「ろうそく能」 2014.11.8. Sat.14時 名古屋能楽堂 狂言「棒縛」野村又三郎/能「国栖」衣斐正宜(宝生流)
〈来栖の独白〉
ろうそく能、やはり良く見えないのは、もどかしさが最後まで付きまとった。私はいつも『謡曲集』(日本古典文学全集 小学館 昭和57年刊)からその日の演目をコピーして持って行き、それに目をやったりしながら心で一緒に口ずさむが、本日はそれができなかった。また、狂言の愉快な表情が楽しめなかった。
でも、昔は、この程度の明るさのなかで、観たのだった・・・。
パンフレットには、以下のように書かれている。
【今回の「ろうそく能」は、能や狂言の場面に、「闇」と「火」を補って楽しもうという趣向です。】
まず、狂言《棒縛》ではその舞台となる酒蔵内部は、闇の中です。そこで盗み飲みという秘密を共有する召使いたち。闇の中だからこそ、主人が帰ってきたのも気付きません。そもそも、太郎冠者が縛られる棒術の型も、夜道を警戒しながら歩くための「夜の棒」なのです。
能《国栖》では大海人皇子が歩む日暮れの山道の、暗さや心細さ。ろうそくの明かりは、鮎を捕る舟のかがり火を思わせます。老夫婦の粗末な家の内部の暗さと、そこに浮かび上がる、鮎を焼く火。追手の雑兵との応酬中、皇子を隠した舟を探られまいとするスリリングな場面でも、闇は効果的です。そして圧巻のラストシーンでは、天女や蔵王権現の装束を飾る金箔が、ろうそくの明かりによって、いっそうまばゆく輝くでしょう。
やはり、野村又三郎さん、衣斐正宜さんはいいなあ。満足させてくれる。
一つ、気になった。能「国栖」の子方(天武天皇役)が、舞台右にじっといるのだが、吐瀉していた。子供にとって舞台をつとめることは長時間でもあり、なかなか大変だ。
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