改革派官僚「退職勧奨」直接対決で問題先送りした海江田経産相。本当に辞めるべきは古賀茂明氏ではなく、松永事務次官だ
現代ビジネス2011年07月29日(金)長谷川幸洋
改革派官僚として知られた経済産業省の古賀茂明大臣官房付審議官が28日、自分に対する退職勧奨問題をめぐって海江田万里経産相と「直接対決」した。
結果はどうだったか。結論を先に言えば、なにも決まらなかった。
古賀によれば、海江田は「最初からにこにこしていて、とても友好的な雰囲気だった」そうだ。そして「これからも何度か会おう」と言った。だが、古賀が求める「仕事」は与えなかった。
古賀は会談をマスコミにフルオープンにするよう求めてきた。古賀の後には、テレビのカメラクルーをはじめ約30人の報道陣がついていた。
ところが、経産省大臣室のドア前にはあらかじめ警備スタッフが2人陣取っていて、報道陣はそこでシャットアウトされた。1人で大臣室に入った古賀は冒頭、大臣に会談を公開するよう求めたが拒否され、結局、公開は実現しなかった。
20分弱の会談はサシだった。終わった後、1階ロビーで開いた即席会見で古賀はずっと緊張が続いていたのか、少し疲れた青白い表情で語った。やせたような感じが気になる。
*「私に仕事をください」
「どうも大臣は最初から1回で結論を出すつもりがなかったようで『これからも何回か会おうよ』というお話をいただきました。そういう意味で、内容的には中途半端に終わってしまった」
改革派官僚として知られた経済産業省の古賀茂明大臣官房付審議官が28日、自分に対する退職勧奨問題をめぐって海江田万里経産相と「直接対決」した。
「退職勧奨はお断りすると次官に伝えていると言ったら『それは分かった』と。じゃあ、大臣はどういうおつもりですかと聞くと『君は本も書いているし、外でいろいろ発信している。これから外で自由な立場でやっていくほうが、君にとってもいいんじゃないか』という話だった」
「大臣は私をクビにしたいんでしょ、とはっきり聞いたら、『君の言葉は強い』と。『辞める辞めないは君の自由だ』と言っていた」
「私はぜひ仕事を与えていただきたいとお願いしている、と繰り返し言った。電力改革とか経産省の予算を削る仕事とか。内閣官房に行って公務員制度改革をしてもいい。もちろん、それじゃなくちゃいやだという話ではなく、大臣がこれをやれと言えばなんでもやります、と」
「辞めないと言ったら仕事を与えてくれるのか。それとも辞めないなら仕事はないのか。選択肢は2つしかないでしょ、と言うと『そういうことじゃなくて何回か会って話そう』と言っていた」
「大臣からは『君と信頼関係を作りたいんだよ』というような印象を受けた。仲良くやろうみたいな(笑)。また退職勧奨を受けた、という感じはない」
以上である。さて、この展開をどうみるか。
古賀自身も海江田の真意がよく分からなかったようだ。続いて衆院議員会館で開かれた古賀を囲む超党派の勉強会兼記者会見では、こう語った。
「大臣は私をクビにするとは言っていない。何回か話せば分かりあえるのでは、分かりあえれば、私から辞めると言いだしてくれるかも、という感じ?(笑)。でも、そういう話は普通、退職勧奨をする前にするんじゃないの(笑)」
私は海江田が「逃げた」とみる。
なぜなら、古賀と会うまで考える時間はたっぷりあった。古賀を使う気があれば、ポストはいくらでもある。だが、具体的な仕事を与える言質は一切与えず、にこにこして「また会おう」とだけ言う。
国家公務員である古賀を強制的にクビにできないのは、はっきりしている。一方、自分はといえば、国会でいずれ大臣を辞任する意向を語っている。同時に、ポスト菅の首相候補として手を挙げる意欲もある。
そんな政治家として大事な局面で、対外的発信力がある古賀を敵に回してしまえば、自分自身に傷がついてしまう。といって事務方を敵に回して、いまさら処遇もできない。そこで結局、問題は先送り。自分が先に辞任する展開になれば、無傷で逃げ切れる。そういう判断ではないか。
会談自身は海江田のほうから国会答弁で言い出した話だから、いまさら「会うのはやめた」というわけにもいかない。笑顔で「また会おう」という終わり方が、もっとも無難な選択だったのだ。
だいたい辞任を口にしている大臣が古賀とまた会ったところで、どんな処遇ができるというのだろうか。事務方が猛烈に抵抗するのは目に見えている。
*「意見が対立するから使わない」は許されない
さて、となると古賀はこれからどうなるのか。
古賀は辞めるつもりがないし、大臣の海江田は事実上、逃げてしまった。しかも近い将来、辞任する。すると結局、ボールは松永和夫経産省事務次官に戻っていく。なぜなら、退職勧奨を拒否した部下をどう処遇するかは、いまや大臣に次ぐナンバー2の事務次官の職責になるからだ。
辞める意思がない職員を使いこなせず無駄にするのは、事務次官の能力がない証拠である。松永が「意見が対立しているから使わない」というなら、ここではっきり指摘しておかねばならない。
それは役人の分際を超えている。
どんな政策を推進するかは本来、役人の仕事ではない。国会で議決権がある国会議員、すなわち政治家の仕事である。議院内閣制の下で、官僚は「政策の選択肢」を示す役割を与えられているにすぎない。それが政治主導の根本だ。
役人同士で議論はおおいにすべきである。意見が異なる場合があるのは当たり前だ。そうでなければ、そもそも政策の選択肢が出てこない。
だから古賀が辞めないと言うなら、意見の違いは違いとして、別の選択肢を大切にして仕事を与えるのが松永のもっとも重要な職責である。そうではないのか。
それができないなら、辞めるべきは古賀ではなく松永である。
古賀問題は新たな次元に突入した。(文中敬称略)
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◆原発問題の裏にある経産省・東電「天下り・利権の構図」/退職勧奨を受けた古賀茂明キャリア官僚 VOL.1〜32011-07-21 | 政治
◆経産省官僚古賀茂明氏への肩たたき/民主党政権よ、霞が関の改革派潰しにまで手を貸すのか2011-07-16 | 政治
退職勧奨を受けた経産省官僚 古賀茂明氏、海江田万里経産相と直接対決
原子力安全・保安院、中部電力にプルサーマル推進工作・やらせ/「原子力村」霞が関一帯に密集
保安院がプルサーマル「推進工作」 中部電が公表 保安院「把握していない」07年シンポ
日本経済新聞2011/7/29 11:37(2011/7/29 12:20更新)
中部電力は29日、2007年8月に国が静岡県御前崎市で開催したプルサーマル発電に関するシンポジウムで、経済産業省原子力安全・保安院から事前に参加者の動員や、プルサーマルに賛成の立場の質問をするように口頭で依頼されていたことを明らかにした。
保安院の依頼を受けた中部電の原子力担当者はいったんは質問案を作成したが、社内の検討でコンプライアンス(法令順守)上の問題があるとして、依頼には応じられないと保安院に報告、「やらせ」はなかったとしている。
経済産業省原子力安全・保安院の森山善範・原子力災害対策監は29日午前の記者会見で、「報告書の中身を把握していないが、事実だとしたらあってはならないことだと思う。よく状況を把握してお答えしたい」と答えた。
中部電が同日資源エネルギー庁に提出した報告書によると、保安院のシンポ担当者から07年7月下旬に中部電に対し、(1)会場に空席が目立たないよう参加者を集めること(2)質問がプルサーマル反対派に集中しないよう、賛成・中立の立場の質問を作成し、地元住民に質問させること――の依頼があった。
中部電は浜岡原発に勤める当時700人いた社員や関連会社にメールや口頭でシンポ参加を呼びかけていた。しかしシンポ当日、12人の質問はすべて原発に否定的な意見ばかりだったという。
中部電は29日、寺田修一法務部長が記者会見し、「社員らに参加を呼びかけた点は議論を誘導する意思があったとの誤解を招く恐れがあった。深く反省している」と陳謝。一方で「保安院の依頼があっても(やらせ質問を)防止できた点は、コンプライアンス上評価できる」と述べた。
軋む世界 米中 新たな火種 【?】中央アジア/経済面ではSCOにおける中国の主導権は揺るがない
◆軋む世界 米中 新たな火種 【?】欧州/中国、国債購入 武器に 欧米の足元を見透かしたような中国の経済戦術2011-07-27 | 国際/中国
◆軋む世界 米中 新たな火種 【?】南スーダン/資源・安保で覇権争い(激しさを増す資源争奪や情報戦)2011-07-27 | 国際/中国
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軋む世界 米中 新たな火種 【?】中央アジア/経済力背景に中国化
「ロシアか中国か。(ロシアの)メドベージェフ大統領が踏み絵を迫った」
6月14日、中央アジア・ウズベキスタンの首都タシケント。メドベージェフ大統領とウズベクのカリモフ大統領の4時間に及んだ会談を、ロシア外交筋はこう分析する。
表向きのテーマは「中東民主化」。自国への波及を恐れるカリモフ大統領に対し、メドベージェフ大統領がカリモフ氏の独裁体制への支持と引き換えに「親ロ反米路線」の堅持を求めた、との見方が一般的だ。が、同筋によると、メドベージェフ大統領が重視したのは、翌15日のタジキスタンでの上海協力機構(SCO)首脳会議で、新規加盟規約の採択に同意させることだったという。
SCOは、もともとロシアと中国が、米国と対峙する新たな世界軸を目指して2001年6月、中央アジアの旧ソ連4か国とともに創設。05年の首脳会議では、中央アジアの駐留米軍に早期撤退を求める共同宣言を出し、実際にウズベクの米軍基地を閉鎖に追い込むなど、対米牽制では一定の成果を挙げてきた。
しかし、経済力を背景に、豊富な地下資源への巨額投資など中央アジアに対する影響力を拡大する中国は、ロシアにとって米国以上ともいえる脅威に変貌。ロシアは、中国を抑えるため、友好国でSCO準加盟国のインドの正式加盟をもくろんでいた。
加盟規約は、運営分担金など加盟の具体的条件を定め、SCO拡大の法的基盤となる。
既に事務レベルで草案が完成。ロシアは、採択を目指し、根回しに奔走した。
だが、首脳会議では各国首脳がSCO拡大を検討するとの覚書に署名したものの、具体的加盟条件については継続審議とされた。ロシア外交筋や専門家らによると、中国が規約の内容に原則的に賛成しながらも「SCOは開かれた組織として発展する」との拡大路線明示の表現に反発したためという。
現在、モンゴル、インド、パキスタン、イランが準加盟国。今後数年内の正式加盟は困難とみられるが、機構として拡大路線を明確にした場合、いずれは「対テロ戦」をめぐって米国と対立を深めるパキスタンなどの加盟も具体的日程に上り、対米摩擦が生じる。財政赤字に苦しむオバマ米政権がブッシュ前政権と違って中央アジアに対する消極姿勢を続ける隙に、安全保障面での無用な米中対立を避けつつ、経済領域で一気に影響力を拡大しようとする中国の思惑が浮かび上がる。
中国の胡錦濤国家主席は首脳会談で、SCO加盟国に対する総額百20億?(約9千5百億円)の低利融資を表明。もくろみの外れたろしあとは対照的にSCOの盟主としての存在感を示した。
ロシア科学アカデミーの研究者ルジャーニン氏も「もはや経済面ではSCOにおける中国の主導権は揺るがない」といっそうの“中国化”を予測する。ロシアのみならず、米国にとっても憂慮の種に違いない。(モスクワ・酒井和人)
『百年の手紙--20世紀の日本を生きた人々』管野すがの手紙=針で開けた無数の小さな穴が文字を形成
〈来栖の独白〉
『百年の手紙--20世紀の日本を生きた人々』第4回(中日新聞2011/07/28Thu.)は、管野すがの手紙である。梯さんは、次(抜粋転写)のように書く。
“図版で、あるいは現物で、歴史上の人物の書簡を数多く目にしてきたが、こんなに変わった手紙を見たのは初めてだ。一見すると何も描かれていないただの半紙。だが光にかざしてみると、針で開けた思われる無数の小さな穴があり、それが文字になっているのがわかる。”
“ともに暮らした恋人である幸徳秋水のために、朝日新聞記者の杉村縦横に獄中から彼の無実を訴え、弁護士を世話してくれるよう頼んでいる。
針文字で書いたのは、看守の目を盗んでひそかに外部に持ち出すためだ。手紙が書かれた頃は外部との書簡のやりとりも面会も禁じられており、出獄していく女性囚人に託して投函してもらった可能性が高い。”
“2006年に我孫子市内の杉村の邸宅から発見されたという。封筒もあったが管野の筆跡ではなく、彼女が獄中から何者かに託したのは手紙文が書かれた半紙だけだったと推測される。”
“取り調べが進む中で管野は、中心的なメンバーは死刑に処せられるとの感触を得たと思われる。明治天皇を襲撃する計画を話し合っていたのは管野を含めた4名で、幸徳はこれに加わっていなかった。しかし、これを機会に社会主義を一網打尽にしようとした政府は、著名な幸徳を首魁に擬したのである。幸徳まで重罪に問われる危険を感じ取った管野の、何とか彼の命を助けようとする必死の思いが、細かく穿たれた点の1つ1つから伝わってくる。”
おのが刑死を目の前にして管野すがの心中にあったのは、幸徳の命をなんとしてでも助けたい、との思いだけだったようだ。その必死の思いをスガは針の先にこめる。何という姿だろう。人は、このようにも生きることができる。快く圧倒された。
「管野すが」については、「すが」であるのか「スガ」なのか、判然しない。
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◆大逆事件:管野スガの書簡見つかる 2010-01-29 | 死刑/重刑/生命犯 問題
大逆事件:管野スガの書簡見つかる 幸徳秋水の無罪訴え
発見された書簡と封筒。白紙に見える=武田良敬撮影
1910(明治43)年の大逆事件で処刑された社会主義者ら12人のうち唯一の女性、管野スガ(須賀子、1881〜1911)が同じく処刑された幸徳秋水(1871〜1911)の救済を求め、獄中からひそかに新聞記者に送った書簡が、千葉県我孫子市で見つかった。当時の検閲を恐れてか、書簡は何も書かれていない白い和紙に見えるが、針で細かい穴が開けられており、光にかざすと文字が浮かぶ。今年は事件から100年。研究者から「これほど長く極秘に保管されていたとは」と驚きの声が上がっている。【武田良敬】
書簡は、朝日新聞記者として活躍した杉村楚人冠(そじんかん)(1872〜1945)の旧宅の居間にある書棚から発見された。秋水の同志で、同居していたこともあるスガが「自分たちは近く死刑宣告を受けるので、よく調べてほしい。秋水に弁護士をつけてほしい」と訴える内容。末尾で「彼は何も知らぬのです」と秋水の無罪を訴えている。日付は6月9日と記されている。
書簡はきれいに16折にされ、封筒に入っていた。「6月11日東京・牛込局」の消印で差出人は不明。当時、スガや秋水は獄中で取り調べを受けており、書簡が届けられた経緯は不明だが、我孫子市教育委員会の小林康達調査員は「私外(ほか)三名」といった文面からスガ自身がつづった可能性が高いと分析。「歴史のドラマそのものだ」と話す。
楚人冠は秋水の古い友人で、スガとも知り合いだった。事件後も欧州特派員などとして活躍したが、書簡については生涯沈黙し、ひそかに保管していたとみられる。
大逆事件に詳しい山泉進・明治大副学長(政治思想史)の話 100年間も極秘に保管されていたのは驚きだ。大逆事件関係者の思想や人間性を再評価するうえで、極めて貴重な資料だ。
◇書簡の全文◇
京橋区瀧山町
朝日新聞社
杉村縦横様
管野須賀子
爆弾事件ニテ私外三名
近日死刑ノ宣告ヲ受ク
べシ御精探ヲ乞フ
尚幸徳ノ為メニ弁ゴ士
ノ御世話ヲ切ニ願フ
六月九日
彼ハ何ニモ知ラヌノデス
※「縦横」は楚人冠の筆名
毎日新聞2010年1月29日15時00分
関連;「古川力作の生涯」
『悪党 小沢一郎に仕えて』マスメディアと東京地検特捜部/石川知裕氏×佐藤優氏 緊急対談〈1〉
「メディアには何をやられても、メディアでやり返せばいい。」石川知裕氏と佐藤優氏が緊急対談
2011年07月30日07時00分 BLOGOS編集部
平成の『悪党』はこう作られた〜マスメディアと東京地検特捜部〜
長年秘書として仕えた小沢一郎氏の素顔を明かした著書「悪党―小沢一郎に仕えて」(朝日新聞出版)が発売5日目で3刷が決まり、政治家本としては異例のヒットを記録している石川知裕・衆議院議員。
石川氏は小沢氏の政治資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる事件で逮捕・起訴され、7月20日の公判では検察が禁錮2年を求刑。
一方で東京地裁は検察側が自白であるとした調書の一部について証拠採用しないことを決定しており、公判の行方に注目が集まっている。
今回、BLOGOSではそんな渦中の石川氏と、また自らも東京地検に逮捕・起訴された経験を持つ元外交官で作家の佐藤優氏を迎え、「平成の『悪党』はこう作られた〜マスメディアと東京地検特捜部〜」と題した対談を行っていただいた。
知られざる小沢氏の姿や拘置所での生活、そして現在の政治が抱える問題点まで、様々な話題が飛び出した対談の模様をお送りする。
■出演者プロフィール
石川知裕(いしかわ ともひろ)
1973年生まれ。衆議院議員(民主党所属)。大学卒業後、小沢一郎氏の秘書を経て、2007年、衆議院議員に繰り上げ当選。2009年8月に行われた第45回衆議院議員総選挙で再選、現在二期目を務める。
2010年1月、小沢氏の秘書時代における「陸山会」土地購入問題で東京地検特捜部に公設第一秘書の大久保隆規氏や元私設秘書らと共に逮捕・起訴され、現在公判中。
2011年7月に小沢一郎氏について明かした初の著書「悪党―小沢一郎に仕えて」(朝日新聞出版)を発表、同書が現在ベストセラーとなっている。
佐藤優(さとう まさる)
1960年生まれ。作家。1985年に外務省に入省後、在ロシア日本大使館勤務などを経て、1998年、国際情報局分析第一課主任分析官に就任。
2002年、鈴木宗男衆議院議員を巡る事件に絡む背任容疑で逮捕・起訴。捜査の過程や拘留中の模様を記録した著書「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社、第59回毎日出版文化賞特別賞受賞)、「獄中記」(岩波書店)が話題を呼んだ。
2009年、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決が確定し外務省を失職。現在は作家として、日本の政治・外交問題について講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。近著に「3.11 クライシス!」(マガジンハウス)がある。
*「禁錮2年」の求刑は検察のシグナル
石川知裕(以下、石川):こんばんは。衆議院議員無所属の石川知裕です。7月20日、検察側からの論告求刑において、禁固2年が下されました。この2年間、西松事件から始まった陸山会事件、この中で検察とマスメディアが、どのような動きをしてきたのか。先日、『悪党ー小沢一郎に仕えて』を出版しましたので、佐藤優さんと『平成の悪党はこうして作られた』をテーマに、対談を行ないたいと思います。
佐藤優(以下、佐藤):私は6月30日に折り返し地点を超えましたよ。というのも、私は最高裁で懲役2年6カ月が確定しまして、2013年6月30日に執行猶予が切れるんです。それまでは本籍地は刑務所にあって、今ここにおりますのは仮の姿です。今回、石川さんは禁固2年を求刑されたわけですが、実は業界的に、「禁固」は面白いんですよ。
石川:面白いというと?
佐藤:検察が『ムショにぶち込んでやる!』という時は、3年以上を求刑してくるんです。つまり、2年というのは『執行猶予でもいい』ということ。シグナルなんですよね。つまり、思ったよりも検察は腰が引けているというのが、石川さんの論告求刑に関する私の印象です。
石川:大久保隆規さん(小沢氏の元公設第一秘書。石川氏と共に逮捕・起訴された。)は、3年6カ月だから......。
佐藤:それは『お務めに行ってくれ』ということ。実は3年というのが、大きな分かれ目なんです。業界内の目安なんですよ。禁固2年が、懲役1年に値します。禁固はあまりないんですよ。例えば皆さんでも、禁固刑を科された方はあまりいないはず。禁固刑で刑務所に行くのは、だいたい交通事故関係。交通事故を2度と起さないための講習が中心で、懲役の労働がないんです。
*使い心地が良い「刑務所の石鹸」
石川:実際に禁固を科されても、懲役に変えてくれと頼む人がいるようですが。
佐藤:正確に言うと、誓願労働というのがあります。つまりお願いして、仕事をさせてもらう。東京拘置所に入った時、部屋にマニュアルがあったでしょう?
石川:ありました。
佐藤::あのマニュアルには誓願作業という項目があって、そこに書いてありますよ。私はあのマニュアルをコピーして、外に出したいと思ったんです。そうしたら拘置所の職員の人が『駄目だ』というんで、ノートに全部写した.。
石川:「獄中記」で、そのことを書かれていましたよね。
佐藤:「獄中記」の岩波現代文庫版には、私が書き写してきた『獄中での生活の手引き』が付いてます。そこに、この誓願作業の説明も書きました。実は、私は刑務所で作られた製品を愛用しているんです。例えばノートならば、『府中ノート』なんてものがあります。これは通販で買えるんですが、懐かしくて今も使ってるんですよ。
実は今探しているのが石鹸なんです。洗濯用の石鹸は、通販や共生店で買えるんですが、あの中で使っていた『横須賀』って書いてある石鹸が欲しい。おそらく横須賀刑務所で作られているはずなんですが。どこにないか、探しています。
石川:私なんか、拘置所から持ち帰った石鹸なんて、なくなってホッとしましたけれどね(笑)。
佐藤:拘置所は差し入れがあるでしょう。中で配られている石鹸は使いましたか?
