7人が死亡した無差別殺傷事件 「秋葉原事件」とは何だったのか
THE PAGE 2015.01.30 07:00
東京・秋葉原で2008年6月、7人が死亡し10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件、いわゆる「秋葉原事件」で、殺人罪などに問われ1、2審で死刑判決を受けた元派遣社員、加藤智大被告(32)の上告審判決が2月2日に最高裁第1小法廷で言い渡される。秋葉原事件とは何だったのか。事件の取材を続けた伊藤直孝記者(毎日新聞)に寄稿してもらった。
秋葉原事件とは何だったのか。東京地裁の1審公判(2010~11年)を傍聴取材した私の手元には、やり取りを書き留めた80枚のB5ノートが3冊ある。非正規雇用の不安など、発生当初語られた事件の動機は、判決でほとんど認定されなかった。加藤智大被告(32)はなぜ事件を起こしたのか、被告本人が法廷で語った言葉を中心に考えてみたい。
08年6月8日午後0時33分。東京・秋葉原のソフマップ秋葉原本館に面した交差点に、2トントラックが赤信号を無視して時速約40数キロで突っ込んだ。5人がはねられ3人が死亡。さらに歩行者12人が運転席を降りた男に刃渡り約12センチのダガーナイフで襲われ、4人が死亡した。警察官が取り押さえるまで、2分余りの凶行だった。
ベージュのジャケットに身を包む小柄な男。加藤被告の姿は歩行者に撮影されてネットにあふれた。事件後、その「物語」に満ちた半生も注目を浴びた。
1982年9月、青森県で金融機関に勤める父と職場結婚した母の長男として生まれた。「九九が言えないと風呂に頭から沈められ、食事が遅いとご飯を床の上で食べさせられた」(10年7月27日、被告人質問)。母親から虐待とも言える厳しい教育を受けた。
進学校の青森高に進んだが、母親への反発から四年制大学に進まず、短大を経て宮城、埼玉、青森と非正規雇用を転々とした。事件前年の07年には静岡県の自動車工場で派遣社員として働き始めた。
08年5月末、加藤被告は上司から派遣契約期間を6月末で終了すると伝えられ、6月5日には職場で作業着が見つからず怒りをぶちまけ帰宅。職を失った。不安定な若者が行き場のない怒りをぶつけたように見えた事件に、ネットでは共感の声があふれた。
だが、被告が法廷で語った犯行動機は、全く違うものだった。
「ネットの掲示板で自分に成りすます偽物や荒らし行為があった。事件を起こすことで、嫌がらせをやめてほしいと伝えたかった」
「現実はタテマエ社会だが、ネットはホンネ社会。『これを言ったら嫌われるかも』と気にせずに発言できた。掲示板の人間関係は家族同然だった」(10年7月27日)
彼はそこで虚実入り交じるネタ(冗談)を披露し、掲示板の住民たちにウケることを喜びにした。「不細工」「彼女がいない」。書き込み続けた内容は、あくまでネタだったと述べた。「加藤さんはいつも冗談を言ってみんな笑わせていましたが、携帯を見ているときだけは話しかけても何も言わない時がありました」(同僚の供述調書)。仕事以外はずっと携帯電話をいじるようになった。
そして08年5月のある日。誰かが自分の書き込みを真似して、まるで自分のように掲示板の住民と「会話」していた。その偽物にあおられ、掲示板を荒らす者すら現れた。「人間関係が奪われたように感じた」。成りすましを排除するよう管理人にメールしたが、返信はない。そこで抗議の意思を伝えるために、事件を考えた──。
加藤被告は、現実では決して孤独ではなかった。中学時代は2人の女子生徒と交際。青森の幼なじみとは一斉メールで連絡を取り続け、静岡では同僚と居酒屋に行き、秋葉原で遊んだ。「リア充」な生活の一方で、掲示板にのめり込んでいく心情は理解しがたい。重傷を負った女性被害者は「どうして被害に遭ったうえ、法廷であなたの理屈を理解しようとしなければならないのか」と、法廷でやり場のない怒りを述べた。
検察側は公判で、事件に至る経緯として▽容姿の劣等感▽就労が不安定▽交際相手がいないこと──に悩み、掲示板の成りすましに不満を抱き、作業着が見つからなかったことに怒りを爆発させ、自分を無視した者に復讐しようとした──と動機を組み立てた。だが東京地裁判決(11年3月)は、「成りすまし」に対するストレスを主要な動機と認定。加藤被告の法廷での言い分をほぼ認めた。
加藤被告は12年7月に手記「解」を批評社から刊行。昨年までに計4冊を出版し、「成りすましとのトラブルが動機の全て」(『東拘永夜抄』)などと、検察側の見立てを批判し続けている。しかし私は、こうした手記より、弁護人や検察官の質問に答えた法廷での発言のほうに真実があるように思える。手記では独特な思考法をくどいほど繰り返し記述しているが、法廷では分かりやすい言葉で自身の反省点を振り返っていた。
「私の基準では一緒にいる時間の長さが大事だった。毎日会っている友人が月一回になれば他人同然でした」
「事件後にネットから離れて、やはり大切なのは現実の人間関係だと気付きました」(10年7月30日)
計17時間にわたった被告人質問では、孤独を恐れつつも、距離感を測りかねて友人との関係を自ら絶ち、ネット掲示板にのめり込む被告の姿が浮き彫りになった。秋葉原事件は、孤独を恐れる弱い若者が、並外れた行動力を発揮してしまったゆえに起きた、極めて不幸な事件だった。
最近では殺人容疑で逮捕された名古屋市の女子大学生とみられるツイッターに記載があったように、加藤被告に憧れを抱く若者は今もいる。過ちが繰り返されないよう、私たちは加藤被告が法廷で語った「弱さ」にこそ注目しなければならない。(伊藤直孝/毎日新聞記者)
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