日米安保破棄を真剣に検討し始めた米国 米軍の再編がもたらす日本の危機にどう立ち向かうか
JBpress2011.11.08(火)福山 隆
1.はじめに―クリントン国務長官論文
ヒラリー・クリントン米国務長官が“Foreign Policy”誌(10月11日号)に「これからの世界政治はアジアで決まる。アフガニスタン、イラクでではない。米国はこれからもアクションの中心にい続けるだろう」と題する長大な論文を発表した。
筆者の若干の私見を加えて要約すれば、その論旨は以下の通り。
(1)米軍は経済力減退に伴い引き続き「世界の警察官」を全うするに足る戦力を維持することができない。
従って、今後は、重点戦域を定め、一部からは思い切って撤退し、特定戦域に戦力を集中して配備する必要がある。
(2)しからば、重点的に米軍を配備する正面はどこにするか。それは中国が台頭し、米国の経済的利益も大きいアジア太平洋にほかならない。
(3)アジアにおける冷戦後の重点配備は、日本と韓国であった(合計で5万人強の米軍を配備)が、これを見直す(日本に対する戦略的期待が低下したものと思われる)。
(4)新たな配備の方向性は次の通り。
・米軍配置を地理的にもっと広げ(distributed)、抗堪性があり、政治的にも問題性の少ない(sustainable)ものとする。
・特に南アジア、インド洋での米軍プレゼンスを強化する。豪州は南アジア、インド洋をコントロールするうえで、戦略的な重要国家。
・昨今は太平洋とインド洋が軍事的にも一つながりになってきた。シンガポールは、両洋を繋ぐチョークポイントで、戦略的に重要。同国には既に沿岸防衛用艦艇を配備したし、これからは共同作戦も検討する。
・このような戦略上のニーズに、米軍の配備・行動をどう合わせていくか。現状のトランスフォーメーションを見直す必要がある。いずれにしても米軍のプレゼンスをもっと広く分布させる必要があり、そのために同盟国、パートナー国を増やしていく。
2.従来のトランスフォーメーションの概要
冷戦間、米軍は、ソ連を封じ込める体制――前方展開戦略――に基づいて配置されていた。1991年のソ連崩壊後、米国はその世界戦略の見直しを迫られた。
米軍の展開態勢見直し(Global Posture Review, GPR)は、海外駐留米軍の体制を根本から見直すもので、QDR2001(2001年に公表された、4年毎の国防政策見直し)において宣言されたのち、2003年11月より正式に開始された。
その基本構想は、次のようなものだ。
(1)共産圏諸国封じ込めのため、その周囲に配置した米軍兵力は時代遅れ
(2)師団(約2万人)ではなく旅団(約4000人)を戦闘単位とし、小型軽量の部隊を急速に展開できるようにする
(3)ITを全面的に活用し、情報収集と命中精度を飛躍的に向上させ、重い砲を減らす
(4)テロ活動と大量破壊兵器の拡散が米国への脅威で、それへの対応に力点を置く
この基本構想は、ソ連崩壊後の米国は相対的に突出した軍事力を保持し、世界の警察官として、全世界に関与する――という前提になっていた。
ちなみに、この一環として、日本でも、(1)沖縄の第3海兵遠征軍司令部、第3海兵師団など8000人をグアムに移転、(2)在韓国の第8軍司令部を廃止する代わりに、小型(約300人)の第1軍団司令部を米ワシントン州から神奈川県の座間に移転すること、が表明された。
3.米国・米軍にとっての新たな情勢の出現
QDR2001が策定された頃に比べ、米国・米軍の戦略環境は以下のように大きな変化を見せ始めた。
(1)日本の没落
日本が経済的に没落しつつある。今次、東日本大震災は日本の没落を加速する可能性がある。また、政治的には民主党政権が出現し、従来の自民党ほどには米国の意のままにならなくなった。
米国は日本を、「太平洋の要石(Key Stone of the Pacific)」 と位置づけ重要視してきたが、今後、日本を米国戦略に活用する目算が立ちにくくなりつつある。
(2)中国の台頭と軍事的脅威の顕在化
米国の当初の対中国政策は、「ヘッジ」と「エンゲージメント」政策の二股を掛けたものだった。
「ヘッジ」とは、将来、中国が米国の覇権に挑戦する時には、いつでも中国を軍事力で制圧するか、封じ込め得る体制を作ることを指す。
