関連;聞き飽きた、もう。法相が代わる度に、死刑について「考えていく」「国民的な議論を進めたい」2011-09-15 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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死刑執行をためらうのなら
日本経済新聞 社説 2011/9/19
存廃を含め、死刑に対しては様々な意見や考え方がある。だがそのことと、法に定められた手続きにしたがって自らの職責を果たすこととは、また別の話であろう。
野田内閣で法相に就いた平岡秀夫氏は就任会見で、死刑の執行について「死刑制度は奥の深い問題。よく勉強し、考えをまとめたい。考えている間は判断できない」と述べた。
執行は昨年7月が最後だ。前任の江田五月氏も「悩みながら勉強している。悩んでいるときに執行とはならない」として、執行しなかった。
刑事訴訟法には「判決確定から6カ月以内に法相が死刑執行を命じる」とあるが、実際の執行状況は自民党政権時代からまちまちだ。「内心の問題」で執行命令書への署名を拒んだ法相もいれば、「法相に責任をかぶせず、自動的に執行が進む方法を考えては」と言った人もいる。
だが死刑は現に存在する制度だ。厳罰化で死刑判決は増えた。一方で執行は滞り、未執行の死刑囚は過去最多の120人に上っている。
死刑判決を言い渡す裁判官や執行にあたる検事、刑務官たちは、それぞれに精神的な重圧や葛藤を抱えながら、制度を支えてきた。それなのに制度のトップに立つ法相が「考えている」「悩んでいる」というのでは、釈然としない人も多かろう。
さらに裁判員制度の導入で、死刑に市民が直接かかわるようになった。EU諸国など死刑がない国とは異なり、「死刑判決は裁判員に大きな精神的負担を与える」という懸念がある中、この制度は導入された。
市民に重い責任が課されたのに、政治家は職責と向き合っていないととられかねないのではないか。
平岡法相はその後、「死刑執行を停止するという趣旨ではない。死刑制度そのものを幅広く勉強し、結論を出したい」として、国民的議論が必要との立場を強調している。
千葉景子元法相が同省内に作った死刑を考える勉強会は意義付けが不明確で、結論を出すかどうかも分からないまま5人目の法相を迎えた。
死刑に疑念があり執行命令がためらわれるのであれば、法相は制度を議論する枠組みを早急に国民に示すべきだ。結論を出す時期を明示し、本気で議論を進める覚悟がいる。
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死刑執行進まぬ議論 未執行囚最多の120人
日本経済新聞2011/8/13
死刑が1年以上執行されず、未執行のまま拘置中の死刑囚が過去最多の120人に達した。江田五月法相が「当面の執行停止」を表明するなか、法務省内に設置した死刑制度の勉強会の議論も進んでいない。裁判員裁判で既に8件の死刑判決が言い渡されている。法律に従い重い決断を下した国民の心情が置き去りにされているともいえる。
「悩ましい状況に悩みながら勉強をしている最中。悩んでいるときに執行とはならない」。江田法相が現職大臣として異例の「死刑執行停止」を宣言したのは7月29日の記者会見。「『死刑の在り方についての勉強会』の議論を見極めたい」と理由を説明した。
勉強会は、昨年7月に2人の死刑を執行した千葉景子法相(当時)が「国民の議論を深めたい」として翌8月設置。この1年、死刑制度に賛成する犯罪被害者や死刑廃止団体など計10人からヒアリングした。
ただ勉強会は「結論を導くのではなく、国民的議論の契機とするための場」(法務省刑事局)との位置付けで、報告書をまとめる予定はない。民主党政権下で江田氏まで4人の法相が交代したこともあり、国民的議論は深まっていない。
