ビジネスマンの必須教養 「宗教」を学ぶ
週刊ダイヤモンド編集部 【14/11/15号】 2014年11月10日
『週刊ダイヤモンド』11月15日号の第一特集のテーマは「宗教」です。
無宗教が57%を占める日本人には理解しづらいかもしれませんが、この世界は「宗教を中心に動いている」ところがあります。
連日メディアを賑わす中東情勢や、欧米各国の行動規範や経済倫理など、世界の動きは宗教の知識を踏まえなければ、その本質がわからないかもしれません。
そこで、グローバル社会で活躍するための必須教養として宗教をなぜ学ぶか、いかに学ぶか、さまざまな角度から掘り下げました。
ここでは、宗教を学ぶ意義について、ベストセラー『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)の共著者で、世界の宗教について比較研究を行う社会学者の橋爪大三郎・東京工業大学名誉教授の記事を一部抜粋して特別公開します。
グローバル社会の必須教養 ビジネスマンよ、宗教を学べ──橋爪大三郎・東京工業大学名誉教授
宗教を知らずして、グローバル社会では生きていけない。
多くの国では、政治も経済も法律も、要するに社会生活の全てが宗教と関わっている。クリスマスに初詣、葬式や結婚式で宗教に触れることはあっても、普段の生活ではほぼ宗教とは無関係でいられる。そんな国は、世界でも珍しい。
ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、信仰の対象としている「神」はどれも同じ唯一の存在である。また、いずれも『旧約聖書』を聖典としている。そんなことも知らずにグローバルビジネスマンを気取っていられるのも、日本人くらいのものだ。
宗教を学ばないビジネスマンは、絶対にグローバル社会で成功できない。そう断言してもいい。
さて、そもそも日本人が「グローバル社会で生きていく」と覚悟を決めたのは、明治維新のときだった。
ところが当時、欧米列強に対し、アジア、アフリカ、ラテンアメリカといった“第三世界”はまったく存在感を示せていなかった。
われわれは欧米列強と互角の存在として認知されるような国造りをしなければならない──。日本は非白人社会の代表として、アジアを欧米の植民地から解放し、文化文明の発展を担うリーダーとなろうとした。
こうした「アジア主義」と呼ばれる構想は、軍事的な動きに結び付き、日中戦争や太平洋戦争につながったため、歴史から封印されたかたちになっているが、本来は戦争と関係なく評価すべき考え方といえる。
敗戦後、日本は外交権を取り上げられ、独立してからも日米同盟に基づいて軍事も外交も全て、米国を窓口にした結論ありきの行動に終始した。グローバル社会の進展にしても、米国主導であって、自ら選び取ったものではない。
自分たちで意思決定をして突っ走ったところ、間違った結果となった。間違わないためにどうすればいいかと反省するのではなく、自分では考えず、強い米国についていけばいいという態度で反省の意を示した。それが戦後の日本だ。
自分で選んだわけではないのに結論がある。こうした状況を一言で言うとしたら、「思考停止」である。よほど100年前の方が、日本は精神的に健全だった。
■米国が発明し広めた「イスラム原理主義」という差別表現
日本人の思考停止状態の最たるものが、「宗教への無理解」だ。
特に現代の日本人は、イスラム社会についてよく知らないし、知ろうともしない。
そもそも欧米のキリスト教国は、イスラム諸国に対して差別意識と、過去に何度も戦い、痛めつけてきたという負い目を持っている。
それに対し、日本人にはイスラムに対する偏見も、戦いで手を汚してきたという負い目もない。だからこそ、イスラムの国々も日本には好意を持って接してくれる。非白人国家で近代化を果たした国として敬意も払ってくれる。
ところが、多くの日本人にとって、イスラム社会については理解する動機がない。だから、理解できない。