石川:そうですね、差し入れでもらった花王とか使っていたかな。
佐藤:差し入れが入らない人のために、白い石鹸があるんです。これが横須賀石鹸。最初の数日間使っていたんですけれど、使い心地が良い。だから、『一切石鹸は差し入れするな』って言って(笑)。
それからもうひとつ、『熱海』という石鹸もあるんです。熱海には刑務所はないはずなんですが、これは灰色の洗濯用でした。......おっとこんな話を続けていて、肝心の政治の話ができていませんでしたね(笑)。
石川:拘置所に入る予定の方は、よく読んで準備して下さい。
*ロシアでの小沢一郎
佐藤:今回、『悪党』を読みましたが、本当に正直に書けていますね。
石川:比較的、小沢さんに遠慮せずに書けましたし、自分の気持ちをそのまま表せたと思っています。
佐藤:小沢さんは読んでいますかね?
石川:あまり本を読まない人なんで、読んでいないと思います。
佐藤:もし読んだら、どんな反応をすると思います?
石川:以前、AERAの記事を持って行って、『本を書きます』と言ったんですが、その時もほとんど読んでいなかった。例え読んだとしても、『う〜ん......』と黙ってるんじゃないかな。
佐藤:黙っていると思うんだよね。実はこの本の中で、私と小沢さんの関係について、今まで私が話していなかったことが書かれているんです。
それは1994年5月、小沢さんが奥様と一緒にモスクワに立ち寄られた時のことです。私はアテンド係を担当していて、その後しばらく、小沢さんの所にモスクワから連絡を入れる仕事もやっていたんです。
石川:ロシアのミハイル・ザドルノフ元財務大臣が来日した時、画家の村山さんから、小沢さんに会って欲しいと言われたんです。それで『ザドルノフがどんな人か、佐藤優君に聞きなさい』と言われたのが、最初に佐藤さんとコンタクトを取った経緯ですね。
佐藤:電話頂いて、出向いてくると言われたんですけれど、その必要はないと。『ザドルノフは有望な人で、ロシアの中ではヤブリンスキーブロックに属している。ボリス・エリツィン氏とは距離があるが、実務家として高く評価されている。自民党の桜井(新)との関係が深い』。そんな情報を、ファックスで石川さんに送った記憶があります。
石川:以来、私が逮捕される直前まではご縁がなかった訳ですが。
佐藤:外交官や官僚は、どうしても時の政権与党と付き合います。私の場合は北方領土の件を進めるとなると、どうしても自民党との関係が中心でした。ただ、小沢さんの所にも96年までは行っていたなぁ......。96年のロシアの大統領選挙の結果報告をした記憶がありますから。
石川:当時、私はまだ書生です。96年は新進党になってからですね。
佐藤:モスクワで、小沢さんとシベリア餃子(水餃子)を食べたんです。奥様もいて、『あまり油強くないですか?』って聞かれて。ウォッカもかなり飲みました。大使館の連中もいたけれど、小沢先生はボトル2/3くらいは飲んでましたよ。
石川:あまり洋酒を飲むイメージはないですね。
佐藤:『これは美味い』とおっしゃって、ロシアにいる時は、ずっとウォッカで通してましたよ。
石川:郷に居れば郷に従えで、現地のお酒を飲んでいたんですね。
佐藤:その時、こう言われたんです。『ロシア人は約束を守るか?』と。これはポイントの質問なんです。私は『なかなか約束しないが、した約束は守る』と答えました。そして、『ゲンナジー・ブルブリスは頭がいいな......』と。
ブルブリスはロシアの国務長官をやっていて、北方領土返還をロシアで最初に主張した人なんです。『北方領土はスターリンが日本から奪い取ったものだ。現在のロシアの課題はスターリン主義的なソ連の負の遺産から脱却すること。それが国内における民主化であり、市場経済化だ。かつてソ連がやっていたような、大国主義外交や侵略外交を自発的に克服することが、ロシアの国益に貢献する。あんな過疎の島は、日本人がいらないと言っても、ロシアは返さないといけない。それによって国際的な地位は向上する』。
そんな話をブルブリスはしていました。
石川:ロシア高官がそのような発言をするのは、珍しいですよね。
佐藤:彼が天才的に頭が良かったからでしょう。来日した時に、彼は小沢さんにも会っています。小沢さんも、『あの男は実に頭がいい。ロシアの国益をよく分かってる』と言っていたことが印象に残っています。だから私は期待していたんです。当時は羽田(孜)政権の時でした。小沢さんの流れで行けば、北方領土は相当動くだろうと。
*鈴木宗男と小沢一郎
佐藤:面白かったのは、小沢さんは鈴木宗男さんの話もしていたんですよ。
『鈴木宗男氏は自民党の人だけれど、地元として本当に一所懸命この問題に取り組んでいる』と。
その後、7月くらいに自民党の代表団がロシアに来たら、『小沢の野郎ぶっ飛ばしてやる。モスクワで何をしていたのか。誰なんだ担当したのは?』って言われたんですけれどね(笑)。大使館の連中も、私(佐藤)がやっていたなんて、口は割らない。
その後、鈴木さんがロシアに来た時も、小沢さんの話をしていました。『小沢さんたちと、自分がやろうとしていることは、方向性は同じ。ただ、問題はスピードなんだ。小沢さんは速過ぎる』って。
石川:北方領土の問題だけでなく?
佐藤:政治改革も含めてですね。『今の自民党のままでは駄目なんだ。だから、村山富一には票を入れなかった』と、鈴木さんは言っていた。2回とも首班指名で海部(俊樹)に入れたのは、実は小沢さんのやっている方向性が、基本的に正しいと思っていたからだった。
石川:鈴木さんが、海部さんに投票した事実は、あまり知られていませんね。
佐藤:2回も票を入れた人は鈴木さんだけだった。その時に、ある外務官僚から鈴木さんの所に手紙が届いたんです。『感動しました。素晴らしいです。これが政治家のありかたです』と。
これを送ったのが、丹波という人で、私は、彼と戦争しているんです(笑)。最近、彼が『我が外交』という、『人生には悔いはあるが、恥はない』という、恥の固まりみたいな本を書いて(笑)。でも、鈴木宗男に関する記述はまったくなかった。
石川:私も購入しましたが、まったく記述はありませんでした。
佐藤:小沢さんとの関係も、『私は小沢に近いと言われて迷惑だ』と。手を擦り足を擦り近づいてね。本の宣伝になるのはよくないけれど、マスコミ操作術とか、色々書いてあるんですよ。
石川:小沢さんに関しては、『いつも怒鳴る人だ』と書いていましたね。
佐藤:『NHKの記者を上手く使え』なんて書いてあるんですけれど、私はその現場を知ってるんです。『小沢が私を利用したんですよ。野中(広務)先生にちゃんとつないで下さい!』なんて、鈴木さんに言ってる。『君からも言ってくれ』なんて私にも言われたりしてね。それでNHKの記者に頼んで、アポを取付けてもらった。それで『自分は反小沢だ』と散々アピールしていた。
*秘書が見た小沢一郎の裸
佐藤:ところで、小沢さんについてですが、政治家が一番隠したがるのは健康の話です。今回、『悪党』には、その辺りもしっかり書いてあった。小沢さんの裸の姿を何度も見た事があるんですね?
石川:そうですね。書生の時は、風呂上がりを見ますから。都市伝説に『イギリスに行って心臓手術をやった』とか、『小沢の胸には心臓出術の傷がある』なんて言われていましたが、そんな傷はまったくなかった。こうした都市伝説をひとつひとつ正して行くべきです。
佐藤:ただ、心臓病は間違いないんでしょ。
石川:心臓病は持っています。私が事務所に入る前に心筋梗塞をやっているはずです。スーツの左ポケットに、ニトログリセリンが入ってますよね。
佐藤:それから印象に残ったのが、小沢さんと一緒に食事しても、彼は手酌なんですね。『お注ぎします、先生』と言われると、『いや、計ってるから』って。
石川:必ずビールもお銚子も、自分で何本飲んだか分かるように計ってます。私もふたりで飲みに行った場合は、お互いに手酌です。
佐藤:石川さんに教えてもらったんだけれど、小沢さんは医者から3つのうち2つを止めろと言われたんでしょ?
石川:肉とタバコと酒です。心臓病を患った後、酒は人生の楽しみだから止められない。それで、タバコと肉を止めました。でも、節目節目のトンカツは食べてましたが。
佐藤:せっかくこういった機会ですので、Twitterで質問を受け付けます。キツい質問でも、できるだけ逃げませんから、是非送って下さい。双方向性を担保したいと思いますので。
さて、小沢さんの所でお仕えしていた石川さんですが、本の中に面白いエピソードがありました。小沢さんがゴミ箱をあさって、捨てられたレトルトカレーを見つけて来て、『なんで、捨てたんだ!』って叱られる。
石川:あれはビックリしましたね。蓼科の別荘での出来事なんですが、賞味期限が切れていたし、当然ゴミ箱に捨てるでしょう? 一年に1回しか、そこに行かないんですよ。だから棚にあるものを整理して捨てていたら、後からそれを持ち出して、ネチネチ虐めるわけですよ。『確かめれば、食べられるだろう』とね。
佐藤:小沢さんって、ケチなの?
石川:ん〜、ケチと言えば、ケチですけれど。
佐藤:でも、石川さんだって、今回の事件では4億円ものお金が、ズズズッと出てきた訳でしょう? そんな大金が行ったり来たりしている状況で、捨てたカレーを持ち出して来るのか......(笑)。
石川:本にも書きましたけれど、締めるところは締めて、使う所は使えと。
佐藤:カレーに関しては、締める所と認識している訳ですね。
石川:あと言われていたのが、『人とは、実際に会って自分で判断しろ』と。つまり、カレーも自分で味見して確かめるべきだった。このような教訓めいたことを教えたかったんでしょう。でも、まさかゴミ箱から、取り出して来るとは思いもよりませんでしたが(笑)。
佐藤:ゴミ箱チェックをしてるって事ですよね。猜疑心が相当強いのかな。
石川:そうですね。後藤謙次(共同通信社元記者)さんの本にも、猜疑心の事が書かれていました。例えば、メール事件(2006年の堀江メール事件)がありましたよね。小沢さんだったら、あのような事にはならなかったと思います。二重チェック、三重チェックでその人物を調べていたと、当時も思いましたから。
*仙谷由人と小沢一郎
佐藤:前原(誠司)さんは、メール事件を反省していて、以降は状況をチェックするようになったようです。要するに野田(佳彦)さんの所から来たため、情報に文句をつけてしまうと、野田さんとの関係がギクシャクすると、前原さんは考えてしまった。でも、情報分析はそれでは駄目なんですよ。
石川:政治家は、人間関係を大切にしないといけないですから、当然ではあるんですが。小沢さんは修羅場をくぐっているので、他の角度からチェックすることをしますよね。
佐藤:今、小沢さんの一番の天敵といえば仙谷(由人)さんでしょう。
石川:間違いなくそうですね。
佐藤:私はこの本の価値を高めたのは、仙谷評だと思うんですよ。
“小沢頼みから脱却しなければならないと、仙谷さんは言っている。我々ひとりひとりの政治家は、自分自身の考え方をまとめ、小沢一郎への依存から脱却し、自らが政策をかかげ、それが日本の指針となるような、または対立軸となるようなものを、作り上げなければならない時期にきている。”「悪党」より
おそらく、小沢グループと言われている人たちの中で、仙谷さんの言っていることを『これはフェアだ』なんて言える人はいないと思う。
しかし、そのあとに『一度、小沢一郎に総理大臣をやらせてみたいと思っている国民が多いのも事実である』と続けているけれど。その国民のひとりが、石川さんであるのは間違いない。
今の民主党の混乱について、小沢側にいるひとりの政治家として、そしてバランスの取れた『仙谷観』を持っているひとりとして、どのように見てる?
石川:離党してさらによく見えるようになりました。民主党の中で、小沢さんの考え方そのものを分かっていて、小沢さんを支持している人はあまりいないんです。自分の考えがないから、『力のある小沢さんだろう』と考えて、小沢グループにいる人たちも少なくない。彼らは自分の頭で考えていません。
仙谷さんは民主党の中に何かしら『小沢神話』があると指摘しています。メール事件の後、小沢が出てきて終息させた。政権交代の時も小沢が出てきた。それ以前に新生党を作った時と同じようにです。神話信仰から、脱却しなければならない。
でも一方で、野党時代に安定的な党運営を行なっていたのも小沢さんでした。私は彼に1回首相をやらせてみたいと最後に書いたのは、私の本音です。事実、そのような気持ちを持った人が、ある程度はいるんじゃないかと思っています。
佐藤:そのような若手が増えてくれば、民主党ももう少しまともになると思う。私はこの『悪党』という本が、そのような読まれ方をして欲しいと思っています。つまり、民主党の小沢派の人たちは、小沢さんをもっと突き放して見る。彼がどのような機能を果たしているかと。少なくとも悪党の一味であることを、きちんと認識しなければならない。反小沢派は、とにかく小沢を怖がらずに、小沢と言うのは一体なんなのか、小沢の内在論理を見て欲しい。
石川:結局、親小沢というのは自分で味を確かめないで、ただ『これは美味しいから』って思い込んでいるんです。
佐藤:そんな奴は絶対に後で裏切るから。
*酷い人間模様
佐藤:鈴木宗男さんが全盛時、赤坂のステーキハウスで『ムネムネ会』が開かれたんです。これはその後、鈴木会につながる派閥横断のグループでした。経世会の小渕派・橋本派の中にあって。
当時、鈴木さんは橋本さんの事を、どこまで尊敬していたのか分からない(笑)。いつも『ポマード』とか呼んでいたし。橋本さんも『こら、鈴木!』なんて怒鳴ってたしね。小渕さんも『おい、鈴木〜!』って感じだったから、可愛がられている子分という雰囲気ではなかった。
でも、このムネムネ会は本当に結束が固かった。ある時、こんな事がありました。チェチェン情勢の説明のために、赤坂のステーキハウスに行ったんです。そしたら、みんなでワインの一気飲みをやっていた。『先生を総裁に!』って気勢を上げているんです。
すると、ひとりの国会議員が私にからんできた。『君たちみたいな官僚は、鈴木総裁に忠誠を誓っているように見えても、何かキツいことがあったら必ず裏切るだろ』って。そうしたら、鈴木さんが血相を変えて、『あんた、今何を言ったんだ。佐藤さんは本当に一生懸命やっている』って言ってくれた。
お開きになった後、非常に珍しいことなんだけれど、鈴木さんに『佐藤さん、少し時間があるか? ふたりで飲もうや』って誘われて、赤坂の細い通りにある......。
石川:TBS通りをスッと左に入った......。
佐藤:そうそう、その辺りを歩いていたら、『今日はすまなかったな。不愉快な思いをさせてしまった。絡んだ奴はきっと裏切る』と言っていた。
あの時、鈴木さんがえらく寂しそうだった。そういった政治家や外務官僚が、鈴木さんを付け回してくるわけ。それが年間2〜3億円になるんですよ。それなのに、檻の中に入ったら(議員)辞職勧告決議をやる。
石川:私もそうでした。
佐藤:その時、弁護士から連絡があったんです。ムネムネ会のメンバーの人たちが、野中広務さんに頼んで、野中さんから弁護士に連絡があった。『我々としては、なんとしても鈴木先生と一緒にいたいので、議員辞職勧告決議には反対します』と連絡して欲しいと、野中さんに言ってきた。
でも、それは計算ずくなんです。そんな事を言えば、鈴木さんは絶対に『生き残ることが重要だから、お前等は賛成しろ』と言う。結果、議場ではひとり残らず賛成するわけ。逆に鈴木さんと距離のあった、河野太郎さんみたいな人が、議場から飛び出しちゃったりしてね。
これは検事にも『酷い人間模様だね』って言われましたよ。だから、そんな光景が今でもフラッシュバックするんですよね。
*「とにかく石川さんが自殺しないようにすることを考えた」
佐藤:そこで、石川さんのことですが、私が本気で付き合おうと思ったのは一昨年、2009年10月だったと思う。この時、石川さんから電話がかかってきた。この本の中にも内容が書いてあるけれど、石川さんに関する疑惑がまず読売新聞で報じられたんですよね。
石川:2009年10月16日ですね。
佐藤:そうしたら、ある経済関係の新聞記者が来て......。
石川:1紙しかないですよ(笑)。
佐藤:石川さんの秘書に、『検察が石川は階段だ』と言ってると伝えてきた。そして、私に『階段とはどんな意味ですか』と質問の電話をくれました。『そうか、階段って言ってるのか......。つまり、石川は小沢一郎につなげるための階段である』と。それは『外務省のラスプーチンこと佐藤優は、鈴木宗男につながる階段だった』と一緒です。だから、もう逃げられない、確実に捕まりますと言いました。
石川:この時点でも信じられなかった。佐藤さんから『石川:さん、もう間違いなく逮捕だから』と言われても、信じられない。『1月15日の松の内辺りが危ないから、とにかく甘く見ないほうがいい』って言われても、現実が見えなかった。
佐藤:一番最初に考えたことは、とにかく石川さんが自殺しないようにすること。どのような心理状態になるか、私自身の経験に照らし合わせた。それから鈴木さんの様子、そしてもうひと浮かんだのは、自殺した松岡利勝(元農林水産大臣)さんのことでした。実は松岡さんとの付き合いは1989年から。鈴木さんより長いんです。
石川:そうなんですか、意外ですね。
佐藤:時々電話をもらっていたんだけれど、あの人は本当に人情味があって。私がこうやって作家として復活する前の時にも連絡があってね。
石川:拘置所から出て、一番不遇の時ですよね。
佐藤:『佐藤さん、良かったらメシを食わないか』と誘ってくれた。赤坂の小料理屋に行ってね。彼が好きなのは肉じゃがとか、野菜の煮付けなど。『冷たいビールが飲みたい』って、ビールを冷凍庫に入れて、少し凍り氷がついたビールを頼んでいました。『これが美味いんですよね』なんて言って。それだけが唯一の楽しみだった。女性がいる華やかな場所に行くとかしない。
どうして私が、モスクワで彼に関心を持ったかと言うと、大使館の連中は政治家を色々な遊び場に連れて行くんです。松岡さんもカジノに連れて行ったけれど、彼は賭け事を一切しない。『私は選挙と言うたいへんな博打をやっていて、本当に何度も夜逃げをしようかと思った。自殺を考えた事だってあるから、他の博打は一切しないんだ』と。それで、面白い人だと思って、付き合いが始まった。『私は弱い人間でね。佐藤さんのお世話になったし、鈴木さんにもお世話になったけれど、何も出来ないんですよ』って。
石川:鈴木宗男さんも、松岡さんからそのように言われたと言っていましたね。
佐藤:彼が農水大臣になって、私も作家になった。そして、例の政治資金規制法の『なんとか還元水』事件が起こりました。メディアからの強烈なバッシングが始まった。そうしたら、『マスメディアへの対応はどうすべきか』と、電話がかかってくる。
私は『怖がらずに外に出た方がいい』と伝えた。それから、『なんとか還元水の問題は、私でも納得できない。だから、この問題に関しては頭下げて、きちんと説明しないと駄目だ』と。でも、『出せるんですが、迷惑かける人がいる』と言っていた。
これはあくまでも私の憶測ではあるけれど、役人に飲み食いさせていたんだと思う。名前が出たら、その役人が終ってしまうと思って、言えなかったんだと。その後、マスコミの攻勢が強くなって、『私はこれでやっていけるのか......』って、自殺する10日前にも電話がかかってきた。『会いたい』と。あの時、会っておけばよかったと今でも思います。
彼が自殺した日、私はちょうど産經新聞でレクチャーを行なっていました。すると、電話が何度も鳴るんです。電話を取ったら、鈴木さんからで、『松岡は死んだ。今、取りあえず病院に運んでいる。ニュースでは蘇生のために努力をしていると伝えているが、もう駄目だ。あの馬鹿、死にやがって。生きていれば、やり直すチャンスがあったのに......』と。これは初めて石川さんに話すけれど、その時のことが石川さんと重なったんだ。
石川:今日初めて聞きました。
*「不可抗力で亡くなれば、この苦しみから逃れられる」
佐藤:松岡さんは、決して気が弱いタイプには見えないでしょう? その人がふとした瞬間に首を吊ってしまった。
石川:私もよく話すんですが、『死にたい』と『死のう』は違う。
佐藤:よく分かります。私自身、クリスチャンだし、自殺する気にはならないけれど、『崖崩れが起きたりとか、何か事故に巻き込まれて、死ぬと楽だなぁ......』とは、当時毎日のように思っていた。
石川:私は飛行機に乗る回数が多いですから、自分で死のうとは思わないけれど、『ここでこのまま墜ちたら、仕方ないな』と。自分には負けたくないけれど、不可抗力で亡くなれば、この苦しみから逃れられるとは、いつも考えています。
佐藤:私の場合は情報屋でしたから、検察も私のことを悪党と思っていて、任意の段階で呼ばないで、いきなり逮捕でした。でも、任意で呼ばれるのも辛かったでしょう?
