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生命といのち〈上〉 万物に「存在の価値」

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生命といのち〈上〉 万物に「存在の価値」
 奈良康明(なら・やすあき)
2011/07/09Sat.中日新聞 人生のページ
 東日本大震災はひどい出来事だった。天災に人災が加わり、人々の生活基盤が崩壊した。家族を失った人も多い。私たちの心が痛んでいる。亡くなった方の冥福を祈り、一日も早い復興を願っている。
 生命の尊いことは言うまでもない。モノや金は失われても回復できるが、生命は戻らない。人間の「生きる」ことの原点だし、それは他の動物たちも同様であろう。人間が生きものの生命をことさらに奪っていいものかどうか。これは文化の問題で世界各地域で事情は異なっている。
  *
 インドでは伝統的に不殺生の徳が強く説かれ、今日に至っている。生きものを殺したくないという理由から菜食主義の人も少なくない。仏教では肉食は認めているが、ことさらに生きものの生命を奪うことは誡められているし、放生会(ほうじょうえ)の伝承も古い。捕獲された生きものを殺すことなく自然界に戻す習慣は、功徳を積む行為であるとともに、生きものの生命尊重の象徴的姿勢でもある。日本では神道にも取り入れられている。
 人間中心主義の西欧では放生会などという習慣はないのではないだろうか。『創世記』には神は人間を創り、空行く鳥、地を行く獣、水ゆく魚を「治めよ」(新共同訳)と言っている。人間が恣意的に動物を殺していいということではなく、それなりの宗教的背景がある言葉のようだが、しかし近代至るまで、歴史的に、動植物そして自然を「征服」し、動物を人間利益のために殺すことを認める1つの根拠となっている。それだけに、動植物、自然を壊すことの弊害は早くから自覚されたし、環境問題への自覚が出てきたのも西欧が先である。
  *
 先日、アメリカ人の青年と話す機会があった。どんな動物にも「生きる権利」があるし、そのライフ(生命)を奪う権利は人間にはない、だから自分は肉食をやめて菜食に切り替えた、と言う。それでは米や麦、野菜などのライフ(いのち)は奪っていいのか、と私は訊いたら、植物にライフはないから殺してかまわない、という議論になった。
 はしなくもここに西欧と東洋、日本の生命に関する意味内容の違いが浮き上がってきた。比較文化の問題として面白いし、実践上の問題もある。
 日本の文化伝承には「生命」と「いのち」と仮名で書く2つの「ライフ」(life)がある。英語で話しているとライフしかないから話がややこしい。日本人にとっては、漠然としてはいても、どんなものにも「いのち」がある、ということは理解しやすい。「いのち」は生命ではない。「ビール瓶にもいのちがある。そのいのちを大切にしてリサイクル」という新聞への投書も読んだことがある。
  *
 かなり以前のことだが、感激したシーンに出合ったことがある。あるマンションの小さな花壇で幼児をあやしていたお母さんがいた。花壇に足を踏み込み、花に手をかけた坊やに、母親は言った。「お花を折ると、お花ちゃんが痛いって泣くわよ」。花に痛いと感じる神経があるかないかという話ではない。折り取られようとして「痛い」と感じるのは、花ではなく、母親の心である。植物にも人間的感情を及ぼす日本人的な情感といえよう。
 万物にいのちを認めるのは、おそらく、古代日本のアニミズムに根拠があるのかもしれない。しかし、それ以上に中国の「自然」観の影響が強いのである。「自然」とは、英語のnatureではない。元来は「自ずから然ある」という形容詞で、人為の加わらない万物の在りようを示すものだった。中国人はそこに美的・宗教的価値を認めていた。万物があるがままの「在り方」に、いわば、「存在の価値」を認めていたのである。
 日本語の「いのち」とは万物の「在る」ことそのものの価値をいうものと言っていい。「もったいない」という言葉は、物事の経済的・実利的価値が無駄に失われることだけをいうのではない。存在の価値、いのちが無駄に失われることをいうものである。
<筆者プロフィール>
なら・やすあき
 1929年、千葉県生まれ。東大文学部卒、同修士課程修了。カルカッタ大学博士課程留学。駒澤大学前学長。
ペリカンの受難/口蹄疫/人間中心主義思想の根底に旧約聖書/ネット悪質書込みによる韓国女優の自殺2010-06-17 | 仏教/親鸞/五木寛之・・
余録:ペリカンの受難
 米ルイジアナ州の州旗にはペリカンの巣の中の親鳥と3羽のヒナが描かれている。よく見ると親鳥の胸の上には、三つの赤い点が見える。これは親鳥が自らのくちばしで胸を傷つけ、したたる血をヒナに与えている様を描いているのだという▲実はこの図柄、中世ヨーロッパから伝わる「敬虔(けいけん)なペリカン」という由緒ある紋章らしい。ペリカンは死んだヒナを自ら流す血で蘇生させるといわれ、「自己犠牲」を表すシンボルとなり、キリストの受難図にも描かれた▲ルイジアナが「ペリカンの州」と呼ばれるのは、初代州知事が沿岸に生息するペリカンを見て、この図像を州章に用いたからという。だが今その生息地からは「親鳥もヒナや卵も姿を消していく」との悲痛な声が聞こえる▲米南部沖のメキシコ湾で続く原油流出による生態系への影響が深刻化している。油はすでにルイジアナ州はじめ4州の沿岸に漂着、漁業や観光に大きな損害を与えているばかりでなく、ミシシッピ河口近くの海や湿地からは油まみれのペリカンの映像が伝わってくる▲ペリカンの保護と油の洗浄を行っている現地の保護施設では、運び込まれる鳥の3割はすでに死んでいたという。巣に残されたヒナや卵も全滅は免れそうにない。もちろんペリカンの悲劇はルイジアナの海と沿岸の全生態系を襲っている惨事のほんの一端にすぎない▲オバマ大統領が来週4回目の現地視察を行うのも、海鳥のショッキングな映像が被害の深刻さを全米に印象づけたことと無縁でなかろう。血を流す図そのままに、身をもって生命の海の危機を告げるペリカンの受難に人類はどう応えるのか。
毎日新聞 2010年6月10日 0時06分
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中日春秋
2010年6月17日
 米国の作家、故マイケル・クライトン氏がつくり出した物語『ジュラシック・パーク』は映画にもなり世界中で大ヒットした▼約(つづ)めていえば、遺伝子操作で現代に蘇(よみがえ)らせた恐竜たちが人を襲う、といったお話。暴れ回るのは、どこかから突如、現れた怪獣ではない。人間が科学技術で誕生させながらコントロール不能になった存在。それは人類が抱える根本の恐怖のような気もする▼今、米国ルイジアナ州沖のメキシコ湾で暴れているのは、恐竜ならぬ原油だ。英石油大手BPの海底油井の流出事故は、発生から既に二カ月近くになるのに、まだ汚染が止まらない。様々(さまざま)な流出防止の策がとられたが、失敗続きだ▼深い海の底に、深い深い穴を掘り、何とか石油を吸い出せたのは科学技術のゆえ。だが、いざ、止めようと思った時、それを止められないのだ。この制御不能の油井を、BPの技術者が事故直前のメールで、「悪夢の油井」と呼んでいたなどと聞けば、一層、不気味さが増す▼かつて、インターネットを「ついに人類はスイッチを切れない“装置”をつくってしまった」と表現した人があったのを思い出す。確かに、あれも、もう、誰にも止められない▼科学技術がわれわれの暮らしに多大な恩恵をもたらすのは疑いない。だが、同時に、いくつもの潜在的な「制御不能の恐怖」も引き受けているのかもしれない。
.........
〈来栖の独白2010/06/17〉
 1991年の湾岸戦争。海岸に接していた大規模石油基地が爆破され、大量の重油が海に流れ出したことがあった。この際にも、多くの無辜の生物が油に翼を奪われ、いのちを落とした。
 地球は、宇宙は、ひとり人類だけのものではない。声なき声の多くの生物のものでもある。
 五木寛之氏は『天命』(幻冬舎文庫)のなかで次のように言う。
 “たとえば、環境問題は、これまでのヨーロッパ的な、キリスト教的文明観では解決できないのではないでしょうか。
 欧米の人たちの考えかたの伝統のなかには人間中心主義というものがあります。この宇宙のなかで、あるいは地球上で、人間が神に次ぐ第一の主人公であるという考えかたです。
 これはルネサンス以来の人間中心主義の思想の根底にあるものですが、主人公の人間の生活に奉仕するものとして他の動物があり、植物があり、鉱物があり、資源がある。水もあり、空気もあると、考えるわけです。
 そうした考えのなかから生まれる環境問題の発想というのは、やはり人間中心です。つまり、われわれはあまりにも大事な資源をむちゃくちゃに使いすぎてきた。これ以上、水や空気を汚し樹を伐り自然環境を破壊すると、最終的にいちばん大事な人間の生活まで脅かすことになってしまう。だからわれわれは、もっとそうしたものを大切にしなければいけない。----これがヨーロッパ流の環境主義の根源にあるものです。(略)
 これに対し、アジアの思想の基本には、すべてのもののなかに尊い生命があると考えます。
「山川草木悉有仏性」という仏教の言葉があります。山の川も草も木も、動物もけものも虫も、すべて仏性、つまり尊いものを持っている、生命を持っているんだ、という考えかたです。
 そうした考えかたから出ている環境意識とは、川にも命がある、海にも命がある、森にも命がある、人間にも命がある。だからともに命のあるもの同士として、片方が片方を搾取したり、片方が片方を酷使するというような関係は間違っているのではないか、もっと謙虚に向き合うべきではなかろうか、というものです。こういう考え方のほうが、新しい時代の環境問題には可能性があると私は思うのです。
 つまり「アニミズム」ということばで軽蔑されてきた、自然のなかに生命があるという考え方こそは、遅れた考え方どころか、むしろ21世紀の新しい可能性を示す考えかたなのではないでしょうか。
 狂牛病の問題で、あるフランスの哲学者が、人間のために家畜をありとあらゆる残酷なしかたで酷使してきたツケが回ってきたのだと言っていました。人間のために生産力を高めようとして肉骨粉を与え、共食いさせた。そうした人間の業というものがいま、報いを受けているのだ、と。狂牛病の問題だけではなく、すべてに関して人間中心主義というものがいま、根底から問われていると思います。”

 僅かに、卑見に相違するところがある。
>これはルネサンス以来の人間中心主義の思想の根底にあるものです
 と、おっしゃるくだりである。人間中心主義思想の根底にあるものは旧約聖書ではないか、と私は観ている。創世記は次のように言う。
 “ 神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
 神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
 そのようになった。 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 神は御自分にかたどって人を創造された。
 神にかたどって創造された。男と女に創造された。
 神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
 神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
 そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。”〔創世記1.20〜1.31〕

 日本では、口蹄疫が大きな問題となっている。牛や豚の映像に接するたび、生き物の命を奪わないでは自らの命を養えない人間、人類の宿業を思わないではいられない。
「うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし…」
ワクチン接種牛9百頭、共同埋却「牛は処分を察してか悲しい顔をする。涙を流した牛もいた

 いま一つ、言及したい。中日春秋の以下の件である。
>かつて、インターネットを「ついに人類はスイッチを切れない“装置”をつくってしまった」と表現した人があったのを思い出す。確かに、あれも、もう、誰にも止められない。科学技術がわれわれの暮らしに多大な恩恵をもたらすのは疑いない。だが、同時に、いくつもの潜在的な「制御不能の恐怖」も引き受けているのかもしれない。 
 ネットは、現代に生きる人々に欠かせぬツールとなった。しかし、人間の精神はこの科学技術に並んでいるだろうか。
 秋葉原無差別殺傷事件は、ネットに、遠因の一つがあったのではないか。韓国では、ネット上での誹謗中傷により死を選んだ女優もいた。
 匿名の裏で、完膚なきまでの誹謗中傷、或は他人の個人情報は得たいと企む卑しい心根。人間の闇が、科学技術について行けていない。


ニュースの未来 マスメディア以前の時代への回帰

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ニュースの未来 マスメディア以前の時代への回帰
JBpress2011.07.11(Mon)The Economist (英エコノミスト誌 2011年7月9日号)
 ニュース業界はインターネットに導かれ、マスメディア誕生以前の会話の文化の時代へと戻りつつある。
 今から300年前、ニュースは口頭や手紙で伝えられ、酒場やコーヒーハウスでパンフレット、ニュースレター、チラシといった形で広まった。「特にコーヒーハウスは、自由な会話を楽しむために、そして多種多様なニュース印刷物を気安く読むために、非常に適した場所だ」と当時の人が書いている。
 すべてが変わったのは1833年のことだ。この時、最初の大衆向け新聞であるニューヨークの「サン」紙が、広告を利用してニュースのコストを下げる方法を開拓した。これで、広告主は広範な読者に宣伝ができるようになった。
 当初、米国で最も売れている新聞の発行部数は1日4500部だったが、サン紙は蒸気機関で稼働する印刷機の導入で、まもなく1日の発行部数が1万5000部に達した。
 こうした大衆向けの「1ペニー新聞」は、後発のラジオ、テレビとともに、ニュースを双方向の会話から一方向の大量伝達に変え、比較的少数の企業がメディアを支配する状況を生んだ。
 だが今、本誌(英エコノミスト)の特集記事が解説するように、ニュース業界はコーヒーハウスに近いものに回帰しつつある。インターネットによってニュースはこれまでよりも直接参加型で、社会的で、多様かつ党派的なものに変容し、マスメディア登場前の談話的な気風が復活している。このことは、社会と政治に深い影響を与えるはずだ。
 
開拓時代
 世界の大半の地域ではマスメディアが繁栄している。世界の新聞の総発行部数は、2005年から2009年までに6%増加した。これは、毎日1億1000万部が売られるインドのような国の特に強い需要に支えられたものだ。
 だが、そうした世界全体の数字の陰で、先進諸国の読者数は急減している。
 過去10年間で、西側諸国全体で新聞離れ、テレビニュース離れが進み、人々は根本的に異なる方法でニュースを知るようになってきた。とりわけ際立つのが、一般の人々がニュースの集積、共有、選別、議論、配布にかかわるようになった点だ。
 ツイッターのおかげで、利用者はどこにいても自分が見ているものをリポートできるようになった。無数の機密文書がオンラインで公開されている。
 携帯電話で撮影されたアラブの民衆蜂起や米国の竜巻の動画がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)サイトに投稿され、それがテレビのニュース番組で流される。
 日本で地震が起きている最中に撮影された素人ビデオは、ユーチューブ上で1500万回も閲覧された。
 「クラウドソーシング(crowdsourcing)」のプロジェクトで集まった読者とジャーナリストが協力し、英国の政治家の費用請求書からサラ・ペイリン氏の電子メールまで、様々な文書を精査している。SNSサイトは、人々がニュースを見つけ、友人と論じ、共有するのに役立っている。
 メディア界のエリートに挑戦しているのは読者だけではない。グーグル、フェイスブック、ツイッターなどのハイテク企業も、ニュースの伝達経路として重要な存在になってきた(重要になりすぎたと警戒する声もある)。
 米国のバラク・オバマ大統領やベネズエラのウゴ・チャベス大統領をはじめ、各国の指導者や有名人たちもSNSを通じて近況を直接公表している。多くの国が「開かれた政府」の取り組みを通じて生のデータを公開している。
 インターネットにより、世界中の新聞やテレビ番組を読んだり見たりできる。英国紙ガーディアンのオンライン読者は今や、英国内よりも国外の方が数が多い。ウェブのおかげで、個人のブロガーからハフィントン・ポストのようなサイトまで、ニュースの新しい送り手がごく短い期間で名を知られるようになった。
 ウェブはまた、ウィキリークスが実践しているように、内部告発者に匿名で文書を公表する方法を提供するなど、ジャーナリズムの全く新しいアプローチを可能にした。ニュースで取り上げるトピックスは、もはや、少数の大手報道機関とBBCのような国営メディアによって管理されるものではなくなった。
 原則としては、すべての自由主義者はこうした状況を祝福してしかるべきだろう。目覚ましい多様性と広範なニュースソースに裏づけられた直接参加型で社会的なニュース環境は、素晴らしいものだ。
 
偏った報道を乗り越える個人
 かつて世界を解釈するのにヒューストン・クロニクル紙に頼るしかなかったテキサス人は、今や無数のソースから情報を収集できるようになった。
 権威主義に頼ってきた世界中の支配者たちは恐怖を募らせている。それを思えば、ジャーナリストのキャリアが不安定になったとしても、それがどうしたというのだ、と言う人は多いだろう。しかしそれでも、懸念すべき大きな問題が2つある。
 最初の懸念は、権力を有する者の責任を追及する「アカウンタビリティ・ジャーナリズム」の喪失だ。印刷メディアでは、収益の縮小に伴い、調査報道や地方政治記事の量と質が落ちている。
 しかし、古いスタイルのジャーナリズムも、決してジャーナリストが自負したがるほど道徳的に高潔というわけではなかった。実際、個人の携帯電話に不正アクセスしていた事実が発覚した英紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドはまさに伝統的なゴシップ紙だった。
 その一方で、インターネットは新しい形の説明責任を生み出している。プロパブリカ、サンライト・ファウンデーション、ウィキリークスのような非営利団体が成長し、監視メディアの衰退によってできたすき間を埋めるのに貢献している。
 これはまだ進行中の取り組みだが、現段階の行動と実験のレベルから、楽観的な見通しを持つことができる。
 第2の懸念は、党派心と関係がある。マスメディアの時代には、地域を独占する媒体は、読者と広告主に対する魅力を最大化するために、往々にして比較的中立を保つ必要があった。だが、競争が激化する世界においては、人々の偏見を増幅させる場を作るところにカネが生まれるように思われる。
 実際、保守系の米有線ニュースチャンネル「フォックス・ニュース」が生み出す利益は、比較的穏健なライバルであるCNNとMSNBCを合わせた利益を上回っている。
 党派的に偏ったニュースが入手しやすくなるというのは、一面では歓迎されるべきことだ。これまで、自身の見解を反映した番組を全く観られなかった人も多い。特に右派の米国人は、米国のテレビ局の大半は左寄りだったため、そのような手段を持たなかった。
 しかし、ニュースの独断的傾向が強まるにつれ、政治と事実の両面で弊害が生じている。米国の保守派の一部がオバマ大統領が米国外で出生したと主張したり、増税が不可欠だと認めることを拒んだりするのを見れば分かる。
 打つべき手が何かあるだろうか? 社会的なレベルでは、それほど多くはない。ニュースビジネスの変容は止められないし、逆戻りさせようと試みても必ず失敗する。だが個人のレベルでは、いくつかの手段でこれらの懸念を和らげることができる。
 新しいジャーナリズムの作り手として、個人は事実にきちんと向き合い、情報源を明確にすることができるだろう。またニュースの消費者として、嗜好を幅広く保ち、高い基準を求めることができる。
 ニュースビジネスの変容には確かに懸念すべき面はあるが、雑音と多様性と騒々しさと論争とあくどいほどの活力に満ちたインターネット時代のニュースビジネス環境には、祝福すべき多くの要素がある。古き良きコーヒーハウスが帰ってきた。存分に楽しもうではないか。

上杉隆のTwitter(ツイッター)で世界を変える2011-02-21 | 社会
上杉隆のTwitter(ツイッター)で世界を変える  
 本連載では、上杉隆氏が豊富な知見を基に、Twitter(ツイッター)が社会に何をもたらしているのか、その現象を読み解きます。第1回は、2008年の米国大統領選挙におけるツイッターの台頭。選挙戦の取材当時の様子を交え、ツイッターがマスメディアに与えた衝撃とその後の世界への伝播を、現場での実感と共に振り返ります。
第1回 Twitter(ツイッター)の衝撃  
マスメディアを襲った激震
 ツイッターなどのマイクロメディアの登場によって最も激震を受けたのは既存のマスメディアであった。
 これまで自身のメディアを持たなかった政治家などの情報源と、受け手である市民・国民が直接結ばれてしまったのだ。
 それは長い間、「媒体」(メディア)として、情報を独占し続けてきたマスコミの存在そのものを脅かすものとなった。
 このツールの有効性に気づいた政治家たちの反応は速かった。いつも自分たちを批判ばかりしている既存のマスメディアを無視して、フェイスブックやツイッターなど直接的に有権者と結ばれるメディアを選択し、実際に使い始めたのだ。
 一方で、マスメディアはいつも奇麗ごとばかりで何も真実を伝えていない、という不満を抱いていた多くの国民も進んでこのマイクロメディアを活用し始めた。テレビや新聞などで加工された情報よりも、情報源の直接の声を知ろうと、ツイッターなどに集中したのだ。
 こうやって人類史上類を見ない徹底的な情報の「中抜き」が広がると、既存メディアはすぐに白旗を掲げた。そして、手を差し伸べ、ともに歩む道を模索し始めたのである――。
 これは未来の物語ではない。2年前の米国で実際に起きていた現象だ。
 2008年、筆者が米国大統領選挙を取材する中で何より驚いたのは、こうしたツイッターなどのマイクロメディアの台頭であった。
 民主党のオバマ候補(当時)は、自身のツイッターなどで遊説日程を公表し、副大統領候補を発表し、政治献金をかき集めていた。それをニューヨーク・タイムズやCNNなどの既存メディアが後追いし、マイクロメディア発のニュースを伝えた。また、結果としてオバマ大統領もどの候補よりも多額の献金を集めた。
 筆者もその衝撃を実感したジャーナリストの一人だった。ビクトリースピーチの行われる会場がシカゴのグラントパークであることをいち早く知り、広場前のホテルを予約できたのもツイッターのおかげである。また副大統領候補にバイデン上院議員を指名したのを知ったのもオバマ氏のブログだ。それらはともにCNNの報道よりも速かった。
 オバマ支持者も積極的にマイクロメディアを活用した。投票日には「イエス・ウィー・キャン」の合言葉の下、必ず投票に行くようにフェイスブックやツイッターユーザーに呼びかけたのだ。
 こうした「中抜き」の伝播力は既存のメディアの影響力を超えていたのかもしれない。その変化を察知した既存メディアの動きも速かった。
 CNNはユーチューブなどと連携して合同の大統領討論会を開催し、ニューヨーク・タイムズもウェブ版の記事にツイッターやフェイスブックをリンクさせ、記者一人ひとりにアカウントを取得させた。
 こうやって米国ではいち早く、新聞・テレビなどのマスメディアとユーチューブやツイッターなどのマイクロメディアが融合する広大なメディアの世界が広がったのだ。
世界に伝播する衝撃
 こうした動きはすぐに世界に広がった。
イランの民主蜂起、モルドバの反政府デモ、タイの反政府暴動も、ツイッター上の呼びかけに応じて、市民が勝手に連帯し、自然発生したものである。
 イギリスの総選挙でもキャメロン首相とその夫人がツイッターを多用し、チベットのダライ・ラマやロシアのメドベージェフ大統領もツイッターで頻繁につぶやき、自らの正当性を訴えることに成功している。
 こうしたマイクロメディアの台頭によって、いまや世界は大きく変化している。
 ところが、日本だけはこの変化に完全に乗り遅れてしまった。それは、日本政府の無理解と既存マスメディアの自己保身によるものである。
 政治家の多くはいつものように新しい変化についていけなかった。官僚は既得権益を守るため、海外の変化を直視しようとしていない。そして本来はこうした情報を伝えるべき肝心のマスメディアは自らの存在が脅かされると勘違いして、ツイッターなどのマイクロメディアを排除、事実上、黙殺してしまったのである。
 ツイッターは権力と国民を直接結ぶのみならず、その関係をフラット化してしまう前代未聞のメディアツールである。
 たとえば、フォロワー60万人超の元首相とフォロワー10人の一般市民のつぶやきが、RT(リツイート)機能によって同等の影響力を持つこともある。
 これはメディア革命であると同時に、日本の情報鎖国状態を変える社会革命である。
 次回以降は、現在進行中のこの「社会革命」のドキュメントを詳細に報告する。
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第2回 メディアを変えるTwitter(ツイッター)の可能性  
 本連載では、上杉隆氏が豊富な知見を基に、Twitter(ツイッター)が社会に何をもたらしているのか、その現象を読み解きます。ツイッターはその台頭とともに、世界中に衝撃を与えながら、瞬く間に広がりました。そして今や、新たなメディアツールとして、既存メディアを飛び越えようとしている――。第2回では、日本のメディア業界においてマイクロメディアが起こしてきた変革の流れと、ツイッターが持つ可能性に迫ります。
押し寄せるメディア革命の波
 過去様々なマイクロメディアが登場し、その都度、日本の既存メディアは肝を冷やしてきた。
 記者クラブ制度を中核とした日本のメディア業界は、世界に類を見ない特殊なシステムを構築している。
 端的にいえば、過去半世紀、一つの新規参入も認めず、一つの倒産も出さないというまれな「カルテル」を形成して、自らの既得権益を守り続けているのだ。
 だが、当然ながら、そうした「談合組織」の強固な壁にも、穴を開けようとする挑戦者が登場した。それは時代の趨勢であり、またそのほとんどが、通信分野からのチャレンジであった。
 1998年、ソフトバンクの孫正義氏とルパート・マードック氏の連合軍はテレビ朝日と朝日新聞を脅かした。2005年には、ライブドアの堀江貴文氏がニッポン放送とフジテレビに手を差し伸べた。
 通信メディアの先駆者によるこうした動きのほかにも、何度も記者クラブの「カルテル」は揺さぶられている。
 最初は、西村博之氏の「2ちゃんねる」だった。情報が流出するとして、保守的な霞が関の官僚と一体となって取り締まりを強化し始めたのだ。
 その次は「ユーチューブ」であった。通信動画という圧倒的な情報を持つメディアが既存メディア、とりわけテレビの存在理由を脅かしたのだ。
 マイクロメディアの誕生によるこうした動きは止まらなかった。世界中で勃興するメディア革命の波に日本も飲み込まれようとしている。
 だが、既存メディアはそうした現実を直視しなかった。マイクロメディアが発生する度に、「果たして今度のメディアは自分たちの潜在的な脅威になり得るかどうか」を判断し、決まりきった対応をするのであった。
 「Eメール」「ミクシィ」「ブログ」などは安全パイだとされた。自分たちの存在を脅かすに当たらないという評価を受ける。よって、記者クラブメディアは積極的に取り込むか、共存しようとした。
 ところが、「2ちゃんねる」「ユーチューブ」は違った。それらが自らの脅威になる可能性があることを察すると、いつものように黙殺という手段で排除し始めたのだ。
 それは98年と05年の教訓を学んでいないことの証明になった。
 先ほど筆者はあえて「ホリエモンから手を差し伸べた」と書いた。その理由は、台頭してきたマイクロメディア(通信メディア)が放送業界と融合することで、結果としてメディア全体の「救いの手」となることを知っていたからである。
 既に世界中でそうした融合が起こり、巨大なメディア空間が誕生し始めていた。
 だが、記者クラブメディアが、「2ちゃんねる」を巨大掲示板と呼び、「ユーチューブ」を「動画投稿サイト」と称したことでその可能性は消えた。既存メディアはまたしても、自ら滅亡の道を選択したのだ。
新種のメディアツール「ツイッター」
そうした時に現れたのが「ツイッター」であった。当初、「ツイッター」は「簡易ブログ」あるいはまた「ミニブログのようなもの」と呼ばれた。固有名詞を使わないことで、愚かな抵抗を試みたのである。
 ところがそうした欺瞞は、ツイッターの威力の前にひとたまりもなかった。
 オープンリソースによって誰もがアクセスし、システム付加のできる状況にあり、しかも無料だということで広がったのだ。
 さらにビッグネームがつぶやきだしたことで、「簡易ブログ」などという匿名にする意味もなくなってしまったのだ。
 また、利用者が知らぬ間に、記者クラブメディアの守ってきた既得権益に食い込むといった現象も発生した。
 例えば、ビッグネームである孫正義氏に、iPhoneの一ユーザーが環境不備をツイッターでつぶやいた途端、ソフトバンクが対応したというようなことが起こる。
 フォロワー10万を超える原口一博総務大臣(当時)が、記者会見の前に政務三役会議の完全公開をツイッターで告知し、そこにフリーランスの記者たちが参加する。
 こうしたことは他のマイクロメディアでも不可能なことだった。それはツイッターが双方向性以上の共時性、さらには即時性と拡散力を伴った新種のメディアツールだからだと思う。
 もちろんツイッターといえども万能ではない。とりわけ、それ単体で利用する場合には決して強力なメディアとはいえない。ところが、他のメディアと融合することで状況が変わってくる。驚異的な触媒作用が発揮されて、既存メディアの存在を無視するほどの役割を果たすようになるのだ。
 ツイッターは日本で「つぶやき」といわれることから、アウトプットツールに見られがちだ。だが、むしろインプットメディアとして有効である。
 既存メディアでも映像メディアでも、他のメディアと融合(リンク)させることで、広大な世界が広がるように設定されている。
 インプットメディアとしてのツイッターの有効性を知れば、その魅力に気づくはずだ。次回はその秘密に迫る。
................................

