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鈴木宗男元衆院議員 仮釈放記者会見/「帰りを祝う会」に小沢一郎・鳩山由紀夫氏ら100人以上の国会議員

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仮釈放早々 永田町で「ムネオ節」鈴木元議員、首相政策を批判
産経ニュース2011.12.6 18:51
 受託収賄などの罪で服役していた新党大地代表の鈴木宗男元衆院議員が6日、仮釈放された。国会内で開いた記者会見で引き続き新党大地の代表にとどまり、政治活動を再開する意向を表明した。鈴木氏の「帰りを祝う会」も行われ、民主党の小沢一郎元代表や鳩山由紀夫元首相ら与野党から100人以上の国会議員が駆けつけた。
 収監からちょうど1年で仮釈放となった鈴木氏は会見冒頭、「1年ぶりに自由な空気を吸うことができました」と笑顔を見せた。だが、消費税増税に関し「政権交代で当時の鳩山代表は4年間は消費税の議論はしないと言った。約束を守るのが民主主義だ」と野田佳彦首相を批判。東日本大震災の話題では涙を見せるなど、100人以上の報道陣を前に約1時間、“ムネオ節”を炸裂させた。
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 「今朝8時に1年ぶりに自由な空気を吸うことができました。面白い巡り合わせで、昨年の12月6日に収監され、同じ日に仮釈放という巡り合わせですので、宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える鈴木宗男の生きざまはこの収監、仮釈放の日にもあっているのかなと、こんな思いをしながら朝8時、とても気持ちがいい、すがすがしい空気を外で吸うことができました」
 「万物に感謝しながら、ちょうど365日1年間の受刑生活、この経験を私は社会に生かしていきたいと思っております。もとより新党大地の代表ですが、これから東日本大災害に遭われた被災者の皆さん方のために私の立場で少しでも勇気や誇り。また希望や夢も与えられるように何ができるか被災者と一緒になってやれることをやっていきたいと思っています」
 「またこの1年の間に約1500通の多くの人からの激励の手紙やはがき等が入ってきました。1日に5通以上の通信があり、沖縄から鹿児島から全国各地からでした。全国に政治を必要としている人がいる。政治の重みや価値を求めている人がいるということを実感しましたので、そういった人たちの声もしっかり受け止めながらこれまた私の立場で精いっぱい汗を流していきたいと思っております」
 「今こうして話をしながらも3月11日、あの大地震、大津波で被害に遭われた皆さん方のことを思うと胸が痛みます。私以上に辛く苦しく悲しい思いで頑張っている人たちがいる。こう思ったときに逆に私自身が勇気や感激を、あの被災者の皆さんが大きく生きる姿を見たときに教えられた気が致します。このこともしっかり頭に入れて私なりにやっていきたいと思います」
 「この1年間、もとより私は政治家でしたから、この永田町の動きも気になりました。政治があったかなかったといわれると、政治はなかったのではないかと思いながら、国民や被災者に申し訳ないなと、私なりに現状を考えておりました」
 「この点も私なりにしっかり発信して、政治は普通の国民の気持ちを正直に体現する。これが私は政治の基本だと思っておりますが、その基本に立ち返るように、『国民生活第一』、その名の下に政権交代をしたせっかくの政権でありますから、私も新党大地として、今は浅野代議士が政権与党の一員でありますので、国民に信頼と理解を得れるように、これまた私のいくばくかの経験なり、今までの歩みを少しでも生かせることがあればと思って考えております」
 「おかげさまで今日、国会議員の先生方も来てくれておりますけれど、新党大地あるいは鈴木宗男と一緒に行動したいという多くの人からの励ましとお声掛けもありますので、これから時間をかけてしっかり話し合いをしながら、次のステージ、次の舞台も考えていきたいと思っております」
 「1年の間に私はさまざまな勉強をする中で、苦難を乗り越えるには3つ必要だと思いました。一つは自分の信念が大事だと思いました。筋を通す。確固たる責任を持ってぶれないでできる。こう考えました」
 「もう一つは一人では生きていけない。家族、知人、友人、仲間が必要だと思いました。幸い、家族は意を強くして『体には気をつけて、天の配剤だと思って、神様が与えてくれた時間だと思って、体に気をつけて頑張れ』と家内や娘や息子が言ってくれまして、これは安心しました。同時に松山千春さんはじめ、多くの後援者からも『信じているから頑張れ』、こういう言葉をいただきまして。『疾風に勁草を知る』。後漢の光武帝が自分の配下である王覇をたたえた歌でありますけれど、わが後援会は、私の友人や知人や支持者はこの言葉にふさわしいなあと思ってですね、これまた意を強くしたものです」
 「3つ目は私は目に見えないものの力があると思いました。目に見えないものといえば、ご先祖さまの加護、亡き両親の加護があるなと思いました。こういった万物に支えられてもいるなと、こんな思いをしての365日でありました。このことをしっかりこれからも胸に刻んで頑張って参る決意であります」
