「暴力団の抗争はPR経費みたいなもの」と暴力団研究第一人者
島田紳助の引退で暴力団の存在がクローズアップされている昨今だが、端的にいってしまえば、暴力団を暴力団たらしめてきたのは、抗争の歴史である。流された夥しい量の血こそが、闇にあって組織の存在を浮き彫りにする。紳助がすがった威光も結局はそこにある――暴力団研究の第一人者、ジャーナリスト・溝口敦氏が「戦後」を総括する。
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戦後、神戸が産み出した日本一はダイエーと山口組だけと、かつては言われていた。
しかし今、ダイエーは凋落して昔の面影はなく、山口組だけが暴力団組員2人のうち1人は系列組員というガリバー型寡占を誇っている。構成員数でいえば、2位は東京の住吉会、3位は稲川会であり、山口組以下の上位3団体は「広域団体」として警察の扱いも特別だが、内実は2、3位が連合しても、山口組一つに及ばない。
戦後の焼け跡から再スタートを切ったころには、どの組もドングリの背比べだった。団体間で大きく差が開いた理由は、組員が命と懲役をかけて戦う抗争からどれだけ逃げなかったかによる、といえそうだ。
たとえばA組の組員がB組の組員とケンカして、殺したとする。A組は多額の香典や弔慰金を持ってB組を訪ね、「殺った組員は警察に自首させます。どうかこれで勘弁して下さい」と持参のカネを差し出して詫びる。これで次の抗争(報復のための2次抗争、再報復のための3次抗争など)がなしですむなら、合理的で、人道にもかなっていると、一応いえるかもしれない。
だが、年がら年中カネで解決では、暴力団はジリ貧になる。なぜなら暴力団である以上、周りに恐れられてナンボだからだ。一昔前、組の幹部はよく「ケンカに勝てば、自然にカネが湧いてくる」と口にした。地元企業の社長などは何かトラブルを抱えたとき、抗争に勝った組を訪ねて、解決してくれるよう頼む。負けた方に頼んだら、持参のカネが死に金になることが明らかだからだ。暴力団同士が商売(シノギ)の場でバッティングし、互いに名刺を交換した場合、退くのは必ずケンカに負けた組である。
暴力団が抗争すると、経費が掛かる。実行犯の組員が逃亡すれば潜伏するための旅費、宿泊費、生活費。逮捕され、また服役すれば、弁護士代、面会・差し入れ費、留守家族の生活費、あらゆる局面でカネがかかる。
敵側の首領1人を殺すためには尾行などの所在確認、追跡要員、3〜4人から成る襲撃部隊、現場指揮者、見届け要員、逃走幇助要員など、平均して10数人の組員が必要になる。首尾よく敵首領の殺害に成功しても、早晩、警察の摘発を受けて、前記の諸経費がかかる。暴力団の出費が巨額に達することは容易に想像できよう。
ひきくらべ相手側に弔慰金を払うことで抗争を回避するのは、抗争した場合の経費をカットする経済合理性にちがいない。費用対効果の点からは暴力を振るってばかりではいられない。しかし暴力団が周囲に「恐怖印」のイメージを印象づけるためには、抗争回避は得策ではない。
結局、山口組は他の暴力団に比べて、数年ごとに血で血を洗う大抗争を繰り返すことで、今日の大を築いたともいえよう。だいたい抗争は利害関係のない野次馬にとって、大きければ大きいほど面白く、一種の娯楽になり、慰めになる。こうした抗争の効果で山口組幹部の名を聞けば、なんとなく顔が思い浮かぶマニアさえいる。つまり抗争により組や幹部の知名度、認知度が上がり、ひいてはそれが強さイメージにつながっていく。たまの抗争は組のためのPR経費といって過言ではない。
※週刊ポスト2011年10月14日号
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◆和田アキ子 島田紳助さん/うらぶれて袖に涙のかかるとき人の心の奥ぞ知らるる/士は己を知る者の為に死す2011-09-01 | 社会
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暴力団を暴力団たらしめてきたのは、抗争の歴史?
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