自ら選ばなければ、入ってくるのは米国経由の情報である。米国の視点でしか世界を見ることができなくなる。端的な例が「イスラム原理主義」という言葉だ。
米国はキリスト教国だが、いまだに進化論やビッグバンを認めず、旧約聖書の天地創造が真実だと疑わない“困った人々”をやゆして使うのが、「キリスト教原理主義」という言葉である。
その連想から、『クルアーン(コーラン)』を一字一句正しいと信じているイスラム教徒を原理主義者と呼ぶようになった。あくまで米国が発明した言葉で、イスラム教徒は認めていない。そもそも、イスラム教徒はコーランに基づいて生活するが、法学者によるさまざまな解釈のフレームがあって、そのアドバイスに従って行動する部分も多い。その意味では欧米諸国が言う原理主義とは異なるのだが、日本のメディアはそんなことは考えもせず、欧米の用いるバイアスを直輸入して使用する。そして読者も視聴者も、それを鵜呑みにする。
欧米人は、イスラムに対する差別と偏見の意識がある半面、同じ一神教という在り方を共有し、理解している。自分たちの一神教の信仰と違うから拒否反応を示しているわけで、相手の宗教への理解も自分の信じる宗教もはっきりしていない日本人とは根本的に異なる。偏見はない代わりに、相手を理解する術を持っていない日本人は、見た目は大人でも小学生レベルの会話しかできない。国際社会ではそう見られている。
イスラム教に限らず、宗教に関する無理解や不勉強は、グローバル社会で相手を知り、相互関係を構築していくときに、致命傷となり得る。だからビジネスマンの基礎教養として、宗教は必須の科目なのである。
この他にも、佐藤優さんが指南する「宗教から読み解く国際ニュース」、「イスラムの戦地に入った20代の若者たちの緊急座談会」、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教など「世界の宗教の歴史がざっくりわかる大図解」などなど、内容は盛りだくさんです。
続きは是非、『週刊ダイヤモンド』11月15日号で本誌でご覧ください。
(『週刊ダイヤモンド』副編集長 深澤 献)
◎上記事の著作権は[Diamond online]に帰属します
僕らはなぜ、イスラムの戦地を目指すのか? ──テロリストとは違った過激派の表情
【「宗教」を学ぶ:座談会拡大版 (1)】 シリアの戦地を踏んだ若者たちが本音でトーク
週刊ダイヤモンド編集部 【第228回】 2014年11月12日
敵への首切りや奴隷制の復活など過激な行為で、世界中でニュースとなっているイスラム教過激派組織「イスラム国」。彼らが勢力を伸ばしているのは、「アラブの春」以降に内政が混乱したシリアとイラクで、現在も米国による空爆など激しい戦闘が続いている。
週刊ダイヤモンドでは、11月15日号の第1特集「ビジネスマンの必須教養 『宗教』を学ぶ」で、内戦下のシリアで、戦闘に参加したり、反政府組織に接触した若者たちに座談会を掲載した。ここでは、誌面に収めきれなかった、若者たちの目で見たシリアと反政府組織の“実像”を、3回にわたって紹介する。
(構成/週刊ダイヤモンド編集部 森川 潤)
<プロフィール>
*常岡浩介(つねおか・こうすけ)
45歳。早大卒。長崎放送記者を経て1998年フリー記者。チェチェンなどで戦争取材を続け、ロシアなどで政府系組織に誘拐された経験も。シリア内戦ではイスラム国にも接触。
*鵜澤佳史(うざわ・よしふみ)
26歳。元戦士。中学卒業後、自衛隊を経て大学に入学。その後農産物販売会社を起業。2013年4月にシリアを訪れ、反政府組織ムハンマド軍のメンバーとして戦闘に参加。現在は会社員。シリアでの経験をまとめた書籍を執筆中。
*鈴木美優(すずき・みゆ)
24歳。ジャーナリスト。横浜市立大学在学中の2013年9月、シリア北部の村を取材し、自由シリア軍やヌスラ戦線にインタビュー。14年3~7月、シリア国境に面するトルコの都市に滞在。
