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オウム 菊地直子被告 初公判 裁判員裁判 東京地裁(杉山慎治裁判長) 2014.5.8 Thu.

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【オウム法廷再び 菊地被告初公判(1)】“爆弾娘”と呼ばれた頃とは一変、パンツスーツで毅然と「爆弾原料とは知らなかった」
 産経ニュース 2014.5.8 12:13
 《オウム真理教による平成7年の東京都庁郵便物爆発事件に関与したとして、殺人未遂と爆発物取締罰則違反の幇助罪で起訴された教団元幹部、菊地直子被告(42)の裁判員裁判が8日、東京地裁(杉山慎治裁判長)で始まった。約17年間にわたり逃亡生活を続け、「走る爆弾娘」と言われた菊地被告は法廷で何を語るのか。判決は6月30日に言い渡される予定だ》
 《オウム事件が裁判員裁判で審理されるのは、元幹部、平田信被告(49)=1審懲役9年、控訴中=に続き2件目。公判の争点は、菊地被告が山梨県内のオウム真理教施設から東京都内のアジトに運搬した薬品について、爆弾の製造などに使われることを認識していたかどうかだ》
 《菊地被告は俊足を買われ、教団の「陸上部」「世界記録達成部」に所属。5年の大阪国際女子マラソンには「オウム真理教」のゼッケンをつけて出場するなど注目を集め、爆発事件への関与が疑われたことで、「走る爆弾娘」の異名で知られるようになった。7年5月に地下鉄サリン事件で特別手配を受け、24年6月の逮捕まで、逃亡生活は約17年間に及んだ》
 《当初は地下鉄事件などで起訴された元信者、高橋克也被告(56)=公判前整理手続き中=と同居。その後、内装業の男性(43)=犯人蔵匿罪などで有罪確定=に匿われ、東京都町田市や相模原市に身を潜めた。23年末に平田被告が出頭したことで再びオウム事件に注目が集まり、「似ている女がいる」と警視庁に寄せられた情報が逮捕につながった》
 《菊地被告は、地下鉄、VX殺傷の両事件についても殺人と殺人未遂容疑で逮捕されたが、いずれも嫌疑不十分で不起訴となった》
 《公判では、平田被告の公判と同様、教団元幹部の確定死刑囚3人への証人尋問も予定されている。井上嘉浩(44)、中川智正(51)両死刑囚の尋問は公開法廷で行われる。事件の指揮役の井上死刑囚は1日、爆弾の製造を担当した中川死刑囚は2日間とみられる。教団内で菊地被告を指示する立場だったとされる土谷正実死刑囚(49)の尋問は健康上の理由などから東京拘置所で非公開で行われる見通しだ》
 《東京地裁にはこの日、58席の傍聴券を求めて471人が列を作った。今年1月の平田被告の初公判では、1155人が並んでおり、それに比べれば少なくなった》
 《東京地裁最大の104号法廷。午前10時59分、向かって左側の扉から、菊地被告が入ってきた。グレーのパンツスーツに、茶色の眼鏡をかけている。傍聴席には視線を向けず、左側のいすに座った》
 《警視庁が24年6月に公開した逮捕後の菊地被告の写真は、やせ形でほおがこけ、逃亡生活の疲労を強くうかがわせる容貌で、顔がふっくらしていた7年の手配写真とはまるで別人のようだった。この日の菊地被告は、背中の真ん中まで伸びた髪を一つに束ね、やせてはいるが、顔は少しふっくらしている》
 《杉山裁判長に促され、6人の裁判員が入廷してきた。男性4人、女性が2人で一様に緊張した様子だ。杉山裁判長を含め3人の裁判官の両脇に3人ずつ並んで座った》
裁判長「それでは開廷します。被告人は真ん中の証言台の前に立ってください」
 《菊地被告は眼鏡を外し、証言台の前に立つ。人定質問が始まるようだ》
裁判長「名前は?」
被告「菊地直子です」
 《菊地被告は、小さくか細い声で答える。生年月日を尋ねた後、杉山裁判長が続ける》
裁判長「本籍地と住所は起訴状に書いてある通りですか」
被告「本籍地はそうですが、住所は東京拘置所です」
裁判長「移したんですね」
被告「はい」
裁判長「仕事は?」
被告「無職です」
 《人定質問が終わり、右手に陣取る男性検察官が立ち上がり、起訴状の読み上げを始めた。菊地被告は背筋をピンと伸ばし、検察官の方に少し体を向け、手を前に組んで聞き入っている》
 《起訴状によると、菊地被告は7年4月、山梨県内の教団施設から東京都八王子市のアジトまで爆薬の原料を運搬したとされる》