 「娘から再三、『検察は事件を作り上げ、裁判所は真実を明らかにできなかった。お父さん、帰るところがあるんだから安心して。体が一番です』。こんな再三のメッセージをいただきながらこれまた何よりも私にとっては励みになる、便りだったなと思って今改めて思いをするところであります」
 「昨日の夜、明日が仮釈放だというものですから、寝ようと思ってもなかなか寝付けられませんでした。やはり鈴木宗男は気が弱いなと自分で思いながら、この気の弱さが検察に乗じられたのかなと思いながら、これからはもっと気を強くしてしっかりやらなくてはいけない。その気を強くするのは自分より大変な人がいる。自分より辛い人がいる。自分よりもっともっと苦労している人がいる。その目線を忘れないで、もう私自身、権力闘争や前を見る必要はないと思いますから、前を見るのではなくてしっかり後ろを見ながら、声なき声を受け止めて、これまた鈴木宗男なりの生きざまをしたい。こんなふうに考えております」
 「今日、朝、眠れない夜でありましたけれども、それでも気分は爽快でした。63年の人生で寝れなかった日が今日で2回目であります。1回目は昭和58年の12月18日の夜でした。これは第1回目の私の選挙で、開票日でした。即日開票で4万2500票しかでなくてですね。順位は2番目でしたけども当選確実が出なかったんです。一晩を明かしたことを思い出しました」
 「それ以来2回目の寝れない夜を過ごさせていただきましたが、1回目も2回目も希望のある寝れない日でありましたから、必ず1度つくった奇跡のあの1回目の戦いです。平成14年に逮捕されて、437日の拘留期間を経て出てきて、平成17年再びカムバックしたのが2回目の奇跡のカムバックとも言われてましたけども、3回目があるかどうかは、私自身が判断するもんではありませんけれども、とにかく少しでも人様のために政治は弱い人のためにあるという新党大地の原点だけは忘れないで自分のできることをその務めを果たして参りたいと思っております。今日皆さん方にお越し頂きましたことに、お礼申し上げて仮釈放された日の鈴木宗男のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました」
 −−原発の事故、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉参加、石川知裕代議士の裁判の判決もあった。政治家・鈴木宗男としてコメントをいただけないか
 「私は生涯政治家であるとの考えには変わりはありません。それは21歳で学生の時から中川一郎先生の秘書になって、35歳で国会に出て、49歳で大臣をやり、50歳で官房副長官、51歳で自民党総務局長等々やりながらですね、おかげさんで昨年の8月4日には本会議において衆議員の永年表彰。私から政治を取ったらなにも残ってませんから。生涯政治家であるという私自身の考え、あるいは姿勢は変わるものではありません。しっかり役割を果たし参りたい。私に与えられた環境、立場でやっていきたいと思います」
 「3月11日の大震災ですが、私自身もさくら市の社会復帰促進センターでちょうどあの時間、仕事を。仕事というのは私は病棟というところに配役になっていて、お年寄りの介護だとか体の不自由な人の介護、入浴だとかお世話なんですよ。あるいは食事の配当などやっておりまして、ちょうど私はその時お年寄りの世話でした。あの社会復帰促進センターは粘土質ですから地盤が固いんですが、それでもですね相当な揺れで、私はお年寄りの車いすを押してお風呂に入れる直前だったんですが、そこで地震にあったんですけどね、お年寄りを倒しちゃいけない。事故になりますしね、けがさしちゃいかんと思って必死になって押さえておりましてね、その後から大災害だということになってきて、私はやっぱり1番辛かったのは何もしてやれない自分がここにいるということ」
 「この点本当に申し訳ない。これが1番の苦痛というかですね、辛かったですね。私は何ができるかと思って、たまたまラジオから避難されている人たちが靴下足りないとかですね、下着が足りないということですから。私は事務所に電話してとりあえず私の持っていた靴下5足、それしか遅れるものなかったもんですから5足の靴下。あと事務所では毛布だかとか食料品を集めて出して東北のいろんな人間関係で送ることができまして。お礼の手紙なんかもきましたけどね。副代表が一生懸命ボランティア活動したりですね、頑張ってくれましたんでね、良かったかなという思いを持ってます」
 「原発については、残念ながら技術的なことは私もそんなに正しくは知りませんけども、1つ言えることは技術的には、間違いなく制御棒は降りて原発は止まったことは事実ですね。しかし残念ながらあの津波によってバックアップ体勢が全部破壊されたということ。想定がないと言っても、私はやっぱり想定するのが、この政治だとかあるいはこの責任ある立場だとか、さらには少なくとも原子力というのはリスクがあることも事実なわけですから、私のこの想定外という言葉で済まされる話でない」
 「これを思ったときですね、これまたあの福島原発周辺の皆様方にとっては大変な痛手だし申し訳ないしね、特にこれは自民党政権時代進めてきた話ですから、あの安全神話が本当にこのわれわれも、私自身も現職としてですよ、当時の通産省や科学技術庁の説明を聞きながら、正しかったのかどうかというのはこれもまた自問自答したときですね、これまた被害に遭われた人たち、故郷を離れざるを得なかった人たちには申し訳ないなという思いを持ちました」
