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Channel: 午後のアダージォ
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「レクイエム」と「マタイ・パッション」/無残な世界にあって、おのが存在を問うて苦しむ時、魂を訪れて

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(備忘)
 本日2011年11月07日Mon.より、中日新聞朝刊で小説『天佑なり』が始まった。幸田無音著。私好みの時代物、2,26事件の頃を描くようだ。5日まで『グッバイ マイ ラブ』が連載されていて、これもよかった。
 本年は6月より、母のことで、実家と名古屋を行ったり来たりの生活が続いた。人心地ついてみれば、残すところ2カ月を切っている。私個人のことなどより、日本にとっても世界においても大変な年であった、と痛感している。いや、まだまだ何が起きるかわからない。
 コンサートにも行けなかった。
 久しぶりに行ったのが先月(10月)23日、モーツアルトの「レクイエム」K.626。バッハ室内合唱団と中部日本交響楽団。しらかわホール。モーツアルトのレクイエムは、バッハのマタイ受難曲とともに、私にとって私自身の存在理由とでも言いたいような楽曲だ。私は何のために生まれて来たのか、何のために今生きているのかと悩む時、決まって私の脳裏にこの曲が流れる。この無残な世界にあってこのちっぽけな人間、居てもいなくてもよい人間(私)が何故に存在しているのか、と問うて苦しむ時、天からの光のように私の魂を訪れて希望へと誘ってくれる、そういう音楽である。
 「中部日本交響楽団」という楽団は、通常の楽団のようには存在しない。あえて楽団員という形にとらわれず状況に応じた人選を行う。演奏会(曲目)に合わせた編成を組織する。コンマスを務めた宗川諭理夫さんが印象に残った。
 10月30日Sun.は名フィルサロンコンサート。実に久しぶり。名古屋ダブルリードアンサンブル。モーツアルト交響曲25番。バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」など・・・。「主よ、人の望みの喜びよ」は、ミサのなか(聖体拝領)でよく弾く曲。もはや私にとって、生活の一部である。
 ところでNHK Eテレ「オーケストラの森」は、10月30日、セントラル愛知交響楽団を聞かせてくれた。セントラルのコンマスとチェロ奏者の私はファンである。いや、それだけでなく、セントラルの演奏そのものがいい。もちろん指揮の斉藤一郎さんも。
 名フィルもセントラルも、チケット料金を考えるなら、絶対に「お得」な買い物である。日本のオケの定期演奏会であるが、S席でも1万円内(5千円〜)で収まる。因みにウィーン・フィルの演奏会が先日名古屋芸術劇場であったが(もちろん、私などは行っていない)、最高席は4万3千円。この不況のなか、完売したという。
 月に数回、気に入りの楽団の演奏を聴きに行く、私の生活である。地元の優秀な(良い音を奏でる)楽団を応援したい、という気持ちも強くある。ウィーンフィルにも、遜色ないゾ♪ ただ一つ、秋から冬はキモノで出かけるが、近年は夏が長くなってしまった。10月30日も、キモノは少し暑かった。
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 「Chopinと福永武彦と」2008/01/21 より
〈来栖の独白〉
 ショパンの華麗さとしなやかさに惹かれて、一昨年から弾いてきた。高く深い美しさに惹かれた。ダン・タイ・ソンで聴いてからは、虜になった。小原孝さんがご自分の番組NHKFMのなかで「フォルテは無いと思ってください。すべてピアノで」とおっしゃっていたが、本当にそう。あくまでも、やさしくしなやかに弾く。特にノクターンは。
 先日もNocturnesを弾いていた。No1.Op.9-1「変ロ短調」。ちょっとロマンチックな出だし、甘さすら感じさせると、ずっと思っていた。
 しかし突然、違う、と感じた。甘くない、と。凛とした孤独が聴こえた。そしてすぐに、それはそのはずだ、と思った。ショパンが、孤独を奏でないはずがない。他人の寄り付くことを頑なに拒んで強靭な美のリアリストだったショパンの音楽に、孤独が漂っていないわけがない。
 私がショパンに強く惹かれたのはこの孤独の旋律の故だった、と気づいた。
 ショパンは、次のように言う。(音楽とは)「音によって思想を表現する芸術」、「自分の耳が許す音だけが音楽である」と。この思想の故に、ショパンは孤独であった、と私は思う。
 思想とは、生命の証、生きる意味である。
 不意に(いや、当然のように)、福永武彦を思い出した。
 福永武彦の作品に出会ったのは、大学の教養時代だったと思う。青年特有の寂しさと不安(落ち着かなさ)を持て余し悩んでいた私は、この『草の花』に衝撃を受けた。たまたま前期の試験と時期を同じにしたが、福永作品の世界から抜け出せなかった。単位を落とすことも覚悟した。が、試験を受けることだけはしておこうと思った。アメリカ文学史(アメリカン・フォークロア)の試験で、答えがさっぱり書けず、問題とは関係のない要らぬことを書いて出した。「私はいま福永武彦の小説に夢中になっています。氏の描く『孤独』は、いまの私にとってのっぴきならないテーマなのです・・・」。単位を落とすことを覚悟しているので、気持ちだけは強かった。ところが、後日発表を見ると「優」をくれていた。びっくりした。申し訳ない気持ち、単位が貰えてほっとしている自分、弱い自分が恥ずかしかった。
 長い時を隔てて、『草の花』を手に取った。懐かしい文字列。しかし、今回初めて、この小説にショパンという文字が出てくることを発見した。福永氏の心の中で、恐らくショパンの孤独が鳴り響いていたのだろう。

