『親鸞』完結編 269
中日新聞朝刊 2014/4/1 Tue.
[あらすじ〉竜夫人(りゅうぶにん)から、実の両親はツブテの弥七、當麻御前(たいまごぜん)だと聞いた申麻呂(さるまろ)は、身代を失う覚悟で覚蓮坊(かくれんぼう)らの謀から手を引くと宣言。また、専修念仏撲滅を目指す覚蓮坊が親鸞を害するのではと案じ、常吉と西洞院(にしのとういん)を訪ねた。
ツブテの遺言(3)
しばらく当たりさわりのない世間話をした後、申麻呂が居住まいを正していった。
「突然こんなことをうかがうのは失礼ではございましょうが、親鸞さまはツブテの弥七というかたと、ひとかたならぬご縁がおありだったそうで」
「ツブテの弥七? それは白河の印地打ち(いんじうち)の頭であった弥七どののことか」
「さようでございます」
親鸞は、はて、と首をひねった。都はもとより、全国各地の材木商をたばねる地位にあるという申麻呂が、どうして急にツブテの弥七などの話をもちだしたのか、怪訝に思ったのだった。
「弥七どのとは、話せば長いおつきあいであった。亡くなられたあとも、おりにふれて思いだすことが多い。しかし、申麻呂どのは、なぜ弥七どののことをわたしにおたずねになる? なにかわけでもおありなのか」
申麻呂の顔に、急に赤みがさした。ごくりと唾をのみこんだあと、申麻呂は顔をあげて、ひたと親鸞をみつめた。
「ツブテの弥七は、わたくしの父親でございます」
親鸞は自分が申麻呂の言葉をききちがえたのかと、一瞬、思った。
「いま、なんといわれた?」
「この葛山申麻呂は、ツブテの弥七の子でございます」
親鸞はあらためて目の前の男の顔を、しげしげと眺めた。そして8歳の秋に鴨の河原で出会った、幽霊のような男の顔をそこに重ねてみた。
蒼白い、頬の削げた長身の印地打ち、ツブテの弥七。
〈似ていない〉
しかし、くぼんだ目の奥になにかしら不逞な光が宿っている。親鸞は、あのとき河原でツブテの弥七が低い声でつぶやいた文句を、いまも忘れてはいない。
〈わしらはみんな河原の石ころ、つぶてみたいなもんや。人でなしや。地獄のほかに、どこにいきどころがあるちゅうんや。犬でも、牛でも、人でも、わしは打つで。地獄にいったら牛頭(ごず)、馬頭(めず)でも、閻魔大王でも打ったる。それが白河の印地ちゅうもんや〉
『親鸞』完結編 270
中日新聞朝刊 2014/4/2 Wed.
ツブテの遺言(4)
親鸞はしばらく無言のまま申麻呂をじっとみつめていた。そのうちに、ツブテの弥七と申麻呂の顔とがゆっくりと重なってみえてきた。
〈わしらはみんな河原の石ころ、つぶてみたいなもんや〉
といった弥七の声が、ふたたびよみがえってくる。そして、あのとき弥七の目に宿っていた光と同じものが、いまここにいる男の目にも感じられるのだ。
一見、穏やかそうに見える申麻呂の表情の背後に、どこか激しい気性が隠されていることを親鸞はみてとった。
〈この男のいっていることは、たぶん本当だろう〉
なぜかそう思われてならない。
「申麻呂どのは、どのようないきさつで葛山の店で働くことになられたのか」
と、親鸞はたずねた。
「幼いころ、先代の犬麻呂さまに買われたのです」
と、申麻呂は答えた。そしてものごころついたときには、傀儡(くぐつ)の群れの中にいたこと、やがて犬麻呂に出会って都へつれてこられたことなどを物語った。
「わたくしの父の弥七は、古い知り合いの傀儡の仲間にわたくしを託し、やがて事情を知った犬麻呂さまが、わたくしを探し出して引きとって下さったのではないでしょうか。犬麻呂さまは、弥七になにか恩義を感じていたのかもしれません」
「なるほど」
親鸞はすでに目の前にいる男が、亡きツブテの遺児であることを疑ってはいなかった。
「ツブテの弥七どのは、わたしが入山するときに、一つの小石を託してくれたことがある」
と、親鸞はいった。
「自分の心が折れそうになったり、自分がなにか偉い者のように思いあがったときなど、その石をみて考えなおすようにと言づけられたのだ。われらはみな、河原の石ころ、つぶてのような者なのだとな。それがわたしの門出のときの餞(はなむけ)だった。わたしはいつもその小石を大事にしてきた。その石のおかげで命をすくわれたこともあった。その小石は、いまは鴨の河原に返したが、弥七どのの遺された言葉だけは忘れてはいない」
親鸞の言葉に申麻呂一瞬、はっとしたように顔をあげた。
『親鸞』完結編 271
中日新聞朝刊 2014/4/3 Thu.