第3回Twitter(ツイッター)の正しい「使用法」
 本連載では、上杉隆氏が豊富な知見を基に、Twitter(ツイッター)が社会に何をもたらしているのか、その現象を読み解きます。日本でも大きな広がりを見せ、メディアにも影響を与えるツイッターですが、ユーザーの誰もが十分に活用できているでしょうか? 第3回では、「インプットツール」としてのツイッターならではの使い方とその魅力に迫ります。
情報のインプットツールとして使う
 日本でもユーザー数1000万人を超えたツイッターは伝統的な記者クラブメディアにとって最大の脅威になりつつある。
 それは「尖閣ビデオ」におけるツイッターの果たした役割を振り返れば、すぐさま合点がいくだろう。
 実は、一人の海上保安官のリークによってユーチューブ上にアップされた「尖閣ビデオ」は、ユーチューブによって広がったのではない。そもそもユーチューブを日常的に眺めている人々は少数であるし、ユーチューブ自体にそれほどの伝播力はない。
 実はその夜、ユーチューブにアップされた「尖閣ビデオ」は、ツイッターという経路を触媒としてインターネット中をたどり、結果、日本中に伝播していったのだ。
 日本ではかつて、そうした役割を「ブログ」「ミクシィ」、あるいは「2ちゃんねる」などのネットメディアが担っていた。だが、今やツイッター独りでそれらすべてのマイクロメディアを凌駕するかのような影響力を持っている。
 もちろんツイッター単体での発信力は強くない。今回でいえば「ユーチューブ」と融合することで、圧倒的な拡散力と、驚異的な伝播力を発揮したのだ。
 そうしたメディアを経由して、既にネット上では「尖閣ビデオ」の詳細が広く認知された朝5時、初めてフジテレビが<速報>として伝えたのであった。
 もはや、既存メディアは太刀打ちできない状況に追い込まれている。換言すれば、既存メディアで速報ニュースを知る日本人の習慣は、時代遅れになってしまっているのである。
 これほどまでに有効なツールであるツイッターだが、もちろん否定的な声がないわけではない。
 「ツイッターに飽きてしまった」
 「つぶやきの面白さが分からない」
 「フォロワー数の多い人のメディアだろ」
 こうした声を耳にすることは少なくない。
 だが、こうしたことを述べる人々は、きっとツイッターの「取扱書」を読み間違えているか、あるいは「使用法」を誤っているかのどちらかである。
 ツイッターはそもそもアウトプットではなく、インプットメディアである。
 ごく一部の超ビッグネーム、例えばオバマ米大統領やメドベージェフ露大統領などだけが、政治的なメッセージを伝達するためにアウトプットツールとして使っているにすぎない。
 だが、それはごく一部の例外であり、世界中のほとんどのユーザーが、意識的に、あるいは無意識のうちに情報インプットの道具としてツイッターを使用しているのである。
 そして、それこそがツイッターの正しい「使用法」であり、楽しみ方である。
誰もが歴史の目撃者になる
 例えば、最近のニュースから例を挙げてみよう。
 米国務省の外交公電を暴露したウィキリークスの情報を得るのに、テレビ・新聞を見たり読んだりした人は、残念ながら世界の情報を得る波に完全に乗り遅れたことになったはずだ。
 なぜなら、日本ではこのニュースの真の中身はほとんど伝えられておらず、その間、一人の歌舞伎役者の狼藉事件のニュースを繰り返し流していたからだ。
 一方でツイッター上では違った。創設者ジュリアン・アサンジ氏自身のつぶやき、彼の逮捕後はウィキリークスのツイートが直接、今起きている事件を知らせてくれる。しかも日本語に翻訳してくれるアカウントも登場している。
 また、アサンジ氏を目の敵にする米政府では、クリントン国務長官が「断固たる措置を取る」とツイッターで宣言したり、ギブズ大統領報道官がウィキリークスに発した「警告」を直接読むことができる。
 さらに、ラッド豪外相(元首相)がツイッター上でアサンジ氏支持を表明したり、メドベージェフ露大統領が「アサンジにノーベル平和賞を!」とつぶやいたりするニュースも目にすることができる。
 そして、マスターカードやビザカードが、ウィキリークスの決済を停止した途端、「謎のハッカー集団」からの攻撃を受け、同じくアサンジ氏を起訴したスウェーデンの検察のサイトが停止に追い込まれたりしているのも確認できる。
 特筆すべきは、そうしたニュースの瞬間(!)を、ツイッター上で誰でも目撃することができるということである。
 つまり、こうしたニュースソースのツイッター上のアカウントをフォローさえしておけば、「史上初のサイバー世界大戦」を、自分のタイムライン上に表し、歴史の目撃者になることもできるのである。
 現在、起こっている「戦争」を直接、目撃することができる。これ以上、刺激的なことがいったいどこにあるというのだろうか。
 ツイッターが面白くないという人は、それをアウトプットメディアとして使おうとしているのだろう。ツイッターを楽しむためには、「使用法」の勘違いを解くしかない。
 つまり、「つぶやき」という発想を逆転させて、それをインプットツールとして使うか、あるいはまた、オバマ米大統領並みの知名度と権力を獲得するか、そのどちらかである。
 どちらがより合理的な選択かは、言わずもがなであろう。
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第4回 Twitter(ツイッター)が「新聞」になる
本連載では、上杉隆氏が豊富な知見を基に、Twitter(ツイッター)が社会に何をもたらしているのか、その現象を読み解きます。情報を得るための「インプットツール」としての使い方にこそ、大きな魅力があるツイッター。第4回では、ツイッターの可能性と特徴を踏まえ、質の高い情報を得るための具体的な使い方を紹介します。
ユーザーの一人ひとりが編集長
 ツイッターの最大の特徴は、情報インプットの道具としての秀逸さにある。
 各人の設定によってパソコンや携帯の画面に現れる「タイムライン」は、個人が自由に編集できる「新聞」である。
 自分の趣味に、あるいは仕事に、関心のあるアカウントをフォローしさえすれば、簡単に手に入る24時間更新可能な「新聞」なのである。
 あなたは編集長だ。気に食わないつぶやきがあれば、クリック一つでフォローを解除すればいい。何かの都合で相互フォローしており、相手との関係を損ねたくなければ、アカウントの脇にあるリターンマークを押せばいい。相手に気づかれずに自分のタイムライン上から消すことができるだろう。
 さらにファイリング機能を使えば、より効率的な「業界紙」に変えることも可能だ。
 つまり、ツイッターとは、ユーザーの数だけ、この世の中に「新聞」が存在することになった、人類史上初のメディアなのである。
 前回までは、専らツールとしての効用について解説した。今回からは事例を挙げるなどして、より具体的にツイッターの世界に皆さんを誘おう。
「ハブ」となるアカウントをフォローする
 『フォロワーの多いアカウントはハブ化する傾向にある』
 まずは、水道橋博士(@s_hakase)の提唱したツイッター上のこの特徴を頭に入れるといいだろう。フォローするアカウントを決定する上での一助になるはずだ。
 例えば、ICTビジネスに興味があれば、孫正義氏(@masason)、堀江貴文氏(@takapon_jp)、三木谷浩史氏(@hmikitani)などの業界のカリスマ的存在をフォローすることをお勧めする。
 彼らのつぶやきが高度な一次情報であるのは言わずもがな、彼らがRT(リツイート)することで拡散し、知り得る他者のつぶやきも貴重な情報になるのだ。
 ただし、彼らのようなビッグネームは、たぶんに自らの宣伝に走る傾向がある。
 そうした意味では、より客観的でICT情報のハブとなっている津田大介氏(@tsuda)、佐々木俊尚氏(@sasakitoshinao)、小林弘人氏(@kobahen)、林信行氏(@nobi)などのジャーナリストたちのツイッターをフォローした方がいいかもしれない。
 つまり、ビッグネームであれば必ずしも優良なハブになるわけではなく、故に必ずしも重要な情報を提供してくれるというわけでもないのだ。それがまたツイッターの面白いところでもある。
 例えば、ICT業界以外では無名の林信行氏は、前述の3人のフォロワー数よりも圧倒的に多いことなどが象徴的な例だ。
 鳩山由紀夫前首相(@hatoyamayukio)のように、単にフォロワー数が多いということだけでは意味がない。ある程度の発信力があり、RT機能を多用し、情報を拡散する意思のあるツイッターの方が、情報の交差点(ハブ)的な役割を担うアカウントになる可能性が高いのだ。
 あなたがツイッターをインプットメディアとして利用したいのならば、まずはそうしたアカウントをフォローすることをお勧めする。そして、ハブ化されたアカウントを上手に組み合わせることで、優秀な「編集長」にもなれるのである。
 例えば堀江貴文氏もこう言う。
 「分野ごとにハブとなる優秀なアカウントを、一つずつフォローしていれば、全部それで済んじゃうんですよ。その優秀なアカウントを追っていれば、必要な情報はそこを経由して全て入ってくる。仮にそのアカウントが触れない情報ならば、それは大した情報ではないということです。つまり、優秀なアカウントをフォローすれば、クズ情報も自然に選別してくれるということです」
 最近では、利用者のフォローすべきアカウントを教えてくれるお勧めユーザー機能も付加された。こうして原稿を書いている間にも、便利な機能が次々と誕生している。こうして機能が更新されるのも、ツイッターの利点の一つでもある。
 利用者1200万人を超える日本では、今日も新たなアカウントが生まれている。もはやツイッターは「部数」の上でも新聞以上の強力なメディアになろうとしている。ユーザーにしてみれば、使い方によっては既存のメディアを上回る、圧倒的に高い質と大量の情報を、容易に手にすることができるツールになってきているのだ。
 ツイッターを使いこなすためには、ある程度の知識が必要である。次回は、自らの情報リテラシーを高め、立派な「編集長」となる上での必須のツイッターアカウントを紹介する。
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第5回 自分だけの「Twitter(ツイッター)新聞」を作る
 本連載では、上杉隆氏が豊富な知見を基に、Twitter(ツイッター)が社会に何をもたらしているのか、その現象を読み解きます。ツイッターを情報のインプットツールとして使いこなせば、まるで自分だけの新聞のように活用できます。そこではユーザーの一人ひとりがまさに編集長に。第5回では前回に続いて、優秀な編集長になるために欠かせない、情報を得るための具体的な使い方を紹介します。
まずは有名なアカウントをフォローする
 フェイスブックのユーザーが6億人に迫る勢いだ。世界的なソーシャルメディアとしてはツイッターと比肩するフェイスブックだが、日本ではまだまだ爆発的な広がりというわけにはいかないようだ。
 なぜか。それはなんといっても緩やかな匿名性の担保されているツイッターの方が、日本人の国民性に合っていると指摘するほかないだろう。
 ツイッターは比較的、自己防衛のしやすいメディアである。タイムラインの設定次第で、事実上「炎上(集中的な非難)」を消すこともできる。
 そうした機能に安心感を見出し、日本の人口の10分の1にも当たる約1200万人ものユーザーが、ツイッターを楽しむということになっているのではないか。
 そうしたメディアとしての特性からだろうか、日本におけるツイッターアカウントには、匿名性を維持しながらも、極めて秀逸なものが少なくない。これは世界でも稀な傾向ではないか。
 前回、お知らせしたように、優秀なツイッター新聞の「編集長」になるためには、認知度は低いながらも、有用なその種のツイッターアカウントを発掘する力が欠かせない。
 幸いなことに、有名アカウントをフォローすることはそれほど難しくない。例えば、情報インプットに不可欠なニュースサイトはツイッター上に多数存在している。それらのいくつかをフォローするだけで、相当の情報を得ることができるだろう。
 また、英語が読めて海外のツイッターをフォローできれば、さらに世界は広がるに違いない。
 メジャーなアカウントについては、お勧めユーザー機能のサービスを受けることで、より効果的な「編集」も可能となる。
 そのサービスは少しも難しいことはない。誰もが自らのツイッターアカウントを作成すると同時に、この便利なサービスを自動的に受けられることになるのだ。
 例えば、蓮舫行政刷新担当大臣(@renho_sha)や原口一博前総務大臣(@kharaguchi)をフォローすれば、その後、あなたのPC画面には、日本の政治家の大概のアカウントが表示されることになるだろう。
 また、NHKや朝日新聞などの報道機関のアカウントをフォローしておけば、日常に不可欠な情報のほとんどは手に入れることができるだろう。
 そうしたメディア企業の多くが複数のツイッターアカウントを持っており、多様なニーズに応えようとしている。
 これでは、新聞が要らなくなってしまうのではないか、と心配に思える程、その種のアカウントは日々増えている。また、そのツイート自体も楽しく、そして親切でもある。
 あなたがショービジネスの世界に関心を持つのならば、例えばブリトニー・スピアーズ(@britneyspears)や浜崎あゆみ(@ayu_19980408)をフォローすると良いだろう。その後、同じように、お勧めユーザーリストに世界中のアーティストやタレントのアカウントが現れることになるからだ。
 このように、ビッグネームのツイッターをフォローすることで、同種のアカウントが次々と紹介され、充実したタイムラインを作る仕組みができているのである。
二つとない自分だけのタイムラインを充実させる
もちろん、自分だけの「ツイッター新聞」のある程度の部分は、この方法で作成することができる。だが、タイムラインを充実させ、さらに優秀な「編集長」になるには、まだ足りないことがある。
 それは、無名に近いながらも、秀逸なアカウントをどのように発見し、いかにフォローリストに加えることができるかどうかにかかっている。
 ところが、何のアカウントが重要であり、かつ有効であるかどうかは、おのおののツイッターユーザーの趣向によって違ってくる。
 よって、私がこれからお勧めするアカウントは、私にとっては有効だが、必ずしも万人にとってはそうではない。あらかじめ、そこはお断りしておく。
 私が現在最も興味を抱いている事象は、ジュリアン・アサンジ氏とウィキリークスについてである。だから、それらに関する情報を持つツイッターをフォローすることが結果、私にとっては重要になるのだ。
 具体的に説明しよう。ウィキリークス本体のツイッターアカウント(@wikileaks)やガーディアンのウィキリークス特別版(@GdnCables)をフォローするのは基本中の基本だろう。よって、ここであえて紹介するのは、日本語のウィキリークス関連アカウントである。
 早速、2、3の例を挙げてみよう。「ディープスロート」氏(@gloomynews)は、ウィキリークス情報を丁寧に翻訳してくれるばかりか、新しい動き、誤報までをも的確に選別、分析してくれる。残念ながら、本人の正体は明かせないようだが、日本におけるウィキリークス関連情報ではかなり早い段階から効果的なツイートを繰り返していた。
 アサンジ氏に直接インタビューをしたというジャーナリストの野口修司氏(@esnoguchi)のツイッターも欠かせない。独自の第一次情報をもたらしてくれる貴重なツイッターだ。
 また2008年からウィキリークスをフォローしてきた八田真行氏(@mhatta)のツイッターも価値あるものになっている。アサンジ氏のかつての言動を検証する上ではなおさらである。
 他にもウィキリークスをフォローする上では、ジャーナリストで翻訳家の青木陽子氏(@yokoaoki)や英国在住の小林恭子氏(@ginkokobayashi)のツイッターも欠かせない。
 このように各人にとって重要なアカウントは違ってくるのだ。それゆえ、二つとて同じタイムラインが存在しないというのがツイッターというメディアの特徴にもなっている。
 個人が独自に「編集」できる人類史上初のメディア、ツイッターは情報リテラシーの力量が試されるメディアなのかもしれない。
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第6回 Twitter(ツイッター)で一人ひとりに「真実」を  
 Twitter(ツイッター)はその台頭以来、大きな衝撃とともに世界中に広がってきました。そして、新たに展開するソーシャルメディアなどとともに、今では社会現象という程度では済まされないほどの影響力を発揮しています。本連載の最終回となる今回は、ツイッターが社会の中でどのような役割・意味を持つことになるのか、今世界で起こっている現象を踏まえ、上杉隆氏が独自の視点で読み解きます。
計り知れない影響力を持つソーシャルメディア
 ツイッターは革命すらも起こす――。
 そんなバカなと思われるかもしれないが、驚いたことに現実に起きてしまったのだ。
 現代において、ソーシャルメディアの影響力は計り知れない。それらはもはや社会現象というレベルでは済まされない。社会基盤そのものを根本から揺るがし、場合によっては政府を動揺させ、時には政権そのものを転覆させてしまうこともある強力な武器なのだ。
 1月、チュニジアで始まった革命は、アラブ世界のみならず、全世界に波及する勢いだ。その主役はツイッターやフェイスブックなどのマイクロメディアである。
 もちろん、そうしたメディアそのものが革命を起こすわけではない。
 しかし、例えば、23年間も続いてきたチュニジアの独裁政権を倒す原動力となったのは確かだ。
 ツイッター、フェイスブック、あるいは、ユーチューブ、ユーストリームなどのソーシャルメディア、またウィキリークスなど新しい勢力、そして、アルジャジーラ・テレビなどの既存のメディアによって、チュニジアの若者たちは自然に連帯し、独裁政権に立ち向かった。
 当初、大統領はツイッターやフェイスブックの閲覧を禁ずることによってどうにか対抗できると考えた。もちろんそのかい虚しく、波状攻撃のような情報のシャワーを浴びたチュニジア大統領一族はあっという間に追い込まれ、とうとう海外への亡命を余儀なくされてしまったのだった。
 このチュニジア革命を受けて、北アフリカ・中東全土では一斉に民衆による反政府デモが勃発した。
 エジプトではソーシャルメディアの影響を恐れたムバラク大統領が、通信回線を遮断した。だがそれはもちろん逆効果である。
 アルジャジーラ・テレビが援護射撃し、結果、連日5万人を超える民衆が首都カイロに集結し、「大統領退陣」を迫るまでにもなっている。
ツイッターが社会情報インフラになる
ツイッターなどのソーシャルメディアは今やこうして世界をも変えようとしている。使い方によっては「独裁者」も打倒してしまうのだ。
 もちろん、誰もがツイッターをこうした武器に使えるわけではない。だがツイッターは今後の人間社会においても、きっと重要な役割を果たしていくだろう。
 「将来、日本においてツイッターは社会情報インフラになっていくだろう」
 約1年前、拙著『なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるか』(晋遊舎)の中で私はそう書いた。
 何人かのツイッターユーザーへのインタビューを繰り返しているうちにそう「確信」するに至ったのであった。
 今やインフラ化が、想像以上のスピードと規模で進んでいる。もはやメディアにおける社会基盤と化している。もはや人類はこの便利な武器を手放すことはできないだろう。
 チュニジア、エジプトなどで発生した民衆革命は、独裁権力への反発からのみではなく、ソーシャルメディアを通じて自らの国の「真実」を知ってしまったことにある。
 実は、昨年のタイ、イラン、モルドバで発生した反政府デモも、ツイッターなどを媒介として「真実」が国民の間に広まったことから始まっている。
 「真実」は政府や国家の持ち物ではない。国民の共有財産であるべきだ。
 ツイッターはそうした特権をもひっぺ返す力を持っているのだ。
...........
上杉 隆(うえすぎ たかし)
1968年福岡県生まれ。都留文科大学卒業。テレビ局・衆議院議員公設秘書・ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者などを経て、フリージャーナリストに。政治・メディア・ゴルフなどをテーマに活躍。著書に『なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか』『上杉隆の40字で答えなさい』『小鳥と柴犬と小沢イチローと』など多数。
ツイッターアカウント @uesugitakashi

4年あまりで外相が7人変わった日本の「線香花火外交」につきあう中国の裏側に「南沙問題」

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4年あまりで外相が7人変わった 日本の「線香花火外交」につきあう中国の裏側に「南沙問題」
現代ビジネス2011年07月11日(月)近藤大介「北京のランダム・ウォーカー」
 7月4日、松本剛明外相は、習近平副主席、戴秉国国務委員、楊潔篪外相との会談を終え、日本に帰国した。本来なら、7月3日に楊外相と会談して、とんぼ返りする予定だったが、習副主席、戴国務委員が会見に応じることになり、国会が空転しているのをいいことに延泊したのだ。
 だが、松本外相が主張した、日本の農産品の禁輸措置解除、レアアースの正常輸出、東シナ海のガス田協議の再開という「3点セット」に対しては、中国側の明確な回答は得られなかった。加えて、この8月にも東京で行うはずの日中経済ハイレベル協議は、日本側が議題に載せることすらできなかった。
 この一連の会談から一週間を経たいま、今回の日中会談をお膳立てした日本の政府関係者たちは一様に、「徒労感が残ったのみだ」とこぼす。ホンネを言えば、「松本外相は、一体何しに来たのだろう?」という気持ちなのだ。
 