「エンゲージメント」政策とは共産党独裁国家の中国を米国と同じスタンダードに徐々に変えるために中国と関わることで、経済・社会・人権基準などを米国なみに整合させようと努力することだ。
しかし、最近、米国は、中国が空母建造に踏み切り、米空母の投入を防ぐ対艦弾道ミサイルの開発を急ぐなど著しい軍拡に鑑み、「ヘッジ」政策に傾きつつある。
(3)米国の凋落
原因はともかくも、米国の経済は、「世界の警察官」を担うだけの余力を失いつつある。今後10年間で国防予算を最大6000億ドル削減する予定で、陸軍・海兵隊最大約20万人、海軍艦艇最大60隻、空軍戦闘機最大468機を削減するとの報道がある。
(4)イラク・アフガンからの撤退
バラク・オバマ大統領は、10月21日、イラク駐留米軍部隊を年末までに全面撤収させると発表した。また、6月には、約10万人の規模となっているアフガニスタン駐留米軍を7月より部分撤退し、2012年の夏までに計3万3000人を撤収させる計画を発表した。
アフガン駐留経費はこれまでに4400億ドル(約35兆円)に達し、米財政に重い負担になっており、残りの部隊も、早晩撤退を余儀なくされるものと思われる。
イラク・アフガン部隊の撤退は、米国の次なる世界戦略策定を急がせるトリガーになることは間違いないことだろう。
4.新たな米軍戦略の骨格と特徴
(1)米国の基本スタンス――パクスアメリカーナへの未練
米国は、超大国の地位から降りることを納得するだろうか。ペンタゴンや国務省などの戦略策定担当者たちは、新戦略を検討するに当たり、現実としてもはや米国がパクスアメリカーナを維持できないことを知りつつも、なお過去の栄光を完全に排除することはできないだろう。
従来の手法のように、北大西洋条約機構(NATO)や日本の支援を受け、パクスアメリカーナを維持することに腐心するだろうが、やがて断念せざるを得ないだろう。
米国の新戦略を策定するうえで、自国の現状の国力――超大国なのか、大国の1つに過ぎないのか――を客観的に評価・認識することが、「あるべき戦略」を決める要件なのだが。
言い換えれば(1)引き続き、世界覇権の維持を目指すか、(2)世界覇権の維持を断念し、アジア覇権の維持のみを最優先目標として掲げるのか、ということだ。
2014年に発表されるはずの次のQDRで、米国が自国の立場をどのように認識して、記述するのか注目される。
(2)米国の乗ずべき中国のアキレス腱
中国は、資源を海外に求めざるを得ない。しかも、ヒマラヤ、新疆ウイグル自治区やモンゴルを経由して内陸正面から物資を搬出・搬入する量は限定的で、やはり主たる貿易は海洋に依存せざるを得ない。
海洋上の中国の生命線(シーレーン)は、3つある。
第1のルートは、マラッカ海峡からインド洋経由で中近東・アフリカに到るもの。
第2のルートはパプアニューギニア周辺を通過してオーストラリアや南米に到るもの。ちなみに、このルートは、大東亜戦争において、日本(帝国陸海軍)が米国とオーストラリアを分断するために実施した「SF作戦」の方向と同じである。
「SF作戦」は、フィジー、サモアおよびニューカレドニアを占領することにより、南方戦線におけるオーストラリアの脅威を排除するとともに、米国(ハワイ諸島)とオーストラリアの間のシーレーンを遮断することでオーストラリアを孤立させ、同国をイギリス連邦から脱落させることを狙った作戦であった。
第3のルートは、琉球諸島正面から北米に到るもの。
第1のルートのチョークポイントはマラッカ海峡。第2のルートのそれはパプアニューギニア・マーシャル諸島・ソロモン諸島などの周辺海域。第3のルートの場合は沖縄・宮古海峡ではないだろうか。
米国としては、中国との有事に、かかるチョークポイントを制することができる体制を構築することを目指すと思われる。
(3)新たな陣立て(ニュートランスフォーメーション)をするうえでの考慮要件
中国は「Anti-Access(接近阻止)/Area-Denial(領域拒否):A2AD」という海洋戦略を掲げている。
この戦略は、遠方から来る敵を防衛線内に入れさせず(接近阻止)、防衛線を突破されてもその内側で敵に自由な行動を許さない(領域拒否)というコンセプトである。
