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公務員制度改革はかくて骨抜きにされた われらは敵だらけの中でいかに戦ったか/古賀茂明vs高橋洋一

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公務員制度改革はかくて骨抜きにされた われらは敵だらけの中でいかに戦ったか
Diamond online 2011年7月22日 【特別対談】古賀茂明vs高橋洋一
(前篇)
 いま日本で、最も有名な公務員と言えば、経産省の古賀茂明氏であろう。その著書『日本中枢の崩壊』(講談社)は、公務員制度改革が官僚たちの抵抗と政治過程の中で、いかに骨抜きになっていったかを描き、36万部の大ベストセラーとなっている。
 一方、高橋洋一嘉悦大学教授は元財務官僚で、小泉政権時代には竹中平蔵総務大臣の補佐官を務め、続く安倍、福田政権では公務員制度改革に、内閣の内と外から関わってきた。いわば、公務員制度改革の先達である。こちらも、『さらば財務省』(講談社)、『霞が関をぶっ壊せ』(東洋経済新報社)で、官僚の生態と公務員制度改革の必要性を鋭く説いている。
 公務員制度改革の真実を知る二人が、公務員制度改革の必要性、官僚たちの抵抗、政治の実態について、縦横無尽に語り合った。前半は、今回の公務員改革のスタートから、麻生政権下で、国家公務員法改正案が、廃案に追い込まれるまでを語る。
*安倍政権の第1段ロケットと福田政権の第2段ロケット
司会 最初に、お二人がどのように公務員制度改革に関わってこられたかから、お話しください。まずは、改革の先輩である高橋さんのほうから……。
高橋 公務員改革は非常に重要ですが、これをやると他の仕事ができなくなるかもしれないからというので、各歴代内閣がほとんど手をつけてきませんでしたね。あの小泉(純一郎元首相)さんですら、公務員改革は必要だけれど、まず郵政民営化と言って、結果的にはほとんど何もできなかった。
高橋 私は小泉さんの時に、竹中(平蔵総務大臣・当時)さんの補佐官をしていて、2006年9月に小泉政権が終わったときに辞めようと思っていたのですが、後を継いだ安倍(晋三元首相)さんから連絡があって、内閣参事官(総理大臣補佐官補)として官邸に残ることになった。安倍さんはもう最初から、この公務員制度改革を意識していたという非常に変わった人だった(笑)。とにかく国の在り方を変えたいという大きなビジョンを持っている人だったから。
 私は安倍政権では、安倍首相、中川秀直自民党政務会長・幹事長のスタッフとして、渡辺大臣就任後は渡辺さんのスタッフとして、公務員制度改革に携わってきました。
 安倍政権のときの最初の担当だった佐田(玄一郎行政改革担当大臣・当時)さんには、荷が重すぎたようだったけれども、ある事件があって佐田さんが辞任して、2006年の12月に渡辺喜美さんが後任の行革大臣についた。安倍さんは、本気で公務員改革をやるために渡辺さんを担当にしたので、渡辺さんの持ち前の馬力で改革が進んでいくことなった。安倍さんの時にやったのが、天下りの斡旋禁止や能力主義の導入などを入れた国家公務員法の改正で、2007年の7月に成立した。これがいわば改革の第1段ロケットです。
 その後、その年の9月に自民党が参議院に負けて安倍さんが退陣し、公務員制度改革は渡辺さんが担当したまま、福田政権でやるようになった。そのときにやったのが、国家公務員制度改革基本法。最初の天下り斡旋の禁止だけだと不十分だったから、改革の全体をパッケージにしたものだった。これが、第2段目のロケットです。
 これもすったもんだしたのだけれども、民主党も協力してくれて2008年の6月6日に成立した。ただ、この法律はプログラム法というもので、いついつまでにこういう改革をやるという目標を掲げたものです。だから、それを実行するために、7月に内閣に「国家公務員制度改革推進本部」が設置された。実際には、実務をつかさどる事務局が重要になる。
 2008年3月には、私も公務員をやめていたので、誰がこういう改革ができるかというと、古賀さんというので、渡辺大臣の肝いりで古賀さんが事務局の審議官に選ばれたということだったのですね。
古賀 私が公務員制度改革に関わるようになったのは、実は2006年の12月に渡辺さんが入閣したときで、渡辺さんから呼ばれて「補佐官になってくれ」と言われたのです。しかし、私はその少し前に、大腸がんの手術をしていて、抗がん剤を飲みながら治療していた。それで途中で倒れると困るからと断った。そのとき、ただ断るのは悪いから、経産省の後輩で原英史君(現・政策工房社長)を、「すごいのがいますよ」と言って、渡辺さんに紹介した。
 渡辺さんもすごいのは、原君に会って5分、10分話しただけで、「じゃあ頼むな」と採用を決めたこと。原君が渡辺さんの下で、ずっと法案をつくることになるわけですが、まだ私よりだいぶ年次も下だし、これから総務省とか、人事院とか、(首相)官邸官僚と戦わないといけない。そこで、原君の下に同じ経産省の金指壽君という若手をサポート役としてつけた。この二人は大変優秀なのでけれども、大変なところに出しちゃって、「悪かったかな」と、思ったりしました。
高橋 そこのところは、実は結構体制が整いつつあったのですね。最初に渡辺さんが行革担大臣と来たときに、官邸と共闘を組まないといけないのですが、私はそのとき官邸で補佐官補として公務員改革以外の他の仕事もやっていた。渡辺さんの大臣就任日は年末だったけれど就任式の直前、朝早くから某病院に閉じこもり、私と二人だけで打ち合わせをした。安倍総理の指示も伝えた。
 その後も、古賀さんが来なかったから私が渡辺さんのサポートをしたが、官邸勤めの場合は兼務は難しい。原君が来てくれて私はとても助かりました。渡辺さんは基本的に官邸にはいないので、物理的に離れていると改革をやるのがすごく難しい。原君が来て、それで私は官邸のほうで改革に取り組む。そのときの官房長官が塩崎(恭久)さん。
 塩崎さんは、最初はあまり改革に積極的ではなかったのですが、すぐに重要性を理解しすごく前向きになってくる。官房長官だから、我々もすごくやりやすくなった。塩崎さんがいなかったら、もっと大変だったと思いますね。渡辺さんと塩崎さんも、いい関係でうまくやっていた。安倍さんのほうは「任せた」という感じでしたから、そこですいすいといくという感じになったのです
高橋 それでも、いろんなスケジュール戦法とか、本当にひどいことをやられた。反対派の官邸官僚が、安倍さんの海外日程を全部先に押さえるのです。一番ひどかったのは、最初の国家公務員法改正案を出すときのことです。国会の日程が、1日足らなくなってしまい、改正案が廃案になってしまうという話になった。守旧派の官邸官僚が安倍さんの海外スケジュールなどをうまく組みこんで、日程を足りなくするわけ。しかし、安倍さんが最後に、「じゃあ、日程を延長しよう」と。ただ、この法案だけで延長するとは言い出しにくいので、あといくつか体裁が整うように法律を何個かくっつけて、国会を延長して通してしまった。
司会 それが2007年7月の国家公務員法の改正ですね。
高橋 そうです。安倍政権のときにやった1段ロケットの主な内容は、いわゆる天下りの斡旋禁止と能力主義人事の導入ですね。公務員制度改革をどうやっていくかについてはいろいろやり方があるが、基本は入口と中間と出口の改革です。入口のところは省庁別ではではなくて一括採用する、中間はきちんとした人事評価を行う能力主義人事を入れる、そして出口のところで省庁ごとの天下りの斡旋を禁止する、おおよそそういうふうにわかれる。
 1段ロケットでできなかった入り口とか中間の話――とくに官邸が幹部官僚の人事を一元的に行う内閣人事庁の設置などを、福田政権のときに国家公務員制度改革基本法という2段ロケットで、やろうとしたわけです。
*組織・人・カネをおさえている財務省こそが霞が関を運営
司会 原さんや金指さん、それに渡辺さんの頑張りがあって、国家公務員制度改革基本法が、2008年の6月に成立することになるわけですね。骨子は、?国の行政機関の内外から「国家戦略スタッフ」および「政務スタッフ」を登用する、?幹部職員人事の内閣による一元管理、?国家議員と官僚の接触の透明化、?キャリア制度の廃止と新しい採用方法の導入、?「内閣人事局」の設置という、画期的なものだった。
古賀 福田さんのときに渡辺さんが採った手法は、自民党の中で反対派のほうがずっと多くても、渡辺さんが引っ張って案をつくり、みんなが見ている前で「総理どうしますか、やりますか、やめますか?」と聞くのです。そうすると総理は本当はやりたくないのだけれども、ここで改革をやめるっていうと、全て自分の責任ということになって支持率下がるから、「やるしかないか」ということになる。
高橋 すでに話したように制度改革基本法はプログラム法なので、目標を実行するために、「国家公務員制度改革推進本部事務局」というのが設置される。そして古賀さんが、そこの審議官になる。
古賀 着任したのは、2008年の7月28日です。
高橋 私は何人か本当に改革に取り組もうとする人がいれば回ると、実は思っていたわけです。全員が前向きということはあり得ないから。各省庁から事務局に来る人というのは、はっきり言って改革つぶしのために出向させられている人ばかり。そこで仕事してしまったら、多分、各省庁に戻れないという話になってしまう(笑)。だからはっきり言って、みんなサボタージュする。あのときの事務局長はどなたでしたか?
古賀 事務局長は立花(宏)さんで、経団連専務理事だった方です。次長が二人いて、一人は民間の人で、で、もう一人が元総務省事務次官の松田(隆利)さんでした。
高橋 あ、そうだ松田さんでしたね。
古賀 結局、松田さんが元次官で大物だし、官邸のことも役所のこともよくわかっているので、事実上は彼が仕切るという形になった。
 松田さんは、官僚の中では改革派かもしれないということで、事務局に呼ばれたのですね。どうしてそう見えるかというと、総務省で行政改革などをやっていた。総務省は行革などをやる場合に、自分の所管の業界を持っていないから、割合に改革派に見える。ところが、実際は間接的に、各省からのいろいろな天下りポストを提供してもらうのです。
古賀 なぜかというと、総務省の中に行政管理局という局があるが、ここは各省庁の組織やポスト、定員などを査定するところです。予算などお金の査定は財務省の主計局でやる。そうすると、みんなそこで自分たちに有利な査定をしてもらいたい。総務省から見れば、「今度、うちの審議官辞める時に、おたくのなんとかいう団体のポスト一つ空けて」みたいなことが行われている。ただし、それを除けばね、どこかの業界を守るという必要はないわけです。
 だから、ちょっと見ると改革派というか、中立的に見える。でもよく考えてみたら、やはり公務員だから、公務員制度改革については中立ではあり得ない。絶対守るほうに回ってしまう。私とか高橋さんみたいな人は、例外中の例外。だから、事務局の人事としては少し失敗だった。
高橋 これはね、意外にみんな知らないのだけれど、古賀さんが言う行政管理局の公務員の定員枠を査定するポスト、あれは歴代財務省からの出向者が事実上やっていますね。出向の後はだいたい主計局に戻されている。
古賀 とりまとめをする管理官ですね。
高橋 そこが財務省からの出向だから、実は財務省なのです(笑)。それから公務員の人事行政全般を担当する人事院にもポスト持っている。さらに給与については、公務員のこのポストは給与がいくらと決めるのは、財務省の給与共済課。それに共済は年金のことだから、公務員の福利厚生なわけです。
 普通の会社でいうと人事部の役割が、政府の中だと財務省と総務省と人事院におおよそ分かれているのだけれども、財務省はその三つ全部にポストを持っている。だから、はっきり言えば、実は財務省が公務員制度を運営している。権力が分散しているように見えるけれども、財務省が重要なポストを握って霞が関の人事部として、強い力を持っている。恐らく、財務省はいろんな経路でプレッシャーかけて、公務員制度改革反対の音頭をとっていたでしょ?
古賀 とっていましたね。
高橋 裏で全部、各省の秘書課長とか、そういう人たちを束ねて。
古賀 法案の原案みたいなのものを、各省に説明するじゃないですか。そのとき、各省の人事課長とか秘書課長とか出てくる。そこには財務省の秘書課長もいるのですが、非常に慎重な言葉遣いで、絶対に「反対」とは言わない。言葉を選んで「これでいいんでしょうか」みたいなこと言う。そうするとね、他の役所の人事課長とか秘書課長が安心して、まともに「反対、反対」と言いだすのですね。
 要するに、財務省が何を言うかを見ていて、「あ、財務省も裏で支えてくれるんだな」と思うと、安心してワァーッっと反対する。そういう感じが非常にありました。
*官邸官僚の反対で2週間遅れで着任
高橋 古賀さんに一つお聞きしたかったのは、原君クラスの人がみな辞めたのに、なぜずっと残ったのですか?
古賀 だって私がいなくなったら、改革がめちゃくちゃになってしまいますよね。そもそも渡辺さんは私が事務局の審議官になった数日後(2008年8月初め)に、福田さんの内閣改造によって更迭されてしまい、私としては全く予定が狂ってしまった。
 それでも渡辺さんは自民党に残っていたから、自民党のいろんな公務員制度改革関係の会議――平場(ひらば)、要するに一年生議員まで出られる会議に渡辺さんが出てきて、がんがんやってくれる。塩崎さんとか中川(秀直)さんなども、応援してくれる。
 私が事務局にいた時は人事院の権限や総務省の組織を査定する権限の両方を、内閣人事局にもってこようという方向で法案をつくったのです。最初、私は事務局に入るのが、他の人よりも少し遅れた。なぜかというと、福田総理が反対しているとか、官邸官僚がいろいろ反対して。
古賀 それで2週間くらい遅れたのですが、その間に、法案策定の基本方針ができており、国家公務員制度改革基本法には人事院とか総務省から機能を移管しますと書いてあるのに、移管しなくていいとか、国家戦略スタッフは先送りするというような話になっていた。私は「基本法には移管すると書いてありますよ」と言って、ひっくり返しにいくのです。
 福田さんは本当は公務員制度改革をやりたくなかった。
高橋 福田さんはもともとがね、お父さん(福田赳夫元首相)は大蔵省(現財務省)の出身ですから。福田さんの元には財務省の人がたくさん来るわけです。それで福田さんはそれほど官僚について悪く思ってないですね。
*事務局の中はすべて敵マスコミを味方につける
司会 福田政権は内閣改造を行ったものの、それから二月ともたずに、2008年9月に福田首相が退陣を表明して、麻生政権が生まれます。
高橋 麻生政権になって政治がうまくいかないと、次々に改革派の人が辞めて、「これ苦しいのかな」と、正直いって思っていました。だから、古賀さんが残っていたのが、私からするとクエスチョンだった。それで、今話を聞いたらやはり責任感だと。それを聞いて得心しました。
古賀 しかし、年が明けたら渡辺さんは、自民党まで辞めてしまった。
高橋 そう、それはね、古賀さんの話も関係あるのですよ(笑)。渡辺喜美さんとはずっと昔から付き合いがあるし、サポートしてくれというから、ずっとそうしてきた。公務員制度改革をやるっていうのが彼のミッションだから、逆に言うとそれができなかったら、自民党にいてもしょうがないと。
 2007年だったか、不穏な動きがあって、渡辺さんは一度、行革担当大臣をを辞めると言っていたのです。首相が安倍さんから福田さんになった時に、クビ切られると思っていたから。渡辺さんは度胸があるというか、「おれは最後は腹を切ってでも改革をやりたい」と、そういうふうに言っていた。
 その覚悟が福田さんを動かし、08年6月に、国家公務員制度改革基本法が成立したのだけれども、そのあとにっちもさっちもいかなくなったっていうところが、実はあったのですね。それで結果的に 8月の福田改造内閣の時に、渡辺さんは辞めさせられた。それで渡辺さんの推薦で7月に事務局の審議官になった古賀さんと、時期がずれてしまった。
高橋 渡辺さんがいなくなって、結構大変だったでしょう?
古賀 いや大変です。例えば毎朝、大体、課長以上はみな出るような連絡会というのがある。その連絡会というのが3分ぐらいで終わるのです。それで気がついてみると、その後に私を除いた幹部が、テーマはその時ごとに違うのだけれども、会議をやっているわけ。それで、私だけがそれに入れない。まあ本当に大変だったのだけれど、私の場合はとにかくマスコミに応援してもらう、もうそれしかないのです。だって、私のチームにいる若手の改革派を除くと、ほかは全部敵なのですから。
 法案を国会に上げるときも、自民党の政審(政調審議会)・総務会で了承を得るという手続きがあるのですが、その総務会なんて全員反対ですからね。もうずらっと元幹事長とか、元総務会長という長老が並んで、手を挙げて意見をいう人が全部反対なのです。これでは法案は総務会を通らないと思ったのだけれども、マスコミが応援しているし、麻生政権の支持率がどんどん下がっている中で、私たちがつくった国家公務員法の改正案をつぶしたら、「政権がアウトだね」というふうことになって、総務会で承認されたのです(笑)。
高橋 結局、そうした逆風を乗り越えて、2009年3月に麻生内閣によって、組織と人事を内閣で一元的に管理するために、人事院と総務省の権限を集約して「内閣人事局」を設置することと、国家戦略スタッフの創設を柱とした国家公務員法改正案が、国会に上げられた。
*苦心の国家公務員法改正案はなぜ廃案になったか
司会 そのとき民主党の対応はどうだったのですか?
古賀 私が事務局の審議官をやっていた時は、民主党の行政改革調査会の幹部が松井孝治さん、松本剛明さん、馬渕澄夫さんの3人で、私たちは「スリー(3)M」と呼んでいた。彼らが中心になって「裏で自民党が、改革の足を引っ張っているのではないか」などと質問してくれていた。援護射撃ですね。
 そういうことで、法案を出すところまではよかったのですが、もうすぐ衆議院選挙だぞとなり、民主党が勝つぞという雰囲気が出てきて、公務員の組合がものすごく反対し始めた。要するに改正法案は人事院の権限を弱くするという話で、かれらは人事院に守ってもらっていますからね。そしたら、松井さん、松本さんが一気にすごく慎重な態度に変わってしまった。馬渕さん一人だけは頑張っていたのだけれど、最後には国会で質問させてもらえなくなった。
古賀 実はそのとき、自民党の林芳正さんと松井さんたちの間で、われわれの公務員法改正案を骨抜きにする修正協議が進んでいたのです。全く裏の協議で表には出ませんでした。林さんも松井さんも見えないところで、われわれの足を引っ張っていたのですね。この裏取引は成立寸前までいったのですが、結局、最後は民主党は修正も放棄して反対することに方針転換してしまいました。

 これは恐らく、そのとき民主党の幹事長だった小沢(一郎)さんの考えだと思うのですが、要するに、法案を修正して通したら手柄が自民党と半分ずつになる。それより「自民党だから、こんなにくだらない改正案しか出せないんだ」と言って、思い切り蹴飛ばせと。民主党であれば何でもできますと言って、選挙で戦えという方針が出て、改正案はそれで廃案になった。
 そこで私たちは、そんな偉そうなことを言うのだから、民主党は本当に公務員制度改革をやるだろうと思ったし、民主党政権になったらもっと改革ができるかもしれないので、今の案よりもっと激しい改正案を作ろうと、準備を始めました。
 結局、公務員制度改革に積極的な総理は、「これをやりたい」ということがある人ですね。安倍さんの場合は国の形を変革したい、要するにやりたい大きなことがあるので、いろんな制度を変えなくてはいけない。
 一方、公務員というのは、基本的に今の制度を前提に人生のすべてを組み立てている。70歳までの生活設計っていうのが、天下りを含めて今の制度に乗っかってできている。それを大きく変えられてしまうと、必ず自分たちが損する部分が出てくる。それで公務員というのは、基本的に大きな改革には反対するのです。
 反対に、大きな改革をやりたいと思って総理になった政治家にとっては、いまのままの制度だと、官僚というのが抵抗勢力になる。福田さんや麻生さんが、あまり公務員改革に熱心ではなかったっていうのは、本当にはやりたいことがなかったということでしょうね。
(後編は7月29日(金)掲載の予定です。民主党政権下において、なぜ公務員制度改革が後退していったかを中心に対談が続きます。ご期待ください)
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天皇陛下のお言葉と自衛隊/天皇のビデオメッセージが示唆する、今がGHQのくびきを脱する転換点