 「ただ、その中でやっぱり少しでも放射能漏れを防ごうと思って頑張った人もいた。この人たちの体を張っての努力はこれまた私は東電関係者も技術屋さんの一部もそうでありますし、また消防士、自衛官、警察官もそうでありますけども、こういった人たちの努力もまた国難に立ち向かったわけですから高く評価するとき、改めてやっぱりこの政治の判断は重いもんだし、やっぱりしっかりしなくてはいけない。何があっても大丈夫だという態勢をとってやるのが責任ある政治の姿でないかなということを思いましたね」
 「TPPについては、私は反対です。なぜか。1つは、民主主義は手続きが1番です。次に中身です。私は、今の野田佳彦首相も前政権の菅直人さんの尻拭いといえば表現がどうか分かりませんが、何となく後を引いている。菅さんが言った話をですね、政権継承したという流れの中でですね、受け継いでいるような感じも持っております」
 「例えばオバマ米大統領はこのTPPで、110億ドルの輸出創出と7万人の雇用創出と言っております。アメリカはいいかもしれませが、日本は何のメリットがあるんでしょうか。野田首相は守るべきものは守ると言いますが、FTAなどですね、2国間交渉になれば、守るべき個別案件はありますよ。しかしTPPは、私は個別案件は該当しないと思いますね。すべて段階的関税撤廃ですよ。今、日本のおいしい米、評価の高い米にしたって、1000%の関税をかけているから生きているんですよ。小麦だとかミルクだとか大豆どうするんですか。300%、400%の関税で日本の農家は生きているんですよ」
 「同時に日本の農家は与えられた条件の中でこれ以上ないというぐらいの努力をしてます。その農家の皆さんに十分な説明もなく、これで行くんだというのは私は手続きからしても問題だ。急ぐ話ではない。同時にTPP加盟国でも日本とアメリカで9割貿易占めるんですよ。日本がこれだけのメリットがありますという具体的な数字を出せると思ったら大間違いですね。車が今約2兆4000億円ぐらいですが輸出量が。それに関する関税が部品など入れて850億円です。その850億円が無くなるんだと言って車業界が言いますけれども。850億円で3兆円の農業を無くしていいんですか。私はここら辺は堂々と出てもっと政治家も勉強して、きちっと納得のいく議論もして本当の国益は何かという観点に立って詰めるべきだとこう思っています。そういった意味で手続きもなく、中身も十分説明もなくてですね、ただTPPだ、消費税だというのは問題があると思っています」 「私は特に消費税の議論は、政権交代で当時の鳩山由紀夫代表は4年間は消費税の議論はしないと言ったんです。これによって国民も政権交代に舵を切った部分もあるんですから、約束は守る。これは民主主義の約束事だとこう思います」
 「合わせて、消費税の議論をする前に、国会議員の定数を衆議院は100人。参議院人口100人で1人。きちっとした政治家としての姿勢を示しながら同時に公務員の給料削減だと。7・8%なんて言ってます。そんなことする前にまず大事なのは、国会議員給料3分の2カットですよ。500万円のボーナスももらわない。復興が明らかになるまでは返上します。これやっただけで、ボーナスだけで35億円浮きます。給料だけで35億円浮きますよ。10年間で700億円できるんじゃないですか」
 「公務員は給料は担保した方がいいと思います。生活がかかってますから。ボーナスです。国家公務員のボーナス今約8500億円です。国民の税金使っているのは。これみなさん3分の1カットしただけでも約3000億円浮くんじゃないですか。10年間で3兆円出ますよ。あるいは公務員宿舎4分の1。この都内廃止だとか出てますけども、全部無くすべきですよ。緊急なものだけ残したって何が緊急なんですか。何とでも手打ちますよ、官邸もあればですね、衆議院の宿舎もあるんですから」
 「首相が記者会見で『私はこう思っている。国民のみなさん協力してください。国民の皆さんが選んだ国会議員ですから、皆さん方から国会議員にも言ってください』といえば、国会議員反対できますか。選挙区抱えているんですから。私は、やはり政治家のリーダーシップ、特に首相なり要、要の人がしっかり発言してリーダーシップをとれば、国民もそこまで血を流し身を削りやっているか、それならばわれわれも、年金をもらう場合でも財源が必要だ、よし協力しよう、こんなことになると思うんですよ。この点も新党大地の代表としてしっかり発信していきたいし、やることはやる、またすぐできることだというメッセージを堂々と訴えていきたい」
 「あと、石川さんの裁判についてですけども、私もあそこにいて新聞は1紙、全国紙1紙とスポーツ紙1紙です。あとラジオはNHKの夜の7時のニュースしか入らない。面会、あと事務所、浅野貴博代議士などからの情報などできて一番驚いたのは推認という話が出てきたり。推認でやられたら鈴木宗男はもっと重い罰を受けたのではないかなと思うぐらい動転しました」
 「私は石川代議士。ご両親もよく知っているし同郷です。石川代議士の人間性もよく知っています。少なくとも水谷建設から石川さんが5000万円もらっていないことは、私もそれなりの裏付け、私自身、直接聞いた話ですから、グレーゾーンというか分からない部分がある水谷建設さん側でも。本当に真実を明らかにする法廷が真相解明だとかに十分な期間としての人を裁く場所としての役割を果たしているかというとちょっと疑問に思いました」
