僕らはなぜ、イスラムの戦地を目指すのか?──死ぬ間際でも、イスラムを意識していた……
【「宗教」を学ぶ:座談会拡大版(2)】シリアの戦地を踏んだ若者たちが本音でトーク
週刊ダイヤモンド編集部 【第229回】 2014年11月13日
敵への首切りや奴隷制の復活など過激な行為で、世界中でニュースとなっているイスラム教過激派組織「イスラム国」。彼らが勢力を伸ばしているのは、「アラブの春」以降に内政が混乱したシリアとイラクで、現在も米国による空爆など激しい戦闘が続いている。
週刊ダイヤモンドでは、11月15日号(11月9日発売)の第1特集「ビジネスマンの必須教養 『宗教』を学ぶ」で、内戦下のシリアで、戦闘に参加したり、反政府組織に接触した若者たちに座談会を掲載した。ここでは、誌面に収めきれなかった、若者たちの目で見たシリアと反政府組織の“実像”を、3回にわたって紹介。前回に続き、今回は第2弾をお届けする。
(構成/週刊ダイヤモンド編集部 森川 潤)
<プロフィール>
*常岡浩介(つねおか・こうすけ)
45歳。早大卒。長崎放送記者を経て1998年フリー記者。チェチェンなどで戦争取材を続け、ロシアなどで政府系組織に誘拐された経験も。シリア内戦ではイスラム国にも接触。
*鵜澤佳史(うざわ・よしふみ)
26歳。元戦士。中学卒業後、自衛隊を経て大学に入学。その後農産物販売会社を起業。2013年4月にシリアを訪れ、反政府組織ムハンマド軍のメンバーとして戦闘に参加。現在は会社員。シリアでの経験をまとめた書籍を執筆中。
*鈴木美優(すずき・みゆ)
24歳。ジャーナリスト。横浜市立大学在学中の2013年9月、シリア北部の村を取材し、自由シリア軍やヌスラ戦線にインタビュー。14年3~7月、シリア国境に面するトルコの都市に滞在。
*谷川ひとみ(たにかわ・ひとみ)
27歳。大学院生。2013年8月、チェチェン人を主とする外国人義勇兵を訪問し、なぜ旧ソ連出身者がシリアで戦っているのかを追った。滞在地で毎日、アサド政権からの砲撃があった。
──イスラム教に改宗されたのはいつですか?
鵜澤 初めは改宗するのはめんどくさいと思ったんで、自由シリア軍に行ったのですが、世俗的な自由シリア軍でさえも、仏教徒じゃ難しいよと言われて、仕方ないからと(改宗しました)。
鈴木 確かに、自由シリア軍にはキリスト教とかはいました。
常岡 自由シリア軍にはアラウィー教徒だろうが、キリスト教徒だろうが受け入れることになっていますね。
鵜澤 (彼らにとって)キリスト教とユダヤ教はまだOKなんですね。(元々が)同じ神様なんで。仏教徒は全然わけわかんないものを信じているからダメって、神道も。
──イスラム教徒には劣るが、自分たちと同じく旧約聖書を聖典のひとつとする「啓典の民」として存在は認めるというものですね。今、イスラム国が奴隷化しているというヤジディ教徒も異教徒なんですかね?
常岡 ヤジディ教は、彼らが崇めている“天使”が、イスラムで言うイブリース、キリスト教ではルシフェールと呼ばれる“悪魔”に当たる存在です。つまり悪魔を神として崇めていて、(イスラム国には)悪魔崇拝者だと言われています。無神論者より悪いという扱いになっていますね。
鵜澤 それだと、徹底的に敵対しますね。
──ちなみに鵜澤さんが参加されていた組織の信仰はどうだったのですか? やはり、信仰より、政権への怒りがあったのですか?
鵜澤 アサド政権がシリア人の虐殺をしていて、倒さなければいけないというのが根底にありました。原理主義の人たちは、表向きは「シリア国民のために戦っているのではなく、あくまでアッラーのために戦っているんだ」と言うのですが、裏側にはやっぱり同胞を助けたいという気持ちがあるのかなと僕は感じましたね。
常岡 それが一致してるんだと思います。アッラーのために戦うんだけども、アッラーに反する存在としてのアサド政権というものがあって、敬虔なイスラム教徒や他のいろんな民衆が苦しんでいる中で、苦しんでいる人たちを救ってアサド政権と戦うのはアッラーのための戦いになる、という考え方だと思います。
■敵よりも恨まれ憎まれるのは金で動く裏切り者
──戦いの中では、「怒り」はモチベーションになっていますか?
鵜澤 あんまり、「怒り」というのは感じなかったですね。彼らはベースに宗教があって、生活の中で怒ることは、あまりよくないこととされてるんですかね。
常岡 チェチェン人と一緒にいた時、彼らは「聖戦士に怒りはない」っていう言い方をしていました。「怒りで戦うのではなくて、アッラーの愛に満たされて戦うのである」と言う人は結構いましたね。
鈴木 それが仕事だみたいな。アッラーの仕事だから、と。
──すると、怒りの連鎖が内戦につながっているわけではない?