 《その原料で作製された爆発物は同年5月16日夜、都庁7階の知事秘書室で爆発。元教祖、麻原彰晃死刑囚(59)=本名・松本智津夫=が同日朝に逮捕され、日本中が騒然とする中だった。当時の都知事秘書、内海正彰さん(63)が都政への苦情の電話を受けながら、左手で青島幸男知事(当時)宛ての小包に入っていた本の表紙を開いたときに爆発。内海さんは左手の指をすべて失った。実行役の元教団幹部らの確定判決によると、爆弾事件は捜査の撹乱(かくらん)が目的だった》
 《6人の裁判員たちは、手元の起訴状を見たり、菊地被告の表情を見たりしながら、聞き入っている》
 《起訴状の読み上げが終わり、杉山裁判長は菊地被告に黙秘権などについて説明した。そして注目の罪状認否に移る》
裁判長「検察官が今読み上げた事実について尋ねます。どこか間違っていた点はありますか」
被告「はい」
 《菊地被告は毅然(きぜん)とした口調で語り始める》
被告「中川さんの指示で薬品を運んだことは間違いありません」
裁判長「うん」
被告「ただ、爆薬の原料であることは知りませんでした。また、このような事件に使われることも想像していませんでした。とはいっても、私が薬品を運んだことは紛れもない事実で、それによって、爆薬が作られたことも事実だと思っています。この事件で大けがをされた内海正彰さんには大変申し訳なかったと思っており、この場を借りておわび申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。以上です」
 《被害者に謝罪しつつ、無罪を主張した菊地被告は無表情のまま、被告人席に戻った》
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します *リンクは来栖

【オウム法廷再び 菊地被告初公判(2)】専門知識なく主な役割はビーカー洗い 弁護側「薬品名しか伝えられず」
 産経ニュース 2014.5.8 15:28
 《杉山慎治裁判長に促されて、検察側の冒頭陳述が始まった。6人の裁判員たちには概要が書かれた紙が配られている。検察官は証拠書類や事件概要の書かれたメモについて裁判員に説明していく》
 《菊地被告が起訴されているのは、平成7年に発生した東京都庁郵便物爆発事件における殺人未遂と爆発物取締罰則違反の幇助の罪だ。事件はオウム真理教に対する警察捜査の撹乱や、元教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=の逮捕を防ぐことを目的に実行されたとされている》
検察官「被告は教団の活動に熱心に取り組むうち、麻原死刑囚と身も心も一体化することで修行が完成すると強く思うようになっていきました」
 《事件についての説明が始まる。検察官は裁判員裁判を意識して、裁判員らに対し、菊地被告が麻原死刑囚をはじめ、教団幹部の近くで活動に従事していた様子をわかりやすく伝えていく》
 《検察側は、菊地被告は元教団幹部の土谷正実死刑囚(49)の下で爆薬や猛毒ガスVXの製造など、危険な化学実験に従事していたと主張。薬品の使途を判断できる能力を身に付けていたと結論づけた》
裁判長「続いて、弁護側お願いします」
弁護人「被告は昭和46年12月に埼玉県内で誕生。高校生のときに自宅近所の本屋で麻原の本を手に取り、生きる意味や信者の体験談について感動し、入信して施設に入るようになりました。当時のオウム信者は虫も殺さないような生活を送っており、オウムに対して危険性を意識していたのはごく一部の人たちだけでした」
 《厳格な家庭で育った菊地被告は、父親に家に連れ戻され、オウムとの接触が持てない期間もあったという。だが、離れれば離れるほどオウムへの思いは高まり、平成2年、18歳のとき、親に反発してオウムに出家した》
 《6年、教団に厚生省ができると、大臣を務めていた遠藤誠一死刑囚(53)の推薦もあり、菊地被告は厚生省のスタッフに。科学的にも化学的にも高い知識を持つ人材が集められていたが、そうした知識のない菊地被告に与えられた主な役割は洗い物だったという。ビーカーやフラスコなどをひたすら洗い続けた》
弁護人「ほどなくして、土屋死刑囚のアシスタントをするようになりました。薬品名などはわかっていても、何を作っているのか、何も知らされていませんでした。被告は製法に基づき、指示されたことを行うだけでした」