さらに言えば、この防衛線内に存在する既存の米軍基地に対しては、米国の戦闘機が基地から飛び立つ前に弾道ミサイルで敵基地(在日米軍基地)の滑走路などを先制攻撃する軍事ドクトリンを新たに取り入れたと報じられた(6月20日付読売)。
このような状況で米軍が緒戦に生き残るためには、次の点が重要になる。
(i)中国との間合いを従来以上に離隔させ弾道ミサイルの射程外(約1850キロと推定)に出ることが望ましく、ミサイルの奇襲攻撃に対処(ミサイル迎撃ミサイルなど)できるようにする。
(ii)広域に分散すること。
(iii)ミサイルからの被害を局限するための抗堪化や、滑走路の被害復旧能力の強化。
(4)重視地域
上記(2)の分析のように、今後米国はオーストラリアと太平洋諸島(パプアニューギニア、マーシャル諸島、ソロモン諸島など)を従来以上に重視し、軍事的な配備を強化することだろう。
特に、オーストラリアは上記の3ルートのいずれにも扼する(対処する)ことができる位置にあり、今後オーストラリアの戦略的価値は米国にとって極めて重要なものになることだろう。
(5)二重包囲網の形成
中国は、太平洋正面への進出目標線として、第1列島線(九州を起点に、沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオ島に至るライン)および第2列島線(伊豆諸島を起点に、小笠原諸島、グアム・サイパン、パプアニューギニアに至るライン)を挙げている。
米国は、今後これに対抗して、従来の日本・韓国・台湾・フィリピンのラインに加え、グアム・マーシャル諸島・ソロモン諸島・オーストラリアを連ねるもう1つの防衛ラインを設けて、中国を二重に封じ込める新たな陣立て(ニュートランスフォーメーション)を構成するものと予想する。
米国が、将来、戦力の逓減具合が大幅で、中国の相対的戦力が第1列島線付近で劣勢になると認めた場合は、第1列島線の防衛を放棄し、グアム・マーシャル諸島・ソロモン諸島・オーストラリアを連ねるもう1つの防衛ラインまで後退する可能性もあろう。
このことは、日本が米国の防衛線から切り捨てられることを意味する。
(6)軍事インフラ建設のための財政措置
今後は、沖縄の第3海兵遠征軍司令部、第3海兵師団など8000人をグアムに移転する際に、日本が財政負担をするような「ウマイ話」はないだろう。
従って、米軍の新たな展開基地は、関係国の既存の軍事基地のほかに、民間施設(空港・港湾)を最大限活用するという方針になるだろう。
5.結言――日本への影響
これまで、日本は米国にとってかけがえのない戦略基盤であった。その理由は(1)(冷戦時代)極東ソ連軍の封じ込めの拠点、(2)インド洋や中東までも展開する米軍の基地機能の提供、(3)財政的な支援など。
しかし、今日経済的に疲弊しつつある日本は、将来、財政面でそれほど大きな貢献をすることは期待できなくなりつつある。米国は、日本はもはや「金の卵」を産まなくなるだろうと思っているに違いない。
しかも、中国との距離が近すぎて、在日米軍基地は徐々に中国の弾道ミサイルなどの脅威にさらされることになるだろう。さらに、自民党政権に比べれば、民主党政権は御し難い。
近い将来米国は日本の戦略的価値を「要石」などと持ち上げなくなるだろう。その帰結として、次の通りのシナリオが考えられる。
第1のシナリオ:米国は、日米安保を維持するものの、その信頼性は空洞化する。
第2のシナリオ:米国は、一方的に日米安保を破棄する。
第3のシナリオ:米国は、日米安保条約を双務条約に改定することを迫る。
戦後、60年以上にわたり、我が国の平和と繁栄の基盤になってきた、日米安保体制が今重大な岐路に差しかかっていることを銘記すべきだろう。日本は、戦後レジームのコペルニクス的な転換の時期を迎えるかもしれない。
なお、日本政府にとって喫緊の課題である海兵隊を普天間からグアムに移す計画について米国政府は、上記のような思惑から、白紙に戻し、新たな再配置の全体計画(ニュートランスフォーメーション)を策定した後に、在日米軍の再配置を改めて決めるのではないかと思われる。
10月25日、野田佳彦総理と会談したレオン・E・パネッタ国防長官は、これまで通り、辺野古への移設を主張した。これは、「そもそも移設の可能性が低いことを見越して、日本政府に貸しを作る思惑」と見るべきかもしれない。