 「私は石川さんを信じておりますから、石川さんに堂々と最後まで戦っていただきたい。このことは小沢一郎先生にも言えます。法律の専門家、法律に詳しい検察が立件しようと思ってもできなかった事件を、また何となく興味本位で論調している人が多いんですけれども、それはこれまで本当に公正公平かというのが私自身はちょっと首をかしげます」
 「しかし、これは今裁判進行中でありますから、必ず私は裁判の進行の中でだんだんと真実が出てくると、こう思っていますし。同時に私は小沢先生の裁判でも私自身ひとつ感じることがあるんです。私も中川一郎先生の秘書をやっていました、年間大きなお金を私自身預かっていました。田中角栄先生が逮捕されたとき、中川一郎先生はこう言いました。『おれは角さんのようにはならない。俺に何かあったら鈴木が捕まってくれる』と。こう中川先生が言うぐらい私は信頼されてました」
 「私は秘書としてどんなことがあっても親方、中川先生には迷惑をかけない。これが秘書の考えなんです。そしたら、大きなお金は個別に分けてもらったようにするだとか、相手の了解も得ながら、いろいろですね、立場を考えて法律も考えながらその範囲の中で最大の許容量と言いますか、許容限と言いますかですね、許容範囲を考えてやっていくものが秘書の務めなんですよ」
 「私は政治資金の虚偽記載についても、絶対中川先生には迷惑をかけないという思いの中で、その中で精いっぱいのこれならば理解されるんではないか、これならば許されるんではないかという中で書類整理などはやってたわけでありますから。この点もちょっと私は実態、その国会議員の秘書さんが全部書類をつけている話です。直接、議員さんが名簿つけている人が何人いるかと言った場合、いないと思いますけどね。それでも議員が胸に手を当てて、俺は100%間違いない、そう言える議員が何人いるか。逆に私はお目にかかりたいと思うぐらいの気持ちで、あわせて秘書を信頼をしてやっていることも私は事実だと受け止めています」
 −−今後、北方領土問題に対してどのように取り組んでいくか
 「北方領土問題は私のライフワークです。日本でライフワークといえば緩やかに聞こえますが、米国でライフワークといえば命をかける仕事と受け止められています。私も結果的には逮捕されて、直接事件はなかったんですけども、当初皆さん方も外務省や検察のリークで流されたのが北方領土の人道支援だとか、アフリカの人道支援(に関する事件の容疑)で捕まると言われたわけですから。結果はなかったわけでありますけれども」
 「私自身、命をかけた仕事で逆に逮捕ということもあったかなとは思いますけども、私は死ぬまで領土問題とは鈴木宗男は切っても切り離せないと思っているし、私はやはり、元島民の皆さん方も平均年齢が80歳に近くなっています。人生としてこれからを考えるとき、なんとか皆さん方が元気なうちに解決に向けての道筋はぜひとも責任ある地位にある政治家はがんばっていただきたいなと思って。私なりに私の経験や人脈なんかも最大限生かしながらですね、協力できるものは協力していきたいと思ってます」
 「特に私は、ロシアは世界一の資源大国です。日本は世界一の応用技術を持った国です。世界一の資源大国・ロシアと応用技術世界一の日本が組めば、私は世界に貢献できると思っていますから。この点、これは原発、震災とも関係しますが、液化天然ガスはこれからの二酸化炭素の排出問題なんかも考えたときに、重要なエネルギーの大きな要素になってくると思います」
 「じゃあ、そのガスはどこかといえばロシアでありますから。私はロシアとのダイナミックな協力関係、まずはロシアとの信頼関係というか、大きな経済協力等を進めていけば、おのずからロシアも日本も良かったという流れができて、あわせて領土問題も動いていくのではないかと考えています」
 −−米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で野田政権は名護市辺野古の現行埋め立て案で推進しようとしているが
 「少なくともこの普天間移設の辺野古沖合案は自民党政権が決めた話なんですね。政権交代してですね、鳩山さんが選挙前も海外、もしくは国外と言ってきたんですから。沖縄の皆さんはそれは期待した。この期待に応えるのが約束事だと思います」
 「あわせて皆さま方も検証してほしいが、普天間の移設をやったのは橋本首相の時でした。そして私が沖縄開発庁長官の時に、あの名護移設を決めたんです。当時は比嘉市長さん。比嘉市長さんは職を賭して受け入れを決めてくれたんです。そのときは沖合じゃないんです。あそこにはキャンプハンセンからキャンプシュワブから基地がありますから、その基地の中でなんとか対応できんかなあという思いがあって、まずは名護市だったんですよ」
 「それがだんだんと辺野古なんていう方に話が行ってしまった。これも私から言わせれば、小泉政権まではですね、橋本さん、そして小渕首相、森さんまでは沖縄と人間関係等もありましたけども、小泉政権になってからまったく沖縄との人間関係がなくなった人が地位についたり、ポストについてですね、役人主導でしたね。これなんかも私は沖縄の皆さん方は、なんだ、と。ちょっとおかしいなという感じになったと思うんですよ」
 「それとやっぱり、これも考えてほしいんです。なぜ沖縄で受けてくれたか、名護で受けてくれたかというのは、やっぱり環境整備をしたんですよ。あの少女、痛ましいですね、少女暴行事件があってですね、当時の橋本首相は、清水の舞台から降りるといってモンデール駐日米大使とやったもんですよ。私も一生懸命協力しました」