*谷川ひとみ(たにかわ・ひとみ)
27歳。大学院生。2013年8月、チェチェン人を主とする外国人義勇兵を訪問し、なぜ旧ソ連出身者がシリアで戦っているのかを追った。滞在地で毎日、アサド政権からの砲撃があった。
──本日は、ジャーナリストの常岡浩介さんの協力の下、現在内戦下にあるシリアで反政府組織に参加されたり、接触された若い方々に集まってもらいました。
常岡浩介 僕は1998年から取材活動をしているフリーの記者です。シリアは平和な時代から含めると92年以来10回以上、行ったり来たりしていて、平和な時代は本当にいい所でした。
アラブ社会の中でも一番多様性のある所で、例えば少数宗派であるアラウィー(イスラム教から派生した宗教で、輪廻転生を取り入れるなど異端とされる)とか、少数民族のクルド人、アルメニア人、他にも、イスラム教のスンニ派のゴリゴリの人もいれば、世俗的な人もいたり、共産主義者もいるという、すごく多様性のある社会で、その多様性が面白かったんですよね。
とにかく、どこへ行ってもみんなとんでもなく親切で、泊めてくれたり、飯をおごってくれたり。そういうところは、どの宗派だろうがどの社会主義者だろうが共通していまして、行った人はみんなシリアが好きになるんですよね。
それが3年前に今の内戦になってしまって……。僕はアラビア語が全然わからないものですから(入国を)諦めていたら、チェチェン人の友達が連絡をくれて、シリア内にいるチェチェン人を紹介してくれたもので、行くはめになりました(笑)。誰かが誰かを紹介してくれて、信頼を得て、また次にも行けるようになる社会でもあるんですよね。それで「イスラム国」にも行けるようになってしまって3回行きました。
さらに、ニュースにもなったイスラム国行きを志願して逮捕された北海道大学の学生に紹介されていたものですから、彼のインタビューまで取っていまして、結果、(私戦予備罪で公安警察に)自分も家宅捜索まで受けて、参考人、つまり当事者になってしまいました(笑)。
■ロマンチックに夕食に誘うシリアの痴漢
谷川ひとみ 私は27歳で、大学院で(旧ソ連の)北コーカサスの歴史を勉強しています。私もシリアは6年前に行ったことがあって、その時が初めてだったんですが、確かにすごく親切で私もすごく好きになって、当時は治安もよかったですし、安いし、気持ち良かったです。痴漢以外は……(笑)。
常岡 エジプトの痴漢とかものすごく有名だけど、シリアでもやっぱりいるんだ。
谷川 シリアもイランもヨルダンも。ヨルダンよりはまだマシかな。
常岡 へぇ。
谷川 民族色があるんですよね、やり方に。ヨルダン人はいきなり触ってくる人がいたりするんですが、シリア人は夕飯に誘ってくれて、「噴水があってきれいだよ」って言ってくれたり……(笑)。「とってもロマンチックな場所だから」と。他の場所と比べると、シリアはちょっとマシな人たち(笑)。
鵜澤佳史 でも、いわゆるイスラム原理主義の人たちは全然違うんですよ。サラフィー主義(イスラム教スンニ派の中で厳格な復古主義を主張、7世紀の生活を守ろうとする。シリアでは、サラフィー・ジハード主義という過激派になる者も多い)の組織は、女性が歩いて来ても「見るな」みたいな。
──そうなんですか。
鵜澤 友達の家に行っても奥さんは絶対に出てこないし、奥に入ったままだったり、一切、女性との会話はなかったです。
鈴木美優 私もサラフィー主義の人に会いましたけど、私は女性なので(周りに男性が)いなくなるまで見ててくれるんですよね。
常岡 男はね、サラフィーのあの世界に行くと、女性にインタビューするどころか、まったく姿も見られないという感じになりますね。
鵜澤 映像でもダメですしね。絵本とかでもだめなんです。女性を隠しちゃって。
──ああ、そこまで。
鵜澤 徹底している。
常岡 現地に入った人でも、男性と女性では、見ている世界が全然違ったりしますね。
鈴木 テレビを見る時間とかも分かれてるんです。
谷川 え、そんなに!
