巡ってしのぎを削るという他の民主主義国とは異質な構造が作り出された。
しかしそうした時代は冷戦と共に終わり、今や日本にも政権交代の政治が到来した。まだ始まったばかりなので初めて権力を握った民主党は官僚操縦に失敗したが、しかしだからと言って日本が55年体制の構造に戻ることはありえない。「三分の一の反対で憲法改正が出来ない」などと嘆くのは、55年体制の過去のトラウマに取りつかれ、自らの政治術で政治を動かす自信のない情けない政治家の泣き言なのである。
映画の原作はD.K.グッドウィンの『チーム・オブ・ライバルズ』で、リンカーンが自分の政敵(ライバル)を遠ざけるのではなく、自由に意見を述べ合い、また政権に招き入れて国家分裂の危機を乗り切った政治手腕を主題にしている。本には「政治の天才リンカーン」という副題もついているが、安倍政権の未熟な対米交渉を見せつけられ、また憲法改正のための政治技術を放棄する話を選挙争点にするなどと言われると、つくづく日本の政治は以前に比べて幼稚化していくように思われる。
田中良紹|ジャーナリスト
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「改憲論者が体を張って反対する自民党憲法改正草案 」〜小林節
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