 《弁護人はVXガスの精製についても、菊地被告は知らなかったと主張。7年に地下鉄サリン事件をめぐる強制捜査が入ったときにも、冤罪だと訴えたという》
弁護人「ある日、元幹部の中川智正死刑囚(51)から連絡があり、都内に出てくるようにと指示されました」
 《都内で面会すると、菊地被告はある薬品を持ってくるよう求められたという》
弁護人「しかし、伝えられたのは薬品名だけで、それがどのような薬品かは伝えられませんでした。隠して持ってくることも中川の指示でした。持ち込んだことは事実ですが、どういう薬なのか内容を知ったのは、今回逮捕されて取り調べを受けてからでした」
弁護人「その後、サリン事件の容疑者として指名手配されましたが、サリンの精製には関わっていません。厚生省やその棟のなかで行われていたことの意味や目的も知りませんでした。彼女は中川や土屋を尊敬していましたので一生懸命手伝いをしましたが、その意味を知ることはありませんでした。幹部の悪意を見破ることはできませんでした。彼女は無罪です」
 《正午、杉山裁判長が今後の審理予定を説明する。休廷と午後1時10分からの再開が告げられた。菊地被告はうつむきがちにうなずいただけで表情は読み取れない。軽く一礼して法廷を出た》
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 

【オウム法廷再び 菊地被告初公判(3)】手のひらの先が吹き飛ばされ…当時の凄惨な状況再現
 産経ニュース 2014.5.8 16:16
 《午後は検察側が提出した証拠調べから始まった。検察官の1人が立ち上がり、法廷の左右の壁に掲げられたモニターの電源を入れるよう指示。モニターに証拠の内容を示しながら詳細な説明を始めた》
検察官「検1号証です。被害現場の報告書になります」
 《モニターには爆発事件の現場となった東京都庁舎の位置を示す地図、地上48階地下3階建ての庁舎の見取り図などが次々示された。その後、事件現場の7階の見取り図が示されると、裁判員たちの表情はさらに厳しくなる。現場となった知事秘書室はピンク色に塗られている》
検察官「当時、都知事は都議会の特別委員会に出席していました。被害者(当時の都知事秘書)、内海正彰さん(63)は(1)にいました。ほかにも都の職員やマスコミ関係者がいて、モニターで特別委員会の様子を見ていました」
 《検察官は爆発直前の現場の様子を振り返る。次にモニターに示されたのは爆発直後の秘書室の写真。映し出された計7枚の写真はいずれも、室内にあったさまざまな物が飛散した上、周辺が黒く焦げた様子も確認できる。爆発の激しさが約19年の時を超えて伝わってくる》
検察官「次は爆発地点の机の破損状況に関する図面です」
 《図面の次に、内海さんが郵便物の開封作業を行っていた机の写真が示された。敷いてあったデスクマットなどが激しく焦げ付いている。菊地被告はまっすぐ前を見ながら静かに耳を傾けている》
検察官「マットは縦11センチ、横15センチ破れていました。被害者の机にはへこみがあり、最も深い部分で約2・7センチでした」
 《机の横にあったついたての写真についての説明があった後、爆発の威力を示す図面が提示された。爆心地からどの程度離れたところに血痕や肉片が飛び散ったのかが記されている》
検察官「続いて検2号証です。被害者のけがの状況になります。被害者は東京医科歯科大学病院に搬送された後、緊急手術を受けました。平成7年5月16日から7月5日までの51日間入院。その後も通院し、8年1月23日から3月1日まで左手の機能再建手術のため再び入院しました。8年12月には症状固定、つまり、症状がそれ以上改善しないという診断を受けました」
 《検察官によるけがの説明が一段落すると、内海さんの両手のけがを現すイラストが映し出された。左手は親指の先と手のひらの中央から先が吹き飛ばされ、右手の親指も皮1枚でつながっているような状況だったという。けがの状況を聞いた裁判員たちの表情は厳しいままだ》
検察官「検3号証は爆発物の配達状況です」
 《爆発物は7年5月11日に投函された後、当時の都知事公館に配達された。その後、公館から回収され、同5月16日、知事秘書室に届けられ、郵便物の確認業務を担当していた内海さんが開封することになった》
検察官「検4号証は爆弾についてです」
 《検察官は、事件で実際に使用された爆発物以外にも、一般的に使用される爆発物のデータを示し始めた。爆発物の知識が乏しいことが予想される裁判員への配慮とみられる》