鈴木 夜8時からは女性がこの部屋に入ってテレビを見る、みたいに。その間、男性は一切立ち入り禁止です。
常岡 レストランとかどうですか。自分が行ったときは、女性が全然いなかったんですけど。
鈴木 まず、行かない……。
常岡 そういう所、行かないんだ。谷川さんは「ニカブ(イスラム教の女性が着用するベールで、目以外の顔と髪をすっぽり覆う)大嫌い」って、捨てて帰ったでしょ。
谷川 はい、シリアを出国した後に取って、ゴミ箱にバンっと捨ててバイバイと(笑)。
常岡 鈴木さんはニカブ、適応してたんですか。
鈴木 私はトルコにいた時はずっとしてました。トルコで、会う人がヌスラ戦線(シリア内戦で、2012年ごろ台頭したサラフィーの過激派。アルカイダからの支援が判明)とかイスラム系の人たちだったので。必ず着けて来てくれって。
常岡 ああ、そうですね。
鈴木 そうでないと、他の周りの人が見たときに「未婚の男女がカフェで会ってるぞ」ってなる、と言われました。
しかも、女性はニカブ着てないと「あれはどういう関係なんだ」と指摘されちゃうんのですが、その割には、コーヒーとかご飯とか誘ってくるんで……、どうすればいいんだろうと(笑)。私はとりあえず、一番隅っこの席で、壁を向くように座って、そこで初めてニカブを取って、顔を出していいよっていうサインが出たら、パッて外したことがありました。
常岡 (ニカブを)やっていて辛いとかはあった?
鈴木 歩いてても最初はやっぱり暑いし、話す時は自分の顔を出したいなというのはありました。
──話が脱線しましたが、6年前にシリアに行かれてその後は?
谷川 私はその後、旧ソ連に興味を持ちまして、北コーカサスの勉強をしてチェチェンに行きました。チェチェンだと、戦争の歴史が大きくて、戦争も全然わからないままでは理解できないと思い、シリアにいるチェチェン人の戦士に会いに行きました。
常岡 彼女は今、チェチェンで戦っているグループの一番の親玉の家族と家族ぐるみの友達になったりしています。
谷川 チェチェンにも、サラフィーの粋がった若者たちがいるのですが、ギャル男的な感じで……(笑)。髭とか生やしているんですけれど、何かカッコよくないですよね(笑)。
■「戦士として死にたい」反政府軍に参加し刑務所襲撃作戦に
──次、鵜澤さんお願いします。
鵜澤 はい、かなりマスコミを通じて広まっている部分ありますけど、改めて。僕はシリアには、内戦になってから今回初めて行きました。自分の生き方として、戦士として戦い、戦士として死にたいみたいなものがありまして、それでいろいろ、世の中のものを突き詰めて考えていたときに、絶対的な価値観とか不変的な価値というものが世の中に何もないなと思ったんです。
人の命の重さとか、自分の命の重さとか、それも社会の中で相対的に決まるものですし、それはすべて自分の価値観で選択をしていけばいいと思ったんです。
だから自分も戦士として戦うというのを、人に迷惑をかけなければやっていいかなと思い、民間人がアサド政権に虐殺をされていたシリアを選びました。弱者の側に僕が加わって戦ってという気持ちがあったので、戦うことによってうまく自分の気持ちと社会的な意義のマッチングを図れるかなと考えたんです。
──そもそも、特にイスラムだったりシリアに興味を持っていたわけではないのですか?