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天皇陛下のお言葉と自衛隊 ビデオメッセージが与えたインパクト
JBpress 2011.07.13(Wed)森 清勇

 自衛隊は「国民の公共財」でありながら、なかなか国民の理解が得られなかった。多くの国民は独立国家に軍隊が必要なことを認識しているが、憲法や歪んだ戦後教育の影響で、反対陣営の活発な活動とこれらを好んで報道するマスコミの世論操作に踊らされてきた観がある。
 3.11で活躍する自衛隊を目の前にしながら、来年度から中学校で使用される歴史・公民教科書の中には、いまだに「違憲」の烙印を押す教科書も多い。
 広域大震災と未曾有の原子力発電事故は「日本」の存亡に関わる国難である。この時に当たって、天皇陛下は3月16日にビデオメッセージを発出され、被災地・被災民を激励されている。他方で、自衛隊はわが身を賭して捜索・救助、復旧・復興などで頑張っている。
 正しく国家の存亡に関わる自衛隊でありながら、いまだに認証官にも列されず、天皇の拝謁に預かる機会もほとんどない。
*自衛隊の過去と現在
 筆者は創設間もない頃に自衛隊に入隊した。国民が寝静まり、狸や狐しか動き回らない深夜に銃を担いで道なき道をとぼとぼと歩いて演習場に行くことは一再でなかった。
 大仰な物言いをすれば日本の独立を支えることであったのであるが、当時は誰かがやらなければというくらいの考えでしかなかったように思う。
 オリンピックや災害派遣などでは、どの組織・団体よりも多くの隊員を差し出して支援してきた。しかし、ほんの一部のマスコミが「自衛隊」を言葉にするだけで、NHKをはじめとする多くの報道機関は「警察、消防等」の「等」に包み込み、無視か申し訳程度の記事を載せるだけであった。
 「産経新聞」(4月14日付)で、野口裕之氏は「東日本大震災における、自衛官の目覚しい活躍に、多くの国民が『瞠目』している。だが、小欄は『瞠目』などしない。自衛官の日常、使命感、覚悟、錬度・・・に日ごろから接してきたから、驚いては礼を欠く。(中略)黙々と任務を果たす自衛官から放たれる『まぶしさ』は、こちらの眼を潤ませる。(中略)意図的か否かは別として(まぶしさを)『無視』してきた罪は免れぬ」と書いている。無言実行の自衛隊を真に理解して言える言葉である。
 筆者が防大生の頃、大江健三郎氏は女子大生に向かって「自衛隊員のところへお嫁に行くな」と言い、沖縄では隊員の子女が義務教育を受ける学校への入学を邪魔されたりした。大学院への門も閉ざされていった。そうした行動を左翼系の全国紙やマスコミが堂々と支持し、大々的に報道していた。
 平成に入り、自衛隊がPKO(平和維持活動)や海外で発生した大規模災害の支援に派遣されるようになると、「存在する」状態から「機能する」立場に変わってきた。
 その最たるものが今回の東日本大震災における活躍である。任務を終えて撤収する自衛隊に対して「側に居るだけで安心感が持てる」と言われるまでになった。「公共財」であることを国民が理解したのである。
*陛下に関する乾いた記事
 同様に、マスコミが報道しようとしなかったのが天皇についてであろう。中でも、国民を「大御宝」として、その安寧を願って祭祀にお力を注がれる陛下のお姿はほとんどのマスコミが報道してこなかった。各紙に「首相の一日」はあるが、「天皇の一日」欄がないのが雄弁に物語っている。
 「文芸春秋」5月号に掲載された侍従長の記録から分かるように、発災後の陛下は、被災者と被災地を案じられながらも関係者に迷惑をかけないように大変なご留意をされていることが分かる。
 その第一が発災翌日の3月12日に、ビデオメッセージの原型とも言うべき「お言葉」を宮内庁長官を通じて首相に述べられていることである(この事実を「WILL」23年7月号掲載の所功氏論文で知る。首相は国民に公表すべきであったとも所氏は述べている)。
 犠牲者へのお悔やみ、被災者へのお見舞い、災害対策に当たる県知事などへの励ましのお気持ちの伝え方でも非常な配慮をされている。避難所訪問を先にされ、ある程度落ち着きを取り戻してから被災地訪問を続けられているのもそうしたご配慮の結果である。
 天皇のお気持ちは3月16日のビデオメッセージに表れている。昭和天皇の終戦の詔勅になぞらえられる歴史的なメッセージであるにもかかわらず、ほとんどの新聞はぞんざいな扱い方をしていると言っても過言ではない。
 「メッセージを発表された」「ビデオ映像で語りかけられた」などの表現も一部に見られたが、総じて「国民に呼びかけた」「ビデオで発表した」などの敬語抜きでぶっきらぼうな表現が多い。
 また、主要6紙を見ると5紙がカラー写真(3紙は2段、1紙は1段、産経のみは3段相当)で扱っているが、1面掲載は3紙(産経、日経、毎日)だけで、朝日に至っては白黒写真で29面掲載である。メッセージの意義や解説を試みた新聞解説などはほとんど見られない。
 ビデオメッセージがこのような報道であるから、避難民激励、被災地訪問についての新聞報道は推して知るべしである。
 両陛下をお迎えした被災者は、現在おかれている境遇を忘れて殊の外の喜びようで、一様に元気を戴いたと感激している。
 しかし、新聞に書かれる陛下に関する報道記事は、敬語も使わないガサガサ乾いた感じの表現で、がっかりさせられることが多い。「読者の神経を逆なでする朝日の皇室報道」(産経新聞5月15日付)と大森義夫氏は書いているが、ほかの多くの新聞も似たり寄ったりの観が否めない。
 東日本大震災は1000年に1度と言われている国難である。大規模震災から、政治が機能しない人災に発展し、国民は悲嘆に暮れている。
 そうしたところに天皇のメッセージが発信され、被災地等をご訪問されることは、正しく「国民統合の象徴」としての体現にほかならない。しかし、マスコミ報道からはそうした意義がほとんど伝わってこない。
*メッセージが自衛隊に与えたインパクト
 天皇が植樹祭や国体などに御出席の際、経路傍にある駐屯地の自衛隊は“と列”(註:道路両側や片側で敬礼して送迎すること)部隊を編成し、路上に整列して送迎する。
 天皇が外国をご訪問される際は、航空自衛隊が運行する政府専用機をご利用になられる。全国戦没者追悼式(8月15日)では執銃した自衛官が御霊の護衛に任じている。
 同様に千鳥が淵戦没者墓苑慰霊祭では自衛隊が大々的に参加する。こうした天皇と自衛隊の接点は処々にあるにもかかわらず、両者は限りなく疎隔されてきた。
 したがって、陛下のビデオメッセージが自衛隊に与えたインパクトはことのほか大きい。言論統制まがいに抑圧されている自衛隊であるから、現役自衛官からインパクトの大きさを聞き出すことは不可能である。しかし、大所高所から自衛隊を見てきた識者の所見が教えてくれる。
 西村眞悟氏は「正論」6月号で、「『自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々』が『日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います』と仰せられた。
 おお! 自衛隊の諸君よ。陛下は、貴官らを筆頭において労をねぎらっておられる!」と、感嘆符を(2個も)つけて、感激の思いをつづっている。
 栗栖弘臣元統幕議長は遺言とも言うべき著作『日本国防軍を創設せよ』の巻頭に「改革すべき16の要点」をまとめている。その第1項が“天皇との距離を縮める”である。
 「天皇が他の官庁や企業を視察されることはあっても、自衛隊を御視察にはならぬ。国賓に対する栄誉礼を行う時、天皇は国賓と御同行なさらず傍らに立っていらっしゃる。かつて札幌冬季オリンピックの際、自衛隊は2000名に近い支援団を臨時に編成して密接に支援した。天皇が御視察になられた時、道警本部長は拝謁を仰せつかったが、自衛隊の総監以下は列立拝謁も許されなかった」と、悔しさを滲ませて書いている。
 このような境遇に置かれてきた自衛官たちは、ビデオメッセージを聞き感涙にむせぶ状況ではなかっただろうか。というのは、ほかでもないが「日本国憲法」の政治のしからしめる結果として、天皇と自衛隊は限りなく隔絶されてきたからである。
 田久保忠衛氏も同誌で、「私はいたく感激した。自衛隊、警察、消防、海上保安庁は国家の骨組みだ。その冒頭に自衛隊を挙げられた。陛下が自衛隊を直接お名指しになったのは初めてではないか」と述べているところからも窺える。
*偏見を持つNHKや歴史教科書
 NHKは陛下のビデオメッセージをいかに伝えたかを問うているのは本間一誠氏(『正論』「NHK殿 一筆啓誅」2011.6)である。少し長くなるが引用する。
 「当日、最前線で身の危険を冒して苦闘してゐた自衛官、警察官、消防官、海上保安官には届いたのだろうか。(中略)。陛下が最初に国を守る集団である「自衛隊」といふ言葉をおかれた意味はこの上なく重い。『暴力装置』などといふ許し難い暴言を吐かれた屈辱も押し殺して、過酷な任務に精励してゐたに違ひない彼ら自衛官は、今回の陛下のお言葉でどんなにかその誇りを取り戻し、救われたことだろうか。さういふ力を持つ故に、陛下のお言葉はあらゆる境遇の人々に届かせるべく、涼やかな天籟のやうに何度でも放送されるべきだった。それこそが日本の公共放送の役目だった」と、断罪する。
 三重県のローカルニュース番組が久居駐屯地から岩沼市に派遣された600人の自衛隊員の救援活動を紹介し、前線と後方の2人の指揮官が「現地の言語に絶する悲惨さを目の当たりにすると、とても休みたいとか寝たいとか言ってゐる状況ではなかった」との発言を紹介し、このように「黙々と任務に精励して来た自衛隊の震災救援活動を、NHKは正しい視点から事実に基いて、総合的に検証する特集番組を編成せよ」と迫る。
 平成24年度から中学校で使用される歴史や公民教科書の採択が迫っている。
 近現代史を中心に記載内容を検討したあるグループの研究結果では、天皇のご存在については歴史的・伝統的な本質や今次のような非常時における国民的結束を保つうえで果たしておられる決定的な役割には触れずに、形式的・儀礼的な国事行為を内閣の助言で行うとした記述が目立ち、自衛隊についてはいまだに違憲、不要論が底流にある教科書が多いという。
 「どうしてそんな解釈が出てくるのか不思議であるのが多い」そうである。
 3.11は日本国家のあり様、世界との関わりを大いに考えさせる契機であり、災い転じて福となすことも出来る。次代を担う若者に「日本」を否定させる愚を犯させてはならない。
*終わりに
 三島由紀夫が割腹自殺までして訴えたものは何だったのか。「檄」文を読めば一目瞭然で、戦後的なるものの拒否であり、永遠の決別であった。戦後的なるものの最たるものが天皇と自衛隊であると見ていた。
 「軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の退廃の根本原因をなしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されてきたのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひ続けてきた」という。
 三島の願いはこの天皇と自衛隊の離隔を「栄誉の絆でつなぐ」ことにほかならなかった。
 前出の本間氏は「非常時には危険を顧みず、国家国民のために命を捧げる覚悟もせねばならない人々には、何より名誉を以て報いるのが世界共通の人道といふものである。本来その名誉は国家から授けられ、その国家の権威の重みは歴史の縦軸といふ源泉から湧き出す」と書いている。
 歴史の縦糸とはほかでもない天皇であろう。ここにおいて天皇と自衛隊が離隔されていては「日本」そのものを危殆に瀕させることになる。 *強調(太字)は来栖
<筆者プロフィール>
森 清勇 Seiyu Mori星槎大学非常勤講師
防衛大学校卒(6期、陸上)、京都大学大学院修士課程修了(核融合専攻)、米陸軍武器学校上級課程留学、陸幕調査部調査3班長、方面武器隊長(東北方面隊)、北海道地区補給処副処長、平成6年陸将補で退官。
 その後、(株)日本製鋼所顧問で10年間勤務、現在・星槎大学非常勤講師。
 また、平成22(2010)年3月までの5年間にわたり、全国防衛協会連合会事務局で機関紙「防衛協会会報」を編集(『会報紹介(リンク)』中の「ニュースの目」「この人に聞く」「内外の動き」「図書紹介」など執筆)。著書:『外務省の大罪』(単著)、『「国を守る」とはどういうことか』(共著)
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被災者を食らって延命を図る詐欺師とペテン師 天皇のビデオメッセージが示唆する、今がGHQのくびきを脱する転換点〜西村幸祐氏
2011.07.01(Fri)JBpress「マット安川のずばり勝負」(6月24日放送)

 このほど『JAPANISM』というオピニオン誌を新創刊された西村さん。取材で見聞した被災地の自衛隊員の生の声や、戦後の占領政策を引きずっている教科書の問題、そして延命第一の菅内閣など政治の不毛への憂いをお聞きしました。(マット安川)
*震災を食いものにして延命を図る菅政権
西村 日本の政治はもはや異常な事態です。詐欺師とペテン師が国会で言い争っているような感じで、日本の国力はどんどん失われていっています。
 結局、菅政権は自分の命を延ばすために震災の被災者、被害者を食いものにしている、大震災を食いものにしているとしか思えません。
 そもそも震災があった3月11日の午前中、国会で外国人の献金問題で追及されていた。本来なら3月20日くらいにはあの内閣はなくなっていたはずです。
 それが震災を利用して延命している。そして辞めるとか辞めないとか茶番劇をやっている。マスコミは政局が好きだから煽っていますが、被災地の方はもちろん、国民も「ふざけるな」と言いたいですよ。
 震災発生から間もなく4カ月が経ちます。仮設住宅をお盆までに全部つくるという話でしたがウソでした。すべてがそういう状況です。
 その仮設住宅についても、日本のメーカーではなく海外のメーカーに発注したという疑惑が出ている。韓国のメディアが盛んに宣伝しています。韓国のメーカーが受注したと。
 ところが、国交省はそれを否定している。事実関係は不明なので精査が必要ですが、問題はそういうことの情報開示がクリアではないということです。
*天皇陛下のお言葉が象徴する戦後体制の崩壊
 今回の震災で、多くの日本人が何となく気がついたのではないかと思います。それが具体的に何なのかまだはっきりとはしませんが、戦後体制というか、戦後の空間が壊れたのではないかということです。
 それを象徴するのが天皇陛下のビデオメッセージでした。震災5日後の3月16日に天皇陛下がテレビでメッセージを流しましたが、あれは非常に大きな意味を持っていると思います。
 なぜかというと、天皇陛下がああいう形で直接国民に向かって話されたのは66年ぶりのことで、昭和20年の敗戦の時の玉音放送と同じなんです。
 ビデオメッセージは宮内庁の役人がお膳立てしたものではない。天皇陛下はそれだけ危機的状況であると感じておられたということです。
 ちなみに、東北地方では大津波が過去にもありましたが、平安時代に起きた貞観大津波の時にも清和天皇が詔を出しています。同じことが行われたということです。
 天皇陛下のお言葉の中で、最初に挙げられたのが自衛隊でした。それから警察や消防などが続いた。政府のことはひと言もありませんでした。
*自衛隊は憲法違反。ウソの既成事実化が戦後日本の常識だった
 自衛隊はこれまでずっと憲法違反だと言われてきました。いまは解釈で合憲ということになっていますが、どう考えても憲法違反です。
 それをごまかして、現実の方が大切だから合憲にしているわけです。国民も納得している。みんなでウソをついているんです。
 そういう空間が壊れたということです。天皇陛下が自衛隊について真っ先に述べられたということは、あのお言葉が日本国憲法を超越してしまったということです。
 いまも数多くの自衛官が張り付いて救援活動を続けています。自衛官の話では、ご遺体の臭いというのはお風呂で洗っても取れないそうです。
 そういう中でみなさん温かいものも食べないで働いている。それを思ったら涙が出ますよ。それなのに、第1次補正予算をみると手当てが1人1万円しか付いていない。あれだけのことをさせているのにですよ。
 自衛隊と天皇陛下のお言葉が被災者を支えたという現実は、いままで常識だと思っていたものが実は常識じゃないのではないかということに気づかせました。
 つまり、この何カ月間にすごいことが起きているんです。それをきちんと解説してくれる人がいないので国民はまだ理解していませんが、そのうち大きなうねりになると思います。
*歴史・公民教科書のひどさ。GHQの占領政策のくびきから脱せよ
 今年、中学校の公民と歴史の教科書が改訂されて採択が行われます。8月にかけて全国で教科書が選ばれる。教科書が教育のすべてではないが、内容は大事です。子どもは信じますからね。
 いままでどんな教科書があったかを知ると驚きます。
 例えば、東北地方でほぼ100%の採択率を占めている公民の教科書がありますが、その中身を見ると、自衛隊に関してPKO活動について批判する声が多いとか、憲法違反だという声もあり論争が行われてきたとか、そういうことばかり書かれている。
 被災地で実際に自衛隊の働きを見た人たちは、教科書を信じられなくなりますよ。特に中学生などは。
 歴史教科書はひどいという声がよく上がりますが、公民教科書もひどいものが多い。今回、1社だけ「新しい歴史教科書をつくる会」の公民教科書は震災での自衛隊の救助活動についてきちんと取り上げていました。
 今回の教科書採択には期待しています。というのは、教育基本法が戦後初めて平成18年に改正されて、新しい教育基本法に基づいた学習指導要領に基づく教科書だからです。
 そもそも教育基本法は戦後間もない昭和22年にできた法律です。その翌年にそれまでの日本の教育の骨格であった教育勅語が廃止された。
 明らかに教育勅語に代わるものとして教育基本法はできており、それは日本国憲法とセットになっている。つまり、教育基本法はGHQ(連合国総司令部)の日本の占領政策の一環として作られた法律だったということです。
 今年は戦後66年目であり、日本が主権を回復して59年が経ちます。いいかげん気づけよと言いたい。今回の震災で、そういうことに少しでも気がつく人が増えてくれればと期待しています。 「マット安川のずばり勝負」6月24日放送
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■マット安川(本名:安川昌之)
 (株)オフィスヤスカワ代表取締役。1973年1月10日生、神奈川県出身。O型。大学在学中から30種以上の仕事に携わり、のちに渡米。語学を学び、インターンシップ、のち現地法律事務所へ勤務、3年間マネジメントを担当する。帰国後、各界著名人のトレーナー兼マネジメントなどを手がけ、企業コンサルティング、事業マッチングのほか、TV・ラジオの番組DJ・企画制作など多方面に活躍中。
■西村 幸祐(にしむら・こうゆう)氏
 ジャーナリスト、作家。音楽雑誌編集などを経て、主にスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとしての活動を開始。2002年の日韓ワールドカップ取材以降は拉致問題や歴史問題などにも分野を広げ、執筆活動を行っている。2011年4月『JAPANISM』を創刊、編集長を務める。
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両陛下と東日本大震災 「国民とともに歩む」皇室2011-05-10 | 地震/原発 
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捜索現場襲う惨事ストレス/自衛隊員や海上保安官、警察官の「心のケア」が課題2011-05-06 | 地震/原発
 「もう限界。家に帰して…」捜索現場襲う惨事ストレス2011.5.5 15:56
 東日本大震災で被災地に派遣され、遺体の捜索・収容作業に当たっている自衛隊員や海上保安官、警察官の「心のケア」が課題となり始めている。これまでに1万人近い遺体を収容するなど奮闘してきたが、一方で凄惨(せいさん)な現場で受けた精神的ショック(惨事ストレス)から心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状を訴えたり、奇行に走るケースも出ており、各省庁では惨事ストレス・ケアに乗り出した。(SANKEI EXPRESS)
 「もう限界です。家に帰していただけませんか」
 西日本の部隊に所属する陸上自衛隊の30代の男性自衛官は、部下の切実な訴えに接するたび、心に重圧がのしかかる。
 震災直後に被災地入りし、数十人の部下と続けたテント暮らしはまもなく2カ月を迎える。主な任務は沿岸部での遺体の捜索活動。これまでに数十人の遺体を収容、自治体などに引き渡した。
 住宅のがれきの下では、全身に傷を負った親子とみられる若い女性と5〜6歳ぐらいの女の子の遺体を発見した。「もしこれが自分の妻と子供だったら…」。思わずつぶやいた同僚は、夜になるとテントの中でうなされていた。
 春を迎えて日中の気温が上昇し、日を追うごとに発見される遺体の損傷は進んでいる。交代もままならず、「精神的にまいってしまい、前線を離れる隊員が多くなった」。
■■
 防衛省によると、過去最大となる約10万人の自衛隊員を投入した今回の震災では、警察、消防、米軍などと合同で行った分も含めてこれまでに計約9200人の遺体を収容。今も被災地では、1日数人単位で遺体が発見され続けている。
 肉体的な疲労に加えて、損傷がひどい遺体を扱う惨事ストレスは日に日に増している。一部には奇行に及ぶ者も出ている。
 海上自衛隊横須賀基地所属の3等海曹(31)は、宮城県沖で遺体収容作業を終えて通常業務に戻った3月下旬、レンタルビデオ店で下半身を露出し公然わいせつ容疑で現行犯逮捕された。再び被災地での活動が決まっていたことから、「また行くのが嫌だった。捕まれば行かなくてすむと思った」のが犯行理由だった。
 防衛省は、被災地での活動終了後に隊員が精神的負担からPTSDを発症する可能性があると判断。活動を終えて1カ月後、半年後、1年後をめどに、質問項目に記入する形式で心理状態を調査する方針だ。
■■
 警察庁も対策に乗り出した。ケアの対象は岩手、宮城、福島の3県警の全警察官・警察職員の計約1万500人で、問診票を配り震災対応後の心身の状態について調査。惨事ストレスが強いとみられる職員には、委託先の民間機関から臨床心理士らのチームを派遣し、面談を行う。
 一方、がれきが漂う海中で捜索や遺体収容に当たっている海上保安官らも、相当な惨事ストレスを受けているとみられる。
 海上保安庁は、震災発生から1週間後に被災地で業務に従事する潜水士や巡視船艇の職員ら約1600人を対象にアンケートを実施。うち約1割の職員について、心のケアなど「経過観察が必要」とする結果が出た。
 こうした職員らと面談した海保の惨事ストレス対策アドバイザーを務める広川進・大正大准教授(臨床心理学)によると、「涙が止まらない」「現場の光景がフラッシュバックする」といったPTSDに似た症状を訴える声もあがったという。
 広川准教授は「過酷な作業の長期化が予測されるこれからが一番危険。まとまった休息をとって頭のスイッチを強制的にオフにするなど、十分なケアが必要」と指摘する。
...
【NHK】天皇陛下のお言葉「自衛隊警察消防海上保安庁を初めとする国や地方自治体の人々諸外国から救援のために来日した人々国内の様々な救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で日夜救援努力を進めていることに感謝し、その労を深く労いたいと思います。」
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最前線に迫る被曝上限2011-04-28
苛酷な作業を強いられる東電社員 自らが被災者/「東電」と指さされ誹謗中傷/心理的に厳しい状況2011-04-20
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福島第一原発:報道をはるかに超える放射能 死を覚悟する自衛官2011-03-18 | 地震/原発