鈴木 反政府軍の人たちは、アサド政権は背教者だって言うんですが、特に腹が立つみたいなことを言うわけではなくて、アッラーのためにということを繰り返していますね。
常岡 怒りは、多分、自由シリア軍とかのほうが多いんですかね。
鈴木 自由シリア軍のほうは「革命」という意識が強いと思うんです。
鵜澤 怒りというより、トップ層のほうは割と冷静に物事を見ているイメージでした。
鈴木 自分の家族が亡くなった人も多いですが、それでも特に怒っているっていうよりは、俺が戦うとか、純粋にただ悲しいっていうふうに言っていただけでした。
鵜澤 そうですね。あまり怒りは感じなかったんです。
実は、戦場では、子どもたちも結構、戦うんですよ。地元の16~19歳ぐらいの子が。肉親が殺されて、その怒りで戦いに来ているのかな、と僕も思っていました。
子どもたちは部隊の幹部の所に来て、毎晩のように泣きながら懇願するんです。「俺も早く戦わせてくれ」って。ですが、怒りによるものかなって思っていたらそういうわけではなくて、みんな同胞を助けたいみたいな気持ちだと感じました。
ただ、そういう子どもたちは、部隊から止められてても、あまりにも気持ちが強くなって戦場に行くんですが、経験がないからすぐ死んじゃうんです。
谷川 私は「シャビーハ」に対する怒りとかは結構、話していて感じました。
常岡 シャビーハは、アサド政権のアラウィー教徒で構成する武装集団と言われています。政権による暗殺なんかを昔から仕切ってきたとか言われています。
鈴木 確かに、恨みの対象みたいになっている感じはします。
鵜澤 秘密警察とはちがうんですか、シャビーハって。
常岡 違いますね。
谷川 なんか、政権の小間使いみたいな感じなんですか。
常岡 そんな感じでしょうか。
鈴木 秘密警察が雇ってるっていう感じですよね。なので、余計に裏切り者っていうか、同じ民間人なのに金のために動く、より汚い人たちみたいなイメージです。
鵜澤 裏切り者に対する彼らの憎しみって強いですよね。
常岡 敵よりも裏切り者のほうが厳しいですよね。
鈴木 うん、うん。
鵜澤 そういう意味では、裏切り者に対する憎しみはあるかもしれないですね
■天国に行った チェチェン人の血は いい匂いがする
──ところで、戦場で、彼らにとってのイスラム教の重要性を痛感させられる場面はありましたか?
鵜澤 象徴的に彼らがイスラムだなって思ったのは、僕が砲撃で吹き飛ばされたときですね。
周りにいた仲間たちがみんなやられる中、僕より手前にいた機関銃手がもっと重症を負って死んだんですけど、死に際に「アッラーの他に神なし」って言って死んでいったんです。本当に死ぬ間際でもイスラムを意識して死んでったんです。
──「助けてくれ!」とかじゃないんですね。
鵜澤 ないんです。本当に「アッラーの他に神なし」でした。その後に天国に行くのを意識していたと思うんです。
他にも、他部隊のチェチェン人指揮官が迫撃砲でやられて、僕が入院している病院に運ばれてきたんですが、その時、看病していたボスニア人が「これ、さっき死んだチェチェン人の血なんだ。いい匂いするだろう」って言うんです。「天国に行ったからいい匂いがするんだ」と言ってたんですが、彼らは現世はあくまで仮のものであって、本当の人生は死後に始まるというスタンスがあって、そういう死生観の違いが生き方の根本的な価値観というか、そこがそもそも違うと思いました。
──鈴木さんは、改宗された理由はありますか?
鈴木 サハラのモーリタニアでイスラム教徒しかおらず、村人も「イスラム教徒しか見たことがない」という村に行ったんですが、そこは、10日間ぐらい電気も水もないところで、でも、信仰だけはあって生きているのを感じて。
──ムスリムでないと、取材は難しかった?
鈴木 そうですね。私はずっと3月にヌスラ戦線にくっついて行ったんですが、改宗していないと色々と難しさもあったんじゃないかとは感じました。もちろんムスリムでなくても、ニカブとかは着ていったと思うんですが。
──難しさというのは?
鈴木 まず、向こうに仲間意識を持ってもらえますよね。ブラザーとかシスターと呼び合うので。そんな感じで呼び合うと、隔たりがちょっと消えますね
── 一般市民と戦士で、信仰に違いはありますか。
鈴木 いや、そこは共通だと思います。そこが戦場か戦場でないかっていう違いだけですね。
常岡 そもそもシリアは戦争が始まる前までは全然、宗教色がないアラブって言われましたね。
谷川 私は最初、シリアでも「ムスリムではない」と明らかにしていなくて……。
鵜澤 聞かれないですか。
谷川 聞かれもしないので特に自ら言う必要もないし、私はチェチェンとかに行って彼らの生活の仕方はわかっていたので、それに合わせてやっていました。「ムスリムになったら?」みたいなことは言われたりもしましたけど。
鵜澤 「イスラム教徒になれ」と、みんながみんな言われるわけではないんですね。
谷川 コーカサスの人はそんなに言わないですね。
常岡 コーカサス人というか、旧ソ連の人は、イスラムでないのが周りにいるのが当たり前ですから。
僕がアラブが苦手で旧ソ連が好きなのは、アラブってイスラムが当たり前だと思っていて、イスラム教徒じゃないと異常と思われてしまうので……、アラブだって本当は多様性のある社会なのに。
旧ソ連では、「自分はサラフィー(イスラム教の厳格派)だ」と言いながら、「アラブ人のサラフィーとは違う」と言い張りますね。
谷川 確かに、みんなといるときは私にも「ニカブを被れ」と言うのですが、たまたま誰かと二人になったら「取っていいよ」って言い出します。
■コーランの文脈を無視したイスラム国の「首切り」行為
──ちなみに、常岡さんはいつ改宗されたんですか。
常岡 2000年の2月、モスクワで改宗しました。もともと、92年にアルジェリアに行った時が、最初のイスラム世界の接触で、コーランを勉強しなければと思い、一人でコーランを読んで勉強するようになりました。
最初は訳がわからなかったんですが、90年代の半ばぐらいにはイスラム教徒になりたいと思いまして、タイミングを図っていたのですが、フリーになってから最初に行ったアフガニスタンでは、戦争が続いていて、そういう所で改宗するのは後味が悪いと思い、チェチェンの取材に行ったついでのモスクワで改宗しました。
──すると、鵜澤さんのように必要性に駆られてではない?