ワシントン訪問でも成果なし
 松本外相は、実は4月末に、今回と同じ'経験'をワシントンでしている。クリントン国務長官との会談に臨んだものの、菅首相の訪米、及び「2プラス2」(日米安全保障協議委員会)の再開という二つの重要日程を決められずに帰国を強いられたのだ。まさに、ワシントンの日本の政府関係者にしてみても、「外相は一体、何しに来たのだろう?」と、ポトマック河の畔でボヤいたことだろう。
 その後、「2プラス2」は6月21日に無事、開かれた。だが、「より深化し、拡大する日米同盟に向けて:50年間のパートナーシップの基盤の上に」「在日米軍の再編の進展」「在日米軍駐留経費負担」と題された3点の共同発表文書を精読すると、「5年の間、在日米軍駐留経費負担全体の水準が日本の2010会計年度の水準(日本の2010会計年度予算額1881億円が目安)に維持されることを確認した」「沖縄を含む日本における米軍のプレゼンスの重要性が高まっていることを強調した」など、アメリカの主張をそのまま受け入れたに過ぎない。これでは、「2プラス0」である。
 また、菅首相の訪米に関してはその後、国連総会がNYで開かれる9月という「仮日程」を、ようやくアメリカから出してもらった。だがこれは実質、「次期首相に来てほしい」と宣言されたに等しい。
 今回の松本外相訪中に関して、日本の政府関係者の寂寞とした心情は、痛いほど理解できる。何せ、松本外相の`上司`に当たる菅直人首相は先日、「近く退任する」と公言してしまった。となれば、松本外相も同時にお役ご免になる可能性が高い。
 つまり、3月9日に就任したばかりのこの新外相は、就任わずか4ヵ月にして、早くもすでに余命幾ばくもない状態なのだ。そんな危うい立場で、アジア・ナンバー1の大国の首都に赴いて、一体どんな外交が展開できるというのだ?
 しかもバツが悪いことに、松本外相が北京で一連の首脳会談を行っている最中に、東京では同じ「松本」という名の大臣が、暴言を吐いて、大騒動に発展した。ご存知、松本龍前防災担当大臣である。北京で重要会談が行われている最中の政権不安が、その日の外交に影響を及ぼしてくることくらい、菅首相は思い至らないのだろうか? 
 私は、6月8日に訪中して楊潔虎外相と会談した、「カダフィの代弁人」ことリビアのオベイディ外相を思い出した。この夏の線香花火のような存在であるという意味では、ほとんど同レベルだ。

温家宝との会談二日後に辞任を発表した鳩山首相
 中国から見れば、このところの日本外交は、いわば「切腹外交」である。楊氏が外相に就任したのが、2007年4月。この時、楊外相のカウンター・パートナーである日本の外相は、麻生太郎氏だった。その後、楊外相が握手する相手は、麻生太郎→町村信孝→高村正彦→中曽根弘文→岡田克也→前原誠司→松本剛明と、4年余りで、実に7人に上った! 
 つまり楊外相は、一度外相会談を行った日本の外相と、ほとんど再会することはないのだ。これでは毎回、新外相と握手する手も、力が抜けようというものだ。
 そもそも、一昨年9月に民主党が、永年執権党だった自民党を倒して、華々しく政権の座に就いた時、中国は大いに期待したものである。「アメリカ一辺倒の自民党外交から、アジア重視の民主党外交へ」という鳩山首相が掲げたキャッチフレーズは、中国側を奮い立たせた。実際、昨年5月に温家宝首相が訪日した時には、中国側の「気合い」が、ひしひしと伝わってきた。
 ところが鳩山首相は、温家宝首相との重要な首脳会談を終えた二日後に、突然辞任を発表した。この時、ある意味で、日本国民以上に腰を抜かしたのが、温家宝首相だったに違いない。中国が民主党政権にプッツンしたのは、この時からだ。
 それから2ヵ月余り経った昨年8月末、日中経済ハイレベル対話が北京で開かれ、日本から6人の大臣が顔を揃えた。日本側代表の岡田外相(当時)が、会議の閉幕の辞で、「次回は来年、日本でお目にかかりましょう」と重々しく述べた。すると、中国側代表の王岐山副首相は、次のように答えたのだった。
「来年日本へ行くのはいいけど、この中で一体何人残ってるの?」
 王副首相からすれば、素朴な疑問だったのだろう。だが実際、それから2週間余り経って、訪中団代表の岡田外相を始め、6人中4人がクビを切られてしまった。その後、対中強硬派として知られる前原氏が外相に就任し、尖閣諸島問題で日中関係がグチャグチャになっていった経緯は、記憶に新しい。
 
日本の線香花火外交につきあう中国の本音
 日本の外交関係者が嘆いて言う。
「このところ中国首脳の日本を見る目線が、だんだんと北朝鮮を見る目線に近くなってきた気がする。すなわち、『憐憫外交』だ。中国首脳は心の奥底で、貧しい北朝鮮から来た首脳を哀れむように、すぐに`切腹`させられる日本の首脳を哀れんでいるのだ。だから日本の首脳に対する態度が、妙に慇懃だ。
 例えば今回、松本外相と会見した習副主席、戴国務委員、楊外相の3人とも、別れ際に笑顔で手を差し伸べ、『またお会いしましょう』と言った。これが『憐みの言葉』でなくて何だろう?」
 外交とは、自国の国益の最大化の追求に他ならない。その意味で言えば今回、当初会見予定がなかった習副首相と戴国務委員が急遽、松本外相との会談を決めたのは、ただの「憐憫外交」ではあるまい。
 中国は現在、ベトナム、フィリピンと、南沙諸島の領有権争いで一触即発の状態にある。アメリカはこれを、中国封じ込めのチャンスと見て、南砂問題をASEAN(東南アジア諸国連合)全体の問題に'格上げ'し、ASEAN(及びそのバックに控えるアメリカ)vs中国という対決の構図に持っていきたい。そうすることによって、中国包囲網を敷いて中国を孤立化させ、その台頭を防ごうとしている。
 これに対して中国は、南沙諸島問題は、中国vsベトナム、中国vsフィリピンという「二国間問題」の枠内に収めたい。そのためにも、同じく東シナ海の領土問題を抱える日本とは、いま揉めたくない。だから大物二人(習&戴)が急遽、松本外相との会見に臨み、日中友好を世界にアピールしたわけだ(かつ中国メディアには、「東海は中国固有の領土であることを改めて日本に対して主張した」ときっちり書かせた)。
 だが、東京の首相官邸では、中国の大物二人が出て来たことで、「菅外交の成果だ!」と喜び勇んでいるという。そして懲りずに今度は、この週末に海江田万里経産相を中国に派遣する予定だ。
 もはや民主党政権は、末期的と言うしかない。北京在住の日本人としては、母国の「線香花火外交」など、これ以上見たくない。
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中国は、南シナ海の領有権や海洋権益を巡り、ベトナムやフィリピンなどとのトラブルが絶えない2011-06-20 | 国際/中国
南シナ海の領有権をめぐる中国とフィリピン、ベトナムの対立が激化している2011-06-20 | 国際
中国海軍が東シナ海で動き始めた/11隻の中国海軍艦艇が沖縄本島と宮古島の間を通過2011-06-20 | 政治〈国防/安全保障/領土
「BRICS」を政治利用する中国2011-04-23 | 国際

五木寛之著『百寺巡礼』/草木国土悉皆成仏/アニミズムだ、と近代では切り捨てられてきた

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五木寛之著『百寺巡礼』第4巻滋賀・東海
p64〜(第33番 延暦寺)
 「山にはいる」ということ。それは、日本人にとって古代から、特別な意味をもっていたのではないか。霊山というように、山にはなにか霊気がある。山岳霊場と呼ばれる場所は多い。たとえば、第2巻の北陸編で触れた白山や立山もそうだ。
 古代人は、山には山の神がいると信じていたのだろう。「山に霊が宿っている」という感覚は、こうして山中に身を置くと実感できる。
 山や森にも霊が宿り、命があるという古代からの信仰。それはアニミズムだ、と近代では切り捨てられてきた。しかし、日本人はむかしから山を拝み、樹木に注連縄をはって信仰の対象にしてきたのだ。
 チベットでもカンリンポチェ、ヒンドゥー語ではカイラスという山が「聖なる山」とされている。その周囲を仏教の五体投地という礼法で巡拝する人たちがいる。それも、山には霊が宿っている、生命があると考えられているからにほかならない。逆に文明人は、そういう感覚を失ってしまっているのではないか。
 ヨーロッパにおける登山は、人間が自然を征服するということの証明だった。たとえ、アルプスのように峻険な山々であっても、人間が知能と体力のかぎりをつくせば征服できる、というわけだ。人間の能力は偉大だ、と示すのが登山の意味だったといえるだろう。
 だからこそ、山頂に誇らしげに国旗などを立てる。あの国旗はまさしく、この山は人間に征服された、ということの表現だ。(略)
 日本人のむかしの登山はそうではない。富士登山なども、白装束に身を包み、「六根清浄」と声をだしながらのぼった。山にはいっていくことで、その霊気を自分の中に吸収し、自分の命をリフレッシュする、それが、山にのぼるということだったのである。(略)
 日本では古来、まず山に小さな祠のようなものができ、そこに神社ができ、そのあとに仏教がはいってきて寺が建った。そのため、自然に神仏習合のかたちをとっていることが多い。この神仏習合ということも、私にとってはたいへん興味深いものだ。
p79〜
 こんなふうに山中を歩きまわっていると、「自然と人間との共生」ということが肌で感じられる。ここでは猪や鹿などの動物もいる。野鳥もいる。草木も石も土もある。そして、それらすべてに命がある。谷からものすごい勢いで湧いてきたあの霧にも命がある。空の雲のたたずまい、風の吹き具合、枝の揺れ具合、なにを見ても命を感じるのである。
「生きとし生けるもの」というが、天台の思想では、命があるという意味だけででなく、石や土や山などにまで仏性があると考える。「草木国土悉皆成仏」という言葉は、自然のすべてのもの、山も草も木も、けものも虫も仏性をもっているということだ。
 自然のすべては人間にとって友であり、そこには尊い命がある。
 回峰行者たちは、夜明けの山中が呼吸するなかを歩く。朝露を踏みながら疾走する。真言を称え、礼拝しながら、目に見えないものを見、聞こえない声を聞くのだろう。
p83〜
 日本の寺院はかつて神社と一緒に存在していた。人びとはそれを区別することなく拝んでいたのだ。とこrが、明治政府が神仏を分離するということをして、百年以上がすぎた。そのため、神仏を一緒にお参りする習慣が薄れてきた、と光永師は語る。
 つまり、神仏習合が後れたものとして批判されるようになったのは、ここ百年あまりの間にすぎない。それ以前は、神と仏を一緒にお参りするのがふつうだったのである。
 とはいえ、千日回峰で神社にお参りするのが重要な要素だ、というのは意外だった。
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生命といのち〈上〉 万物に「存在の価値」2011-07-10 | 読書
生命といのち〈上〉 万物に「存在の価値」
 奈良康明(なら・やすあき)
2011/07/09Sat.中日新聞 人生のページ
 東日本大震災はひどい出来事だった。天災に人災が加わり、人々の生活基盤が崩壊した。家族を失った人も多い。私たちの心が痛んでいる。亡くなった方の冥福を祈り、一日も早い復興を願っている。
 生命の尊いことは言うまでもない。モノや金は失われても回復できるが、生命は戻らない。人間の「生きる」ことの原点だし、それは他の動物たちも同様であろう。人間が生きものの生命をことさらに奪っていいものかどうか。これは文化の問題で世界各地域で事情は異なっている。
  *
 インドでは伝統的に不殺生の徳が強く説かれ、今日に至っている。生きものを殺したくないという理由から菜食主義の人も少なくない。仏教では肉食は認めているが、ことさらに生きものの生命を奪うことは誡められているし、放生会(ほうじょうえ)の伝承も古い。捕獲された生きものを殺すことなく自然界に戻す習慣は、功徳を積む行為であるとともに、生きものの生命尊重の象徴的姿勢でもある。日本では神道にも取り入れられている。
 人間中心主義の西欧では放生会などという習慣はないのではないだろうか。『創世記』には神は人間を創り、空行く鳥、地を行く獣、水ゆく魚を「治めよ」(新共同訳)と言っている。人間が恣意的に動物を殺していいということではなく、それなりの宗教的背景がある言葉のようだが、しかし近代至るまで、歴史的に、動植物そして自然を「征服」し、動物を人間利益のために殺すことを認める1つの根拠となっている。それだけに、動植物、自然を壊すことの弊害は早くから自覚されたし、環境問題への自覚が出てきたのも西欧が先である。
  *
 先日、アメリカ人の青年と話す機会があった。どんな動物にも「生きる権利」があるし、そのライフ(生命)を奪う権利は人間にはない、だから自分は肉食をやめて菜食に切り替えた、と言う。それでは米や麦、野菜などのライフ(いのち)は奪っていいのか、と私は訊いたら、植物にライフはないから殺してかまわない、という議論になった。
 はしなくもここに西欧と東洋、日本の生命に関する意味内容の違いが浮き上がってきた。比較文化の問題として面白いし、実践上の問題もある。
 日本の文化伝承には「生命」と「いのち」と仮名で書く2つの「ライフ」(life)がある。英語で話しているとライフしかないから話がややこしい。日本人にとっては、漠然としてはいても、どんなものにも「いのち」がある、ということは理解しやすい。「いのち」は生命ではない。「ビール瓶にもいのちがある。そのいのちを大切にしてリサイクル」という新聞への投書も読んだことがある。
  *
 かなり以前のことだが、感激したシーンに出合ったことがある。あるマンションの小さな花壇で幼児をあやしていたお母さんがいた。花壇に足を踏み込み、花に手をかけた坊やに、母親は言った。「お花を折ると、お花ちゃんが痛いって泣くわよ」。花に痛いと感じる神経があるかないかという話ではない。折り取られようとして「痛い」と感じるのは、花ではなく、母親の心である。植物にも人間的感情を及ぼす日本人的な情感といえよう。
 万物にいのちを認めるのは、おそらく、古代日本のアニミズムに根拠があるのかもしれない。しかし、それ以上に中国の「自然」観の影響が強いのである。「自然」とは、英語のnatureではない。元来は「自ずから然ある」という形容詞で、人為の加わらない万物の在りようを示すものだった。中国人はそこに美的・宗教的価値を認めていた。万物があるがままの「在り方」に、いわば、「存在の価値」を認めていたのである。
 日本語の「いのち」とは万物の「在る」ことそのものの価値をいうものと言っていい。「もったいない」という言葉は、物事の経済的・実利的価値が無駄に失われることだけをいうのではない。存在の価値、いのちが無駄に失われることをいうものである。
<筆者プロフィール>
なら・やすあき
 1929年、千葉県生まれ。東大文学部卒、同修士課程修了。カルカッタ大学博士課程留学。駒澤大学前学長。 ◆ペリカンの受難/口蹄疫/人間中心主義思想の根底に旧約聖書/ネット悪質書込みによる韓国女優の自殺2010-06-17 | 仏教/親鸞/五木寛之・・
余録:ペリカンの受難
 米ルイジアナ州の州旗にはペリカンの巣の中の親鳥と3羽のヒナが描かれている。よく見ると親鳥の胸の上には、三つの赤い点が見える。これは親鳥が自らのくちばしで胸を傷つけ、したたる血をヒナに与えている様を描いているのだという▲実はこの図柄、中世ヨーロッパから伝わる「敬虔(けいけん)なペリカン」という由緒ある紋章らしい。ペリカンは死んだヒナを自ら流す血で蘇生させるといわれ、「自己犠牲」を表すシンボルとなり、キリストの受難図にも描かれた▲ルイジアナが「ペリカンの州」と呼ばれるのは、初代州知事が沿岸に生息するペリカンを見て、この図像を州章に用いたからという。だが今その生息地からは「親鳥もヒナや卵も姿を消していく」との悲痛な声が聞こえる▲米南部沖のメキシコ湾で続く原油流出による生態系への影響が深刻化している。油はすでにルイジアナ州はじめ4州の沿岸に漂着、漁業や観光に大きな損害を与えているばかりでなく、ミシシッピ河口近くの海や湿地からは油まみれのペリカンの映像が伝わってくる▲ペリカンの保護と油の洗浄を行っている現地の保護施設では、運び込まれる鳥の3割はすでに死んでいたという。巣に残されたヒナや卵も全滅は免れそうにない。もちろんペリカンの悲劇はルイジアナの海と沿岸の全生態系を襲っている惨事のほんの一端にすぎない▲オバマ大統領が来週4回目の現地視察を行うのも、海鳥のショッキングな映像が被害の深刻さを全米に印象づけたことと無縁でなかろう。血を流す図そのままに、身をもって生命の海の危機を告げるペリカンの受難に人類はどう応えるのか。
毎日新聞 2010年6月10日 0時06分
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中日春秋
2010年6月17日
 米国の作家、故マイケル・クライトン氏がつくり出した物語『ジュラシック・パーク』は映画にもなり世界中で大ヒットした▼約(つづ)めていえば、遺伝子操作で現代に蘇(よみがえ)らせた恐竜たちが人を襲う、といったお話。暴れ回るのは、どこかから突如、現れた怪獣ではない。人間が科学技術で誕生させながらコントロール不能になった存在。それは人類が抱える根本の恐怖のような気もする▼今、米国ルイジアナ州沖のメキシコ湾で暴れているのは、恐竜ならぬ原油だ。英石油大手BPの海底油井の流出事故は、発生から既に二カ月近くになるのに、まだ汚染が止まらない。様々(さまざま)な流出防止の策がとられたが、失敗続きだ▼深い海の底に、深い深い穴を掘り、何とか石油を吸い出せたのは科学技術のゆえ。だが、いざ、止めようと思った時、それを止められないのだ。この制御不能の油井を、BPの技術者が事故直前のメールで、「悪夢の油井」と呼んでいたなどと聞けば、一層、不気味さが増す▼かつて、インターネットを「ついに人類はスイッチを切れない“装置”をつくってしまった」と表現した人があったのを思い出す。確かに、あれも、もう、誰にも止められない▼科学技術がわれわれの暮らしに多大な恩恵をもたらすのは疑いない。だが、同時に、いくつもの潜在的な「制御不能の恐怖」も引き受けているのかもしれない。
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〈来栖の独白2010/06/17〉
 1991年の湾岸戦争。海岸に接していた大規模石油基地が爆破され、大量の重油が海に流れ出したことがあった。この際にも、多くの無辜の生物が油に翼を奪われ、いのちを落とした。
 地球は、宇宙は、ひとり人類だけのものではない。声なき声の多くの生物のものでもある。
 五木寛之氏は『天命』(幻冬舎文庫)のなかで次のように言う。
 “たとえば、環境問題は、これまでのヨーロッパ的な、キリスト教的文明観では解決できないのではないでしょうか。
 欧米の人たちの考えかたの伝統のなかには人間中心主義というものがあります。この宇宙のなかで、あるいは地球上で、人間が神に次ぐ第一の主人公であるという考えかたです。
 これはルネサンス以来の人間中心主義の思想の根底にあるものですが、主人公の人間の生活に奉仕するものとして他の動物があり、植物があり、鉱物があり、資源がある。水もあり、空気もあると、考えるわけです。
 そうした考えのなかから生まれる環境問題の発想というのは、やはり人間中心です。つまり、われわれはあまりにも大事な資源をむちゃくちゃに使いすぎてきた。これ以上、水や空気を汚し樹を伐り自然環境を破壊すると、最終的にいちばん大事な人間の生活まで脅かすことになってしまう。だからわれわれは、もっとそうしたものを大切にしなければいけない。----これがヨーロッパ流の環境主義の根源にあるものです。(略)
 これに対し、アジアの思想の基本には、すべてのもののなかに尊い生命があると考えます。
「山川草木悉有仏性」という仏教の言葉があります。山の川も草も木も、動物もけものも虫も、すべて仏性、つまり尊いものを持っている、生命を持っているんだ、という考えかたです。
 そうした考えかたから出ている環境意識とは、川にも命がある、海にも命がある、森にも命がある、人間にも命がある。だからともに命のあるもの同士として、片方が片方を搾取したり、片方が片方を酷使するというような関係は間違っているのではないか、もっと謙虚に向き合うべきではなかろうか、というものです。こういう考え方のほうが、新しい時代の環境問題には可能性があると私は思うのです。
 つまり「アニミズム」ということばで軽蔑されてきた、自然のなかに生命があるという考え方こそは、遅れた考え方どころか、むしろ21世紀の新しい可能性を示す考えかたなのではないでしょうか。
 狂牛病の問題で、あるフランスの哲学者が、人間のために家畜をありとあらゆる残酷なしかたで酷使してきたツケが回ってきたのだと言っていました。人間のために生産力を高めようとして肉骨粉を与え、共食いさせた。そうした人間の業というものがいま、報いを受けているのだ、と。狂牛病の問題だけではなく、すべてに関して人間中心主義というものがいま、根底から問われていると思います。” 

 僅かに、卑見に相違するところがある。
>これはルネサンス以来の人間中心主義の思想の根底にあるものです
 と、おっしゃるくだりである。人間中心主義思想の根底にあるものは旧約聖書ではないか、と私は観ている。創世記は次のように言う。
 “ 神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
 神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
 そのようになった。 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 神は御自分にかたどって人を創造された。
 神にかたどって創造された。男と女に創造された。
 神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
 神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
 そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。”〔創世記1.20〜1.31〕

 日本では、口蹄疫が大きな問題となっている。牛や豚の映像に接するたび、生き物の命を奪わないでは自らの命を養えない人間、人類の宿業を思わないではいられない。
「うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし…」
ワクチン接種牛9百頭、共同埋却「牛は処分を察してか悲しい顔をする。涙を流した牛もいた

 いま一つ、言及したい。中日春秋の以下の件である。
>かつて、インターネットを「ついに人類はスイッチを切れない“装置”をつくってしまった」と表現した人があったのを思い出す。確かに、あれも、もう、誰にも止められない。科学技術がわれわれの暮らしに多大な恩恵をもたらすのは疑いない。だが、同時に、いくつもの潜在的な「制御不能の恐怖」も引き受けているのかもしれない。 
 ネットは、現代に生きる人々に欠かせぬツールとなった。しかし、人間の精神はこの科学技術に並んでいるだろうか。
 秋葉原無差別殺傷事件は、ネットに、遠因の一つがあったのではないか。韓国では、ネット上での誹謗中傷により死を選んだ女優もいた。
 匿名の裏で、完膚なきまでの誹謗中傷、或は他人の個人情報は得たいと企む卑しい心根。人間の闇が、科学技術について行けていない。 ◆電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、聞いたことのない悲鳴のような鳴き声を上げた」
五木寛之著『人間の運命』(東京書籍)より
 私たち人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ。1年間に地上で食用として殺される動物の数は、天文学的な数字だろう。
 狂牛病や鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなどがさわがれるたびに、「天罰」という古い言葉を思いださないわけにはいかない。
 私たち人間は、おそろしく強力な文明をつくりあげた。その力でもって地上のあらゆる生命を消費しながら生きている。
 人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。
 私はこれを人間の大きな「宿業」のひとつと考える。人間が過去のつみ重ねてきた行為によってせおわされる運命のことだ。
 私たちは、この数十年間に、繰り返し異様な病気の出現におどろかされてきた。
 狂牛病しかり。鳥インフルエンザしかり。そして最近は豚インフルエンザで大騒ぎしている。
 これをこそ「宿業」と言わずして何と言うべきだろうか。そのうち蟹インフルエンザが登場しても少しもおかしくないのだ。
 大豆も、トウモロコシも、野菜も、すべてそのように大量に加工処理されて人間の命を支えているのである。
 生きているものは、すべてなんらかの形で他の生命を犠牲にして生きる。そのことを生命の循環と言ってしまえば、なんとなく口当たりがいい。
 それが自然の摂理なのだ、となんとなく納得できるような気がするからだ。
 しかし、生命の循環、などという表現を現実にあてはめてみると、実際には言葉につくせないほどの凄惨なドラマがある。
 砂漠やジャングルでの、動物の殺しあいにはじまって、ことごとくが目をおおわずにはいられない厳しいドラマにみちている。
 しかし私たちは、ふだんその生命の消費を、ほとんど苦痛には感じてはいない。
 以前は料理屋などで、さかんに「活け作り」「生け作り」などというメニューがもてはやされていた。
 コイやタイなどの魚を、生きてピクピク動いたままで刺身にして出す料理である。いまでも私たちは、鉄板焼きの店などで、生きたエビや、動くアワビなどの料理を楽しむ。
 よくよく考えてみると、生命というものの実感が、自分たち人間だけの世界で尊重され、他の生命などまったく無視されていることがわかる。
 しかし、生きるということは、そういうことなのだ、と居直るならば、われわれ人類は、すべて悪のなかに生きている、と言ってもいいだろう。
 命の尊重というのは、すべての生命が平等に重く感じられてこそなのだ。人間の命だけが、特別に尊いわけではあるまい。