トヨタは国内生産を維持すべきか?

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トヨタは国内生産を維持すべきか?
WSJ Japan Real Time 2011/7/22 19:24
 史上最高水準の円高が続くなかで国内生産への強いこだわりを示すトヨタ。19日には、東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方で新型小型ハイブリッド車(HV)を生産すると発表した。車種は公表しなかったが、複数の同社幹部が小型車「ヴィッツ(海外ではヤリス)」だと示唆しているそうだ。
 裾野の広い自動車産業の雄が、被災地での生産に力を入れていくことを表明したことは、政治的混乱が続き、具体的な復興計画がみえない東北地方にとって久々の華々しいニュースであった。強烈な円高に加え、最近では電力不足によって苦境に陥っている日本で、豊田章男社長ほど国内生産への強いこだわりを示している経営者は少ない。
 もちろん、トヨタとて、世界生産に占める国内比率はすでに5割を切っている。2011年3月期は43%だった。だが、ライバルの日産自動車、ホンダは、それぞれ25%、26%で、もう4分の1まで低下している。新興国を中心に自動車需要が大きく伸び、国内販売が減少トレンドをたどる中での国内生産の維持については、トヨタ社内でも、相当なせめぎ合いがあるに違いない。
 そうした一端が、5月の決算会見にも表れていた。同社の財布を預かる小澤哲副社長兼最高財務責任者(CFO)はこのとき、「昨今の一段の円高、あるいは1ドル=80円という為替水準。正直言って、収益をあずかるCFOとして、日本でのものづくりを続けていく限界と感じている」と述べた。
 その場に居合わせた記者によると、その場でも国内生産にこだわりを示した豊田社長に対して、企業の幹部としては信じられないぐらい率直な物言いだったという。
 様々な要因が重なってトヨタは国内で3期連続営業赤字が続いた。今期は震災によるサプライチェーンの寸断によって大きな影響を受けている。だが、生産が復旧しても国内生産比率を維持する限り、収益的にはライバルに比べ厳しい状態が続く。言うまでもないが同社のライバルは世界中にいる。
 同社の国内生産維持の姿勢は、国内経済にとってはありがたいことのように思えるが、長期的に見れば同社の体力を弱め、ひいては日本経済への寄与も危うくなってしまうかもしれない。
 豊田社長は今月14日も、国内生産体制の効率化を進めるための再編を発表した際、「トヨタグループは日本で生まれ、育てられたグローバル企業だ。外部環境が厳しいからといって、簡単に日本でのものづくりをあきらめるわけにはいかない」と国内生産にかける強い思いを語った。 *強調(太字)は来栖
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トヨタ3社経営統合へ/関東自(横須賀市)・セントラル自(宮城 大衡村)・トヨタ自 東北(宮城 大和町)2011-07-14 | 社会(経済)

新日本原発紀行 青森・東通--原発は最果ての貧しい村を潤した/88年以降、総額234億円の交付金

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新日本原発紀行 青森・東通/都会の論理 再考のとき
2011年7月23日Sat.中日新聞
 本州の北端、下北半島に東北電力東通(ひがしどおり)原発1号機(青森県東通村)はある。その北隣でことし一月末、東京電力の1号機が着工した。ここから約七百キロ離れた首都圏まで電力を送る計画だ。福島と同じように危険な原発を遠い過疎地に造り、電力の供給を享受する大都会の論理を、見直す考えはないのか。 (小国智宏)
 東北電力の1号機は、大震災の発生時に定期検査中だった。現在も運転を再開できないでいる。
 その北側で、東京電力の1号機が建設中だったが、工事は中断。造成は終えたものの、建物はこれからで姿形もない。東京電力東通原子力建設所は「福島第1原発の事故の収束に全力を挙げている。工事再開のめどは立っていない」と話す。
*最果てに光
 東通村は最果ての貧しい村だった。夏は太平洋から「ヤマセ」と呼ばれる偏東風が吹き、比較的冷涼で濃霧に包まれることも多い。冬は風雪が吹きすさぶ。漁業は盛んだが、周辺海域は海の難所として知られてきた。
 1889(明治22)年に村制が敷かれたが、村役場は隣のむつ市に置かれた。広い村内に29の集落が点在し、役場は町中にあったほうが便利だったからだ。
 村会議が地域振興の名の下に原発誘致を決議したのは1965年。その後、実際に原発計画が動き出したのは、当時の竹内俊吉知事が70年に「原発20基を誘致する」とぶち上げたのがきっかけだった。
 このころ、六ケ所村を中心とした巨大国家プロジェクトの臨海工業開発「むつ小川原開発」が始動。高度経済成長期、首都圏でも電力需要の大幅増が見込まれていた。県は、用地買収や住民交渉も引き受けた。
 だが漁業関係者を中心に大きな反対運動が起きる。住民説明会では怒号が飛び交う状態で、漁業補償額などをめぐって知事があっせんに乗りだしたが、まとまらない。漁協内で賛成、反対派がいがみ合い、不穏な空気が流れたこともあった。
 電力会社の社員が1軒1軒説得して回り、反対派が切り崩されていったという。白糠漁協の強硬な反対派だった東田貢さんは「結局、国のやること。反対しきれるものではないべ」。補償金と引き換えに、次々と賛成に転じた。東北電力、東京電力と関係6漁協との補償交渉が決着したのは95年。交渉開始から10年以上がたっていた。
 東通原発には、東北電力が2基、東京電力が2基の計4基を計画。東北電力1号機が営業運転を始めたのは2005年。村会議の誘致決議から、ちょうど40年だった。
 原発は確かに東通村を潤した。88年、村内に悲願の村役場庁舎が完成。周囲には真新しい「箱モノ」が立ち並ぶ。豪華な小中学校、体育館、医療福祉施設・・・。建設費の大半を電源立地交付金で賄う。人口約7千3百人の村には同年以降、総額234億円の交付金が支出された。
 社会保険労務士の男性は「電力さんがあるから成り立っている商売も多い。地元では反対している人なんていないよ」と投げやりに話した。
*再稼働 不透明に
 「事故が起きたら、どうやって逃げるのか」「国や県は事業者寄りではないか」
 12日、むつ市で開かれた原子力関連施設に関する県民説明会。参加した住民から安全性に対する不安の声が相次いだ。(略)
 東北電力の1号機は、3月21日の大震災の停電で外部電源を断たれたが、非常用ディーゼル発電の稼働で切り抜けた。
 ところが、4月7日の大規模な余震による2度目の停電では一時、全電源を失いかねなかった。
 運転を停止しても、使用済み核燃料プールは冷却し続ける必要がある。余震時は、下北半島に送電する東北電力上北変電所も被害を受けた。同1号機の非常用発電機は3台あるが、2台は分解点検中で、残り1台だけが稼働。この1台も翌8日午後にはトラブルで停止s他。幸いそれまでに外部電源が復旧したため難を逃れたが、まさに綱渡りだった。(略)
 下北半島には電源開発の大間原発も建設中。核燃料サイクル施設も集積するなど、県民には国の原子力政策に協力してきたという思いがある。
 原子力関連施設の受け入れを進めてきた三村申吾知事は、6月の知事選で安全性を高めることを強調し、3選を果たした。県独自に安全性を検証する専門家による第3者委員会を設置した。
*戸惑う地元
 第3者委員会や県民説明会について、反原発派などから「再稼働ありきでは」といった疑念の声が上がり、県民の不安感も高まっている。加えて菅政権が定期検査中の原発のストレステスト実施を表明。東北電力の1号機は8月にも再稼働とみられたが、先行きは不透明になった。
 東通村の越善靖村長は「地元は混乱している。政府の政策に一貫性がない」と批判。三村知事は菅政権に強い不満を示しながらも「住民説明会などの意見を踏まえ、総合的に判断する」と繰り返すばかりだ。
 東通村の酒類販売業の男性(82)は「なんで賛成したんかな。今になってみると、原発は怖い」。白糠漁協で反対運動をしてきた東田さんも「原発も人間が動かす機械である限り、いつかは事故が起きる」と心配する。
 核燃料サイクルに反対する「核燃料サイクル阻止1万人訴訟原告団>代表の浅石紘爾弁護士は「住民説明会では明らかに不安を訴える人が増えている。これで知事は性急な結論は出せなくなったはずだ」と指摘。 そして工事が中断している東京電力の1号機について訴える。「原発の新設、増設を地元をはじめ国民は認めないだろう。東京電力はまだ着工したばかりなのだから、このまま中止するのが当然だ」
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原発の「ごみ」行き場なく/「核半島」六ヶ所村再処理工場/東通原発/大間原発/核燃料 中間貯蔵施設2011-04-28
新日本原発紀行 青森・大間/電源三法交付金は約67億円/固定資産税収は15年度から16年間で440億円2011-06-11 | 地震/原発
新日本原発紀行 茨城・東海村/これだけ原発関連施設が集まっているのは政策、国家の意思/でも、脱原発志向2011-07-16 | 地震/原発
新日本原発紀行 鹿児島・川内/温排水による海水温上昇/塩素の垂れ流し/磯焼け2011-05-22 | 地震/原発
新日本原発紀行 宮城・女川 町の歳入は今も、電源交付金や固定資産税など原発関連で5割近くを占める2011-07-07 | 地震/原発

「原子力」天下り 結ぶ 「原子力村」霞が関一帯に密集2011-07-16 | 地震/原発

豊川幼児殺害 今秋に再審請求/弁護人が後藤昌弘弁護士というだけで、それだけでも私は「無罪」を信じる 

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今秋に再審請求 受刑者側が方針 豊川幼児殺害
中日新聞2011年7月25日Mon.
 愛知県豊川市で2002年、車から1歳10か月の男児を連れ去り殺害したとして、殺人罪まどで懲役17年の実刑が確定、服役している元運転手田辺(旧姓河瀬)雅樹受刑者(44)の弁護人が24日、今秋に再審請求する方針を明らかにした。
 豊川市で開かれた再審請求を目指す市民団体の結成総会後、主任弁護人の後藤昌弘弁護士が話した。田辺受刑者は捜査段階で犯行を認めたが、公判で「捜査員から自白を強要された」と一貫して無罪を主張していた。
 確定判決によると、田辺受刑者は02年7月28日、豊川市のゲームセンター駐車場で、車内にいた男児を自分の軽自動車に乗せ、約4?離れた岸壁から海中に落として殺害した。
 1審名古屋地裁は「自白以外に証拠がない」と無罪としたが、2審名古屋高裁は「自白は信用でき、補強する証拠もある」として逆転有罪を言い渡し、08年に最高裁が上告を棄却した。
 後藤弁護士によると、自白調書には男児を車に乗せて海岸に向かう途中で「青信号に変わったので右折した」とあるが、実際は赤色の点滅信号だったなどの矛盾点が高裁判決後に判明。自白の信用性を否定する「新証拠」として再審請求する考えという。
.................
<来栖の独白>
 こういう杜撰なことを言えば、受刑者と支援市民の皆さんの意を無視することになるだろうが、私は、本件の弁護人が後藤弁護士というだけで、それだけでも、「無罪」を信じる。後藤弁護士の目に狂いはない、と確信している。
 早く再審が決定され、真実(無罪)が明らかにされるとよい。心より念じている。
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後藤昌弘弁護士関連(中日新聞論説「刑事裁判は誰のため」・豊川幼児連れ去り殺害事件など)2009-11-16 | 後藤昌弘 弁護士
  関連:取り組み紹介2009年7月18日豊川幼児殺人事件現地調査
    http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20080726_1_1.html
後藤昌弘 弁護士