常岡 そうですね。僕はコーラン一冊でイスラム教徒になったと言ってもいい人間です。世の中にはスンニ派とシーア派がいて、あとスンニ派の中にサラフィーだのがいるわけなんですが、コーラン以外の「イブン・タイミーア(13世紀のシリア人イスラム法学者。コーランを字義通り厳格に解釈する立場で多くの著作を残した)」を読んでどうのとかをやってないので……。
私からすると、イブン・タイミーアは馬鹿げているんですよ。コーランに並ぶ経典とされる「ハディース」も僕には馬鹿げたものにしか思えない。コーランは、7世紀のアラブ世界で書かれたこととは分からないぐらいの本に思えるんですけど、ハディースはアラブの当時の思い込みがいっぱい混じっているように感じます。
そもそも、コーランは神の言葉とされていますが、ハディースはムハンマドとその弟子たちが喋ったことや、したことをまとめた本なので、違うのは当たり前なのですが、ハディースが信仰の対象になっているのが僕はおかしいと思っています、そういう考えは、一般的なイスラム世界からは異端視されると思いますが。
──逆にいうと、イスラム教は7世紀のコーランから変容する部分が全然あり得ないのでしょうか。
常岡 イスラムが始まったのが7世紀ですが、9世紀にイスラムの解釈を独自にすることが建前上禁じられてしまってるんです。それまでにできた解釈を基に勉強しろみたいになっていまして……。
鵜澤 最近、サラフィーとは別に柔軟に解釈を変えているような考え方があると聴きましたが。
常岡 ちゃんと解釈していく動きは常にあるんですが、イスラムの場合は、キリスト教と違ってローマカトリック教会のような組織があるわけでもないので、解釈をまとめる存在がないんです。
それは、「異端」というような存在も生み出さないので、非常に自由とも言えるのですが、一方で“正しいこと”をまとめる存在もないので収拾がつかない。みんなが「俺イスラム」になってしまう。
そこが良い部分だとも思うのですが、サラフィーの人たちは、それが気に入らず9世紀のままでやっていこうとしているわけです。イブン・タイミーアは13世紀の人ですが、教義問答みたいなことをすること自体を禁止しています。
まず、コーランは7世紀のアラビア語で書かれているので、単語自体が非常に少なく、その分一つ一つの単語の意味が非常に広いんですよね。なので、解釈の幅が広くなる分、文脈で読まないといけないわけですが、サラフィーは絶対に文脈で読むことを拒否しているのです。
例えば、「あなた方が敵に会ったらどこでもその首を打ち取りなさい」っていう表現。それは敵に攻撃されている戦闘の中での教えなので、例えば逮捕されている捕虜とか囚人を見せしめで首切るのは、文脈上おかしいということになるはずなのですが、イスラム国は今、捕虜とかの首をどんどん切ってさらしていますね。
「敵に会ったらどこでも首を討ち取れって書いてあるから、これでいいんだ」っていうのが彼らの主張なのですが、つまり文脈を無視しているんです。
■豆みたいな装備でも「アッラーがついている」と気合と根性で敵に突進
──イスラムの戦士たちはコーランを読み込んでいるんですか?
常岡 最近は、一生懸命勉強している人たちは多いですね。シリアはもともと、イスラム法学の研究が進んでいたところで、インテリっぽいアラブなんです。イスラム法学だけでなく、医学とかも進んでいたし、一時期は核兵器も作れるんじゃないかと疑われたりもしましたよね。
──そこは、戦場で感じられるところはありました?
鵜澤 僕のところは、50歳ぐらいのエジプト人が部隊の司令官にいて、コーランの指導者みたいな役目でもあったんですよ。
コーランの輪読を宗教施設の中でやったり、戦闘中の休憩時間にコーラン読んだり、襲撃作戦が目前に迫る中で、精神を落ち着かせるためにコーランを読んだり、そういう場面はよくありましたね。
──その時は鵜澤さんもコーランを読まれるんですか。
鵜澤 読まない(笑)。だって、僕はコーランを読んでも精神は落ち着かないし(笑)。ひたすら目の前のことに集中していました。
──首切りの話がありましたが、規律はどうでしたか?
鵜澤 僕は首切りまでは出くわしたことはありませんが、人の物品を取ってもいいかというと、「敵のものだったらどれだけでも取ってもいい。だけど一般市民のものは絶対取るな」と、厳格に定められていました。
シリアのアレッポ周辺の駐屯地には、周りは普通の民家で誰もいなくなって、敵の大佐の家があったんです。豪勢な家だったんですが、周りの家は全然手付かずだったのに、大佐の家の中だけはベッドからなんから引っ剥がして、金目のものは全部、サラフィーの人たちは取って行きましたね。ある種そこでメリハリが効いているというか……。
──逆に、怖かったりびっくりしたりっていう場面はありましたか。
鵜澤 戦いは、今まで戦争映画とか小説で読んだものよりも圧倒的に怖かったですが、彼ら(戦士)に対して言えば、むしろすごく優しかったですね。
自爆テロを強要されるんじゃないか、とかビクビクしてたんですけど、全然そんなこともなかったですし、捨て駒みたいな感じで使われるかと思ったら、命懸けで銃弾が飛び交う中で救出してくれたりとか、そういう場面にしか僕は会わなかったです。運がよかったのかもしれないですが、彼らには、本当に助けられましたね。
──敵はどうでしたか? 生身の人間としての実感はありましたか。
鵜澤 僕が直接会ったのは、全部重火器だけだったんです。戦車とか装甲車とか……。拠点が空港だったり、刑務所だったりと大規模施設が多くて、内側を重火器で固められて、なかなか近づけない場所だったんですよ。
──すると、持っている武器のレベルが違ったんですか?