石川:やっぱり何回も、何回も行きますし、マスコミからは追われます。便所まで追って来られましたから。
佐藤:これは捕まった経験のある人にしか分からないけれど、いくら説明しても、こちらの言うことは聞いてもらえない。それに、調書は言った通りじゃないんだよね。全然違う紙が出てくる。
石川:こちらの昼休みの間に作られたりしますからね。そんな中で、毎日どんなに飲んでも、午前3時に目が覚めるんです。読売新聞の第一報が10月16日にあった時間です。新聞社は2時半か3時に、他に抜かれたくない第一報を出すんですよね。午前3時に朝日新聞から電話がかかってきて、『石川さん、読売新聞にこんな記事が出ますけれど、どうでしょう?』って。
そのことがトラウマになって、逮捕直前はどんなに酔っぱらっていても3時に起きてしまう。あのマスメディアの攻勢というのは、朝起きたら、もう全部の紙面に悪口が書かれているんですよ。週刊誌も気になるし、松岡さんだって相当心労だったんでしょうね。当時の鈴木宗男さんや、佐藤さんの攻撃のされ方からすると、私はまだマシだったのかもしれないけれど......。
*郵便物を勝手に開封したテレビ局
佐藤::ただ、私にしても、石川さんにしても、当時は公人でした。やっていることに対する説明責任があります。北方領土に関しては、私と言うか、外務省がきちんと説明していれば、こんな事にはならなかったと思う。事実に基づいて報道される分には、全く構わない。
ところが、事実じゃないところで、特にリークに基づいて話を作られていく。その上、私の頃はリークに対する問題意識が少なかったから、やりたい放題だった。あの頃なんて、ゴミを捨てると、すぐに持って行かれてしまう。
石川:ゴミは家の外に捨てに行きますよね。
佐藤:想定するに、当時はまだお金の余裕があったテレビ局でしょうね。ゴミの中から何かが出て来ないかと......。
石川:そんなことまでやられていたんですか。
佐藤:当時、赤坂の2階建ての小さなテラスハウスに住んでいたんだけど、風呂に入っていると外に人の気配がする。パッと見てみると、格子の入っている風呂の窓の下に、若いお兄ちゃんが座っていてて目が合った。彼らは、私が裏から抜け出すと思っている。
そのうち酷くなってきたのは、郵便ポストから郵便物が抜き去られて、開封されて下に落っこちているの。
石川:私はそこまではやられませんでした。
佐藤::私への疑惑が始まったのが2002年の1月20日くらいで、逮捕が5月14日。約4カ月も続いたから。
石川:それはしんどいですね。私はまだ、2カ月くらいですよね、本格的に報道されたのは12月からですからね。
佐藤:あの時の経験があるから、とにかく石川さんには死んでもらったら困る。そして、石川さんは『階段』だったし、私も階段にされた。石川知裕だって、佐藤優だって、ひとりの人間なんですよ。そうすると、鈴木宗男や小沢一郎につながるための道具として使われるのは、ソ連時代の粛正が重なったんだよね。
石川:階段という物質にされた訳ですからね。
*「録音」は卑怯なことであっても、違法なことではない
石川:そして、裁判は論告求刑、最終弁論ということになりますが、色々教えて頂いた中でも、一番は『録音』ですよね。
佐藤:録音に関しては、率直に言えば隠し撮りですから、卑怯なことなんですよ。でも、卑怯なことであっても、違法なことではない。
利用者の皆さんがどう思うのか、率直な意見を聞きたいんですが、私はこう考えました。石川さんのコンピューターの中に重要なデーターが入っていたとしたら、コンピューターを持っているのは押収した検察しかない。それ以外の所からは出て来ない情報なんです。そのような情報が、マスコミから出て来ると言う事は、当局がリークしている。
鈴木宗男さんが、リークに関して質問支持書で尋ねた。でも、『内閣総理大臣名でリークはしていない』と回答している。つまり、嘘をついている訳です。
外交の世界には『相互主義』というものがあって、相手がルールを守らないのであれば、その範囲の中でこちらもルール違反をする。この場合も、相互主義を発動するべきだと。そのためには武器がいる。今回は任意の逮捕ならば、音を取っておくということは、その後に自分を守る武器になると思ったんですよ。
石川:それを、こうやって納得するように説明してもらわなければ、持って行けなかったですよ。
佐藤:最初から使うって訳じゃないんですよ。その後の検察の対応を見て、本当に石川さんの言ったことを素直に受け取って、公判を運営して行くのであれば、文句を言う筋合いではない。
石川:実際、それによって調書がほとんど不採用になったことは、今後の小沢裁判にも大きく影響を与えることです。小沢さんが無罪になったら、一番の功労者は佐藤さんになりますね(笑)。
佐藤:あえて乱暴なことを言うと、小沢さんはどうなってもいい。真実に基づいて、小沢さんが逮捕されたり、有罪判決を受けてもいいと思う。それは私だって、鈴木さんだって、みんな同じです。ただ、事実と違うことをやったら、特にこの政権交代が起こったように、歴史が変ってしまう。
*政治の世界で強まるニヒリズム
佐藤:私が今すごく心配しているのは、政治の世界でニヒリズムが強まっていることです。自民党も駄目だったけれど、民主党はもっと駄目だ、と。小沢派も反小沢派も全部駄目だ。強い力が必要で、独裁的な政治家を求めている。これでは本当に嫌な国になってしまう。
石川:今、実際に大阪府知事の橋下(徹)さんや、名古屋市長の河村(たかし)さんが、人気を博しているのは、そのひとつの動きとみていいのでしょうか?
佐藤:そうですね。河村さんはよく知っているでしょう?
石川:ええ、よく知っています。
佐藤:河村さんと橋下さんはずいぶん違います。河村さんの減税って発想に関しては、税金を多く収めるのは金持ちだし、金持ちにとって彼の政策はプラスになるんだけれど、それが『減税』って言葉から見えて来ない。
でも、あの人は地べた這っている人でしょう。有権者との関係に皮膚感覚は強い。橋下さんは、もっと洗練されたエリートです。あまり地べた這っている感覚はないと思う。むしろイメージ操作が上手い。橋下さん自身が凄く危険な存在にはならないと思う。でも、『首相公選制』とか、『強い手』とか、彼が色々なパフォーマンスを展開しているうちはいい。例えば、『君が代』だって橋下さん自身が本当に心酔しているならば、伝統保守として分かる。でも、彼は規則だから守れと言っている。そうすると、インターナショナルが日本の国歌になったら、それも規律だから守れということになってしまう。この種の発想は、けっこう怖い。
石川:私もこの本の中で、小沢さんの事について書きたかったことのひとつに、天皇制の問題があります。結局、首相公選制への流れは、今後強まって行くと思うんですよ。議会は何やってるんだと。
佐藤:これは危ない。
石川:国会議員何をやってるんだとね。自分達が選んだ国会議員が選んだ総理大臣は、1年足らずでやめていく。だったら、直接自分達が国のトップを選びたいという、世論がドンドンわき上がって来るでしょう。その時、首相公選制と天皇制と整合性について考えなければならない。小沢さんが言ったという事に説得力があるので、あえて私は書きたかった。
佐藤:もっとリアルに、どこで聞いたかと言う問題です。秘書としては、ルール違反ですよね。クルマの運転手をやっている時に聞いた話ですし。
石川:実際、たまたま東祥三(衆議院議員)さんと、車内で話しをしていて。
佐藤:東さんは元々公明党で、公明党が1回解党して新進党になった時に合流した。しかし、その後、元公明党の人たちは公明党に戻ったんだけれど、東さんは戻らずに自由党に行った。
石川:彼は、高等難民弁務官をやったり、外交には強い人ですね。
佐藤:私もモスクワでアテンドしたことあるから、よく知っています。
石川::東さんも小沢さんも、かなり酔っていました。私がクルマを運転していたら、『党首、日本の政治家で、やっちゃいけないことって何でしょうか?』って東さんが聞いたんです。小沢さんが間髪入れずに『天皇制をいじることだ』って。小沢さんは弓削道鏡と和気清麻呂の話を例に出していましたが、『そのような奴が出て来ると、日本の政治は乱れる』と。
佐藤:例の羽毛田(信吾)宮内庁長官の問題発言(習近平・中国国家副主席の天皇陛下会見問題)もありました。これはBLOGOSで私も書いて(佐藤優の眼光紙背:第64回「羽毛田信吾宮内庁長官は尊皇のまこと心をもっているのだろうか?」)、だいぶ反響がありましたが、むしろ、あれは羽毛田さんの方が皇室を政治利用している。最初からそのような論を張ったんですが、実は小沢さんもそう考えていると思うんです。永田町や霞ヶ関のプロの認識も、あの問題に関しては同じ考えじゃないか。
石川:私もそう思いますね。尊崇の念が強いかに関しては、色々な表し方がある。
佐藤:そもそも天皇制って言葉は、コミンテルン(共産主義の国際組織)が作った言葉ですからね。ですから、私は天皇制って言葉は使わないようにしている。天皇制って言葉は制度だから、変更が可能だと言う含みがあります。
*小沢氏のための”特別房”
佐藤:小沢さんの話で面白かったのは、石川さんが捕まった時のこと。業界用語に『総検』というのがあります。これは独房の中に余計な物を持っていないかチェックすること。今ではだいぶ緩くなったのかな? 私の頃はパンツ3枚、本3冊とか、ボールペン1本とか、非常に厳しかった。
石川:決まりはありましたよ。本は3冊でした。
佐藤:監獄法が改正されて、少し緩くなったけれども、変な物を持っていないか、受刑者を廊下に出して中の検査をする。その時に石川:さんは特別待遇で......。
石川:私は別の部屋で待機するように言われました。その部屋がまたキレイなんですよ。畳が入れ替わっていて(笑)。
佐藤:ちなみに、東京拘置所の畳は2種類あります。縁が黒い畳と、縁に何もついていない畳。何が違うかと言えば、普通の房は縁がついている。縁が付いていないのは特別房で、死刑囚とか、石川さんのような要監視人物に対して。私も特別房に何度か入れられたので、どこが違うのか探してみました。上にカメラがついているのは分かるけれど、外から判別できるのは畳の縁でした。
石川:出所してから、その話を聞いて思い出しました。当時はそこまで分からなかったですよ。
佐藤:そんな長くいなくて良かったです。取り調べでその話をしたんでしょう?
石川:検事さんに話したら、『まだ、お入りになられていないVIPのために、用意してある』と。
佐藤::この話が面白かったから、鈴木宗男さん、小沢さんと一緒に寿司を食べた時に、小沢さんに話したの。『そんな事を言ってるのか! 俺を待ってるのか!』って驚くと同時に、怒っていた(笑)。
石川:冗談でも検事がそんな事を言うのは......。
佐藤:冗談に半分の真理ありってね。検察も絶対捕まえてやろうと思っていたんですよ。
石川:ただ、『俺たちが小沢を逮捕できなかったら、現場の検事はみんな辞めてやる』って言ってましたからね。それくらい最初は燃えていました。でも、どこかからか雰囲気が変っていきましたよ。
*”小沢総理”なら安定した政権運営をしてくれる
佐藤:さて、ここからは視聴者からの質問です。
佐藤さんがそのままロシアで活動していたら、北方領土問題はどうなったと思いますか?
佐藤:その時の政治体制が、どうなっているかなぁ......。今の政治体制だったら、誰がやっても駄目。ただし、鈴木さんとか、森(喜朗)さんがいたら、動いたかもしれない。次は『小沢さんにTwitterを勧めたらどうですか?』。どうですか?
石川:事務所のTwitterがありますけどね。基本的に携帯とか持ち歩かないんですよ。
佐藤:携帯を何て言うんだっけ? ピコピコ?
石川:そう、ピコピコ出せって。小沢さんは『あいつが言っているだけだ』と言うかもしれないけれど、これは事実です(笑)。株価をよく気にしていて、よく『お前、ピコピコで株価を出せ』って。ピコピコって何だよって思ったら、携帯でした(笑)。
『小沢総理になったら、日本はどう変わるでしょうか?』
石川:どう変るかというよりも、安定した政権運営をしてくれると思います。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)や在日外国人地方参政権問題、賛否両論あるものは、きちんと意見を聞きながら、裁くと思います。
『石川さんは民主党に復党できるとしたら、したいと思いますか?』
石川:結論から言うと、分かりません。民主党が残っているか分かりません。復党したいと思っても(笑)。
佐藤:それは民主党の中にいたら、思っていても絶対に言えないよね(笑)。もっとも民主党がなくなる時は、自民党もなくなっている。
石川:そうですね。
佐藤:絶対にあるのは公明党と共産党だね。どっちか行きませんか?
石川:いや、どちらも受け入れてくれないでしょう。ただ、小沢さんは政党の在り方は、共産党が理想だと言っていますよ。民主集中制に則っていますからね。
『民主党はトロイカ体制でスタートして、まだ首相をやっていないのは、小沢さんだけです。次の選挙で民主党が負けてしまうのならば、首相にしてもいいのでは?』
石川:『人事を尽くして天命に遊ぶ』と言っていましたが、その時が来たら、受けると思います。
『小沢一郎と原子力利権の関わり合いを教えてください』
石川:まさに、この本を読んで欲しいんですが、私も聞きました。若い時に科学技術庁の政務次官をやっていますからね。小沢さんは、『特に積極的に誘致してこようと思わなかったから、結果的に岩手に原子力発電所がなかった』と言っていました。
佐藤:なぜ、積極期にならなかったんだろう。
石川:それも聞きました。『なんとなく来なかった......』みたいな事を言ってましたね。(来栖註:小沢氏は高レベル廃棄物が処理できないことを知っていた)
佐藤:その辺りは勘がいいというか、あまり良い物だとは、思っていなかったことですよね。
石川:それもありますし、あとは岩手県の沿岸て、アワビやウニなどが取れて、比較的お金持ちが多いからかな。
佐藤:「悪党」にこう書いてある、
“役所はクリーンでコストが安くて、安全なエネルギーであると、宣伝文句を言っていた。今も、その当時もあまり変らないのは、結果的に原発から出てくる高レベル放射性廃棄物の処理には、未だ適当な方策がないんだよ。役所の宣伝文句は別にして、過渡的なエネルギーとして、仕方がない。石油もないからね。だから過渡的なエネルギーとしては仕方がないけれど、いずれ新しいクリーンで、しかも日本で大量に生産できるエネルギーっちゅうものを考えなければ、駄目なんだと思っていたし、俺は言ってきたんだ。”「悪党」より
ということは、菅(直人)さんの言っていたことを、小沢さんは先取りしていたんだ。
石川:私も秘書時代に原子力関連の人とも会った事がないし、利権には関わっていないはずです。それより土建屋でしょう、小沢一郎と言えば(笑)。
『小沢は沖縄の普天間近辺に広大な土地を、なぜ購入しているんだ。石川説明しろ!』
石川:『余生を過ごしたいからだ』と、前から言っていました。釣りが好きなんで、沖縄にもよく行っている。ただ、私が秘書の時は買っていなかったはずです。 *強調(太字)は来栖
軋む世界/巨額の財政赤字、国防費削減を迫られる米国/経済力をバックに軍備拡張を進める中国
軋む世界 米中 新たな火種 【?】南スーダン/資源・安保で覇権争い
中日新聞2011/07/26Tue.
「中国の方々から毎日、油田開発のオファーがありますよ」。今月9日、アフリカ54番目の国として誕生した南スーダン。建国の興奮冷めやらぬ中、南部政府の高官は、本紙の取材に、既に中国側の熱烈な営業攻勢を受けていると明かした。
北部スーダンの3倍に上る油田を抱え独立した南部。道路や水道、電気などインフラ整備への支援の申し出が、中国側から続々と届く。「全てわれわれから石油開発(参入)への協力を取り付けるためだ」と、意図を高官は見透かす。
舗装道路の総延長がわずか60キロ、電気や水道も未発達という国で、中国の存在感は際立つ。地元の記者によると、首都ジュバは中国系ホテルが10軒余に急増。「政府役人の大半の家は、中国企業が特別価格で建設したという話だ」と記者は声を潜めた。
中東の衛星放送アルジャジーラなどによると、分離前のスーダンは、1983年から20年余に及ぶ南北内戦が続き、米石油大手シェブロンが撤退。国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者(今年5月に米国が殺害)が91年からスーダンを拠点にしたのを受け、米国は93年、スーダンをテロ支援国家に指定し、経済制裁を科す。欧米勢と入れ替わるように進出したのが中国国営石油会社だった。
「走出去(ソーチューチー・海外に出よう」。中国政府は今世紀に入って、自国企業に海外進出を一段と促す。国策と一体の企業はリスクや政治問題を度外視し、実利優先んで事業を拡大するのが強み。日量約50万バレルとされる南北スーダンの石油生産の3分の2が、中国向けとされた。
2005年、南北和平合意が実現し、黒人キリスト教徒の多い南部でアラブ系イスラム教徒中心の北部からの独立の機運が高まると、中国は北部ばかりか南部の有力者へも接近を開始する。
南スーダンの当局者によると、09年、南部の幹部候補らが多数、北京へ招かれ、研修を受けた。「その大半は、今や新政府の指導的立場。中国は親中派を育てようとしたのだろう」
この資源豊かな新国家で、覇権争いに名乗りを上げたもう一つの大国が、米国だ。
南北和平合意の後、スーダンにインフラ整備や食糧支援など60億?(約4千8百億円)もの資金を投入。「アメとムチ」と言われる見返りと圧力の両面で、北部バシル政権を揺さぶり、南部分離を認めさせた。
南スーダンは、アフリカ北部イスラム圏と中部キリスト教圏との境にあり、地政学的に重要な位置を占める。中東・アフリカのイスラム圏を中心に「対テロ戦争」にあえぐ米国にとって、この地域で親米国家を獲得する意味は、安全保障上も大きい。
9日の独立式典に駆けつけた米国のライス国連大使は「独立は、与えられたのではない。あなた方が勝ち取ったのだ」と持ち上げてみせた。だが、米外交の勝利ともいえる。
長い内戦を経て、悲願の新国家樹立に沸き返る南スーダン。グローバル経済と対テロ戦争での勝利をもくろむ大国の思惑が、激しくぶつかる最前線となりつつある。(カイロ・今村実)
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23日の東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)でも、焦点の南シナ海領有問題をめぐり米中両国は歩み寄りの姿勢を示さなかった。激しさを増す資源争奪や情報戦など、世界各地での2大国の新たな火種を探った。
軋む世界 米中 新たな火種【?】欧州 中国、国債購入 武器に
中日新聞2011/07/27Wed.
ベルリンの首相府で6月28日、ドイツのメルケル首相と中国の温家宝首相が共同記者会見に臨んだ。その場へ次々に登場した両国の閣僚や企業トップが延々30分も、2項目に及ぶ協定書類に署名し、固い握手を交わした。大型商談成立を報道陣にアピールする晴れ舞台だった。
中国から楊潔ち外相ら過去最多の13閣僚が参加した初の独中合同閣僚会合。経済協力の合意は幅広く、主要企業の大型ビジネスも並んだ。
中国が欧州航空機大手エアバスの旅客機A32062機を購入▽独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)は中国に新工場を建設し、電気自動車でも協力を推進▽独総合電機大手シーメンスと中国国家発展改革委員会は中国での環境対策の技術開発で提携ーなど、総額百6億ユーロ(約1兆2千億円)にも上る商談となった。
欧州諸国には、中国の巨大市場への期待感とともに、人権問題への懸念も根強い。しかし、中国が、温首相歴訪直前の6月22日、拘束していた芸術家、艾未未(がい みみ)氏を保釈するなど、懸念に配慮するポーズを見せると、ドイツは「法治国家としてのあるべき姿に意見の相違がある」(メルケル首相)と認めつつ、実利優先でビジネスを進める姿勢を前面に出した。
温首相も「今後5年間で両国間の貿易額を倍増させ2千億ユーロにする」と意気込んだ。
中国資本のドイツ進出は著しい。
今年に入ってパソコンメーカーなど7社を買収。独大衆紙ビルトは「中国の侵略」の見出しで報じ、国内の不安を伝えた。「中国は産業スパイから企業買収へと戦術転換した」とする識者の意見を紹介した上で、大型商談成立にも「笑顔の裏に何があるか」と警戒心を隠さない。
実際、中国は目に見えないものをも買おうとしている。温首相は記者会見で、ギリシャに端を発したユーロ圏諸国の国債買い入れを表明。危機にもかかわらずユーロの対ドル相場は1月の1・28?から直近の1・44?へ値上がり。要因の1つが、ユーロ諸国の国債などの中国による購入だ。
中国はこれまで、自国の輸出が有利になるように人民元を売り、ドルを買う為替介入を続け、対米輸出の価格競争力を保ってきた。手元にたまったドルで米国債を大量に買っているが、財政問題抱える米国と道連れになる危険も膨らんだ。
ドルに代わる唯一の投資先が現状ではユーロ。欧州からは感謝もされる。中国がドルからユーロへ振り向ける資金の割合を増やせば、米国の金利やドル相場が悪影響を受ける恐れがあり、中国にとって米国を揺さぶる手段ともなる。
ユーロ危機の下、欧州と米国の足元を見透かしたような中国のしたたかな経済戦術が、欧州への接近をいっそう加速させている。(ベルリン・弓削雅人、ロンドン・松井学)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】中央アジア/経済力背景に中国化
中日新聞2011/07/28Thu.
「ロシアか中国か。(ロシアの)メドベージェフ大統領が踏み絵を迫った」
6月14日、中央アジア・ウズベキスタンの首都タシケント。メドベージェフ大統領とウズベクのカリモフ大統領の4時間に及んだ会談を、ロシア外交筋はこう分析する。
表向きのテーマは「中東民主化」。自国への波及を恐れるカリモフ大統領に対し、メドベージェフ大統領がカリモフ氏の独裁体制への支持と引き換えに「親ロ反米路線」の堅持を求めた、との見方が一般的だ。が、同筋によると、メドベージェフ大統領が重視したのは、翌15日のタジキスタンでの上海協力機構(SCO)首脳会議で、新規加盟規約の採択に同意させることだったという。
SCOは、もともとロシアと中国が、米国と対峙する新たな世界軸を目指して2001年6月、中央アジアの旧ソ連4か国とともに創設。05年の首脳会議では、中央アジアの駐留米軍に早期撤退を求める共同宣言を出し、実際にウズベクの米軍基地を閉鎖に追い込むなど、対米牽制では一定の成果を挙げてきた。
しかし、経済力を背景に、豊富な地下資源への巨額投資など中央アジアに対する影響力を拡大する中国は、ロシアにとって米国以上ともいえる脅威に変貌。ロシアは、中国を抑えるため、友好国でSCO準加盟国のインドの正式加盟をもくろんでいた。
加盟規約は、運営分担金など加盟の具体的条件を定め、SCO拡大の法的基盤となる。
既に事務レベルで草案が完成。ロシアは、採択を目指し、根回しに奔走した。
だが、首脳会議では各国首脳がSCO拡大を検討するとの覚書に署名したものの、具体的加盟条件については継続審議とされた。ロシア外交筋や専門家らによると、中国が規約の内容に原則的に賛成しながらも「SCOは開かれた組織として発展する」との拡大路線明示の表現に反発したためという。
現在、モンゴル、インド、パキスタン、イランが準加盟国。今後数年内の正式加盟は困難とみられるが、機構として拡大路線を明確にした場合、いずれは「対テロ戦」をめぐって米国と対立を深めるパキスタンなどの加盟も具体的日程に上り、対米摩擦が生じる。財政赤字に苦しむオバマ米政権がブッシュ前政権と違って中央アジアに対する消極姿勢を続ける隙に、安全保障面での無用な米中対立を避けつつ、経済領域で一気に影響力を拡大しようとする中国の思惑が浮かび上がる。
中国の胡錦濤国家主席は首脳会談で、SCO加盟国に対する総額百20億?(約9千5百億円)の低利融資を表明。もくろみの外れたろしあとは対照的にSCOの盟主としての存在感を示した。
ロシア科学アカデミーの研究者ルジャーニン氏も「もはや経済面ではSCOにおける中国の主導権は揺るがない」といっそうの“中国化”を予測する。ロシアのみならず、米国にとっても憂慮の種に違いない。(モスクワ・酒井和人)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】サイバー空間/「諜報活動」に包囲網
中日新聞2011/07/30Sat.
