あの人に迫る【暴排条例に無理 空洞化の危険も】溝口敦〈ノンフィクション作家〉
中日新聞 2012年1月27日Fri.
一般市民や企業に暴力団との付き合いを絶つことを求めた暴排条例が昨年、全国の都道府県で出そろった。人気タレントだった島田紳助氏が死刑亭暴力団山口組幹部との交際発覚を機に引退した。近著「暴力団」(新潮新書)が27万部のベストセラーになったノンフィクション作家溝口敦さん(69)は、40年以上にわたり、暴力団の表も裏も見続けてきた。(奥田哲平)
ーー暴排条例の施行で、講演や執筆依頼が多かったのではないですか。
1時期はすごかった。一般企業、自治体、外国特派員協会も。密接交際者や利益供与にあたらないようにするにはどうしたらいいのか。企業の法務はどう関わっていけばいいのか。機運が高まっているというよりも条例に触れないように神経をとがらせている。
ーー今の暴排条例をめぐる状況をどう見ていますか。
ちょっと無理があるかな。空洞化する危険がある。なぜか。暴力団対策法(暴対法)が暴力団の存在を認めた上で、交際してはならない、抗争時は事務所の使用を禁じるなど、警察対暴力団だったのに対して、条例は社会対暴力団とうたい、自分の責任で暴力団との接触を断っていく必要がある。結果的に、条例に基づく各業界の暴排条項などは生活権を否定する面がある。組員の存在を認めていない。法律で認めて条例で否定している。
もう一つ、芸能人の問題では、指定暴力団稲川会と交友関係のある演歌歌手がNHKの紅白歌合戦に出た。暴力団関係者と食事をしたと報道された演歌歌手もおとがめない。過去は問わないという基準を設けないと、出演できない人が出てくる痛し痒しの面がある。かたや真面目に取り組む住民や企業と、そうでないところがある。先般は吉本興業の社長が紳助の復活を呼びかけた。暴力団と縁を切れないと言って引退した人がなぜ復帰なのか。
ーー実際に暴力団側への影響は出ているんでしょうか。
司忍・山口組6代目組長は産経新聞のインタビューで、暴排条例について、一切心配してないと答えているが、資金やサービスを提供しているのは暴力団周辺の市民や企業で、痛手がないわけはない。条例で外堀を埋められている。ますます将来性がない。
条例を受け、山口組は歳暮、年賀状をやめた。連絡も郵便ではなくファクスにするという措置をとっている。神社への集団参拝もおとなしく取りやめた。ひたすら恭順の意を示している。ただ、北九州市の指定暴力団工藤会だけがヤマト運輸を相手取って、荷受けをしないのは運送事業法違反、運送約款に違反していると提訴する。
ーー暴力団以外の反社会的勢力が伸長していると取り沙汰されています。
「半グレ集団」と呼ばれるのは暴走族OBや不良外国人、覚せい剤の密売人などのグループ。暴力団より半グレ集団の方が勢いがある。半グレは条例も暴対法も関係ない。企業に深く入っている暴力団は生き残っていくが、みじかめ料(あいさつ料)や賭博、覚せい剤密売に頼っているところは苦しい。名古屋地区はみじかめ料が組織だって集められているが、東京では最近は催促にすら来ない。
ただ、暴力団も黙って受け身では済まないでしょう。
久しぶりに若い人が暴力団に入ろうとするときに、組の籍には入れない。警察が把握していないフロント企業の社員や傘下の右翼団体に入れたり、組員として登録しない形の育成を始めている。警察は暴対法での指定作業や組員のデータベースの作成に頭が固まっている。完全に立ち遅れている。柔軟性に欠け、暴力団だけが目の敵になるおかしな現象が起きている。一般市民にとっては、半グレ集団が手を染めるようなオレオレ詐欺の方が困っている。
市民が身を守るには暴力団と関わらないこと。知らずに関わることもあるが、条例上はセーフ。便宜を図ると、逆手に攻め入られる。金の貸し借りはもちろん、便宜を図ることを最初から断る。最初に毅然とした対応ができるかどうかが大事。