鵜澤 全然違います。爆撃機から迫撃砲をボンボン撃ってくるんですが、こっちはカラシニコフとマシンガンだけ。豆みたいな装備だったんです。
でも気合と根性で「お前らにはアッラーがついているからな」って突っ込んでいくんです(笑)。仲間で、今生き残っているのは3割もいないと思います。
■日本では得られない死を目の前にした仲間同士の戦場の絆
──今も仲間と連絡は取っているのですか。
鵜澤 Facebookで写真が挙がってくるんですが、顔を出して映ってくるのは、みんな死んだ仲間たちですね……。集合写真を見ると、3カ月後の時点で、2~3割しか残っていませんでした。死傷率が非常に高い。
僕もたまたま生き残りましたけど、基本的に圧倒的な火力の差があるので、太平洋戦争でアメリカ軍と戦う日本軍みたいな……。こっちの究極兵器が自動車爆弾での自爆攻撃みたいな感じで、普通の豆みたいな兵器しかなかったです……。
谷川 私は村の中、戦闘も見せて下さいとも言っていなかったのですが、それでもバンバン毎日のように砲撃されましたね。戦闘員はほとんどいなくて、8~9割が非戦闘員の住民なのに、毎日毎日戦車砲で攻撃されて、数百メートル内ぐらいにバーンと落ちて火事が起きて、「ここ、戦闘員、ほとんどいないんですけど」って思ってびっくりしていました。
山の上から下の町が見えたのですが、鵜澤さんがおっしゃったように攻撃が一方的なんですよ。夜になると赤い線で見えるのですが、全部一方的で……。逆方向への攻撃はひとつもなくて、火力の差をすごく感じましたね。
鵜澤 本当、一方的ですよね。
谷川 私を撃ってきたのは向かいにある基地で、向こうからいつも撃って来るのを見ていると、ここは戦闘員同士の戦場ではないはずなのに、民間人が犠牲になるだけだなと、強く感じました。
──実際、死ぬ覚悟で戦った者同士の結束感は、日本では得られないものだったのでしょうか?
鵜澤 圧倒的に違いますね。
自分が本当に死ぬって思っている時に仲間が必死になって助けようとしてくれるんですよね。それでも、すぐにマシンガンが打ち込まれて、できなかったりするんですけど、そういう姿勢を見せてくれるだけでも、なんかシンパシーが湧きました。戦場から引きずり出してくれた時にも、日本では感じたことがない、ものすごい感謝というのを感じました。感謝という一言では言い表せないくらいの戦場の絆というか……。
──確かに、日本で命をかけて戦う場面はありませんね。
鵜澤 逆に、僕は、自分は自分、イスラムの人はイスラムの人、と割り切って考えてしまって、仲間が負傷したときに、助けに行けなかったんです……。今すごく後悔しているのですが。
動いたらすぐに撃たれるような100mぐらいの至近距離でマシンガンをがんがん打ち込まれた状況だったんですが、その時に助けに行けなくて……。結局、別の仲間が助けに行ったんですけど、自分が行けなかったことを後悔しています。
──じっくり考えられる判断ではないですよね。
鵜澤 考えたらできないです。反射なんで。子どもだったら助けに行っていたかもしれないですが……。
(続く)
僕らはなぜ、イスラムの戦地を目指すのか?──戦場に来ているのは“落ちこぼれ”じゃない
【「宗教」を学ぶ:座談会拡大版(3)】シリアの戦地を踏んだ若者たちが本音でトーク
週刊ダイヤモンド編集部 【第230回】 2014年11月14日
敵への首切りや奴隷制の復活など過激な行為で、世界中でニュースとなっているイスラム教過激派組織「イスラム国」。彼らが勢力を伸ばしているのは、「アラブの春」以降に内政が混乱したシリアとイラクで、現在も米国による空爆など激しい戦闘が続いている。
週刊ダイヤモンドでは、11月15日号の第1特集「ビジネスマンの必須教養 『宗教』を学ぶ」で、内戦下のシリアで、戦闘に参加したり、反政府組織に接触した若者たちに座談会を掲載した。ここでは、誌面に収めきれなかった、若者たちの目で見たシリアと反政府組織の“実像”を3回にわたって紹介。第1弾、第2弾に続いて今回は3弾目をお届けする。
(構成/週刊ダイヤモンド編集部 森川 潤)
──鈴木さんは、実際に戦地に行かれて、印象はどうでしたか?
鈴木 私はバンバン撃ち合っているところを見たわけではないんですが、今年5月に訪れたハマの北部の方が、アサド軍から塩素ガス攻撃を受けた後の場所で町が崩壊していました。
病院では医者が全滅して、医者も患者として他の病院に運ばれるという事態になっていて、私が行った日の深夜には、さらにアサド軍の攻撃を受けました。基本的に夜のみんなが寝ている時間に、普通の何もない村の病院や学校、モスクなど人の集まる場所を狙うことが多いですよね
──塩素ガスで崩壊した町というのが想像できないんですが。
鈴木 ただ、黒い。匂いも初めて嗅ぐ匂いでした。
白内障というか、眼球が白くなったような被害者もいて、4歳5歳の子どもが重症を負ってトルコに運ばれている間に命を亡くすケースもありました。
鵜澤 塩素ガスはいやですね。
──アサド軍にはどの国が武器を供給しているんですか?