今年3月、米防衛関連企業のコンピューターに外部から何者かが侵入、国防関連情報を含む2万4千件のファイルが盗み出された。
「やったのは外国の諜報機関だと考えている。背後には国家権力がいる。だが、あえてそれが誰なのかは言わないことにする」
コンピューターネットワーク上の仮想空間を「サイバー空間」と呼ぶ。今月14日、その空間における米国の新たな防衛戦略を発表したウィリアム・リン国防副長官はさりげなく重大な事実を打ち明けた。
中国のことを指しているのは、誰の目にも明らかだった。
今年6月。外部からの大規模なサイバー攻撃を受けたインターネット検索大手グーグルは「攻撃の起点は中国山東省済南市」と発表した。
同市は人民解放軍の重要拠点。昨年、グーグルが検索サービスに対する事前検閲の撤廃をめぐって中国政府と対立した際も「同市からとみられるサイバー攻撃を受けた」と主張していた。
中国側は否定しているが、今回の攻撃ではグーグル提供のメールサービスを利用する米政府高官らの私信が標的とされており、中国の諜報活動の一環である疑いは深まるばかりだ。
2008年、米国防総省のコンピューターシステムは外部からの本格的なサイバー攻撃に初めてさらされた。危機感を深めた米国は昨年2月、「4年ごとの国防戦略見直し(QDR)」でサイバー戦略の必要性を明記。昨年5月には、東部メリーランド州の陸軍基地内に「サイバー司令部」を設置した。
これに遅れること約1年、中国国防省は人民解放軍の広州軍区に「ネット藍軍」を創設。「ハッカー部隊では」との懸念が世界に広がったが、中国はネット攻撃に対する防御態勢固めと説明した。
サイバー空間でしのぎを削る2大国だが、現実には、サイバー戦での米国の攻撃力は他の追随を許さない。
米軍はコンピューター7百万台を擁し、1万5千以上の軍用ネットワークを運用。ハイテク兵器を一瞬で無力化するコンピューターウィルスなど「サイバー兵器」も、1991年の湾岸戦争当時にイラク軍事システムを標的にして使用したとされるうえ、最近のイラン核開発施設を狙った作戦でも実証済みといわれる。
さらに、「アングロ・サクソン諸国」と呼ばれ、互いに親密な英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとの間で軍事通信傍受網「エシュロン」を秘密裏に運営してきたと指摘される。
日本もまた、サイバー空間での米国の安全保障体制に組み込まれつつある。リン国防副長官は、サイバー戦略発表の記者会見で「日本とはとりわけ協調を進めたい。すでにその手だては打っている」と明言した。
サイバー攻撃に対し軍事報復の可能性をちらつかせ、中国を激しく牽制する一方で、欧州や日本とのサイバー同盟の強化を進める米国。冷戦時代の旧ソ連封じ込めを想起させる、「中国封じ込め」が着々と進んでいる。(ワシントン・久留信一)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】南シナ海 問題先送り 中国は軍拡
中日新聞2011/07/31Sun.
領有権争いが続く南シナ海南沙(英語名スプラトリー)諸島で、フィリピンが実効支配するパグアサ島など9つの島や環礁を管轄しているパラワン州カラヤン町。ビトオノン町長は5月下旬、漁民から、中国船が同諸島の浅瀬に建築資材を運び込み、建造物を建設しようとしているのを目撃した、と連絡を受けた。すぐにフィリピン軍に報告するよう漁民に指示した。
「建造物ができれば人民解放軍が駐留し、漁民が近くを航行できなくなる。容認できない」と町長は言う。
1995年に南沙諸島のミスチーフ環礁に中国が軍事拠点を設置して以来、中国船による監視活動が活発化。航行を妨害されたり、警告射撃を受ける漁船が増えた。フィリピン外務省は、今年2月以降、中国から少なくとも7件の「攻撃的侵入」を受けたとする。
これに対し、今月20日には、パグアサ島にフィリピンの国会議員5人が上陸し、自国領であるあることをアピール。ロザリオ外相も中国批判の発言を繰り返す。フィリピン側の強硬姿勢の背景には、合同軍事演習の実施や武器供与の約束など、米国がフィリピン支援に対し軍事支援を深めている事情がある。
しかし、21日にインドネシア・バリ島ヌサドゥアで開かれた中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)との外相会議は、問題の平和的解決を目指す2002年の「行動宣言」の実効性を高める指針に合意したものの、解決への具体策を盛り込めなかった。「中国は現状を維持した」とフィリピン外交筋。問題の先送りに中国が成功したとの認識だった。
昨年7月のベトナム・ハノイでのASEAN地域フォーラム(APF)で、クリントン米国務長官は、世界の商業海運の5割が通航する南シナ海の自由航行は「米国の国益」と述べ、関与を本格化。参加各国が同調し、「中国包囲網」が形成された。
その流れを教訓とした中国は今回、新たな経済支援を前面に掲げ、先手を打った。4月に温家宝首相がASEAN議長国のインドネシアを訪問し、百億?(約8千億円)規模の経済協力で合意。フィリピン、ベトナムとも個別に会談を行い、ASEAN側と具体策のない指針での合意にこぎつけた。中国の楊潔箎(ようけっち)外相は「中国とASEANで(領有問題を)解決できることを示すものだ」と述べ、米国の関与は不要との姿勢を強調した。ASEAN外交筋は中国の思惑を「時間を稼げばそれだけ自国に有利に働くと考えているのだろう」と指摘する。
中国国防省は27日、空母計画について初めて公式に確認。大連での改修中の旧ソ連製空母「ワリャク」が近く就航し、南シナ海を管轄する人民解放軍「南海艦隊」に配属される見通しのほか、国産空母の建造も本格化したもようだ。中国はさらに、米空母の接近を阻止できる対艦弾道ミサイルの配備を始めたとの情報もある。
巨額の財政赤字を抱え、国防費削減を迫られる米国は、世界第2位の経済力をバックに軍備拡張を進める中国の動きにいっそう神経をとがらせている。
(ヌサドゥアで、古田秀陽)=おわり
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◆南シナ海 「ASEAN」で、中国の専横封じよ/中国は、その誇大な主張の後ろ盾となる軍事力を有している2011-07-25 | 国際/中国
◆「核心的利益」中国は主権や領土に関わる問題で外国に妥協しない姿勢を強めた2011-07-18 | 国際/中国
◆旧ソ連から買った中国の空母「ワリヤーグ」/有事の戦闘では弱いが、平時に発揮される中国空母配備の効果2011-07-14 | 国際/中国
◆中国、原子炉新規稼働へ/原発を持つ国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができる/原発保有国の本音2011-05-11 | 国際/中国
◆「BRICS」を政治利用する中国2011-04-23 | 国際/中国
◆欧米と距離を置き、東へ軸足を移すドイツ / ドイツの国益と欧州の国益2011-06-13 | 国際
どんなにか野球をやりたかったことだろう。伊良部よ、伊良部秀輝よ。
イチロー 伊良部さんの言葉「一生忘れない」
衝撃の余波は続いた。ロッテ、阪神、ヤンキースなどで活躍し、米ロサンゼルス郊外の自宅で首つり自殺をした伊良部秀輝氏(享年42)について、マリナーズ・イチロー外野手(37)が思い出を口にした。90年代に記録した当時の日本人最速の158キロを「物差し」と表現。日米を巻き込んだ三角トレードで伊良部氏がメジャー移籍をしたことがきっかけで制度化されたポスティングシステム(入札制度)。その制度を行使した日本人第1号という縁もある。先輩に、哀悼の意を表した。
クラブハウスのいすに座ったイチローが、言葉を選びながら語り出した。球団ワーストの17連敗、自身の打撃も乗り切れない。こんな状況でも、かつての好敵手への思いを問われると、「ただ、ただ、残念です」と、静かな口調で切り出した。これまで多くを語ることのなかった「野球人・伊良部秀輝」へ、手向けの言葉とするかのように、言葉を続けた。
イチロー こっちに来て球の速いピッチャーはたくさんいますけど、比較する時に必ず頭に浮かぶのが伊良部さんの真っすぐだったというのはありますよね。伊良部さんの一番速い球っていうのが大リーグで10年以上やっても、物差しになる。それはずっと変わってないことですね。
剛腕クレメンスら、これまで対峙(たいじ)した数々の速球も、基準は「伊良部ありき」だったことを明かした。日米で通算51度、打席に立った。打った、抑えられたではない、2人にしか分からない「空気」があった。海を渡り、前人未到の10年連続200本安打を達成した。もちろん卓越した技術があるからこそだが、160キロ超のスピードへの対応も、日本時代に伊良部氏と対戦していたからこそ、だった。
心を引き裂かれた、衝撃的な言葉も思い出した。まさに無手勝流の勝負を打席で意識させられたのも伊良部氏だった。
イチロー 95、96年のオールスターで話をした時に、「バッターを殺したいぐらい憎い」って言うんですよね。「頭に当てようが何しようが俺は抑えたい」っていうことを聞いた時に、ちょっと恐ろしい人だな、と思いましたけど、それぐらい、勝負に対する思いが大きかった人でしょうね。あの言葉は一生忘れないですね。
一方で、「人間・伊良部秀輝」とのほほえましいエピソードも披露した。伊良部氏が02年にレンジャーズに移籍した4月。当時チームメートだった長谷川滋利氏(現野球評論家)と3人で出かけたダラスの焼き肉店。伊良部氏が明け方近くまで自身の投球論を繰り広げたという。「投球、ピッチングフォームについての力説が始まって、野球についての考え方も含めて、止まんなくなっちゃったんですよね。でも、僕ら早く帰りたいからどうやって帰ろうか、長谷川さんと相談してたぐらい野球が大好きだったんでしょうね。あの時はあきれ返りましたけど、そういう熱い、ゲームに対する思いをもった人だったですよね」と、懐かしそうに振り返った。
09年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝戦。ドジャースタジアムのネット裏で応援していた姿を見たのが、最後だった。自らは無安打でチームも大敗。好勝負を繰り広げたライバルの死に、思い出が走馬灯のように駆け巡った。【シアトル(米ワシントン州)=木崎英夫通信員】
◆02年のイチロー対伊良部 日本ではイチローが「あんなすごいボールばかり打っていたら体がおかしくなる」、伊良部が「あいつはどうしようもない。こうやって打ち取ろうという組み立てで最後に行くまでに、打たれる。悔しい」などと互いを評価していた対戦。大リーグでは伊良部がレンジャーズに在籍した02年4月13日、6年ぶりに再会した。結果は右安、三ゴ、遊ゴ。伊良部との対戦をイチローは「そりゃあ特別。一番刺激のある相手」。149キロの内角直球を右前に打たれた伊良部は「いいボールだった。想像していたよりイメージは変わっていない。イチロー君が高い技術を持った打者だということはみんなが知っている」。2人は1週間後の20日にも対戦し、146キロの高速フォークを打って投ゴロだった。[日刊スポーツ2011年7月31日8時44分]
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伊良部秀輝の“遺言”「父親がアメリカ人とは知らなかった」
日刊SPA!2011.07.30 ニュース
野球界のみならず、伊良部秀輝さんが亡くなったという知らせは、日本中に衝撃が走った。本誌は、伊良部さんが亡くなる約1か月前、彼が静かに暮らすロサンゼルスにて、4時間にわたり現在の心境を聞いた。謂わば“遺言”ともいえる渾身のインタビューを全文掲載する。
この最後となってしまったインタビューは、ジャーナリストの田崎健太氏が行った。
週刊SPA! 7/19号(2011年)「エッジな人々」より
――今でこそ、メジャーリーグで日本人がプレーするのは普通になりました。1997年に伊良部さんが移籍したときは、大騒動になりましたよね。
伊良部 「伊良部問題(※1)」って当時は言われましたけれど、あれは本当に伊良部の問題だったのかって言いたかったですよ。日米の法律の問題で、パドレスとロッテの問題でした。
――ロッテからパドレスへの権利譲渡(※2) はテレビのニュースで知ったとか。
伊良部 そうです。テレビを見ていたら、パドレスの社長とロッテのオーナーが握手をして、パドレスに行くと話していて、驚きました。
――伊良部さんはヤンキースにしか行きたくない。このトレードは無効だと突っぱねた。新聞の見出しに「ワガママ伊良部」なんていうのもありました。
伊良部 ぼくだって、ルール違反して行きたいとは思っていなかったですよ。その前に、球団はヤンキースに行かせる約束をしていた。それは守られなかったんです。ルール(※3) として、1年間浪人すれば、任意引退選手となって、どこの球団とでも交渉できる。そうしたいと思っただけ。新聞記者の方に、重要なことは曲げないで書いてほしいと、こうした資料はお渡ししました。それなのに……これは手に負えんと思いましたよ。そのとき思ったのが、野球ボールはコントロールできるけれど、メディアはコントロールできない(笑)。
◆父親がアメリカ人とは知らなかった
――伊良部さんがそこまでメジャーリーグにこだわるのは、お父さんを捜しにアメリカ(※4) に行くためだという報道もありました。
伊良部 (驚いた表情で)誰がそんなことを言い出したんですか? それは事実ではないです。だって、ぼくはアメリカに行くまで、自分の本当の父親がアメリカ人ということを知らなかったですもの。
――えっ?
伊良部 ヤンキースに入ってから……98年のキャンプのときに、球団から連絡があって、ぼくの父親だと名乗る人間が来たと。びっくりしましたよ、父親だって言うから。
――会ったんですか?
伊良部 はい。それから、母親に確認したんです。そうしたら、そうだって。それまでは父親がアメリカにいるなんて、考えたことがないですよ。でも面白いですね、ぼくがどうしてもアメリカに行きたかった理由が、父親に会いたかったからなんて。
――実のお父さんに会われてどんなふうに思われました?
伊良部 これといった感情はなかった。生みの親より育ての親みたいな。今も年に2回ほどは連絡を取り合ってますけど、それだけです。
※1 伊良部問題
96年のシーズン終了後の11月、伊良部はメジャーリーグへの移籍を求めて、ロッテのオーナーに直訴。当時、一軍登録から10年でFAの権利を取得できたが、伊良部はこの年で9年目だった。12月にロッテは、メジャー移籍を認める代わりに、チーム選択、年俸交渉を一任する覚書にサインするように強要。これを伊良部と代理人の団野村は拒否した
※2 パドレスへの権利譲
97年1月10日、ロッテの重光オーナーは伊良部 を呼び出して、パドレスへのトレードを通告。伊良部は「約束していたヤンキースではない」と拒否した。1月13日、パドレスとロッテの業務提携を発表。その業務提携書の中に、伊良部の権利をすべてパドレスに「譲渡」することが含まれていた
※3 ルール
日米コミッショナーの取り決めで、1年間浪人すると、自由契約選手扱いとなり、どこのメジャーリーグ球団とも契約できることになっていた。メジャーリーグ選手会は、伊良部の主張を支持。旗色が悪くなったロッテとパドレスは、伊良部をヤンキースへと三角トレードして解決した
※4 お父さんを捜しにアメリカ
ロバート・ホワイティングは『日出づる国の「奴隷野球」』の中で、伊良部がスポーツライターに「いつか、アメリカへ渡って有名な選手になりたい、そうすれば実の父親に会えるかもしれない」と明かしたと書いている。また夕刊紙にも同様の報道があった
伊良部秀輝の“遺言”「縦の変化球で勝ち続けたのは野茂さんだけ」
――伊良部さんが最初にメジャーリーグを意識したのはいつ頃ですか?
伊良部 中学生のときかな。テレビで、サチェル・ペイジ(※5) というピッチャーが亡くなったときの特番を見て度肝を抜かれました。長身のピッチャーで、鞭のようにしなる体。ものすごい細いんだけれど、全身を使って投げる。これはただ者ではないと。あんなふうに投げたいと思って、さんざん真似しました。ロッテに入ってからも最初の6年間ぐらいは、彼のように投げたいと思っていましたね。彼以外でも、ぼくと同じぐらいの上背のピッチャー(身長190cm)がどのように体を使うのかを研究しようとすると、日本にいないので、どうしてもメジャーのピッチャーになってしまうんです。グッデンとかクレメンス(※6)とか。
――当時はメジャーリーグの映像はなかなか見られませんでした。どうやって研究したんですか?
伊良部 雑誌の分解写真を見て、どうやって投げているんだろうって、絶えずそんなことを考えていました。
――その当時から、ヤンキースに行きたいと思っていた?
伊良部 そうですね。90年代半ばから、常にワールドチャンピオンを狙える、非常に強いチームでしたから。野球のユニフォームを着た人間ならば、ワールドチャンピオンのチームでやりたいと思うでしょ? それでぼくがヤンキースに入ったとき、グッデンとクレメンスの2人がいたんです。まさか、こんなところに自分が本当に来れるなんて……。
――伊良部さんは、158kmの速球を投げて、非常に目立つ存在でした。日本球界で最高のピッチャーの一人に数えられています。しかし、結果を見てみると、実は日米で106勝しかしていない。
伊良部 その程度のピッチャーですよ(笑)。クレメンスや(デービッド)ウェルズは、ぼくと同じような上背で球の速さも同じぐらい。でも彼らはそれぞれ300、200勝もしている。どうしてぼくがそうなれなかったかというと、答えは簡単。横の変化球がないんです。スライダーやカットボールがなかった。フォークやカーブという縦の変化だけだとある程度しか勝てないですよ。
――スライダーは今や高校生でも投げますよね。
伊良部 もちろんぼくも投げ方は知ってますし、投げられます。ただ、スライダーを投げると、手首が傾く癖がついてしまって、次のストレートの球速が落ちてしまう。だから試合中は使えなかった。スライダー、シュート、ツーシームといった横の変化球を投げられるピッチャーはコンスタントに勝っていける。縦の変化だけで、長く勝ち星を積み重ねたピッチャーって野茂さんだけ。
――158kmのストレートがあっても駄目ですか?
伊良部 1試合120球のうち、全力投球できるのは、せいぜい20、30球しかないんですよ。もし、体力がもって、全部158km投げられたとしても、プロのバッターには打たれます。緩急が大切ですから。球の速さよりも、球の出どころが見えないほうがずっと大切ですよ。
――球の出どころ?
伊良部 ボールを投げるとき、バッターから腕が見えないほうがいいんです。出どころが見えれば、球筋は読めますから。ホークスのあのピッチャー……杉内(俊哉)なんてすごいですよね。(そこまでの球速でないのに)みんなバッターが振り遅れてますものね。勝ち負けに繋がらない速球はいらないんですよ。
※5 サチェル・ペイジ
1906年生まれ、野球史上最高のピッチャーの一人とされている黒人選手。ニグロ・リーグ時代、2500試合に登板して、2000勝したという伝説のピッチャー。82年6月8日没
※6 グッデンとかクレメンスとか
ドワイト・グッデン(64年生まれ)、ロジャー・クレメンス(62年生まれ)、共にヤンキースなどで活躍したメジャーリーグを代表するピッチャー。通算成績は、それぞれ194勝と354勝
伊良部秀輝の“遺言”「日本に帰りたいです。英語も話せないし」
――ヤンキース、エクスポズ、レンジャーズ、そして阪神タイガースの一員として日本に戻りました。星野監督から声を掛けられたんですよね?
伊良部 その前の年、エコノミー症候群でリタイアして、半年間リハビリが必要だったんです。それなのによく呼んでくれたなぁと。
――星野さんと面識は?
伊良部 なかったです。
――阪神ファンだったんですか?
伊良部 育ったのが尼崎だったんでね、周りがそういう環境ですから。あの歌、「六甲おろし」もまた盛り上がるような歌じゃないですか。
――帰国して戸惑いはありました?
伊良部 なんでこんなにボールが飛ぶんかなと。今年からはだいぶましになったんですか? 当時はすごかったですよ。打球が速くなるんです。ショートゴロを打たせたはずやのに、なんで三遊間抜けるのって。
――阪神では、03年に13勝を挙げて、チームはリーグ優勝。そして05年に引退します。その後の活動については日本ではあまり知られていません。アメリカでうどん屋を経営していたんですよね?
伊良部 阪神のときは、家族をアメリカに置いて、単身赴任だったんですよ。引退後、こちら(ロサンゼルス)に戻ってきた。高校の同級生から、近くにおいしいうどん屋がないので一緒にやらないかと誘われたんです。ぼくは高校(尽誠学園)のとき、香川でおいしいうどんを食べているじゃないですか。それだったらいけるんじゃないかと。
――立ち上げはいつですか?
伊良部 05年の9月。そして07年に土地のリース契約が切れたので、そこで閉めました。
――その後、09年に独立リーグの選手として現役復帰しました。しかし、昨年2度目の引退。原因は?
伊良部 腱鞘炎です。手首を壊しました。原因はスライダーです。スライダーを投げなくてよかったんですね。昔から投げていたら、もっと早く壊れていたかもしれない。今も手首が痛むんです。朝起きて、布団をめくるだけでも痛いときがある。
◆監督の器ではないことはわかっています
――最近は何をされてますか?
