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日弁連「死刑判決は全員一致で」/裁判員法=「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない

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死刑判決は「全員一致」限定で 日弁連が裁判員法改正案
 今年5月で開始から3年となる裁判員制度をめぐり、日弁連が被告の権利拡大などを軸にまとめた裁判員法改正案の全容が22日、明らかになった。死刑判決を出す要件を厳格化し「全員一致」に限定することや、裁判員裁判の審理対象拡大が柱で、年度内に意見書として法務省に提出する方針。
 裁判員法は施行から3年経過後、必要に応じて見直すと規定。日弁連案は、法務省の検討会などが裁判員制度の検証を進める際に検討対象とされる。
 日弁連案は、これまで限定されていた裁判員裁判の審理対象について、被告が起訴内容を争い、かつ裁判員による審理を希望するケースでは全事件に広げるよう提言。
2012/01/22 18:58【共同通信】
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「裁判員制度」死刑の決定は全員一致にすべき/12年度をめどに制度の見直し2010-12-20 | 被害者参加・裁判員裁判/強制起訴
 裁判員制度どう改善 大阪で集い
2010年12月20日(月)「しんぶん赤旗」
 
井上議員が発言
 裁判員制度のスタートから約1年半、3年目の制度見直しまでの折り返し地点に立ち、制度をどう改善するかを考える集会が19日、大阪市で開かれました。主催は社会福祉法人大阪ボランティア協会。いずれも国会の法務委員である、日本共産党の井上哲士参院議員、民主党の辻恵衆院議員、みんなの党の桜内文城参院議員がパネリストを務め、討論しました。
 現在、死刑または無期懲役にあたる重大犯罪のみとしている対象事件の範囲をどうするかというテーマで、井上氏は「市民が司法に参加し、市民感覚を生かすという趣旨からいって、贈収賄などの公務員犯罪や、ビラ配布弾圧など人権にかかわる事件こそ対象に加えようという意見もあり再検討すべきです」とのべました。桜内氏も、ビラ配布の事件のようなものも対象とすべきだとのべました。
 評議が多数決で決まる現在の制度について井上氏は「日本共産党は法案の審議で有罪の決定は3分の2の賛成で、死刑の決定は全員一致にすべきだと修正案を提起しました。実際にえん罪が起きている中、死刑については全員一致にすべきです」と強調しました。
 裁判員の守秘義務と違反時の罰則規定について議論となり、井上氏は「きちんとした評議が行われたのかどうかを検証するために、評議からはずれたあとはプライバシーに関わること以外については守秘義務をはずして語れるようにすべきです。また、罰則で懲役刑まで課すことは行き過ぎで、制度の趣旨に反します。罰金刑のみとすべきです」とのべました。
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支局長からの手紙:死刑判決の重み /宮崎
 22歳の被告は腰掛けて身じろぎもせず、判決理由を読む裁判長を見ていた。立ち上がり、正面を向く。「被告人を死刑に処する」と裁判長が告げた。表情は見えないが、動揺した様子はない。やがて弁護人に何かを耳打ちされてうなずき、静かに退廷していった。
 宮崎地裁で7日、家族3人を殺害した被告に、裁判員裁判で3例目の死刑判決が言い渡された。裁判員の男性は被告について「感情が表に出ない」と語ったが、傍聴した私も同じ印象を持った。
 それにしても、裁判員たちの負担は相当なものだったのだろう。今回、補充裁判員を含めた10人全員が判決直後の記者会見に応じず、うち一人の男性が会見したのは、10日後の17日だった。
 裁判員制度では、いつ自分が裁判員に選ばれるか分からない。一方、死刑求刑の事件は今後も続くだろう。経験者の話を聞きたいと思う人は少なくない。それに加え「死刑判断の重荷を市民に負わせるべきでない」という意見もある中、経験者の言葉は制度見直しの重要な参考にもなり得る。たとえ一人でも、心境を語った意義は大きい。