 「で、平成8年。私はあの県道104号線の実射訓練をですね、私の選挙区の矢臼別で受けたもんですよ。この実射訓練は本来、村山富市さんがクリントンさんとの会談で決めた約束なんです。沖縄3事案といって、那覇軍港の浦添移転。もう一つは読谷のパラシュート降下訓練の廃止ですよ。一番厄介だったのは、この155ミリ砲の実弾訓練を県道104号線の上を砲弾が飛ぶんですよ。道路を止めちゃう。沖縄県民が一番反発受けていたんです」
 「村山さんは(地元・大分県の)日出生台に立派な訓練場をもっているから、私は当然、クリントンさんとの会談で、そこが一つの受け入れだと思って、決めたのかと思ったら、村山さんも何もやらなかったですよ。そして1月4日に辞めて、急遽(きゅうきょ)橋本さんになった。橋本さんだって動かない。橋本さんが非常に深刻な顔をしたんですよ。そこで私は別海の町長さんにお願いしてですね、ここは国益のために頼むといって、私は平成8年12月です。私が別海町長を連れて、町長が私とやりますと橋本さんに言ってくれて、橋本さんが45度の角度で最敬礼してくれたもんですよ。それが、そもそものスタートなんですよ」
 「それで1年後に名護に決まったんですよ。こういった私自身も痛みを分かち合ったからこそ、沖縄は理解してくれたんですよ。じゃあ今、辺野古移設反対とはいっても、じゃあだれが責任を持つかというと、だれも言わない。そこに沖縄の皆さん方は不信を持ってきたと思いますよ」
 「あわせて小渕先生がなぜ沖縄にサミットを決めたかというのも、沖縄の皆さん方に少しでもですね、この基地の軽減、負担してきたという、そして第二次の先の大戦での大変な沖縄県民の思いを知るときに、何かしてあげたいという気持ちで、あのときサミットを決めたんですよ。沖縄サミット決めて、いや実は自分がやったんだという人がたくさんいますが、あのとき私が官房副長官として小渕さんからいわれたのは、鈴木君、沖縄でできないかと。どうしたらできるか検討してくれと2月ごろいわれて動き始めたんです。沖縄は閣僚会議一つやってもらっただけでも十分だとは言ってくれたんですけども、小渕首相はやっぱりサミットにこだわったんですよ」
 「同時にこれも皆さん覚えておいてください。小渕首相がサミットを決めた最終決断は、1つのテレビだったんです。そのテレビは、名前を出しますが、NHKの特別番組だったんです。あれは3月22日かな。サミットを決める1年前ですよ。失礼、サミットを決めるときの3月だったと思います。最終的に小渕さんが絶対沖縄だと決めたのは、大田(実)中将の家族の戦後という番組だったんですよ。そこで大田中将、例の沖縄県民かく戦えり、後世の皆さん、沖縄県民に対し、特別のご高配をたまわらんことをという打電をして亡くなる方です」
 「その娘さんがニュージーランドにいるんですよ。たまたまニュージーランドに小渕首相がオークランドAPECで行くことになった。ですから、その年の3月の、サミットの前の年の3月の番組ですよ。その娘さんというのが偶然ですね、ニュージーランドの人と親しくなって結婚する。ニュージーランドに行くんですよ。そこでのインタビューが、父は最後まで沖縄のことを思っていました、と。戦後政府は一生懸命沖縄のことをやってくれましたけれども、さらに何か大きなことをしてくれれば父の思いもかないますね、と娘さんは言うんですね」
 「そのとき娘さんは、旦那は優しかったから私もついてきたけれども、来たら、敵国の花嫁だということで大変な目に遭いましたと。卵を買うのもパンを買うのも大変でしたというコメントがあるんですよ。私もそのテレビを見て涙したもんですよ。小渕さんもそのテレビを見て涙して、どんなことがあっても沖縄だということでの実は沖縄決定だったんですよ」
 「これも、やっぱり基地の軽減、そしてあの危ない普天間をとにかく早く移設するのが大事だという流れの中で、われわれはさまざまな人間関係や知恵を生かして、私なんかも選挙落選するのを覚悟でですね、当時みんな反対したんですから。それでも私は意を決してやってきて、その中でやったもんです」
 「稲嶺知事は政治家で自分の選挙区に沖縄の痛みをもっていってくれたのは鈴木宗男だけだとはっきり言ってくれましたし。敗れましたけども、嘉手納を抱える前の町長の宮城さんなんかは、自民党での講演でも、2、3年前ですか、鈴木宗男さんだけだと。きちっと体で示してくれたのは、と言ってくれるぐらい、やったもんですよ。少なくとも小泉政権後、じゃあ、そこまでやった政治家はいるかといったら、いませんね。この点は沖縄にとって不幸だと思っています」
 「あと一川(保夫防衛相)さんの発言なんかも、私から言わせれば、今の政治家をみておって一つ言えることは、勉強した政治家、偏差値の高い政治家はいるけれども、頭のいい政治家はいないと思ってます。言葉の使い方を知りません。あの答弁でも、婦女暴行事件、知ってますかといったら、十分認識していますと答えればいいんですよ。詳細うんぬんなんていうことは、親切で言ったと思うんですけど、配慮して言ったと思うけども、使い方を間違っていると思いますよ」
 「同時に、中身は、と聞く方に私はお尋ねしたい。被害者も現にいるんです。家族もいるんですよ。国会の場で、どうしてプライバシーだとか人権に関わる話の中身が聞けるんですか。私は逆に、なんという人間味のない話だと私ならば逆にお尋ねしたいですよ」
