裁判員裁判の死刑判決2例目「宮崎家族3人殺害事件」とは
Credo 編集部 2014/11/12
TBS系列のニュース番組「NEWS23」において、宮崎家族3人殺害事件の犯人である奥本章寛(おくもとあきひろ)死刑囚が取り上げられ、話題になっています。
宮崎家族3人殺害事件とは、2010年3月に宮崎県宮崎市で起きた殺人事件です。2010年3月1日、宮崎市の自宅で妻と義母が死んでいるという110番通報がありました。通報者はこの家の夫であった奥本章寛(事件当時22才)です。これを受けた警察が現場に駆けつけてみると、家には通報通り彼の妻と義母が頭から血を流して死亡していました。
また、同時に生後五ヶ月の長男も行方がわからないという状態でした。ところが、警察の事情聴取の過程で説明のあいまいさを追求された奥本は、自宅近くの自身が勤めていた建設会社の資材置き場に長男の死体を遺棄したことを認めます。
そして供述通りの場所で長男の遺体が発見されために緊急逮捕され、宮崎地検は長男に対する殺人罪と死体遺棄罪で彼を起訴、その後、妻と義母に対する殺人罪でも追起訴しました。
裁判において検察は、義母の叱責や育児の負担などから家族が邪魔になったことが動機であり、ハンマーを準備するなどの計画性があること、長男の遺体を隠すなどの証拠隠滅を図っていることなどから、死刑を求刑します。
一方の弁護側は殺人の事実は認めましたが、被告に対する義母の仕打ちや前科のないこと、まだ若いことなどから情状酌量を求めました。これに対し、2010年12月7日に宮崎地裁が下した判決は、求刑通り死刑。裁判員裁判が始まってから、3例目の死刑判決でした。
弁護側は判決を不服とし、控訴をしますが、福岡高裁宮崎支部は死刑判決を支持、控訴を棄却します。さらに2014年10月16日、最高裁への上告も棄却され、死刑は確定しました。裁判員の死刑判断を最高裁が支持したのは2例目になります。
義母への鬱積が動機であるなら「なぜ3人とも殺したのか」という問いに奥本は、被告人質問時に「義母を殺せば妻から犯行が漏れ、長男はまだ幼いので母親と一緒がいいだろうと考えた」と答え、死刑確定後の共同通信記者宛の手紙には「自身でもあの時の考えや行動は理解できない」と語っています。
現在、奥本死刑囚は福岡拘置所に収監され、日々写経をして過ごしているとのことです。
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【宮崎市の家族3人殺害事件】傍聴席から見えなかったもの 「義母から逃れたかった」 被告が明かした犯行動機 3回続きの(上)
47NEWS 2012/07/13 15:54
宮崎市で2010年3月に起きた、奥本章寛(おくもと・あきひろ)被告(24)が、生後間もない長男と妻、義母の家族3人を殺害した事件。
福岡高裁宮崎支部は今年3月、奥本被告に一審宮崎地裁の裁判員裁判に続き、死刑判決を言い渡した。
一審から傍聴を続けるうちに、被告が自分の思いをうまく言葉に出来ていないように感じた記者が、被告との文通と面会を繰り返し、法廷では見えなかった動機や事件の背景に迫る。(共同通信宮崎支局 岡田圭司)
× × ×
なぜ3人を殺したのか。宮崎刑務所の面会室。その問いに透明な板の向こうで、奥本章寛(おくもと・あきひろ)被告(24)は言った。
「あのとき義母から逃れる方法は、それしかなかったんです」
2010年3月に義母池上貴子(いけがみ・たかこ)さん=当時(50)=と妻くみ子さん=同(24)、生後5カ月の長男雄登(ゆうと)ちゃんの3人を殺害した罪などに問われた奥本被告。一審宮崎地裁の裁判員裁判の判決は、犯行前後に出会い系サイトに興じるなどした奥本被告を強く非難、殺害動機を「自由で1人になりたいと考えた」と認定し、死刑を言い渡した。
それだけで3人も、なぜ―。その疑問に奥本被告は繰り返した。「義母から逃れたかった」と。
判決の認定によると、奥本被告は09年3月、くみ子さんの妊娠を機に結婚し、宮崎市内で義母と同居。やがて、感情の波が激しかったという義母からの叱責(しっせき)が始まる。
「雄登の抱き方が悪い」「若いのに寝るな」
貯金がなく、結納と結婚式を見送った後から義母の怒りが自分に向いたと奥本被告には思えた。
事件6日前の深夜。義母は、仕事から帰宅した奥本被告の頭を何度も殴った。「あんたの両親は何もしてくれん」。そして、故郷を侮蔑する言葉を言った。「音を立てて、何かが壊れて…。もう限界だった」
殺害した妻子への感情を一審の被告人質問で問われるたびに「愛していた」と答えた。しかし家庭内では、育児を通じて義母と妻子のグループができ、家での居場所はないと感じていたという。
「親子3人で暮らしたかった。ただそれだけです」。でも、それはかなわない。ならば―。
裁判員に説明しようと思った。だが、被告人質問では多くの質問に「分からない」と答えてしまった。「『分からないなら、分からないでいい』と言われていたので、すぐに答えられない質問は全部『分からない』と答えたんです」。判決を読んで、一審をやり直したいと思ったという。
福岡高裁宮崎支部の控訴審で実施された心理鑑定で、ベテランの臨床心理士は、奥本被告の心をこう描いた。
「義母の叱責と生活苦、睡眠不足で心身が極度に疲弊し、短絡的になりやすかった。義母と妻子が一体で、奥本被告だけ別世界にいるような孤独を感じていた」
奥本被告も「ずっと言葉にできなかったことが、ここには書いてある」と感じた鑑定書。22日の控訴審判決は、その内容をほとんど受け入れ、奥本被告の反省も認めた。
