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「死ぬことは怖くない 死後の世界は必ずあるから」 臨死体験を研究した京都大学カール・ベッカー教授の結論

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盛夏の特別読み物  死ぬことは怖くない死後の世界は必ずあるから 臨死体験を研究した 京都大学カール・ベッカー教授の結論
現代ビジネス「賢者の知恵」2013年08月29日(木) 週刊現代
「その時」が来ると、人は懐かしく優しい風景を見ると言われる。それは最後に脳が見せる幻、そんな声もある。だが果たしてそうだろうか。この世とあの世の境界には、まだ我々の知らない理がある。
*奇跡は起きた
 当時15歳の少年・A君の事例だ。A君はある日、学校帰りにバスを降りたところで自動車にはねられ、頭蓋骨から脳の一部が飛び出すほどの重傷を負い、49日間も生死の境をさまよった。
 だが50日目、奇跡が起きる。意識が戻ったのだ。まだ人工呼吸器を付けたままで話ができない彼は、しきりに何かを伝えようとしている。そこで周囲がノートを渡すと、「知らないお爺さんから『帰れ』と言われ、帰ってきた」と記した。
 驚いた病院関係者から連絡を受け、A君の証言を記録するために駆けつけたのが、現・京都大学こころの未来研究センター教授のカール・ベッカー氏だった。
「私がA君に会ったとき、A君は人工呼吸器も外れ、話ができるようになっていました。彼いわく、意識を失っている間に"暗いトンネル"を3回ほど通ると長い"川"に出て、船でその川を遡った、と。すると向こう岸に"花園"が見えたので、船を降りてそこで遊ぼうとした。ところが、知らないお爺さんが出てきて『お前はXか』と聞かれた」(ベッカー氏・以下同)
 Xというのは、A君の父の名前だった。A君と父のX氏はよく似ていたという。A君が「いや違う」と答えると、老爺は「まさかAではないだろうな。早過ぎる。帰れ」と命じた。A君はそれでも花園にいようとしたが、老爺が許さない。仕方なく、もとの川を下り、長いトンネルで待たされていたところで意識が戻ったという。
「話を聞いたA君のお母さんは、その容姿や動作、話し方が、自分の祖父に非常に似ていることに驚き、A君に古い写真を見せました。A君はそれまで、曾祖父と会ったことも写真を見たこともなかったはずなのに、写真を見るや『この人だ』と言ったのです。A君は、知らないはずの彼の曾祖父に"あの世"で出会っていたことになります」
*世界中で報告される実例
 人が亡くなる時、あるいは亡くなりかけた時に見るビジョンを、一般的に「臨死体験」(臨死現象)という。
 日本のみならず、世界各地で無数の事例が報告されているこの現象について、いまだ明確なメカニズムは解明されていない。だが冒頭の例にあるように、臨死体験そのものは確かに存在する。人は死ぬ直前、あの世とこの世の狭間で"何か"を見るのだ。
 カール・ベッカー氏は'51年、米国シカゴ生まれ。ハワイ大学で宗教哲学の博士号を取得後、大阪大学、筑波大学の教員などを歴任。学生時代から臨死研究に取り組み、'80年、米国で国際ニア・デス(臨死体験)研究会の設立に協力。'83年には体外離脱の研究で米国の「アシュビー賞」を受賞した。現在は京大教授として、日本人の死生観に基づき、ターミナルケアや医療倫理を研究している。
 ベッカー氏は臨死体験研究の泰斗の一人であり、'92年に出版した『死の体験—臨死現象の探究』は、作家の故・遠藤周作氏から「臨死体験について書かれた最高の一冊」と絶賛された。
 ベッカー氏は続ける。
「A君の話に出てくる『トンネル』『花園』『川』『死者との出会い』などは、典型的な臨死体験の要素です。有名な話としては、かつて歌手のフランク永井氏が、親友の丹波哲郎氏にトンネルや花園、三途の川の体験を証言しています。
 永井氏は'85年に首吊り自殺を図り一命を取り留めましたが、永井氏によると、暗い穴のようなトンネルに吸い込まれた後、急に上昇し、浮遊しながら自由に壁や扉を通り抜け、下界の様子を見ることができた。体は柔らかい光に包まれていた。平地に降り立つと前方の花園から美しい音楽とともに、いまは亡き懐かしい肉親や友人の声が聞こえ、三途の川を渡ろうとしたところ、何らかの力で引き戻され生き返った—」