鵜澤 当初は、候補地が3つあって、南スーダンとソマリアとシリアでした。
迷っていたのですが、ソマリアに行ったら恐らく人質になって日本に迷惑をかける(笑)。一方、南スーダンは情報が出てきてなくて、その点シリアは結構、海外メディアの人が入っていて、いろんな情報が取れました。しかも、内戦の構図が政府VS反政府という分かりやすい対立構造になっていて、政府側に囚われても身代金儲けされることもないので、人質にされることもない。もし、やられるなら首チョンでそれで終わり、と考えてシリアにしました。
──実際、行かれたのは?
鵜澤 昨年4月に行って、本来はトレーニングとかを向こうで受けるんですが、自分はもともと、行く前に自衛隊などでトレーニングしていまして、それで現地でのしょぼい訓練はすっ飛ばして実戦に行ったんです。
それで、刑務所の襲撃作戦の際に、中に突入して、戦車と装甲車が待ち構えているところに、カラシニコフ・ライフル(第二次世界大戦後まもなく旧ソ連が開発した歩兵用ライフル)一つで入り込みました。
敵と肉薄をしたわけではないのですが、隠れる場所が何もなくて見事に吹っ飛ばされました。その際に、動脈を砲弾がそれていってくれたんですが、砲弾の破片が足を貫通したんですね。
──貫通ですか……。
鵜澤 そうです。右足を貫通して12~13センチぐらいになりました。周りに一緒に隠れていた10人ぐらいのうち7人が死傷しまして。私は、自分で手当をして、十数時間、救出が来るまで待っていて、そのまま野戦病院に運ばれてリハビリ生活に入ったんです。
■裂傷、貫通、骨折、大火傷で皮膚移植……砲弾の破片が目の中に
──それで帰って来られたと。
鵜澤 また戦いに行こうと思っていたんです、実は。「クソッ」と思って、1ヵ月半でやられたんで悔しいじゃないですか(笑)。
常岡 それは知らなかった。
鵜澤 1ヵ月半で復帰しようと思っていたんですよ。ですが、結果的に、退院するまで2ヵ月くらいかかって……。
それで、日本の家族になにも伝えずに現地に行っていたので、もう一度行くと決めた時に「次は死ぬな」と思って、家族にも遺書とかFacebookでいろいろ公開してから、戻ろうと思ったんです。それで、「これでもう思い残すことはない」とシリアに戻ろうとしているときに、目の調子が悪くなってきたんです。視野が狭くなってきて、暗闇で閃光が走ったり、おかしいなと病院に行ったときに、目の中に破片が入っているよと。
常岡 砲弾の破片?
鵜澤 失明するから早急に手術したほうがいいと言われたんですけど、トルコの技術で難しいと言われて……。──医療はしっかりしているんですか?
鵜澤 シリアは結構、外科手術はやってくれるので。縫合手術だとか、III度のやけどを負ったので皮膚移植もやりました。結構、至れり尽くせりの状態で(笑)。右足が裂傷で、貫通症、左が骨折。火傷で皮膚移植もやって、全身、何十個もまだ弾が入っています。
谷川 痛くないんですか。
鵜澤 痛くはないですね、もう。
やられた当初は目とかあらゆる所から血が出ていたんですよ。多分爆風とか、飛んできた火でやられたのかなと思ったのですが、最初にシリアの眼科の先生に目をチェックしてもらった時は、充血してはいましたがしばらくしたら引いてたんです。
ですが、その後トルコで調べ直したら、破片が目の奥にスポッと入っているのが分かったんですよね。
谷川 何個入っていたんですか。
鵜澤 目の中に表面と奥と合わせて3つ。右目は眼球の手前で止まっていたようです。
──詳しい話は後々お聞きするとして、最後に鈴木さん、自己紹介をお願いします。
鈴木 私は昨年9月にシリアに行ったのが初めてで、その時はまだ大学生でした。
入国に2週間ぐらい待たされていたのですが、たまたま泊まっていたホテルにシリア人難民がたくさんいて、その人たちの紹介で、知り合いに電話をかけてもらってシリアに入りました。
最初はアトメという北部の小さい村に行って、そこで世話になった密輸屋が、色々なグループに繋がりがあって、自由シリア軍(アラブの春後、反体制派の受け皿として誕生した。世俗色が強いのが特徴)やヌスラ戦線の戦士らにインタビューしました。