五木寛之著『天命』幻冬舎文庫
p64〜
 ある東北の大きな農場でのことです。
 かつてある少女の父親から聞いた話です。そこに行くまで、その牧場については牧歌的でロマンティックなイメージを持っていました。
 ところが実際に見てみると、牛たちは電流の通った柵で囲まれ、排泄場所も狭い区域に限られていました。水を流すためにそうしているのでしょう。決まった時刻になると、牛たちは狭い中庭にある運動場へ連れて行かれ、遊動円木のような、唐傘の骨を巨大にしたような機械の下につながれる。機械から延びた枝のようなものの先に鉄の金輪があり、それを牛の鼻に結びつける。機械のスウィッチをいれると、その唐傘が回転を始めます。牛はそれに引っ張られてぐるぐると歩き回る。機械が動いている間じゅう歩くわけです。牛の運動のためでしょうね。周りには広大な草原があるのですから自由に歩かせればいいと思うのですが、おそらく経済効率のためにそうしているのでしょう。牛は死ぬまでそれをくり返させられます。
 その父親が言うには、それを見て以来、少女はいっさい牛肉を口にしなくなってしまったそうです。牛をそうして人間が無残に扱っているという罪悪感からでしょうか。少女は、人間が生きていくために、こんなふうに生き物を虐待し、その肉を食べておいしいなどと喜んでいる。自分の抱えている罪深さにおびえたのではないかと私は思います。
 そうしたことはどこにいても体験できることでしょう。養鶏にしても、工場のように無理やり飼料を食べさせ卵をとり、使い捨てのように扱っていることはよく知られたことです。牛に骨肉粉を食べさせるのは、共食いをさせているようなものです。大量生産、経済効率のためにそこまでやるということを知ったとき、人間の欲の深さを思わずにはいられません。
 これは動物を虐げた場合だけではありません。どんなに家畜を慈しんで育てたとしても、結局はそれを人間は食べてしまう。生産者の問題ではなく、人間は誰でも本来そうして他の生きものの生命を摂取することでしか生きられないという自明の理です。
 ただ自分の罪の深さを感じるのは個性のひとつであり、それをまったく感じない人ももちろん多いのです。(中略)
 生きるために、われわれは「悪人」であらざるをえない。しかし親鸞は、たとえそうであっても、救われ、浄土へ往けると言ったのです。
 親鸞のいう「悪人」とはなんでしょうか。悪人とは、誠実な人間を踏み台にして生きてきた人間そのもです。「悪」というより、その自分の姿を恥じ、内心で「悲しんでいる人」と私はとらえています。(中略)
 我々は、いずれにしろ、どんなかたちであれ、生き延びるということは、他人を犠牲にし、その上で生きていることに変わりはありません。先ほども書いたように、単純な話、他の生命を食べることでしか、生きられないのですから。考えてみれば恐ろしいことです。
 そうした悲しさという感情がない人にとっては意味はないかもしれません。「善人」というのは「悲しい」と思ってない人です。お布施をし、立派なおこないをしていると言って胸を張っている人たちです。自信に満ちた人。自分の生きている価値になんの疑いも持たない人。自分はこれだけいいことをしているのだから、死後はかならず浄土へ往けると確信し、安心している人。
 親鸞が言っている悪人というのは、悪人であることの悲しみをこころのなかにたたえた人のことなのです。悪人として威張っている人ではありません。
 私も弟と妹を抱えて生き残っていくためには、悪人にならざるをえなかった。その人間の抱えている悲しみをわかってくれるのは、この「悪人正機」の思想しかないんじゃないかという気がしました。(中略)
 攻撃するでもなく、怒るでもなく、歎くということ。現実に対しての、深いため息が、行間にはあります。『歎異抄』を読むということは、親鸞の大きな悲しみにふれることではないでしょうか。

五木寛之著『いまを生きるちから』(角川文庫〉より
 いま、牛や鳥や魚や、色んな形で食品に問題が起っています。それは私たち人間が、あまりにも他の生物に対して傲慢でありすぎたからだ、という意見もようやく出てきました。
 私たちは決して地球のただひとりの主人公ではない。他のすべての生物と共にこの地上に生きる存在である。その「共生」という感覚をこそ「アニミズム」という言葉で呼びなおしてみたらどうでしょうか。

なんと原発50基分!埋蔵電力活用で「脱原発」できる/電力会社の利権を奪えば脱原発できる

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なんと原発50基分!埋蔵電力活用で「脱原発」できる 大マスコミは「電力不足」と煽っているが…
日刊ゲンダイ2011年7月9日
●「火力」と「水力」だけでも十分に賄える
  54基すべての原発がストップする――。大マスコミが大騒ぎだ。
  13カ月ごとの定期検査を義務付けられている原発は、現在35基が停止し、稼働しているのは19基だけ。経産省は、九州電力の「玄海原発」を突破口に、四国電力の「伊方原発」など定期検査を終える原発を次々に再稼働させる方針だった。
  ところが、九州電力が「玄海原発」の再稼働容認を撤回。四国電力も「伊方原発」の運転再開を断念したと発表した。
  このままでは稼働中の19基も次々に定期検査に入り、来年春にはすべての原発が止まる。その結果、深刻な「電力不足」に陥ると大手メディアが騒いでいるわけだ。
  しかし、原発が止まったら本当に電力は足りなくなるのか。「脱原発」は不可能なのか。
  ガ然、注目されているのが「みんなの党」の渡辺喜美代表が国会で指摘した「埋蔵電力」の活用だ。日本中の企業の自家発電設備をフル活用すれば電力不足を補えるという。
 「企業の自家発電能力は、約6000万キロワットもあります。東電の供給能力約6000万キロワット、原発40〜50基に匹敵する規模です。そこで自家発電の余剰分である『埋蔵電力』を活用すべきだと国会で提案したのです。ただ、政府は余剰分がどのくらいか把握していないという答えです」(渡辺事務所)
  自家発電した電力を、それなりの値段で買ってもらえるとなれば、企業は積極的に売電するはずだ。新規参入する企業も出てくるだろう。
  そもそも、原発がストップしても電力不足に陥らないことは専門家の常識だ。東京電力は03年に、原発事故や不祥事で全17基を停止しているが、停電は起きていない。
  元慶大助教授の藤田祐幸氏の調査結果によれば、1965年以降、その年の最大電力であっても、「火力」と「水力」の発電能力だけで十分に賄え、発電能力を超えた需要は一度もない。原発を必要としないことが分かっている。
  さらに京大原子炉実験所助教の小出裕章氏も4月に行った講演でこんな資料を公開している。
 「……発電所の設備の能力で見ると、原子力は全体の18%しかありません。その原子力が発電量では28%になっているのは、原子力発電所の設備利用率だけを上げ、火力発電所のほとんどを停止させているからです。(略)それほど日本では発電所は余ってしまっていて、年間の平均設備使用率は5割にもなりません」
  電力はいくらでも生み出せるのだ。大手メディアはなぜ大騒ぎしているのか。
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電力会社の利権を奪えば脱原発できる! ニッポンの自家発電はすでに原発60基分2011-06-13 | 地震/原発 
 緊急レポート 電力会社の利権を奪えば「脱原発できる!」「ニッポンの自家発電」はすでに原発60基分!
現代ビジネス2011年06月12日(日)
フライデー経済の死角


 JR東日本、キリンビール、六本木ヒルズ、大阪ガス・・・全国ですでに6000万kWの電気が作られている---が、さらに企業に広まらない裏には、カラクリがあった。
「かき集めても、やっとこのぐらいという感じだ」。5月23日、中部電力(中電)本店で行われた会見で、水野明久社長(57)は厳しい表情でこう漏らした。浜岡原発停止後、7月と8月の電力供給力がピーク時の需要を5%ほど上回るものの、安定供給には到達しないと発表したのだ。恒例の電力会社による「電力が足りなくなる」というアピールである。そこで、中電が打ち出しているのが、自家発電設備を持つ管内の民間企業から余剰電力を買い取るという方針だ。
 とはいえ、中電が買い取れるのは余剰電力に過ぎない。管内最大となる60万kWの発電能力を備えた名古屋製鉄所(愛知県東海市)を持つ新日本製鐵の広報センターは次のように説明する。
「製鉄の過程で出る熱やガスを利用するもので、発電量は生産量に左右されます。発電した電気は自社工場内でも使用しますので、そのすべてを余剰電力として売電できるわけではない。そして、これまでも余剰電力を中部電力に売ってきました。ですので、それ以上の?埋蔵電力?があると思われると困るのですが」
 あまり知られていないが、発電施設を所有しているのは電力会社だけではない。 '95年の電気事業法の改正によって電力会社による独占が一部緩和され、電力供給を行う新たな企業(事業者)が生まれた。新日鐵のように余剰電力を電力会社に売る企業もある。その一方で、非常用や自社工場での消費を目的とした自家発電もある。環境エネルギー政策研究所主席研究員の松原弘直氏が解説する。
「工場の自家発電施設で最も導入されているのは、重油など化石燃料を使う発電機ですが、油の価格の上昇で、発電するよりも電力会社から買ったほうが安く、ほとんど稼動していなかったはずです」
 右のグラフは、全国の自家発電を発電の種類ごとに分けて、認可出力(注)の合計を示したものである。自家発電施設は3249ヵ所あり、うち2569ヵ所が火力発電だ。
 一目瞭然だが、火力の自家発電だけで日本の原発全54基の総認可出力を上回っている。水力などを加えれば原発60基分に相当する。そしてその多くが稼動せず、?眠っている?可能性が高いのだ。
 総務省統計局や電気事業連合会が公表した '08 年のデータによれば、日本の火力発電所の最大発電量は約1兆2266億kW/h。
 しかし、その稼働率は50%程度に過ぎず、原発で発電していた約2581億kW/hを補って余りある。それに加えて、この?埋蔵?自家発電がある。「厳しい夏になる」(水野社長)などと、電力会社は原発なしには夏を乗り切れないかのような?脅し?を繰り返すが、本誌が何度も指摘してきたとおり、電気が足りないわけではない。
 しかし、この自家発電力を有効に生かすのを阻む壁が存在する。電力会社の利権である。この利権は企業の自家発電がさらに広まるのを阻む壁にもなっている。
「そもそも一つの電力会社が、ある地域の発電も送電も小売も独占するというのは、戦後の復興期だから必要だったシステムです。工業生産が伸び、その電気需要に応えるために必要だったわけです。しかし今の時代に、地域独占が必要でしょうか?」(自家発電設備を持つある事業者)
 日本の電気事業は、10電力会社による地域独占体制が続いているが、前述した電気事業法の改正で発電と小売の一部が自由化され、独自に発電や電力供給を行う事業者が誕生した。業態によって、「卸供給事業者(IPP)」、「特定電気事業者」、「特定規模電気事業者(PPS)」などに大別される。
 IPPは、電力会社に10年以上にわたって1000kW以上を供給する契約などを交わしている事業者のことで、大阪ガスの子会社である「泉北天然ガス発電所」などがそれに当たる。
 また、特定電気事業者は限定された区域に対し、自らの発電設備と送配電設備を用いて電力供給を行う。六本木ヒルズに電気を供給する森ビルの子会社「六本木エネルギーサービス」や、首都圏の鉄道に電気を供給するJR東日本が代表的だ。一方、PPSは、工場や病院など一般家庭以外と50kW以上の契約をして電気を供給する。オリックスや昭和シェルなどが参入している。
「このPPSが電気をどんどん作り、市場が活発になれば電気代も安くなるはずですが、電力会社がそれを阻んでいます。PPSは自前の送電設備を持たないため、電力会社の送電網を利用するのですが、その際に『託送料』がかかり、この負担が大きいのです。電力量によって変わりますが、客が支払う電気代の約2割を、託送料として電力会社に支払わなければなりません」(前出の事業者)
 さらにこんな障壁もある。
「電力会社は自然エネルギーで作られる電気を送電網に接続することを独自に制限しているんです。『自然エネルギーは安定しない』というのがその理由です。
 例えば、東北地方では風力発電の事業者は抽選に当たらないと送電網に繋げません。広範囲で送電網を整備すれば、青森県では風が吹かなくても、秋田県で吹けば穴埋めできるのに」(別のPPS事業者)
 政府は6月中には、「エネルギー環境会議」(議長・玄葉光一郎国家戦略担当相)を設置することを決めている。その会議で最も大きな議題となるのが、電力会社の「発送電分離」だ。
 前述したような障壁をなくすために電力会社から送電部門を切り離そうという議論だ。が、実現したとしても、すぐに自由化が進むわけではなさそうだ。九州大学大学院電気システム工学部門の合田忠弘教授はこう指摘する。
「発電と送電を分離した場合、あちこちに点在する電源を有効に利用しようとすれば、多くの電気を流せるように送電網を強化する必要があります。しかし、海外の事例を見ると、送電会社はなるべく今の設備を利用して設備投資を控える傾向がある。この投資を誰がどのように行うのかが問題となるでしょう」
 また、電気メーターを設置し、各家庭に電気を配電できるのも電力会社に限られているから、欧米のように少々料金が高くても、あえて太陽光発電で作られた電気を買うような選択はできない。自家発電で作られた電気も原発で作られた電気も一緒くたにされ、その内訳もブラックボックスにされた?言い値?の電気料金を私たちは支払わされているのだ。
 ●送電分離による託送料の廃止
 ●電気メーター(配電)の自由化
 ●電気料金の内訳の可視化
 これらを実現できれば、電力不足などありえない。脱原発への道も大きく開けることとなる。あるPPS事業者が言う。「発送電分離と配電の自由化によって、『原発の電気は安くても買わない』という選択が可能になる。発送電を分離して初めて、国民が意思表示をできるのです」

検察上層部が描いたストーリーに沿った供述を取らなければいけない、という強いプレッシャー〈陸山会事件〉

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「特捜部は恐ろしいところだ」なぜ検事は取り調べでその言葉を発したのか? 
NCNニコニコニュース 2011年7月11日(月)16時39分配信

 小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、政治資金規正法違反罪で起訴された小沢氏の元私設秘書、石川知裕衆院議員は2011年7月10日、ニコニコ生放送の特別番組に出演し、東京地検による取り調べの際、担当検事が「特捜部は恐ろしいところだ」と発言したときの様子を語った。また、元検事の市川寛氏は、自らの体験を基に同発言が出た理由を推測した。
 陸山会事件とは、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、政治資金収支報告書に虚偽記入や不記載があったとして、石川議員を含む小沢氏の元秘書3人が政治資金規正法の罪に問われている事件。今年の2月に行われた初公判では3人とも無罪を主張。裁判の行方が注目される中、東京地裁は6月30日、検察側が証拠請求した石川議員ら元秘書3人の供述調書の一部について「威圧的な取り調べや利益誘導があった」などと任意性を否定し、証拠として採用しないことを決めた。裁判所の判断の根拠となったのは、担当検事が発したとされる「特捜部は恐ろしいところだ」という言葉だ。
 石川議員は取り調べ中に東京地検特捜部の田代政弘検事から「特捜部は恐ろしいところだ。何でもできるところだぞ。捜査の拡大がどんどん進んでいく」と言われたと主張。これに対し、田代検事は否定したが、東京地裁は石川議員の主張を認め、「威迫ともいうべき心理的圧迫があった」として供述調書の証拠採用を却下した。決め手となったのは石川議員が保釈後の再聴取のときに録音していた取り調べのやり取りの様子。そこでは、田代検事が同発言を認める様子が記録されていた。
 田代検事がこのような発言をした理由について、個人的に田代検事を知っているという元検事で弁護士の市川寛氏は
「彼(田代検事)自身は追い込まれて、石川さんから所定の供述を取らなければいけないというプレッシャーがあったので、そういう言葉を使わなければいけなかったのではなかったのか」
と、検察官当時に自分が置かれていた立場に重ね合わせて語り、上層部が描いたストーリーに沿った供述を取らなければいけないという強いプレッシャーが検察内部にあることを指摘した。市川氏は冤罪事件として知られる佐賀市農協事件に主任検事として関わった際、事情聴取した元組合長に対して「ぶち殺すぞ!この野郎!」と暴言を吐いたことが原因となり検事を辞職している。
 市川氏の発言に対し、石川議員も
「罵倒して脅すように『恐ろしいところだ。何でもできる』と言ったわけではなかった。田代さんが私に言ったのは『(検察は)こういう恐ろしいところだから、どうなるかわからない。(特捜部を)止められるかわからない』というセリフ。恐らくそういう組織の中で、結果を出さなければいけない。一人一人が追い詰められていくのはそういうところなんじゃないか」
と述べた。
(三好尚紀) *強調(太字)は来栖
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「カバンの脇にICレコーダーを入れていた」 石川知裕議員、検察取調べの「録音方法」を説明
ニコニコニュース2011年7月9日(土)23時00分配信

 小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記入)の疑いで起訴されている同会元事務担当の石川知裕衆議院議員は2011年7月8日、自由報道協会の主催する記者会見に出席し、東京地検の事情聴取をICレコーダーで録音したときの模様を語った。
 石川議員の調書は検察側によって裁判所に提出されたが、その一部は「任意性がない」として却下されている。その点について「録音データが影響したと考えてもいいのか」と記者に問われると、石川議員は「その通りです」と答えた。
 石川議員は、小沢氏の秘書をしていたとき政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたとして、政治資金規正法違反の疑いで逮捕・起訴された。刑事裁判は2011年2月に始まり、7月には検察側の論告求刑が予定されているが、その直前の6月、東京地裁は石川議員の供述調書15通のうち10通を証拠として採用しないことを決めた。
 そのうちの一つは、石川議員が保釈された後の2010年5月に再聴取されたときの供述調書だ。そこには、政治資金収支報告書の虚偽記入について小沢氏に報告し了承を得ていたなど、勾留中の取調べで石川議員が話したとされる内容がそのまま維持された形で記録されていた。
 ところが、石川議員はこの再聴取の模様を秘かにICレコーダーで録音。起訴された後に、裁判所に証拠として提出したが、その録音記録には、取調べを行った検事が東京地検特捜部の力を暗に示し、勾留時の調書と矛盾する主張をすれば再逮捕の可能性もあると示唆する様子が残されていた。結局、東京地裁は「威迫ともいうべき心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら巧妙に誘導」したものとして、検察側が提出した調書を却下した。
 石川議員は記者会見で、再聴取の模様を秘かに録音したことについて、元外交官の佐藤優氏の薦めで実行したと説明。録音したときの心境について、
「簡単なようで、心理的圧迫は大きい。取調べのとき、必ず検事に『録音していないよね?』と聞かれる。検事さんに『本当に録音していないよね?』と聞かれて、そのまま平気で録音できる神経というのはなかなか大変」
と語った。また、自分のカバンの脇のポケットを指さしながら、
「カバンの脇のところにICレコーダーを買って入れて行った。それに加えて、高度な集音マイクをつけて中に入れた。(録音は)認められている権利だが、もしガチャッと音がしてバレたら、と緊張した」
と説明した。
 また、記者から「供述調書の却下に録音データが影響したと考えてもいいのか」と質問されると、「その通りです」と回答。検察については、
「真面目な人が多く正義感に燃えている。しかし、検察としてなにか成果を挙げなきゃいけないという、組織の体制そのもの自体に問題がある」
と指摘し、検察組織の改革と取調べの可視化の必要性を主張した。
(中村真里江、亀松太郎)
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検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)

大統領しのぐ米NRCの権限―原発危機管理体制の日米比較

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【現地記者に聞く】大統領しのぐ米NRCの権限―原発危機管理体制の日米比較
2011/7/11 20:23.きょうのWSJ日本版より
 米原子力規制委員会(NRC)――。放射線に対する公衆の安全確保、環境保護を使命とし、強大な権限を持つ。ウォール・ストリート・ジャーナルワシントン支局で原子力行政をカバーし、福島第1原発の事故では東京支局の取材チームにも加わったピーター・ランダース記者にNRCについて聞いた。
 NRCは、原子炉の安全・設置許可、放射性物質の保安、放射性廃棄物の管理について監督を行う。5人の委員は、大統領が上院の同意を経て任命するが、NRCは行政府、立法府から独立した機関であり、委員はいったん任命されれば、大統領の指揮系統から外れる。
 ランダース記者によると、NRCは、「原発敷地内」の事柄について絶対的な権限を持つとみなされている。例えば、福島の事故では、格納容器の圧力を下げるための「ベント」(排気)の実施をめぐる日本政府の混乱ぶりが伝わってきているが、米国の場合、ベントの判断はあくまでNRCが行い、大統領に権限は一切ないという。
 もっとも、権限の大きさは反発も呼びやすい。とりわけ、現NRC委員長のグレッグ・ヤツコ氏に対しては、「独断、他の委員に相談しない、怒りやすい」(ランダース記者)などの評価があり、NRCの内部監査報告でも、ヤツコ委員長が職員の反感を買っている状況が詳細に述べられている。
 NRCは、日本の原発事故を受けて、米国内の原発の特別検査を行い、多くの原発が自然災害に対して脆弱であることを指摘する報告をまとめている。また、ヤツコ委員長自身も、現行規定で義務付けられている非常用電源の持続時間が4時間と短いことに懸念を表明した。
 「フクシマ」の影響は欧州にも広がった。ドイツとスイスが原発の順次閉鎖を決めたほか、イタリアでは、原発建設再開の是非を問う国民投票が行われ、圧倒的多数で原発復活に「ノー」の判断が示された。
 だが、ランダース記者によると、NRCは、米国内の原発について実施した90日間の詳細調査について、近く、包括的な報告書を公表する予定だが、安全対策について一定の強化策が求められる可能性はあるものの、根本的な改革措置が提言されることにはならない見通しだ。
 オバマ政権は今年2月、ジョージア州で建設予定の原発2基について政府の融資保証を認め、米国では30年ぶりに原発建設に道を開いた。その後、福島原発の事故が起きたが、米議会では「予想に反し、安全議論の広がりはなかった」(ランダース記者)という。
 むしろ、現在、NRC関連で米議会の関心が集中しているのは、ネバダ州ユッカ山地の核処分場計画。オバマ政権は、ブッシュ政権時代に承認されたこの計画の凍結を決めているが、最終決定は、核廃棄物についても絶大な権限を持つNRCに委ねられている。
 この問題は、計画を推進する共和党と反対する民主党、という構図で対立が続き、NRC内部でも共和党系と民主党系の委員の意見が分かれた状態だ。ネバダ州は民主党のリード上院院内総務のお膝元であることも、対立に拍車をかける結果になっている。
 日本の原発監視体制については、監視機関の独立性など、問題が指摘されることが多いが、監視機関の独立性が確立している米国においても、NRC委員長に対する個人的な反発や、政治的な対立、選挙絡みの思惑などが制度の足かせになりかねない状況にある。
 米連邦控訴裁判所は今月初め、ユッカの問題に対する最終決定はNRCが行うべき、との判断を改めて示した。NRCは許認可申請の可否を3年以内に示す必要がある。ユッカ計画に関する申請が行われたのは2008年9月だ。強大な権限を与えられたNRCは、政治的な思惑が絡むこの問題でどのような判断を示すことになるのか。期限はすぐそこまで迫っている。

原発問題の裏にある経産省・東電「天下り・利権の構図」/退職勧奨を受けた古賀茂明キャリア官僚

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「原発問題の裏にある経産省・東電『天下り・利権の構図』」退職勧奨を受けた改革派官僚を直撃 VOL.1
古賀茂明(経産省キャリア)×長谷川幸洋(ジャーナリスト)
現代ビジネス2011年07月12日(火)

