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「名張毒ぶどう酒事件」ニッカリンT、再製造と鑑定人選任へ 名高裁 下山保男裁判長

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名古屋高裁、農薬分析の鑑定人選任へ 名張毒ぶどう酒事件
2011年4月18日 23時54分
 三重県名張市で1961年、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件の第7次再審請求をめぐる差し戻し審の三者協議が18日、名古屋高裁であった。下山保男裁判長は、犯行で使われたとされる農薬「ニッカリンT」を再製造し、最新鋭機器を使った成分分析を鑑定人に依頼する方針を、名古屋高検と弁護団に示した。鑑定人を選任し、結果が出るのは9月以降の見通し。
 差し戻しを命じた昨年4月の最高裁決定から1年余。成分分析の実施で実質的な審理に入る。ただ、最高裁が求めた事件当時の分析法による鑑定の再現のめどは立っていない。
 捜査段階で奥西勝死刑囚(85)は「ぶどう酒にニッカリンTを入れた」と自供したが、直後の捜査側鑑定では、現場に残されたぶどう酒から、ニッカリンTに含まれる副生成物(トリエチルピロホスフェート)が検出されなかった。
 このため、毒物がニッカリンTかどうかが、奥西死刑囚の有罪・無罪を判断する焦点として注目されてきた。
 弁護団によると、高裁は今後、検察側が推薦した化学者を鑑定人に決定し、鑑定人を通じて5月中に化学薬品メーカー(東京)に、事件直後に製造中止となったニッカリンTの製造を依頼。再製造と鑑定書作成にはそれぞれ2カ月を要する。高裁は比較のため弁護団保有のニッカリンT(60年代製造)の成分分析も行う。
 ニッカリンT製造時の副生成物の含有量について、弁護側は「17〜18%」、検察側は「5%以下」と主張。考え方の隔たりは大きい。(中日新聞)
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〈来栖の独白〉
 10年以上前になるが、名古屋カトリック正平委の活動の一環で柳川喜郎氏(岐阜県御嵩町長=当時)とご一緒したことがあった。御嵩町の産業廃棄物処分場の問題だった。柳川さんはかつてNHKの記者だったのを、乞われて岐阜県御嵩町町長になられたのだった。
 NHK記者時代、柳川さんは奥西氏を取材している。そして、伏し目がちに話す奥西の姿に「犯人に間違いない」と思ったそうだ。
 歳月を経て、また柳川さんご自身の経験(暴漢に襲われた)もあって、柳川さんの口は退けたような感じを受けるが、依然私には、氏の記者時代の「直感」が大変印象深く残っている。
 本件第7次再審請求をめぐる差し戻し審、名古屋高裁の裁判長は下山保男氏である。つい先日(4月12日)闇サイト殺人事件の判決を言い渡した裁判長として、私の記憶に新しい。刑事司法は、冤罪を出さないためにある。むろん冤罪はあってはならないが、「疑わしきは被告人の利益に」というのは、どうも好きになれない。
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名張毒ぶどう酒事件異議審決定 唯一目をひいた記事2006-12-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 〈来栖の独白2006-12-27 〉
 再審決定取り消しにつき、今朝の中日新聞<名古屋版>で唯一目をひいた記事があった。奥西氏逮捕直後に行われた氏の記者会見についての記事だ。この3分間の記者会見が、今回の取り消し理由の一つになった。記事は柳川善郎岐阜県御岳町長の話。柳川さんは、事件当時NHKの記者で、この会見で奥西氏にインタビューした。以下。

 「大きな事件を、自分のちょっとした気持ちから・・・。何とお詫び申し上げてよいか分かりません」ぼさぼさの頭、落ち窪んだ目。奥西死刑囚は終始、うつむいたまま、ぽつりぽつりと語った。わずか三分間の短いやりとりだった。1961年4月3日の正午過ぎ、三重県警名張署の宿直室で、異例の容疑者の記者会見が行われた。事件発生から7日目。自白の模様はテレビ中継され、新聞各紙にも載った。「はめられた」。奥西死刑囚は45年経った今も、このインタビューを悔やむ。「警察から『家族を救うために会見して謝罪しろ』と言われ、取調官が書いた文を(暗記して)読んだだけ」と裁判官にあてた手記でも訴えた。
 柳川さんは当時、NHKの三重県警担当キャップ。記者クラブの代表取材の一員として、奥西死刑囚の話を聞いた。柳川さんによると、会見は「報道陣が警察に押し込む形で」実現した。その前日、県警幹部が「奥西の妻」犯行説を明らかにしたばかり。一晩で犯人が一転したことに「記者たちはいきり立っていた」という。
 待ち構えた容疑者の第一声。「ちょっとした気持ちから・・・」。冒頭の言葉に柳川さんは「真犯人」と直感したという。うなずける。本当の動機はそんなものだろう。単純に困らせてやろうとしたのだ。「うーん」。迫真の受け答えに次の質問が思い浮かばなかった。
 ただ、その後の司法判断は無罪から死刑に、そして再審開始決定から取り消しに。この取材を機に、「人は判断を誤る」と、死刑廃止論に傾いた。自身は十年前、暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う被害者になった。それでも、いくら犯人が憎くても、死刑はいけないと思う。柳川さんは、奥西死刑囚に呼びかける。「お互い生きているうちに、もう一度会ってみたい。無実を訴えるなら、今度は目と目を合わせて」

 
「ちょっとした気持ちで・・・」逮捕後、記者会見で犯行を認めた奥西死刑囚(左)=1961年4月、三重県名張市で 
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名張毒ぶどう酒事件 扉は開くか
名張毒ぶどう酒事件の人々


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