南シナ海 「ASEAN」で、中国の専横封じよ/中国は、その誇大な主張の後ろ盾となる軍事力を有している

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南シナ海問題:米、中国を巻き返し 各国主張海域、法的根拠求める
 毎日新聞2011年7月24日 東京朝刊
 【ヌサドゥア(インドネシア・バリ島)佐藤賢二郎、犬飼直幸】昨年に続き、中国とベトナム、フィリピンなどの間で対立が続く南シナ海の管轄権問題が最大焦点となった東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)。出席したクリントン米国務長官は各国が主張する海域の「法的根拠」を提示しあうよう提案した。多国間協議での問題解決を目指したASEANの切り崩しに成功した中国に対し、「航行の自由」を求める米国がASEAN側を引き付けるために巻き返しを図った格好だ。
 「各国が自制し、国際法に従って平和的に解決することが重要だ」。全体会合で発言したクリントン氏は訴えた。それぞれの思惑で海域の管轄権を主張する各国に対し、国際法に基づく根拠を明確にするよう求めた。
 これは、米とロシアが初めて公式参加して開かれる11月の東アジアサミットへ向けて各国に「宿題」を課した形にもなった。名指しはしなかったが、本土から遠く離れた南シナ海の大半の領有を主張する中国をけん制し、サミットを問題解決の枠組みにしたい米国の戦略が垣間見える。
 これに対し、中国は従来通り、2国間での解決を主張し、議論は平行線をたどった。
 中国の楊潔(ようけっち)外相は「歴史的な根拠から領有を主張している」と反論。「(南シナ海での)航行の自由は保障されている」と語り、米国の主張を改めて突っぱねた。
 さらに楊氏は会議後、記者団に「(南シナ海の問題は)当事国が友好的な話し合いのうえで解決すべきだ。その他の国家はそれを支持するしかない」とし、米国を当事者ではないと位置付けた。
 今年のARFは、中国と米国や日本、複数のASEAN加盟国が衝突した昨年7月のハノイでの会議とは一変した。「静かな雰囲気」(ASEAN筋)で進行し、各国間の激しいやり取りは姿を消した。
 背景には、中国とASEANがARF直前に「南シナ海行動宣言」のガイドラインに合意したことがある。
 米国の関与を阻止したい中国と、中国に対する温度差から内部に意見の違いを抱えるASEANが、法的拘束力のある「行動規範」の策定へ向けた「前進」をアピールするための妥協の産物だ。
 ASEAN各国は経済成長を続ける中国と貿易や開発援助などで深い関係があり、米国には、これ以上南シナ海問題で中国への強硬姿勢を強めれば、ASEAN各国を中国側に追いやりかねないとの危機感もある。クリントン氏が提案した「法的根拠」の提示についても、ASEAN各国内の受け止め方に温度差も生じ始めている。
 今回のARFを中国に自制を求める「本丸」と位置づけた日米両政府は、ガイドライン合意を「最初の一歩に過ぎない」とし、「規範」策定に向けてASEAN側を後押しする姿勢を崩していない。一方の中国は多国間での領有問題協議や、拘束力のある「規範」制定に依然抵抗している。
 資源確保へ「南進」を図る中国と、これを止めたい米国の基本的な立場の違いは埋まらず、11月のサミットへ向け、米中間でのASEAN側を取り込む綱引きが水面下で活発化しそうだ。
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アジアの「中国不信」、根底に歴史や文化
WSJ Japan Real Time2011年7月22日19:04
 ヒラリー・クリントン米国務長官は今週、インドネシア・バリ島で開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)に出席する。長官は昨年のARFで、南シナ海の領有権をめぐる紛争解決において、ワシントンは一定の役割を果たす意向だと言明した。ベトナムやフィリピンをはじめとするアジア諸国がワシントンにリーダーシップ発揮を求め、オバマ政権がそれに応えた格好だ。
 だが今年のARFはもっと穏やかなものになるだろう。いずれの側も、どんなにわずかであろうとも、何らかの進展を宣言したいと意気込んでいるためだ。外交筋は今週、南シナ海をめぐる今後の協力の枠組みを規定した「行動宣言」の指針で合意した。ただし、法的拘束力のある行動規範の策定は依然手つかずのままだ。
 表面的には雪解けムードを演出しているものの、昨年以降、南アジア諸国の中国政府に対する警戒心は増す一方だ。それにはもっともな理由がある。中国軍が最近も相変わらず、南シナ海で領有権を主張する他国の船への妨害行為を続けているためだ。
 これには他の観測筋も困惑している。近隣諸国のワシントンへの接近は、中国にとってほとんど利益にならない。米軍に立ち向かえるようになるまでには、まだ何年も「平和的台頭」を続ける必要がある今はなおさらだ。
 にもかかわらず中国は強硬的態度を崩していない。だとすれば、米国とアジア地域の同盟国は、中国指導部がそうした態度を取り続ける理由は別にあると考えるべきだ。すなわち、それには過去の言葉の戦術や国内政治、そして何よりも中国の戦略的文化が影響しているとみるのが最も妥当だろう。
 この観点からして、中国が過去に国民の愛国心をあおったために、軍備の段階的縮小を難しくしたことは想起に値する。南シナ海に位置する岩礁に掘っ立て小屋を建て、兵士を常駐させていた20年前であれば、共産党機関紙・人民日報が中国のごく小さな南シナ海の領域を防衛する兵士の勇姿をたたえても、害はないように思えた。
 だが今や中国は、その誇大な主張の後ろ盾となる軍事力を有している。共産党の安全保障機構を運営する指導部は優位を増し、社会的安定を強化する手段の1つとしてナショナリズムへの訴求を利用している。
 また、他国との関係において中国が必ずしも一貫性や互恵主義に重きを置いていないこともそうだ。中国政府は海洋法に独自の解釈を加え、外国海軍による排他的経済水域(EEZ)への立ち入り禁止を宣言している。
 2009年3月に米海軍調査船が中国海南島沖の国際水域で踏査活動を行ったとき、漁師を装った中国海軍兵士が妨害行為を行った。中国漁船は同様の行為を日本のEEZでも行っている。
 さらに重要なのが、中国戦略当局が約2500年前に著された孫武の兵法書『孫子』に倣い、常に奇襲効果を重視している点だ。過去60年の朝鮮、チベット、インド、ベトナムでの主要紛争すべての開戦において、中国軍は警告なしに攻撃を仕掛けている。
 中国人民解放軍は本当の予算金額を明らかにしておらず、正確な軍事力を把握することはできない。09年の事件のように、南シナ海での紛争では人民解放軍は偽装漁船を利用しているため、その動きは検知するのが難しく、そのため民間人を巻き込む危険を冒すことなく防衛行為を行うことが一段と困難になっている。
 近隣諸国が中国を警戒する原因はここにある。紛争が解決しない限り、人民解放軍が攻撃を仕掛ける可能性を完全には無視できない。
 さらに中国はアジア地域で超大国が撤収するたびに、その機会を利用してきた。米軍による南ベトナム撤退後の1974年や、ソビエト軍によるカムラン湾撤退後の1984年に、人民解放軍はベトナムが領有する島々に侵攻している。
 近隣諸国は中国の歴史と文化を十分認識している。だからこそ中国に不信感を抱き、過去60年そうであったように、今後も米国が地域的平和を保障する役割を担い続けることを望んでいる。
 中国政府が数年前の微笑外交を再び取り戻し、法的拘束力のある南シナ海行動規範の順守を約束してくれることを近隣諸国が期待しているのは確かだ。しかし、今週末の会合で何を発言しようと、息を潜めるつもりはない。
 クリントン長官は恐らく非公開会合で、東南アジア諸国がワシントンによる東アジアでの外交的・軍事的関係強化を望んでいるというメッセージを受け取ることになるだろう。
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尖閣は台湾固有の領土、中国と連携せず…馬総統
 【台北=佐伯聡士】21日の会見で、日米同盟を評価する考えを示した馬英九総統は、中台が領有権を主張している尖閣諸島(台湾名・釣魚台列島)について、「固有の領土で、主権は我々にある」とした上で、「争いを棚上げして共同開発し、資源を共有できるよう望む」と述べ、日本との間で平和的な対話を通じて解決を目指す考えを示した。
 また、解決に向けた過程で「大陸(中国)と連携することはない」と語り、昨年9月の漁船衝突事件で日本との対立を先鋭化させた中国とは一線を画す立場を強調した。
 馬氏が総統に就任した直後の2008年6月には、台湾の巡視船9隻が民間抗議船とともに日本の領海に侵入する事件が発生。馬政権の対日強硬姿勢が際立ち、「反日」的イメージが強まった。
(2011年7月22日08時44分  読売新聞)
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南シナ海 日米で中国の専横封じよ
産経ニュース2011.7.25 03:35
 中国がフィリピン、ベトナムなどと領有権を争う南シナ海の安全は日米両国の国益に直結する。インドネシアで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会議で、中国とASEANが問題の平和解決を目指す「行動指針」を承認したことに目を向けたい。
 両者が2002年に署名した「行動宣言」を実行に移し、法的拘束力を持つ「行動規範」を策定することに向け、一歩前進といえる。一連の会議を締めくくったASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議の議長声明も指針を「歓迎する」とした。
 しかし、海域の安全を確保するルールの確立には程遠い。肝心の行動規範の内容は議論されず、ASEAN側が「多国間での解決」を求めていた紛争処理の枠組みも「対話と協議を続ける」とあいまいな表現になった。
 2国間の交渉に固執する中国の強い反発にASEAN側が譲歩し、規範の策定が先送りされたのは極めて遺憾である。
 南シナ海は、台湾から時計回りにフィリピン、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、ベトナム、そして中国に囲まれた海域だ。各国がそれぞれに主張する領有権は交差するが、中国が全体の8割も主張しているのは異様である。
 1992年の中国領海法は海域内の南沙(スプラトリー)諸島と西沙(パラセル)諸島も自国領土と規定している。フィリピンやベトナムなどとの最近の紛争のほか、一昨年3月には公海上で米海軍調査船が中国艦船に航行を妨害されたこともあった。
 海洋権益の拡大を目指す中国海軍が保有する艦艇の排水総量はすでに東南アジア諸国全体の2倍以上だ。南シナ海での領有権争いは、軍事力で圧倒する中国と他の当事国だけの問題ではない。
 ARF閣僚会議で、クリントン米国務長官は「領有権の主張には国連海洋法条約など国際法上の根拠を示さなければならない」と間接的表現で中国の主張と行動にくぎを刺した。松本剛明外相もすかさず「国際法に準拠して問題を解決すべきだ」と発言した。中国の自分勝手な行動を牽制(けんせい)するには日米の連携が欠かせない。
 南シナ海は日米にとって安全保障の要であり、生命線の海上交通路である。ルール確立への側面支援は、国際の平和と安定を確かなものにする。
*強調(太字)は来栖
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中国の漁業監視船、再び尖閣へ 中国は国内法で尖閣諸島や西沙・南沙諸島を中国領土だと主張2011-01-28 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
自分の国は自分で守る決意/境外を保護するのは法律、正義、自由ではない。国際法も国力の強弱に依存2011-01-12
一触即発の中国・朝鮮半島情勢。米・韓・中、そして北朝鮮とどう渡り合えばいいのか2011-01-12
経済発展によるカネで軍拡を続ける中国 2010年度の国防予算は日本円で6兆292億円2011-01-10
新防衛大綱;「動的防衛力」へ/田母神俊雄著『田母神国軍』2010-12-17
「日本は憲法改正せよ」が米国議会で多数派に/過去最大規模 共同演習「米軍・自衛隊」2010-12-09
「核心的利益」中国は主権や領土に関わる問題で外国に妥協しない姿勢を強めた2011-07-18 | 国際/中国
旧ソ連から買った中国の空母「ワリヤーグ」/有事の戦闘では弱いが、平時に発揮される中国空母配備の効果2011-07-14 | 国際/中国
4年あまりで外相が7人変わった日本の「線香花火外交」につきあう中国の裏側に「南沙問題」2011-07-11 | 国際/中国 
中国は、南シナ海の領有権や海洋権益を巡り、ベトナムやフィリピンなどとのトラブルが絶えない2011-06-20 | 国際/中国
IMF、報告書発表「中国が今後5年以内に世界一の経済大国になる」/民主主義と経済的成功の関係2011-06-11 | 国際/中国
中国、原子炉新規稼働へ/原発を持つ国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができる/原発保有国の本音2011-05-11 | 国際/中国

強姦罪の被告に最高裁が無罪判決/小沢捜査の大鶴基成前東京地検次席・佐久間達哉前特捜部長

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強姦罪の被告に最高裁が無罪判決 一、二審を破棄
中日新聞 2011年7月26日01時59分
 千葉市内のビルで女性に乱暴したとして、強姦(ごうかん)罪に問われた配送業の男性被告(53)の上告審判決で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は25日、「犯行を裏付ける客観的な証拠はなく、被害女性の証言も不自然」として、懲役4年の一、二審判決を破棄し、無罪を言い渡した。
 最高裁が事実認定を覆し、逆転無罪とするのは異例。
 男性は、2006年12月に千葉市内の路上で、通り掛かった当時18歳の女性を脅してビルの屋上に連れ込み、乱暴したとして、起訴されていた。
 第2小法廷は、女性が駅付近で人通りのある午後7時すぎに脅されたとする点に「助けを呼んだり、逃げ出したりせず、現場まで被告についていったとする証言は不自然」と指摘した。
 女性の体内から被告の精液が検出されず、けがをしていないことにも言及し「被告が強姦したと断定するには、合理的な疑いが残る」と結論づけた。
 4裁判官のうち、古田佑紀裁判官(検察出身)が「二審の判断に不合理な点はない」とする反対意見を述べた。
 ■大鶴基成・最高検公判部長の話…被害者供述の信用性が否定されたのは遺憾だが、最高裁の判断なので、真摯(しんし)に受け止めたい。
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「小沢捜査」を指揮した大鶴前東京地検次席が退官、佐久間前特捜部長は左遷の「内幕」 家宅捜査も連発した特捜部捜査の限界
現代ビジネス 2011年07月21日(木)伊藤博敏

 小沢一郎民主党元代表を狙った東京地検特捜部の政治資金規正法違反事件の是非が、改めて問われている。
 実行犯の石川知裕元秘書(現代議士)らを裁く「秘書公判」が今秋に判決、検察審査会に強制起訴された小沢氏の初公判が10月に開かれるという現段階で、是非が問われるとはどういうことか。
 検察OB弁護士が解説する。
 「秘書公判を審理する東京地裁(登石郁郎裁判長)は、検察が提出した3秘書の38通の供述調書のうち11通を全文却下、残りも一部を却下しました。その理由を裁判所は、『検察側が心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら巧妙に誘導した』と、書いています。
 つまり調書は信ずるに値しないというわけで、石川被告が小沢氏に、『虚偽記載を報告、了承を得た』という重要な調書も含まれています。小沢無罪は確定的。3秘書の罪を問えるかどうかも怪しく、検察の捜査手法が改めて問題となっています」
*「特捜検事」のDNAを最も色濃く受け継いだ検事
 大阪地検事件に続く検察の失態だが、その行く末を睨んだように、「小沢事件」の指揮を執った二人の検察幹部が、捜査の第一線から退くことになった。
 ひとりは、最高検の東京担当検事を経て東京地検次席として捜査を指揮した大鶴基成最高検公判部長。大鶴氏は7月末で検察庁を退官、弁護士となる。
 もうひとりは、大鶴氏と長くコンビを組み、「小沢事件」は特捜部長として現場責任者だった佐久間達哉大津地検検事正。8月からは国連アジア極東犯罪防止研修所(アジ研)の所長として刑事司法の様々な問題を取り扱うことになる。
 大鶴氏は、「特捜検事」のDNAを最も色濃く受け継いだ検事といっていい。
 高校時代から田中金脈問題やロッキード事件を解明する検察官の仕事に憧れていたということで、鹿児島の名門ラ・サール高校を経て東大法学部へ。司法修習を経て検事に任官、特捜検事としてゼネコン汚職、総会屋事件などを捜査、2005年4月、念願の特捜部長に就任した。
 特捜部長として手がけた著名案件が、ライブドア事件、水谷建設脱税事件、佐藤栄佐久福島県知事収賄事件などである。いずれも事件の筋を読み、それに沿って供述を取り、立件するという伝統的な検察の捜査手法に則っていた。
*家宅捜査を連発する「大鶴乱射事件」
 意識もまた「特捜検事」そのものである。
 かつて司法修習生向けに、こんな文章を残している。
「そもそも不当に利益を貪ろうという人たちは、摘発されないように巧妙な仕組みを作っているのですから、多少の困難を前にして捜査を諦めたのでは、彼らの思うつぼです」
 大鶴氏にとって特捜検察とは、額に汗して働く国民の側に立ち、地位を利用、不当に利益を得ようとする政治家、高級官僚、企業人などの違法性をチェック、一罰百戒を与える国家秩序の担い手だった。根源には、素朴な正義感がある。
 しかし、権力者には法の穴を突く地位も知識もカネもある。その権力に立ち向かうには、いかに検察といえどもたいへんで、だからといって捜査を諦めたら「彼らの思うつぼ」なのである。
 大鶴流はしつこい。
 捜査の端緒になればいいと、家宅捜索を繰り返す。捜査令状の理由は、後からつければいいという発想で、水谷建設事件では、そのあまりの家宅捜索先の多さから「大鶴乱射事件」と呼ばれたほどである。
 09年3月に大久保隆規秘書を逮捕。その後も追及の手を緩めず、「4億円秘書宅」に目をつけ、その出所がゼネコンからの裏ガネだという目論見のもと、水谷建設ほかのゼネコンを何度も呼んで供述を引き出し、10年1月の「石川逮捕」にまでつなげるのは、まさに「大鶴流」だった。
 佐久間氏は、東大法学部を卒業、司法修習を経て検事に任官、4度、特捜部を経験している。大鶴氏が東京地検特捜部長時代、副部長を務め、佐藤栄佐久収賄事件の際、現場指揮を執った。
 佐久間氏の特捜検事としての能力に疑問符がついているわけではなく、検察庁内の評価も高いのだが、「無理せざるを得ない」という特捜検事の宿命なのか、ここ数年は失点続きである。
 主任検事として捜査を担当した旧日本長期信用銀行の粉飾決算事件では、証取法や商法違反で当時の経営陣を逮捕・起訴したが、いずれも最高裁で逆転無罪判決が下された。また、佐藤栄佐久事件にしても、「特定企業を受注させる行為はあった」としながらも、金銭の認定には至らず、「賄賂なき収賄事件」と、実質的には無罪に等しい高裁判決だった。
 そのあげくの「小沢捜査」である。
*崩れたトライアングル
 佐藤栄佐久事件でコンビを組んだ二人は、捜査を通じて小沢氏の東北談合への影響力を熟知した。その共通認識が、「小沢捜査」の端緒となった西松建設事件を小沢ルートに延ばすきっかけとなり、「何度もチャレンジする」という正義感が、無理な捜査につながった。
 大阪地検事件を機に検察捜査の見直しが始まり、最高検は7月8日、政界を中心とする独自捜査の縮小を決めた。
 「特捜部」という名称は残すものの、財政経済事件にシフト、その理由を笠間治雄検事総長は、こう説明した。
「過度の独自捜査優先の考え方は、過度のプレッシャーを生みかねない」
 これまで検察は、「過度のプレッシャー」のなかから事件の端緒を見つけ出し、立件までのシナリオを書き、それに沿って捜査、供述を取って肉づけをする「シナリオ捜査」を、腐敗する権力の一罰百戒効果と秤にかけ、「日本の利益」のために認めてきた。
 つまり検察にとって「秩序の担い手」は自分たちであり、それを裁判所は認めて99・9%の有罪判決を出し、司法マスコミはそれを支えた。
 しかし、検察と裁判所とマスコミのトライアングルは崩れ始めた。
 「小沢公判」で、裁判所は特捜捜査を認めず、司法マスコミも検察批判を展開、検察自身が組織と意識の改革を約束した。
 その時点で、「小沢捜査」を担った二人の指揮官は責任を取ることを余儀なくされ、大鶴氏は退官、佐久間氏は左遷の道を選んだのである。*強調(太字)は来栖
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証拠がなくなった以上、小沢氏の強制起訴裁判は成立しない/喫緊の課題=指定弁護士による小沢裁判公訴取消2011-07-19 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
石川知裕:最後に特捜部にエールを送って、この事件を終わりにしたい「陸山会事件」2011-07-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「陸山会事件」東京地裁 検察のデッチ上げ調書を証拠採用せず/小沢強制起訴の根幹崩れる2011-07-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「小沢事件」全内幕/裁判所も認めた世紀の謀略/「調書」大量却下2011-07-13 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
検察改革 捜査・公判を根本から問え/陸山会事件〜検察側供述調書、地裁が証拠不採用2011-07-13 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「陸山会事件」異議を棄却/検察側は主要な調書を欠いたまま20日の論告求刑に臨むことになった2011-07-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「特捜部は恐ろしいところだ」ストーリー通りの供述を取らなければ、という強いプレッシャー〈陸山会事件〉2011-07-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
陸山会事件 ニコ生7月10日23時から<徹底検証!検察調書大量却下はなぜ起きたか>小沢氏裁判に与える影響2011-07-10 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
もはや小沢氏を法廷に縛りつける理由はないのに、検察官役の指定弁護士、前田元検事を証人申請2011-07-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

「脱菅」と「脱原発」のどちらも望むのが、今の“多数派”の思潮/脱原発賛成70% 内閣支持17%

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「脱原発」70%賛成 内閣支持17%で最低
中日新聞2011年7月24日 21時02分
 共同通信が23、24両日に実施した全国電話世論調査によると、菅直人首相が表明した「脱原発」方針に対し、「賛成」は31・6%、「どちらかといえば賛成」が38・7%で計70・3%を占めた。内閣支持率は17・1%と6月末の前回調査23・2%より下落し、発足以来最低となった。社会保障と税の一体改革で2010年代半ばまでに消費税率を10%に上げると決めたことに関しては、反対派が52・2%、賛成派は45・0%だった。
 所得制限を導入する子ども手当見直し案については「賛成」が61・0%、「どちらかといえば賛成」は15・9%で、計76・9%を占めた。(共同)
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中日春秋
2011年7月26日
 菅直人とは、何者か。今、政治をめぐる議論の多くは、この問いにたどりつく、といってもいいだろう▼最近の共同通信の世論調査結果を見てみよう。菅さんが、停止中の原発の再稼働に待ったをかけたストレステスト(耐性評価)については、過半が肯定的評価をしている。さらに、菅さんが成立に執念を見せる再生エネルギー推進を狙う法案にも、八割近くが賛成だ▼そして、それらを総括するような菅さんの宣言、「脱原発」の方針も七割が支持している。にもかかわらず、菅内閣の支持率は過去最低、二割にすら届かない。これほど、首相としての評価と、主張への評価が分裂している人も珍しい▼永田町でも似た傾向はあって「主張はいいが、菅さんはいや」という議員が少なくない。いわば、「脱菅直人」と「脱原発」のどちらも望むのが、今の“多数派”の思潮ということになろうか▼だが「脱菅」、つまり、菅さんの退陣が、「脱原発」路線を後退させる可能性はないか。あり得るだろう。実際、反「脱原発」派も「脱菅」を望み、何より、名の挙がるポスト菅候補の中に、菅さんほど「脱原発」を鮮明にしている人はいない▼どちらも望める状況になれば、それでいい。だが、もしも、「脱菅」を望んで「脱原発」が遠のくとしたら、それは“多数派”の本意ではあるまい。ここは、考え所かもしれない。


トヨタ国内生産、急回復 6月、下落率15%に縮小

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【自動車産業ニュース】
トヨタ国内生産、急回復 6月、下落率15%に縮小
2011年7月26日
 トヨタ自動車が25日発表した6月の国内生産台数(単体)は前年同月比15・9%減の24万9660台となり、5月の54・4%減から下落率が大幅に改善。東日本大震災後の部品不足で4月には減少率が8割近かったが、部品調達網の復旧で、車両生産の回復が鮮明になった。
 トヨタは9月以降、震災による減産分を取り戻して納車待ちの顧客に対応するため、休日操業を増やす。2011年度全体での世界生産台数は、前年度を超える水準とする計画だ。
 6月の世界生産台数は9・2%減にとどまり、59万3839台。部品輸送に時間のかかる北米は30・8%減と回復が遅れているが、中国が14・9%増と5カ月ぶりに前年実績を上回った。
 1〜6月でみると、国内生産は前年同期比38・0%減の105万8012台、世界生産台数は23・3%減の298万1420台。国内、世界とも大幅に落ち込んだが、リーマン・ショックの余波を受けた2009年1〜6月よりは減少率が小さかった。
 ただ1〜6月の国内販売は41・3%減で、減少率は09年の26・6%を上回り、販売記録の残る1965年以降で最悪だった。
*大手8社、前月比5割増
 自動車主要8社が25日発表した6月の国内生産台数の合計は、前年同月比15・2%減の69万9296台と、5月の32・0%減より下落幅が大幅に改善した。台数ベースでも5月に比べ5割増となり、部品供給網の復旧により東日本大震災の影響からの回復が鮮明になった。7月の生産は各社ともほぼ正常化しており、下期での挽回を目指すとしている。
 トヨタ自動車は、輸出も20・8%減の12万6127台と、5月の63・3%減から急速に持ち直した。国内生産は「7月はほぼ当初計画レベルに戻る」としている。
 増産に備え部品を多めに確保していた日産自動車の国内生産は、1・9%増の10万2390台と5月に続き前年同月を上回った。輸出もプラスに転じたほか、全世界での生産も18・5%増の41万9831台と単月の生産として過去最高を記録した。
 一方、部品調達が遅れたホンダは、国内生産が前年同月の半分にも届かず、回復の遅れが目立っている。しかし、6月下旬から国内生産は当初計画まで回復したという。
 このほか三菱自動車が5月に続き国内生産が前年同月を上回り好調。マツダとダイハツ工業も下落幅を2%台まで縮め、三菱自とマツダは輸出がプラスに転じた。
 同時に発表した2011年1〜6月の累計は各社ともエコカー補助金の終了に伴う反動減や震災の影響で、トヨタが38・0%減、ホンダが45・7%減になるなど、国内生産は8社とも前年同期を下回った。
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トヨタは国内生産を維持すべきか?2011-07-23 | 社会(経済)