「意見をまとめる目的がないなら意味がない。早く解散すべきだ」。勉強会に出席した全国犯罪被害者の会顧問、岡村勲弁護士は内閣府の世論調査で、回答者の約86%が死刑を支持しているなどとして「国民の結論は出ており、死刑執行を遅らせる時間稼ぎでしかない」と指摘する。
死刑反対派の菊田幸一・明治大学名誉教授(犯罪学)は「法相が慎重姿勢をとり続ける現状は結果的に歓迎する」としながらも、勉強会については「死刑存置派と反対派が繰り返してきた議論を蒸し返しているだけ」と不満を示す。
昨年7月の最後の執行以降、16人の死刑が確定し、死刑囚は120人に膨らんだ。2011年の執行ゼロが続けば、暦年ベースでは19年ぶりだ。
市民が量刑に関与した裁判員裁判の死刑判決8件中、2件は被告が控訴を取り下げ確定した。議論が進まぬ現状を、菊田名誉教授は「死刑の決断は市民に押しつけられたままだ」と批判している。
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死刑未執行、過去最多の120人。法相に執行を拒む権限はあるのか。
記事投稿日:2011-08-28 18:11:29
死刑が1年以上執行されず、未執行のまま拘置中の死刑囚が過去最多の120人に達している。前法相の千葉景子氏が死刑制度の存否について一石を投じる形で、死刑執行の「刑場」をマスコミに初公開してから、はや1年。
民主党政権下で法相がころころと変わる中で、死刑制度に対する国の指針はいまだに確定していない。その一方で、裁判員裁判では、一般国民が悩み苦しみながら、死刑という重い判断を下し続けている。
*江田五月法相の言い分
江田五月法相は、死刑の執行について「悩ましい状況に悩みながら勉強している最中。悩んでいるときに執行とはならない」と発言。死刑の是非に対する自身の考えが固まっていないことを理由に死刑執行命令書へのサインを保留している。
*死刑制度をめぐる現状
【1】死刑制度に疑問を投げかける法相
最後に死刑が執行されたのは、2010年7月28日。当時の法相である千葉景子氏は、同年8月6日に死刑の廃止も視野に死刑制度の在り方を研究する勉強会を省内に設置した。また、同年8月27日には東京拘置所内の刑場を報道陣に公開し、死刑制度に対する国民的な議論の契機となるよう働きかけた。
【2】裁判員裁判制度の開始と死刑判決
上述した最後の死刑執行以降、死刑が確定したのは16人。執行を待つ死刑囚は合わせて120人にのぼる。その間、裁判員裁判で8件の死刑判決が言い渡され、そのうち2件で死刑が確定している。
*死刑執行において法相に与えられた権限
死刑の執行は法務大臣の命令がなければ出来ない。一方で、刑事訴訟法上、法務大臣は、(?)冤罪の疑いから再審請求等がなされている場合や(?)心神喪失の状態にある場合、(?)妊娠している場合等の特殊な場合を除き、 死刑判決から6ヶ月以内に死刑執行命令を下さなければならない。
*雑感
1.死刑執行の猶予期間の持つ意味
刑事訴訟法の規定(判決から6ヶ月以内に死刑執行しろという規定)にも関わらず、死刑判決の確定から刑の執行までの平均期間は、7年11か月だという。死刑が人の命を奪う極刑であり、一旦執行されると回復が不可能な損害を与えることから執行命令に慎重になっていることの表れだろう。
一方で、死刑囚からすると、6ヶ月経過後は、いつ死刑執行命令が出されるかわからない極限の精神状況下で日々生活することを強いられるのであり、およそ、人をそのような精神状況に何年も置くこと自体が残酷な刑であるとも言える。
なお、この6ヶ月の期間につき、下級審では、「単なる訓示規定であって、法務大臣の死刑執行命令がこの期間を超えて行われても、不当な判断ではない」という内容の判断が下されている。
2.死刑制度に対する疑問から執行命令を下さないことの是非
現行の刑事訴訟法上、法務大臣が死刑執行命令を下すことを猶予出来るのは、冤罪払拭のための諸手続きの申立てがされている場合や心神喪失の場合、妊娠している場合等、一定の客観的(!)事実がある場合のみである。法務大臣の主観が介在する余地はないといっていい。
