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農薬分析、検察主張と合致 名張毒ぶどう酒、副生成物ない可能性

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農薬分析、検察主張と合致 名張毒ぶどう酒、副生成物ない可能性
中日新聞2011年10月8日朝刊
 三重県名張市で1961年、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件の第7次再審請求をめぐる差し戻し審で、事件当時の捜査側鑑定について、犯行で使われたとされる農薬からは副生成物が検出されない可能性を示す専門家の分析結果が、依頼した名古屋高裁に提出されたことが7日、弁護団の会見などで分かった。検察側の主張に沿う内容で、弁護側は「評価に値しない」と批判するが、奥西勝死刑囚(85)の再審をめぐる審理の行方に影響を及ぼす可能性も出てきた。
 事件当時、三重県警の依頼を受けて同県衛生研究所が行った「ペーパークロマトグラフ試験」と呼ばれる鑑定では、奥西死刑囚が犯行で使ったと自供した農薬ニッカリンTに含まれる副生成物「トリエチルピロホスフェート」が、現場に残されたぶどう酒からは検出されなかった。
 昨年4月に審理を差し戻した最高裁決定はこの点について、/(1)/犯行で使われたのはニッカリンTではないのか/(2)/当時の鑑定手法では検出できなかったためか―を明らかにするため、事件当時の鑑定に近い手法で再鑑定するよう名古屋高裁に求めていた。
 弁護団によると、今回提出された鑑定書には、当時の手法で鑑定した場合、焦点の副生成物が検出されない可能性を示すデータが盛り込まれていた。事件当時、飲み残したぶどう酒をエーテルという薬品で抽出し、抽出物を濾紙(ろし)に染み込ませて物質を特定する鑑定が行われたが、今回の鑑定では、新たに製造したニッカリンTからは、副生成物をエーテルで抽出できなかった。
 この結果について弁護側は「エーテル抽出の条件が当時の鑑定と違っている」として問題視していないが、名古屋高検の幹部は「大きな意味を持つ」と評価する。
 弁護側はこのほか、再製造したニッカリンTに水を混ぜて成分を分析した結果、副生成物は24・7%含まれており、弁護側の主張(17%以上)通りの結果が出たと公表。一方、製造時のニッカリンT自体の成分を分析すると副生成物は検出されず、こちらは検察側の主張通りの結果だったとした。
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〈来栖の独白〉
 当該事件についての報道に接するとき、私にはきまって割り切れない思いが湧く。
 カトリック名古屋教区正義と平和委員会にいたころ、産業廃棄物処分場のことで岐阜県御嵩町の柳川町長さんと何度かご一緒した。柳川さんはNHKの記者でいらした時、名張毒ぶどう酒事件の奥西氏にインタビューしたことがあり、「自分のちょっとした気持ちから」と言って目を落とした奥西氏の仕草に、「真犯人だ」と直感したといわれるのだ。以下の記事である。
 私には、柳川さんの直感を捨て去ることができない。土台、私などには判断尽きかねることだが、白よりも灰色に近い、そんな気持ちが拭えない。
 弁護団は、決まって言われる。「奥西さんは高齢であるので、一日も早い雪冤と自由を」と。無実ならば、弁護団のおっしゃる通りだ。が、・・・・。私などには、判断尽きかねる・・・。

名張毒ぶどう酒事件異議審決定 唯一目をひいた記事2006-12-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
  「大きな事件を、自分のちょっとした気持ちから・・・。何とお詫び申し上げてよいか分かりません」ぼさぼさの頭、落ち窪んだ目。奥西死刑囚は終始、うつむいたまま、ぽつりぽつりと語った。わずか三分間の短いやりとりだった。1961年4月3日の正午過ぎ、三重県警名張署の宿直室で、異例の容疑者の記者会見が行われた。事件発生から7日目。自白の模様はテレビ中継され、新聞各紙にも載った。「はめられた」。奥西死刑囚は45年経った今も、このインタビューを悔やむ。「警察から『家族を救うために会見して謝罪しろ』と言われ、取調官が書いた文を(暗記して)読んだだけ」と裁判官にあてた手記でも訴えた。
 柳川さんは当時、NHKの三重県警担当キャップ。記者クラブの代表取材の一員として、奥西死刑囚の話を聞いた。柳川さんによると、会見は「報道陣が警察に押し込む形で」実現した。その前日、県警幹部が「奥西の妻」犯行説を明らかにしたばかり。一晩で犯人が一転したことに「記者たちはいきり立っていた」という。
 待ち構えた容疑者の第一声。「ちょっとした気持ちから・・・」。冒頭の言葉に柳川さんは「真犯人」と直感したという。うなずける。本当の動機はそんなものだろう。単純に困らせてやろうとしたのだ。「うーん」。迫真の受け答えに次の質問が思い浮かばなかった。
 ただ、その後の司法判断は無罪から死刑に、そして再審開始決定から取り消しに。この取材を機に、「人は判断を誤る」と、死刑廃止論に傾いた。自身は十年前、暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う被害者になった。それでも、いくら犯人が憎くても、死刑はいけないと思う。柳川さんは、奥西死刑囚に呼びかける。「お互い生きているうちに、もう一度会ってみたい。無実を訴えるなら、今度は目と目を合わせて」


 「ちょっとした気持ちで・・・」逮捕後、記者会見で犯行を認めた奥西死刑囚(左)=1961年4月、三重県名張市で
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名張毒ブドウ酒事件 辛い地元住民「無罪ならやっていない証拠を示して」 
毒ぶどう酒事件の人々 〈1〉晴れぬ疑心、残る傷〜〈6〉恨むよりも生きる


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