税金で「国民洗脳マニュアル」を作っていた原発推進行政/日本原子力文化振興財団

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税金で「国民洗脳マニュアル」を作っていた 呆れてものが言えない「原発推進」行政
2011年07月26日(火)週刊現代<経済の死角>

 史上最大規模の事故が起きたというのに、お構いなしに原発推進を叫ぶ人々がいる。原発がなければ経済が成り立たない。電気が足りなくなる・・・。ちょっと待って欲しい。それ本当に自分自身の考えですか? 誰かに「洗脳」されてませんか?
*事故は原発推進のチャンス
〈停電は困るが、原子力はいやだ、という虫のいいことをいっているのが大衆である〉
〈不美人でも長所をほめ続ければ、美人になる。原子力はもともと美人なのだから、その美しさ、よさを嫌味なく引き立てる努力がいる〉
〈繰り返し繰り返し広報が必要である。新聞記事も、読者は三日すれば忘れる。繰り返し書くことによって、刷り込み効果が出る〉
〈原子力がなければどんなことになるか、例をあげて説明するのがよい〉
 文面から溢れる傲慢、不遜、?上から目線?に、開いた口が塞がらない。同時に、3月11日以降、我々がずっと違和感を持ってきた、「原発擁護論」の不可解さに通じるものがあることに気付く。
 実はこれは、「日本原子力文化振興財団」がかつてまとめた、原発推進のための?国民洗脳マニュアル?の一部である。
 同財団は、文部科学省、経済産業省という、国の原子力推進のツートップ官庁から業務委託を受け、「原子力への国民の理解増進に寄与するため、様々な広報活動を展開」(同財団事業報告書)する組織だ。
 役員名簿には、電気事業連合会の幹部の他、東京電力の清水正孝前社長、関西電力の八木誠社長、佃和夫・三菱重工会長、西田厚聰・東芝会長など、電力・メーカー幹部の名前がずらり。東京大、大阪大などの名誉教授クラスも、理事に名を連ねている。
 その運営の元手となる事業活動収入は、こうした会員企業・団体からの賛助金のほか、文科省、経産省からの受託事業による。'09年度の決算ベースで、そうした受託事業収入の総額は約3億2300万円に達し、同財団の年間収入の34.1%を占めている。
 つまり、この財団は?原子力村?からの上納金と、「税金」によって運営されているわけだ。そのカネを使って何をしていたのか。冒頭で紹介した「洗脳マニュアル」のようなものを作成し、原子力の?安全神話?を撒き散らしていたのである。
 問題の文書は、'91年に旧科学技術庁の委託を受け、同財団がまとめた『原子力PA方策の考え方』。PAとはパブリック・アクセプタンスの略で、「社会的受容性」などと訳される。簡単に言えば、「原子力への理解を一般大衆に広めよう」という目的で作成された文書、ということだ。
 検討委員会に参加していたのは、当時の財団幹部、科学技術庁の原子力推進担当者に加え、読売新聞の論説委員、電気事業連合会の広報部長、メーカーの宣伝担当、シンクタンク研究員ら。議論は20年前のものだが、原子力村の国民を愚弄した思考法、手口がよく分かる資料だ。
 そして、今回の福島第一原発の事故以降も、大手メディアで、あたかも事故などなかったかのような「原発擁護論」が垂れ流されてきたのは何故なのか。それがよく分かるので、ぜひ確認してほしい。
 まず、このマニュアルによれば、
 〈広報効果の期待できるタイミングを逃さず、時機に応じたタイムリーな広報を行う〉
 べきだという。では、どんな時が?タイムリー?なのかと言えば、それはなんと、原発で「事故が発生したとき」なのだそうだ。
〈何事もない時の広報は難しい。事故時を広報の好機ととらえ、利用すべきだ〉
 〈事故時はみんなの関心が高まっている。大金を投じてもこのような関心を高めることは不可能だ。事故時は聞いてもらえる、見てもらえる、願ってもないチャンスだ〉
 笑止なことに彼らは?原発は人気がない?ことをよく知っている。原子力は〈積極的に近づきたい、知りたいという気持ちになる対象ではない〉と認めている。だからこそ、事故が起きて耳目を集めやすい時が、むしろチャンスだという。
〈事故時の広報は、当該事故についてだけでなく、その周辺に関する情報も流す。この時とばかり、必要性や安全性の情報を流す〉
 世界史に残る大規模事故と放射能汚染を起こしたというのに、この4ヵ月、「でも原発は必要だ」という声が、不自然なほど強く唱え続けられてきた。実はそれこそ、マニュアルに則った「洗脳」の手口だったのだ。
 最近は「電力不足」「節電」に関する議論が巷では喧(かまびす)しいが、実はこれも?広報活動?の一環である。
〈夏でも冬でも電力消費量のピーク時は(原子力が)話題になる。必要性広報の絶好機である〉
 原発がなければ、再稼働しなければ電力が足りない。耳にタコができるほど聞いたこのフレーズは、まさに〈繰り返し繰り返し〉の刷り込み工作に他ならない。
*まずは父親から
 さらにマニュアルでは、ターゲットごとに効果的な宣伝方法を考えるべし、とする。まず「重要ターゲット」と位置付けるのは、父親=サラリーマン層だ。
〈父親層がオピニオンリーダーとなった時、効果は大きい〉
 〈母親の常識形成にも影響が大きい。父親は社会の働き手の最大集団であり、彼らに原子力の理解者になっていただくことが、まず、何より必要〉
 生活を支えなければならない家庭の父親は、原子力や放射能が危険だからといって、すぐに仕事を放棄して避難する等の行動は取りにくい。
 その一方で無意識のうちに、知識と情報があれば危険は避けられる、騒ぐ必要はない・・・とも思っている。 そこに付け込み、マニュアルは〈事故時などには簡単な原子炉のしくみなどを分かりやすい資料にして提供〉し、次にはその〈家族向けに作った簡単な資料を父親が家に持って帰る〉ように図れと言う。
 さらには、〈原子力による電力が?すでに全電力の三分の一も賄っているなら、もう仕方がない?と大方は思うだろう〉として、こう方策が記されている。
〈サラリーマン層には?1/3は原子力?、これを訴えるのが最適〉
〈電力会社や関連機関の広告に、必ず?1/3は原子力?を入れる。小さくともどこかに入れる。いやでも頭に残っていく。広告のポイントはそれだ〉
 どうだろうか? 生活のためには仕方がない。原子力がなければ生活水準が下がるかも—国民のそんな不安に付け込んで原発推進に利用しろと、マニュアルは提案しているわけだ。
 一方、男性層に比べていっそう見下されているのが、女性・主婦層である。
〈女性(主婦層)には、訴求点を絞り、信頼ある学者や文化人等が連呼方式で訴える方式をとる〉
〈「原子力はいらないが、停電は困る」という虫のいい人たちに、正面から原子力の安全性を説いて聞いてもらうのは難しい。ややオブラートに包んだ話し方なら聞きやすい〉
*主婦は有名人で落とす
 女性を見下したような書き方になっているのは、マニュアルの検討委員がほとんど男性だったことも関係しているのか。
〈主婦の場合、自分の周りに原子力発電所がなければ、原子力発電を他人事としか受け取っていない。したがって、情報に対する興味が初めからない。興味がない人に注意を喚起する必要があるのか〉
 ただしその一方で、主婦は〈反対派の主張に共感しやすい〉とした上で、その大きな理由として、「食品の安全性」に対する関心の高さを上げ、その点に脅威を感じている。
〈チェルノブイリ事故によって、輸入食品の汚染が言われるようになり主婦層の不安が増大した〉
〈その関心に真正面から応える記事でなければ受け付けてもらえない〉
 まさに現在この想定通りの事態が起きている。しかし汚染の規模は想定をはるかに超えて巨大だった。では、真摯に食品の安全性確保に取り組むのかと言えば、そうならないのが?原子力村?だ。
〈環境、自然食品などエコロジーに関心の強い女性は、地域の消費者センターのような所を頼りにしている〉
〈そういったところのオピニオンリーダーを理解者側に取り込めたら、強い味方になる〉
 リーダーを籠絡し、反対派を切り崩す・・・。これは、原発建設の反対運動を潰す工作にも使われている手法。福島でもかつて、反対派のリーダー格だった人物が、突然、賛成派に鞍替えして、後に町長になった例がある。コミュニティーをバラバラにする、こうした手法は原子力村のいわば?十八番?と言える。
 そして、女性を中心に、「信頼ある学者や文化人」などに弱い大衆をコントロールするため、力を注ぐべきは識者・有名人、そしてマスコミへの広報活動だとしている。
〈テレビの何々ショウといった番組で影響力の強い人がしゃべったのを聞いて、賛成になったり反対になったりする主婦もいる〉
〈原子力に好意的な文化人を常に抱えていて、何かの時にコメンテーターとしてマスコミに推薦できるようにしておく〉
〈コメンテーターにふさわしい人の名をマスコミが自然に覚えるよう、日頃から工夫する必要がある〉
 ここでのポイントは、マスコミが「自然に覚える」よう仕向けるということ。「この人は中立的で良識派のコメンテーターだ」と、日頃からマスコミを慣れさせ、親しませておき、いざとなったら、彼らを解説者として送り込み、原子力擁護の論陣を張るのだ。
 これは今回の事故当初、テレビや新聞に登場した「識者」が、いわゆる?御用学者?ばかりだった事実とよく符合する。無邪気な記者たちは、有事に際し記者クラブで名前が通っていて、役所の受けが良い学者たちに一斉にコメントを求めた。だが、実は彼らは皆、?御用学者?ばかりだったというわけだ。
〈文科系の人は数字を見るとむやみに有難がる〉
 そんな、大手メディアの文系記者をバカにしたような記述もある。事故直後の1ヵ月以上、彼ら行政・原子力村御用達の学者は、そうしてマスコミと世論を惑わし、事故を過小評価し、メルトダウンなど起きていないと強弁し続けた。結果的に、それが国民が被曝から身を守るチャンスを奪ったことを忘れてはならない。
*「青酸カリも原子力も同じ」
 もちろん、その一方で、直接マスコミに働きかけることも怠らない。
〈マスコミ関係者との個人的なつながりを深める努力が必要ではないか。接触をして、いろんな情報をさりげなく注入することが大事だ。マスコミ関係者は原子力の情報に疎い〉
 〈テレビディレクターなど制作現場の人間とのロビー作り(利益代弁者作り)を考える(テレビ局を特定してもよい)。特定のテレビ局をシンパにするだけでも大きい意味がある〉
〈人気キャスターをターゲットにした広報を考える。事件のない時でも、時折会合を持ち、原子力について話し合い、情報提供をする〉
 原発に対する微妙なコメントや態度を繰り返してきた、何人かのキャスターの顔が眼に浮かぶようだ。ここでもマニュアルは、〈逆境の時こそマスコミにアプローチするチャンス〉などとしている。論調がブレているキャスターらは、籠落しやすい対象ということなのかもしれない。
 まさに、転んでもタダではおきない。福島を訪れ、「ピンチはチャンス」とのたまった御用学者がいたが、こうして洗脳マニュアルを一通り眺めると、「何が何でも原発を推進する」、それこそが彼ら?ムラ?の住民の、揺るがぬ総意であることが明らかになった。
 当の日本原子力文化振興財団の現専務理事・横手光洋氏はこう話す。
「上から目線の物言いになっているのは、確かに我々が見ても不適切な表現かなと思います。ただ、現在もこれに沿って活動しているということはないと思います。『事故の時こそチャンス』なんて、まったく思っていませんよ。こういう状況ですからイベントなどは自粛し、いまは放射線に関する説明会や、講師の派遣などを行っています」
 とはいえ、現在も続く安全デマ・ゴリ押しの原発推進論が、ここまで紹介してきたマニュアルの基本コンセプトと、非常に似通っているのは事実。むしろこの20年でプロパガンダの手法がすっかり定着し、ごく自然に?洗脳工作?が行われるようになったと考えたほうがよさそうだ。
 マニュアルの中には、こんな一文もある。
〈誰が考えても、原子力は危険なものだ〉
 にもかかわらず、彼ら原子力村の住民たちは、
〈対策さえ十分なら安全に取り扱える〉
〈危険でも安全に注意して扱えば安全になる。青酸カリでも火でも、なんでも同じだ〉
 などと言い、遮二無二、原子力を推進してきた。
 手口はよく分かった。国民はもう、二度と騙されることはない。
「週刊現代」2011年7月30日号より
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「原子力」天下り 結ぶ 「原子力村」霞が関一帯に密集2011-07-16 | 地震/原発

  
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電力会社の利権を奪えば脱原発できる! ニッポンの自家発電はすでに原発60基分2011-06-13 | 地震/原発
   JR東日本、キリンビール、六本木ヒルズ、大阪ガス・・・全国ですでに6000万kWの電気が作られている---が、さらに企業に広まらない裏には、カラクリがあった。
「かき集めても、やっとこのぐらいという感じだ」。5月23日、中部電力(中電)本店で行われた会見で、水野明久社長(57)は厳しい表情でこう漏らした。浜岡原発停止後、7月と8月の電力供給力がピーク時の需要を5%ほど上回るものの、安定供給には到達しないと発表したのだ。恒例の電力会社による「電力が足りなくなる」というアピールである。そこで、中電が打ち出しているのが、自家発電設備を持つ管内の民間企業から余剰電力を買い取るという方針だ。
 とはいえ、中電が買い取れるのは余剰電力に過ぎない。管内最大となる60万kWの発電能力を備えた名古屋製鉄所(愛知県東海市)を持つ新日本製鐵の広報センターは次のように説明する。
「製鉄の過程で出る熱やガスを利用するもので、発電量は生産量に左右されます。発電した電気は自社工場内でも使用しますので、そのすべてを余剰電力として売電できるわけではない。そして、これまでも余剰電力を中部電力に売ってきました。ですので、それ以上の?埋蔵電力?があると思われると困るのですが」
 あまり知られていないが、発電施設を所有しているのは電力会社だけではない。 '95年の電気事業法の改正によって電力会社による独占が一部緩和され、電力供給を行う新たな企業(事業者)が生まれた。新日鐵のように余剰電力を電力会社に売る企業もある。その一方で、非常用や自社工場での消費を目的とした自家発電もある。環境エネルギー政策研究所主席研究員の松原弘直氏が解説する。
「工場の自家発電施設で最も導入されているのは、重油など化石燃料を使う発電機ですが、油の価格の上昇で、発電するよりも電力会社から買ったほうが安く、ほとんど稼動していなかったはずです」(続き
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なんと原発50基分!埋蔵電力活用で「脱原発」できる/電力会社の利権を奪えば脱原発できる2011-07-11 | 地震/原発
  大マスコミは「電力不足」と煽っているが…(続き

和歌山毒物カレー事件 弁護団が再審請求審で「鑑定の紙コップは別物」

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カレー事件弁護団「鑑定の紙コップは別物」
産経ニュース2011.7.25 23:55
 平成10年に4人が死亡した和歌山の毒物カレー事件で、殺人などの罪で死刑が確定した林真須美死刑囚(50)の弁護団が再審請求審で、鑑定によりヒ素が検出された紙コップは事件現場で発見されたものとは別だと主張していることが25日、分かった。事件発生から13年となるのにあわせ、この日、大阪市内で開かれた支援者集会で明らかにした。
 確定判決は、事件現場で発見された青色紙コップからヒ素を検出した鑑定結果などに基づき、林死刑囚がこの紙コップを使って自宅にあったヒ素をカレー鍋に混入したと認定している。 しかし、事件現場で発見され、その後保管されていた紙コップを今年3月、弁護団が和歌山地検で実際に見たところ、薄黄色をしており、鑑定に用いられた紙コップとは明らかに別の物だったという。
 また、林死刑囚宅の台所で発見され、ヒ素が付着していたプラスチック容器についても、底には土砂や植物が付着しているなど屋外で使用されていたと考えられるという。弁護人は「容器はどこか別の場所から捜査機関によって持ち込まれた可能性がある」と指摘している。
 弁護団はこれらの主張を補充書にまとめ、今年5月31日付で和歌山地裁へ提出。林被告は21年5月に死刑が確定したが、無実を訴え、同年7月に再審請求している。
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林眞須美さんを支援する会
和歌山毒物カレー事件

東電女性殺害事件/弁護団、「鑑定結果は無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」再審開始を求める