国家の法で死刑制度があり、それに基づき、裁判官、裁判員、検察官、弁護士その他多数の関係者がそれぞれ法に従い、死刑が妥当であるかを長い年月と膨大なエネルギーを投じて下す判断、それが「死刑判決」である。
法務大臣の主観として死刑制度に疑問があるからといった程度の理由で、法に基づく手続きを重ねて成立した「死刑判決」をないがしろにしていいはずはないのである。
法務大臣には、判決から6ヶ月以上が経過している死刑囚につき、主観で死刑執行命令を拒絶する権利など、はなから与えられていない。
3.総括
冤罪が恐くて死刑執行命令を下したくないという気持ちは十二分にわかる。しかし、裁判官、裁判員は冤罪を恐れつつも、自己の責任の下、苦しい決断を下している。検察官も冤罪を恐れながら、慎重な判断を重ねて死刑を求刑している。そんな彼らの決断の積み重ねを法務大臣の主観で、なかったことに出来ると考えるのは、司法軽視、思い上がりと言わざるをえない。
死刑を廃止したいなら、そのような内容の法案を提出すればいいし、判決から死刑執行命令までの期間を延ばしたいならそのような法案を提出し通せばいい。死刑判決後に冤罪について再度調査する制度を作りたいなら、やはりそのような法を作ればいいし、冤罪が起きないように、より慎重な司法制度を作りたいなら、そのような法を作ればいい。
法務大臣が法に則った手続きを踏もうともせずに、自己の気持ちをおさめるために法に反する振る舞いを平気で行っていることが私には甚だ疑問だ。
厳しい言い方だが、法によらず自己の意思を実現する姿勢は、ある意味、独裁者と変わらない。個人的な主観を理由に法を破ることを容認する者には法務大臣を続ける資格がないと私は考える。
上間法務行政書士事務所 行政書士 齊藤 源久(さいとう もとひさ)
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死刑執行 法相は職責から逃げるな
産経ニュース2011.9.5 02:55
野田佳彦内閣の平岡秀夫法相は就任会見で、死刑執行について「国際社会の廃止の流れや、必要だという国民感情を検討して考えていく。考えている間は当然判断できないと思う」と語った。
当面、執行はしないと述べたに等しい。だが、刑事訴訟法は死刑確定から6カ月以内に刑を執行することを定めており、「死刑の執行は法務大臣の命令による」と明記している。
法相に就任してから考えるのでは遅い。職責を全うできないなら、最初から大臣就任の要請を受けるべきではなかった。
民主党政権の法相は2年の間に千葉景子、柳田稔、仙谷由人(兼任)、江田五月の各氏に続き、平岡氏で5人目となる。この間に死刑が執行されたのは、千葉氏が法相当時の2人だけだ。
最後の執行以降に16人の死刑が確定しており、死刑囚は過去最多の120人に達している。
退任間際に執行命令にサインした千葉氏は死刑の執行にも立ち会い、「改めて死刑について根本からの議論が必要と感じた」と語った。千葉氏は執行後、死刑の存廃も含めた制度の在り方を研究する勉強会を法務省内に設置した。刑の執行が、勉強会設置のための政治的パフォーマンスに使われたように受け取れた。
在任中に一度も執行しなかった江田氏は7月、「悩ましい状況に悩みながら勉強している最中だ。悩んでいるときに執行とはならない」と発言した。
平岡法相の就任会見の言葉と酷似している。平岡法相もまた、死刑の執行を見送り続けるのではないかと危惧する理由だ。
国民参加の裁判員裁判でも8件の死刑判決が言い渡され、すでに2件で確定している。
抽選で審理に加わり、死刑判決を決断した裁判員らは、究極の判断に迷いに迷い、眠れぬ夜を過ごした苦しい日々と胸の内を、判決後の会見などで語ってきた。
国民に重い負担を強いて、その結論に法務の最高責任者が応えられない現状は、どう説明がつくのだろうか。