その次は、当時「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」と名乗っていた「イスラム国(サラフィー・ジハード主義の過激派で「イスラム国家」の樹立を宣言。虐殺を繰り返し、シリア、イラクで勢力を拡大している)」のインタビューも取れたのですが、最終的には行けませんでした。
というのも、日本人3人で行こうとしたのですが、私はシリアに入る前にイランに入っていたものですから、これは絶対スパイ容疑をかけられる、と言われ(笑)。
──スパイ容疑ですか。
鈴木 さすがに、ちょっとやめておきました(笑)。それで、泣く泣くイスラム国行きを諦めた際に、現地で一緒だった方々が「トルコに帰れ、シリアから出ろ」という風に言われたんです。
──というのは?
鈴木 なんか、我々日本人に3人で2000ドル賭けられてたらしくて……。ISISが密輸屋の人に、「2000ドルやるから、この日本人たちをくれ」と持ち掛けたみたいなのですが、断ったっていうんです。それで、とりあえず駆け足でトルコに逃げました。
■ワードの文書3枚でプロポーズしてきたアルカイダの戦士
──研究がシリア関係だったのですか?
鈴木 いや、特に。私は大学を4年で休学して世界をぶらぶら旅していて、その時にシリアをちょっと見てみたいと思いました。当時まだ内戦が始まったばかりで、そういう場所を見たことがなかったので……。ちょうど日本に来たシリア人がいて、その人に話をしていたら、ちょっと行ってみたらいいよと言われて、行ってみようかな、と。その時、アフガニスタンとかイランなど中東の国に行ったりして、結構燃えてきて(笑)。
常岡 ボコハラム(「西洋の教育は罪」を意味するナイジェリアのイスラム教過激派組織。200人以上の女子生徒を誘拐した)の拠点にも行ってたでしょ。
鈴木 そんな匂いのする所に惹かれるようになってしまい……。
常岡 ヌスラ戦線の戦士から結婚申し込まれたんでしょ。
鈴木 はい。ワードの文書3枚で(笑)。
──それでどうしたんですか?
鈴木 断ったら泣いてしまって……。何でアルカイダ(2001年の米同時多発テロを実行したとされる過激派組織。ヌスラ戦線はアルカイダの一派とされる)の戦士がこんなことで泣いちゃうんだろうと(笑)。
常岡 確かに、女性でシリアに行く人は、結婚目的で来る人が結構多いのも事実なんです。
鈴木 結構いますね。
常岡 ヨーロッパに、そういう人が多いですね。
鈴木 マレーシアからもそういうツアーがありました。嫁にもらって、イスラム国を支えようみたいな、ツアーでした
谷川 私もそういうのは知っていて「それって、頭大丈夫?」とか言ってました。
──その辺の話も興味深いのですが、偏りすぎるといけないので……。実際に現地に行かれてメディアで伝えられているのと違う現場の話はありますか?
常岡 まず、イスラム国に行こうとした北大生の問題は、報道が全部ずれてるなあと思いますね(笑)。
もう一つは、シリア内戦が現在、「イスラム国」の問題として世界中に喧伝されていることです。
これまで、イスラム国が殺したとされる人間の数は9000人と言われています。ですが、その前に、この内戦が始まってからシリア国内で少なくても19万人が殺されている。
その中心は、アラブの春以降に虐殺を進めたアサド政権によるものという実態があるのですが、今世界のニュースを見るとそのアサド政権の問題が話題にすら上っていない。イスラム国が世界の脅威だと言っているばかりです。
今でも、イスラム国がやっている残虐行為と同様、アサド政権がやっている虐殺も深刻なのに、そっちは完全にスルーされているという事態になっています。そこが、世界が問題にしているのと現場の実態は全然違うなというふうに思いますね。
■過激派のほうが規律はしっかりしている 盗みなどは絶対しない
──この中で、実際に戦闘に参加されたのは鵜澤さんですが、メディアで聞いていたことと違うと感じた部分はありますか?