 人は死を恐れる。だから死の直前、死の恐怖と苦痛を緩和するため、脳はその主に一種の"夢"を見せる、という見方もある。しかし、ベッカー氏ら研究者が集積してきた臨死体験の証言の中には、到底、それでは説明できないものがあるのだ。「死後の世界」—その存在を信じたくなるような数々の現象が。
 臨死体験の研究は、約50年前に米国で始まった。末期症状の患者を相手にしていた精神科医のキューブラー・ロスは、心臓停止から蘇生した患者たちの口から、「神様や死者が迎えに来た」「蘇生術を施されている自分を、手術室の天井から見下ろしていた」などの、驚くべき証言を得た。いわゆる「体外離脱」(幽体離脱)などと言われる現象だ。
 その後、'79年には米国の若手医師たちによって臨死体験の研究会が設立され、以後、同様の事例が数多くあることが明らかになった。
 そのうちの一人、心理学者のケネス・リングの研究では、失明患者数十人の体験談を収集したところ、目は見えないはずなのに、臨死体験中に自分のいる部屋や周囲の様子を正確に「視て」いたとしか考えられない証言が出たという。
「最近では米国バージニア大学医学部が、臨死状態を研究する部門を設立しました。死にかけていた、あるいは意識がなかった患者の体外離脱の実例がたくさん発表されています。オランダでも、心肺停止から蘇生した344人の患者のうち62人が臨死体験をしたという調査が出て、世界的権威のある医学雑誌『ランセット』に掲載されました。英国オックスフォード大学医学部、米国デューク大学などでも研究が進められています」
 こうした研究成果の蓄積により、臨死体験についてさまざまなことが分かってきた。たとえば、花園のイメージは世界共通だが、とくに日本ではその事例が多いという。また、「川」が出てくるのも日本人に多い体験のようだ。
*あの世とこの世の「境界」で
 いくつか証言を紹介しよう。証券会社勤務のB氏(59歳)は小学校3年生の時、自宅の練炭コタツの中で眠り込んでしまい、一酸化炭素中毒で死にかけた。
 気が付くと大勢の人が次々に川を渡っていくので、自分も渡ろうとした。すると番人らしき人物に「お前は帰れ」と言われたので走って逃げた。ふと見上げると空に穴があって、たくさんの顔がB氏を覗き込んでいる。そこで彼は蘇生した。覗き込んでいたのは、心配して彼を見下ろしていた両親や医師だった。
 また、ベッカー氏の教え子・Cさんの姉は、4~5歳の時に小児ぜんそくで危篤に陥った。幸い人工呼吸によって一命を取り留めたが、その臨死体験中、やはり彼女も川の流れる花畑にいて、向こう岸にいる女の子から「遊ぼう」と誘われたという。
 ベッカー氏が解説する。
「文化に関係なく、あの世のイメージでもっとも多いものは、『花園』『庭園』『広い草原』、そして『トンネル』です。ただ、あの世とこの世の境が日本では三途の川ですが、砂漠地帯のアラビアなどでは臨死体験者の多くが『燃える砂漠』があったと証言しています。また、海に囲まれたポリネシアでは『荒れた海』が、切り立った崖が多いスコットランドでは『断崖絶壁』が、あの世との境界になっている。こうした現象を、バリア体験と呼んでいます」
 ある場所を踏み越えたら、もう二度と戻れない。世界共通でそうした証言が報告されているのは興味深い。
「砂漠の民であれば境界は燃える砂漠ですが、それが日本人の場合、川になる。つまり本人が持っている文化的フィルターを通じて、その境界線をイメージしていることになります」
 このように、臨死体験にその人の生きてきた環境や文化的背景が影響するのはほぼ間違いない。死の直前に、何らかの神々しい"お迎え"が来たという証言は数多いが、それも国柄によって違いがあるようだ。
 高齢女性のDさんは、死亡と判断されてから10時間後に蘇生した。その証言によると、川べりを歩いていると亡くなった祖父母に会い、「来ちゃダメ」と言われた。仕方なく川を渡らずにいると、いつしか炎のようなものの上を歩いていて、「菩薩」と思しき存在が現れ、「もう一度命を授けましょう」と言われた。手を差し伸べると体がすっと浮き上がる感覚があり、その瞬間に目が覚めたという。
 多くの場合、日本では臨終の間際に、仏や菩薩が現れる。一方、インドでは「ヤマ」(閻魔)と呼ばれる死神が登場することが最も多く、欧米ではキリストや聖母マリアが登場することが多いという。
「インドの臨死体験では、米国よりはるかに多くの宗教的人物が見られることが比較研究で分かっています。ただし、まったく信仰心がない人からも"光の姿"を見たという報告が多く集まっており、そうした光り輝く存在は宗教と無関係に見えるとも言えます。