長谷川: 古賀さんは、6月24日に松永事務次官(松永和夫経産省事務次官)から退職勧告と受けたと聞いてます。その日の夜の『朝まで生テレビ』で初めてその話を公にされています。事務次官から、「早期退職干渉を受けた」ということでしょうか?
古賀: そうですね。
長谷川: そもそも、今でも役所は、「退職干渉ができる」のですか?
古賀: もともと民主党政権は、「早期退職干渉をやると天下りを斡旋しなくてはならないので、退職干渉は止めるべき」と、政策として掲げていたんですね。一時期は、禁止する法案を提出したこともあったほどです。つまり、本来は「早期退職干渉はやらない」というのが民主党の建前なのですが、実際には政権についてからずっと行われている。なぜかというと、ウラで「天下り斡旋」があるからです。証拠はありませんが、斡旋がない限り、そんな干渉を受諾する人はいないですから。
長谷川: 実際には、天下りの斡旋を受ける代わりに、"肩たたき"に応じているということですね。でも古賀さんの場合は、天下り先はなく、文字通り「辞めてくれ」ということなんですか?
古賀: そうです。そもそも私は、天下りは絶対にしません。
長谷川: 国家公務員法上では、退職干渉は、本人がイヤだと言ったら拒否できるんですよね?
古賀: できます。
長谷川: 古賀さんは今後どうしようと思っているのですか?
古賀: 現段階では回答は留保しています。ただ、もともと私は、「幹部職員が身分保障をされていて、絶対に辞めなくていい」というのはおかしいと思っています。幹部職員に対しては、身分保障をなくした上で仕事を評価をし、いつ首を切られても仕方がないという制度にしろと自分で言っていたので、クビにされること自体はあまり問題にするつもりはありません。
 ただ、大事なことは、政治主導において、大臣が政策に見合った布陣を作ることなんです。つまり、大臣の政策をきちんと行ってくれる官僚を集めて、実施できる体制にしなくてはいけない。ところが、官僚が、自分の役所のために働かない人間をクビにしたいがために大臣を使うのであれば、これは本来の趣旨とはまったく違うわけです。
 ですから、まずは、「身分保障をしない」というルールを作ることですね。そして、辞めさせる際の決まりを作ることです。「明日から来なくていい」というのではあまりにもひどいので、三ヵ月の猶予を与えるとか。僕はもともとクビになる覚悟があるから良いのですが、その後に続く人たちのことも考えたいなと思うのです。
 
海江田大臣は答えるべきだ
長谷川: 民主党政権は2年前の総選挙で「脱官僚」、「政治主導」という建前を掲げて300を越える議席を得ていますが、この主張の根幹に関わる問題ですね。
 また、原発問題においても、政権の根幹に関わる問題であると思います。原発事故は、地震や津波という自然災害が直接の引き金であったとはいえ、これだけの惨事に発展した遠因には、政、官、行、学、場合によっては報道も含めて、すべてがもたれ合いの関係になっていたことが背景にあるのではないでしょうか。
 つまり、古賀さんを経産省から追放しようとするのは、原発問題の根幹に関わることだと私は認識しています。実は、古賀さんの問題が28日に行われた海江田大臣(海江田万里経産相)の記者会見で取り上げられているんです。テレビ朝日の記者が一体どうするつもりなのか大臣に質問したところ、大臣の回答は、「私と話したい人がいれば、いつでも大臣室に来ていただき、お話するのはやぶさかではありません」ということでした。正直、記者の質問にまったく答えていないのですが、古賀さん自身も自分が"肩叩き"に遭った理由について真意を問いたいとのことなので、いずれ大臣と話し合う予定はありますか?
古賀: 大臣がそのようにおっしゃっているのであれば、出来ればお会いしてお話しさせていただきたいと思います。大臣は、地震や原発への対応でお忙しいだろうと思っていたのですが、前向きなお考えだということであれば、ぜひお話ししたい。
長谷川: 私たちメディアの人間としても、重要な問題だと思っています。海江田大臣は記者会見で質問を受けたわけですから、自分がどのようにこの問題をとらえているのか、考えを示すべきです。会見で問われた質問に対しては答える責任がありますよね。
 加えて、『朝まで生テレビ』でも言ったんですが、国会でもきちんと答えるべきですね。ある野党議員は、「この件について、国会で必ず質問する」と言っていますし、みんなの党では答弁書、質問趣意書を用意しているそうです。今回は、記者の質問から逃げたわけですが、いずれ国会で大臣としての考えも語らないといけないと思います。
 
原発問題の裏にある天下りや利権の構造
古賀: 私の人事についていえば、海江田大臣がどのようにお考えなのか聞いてみないと分からないですが、官僚が人事もお膳立てして、大臣に上げているという印象を受けています。大臣は限られた時間と情報の中で判断を迫られる立場です。私は、非常に不思議に思うのが、「なぜ今の時期なのか」という点です。普通、大臣のことを慮れば、今の時期に私を辞めさせるよりも、国会が閉会して、代表選などで混乱している時にしたほうが、大臣に傷が付かないと思うのですが・・・。
 今、経産省は強引ともいえる勢いで原発を推進していますよね。ですから、国会の質問で私が呼び出されることがあるかもしれませんし、多少大臣に傷が付くことがあっても私を早目に辞めさせたほうがいいと考えたのではないでしょうか。海江田さんがどのように考えているのか分からないですが、これまでせっかく静かにしていたのに最後にこんなババを掴まされるとはお気の毒ですね。
 原発問題は単に技術的な問題ではなくて、組織のガバナンスの問題です。東京電力は、根本的には競争がなく、消費者や国民の方を向くという姿勢になりえない。公務員もそういう意味で一緒です。絶対に潰れないですから。つまり、国民不在の組織になっていると思うんです。本来は経産省や保安院も、国民の側に立ち安全を守らなくてはいけない。電力会社は、経産省や保安院に規正される側であり、両者には緊張感がないといけないのに、同好会的な感じになっていた。そのウラには天下りや利権の構造があるわけです。
長谷川: つまり、公務員改革の問題と原発の問題が表裏一体だということですね。僕も今度の原発で経産省はいったいどこに目が向いている組織なのかがかなりハッキリしたなと思いますね。
 たとえば、私が書いた細野哲弘資源エネルギー庁長官のマスコミの論説委員懇談会での話です。エネ庁は東電処理案を作っているわけですが、その本質は東電をまず守ることなんです。でも、賠償しないわけにはいかないので、そのツケは国民に回す。そういう構図を描いていたワケですね。
 本来は、国民負担を少しでも和らげるためには、東電を解体し、株式を100%原資し、金融機関の債権を放棄させる。それによって多少なりともといっても国民負担を下げるというのが、基本のはずです。
 しかし、枝野官房長官が銀行に債権を放棄させる考えを示したときに、細野長官は「今さら官房長官がそんなことを言うのなら、私たちの苦労は一体なんだったのか?」と発言したのです。つまり、「国民に負担をまわそうと思っているのに何を言っているんだ」という意を正直に言ったわけです。経産省というのは、つくづく東電の利益を代弁しようとして爆走している感じがしますね。
古賀: そうですね。もともと民主党が政権を取った時に、「幹部に辞表を出させる」などの議論ありました。でも、あの時鳩山前首相は、「公務員が身分保障があるからクビにできない」言っていたんです。ですので、皆クビにならないと思っていたんですが、今回私はクビになる。非常に矛盾がありますよね。
 では、なぜ私がクビになるのかですが、もしも、経産省に都合の悪いことを言ったからもしクビになるのであれば、今まで民主党が主張していたことは非常におかしいということになります。原発推進や東電擁護のために人事権を行使する---つまり、官僚の論理のために大臣が使われる構造は、政治主導の逆の官僚主導です。それが人事に端的に現れている気がします。
 
圧殺される「改革派官僚」
長谷川: 今、省内に改革派はいないのですか?
古賀: 隠れ改革派のような人はまだいると思いますが、昔みたいに威勢よく表に出て主張する人はほとんどいなくなりました。東電についても、東電を守るべく、銀行の債券放棄はさせないという大きな方針が最初に次官から発せられているので、それに逆らうことはできなかった、と若い官僚から聞いています。
 先日、エネ庁の担当者が、ある国会議員のところに賠償機構法案について説明に来たそうです。議員は、法案の疑問点などをどんどん突いて問い詰めたところ、担当者は答えられなくなってしまったそうです。でも、どうやらその担当者は改革をしたい人のようで、奥歯に物が挟まったような顔しながら言い訳をしていたそうなんですよ。
 そして、「これ以上は勘弁してください」という表情になり、帰り際に「こういうことに一番詳しいのは古賀さんなので、古賀さんに聞いてください」と言って帰っていったそうです。つまり、"隠れ改革派"は存在しているんです。でも、自分の口から改革を主張することはできないんでしょう。
長谷川: 圧殺されてしまっているんですね。経産省の立ち居地は今回の古賀さんの件で非常に鮮明になったと思います。そして、海江田大臣がどのような判断をするのか、問われることになるでしょう。
 以降 後編へ。(近日公開予定)


高速鉄道の知財 川重の技術に中国がどれだけ独自性や新規性を加味したかがポイント

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高速鉄道の知財めぐり日中の論争過熱
2011/7/11 17:12 きょうのWSJ日本版より
 日中の鉄道車両メーカー間での論争が過熱している。中国の国有企業が高速鉄道の技術を盗み、海外への販売を狙っているのではないかという議論だ。
 中国の高速鉄道中国は先月末に、特許を国外で21件出願したと発表した。これは海外で鉄道車両を販売するうえで、重要なステップとなる。これに対して、川崎重工業などの大手日本メーカーは、日本が開発した技術に関して特許を取得しようとした場合、提訴を行うと警告した。この論争は政治にも飛び火し、松本剛明外務相は先週の中国側との会談で、状況を「注視している」と述べたと共同通信が報じた。
 中国はこの警告に対して憤然と反論した。
 中国鉄道省の報道官は、国営の新華社通信に対して、中国の高速鉄道システムは2020年には1万6000キロまで延びる計画だが、それは日本の新幹線よりも優れていると話した。中国の高速鉄道のネットワークの中でも最も期待されている、北京−上海間の路線が7月1日に開通したが、この発言はその1週間後に行われた。
 「北京−上海高速鉄道と日本の新幹線は比較にならない。中国の高速鉄道で使われた技術の多くは、日本の新幹線よりはるかに優れている」
 日本と中国の鉄道車両の合弁事業は、何年も前に始まった。川崎重工は、国有の中国南車などの中国企業に技術を移転した企業の一つだが、やがて中国企業から競争を挑まれることとなった。
 中国側は、中国の技術は川崎重工などの技術とは異なると主張している。スピードはより速いし、車輪と線路の摩擦も軽減されているという。中国南車の副ゼネラルマネジャー、マ・ユンシャン氏は言う。「我々の技術は海外に由来しているかもしれないが、だからといって、その技術が海外の所有であるということにはならない」
 論争が過熱するなか、中国は海外への技術輸出の機会をより積極的に探っている。中国国内の高速鉄道市場はここ数年盛況だったが、勢いは鈍化し始めているようだ。高速鉄道の料金は大半の中国人にとって高すぎ、人々が不満に思うのに平行して、鉄道省の債務は増加している。鉄道相はここ数か月、高速鉄道に関しては新たなプロジェクトに着手する前に、建設中のものに集中すると言い続けている。
 日本企業が言葉通りに行動し、やがて中国の車両メーカーを知的財産権の侵害で訴えるのか否かは明らかではない。事実の解明は困難であろうし、裁判には長い年月と多額の費用がかかることだろう。注目されるのは、海外のさまざまな企業の経営陣がこの争いをどうみるかである。その多くがいまだに中国に関する昔からのジレンマについて考え続けている。市場へのアクセスか、知的財産権の保護か。
記者: Brian Spegele
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パクリ特許取得阻止に断固対抗 中国版新幹線、試される知財戦略
2011.6.30 23:47 産経ニュース
 川崎重工業などが技術供与した新幹線の「特許」を主張する中国に対し、日本の鉄道関係者は、強い不快感と警戒感を示している。中国と同様に、日本も新幹線をベースとした高速鉄道の輸出を成長戦略の重要な柱と位置付けており、ライバル関係にある。指をくわえて見ているわけにはいかない。供与した技術の転用などが判明すれば、特許無効を求め、断固対処する構えだ。
 川重は、2004年から中国の鉄道高速化プロジェクトに参加し、05年に国有メーカー「中国南車」と車両設計の合弁会社を立ち上げ、技術を供与した。
 関係筋によると、中国側は特許について、「提供されたのは最高時速200キロの車両で、380キロの走行を可能にしたのは中国の技術」と主張。これに対し、日本の関係者は、「契約に基づき、安全性を確保するため、営業速度275キロの条件つきで技術を供与した」と反論する。
 川重は特許申請について「内容を見て対応を検討する」(幹部)と言葉を濁す。新幹線輸出の旗振り役の国土交通省の幹部も「どこまで日本の技術が入っているかわからない。事態を見守るしかない」と話す。だが、関係者の多くは、「転用」とみている。
 川重は米国などで新幹線の製造技術に関わる特許は出願していない。中国に特許を握られると、価格競争では太刀打ちできないだけに、市場参入で不利になりかねない。
 まず対抗手段として取り得る策は、各国の特許庁への働きかけだ。出願された技術について「自社の技術と同じ」と情報提供することで、特許取得を阻止できる。仮にどこかの国で特許が登録された場合、川重側は再び特許登録の無効を求めた審判を申し立てたり、各国の裁判所に特許の登録取り消しを求め提訴することも可能だ。
 特許紛争に詳しいシティユーワ法律事務所の尾崎英男弁護士は「川重の技術に中国がどれだけ独自性や新規性を加味したかがポイント。それが認められなければ特許は登録されない」と話す。知的財産をどう守るのか。日本の国家戦略が試されている。(渡部一実)

餌の藁からセシウムが検出された牛/生命が人間だけに尊重され、他の生きものの生命は無視されている

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東京、愛知など9都道府県に流通 南相馬セシウム汚染牛肉
中日新聞2011年7月12日 09時26分
 牛の餌のわらから暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された福島県南相馬市の畜産農家が5〜6月に6頭を出荷していた問題で、4頭の肉が少なくとも東京都や愛知県など9都道府県に流通していたことが東京都などの調べで分かった。このうち消費されずに保管されていた食肉から、最大で国の暫定規制値(1キログラム当たり500ベクレル)の6・8倍に当たる3400ベクレルのセシウムが検出された。
 流通が確認されたのは東京都、愛知県のほか北海道、大阪府と神奈川、千葉、静岡、徳島、高知の各県。東京などの2次販売先の業者を経て、小売店や飲食店に販売されていた。
 出荷された6頭のうち5頭は都内で、1頭は栃木県内で食肉処理され、6月2日から7月5日までに仲卸業者が購入。東京都新宿区と大阪府の業者に2次販売された2頭は全量が保管され、流通していなかった。
 一方、東京都中央、荒川両区や川崎市の業者に2次販売された分はすべて消費者に販売済みだった。東京都新宿区と府中市、静岡市に保管されていた食肉を検査した結果、3400〜1998ベクレルのセシウムが検出された。
 都内に出荷された5頭のうち2頭は5月30日に、3頭は6月30日に、栃木県内の1頭は6月27日に食肉処理されていた。
 福島県は緊急時避難準備区域で飼育された牛を出荷する際に、体表面を調べるスクリーニング検査を全頭で実施。食肉処理する自治体では、厚生労働省の依頼で食肉の抽出検査を行っていた。
 東京都が今月8日に行った検査で南相馬市の畜産農家から出荷された11頭のうち1頭から放射性セシウムが検出され、その後の検査で残る10頭からも1キログラム当たり1530〜3200ベクレルのセシウムが検出されていた。この11頭は、食肉処理場内で保管され流通していない。
...................
〈来栖の独白2011/07/12Tue.〉
 「汚染牛肉」とのワードが人間至上主義のすべてを象徴している。地球は、ひとり人類だけのものではないはずだ。
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老、病、死という三重の「罰」に囲まれて暮らす人生の後半生=五木寛之著『天命』2010-06-07 | 仏教/親鸞/五木寛之・・・ 
ワクチン接種牛9百頭、共同埋却 種牛5頭は抗体検査もシロ
2010年6月7日 11時47分(共同)
 口蹄疫問題で、宮崎県は7日、発生地から半径10キロ圏内でワクチン接種を受けた日向市の農家約70戸が飼育する牛約900頭を、遊休地3カ所に集めて殺処分し共同埋却するため、農家から移動させる作業を始めた。移動制限区域内だが、処分迅速化のため特例として農林水産省が認めた。
 7日は15戸の約180頭が対象で、全体の作業は12日まで。県によると、週内に宮崎市などでも同様の作業が始まる。
 県が避難させたエース級種牛5頭は6日、遺伝子検査に続き、抗体検査でも口蹄疫に感染していないことが裏付けられた。県は、5頭の避難先である西都市尾八重を中心とする移動制限区域解除に向け、10日に5頭の抗体検査を再度実施。半径10キロ圏内にある農家2戸の家畜の健康状態も確認する方針。順調にいけば制限区域は13日午前0時に解除となる見通し。
 東国原英夫知事は6日、「種牛は貴重な財産であり、5頭を守れる可能性が高まったことに安堵するとともに、5頭以外を失ってしまった事態を重く受け止めている」とのコメントを出した。
....
〈来栖の独白2010/06/07〉
 他の生きものの命を奪って食べずには一日も命を繋げない人類である。口蹄疫に関するニュースは、私にその事実をあらためて突きつけた。牛も豚も人類の食糧として「生産」「出荷」され、商品として不適となれば「処分」される。
 五木寛之さんは『人間の運命』(東京書籍)の中で次のように言う。
“私たち人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ。1年間に地上で食用として殺される動物の数は、天文学的な数字だろう。
 狂牛病や鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなどがさわがれるたびに、「天罰」という古い言葉を思いださないわけにはいかない。
 私たち人間は、おそろしく強力な文明をつくりあげた。その力でもって地上のあらゆる生命を消費しながら生きている。人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。私はこれを人間の大きな「宿業」のひとつと考える。人間が過去のつみ重ねてきた行為によってせおわされる運命のことだ。
 私たちは、この数十年間に、繰り返し異様な病気の出現におどろかされてきた。狂牛病しかり。鳥インフルエンザしかり。そして最近は豚インフルエンザで大騒ぎしている。
 これをこそ「宿業」と言わずして何と言うべきだろうか。そのうち蟹インフルエンザが登場しても少しもおかしくないのだ。大豆も、トウモロコシも、野菜も、すべてそのように大量に加工処理されて人間の命を支えているのである。
 生きているものは、すべてなんらかの形で他の生命を犠牲にして生きる。そのことを生命の循環と言ってしまえば、なんとなく口当たりがいい。それが自然の摂理なのだ、となんとなく納得できるような気がするからだ。
 しかし、生命の循環、などという表現を現実にあてはめてみると、実際には言葉につくせないほどの凄惨なドラマがある。砂漠やジャングルでの、動物の殺しあいにはじまって、ことごとくが目をおおわずにはいられない厳しいドラマにみちている。
 しかし私たちは、ふだんその生命の消費を、ほとんど苦痛には感じてはいない。以前は料理屋などで、さかんに「活け作り」「生け作り」などというメニューがもてはやされていた。コイやタイなどの魚を、生きてピクピク動いたままで刺身にして出す料理である。いまでも私たちは、鉄板焼きの店などで、生きたエビや、動くアワビなどの料理を楽しむ。
 よくよく考えてみると、生命というものの実感が、自分たち人間だけの世界で尊重され、他の生命などまったく無視されていることがわかる。
 しかし、生きるということは、そういうことなのだ、と居直るならば、われわれ人類は、すべて悪のなかに生きている、と言ってもいいだろう。命の尊重というのは、すべての生命が平等に重く感じられてこそなのだ。人間の命だけが、特別に尊いわけではあるまい。”
 日々他者の命を奪って生きているくせしてそれら生きものに与える酷さにくよくよ悩む私に、五木寛之さんの『天命』(幻冬舎文庫)がすっきりと腹に落ちた。五木さんは、人間の悲惨、とりわけ老人となってからの悲惨を「罰を与えられるような老年」と言われている。「罰」という言葉が、私に一応の納得を与えたのである。あまたの命を奪いつくして生きた人間、その終末は無惨であってよい、正解を得たように私は得心し覚悟したのである。五木さんは次のように言う。
“これでは人間の後半生はなんだというのか。必死で前半生を生きた人間が、あたかも罰を与えられるような老年を生きなければならないというのは、どういうことか。(略)
 いま私の周辺には、人生の半ばまで一所懸命に生きて、そのあげく不運な後半生を突きつけられた友人、知己があまりにも多いのである。
 老いていくことは、肉体的にはエントロピーが増大していくことだ。崩れていき、錆びついてくる体とともに生きることだ。夜は眠れず、歯も、目も不自由になってくる。手足もこわばり、記憶力は日々おとろえてくる。そんなありきたりの老化は覚悟の上としても、さらにその上に病気が多発するのが問題である。(略)
 悲惨としかいいようのない執着(しゅうじゃく)と絶望のなかで生きる人々の、なんと多いことだろう。それを横目で眺めながら、自分ひとりが平安なこころでいられるものだろうか。「衆生病むがゆえにわれ病む」というのが菩薩のこころだとすれば、澄み渡った老後の境地など、本当は決してありえないのではあるまいか。(略)
 死、そのものよりも、死へいたる過程が悲惨なのだ。(略)人生の途上における夭折は別である。長寿社会の緩慢な死の道行について私は語っているのである。(略)
 いま自分の周囲を見わたして、思わずため息が出るのを抑えることができない。どうして必死で生きた人間が、後半生を老、病、死という三重の罰に取り囲まれて暮らさなければならないのか。
 「そのために神さまはボケるという逃げ道を用意してくれているのさ。ボケてしまえば悲惨もくそもないだろう」しかし、私はボケながら平和に生きる道を人間の望ましい姿とは思わない。それはむしろ、さらなる悲惨かもしれないのである。”
 老年の悲惨については、私自身、非常な不安を抱えて生きてきた。最重要関心事といっても過言ではない。
 しかし、五木さんの「罰」という言葉に出会い、覚悟ができたのである。夥しい命を奪って生き延びてきた「私という人間」の末路は、悲惨でよい。罰として、悲惨でよい。そうでなくしてどうして、奪った命に対して割り切れよう。五木さんはそのようには考えなかったのだが、私は、少なくとも「私という人間」の末路は悲惨でよい、と覚悟をきめる。餓死でもよい。それが、いのち奪われた無辜の生きものたちへの、せめてもの辻褄あわせ、延いては詫びになる。

電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、聞いたことのない悲鳴のような鳴き声を上げた」 
「うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし…」
「牛は処分を察してか悲しい顔をする。涙を流した牛もいた」担当者ら、悲痛〜心のケアを
「子牛もいた。何のために生まれてきたんだろう」処分用薬剤を140頭もの牛に注射し続けた獣医師 