福永武彦著『草の花』(抜粋)
 しかし、一人は一人だけの孤独を持ち、誰しもが閉ざされた壁のこちら側に屈み込んで、己の孤独の重味を量っていたのだ。
 ----僕は孤独な自分だけの信仰を持っていた、と僕はゆっくり言った。しかしそれは、信仰ではないと人から言われた。孤独と信仰とは両立しないと言われたんだ。僕の考えていた基督教、それこそ無教会主義の考え方よりももっと無教会的な考え方、それは宗教じゃなくて一種の倫理観だったのだろうね。僕はイエスの生き方にも、その教義にも、同感した。しかし自分が耐えがたく孤独で、しかもこの孤独を棄ててまで神に縋ることは僕には出来なかった。僕が躓いたのはタラントの喩ばかりじゃない、人間は弱いからしばしば躓く。しかし僕は自分の責任に於いて躓きたかったのだ。僕は神よりは自分の孤独を選んだのだ。外の暗黒(くらき)にいることの方が、寧ろ人間的だと思った。
 孤独というのは弱いこと、人間の無力、人間の悲惨を示すものなんだろうね。しかし僕はそれを靭いもの、僕自身を支える最後の砦というふうに考えた。傲慢なんだろうね、恐らくは。けれども僕は、人間の無力は人間の責任で、神に頭を下げてまで自分の自由を売り渡したくはなかった。
 ---ピアノコンチェルト一番、これ、前の曲ね。これはワルツ集、これはバラード集。どうしたの、これ?
 ---千枝ちゃんにあげるんだよ。千枝ちゃんがショパンを大好きだって言ったから、それだけ探し出した。向うものの楽譜はもうなかなか見付からないんだよ。
 僕の書いていたものはおかしな小説だった。(略)全体には筋もなく脈絡もなく、夢に似て前後錯落し、ソナタ形式のように第一主題(即ち孤独)と第二主題(即ち愛)とが、反覆し、展開し、終結した。いな、終結はなく、それは無限に繰り返して絃を高鳴らせた。
 僕はそうして千枝子を抱いたまま、時の流れの外に、ひとり閉じこもった。僕はその瞬間にもなお孤独を感じていた。いな、この時ほど、自分の惨めな、無益な孤独を、感じたことはなかった。どのような情熱の焔も、この自己を見詰めている理性の泉を熱くすることはなかった。山が鳴り、木の葉が散り、僕等の身体が次第に落ち葉の中に埋められて行くその時でも、愛は僕を死の如き忘却にまで導くことはなかった。もう一歩を踏み出せば、時は永遠にとどまるかもしれない。しかしその死が、僕に与える筈の悦びとは何だろうか、・・・・僕はそう計量した。激情と虚無との間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕は僕の孤独を殺すことはできなかった。そんなにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のささやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。
 孤独、・・・いかなる誘惑とも闘い、いかなる強制とも闘えるだけの孤独、僕はそれを英雄の孤独と名づけ、自分の精神を鞭打ちつづけた。
 支えは孤独しかない。
 僕の青春はあまりに貧困だった。それは僕の未完の小説のように、空しい願望と、実現しない計画との連続にすぎなかった。
 藤木、と僕は心の中で呼びかけた。藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう。

〈来栖の独白 続き〉
>この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。・・・・僕は一人きりで死ぬだろう。
 なんという、ぞっとさせるような孤独だろう。しかし、冷静な理知の眼には、人生の現実はそのような残酷なものだ。『草の花』は知的な青年の孤独を描いている。私はこの孤独(純潔)に魅せられ、惹かれ続けてきた。守りたいものであった。群れることを嫌った。
 若いときには若いときの、老いには老いの孤独があるだろう。老いての孤独は、若いときとは比較にならぬ峻烈なものであるのかもしれない。人は、そのようにして、やっと死に辿りつくことができる。2008/01/21 up


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