しかし、結論は同じ死刑。動機の認定は変わらず、特にくみ子さんと雄登ちゃんの殺害を「いわば理由なき殺人にも匹敵、強い非難に値する」と断罪した。(<中>に続く)
【宮崎市の家族3人殺害事件】傍聴席から見えなかったもの 我慢ばかりで本音言えない コントロール超えた衝動 3回続きの(中)
47NEWS 2012/07/21 18:18
宮崎刑務所の独居房は、隙間風が入り込む、白い壁に囲まれた4畳。ここに来て、気付いたことがある。「昔から我慢ばかりして、僕はいつの間にか本音が言えなくなっていた」
1988年2月、福岡県で生まれた奥本章寛(おくもと・あきひろ)被告(24)。3人兄弟の長男で、棚田が広がる山の麓で18歳まで過ごした。
幼いころから、気が弱かったという。「もめ事が嫌いで自分から謝るほうだった。人に好かれたくて、周りに合わせて我慢することが多かった」
小学校から高校までは剣道一色の生活だった。稽古では、しごかれていつも泣いていた。辞めることばかり考えた時期もある。しかし、剣道の推薦で高校に進学、主将を務めるまでになった。
奥本被告の実家の家族は「反抗期らしいものはなかった」と振り返るが、それは、イライラを人前で隠していただけだった。小学校高学年のころは我慢できないときに棒で石をたたいた。その後、感情を抑えられなくなったことは記憶にない。
福岡高裁宮崎支部の控訴審で実施された心理鑑定の報告書は、情緒面をこう分析したという。
「普段は外からの刺激に節度を持って対応できる。しかし、衝動を抑圧しているため本音を出せない。衝動を小出ししないため、コントロールできなくなったときの耐性は訓練されていない」
義母池上貴子(いけがみ・たかこ)さん=当時(50)=と妻くみ子さん=同(24)、生後5カ月の長男雄登(ゆうと)ちゃんの3人との同居生活は、奥本被告にとって我慢の連続だった。義母に叱責されても謝り続けた。「お金がなくて、結納や結婚式ができなかった自分が悪いんだ」と。
働き手は自分一人で、家族のために仕事をするのが役割だと思っていた。でも、義母と妻子の「仲間」に入ることはできず、仕事が終わっても会社の近くに止めた車の中で深夜まで過ごし、出会い系サイトで知り合った女性にメールした。
そして事件の6日前に義母が言った、故郷を侮蔑する言葉。もうコントロールできなかった。
話し合えば良かったのではと、検事や弁護人に言われた。控訴審判決も「家裁への調停申し立てなど解決方法を探る手だてがあったはずだ」と指摘した。しかし、当時の奥本被告は気持ちを表現する言葉を持っていなかった。「人と議論したことがなくて。どうしていいか分からなかった」
妻子と3人で暮らし、公園で雄登ちゃんとキャッチボールをするのが夢だった。「1人で解決できると思って一生懸命やったけど、僕には、そんな力や知識がなかった」(<下>に続く)
【宮崎市の家族3人殺害事件】傍聴席から見えなかったもの 短い審理、息苦しい法廷 「思いが伝え切れず」 3回続きの(下)
47NEWS 2012/08/09 07:05
2010年11月24日、宮崎地裁の204号法廷。奥本章寛(おくもと・あきひろ)被告(24)の裁判員裁判は5日目を迎え、検察側の被告人質問が行われていた。
「出会い系サイトで知り合った女性とメールするくらいなら、妻に連絡しようと思わなかったんですか」
「…」
「分からないなら、分からないでいいですよ」
「はい分かりません」
家族3人を殺害した動機や、当時の状況を問われた奥本被告は、何度も「分かりません」と繰り返した。本当に分からない質問もあった。しかし、検察官が時間を気にしていることに気付き、即答できなければ「分かりません」と答えた。
奥本被告の目の前には、裁判員6人と裁判官3人が並ぶ。背後の傍聴席は満席だった。
「息苦しくて、証言台では足がガクガク震えた。弁護人も厳しい顔で質問するので、味方は誰もいないような感じで、早く終わってほしかった」
午前から夕方までの約5時間。検察側と裁判所側からの質問は、計1400を超えた。
拘置施設に入って以来、人と話す機会も減っていた。「話すのが久々で、頭が回転しなかった部分もあったと思う」と奥本被告。弁護人には、疲れ切っていたように見えた。
初公判から求刑まで6日間だった一審宮崎地裁の裁判員裁判。奥本被告には「時間も短く、思いを伝えきれなかった」という思いが残っている。
09年に裁判員制度が導入され、刑事裁判は調書など書面による証拠よりも、法廷での証言や供述を重視するようになった。同時に裁判員の負担を考慮、短時間で集中的に審理するようになった。
元東京高裁判事の村上光鵄(むらかみ・こうし)弁護士は「裁判員裁判で被告の弁解の時間が十分取れないとすれば、構造的問題。重大事件の被告が未熟で意図を表現できない場合、プロの裁判官より審理に時間をかけ、話しやすい雰囲気をつくるべきでは」と話す。
福岡高裁宮崎支部の控訴審判決は、奥本被告の「分からない」について、「答えられないのがやむを得ない質問もあり、反省していないと評価するのは相当ではない」としつつ「過大には評価できない」と述べ、一審判決を揺るがす要素とは認めなかった。
独居房で毎日、事件のことを思い返す。3人の冥福を祈り写経。仏教を学ぶことで、償いになればと考えている。
最近、文章の書き方に関する本を読み始めた。「気持ちをうまく言葉にできるようになりたくて」。それが願いだ。(了)
(共同通信)
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