伊良部 何もしてませんよ。近所の子供に野球を教えるぐらい。あとはたまに、草野球に顔を出してます。
――コーチや監督をやる気は?
伊良部 監督の器ではないことはわかっています。コーチ? 日本で雇ってくれるところがあるかなぁ(苦笑い)。三軍のピッチングコーチならばできるかな。
――三軍のピッチングコーチ?
伊良部 二軍でも投げさせて貰えないピッチャーとか、3年も4年も二軍を教えるコーチ。一軍で調子を崩したピッチャーの面倒を見たり。メジャーでは巡回コーチと呼んでいて、ぼくもお世話になりました。
――ヤンキース時代ですか?
伊良部 そうです。なぜそういうコーチが必要かというと、下手したらピッチングコーチって、2年おきぐらいに代わってしまうんです。前のコーチはこう言うていたのに、新しいコーチは全然違うことを教えると、パニクっちゃうんです。選手一人に対して教えるコーチが何人もいたら、良い結果は生み出さない。この選手はこのコーチに任せると決めて、長期間教えさせたほうがいい。
――日本にはそうしたコーチはいないですね。
伊良部 ブルペンの横でコーヒーでも飲みながら、和やかな雰囲気で選手と話をして、みたいな感じがいいですね。迷っている選手とじっくり話をして、何に迷っているのか、ぼくが知っている範囲で答えたい。それでそのプレーヤーがよくなれば嬉しいですね。
――また、現役に復帰する気はないんですか? 手首を治せばまだ投げられるんじゃないですか?
伊良部 フフフ、もう無理です。お腹いっぱい(笑)。
――このまま日本に戻らず、アメリカに永住する予定ですか?
伊良部 家族がこちらの生活がいいと言っているんで。ぼくとしては日本に帰りたいです。英語も話せないし。もし話せたとしても日本がいいですね。日本が好きですから、テレビ番組も面白いし、四季もあるし。
――どんな番組が好きなんですか?
伊良部 バラエティです。松本人志さんとか面白いじゃないですか?
【伊良部秀輝】
69年、沖縄県生まれ。その後、兵庫県尼崎市で育つ。高校時代に甲子園に2度出場。87年ロッテオリオンズにドラフト1位で入団。98年アジア人メジャーリーガーとして、初のチャンピオンリングを獲得。2010年、高知ファイティングドッグスを最後に引退
取材・文/田崎健太
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自宅に遺言状 LAの「東本願寺別院」に納骨…伊良部さん自殺
(2011年7月31日06時00分 スポーツ報知)
日米通算106勝を挙げ、米ロサンゼルス近郊の自宅で亡くなった伊良部秀輝さん(享年42歳)について、ロサンゼルス郡検視局は29日、検視の結果、首をつっての自殺と断定したと明らかにした。現地の親しい知人によると、自宅から遺言状が発見されたこともわかった。
伊良部さんが、生前に遺言状を残していたことが30日、分かった。足しげく通っていたロサンゼルスのリトル東京(日本人街)にある「東本願寺別院」に納骨してほしいことなどがしたためられていたという。
日本時間29日にロサンゼルス軍保安官事務局当局者が、自宅内で発見された死体が伊良部さんのものと断定。伊良部さんの親しい知人によると、検視の結果、事件性はないものと判断され、遺族、関係者の自宅内への立ち入りが認められた。その結果、初めて遺言状が見つかったという。
日本時間の8月2日に、ロサンゼルスで親族だけによる密葬が営まれることも決まった。遺骨も本人の希望通り、実父の母国である米国、ロサンゼルスに永久に眠ることになる。
◆阪神、ロッテが試合前に黙とう ○…伊良部さんがプレーした阪神とロッテが、哀悼の意を示した。阪神・横浜戦(甲子園)とロッテ・楽天戦(QVCマリン)の開始前に、黙とうがささげられた。03年に13勝(8敗)して18年ぶりリーグVに貢献した剛腕に対し、阪神の選手、首脳陣はユニホームに喪章をつけて試合に臨んだ。沼沢球団本部長は「一緒にやった仲間も多いし、ファンも多いのでいろいろ検討しました」と理由を説明。88〜96年までプレーしたロッテでは、球場の大型ビジョンに往年の雄姿を映し出した。
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〈来栖の独白〉
惻隠の情、抑えがたい。昨年だったか、日本の独立リーグでやる、という報道に接して、ああ、よかった、と喜んだのだったが・・・。どんなにか野球をやりたかったことだろう。思うようにいかないものだ。異国で、自ら死を選んだ。伊良部よ、伊良部秀輝よ。
「右」からの脱原発デモ/非常時にイデオロギーは要らない/山河を守るという民族派の原点
右からの脱原発デモ “非常時にイデオロギーは要らない”
田中龍作ジャーナル 2011年7月31日 21:42
日章旗と「原発いらない」のプラカードが共に翻った。31日、民族派ナショナリストの呼びかけによる脱原発デモが都内で行われ、市民団体や環境団体のメンバーも参加した(呼びかけ人:鈴木邦夫・一水会顧問)。
「脱原発を訴える人たちの裾野が広がってきた」と筆者はこれまで幾度も指摘してきた。人気俳優やアイドルがテレビ界のタブーを冒してまで脱原発の集会・デモに参加するようになった。「デモは初めて」という年配者が目立つ。今や脱原発運動を支えているのは子供を守りたい一心の母親たちだ。
政財界やマスコミなどは「原発に反対するのは左翼など一部の偏った人たち」とのレッテルを貼ってきたが、それも過去のものとなった。
民族派の代表的存在である鈴木邦夫・一水会顧問は今回のデモの意義を次のように語る。「右翼陣営の中には左翼がやってるから『脱原発』には反対だという声がある。だが、山河を守るという民族派の原点に立ち帰ったのがきょうのデモだ」。
一水会はチェルノブイリ原発事故(1986年)後、高木仁三郎氏(原子力資料情報室代表=故人)を招いて勉強会を開くなどして原発問題に取り組んできた。放射能で郷土が汚染され、国民の健康は蝕まれる。原発事故は民族派として看過できない問題である。
呼びかけ人の一人、針谷大輔・統一戦線義勇軍議長は原発事故を民族の危急存亡に関わるものと考える。「反原発はこれまで左翼の運動と捉えられてきた。非常時にイデオロギーは必要ない。被災地で最も必要とされるガソリンを持ってきた人に『あなたは右翼ですか?左翼ですか?』とは聞かない」。
郷土をズタズタにされた宮城県出身の男性(都内・会社員=30才)もデモに参加した。「一週間ほど故郷に帰ってきた。実家は稲作農家だが、風評被害で売れないだろうと思うと悔しかった。それから反原発に向かうようになった」。
デモ隊は東京タワー真下の芝公園を出発した。日章旗と鈴木邦夫氏らが持つ横断幕が先頭だ。「友よ、山河を滅ぼすなかれ」「原発労働者の権利を守れ」……林立するノボリとひしめくプラカードは、デモが従来のイデオロギーの垣根を飛び越えたことを雄弁に語っている。
霞ケ関の経産省前に差しかかるとデモ隊のシュプレヒコールは一段と激しさを増した。「経産省・原子力保安院は人の心を取り戻し、全ての情報を公開せよ」・・・。
警察に促されて渋々進んだデモ隊は経産省を後にすると内幸町の東京電力前に達した。「責任の所在なき東電への税金投入反対」「我々は東電のために税金を払ってるんじゃないぞ」「東電は誰か出てきなさい」…。デモ隊の訴えは殺気さえ帯びた。
水と大地あってこその生活、郷土であり国家である。それが脅かされる時、人々はイデオロギーを超えて大同団結する。記者クラブメディアによる情報操作も警察の取締まりも効果を失う。原発推進派が最も避けたい流れができつつあるようだ。
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◆高木仁三郎という希望2011-07-07 | 地震/原発
米債務上限引き上げ合意/デフォルト懸念が後退/日本 輸出関連株を中心に買い
米債務上限引き上げ「合意」 オバマ大統領が緊急会見
日本経済新聞2011/8/1 9:50
【ワシントン=矢沢俊樹】オバマ米大統領は31日夜、ホワイトハウスで緊急記者会見し、米債務上限問題について「米議会指導者は上限を引き上げることで合意に達した」と述べた。上院超党派グループは債務上限を引き上げるのと引き換えに、当初1兆ドルの財政赤字を削減し、超党派委員会で今秋に追加の赤字削減計画をまとめるのが内容。
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円が対ドルで一段安、78円に接近
2011/8/1 10:07
1日午前の東京外国為替市場で円の対ドル相場は一段安。9時41分ごろ1ドル=77円95銭近辺まで下げた。米債務上限引き上げ問題を巡り、オバマ米大統領が声明を発表するとの報道を受け、債務問題の進展を期待したドル買いが広がった。
前週末17時点の円相場は77円58銭だった。〔日経QUICKニュース〕
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日経平均、一時1万円台に 米債務問題「合意」で
1日前場中ごろの東京株式市場で日経平均株価は高値圏で推移。一時は前週末比183円高の1万0016円を付ける場面があった。取引時間中に大台を回復するのは7月27日以来。米オバマ大統領が連邦債務の上限引き上げ問題に関して緊急の会見を開き「米議会指導者は上限を引き上げることで合意に達した」と述べ、米国債の債務不履行(デフォルト)懸念が後退した。外国為替市場では円相場が一時1ドル=78円台まで下落し、極端な円高の修正が鮮明となった。日本株にも追い風となり、輸出関連株を中心に買いが入った。
東証株価指数(TOPIX)も反発。業種別TOPIXでは「鉱業」や「水産・農林業」の上げが目立つ。
10時現在の東証1部の売買代金は概算で3833億円、売買高は同6億567万株。東証1部の値上がり銘柄数は1230と全体の7割強を占める。値下がりは275、横ばいは143だった。
TOTOやファナック、三菱UFJ、住友重、第一生命が高い。トヨタやソフトバンク、日立、JTも買われた。一方、日東電やJR東日本、アルプス、HOYAが安い。昭和シェルやCSK、資生堂も下げている。
東証2部指数は6日続落。日鋳造や山洋電、明治機が安い一方、日本精蝋やツインバード、ソディックが高い。〔日経QUICKニュース〕
カレー事件/保険金詐欺はやった。金にも執着がある。だからこそ一銭の金にもならない殺人なんかしません。
「鈴木邦夫をぶっとばせ!」
2011/08/01 鈴木邦男
林眞須美さんは無罪だ!
?「流れ」は変わってきた!
そうか、13年前の今日(7/25)だったのか。和歌山カレー事件は。今日のように暑い日だったんだ。
7月25日(月)、「和歌山カレー事件を考える人々の集い」が行われ、行ってきました。エル大阪6階大会議室です。満員でした。マスコミの人々も多かったです。関心の高さが伺えます。
だって、勢いがついてます。流れがあります。足利事件、布川事件…と冤罪が晴れ、無罪になりました。東電OL殺人事件も、「証拠」に問題があり、やり直し裁判になります。ゴビンタさんは犯人ではなかったのです。近々、釈放されるでしょう。
次々と冤罪が晴れ、無罪になっています。「次は、和歌山カレー事件だ!」という声も強いのです。
この日、発売された『週刊朝日』(8月5日号)には、〈スクープ!和歌山カレー事件。ヒ素混入の紙コップは「青色」ではなかった!〉という記事が出てました。唯一の、重大な「証拠」とされたものに大きな疑いが出てきたのです。
元刑事の飛松五男さんも助っ人に〈写真=安田さん、神田さん、飛松さんと〉
元々、物証は全くなく、自白もない。状況証拠だけで逮捕された事件だ。本当なら事件として立件されないものが、無理矢理、「犯人」を作り上げ、そこに向けて人々の怨みを晴らそうとする。
1974年の「甲山事件」でもそうだが、園児2人が死亡した。「事故のはずはない」「誰かが殺したんだ」「ともかく犯人を捕まえろ」という声に押されて、警察は保母さんの山田悦子さんを逮捕した。
周りの人たちも、それに「協力する」証言をする。下手なことを言って、かえって自分に捜査の目が向いては大変だ。そう思い、捕まった「犯人」を攻撃する。マスコミもそうだ。しかし、冤罪だったのだ。
こんなケースは他にも多かったのだ。「ともかく犯人を捕まえろ!」「警察は何をしてるのだ!」という声に押されて、「怪しい人間」を捕まえる。
刑事はプロだ。どんな人間でも自白させられる。「布川事件」の桜井、杉山さんは、「ワル」だった。地元の不良だった。本人たちがそう認めている。
だから、「目撃証人」(これも怪しいのだが)の「証言」で、2人が捕まった時は、マスコミも新聞も、「これで解決した」「彼らに違いない!」と書きまくり、人々も「安堵」した。
冤罪が晴れて、自由の身になった2人に対して、今でも、まだ疑っている人はいるし、「まだ捕まってた方がよかった」と言う人もいる。桜井さんから直接、聞いた。
それだけ、若い時の2人はワルかったのだ。又、ワルだから殺人だってやっただろうと人々の偏見がある。捕まった時も、「やっぱり、あの2人だ」「彼らならやりかねない」と人々は思い、「納得」したのだ。そんなワルい人々を常に警察は見張り、リストアップしている。
カレー事件の林眞須美さんもそうだ。警察にとっては、最も「理想的な犯人像」だ。だって、実際、ワルだ。保険金詐欺を何件もやっている。
又、夜中、家の中で騒いでいる。高級外車で、得体の知れない人たちがしょっちゅう、出入りしている。そこらへんに違法駐車する。トラブル・メーカーだ。
又、取材陣に、ホースで水をかける。朝から晩までの執拗な取材で頭にきて、カーッとなってやったのか。あるいは冗談か。あるいは、暑いので、お水をサービスしたのか。
そのたった1回の「悪ふざけ」がテレビにかかると、何百回、何千回と流される。それを見た人たちは、「ひどい女だ」「ふてぶてしい女だ」「それに保険金詐欺までやってるじゃないか」「きっと殺人だってやってるさ」「他に、こんなことをやれる人間がいるか」…と、エスカレートする。取材すればするほど、怪しい女だ。「平成の毒婦」とまで言われた。さんざんだ。
?物証も、自白もないのに…。無理な逮捕だ
事件の起きたのは、13年前の1998年7月25日。和歌山市園部の自治会の夏祭り会場で出されたカレーにヒ素が混入され、それを食べた住民4人が死亡。63人が急性ヒ素中毒に襲われた。
林眞須美さんは犯人として逮捕され、2009年に死刑判決が確定した。だから我々は会えない。会えるのは、弁護士と家族だけだ。眞須美さんは、一貫して無実を主張し、再審請求を行っている。
夫の林健治さんによると、眞須美さんの体調は悪く、拘禁症の症状が見えているという。私は、三浦和義さんに誘われて、この事件の支援に携わるようになった。
林健治さんに初めて会った時、言ってた。「確かに保険金詐欺はやってました。金にも執着があります。だからこそ、一銭の金にもならない殺人なんかしません」と。
ウッと思った。これは説得力があった。普通の人は、「ワルだから」「保険金詐欺をした人間だから」と思い、「だから殺人事件もやってるはずだ」と思う。
でも、違うのだ。簡単に、「だから」とは言えない。これは、ワルの人なら分かる。「ワル」と「殺人」の間には越えがたい壁があるのだ。ワルいことをしたことのない人には分からない。裁判官にも分からない。
それに、眞須美さんには全く「動機」がない。町内の人に煙たがられたから、その復讐だろう。と言う人もいるが、そんなことで、めげる人ではない。ホースで水をかければ気持ちも晴れる。それで終わりだ。
「でもヒ素を持ってた」というだろう。しかし、林家では白アリ駆除をしていた。そのためにヒ素を持っていた。又、和歌山では、白アリ駆除や、又、ミカンを甘くするために少量のヒ素を使うという。だから、ヒ素を持ってる家庭が多いのだそうな。この事件でも、「あそこでも持ってる」「ここでも持ってる」とどんどん出てきた。
そのヒ素を持ってる中で、1番、目立ち、「犯人」として、捕まえるのに(キャラクター的に)ピッタリだったのが、眞須美さんなのだ。
前に、大阪の「たかじんのそこまで言って委員会」でこの事件を取り上げた時も、辛口の三宅さん、勝谷さん、宮崎さんらも皆、「この事件はおかしい。動機も証拠もないじゃないか!」と言っていた。ざこばさんは、わざわざ眞須美さんの面会にも行ってくれた。
それに林さんの一家は実に明るいし、信頼の絆で結ばれている。これは驚きだった。だって13年前、事件が起こると、もう凄い騒ぎになった。そして両親は逮捕。幼い子供3人は施設に預けられる。こんな極限情況に放り込まれたら、人間も変わる。親を怨む。グレる。
ところが子供たちは親を信じ切っている。明るい。怨まない。少しでも変なところがあったら、家族として気がつく。暗くなる。そんなことが全くないのだ。
又、眞須美さんは、一貫して潔白を主張してる。「やってないのだから、当然だ」と言うが、何年も捕まると、誰だって、やってもない事を「自白」する。それで冤罪も生まれる。
しかし、眞須美さんは、全く動揺しない。やってないからだ。大体、その「動機」が全くない。
?何から何までおかしい裁判だ
警察、検察側は、「目撃者がいる」というが、それも、極めて怪しい。弁護側が立証しているが、実際はよく見えない所から見た「目撃」だ。
そして、唯一、残るのは「ヒ素」だ。「週刊朝日」で書いてるが、眞須美さんの自宅台所で発見された「白アリ薬剤」と書かれた白いプラスチック容器に付着していたヒ素と、夏祭り会場のゴミ袋に捨てられていた紙コップに残っていたヒ素が、カレーに混入されていたヒ素と同一のものだという。
白いプラスチック容器のヒ素を青色の紙コップに入れて持ち出し、カレーに混入させたと、裁判所は認定した。
しかし、安田好弘弁護士が、実際に検証すると、「青色」だといわれていた紙コップは、「白色」だったという。そして、プラスチック容器もよく見ると、表面に大きなキズや、土や植物等がついていた。
「キズの具合、植物の付着などから、台所で使用していたとは思えない。屋外で白アリ駆除の作業用として使用していたとしか考えられない」と安田弁護士は言う。
「週刊朝日」でこれが大々的に報じられた。これは大きい。この日の集会も、新聞やメール、ツイッターなどで報じられた。「カップの色が青色が白に変じるなんてありえない。おかしい」と、元刑事の飛松五男さんも断言していた。
この日の集会では、神田香織さんの講談があり、そのあと、神田さんと私の対談があった。その時、来ていた飛松さんにも「元刑事から見たカレー事件」を話してもらった。「検察の証拠を全部検証したらいい。刑事の中にも、これはおかしいと思ってる人はいるはずだ。その人たちも声を上げてほしい」と言う。飛松さんの発言は心強かった。
安田弁護士も、終わって、じっくり話し合っていた。これからカレー事件も転機を迎えるだろう。飛松さんと安田さんのタッグは頼もしい。最強だ。まるで薩長連合だ。両者を引き会わせたのは現代の竜馬だ。
ところで、「和歌山カレー事件を考える人々の集い」だ。6時45分開始。
まず、講談師の神田香織さんが新作講談をやる。題して、「和歌山カレー事件=シルエット・ロマンスを聴きながら」だ。カレー事件の全貌と、眞須美さん家族の愛と信頼の物語だ。
獄中のお母さんに聞かせたいと、ラジオに子供たちが、リクエストするのだ。お母さんの名前は出せない。子供たちも姓はいわない。でも名前だけで分かる。獄中でむせび泣く眞須美さん。素晴らしい講談だ。
そのあとは対談。「林眞須美さんの師匠」神田香織さんと、「林眞須美さんを支援する会代表」の鈴木邦男さんだ。(そう書いている。当日のパンフに)。
神田さんは眞須美さんを講談の弟子にしたのだ。このキャラクター、この話しっぷり。この明るさ。まさに講談師にピッタリだと見抜いたのだ。
でも、毎日、稽古をつけるわけにはいかない。一応、「外神田の会」の弟子にした。出所したら、みっちり稽古をつけてやろう、ということだ。
もう1人、「林眞須美さんを支援する会代表」だ。この役は、元々は三浦和義さんがなっていた。ところが、三浦さんは三年前に亡くなった。
「三浦さんの後任といったら、鈴木さんしかいないでしょう」と安田弁護士に言われて、なった。私は、言われるがままだ。
?三浦和義さんのあとを私が…
2008年10月に三浦さんが亡くなった。「自殺」だと報じられたが、「殺されたのだ」と言う人は多い。
その2ヶ月後、12月20日に三浦さんの本が出た。三浦さんが代官山でトークライブをし、いろんな人と話をした。それをまとめたものだ。
でも、まさか三浦さんが亡くなるとは思わない。この本の三浦さんの「あとがき」が「最期の手記」になってしまった。三浦和義『敗れざる者たち』(ぶんか社)だ。なかなか、いい本だ。ここには、カレー事件の夫の林健治さんも出ている。連合赤軍の植垣康博さんと、民族派右翼の蜷川正大さんも。元刑事の北芝健さんも。そして私までもが…。
そうだ。この『敗れざる者たち』にはサブタイトルがついている。〈「うしろ指さされ組」の記録〉だって。フーン、私らは、うしろ指さされてんのか。