半世紀以上続いた戦後レジームをどのように変えればよいのだろうか。日本国民は、生存(安全保障)と繁栄の道――生き残りの道――について、真剣な議論をしなければならない重大な時期にあるものと思う。
<筆者プロフィール>
福山 隆Takashi Fukuyama
元陸将、現在は(株)ダイコー専務
1947年長崎県生まれ、70年・防衛大学卒業(応用科学専攻)、陸上自衛隊入隊。89年・1等陸佐、93年・第32普通科連隊長として地下鉄サリン事件の除染作戦を指揮。98年・陸将補、2003年・西部方面総監部幕僚長、2004年・陸将、2005年・退官、山田洋行顧問。2009年・ダイコー専務に就任して現在に至る。
=============================
◆自分の国は自分で守る決意/境外を保護するのは法律、正義、自由ではない。国際法も国力の強弱に依存2011-01-12 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉
日本抹殺を目論む中国に備えはあるか?今こそ国家100年の計を立てよ、米国の善意は当てにできない
JB PRESS 2011.01.12(Wed) 森 清勇
今日の国際情勢を見ていると、砲艦外交に逆戻りした感がある。そうした理解の下に、今次の「防衛計画の大綱」(PDF)は作られたのであろうか。「国家の大本」であるべき国防が、直近の政局絡みで軽々に扱われては禍根を千載に残すことになる。
国家が存在し続けるためには国際社会の現実から目をそらしてはならない。日本の安全に直接的に関わる国家は覇権志向の中国、並びに同盟関係にある米国である。両国の国家としての在り様を検証して、国家百年の計を立てることこそ肝要である。
*中国は日本抹殺にかかっている
1993年に中国を訪問したポール・キーティング豪首相(当時)に対して、李鵬首相(当時)が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語った言葉が思い出される。
既に17年が経過し、中国は軍事大国としての地位を確立した。日本に残された期間はわずかである。
中国の指導者の発言にはかなりの現実味がある。毛沢東は「人民がズボンをはけなくても、飢え死にしようとも中国は核を持つ」と決意を表明した。
当時の国際社会で信じるものは少なかったが実現した。?小平は「黒猫でも白猫でも、ネズミを捕る猫はいい猫だ」と言って、社会主義市場経済を導入した。
また香港返還交渉では、交渉を有利にするための「一国両制」という奇想天外なノーブルライ(高貴な嘘)で英国を納得させた。
政治指導者ばかりでなく、軍高官も思い切ったことをしばしば発言している。例えば、朱成虎将軍は2005年に次のように発言している。
「現在の軍事バランスでは中国は米国に対する通常兵器での戦争を戦い抜く能力はない。(中略)米国が中国の本土以外で中国軍の航空機や艦艇を通常兵器で攻撃する場合でも、米国本土に対する中国の核攻撃は正当化される」
「(米国による攻撃の結果)中国は西安以東のすべての都市の破壊を覚悟しなければならない。しかし、米国も数百の都市の破壊を覚悟せねばならない」
他人の空言みたいに日本人は無関心であるが、日米同盟に基づく米国の武力発動を牽制して、「核の傘」を機能不全にしようとする普段からの工作であろう。
2008年に訪中した米太平洋軍司令官のティモシー・キーティング海軍大将は米上院軍事委員会公聴会で、中国海軍の高官が「太平洋を分割し、米国がハワイ以東を、中国が同以西の海域を管轄してはどうか」と提案したことを明らかにしている。
先の尖閣諸島における中国漁船の衝突事案がらみでは、人民解放軍・中国軍事科学会副秘書長の要職にある羅援少将が次のように語っている。
「日本が東シナ海の海洋資源を握れば、資源小国から資源大国になってしまう。(中略)中国人民は平和を愛しているが、妥協と譲歩で平和を交換することはあり得ない」と発言し、また「釣魚島の主権を明確にしなければならない時期が来た」
こうした動きに呼応するかのように、中国指導部が2009年に南シナ海ばかりでなく東シナ海の「争う余地のない主権」について「国家の核心的利益」に分類したこと、そして2010年に入り中国政府が尖閣諸島を台湾やチベット問題と同じく「核心的利益」に関わる問題として扱い始めたと、香港の英字紙が報道した。