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鑑定結果は「新証拠」
2011年7月27日 中日新聞 朝刊
 一九九七年三月に起きた東京電力女性社員殺害事件の再審請求審で、ネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者(44)=無期懲役が確定=の弁護団は二十六日、受刑者以外の第三者が殺害現場にいた可能性を示すDNA型鑑定結果を「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」として再審開始を求める書面を東京高裁に提出した。また東京高検に対し、刑の執行停止と即時釈放を申し入れた。
 弁護団によると今回鑑定されたのは、精液や体毛、取っ手が引きちぎられた被害者のショルダーバッグなど四十二点。鑑定の結果、遺体の下や同じ室内に残されていた計三本の体毛から被害者の女性=当時(39)=の体内に残されていた精液と同じDNA型が検出され、マイナリ受刑者のものとは異なっていた。
 弁護団は書面で「被害者が事件当夜、マイナリ受刑者以外の男性と現場アパートで性交したと考えるのが自然だ」と主張。「新証拠は、第三者が被害者と現場の部屋に入ったとは考えがたい、と判断した確定判決を覆すものだ」としている。
 一方、捜査段階で取っ手の付着物からマイナリ受刑者と同じB型の血液反応が出たバッグや、犯人が東京都豊島区内に捨てたとみられる被害者の定期入れからは、今回の鑑定でDNAは検出されなかった。
 バッグの取っ手の付着物について、捜査段階の鑑定書には、分析した試料は残っていると記載があり、弁護団は再審請求審でDNA型鑑定を求めたが、検察側は「試料はない」と回答。このため、今回はバッグそのものを鑑定した。
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毎日新聞2011年7月22日6時0分
クローズアップ2011:東電社員殺害、別人DNA 14年後の鑑定、なぜ
 東京電力の女性社員殺害事件で無期懲役が確定したネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者(44)の再審請求審は、被害女性の体内に残された精液のDNA型が別人のものと判明したことで、大きく動き出した。事件から14年が経過してから得られた鑑定結果。なぜ捜査段階ではDNA型鑑定は実施されなかったのか。鑑定結果は再審の「扉」を開く鍵となるのか。
 ◇「試料微量、当時は困難」
 「残っていた精液が非常に微量で、当時の科学技術では鑑定ができなかったと聞いている。できたのなら当然やっている」。マイナリ受刑者とは別人のものとされた精液のDNA型鑑定を捜査段階でしていなかったことについて、ある検察幹部は21日、こう説明した。
 一方の弁護側も1、2審を通じ、DNA型鑑定を強く求めることはなかった。関係者は「マイナリさんは鑑定をするまでもなく、冤罪(えんざい)の確信があったし、実際に1審は無罪だった。2審でまさかの有罪になり、最高裁も証拠調べを受け付けなかった」と唇をかむ。
 05年3月の再審請求以降、弁護団、検察、東京高裁は繰り返し協議を行い、審理の在り方を探った。攻防の焦点は被害女性の体内にあった精液などを使った新たなDNA型鑑定の実施。弁護側はそれだけでなく、女性のショルダーバッグや現場から離れた場所で見つかった定期券入れなど「思いつく、ありとあらゆる対象」(弁護団関係者)を鑑定するよう強く求めた。
 今年に入り、裁判長は検察側に切り出したという。「試料(精液)が残っているのでしたら、鑑定をやってはいかがでしょうか」。これを受け入れた検察側は関西の大学関係者に最新の鑑定を依頼、7月下旬になって「別人のもの」という結果が届いたという。
 捜査段階でDNA型鑑定が行われなかったことについて、弁護側の依頼を受けてマイナリ受刑者の精液に関する鑑定を上告審に提出した押田茂実・日大医学部教授は「血液型鑑定は行われたのに不自然だ。隠していると思われても仕方ない」と批判する。
 これに対し、ある警察幹部は「事件当時、DNA型鑑定の条件は現在に比べて悪かった」と強調する。
 警察庁が犯罪捜査に関するDNA型鑑定を始めたのは89年。だが、鑑定の精度が飛躍的に向上したのは、染色体の九つの部位を同時に検査する判定法が導入された03年からだ。先端の自動分析装置や検査試薬も取り入れ、鑑定の確度が高くなっただけでなく、微量の試料の鑑定も可能になった。今回、東京高裁がDNA型鑑定を促した背景には、鑑定技術の向上がある。
 赤根敦・関西医科大教授(法医学)は「当時、試料の少なさから正確な鑑定結果を出すのは難しいと判断した可能性はある」との見方を示しつつ、「技術的に無理だったとは言い切れない。体内から採取される精液のDNA型鑑定も珍しくはなかった。結果が出なかったというならともかく、検査自体をしなかったことには疑問を感じる」と指摘している。【鈴木一生、鮎川耕史】
 ◇「第三者」特定厳しく
 再審開始の可能性はどの程度あるのか。今回のDNA型鑑定の結果に、弁護側は「本来なら、これまでの証拠だけでも十分無罪になるべき事件。再審開始の道が大きく開けた」と喜びの声を上げる。弁護側の鑑定に協力した押田教授も「現場に残された受刑者の精液の状態のみでも、有罪判決には大いに疑いがあった。今回の鑑定結果が無罪への決定打になる」と評価した。
 検察内部にも有罪が揺らぐとみる人はいる。ある中堅検事は「被害女性と現場で性交渉していた可能性が高い『第三者』は、受刑者と同じ立場。第三者のアリバイが立証できないと、確定判決を維持するのは難しいのでは」と漏らす。
 逆の見方もある。検察幹部の一人は「鑑定結果が再審開始に直接結びつくとは到底考えられない」と強気の姿勢を崩さない。警察が管理するデータベースには該当するDNA型はなく、第三者の特定はかなり厳しい状況にある。被害女性は多くの男性と接点があり、第三者の素性や事件当日の具体的な行動が分からない以上、今回の鑑定結果だけをもって受刑者の無罪が明らかになったとまでは言えないという理屈だ。
 また、あるベテラン刑事裁判官は「足利事件のように、今回の鑑定結果だけで即座に再審開始の可能性が高まったとは言えない。白鳥決定に基づけば、新証拠と旧証拠を総合してどう判断できるかだ」と慎重だ。
 確定した高裁判決は、間接証拠を積み上げて有罪認定している。精液や毛髪だけでなく、受刑者の供述の不自然さや目撃証言、受刑者が現場の部屋の鍵を持っていたとの状況などだ。今回の鑑定結果も直接証拠とはなりえず、新たな間接証拠の一つに過ぎない。
 ベテラン裁判官は「再審開始とするなら、高裁が有罪判決の根拠とした証拠の評価を一つ一つ変えないといけない。結論が出るまでに、まだまだ時間がかかるのではないか」と観測した。【和田武士、山本将克】
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東電女性殺害事件/身体上のことや私生活をここまで暴かれる苦痛/無罪推定原則2011-07-22 | 社会
  東電女性殺害 新事実に目を凝らせ
社説:東電女性社員殺害 再審で審理やり直せ
 驚くべき事実だ。97年に起きた東京電力の女性社員殺害事件で、被害者の体から採取された精液のDNA鑑定をした結果、無期懲役が確定したネパール人受刑者とは別人で、現場に残された身元不明の体毛と型が一致したことが分かったのだ。
 元飲食店従業員のゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者の再審請求審で、東京高裁の求めに応じ、東京高検が専門家に鑑定を依頼していた。
 直接的な証拠がない事件だと言われた。だが、現場である東京都渋谷区のアパートの部屋のトイレに残されていた精液と、落ちていた体毛1本のDNA型がマイナリ受刑者と一致したことなどから、マイナリ受刑者は逮捕・起訴された。
 しかし、マイナリ受刑者は捜査段階から一貫して否認した。1審・東京地裁は2000年4月、トイレにあったマイナリ受刑者の精液を「犯行のあった日より以前に残された可能性が高い」と認定。さらに、遺体近くに別の第三者の体毛が残っていたことを指摘し「状況証拠はいずれも反対解釈の余地があり不十分」などとして、無罪を言い渡した。
 しかし、東京高裁は同12月、マイナリ受刑者以外が現場の部屋にいた可能性を否定し、無期懲役を言い渡し、03年11月に最高裁で確定した。
 再審は、無罪を言い渡すべき明らかな新証拠が見つかった場合に始まる。最高裁は75年の「白鳥決定」で「新証拠と他の全証拠を総合的に評価し、事実認定に合理的な疑いを生じさせれば足りる」と、比較的緩やかな判断基準を示した。
 新たな鑑定結果は、現場にマイナリ受刑者以外の第三者がいた可能性を示すもので、確定判決の事実認定に大きな疑問を投げかけたのは間違いない。裁判所は再審開始を決定し、改めて審理をやり直すべきだ。
 それにしても、被害者の体から精液が採取されていたならば、容疑者の特定に直結する直接的な証拠ではないか。トイレに残っていたコンドームの精液をDNA鑑定する一方で、体に残った精液のDNA鑑定をしなかったとすればなぜか。整合性が取れないとの疑問が残る。
 警察・検察当局は、鑑定技術の問題なのかを含め、再審請求審までDNA鑑定がずれ込んだ経緯を十分に説明してもらいたい。また、なぜ公判段階で証拠調べができなかったのか弁護団も検証すべきだ。検察側の証拠開示に問題があったのか、弁護側に落ち度があったのか責任の所在を明らかにすることが、今後の刑事弁護に生かす道につながる。
 DNA鑑定は、容疑者の特定に直結する。再鑑定ができるよう複数の試料を残すことなど保管についてのルール作りも改めて求めたい。毎日新聞2011年7月22日2時32分
...
<来栖の独白2011/07/22Thu.>
 「こういう事件、裁判があったのか」という感懐。私は、つい昨日まで、この事件のことは知らずにきた。あらためていくつかの記事に目を通し、「疑わしきは被告人の利益に」の条文が頭に浮かんだ。
 犯人でない者を罪に定め(1審判決は無罪だったという)懲役刑を科すなどはあってはならないことだが、この種の事件に出会っていつも考えてしまう。被害者(女性)としては身体上のことや私生活等をここまで暴かれ世間の口の端に上ることの苦痛は決して小さくないだろう、と。記事・社説には、究極のプライバシーといえるワードがあまた躍る。同じ女性として、非常に辛い。果たしてこれ以上の捜査を被害者は望んでいるだろうか、などと意気地のない私は考えてしまう。

*「疑わしきは被告人の利益に」
 無罪推定の原則は犯罪の明確な証明があったときにのみ有罪となり、それ以外の時は無罪となることを意味すると同時に、犯罪の立証責任を検察官に負担させ、立証できないときは被告人を無罪とする原則でもある。
 無罪推定原則の法的根拠は憲法31条の適正手続き保障の規定の解釈や刑事訴訟法336条後段によるとされる。
憲法31条「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」
 重要なのは「法律の定める手続きによらなければ」という文言である。憲法31条は”原則被告人は無罪である。しかし、例外的に法律(=刑事訴訟法)の定める手続きによれば有罪とできる”と解釈されているのである。
刑事訴訟法336条「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪を言い渡さなければならない。」
 これは犯罪の証明がないときは無罪という直接的な規定である。無罪推定原則が刑事裁判で鉄則とされるのは、刑事訴訟法の条文があることも理由だが、それ以上に無罪推定原則が憲法上の保障を受けているためである。言うまでもないことだが、憲法上の保障は法律上の保障よりも強い保障である。

死刑執行から1年 かすむ死刑論議/震災・原発・沖縄・死刑、いずれも軽重区別をつけてはならない命の問題

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千葉元法相の呼び掛け1年 かすむ死刑論議
2011年7月26日 東京新聞 朝刊
 死刑廃止論者だった千葉景子元法相が突然、死刑執行に踏み切り、国民的議論を呼び掛けてから二十八日で一年になる。この間、新たな執行はないが、裁判員裁判で死刑判決が続き、確定死刑囚は過去最多の百二十人に。廃止を迫る国際世論は強まるばかりだが、国内の議論は震災や検察改革の陰で盛り上がる気配がない。(小嶋麻友美)
 昨年の執行後、千葉元法相は「国民的な議論の契機にしたい」と刑場をメディアに公開し、法務省内の勉強会を立ち上げた。しかし、法相はこの一年で三人交代。法務当局は大阪地検特捜部の証拠改ざん事件に端を発した取り調べ可視化への対応や組織改革に明け暮れ、死刑議論はかすんだ。
 勉強会は六回開かれたが、存置論者や廃止論者からヒアリングした程度。前進が期待された情報開示も勉強会の議事録や資料をホームページで公開するにとどまる。
 一方、市民が加わる裁判員裁判での死刑判決は昨年十一月以降、八件に上る。このうち二被告が控訴を取り下げ判決が確定した。
 国内の議論が停滞する中、死刑廃止の国際潮流は揺るがない。国連総会は昨年十二月、三度目となる死刑の執行停止決議を採択。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、死刑の全面廃止国は昨年末で九十六カ国で、この二十年で四倍以上になった。
 存置国は日本や米国、中国など五十八カ国だが、米国では廃止する州が増え、中国の最高裁(最高人民法院)も昨年来、死刑の適用基準を厳しくしたり、適用罪名を減らすなどの動きが出ている。
 仮釈放のない無期刑の創設と執行の一時停止を盛り込んだ法案提出を目指す「死刑廃止を推進する議員連盟」の亀井静香会長は「廃止は世界の流れで、日本でも仮釈放のない無期刑ができれば死刑判決は減るはず。そうなれば国会でも議論が起きてくる」と強調する。 ◆オウム全裁判が年内に終結/震災・原発・沖縄・死刑、いずれも軽重区別をつけてはならない命の問題2011-06-18 | 死刑/重刑/生命犯 問題
  オウム遠藤被告、9月に弁論=死刑上告で最後−最高裁
 地下鉄、松本両サリン事件など4事件で殺人罪などに問われ、一、二審で死刑とされたオウム真理教元幹部遠藤誠一被告(51)について、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は16日までに、弁論期日を9月29日に指定した。
 教団をめぐる一連の事件で死刑が言い渡されたのは13人。このうち11人が確定し、上告中の中川智正被告(48)も9月16日の弁論が決まっている。(時事通信2011/06/16-17:54)
〈来栖の独白2011/06/18Sat.〉
 全裁判が終結、確定すれば、オウムの場合、次に来るものはかなり早期と予想される。国にとって最も効果的な時期、状況を選んで行われるだろう。
 昨年7月28日、千葉法相(当時)は東京拘置所在監の2名に対して死刑を執行した。私はこれを法務官僚に半ば屈した末の命令と受け止めたが、某テレビ番組で千葉氏と側近が語っていたところによれば、千葉氏は法相就任の極めて早い時期に執行命令の決断はしていたという。さまざまなことがあって命令の時期が遅れただけ、ということだった。命令書に判を押さないで済ませる気はなかった、と。
 死刑廃止思想の持ち主でいらしたから、執行について煩悶があったことは疑う余地はないだろう。が、氏は法相として死刑執行の決断はしていた、ということだ。なぜ、執行するか。彼女の云うことによれば、「死刑についての議論を国民の間で起してほしいから」ということであった。
 死刑囚2人に命を差し出させることで願った、死刑制度に関する国民的議論。その結果はどうだったか。一時的に騒いだだけではなかったろうか。
 3・11以降は東日本大震災以外のことを話題にすれば、顰蹙を買いかねない風潮である。ましや、「死刑」の議論など、ごくわずかの変人のすること、不謹慎の極みであろう。
 K君(名古屋アベック殺人事件、無期懲役者)は書信の中で次のように言う。
“衣食住の全てを税金でお世話になっている私たち受刑者は、東日本大震災や原発事故の関係で当然のことながら、節水や節電に取り組むことになります。昨年に続いて今年もまたとても厳しい夏になりそうですが、微力ながら私も「今の自分にできること」をしっかりと考えて実行してゆきたいと思います。”
 3・11以降、揺るがせにできない問題は数々起きた。中国は新規原発を稼働させたし、北方領土の問題、また沖縄については、それこそ国民が一緒になって考えねばならない問題をアメリカは提起してきている。それらすべて命の問題である。
 いかなる状況にあっても、不断にしっかりと考え、取り組んで「ここに問題があります」と言ってゆかねばならない。東日本大震災の問題も原発の問題も、そして沖縄、防衛・安全保障のことも死刑も、いずれも軽重区別をつけてはならない問題である。
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8月中に東京拘置所の刑場を報道陣に公開 平和(シャローム)とは「傷付いた部分のない状態」をいう2010-07-30 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 〈来栖の独白 2010-07-30Fri.〉
 報道によれば、千葉法相は、8月中に東京拘置所の刑場を報道陣に公開するそうだ。これまで密殺・密行であった処刑。それが刑場だけでも、公開されることになる。
 故勝田清孝死刑囚は上告趣意書のなかで「犯罪の抑止に少しでも貢献できるのであれば大衆の面前での処刑をも辞さぬと純粋に考えたりする私です。」と述べ、東京拘置所在監の死刑囚坂口弘氏も“叶ふなら絞首は否む広場での銃殺刑をむしろ願はむ” と詠んでいる。
 また、私も弊ホームページのなかで、「死刑とは何か〜刑場の周縁から」と題して加賀乙彦氏や大塚公子氏の作品から、刑場と刑執行の有り様について考えてみた。
 裁判員制度が施行されて1年以上が経過した。本年は死刑という量刑も考えねばならない事案も出てくる、とも報じられている。国民は、死刑について知らねばならない。そのための水先案内人となって28日処刑に立会い、そしてまた本日「8月中に東京拘置所の刑場を報道陣に公開」と発表した千葉法相の英断を賛美したい。
 冗談(英断を賛美)は、ここまで。
 千葉法相は、「国民的な議論の契機にしたい」として28日の死刑執行を命令したと言う。如何にも乱暴、強引な理由付けではないだろうか。命を奪わず(執行せず)とも議論はできるのではないか。法相という重く高い立場のもたらす苦悩が私のような民間人には理解不能なのだろうが、私はどう考えても二人の命の喪失の上に何かが結実するとは思えないのである。千葉法相は、死刑廃止の理念を持っておられた。死刑廃止は「平和」と同じく、人類の叡智を傾けて成される高邁な理想である。手前味噌(私はカトリックの信徒である)を言わせて戴くなら、聖書によれば、「平和(シャローム)」とは「傷付いた部分のない状態」をいう。「国民的な議論の契機」が死刑執行であった、命を奪うこと(身体全損)であったなら、私は立ち上がれないような思いに閉ざされる。こんな契機で死刑廃止も平和も訪れるとは思えない。全存在を否定された二人の絶望を見過しにできない。
 また千葉氏は、死刑執行を法務官僚側から説得されたとの一部報道に対しては「まったく当たっていない」と答えているが、それも俄かに信じがたい。そもそも従来、法相に死刑執行を説得しない法務官僚など、あり得ない。「死刑執行命令書に判を押すこと」と「刑場の公開」は、双方がギリギリで見せたカードだったろう。1年近くも判を押さずに踏ん張った千葉氏が易々と判を押したとも思えず、永年開かずの扉を守ってきた法務省が易々と刑場を公開するはずもない。
 夢想しないではいられない。本日は叶わずとも、明日にでも死刑制度が廃止されるなら、刑場の公開も不要となる。「刑場の公開」ということは、この国が死刑を存置している、この先当分は存置する、ということだ。
 「死刑制度の存廃を含めたあり方を研究する勉強会も同月中に発足させる方針」とも言う。まだまだこの先当分、死刑は続きそうだ。「研究」や「勉強会」の類いが、早急に対応したためしはない。
...
メディアは伝えるべきことを伝えているか<愛の反対は憎しみではなく無関心です>2011-06-17 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 中日春秋
 2011年6月17日
 太平洋戦争末期、東海地方で大地震が続き、甚大な被害が出たことを当時、大半の国民は知らなかった。軍部の報道統制で、新聞はわずかな事実しか伝えられなかったからだ▼昭和十九年十二月七日の東南海地震で、三重や愛知県などで約千二百人が犠牲になった。翌八日は太平洋戦争の開戦から三年。各紙の一面トップは昭和天皇の写真付きの記事だった▼中部日本新聞(中日新聞)でも、三面に二段の小さな記事だけだ。レイテ沖海戦にも敗れた厳しい戦況の下、国民の士気への影響を軍部は恐れたのだろう(保阪正康責任編集『昭和史講座』)▼一カ月後、愛知県三河地方を襲った直下型地震では、二千人を超える死者が出ている。中部日本新聞は「再度の震災も何ぞ 試煉(しれん)に固む特攻魂」の見出しを掲げ、被害状況にはほとんど触れなかった▼軍の情報統制は今はない。被災地や原発事故のニュースは厚みがある。それでも自問を重ねる。伝えるべきことを伝えられているか、震災報道の陰で埋もれている重要なニュースはないか▼北沢防衛相は、米普天間飛行場の代替え施設の滑走路をV字形にすることや、過去に多くの墜落事故を起こした垂直離着陸機オスプレイの普天間飛行場への配備を容認すると仲井真知事に通告した。<愛の反対は憎しみではなく無関心です>。マザー・テレサの言葉をかみしめている。 *強調(太字)は来栖
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死刑 悩み深き森/千葉景子さん「執行の署名は私なりの小石」
朝日新聞2010/11/20Sat.
 死刑執行命令書に署名するかどうか。そうしない道はあったと思います。でもやっぱり、ただ「やりませんでした」では、死刑制度の是非をめぐる議論は消え入ってしまうのではないかと思ったのです。
 法務大臣にご指名頂いて、受けるときに最初に考えました。必ずつきつけられてくる問題だろうと。
 でも、国会開会中は政治とカネや指揮権、取り調べの可視化の問題などがあり、大きな問題に踏み込むのは、なかなかしにくかった。選挙の時は、色々な集まりで「廃止論をやめてほしい」といった声も多かった。非常に目に見えない雰囲気、というか。それを何かの理由にすることはないが、そういうことは正直言ってありました。
 選挙に落ちてしまって、このまま私も離任、というところもなきにしもあらずでしたが、区切りまでという話になった。じゃあその中で、私が何かやっぱりやる必要があるだろうな、というのが自分の流れかなと。
 法務官僚の説得に折れたというわけではありません。そういう方がわかりやすいですが。ただ、そういう見方を「ひどいなあ」とは思いません。
 これは私の矛盾ですが、過去に執行された時は国会議員として「なぜやるんですか」「廃止の方向で行くべきじゃないですか」と当時の法相などに申し上げたのも事実です。しかし考えてみると、結局は国会として十分な議論と何らかの法案をまとめる、というところまで行っていない。どこかで本格的に議論をもう一度打ち立てていくことがないといけないのかなと。
 執行と、議論を始めることは、セットじゃない。だけど、(死刑)廃止を言っていた人間が、執行することもなく議論しましょう、となると、「廃止論の流れを作ることだ」という風につながりやすいところはある。私は廃止論なんだと言って一直線で行くというのも確かに1つの道ではあるかもしれないのですが、それによって逆のとんでもない存続論が非常に強くわき起っていく、というのも感じます。
 被害者に光を当てる流れがどんどん強まっている。被害者を大事にするのはもちろん否定しませんが、国会などが、ずっと忘れることなく議論をし、被害者のことも含めて、きちっと流れを作っていく、そういう場になっていく必要があると思います。
 法務省内でも両論あって、内心ではどちらかというと廃止論の人もいる。「これからは廃止の方向に行かざるを得ないんじゃないかと思うが、今ただちには難しい」という話をしたりしていました。
(死刑廃止をしたフランスなどと比べて)日本では、司法や刑罰に関心を持つ人が考えているだけで、時の政権なり、トップリーダーがどういう意見を持っているかが明確ではない。だから、これまでも、その時の法相がやった、やらない、という問題になってしまっているように思います。
 署名後、死刑執行に立会いました。死刑に肯定的な気持ちになることは、やっぱりないです。厳粛だとよく言いますよね。厳粛・・・厳粛・・・。ああいうものを厳粛というんだろうか。皆さわりたくない、やりたくない、そういうものを厳粛さみたいなものをもって、なんとか気持ちを肯定させている。えらくあっけないといえばあっけない。でも何か、とってもこう、美しくないというか、何か醜悪というか、でも形の上では厳粛。そこのなんとも落差というか、ある意味で自己嫌悪みたいなものもありました。
 自分が立ち会っているってことはいったいなんなんだと。最後の責任者、という整理はつかないことはないが、自分の中で自分を責めるものがあって。いろんな理屈はあっても、国の権力をもって、あの人の命をそこで絶つ、ということはできるんだろうか、というのは改めて感じました。
 そう感じるだろうということは、まったくわからなかったわけではありませんが、やっぱり何となく、観念的に整理していたんです。ただ現実を見ると、命という究極なものについて、国という抽象的なものをもって奪うことの残酷さ、醜悪さを実感したような気がします。うまく整理できませんが。死刑廃止の考えが変わったということはありません。今後どうしたらいいのかという自分の活動の方向は、まだ手探りの状態です。
 (執行の場面の)記憶は、自分の中で薄れさせてはいけないという意識が強いです。ただ、執行後のことはあまり記憶がはっきりしていない。現実から違うところに自分がいるような状態だったんじゃないかと。
 議論はみんなに引き継いでもらいたい。スタートはしたので、今後も続けて議論して頂ければいいのかなと。
 裁判員裁判での死刑判決でも、裁判長が控訴を勧めました。死刑については二重、三重に考えてもらわなければいけないという悩みだったのかなあと思いもします。制度導入時にあまり深く論じられませんでしたが、死刑を前提にするのであれば、死刑判決は全員一致を要件にすべきではないか。
 (署名したことについては)どう言おうとも、自己弁護みたいになるところはあると思うんです。私一人でたいそうなことができる人間でもない。思想家でも何でもない。死刑という問題について一つ、小石を投じることはできるかもしれない。こういう役目をもらった意味、私なりの遂行の仕方として何ができるだろうか。そういうことかもしれません。(聞き手・山口進)