法相の勝手で死刑が執行されないことは、法や制度そのものの否定だ。裁判員の努力に対する愚弄だといわれても仕方あるまい。
刑は粛々と執行されるべきものだ。法相はその職責から逃げてはならない。
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◆法務大臣には死刑執行の法的義務は存在しない=安田好弘/死刑執行1年、千葉景子元法相決断の背景2011-07-29 | 死刑/重刑/生命犯 問題
今回、千葉さんが、「死刑執行するのは法務大臣の義務だ」と言っています。実は、過去、法務省はそのようには言っていませんでした。これを言い始めたのは、後藤田元法相です。彼が1993年3月に死刑執行を再開した後に、自己の行為の正当化のために言い出したことです。彼に対しては、志賀さんや倉田哲治弁護士などが直接会って、執行をしないようにと話をし、彼はそれに対してよく考えてみるとか、団藤さんの本も実際に読んでみるとか、言っていたわけです。ところが彼は死刑を執行し、法務大臣には死刑執行をする法的義務がある、だから執行しないのは怠慢だし、執行しないならば法務大臣を辞めるべきだと、そもそも執行しない者は法務大臣に就くべきではない、と言い出したのです。今回の千葉さんも、詰まるところ同じことを言っているのです。
私たちはその当時から、法務大臣には死刑執行の法的義務はないのだと言い続けてきました。これはスローガンとして言っていたわけではなく、法的根拠を持って言ってきたわけです。刑事訴訟法の475条第1項を見ていただければわかりますが、死刑執行は法務大臣の命令による、としか書いてないわけです。法務大臣が死刑執行をしなければならない、とは書いていません。これは法務大臣以外の者が死刑執行を命令してはならないという制限規定です。第2項に6ヵ月以内に執行命令を出さなければならない、となっていますが、これは法務省自らが訓示規定と言っているわけでして、絶対に守らなければならないというものではないわけです。
法務省が言っていますが、法務大臣の死刑執行はどういう法的性質のものかというと、死刑執行を法務大臣の権限としたのは(権限です。義務とは言っていない)、死刑執行は極めて重要な刑罰なので、政治的責任を持っている人間しか命令してはならないものだ。法務大臣は政治的責任を負っているのだから、いろいろの社会的状況を考慮して、政治的な決断として執行を命令するのだ、という言い方をしています。ここからは義務だという発想は出てこないのです。法務省設置法という法律がありまして、法務省の責任や役目を示したものですが、3条、4条にはっきり書いてありますが、法務省の任務に、「基本法制の整備」、「刑事法制に関する企画立案」とあります。彼らの責務として法体制を改革したり改善したり、法律を新しく制定したり、法律を改正したり、ということがあるわけです。ですから法務大臣は死刑執行をすることが義務ではなく、死刑制度について改善したり、新しい死刑制度に関する企画を出したり、その企画が通るまで死刑執行を停止すると、いったようなことが法務大臣の義務としてあるわけです。千葉さんの発言は、これを完全に無視した発言であるわけです。
さらに言いますと、官吏服務紀律という勅令がありまして、昭和22年に一部改正されており、国務大臣はこれに従わなければならないとされています。その1条には「国民全体の奉仕者として誠実勤勉を主とし法令に従い各職務をつくすべし」とあって、権限を行使する場合は、公僕として法律に則って職務を果たせという職務規範はあっても、死刑執行を命令しなければならないというような、羈束(キソク=つなぎとめる、拘束する)的に、必ず一定の行為を行わなければならないというような職務規範は予定されていないわけです。このように、法の規定からしても、また過去の法務省の理解ないしは解説からしても、法務大臣に死刑執行命令をする義務があるというのは、間違い以外何ものでもないと考えます。この点についても議論しなければならないと、私は思っています。