*中国の「平和目的」は表向き
1919(大正8)年、魚釣島付近で福建省の漁民31人が遭難したが、日本人が救助し無事に送還した。それに対して中華民国長崎領事が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島・・・」と明記した感謝状を出している。
中国が同諸島の領有権を主張し始めたのは国連の海洋調査でエネルギー資源が豊富にあることが判明した1970年代で、領海法を制定して自国領に組み入れたのは1992年であるにもかかわらず、「明確な日本領」を否定するためか、最近は「古来からの中国領土」とも言い出している。
実際、首相が横浜APECで“首脳会談を開けた”だけで安堵している間に、ヘリ2機搭載可能で機銃まで装備していると見られる新鋭漁業監視船を含む2隻が接続水域に出没している。
海保巡視船の警告に対しては「正当に行動している」と返事するのみである。
中国の言う「正当な行動」とは中国の領海法に基づくもので、尖閣諸島に上陸しても正当化されるということにほかならない。現に、石垣市議2人が上陸したことに対し、中国外務省は「中国の領土と主権を著しく侵犯する行為」という談話を発表した。
漁船がさほど見当たらないにもかかわらず漁業監視船が接続水域を彷徨しているのは、日本人の感覚を麻痺させる(あるいは既に上陸しているかもしれない)のを隠蔽する作戦のように思われる。
係争の真っ只中で、そうした行動が取れるはずがないという識者も多いが、「尖閣は後世の判断に任せる」、あるいは「ガス田の協議をする」などの合意を平気で反故にしてきた中国である。何があってもおかしくない。
20年余にわたって2桁台の軍事力増強を図ってきた中国に透明性を求めると、「平和目的」であるとの主張を繰り返す。中国の「平和目的」は異常な軍事力増強の言い逃れであり、露わになってきた覇権確立のカムフラージュでしかない。
軍事力増強と尖閣沖漁船衝突のような異常な行動、さらには北朝鮮の無謀をも擁護する中国の姿勢が日米(韓はオブザーバー)や米韓(日本はオブザーバー)の合同軍事演習の必要性を惹起させたのであるが、中国はあべこべに自国への脅迫であるとクレームをつけている。
現時点では指導部の強権でインターネット規制などをしながら、人民には愛国無罪に捌け口を求めさせることで収拾している。
しかし、矛盾の増大と情報の拡散で人民を抑えきれなくなった時、衣の下に隠された共産党指導部の意図が、ある日突然行動に移されないとは言えない。
*米国を頼れる時代は終わりつつある
日本人で米国の「核の傘」の有効性に疑問を呈する者は多い。歴史も伝統も浅い米国は、「国民の国民による国民のための政治」を至上の信条としており、行動の基本は世論にあると言っても過言ではないからである。
フランクリン・ルーズベルトは不戦を掲げて大統領選を戦い、国民はそれを信じて選んだ。しかし、第2次世界大戦が始まるや、友邦英国の苦戦、ウィンストン・チャーチルの奮戦と弁舌巧みな哀願を受けた大統領は、米国民のほとんどが反対する戦争に参加する決心をした。
当初はドイツを挑発して参戦の機会を探るが、多正面作戦を嫌うドイツは挑発に乗らなかった。
そこでルーズベルトは日本を戦争に巻き込むことを決意し、仕かけた罠が「ハル・ノート」を誘い水として真珠湾を攻撃させることであった。
日本の奇襲作戦を「狡猾(トリッキィー)」と喧伝し、米国民には「リメンバー・パールハーバー」と呼びかけて国民を参戦へと決起させたのである。
逆に、世論が政府を動かないようにさせることも当然あり得る。核に関して言うならば、被害の惨状に照らして、国民が政府に「核の傘」を開かせないという事態が大いにあり得る。
虎将軍ら中国軍高官の発言は、普段から米国民にこうした意識を植え付けて、米国が日中間の係争に手を出せないように仕向ける下地つくりとも思われる。
米国初代のジョージ・ワシントン大統領は「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」と語っている。