そして、出版から2ヶ月後、和歌山で、「和歌山カレー事件を考える人々の集い」があり、私も行った。この時の講師は「甲山事件」の冤罪被害者の山田悦子さんだった。とてもいい話だった。(それで、今年の7月16日の西宮ゼミには、来て頂いて、話してもらったのだ)。
3年前の和歌山集会の時、安田弁護士から、「三浦さんが亡くなったから、支援する会代表は、もう鈴木さんしかいませんよ」と言われたんだ。
7月25日の大阪集会でも、その話をした。じゃ、神田香織さんとはいつからの知り合いなんだろう。5年位前かな。
「何言ってんですか。19年前ですよ」と言う。そんな昔なの。「あの時、5才の娘が、今、24才ですから」と言う。ビースボートに乗って私は屋久島に行ったんだ。その時、神田さんは、娘さんを連れて、乗船していた。船に弱い私は、ダウンして、ずっと寝ていた。
「右翼のクセにダラシないわね」とオバちゃんたちに言われた。船酔いと〈思想〉は関係ないだろう、と思ったが、反論する気力もない。
でも屋久島に上陸してからは元気になる。縄文杉や弥生杉もあるし、屋久島を元気に歩いた。神田さんも一緒に歩いた。その時、5才の子供の面倒を見てくれたんだそうな。私が。全く忘れていた。「じゃ、証拠の写真を見せるわよ」。ぜひ見たいですね。
この2人の対談の時に、元刑事の飛松五男さんにも話してもらったんです。「この事件はおかしい」と断言してました。
このあと、和歌山カレー事件再審弁護団の「報告」。安田好弘弁護団長をはじめ、新しく入った弁護士も紹介された。再審請求の具体的な話を聞いた。
?翌日、辻井、宮崎氏らと会う
終わって、近くの居酒屋で打ち上げ。アムネスティの人が、「布川事件の桜井さんに話してもらったけど、“右翼の人と対談した”って言ってた。鈴木さんでしょう」「ハア、そうです」
「そうよね、鈴木さんしかいないよね」という会話がありました。「鈴木さん、これから東京に帰るの?」と聞かれた。iPhoneを取り出して時間を見たら、もう11時近い。「新幹線ないんじゃないの」「夜行バスがありますよ」。でもなー。学生じゃないんだから、夜行バスはきつい。そんで、梅田の近くの「ホテル関西」に泊まりました。
次の日は、昼、東京に帰り、一旦家に帰ってから、6時半、池袋に。元日本共産党にいた3人と会い、沖縄居酒屋で飲みました。
辻井喬さん(作家)、宮崎学さん(作家)、川上徹さん(同時代社)の3人です。辻井さんは三島由紀夫とは親しかったし、「楯の会」の制服は西武で作った。又、「野村秋介さんともよく会ってました。意気投合してました」という。
驚いた。政治の話は余りしなかった。2人とも(詩人)として意気投合したのだろう。と私は思った。
次の日、郵便の中に、「産経新聞」(7月26日付)を送ってくれた人がいた。25日の集会の時、私の隣にいた人だ。たまたま三浦和義さんの本を持ってたので、借りて、対談の時に、紹介した。
なぜ私が「支援する会代表」になったかというと、三浦さんとの付き合いで…と。対談の中で話した。その本を貸してくれた人が「産経新聞」を送ってくれたのだ。カレー事件のことが出ていた。
〈「鑑定紙コップは別物」毒カレー事件弁護団が主張。再審請求審〉
他にも、新聞は取り上げているようだ。産経も大きく取り上げている。これは〈流れ〉が変わった証拠だ。支援する会代表としても頑張らなければ、と覚悟を決めた。
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◆和歌山毒カレー事件「カレー事件 10年」「最高裁 全判決文」
◆和歌山毒物カレー事件 弁護団が再審請求審で「鑑定の紙コップは別物」2011-07-26 | 死刑/重刑/生命犯 問題
◆林眞須美さんを支援する会
韓国政府による自民党視察団入国拒否にどう反撃するのが竹島問題をめぐる日本の国益に適うか
【佐藤優の眼光紙背】韓国政府による自民党視察団入国拒否にどう反撃するのが竹島問題をめぐる日本の国益に適うか
サーチナ【コラム】2011/08/01(月)22:6 佐藤優の眼光紙背:第106回
8月1日、韓国の鬱陵島を視察する目的で、韓国ソウル市の金浦空港に到着した自民党所属の国会議員3人が入国を拒否された。
自民党視察団の鬱陵島訪問に、韓国の世論は激しく反応しているが、これは韓国の弱さを示すものだ。視察団は韓国の入国手続きに従って、入国しようとした。韓国の国家主権からすれば、何の問題もない話だ。これに対して過剰反応している韓国のナショナリズムがいかに常軌を逸しているかを示している。韓国政府もナショナリズムを沈静化するのではなく煽り立てている。以下の報道を見て欲しい。
一国の国家元首が、他国の国会議員が入国すると「身の安全が憂慮される」などというのは尋常な事態ではない。しかし、このように異常な興奮をしている国家は、恐れるに値しない。国際常識を欠いた感情的行動は、国際社会の共感を得ない。韓国の圧力に屈せず、淡々と金浦空港に降りた新藤義孝衆議院議員、稲田朋美衆議院議員、佐藤正久参議院議員の勇気を讃えようではないか。
韓国政府に知恵者がいたならば、今回の事態を反省し、より狡猾な手段を考える。それは日本の国会議員や市民を積極的に竹島に招くことだ。「是非、独島(竹島の韓国名)を訪れてください。ただし、独島は韓国の領土なので、日本のパスポートを持参し、韓国の出入国手続きに従って入国していただきます」と言う。そして、竹島に上陸したときに、「大韓民国・独島入国管理事務所」というスタンプを押す。こうなると韓国の竹島に対する支配を合法であることを日本政府が認めたという主張を韓国政府が行うことができるようになる。
北方領土に関しては、日本国民がロシアの法的手続に従って北方領土を訪問することの自粛を訴えた閣議了解(平成元年9月19日、同3年10月29日、同10年4月17日、同11年9月10日)がある。しかし、竹島に関してはこのような閣議了解はない。可及的速やかに韓国の法的管轄に従う形での日本国民の竹島への渡航を自粛させる閣議了解を行うことが国益に適うと筆者は考える。もっとも、現下日本政府の混乱を考慮すると、このような政治決断を必要とする閣議了解を菅直人総理が直ちに行うことができるとは思えない。そこで提案がある。竹島問題を憂うる国会議員が「島根県の竹島は、わが国固有の領土であるにもかかわらず、大韓民国によって不法占拠された状態にある。日本国民が、韓国の法的手続きに従って竹島を訪問することは、日本政府の立場と相容れず、かかる訪問は自粛すべきと認識するが、この認識で間違いないか政府の立場の確認を求める」という質問主意書を提出するのだ。この質問主意書の答弁を作成するのは、外務省アジア大洋州局になる。杉山晋輔アジア大洋州局長が、腰抜け対応をしない限り、この質問主意書に対する内閣の答弁書は、肯定的なものになる。質問主意書に対する内閣の答弁書は閣議了解を必要とする。これで実質的な閣議了解を担保することができる。
韓国が興奮して支離滅裂な対応をしているのに対し、日本は、冷静かつ狡猾に、竹島問題について、日本の立場を一歩前に進める仕込みをすべきだ。もちろんこのような内閣の答弁書が出れば、韓国政府は猛烈に抗議してくるであろう。大いに結構なことだ。日本政府としては、「それでは韓国の抗議に外交交渉を行いましょう」と答えればよい。韓国はこれまで竹島の領有権をめぐる問題は存在しないという立場から、外交交渉を拒否してきた。これに風穴を開けるよい機会になる。外務官僚に知恵があれば、この機会を日本に有利な方向に転換することができる。(2011年8月1日脱稿)(情報提供:眼光紙背)
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◆『悪党 小沢一郎に仕えて』マスメディアと東京地検特捜部/石川知裕氏×佐藤優氏 緊急対談〈1〉2011-07-30 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆小沢氏が「平成の悪党」になる決意を固めれば、官僚に対する決戦が始まる2010-05-31 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
【佐藤優の眼光紙背】小沢一郎が『平成の悪党』になる日
陸山会事件・小沢捜査の元特捜大鶴基成氏が早期辞職/この国の政治を失わせた大罪を国民と小沢氏に謝れ!
〈来栖の独白〉
メディアは、「陸山会」による土地取引事件の捜査を主導した大鶴基成・最高検公判部長が1日付で辞職した、と報じた。氏は56歳。定年(63歳)までに7年ほどもある。
もう、にっちもさっちもいかなくなったのだろう。石川議員については何とか禁固刑に持ち込めるかもしれないが、他の被告2名は無罪だ。
小沢一郎さんの件でも、検察審査会まで踊らせたものの、陸山会事件公判を見れば無罪は確定的だ。
検察がこの国の政治を崩壊させた罪は、甚だしく大きい。小沢一郎さんという稀有の政治家を政治の外に追いやった。小沢さんにとって、失われた時間は大きすぎる。そのことによる国民から奪ったものも、計り知れない。
大鶴さん、どうやって、この罪責を国民に償うのですか。あなた程度のちっぽけな一検察官のクビで償えると思ったら大間違い。この国の政治も時間も取り返せない。
一片の良心・潔癖があるなら、過ち(罪)を赤裸々に告白し、国民と小沢さんに土下座して謝ってください。あなたのせいで、菅という卑しい男の政権は生まれ、(国際社会における)国益が損なわれた。土下座して見せないと、国民にはわかりません。あなたのしたことを明らかにし、土下座して謝ってください。
朝日新聞は
“辞職の真相は不明だが、検察内部には「現場に近い立場で小沢氏立件に向けて積極的に捜査を進めたが、検察上層部と対立があり、不満を募らせていたのではないか」との見方がある。”
と書く。が、検察内部の事情などではないだろう。如何にもお先棒担いで「政治とカネ」でっち上げに協力したメディアらしい卑劣な筆致だ。
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◆強姦罪の被告に最高裁が無罪判決/小沢捜査の大鶴基成前東京地検次席・佐久間達哉前特捜部長2011-07-26
小沢捜査」を指揮した大鶴前東京地検次席が退官、佐久間前特捜部長は左遷の「内幕」 家宅捜査も連発した特捜部捜査の限界 現代ビジネス2011年07月21日(木)伊藤博敏
小沢一郎民主党元代表を狙った東京地検特捜部の政治資金規正法違反事件の是非が、改めて問われている。
実行犯の石川知裕元秘書(現代議士)らを裁く「秘書公判」が今秋に判決、検察審査会に強制起訴された小沢氏の初公判が10月に開かれるという現段階で、是非が問われるとはどういうことか。
検察OB弁護士が解説する。
「秘書公判を審理する東京地裁(登石郁郎裁判長)は、検察が提出した3秘書の38通の供述調書のうち11通を全文却下、残りも一部を却下しました。その理由を裁判所は、『検察側が心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら巧妙に誘導した』と、書いています。
つまり調書は信ずるに値しないというわけで、石川被告が小沢氏に、『虚偽記載を報告、了承を得た』という重要な調書も含まれています。小沢無罪は確定的。3秘書の罪を問えるかどうかも怪しく、検察の捜査手法が改めて問題となっています」
*「特捜検事」のDNAを最も色濃く受け継いだ検事
大阪地検事件に続く検察の失態だが、その行く末を睨んだように、「小沢事件」の指揮を執った二人の検察幹部が、捜査の第一線から退くことになった。
ひとりは、最高検の東京担当検事を経て東京地検次席として捜査を指揮した大鶴基成最高検公判部長。大鶴氏は7月末で検察庁を退官、弁護士となる。
もうひとりは、大鶴氏と長くコンビを組み、「小沢事件」は特捜部長として現場責任者だった佐久間達哉大津地検検事正。8月からは国連アジア極東犯罪防止研修所(アジ研)の所長として刑事司法の様々な問題を取り扱うことになる。
大鶴氏は、「特捜検事」のDNAを最も色濃く受け継いだ検事といっていい。
高校時代から田中金脈問題やロッキード事件を解明する検察官の仕事に憧れていたということで、鹿児島の名門ラ・サール高校を経て東大法学部へ。司法修習を経て検事に任官、特捜検事としてゼネコン汚職、総会屋事件などを捜査、2005年4月、念願の特捜部長に就任した。
特捜部長として手がけた著名案件が、ライブドア事件、水谷建設脱税事件、佐藤栄佐久福島県知事収賄事件などである。いずれも事件の筋を読み、それに沿って供述を取り、立件するという伝統的な検察の捜査手法に則っていた。
*家宅捜査を連発する「大鶴乱射事件」
意識もまた「特捜検事」そのものである。
かつて司法修習生向けに、こんな文章を残している。
「そもそも不当に利益を貪ろうという人たちは、摘発されないように巧妙な仕組みを作っているのですから、多少の困難を前にして捜査を諦めたのでは、彼らの思うつぼです」
大鶴氏にとって特捜検察とは、額に汗して働く国民の側に立ち、地位を利用、不当に利益を得ようとする政治家、高級官僚、企業人などの違法性をチェック、一罰百戒を与える国家秩序の担い手だった。根源には、素朴な正義感がある。
しかし、権力者には法の穴を突く地位も知識もカネもある。その権力に立ち向かうには、いかに検察といえどもたいへんで、だからといって捜査を諦めたら「彼らの思うつぼ」なのである。
大鶴流はしつこい。
捜査の端緒になればいいと、家宅捜索を繰り返す。捜査令状の理由は、後からつければいいという発想で、水谷建設事件では、そのあまりの家宅捜索先の多さから「大鶴乱射事件」と呼ばれたほどである。
09年3月に大久保隆規秘書を逮捕。その後も追及の手を緩めず、「4億円秘書宅」に目をつけ、その出所がゼネコンからの裏ガネだという目論見のもと、水谷建設ほかのゼネコンを何度も呼んで供述を引き出し、10年1月の「石川逮捕」にまでつなげるのは、まさに「大鶴流」だった。
佐久間氏は、東大法学部を卒業、司法修習を経て検事に任官、4度、特捜部を経験している。大鶴氏が東京地検特捜部長時代、副部長を務め、佐藤栄佐久収賄事件の際、現場指揮を執った。
佐久間氏の特捜検事としての能力に疑問符がついているわけではなく、検察庁内の評価も高いのだが、「無理せざるを得ない」という特捜検事の宿命なのか、ここ数年は失点続きである。
主任検事として捜査を担当した旧日本長期信用銀行の粉飾決算事件では、証取法や商法違反で当時の経営陣を逮捕・起訴したが、いずれも最高裁で逆転無罪判決が下された。また、佐藤栄佐久事件にしても、「特定企業を受注させる行為はあった」としながらも、金銭の認定には至らず、「賄賂なき収賄事件」と、実質的には無罪に等しい高裁判決だった。
そのあげくの「小沢捜査」である。
*崩れたトライアングル
佐藤栄佐久事件でコンビを組んだ二人は、捜査を通じて小沢氏の東北談合への影響力を熟知した。その共通認識が、「小沢捜査」の端緒となった西松建設事件を小沢ルートに延ばすきっかけとなり、「何度もチャレンジする」という正義感が、無理な捜査につながった。
大阪地検事件を機に検察捜査の見直しが始まり、最高検は7月8日、政界を中心とする独自捜査の縮小を決めた。
「特捜部」という名称は残すものの、財政経済事件にシフト、その理由を笠間治雄検事総長は、こう説明した。
「過度の独自捜査優先の考え方は、過度のプレッシャーを生みかねない」
これまで検察は、「過度のプレッシャー」のなかから事件の端緒を見つけ出し、立件までのシナリオを書き、それに沿って捜査、供述を取って肉づけをする「シナリオ捜査」を、腐敗する権力の一罰百戒効果と秤にかけ、「日本の利益」のために認めてきた。
つまり検察にとって「秩序の担い手」は自分たちであり、それを裁判所は認めて99・9%の有罪判決を出し、司法マスコミはそれを支えた。
しかし、検察と裁判所とマスコミのトライアングルは崩れ始めた。
「小沢公判」で、裁判所は特捜捜査を認めず、司法マスコミも検察批判を展開、検察自身が組織と意識の改革を約束した。
その時点で、「小沢捜査」を担った二人の指揮官は責任を取ることを余儀なくされ、大鶴氏は退官、佐久間氏は左遷の道を選んだのである。 *強調(太字)は来栖
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◆証拠がなくなった以上、小沢氏の強制起訴裁判は成立しない/喫緊の課題=指定弁護士による小沢裁判公訴取消2011-07-19 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆石川知裕:最後に特捜部にエールを送って、この事件を終わりにしたい「陸山会事件」2011-07-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆「陸山会事件」東京地裁 検察のデッチ上げ調書を証拠採用せず/小沢強制起訴の根幹崩れる2011-07-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆「小沢事件」全内幕/裁判所も認めた世紀の謀略/「調書」大量却下2011-07-13 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆検察改革 捜査・公判を根本から問え/陸山会事件〜検察側供述調書、地裁が証拠不採用2011-07-13 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆「陸山会事件」異議を棄却/検察側は主要な調書を欠いたまま20日の論告求刑に臨むことになった2011-07-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆「特捜部は恐ろしいところだ」ストーリー通りの供述を取らなければ、という強いプレッシャー〈陸山会事件〉2011-07-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆もはや小沢氏を法廷に縛りつける理由はないのに、検察官役の指定弁護士、前田元検事を証人申請2011-07-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉2011-07-29 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆「政治資金規正法を皆さん勘違い。小沢さんがいなくなることはプロの政治家がいなくなること」安田弁護士2011-07-21
◆小沢氏「僕の支持者は微動だにしない。お天道様がちゃんと見てるよ」2011-01-18 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆フリージャーナリストらによる「小沢一郎懇談会」開催の意図と経緯を語ろう 2011-01-22 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
リンゼイ・アン・ホーカーさん事件 市橋達也被告弁護側、控訴/事実認定に不服
無期懲役の市橋達也被告が控訴 英国人女性殺害事件
2011年8月2日 13時07分
千葉県市川市で2007年3月、英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=を殺害したとして、殺人や死体遺棄などの罪に問われた市橋達也被告(32)の弁護側は2日、無期懲役とした7月21日の千葉地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。
千葉地裁によると、控訴は8月2日付。4日が控訴の期限だった。
地裁の裁判員裁判で、弁護側は「口をふさごうとして誤って首を絞めた」と殺意を否認。殺人でなく傷害致死罪に当たると主張したが、判決は「明確な殺意があった」と認定した。(共同)
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◆〔リンゼイさん事件〕市橋達也被告手記『逮捕されるまで 空白の2年7ヶ月の記録』/吉村昭著『長英逃亡』2011-01-25 | 死刑/重刑/生命犯 問題
◆リンゼイ・アン・ホーカーさん事件 市橋達也被告 第1回公判前手続き2010-06-28
◆市橋達也被告への支援金、100万円突破「リンゼイさん殺害事件」
◆英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件 市橋弁護団vs捜査当局、すでに激しい“つばぜり合い”
◆職務質問 「市橋です」逮捕に生きた99カ条2010-01-06
「目、もう見えてねえ」衰える牛 出荷停止〈岩手〉/原発、最下層の下請け労働者〈釜ヶ崎〉
前沢ブランド悲鳴 衰える牛・・・「目 もう見えてねえ」 岩手県産出荷停止
中日新聞2011/08/02Tue.