常岡 ロシアとイランです。現場に行った人はみんなアサド政権を問題にするんですけれど、外にいると、イスラム国だけを問題にしてしまう構図がありますよね。日本にはなぜか、アサド政権を支持する人までがたくさんいる……。
鵜澤 今の虐殺映像は全部デマとか、プロパガンダだとか。
鈴木 アサド派はみんなそう言いますね。
常岡 (アサド政権による)化学兵器が発覚した時に、あれは誤ってぶちまけてしまったものであるという見解を話した方も。
鵜澤 ファンタジーですね(笑)。
──世の中には陰謀論がはびこりやすいです。
常岡 日本のメディアが弱いんではないでしょうか。中東も陰謀論が多いんですけど、それは情報がちゃんと公開されていないからっていうのが大きいですね。
谷川 留学している時、アラブ人の大学の先生がたくさん来て講義してましたけれど、彼らも陰謀論ばっかりなんですよね。インテリっていう人たちまでも。それはさすがにびっくりしました。
■イラク戦争直前のフセイン政権に似たイスラム国の体制
──この中で、イスラム国と接触されたのは常岡さんだけですね。
常岡 3回行っています。もともと「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」が「イスラム国」を名乗りだしたのは6月末ですね。突然、(指導者の)アブバクル・バグダディが「カリフ(ムハンマドの後継者で、イスラムの最高権力者)」を名乗り、「今日からイスラム国である」と言ったわけです。
それまで、シリア側で活動するISISだった時は、バグダディの直接の影響もほとんどなく、他のグループとあまり差はありませんでした。その時点でも一番残酷だと言われていましたが。
3回目に行った時に分かったのは、支配領域の民衆にインターネットも使わせなかったり、プロバイダや携帯電話も全部禁止にしたりしていることでした。理由は、スパイ利用されるから。結局、命令系統は無線しかないのですが、命令は上から下には行くけれども、下から上へのフィードバックが全然行かなくなっている。
そういう体制って、心当たりがあるんですよ。2003年に行ったサダム・フセイン政権におけるバグダッドがまさにそうでした。イラク戦争直前のフセイン政権で、バース党が秘密警察にずっと支配されていた時代のことですね。
イスラム国のバグダディも(イラクに)米軍が来た時に出現した抵抗運動の主導者の一人だったようですが、元から首切り作戦ばかりやってるような人のようです。
今、イスラム国の幹部になっているのは、バース党の元幹部だそうで、要は、サダム・フセインの政権の残党です。そうなると、イスラム国の中身は、サラフィー(イスラム教の厳格な復古主義を主張し、7世紀のカリフ時代を理想とする。一部が過激派に)ですらないのではないか、と感じます。
今、バース党の残党でやっているのはナクシュバンディ軍だと思われますが、彼らはサラフィーと敵対関係にあるスーフィー(イスラム教の神秘家)なんです。そうなると、事態がちょっとおかしくみえる。つまり、イスラム国にとってサラフィーの理念はあくまで後付けであって、カリフ制再興がサラフィーの中で高まっているのを、あくまで利用しているだけじゃないかと、僕は考えます。
鵜澤 ちゃんとした人たちは利用されていると知っている?
常岡 はい、そう思います。
僕は、イスラム国の中に知り合いがいて、エジプト人で、ムバラク政権に何十年も抵抗を続けてきて服役して、刑務所で拷問を受けたりしてきたような人です。
前回会いに行った時に、彼に打ち明けられたのが、仲間がバグダディに対するバイア(忠誠)を取り消すべきだと表立って発言したところ、すぐに捕まえられて処刑された、と。その後、何日も食事ができないぐらい悩み、「今のイスラム国はまともではない」という言い方をしていました。
シリアの反政府組織は、外国人が所属するのは「イスラム国」、シリア人は「ヌスラ戦線」という風に、入る組織が分かれていたりするのですが、ずっとシリアの内戦を戦っていた人たちの中には、「今の状況はかなりとんでもない」と考えている人が増えています。暴力は内側に向かっていますんで。
英紙が書いていましたが、イギリス人で帰国を希望している人に対して、処刑の危機が迫っているという内容がありました。内部の裏切り者を恐怖で締め付ける方向に行っていますよね。
鵜澤 それ、シリアも同じですか。
常岡 シリア内でのことです。
■カリフが出てきた!その喜びからイスラム国に合流していく戦士たち
──バグダディには、それほど求心力があるのでしょうか?
常岡 本人は、自分はバグダッド大学のイスラム法学の博士号過程修了と言ってますが、僕は怪しいと思っています(笑)。
バグダディ本人は、前から「イラクのイスラム国」を名乗っていて、以前から国づくりを目指してたとは思うのですが、「カリフ制」の再興をやたら掲げ出したのは結構最近のことですね。
──過激派の人たちのアイコンになっているのでしょうか?