日米安保が機能するように努力している現在の日本ではあるが、有事において真に期待できるかどうか、本当のところは分からない。能天気に期待するならば、これほどの愚はないということではないだろうか。
今こそ、日米同盟を重視しながらも、「自分の国は自分で守る」決意を持たないと、国家としての屋台骨がなくなりかねない。
中でも「核」問題が試金石であると見られる。親米派知識人は、「日本の核武装を米国が許すはずがない」の一点張りであるが、あまりにも短絡的思考である。
日本の核論議が日米同盟を深化させ、ひいては米国の戦略を補強するという論理の組み立てをやってはいかがであろうか。
米国が自国の国益のために他国を最大限に利用し、また国家戦略のために9.11にまつわる各種事象を操作(アル・ゴア著『理性の奪還』)したりするように、日本も自立と国益を掲げて行動しないと、米中の狭間に埋没しかねない。
核拡散防止条約(NPT)は高邁な趣旨と違って、保有を認められた5カ国の核兵器削減は停滞しているし、他方で核保有国は増大している。
「唯一の被爆国」を称揚する日本であるゆえに、道義的観点並びに核に関するリアリズムに則った新条約などを提案する第一の有資格者である。
同時に、地下鉄サリン事件の防護で有効に対処できた経験を生かし、核にも有効対処できるように準備する必要がある。
その際、形容矛盾の非核三原則ではなく、バラク・オバマ大統領の言葉ではないが、「日本は核保有国になれるが、保有しない」(Yes, we can, but we don’t)と闡明し、しっかり技術力を高めておくのが国家の使命ではないだろうか。
ヒラリー・クリントン米国務長官は「尖閣には日米安保条約第5条が適用される」と言明した。
しかし、かつて一時的にせよ、ウォルター・モンデール元駐日米大使が「適用されない」と発言したように、政権により、また要人により、すなわちTPO(時・場所・状況)に左右されると見た方がよい。
米国では従軍慰安婦の議会決議に見た通り、チャイナ・ロビーの活躍も盛んである。
ましてや、既述のように決定の最大要因が国民意思であるからには、核兵器の惨害が米国市民数百万から1000万人に及ぶと見られる状況では、「核の傘」は機能しないと見るのが至当ではなかろうか。「有用な虚構」であり続けるのは平時の外交段階だからである。
先人の血の滲む努力を無にするな
日本は明治維新を達成したあと、範を欧米に求めた。新政府の要路にある者にとって自分の地位が確立していたわけでもなく、また意見の相違も目立つようになり内憂を抱えていた。
しかし、それ以上に外患に備えなければ日本の存立そのものが覚束ないという思いを共有していた。そこで、岩倉具視を団長とする米欧使節団を送り出したのである。
一行には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などもいた。1年10カ月にも及ぶ長期海外視察は、現役政府がそのまま大移動するようなもので、不在間の案件処理を必要最小限に留めるように言い残して日本を後にしたのもゆえなしとしない。
よく言われるように、英国を観ては「40年も遅れている」とは受け取らず、「40年しか遅れていない」と見て、新興国日本の明日への希望を確認した。
また、行く先々で文明の高さや日本と異なる景観に感服するところもあったが、その都度、好奇心を発揮して記憶にとどめ、また瀬戸内海などの素晴らしい景観があるではないかと、「日本」を決して忘れることはなかった。
米国のウエストポイント陸軍士官学校を訪れた時は射撃を展示され、そのオープンさにびっくりするが、日本人ならばもっと命中させると逆に自信の程を高めている。
ことほどさように、初めて外国を視察しているにもかかわらず、その目は沈着で、異国情緒に飲み込まれることもなく、基底に「日本」を据えて比較検証しようとしている。
こうした見識はひとえに、為政者として日本の明日を背負って立たなければならないという確固たる信念がもたらしたと見るほかはない。
代表団が特に関心を抱いたことは、小国の国防についてである。オランダ、ベルギー、デンマーク、さらにはオーストリア、スイスなどを回っては、日本の明日を固める意志と方策を見出そうと懸命である。