検察官「聞いたことがあるかもしれませんが、TNTというのは硝酸などを使って作られます。爆速は約6930メートル毎秒です。この爆速が早いと破壊効果が高くなります」
 《一般的な説明が終了し、実際に事件で使用された爆発物についての説明が始まる》
検察官「RDXという爆発物は爆速が約8700メートル毎秒。爆速約7000メートル毎秒以上のものが高性能爆薬といわれ、専ら軍用に使用されます」
検察官「現場からは爆薬が検出されています。多数の紙片にRDXの付着が認められます」
 《爆発物の説明が続く中、中川智正死刑囚(51)が7年10月の取り調べで書いたという、爆発物内部の図が示された。本がくりぬかれ、中に爆発物が埋め込まれている様子を再現している》
検察官「中川死刑囚の図面をもとに模型を製作しています。検5号証として模型も提出します」
 《検察官は模型を実際に取り出し、裁判官や裁判員、傍聴者にも見えるよう模型を高く掲げた。検察側の証拠調べは以上で終了した》
裁判長「続いては証人尋問になります。少し休廷して午後2時に再開します」
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 

【オウム法廷再び 菊池被告初公判(4)】「パンッと乾いた爆発音とともに爆発」 被害男性が生々しく証言◇
 産経ニュース 2014.5.8 16:52
 《午後1時59分、オウム真理教による平成7年の東京都庁郵便物爆発事件の被害者で、当時の都知事秘書、内海正彰さん(63)が証人として入廷してきた。紺色のネクタイを締めたスーツ姿で、裁判官と裁判員の方に軽く会釈をした後、しっかりした足取りで証言台に立った。先に入廷していた菊地直子被告は表情を変えることなく、内海さんを見つめている。午後2時、公判が再開される》
裁判官「名前は?」
証人「内海正彰です」
裁判官「嘘は言わないという宣誓をしてもらいます」
証人「真実を述べ、偽りを述べないことを誓います」
裁判官「緊張しているかもしれませんが、落ち着いて、できるだけ大きな声でゆっくり答えてください」
 《検察官による質問が始まる》
検察官「平成7年5月17日の爆破事件の被害者ですね」
証人「はい」
検察官「どんなけがを負いましたか」
証人「左手の指全部と右手の親指を失いました」
 《検察官が、当時の都知事秘書をしていた内海さんの経歴を確認し、勤務内容の細かい質問を始める》
検察官「どんな仕事をしていましたか」
証人「知事に対する陳情、手紙を承って知事に渡す、中身次第では事業局に渡すことをしていました」
検察官「他には?」
証人「郵便物だけでなく、直接来た人の面談もありました」
検察官「勤務時間は?」
証人「午前9時から午後5時15分まで。知事が帰らなければ残っていますが」
検察官「来客にはどんな人が来ましたか」
証人「右翼が3分の1、共産党系が3分の1、残り3分の1がおかしなことを言う人。1割くらいはまともな人もいました」
検察官「便箋やはがきはどう確認を?」
証人「開封して中身を見て、ちゃんとしたものなら知事秘書に渡していました」
検察官「(郵便物を集配する)交換から来たものは?」
証人「交換から(知事秘書室のある)7階にまわしてもらい、私が知事に渡していました」
検察官「その中に今回のものがあった?」
証人「はい」
検察官「今回の被害の前に危ない目に遭ったことは?」
証人「ないですね」
検察官「金属探知機など事前に確認する方法は?」
証人「ありませんでした」
検察官「開けてみないと分からない?」
証人「はい」
 《しっかりした口調で、検察官の質問に答える内海さん。検察官からの質問はここから今回の事件自体の内容に移っていく》
検察官「今回は交換から送られてきた書類の中にあったものですが、交換から来たのは午後3時半ごろだった?」
証人「はい」
検察官「知事宛てだった?」
証人「はい」
検察官「その郵便物はどこにありましたか」
証人「女子職員の机の上に置かれていました。通常は女子職員が開封しますが、その日は都知事が委員会に出席していて、女子職員も厨房(ちゅうぼう)に立っていて、手つかずでした」
検察官「ご自身が開封しましたか」
証人「彼女がいなかったので、開封して自分で振り分けをやろうと」
検察官「郵便の確認はいつからやっていますか」
証人「夕方過ぎでしょうか」
検察官「自分の席で?」
証人「はい」