 17日は、死刑判決を不服として弁護団が控訴した日と重なり、男性は「ほっとしている。死刑判決を下した重みが少し減った」と率直に話した。また、死刑判決もある裁判は「国が責任を持ってやるべきだ。そうでなければ終身刑などを創設して、量刑の範囲を広げてほしい」と要望した。
 人の生死を左右する判断の重み。「判決を決めるのが怖かった」「重圧で押しつぶされそう」。先月25日、初めて少年(19)に死刑を言い渡した仙台地裁の裁判員裁判で裁判員を務めた男性も、こんな感想を口にした。
 裁判員制度は開始3年後の12年度をめどに見直される。経験者のこうした意見をくみ取っていく努力をしなければ、制度が国民の広い支持を得るのは難しいと思う。<宮崎支局長・池田亨>毎日新聞 2010年12月20日 地方版
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裁判員法=最高裁や法務省が言う「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない2010-11-27 | 被害者参加・裁判員裁判/強制起訴
 特集ワイド:裁判員裁判の死刑判決 亀井・国民新党代表、田辺・元最高検検事に聞く
毎日新聞2010年11月17日 東京夕刊
 横浜地裁で16日、国民が参加する裁判員裁判では初めて死刑判決が出された。市民参加によって死刑判決を下すことについて、「死刑廃止を推進する議員連盟」会長、亀井静香・国民新党代表と、元最高検検事の田辺信好弁護士に聞いた。【宍戸護】

◇多数決で決めてはならない−−「死刑廃止を推進する議員連盟」会長・亀井静香氏
 横浜地裁の死刑判決を見ると、やはり死刑制度があるから、こういう判決が出たのだと思う。しかも裁判長が控訴を促したでしょう。自分で死刑を出しておいて、控訴しなさいとはどういうことですか。人間の命を奪うことを何と考えているのか、私はおかしいと思う。死刑判決を出す場合、裁判官と裁判員は全員一致じゃないといけない。それでも、裁判員は自分が出した判決を一生悩み、苦しむことになる。
 裁判員裁判は、プロの裁判官が陥りやすい弊害を、一般人である裁判員の常識や生活感覚で埋め合わせるという意味では悪くない。しかし、証拠判断の訓練を積んでいない裁判員が、プロの裁判官と同じ重みを持って、判決にかかわることには問題があるのではないか。裁判官は証拠が立証されていく時系列の重みなどを判断する経験を積んでいるが、裁判員はその経験がなく、情緒的な判断をしやすいからだ。
 死刑判決が出る可能性がある裁判を裁判員に任せることに、私は無理があると思う。裁判官だから確実な判決を下すと言えるわけではないが、裁判員が被害者の関係者の「罰してほしい」という声の中で、しかも数日程度のわずかな期間で的確な判断ができるのか。袴田事件(元プロボクサー、袴田巌死刑囚が第2次再審請求中)では、1審で死刑判決とした元裁判官が「合議した裁判官の主張で死刑になった。2対1で負けた」と明らかにし、「無罪の心証だった」と公表したでしょう。死刑判決をめぐってはプロの裁判官ですら、一生大きな十字架を背負ってしまう。まして民間人である裁判員がその重みに耐えられるのかと思う。繰り返すが死刑判決の可能性がある裁判を裁判員にやらせるというならば、判決を決める評決は裁判官、裁判員の全員一致にすべきだ。
 そもそも私は死刑制度を廃止すべきだと考える。人の命はそんなに軽いものではない。理論的にどうだこうだというよりも、人間の命は大事にせなあかんと思う。どんな犯罪であれ、国家権力が人を殺す、しかも手足を縛って絞め殺すなんていうのは認められない。人間は、自分の一身を投げ捨ててまで仏のようないいこともすれば、残虐非道なこともやる。人をただ罰する、応報感情を満足させる、というだけではなく、そういう人が現れた場合でも、最低限命は奪わない、そして償いはさせる。危険な人物は除去すればいいという発想だけでやり出したら、国家や社会は非常に暗くなってしまう。
 冤罪(えんざい)で死刑になる可能性もある。郵便不正事件では捜査機関によって証拠が改ざんされ、村木厚子さんが逮捕、拘置された。僕たちは冤罪の可能性が高い司法制度の下で暮らしていることが明らかになった。最高検の検事総長以下、捜査をチェックする機関がいくつもあるのに、裁判所が無罪判決を出すまでチェックできなかった。冤罪は確率的には少ないかもしれないが、当事者にとっては100分の100だ。今こそ、国民が目覚め、死刑制度について真剣に考えないといけません。

