「お別れの作法」医師である私が、なぜ魂や「あの世」の存在を確信したのか 矢作直樹
Diamond online【第1回】 2013年4月17日
<筆者プロフィール>矢作直樹(やはぎ・なおき)
東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部附属病院救急部・集中治療部部長。1981年、金沢大学医学部卒業。その後、麻酔科を皮切りに救急・集中治療、外科、内科、手術部などを経験。1999年、東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻および工学部精密機械工学科教授。2001年より現職。2011年、初めての著書『人は死なない』(バジリコ)が7万部を超えるベストセラーとなり、話題となる。
医療現場でときに遭遇する、医学常識の通用しないケース。その中には、魂や「あの世」の存在を示唆し、人は死ねばすべて終わりではない、ということを教えてくれるものがあります。
さらに、世界中で、人の魂が輪廻転生していることを信じざるを得ないような事例が数多く報告されているという現実があります。
*医療の現場では ときに医学では説明のつかない現象が起こる
医師となって30年余りとなる私は、救急・集中治療の現場をやってきたこともあり、大勢の方が逝く場面に立ち会ってきました。
家族に見守られながら眠るように逝く方、苦しみながら亡くなる方、誰も面会に来ず医療スタッフだけに看取られる方、事故で運ばれて意識のないまま逝く方……、人のエンディングというのは、実に多様です。
人は生きてきたように死ぬ、という言葉がありますが、それをどう解釈するかは皆さんにおまかせするとして、ここで一つ絶対と言えることがあります。
それは、「誰もが必ず肉体死を迎える」という事実です。
私は医師であると同時に、魂もあの世も理解していると思っている人間です。「大いなるすべて」と解釈している神の存在も同様です。だからといって、何か特定の宗教や宗派の信者ではありません。
私は死に関して、「肉体死を迎える」と表現しています。
私たちの魂はこれまで連綿と続き、そして私たちの死後も連綿と続きます。その意味では「死なない」ということになりますが、私たちの肉体は期限が来ればすべて確実に滅びます。
「人は死なない」とは、そういう意味で「死なない」ということです。魂は滅せない、という意味であるとご理解ください。
医療現場に携わるようになって驚いたのは、私たち医師が知っていること、わかること、できることは、残念ながらいまだ限られている、という事実でした。
大学で医学を学び、臨床医として医療に従事するようになると、経験を重ねるにつれ、それまでの医学常識では説明がつかないことにもたびたび接するようになったのです。
どんなに治療を尽くしても亡くなられてしまう方、それとは逆に、決して助かる見込みのないはずの重篤な患者さんが奇跡的な回復を遂げられたケース、果ては臨死体験といえるような事例なども経験し、いろいろなことを考えさせられました。そして、さまざまな報告や文献を読み、機会があれば気功や交霊なども実体験してみたのです。
*前世を語る人々 ヴァージニア大学医学部教授による報告
輪廻転生、前世の存在については、現在まで多数の文献等に報告されています。
また、チベットのダライ・ラマ法王は何度も転生を繰り返しているとされ、その位の継承は、代々転生者(生まれ変わり)を探し出すことでなされています。法王が亡くなると、次に生まれ変わってくる方角などが予言され、数年後、それにあてはまる幼児を探し出すと、先代の遺品を選ばせたり、先代の身近にいた人物を見分けさせるなどして前世の記憶を試すのです。現法王も幼少時に、先代ダライ・ラマ13世の愛用していた数珠を見分け、側近の名を迷わず言い当てたと言います。
しかし、輪廻転生や前世など、そんなものは迷信の一つであり、荒唐無稽なもの、と思われている方も大勢いらっしゃることでしょう。
でも、ときには、それでは単純に片付けられないような事例も報告されているのです。
近年で論文ベースになる報告を集めたものとして有名なものに、ヴァージニア大学医学部精神医学講座教授であったイアン・スティーヴンソン博士の著書『前世を記憶する子どもたち』(原題:Children Who Remember Previous Lives 日本教文社)があります。
この中には数多くの事例が報告されていますが、印象に残ったものをいくつかご紹介します。
【コーリス・チョトキン・ジュニアの事例】
チョトキン夫人は、アラスカで漁師をしていた伯父のヴィクターから「自分が死んだら、おまえの息子として生まれ変わるつもりだ」と告げられ、伯父の体にある2つの手術痕を見せられた。そして、ヴィクターは「生まれ変わったら、これと同じ場所にあざがあるはずだ」と言った。
その伯父が1946年に亡くなると、その一年半後、チョトキン夫人は男の子を出産する。その子はコーリスと名付けられたが、彼の体には生まれつき母斑が2つあり、その部位はいずれも生前の伯父が見せてくれた手術痕と同じ場所だった。