ペリカンの受難/口蹄疫/人間中心主義思想の根底に旧約聖書/ネット悪質書込みによる韓国女優の自殺2010-06-17 | 仏教/親鸞/五木寛之・・・ 
〈来栖の独白2010/06/17〉
 1991年の湾岸戦争。海岸に接していた大規模石油基地が爆破され、大量の重油が海に流れ出したことがあった。この際にも、多くの無辜の生物が油に翼を奪われ、いのちを落とした。
 地球は、宇宙は、ひとり人類だけのものではない。声なき声の多くの生物のものでもある。
 五木寛之氏は『天命』(幻冬舎文庫)のなかで次のように言う。
 “たとえば、環境問題は、これまでのヨーロッパ的な、キリスト教的文明観では解決できないのではないでしょうか。
 欧米の人たちの考えかたの伝統のなかにには人間中心主義というものがあります。この宇宙のなかで、あるいは地球上で、人間が神に次ぐ第一の主人公であるという考えかたです。
 これはルネサンス以来の人間中心主義の思想の根底にあるものですが、主人公の人間の生活に奉仕するものとして他の動物があり、植物があり、鉱物があり、資源がある。水もあり、空気もあると、考えるわけです。
 そうした考えのなかから生まれる環境問題の発想というのは、やはり人間中心です。つまり、われわれはあまりにも大事な資源をむちゃくちゃに使いすぎてきた。これ以上、水や空気を汚し樹を伐り自然環境を破壊すると、最終的にいちばん大事な人間の生活まで脅かすことになってしまう。だからわれわれは、もっとそうしたものを大切にしなければいけない。----これがヨーロッパ流の環境主義の根源にあるものです。(略)
 これに対し、アジアの思想の基本には、すべてのもののなかに尊い生命があると考えます。
「山川草木悉有仏性」という仏教の言葉があります。山の川も草も木も、動物もけものも虫も、すべて仏性、つまり尊いものを持っている、生命を持っているんだ、という考えかたです。
 そうした考えかたから出ている環境意識とは、川にも命がある、海にも命がある、森にも命がある、人間にも命がある。だからともに命のあるもの同士として、片方が片方を搾取したり、片方が片方を酷使するというような関係は間違っているのではないか、もっと謙虚に向き合うべきではなかろうか、というものです。こういう考え方のほうが、新しい時代の環境問題には可能性があると私は思うのです。
 つまり「アニミズム」ということばで軽蔑されてきた、自然のなかに生命があるという考え方こそは、遅れた考え方どころか、むしろ21世紀の新しい可能性を示す考えかたなのではないでしょうか。
 狂牛病の問題で、あるフランスの哲学者が、人間のために家畜をありとあらゆる残酷なしかたで酷使してきたツケが回ってきたのだと言っていました。人間のために生産力を高めようとして肉骨粉を与え、共食いさせた。そうした人間の業というものがいま、報いを受けているのだ、と。狂牛病の問題だけではなく、すべてに関して人間中心主義というものがいま、根底から問われていると思います。”
 僅かに、卑見に相違するところがある。
>これはルネサンス以来の人間中心主義の思想の根底にあるものです
 と、おっしゃるくだりである。人間中心主義思想の根底にあるものは旧約聖書ではないか、と私は観ている。創世記は次のように言う。
 “ 神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
 神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
 そのようになった。 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 神は御自分にかたどって人を創造された。
 神にかたどって創造された。男と女に創造された。
 神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
 神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
 そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。”〔創世記1.20〜1.31〕
福島の酪農業男性が自殺か「原発なければ」と書き残し/原発が引き裂いた人生「原発で手足ちぎられ酪農家」2011-06-14 | 地震/原発
五木寛之著『百寺巡礼』/草木国土悉皆成仏/アニミズムだ、と近代では切り捨てられてきた2011-07-11 | 仏教/親鸞/五木寛之・・
化粧品開発のための動物実験規制

「ネットの自由」を標榜するサイバー同盟に乗り遅れ/国際社会から孤立を深める菅政権

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「ネットの自由」を標榜するサイバー同盟に乗り遅れ  楽天・三木谷社長も嘆く 国際社会から孤立した菅政権の大失態
現代ビジネス2011年07月12日(火)町田 徹

 米、仏、英を中心とした「サイバー同盟」の一員として、「ネットの自由」を標榜する側に立つのか、それとも、中国やアラブ諸国のネット上の基本的な人権の侵害に対して、何も言わないのか。
 日本は歴史的な選択を迫られているにもかかわらず、その場しのぎの延命策に躍起の菅直人政権は国際社会の激変も、事の重大さもまったく理解していないようである。
 この首相はいったい、いつまで政権の座に居座り、どこまで日本を窮地に追い込んだら、自己保身という罪の重さが理解できるのだろうか。
 昨年末以来、「インターネットの自由と安全」を巡って、米欧諸国と、中国をリーダーとする新興諸国の対立が深刻さを増していることは、多くの人が直感的に感じていることではないだろうか。
 そもそものきっかけは、中国やインドが数ヶ月前から、チュニジアやエジプトで長期独裁政権を崩壊に追いやった「インターネットの自由」を自国内で抑圧し、自国民による民主化要求を抑え込もうと試みていることだ。こうした行為に、米、英、仏中心とした米欧諸国は猛烈な危機感を募らせている。
 加えて、米欧諸国は、中国国内のサーバーを経由して行われる先進諸国へのサイバーテロが一向に減らないことにも苛立ちを強めている。すでに、水面下では、サイバーテロに共同で対処するための軍事同盟の強化を視野に入れた協議に着手しているのだ。
 ところが、菅直人政権は、周知のように、早くからレームダック状態に陥り、福島原発事故ひとつをとっても円滑に処理できない体たらくだ。国際関係が緊張を増す中で、日本の舵取り役を期待する方が無理なのかもしれない。
 実際のところ、米欧各国が5月のOECD(経済協力開発機構)の50周年記念式典やG8サミット(主要国首脳会議)の際に、アジアで唯一、価値観を共有する仲間と期待し、愁波を送ってきたにもかかわらず、菅首相自身がその意味を理解できず、ひと言も発言できなかったという。その様子を見て、関係省庁の官僚たちは知らんふりを決め込んでしまった。その結果、日本は今、深刻な国際的孤立という危機に直面しているのである。
 
「アラブの春」に危機感を募らせた中国、イラン
 そもそも論に話を戻そう。
 昨年暮れ、チュニジアでは、生活のために、無許可で野菜を街頭で販売したことを罪に問われた青年が抗議の焼身自殺を図ったことを機に、大規模なデモが続発、年が明けると、ベン・アリ大統領が国外逃亡に追い込まれた。これがジャスミン革命である。
 ジャスミン革命は各地に伝播した。そして、エジプトでは、長期間にわたって独裁体制を敷いてきたムバラク大統領が辞任に追い込まれた。
 「アラブの春」と呼ばれた、これらの民主化運動はリビア、シリアをはじめ、多くのアラブ諸国でいまだにくすぶり続けている。
 見逃せないのは、その原動力として、インターネットやブログ、SNSが、そのポテンシャルの大きさを見せつけたことである。
 それに対抗して、中国やイランといった国々は、「アラブの春」に危機感を募らせて、ネットに対する検閲の強化などを打ち出した。
 米国がそうはさせまいと、「インターネット上の基本的人権」などを擁護する姿勢を鮮明にしたのは、今年2月15日のことだった。クリントン米国務長官がワシントン市内で「インターネットの自由」と題する演説を行い、中国とイランのネット検閲に名指しで言及、「中短期的には規制が可能でも、長期的には国の成長と発展を締め付ける『縄』になる」と批判したのである。
 さらに、5月16日になると、オバマ米政権は、米国としてこの分野で初めての対外戦略である「サイバー空間の国際戦略」を公表した。
 内容は、サイバー空間における基本的人権の尊重やプライバシーの保護といった従来からの基本原則に加えて、新たにアクセスの信頼性の確保やサイバー・セキュリティに関する十分な注意を盛り込み、これらを世界共通の指針とするよう求めるものだった。
 特に、自由貿易の維持や、知的財産の保護、ネットワークへの不正侵入の防止、サイバー犯罪に対する国際的な法執行の強化、市民の参加の保証などを「優先すべき政策課題」として盛り込んだ。「アラブの春」に危機感を強めて、ネット規制を強める中国をはじめとした新興国、途上国をけん制する姿勢を一段と鮮明にしたのだ。
 もうひとつ、見逃せないのは、「優先すべき政策課題」の中に、「サイバー空間の潜在的な脅威に立ち向かうため、軍事上の同盟を構築又は既存の同盟を強化する」との項目も明記した点だろう。
 この10日あまり後に迫っていたOECDやサミットの首脳会合へ向けて、米国はあらかじめ、友好各国に対して共同歩調をとるように迫る姿勢を表明していたのである。
 
「日本は後進国になる」と嘆いた楽天・三木谷社長
 欧州諸国も立場を鮮明にした。
 まず、英国のヘーグ外相が今年2月の段階、つまりクリントン国務長官の演説とほぼ同じ時期に講演し、インターネット上で思想や情報、表現の自由な流通を促進する方針を表明した。
 また、サルコジ仏大統領はサミット直前に、パリで、同国が招待した米グーグルのシュミット会長やフェースブックのザッカーバーグCEOら約1000人の経済人や学識者を前に演説し、米企業によるネット市場席巻の脅威をけん制しつつも、基本的には米国と歩調を合わせる考えを表明したという。
 本番のサミットの場でも、フランスは、インターネット問題をメンバー国の共通の優先課題の一つと位置付けて、サイバー攻撃への対応強化などを推進する立場を強調した。
 こうした米、英、仏の積極的な動きに比べて、日本の対応はあまりにも緩慢だ。特に軍事同盟の強化など、デリケートな問題となると、そのスタンスをまったく明確にしていないと断じてよい。
 実は、英、仏両国はそれぞれ、5月のOECD式典の際に、日本を数カ国だけのインナー会合に招致し、全面的な協力に踏み切るように働きかけていたらしい。
 しかし、政府はこれと言った動きを見せなかった。インターネット問題について、サミットの場で、オバマ大統領やサルコジ大統領、キャメロン英首相らが異口同音に踏み込んだ発言をしたにもかかわらず、菅直人首相はまったく興味を示さず、ひと言も発しなかったというのだ。
 わずかに、菅首相が口にしたのは、サミットの冒頭の、あの「2020年までに発電に占める再生可能エネルギーの割合を20%に引き上げる」という発言だけである。原発事故を受けて、ひとりよがりの安全対策を口にして延命策が功を奏したと悦に入っていたというわけだ。
 仏政府からの招待を受けて前述の会合に参加した楽天の三木谷浩史社長は、さすがに黙って見過ごすことができなかったらしい。当時、ツィッターで、「日本政府はインターネットのパワーを理解していない」「このままでは日本は後進国になる」「日本の総理が我々のセッションで発言しなかったのが、大変残念でした」などと記し、胸中の苛立ちを露わにしている。
 もはや、多言は要すまい。
 
喫緊の課題は原発問題だけではない
 インターネット政策に関して、明らかに、菅政権は、大失態を犯している。先進諸国との緊密な協力体制作りに失敗し、国際的な孤立を深めているのである。
 政府部内にも、こうした状況に危機感を持つ向きが皆無というわけではないのだろう。普天間基地移転問題でこじれた日米関係をこれ以上、悪化させまいとする思いも働いているはずである。
 そうした危機感を持つ外交、防衛畑の官僚たちは、6月21日に行われた日米安全保障協議委員会(「2+2」)の共同発表文に「(4人の)閣僚は,サイバー空間における増大する脅威によってもたらされる課題に日本及び米国が立ち向かうための新たな方法について協議することを決意し,サイバー・セキュリティに関する二国間の戦略的政策協議の設置を歓迎した」と盛り込んでみせた。わずかながら、今後、米国と協力していく姿勢を示したのだ。
 しかし、その一方で、この文言が「これから政策協議の場を設置する」ことを「歓迎する」という趣旨にとどまったことの意味は、見過ごしにできないだろう。
 というのは、この文言は、こうした問題で総合調整という旗振り役を担うべき首相官邸がまったく機能しておらず、関係する経済関係の各省庁も動こうとしない現状の証左に他ならないからだ。
 日本にとっての喫緊の課題は、何も原発問題だけではない。菅首相はいったい、いつまでその座に居座り続けて、どこまで国益を損ねれば気がすむのだろうか。

作業をしているのはロボットじゃない『闇に消される原発被曝者』(八月書館)

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復刊した問題のルポ『闇に消される原発被曝者』著者が語る隠された福島原発事故の恐怖
日刊ゲンダイ2011年7月12日 掲載
●作業をしているのはロボットじゃない
  福島原発の事故以来、現場作業で被曝(ひばく)した労働者は何十人何百人に上るのか?
  東電は「特例上限の250ミリシーベルトを超えたのは6人だけ」と発表しているが、本当のところは誰にも分からない。いくらでも隠し事やゴマカシのきく世界が原発労働者なのである。
  世間から隔離され、隠されてきた原発労働者の実態を37年間追いかけてきたルポルタージュ問題作が復刊された。「闇に消される原発被曝者」(八月書館)だ。写真家の樋口健二氏が嫌がらせや妨害の中、体当たりで原発内部と被曝者に直接取材してきたものである。
  あらためて樋口氏に聞いた。
 「原発労働者の過酷な実態は、37年前から変わっていませんよ。東電協力企業社員といったやさしい言葉に置き換えられたけど、30万円とか50万円というカネで原発労働者が全国から福島に集められ、大量被曝が確実の原発に送り込まれている。テレビなどの報道では、高濃度の建屋内はロボットが作業していることになっている。あれはウソです。原発内はパイプが縦横に走り、高い場所での作業も必要。ロボットでは手に負えない。修理修復や放射能除去の掃除は人海戦術でやるしかない。人間であれば、息をする。こうしている間にも、次々と労働者は内部被曝しているのです」
  与えられた作業のノルマを達成しないと、労働者は賃金をもらえない。だから、線量計のアラームが鳴ろうと無視して作業を続ける。暑いし苦しいし見えづらいから、防毒マスクをはずして作業する労働者も少なくない。その結果、体が動かなくなり、やがてがん死。そんな人を樋口氏は何人も見てきた。
 「それでも昔は、上限が50ミリシーベルトだった。それが100に緩和され、今回の福島では250に上げられた。250という数字は死に直結するものです。労働者の声を聞こうと、私は福島に行った。でもJヴィレッジに隔離され、取材は禁止。取材したら罰則が待っている。なぜ、そこまで隠すのか。大変なことが起きているからでしょう。あと5年、10年したら、がんで死ぬ被曝労働者がどれだけ出ることか」
  闇に消される原発労働者は、いま現在も生み続けられている。それが現実なのだ。
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福島第一原発:報道をはるかに超える放射能 死を覚悟する自衛官2011-03-18 | 地震/原発
災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声/戦争ではないが、この国は間違いなく長期戦の最中にある2011-04-14 | 地震/原発
福島第一原発「被曝覚悟で闘う現場作業員たち」2011-04-08 | 地震/原発

「光市母子殺害事件」2012年1月23日口頭弁論

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光母子殺害:1月23日に弁論
 山口県光市で99年、母子が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死などの罪に問われ差し戻し控訴審で死刑を言い渡された当時18歳の元少年(30)の2回目の上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は、検察側と弁護側から意見を聞く弁論を来年1月23日に開くことを決めた。
 最高裁では、控訴審で死刑とされた被告について、判決前に弁論を開く慣行がある。
 差し戻し控訴審判決によると、元少年は99年4月14日、光市のアパートに住む本村洋さん(35)方に排水検査を装って上がり込み、妻の弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、抵抗されたため手で首を絞めて殺害。泣き続けた長女夕夏ちゃん(同11カ月)を床にたたきつけたうえ、首にひもを巻き付けて絞殺した。
 1審と差し戻し前の控訴審は「殺害に計画性はなく、更生可能性がないとは言えない」として無期懲役を言い渡したが、最高裁は06年「犯行時少年だったことは、死刑を回避すべき決定的な事情と言えない」と量刑不当を理由に審理を高裁に差し戻した。差し戻し後の控訴審は08年、死刑判決を言い渡し、弁護側が上告していた。【伊藤一郎】毎日新聞 2011年7月12日 21時30分
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光市母子殺害事件 
光市母子殺害事件

「陸山会事件」異議を棄却/検察側は主要な調書を欠いたまま20日の論告求刑に臨むことになった

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陸山会事件、調書却下の検察側異議を棄却
日本経済新聞2011/7/12 19:44
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、東京地裁(登石郁朗裁判長)は12日、衆院議員、石川知裕被告(38)ら元秘書3人の供述調書の大部分を不採用とした決定に対する検察側の異議申し立てについて、「理由がない」として棄却した。
 検察側は、小沢元代表の虚偽記入への関与を認めた石川議員らの調書など、主要な調書を欠いたまま20日の論告求刑に臨むことになった。
 同地裁は6月30日付の決定で、元秘書への東京地検特捜部の取り調べについて「威迫ともいうべき心理的圧迫や小沢氏の不起訴という利益誘導があった」と認定。検察側が証拠請求した38通の調書のうち、12通の任意性を否定した。 ◆「特捜部は恐ろしいところだ」ストーリー通りの供述を取らなければ、という強いプレッシャー〈陸山会事件〉2011-07-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 「特捜部は恐ろしいところだ」なぜ検事は取り調べでその言葉を発したのか? 
NCNニコニコニュース 2011年7月11日(月)16時39分配信

 小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、政治資金規正法違反罪で起訴された小沢氏の元私設秘書、石川知裕衆院議員は2011年7月10日、ニコニコ生放送の特別番組に出演し、東京地検による取り調べの際、担当検事が「特捜部は恐ろしいところだ」と発言したときの様子を語った。また、元検事の市川寛氏は、自らの体験を基に同発言が出た理由を推測した。
 陸山会事件とは、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、政治資金収支報告書に虚偽記入や不記載があったとして、石川議員を含む小沢氏の元秘書3人が政治資金規正法の罪に問われている事件。今年の2月に行われた初公判では3人とも無罪を主張。裁判の行方が注目される中、東京地裁は6月30日、検察側が証拠請求した石川議員ら元秘書3人の供述調書の一部について「威圧的な取り調べや利益誘導があった」などと任意性を否定し、証拠として採用しないことを決めた。裁判所の判断の根拠となったのは、担当検事が発したとされる「特捜部は恐ろしいところだ」という言葉だ。
 石川議員は取り調べ中に東京地検特捜部の田代政弘検事から「特捜部は恐ろしいところだ。何でもできるところだぞ。捜査の拡大がどんどん進んでいく」と言われたと主張。これに対し、田代検事は否定したが、東京地裁は石川議員の主張を認め、「威迫ともいうべき心理的圧迫があった」として供述調書の証拠採用を却下した。決め手となったのは石川議員が保釈後の再聴取のときに録音していた取り調べのやり取りの様子。そこでは、田代検事が同発言を認める様子が記録されていた。
 田代検事がこのような発言をした理由について、個人的に田代検事を知っているという元検事で弁護士の市川寛氏は
「彼(田代検事)自身は追い込まれて、石川さんから所定の供述を取らなければいけないというプレッシャーがあったので、そういう言葉を使わなければいけなかったのではなかったのか」
と、検察官当時に自分が置かれていた立場に重ね合わせて語り、上層部が描いたストーリーに沿った供述を取らなければいけないという強いプレッシャーが検察内部にあることを指摘した。市川氏は冤罪事件として知られる佐賀市農協事件に主任検事として関わった際、事情聴取した元組合長に対して「ぶち殺すぞ!この野郎!」と暴言を吐いたことが原因となり検事を辞職している。
 市川氏の発言に対し、石川議員も
「罵倒して脅すように『恐ろしいところだ。何でもできる』と言ったわけではなかった。田代さんが私に言ったのは『(検察は)こういう恐ろしいところだから、どうなるかわからない。(特捜部を)止められるかわからない』というセリフ。恐らくそういう組織の中で、結果を出さなければいけない。一人一人が追い詰められていくのはそういうところなんじゃないか」
と述べた。
(三好尚紀) *強調(太字)は来栖
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「カバンの脇にICレコーダーを入れていた」 石川知裕議員、検察取調べの「録音方法」を説明
ニコニコニュース2011年7月9日(土)23時00分配信