カラカラと送風機が回る牛舎で80頭余りが稲わらを食んでいた。奥州市前沢区の山間にある小形牧場。経営者の小形久さんは「いつ出荷停止が解除になるか分かんねえから、体調維持が大変なんだ」と表情を曇らせる。
840頭を飼育する県内屈指の大型農家。生後10か月の子牛を仕入れ、その後20〜24カ月で前沢牛に育てる。餌を与えるペース、ビタミン剤の量や時期に注意を払い、出荷時に肉質をピークに持っていく。
ビタミンAは与えすぎると赤身の間にある白い脂(サシ)が減り、きれいな霜降りにならない。出荷前は投与を控えるが、欠乏すれば失明や病気につながる。県が7月下旬から県産牛の出荷自粛に踏み切ったため、牛舎には本来の出荷時期を過ぎても送り出せず、体力が衰えつつある牛が何頭もいる。
いくつかの牛は眼球が膨らんできたように見える。小形さんはそんな牛を見るのがつらい。「だんだんエサ食わなくなるんだ。目も開いてはいるけど、もう見えてねえだろうな」〈後段略〉
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〈来栖の独白〉
先日、釜ヶ崎のH神父よりカンパの依頼。もうすぐ夏祭り、ということだ。
原発、最下層の下請け労働者の実態が書かれてあった。
“最下層の下請け労働者として上位下請け社員が作業をする前、1番最初に「除染作業」と称した原子炉内の放射線汚染された機器や施設のふき取り清掃、汚染水の処理など1番危険な作業をさせられてきました。そして、被ばくし、その実態も分からないままで使い捨てにされてきたのです。
東電だけでさえ年間280億円もの宣伝費を使って、マスコミの大スポンサーとなり、批判や都合の悪い事実を抑え込んで「安全」「クリーン」キャンペーンを行ってきたのです。この嘘を塗り固めるために使われてきた280億円とは大阪の野宿者の命綱=特別清掃事業の40倍の予算であり、これが社会のために使われれば日本から野宿をしなければならない人を無くすことができる金額です。
今、福島原発の事故の収拾のために多くの労働者が被爆しながら働いています。これからも事故の収拾のため、周辺の被災地の復興のため、多くの労働者が被爆しながらも働かなくてはならないでしょう。”
人類は、開けてはならない箱を開けた。人類の支配、能力の追いつかない「原子力」という箱を開けた。弱い者から順に犠牲になる。昨年は、口蹄疫だった。
山川草木、生きとし生けるもの・・・人類が汚してゆく。いのちを奪ってゆく。
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◆総ての牛の処分を終えて/牛には十分な飼料は与えられない/一生懸命乳を出す牛ほどやせていくんです2011-07-19 | 地震/原発
◆福島牛「出荷」停止/生命といのち 万物に「存在の価値」 他者との深い関わり2011-07-16 | 地震/原発
◆「原発さえなければと思います」“遺書”の一文/命の悲痛な叫び2011-07-15 | 地震/原発
◆福島の酪農業男性が自殺か「原発なければ」と書き残し/原発が引き裂いた人生「原発で手足ちぎられ酪農家」2011-06-14 | 地震/原発
◆原発20?圏に家畜65万匹超、置き去りか 餓死か/牛に「ごめん」牛を解き放とうと悩んだが、近所迷惑と考え2011-04-22 | 地震/原発
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◆宮崎牛、口蹄疫 「人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ」2010-05-17 | 社会
・五木寛之著『人間の運命』(東京書籍)より
私たち人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ。1年間に地上で食用として殺される動物の数は、天文学的な数字だろう。
狂牛病や鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなどがさわがれるたびに、「天罰」という古い言葉を思いださないわけにはいかない。
私たち人間は、おそろしく強力な文明をつくりあげた。その力でもって地上のあらゆる生命を消費しながら生きている。
人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。
私はこれを人間の大きな「宿業」のひとつと考える。人間が過去のつみ重ねてきた行為によってせおわされる運命のことだ。
私たちは、この数十年間に、繰り返し異様な病気の出現におどろかされてきた。
狂牛病しかり。鳥インフルエンザしかり。そして最近は豚インフルエンザで大騒ぎしている。
これをこそ「宿業」と言わずして何と言うべきだろうか。そのうち蟹インフルエンザが登場しても少しもおかしくないのだ。
大豆も、トウモロコシも、野菜も、すべてそのように大量に加工処理されて人間の命を支えているのである。
生きているものは、すべてなんらかの形で他の生命を犠牲にして生きる。そのことを生命の循環と言ってしまえば、なんとなく口当たりがいい。
それが自然の摂理なのだ、となんとなく納得できるような気がするからだ。
しかし、生命の循環、などという表現を現実にあてはめてみると、実際には言葉につくせないほどの凄惨なドラマがある。
砂漠やジャングルでの、動物の殺しあいにはじまって、ことごとくが目をおおわずにはいられない厳しいドラマにみちている。
しかし私たちは、ふだんその生命の消費を、ほとんど苦痛には感じてはいない。
以前は料理屋などで、さかんに「活け作り」「生け作り」などというメニューがもてはやされていた。
コイやタイなどの魚を、生きてピクピク動いたままで刺身にして出す料理である。いまでも私たちは、鉄板焼きの店などで、生きたエビや、動くアワビなどの料理を楽しむ。
よくよく考えてみると、生命というものの実感が、自分たち人間だけの世界で尊重され、他の生命などまったく無視されていることがわかる。
しかし、生きるということは、そういうことなのだ、と居直るならば、われわれ人類は、すべて悪のなかに生きている、と言ってもいいだろう。
命の尊重というのは、すべての生命が平等に重く感じられてこそなのだ。人間の命だけが、特別に尊いわけではあるまい。
・五木寛之著『天命』幻冬舎文庫より
p64〜
ある東北の大きな農場でのことです。
かつてある少女の父親から聞いた話です。そこに行くまで、その牧場については牧歌的でロマンティックなイメージを持っていました。
ところが実際に見てみると、牛たちは電流の通った柵で囲まれ、排泄場所も狭い区域に限られていました。水を流すためにそうしているのでしょう。決まった時刻になると、牛たちは狭い中庭にある運動場へ連れて行かれ、遊動円木のような、唐傘の骨を巨大にしたような機械の下につながれる。機械から延びた枝のようなものの先に鉄の金輪があり、それを牛の鼻に結びつける。機械のスウィッチをいれると、その唐傘が回転を始めます。牛はそれに引っ張られてぐるぐると歩き回る。機械が動いている間じゅう歩くわけです。牛の運動のためでしょうね。周りには広大な草原があるのですから自由に歩かせればいいと思うのですが、おそらく経済効率のためにそうしているのでしょう。牛は死ぬまでそれをくり返させられます。
その父親が言うには、それを見て以来、少女はいっさい牛肉を口にしなくなってしまったそうです。牛をそうして人間が無残に扱っているという罪悪感からでしょうか。少女は、人間が生きていくために、こんなふうに生き物を虐待し、その肉を食べておいしいなどと喜んでいる。自分の抱えている罪深さにおびえたのではないかと私は思います。
そうしたことはどこにいても体験できることでしょう。養鶏にしても、工場のように無理やり飼料を食べさせ卵をとり、使い捨てのように扱っていることはよく知られたことです。牛に骨肉粉を食べさせるのは、共食いをさせているようなものです。大量生産、経済効率のためにそこまでやるということを知ったとき、人間の欲の深さを思わずにはいられません。
これは動物を虐げた場合だけではありません。どんなに家畜を慈しんで育てたとしても、結局はそれを人間は食べてしまう。生産者の問題ではなく、人間は誰でも本来そうして他の生きものの生命を摂取することでしか生きられないという自明の理です。
ただ自分の罪の深さを感じるのは個性のひとつであり、それをまったく感じない人ももちろん多いのです。(中略)
生きるために、われわれは「悪人」であらざるをえない。しかし親鸞は、たとえそうであっても、救われ、浄土へ往けると言ったのです。
親鸞のいう「悪人」とはなんでしょうか。悪人とは、誠実な人間を踏み台にして生きてきた人間そのもです。「悪」というより、その自分の姿を恥じ、内心で「悲しんでいる人」と私はとらえています。(中略)
我々は、いずれにしろ、どんなかたちであれ、生き延びるということは、他人を犠牲にし、その上で生きていることに変わりはありません。先ほども書いたように、単純な話、他の生命を食べることでしか、生きられないのですから。考えてみれば恐ろしいことです。
そうした悲しさという感情がない人にとっては意味はないかもしれません。「善人」というのは「悲しい」と思ってない人です。お布施をし、立派なおこないをしていると言って胸を張っている人たちです。自信に満ちた人。自分の生きている価値になんの疑いも持たない人。自分はこれだけいいことをしているのだから、死後はかならず浄土へ往けると確信し、安心している人。
親鸞が言っている悪人というのは、悪人であることの悲しみをこころのなかにたたえた人のことなのです。悪人として威張っている人ではありません。
私も弟と妹を抱えて生き残っていくためには、悪人にならざるをえなかった。その人間の抱えている悲しみをわかってくれるのは、この「悪人正機」の思想しかないんじゃないかという気がしました。(中略)
攻撃するでもなく、怒るでもなく、歎くということ。現実に対しての、深いため息が、行間にはあります。『歎異抄』を読むということは、親鸞の大きな悲しみにふれることではないでしょうか。
・五木寛之著『いまを生きるちから』(角川文庫〉より
いま、牛や鳥や魚や、色んな形で食品に問題が起っています。それは私たち人間が、あまりにも他の生物に対して傲慢でありすぎたからだ、という意見もようやく出てきました。
私たちは決して地球のただひとりの主人公ではない。他のすべての生物と共にこの地上に生きる存在である。その「共生」という感覚をこそ「アニミズム」という言葉で呼びなおしてみたらどうでしょうか。
◆「牛は処分を察してか悲しい顔をする。涙を流した牛もいた」担当者ら、悲痛〜心のケアを2010-05-26 | 社会
◆わが子を死なせる思い。これまで豚に食わせてもらってきた。処分前に せめて最高の餌を
◆電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、聞いたことのない悲鳴のような鳴き声を上げた」
◆ハイチの“マザーテレサ”須藤昭子医師(クリストロア宣教修道女会)に聞いてみたい、牛や豚のこと。
◆「子牛もいた。何のために生まれてきたんだろう」処分用薬剤を140頭もの牛に注射し続けた獣医師
中国が管轄海域と主張する南シナ海の「牛の舌」/中国は、その誇大な主張の後ろ盾となる軍事力を有している
南シナ海の「牛の舌」 清水美和の【アジア観望】
中日新聞夕刊2011/08/02Tue.
中国の地図を見ると、自分の縄張りのように南シナ海のほぼ全域を点線で囲んでいる。その形から「牛の舌」と呼ばれる区域を、中国は「管轄海域」と主張している。
*国際法の根拠不明
しかし、海外からは、国連海洋法条約が認める領海や排他的経済水域(EEZ)でもなく、意味が分からないと批判されてきた。
「南シナ海で島々の領有権を主張する関係国は、国際法の根拠を明確にすべきだ」
先月下旬、インドネシアで開かれた東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)で、米国のクリントン国務長官は主張した。名指しこそ避けたが、主に中国に向けた発言であることは明らかだ。
中国は南シナ海の南沙(スプラトリー)、西沙(パラセル)諸島の領有権を巡り、対立するベトナム、フィリピン、マレーシアなどの漁船や調査船を自らが主張する管轄海域から追い立ててきた。
*中国に身構えた米
2009年3月には米海軍の調査船を中国艦船が取り囲み、調査を中止させた。10年3月に、中国は米国に南シナ海の海洋権益を交渉の余地がない「核心的利益」と見なすと通告したといわれる。
米国は中国に身構え、昨年7月のARFで、クリントン長官は領土紛争には中立を保つとしながら「航海の自由」を断固として守ると表明した。
中国外務省は「南シナ海の諸島は古代から中国領」と主張しているが、国際法の根拠について明確に説明していない。中国で発表された学術論文で主流の意見はこうだ。
南シナ海の島々は1930年代からフランスや日本が一時占領したが、日本は敗戦で領有権を放棄した。その後、国民党政権が現地を測量し「中華民国行政区域図」(48年)で南シナ海を点線で囲うことによって中国の管轄海域であることを宣言した。
当時、周辺諸国はこれに異を唱えなかったが、60年代から海洋資源が発見されたことで、次第に島々の領有権を主張するようになった。
南シナ海について、中国は国連海洋法条約(82年採択)も、関係国の協議で領海やEEZを画定する作業は必要がないと認める「歴史的所有権」を持っているという。
*とんでもない地図
南シナ海の管轄権を宣言したという「中華民国行政区域図」は、モンゴル全域も中国領としている。日本の尖閣諸島をはじめロシアやインドなど隣接する9か国との係争地域をすべて自国領としているとんでもないシロモノだ。
国際的に受け入れられるはずもなく、南シナ海の領有権をめぐって、中国は新たな主張を展開する必要に迫られるだろう。(しみず よしかず・東京論説主幹)
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◆軋む世界/巨額の財政赤字、国防費削減を迫られる米国/経済力をバックに軍備拡張を進める中国 2011-07-31 | 国際/中国
軋む世界 米中 新たな火種 【?】南スーダン/資源・安保で覇権争い
中日新聞2011/07/26Tue.
「中国の方々から毎日、油田開発のオファーがありますよ」。今月9日、アフリカ54番目の国として誕生した南スーダン。建国の興奮冷めやらぬ中、南部政府の高官は、本紙の取材に、既に中国側の熱烈な営業攻勢を受けていると明かした。
北部スーダンの3倍に上る油田を抱え独立した南部。道路や水道、電気などインフラ整備への支援の申し出が、中国側から続々と届く。「全てわれわれから石油開発(参入)への協力を取り付けるためだ」と、意図を高官は見透かす。
舗装道路の総延長がわずか60キロ、電気や水道も未発達という国で、中国の存在感は際立つ。地元の記者によると、首都ジュバは中国系ホテルが10軒余に急増。「政府役人の大半の家は、中国企業が特別価格で建設したという話だ」と記者は声を潜めた。
中東の衛星放送アルジャジーラなどによると、分離前のスーダンは、1983年から20年余に及ぶ南北内戦が続き、米石油大手シェブロンが撤退。国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者(今年5月に米国が殺害)が91年からスーダンを拠点にしたのを受け、米国は93年、スーダンをテロ支援国家に指定し、経済制裁を科す。欧米勢と入れ替わるように進出したのが中国国営石油会社だった。
「走出去(ソーチューチー・海外に出よう」。中国政府は今世紀に入って、自国企業に海外進出を一段と促す。国策と一体の企業はリスクや政治問題を度外視し、実利優先んで事業を拡大するのが強み。日量約50万バレルとされる南北スーダンの石油生産の3分の2が、中国向けとされた。
2005年、南北和平合意が実現し、黒人キリスト教徒の多い南部でアラブ系イスラム教徒中心の北部からの独立の機運が高まると、中国は北部ばかりか南部の有力者へも接近を開始する。
南スーダンの当局者によると、09年、南部の幹部候補らが多数、北京へ招かれ、研修を受けた。「その大半は、今や新政府の指導的立場。中国は親中派を育てようとしたのだろう」
この資源豊かな新国家で、覇権争いに名乗りを上げたもう一つの大国が、米国だ。
南北和平合意の後、スーダンにインフラ整備や食糧支援など60億?(約4千8百億円)もの資金を投入。「アメとムチ」と言われる見返りと圧力の両面で、北部バシル政権を揺さぶり、南部分離を認めさせた。
南スーダンは、アフリカ北部イスラム圏と中部キリスト教圏との境にあり、地政学的に重要な位置を占める。中東・アフリカのイスラム圏を中心に「対テロ戦争」にあえぐ米国にとって、この地域で親米国家を獲得する意味は、安全保障上も大きい。
9日の独立式典に駆けつけた米国のライス国連大使は「独立は、与えられたのではない。あなた方が勝ち取ったのだ」と持ち上げてみせた。だが、米外交の勝利ともいえる。
長い内戦を経て、悲願の新国家樹立に沸き返る南スーダン。グローバル経済と対テロ戦争での勝利をもくろむ大国の思惑が、激しくぶつかる最前線となりつつある。(カイロ・今村実)
■ ■
23日の東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)でも、焦点の南シナ海領有問題をめぐり米中両国は歩み寄りの姿勢を示さなかった。激しさを増す資源争奪や情報戦など、世界各地での2大国の新たな火種を探った。
軋む世界 米中 新たな火種【?】欧州 中国、国債購入 武器に
中日新聞2011/07/27Wed.
ベルリンの首相府で6月28日、ドイツのメルケル首相と中国の温家宝首相が共同記者会見に臨んだ。その場へ次々に登場した両国の閣僚や企業トップが延々30分も、2項目に及ぶ協定書類に署名し、固い握手を交わした。大型商談成立を報道陣にアピールする晴れ舞台だった。
中国から楊潔ち外相ら過去最多の13閣僚が参加した初の独中合同閣僚会合。経済協力の合意は幅広く、主要企業の大型ビジネスも並んだ。
中国が欧州航空機大手エアバスの旅客機A32062機を購入▽独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)は中国に新工場を建設し、電気自動車でも協力を推進▽独総合電機大手シーメンスと中国国家発展改革委員会は中国での環境対策の技術開発で提携ーなど、総額百6億ユーロ(約1兆2千億円)にも上る商談となった。
欧州諸国には、中国の巨大市場への期待感とともに、人権問題への懸念も根強い。しかし、中国が、温首相歴訪直前の6月22日、拘束していた芸術家、艾未未(がい みみ)氏を保釈するなど、懸念に配慮するポーズを見せると、ドイツは「法治国家としてのあるべき姿に意見の相違がある」(メルケル首相)と認めつつ、実利優先でビジネスを進める姿勢を前面に出した。
温首相も「今後5年間で両国間の貿易額を倍増させ2千億ユーロにする」と意気込んだ。
中国資本のドイツ進出は著しい。
今年に入ってパソコンメーカーなど7社を買収。独大衆紙ビルトは「中国の侵略」の見出しで報じ、国内の不安を伝えた。「中国は産業スパイから企業買収へと戦術転換した」とする識者の意見を紹介した上で、大型商談成立にも「笑顔の裏に何があるか」と警戒心を隠さない。
実際、中国は目に見えないものをも買おうとしている。温首相は記者会見で、ギリシャに端を発したユーロ圏諸国の国債買い入れを表明。危機にもかかわらずユーロの対ドル相場は1月の1・28?から直近の1・44?へ値上がり。要因の1つが、ユーロ諸国の国債などの中国による購入だ。
中国はこれまで、自国の輸出が有利になるように人民元を売り、ドルを買う為替介入を続け、対米輸出の価格競争力を保ってきた。手元にたまったドルで米国債を大量に買っているが、財政問題抱える米国と道連れになる危険も膨らんだ。
ドルに代わる唯一の投資先が現状ではユーロ。欧州からは感謝もされる。中国がドルからユーロへ振り向ける資金の割合を増やせば、米国の金利やドル相場が悪影響を受ける恐れがあり、中国にとって米国を揺さぶる手段ともなる。
ユーロ危機の下、欧州と米国の足元を見透かしたような中国のしたたかな経済戦術が、欧州への接近をいっそう加速させている。(ベルリン・弓削雅人、ロンドン・松井学)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】中央アジア/経済力背景に中国化
中日新聞2011/07/28Thu.
「ロシアか中国か。(ロシアの)メドベージェフ大統領が踏み絵を迫った」
6月14日、中央アジア・ウズベキスタンの首都タシケント。メドベージェフ大統領とウズベクのカリモフ大統領の4時間に及んだ会談を、ロシア外交筋はこう分析する。
表向きのテーマは「中東民主化」。自国への波及を恐れるカリモフ大統領に対し、メドベージェフ大統領がカリモフ氏の独裁体制への支持と引き換えに「親ロ反米路線」の堅持を求めた、との見方が一般的だ。が、同筋によると、メドベージェフ大統領が重視したのは、翌15日のタジキスタンでの上海協力機構(SCO)首脳会議で、新規加盟規約の採択に同意させることだったという。
SCOは、もともとロシアと中国が、米国と対峙する新たな世界軸を目指して2001年6月、中央アジアの旧ソ連4か国とともに創設。05年の首脳会議では、中央アジアの駐留米軍に早期撤退を求める共同宣言を出し、実際にウズベクの米軍基地を閉鎖に追い込むなど、対米牽制では一定の成果を挙げてきた。
しかし、経済力を背景に、豊富な地下資源への巨額投資など中央アジアに対する影響力を拡大する中国は、ロシアにとって米国以上ともいえる脅威に変貌。ロシアは、中国を抑えるため、友好国でSCO準加盟国のインドの正式加盟をもくろんでいた。
加盟規約は、運営分担金など加盟の具体的条件を定め、SCO拡大の法的基盤となる。
既に事務レベルで草案が完成。ロシアは、採択を目指し、根回しに奔走した。
だが、首脳会議では各国首脳がSCO拡大を検討するとの覚書に署名したものの、具体的加盟条件については継続審議とされた。ロシア外交筋や専門家らによると、中国が規約の内容に原則的に賛成しながらも「SCOは開かれた組織として発展する」との拡大路線明示の表現に反発したためという。
現在、モンゴル、インド、パキスタン、イランが準加盟国。今後数年内の正式加盟は困難とみられるが、機構として拡大路線を明確にした場合、いずれは「対テロ戦」をめぐって米国と対立を深めるパキスタンなどの加盟も具体的日程に上り、対米摩擦が生じる。財政赤字に苦しむオバマ米政権がブッシュ前政権と違って中央アジアに対する消極姿勢を続ける隙に、安全保障面での無用な米中対立を避けつつ、経済領域で一気に影響力を拡大しようとする中国の思惑が浮かび上がる。
中国の胡錦濤国家主席は首脳会談で、SCO加盟国に対する総額百20億?(約9千5百億円)の低利融資を表明。もくろみの外れたろしあとは対照的にSCOの盟主としての存在感を示した。
ロシア科学アカデミーの研究者ルジャーニン氏も「もはや経済面ではSCOにおける中国の主導権は揺るがない」といっそうの“中国化”を予測する。ロシアのみならず、米国にとっても憂慮の種に違いない。(モスクワ・酒井和人)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】サイバー空間/「諜報活動」に包囲網
中日新聞2011/07/30Sat.
今年3月、米防衛関連企業のコンピューターに外部から何者かが侵入、国防関連情報を含む2万4千件のファイルが盗み出された。
「やったのは外国の諜報機関だと考えている。背後には国家権力がいる。だが、あえてそれが誰なのかは言わないことにする」
コンピューターネットワーク上の仮想空間を「サイバー空間」と呼ぶ。今月14日、その空間における米国の新たな防衛戦略を発表したウィリアム・リン国防副長官はさりげなく重大な事実を打ち明けた。
中国のことを指しているのは、誰の目にも明らかだった。
今年6月。外部からの大規模なサイバー攻撃を受けたインターネット検索大手グーグルは「攻撃の起点は中国山東省済南市」と発表した。
同市は人民解放軍の重要拠点。昨年、グーグルが検索サービスに対する事前検閲の撤廃をめぐって中国政府と対立した際も「同市からとみられるサイバー攻撃を受けた」と主張していた。
中国側は否定しているが、今回の攻撃ではグーグル提供のメールサービスを利用する米政府高官らの私信が標的とされており、中国の諜報活動の一環である疑いは深まるばかりだ。
2008年、米国防総省のコンピューターシステムは外部からの本格的なサイバー攻撃に初めてさらされた。危機感を深めた米国は昨年2月、「4年ごとの国防戦略見直し(QDR)」でサイバー戦略の必要性を明記。昨年5月には、東部メリーランド州の陸軍基地内に「サイバー司令部」を設置した。
これに遅れること約1年、中国国防省は人民解放軍の広州軍区に「ネット藍軍」を創設。「ハッカー部隊では」との懸念が世界に広がったが、中国はネット攻撃に対する防御態勢固めと説明した。
サイバー空間でしのぎを削る2大国だが、現実には、サイバー戦での米国の攻撃力は他の追随を許さない。
米軍はコンピューター7百万台を擁し、1万5千以上の軍用ネットワークを運用。ハイテク兵器を一瞬で無力化するコンピューターウィルスなど「サイバー兵器」も、1991年の湾岸戦争当時にイラク軍事システムを標的にして使用したとされるうえ、最近のイラン核開発施設を狙った作戦でも実証済みといわれる。
さらに、「アングロ・サクソン諸国」と呼ばれ、互いに親密な英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとの間で軍事通信傍受網「エシュロン」を秘密裏に運営してきたと指摘される。
日本もまた、サイバー空間での米国の安全保障体制に組み込まれつつある。リン国防副長官は、サイバー戦略発表の記者会見で「日本とはとりわけ協調を進めたい。すでにその手だては打っている」と明言した。
サイバー攻撃に対し軍事報復の可能性をちらつかせ、中国を激しく牽制する一方で、欧州や日本とのサイバー同盟の強化を進める米国。冷戦時代の旧ソ連封じ込めを想起させる、「中国封じ込め」が着々と進んでいる。(ワシントン・久留信一)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】南シナ海 問題先送り 中国は軍拡
中日新聞2011/07/31Sun.