もう1つ、国際社会に出ようとする日本が関心を持ったのは万国公法(今日の国際法)についてであった。プロシアの鉄血宰相ビスマルクの話には真剣に耳を傾け、また参謀総長モルトケの議会演説にも強い関心を持った。
概略は次のようなものだった。
「世界各国は親睦礼儀をもって相交わる態度を示しているが、それは表面上のことでしかない。内面では強弱相凌ぎ、大小侮るというのが実情である。万国公法は、列国の権利を保全する不変の法とはいうものの、それは大国の利のあるうちでいったん不利となれば公法に代わる武力をもってする」(ビスマルク)
「政府はただ単に国債を減らし、租税を軽くすることばかりを考えてはならない。国の権勢を境外に振るわすように勤めなければならない。法律、正義、自由などは国内では通用するが、境外を保護するのは兵力がなければ不可能である。万国公法も国力の強弱に依存している」(モルトケ)
このことは、現在にも通用する。しっかり反芻し、記憶することが大切である。
日本は「唯一の被爆国」や「平和憲法」を盾に、国際情勢の激変にもかかわらず官僚的手法の「シーリングありき」で累次の「防衛計画の大綱」を策定してきた。
こうした日本の無頓着で内向的対応が、周辺諸国の軍事力増強を助長した面はないのだろうか。
明治の為政者たちが意識した外国巡視に比較して、今日の政治家の海外視察はしっかりした歴史観も日本観も希薄に思えてならない。
*歴史の教訓を生かす時
ここで言う歴史の教訓とは、明治の先人たちが命懸けで体得した「国際社会は力がものをいう」というリアリズムである。今日ではそのことが一段と明確になっている。
アテネはデモクラシー(民主主義)発祥の地であり、ソクラテスやプラトンを輩出したことで知られている。
そのアテネでは人民(デモス)の欲望が際限なく高まり、国家はゆすり、たかりの対象にされ、過剰の民主主義が国力を弱体化させていく。
専制主義国家スパルタとの30年戦争の間にも国民は兵役を嫌い、目の前の享楽に現を抜かし道徳は廃れ、ついに軍門に下る。
その後、経済も復興するが、もっぱら「平和国家」に徹し続け、スパルタに代わって台頭した軍事大国マケドニアに無条件降伏を突きつけられる。一戦を交えるが惨敗して亡国の運命をたどった。
例を外国に求めるまでもない。日本にも元禄時代があった。男性が女性化し、風紀は乱れ、国家の将来が危ぶまれた。この時、出てきたのが「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で膾炙している『葉隠』である。
ことあるごとに死んでいたのでは身が幾つあってもたまらないが、真意は「大事をなすに当たっては死の覚悟が必要だ」ということである。
こうした考えが、自分たちのことよりも国家の明日を心配した米欧派遣の壮挙につながった。日本出発から1カ月を要してようやくワシントンに着くが、いざ条約改正交渉という段になって天皇の委任状のないことを指摘され、大久保と井上博文はその準備に帰国する。
往復4カ月をかけて再度米国に着いた時には、軽率に条約改正する不利を悟り代表団が米政府に交渉打ち切りを通告していた。
何と無駄足を運んだかとも思われようが、当時の彼らにとっては、国力の差を思い知らされる第1章と受け取る余裕さえも見せている。
国家を建てる、そして維持することの困難と大切さを身に沁みて知ったがゆえに、華夷秩序に縛られた朝鮮問題で無理難題を吹っかけられても富国強兵ができる明治27(1894)年まで辛抱したのであり、三国干渉の屈辱を受けても臥薪嘗胆して明治37(1904)年までの10年間を耐えたのである。
佐藤栄作政権時代に核装備研究をしていたことが明らかになった。「非核三原則」を打ち出した首相が、こともあろうにという非難もあろう。
しかし、ソ連に中立条約を一夜にして破られた経験を持つ日本を想起するならば、「日本の安全を真剣に考えていた意識」と受け取り、その勇気に拍手喝采することも必要ではないか。
国際社会は複雑怪奇である。スウェーデンもスイスも日本人がうらやむ永世中立国である。その両国が真剣に核装備を検討し、研究開発してきたことを知っている日本人はどれだけいるであろうか。また、こうした事実を知って、どう思うだろうか。
「密約」を暴かずには済まない狭量な政治家に、そんな勇気はないし、けしからんと難詰するのが大方ではないだろうか。しかし、それでは国際社会を生き抜くことはできない。