 「そういう意味で、一川さんだって国立大学を出ているんですよ。農林省に上級職で入っているんです。技術職で。勉強はしているんですよ。ただ、若干私から言えば、頭が良くない。頭が良くないというのは本人をバカにして否定している話じゃないんですよ。私の言う頭とは地頭です。政治家というのは、時には胆力を持ってですね、裂帛(れっぱく)の気合で対峙(たいじ)しなければいけませんよ」
 「菅直人さんが疎いと表現しました。これまた配慮して言ったと思うんですよ。あんときだけ一言、私ならば、まだ情報が入っていないので確かなことが言えないと言えば済む話ですよ。それを親切ぶって言ったと思う。菅さんだって勉強はしているんです。東工大出ているんですから。しかし私は頭がよくないと思いますよ。やり方みると。どうも今の政治家を見ていると、与野党とも勉強している、偏差値は高いけども、ここ一番、国民目線で私は判断したとき、地頭がない」
 「よく田中角栄ありすれば、という話が出るけれども、田中先生、勉強してませんよ。小学校しか出ていないんですから。しかし、間違いなく言えることは国民の目線にあって、当時の政治状況の中で国民第一でやってきたことは事実なんですよ。そういった意味では私は小沢先生が言った国民第一、官僚政治打破というのは、それなりに間違いなく理解している人もいれば、期待しているんではないかと受け止めながら、喜連川社会復帰促進センターで考えてきました」
 −−家族の方とどういう話をしたか
 「家内に私は来てくれるな、と。やっぱり家内が来ると、なんとなく私自身が女々しくなったり、弱気になる面もあるかもしれないので。家内もしかっりしておって、私は絶対に行きませんからと言っておりましたから、それで私はよかったと思っている。娘にも、やっぱり私は娘をみると、涙もろいもんですから。弱気になると思いますから、娘にも来るな、と。お父さん、がんばると言いましたから、待ってませんでしたけども、私は一番に家内と娘に電話をしました」
 「同時に、最初に家内から言われたのは泣くな、といわれました。はい、分かりましたと私は答えました。娘からも女房と同じことをいわれました。お父さん、泣いちゃダメですよ、と。ここは、堂々と背筋を伸ばして、前を見て、国民の皆さんが見ているんだから対応しなさいと言ってくれた。さっきも娘の話をしましたが、娘はいつも、お父さん、自分の歩いた過去は否定しないで自信を持ってくださいと。みんな笑ってくれますからという便りもしょっちゅうありましてですね、一番身近な家族が理解するのが当然といえば当然ですけども、その中にあってもしっかりですね、家族としての絆を私はもらっていたことをありがたく思っています」
 (司会の新党大地・浅野貴博衆院議員が「まだまだ質問があるかと思いますが、これで最後の質問とさせてください」)
 「いや、そこのきれいな女性。じゃあ2人どうぞ」
 (浅野氏「代表、進行に従っていただきたいと思います。お願いします」)
 「ちょっとここは仕切らせてください。1年ぶりにしゃべるものだから、すみません、どーも。あんまり説明が上手でないかもしれませんけど、ご理解いただきたいと思います」
 −−逮捕前はおびただしい検察リークの構図があった。検察が冤罪(えんざい)を作り上げ、マスコミがその先棒を担いで増幅する構図がある限り、冤罪の犠牲者が出ると思うが、そこはどう考えるか
 「私はやっぱり、国策捜査という言葉が定着したが、検察が最初からシナリオ、ストーリーありきで作って、それにまた調書優先主義で、2人の先生はよく分かっていますが、佐藤先生は足利事件の菅谷さんの弁護をした人ですよ。いろんな弁護士さんの話を聞いても、検察官が作った調書通り、同時に私が逮捕された事件でも、やまりんさんでも島田さんも検察の言うとおりに調書しましたというのが大勢ですよ。調書優先で裁判官も、私が正直に賄賂はもらっていませんといったら、判決の文章は反省の情皆無なんです」
 「本来ならば私なんかは執行猶予をもらってもいいと思っても、反省の情皆無で実刑なんですね、結果として。そういうのをみると、やっぱり検察のですよ、やっぱりやり方、私自身は特捜はない方がいいと思っています。特捜というのは何かしら、特権というかエリート意識を持って検察の中の検察だみたいな一種の思い上がり、青年将校化した連中がいると思いますよ。鈴木をあげるのがわれわれの一つの手柄だみたいな、出世コースだみたいな、この思い上がっているというか、勘違いしている価値観を持っている人がいますね。そのためにも私はしっかり政治が検察をチェックすべきだと思う」
 「これも皆さんね、戦後の内閣をみるとき、皆さん、閣議の席順は役所のできた順番なんですよ。閣議前にテレビに映らせているのは、当選回数や閣僚経験の順番で座らしているんです。閣議の中というのは役所ができた年で並んでいるんです。だから法相は絶えず首相の横なんですよ。重い。この順番からいっても」
 「じゃあ、戦後ですよ、法相が本当に与党の中で、議院内閣制は与党が政権を作るわけですから、与党の中で重きをなした人が何人いるかといったら、いないですね。この点もなめられたと思いますよ。やっぱりもっともっと国民の代表たる国会議員がですね、特に首相あたりは、法相は相当大きな影響力や判断力を持っている人をびしっとつけたら、きちっとしますよ」
 「人事権を持っているのは法相なんだから。法務省だけですよ。検事が事務次官になるのは。検察が事務次官になるのが。しかもですよ、各役所は事務次官がトップですね、役所の事務方では。法務省だけが4番手ですね。検事総長がいて、次席がいて、東京高検長で、そして事務次官ですから。こういうバカな組織はないんではないんでしょうか。私もおかしいと思いますよ」