常岡 バグダディ本人は、一度しかメディアに出ていませんね。7月にYouTubeにアップした金曜礼拝の説教の映像ですが、演説の内容は当たり障りがなく、彼の思想も未だによくわからないままですが、唯一他のグループと違うのは、彼が「カリフ」を宣言したということだけです。
今、サラフィーの人たちはみんな、「カリフ制を再興し、シャリーア(イスラムの儀礼的日常的生活規範)が指向されるようになれば、みんなが幸せになれる」という考えを持っているんです。でも誰もカリフ制再興は実現できてないという共通認識がある中で、突然「俺がカリフだ」と言い始めたのがバグダディなんですよ。
当然、大半の人は、「お前がカリフっておかしいでしょ」と思うわけですが、カリフ制再興に憧れを持ち続けた人たちは、「カリフ出てきた、やったー!」と反応しちゃうんです(笑)。そういう人たちが世界中から集まっちゃう。
鵜澤 (自分が所属した)ムハンマド軍は、結構二分しているんですよ。イスラム国に合流する人とと、独自に戦っている人に。
常岡 「カリフ出てきた、やったー!」の人たちは、行っちゃうんじゃないですか?
鵜澤 特に残虐ではなかったんですけど、優秀なチュニジア人の40代ぐらいの副隊長が合流したみたいで……。
常岡 残虐なことをしたくて行くわけではないですよね。結果的にそうなっているのは、恐怖心で押さえつける政策をバグダディがとっているからと思うんです。参加する人たちは残虐なことをしたいというよりは、カリフ制が素晴らしいといって行くわけですよね。
鵜澤 残虐なことをしているのは知ってるんですかね?
常岡 カリフの命令であればジハード(聖戦)は正当化されるとか、「カリフの命令であれば」という理念を持っていますから、残虐に見えるが、カリフが命令している以上、正当な理由があるはずだろう、みたいな考え方をする傾向があるんじゃないでしょうか。
鵜澤 確かに、彼らは、盲目と言えば盲目ですからね。
──実際に合流された方に聞くしかないですね。
鵜澤 実は、合流した仲間にFacebookでメッセージを送ったことがあります。
何で合流したか聞いたら、彼は「色んな報道があるが、欧米メディアのプロパガンダだよ」とか言っていたんです。
3万人も部隊がいる大きいところなので、場所によるのかな、とも思ったんですよね。結構、重要な視点かなと僕は思っています。
──確かに、イスラム国によるヤジディ教徒の奴隷化は、話題になってますね。
常岡 一般的に、イスラムは奴隷を開放する宗教だと言ってきたんです。ムハンマドが所有していた黒人奴隷「ビラール」は、イスラムに改宗したことで解放され、イスラム世界の偉人になったという経緯があって、ムスリムの平等という原則もそこで象徴されています。それで、ヨーロッパよりも先に奴隷を否定して解放したと言うわけです。
ですが、サラフィーというのはコーランをあくまで字義通りに捉え、解釈は徹底的に拒否するという立場なので、ムハンマドが奴隷を所有していた時代があるということは「奴隷制は許されている」という方向に行ってしまう。異教徒だった時のビラールは奴隷だったので、「異教徒は奴隷でいい」という考えになっているんです。 それで、異教徒としてのヤジディ教徒は奴隷でいいのだ、という主張しているわけです。
死んで天国に行くと72人の絶世の美女に囲まれ生活できる?
──これまで奴隷という手段をとった組織はあるんですか?
常岡 実は、チェチェン人が、ロシア兵の捕虜を奴隷化して取って来るというのがありました。
谷川 何をさせるんですか。
常岡 畑を耕させる(笑)。でも僕が一時期世話になっていた家にはロシア兵の奴隷が二人いたんですが、畑は耕されてたけど、二人とも逃げちゃった(笑)。
鵜澤 イスラム国に、ヤジディ教徒が性奴隷として扱われているという報道がありますが、自分が見てきた限り、サラフィーは性行為には厳しいはずなんです。
鈴木 確かに想像できない。
常岡 でも、サラフィーでも、痴漢だって中東にはあるわけで。
鵜澤 サラフィーにも?
常岡 サラフィーもあります。
結局、システムを作っているのはサラフィーだけど、利用する側はサラフィーではないという構図があって、サラフィーでなくても金で買ってしまう悪いやつはいくらでもいますしね。
谷川 私は、寮にいるアラブ人にたくさん誘われましたが、「そんなに言うんだったらいくら出してくれるの」って聞いたら、ゲンナリして「そんな悲しいこと言うなよ」って言われました(笑)。
常岡 結納金ですよ(笑)。
谷川 「ちょっと美味しいもの食べさせてくれるとかないの?」って聞いたら、「なんでそんなことしなきゃいけないの」と開き直られました(笑)。本当に一番、話を聞かないのがアラブ人で、特にシリア人は聞かない印象です。仕方がないから、私は唐辛子の粉をそいつに撒いて追っ払いました。
常岡 どうなったの?
谷川 くしゃみして泣いてました(笑)。キッチンで、「ふぇーっ」て泣いてましたよ。
鵜澤 やばい。
谷川 それくらいしないと、話聞かないですけどね。鈴木さんはそういうのなかった?
鈴木 私はずっとニカブ(イスラム教の女性がつける目以外を覆い隠すベール)なので。
常岡 ニカブ着けたら大丈夫?
鈴木 ニカブ着けたら、本当に親しくなった人しか、目は合わせてきませんね。
常岡 真面目な人とだけ付き合ってたんだね。
鈴木 シリアでは私は「ムスリムだ」と言い張ってました。世俗的な自由シリア軍の場合は適当なので、車で隣り合わせに座ってもいいかとか聞いてきましたが。
鵜澤 僕の知り合ったシリア人は、欧州留学した時、女の子から結構誘いがあったらしいんです。
それで思い悩んで師に教えを仰ぐと「それは良くないことだ」と忠告され、頑なに貞操を30歳まで守り通したといってました。
谷川 頑張りますね。
鵜澤 そういう人が周りには結構多かったので、あんまりネガティブなイメージはないんです。
谷川 友達の真面目なアラブ人が「あいつは異教徒だから、こんにちは、も言いたくない」と言っていて、他のアラブ人に強制しようとしていましたね。
常岡 サラフィーの人?