ーー暴力団の取材をしていて怖くないんですか。1990年に自らも襲撃され、長男も2006年に山口組系元組員に刃物で刺されてけがを負った。
そりゃあ怖いですよ。でも意地がある。この野郎という気持ち。被害を受けた者には社会責任がある。つまり、相手がふるった暴力に効果があると思わせないこと。「参りました」となるのは、つけ上がらせるだけだ。女房には「年も年だし危ないことはやめたら」と言われるけどね。どうせ伝えるなら、真実に足るものを書きたい。おためごかしで文章をつなぐことはしない。それが使命だとは思わないけど。
ーー暴力団取材に身を投じられたいきさつを。
早稲田を出て徳間書店に入って、月刊「タウン」という雑誌の創刊準備室に配属された。ドキュメント路線で売ろうとして、3号目で山口組を取り上げた。編集者として作家と一緒に組本部がある神戸に取材に行った。作家の原稿が面白くないので、自分で書けと言われたのが始まり。もともと任侠映画も見ていない。大学では経済学科だったが、経済は嫌いだった。言うのも恥ずかしいけど文学青年。60年安保と70年安保の端境期で、早稲田大学新聞会に入ったけれど、文芸面のキャップでした。
ーーこれまでに同和利権や新興宗教など、難しい課題を取材し続けています。
世の人が避けるタブーは日の光にさらすのが1番の殺菌作用がある。タブーは批判を加えないまでも、引きずり出すことで意味がある。一方で商売上のマーケットが一定ある。知りたい読者がついてきてくれるということもあります。
ただ、社会正義を振りかざすのはかっこ悪いという思いがあって、この問題を放置してなるものか、という考えはあまりない。自分が刺された時も、言論の自由に対する挑戦だとか言われたが、実はそれほど思っていない。ペンで居丈高になって責めるのはちょっと安直すぎるというか、説得力がないでしょう。
ーー物事を斜めから見ているようですね。
おやじと仲がよくなくてひねた性格になったかな。おやじは映画会社の大道具、小道具職人。芸術家のような人で嫌いだった。死んだのも愛人のところ。ものを見る目は1つじゃない。そういう訓練を自然に積んだんじゃないか。
暴力団に関しては昨年出した新潮新書で打ち止めかなと思っている。暴力団に将来性はないし滅んでいくだけ。今後テーマになることはないんじゃないか。次のテーマは考え中。この年になって、友人は毎日が日曜日の生活だが、こういう商売だから、生きていく以上は書いていく習性がある。それは幸せであり、不幸せでもあるかもしれない。いつまでも「一丁上がり」にならないね。
<インタビューを終えて>
東京のマンションにある仕事場を訪ねた。表札もなく、公表していない場所にもかかわらず、ここにも暴力団周辺者からの脅迫があった。そんな血なまぐさい取材を続ける第1人者は、言葉を選びながら丁寧に質問に答えてくれた。いつも身構えるようなテーマに挑み続けるのは「意地っ張り」と本人が語る性格だけではないだろう。
「ペンで社会正義を実現するとか、実は信じていない」と溝口さんは言った。大上段にふりかざすことなく、ひょうひょうとした口ぶりに信念がうかがえる。表も裏もすべてのみ込んだようなまなざし。自分のペンを見つめ直した。
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〈来栖の独白2012/01/29 Sun.〉
私は、溝口敦という人を全く知らなかった。この新聞記事を読み、初めて知った氏に、好い感じをもった。
>社会正義を振りかざすのはかっこ悪いという思いがあって
>ペンで居丈高になって責めるのはちょっと安直すぎる
>ものを見る目は1つじゃない
私も、殊更「ペン」だの「社会正義」などと口にする姿は好きになれぬ。
>世の人が避けるタブーは日の光にさらすのが1番の殺菌作用がある。タブーは批判を加えないまでも、引きずり出すことで意味がある
大いに同感だ。
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