ツブテの遺言(5)
「その小石には、なにか印(しるし)がきざまれておりませんでしたか」
と、申麻呂はかすれた声できいた。
「そういえば---」
親鸞は首をひねっていった。
「見えるか見えないかくらいの小さな印がついていた」
「○のなかに七という字でございますね」
「どうして知っておられる?」
申麻呂は遠い日を思いだすように目を細めて、
「傀儡の仲間と別れるとき、親方の千早丸から、お守りだよ、と手渡された石ころがございました。その石に七という字がきざまれていたのです。しばらくは大事にもっていたのですが、そのうちどこかで失くしてしまいました」
「そなたは、たしかに弥七どのの息子にまちがいない。思いがけないことがあるものだ」
親鸞は申麻呂ににじり寄って、その手を自分の両手の中ににぎりしめた。
「ツブテの弥七どのがこの世を去られて、わたしは生きる力が失われたような気がしていた。昔の知り合いが、一人、また一人と逝かれるたびに心細くなるのは、煩悩のなせるわざ。そのゆえにこそ他力をたのむ思いもいっそう深まるのだが、やはりさびしい。そんなときに、こうして思いがけない出会いがあるというのは、本当にうれしいことだ。申麻呂どの、よう会いにきてくださったのう」
親鸞の言葉に、申麻呂はだまって頭をさげただけだった。しかし、顔をあげたとき、その両眼から一気に涙があふれ、床にしたたりおちた。
「これまで、親に会いたいと思うたことはなかったのか」
「ありませぬ。そういうことを考えては生きていけまsんでした」
申麻呂は鼻水をすすりながら答えた。親鸞はため息をついた。
「そうか。思えばわたしもそうだった。八歳のときに生まれ育った日野の里をはなれてからきょうまで、ずっと父親と会うこともなくすごしてきたのだ。わたしにとっては、弥七どのをはじめ、出会ったかたがたがみな親であり、兄弟でもあった。そなたは、こういう歌を知っているだろうか」
親鸞は目をとじて、小声で歌いだした。記憶のなかに大事にしまいこんでいた歌だった。
『親鸞』完結編 273
中日新聞朝刊 2014/4/5 Sat.
ツブテの遺言(7)
(前半略)
「そうではない」
親鸞はなだめるような表情で申麻呂をみていった。
「わたしも、ただぼんやりとこの西洞院の家で坐っているわけではない。昔話になるが、かつて慈円さまに重用された良禅という才能ゆたかな僧がいた。慈円さまが亡くなられてまもなくお山をおり、俗界に身を投じたのだ。その男の念願は、師の慈円さまの遺志を継いで、この国から専修念仏の声を絶つことだった。そして覚蓮坊と名を変えて動いていたという。わたしが表立って専修念仏を広めようとたちあがることを、期待してみつめていたのだろう。わたしは東国にいるときも、都に帰ってきてからも、なにかひそかな視線をずっと感じていたのだよ。しかし、わたしは文章(もんじょう)を書き、訪れてくる人と語り、和讃をつくってすごしてきた。良禅、いや、覚蓮坊はしびれを切らして、ついにたちあがろうとしているのではあるまいか。あの男は南都北嶺の僧兵たちと深いつながりをもっているらしい。朝廷や幕府の一部の人たちとも、利でもってつながっているという。その気になれば、念仏停止(ちょうじ)の嵐をまきおこすこともできるはずだ。それで、申麻呂どのは、わたしにどうせよとおっしゃっているのか」
「都をはなれて、どこかへ身をひそめられてはいかがでしょうか。わたしには、同業のつてがありますから、きっとお役に立てるでしょう」
「それはできない」
と、親鸞はいった。
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◇ 世間でさげすまれている人たち=彼らこそ私の師であり、兄であり、友であった。彼らとともに生きてゆく。 2009-08-30 | 仏教・・・/親鸞/五木寛之
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◇ 五木寛之著『親鸞』97 犬麻呂通信 2011-04-09 | 仏教・・・/親鸞/五木寛之
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