 小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記入)の疑いで起訴されている同会元事務担当の石川知裕衆議院議員は2011年7月8日、自由報道協会の主催する記者会見に出席し、東京地検の事情聴取をICレコーダーで録音したときの模様を語った。
 石川議員の調書は検察側によって裁判所に提出されたが、その一部は「任意性がない」として却下されている。その点について「録音データが影響したと考えてもいいのか」と記者に問われると、石川議員は「その通りです」と答えた。
 石川議員は、小沢氏の秘書をしていたとき政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたとして、政治資金規正法違反の疑いで逮捕・起訴された。刑事裁判は2011年2月に始まり、7月には検察側の論告求刑が予定されているが、その直前の6月、東京地裁は石川議員の供述調書15通のうち10通を証拠として採用しないことを決めた。
 そのうちの一つは、石川議員が保釈された後の2010年5月に再聴取されたときの供述調書だ。そこには、政治資金収支報告書の虚偽記入について小沢氏に報告し了承を得ていたなど、勾留中の取調べで石川議員が話したとされる内容がそのまま維持された形で記録されていた。
 ところが、石川議員はこの再聴取の模様を秘かにICレコーダーで録音。起訴された後に、裁判所に証拠として提出したが、その録音記録には、取調べを行った検事が東京地検特捜部の力を暗に示し、勾留時の調書と矛盾する主張をすれば再逮捕の可能性もあると示唆する様子が残されていた。結局、東京地裁は「威迫ともいうべき心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら巧妙に誘導」したものとして、検察側が提出した調書を却下した。
 石川議員は記者会見で、再聴取の模様を秘かに録音したことについて、元外交官の佐藤優氏の薦めで実行したと説明。録音したときの心境について、
「簡単なようで、心理的圧迫は大きい。取調べのとき、必ず検事に『録音していないよね?』と聞かれる。検事さんに『本当に録音していないよね?』と聞かれて、そのまま平気で録音できる神経というのはなかなか大変」
と語った。また、自分のカバンの脇のポケットを指さしながら、
「カバンの脇のところにICレコーダーを買って入れて行った。それに加えて、高度な集音マイクをつけて中に入れた。(録音は)認められている権利だが、もしガチャッと音がしてバレたら、と緊張した」
と説明した。
 また、記者から「供述調書の却下に録音データが影響したと考えてもいいのか」と質問されると、「その通りです」と回答。検察については、
「真面目な人が多く正義感に燃えている。しかし、検察としてなにか成果を挙げなきゃいけないという、組織の体制そのもの自体に問題がある」
と指摘し、検察組織の改革と取調べの可視化の必要性を主張した。
(中村真里江、亀松太郎)
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石川知裕:最後に特捜部にエールを送って、この事件を終わりにしたい「陸山会事件」2011-07-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
もはや小沢氏を法廷に縛りつける理由はないのに、検察官役の指定弁護士、前田元検事を証人申請2011-07-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「陸山会事件」東京地裁 検察のデッチ上げ調書を証拠採用せず/小沢強制起訴の根幹崩れる2011-07-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
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検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士) 
「誰が小沢一郎を殺すのか?」日本の人格破壊システム/政治資金規正法を皆さん勘違い2011-06-01 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 「誰が小沢一郎を殺すのか?」 日本の"人格破壊"システムとは
NCN 6月1日(水)17時42分配信  「誰が小沢一郎を殺すのか?」――この謎を紐解くと、日本の真の姿が見えてくる。ジャーナリストの上杉隆氏は2011年5月27日、ニコニコ生放送で『誰が小沢一郎を殺すのか? 画策者なき陰謀』(角川書店)を先日上梓したジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏とスカイプ中継でトークセッションを行った。ウォルフレン氏は、政治家・小沢一郎を取り巻く環境を、日本特有の「人格破壊」システムであると指摘し、問題提起した。
 ウォルフレン氏の最新刊『誰が小沢一郎を殺すのか?』は、民主党・小沢一郎氏の波乱に満ちた政治家人生を分析し、そこから浮かび上がる日本独特のシステムや日本人のネガティブな一面を浮き彫りにした本である。日本の政治を30年以上見つめ続けてきた外国人記者ならではの、客観的かつ冷静な視点が光る、珠玉の日本人論にもなっている。
 小沢一郎を"殺す"存在――それは官僚・マスコミ・検察に代表される「非公式権力」であるとウォルフレン氏は語る。小沢氏は1993年に自民党を飛び出し、新生党を結成。それが結果的に55年体制の崩壊につながった。改革派として一気に政治の表舞台に立った小沢氏に、"官"は徹底的な圧力をかけ、マスコミはネガティブキャンペーンを展開したと指摘する。ウォルフレン氏はこの「圧力」は日本特有のものであるとし、これを「人格破壊」という言葉で表現。この「人格破壊」によって、小沢氏は政治家としての命をじわじわとはぎ取られることになった。それがウォルフレン氏の言う、"殺す"ということだという。
 さらに上杉氏から「なぜ、非公式権力は小沢一郎の人格破壊を行ったのでしょうか?」と質問を受けたウォルフレン氏は、「第一にそれが日本の慣習であるから」と回答。「変化を望まず傑物を嫌う」日本のネガティブな慣習――。それは、「アメリカからの独立」を掲げ表舞台に登場した小沢氏を嫌ったアメリカによる外圧と合わせて、過去にないほど大掛かりな「人格破壊」につながったという。だからこそ、今回の著書では小沢氏を「象徴」として取り上げたのだ、と。
 上杉氏はまた「93年以前からウォルフレン氏は『人格破壊』をする日本のシステムの問題点を指摘しており、自らも学生時に著作に触れて影響を受けた」とウォルフレン氏の先見性を高く評価。非公式権力による「人格破壊」は小沢氏だけではなく、表舞台に登場し行動してきた、あらゆる"改革者"が通ってきた日本のシステムであるという解釈を示した。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]ウォルフレン氏登場部分から視聴 - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv49780531?ref=news#14:00
(村井克成)
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政治資金規正法を皆さん勘違い。小沢さんがいなくなることはプロの政治家がいなくなること=安田弁護士2011-01-08 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 7/19緊急シンポジウム!! ''ニッポン''は何を守ろうとしているのか!H.22-06-08 
 「唯一はっきりしている条文があるんです。政治資金規正法で処罰されるのは、会計責任者だけなんです。政治家は処罰されないんです。政治家は処罰の対象から外れているんです。始めから、そういう法律なんです。そもそも法律の目的というのは、会計責任者が責任を持って会計の結果について報告する、ということが義務付けられているんです。ところが皆さん、勘違いしている。小沢さんが秘書と一蓮托生で処罰されるべきだと。これほど法律違反、法律の主旨に反することは、ないんです。つまり、どこかで法律が歪められて、トリッキー歪められて、つまり、政治資金規正法は政治家取締法なんだというふうに完全に勘違いしている。この勘違い、実は検察審査会も、まったく同じ評決をしているわけですね。小沢さんは、これだけ権力を持っている人間が、小沢さんの指示なしに物事が行われるはずがない、と。しかし法律の枠組みは、およそそんなことは無いんです。もし小沢さんが有罪になるとすればですね、責任者との共犯なんです、あくまでも。単に、知っていたとか、報告受けていたとか、そんなことでは共犯になるはずありませんね。これは、税理士さんが「これで申告しますよ」と言って「ああ、はい、どうぞ」って言ったら共犯になるか、といえば、そんなことはないわけなんです。ですからもし小沢さんが共犯になるとすれば「おい、石川、こうやれ」という形ですね。「こうやらんと許さんぞ」と、指示・命令、絶対的に服従させたと、そういう場合に初めて共犯として存在する。それを皆さん、完全に誤解している。大変な誤解(笑)。それで、皆さん、恐らくテレビなどで論評していらっしゃる。
 次の問題です。政治資金規正法の中に、何を記載せよとか、どのような会計原則に則れとか、何一つ書いてないんです。ですからたとえば、ちょっとお金を借りましたとか、立て替えて貰いましたとか、或いは、今日帳簿に載せるよりは来年のほうに載せとこうか、というような話は、本当に虚偽記載になるのかどうか、或いはそれを載せなければならないのかどうか、それさえもあの法律の中には書いてないんですよ。つまり、虚偽を記載してはいかん、という話だけなんですよ。何が虚偽なのか、さえ書いていない。しかしそれを検察が勝手に解釈してですね、例えば今回の場合の、今年載せずに来年載せたということが犯罪だと、虚偽だと、やったわけです。或いはAという政治団体からお金貰った、それを実はこうだった、違う人だった、と言って、それは虚偽だというわけですね。しかしAという政治団体を通して貰ったんだから、それを記載するのは当たり前の話でして、それを虚偽といえるかどうか、それこそ大変大きな問題なわけです。ですから小沢さんの一昨年の問題、或いは今年の問題、いずれも法律の解釈を彼らがやって初めて有罪に出来るだけの話でして。ですから立法者の条文とは違うんですね。
 ですからこの間(かん)も法律が守られずにどんどんどんどんきている。今回典型的なことはですね、石川さんが逮捕されました。しかしその2日後、3日後ですかね、3日後には国会が開かれるわけです。国会が開かれた場合、国会議員を逮捕するためには国会の議員の議決の承諾がないといけないわけなんです。それを抜き打ち的に、先達する形で石川さんを逮捕する。これは立法権に対する侵害じゃないですか。つまり憲法違反の事を彼ら、やっているわけです。つまり憲法に違反している行為に対する批判がどこにもない。これは、私ももう、大変びっくりしたわけです。
 検察はしっかりと政治をやっている、というふうに私は理解しているんです。例えば今回、石川さんの弁護をやっていて3日目か4日目ですかね、あ、検察はこれを狙っているな、というのは大体、私も、石川さんが検察にどういうことを言われているかというのを聞いて分かるんです。
 つまり検察は小沢さんを逮捕することは恐らく不可能だろうと最初から思った。しかし検察審査会で勝負をかける、ということを彼らは考えている。彼らのやり方はこうだな、と。検察審査会で起訴相当を取ることによって小沢さんの政治生命を奪う、と。そのシナリオ通りに見事に小沢さんの政治生命はなくなってしまった。ま、これが今回のシナリオでですね。小沢さんを直接起訴すれば当然全面戦争になってしまうわけでして。むしろ国民を総動員して、或いは市民という名を、怒れる11人の市民を使って小沢さんの政治生命を奪うという戦術に彼ら、でてきた。
 で検察審査会も、トリック、ま、検察審査会には助言者といってですね、弁護士がその場に同席していろんな助言をするわけです。法律の解釈とかそういうものを。恐らくその助言者がとんでもない助言をしたんだろうと思うんです。どういうことかというと、政治資金規正法は政治家の犯罪、取締法なんだという解説をしたんだと思うんです。
 ですからとんでもない、検察でさえ起訴しなかったものを検察審査会が起訴相当という結論をだしたんだろうと、そしてそのことを検察は最初から予想、予定していたんだろうと、そう思うわけです。
 先に、情緒的な風潮の中で有罪無罪が決まっていくと、そういう話がありましたけど、私は思うんですね。弁護士は弁護士として、政治家は政治家として、メディアの人間はメディアの人間として、それぞれの人間がプロ的な精神を持ってそれぞれの職責を全面的に発揮すれば、おそらくこんな体たらくな状態にはならんだろうと思うんです。法廷でも、捜査段階から弁護士が弁護人として責任をしっかりと果たせば、恐らく情緒的な社会の動きに対してたえることが出来る、或いは十分に弁護して勝つことが出来るだろうと思うんですね。
 プロ性がどんどん抜けていく、今回の政権交代でも、ま、アマチュアの集団というか、益々プロがなくなる。小沢さんがいなくなることは、プロがいなくなる、そういうことだろうな、と。崩壊の社会が来たな、と。プロが居なくなるということは、結局情緒的なものに流されるし、或いは、世間の風潮に流される、とこういう時代に益々突入したな、と思っているんです。
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前原誠司外相辞任と『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉2011-03-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
〈来栖の独白2011-03-07
 前原誠司氏辞任劇に接し、またもやありふれた光景が繰り返されていると慨嘆する。「検察当局の横暴が政治を翻弄する」という、これまで幾度も目に映った光景だ。
 当局は、「政治家」が嫌いである。当局にとって、菅政権も前原氏もアメリカ追従であり、おとなしいポチには違いないが、自民党に比べれば遙かに安定感を欠く。官僚の下位に位置する法律(政治資金規正法)を使って、一気に民主党を政権の座から追い落とそうとした。
 小沢一郎氏に比べれば、前原氏など、脆いものだ。
 検察とマスコミの口車にのって思いっきり小沢氏排除を進めてきたやり方が、いま、菅政権の首を絞める。
 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?』から、見てみたい。
p47〜
 歴史が示すように、日本では政党政治は発展しなかった。しかも1世紀以上を経たいまなお、それはこの国にとって大きな問題であり続けている。だからこそ民主党は与党となっても悪戦苦闘を続けているのだ。政党政治が発展しなかったからこそ、軍事官僚が、当時の日本の10倍にも達する産業基盤を有する国アメリカを相手に戦争をはじめても、それに対して日本はなんら対処することができなかったのだ。
p48〜
 小沢氏をはじめとする改革派政治家たちはみな、彼らにこそ国家を運営する権利があり、義務があると信じている。官僚が国に滅私奉公する善なる存在であるなどと、彼らはもちろん考えてはいない。我々が一歩退いてみるとき、小沢氏のような政治家をつぶそうとするメカニズムは、近代国家の道を歩みはじめたばかりの当時の日本で、すでに機能していたことがわかる。つまり日本の近代化が推し進められるのとときを同じくして、政治家に対する陰謀も進行していったということだ。そして小沢氏こそ、この百数十年もの長きにわたり、連綿と続けられてきた陰謀の犠牲者にほかならないのである。
p50〜
 そして体制の現状維持を危うくする存在であると睨んだ人物に対して、その政治生命を抹殺しようと、日本の検察と大新聞が徒党を組んで展開するキャンペーンもまた、画策者なき陰謀にほかならない。検察や編集者たちがそれにかかわるのは、日本の秩序を維持することこそみずからの使命だと固く信じているからである。そして政治秩序の維持とは旧来の方式を守ることにほかならない。そんな彼らにとって、従来のやり方、慣習を変えようとすることはなんであれ許しがたい行為なのである。この種の画策者なき陰謀で効果を発揮するツールこそがスキャンダルである。そして検察や編集者たちは、そのような人物があらわれたと見るや、まるで自動装置が作動しているのではないかと思えるほどに、予想に少しも違(たが)わない反応を見せる。
p60〜
 欧米諸国を参考とした大日本帝国憲法もほかの法律も、専制的な権力から国民を守ることを想定したものではなかった。つまり日本の当局は欧米の法律を参考にしはしても、その「精神」を真似ることはなかったというわけだ。そして今日、もちろん不当なあつかいから国民を守るべきだという理念はあり、それが過去数十年で強められてきてはいても、現実には、それはいまなおきわめて曖昧模糊とした感情の領域に押しとどめられている。そのため大抵の日本人はいまだに、法律というのは単に政府が人々の行動を抑制するための手段なのだ、と見なしている。これに関して忘れてはならない事実がある。東京大学法学部というのは、日本の政治システムの最上部を占める高官を輩出することで知られているわけだが、その教授陣はいまだに法律を官僚が統治に利用する手段にすぎないととらえている。そして彼らはそうした視点に立って、学生に教え続けているのである。要するに、時代が変わったとはいえ、法律は権力エリートが用いるツールであるとする見方は、日本では以前とまったく変わっていないということなのだ。
 また日本の官僚たちの間では、自分の目的を達成するために、法律のなかから適切なものを選び出すという習慣が長いこと続いてきた。そして自分たちの計画が法律の文言に抵触しかねない場合は、実に巧に新しい解釈を考え出す。このように日本では、法律というのは当局にとって、あくまでも秩序を維持するためのツールでしかない。そのため、国民みずからが与えられているはずの権利を政治システムの上層部に対して主張する目的で、法律を利用するよう奨励されているなどということは決してないのである。
p64〜
 1960年代と70年代に日本の政治、そして権力構造について研究していた時期、私はそのようなやり方が繰り返し行われていることに気づいた。だからこそ日本の政治・経済について初めて執筆した著書〔『日本/権力構造の謎』〕のなかで、「法を支配下におく」という1章を設けたのだ。
 私はそのなかで、権力者の独り歩きを可能にするような方法で、日本では法律は支配するのではなく、支配されているのであって、この国の権力システムにおいて、法律は政治に関して許容すべきこととそうでないことを決定づける基準にはなっていない、と説いた。すなわち独り歩きをする日本の権力システムに対して、異議を唱え、改革を加えようとする者を阻止するような仕組みがある、ということだ。本書のテーマに当てはめて解説するならば、小沢氏のような野心的な政治家、あるいは彼のように改革を志す政治家が将来何人あらわれようと、現体制はあくまでそれを拒むというわけだ。
 いま、小沢氏の政治生命を抹殺しようと盛んにキャンペーンが繰り広げられているのも、これによって説明がつく。
p65〜
 99・9%という「無謬」
 中立的な権威としての法律を日本の政治システムから遠ざけておくやり方はそのほかにもいくつかある。法律が非公式な政治システムに対して、なんら影響をおよぼすことが許されないとしたら、ではなにがシステムをつかさどっているのか?。それは暗黙の了解事項、つまり不文律であり、記憶のなかで受け継がれる古い習慣だ。裁判官もまた体制に大きく依存している。最高裁事務総局に気に入られるような判決を下さなければ、地方に左遷されかねないことを、彼らは考えないわけにはいかない。戦前、戦後を通じて日本の裁判官たちは、法務省のトップクラスの検察官を恐れてきた。これが99・9%という人間の検察の有罪判決率を可能にした理由の一つである。
 つまり、みずから裁判にかけたケースで99・9%の勝利をおさめるに日本の検察は、事実上、裁判官の役割を果たしているということになる。つまり、日本ではわずか0・1%、あるいはそれ以下に相当するケースを除いては、法廷に裁判官がいようといまいと、その結果に大した違いはないということだ。
p68〜
 しかし日本に関してもうひとつ気づいたことがある。それは社会秩序を傷つけかねないどんなものをも未然に防ぐという検察の任務が、政治システムにおいても重視されているという事実だ。当然、そのためにはシステムの現状を維持することが必要となる。問題は、現状をわずかでも変える可能性があると見れば、どんな人間であっても既存の体制に対する脅威と見なしてしまうことである。そのような姿勢は当然のことながら、小沢氏のみならず、日本という国家そのものにとっても望ましいものではない。なぜならば多くの日本人は長い間、権力システムの改革が必要だと考えてきたからだ。後述するが、自民党と日本の秩序をつかさどる人々との間には、一種、暗黙の了解のようなものがあり、それが50年にわたって保たれてきたのだろう。そして自民党が政権の座を追われたいま、単に自民党とは行動の仕方が違うという理由で、体制側は民主党を、小沢氏という個人とともに、脅威を与える存在と見ているのだ。
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未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸/小沢一郎の日本再造計画2011-05-05 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
【カレル・ヴァン・ウォルフレン(ジャーナリスト)インタビュー】
ゲンダイネット2011年5月2日
菅政権は東電と保安院に動かされている
「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)――オランダ人のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書が話題だ。小沢一郎という異能の政治家を検察、メディアに代表される旧勢力がよってたかって潰そうとした事実が詳細に明らかにされている。小沢氏は民主党の党員資格を剥奪されて、表舞台から去った途端に大震災が起きた。右往左往の菅政権を冷徹なジャーナリストはどう見ているのか。
 小沢一郎氏はいま日本の超法規的な権力といえる官僚や検察、また大手メディアから政界を追われる身にあります。日本は民主国家であるはずですが、非公式な権力によって小沢氏の政治力は奪われ、おとしめられようとしています。
 彼は何度か首相の座に就くチャンスがありましたが、非公式権力が団結してそれを阻んできたのです。個人的には、小沢氏には政界の中枢で動いてほしい。多くの国民は彼の時代は終わったと思っているでしょうが、今こそ日本は彼のような強いリーダーシップを持った政治家が必要なのです。
 それは東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた被災地と原発事故の対応で、菅政権が行政コントロールを失ったかのような印象を内外に与えたことでも明らかです。もし小沢氏が首相であれば、統括的な政治力を発揮していたことでしょう。
 というのも、福島の原発事故で東京電力と原子力安全・保安院は政治家との関係構築がうまくゆかず、むしろ首相官邸が彼らに動かされてしまった。これこそが、小沢氏がもっともあってはならないと考えていたことだからです。政治主導といいながら、政治家が既成の権力にひれ伏した証拠なのです。小沢氏であれば、こうした状況でこそ既成権力のいいなりにならなかったと思います。
 今回の震災では、日本人の忍耐強さが世界中の人たちから驚嘆されました。オランダのテレビ局は「なぜ日本人は盗みをしないのだ」と聞いてきました。日本人は良識の民です。
 菅政権の全体的な震災対応は及第点をつけられるかもしれません。ただそれは、1995年の阪神・淡路大震災時の自社さ政権の対応と比較してという条件においてです。
 率直に言えば、日本政府の対応は全体を統括する行政力が不足しています。官邸と関係省庁との連携が円滑でないばかりか、地方自治体への情報伝達や物資の輸送など必須の危機管理体制が整備されていなかった。
 私が力説したいのはここです。どの国家もこの地震ほど大規模な災害を被ることはそうはありません。ただ首相が強いリーダーシップを発揮して、政治力を十分に機能させれば、地方自治体やさまざまな団体、組織を統制でき、今よりも効果的な結果が出せたはずです。
 今後、日本が抱える課題は、被災地をどう復興させるかです。
 東北地方の再開発は原子力ではなくソーラーを基礎に、全産業を取り込んだ計画を策定すれば、ソーラー技術のさらなる発達が期待できます。ただ、日本はいまだにアメリカの準植民地という立場にいます。独自の外交政策を策定し、実践してはじめて独立した民主国家になれる。それを実現しようとしているのが小沢氏なのですが、国民だけでなく権力機構からの反発がある。それが残念なことです。(インタビュアー・堀田佳男)

検察改革 捜査・公判を根本から問え/陸山会事件〜検察側供述調書、地裁が証拠不採用

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検察改革 地道な捜査積み上げて
中日新聞 社説 2011年7月13日
 最高検は検察改革で、弁護士らを参与として新設の監察部門に入れると発表した。特捜部の軸足が独自捜査から脱税などの経済事件にも移る。検事は地道な捜査を積み上げるしか再生の道はない。
 特捜検察は捜査権限と起訴権限の二つを持つ。その強大な権限ゆえに、いったん暴走し始めれば、歯止めが利かない。厚生労働省の元局長を被告人にでっち上げた大阪地検の郵便不正事件では、検事による証拠改ざんの事実が、それを雄弁に物語る。
 今月上旬に最高検が発表した検察改革は、こうした不祥事の再発防止のためだ。
 特捜部の独自捜査部門を縮小することなどが柱だが、最高検内に監察指導部が新設されることも注目される。検事らのほかに元判事と弁護士が「参与」として加わる。取り調べで供述を強要していないか、証拠隠しや改ざんがないかを点検し、問題があれば指導する。内部通報も受け付ける。
 被疑者の弁護士から不当な取り調べなどの情報提供があれば、調査するともいう。そうした監察部門に参与という「外部の目」が入る意義は小さくない。
 閉鎖的な検察の体質に風穴をあける可能性を秘めるが、民間人の参与に果たしてどれだけの情報が与えられるかは未知数だ。秘密主義を貫けば、“お飾り”にすぎなくなり、改革は意味をなさない。「外部の目」は検察官と対等な立場で、不正情報にアクセスできることが不可欠といえよう。
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる元秘書らの公判では、東京地裁が供述調書の多くを証拠採用しなかった。取り調べの段階で「検事による威圧、誘導があった」と裁判官が判断したためだ。
 特捜部の暴走を食い止めるのは、裁判官の役目でもある。これまで検察官の調書は信頼性が高いと思い込んでいた裁判官は、認識を改めた方がよい。
 特捜部の独自捜査部門は縮小される一方、国税局や証券取引等監視委員会などからの告発を処理する財政・経済部門が強化される。こうした告発案件を着実にこなすことがまず必要だ。金融などに詳しい外部有識者の委員会も設けられる。専門的な捜査を担う基礎体力も養う必要がある。
 特捜部で独自事件を手掛けることは出世への階段でもあった。それが背伸びをした捜査に走らせる傾向を招いたのだとすれば、人事評価にも新基準がいる。 *強調(太字)は来栖
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捜査・公判を根本から問え
日本経済新聞 社説 2011/7/12付
 捜査から起訴、公判へと至る刑事司法はどうあるべきか。裁判員裁判の導入などで日本の司法が生まれ変わる中、手つかずで残されていたのがこのテーマだった。
 法相の諮問機関、法制審議会で刑事司法の見直しに向けた議論が始まった。来年中をメドに方向性を示す。抜本的な改革を期待したい。
 そもそも日本の捜査・公判は容疑者・被告の自供を前提にしている。同じ殺人でも犯意や認識で量刑が分かれ、収賄罪が成立するには賄賂と思っていたかどうかの解明が必要だ。このため取り調べの比重が大きく、自白するまで保釈されない「人質司法」もまかり通ってきた。
 こうした自白偏重の捜査が強引な取り調べや客観証拠を軽視する体質を生み、冤罪(えんざい)にもつながった。法制審での議論のきっかけとなった大阪地検特捜部の捜査資料改ざん・隠蔽事件は、まさにこうした体質を背景にして起きたものだ。
 裁判官が検察の調書を過度に信用し、99%の有罪率を維持してきた刑事裁判は大きく変わりつつある。市民である裁判員が求めるのは、捜査段階の調書より公判廷での本人の証言であり、客観的な証拠である。
 新時代の捜査や立証には、取り調べを録音・録画する可視化が不可欠だ。すべての事件を対象にすべきか検討を要するが、密室での強引な取り調べを排除し、調書頼みから脱却するために制度化が必要だろう。
 一方で供述に頼らない立証を目指すには、罪を認めれば刑を軽くする司法取引や幅広い通信傍受、おとり捜査など欧米が持つ捜査手法の導入が検討課題になる。法廷重視の実現には偽証罪の重罰化も考えられる。
 このような手法は日本になじまないとの指摘もある。だが、企業が自らのカルテルを公正取引委員会に通報し、その順番や状況に応じて課徴金が減免される制度は定着し、成果を上げている。刑事事件と同列には論じられないが、参考になる。
 もちろん法律や制度の見直しだけで状況は変わらない。最高検は独自捜査を縮小し、監察部門を新設する組織改革を発表した。検察・警察はおごりや特権意識を捨て、捜査の在り方を再構築するつもりで治安の維持と信頼の回復に努めるべきだ。
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「陸山会事件」異議を棄却/検察側は主要な調書を欠いたまま20日の論告求刑に臨むことになった2011-07-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 陸山会事件、調書却下の検察側異議を棄却
日本経済新聞2011/7/12 19:44
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、東京地裁(登石郁朗裁判長)は12日、衆院議員、石川知裕被告(38)ら元秘書3人の供述調書の大部分を不採用とした決定に対する検察側の異議申し立てについて、「理由がない」として棄却した。
 検察側は、小沢元代表の虚偽記入への関与を認めた石川議員らの調書など、主要な調書を欠いたまま20日の論告求刑に臨むことになった。
 同地裁は6月30日付の決定で、元秘書への東京地検特捜部の取り調べについて「威迫ともいうべき心理的圧迫や小沢氏の不起訴という利益誘導があった」と認定。検察側が証拠請求した38通の調書のうち、12通の任意性を否定した。


「小沢事件」全内幕/裁判所も認めた世紀の謀略/「調書」大量却下

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【裁判所も認めた!世紀の謀略「小沢事件」全内幕】「調書」大量却下で小沢元秘書3人の量刑はどうなるのか
日刊ゲンダイ2011年7月12日
●大久保、池田「無罪」、石川「罰金刑」なら猛烈な検察批判が起きるゾ
  東京地裁が供述調書を大量却下した「決定書」は、元秘書3人の量刑にどう影響するのか。小沢元代表本人の無罪が確実視される中、元秘書たちの無罪もあるのか。
 「大久保隆規元秘書の無罪は確実」と言うのは、元東京地検特捜部検事で名城大教授の郷原信郎氏だ。大久保氏は陸山会の会計責任者だったが、報告書の作成は当時の秘書だった石川知裕議員と、その後任の池田光智元秘書に任せ切りだった。
 「地裁は今回の決定書で、石川氏と池田氏が大久保氏に報告書の虚偽記載を『報告、了承された』と認めた調書を全て却下しました。検察側は大久保氏を聴取した改ざん検事の前田恒彦受刑者の調書の証拠申請をすでに見送っています。他の秘書と虚偽記載を共謀したとして、有罪に問える材料がもはやひとつもないのです」(郷原氏)
  検察に詳しいジャーナリストの魚住昭氏も、決定書を熟読した上で「大久保氏の無罪は間違いない」と言い切った。
  現職議員である石川氏はどうか。「唯一の不安材料は、04年分の報告書で問題となった『10月29日、金4億円、小澤一郎』という借入金の記載についての認識です」と魚住氏がこう言う。
 「決定書で石川議員の逮捕後の調書はほとんど却下されましたが、逮捕前の任意調書は証拠採用されています。検察は問題の記載を『りそな銀行から小澤一郎名義で借りた金。小沢本人からの借入金は記載していない』として起訴。石川議員は公判で『文字通り小沢本人からの借り入れ』とし、『不記載にはあたらない』と主張しました。しかし、採用調書で石川議員は『小沢本人からの借り入れを記載』と主張せず、『当時は忙しかったので書き忘れた』との記載が出てくる。この調書をもって、裁判所が不記載を認定するかは微妙なところです」
  とはいえ、検察側に有利な材料はこの一点のみ。「水谷建設からの裏金を隠すため、秘書3人が共謀して収支報告書をごまかした」というストーリーは完全に骨抜きとなり、残ったのは石川議員の記載ミスだけ。池田氏にいたっては、逮捕した理由すら見当たらない。
  郷原氏は「仮に記載ミスで石川議員が有罪になっても罰金刑が関の山」と語り、魚住氏は「罰金刑でも、公民権停止の付かない軽い処分の可能性もある」と言う。
  今月20日の論告求刑。検察側がどうするのか見ものだ。 *強調(太字)は来栖
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検察改革 捜査・公判を根本から問え/陸山会事件〜検察側供述調書、地裁が証拠不採用2011-07-13 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
  小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる元秘書らの公判/取り調べの段階で「検事による威圧、誘導があった」と裁判官が判断