◇生涯悩みを抱えるのでは−−元最高検検事・田辺信好氏
 死刑制度は存続させるべきだが、裁判員裁判については反対だ。死刑も裁判員が判断すべきではないと考える。
 被害者やその遺族は、犯人に対し応報できないから国が代わりをする。被害者の命が重いからこそ、加害者も命をもって償うしかない。もちろん冤罪はあってはならない。プロの裁判官、検察官、弁護人とも実力を磨いて冤罪防止に全力を注ぐべきだ。無実のものを死刑で殺してはならないのは当たり前のことだ。
 裁判員裁判は問題が多い。例えば、裁判は、被告が罪を認めている場合、自白を信用できるか、自白に身代わりの可能性がないかの判断が必要だ。否認の場合は、目撃者や指紋、DNA、いろんな証拠を総合して有罪と言えるのかを判断する。一般市民である裁判員には、有罪無罪だけではなく量刑について判断することも難しいと思う。中にはできる人もいるかもしれないが、今の裁判員は能力に関係なく無作為に抽出されている。裁判員が「疑わしきは無罪」に徹すれば、冤罪を防げるといわれるが、米国の陪審制では有罪判決後、無罪と分かったケースが多数ある。
 死刑も同じ理由で裁判員が判断すべきではない。横浜地裁で16日に出された死刑判決は、死刑選択の基準「永山基準」から見ても妥当といえるが、裁判長が「控訴を勧めたい」としたのは解せない。判決に自信がなかったのか、無期懲役の意見を出した裁判員に気を使ったのか。いずれにせよ、裁判員は今後「あれでよかったのか」と幾度も振り返り、守秘義務にも生涯悩まされるだろう。正常な精神を保てない人が出るかもしれない。
 死刑判決をめぐり、裁判官と裁判員の間で、意見が分かれたとも推測されるが裁判官と裁判員の多数決は、憲法76条第3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」の「裁判官の独立」を害する疑いがある。例えば、現行では裁判官3人のうち2人は死刑、1人は無期懲役で、裁判員6人のうち4人が無期の判断なら無期になる。つまり裁判官3人だけだと死刑だが、裁判員が加わると無期。裁判官3人で決めた場合と、裁判員が加わった場合では結論が異なるのでは憲法違反の疑いがある。
 裁判員裁判で死刑を求刑されて11月1日に無期懲役の判決を出した「耳かきエステ」の裁判員は、報道によると「永山基準は裁判官による裁判のもの」と述べていた。しかし似た事実、犯情、情状なのに、死刑と無期に分かれるならば、公平な裁判を受ける権利を保障している憲法37条第1項「すべての刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」にも反する。
 裁判員裁判の目的は裁判員法1条で「国民の理解の増進と信頼の向上」と定めている。最高裁や法務省が言う「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない。国民に裁判への深い関心を持たせた意味は認めるが、逆を言えば、制度の目的はすでに達成されたといえ、この際廃止すべきだ。
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 ◆死刑求刑もあり得る主な裁判員裁判◆
地裁   主な起訴内容                 公判日程
鹿児島 09年6月、高齢夫婦2人を殺害     11月2日〜12月10日
仙台  10年2月、元交際相手の姉ら2人を殺害 11月15〜25日
宮崎  10年3月、妻ら3人を殺害       11月17日〜12月7日
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 ◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
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 ■人物略歴
 ◇かめい・しずか
 1936年広島県生まれ。警察庁を経て79年から衆院議員。05年に自民党を離れ国民新党結党。.