谷川 はい。
鵜澤 それは、異教徒がいなかったからわからないですね。
うちの部隊では、タバコ吸っただけで大問題になってましたよ。「誰の吸殻だ!」って。殺されるんじゃないかと思いましたが。
──タバコはなんで禁止されているんですか?
鵜澤 自殺禁止なんです。基本的に、自分の体を痛めつけることは禁止なんです。
常岡 自分を害してはいけない、というのがコーランにあります。
鈴木 自由シリア軍だとぷかぷか吸っていて、ヌスラ戦線だと絶対吸わないし、持ち込みもしない。
鵜澤 トラックとかでタバコを捕獲したら全部燃やしますからね、サラフィーの人は。それで自由シリア軍の人たちが怒るんです。「なんで燃やすんだ!」と(笑)。
常岡 自由シリア軍側だと、タバコは貴重品みたいなものですし。
鵜澤 逆にサラフィーだと、「死んで天国に行くと72人の絶世の美女に囲まれながら生活できる」と言って、それに猛烈なモチベーション感じていまして……。
鈴木 それは皆言いますね。ジハード(聖戦)で死ねば、72人の美女が待ってるんだって。
鵜澤 普段、接しているときは堅いんですが、実はみんな好きという一面もあって、世界の男は皆変わらないんだなぁ、と。
■戦士の給料は1カ月60ドル 生活するには十分過ぎる
──ところで、戦地には日本人やアジア人はいたんですか?
鵜澤 インドネシアはいましたね。マレーシアとかその辺も。
鈴木 私は結構、聞きましたね。「日本人がいるよ」って。
常岡 戦場まではいないじゃないんですか(笑)。
鈴木 でも15、16人数えてた。
鵜澤 僕も聞いたんですよ。でも中国人じゃないか、と。
鈴木 でも、「パスポートは確かにジャパンて書いてあった」と。
鵜澤 マジですか。
鈴木 偽造してるかもしれないですが、「この前1人、日本人死んだよ」と聞きました。鵜澤さんじゃない?(笑)
鵜澤 じゃない、じゃない(笑)。死んだことになってたのか、「お前生きてたのか」とか言われましたけどね。
鈴木 なんか日本人が13人やってきて武装して、半分ずつヌスラ戦線と、アフラールシャームに分けられたという話を聞いたんです。逢いたくてしょうがなかったんですけど……。
──ちなみに鵜澤さん、給料は出たんですか。
鵜澤 1カ月60ドル。
鈴木 あ、もらえるほうですね。
常岡 そういう感じなんですね。イスラム国もそのくらいって聞きましたけど。
鈴木 ヌスラは少ないですね。
常岡 いくらですか。
鈴木 10ドルとか。
常岡 10ドルは少ないな。
鈴木 部隊によっても違ったりとか、近くの難民キャンプに流れたりとか、ヌスラの試験でパンを配ったりとかで、給料がちょっと減っちゃうんですって。
鵜澤 人が多いとそうなりますね。うちは食料とかも部隊が全部用意してくれて、まとめて町に買い出しに行って炊事当番が作るかたちでした。給料は自分の娯楽費として、外食とか、個人的な日用品とかしか使わなかったです。50ドルでも十分過ぎるぐらい。10ドル、20ドルぐらいでもいいぐらいでしたね。
■戦場に来ているのは“落ちこぼれ”じゃない 欧米主導の価値観への疑問
──鵜澤さんは、もう一度戦地に行きたいと思いますか?
鵜澤 今、別の人生テーマを見つけてやっているので、今後は行かないかな。今までは、ずっと「戦い」というテーマを自分に課していました。戦いを通して、 「自分の殻を壊す」ということに重きを置いていたんですが、今は、いかに色んな人と協調し、そこから新しいモノを見出していけるかに今は重きを置いていま す。
自分の今までの価値観と全く違う軸に触れてみることで自分の人間力が高まるかな、と思っているところもあるんです。両親や日本社会への恩返しをしたいというのもあって……。
常岡 びっくりするのは、鵜澤さんって元々、有機農業の会社を自分でやってたでしょう。
鵜澤 そうですね。
常岡 で、戦いに行って帰ってきたら会社員になられた?
鵜澤 フリーランスです。自営業とも言うし、会社員とも言う。会社と契約をして、社員ではないけど、住む場所も仕事場所も場合によって借りて、転々として結構自由な感じでやってるので、遊牧民と名乗っています(笑)。
常岡 シリアに来ちゃう日本人って社会に適合できない“ダメ人間”が多い(笑)。ですが、鵜澤さんは社会にも適合してるところが異端というか、戦場に行く人の中では少ない方じゃないか、と。
鵜澤 戦場に行く理由って、結構違いますよね。
常岡 はい。鵜澤さんは別に戦場マニアじゃないですよね?
鵜澤 マニアじゃないです。僕は元から、日本社会の価値観や枠組みに何か疑念を感じることが多くて、自衛官時代にも、起業したときにも、それは消えなかったんですね。だから、日本の枠組みから抜け出したシリアという場所に行ってみようと思ったんです。
──戦場と一般社会の起業を並列で並べて語れる……。
鵜澤 小学生時代には自殺願望もありました。
そんな自分が嫌いで、「殻を抜け出したい」とも思ってたんですね。そのころ、ある戦争映画を見て、「破壊の象徴である“戦場”に身を置くことで殻を壊す」という目標ができ、そのためならどんな辛いことでも乗り越えて来れた。
自衛官としても耐えてきたし、起業もやれたという側面もあるんですが、その時点で、死にたい願望はなくなったんですよ。一切なくなったのに、メディア報道では結びつけられて……。
鈴木 自爆をしたいとかはないんですか?