 《ここで検察官が知事秘書室の間取りをスライドで法廷内の大型モニターに写し出し、内海さんが座っていた席を確認した》
検察官「封筒の様子で気になった点はありますか」
証人「知事宛だとあて名がありますが、かなり乱雑でまじめに出したものではないという印象でした」
検察官「開けないとしようがなかった?」
証人「はい」
検察官「そのときの様子は?」
証人「たまたま苦情の電話があって、電話を受けながら開封作業をしていました。どうしようもないような内容だったので『はいはい、わかりました』と答えながら」
 《内海さんは、受話器を頭と肩にはさみ、椅子に反り返るように座って開封作業をするしぐさを見せる》
検察官「今、していただきましたが、背中は反り返るような感じだったのですね」
証人「はい」
検察官「右手には、はさみ?」
証人「はい」
検察官「開封はどのように?」
証人「開けて、中身を引き出して、扉を左手で開きました」
検察官「最初は何だと思いましたか」
証人「振ってみると、カタカタという音がしたのでカセットテープかなと思いました」
検察官「開けてどうなりましたか」
証人「パンッと乾いた爆発音とともに爆発しました」
検察官「爆発したと分かってどうしましたか」
証人「左手の指がちぎれて骨も見えました。右の親指が皮一枚でつながっている状態。死ぬのかどうか考えましたが、あまり出血はなかったので死ぬことはないだろうと」
検察官「痛みは?」
証人「記憶にないです」
検察官「他のけがは?」
証人「顔にも爆弾の破片があったと聞きました。細かいやけどもありました」
《応急処置をしている途中、交換の女子職員が来たという》
検察官「何と言いましたか」
証人「『君じゃなくてよかったね』と言いました。若い女性なのでこれから結婚、出産といろいろあるだろうと思ったんでしょうね」
 《その後、内海さんは病院に搬送され、手術を受けた。仕事に復帰したのは8月1日だったという》
検察官「仕事への支障は?」
証人「細かい資料を扱うのが難しくなりました」
検察官「日常での不便は?」
証人「ネクタイは結ぶことができないので家内が…。小銭を扱うのも難しいし、子供と十分遊べなかったです」
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【オウム法廷再び 菊地被告初公判(5)】語られる激しい爆発の威力「膝の上なら足は吹き飛んでいた」
 産経ニュース 2014.5.8 17:37
検察官「障害者認定は受けていますか」
証人「3級です」
検察官「重度障害とされる1級、2級に続く重さですね。事件のその後の捜査などで、爆弾の模型を見たことはありますか」
証人「現場検証のときだったか…警察官から何気なく模型を手渡されたことがありました。ちょっと持っていて、というような軽い感じでした。私も受け取ろうとしたのですが、模型を見た瞬間に反射的に投げ出してしまいました」
 《検察官はその時の様子をさらに詳しく聞いていく。どのように手を出したのか、どの方向に投げ出したのかなどが明らかになるにつれ、わずか一瞬のうちに記憶に刻まれた恐怖を思い知らされる》
 《左手の指をすべて失い、仕事や趣味もままならなくなった内海さんの複雑な思いも明かされていく》
検察官「お子さんや奥さんとやりたかったのにできなくなったこと、ご自身のことでも、残念な思いや不便な思いをされたことはありますか」
証人「うちは子供が男の子でしたから、『キャッチボールができないね』と話したことがありました。私は趣味でギターを弾いていたのですが、それもできなくなりました。知事秘書室というのは事務職の中では、ある程度危険な仕事だと思っていますが、それでも、ついてないな、と思うことはありました」
検察官「危険な仕事というと?」
証人「クレームだとか苦情の電話だとか、そういうものもかかってきますし、よく分からないものが送られてくることもあります」
検察官「では、ついてないというのは」
証人「そもそも都庁の中で爆弾事件が起こるなんて、それもついてない。ただ、あの日は苦情の電話に対応しながら開封しました。警察からは相当強い爆発威力だったと聞きました。ほかの作業をしながらでなければ、この程度のけがでは済まなかったかもしれない。そう考えると何とも複雑な心境です」検察官「爆発の威力をおぼえていますか」
証人「私の机はスチール製だったのですが、それが大きくへこんでいました。2メートル以上の高さがある天井にも、破片が突き刺さっていたと聞きました」
