確定死刑囚:複雑な思いの死刑囚 市民団体調査、86人回答
市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」は、今年6月時点で死刑が確定していた120人を対象に実施したアンケートの結果をまとめた。約7割に相当する86人が回答しており、死刑囚のナマの声が伝えられるのは異例。死刑制度に対する思いや、東日本大震災の被災者への配慮をつづった内容もみられた。【伊藤一郎】
◇刑受けるのが遺族様にできること/いつ執行か、精神的な拷問と同じ/3分でいいから生の会話したい
ある男性は「その時がくれば、あらがうことなく刑を受けようと思う。それくらいしか被害者御遺族様にできることはない」と記入。一方で別の72歳の男性は、刑事訴訟法が「(死刑の執行命令は)判決確定日から6カ月以内にしなければならない」と定めているのに、既に6カ月が経過したことを理由に「断固、執行は拒否する」とつづった。
また、64歳の男性は「(死刑執行は)事前に告知して心の準備をする機会を与え、死刑囚自ら苦痛の軽減を図れるようにする」ことを要望。39歳の男性は「自分のした事の重さは十分に分かっているが、いつ執行で身体を持っていかれるか分からないという気持ちが分かりますか? 精神的な拷問と同じです。(中略)生きて償いをしたい」と訴えている。
3月の大震災に触れたある男性は「被災地で生活している方々がいまだに不自由で苦難な生活をしているなかで、私は毎日3食も食事をいただき、入浴もさせていただいています」と記載。そのうえで「大切な血税にて生かされて、罪のない被災地の方々が苦労されていることを考えると、アンケートに答える気になれない」と被災者を気遣った。
アンケートでは、再審請求の状況や処遇の実情についても質問。回答者の約6割に当たる52人が再審請求中で、20人が請求予定とした。また、親族などとの面会・文通が一切ないと答えたのは5人。他人と会話する機会がなく「3分でいいから生の会話がしたい」と訴える記述もみられた。
<確定死刑囚の主なメッセージ>
◇奥西勝死刑囚(名張毒ぶどう酒事件)
調書は誘導と強要によるもので、事実と全く違います。一日も早く再審開始して、無罪を決定してください。 ◇間中博巳死刑囚(茨城同級生殺害事件)
死刑囚というと“極悪非道”をイメージしますが、ほとんどの死刑囚は普通の人たちなのです。普通の人たちが道をふみ外して殺人などを犯してしまったのです。
◇小林光弘死刑囚(弘前武富士強殺放火事件)
共同室(雑居房)から大きな笑い声が聞こえてきます。しかし、死刑囚が大声で笑うことはほとんどありえない事です。このような状況で、心情安定に努めなさいという事など無理な話です。
◇幾島賢治死刑囚(富山暴力団組長夫婦射殺事件)
死刑問題には関係ないが、この国難の時に政争はやめてもらいたい。(中略)被災者を一日も早く救ってください。それが政治の仕事と思います。
■ことば
◇確定死刑囚
法務省刑事局によると、11月10日現在で124人。全国の拘置所の単独房に収容されている。原則として他の収容者との接触は禁じられ、外部との手紙のやり取りや面会も限定されている。死刑執行は直前まで死刑囚には伝えられない。
刑事訴訟法は「法相は確定から6カ月以内に(執行)命令を出さなければならない」と定めているが、再審請求中や共犯者の裁判中は原則見送られている。歴代法相の中には思想・信条を理由に執行命令を出さなかったケースもある。法務省には現在、死刑制度の是非について検討する「死刑の在り方についての勉強会」が設置されている。
毎日新聞 2011年11月13日 東京朝刊
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◆麻原彰晃氏に死刑執行あるのか/近々の刑執行はない/『年報 死刑廃止2011』3.11以降も出続ける死刑判決2011-11-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
〈来栖の独白 追記2011/11/08Tue.〉
本日、セブンイレブンで『年報 死刑廃止2011』を受け取る。時の経つのは早いもので、今年もそういう季節になった。特集は「震災と死刑 生命を見つめなおす」。その特集の中から、部分転写してみる。
P11〜
3.11以降も出続ける死刑判決
安田:僕がここで発言するのはあまりふさわしくないと思うんですね。というのは、震災とは一番距離のあるところにいまして、どうしても僕なんかは毎日死刑のことを考え、あるいは死刑事件の弁護であくせくしているものですから、死刑という視点でしか3.11の出来事もとらえることができなくて、3.11をきっかけにどのように社会がブレるんだろうかと。たとえば2万人もの亡くなった人と行方不明の人がいる。にもかかわらず、なんで、1人、2人の、しかも事件を犯してしまった人たちの命を守らなきゃならないのか、ということで、死刑囚の人たちの命が危険にさらされるんじゃないかと、命の価値がどんどん貶められるんじゃないかという恐れがあります。また一方では、いやこれだけのたくさんの方が亡くなり、あるいは悲惨なことが起こったんだから、この際、出直そうじゃないか、リセットしようじゃないかということで、みんなが寛容になるということになるのか。私たちが生き残ることでできたことで、命のありがたさ、大切さを知る。過去の歴史を見ると、これだけの大きく不幸なことが起こったときには、赦免が行われて、それで国家が一体となってもういっぺん出直していくということとか、自分たちがやってきたことを見直して殺生をやめようとか、生き方を変えるとかも行われてきたわけですけれども。そのどちらに進むのかなと、ジーッと見ていたわけです。
しかし、今は、まだ原初的な段階にあって、思想的にも、社会制度的にも、一種の無政府状態、混乱状態にある。それをどっちかに行かせるような大きな力はまだ生まれてきていない、そういう状況なのかなと思っているんです。
だから僕たちの役割は、たいへん重要なところにあると思っているんですけれども、そういう中にあっても、この間、6月になって、裁判員裁判で死刑判決がしっかり出ているんですよね。しかも連続的に、何の動揺も躊躇もなしにですよ。
裁判員裁判は、その準備だけでも大変な作業です。6月に判決となると、半年以上前から準備が始まる。その間、3.11があったわけですが、それに何の影響も受けることなく、むしろ、それが優先事項であるかのように、予定されたシナリオどおりに死刑判決が出てくるということにちょっと怖さを感じています。
P12〜
東電は誰も死刑にならないのか
岩井:今の話を聞いて、明日世界が滅びようとも死刑の執行はすべきだと言ったという哲学者の言葉を思い出しました。それが今日の座談会の底を流れる問題提起になっていくのかなと思います。