鵜澤 自爆って、特攻もそうですが、技術のある歴戦のパイロットは絶対そんなのやりたくないと思っていましたね。それと多分同様で、自爆ではなく戦いの中で自分を高めていきたいという気持ちがありましたから。撃たれて「もう死ぬ」って思ったときは、最後なので突っ込んでもいいと思いましたが。
鈴木 爆弾を装着して?
鵜澤 ただ、やっぱり諦めたくはないです、最後の最後までは。全力を尽くしたいから。
谷川 スポーツマンみたいな。
鵜澤 そうそう、スポーツマンシップ。たまたまそれが、自分はスポーツに向かず、戦いに向いていったんだと思います。「社会とどうかかわっていくか」という意識がありましたから。
谷川 なるほど。
鵜澤 だから、撃たれた相手には恨みも何もないし、戦っているときも決して恨みはなくて、むしろ自分との戦いでした。「この恐怖心をどうやって乗り越えていく」かとかに集中していて、「殺す」という殺意は全くなかった。これまでの報道を見ただけの人からはよく、「人を殺したかった」とか言われるんですよね……。
──「死にたい」「殺したい」ではなくて、「戦いたい」だったと。
鵜澤 ちゃんとした戦い。戦う人の道を極めたいみたいなものがありましたね。
そもそも僕が戦いに向いていったのは、「価値」というものに疑問を感じてから。例えば水の価値って、アラブと日本では全然違いますよね。だから絶対的な価値とか普遍的な価値がないという意味では、「この世の中はバーチャルだな」って感じてました。
普遍的な価値がないから枠にとらわれず、自分の好きな人生を歩めばいいと思ってて、結果として思いを抱いてきた戦士になるという経緯でした。
──ですが、世の中がバーチャルだと痛感したとしても、行動を起こすと起こさないは違いますよね。例えば「資本主義の競争社会を出たい」とかそういう理由で来られた戦士はいましたか?
鵜澤 いましたね。僕は資本主義社会に決して不満があったわけではなく、自分の生き方に理想があっただけで、決して事業がいやだというのはないんです。
ただ、(シリアに)来てる人たちっていうのは、落ちこぼれとかじゃないんです。本当に普通の社会の中でやってきたけども、今の欧米主導の自由資本主義社会の中の価値観に、将来性であったりとか希望を感じられなくて、この先にいい未来があるんだろうかっていう問いがあったんです。
──その問いは、戦場で、皆さん満たされるんですか?
鵜澤 戦場というより、彼らにとっては「カリフ制」なんです。イスラムに則った“原理主義”って敢えて言っちゃいますけど、「昔ながらの生活をする」ということに一つの答えがある、と彼らは信じていますよね。
──これは、周辺諸国から来ている人でもそうですか?
鵜澤 欧州で資本主義社会を見ている人たちとかは特にそうだと思います。チュニジアとかで普通に仕事をしてたけれど、やっぱりそういう(カリフ制)社会の方がいいなっていうことで、仕事も子どもも奥さんもいるけれども、来ている人がいました。
──すると「戦う」のが目的じゃなくて、カリフ制なんですね。
鵜澤 彼らは、多分、「戦い」ではないと思います。
常岡 アラブは基本的には戦争が大嫌いな民族なんですよね。
谷川 私がよく話したのは、ベルギーで小さい頃から育ったチェチェン人戦士で、見た目は普通にその辺にいそうな男の子で「子どもが死んでいるのを見てかわいそうだから来た」と言っていました。特に資本主義がどうとかではなく。
鵜澤 確かに、そういう子もいましたね、ボスニアで。
谷川 学校も行ってたし、特にベルギーでムスリム差別にあったこともなく、不自由なく暮らしてたんですが、テレビを見て、「子ども助けたい」って。
鵜澤 欧州だと日本よりも報道されますもんね。
谷川 チェチェン人だと簡単に道が見つかるんでしょうね。あと、ずっとチェチェンで戦ってて、向こうの状態が悪いから歩いて来たっていう人がいましたね。パスポートも何も持ってなくて(笑)。
鵜澤 そんな人もいるんですね。
谷川 シリアまで1週間歩いて来たって(笑)。
常岡 チェチェン人も最近カリフ制の話をするんです。カリフ制の時代が来たら、国境はすべて人類の間からなくなるんだぜ」とかいう話をするんですが、お前ら最初からないだろう、と(笑)。
──話がそれましたが、すると鵜澤さんはもう戦わない?
鵜澤 本来であれば、戦い抜いて「もういいや」というところでやめようと思ってたんですが、今回それをものすごく打ち砕かれました、徹底的に。1カ月早々で吹き飛ばされましたし。
それで日本に帰らないといけないとなったとき、「もう俺は終わった」と、ものすごい虚無感に襲われたんです。自分の中ではまだ残ってますが、一方で、周りの人の気持ちに対して感謝したり、過去の自分を振り返れるようになったのも事実です。今後は自分の経験を改めて考えながら、学びを得ていきたいですね。
(終わり)
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◇ 「グローバル社会の必須教養 ビジネスマンよ、宗教を学べ」橋爪大三郎 / 「宗教」を学ぶ:座談会 1.