 「私だって途中で妥協すればね、また別の展開があったと思うんですよ。私、検事に言ったんですから。私を取り調べた谷川さんだとかは、あえて名前も言いますけどね、この検事はバッジをはずしなさいとか、先生ね、政治家を辞めたほうがいいですよ、と。そこで手を打てば、私は逆に入ることなかったかなという気もするんですけどね」
 「しかし私も弱気になって妥協しようと思ったけども、このときも女房や子供たちが戦えというから、私もがんばって431日いたんですけどね。結果としてがんばって良かったと思うけども、私の経験からしてもね、冤罪を作っちゃいけませんけど、村木事件が良い例ですよ。佐藤先生は村木事件をみながら、弘中弁護士もそうですけど、鈴木事件も一緒だと、同じ構図だと言ってくれてますよ。日本を代表する弁護士さんがですよ、そういってくれている以上、私はその声にも耳を傾けるのが大事だと思っていますしね、ありがたいことだと思っています」
 「やっぱり、そういった意味では検察のあり方、やっぱり私は可視化を進めてきました。一生懸命署名運動もやってきて、10万人近い署名も集めて法相に渡したりすることもできましたけどね。可視化がまず動き出したことが、われわれの声も通ったと思って、いいんですが、これはもっともっと全面可視化に向けて、特に大事なのは被疑者、容疑者、将来参考人、証人になる人も可視化が必要なんですよ」
 「被疑者なんていうのは、外堀を埋めていきますから、検察は。調書が大事ですから。あなた方は何を言っても罪になりませんよといって、やまりんや島田の関係者に言っているんですよ。そしたら私が捕まってしまったら、みんなメロメロですから。検察が言っているんですね。鈴木はもう復帰はないですよ、もう絶対カムバックはないんですから、といったら、みんなそうかなと思ってなってるんですから」
 「だからみんな誘導されちゃうんですよ。そうした誘導、誤導に負けてしまう。石川さんだって、だれそれさんがこういったからと言われたら、そっちに引きずられちゃいますよ。絶対、全面可視化は必要ですね。証人、参考人、そして将来裁判に出てくる人すべて含めて全面可視化しなければ私は本当の真実は明らかにならない」 「あと私が不思議でならないのが、釈放を申請しますね。未決勾留中のとき。裁判所が判断すればいいんですよ。ところが検察に相談して検察がノーといったら出してくれないですね。だから私は前回、431日おかされましたよ。私がだいたい150日超えたら東京拘置所の刑務官がですよ、先生の事件でこんなにおくのはおかしい、やっぱり検察の嫌がらせだ、と。われわれは先生に同情しますよ、と。逆に刑務官が私に優しくしてくれたんですよ。それが皆さん、実態ですよ」
 「裁判官が判断すればいいんですよ。なんでいちいち、法律事項でも何でもないですよ。それを悪しき慣例で相談するんですよ。同時に私のこの仮釈放にしても、東京地検特捜部にも相談というか、上申しているんですね。何もする必要ない話ですよ。そういう悪しき慣例を断ち切らなければ、すべてにおいていけない。そういった意味でも私は石川代議士にはがんばってもらいたいし、小沢先生にもとことんがんばってもらいたいという気持ちは持っています。あと、どうぞ。あと2人」
 −−再審は考えているか。今後、具体的にどのような形、立場で何をやろうとしているのか
 「佐藤先生がお見えですけど、いま民事で私は裁判をやっております。1つやります。2つめも近々また裁判やって、日本を代表する弁護士さんが、佐藤弁護士、弘中弁護士が取り組んでくれておりますから、この弁護士さんを信頼して、弁護士さんにお任せして進めていきたい。私は再審に向けての最善の取り組みをしてまいりたい。やっぱり真実を明らかにしたいと思っています」
 「ただ一つ言えることは、私は検察が、あるいは裁判官がいかなる判断をしたとしても、少なくとも私に賄賂を持っていったというやまりんさんや島田さんの関係者は、逆にそんな気持ちはなかったし、われわれは純粋なお祝いでしたと。官房副長官のお祝いでした、あるいは政治活動費でした、ポストについたお祝いでしたという話もありますから、私はその全くの真実の声というものもありがいと思って受け止めながら、とにかく再審に向けての努力は最善を尽くしていく」
 「あと、私がどんな活動をするかというのは、新党大地の代表であることに変わりはありませんから。浅野代表代行が辞めろということはいわんと思いますから、あるいは副代表も私の足を引っ張ることはないと思いますから、この点、きちっと相談しながら、私は代表を務めながら、北海道の地域政党でありますけれども、冒頭言ったようにですね、いま全国から私に期待しているという声もありますし、また国会議員の中でもですね、鈴木先生の経験や知恵も借りたい、あるいは一緒に動きたいという人もおりますし」
 「そういう意味ではやっていきたいし、年内にとにかく早い機会にまずは被災地。私は(岩手県の)宮古に行ってですね、(被災者の)昆愛海さんという女の子に会いたい。あるいは田老の野中という町長さん、例の防潮堤を作ったけども、それをまた飛び越えたということ。あるいは吉村(昭)先生の本を読むにつけ、歴史的な津波が周期的に来ているということなどを考えたときに、しっかり経験者のことも踏まえながら、安全や安心はコストがかかるものだと」