検察官「もし、膝の上で開封していたらどうなっていたでしょう」
証人「足は吹き飛んでいたと思います」
検察官「のぞき込むようにして開封していたら」
証人「顔を直撃されてだめだったでしょう。かけていた眼鏡にも破片が刺さっていましたから、眼鏡がなければ失明して仕事も失っていたと思います」
検察官「オウムの犯行と知ったのはいつでしたか。それを聞いてどう思いましたか」
証人「病院のベッドの上でニュースを聞いて知りました。がっかりしました」
検察官「がっかりというのはどういうことですか」
証人「都庁で起きたことですから、都政に対する不満によるものかと思っていました。それが、全く関わり合いのないオウムの犯行と聞いて、がっかりしたのです。捜査攪乱(かくらん)の目的だけでこんなことをするのかと、理解できなかったし、考えても仕方ないと思うようにしました」
検察官「爆薬を運んだ菊地被告に対して思うことはありますか」
証人「特にありません。ただ、十数年逃走していたということは罪の意識はあったはずですから、そういう意識があるならば、しっかり償うことが人の道だと思います」
 《杉山裁判長が裁判員らに声をかけ、追加質問がないか確認し証人尋問が終わった。菊地被告は視線を上げ、退廷を促される内海さんの方を向くが、内海さんは目を合わせることはなかった。午後2時38分、杉山裁判長が約30分間の休廷を告げる》
 《午後3時10分、再開した法廷では検察側の証拠調べが始まった。傍聴席の両脇の壁には大型モニターがあり、教団発足の経緯などをまとめた年表、事件当時の新聞記事などが映し出されていく》
検察官「昭和59年、元教祖の麻原彰晃死刑囚は、後に「オウム真理教」となるヨーガ道場「オウムの会」を始め、その後「オウム神仙の会」に改名。事件が起きたころには、国内のみならず海外にも活動拠点や道場を持つようになり、約1万人が信者として活動するようになっていました」
 《平成元年に起きた坂本弁護士一家殺害事件、2年に行われた衆院選への麻原死刑囚や信者の出馬など、教団の歴史がひもとかれていく》
検察官「これは平成7年の新聞記事です。(山梨県の)旧上九一色村で異臭騒ぎがあり、教団の施設の地下から、サリンが見つかったと報じています」
 《教団施設の図が示され、「サティアン」と呼ばれた教団の施設の内部の図などがスライドで移し出されていった》
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【オウム法廷再び 菊地被告初公判(6)】「菊地」名の防毒マスクや薬品発注書…法廷で示された異様な証拠
 産経ニュース 2014.5.8 17:56
 《山梨県旧上九一色村にあった教団の本拠地について、当時の現場検証時の写真や見取り図などを使って説明が行われた。一連のオウム事件当時、何度となくテレビで放映された“サティアン”各施設の内部が事細かに説明される。》
検察官「9号証は第10サティアンについてです。外観の写真や見取り図を示します」
 《モニターに出てきたのは雑然とした施設内にある祭壇や簡易ベッド。教団の異様な集団生活を感じさせる。施設内には実験室も存在している》
検察官「10号証は押収された実験器具や薬品についてです」
 《押収されたのは硫酸や硫黄などの薬品。猛毒の青酸カリも発見されていた》
 《続く11号証は別の建物について。ここから出てきたのは、実験ノートや薬品の発注書、菊地被告の名前の貼られた防毒マスクなど。大量のフロッピーディスクも押収された。中には検察側が爆発事件で使用されたとしているRDXのような、爆発物の原料となる薬品などが記されたリストが入っていたという》
検察官「この建物から押収された紙袋には、被告のホーリーネーム(教団内の宗教名)が書かれた(教団の)教本がありました。実験室内の整理ダンスにはホーリーネームが貼られており、上から3段目に被告のホーリーネームがあります」
 《菊地被告の棚とみられる場所からは、さまざまな試薬名や反応式などが記されたレポート用紙などが押収された。また、菊地被告の名前が貼られた防毒マスクとともに、種々の化学物質に対応したフィルターも複数発見されたという。検察側はこのフィルターからは化学物質の付着が確認されたとし、後日、専門家の証人尋問でこの意味を明らかにするとした》