鵜澤 僕は最初、(参加する)反体制派の宗教色がコテコテだと嫌だったので、自由シリア軍という世俗的なグループに加わろうと思っていたんです。
ところが、自由シリア軍の人に紹介されたのが、(厳格派の)ヌスラ戦線と仲がいいムハンマド軍という、サラフィー系の原理主義組織だったんです。たまたま紹介されただけだったのですが、世間のテロリストと言われている人たちのイメージと全然違っている表情が垣間見えまして、そこで一番大きな衝撃を受けましたね。
──表情というのは?
鵜澤 彼らはオウム真理教みたいな、狂信的な、クレージーな集団と思われているかもしれませんが、全然そんなことはなく、彼らには彼らなりの信条とか正義があって、きちんと人としての暖かさとかを持っていました。
家族も大切にしますし、仲間も本当に大切にします。戦いの前になるとみんなで泣き始めたり、本当に人間らしい人たちだなあと感じました。そういういうところはある種、米軍と同じですよね。何を信じているかが違うだけで、テロリストかどうかという区分けは曖昧な感じだな、と。
常岡 テロという言葉の定義自体、英国のメディアでは、政治的、恣意的に使われるだけの言葉だから使わないようになって来ているみたいですね。
米国や日本のメディアはテロという言葉を使いますけど、今、自由シリア軍は「アサド政権のテロリズム」と言っていますし、タリバン(パキスタンとアフガニスタンのイスラム主義の運動)はタリバンで、「アメリカのテロリストが──」って言い続けていましたし。政治的に自分たちの敵対者を常にテロリストということで「自分たちが対テロの正義である」という使い方をするだけの言語になっています。
ちなみに、原理主義という言葉も、現地のアラビア語とペルシャ語では、言葉自体が存在しないんですよ。
──宗教という観点では、ここにいる4人のうち、3人がイスラム教に改宗されています。
常岡 谷川さんは、サラフィーが嫌になってイスラムに改宗する気がなくなったっていう(笑)。
谷川 シリアに行って初めて嫌だって思いました(笑)。
鵜澤 僕が入ったのは、イスラム過激派で、メディアでは「明らかに悪い人」みたいに思われている組織でした。ですが、向こうの人からしてみれば、むしろ過激派のほうが規律がしっかりしてる。盗みもしないし。
鈴木 確かに信用もできる。私が向こうで一番信頼していたのは一般的に過激派と呼ばれるような人たち。彼らは絶対イスラムに反することはしないから、窃盗なんかも絶対しない。ただ、逆に世俗的な自由シリア軍だとお金欲しさに物を盗んじゃったり、ちょっと騙そうとして高額なお金を請求してきたりとかっていうのがあるんですよね。
鵜澤 我々の組織は、住人が避難してしまっても空になった豪邸を拠点にしていたんですけど、目ぼしいものが置かれていそうな鍵がかかった部屋があるんですが、そこは一切、手をつけませんでしたね。
──盗みはしない、と。
鵜澤 そうなんですよ。いかに戦争中であっても、あくまで借りるだけで、人の物は一切取らないという主義が彼らの中にありましたね。
(続く)
◎上記事の著作権は[Diamond online]に帰属します
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⇒ 「宗教」を学ぶ:座談会 2. 3. 僕らはなぜイスラムの戦地を目指すのか? シリアの戦地を踏んだ若者たち
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