 ◇たなべ・のぶよし
 1936年神戸市生まれ。京都地検次席検事、岡山地検検事正などを経て、現在は弁護士。
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「裁判員制度のウソ、ムリ、拙速」大久保太郎(元東京高裁部統括判事
憲法の「司法」の規定に違反
 裁判員は裁判官と同等の裁判の評決権(「一票」の権利)を持つから、実質は裁判官である。ところが憲法第6章「司法」中の80条1項は、「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる」と定めている。裁判員はこれに真っ向から抵触する。
 裁判員制度は、裁判員が裁判官とともに裁判をするもので、参審制に属するが、元最高裁判事伊藤正己氏は、「素人を裁判官として参与させる参審制は、憲法にそれについての規定がなく、しかも裁判官の任期や身分保障について専門の裁判官のみを予想しているところから違憲の疑いが強い」と述べ(『憲法入門』第4版)、また元最高裁判事香川保一氏は「裁判官は、最高裁判所の提出する名簿によって政府が任命すると憲法上決まっている。抽選的に選ばれた裁判員が裁判の審議、判決にも裁判官と同じ資格で関与することは憲法違反ではないかと思」うと述べている(「リベラルタイム」平成16年6月号の対談記事「裁判員制度は憲法違反だ!」)。
 西野喜一氏の前記論文の言葉を借りれば、「裁判官でない者が刑事被告人の運命に関与できるとするためには相応の根拠、規定がなければならない。特に、被告人としては、何故裁判官でない者が、憲法上の規定に拠らずに、自分の運命を左右できるのかと問うであろう。他方検察官も公益の代表者として当然そう言えるのである。また、裁判官でない者が、裁判官と対等に判断に関与できるとするためには、なぜその者の判断が憲法に根拠を持つ裁判官の判断と同等の意義を持てるのか、持っても差し支えないのか、という疑問が解明されなければならないが、これらは解明も解答もされていない」のだ。
 つまり「なぜ裁判員が裁判に参加することが憲法上許されるのか」という根本問題からして、何の説明もないことを国民は知らなければならない。
 人間の生命は地球よりも重いといわれる。判決確定前の被告人の生命も同様だろう。憲法に根拠のない裁判員が、裁判官とともにであるにせよ、被告人に死刑その他の刑を科することなど、どうして許されるのであろうか。現実の裁判は模擬裁判ではないのだ。
 なお最高裁自身、司法制度改革審議会で、いったんは、参加者に評決権を与えることは憲法上問題があるとし、「評決権なき参審制」を提案したことがあったのだ(しかし最高裁はその後不可解
なことに、審議会の裁判員制度の提案に同調してしまった。この点は後述する)。
「公平な裁判所」の保障違反
 憲法37条1項は被告人に「公平な裁判所」の裁判を保障しているが、裁判員の参加した裁判所はこの保障に違反する。憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される」と規定し、実際その通り実践されている。
 しかし裁判員はこれと異なる。裁判員法8条には「裁判員は、独立してその職権を行う」と書かれているが、これは法の建て前であり、裁判員の中にはいろいろな人が混じるのは避けられず、実際には裁判上の適法な判断材料以外の情報により、あるいは時には他から精神的圧迫を受けて、判断を左右されるおそれのあることを免れない。
 また、裁判員は氏名も住所も公表されず、判決書に署名もしない。つまり言い放しの立場であり、その判断に責任を問われることもない。被告人の立場からみれば右から来て左へ去るその場限りの人たちによって自己の運命が決められることになってしまう。
 このような裁判員の参加した裁判所がどうして憲法の保障する「公平な裁判所」といい得るだろうか。(略)
自由権、財産権の侵害
 憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定め、同18条後段は「犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と定め、同19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定め、さらに同29条1項は「財産権は、これを侵してはならない」と定めている(このうち「良心の自由」については、政府は立案段階で指摘を受け、これに違反しないよう政令で辞退事由を設けることを約束している)。
 ところが裁判員法によると、くじにより裁判員候補者とされた者は、具体的な事件ごとに行われるくじに当たって裁判所から呼出しを受けたときは、自分の仕事や予定を放り出してでも、裁判員選任期日に出頭しなければならない。
 裁判員または補充裁判員(裁判員欠席の場合に代わって裁判員となる)に選任されると、これまた自分の仕事や予定を犠牲にして公判期日(一回ですむものは少なく、数回、時には数十回に及び、期間も数日から数ヵ月にもなるだろう)に出頭しなければならない。しかも公判の全審理に立ち会い(一日も一刻も欠席はできない)、審理が終われば、裁判員は評議の席で自分の意見を述べ、判決宣告期日にも出頭しなければならない(その他の義務は省略する)。