 《さらに、薬品の発注書には、複数の項目で担当者『菊地』とあるものがあった。こうした発注書の存在は、菊地被告の関与の度合いをどれほど示すことになるのか。菊地被告は表情を変えずにいる》
検察官「12号証は防毒マスクです」
 《こう話すと、検察官は菊地被告の名前が貼られた実物を法廷に掲げた。まるでSFやスリラー映画にでも出てきそうな、重厚な防毒マスク。教団は施設内で何を行っていたのか》
検察官「マスクのベルトには被告のホーリーネームがあります。マスクの袋も同時に提出します」
 《続いて示されたのは、教団の教本や問題集の実物。検察官は証言台の近くに備え付けられたカメラを使い、教本や問題集をモニターに映した。そこには菊地被告を指しているとみられるホーリーネームが手書きで記されていた。『天界』などと書かれている部分には赤くマークされている》
検察官「15号証は『信徒用決意』です」
 《冊子の実物が示され、モニターに映された。菊地被告を指すとみられるホーリーネームのアルファベット略のほか『正』の字が手書きでいくつも記されている。文章には『グル』などの言葉が繰り返し出てくる。16号証は別の教団冊子。ここでは『転生』などの言葉が見て取れた》
検察官「17号証は(薬品の運び先とされる)『八王子アジト』についてです。3階建てのマンションの301号室で3DKタイプになります」
 《検察官の説明に従い、間取りや部屋内の写真がモニターに次々と出てくる》
検察官「18号証は八王子アジト以外のアジトについて。(東京都杉並区の)西荻アジトは2階建ての貸家。平成7年4月11日にカギの受け渡しがあり、12日から電気などの使用が始まりました。爆発事件直前の5月11日に解約されています」
 《検察官は続いて、東京都杉並区や八王子市の別のアジトの存在も指摘した》
検察官「次が本日取り調べる最後の証拠です」
 《検察官はこう切り出し、井上嘉浩死刑囚(44)が、爆発事件前日の7年5月15日の逮捕時に乗っていた乗用車を示した。ただ、井上死刑囚の乗用車とどんな関係があるのか、まずは菊地被告が運搬したと指摘している薬品についての説明を始めた》
検察官「計5回運搬した薬品にはダイオキシンや(事件で使用された爆発物の)RDXの原料が含まれています」
 《検察官の説明が続く中、菊地被告はモニターをじっと見据えている》
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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関連; オウム 菊地直子被告の裁判員裁判 5月8日から東京地裁 「菊地被告、なぜ逃げた」…指失った男性出廷へ 2014-05-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
 「菊地被告、なぜ逃げた」…指失った男性出廷へ
 讀賣新聞 2014年04月30日 14時49分
 17年の逃亡の末に逮捕されたオウム真理教元信者・菊地直子被告(42)の裁判員裁判が、5月8日から東京地裁で始まる。
 審理されるのは、1995年5月に起きた東京都庁郵便爆弾事件。菊地被告は無罪主張の方針だが、爆発で左手の指をすべて失った元職員の内海正彰さん(63)は「事件に関与していないのなら、なぜ逃亡を続けたのか」と話している。
 都庁7階の知事秘書室で爆発が起きたのは、95年5月16日夜。知事室副参事だった内海さんが電話の受話器を右手で持ちながら、左手で青島幸男知事(当時)宛てに郵便で届いた本の表紙をめくると、「パーン」と乾いた音が鳴り響いた。止めどなく出血する左手から、指がなくなっていた。
 爆発の威力はすさまじく、スチール製の机はへこみ、天井には爆弾の破片がめり込んでいた。のぞき込んで開封していたら、命を落とした可能性もあった。 
 ◎上記事の著作権は[讀賣新聞]に帰属します *リンクは来栖 
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オウム平田被告初公判 裁判員裁判 東京地裁(斉藤啓昭裁判長) 2014.1.16 Thu. 詳報
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オウム平田信被告 判決公判 2014.3.7 Fri. 懲役9年


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