また、1歳になって間もないコーリスは、コーリスという名前を復唱させようとした夫人に、「ぼくはカーコディだ」と言った。カーコディとは、伯父ヴィクターの部族名である。これ以外にも、コーリス少年は、その行動や興味に伯父ヴィクターと瓜二つといった特徴を示したり、知るはずのないヴィクターの知人たちを見分けたりしている。
しかし9歳になる頃には、前世に関することは話さなくなったという。
【スレイマン・アンダリの事例】
1954年にレバノンに生まれたスレイマンは、幼少期に前世での子どもの数や名前、出身地がガリフェであること、搾油機を所有していたことを口にしたが、それ以上のことは思い出さなかった。
だが、11歳になった時に、ある出来事をきっかけにガリフェの首長だった前世を思い出す。前世での名や、その生涯についても思い出した。
スレイマンの親族が、彼の語る記憶の真偽を確かめにガリフェに行くと、思い出した前世の名と同じ名前の首長が12年前に亡くなっていたこと、搾油機の所有やその生涯がスレイマンの記憶と一致することなどがわかった。
その後、ガリフェを訪れたスレイマンは、首長の家族こそ見分けられなかったものの、いくつもの関連する場所や人を見分けたり、その首長の特徴を示したりしている。
【ボンクチ・プロムシンの事例】
1962年、タイに生まれたボンクチは、話せるようになるとまもなく、前世について話し始めた。前世での出身地やチャムラットという名前、その両親の名、そして自分が祭りの日に刺殺されたということまで語った。彼がこの自分の死の模様を口にしたのは、2歳の頃だという。のちに、この殺人事件が事実であったこと、ボンクチの語った犯人の名前などが一致していることが確かめられた。
また、ボンクチには、タイ人らしくない変わった行動や食べ物の嗜好があったが、これはラオス人特有のものであった。また、ボンクチは家族には理解できない言葉を口にすることがあったが、これもラオス語であることが判明する。チャムラットの一家はラオス人だったのである。
だが、成長するにつれて前世の記憶を語ることはなくなり、その変わった振る舞いもしだいに消えていった。
(以上、いずれも『前世を記憶する子どもたち』<イアン・スティーヴンソン著 笠原敏雄訳 日本教文社>より)
しかし、以上のような文献等に報告された事例だけでなく、私の知人にも、過去生体験を持つ人が複数います。
その中の一例をご紹介しますと、某病院の理事長であり、皮膚科・ホリスティック医療を行っている40代の女性医師は、エジプトを訪れた時に、ある神殿で、かつて自分がここで働いていたことを思い出したと言います。それだけでなく彼女は、初めて訪れたその神殿内の細部まで思い出したというのです。
*亡き母との再会が確信させてくれた 「あの世」と死後の生
ほかにも私には、母の死にまつわる不思議な体験があります。
ある時、知人の紹介で母を交霊してもらう機会に恵まれました。つまり、死者となった母と会話したのです。 母は、霊媒となった人の体を借り、私の問いに答えてくれました。母しか知るはずのない、これまで私が誰にも話したことのなかった詳細なども正確に話したのです。また、霊媒となってくれた知人の降霊中の口調や立ち居振る舞いは、母との面識がなかったにもかかわらず、驚くほど母の生前の特徴そのままでした。そこに母がいるのでは、と錯覚を起こしたほどです。
それ以来、なぜか私には、不思議な安心感のようなものが生まれてきました。
死に対する漠然とした恐怖感が消えたのです。
「あの世」という異界の存在を、さまざまな書物や人の体験談以外で知ったのもこの時です。
この体験は鮮烈でした。文字や他人から聞いた話や、同じ交霊でも知らない人(霊)から知らされるのと、他界した肉親から目の前で知らされるのとでは大きな開きがあることも実感しました。
同時に私は、「あの世」と呼ばれるようなものの存在があること、人は肉体死を迎えても魂は滅しないこと、つまり、見えない世界の存在に確証のようなものを得たのです。
現在の科学力では解明できませんが、魂は存在します。
私たちが死後に行く場所、一般的に言えば「あの世」と呼べるようなものも明確に存在しますが、いきなり全部は無理としても、少しずつこれらの事実を理解されると、私たちがこの世に生を受けた日から旅立ちの時、つまり生まれてから死ぬまでの年月が愛しく感じられます。
すると、死という「お別れ」に関する逝く側、送る側それぞれの「作法」が、実に興味深いものへと変わるものと思います。
輪廻転生があるからこそ、つまり「死後の生」があるからこそ、私は死というお別れには作法が必要だと思っています。
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〈来栖の独白〉
エントリーしたが、私の考えは本記事と必ずしも同意ではない。
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