 いずれにせよ、時代や文化の違いはあっても、菩薩もキリストも、本人にとっては『無限の愛情や知恵、慈悲の化身』のイメージなのでしょう」
 ただ、こんな話が続くと、こう思う読者もいるに違いない。「文化や国で見えるものが違うということは、臨死体験とは結局、本人の記憶に基づく脳のイタズラに過ぎないのではないか」と。
 ところが実際の臨死体験では、それでは解明不能なことが起きている。幼い頃に死にかけた前出のB氏やCさんの姉は、その当時、「三途の川」自体を知らなかったという。つまり日本特有の「川」を見たとしても、それは本人の記憶や、受けた教育などの影響ではなかった確率が高い。臨死体験にはまだ、我々が知らない奥深い何かがある。
*大事な人にまた会える
 たとえば、そんな説明がつかない現象の一つが、世界共通で事例が多数報告されている、前出の体外離脱(幽体離脱)である。
 東京に住むE氏は26歳の時に交通事故に遭い、病院で体外離脱を経験した。全身骨折の重傷を負ったE氏は、ベッドに横たわる自分の姿と、周囲の人々が自分を手当てしている光景をはっきり見たという。
 医者は「もうダメだ」と言い、両親が葬式の準備を始める。E氏が話しかけても誰も気づかず、腹立たしかったという。このときのみんなの様子や服装について、E氏は蘇生後に正確に再現してみせた。瀕死で意識を失っていた彼が、見ているはずのない光景だ。
 次の瞬間、E氏は灰色の雲の中にいて、その雲の中心に開いた深い真っ黒な穴に引きずり込まれていった。やがて体が急に軽くなったかと思うと、明るくて美しい自然の中を飛び跳ねていた。同時に、自分が2歳だった頃から26歳までの出来事を夢のように思い出したという。
 その多くは楽しいことではなく悪い思い出で、E氏は大いに反省した。するとその後、花が咲き、太陽のように強烈な光が輝いたときに意識が戻った。事故から3日後のことだった。
「E氏のように、臨死体験で自らの人生を反省するという事例は、欧米でも数多く確認されています。感染症で瀕死の状態になった米国の7歳の男の子の場合、臨死体験前は反抗的で看護師とケンカしたり薬の服用を拒絶したりしていましたが、臨死体験で死んだ叔父さんと会い諭されたといい、その後、激しかった性格が温和になりました」
 世界中で多くの臨死体験が報告される中、これを脳科学的に説明しようという試みもある。最近、米国で発表された研究によれば、心臓停止後も脳は30秒ほど活動を続け、その活動は平常時より盛んであり、人は昂揚感に包まれるという。
 こうした脳の働きが、臨死体験の原因なのか。だが、ここまで見てきたように、それだけではすべてを説明できない。
「臨死体験のすべてを、脳が作り出した幻覚や錯乱状態だと言って片づけるのは合理的ではなく、科学的でもありません。各国の研究によると、臨死体験者のほとんどは、死に対する恐怖をなくします。他人から見れば幻想に思えるかもしれませんが、体験者にとって、死の世界に行ってきたことは疑いない事実なのです。
 先に亡くなった肉親らがお迎えに来るのだから死はまったく怖くない。それを知れば、残される人も『いずれ愛する人のところに行ける』と安心し、死に対する恐怖が減ります。肉体が死んでも、故人の意識は別の世界に行くのだという気持ちになれば、日本でしばしば起きる、遺族の後追い自殺などの悲劇もなくなるでしょう。病気と闘うのは良いが、死と闘おうとしても勝てません。少々の延命はできても決して死は治せないのだから」
 人は、いつか死ぬ。だがそれは、必ずしも悲劇ではないのかもしれない。その希望がまた、明日を生きる力となるだろう。
「週刊現代」2013年8月31日号より
 *上記事の著作権は[現代ビジネス]に帰属します 
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〈来栖の独白〉
 俄かには信じがたい「盛夏の特別読み物」。
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あまりにも多くの「最期の瞬間」を見てきた医師の結論 東大病院・救急部長が語る「死後の世界」 2013-08-25 | 死と隣合わせ/life/高齢者 
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