*終わりに
漁船衝突事案では、横浜APECを成功させるために、理不尽な中国の圧力に屈した。日本は戦後65年にわたって、他力本願の防衛で何とか国家を持ちながらえてきた。
しかし、そのために国家の「名誉」も「誇り」も投げ捨てざるを得なかった。今受けている挑戦は、これまでとは比較にならない「国家の存亡」そのものである。
米国から「保護国」呼ばわりされず、中国に「亡失国家」と言われないためには、元寇の勝利は神風ではなく、然るべき防備があったことを真剣に考えるべきである。
そのためにはあてがいぶちの擬似平和憲法から、真の「日本人による日本のための日本国憲法」を整備し、名誉ある独立国家・誇りある伝統国家としての礎を固めることが急務であろう。
〈筆者プロフィール〉
森 清勇 Seiyu Mori星槎大学非常勤講師
防衛大学校卒(6期、陸上)、京都大学大学院修士課程修了(核融合専攻)、米陸軍武器学校上級課程留学、陸幕調査部調査3班長、方面武器隊長(東北方面隊)、北海道地区補給処副処長、平成6年陸将補で退官。
その後、(株)日本製鋼所顧問で10年間勤務、現在・星槎大学非常勤講師。
また、平成22(2010)年3月までの5年間にわたり、全国防衛協会連合会事務局で機関紙「防衛協会会報」を編集(『会報紹介(リンク)』中の「ニュースの目」「この人に聞く」「内外の動き」「図書紹介」など執筆) 。
著書:『外務省の大罪』(単著)、『「国を守る」とはどういうことか』(共著)
国防 日米安保条約が締結されてから50年目が経ち、いつしか日米安保は空気のような存在となった。そんな折、日本では自民党政権が倒れ、沖縄にある普天間基地の国外・県外への移設を掲げる民主党政権が誕生した。普天間基地の移設問題では早くも日米間できしみが生じるなど、日本の国防が根底から揺らぎそうな雰囲気だ。一方、中国が軍事力、なかんずく海軍力を大幅に増強、北朝鮮からは核ミサイル発射の危険性も現実のものとなり、国を守ることを国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時代を迎えている。 *強調(太字・着色)は来栖
==============================
◆中国の戦略的意図は米軍を沖縄から追い出し、この地域の軍事的主導権を握ること2011-04-01 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉
◆知らないのは日本人だけ?(1)世界の原発保有国の語られざる本音/多くの国は核兵器を持ちたいと思っている2011-06-14 | 地震/原発
現在、31カ国が原発を所有している。原発による発電量が最も多い国は米国であり、その発電量は石油換算(TOE)で年に2億1800万トンにもなる(2008年)。
それにフランスの1億1500万トン、日本の6730万トン、ロシアの4280万トン、韓国の3930万トン、ドイツの3870万トン、カナダの2450万トンが続く。日本は世界第3位だが、韓国も第5位につけており、ドイツを上回っている。
その他を見ると、意外にも旧共産圏に多い。チェルノブイリを抱えるウクライナは今でも原発保有国だ。石油換算で2340万トンもの発電を行っている。その他でも、チェコが694万トン、スロバキアが440万トン、ブルガリが413万トン、ハンガリーが388万トン、ルーマニアが293万トン、リトアニアが262万トン、スロベニアが164万トン、アルメニアが64万トンとなっている。
旧共産圏以外では、中国が1780万トン、台湾が1060万トン、インドが383万トン、ブラジルが364万トン、南アフリカが339万トン、メキシコが256万トン、アルゼンチンが191万トン、パキスタンが42万トンである。
その他では、環境問題に関心が深いとされるスウェーデンが意外にも1670万トンと原発大国になっている。また、スペインが1540万トン、イギリスが1370万トン、ベルギーが1190万トン、スイスが725万トン、フィンランドが598万トン、オランダが109万トンとなっている。(⇒)
↧
日米安保破棄を真剣に検討し始めた米国 米軍の再編がもたらす日本の危機にどう立ち向かうか
↧