 「同時に費用対効果からみれば、あわないかもしれないけれども、命だとか安全、安心を考えたときに、きちっと国民に納得のいく形の中で進めるものは進めるべきだという思いを持ちながら、それを少しでも世論喚起だとか、あるいは被災者の生の声を受け止めて、それを浅野(貴博)代議士なり松木(謙公)さんなり石川(知裕)さんなり徳永(エリ)さんなり橋本(勉)代議士等に伝えて、スクラムを組んでやっていきたい。具体的に活動していきたい」
 「この点、北海道の地域政党ですけども、ちょっとウイングを広げて全国から声がありますから、その声には応えていきたい。少なくとも鈴木宗男の賞味期限は切れたかもしれませんけれども、消費期限は残っていると思っていますから、消費期限がある間はがんばりたいと思ってます」
 −−現在の健康状態や今後検査の予定は
 「とりあえず近々病院に行って検査したいと思います。10年前に逮捕された後、胃がんが出ましたし、去年収監されたとき食道がんが出ましたんでね。私自身、健康には気を使ってきましたけども、しかしこれまた人知を越える面もありますから、1日も早く病院に行って、しっかりチェックを受けて、その結果をみながら鈴木宗男の再起働。再び、起きる、働くだ。なぜにんべんか。人という字がついているからだ。私は人様に助けられて生きていますから、人様の思いというのを忘れない意味でもしっかりそのことを踏まえてやっていきたいなと思っています」
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鈴木宗男氏収監?「これからも権力と闘う」/暴走する検察 東京地検特捜部の惨憺たる内情2010-12-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
鈴木宗男氏収監?/冤罪なのに選挙民が選んだ代議士をこんな簡単に失職させてよいのか2010-12-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 ムネオ日記 2010年12月4日(土) 鈴 木 宗 男
 収監までの限られた時間の中で種々打合せをする。
 昨日昼は私の指南役ともいうべき佐藤優さんと様々なシュミレーションの中で戦略・戦術を話し合う。佐藤さんの分析・先見性にうなずきながら自信がわいてくる。
 夕方、札幌に向かい松山千春さんと私の居ない時・留守の間・選挙になった時を含めて新党大地の立ち位置・対応・細部にわたり相談する。
 松山さんの考えと私の思いは一致し価値観を共有できることは有難いことである。松山さんの人間失ってはいけない「情」「心」「感性」を改めて感じながら凄い「心友」に心から感激した。
 今日も松山さんから電話があり「ムネオさん堂々と胸を張って行って下さい。どんなことがあっても最後迄ムネオさんと一緒ですから。足寄がルーツの2人ですから。何も心配しないで何かあった時には先頭に立ってやりますから」と励ましを受ける。ただただ涙が流れてくる。電話の向でも千春の涙声が伝わってきてお互い言葉が繋がらない。足寄に生まれ育ち、故郷にこだわって生きてきた2人だけにしかわからない価値を確認でき幸せである。私にとって松山千春さんは特別の人である。
 10時から帯広・十勝管内、14時から網走管内、17時から釧路・根室管内の鈴木宗男後援会新党大地支部の拡大役員会。皆さん「待っていますよ。身体に気をつけて」「死ぬ迄鈴木宗男ですから心配しないで」「必ずカンバックして下さい。応援しますから」等々声をかけられる。
 厳しかった昭和58年最初の選挙。有罪判決を受けての平成17年9月、21年8月の選挙を乗り切ってくれた我が後援会は日本一の後援会である。
 人間関係に感謝しながら収監前にお詫びの挨拶が出来ホッとする。8年前逮捕の直前はマスコミにも追いかけられ選挙区に帰ることはままならなかった。
 今、世の中空気は変わり東京・北海道の事務所には激励の山である。判ってくれる人、理解してくれる人が圧倒的に多い。私は意を強くして6日に臨んで行く。
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ムネオ日記 2010年12月5日(日) 鈴 木 宗 男
 昨夜、釧路からの最終便で上京。家に着いたのは23時になった。限られた時間しかないので雑誌の校正とか残された仕事をしたら夜中の3時近くになってしまった。
 9時から日程が入っていたので予定通りこなしながら午後からは事務所で書類整理や留守の間の打合せを事務所の人達とする。9月15日異議申し立て棄却、10月7日食道ガンと言われ26日手術。あっという間の80日だった。
 8年前逮捕される時は検察のリークによるメディアスクラムともいうべきバッシングで身動きが取れなかったが今回は同情や激励ばかりで、メディアの皆さんも冷静に受け止めて下さり。北海道内の後援会はもとより全国の主要な処にも挨拶に行く事ができよかった。
 与えられた宿命の中でしっかり頑張って結果を出したいと改めて決意する。北海道はもとより全国の後援会、仲間、同志の皆さんしばらく留守を致しますがお許し下さい。
 東京も北海道の事務所も従前通り機能しておりますので宜しくお願いします。一日も早くお目にかかれる事を楽しみにしながら行って参ります。
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