『百年の手紙--20世紀の日本を生きた人々』

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〈来栖の独白〉
 素晴らしい連載が始まった。2011年7月25日(Mon.)から、中日新聞夕刊で。『百年の手紙--20世紀の日本を生きた人々』という。著者は梯久美子さん。
 第1回は、足尾銅山による鉱毒被害の救済運動に尽くした元代議士田中正造氏の書状。銅山の操業停止を求めるもの。〈毒流四方ニ氾濫シ・・・〉死刑覚悟で明治天皇に直訴状を渡そうとした。天皇の馬車に駆け寄ったが、警備の警官に後ろ首をつかんで引き倒された。銅山の操業停止を求めるもの。
 先月12日、総理と有識者の懇談会に寄せた坂本龍一氏のメッセージにも、私は激しく心をゆすぶられた。次のように言っている。〈真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし〉。
 「足尾」も「福島」も、同様ではないか。山川草木、地域、生きとし生けるもの・・・、それらすべてを荒らしてはならぬ。殺してはならぬ。
 第2回は、石川啄木。田中正造の直訴状に感激し、〈夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや〉という歌を詠んだ。
 第3回は、幸徳秋水である。母親の死に際し、〈最後の別れの折に、モウお目にかからぬかも知れませんと僕が言うと、私もそう思って来たのだよと答えた。ドウかおからだを大切にというと、お前もシッカリしてお出で、言い捨てて立ち去られた音容が、今アリアリと目に浮かんで来る。考えていると涙が止らぬ〉と書いている。
 「1月18日に判決、そのわずか6日後の24日後に死刑が執行された。控訴も上告も許されず、暗殺計画など知るよしもない人々までが殺されたのである。〈病死と横死と刑死とを問わず、死すべきときのひとたび来たらば、充分の安心と満足とをもってこれに就きたいと思う。今やすなわちその時である。これ私の運命である〉幸徳の処刑に臨む態度は、落ち着いて静かなものだったという。心が乱れ感情をあらわにしたのは、母の訃報に接したときだけであった。」と梯氏は書く。

軋む世界 米中 新たな火種 【?】南スーダン/資源・安保で覇権争い(激しさを増す資源争奪や情報戦)

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軋む世界 米中 新たな火種 【?】南スーダン/資源・安保で覇権争い
中日新聞2011/07/26Tue.
 「中国の方々から毎日、油田開発のオファーがありますよ」。今月9日、アフリカ54番目の国として誕生した南スーダン。建国の興奮冷めやらぬ中、南部政府の高官は、本紙の取材に、既に中国側の熱烈な営業攻勢を受けていると明かした。
 北部スーダンの3倍に上る油田を抱え独立した南部。道路や水道、電気などインフラ整備への支援の申し出が、中国側から続々と届く。「全てわれわれから石油開発(参入)への協力を取り付けるためだ」と、意図を高官は見透かす。
 舗装道路の総延長がわずか60キロ、電気や水道も未発達という国で、中国の存在感は際立つ。地元の記者によると、首都ジュバは中国系ホテルが10軒余に急増。「政府役人の大半の家は、中国企業が特別価格で建設したという話だ」と記者は声を潜めた。
 中東の衛星放送アルジャジーラなどによると、分離前のスーダンは、1983年から20年余に及ぶ南北内戦が続き、米石油大手シェブロンが撤退。国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者(今年5月に米国が殺害)が91年からスーダンを拠点にしたのを受け、米国は93年、スーダンをテロ支援国家に指定し、経済制裁を科す。欧米勢と入れ替わるように進出したのが中国国営石油会社だった。
 「走出去(ソーチューチー・海外に出よう」。中国政府は今世紀に入って、自国企業に海外進出を一段と促す。国策と一体の企業はリスクや政治問題を度外視し、実利優先んで事業を拡大するのが強み。日量約50万バレルとされる南北スーダンの石油生産の3分の2が、中国向けとされた。
 2005年、南北和平合意が実現し、黒人キリスト教徒の多い南部でアラブ系イスラム教徒中心の北部からの独立の機運が高まると、中国は北部ばかりか南部の有力者へも接近を開始する。
 南スーダンの当局者によると、09年、南部の幹部候補らが多数、北京へ招かれ、研修を受けた。「その大半は、今や新政府の指導的立場。中国は親中派を育てようとしたのだろう」
 この資源豊かな新国家で、覇権争いに名乗りを上げたもう一つの大国が、米国だ。
 南北和平合意の後、スーダンにインフラ整備や食糧支援など60億?(約4千8百億円)もの資金を投入。「アメとムチ」と言われる見返りと圧力の両面で、北部バシル政権を揺さぶり、南部分離を認めさせた。
 南スーダンは、アフリカ北部イスラム圏と中部キリスト教圏との境にあり、地政学的に重要な位置を占める。中東・アフリカのイスラム圏を中心に「対テロ戦争」にあえぐ米国にとって、この地域で親米国家を獲得する意味は、安全保障上も大きい。
 9日の独立式典に駆けつけた米国のライス国連大使は「独立は、与えられたのではない。あなた方が勝ち取ったのだ」と持ち上げてみせた。だが、米外交の勝利ともいえる。
 長い内戦を経て、悲願の新国家樹立に沸き返る南スーダン。グローバル経済と対テロ戦争での勝利をもくろむ大国の思惑が、激しくぶつかる最前線となりつつある。(カイロ・今村実)
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 23日の東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)でも、焦点の南シナ海領有問題をめぐり米中両国は歩み寄りの姿勢を示さなかった。激しさを増す資源争奪や情報戦など、世界各地での2大国の新たな火種を探った。

軋む世界 米中 新たな火種 【?】欧州/中国、国債購入 武器に 欧米の足元を見透かしたような中国の経済戦術 中日新聞2011/07/27Wed.


軋む世界 米中 新たな火種 【?】欧州/中国、国債購入 武器に 欧米の足元を見透かしたような中国の経済戦術

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軋む世界 米中 新たな火種 【?】南スーダン/資源・安保で覇権争い(激しさを増す情報戦)2011-07-27 | 国際/中国

軋む世界 米中 新たな火種【?】欧州 中国、国債購入 武器に
中日新聞2011/07/27Wed.
 ベルリンの首相府で6月28日、ドイツのメルケル首相と中国の温家宝首相が共同記者会見に臨んだ。その場へ次々に登場した両国の閣僚や企業トップが延々30分も、2項目に及ぶ協定書類に署名し、固い握手を交わした。大型商談成立を報道陣にアピールする晴れ舞台だった。
 中国から楊潔ち外相ら過去最多の13閣僚が参加した初の独中合同閣僚会合。経済協力の合意は幅広く、主要企業の大型ビジネスも並んだ。
 中国が欧州航空機大手エアバスの旅客機A32062機を購入▽独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)は中国に新工場を建設し、電気自動車でも協力を推進▽独総合電機大手シーメンスと中国国家発展改革委員会は中国での環境対策の技術開発で提携ーなど、総額百6億ユーロ(約1兆2千億円)にも上る商談となった。
 欧州諸国には、中国の巨大市場への期待感とともに、人権問題への懸念も根強い。しかし、中国が、温首相歴訪直前の6月22日、拘束していた芸術家、艾未未(がい みみ)氏を保釈するなど、懸念に配慮するポーズを見せると、ドイツは「法治国家としてのあるべき姿に意見の相違がある」(メルケル首相)と認めつつ、実利優先でビジネスを進める姿勢を前面に出した。
 温首相も「今後5年間で両国間の貿易額を倍増させ2千億ユーロにする」と意気込んだ。
 中国資本のドイツ進出は著しい。
 今年に入ってパソコンメーカーなど7社を買収。独大衆紙ビルトは「中国の侵略」の見出しで報じ、国内の不安を伝えた。「中国は産業スパイから企業買収へと戦術転換した」とする識者の意見を紹介した上で、大型商談成立にも「笑顔の裏に何があるか」と警戒心を隠さない。
 実際、中国は目に見えないものをも買おうとしている。温首相は記者会見で、ギリシャに端を発したユーロ圏諸国の国債買い入れを表明。危機にもかかわらずユーロの対ドル相場は1月の1・28?から直近の1・44?へ値上がり。要因の1つが、ユーロ諸国の国債などの中国による購入だ。
 中国はこれまで、自国の輸出が有利になるように人民元を売り、ドルを買う為替介入を続け、対米輸出の価格競争力を保ってきた。手元にたまったドルで米国債を大量に買っているが、財政問題抱える米国と道連れになる危険も膨らんだ。
 ドルに代わる唯一の投資先が現状ではユーロ。欧州からは感謝もされる。中国がドルからユーロへ振り向ける資金の割合を増やせば、米国の金利やドル相場が悪影響を受ける恐れがあり、中国にとって米国を揺さぶる手段ともなる。
 ユーロ危機の下、欧州と米国の足元を見透かしたような中国のしたたかな経済戦術が、欧州への接近をいっそう加速させている。(ベルリン・弓削雅人、ロンドン・松井学)

レンブラント展

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〈来栖の独白〉
 本日、名古屋市美術館でレンブラント展を観た。光と陰影、柔らかさが絶妙。聖書関連の作品にもちろん感動を覚えるが、それ以外のものも素晴らしい。空を一つ描いても、何とも形容しがたい「不安」が迫ってくる。ショスタコーヴィチの音楽が想起された。好きだ。

 書斎のミネルヴァ

小沢一郎氏、自由報道協会主催の記者会見「民主党が原点に帰るのが、やりやすい」

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小沢氏、新党はつくらず「民主党が原点に帰るのがやりやすい」
NCN(ニコニコニュース)2011年7月28日(木)19時55分配信
 民主党の小沢一郎元代表は2011年7月28日、自由報道協会主催の記者会見に出席し、菅直人首相の進退ついて「岡田幹事長や執行部、その他の支持されている方も、『(菅首相が)お盆前にやめる』と言っているので、当面は見守る」と発言した。また、なぜ民主党を出て新党をつくらないのか? という質問に対しては、「最も効果的・効率的に考えれば、民主党が本来の原点に帰るのが一番やりやすい」と述べ、新党をつくらず、民主党が国民の信頼を取り戻すことが大事であると強調した。
 小沢氏はこの日、『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者でオランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏と対談。原子力政策、菅首相、検察、そして金融などさまざまなテーマについて、日本人の特性と日本社会への見解を織り交ぜながら、語り合った。そして、その直後の記者会見で
「民主党への期待は地に落ちて、もはやこのままでは(次期)総選挙の惨敗は火を見るより明らか」
 と現政権を批判。菅首相の進退問題については
「岡田幹事長や執行部、その他の支持されている方も、『(菅首相が)お盆前に辞める』と言っているようだ。辞めると言っているのに、辞めさせるのも変なので、当面は見守る。それも全然話が違って辞めないということであれば、それは民主党議員全員が深刻に考え、決断すべき」
 と語った。その一方で
「震災という大危機、非常時のときは制度を変革する最大のチャンス。それをやり遂げれば国民の信頼は戻る」 と持論を述べ、地方分権システムの確立や、政治家主導の政治の実現を、今こそなすべきであると主張した。また記者からの「日本に危機感を持っているのになぜ民主党を出て新党をつくらないのか?」という質問に対しては、
「(衆議院の)過半数を取って初めて政策が実行できる。考えられる枠内で、最も効果的・効率的な方法を考えるとすれば、民主党が本来の原点に帰るというのが一番やりやすい」
と新党はつくらないことを明言。民主党が国民の信頼を取り戻すことを重視し、国家主導の迅速な原発事故対応や、マニフェスト継続の努力などが必要であると述べた。(岩本義和)
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前原誠司外相辞任と『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉2011-03-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
〈来栖の独白2011-03-07
 前原誠司氏辞任劇に接し、またもやありふれた光景が繰り返されていると慨嘆する。「検察当局の横暴が政治を翻弄する」という、これまで幾度も目に映った光景だ。
 当局は、「政治家」が嫌いである。当局にとって、菅政権も前原氏もアメリカ追従であり、おとなしいポチには違いないが、自民党に比べれば遙かに安定感を欠く。官僚の下位に位置する法律(政治資金規正法)を使って、一気に民主党を政権の座から追い落とそうとした。
 小沢一郎氏に比べれば、前原氏など、脆いものだ。
 検察とマスコミの口車にのって思いっきり小沢氏排除を進めてきたやり方が、いま、菅政権の首を絞める。
 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?』から、見てみたい。
p47〜
 歴史が示すように、日本では政党政治は発展しなかった。しかも1世紀以上を経たいまなお、それはこの国にとって大きな問題であり続けている。だからこそ民主党は与党となっても悪戦苦闘を続けているのだ。政党政治が発展しなかったからこそ、軍事官僚が、当時の日本の10倍にも達する産業基盤を有する国アメリカを相手に戦争をはじめても、それに対して日本はなんら対処することができなかったのだ。
p48〜
 小沢氏をはじめとする改革派政治家たちはみな、彼らにこそ国家を運営する権利があり、義務があると信じている。官僚が国に滅私奉公する善なる存在であるなどと、彼らはもちろん考えてはいない。我々が一歩退いてみるとき、小沢氏のような政治家をつぶそうとするメカニズムは、近代国家の道を歩みはじめたばかりの当時の日本で、すでに機能していたことがわかる。つまり日本の近代化が推し進められるのとときを同じくして、政治家に対する陰謀も進行していったということだ。そして小沢氏こそ、この百数十年もの長きにわたり、連綿と続けられてきた陰謀の犠牲者にほかならないのである。
p50〜
 そして体制の現状維持を危うくする存在であると睨んだ人物に対して、その政治生命を抹殺しようと、日本の検察と大新聞が徒党を組んで展開するキャンペーンもまた、画策者なき陰謀にほかならない。検察や編集者たちがそれにかかわるのは、日本の秩序を維持することこそみずからの使命だと固く信じているからである。そして政治秩序の維持とは旧来の方式を守ることにほかならない。そんな彼らにとって、従来のやり方、慣習を変えようとすることはなんであれ許しがたい行為なのである。この種の画策者なき陰謀で効果を発揮するツールこそがスキャンダルである。そして検察や編集者たちは、そのような人物があらわれたと見るや、まるで自動装置が作動しているのではないかと思えるほどに、予想に少しも違(たが)わない反応を見せる。
p60〜
 欧米諸国を参考とした大日本帝国憲法もほかの法律も、専制的な権力から国民を守ることを想定したものではなかった。つまり日本の当局は欧米の法律を参考にしはしても、その「精神」を真似ることはなかったというわけだ。そして今日、もちろん不当なあつかいから国民を守るべきだという理念はあり、それが過去数十年で強められてきてはいても、現実には、それはいまなおきわめて曖昧模糊とした感情の領域に押しとどめられている。そのため大抵の日本人はいまだに、法律というのは単に政府が人々の行動を抑制するための手段なのだ、と見なしている。これに関して忘れてはならない事実がある。東京大学法学部というのは、日本の政治システムの最上部を占める高官を輩出することで知られているわけだが、その教授陣はいまだに法律を官僚が統治に利用する手段にすぎないととらえている。そして彼らはそうした視点に立って、学生に教え続けているのである。要するに、時代が変わったとはいえ、法律は権力エリートが用いるツールであるとする見方は、日本では以前とまったく変わっていないということなのだ。
 また日本の官僚たちの間では、自分の目的を達成するために、法律のなかから適切なものを選び出すという習慣が長いこと続いてきた。そして自分たちの計画が法律の文言に抵触しかねない場合は、実に巧に新しい解釈を考え出す。このように日本では、法律というのは当局にとって、あくまでも秩序を維持するためのツールでしかない。そのため、国民みずからが与えられているはずの権利を政治システムの上層部に対して主張する目的で、法律を利用するよう奨励されているなどということは決してないのである。
p64〜
 1960年代と70年代に日本の政治、そして権力構造について研究していた時期、私はそのようなやり方が繰り返し行われていることに気づいた。だからこそ日本の政治・経済について初めて執筆した著書〔『日本/権力構造の謎』〕のなかで、「法を支配下におく」という1章を設けたのだ。
 私はそのなかで、権力者の独り歩きを可能にするような方法で、日本では法律は支配するのではなく、支配されているのであって、この国の権力システムにおいて、法律は政治に関して許容すべきこととそうでないことを決定づける基準にはなっていない、と説いた。すなわち独り歩きをする日本の権力システムに対して、異議を唱え、改革を加えようとする者を阻止するような仕組みがある、ということだ。本書のテーマに当てはめて解説するならば、小沢氏のような野心的な政治家、あるいは彼のように改革を志す政治家が将来何人あらわれようと、現体制はあくまでそれを拒むというわけだ。
 いま、小沢氏の政治生命を抹殺しようと盛んにキャンペーンが繰り広げられているのも、これによって説明がつく。
p65〜
 99・9%という「無謬」
 中立的な権威としての法律を日本の政治システムから遠ざけておくやり方はそのほかにもいくつかある。法律が非公式な政治システムに対して、なんら影響をおよぼすことが許されないとしたら、ではなにがシステムをつかさどっているのか?。それは暗黙の了解事項、つまり不文律であり、記憶のなかで受け継がれる古い習慣だ。裁判官もまた体制に大きく依存している。最高裁事務総局に気に入られるような判決を下さなければ、地方に左遷されかねないことを、彼らは考えないわけにはいかない。戦前、戦後を通じて日本の裁判官たちは、法務省のトップクラスの検察官を恐れてきた。これが99・9%という人間の検察の有罪判決率を可能にした理由の一つである。
 つまり、みずから裁判にかけたケースで99・9%の勝利をおさめるに日本の検察は、事実上、裁判官の役割を果たしているということになる。つまり、日本ではわずか0・1%、あるいはそれ以下に相当するケースを除いては、法廷に裁判官がいようといまいと、その結果に大した違いはないということだ。
p68〜
 しかし日本に関してもうひとつ気づいたことがある。それは社会秩序を傷つけかねないどんなものをも未然に防ぐという検察の任務が、政治システムにおいても重視されているという事実だ。当然、そのためにはシステムの現状を維持することが必要となる。問題は、現状をわずかでも変える可能性があると見れば、どんな人間であっても既存の体制に対する脅威と見なしてしまうことである。そのような姿勢は当然のことながら、小沢氏のみならず、日本という国家そのものにとっても望ましいものではない。なぜならば多くの日本人は長い間、権力システムの改革が必要だと考えてきたからだ。後述するが、自民党と日本の秩序をつかさどる人々との間には、一種、暗黙の了解のようなものがあり、それが50年にわたって保たれてきたのだろう。そして自民党が政権の座を追われたいま、単に自民党とは行動の仕方が違うという理由で、体制側は民主党を、小沢氏という個人とともに、脅威を与える存在と見ているのだ。
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未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸/小沢一郎の日本再造計画2011-05-05 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
【カレル・ヴァン・ウォルフレン(ジャーナリスト)インタビュー】
ゲンダイネット2011年5月2日
菅政権は東電と保安院に動かされている
「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)――オランダ人のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書が話題だ。小沢一郎という異能の政治家を検察、メディアに代表される旧勢力がよってたかって潰そうとした事実が詳細に明らかにされている。小沢氏は民主党の党員資格を剥奪されて、表舞台から去った途端に大震災が起きた。右往左往の菅政権を冷徹なジャーナリストはどう見ているのか。
 小沢一郎氏はいま日本の超法規的な権力といえる官僚や検察、また大手メディアから政界を追われる身にあります。日本は民主国家であるはずですが、非公式な権力によって小沢氏の政治力は奪われ、おとしめられようとしています。
 彼は何度か首相の座に就くチャンスがありましたが、非公式権力が団結してそれを阻んできたのです。個人的には、小沢氏には政界の中枢で動いてほしい。多くの国民は彼の時代は終わったと思っているでしょうが、今こそ日本は彼のような強いリーダーシップを持った政治家が必要なのです。
 それは東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた被災地と原発事故の対応で、菅政権が行政コントロールを失ったかのような印象を内外に与えたことでも明らかです。もし小沢氏が首相であれば、統括的な政治力を発揮していたことでしょう。
 というのも、福島の原発事故で東京電力と原子力安全・保安院は政治家との関係構築がうまくゆかず、むしろ首相官邸が彼らに動かされてしまった。これこそが、小沢氏がもっともあってはならないと考えていたことだからです。政治主導といいながら、政治家が既成の権力にひれ伏した証拠なのです。小沢氏であれば、こうした状況でこそ既成権力のいいなりにならなかったと思います。
 今回の震災では、日本人の忍耐強さが世界中の人たちから驚嘆されました。オランダのテレビ局は「なぜ日本人は盗みをしないのだ」と聞いてきました。日本人は良識の民です。
 菅政権の全体的な震災対応は及第点をつけられるかもしれません。ただそれは、1995年の阪神・淡路大震災時の自社さ政権の対応と比較してという条件においてです。
 率直に言えば、日本政府の対応は全体を統括する行政力が不足しています。官邸と関係省庁との連携が円滑でないばかりか、地方自治体への情報伝達や物資の輸送など必須の危機管理体制が整備されていなかった。
 私が力説したいのはここです。どの国家もこの地震ほど大規模な災害を被ることはそうはありません。ただ首相が強いリーダーシップを発揮して、政治力を十分に機能させれば、地方自治体やさまざまな団体、組織を統制でき、今よりも効果的な結果が出せたはずです。
 今後、日本が抱える課題は、被災地をどう復興させるかです。
 東北地方の再開発は原子力ではなくソーラーを基礎に、全産業を取り込んだ計画を策定すれば、ソーラー技術のさらなる発達が期待できます。ただ、日本はいまだにアメリカの準植民地という立場にいます。独自の外交政策を策定し、実践してはじめて独立した民主国家になれる。それを実現しようとしているのが小沢氏なのですが、国民だけでなく権力機構からの反発がある。それが残念なことです。(インタビュアー・堀田佳男)

