『孤独の力』五木寛之著 平成26年9月4日 第1刷発行
1 孤独と絆
・孤独は不幸ではない
・孤独と絆
・「絆を捨てる」覚悟とは
・「人は他人によって必ずしも幸福にはなれない」
2 漂泊と遍歴に生きる
●ブッダ ――すべてを捨てるとは 孤独と赦し
・裕福な生活への無意味感はどこから?・
・家族との訣別 愛することも否定
・捨てるもの 愛情、友人、父母、妻と子供(愛着)、財産、欲望、執着、集会。好き嫌い、占い、好ましいものも好ましくないものも捨てる。この世
・人生の第四期こそ遍歴を(『ブッダのことば』)
・ただひとり歩み、死ぬこと(最期)
・鍛冶工チュンダを赦した理由
●親鸞 ――救いと実生活
・「家族のために念仏をとなえたことはない」(歎異抄)親鸞の孤独とは。
・人間は一人である。しかし阿弥陀仏と生涯生きてゆく。だから一人ではない。
●鴨長明 ――無常について
・無常観 圧倒的な自然災害にたいする無力感(地震、竜巻、台風、飢饉など)人間も自然である。
・元は資産家であり、和歌の世界の権力闘争にやぶれ、三十代歳後半で嫌気がさし出家。
・何度も移転。人家からはそう遠くないところ(河原)。最初の移転も出家者たちのコミュニティの人間関係に嫌気がさし移転(大原から)出家後も、また俗界に復帰したりしている。
●イエス・キリスト ――裏切りと孤独
・イエスの「孤独」とは
1 民衆が神への信仰ではなく、「病気を治す」だけの理由で集まる→イエスも嫌気がさす(「我慢しがたい」とある)
2 ユダの裏切るだろうということを、自分が知っている孤独
3 ペテロや弟子たちが裏切るということを 〃
4 最期の時、「神よ、なぜ私を見捨てるのか」と叫んだ孤独
・ガリラヤ、サマリヤ、オリブ山、エレサレムなどを常に遍歴。
・ユダを許した理由は 孤独の認識からか
3 孤立をおそれない――嫌われる勇気をもつ
・新しく友人が増える必要はない それで結構
・一所不在の思想
・からだとこころ 常識に縛られないこと。医者の言うことを鵜のみにしない。
・死にかたは自分で決める
孤独死をおそれない 結局生まれる時も死ぬ時も一人 けして悲惨ではない
放浪者の死に方
五木寛之著『孤独の力』(2014年9月4日 第1刷発行 東京書籍)
p110~
刑場に向かうイエスに対して、民衆は「吊るせ!」とか石を投げたりする。イエスも死ぬときに「神よ、なぜ我を見捨てたまうか」と言うが、それでも民衆や神を赦せ、ということなのだろうか。 そうだと思う。神も自分を救わないであろうという。それでも神の存在を、自分は信じるのだという。徹底的なニヒリズムの中から生まれた信仰という感じがするのである。
p111~
イエスは孤独だったが、孤独感に苛まれている感じではないと思う。何か燃えるような確信が、「神よ、なぜ我を見捨てたまうか」と言っている中に、あるのだと思う。
自分がそのような裏切る人間を信頼し、裏切るとわかっている人間を愛することでしか成立しないものがある。もしもそれを「愛」と言うなら、愛は、裏切る者を愛することであるという。
神を信じることは、自分を見捨てる神を信じるのだ。徹底して逆説的なのであるが、キリスト教や仏教の持っている大きさは、そういう逆説が存在して、自分はその逆説を生きるということにあるのではないかと思う。
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〈来栖の独白〉
これまで些かの氏の著書を読んできたが、これは軽い失望を覚えさせられた一冊。イエスの受難についての洞察のことだ。仏教的な理解に終始なさっているようだ。
私も福音と歎異抄は重なるところが多いと考えてきた。が、しかし、イエスの受難(十字架)を考えるとき、旧約聖書『詩編』第22編との関連を脱落させてはならない。イエスは十字架にかけられ、、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」)と叫ばれるが、この言葉は詩編22編からの引用であり、父なる神に対する疑いや絶望、ニヒリズムではなく、神への敬虔な帰依、肯定を示すものである。イエスは、父なる神を「自分を見捨てる神」などとは思っていない。「何処までも見捨てない神」である。その下敷き(引用)が欠落している。
『マタイによる福音書』第27章46節(「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」)
35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、
36 そこにすわってイエスの番をしていた。
37 そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。
38 同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
39 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって
40 言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。
41 祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、
42 「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
43 彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。
44 一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。
45 さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。
46 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
47 すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。
『マルコによる福音書』第15章34節(「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」)
29 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、
30 十字架からおりてきて自分を救え」。
31 祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。
32 イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
33 昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。
34 そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
35 すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。
旧約聖書 『詩編』22
1 聖歌隊の指揮者によってあけぼののめじかのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌
2 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
3 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。
4 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる/あなたは聖なるおかたです。
5 われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
6 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。
7 しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。
8 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
9 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。
10 しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。
11 わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。
12 わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。
13 多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、
14 かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。
15 わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。
16 わたしの力は陶器の破片のようにかわき、わたしの舌はあごにつく。あなたはわたしを死のちりに伏させられる。
17 まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。
18 わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。
19 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。
20 しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。
21 わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。
22 わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。
23 わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。
24 主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。
25 主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。
26 大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。
27 貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。
28 地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。
29 国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。
30 地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう。
31 子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、[32] 主がなされたその救を/後に生れる民にのべ伝えるでしょう。
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