元少年の死刑確定、実名報道は「匿名化」社会の例外的措置か
2012/3/1 7:00.WSJ Japan Real Time 金井啓子のニュース・ウオッチ
山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件で殺人と強姦致死などの罪に問われた被告(犯行時18歳1カ月)の死刑判決が確定することになった。最高裁に残る統計では犯行時の年齢が最も若い死刑確定者になるとみられている。
筆者は、これまで匿名だった被告の実名が大半のテレビや新聞で明らかにされ、顔写真も報道された点に関心を持った。
実名報道に切り替えたメディアは、これまで匿名で報じたことについて「少年法の趣旨を尊重し社会復帰の可能性などに配慮したため」と説明。「国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされているべき」で、「死刑が確定すれば更生・社会復帰の機会はなくなるため」実名報道に切り替えたという。
だが、死刑確定時で実名とするのが妥当なのか気にかかった。そこで、『英国式事件報道 なぜ実名にこだわるのか』(文藝春秋)の著者である共同通信ニューヨーク支局次長の澤康臣記者に話を聞いた。
まず、罪を犯した少年を匿名で報じる一般的な措置について、澤記者は「少年犯罪に限らず、被害者や加害者をはじめとして記事に書かれる人々への打撃を記者たちに意識させる、価値のあるもの」と考えているという。だが、加害者の少年を匿名で報じるこの規定は、匿名にして書く内容を削ることにより報道被害が減って配慮ある報道にするという考えを反映しているが、物事を伝え記録する以上できるだけ多くの内容を伝えてこそ意味が増すという本来のジャーナリズムのあり方と逆だという疑問も呈している。「書かれた本人への打撃の軽重と、社会や歴史の財産としての記事の中身の善し悪しは本来別次元で、だからこそ『バランス』というほかない。そのバランスは一件一件事情が違うはず」と語った。つまり、「何をどう書くか」という問題は、打撃の大きさのみでも、また、記事の意義深さだけでも決められないため、双方を比較したうえでバランスを取る必要があるのだという。
死刑確定で実名報道に切り替えた措置に関して、澤記者は「各社が相当な議論と苦悩の末に独自の判断をしたことはまちがいなく、(実名・匿名報道が)それぞれ尊重されるべき」と強調した。そのうえで、実名切り替えに個人的には賛成だという澤記者は、1)死刑は重大な制度で、死刑囚の名が伏せられる社会は不透明、2)更生の可能性は再審や恩赦で、実現すれば歴史的事件となりむしろ人名を含め記録する必要は増す、3)少年法の匿名報道規定は更生支援のためで死刑確定者も対象とする矛盾は「法の落とし穴」━━と3つの理由を挙げた。
少数派となった匿名継続の毎日新聞、中日新聞、西日本新聞などは「非道極まりない事件だが少年法の理念を尊重し匿名で報道するという原則を変更すべきではない」、「死刑判決が確定した後も再審や恩赦の可能性はある」と説明している。
筆者は、重大な犯罪では容疑者が少年でも実名で報道すべきという個人的な意見を持つ。現行の少年法は時代にそぐわないと考えるからである。また、被害者や遺族は実名だけでなくプライバシーも洗いざらい報道される確率が高いのに対し、容疑者は過度に保護されているとも感じる。だが、そうであっても、今回は裁判官のひとりが反対を唱える珍しい例だったうえに、死刑判決が覆る前例がゼロではない以上、この時点で実名切り替えの判断を下したことには、筆者は疑問をぬぐいきれない。今回の判決を前におそらくメディア内部では議論していたのだろうが、実例が出る前にもっと社会的に幅広い議論があってもよかったのではないだろうか。
日本では通常、些細なコメントでも匿名でしか報道しない、できないケースが多い。筆者が外資系メディアの日本支局に所属していた際、重大な秘密でない際も取材先が匿名を希望することが多く、上司に「なぜこんなことが実名で話せないのか理解できない」と言われたことを思い出す。
今回の実名切り替え措置は、そうした「匿名化」する日本社会では異例と言える。今回の判断がごくまれな例外となるのか、それとも、なんでも匿名とする風潮に一石を投じ議論するきっかけとなるか、注目に価する。
(筆者は近畿大学文芸学部准教授。2011年11月まで「金井啓子のメディア・ウオッチ」を連載)
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〈来栖の独白2012/03/01 Thu.〉
卑見は、実名報道には反対である。マスコミ各社が挙げた実名報道の理由は「更生の可能性が無くなった」というもので、私は激しく否を唱える。人は変わり得るものだ。とりわけ少年(元少年で、現在に至ってもまだ若い)は可塑性に富んでいる。なにより、死刑確定という現時点での一事により「死人」と定めてしまう神経の太さ、大雑把にはどうしても同調できない。生きており、温かい肉体に包まれている人間に対して、如何にも、むごい。
ただ、上のコラムを読んで、些か考えるところもあった。
もう10余年も前のことになるが、名古屋アベック殺人事件の主犯K君が云った。「死ぬことよりも怖かったのは、僕がこの世から忘れ去られることだ」と。
死刑制度を存置し、死刑執行を行わしめているのは、(「国家」ではなく)我々「国民」である。裁判員裁判は、そのことを端的に教えてくれた。
ならば、我々国民は、我々自らが手にかけた(制度という名の下に命を奪った)人の名前を知らなくてよいのだろうか。K君の言葉を振り返るなら、死刑に処せられ、名前すら知られずに「無」になってゆくのは侘しすぎる・・・、そのような感慨が私に浮かぶ。
侘しい、荒涼とした風景だ、死刑とは。それが、若い人に対してなら、なおさらだ。
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《日本の死刑状況について「無期懲役者からの手紙」》より抜粋
「強がりではなく、一審当時のわたしには死刑になって死んでいくことは決して難しいことではありませんでした。まわりの状況や雰囲気などで、一審の途中からもう自分は死刑になると勝手に確信していたのですが、自分が死刑になって死んでいくということに対してはほとんど抵抗はありませんでした。もう終わった、と自分の人生に対しての諦めの気持ちもあったのですが、それまで精一杯かっこをつけて強がって生きてきたわたしにとっては、たとえ自分が死刑になったとしてもジタバタせず、最後のツッパリで清く死んでいくことしか頭になかったのです。むしろわたしは自分が死ぬということよりも、みんなの記憶の中から自分が消えてしまうんじゃないか、ということに対してのほうに抵抗があったように思います。たとえ私が死んだとしても、せめてわたしのことを忘れないでほしいという気持ちは強くもっていましたし、そのためにもうどうせ悪くされるのなら、たくさんの人の記憶に残るように思いきり悪のまま清く死んでいこうとしていたのだと思います。ほんとうになんて馬鹿な、と思うでしょうが、それまでのわたしは自分の命さえ大切にしていませんでしたし、そういう生き方しかしてこなかったのです」。
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◆光市事件
◆元少年に死刑判決 報道 実名か匿名か/光市事件 木曽川長良川リンチ殺人事件 /少年法の理念尊重貫く 2012-02-25 | 光市母子殺害事件
◆少年死刑 割れた判断 光市事件上告棄却 精神的成熟度で溝 2人殺害「永山基準」後 初適用/判決全文2012-02-23 | 光市母子殺害事件
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死ぬこと《死刑》よりも、皆の記憶の中から自分が消えてしまうんじゃないか、ということに抵抗があった
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