 もっとも裁判員法は若干の辞退事由を定めているが、事由はごく限定的で、しかも事由のあることを裁判官に認めてもらわなければならないから、電話で済まない場合は、半日か1日をつぶして裁判所に出かける必要がある。厄介なことなのだ。
 憲法に根拠もないのに突如裁判への参加は公共の福祉だとして、国民にその意思に反して以上のような被害(雇用主の財産的被害を含む)を及ぼす法律を作ることは、国民の自由権、幸福追求権は立法その他の国政の上で最大の尊重が必要だとする前記憲法13条に違反し、また前記憲法18条の苦役強制の禁止、同29条の財産権の不可侵に違反することが明らかである。
 このような状況では、国民が裁判所から裁判員法に基づくもろもろの強制に服しなくても制裁を受ける理由はないといわなければならない(実際上も裁判所は「違反者」に過料を課すことはできないだろう)。
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裁判員裁判で初の死刑判決/2人殺害.生きたまま電動のこぎりで切断/横浜地裁2010-11-16 | 被害者参加・裁判員裁判/強制起訴
 〈来栖の独白〉2010/11/16
 男性2人を殺害し、遺体を切断して海に捨てたなどとされた事件で、横浜地裁は、裁判員裁判で初めて死刑を宣告した。殺害直前、家族に電話したいと懇願する被害者を無視。被害者が「せめて殺してから首を切って」と訴えたが、生きたまま電動のこぎりで首を切断したといわれ、検察側は論告で「人間の所業とは思えず、鬼畜としか言いようがない」と、裁判員裁判では2度目となる死刑を求刑していた。
 朝山芳史裁判長は、殺害方法について「被害者の肉体的苦痛と恐怖は計り知れず、犯行態様は執拗かつ残虐」「肉親を奪われた衝撃や悲しみは甚大」と、極刑を求めた遺族の強い処罰感情に言及。池田被告に前科はなく、法廷で傍聴席の遺族に謝罪するなど、反省の態度も見せていたことについては、「更生の余地をうかがわせたが、人間性をようやく回復したに過ぎない」とした。
 本件判決では、特筆すべき光景があった。裁判長が閉廷前に「あなたは法廷ではいかなる刑にも服すると述べているが、重大な結論ですから、裁判所としては控訴することを勧めます」と説諭したことだ。判決が裁判員全員の一致によるものではなかった気配が、窺われる。
 控訴については、初めて死刑求刑された裁判員裁判(いわゆる「耳かき殺人事件」=無期懲役判決)の折にも、裁判官が「被告人が1審判決に不服なら、控訴できるのだから」と教えて裁判員の気持ちを楽にしたといわれている。
 ただ、最高裁司法研修所は09年3月、「極めて重要な事情を見落とした場合などを除き、1審の判断を尊重すべきだ」との考え方を示し、その上で、死刑と無期懲役の判断が一審(※)と控訴審で割れるなどした場合には慎重な検討を要する、としている。
 報道によれば、裁判員を務めた50歳代の男性は、死刑か否かの判断を迫られたことについて「毎日、気が重かった。被告に対しても遺族にも、今思い出しても涙が出る。被告は、生きて被害者の命日に花を手向けたいと話していた。私も(控訴を)お願いしたいと思う」と語ったそうだ。
 本件判決は、厳しい。正に極刑である。しかし、死刑制度を存置する国ならば、本件は死刑に相当する。強盗殺人による2名以上の被害死者数であり、犯行態様もこの上なく残虐、被害者遺族感情も極まっていれば、致し方ない。このように私が言うのは、死刑を是とするということでは決してない。「死刑制度を存置している以上」、このケースなら、死刑判決が出ても致し方ない、というのである。
 憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定め、同18条後段は「犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と定め、同19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定めている。
 自由なはずの民間人が、クジによって突如、人の生死を分ける判断をせねばならない。これは憲法が禁止した「苦役」ではないのか。裁判員制度は、国民の自由権を侵しているのではないか。
 死刑制度のある国での裁判員制度。苛酷で、違憲の疑い、濃厚な制度だ。裁判員の六名の方々の心に傷が残らねばよいが、と憂慮しないでいられない。
 ※裁判員裁判で量刑は裁判官3人、裁判員6人による非公開の評議で決められる。結論は全員一致が望ましいとされるが、意見が一致しない場合は、多数決に委ねられる。
 ただ、量刑の決定には、単に全体の過半数(5人)に達するだけでなく、少なくとも裁判官が1人含まれている必要がある。
 例えば、裁判官1人と裁判員4人が死刑、裁判官2人と裁判員2人が無期懲役と判断した場合は、多い方の意見に裁判官が含まれているため、死刑となる。
 この条件を満たさない場合には、最も重い刑を主張した人数を、次に重い刑の人数に加え、裁判官を含む過半数となるまで同じ作業を繰り返す。例えば、裁判官3人が死刑、裁判員6人が無期懲役を支持した場合は、裁判官の死刑意見は、次に重い刑の無期懲役の人数に加えられ、結論は無期懲役になる。
 評議の内容は守秘義務が課せられ、全員一致だったのか、あるいは多数決だったかなどは明らかにされない。


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