米債務問題/円高に歯止めがかからないようなら、円売り介入をためらうべきではない

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世界の危機回避へ米債務問題の決着を
日本経済新聞 社説2011/7/29付
 米連邦債務の上限引き上げを巡る協議が暗礁に乗り上げている。このままでは米国債の債務不履行(デフォルト)に発展し、世界経済や金融市場が危機的状況に陥りかねない。与野党は党派の対立を乗り越え、債務問題の決着を急ぐべきだ。
 米連邦債務は5月中旬に法定上限の14.3兆ドル(約1110兆円)に到達した。8月2日の期限までに上限を引き上げないと、国債を増発できない。高齢者の年金や公務員の給与を支給できず、発行済みの国債の利払いにも支障が生じる。
 この問題を放置してきた与野党の罪は重い。市場ではデフォルトへの懸念が強まり、米国発のドル安・株安が世界中に波及した。そのあおりで円相場は1ドル=77円台まで上昇し、東日本大震災後につけた最高値の76円25銭も視野に入りつつある。国内景気の持ち直しを妨げる急激な円高は看過できない。
 だが、期限まで1週間を切っても着地点は見えない。与党の民主党は10年間で2.7兆ドルの財政赤字を削減する代わりに、これと同程度の法定上限引き上げを一括して実施したい考えだ。野党の共和党は0.9兆ドル程度の赤字削減と上限引き上げを認め、本格的な追加措置を半年後に検討するよう求める。
 来年秋の大統領選を乗り切れるだけの引き上げ幅を確保しておきたい民主党と、2段階の引き上げで歳出カットの上積みを迫る共和党の対立は根深い。昨年秋の中間選挙で旋風を巻き起こした保守系の草の根運動「茶会党」が共和党の若手議員らに圧力をかけ、民主党との妥協を阻んでいるのも問題である。
 もはや党利党略に明け暮れている場合ではない。米国債のデフォルトが現実になれば、ドルの急落や長期金利の高騰を招く恐れがある。与野党は危機の回避を最優先し、法定上限を直ちに引き上げるべきだ。
 2011会計年度(10年10月〜11年9月)の米財政赤字は過去最大の1.6兆ドルに膨らむ。赤字削減の道筋を示さず、法定上限だけを引き上げれば、米国債のデフォルトを避けられても格下げのリスクは残る。こうした不安にも応えられる合意点を探るのが望ましい。
 日本も手をこまぬいてはいられない。主要国とも緊密に連携し、危機管理に万全を期す必要がある。民間企業は電力不足だけでなく、円高加速にも悲鳴を上げている。円高に歯止めがかからないようなら、円売り介入をためらうべきではない。当局がその備えを怠り「状況を注視する」と繰り返すだけでは困る。
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新S 編集局から
日本経済新聞2011/07/29
 米連邦債務の上限引き上げをめぐる米議会の与野党攻防が大詰めを迎えています。野党が下院の多数を握る議会のねじれ。その多数党も指導部の思惑通りに動かない分裂状態。日本と変わらないパワーゲームが繰り広げられていますが、世界経済に与える影響は比較になりません。大震災と原発処理に揺れる日本経済には極めて深刻な事態です。首相の進退に最大の関心が集まっている日本の政界に、その危機感が感じられないのは、不思議というほかありません。(M)
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新連載【米混迷大統領選と日本】米国デフォルトめぐる民主党と共和党の死闘
ZAKZAK2011.07.29
 来年の大統領選挙を控え、米国は現在、未曽有の混乱状況に陥っている。デフォルト(債務不履行)がカウントダウンに入っているのだ。8月2日までに、米連邦政府の債務上限の引き上げが実現しなければ、米国債はデフォルトとなり、世界経済は大混乱する。当然、日本経済もモロにその悪影響を受ける。
 世界経済は2008年9月のリーマン・ショックを上回る大きな衝撃に襲われる。米国債はもちろん、米株式市場は急落し、1ドル=60円台となり、日本経済は円高不況に陥る。
 ヨーロッパは金融危機にあるので、ドルの対ユーロ・レートが対円レートほど、急落することはないが、金価格は一挙に1オンス=2000ドル台に急騰するだろう。(ただし、円高のため、金の円建て価格は僅かしか上昇しないだろう)
 こういった緊急事態に備え、あのジョージ・ソロス氏は自らが運営するファンドの75%を現金化している、という。未曽有の危機がアメリカ経済のみならず、世界経済を襲おうとしている。
 実は、債務上限引き上げに関する第1のデッドラインは、すでに突破されてしまっている。通常の立法化手続きに必要な時間を考慮すれば、7月22日夕刻までに妥協が成立していなければならなかったのである。第2の真のデッドラインが8月2日である。
 しかし、オバマ大統領と下院の多数派を占める共和党は、お互いの主張を譲らず、妥協の兆しは一向に見えていない。
 オバマ大統領は、ブッシュ前政権時代に行われた富裕層減税の取り消しを主張している。共和党は、社会福祉支出の大幅削減を訴えている。共和党内では、特に、草の根保守派であるティーパーティー派が債務上限の引き上げに原理原則的な反対をしており、後には引かない構えである。
 債務上限を引き上げさえすれば、米国債に対する需要はあるので、アメリカは国債をまだまだ増発する余裕はある。しかし、民主、共和両党とも、来年の大統領選挙を念頭に置いており、妥協できないのだ。
 オバマ大統領は、たとえ連邦政府がデフォルトをしても、それを共和党の責任にすれば、大統領選挙を有利に展開できると考えている。共和党サイドは全く逆で、デフォルトの原因をオバマ政権に押し付けて、2012年の大統領選挙での政権奪回をもくろんでいる。
 ティーパーティー派の代表的論客であり、大統領候補でもあるロン・ポール下院議員は「連邦政府はすでに財政破綻しており、デフォルトを宣言した方が財政赤字を拡大しないためにむしろ望ましい。8月2日以降、高齢者への年金給付がストップするというのは、大統領の戦術的脅迫である!」とまで主張している。
 共和党内では、大企業支持派と草の根保守派が鋭く対立しており、来年の大統領選挙では、共和党は分裂することになるかもしれない。(国際政治学者・藤井厳喜)

法務大臣には死刑執行の法的義務は存在しない=安田好弘/死刑執行1年、千葉景子元法相決断の背景

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法務大臣には死刑執行の法的義務は存在しない
「千葉景子法相による死刑執行に抗議する」弁護士・フォーラム90 安田好弘
〈2010年7月28日の執行・執行抗議集会から〉

 今回、千葉さんが、「死刑執行するのは法務大臣の義務だ」と言っています。実は、過去、法務省はそのようには言っていませんでした。これを言い始めたのは、後藤田元法相です。彼が1993年3月に死刑執行を再開した後に、自己の行為の正当化のために言い出したことです。彼に対しては、志賀さんや倉田哲治弁護士などが直接会って、執行をしないようにと話をし、彼はそれに対してよく考えてみるとか、団藤さんの本も実際に読んでみるとか、言っていたわけです。ところが彼は死刑を執行し、法務大臣には死刑執行をする法的義務がある、だから執行しないのは怠慢だし、執行しないならば法務大臣を辞めるべきだと、そもそも執行しない者は法務大臣に就くべきではない、と言い出したのです。今回の千葉さんも、詰まるところ同じことを言っているのです。
 私たちはその当時から、法務大臣には死刑執行の法的義務はないのだと言い続けてきました。これはスローガンとして言っていたわけではなく、法的根拠を持って言ってきたわけです。刑事訴訟法の475条第1項を見ていただければわかりますが、死刑執行は法務大臣の命令による、としか書いてないわけです。法務大臣が死刑執行をしなければならない、とは書いていません。これは法務大臣以外の者が死刑執行を命令してはならないという制限規定です。第2項に6ヵ月以内に執行命令を出さなければならない、となっていますが、これは法務省自らが訓示規定と言っているわけでして、絶対に守らなければならないというものではないわけです。
 法務省が言っていますが、法務大臣の死刑執行はどういう法的性質のものかというと、死刑執行を法務大臣の権限としたのは(権限です。義務とは言っていない)、死刑執行は極めて重要な刑罰なので、政治的責任を持っている人間しか命令してはならないものだ。法務大臣は政治的責任を負っているのだから、いろいろの社会的状況を考慮して、政治的な決断として執行を命令するのだ、という言い方をしています。ここからは義務だという発想は出てこないのです。法務省設置法という法律がありまして、法務省の責任や役目を示したものですが、3条、4条にはっきり書いてありますが、法務省の任務に、「基本法制の整備」、「刑事法制に関する企画立案」とあります。彼らの責務として法体制を改革したり改善したり、法律を新しく制定したり、法律を改正したり、ということがあるわけです。ですから法務大臣は死刑執行をすることが義務ではなく、死刑制度について改善したり、新しい死刑制度に関する企画を出したり、その企画が通るまで死刑執行を停止すると、いったようなことが法務大臣の義務としてあるわけです。千葉さんの発言は、これを完全に無視した発言であるわけです。
 さらに言いますと、官吏服務紀律という勅令がありまして、昭和22年に一部改正されており、国務大臣はこれに従わなければならないとされています。その1条には「国民全体の奉仕者として誠実勤勉を主とし法令に従い各職務をつくすべし」とあって、権限を行使する場合は、公僕として法律に則って職務を果たせという職務規範はあっても、死刑執行を命令しなければならないというような、羈束(キソク=つなぎとめる、拘束する)的に、必ず一定の行為を行わなければならないというような職務規範は予定されていないわけです。このように、法の規定からしても、また過去の法務省の理解ないしは解説からしても、法務大臣に死刑執行命令をする義務があるというのは、間違い以外何ものでもないと考えます。この点についても議論しなければならないと、私は思っています。
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死刑執行1年、千葉景子元法相決断の背景
神奈川新聞2011年7月28日
 昨夏の死刑執行と刑場初公開から1年経過するのを前に、千葉景子元法相が神奈川新聞社のインタビューに応じ、決断の背景を語った。千葉氏が死刑廃止論者だったため、波紋が広がった執行。「それまでの延長からすれば執行しないのが素直な選択だったかもしれないが、それでは他の課題も一歩も先に進まない気がした」と、刑場公開などを進めるため批判覚悟で決断したことを明かした。異例の立ち会いは、「明確な責任者が誰もいない状況で、国家の権能として死刑を執行するのは非常に無責任ではと感じていた」と説明した。
◆批判覚悟で踏み出す
 千葉氏は一昨年9月、法相に就任。執行は参院選で落選後の昨年7月28日だったが、「法相就任時から、私は執行しませんと言って終われるのか、それでいいのかと思っていた」。
 本格的な検討を始めたのは昨年1月ごろ。実際に執行されることになる2人の記録の読み込みなどを始め、副大臣らとも議論を重ねた。いずれ執行を決断しなければならないと覚悟を固めつつあった。法務官僚から催促されることはなかった。
 このころ、想定外の事態が起きた。小沢一郎氏の政治とカネの問題が急展開し、法相が持つ検事総長への指揮権の発動に、与党内からも意見が来るなど忙殺され、落ち着いて検討する余裕がなくなった。
 選挙も近づいてきた。「死刑の問題を騒然とした選挙の中で扱われるのは本意ではない」。選挙後に最終判断をすべきと考えていた。
 落選により刑場公開なども実現できぬまま法相を退任すると思っていたが、菅首相は当面の続投を指示。これを受けて結論を出し、執行の手続きを進めたいと担当部署に伝えた。続投決定から数日後のことだった。
 執行時は法相として初とみられる立ち会いも行った。「死刑は裁判所が判決を出し、大臣が執行命令を出すが、執行にあたっての責任は誰が負うのか。少なくとも最終判断者が状況を知らないのは無責任、国家権力として責任があいまいという違和感がベースにあり、執行を決断した場合には立ち会わねばならないと考えていた」
 執行当日に所感を問われたときは言及を避けたが、1年後の今、こう語った。
 「法に基づき、形式的には厳粛な形をつくっているにもかかわらず、ああいう非人間的で無機質な死に方、命の絶たれ方とは、何なのだろうと、非常に違和感を覚えた」
◆国民的な議論深めて
 昨夏の死刑執行命令とほぼ同時に、千葉景子元法相は刑場の初公開と死刑制度の存廃を含めたあり方を検討する勉強会の設置を指示した。背景には裁判員裁判の存在もあった。千葉氏は神奈川新聞社の取材に、「市民が死刑判決に関わるのだからこそ、裁判員だけが悩むのではなく、真っ正面から国民的な議論をしなければいけないと思った。そのための一つの資料が刑場公開だった」と語った。
 昨年1月ごろ、複数のメディアが法務省に刑場公開を求めてきた。関係幹部は困難との認識を示し、千葉氏と副大臣らも個別の請求は断るしかないとの認識で一致。ただ、「何もしないで、いいというわけにはいかない」と話し合った。千葉氏は何らかの公開が考えられないか関係幹部に持ち掛けた。が、反応を見て、そのままでは進展しないだろうと感じた。
 千葉氏が刑場公開と勉強会設置を指示したのは昨年7月。執行する意向の伝達とほぼ同時だった。死刑廃止論者だった千葉氏の命令による執行に対し、新聞の見出しでは「変節」などの文字が躍った。批判を受けるのが確定的な中、なぜ、踏み切ったのか。
 「論理的には執行しないまま、刑場の公開や存廃も含めて死刑制度を検討することはありうるが、現実的には一つ一つの課題を明確に区別し解決するのは難しいと感じた。全体的に動かし始めないと、一つも進まないと思った」
 「刑罰は国家の根幹、国家の意思そのもの。死刑制度を動かすには、法相としての責務を棚上げにしたままでは進まないと思った。信条に矛盾するが、法相として死刑問題を問いかけるには決断が必要と思った」
 勉強会は執行の9日後に開催、刑場公開は1カ月後に実現した。千葉氏は9月に退任、後を託した。以来、法相は交代が相次ぎ、法務省は大阪地検特捜部の不祥事を受けた改革に追われるなど、死刑論議は進展していない。一方、裁判員裁判では少年に対しても含め、8件の死刑判決(うち横浜地裁2件)が出た。
 「刑場公開などは動きだす契機になったと思うが、ようやく歩みだした段階だ。裁判員裁判では死刑にするかどうかの判断を市民が回避できるようにすることや、評決の仕方を検討する必要があるのではないか。勉強会は閉鎖的に終始せず、さまざまな意見や情報を国民に提供しながら議論を進めてほしい。議会も対立的な意見を乗り越え議論しようという努力がいささか欠けていたと、反省している」
 決断から1年。元法相は今、こう考えている。
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死刑執行から1年 かすむ死刑論議/震災・原発・沖縄・死刑、いずれも軽重区別をつけてはならない命の問題2011-07-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題

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