官僚・古賀茂明氏の出処進退にみる 公務員制度の摩訶不思議

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いま注目の官僚・古賀茂明氏の出処進退にみる 公務員制度の摩訶不思議
Diamond online 2011年7月14日 高橋洋一[嘉悦大学教授]
 テレビなどに登場し話題になっている経産省の現役官僚の古賀茂明さん。私の旧知の人だ。経産事務次官から「肩たたき」(勧奨退職)を受けている。辞めろといわれたのだが、その期限は7月15日だ。
 公務員を簡単に辞めさせることができるのかどうか。実はこの点に、古賀さんがやってきた公務員制度改革のポイントがある。

霞ヶ関の役人にはみんな出身省の背番号がある
 古賀さんと私のつながりは、かなり前の公務員改革にさかのぼる。公務員改革の必要性は叫ばれていたものの、歴代内閣は当面の仕事を優先して、なかなか手をつけなかった。公務員改革に本格的に着手したのは安倍政権だ。私は郵政民営化・政策金融改革そのほかを小泉政権で担当していたが、安倍晋三元総理からの要請で安倍政権に残った。
 実は、私は小泉政権での政治任用(竹中平蔵総務大臣補佐官)だったので、小泉政権の終わりとともに退職する予定だった。簡単に政治任用と書いたが、制度としては曖昧なので若干説明を要する。
 霞ヶ関の役人にはみんな出身省の背番号があり、例えば官邸に出向しても、みんな各省の背番号を背負っている。その好例が、部内の座席表だ。座席の氏名の上に、○○省△△年と出身省と入省年次が記載されている。官邸での任務が終わると、それぞれ出身省に戻される。これが普通の任用だ。
 しかし、政治任用では、事実上、霞ヶ関の背番号をとって、出身省に戻らない。だから、その政権が終われば退職するのだ。もっとも、今の制度では政治任用も普通の任用も明確な違いはなく、そこは本人の自覚次第である。
 小泉政権の時に、政策金融改革で各省事務次官の天下り先であった各省の政策金融機関を1本化したために、出身省の財務省はカンカンに怒っていた。私も政治任用という自覚があったので、天下りあっせんを受けたい気持ちもなく、自分で探した某大学のポストに内定していた。そこに安倍さんからの要請があったので、そのまま安倍政権に残ったわけだ。
 安倍政権で、公務員改革のプランづくりを行った。第1弾は国家公務員法の改正で、天下りあっせんを禁止した。第1弾は安倍政権の2007年6月に成立した。第2段は公務員改革基本法で、内閣人事庁構想などその後の公務員制度改革の基本となるプランが盛り込まれていた。第2弾の法律は福田政権の時に成立した。そのプランの実行部隊が国家公務員制度改革推進本部で、08年7月からスタートした。
 私は安倍政権でも政治任用という自覚で内閣参事官(総理大臣補佐官補)だったので、安倍総理退陣の後08年3月に退職した。

「裏下り」は「天下り」でないとお墨付きを与えた民主党政権
 公務員制度改革を強力に推進するためには、事務局に有能で志のある官僚が必要ということで、当時の渡辺喜美行革担当大臣が強く推して、古賀さんが国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に内定した。しかし、渡辺大臣は08年8月の内閣改造で退任。麻生政権になると、公務員改革の動きはぱたっと止まった。公務員改革基本法の実質的な起案者で、渡辺大臣補佐官であった原英史氏も09年7月に退職した。
 ここで、古賀さんも辞めるという手もあった。しかし、みんなが辞めていったので、古賀さんは、自分が辞めたら誰も公務員改革を行う人がいなくなってしまうとして、持ち前の責任感から職にとどまった。
 もっとも民主党内では逆に公務員改革の動きが活発化していったため、古賀さんも私も民主党に大いに期待していた。
 09年9月民主党に政権交代すると、今度は民主党が急に公務員改革推進から逆行しはじめる。おそらく、政権で初めての仕事は予算編成だ。しかも選挙の関係で、予算編成は待ったなしだった。ここで、脱官僚なんてことをいったら、財務省にそっぽを向かれて大変になると思ったのか、財務省らの霞ヶ関サイドが脱官僚なら協力できないと迫ったのかはわからない。ただ、事実としては、脱官僚は大幅に後退した。
 古賀さんは当初、民主党政権を必死に支えていたが、09年12月に国家公務員制度改革推進本部事務局審議官を解任され、経産省官房付になった。官房付というのは、地方などへの人事異動の前に籍を置く一時的な待機ポストであり、1年半以上も留め置かれることはない。これは明らかな懲罰人事だ。
 それ以降、特に、10年6月に民主党政権が、官僚の現役出向の枠を拡大して、それまで「裏下り」とかいわれていたものを、正式な制度として「天下り」ではないと位置づけたことは酷かった。古賀さんは、雑誌などで政府の公務員制度改革案を批判するようになった。

先進国では各省事務次官は政治任用と生え抜きが半々
 理想としていた公務員制度改革の一つのポイントして、政治任用の制度化があった。これは、公務員改革基本法における官邸の国家戦略スタッフ、各省の政務スタッフがそれに相当する。もちろん国家戦略スタッフや政務スタッフの全ては政治任用でなくてもいいが、仕事にきっちり責任を持つためには、一部は政治任用のほうがいい。また、国家戦略スタッフや政務スタッフでは、外部登用を増やして開放度を高める狙いもあった。
 世界の動向を見ると、それぞれの国の事情に応じて公務員の中立性との関係に配慮しながら、政治的即応性を重視して政治任用の重要性は高まっている。要するに、中立性と政治的な即応性のバランスをとっている。そうした状況に対応するため、中立性の高い公務員だけでなく、政治任用公務員を増やし、開放的で競争的な上級幹部公務員制度が作られている。
 ちなみに、先進国では各省事務次官は政治任用と生え抜きが半々くらいという国が多く、日本のように全ては生え抜きという国はない。
 こうした政治任用ポストは権限も大きければ責任も大きい。すぐクビにできるのだ。
 しかし、日本では省庁幹部は、中立性の公務員だけで、いざクビにしようとすると、単なる労働者だといいはり、解雇はできないと主張する。中立性の公務員だけの今の制度では、この奇妙な主張も間違いとはいえない。
 もちろん古賀さんは、こうした公務員制度がおかしいと主張しており、クビにしてもいいと言っている。しかし、役所のほうが辞めさせられないのだ。古賀さんを辞めさせたら、今度は自分たちもクビになるかも知れないと尻込みしているのは、なんとも滑稽な姿である。
 経産省幹部に耳寄りな話を教えよう。もし古賀さんを辞めさせたければ、政治任用や上級公務員など、いつでもクビにできる公務員制度を作ればいい。そうすれば、古賀さんを辞めさせられる。古賀さんも自分が捨て石になるのだから本望だろう。
 しかし、それはできない相談だろう。公務員制度改革は官僚が嫌う。増税を主張する政治家は「困難な決定から逃げていない」と言うがこれはウソだろう。官僚と闘い、公務員制度改革、民営化や政府の資産売却を実行するほうが真に強い政治家である。増税派の政治家は、弱い国民を相手にして強い官僚(財務省)から逃げているだけだ。
 公務員制度の問題点については、近著『これから日本経済の大問題がすっきり解ける本』も参照されたい。
※なお、DOLでは近日中に、古賀茂明氏と高橋洋一氏の対談を掲載する予定です。ご期待ください(DOL編集部)。
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原発問題の裏にある経産省・東電「天下り・利権の構図」/退職勧奨を受けた古賀茂明キャリア官僚2011-07-12 | 地震/原発

レームダック化した首相「信頼も信用もされない総理は何をやったって存在それ自体が政治空白だ」

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脱・原発依存 政権延命狙いでは困る
中日新聞【社説】2011年7月14日Thu.
 菅直人首相が記者会見で、原子力発電に依存しない社会を目指す考えを表明した。その方向性は支持するが、どう実現するのか具体性に欠ける。政権延命を狙って大風呂敷を広げただけでは困る。
 首相は会見で「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を目指す」と述べた。
 また中部電力浜岡原発の停止要請や原発へのストレステスト(耐性評価)導入指示は「国民の安全と安心、(脱・原発依存という)原子力についての基本的な考え方に基づいて行った」とも語った。
 東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の事故は、われわれに原発は制御できない可能性を秘めていることを気付かせた。安全神話が虚構にすぎないことも。
 だからこそ、総発電量に占める原子力の割合を段階的に下げ、原発のない社会を目指すという、首相が示した方向性には同意する。
 まずは原子力を「過渡的エネルギー」と位置付けることから始めたい。代替エネルギーと省エネルギー技術の開発に日本が持つ英知を注ぎ込めば、技術革新に弾みがつく。新たなビジネスチャンスも生まれるだろう。
 ただ問題は、首相が「原発ゼロ社会」に至る具体的な手段や時期を示す工程表を用意していないばかりか、震災対応に一定のめどがついた後の退陣に言及した首相にはすでに、政府を動かす政策実現力が残されていないことだ。
 いくら素晴らしい政策を並べ立てたところで実現できなければ意味がない。これでは政権延命のために、国民の人気取りに走っているだけとの誹(そし)りは免れない。
 首相は会見で「私はこの問題で解散するとかしないとか一切考えていない」と、「脱・原発」解散に踏み切る考えのないことを強調したが、それでも解散に踏み切るのでは、との観測は消えていない。
 脱・原発依存のように日本社会の在り方を大きく左右するエネルギー政策転換の是非は、国民の意思を問うのが望ましいが、レームダック(死に体)化した首相がそれをやるのは無理がある。
 首相が今なすべきことは、自らの失政で失った政治への信頼を、潔く身を引くことで一日も早く回復し、大震災からの復興を本格的な軌道に乗せることだ。
 そもそも「信頼も信用もされない総理は何をやったって存在それ自体が政治空白だ」と言い放ったのは野党時代の首相自身である。 *強調(太字)は来栖

トヨタ3社経営統合へ/関東自(横須賀市)・セントラル自(宮城 大衡村)・トヨタ自 東北(宮城 大和町)

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復興ものづくり トヨタ3社経営統合へ 地元取引の拡大期待
 東北に拠点を置くトヨタ自動車グループ3社が経営統合に向け協議を始めることが13日、明らかになった。東日本大震災で東北の製造業が大きなダメージを受けてから4カ月。東北の経済団体や自治体の関係者は「ものづくり産業の復興にも弾みがつく。地元企業との取引拡大も見込める」と期待を寄せた。
 みやぎ工業会の川田正興会長は「多くの製造業が海外へのシフトを進める中、トヨタは国内拠点を強化していく決意を示した」と受け止めた。その上で「東北復興のシンボリックな出来事。裾野が幅広い自動車産業を地元企業も支えていかなくてはならない」と意気込む。
 東北経済連合会の高橋宏明会長は「効率性、合理性と地域のことを考えたトヨタならではのやり方だと思う。東経連もこれまで開催してきた自動車産業の勉強会の成果を活用したい」と自動車関連産業の発展に向け、さらに活動を強化する考えを示した。
 宮城県商工会議所連合会の鎌田宏会長は「宮城の自動車産業発展につながる明るいニュース。効率化を考えての統合だと思う」と話した。
 トヨタグループの自動車部品最大手デンソーの子会社、デンソー東日本(田村市)が10月から操業を始める福島県。斎須秀行商工労働部長は「トヨタが東北を国内拠点として重視していることは大変心強い。県内企業とのさらなる取引拡大も期待できる」と評価した。
 自動車関連部品を生産する企業が多数立地する山形県の広瀬渉商工観光部長は「県も、県内自動車産業とトヨタグループとの連携強化を一層後押ししていきたい」と強調。同県商議所連合会の清野伸昭会長は「山形県の企業の技術レベルは高い。岩手、宮城の企業に負けずに取引できるよう飛び込んでいくべきだ」と指摘した。
◎岩手「平泉」に続く朗報
 関東自動車工業岩手工場(岩手県金ケ崎町)を中心に、東北の自動車関連産業をけん引してきた岩手県内の関係者は13日、関自工を含むグループ3社の経営統合協議を「東北の拠点化が一層進む動き」と歓迎した。
 県商工会議所連合会の元持勝利会長は「東北全体にとってプラス。雇用への好影響も見込まれる。『平泉の文化遺産』の世界遺産登録に続き、岩手の名を世界にとどろかせる契機になってほしい」と喜んだ。
 県工業クラブの長岡秀征会長は「東北に対するトヨタの思い入れの表れ」と期待を寄せる一方、「関自工岩手は地元密着で事業を進め、われわれも協力してきた。トヨタの完全子会社になっても地元の意見を反映してほしい」と注文を付けた。
 トヨタが東北をコンパクトカーの国内拠点としてあらためて位置付けたことについて、いわて産業振興センターの黒沢芳明事務局長は「こんなチャンスはそうはない。地元もこれに応えないといけない」と気を引き締めた。
 関自工岩手が立地する金ケ崎町の高橋由一町長は「岩手工場でハイブリッド車の量産が見込まれており、今回の経営統合はビッグな発表。経済活性化と震災復興につながるよう期待したい」とのコメントを出した。
河北新報 2011年07月14日木曜日
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トヨタ3社統合へ 東北の拠点化加速 12年7月新会社
 トヨタ自動車は13日、岩手県金ケ崎町に岩手工場を持つ関東自動車工業(神奈川県横須賀市)とセントラル自動車(宮城県大衡村)、部品メーカーのトヨタ自動車東北(同県大和町)の3子会社が2012年7月の経営統合に向け協議を開始することを柱とした生産体制の見直しを発表した。トヨタは東北を中部、九州に次ぐ国内第3の生産拠点と位置付けており、経営統合で東北の拠点化を加速させる方針だ。(3.8.16面に関連記事)
 関自工については12年1月、いったん完全子会社化する計画。経営統合後の本社所在地は未定だが、宮城県内を軸に調整が進むとみられる。
 名古屋市で記者会見したトヨタの豊田章男社長は「車両生産の企画、開発、生産を一貫して担当してもらうことで経営判断の迅速化につなげ、国際競争力の向上を図りたい」などと述べた。
 東北の拠点化を明確に打ち出した10年5月ごろから、統合の検討を始めたことも説明。その上で東日本大震災に触れ「現地の部品供給会社は、期待を上回る回復ぶりを見せた。この現場力をベースに、未来に向けてチャレンジすることが国内のものづくりを守ることにつながる」と強調した。
 国内の生産台数については下限の目安としてきた年間300万台が「ぎりぎりの線だ」と語り、円高の逆風にあっても現行の国内生産体制を維持する方針をあらためて表明した。統合を目指す3社は現行の正社員雇用を維持する考えも示した。
 会見に同席した関自工の服部哲夫社長は「活躍の領域が広がる」と経営統合に向けた協議入りを歓迎。セントラルの葛原徹社長は「今後は現地調達率の向上も課題になるだろう」とした。トヨタ東北の杉山正美社長は「世界で戦える拠点づくりを目指す」と意欲を見せた。
 トヨタは併せて、ミニバンや商用車を造るトヨタ車体(愛知県刈谷市)も12年1月に完全子会社化することも発表した。
◎域内完結集積後押し
 【解説】東北に拠点を持つトヨタ自動車系3社の統合によって、東北を「国内第3の生産拠点」にするという同社の戦略がより鮮明になった。統合によるメリットでもある開発から量産までの地域完結は、地元企業にとっても参入の間口が広がることにつながる。来年夏に見込まれる新会社の誕生は、東北の産業集積を後押しする可能性を秘めている。
 関東自動車工業岩手工場は開発機能の強化に努めており、セントラル自動車はコンパクトカーに特化した生産ラインを特徴とする。東北の二つの完成車工場の統合は両社の強みを生かし、より小型車生産の専門性を高める狙いがある。
 一方、ユニット部品を手掛けてきたトヨタ自動車東北には、エンジン工場を新設する計画がある。3社の統合はスケールメリットを追求するだけでなく、互いの強みを持ち寄り、基幹部品の製造、車両開発、生産までを自己完結できる「総合会社」に脱皮することをも意味する。
 東北の自動車産業をリードしてきた3社の「進化」は、参入を目指す地元企業にとってもメリットを生む可能性がある。
 自動車産業では車両の企画・開発段階で、部品供給企業が決定しているケースも多い。トヨタは車両の開発そのものも新会社に委ねる考えを示しており、東北での開発が本格化すれば、地域企業が参入する敷居が下がることも期待される。
 ただ関自工は静岡県内に開発本部と完成車の生産ラインを有しており、当面はそれらの設備を維持する考えを示す。新会社が発足しても、東北への機能集約には時間がかかることも予想される。(斎藤秀之)
<足腰強い企業に/村井嘉浩宮城県知事の話> 
復興に取り組む宮城にとって大変明るいニュース。3社の統合により車体本体の企画から開発、生産まで全て一体で行える足腰の強い企業ができる。東北を第3の拠点にするという意思表示だろう。関連企業や部品メーカーが東北に進出してくる可能性は高い。宮城、東北を元気にするには民間投資が重要。震災前と同様に企業誘致を進める上で後押しになる。
<波及効果に期待/達増拓也岩手県知事の話>
 3社統合は英断と受け止めている。東北での自動車の一貫生産体制の構築につながる大きな前進で、歴史的に意義深い。被災地へのエールとなり、波及効果も出てくると期待している。関東自動車工業(岩手工場)は新会社で最も重要な生産拠点であり、開発機能の強化に期待している。インフラ整備や地場企業の取引拡大の支援に、東北一丸で取り組みたい。
河北新報 2011年07月14日木曜日 *強調(太字)は来栖

旧ソ連から買った中国の空母「ワリヤーグ」/有事の戦闘では弱いが、平時に発揮される中国空母配備の効果

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「中国にどんどん空母を配備してほしい」 米国防大教授の発言の真意とは
JBpress 2011.07.14(Thu)古森 義久
 中国の航空母艦がいよいよ公式に登場する見通しが強くなった。旧ソ連のウクライナから買った空母「ワリヤーグ」である。
 長い期間、大連港で改修に改修を重ね、その作業がついに終わり、この夏にも中国海軍の主要艦艇として配備に就くことが確実だというのだ。そういう趣旨の情報が各方面から流れ出した。米軍当局もその展望を明確にしている。
 この中国初の航空母艦の登場は、日本や米国の安全保障にとって何を意味するのだろうか。控えめに見ても、排水量6万7000トン、全長305メートルという巨大な中国空母の配備は、長年西太平洋で制海権を握ってきた米国海軍への正面からの挑戦として映る。
 中国側はこのワリヤーグを「施琅」と名づけた。清朝時代に台湾を制圧した水軍の将の名前である。この命名自体、台湾の安全保障に責任を持つ姿勢を取る米国との対決姿勢を思わせる。
 同時に、その米軍の抑止力に国家の安全を委ねてきた日本に対しても、中国初の空母の登場は深刻な影響を及ぼすことが予測される。

米国防大学教授が「中国には空母をどんどん建造し、配備してほしい」
 だが面白いことに、この中国空母の動きに細心の注意を払う米国の専門家たちの間には意外な楽観論が存在する。
 米軍の太平洋統合軍のロバート・ウィラード司令官は「中国空母の軍事的なインパクトには懸念は感じていない」と述べた。純粋な軍事面だけから見れば、中国空母は恐れるに足りない、という宣言だと言えよう。
 もっと大胆な反応は、米国防大学のバーナード・コール教授の「中国はぜひとも航空母艦を多数、建造してほしい」という言明だった。中国海軍研究の権威であるコール教授は、最近発表した論文でこんなアピールをして注視をあびた。ワシントンで今、熱を高める中国軍事研究の論議の一端である。
 米国側ではすでに中国が今後本格的に空母群を配備していくという認識が定着している。米国議会調査局の「中国の海軍近代化」という報告書も、中国がすでに国産の空母の建造にも着手して、これから10年間に最大限6隻の配備を意図すると明記している。
 そんな中で米海軍士官を30年も務め、太平洋で駆逐艦の艦長だった経歴を持つコール教授が、中国には空母をどんどん建造し、配備してほしいと述べたのである。
 コール教授に直接にその理由を問うと、なるほどと思わされる答えが返ってきた。
 「中国の航空母艦、特にワリヤーグはいかに改修されても、有事には米軍の攻撃に弱いからです。絶好のカモとさえ言える容易な標的となります。
 中国海軍はまず空母を支える輸送船や給油艦が不足している。ワリヤーグ自体、米軍の空母が持つような防御や攻撃の能力を有していない。中国側がそんな空母を多数、造れば、他の艦艇や兵器に回る資源が減るため、海軍力の増強全体としては脅威を減らすことになります。
 だから私はなかばユーモアを交え、『どうぞ、多数の空母の建設を』とあえて誇張した指摘をしたのです」
 米国民間の軍事研究家デービッド・アックス氏は、ワリヤーグを「ポテンキン空母」とまで評した。ポテンキンというのは、東西冷戦中に旧ソ連がつくった村の名前である。ソ連の暮らしがいかに裕福かを、西側にアピールする狙いがあった。ポテンキン村は中身が空疎だったが、外観だけいかにも強固に見えるプロパガンダ集落だった。中国の初の空母も、ポテンキン村に似た、いわば張り子のトラだというのである。
 
有事の戦闘では米軍や自衛隊の攻撃にかなわない?
 コール教授をはじめ米側の専門家たちが指摘するワリヤーグの弱点というのは、おおまかにまとめれば次のようである。
・艦載機の「殲(J)15」は米軍機に比べ、飛行距離、搭載武器、センサーなどが決定的に遅れている。
・米軍空母が搭載しているE2のようなレーダー機やEAのような敵レーダー妨害機がまったく存在しない。
・米軍空母には必ずつきそう護衛の駆逐艦や巡洋艦が不足している。
・米軍空母に必ず先行する護衛の攻撃型潜水艦が中国海軍には極めて少なく、また存在しても空母との通信機能が未発達のままである。
・ワリヤーグのウクライナ製エンジンは欠陥が多いことが立証されている(ロシア海軍がワリヤーグと同型の空母「クズネツォフ」のエンジンの故障に再三、悩まされた)
 このような弱点により、ワリヤーグは大改修を経てもなお、有事の戦闘では米軍や日本の海上自衛隊の艦艇による攻撃に極めて弱いというのである。だからこそコール教授が中国に対し、このような空母ならいくらでも建造してほしい、と呼びかけるわけだ。 

平時に発揮される中国の空母配備の効果
 その一方で、有事には弱い中国空母も、平時にはまた別個の威力を発揮することを強調する向きも米国には少なくない。
 その一例として、ワシントンの大手研究機関「AEI」の中国専門家ダン・ブルーメンソール氏が次のような見解を明らかにした。同氏はブッシュ前政権下の国防総省中国部長で、現在は米国議会の政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」の委員をも務める。
 「米国や日本が有事の際にワリヤーグのような中国空母に対処し、撃破することは、物理的に難しいことではありません。
 ただし、空母を攻撃して無力化するには、特定の戦力を特定の位置に配備しておかねばなりません。そのためには事前に戦略的、政治的な意思が必要となりますが、その実行はそう簡単ではない。
 また、空母は平時には一般国民へのパワーと威信の誇示に絶大な効果を発揮し得ます。だから、空母が中国の海洋戦略全体に寄与する力は重視せざるを得ません」
 中国の空母が登場すれば、アジア地域の諸国のなかには、中国のパワーが飛躍的に強まり、従来の米中軍事バランスまでが変わったと思い込み、中国側に傾く国も出かねないという意味だと言えよう。
 日本も中国空母のそうした平時の威圧効果に影響されないよう冷静な対応を保つことが必要だろう。
<筆者プロフィール>
古森 義久 Yoshihisa Komori
 産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員。1963年慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞入社。72年から南ベトナムのサイゴン特派員。75年サイゴン支局長。76年ワシントン特派員。81年米国カーネギー財団国際平和研究所上級研究員。83年毎日新聞東京本社政治部編集委員。87年毎日新聞を退社して産経新聞に入社。ロンドン支 局長、ワシントン支局長、中国総局長などを経て、2001年から現職。2005年より杏林大学客員教授を兼務。『外交崩壊』『北京報道七00日』『アメリカが日本を捨てるとき』など著書多数。

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