領有権争いが続く南シナ海南沙(英語名スプラトリー)諸島で、フィリピンが実効支配するパグアサ島など9つの島や環礁を管轄しているパラワン州カラヤン町。ビトオノン町長は5月下旬、漁民から、中国船が同諸島の浅瀬に建築資材を運び込み、建造物を建設しようとしているのを目撃した、と連絡を受けた。すぐにフィリピン軍に報告するよう漁民に指示した。
「建造物ができれば人民解放軍が駐留し、漁民が近くを航行できなくなる。容認できない」と町長は言う。
1995年に南沙諸島のミスチーフ環礁に中国が軍事拠点を設置して以来、中国船による監視活動が活発化。航行を妨害されたり、警告射撃を受ける漁船が増えた。フィリピン外務省は、今年2月以降、中国から少なくとも7件の「攻撃的侵入」を受けたとする。
これに対し、今月20日には、パグアサ島にフィリピンの国会議員5人が上陸し、自国領であるあることをアピール。ロザリオ外相も中国批判の発言を繰り返す。フィリピン側の強硬姿勢の背景には、合同軍事演習の実施や武器供与の約束など、米国がフィリピン支援に対し軍事支援を深めている事情がある。
しかし、21日にインドネシア・バリ島ヌサドゥアで開かれた中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)との外相会議は、問題の平和的解決を目指す2002年の「行動宣言」の実効性を高める指針に合意したものの、解決への具体策を盛り込めなかった。「中国は現状を維持した」とフィリピン外交筋。問題の先送りに中国が成功したとの認識だった。
昨年7月のベトナム・ハノイでのASEAN地域フォーラム(APF)で、クリントン米国務長官は、世界の商業海運の5割が通航する南シナ海の自由航行は「米国の国益」と述べ、関与を本格化。参加各国が同調し、「中国包囲網」が形成された。
その流れを教訓とした中国は今回、新たな経済支援を前面に掲げ、先手を打った。4月に温家宝首相がASEAN議長国のインドネシアを訪問し、百億?(約8千億円)規模の経済協力で合意。フィリピン、ベトナムとも個別に会談を行い、ASEAN側と具体策のない指針での合意にこぎつけた。中国の楊潔箎(ようけっち)外相は「中国とASEANで(領有問題を)解決できることを示すものだ」と述べ、米国の関与は不要との姿勢を強調した。ASEAN外交筋は中国の思惑を「時間を稼げばそれだけ自国に有利に働くと考えているのだろう」と指摘する。
中国国防省は27日、空母計画について初めて公式に確認。大連での改修中の旧ソ連製空母「ワリャク」が近く就航し、南シナ海を管轄する人民解放軍「南海艦隊」に配属される見通しのほか、国産空母の建造も本格化したもようだ。中国はさらに、米空母の接近を阻止できる対艦弾道ミサイルの配備を始めたとの情報もある。
巨額の財政赤字を抱え、国防費削減を迫られる米国は、世界第2位の経済力をバックに軍備拡張を進める中国の動きにいっそう神経をとがらせている。
(ヌサドゥアで、古田秀陽)=おわり
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◆南シナ海 「ASEAN」で、中国の専横封じよ/中国は、その誇大な主張の後ろ盾となる軍事力を有している2011-07-25 | 国際/中国
◆「核心的利益」中国は主権や領土に関わる問題で外国に妥協しない姿勢を強めた2011-07-18 | 国際/中国
◆旧ソ連から買った中国の空母「ワリヤーグ」/有事の戦闘では弱いが、平時に発揮される中国空母配備の効果2011-07-14 | 国際/中国
◆中国、原子炉新規稼働へ/原発を持つ国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができる/原発保有国の本音2011-05-11 | 国際/中国
◆「BRICS」を政治利用する中国2011-04-23 | 国際/中国
◆欧米と距離を置き、東へ軸足を移すドイツ / ドイツの国益と欧州の国益2011-06-13 | 国際
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◆北方領土 仮に裁判となった場合、日本が負ける確立が高いというのが国際法の専門家の意見2011-02-20 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
日露の病根を除く機会に
ロナルド・ドーア〈英ロンドン大学政治経済学院名誉客員〉
中日新聞2011/02/20Sun.
時どき日本の外務省は、一度採用した外交路線を放棄できずに成り行きに任せ、しまいにはにっちもさっちもいかなくなってしまうことがある。北方領土問題をめぐる対ロシア関係が正にその典型であろう。
日本政府はこれまで、旧総務庁の前に「北方領土が帰る日・平和の日」という大きな石碑を建てたり、国後も択捉もわれわれの島だという国民感情に訴えてきた。
これに対しロシアは、日本の主権を認めるような考えは基本的にしないが、勃興日本の経済力や、少しずつ増大してきた外交力に敬意を表し、日本の国民感情の手前もあって、日本のクレームには一応、真面目に対応してきた。ところが、日本の経済力・外交力の衰退も1つの原因だろうが、最近ではメドベージェフ大統領が国後島入りして以降、ロシア閣僚の訪問が相次ぎ、軍事的な防衛強化も発表するなど、「日本が主張する『主権の問題』は毛頭ない。交渉する意思はもうない」と、きっぱり告げた格好だ。
2カ国外交で日本の主張を唱え続けても、日ロ摩擦の時代が永遠に続くだけだろう。極論になるが、諦めるのも賢明な道で、尊厳ある主権国として面目を失わない諦め方を探さねばならない。
そういう道を国際司法裁判所(ICJ)が与えてくれそうだ。ロシアの北方四島占領は不法だと、日本が訴えればいい。もちろん、ロシアに根回しし、訴えられたら応じるとの確約を取り付けることが前提となる。それに、優秀な外交官の長い努力が必要だろう。小泉純一郎元首相の北朝鮮訪問の準備工作として、田中均氏が北京で交渉し、拉致の事実を認める約束を取り付けたようにだ。
仮に裁判となった場合、日本が負ける確立が高いというのが、国際法の専門家の意見だ。理由は、サンフランシスコ条約で日本ははっきりと主権を放棄してしまったからだ。ただ、日本は裁判に負けてもそのままいれば、世界の目にはロシアにいじめられた国ではなく、平和的国際関係の法的秩序構築に貢献した国として映る。漁業権など実質的な利益を守るのも、逆にやりやすくなるかもしれない。
日本の最近の北方領土問題に関する主張は、歴史的事実に訴えないのでおかしかった。明治8(1875)年の樺太千島交換条約で、樺太はロシア、安政条約で既に認められた国後、択捉2島のほかに、それ以北の千島列島も日本の所属と決まった。日露戦争の戦果として日本領土となったのは樺太の半分だけである。
戦争が終ろうとするときのヤルタ会談で、連合国が「日独には帝国主義的侵略によって得た領土を返還させる」という原則を決めたが、千島列島がそうして得た領土ではないことが当時は分かっていなかった。その間違いはダレス米国務長官によってサンフランシスコ条約に持ち込まれ、吉田茂首相が苦情を言ったが、ダレス長官は「ロシアとの関係が微妙なときにうるさいことを言うな」と抑えてしまった。さらに、日ロ両国の親睦を邪魔しようと横槍を入れ、「沖縄を返すのも危うくなるぞ」と脅した。
その後、日本は「明治8年の条約がある。国後、択捉は戦果ではない。ヤルタ会談での米国の誤解だった」などの論法を展開せず、条約における「千島列島」の定義など、些細な法文解釈に基づいた論法しか続けてこなかったからだ。
いずれにせよ、これを機会に60年間の日ロ関係の病根を国際司法裁判所が取り除いてくれれば、さっぱりするだろう。
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関連:日米安保条約 発効50年 きしむ北東アジア
「普天間基地移設」という〈罠〉
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◆わずか数時間で日本は中国に占領されるぞ2011-02-04
◆中国の漁業監視船、再び尖閣へ 中国は国内法で尖閣諸島や西沙・南沙諸島を中国領土だと主張2011-01-28
◆自分の国は自分で守る決意/境外を保護するのは法律、正義、自由ではない。国際法も国力の強弱に依存2011-01-12
◆経済発展によるカネで軍拡を続ける中国 2010年度の国防予算は日本円で6兆292億円2011-01-10
◆一触即発の中国・朝鮮半島情勢。米・韓・中、そして北朝鮮とどう渡り合えばいいのか2011-01-12
「煙の中から投げたい」追悼・伊良部秀輝
「煙の中から投げたい」追悼・伊良部秀輝
中日新聞夕刊/08/02Tue.「スポーツが呼んでいる」藤島 大
日米球界に名を残した人生がこのように終わると知っていたわけではない。ただ、いつか悲しいことが起きる。そこまでなら想像はできた。 伊良部秀輝が地上から消えた。死んだのではなく、死を選んだ。いま書けるのはそれだけだ。たった42歳だった。
1997年8月、ニューヨークにその姿を見た。水曜午後1時からの試合、ヤンキース先発が、そのシーズンからピンストライプのユニホームをまとった伊良部秀輝、相手はロイヤルズである。
6回途中まで投げて被安打6、9−3でチームは勝利した。
「シャンパンのコルクはまだ抜けない」 それが翌朝のニューヨーク・タイムズ紙の見出しだった。ヤンキースに在籍することは名誉の分だけ楽ではない。そう感じた。
マウンドに登場すると、約3万の観衆のうち、感覚では5割が拍手、3割弱はブーイングをした。支持一色とはならない。いかにも大都会ニューヨークらしいが、批評は常に厳しく、当事者にすれば負担は重い。99年シーズン限りでニューヨークを離れ、以後、能力に相応する実績は残せなかった。
スポーツ誌『論スポ』の本郷陽一編集長は、晩年(そう記さなくてはならない)の故人と親交がった。
2年前の春のロサンゼルス、阪神から戦力外通告を受けた伊代野貴照投手を指導する姿が忘れられない。治安のよくない場所にある野球施設へと出向き、再起を期す後進にみっちりと付き添った。
「細かな技術を丁寧に教えていました。そのとき浮かんだ言葉は教え魔。本人は投球の構造を研究し尽くしていた。指導者になりたかったのだと思う」
スモーキーという言葉を何度か口にした。野球用語で「煙の中から飛び出すように球の出どころが見えない」。そうであれば球威が落ちても速く映る。全盛期、フォームを丸裸にされても打たれそうになかった人物はそうした領域の思考と探究を続けていた。
粗暴。不機嫌。幾つかの誤解や事実によってイメージは固まる。理解してもらえぬもどかしさ。孤独の影。しかし雲の上のマウンドへ向かったら、残された者は、伊良部秀輝を「煙の中から球を投げたかった男」として記憶する。心ある野球好きは分かっていたのである。(敬称略)〈スポーツライター〉 *米大リーグ・ヤンキース時代、本拠地のヤンキースタジアムで力投する伊良部秀輝投手=1997年7月撮影(AP)
◆どんなにか野球をやりたかったことだろう。伊良部よ、伊良部秀輝よ。2011-07-31 | 野球・・・など
◆伊良部の歴史(動画)入団、結婚・・ ・http://www.youtube.com/watch?v=3D36CQQcxns
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〈来栖の独白〉
私が伊良部に心惹かれるのは、その才能はもちろん魅力だが、藤島氏も書かれている〈不機嫌・孤独〉佇まいによる。
私は、メディアに媚を売る人間が最も卑しく見え、嫌いである。いや、「メディアに」ではない。「人間に」媚を売る人間が嫌いだ。
人間(メディア)に媚を売らない人は、当然のように孤独の陰に佇むことを余儀なくされる。寂しいたたずまいだが、潔い。その寂しさをこそ、守りたい。
伊良部は、才能が存分に発揮される前に逝ってしまった。野球がやりたかった、野球を目指す後進に教えたかったが、願いどおりにはゆかなかった。マウンドのみならず、この世にひっそりと別れを告げた。どんなに寂しかったろう。媚びない人生とはこのようなものだ。これでよい。
一昨日も昨日も私は独りカトリック聖歌を弾き口ずさんで、伊良部の霊魂のため祈っている。「安らかにおやすみください」と祈る。
「山河破れて」未来への希望が語れないとすれば、きょう1日、きょう1日、と生きていくしかない
*管理人の便宜上、2つのカテゴリー「地震/原発」「 仏教/親鸞/五木寛之・・・」でエントリ
「8・15からの眼差し〈1〉」日本経済新聞2011/08/03
山河破れて国あり 公に不信、亀裂は深刻--五木寛之氏
---3月11日以降の状況をどう感じているか。
「12歳で迎えた敗戦は大事件だった。その前と後では、ものの見方が変わってしまった。今回、津波の被害を受けた町の惨状や、福島第1原発の建屋の姿を見るにつけ、原子爆弾の被害を受けた都市や、絨毯爆撃を受けて一面瓦礫となった東京の姿がダブって見える。
ものの考え方、感じ方も、3月11日以前と以後とでは、がらっと変わった。何をするにも必ず1つの色が入り込んできて、その色を通してしか周囲が見えない、という実感がある。だから私は、『第2の敗戦』と受け止めています」
*汚染 目に見えず
---では、何が異なるのか。
「66年前の敗戦の時は、杜甫の詩の『国破れて山河あり』という状況だった。国は敗れたが、日本の里はあった。段々畑も森もあり、川も残っていた。いま私たちに突きつけられているのは、『山河破れて国あり』という現実ではないか。歌にもうたわれたお茶の葉からも放射能が検出されるようになった。何より悲劇的な問題は、汚染が目に見えないことだ。依然として山は緑で海は青い。見た目は美しくて平和でも、内部で恐ろしい事態が進行している。平和に草を食んでいる牛さえも内部汚染が進んでいるかもしれない。かつてこんな時代はなかった」
---「国あり」とは。
「『山河破れて国なし』と言う人もいるかもしれない。ただ、原発の再開も、復興の予算も今も国が決定する。今も国はあるんです。ただ、今ほど公に対する不信、国を愛するということに対する危惧の念が深まっている時代はない。戦後日本人は、昭和天皇の玉音放送のように、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、焼け跡の中から復興をめざし国民一丸となってやってきた。今、大変な大きな亀裂が、ぽっかり口を開けている」
---原発事故で安全を強調する政府の発表に、不信を強めた人も多い。
「それについては驚かなかった。国が公にする情報は、一般人がパニックになることを恐れた上での、1つの政策なんだ、ということを、私は朝鮮半島からの引き揚げ体験の中で痛感していた。
敗戦の夏、中学1年生で平城にいた。当時ラジオは『治安は維持される。市民は軽挙妄動をつつしみ、現地にとどまれ』と繰り返し放送していた。それが唯一の公の情報だった。平城の駅では、家財道具を積んで38度線へと南下する人であふれていたらしい。ところが国策に沿って生きていた私たち家族は、何の疑いもなく現地にとどまっていた。
やがてソ連が侵攻してくる。自宅は接収される。着のみ着のままで追い出される。敗戦1カ月で母を亡くした。難民倉庫のようなところで、引き揚げを待ったが再開されない。冬は零下20度を下回る寒さで、毎晩襲ってくるソ連軍の暴行と飢餓と不安の中で約2年間なすこともなく、日を過ごした。そのときの教訓が大きな後遺症となって自分の中に残っている。
*動物的感覚で
---今、日本人はどういう場所に立たされているのか。
「私たちは、原発推進、反対を問わず、これから放射能と共存して生きていかざるを得ない。たとえ全部の原発を停止しても使用済み核燃料を他国に押しつけるわけにはいかない。放射能を帯びた夏の海で子供と泳ぎ、放射能がしみた草原に家族でキャンプをする。その人体への影響の度合いは、専門家によってあまりにも意見の開きがある。正直、判断がつきません。
だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない。最近出した『きょう一日』(徳間書店)という本に込めたのは、未来への希望が語れないとすれば、きょう1日、きょう1日と生きていくしかないという実感です。第1の敗戦の時はまだ明日が見えた。今は明日が見えない。だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない」(この連載は編集委員宮川匡司が担当します)
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◆映画「100,000年後の安全」地下500? 核のごみ隠すオンカロ/原発から出た放射性廃棄物を10万年後まで保管2011-06-01 | 地震/原発
◆放射能蔓延時代を生き抜く為の電子新聞『ガイガーTIMES』2011-08-04 | 地震/原発
「山河破れて」未来への希望が語れないとすれば、きょう1日、きょう1日、と生きていくしかない
*管理人の便宜上、2つのカテゴリー「地震/原発」「 仏教/親鸞/五木寛之・・・」でエントリ
「8・15からの眼差し〈1〉」日本経済新聞2011/08/03
山河破れて国あり 公に不信、亀裂は深刻--五木寛之氏
---3月11日以降の状況をどう感じているか。
「12歳で迎えた敗戦は大事件だった。その前と後では、ものの見方が変わってしまった。今回、津波の被害を受けた町の惨状や、福島第1原発の建屋の姿を見るにつけ、原子爆弾の被害を受けた都市や、絨毯爆撃を受けて一面瓦礫となった東京の姿がダブって見える。
ものの考え方、感じ方も、3月11日以前と以後とでは、がらっと変わった。何をするにも必ず1つの色が入り込んできて、その色を通してしか周囲が見えない、という実感がある。だから私は、『第2の敗戦』と受け止めています」
*汚染 目に見えず
---では、何が異なるのか。
「66年前の敗戦の時は、杜甫の詩の『国破れて山河あり』という状況だった。国は敗れたが、日本の里はあった。段々畑も森もあり、川も残っていた。いま私たちに突きつけられているのは、『山河破れて国あり』という現実ではないか。歌にもうたわれたお茶の葉からも放射能が検出されるようになった。何より悲劇的な問題は、汚染が目に見えないことだ。依然として山は緑で海は青い。見た目は美しくて平和でも、内部で恐ろしい事態が進行している。平和に草を食んでいる牛さえも内部汚染が進んでいるかもしれない。かつてこんな時代はなかった」
---「国あり」とは。
「『山河破れて国なし』と言う人もいるかもしれない。ただ、原発の再開も、復興の予算も今も国が決定する。今も国はあるんです。ただ、今ほど公に対する不信、国を愛するということに対する危惧の念が深まっている時代はない。戦後日本人は、昭和天皇の玉音放送のように、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、焼け跡の中から復興をめざし国民一丸となってやってきた。今、大変な大きな亀裂が、ぽっかり口を開けている」
---原発事故で安全を強調する政府の発表に、不信を強めた人も多い。
「それについては驚かなかった。国が公にする情報は、一般人がパニックになることを恐れた上での、1つの政策なんだ、ということを、私は朝鮮半島からの引き揚げ体験の中で痛感していた。
敗戦の夏、中学1年生で平城にいた。当時ラジオは『治安は維持される。市民は軽挙妄動をつつしみ、現地にとどまれ』と繰り返し放送していた。それが唯一の公の情報だった。平城の駅では、家財道具を積んで38度線へと南下する人であふれていたらしい。ところが国策に沿って生きていた私たち家族は、何の疑いもなく現地にとどまっていた。
やがてソ連が侵攻してくる。自宅は接収される。着のみ着のままで追い出される。敗戦1カ月で母を亡くした。難民倉庫のようなところで、引き揚げを待ったが再開されない。冬は零下20度を下回る寒さで、毎晩襲ってくるソ連軍の暴行と飢餓と不安の中で約2年間なすこともなく、日を過ごした。そのときの教訓が大きな後遺症となって自分の中に残っている。
*動物的感覚で
---今、日本人はどういう場所に立たされているのか。
「私たちは、原発推進、反対を問わず、これから放射能と共存して生きていかざるを得ない。たとえ全部の原発を停止しても使用済み核燃料を他国に押しつけるわけにはいかない。放射能を帯びた夏の海で子供と泳ぎ、放射能がしみた草原に家族でキャンプをする。その人体への影響の度合いは、専門家によってあまりにも意見の開きがある。正直、判断がつきません。
だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない。最近出した『きょう一日』(徳間書店)という本に込めたのは、未来への希望が語れないとすれば、きょう1日、きょう1日と生きていくしかないという実感です。第1の敗戦の時はまだ明日が見えた。今は明日が見えない。だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない」(この連載は編集委員宮川匡司が担当します)
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◆映画「100,000年後の安全」地下500? 核のごみ隠すオンカロ/原発から出た放射性廃棄物を10万年後まで保管2011-06-01 | 地震/原発
◆放射能蔓延時代を生き抜く為の電子新聞『ガイガーTIMES』2011-08-04 | 地震/原発
放射能蔓延時代を生き抜く為の電子新聞『ガイガーTIMES』
国民栄誉賞=スピンコントロール(政府が、その政権運営、権力維持、情報管理のために行うメディア戦略)
国民栄誉賞と10シーベルト――あまりに幼稚な日本政府のスピンコントロール
Diamond online『週刊上杉隆』2011年8月4日 上杉 隆
結局、なでしこジャパンへの国民栄誉賞の授与が決まった。先週のコラムでの提言は徒労に終わった。政府の厚顔無恥、協会の権威主義には改めてあきれてしまう。
繰り返しになるが、今回の受賞は、団体としては初、これまでは長期にわたる実績を認められた個人にのみ贈られたき同賞が、一度の世界一で、まだ発展途上の選手たちに授与されたという異例のことになる。
3・11震災後の日本に勇気を与えたというのが主な受賞理由だそうだが、職業柄、素直に喜べない。私はひねくれているのだろうか。
これも繰り返しになるが、なにしろ、チーム団体での世界一ならば過去にも多くの例があるはずだ。近年でもWBCでの世界一、女子ソフトボールでの世界一、枚挙にいとまがないではないか。
他とのバランスで考えれば、内閣総理大臣顕彰などが妥当ではなかったか。その考えはいまなお変わらず、政府が国民栄誉賞を持ち出してきた背景を考えると、暗澹たる気持ちになる。これはのちに説明しよう。
*日本のメディアだけが扱わない言葉「スピンコントロール」
それにしても、案の定だが、大手メディアは今回の受賞を手放しで褒め称え、報じ続けている。そう、それが実は政府のスピンコントロールである可能性が高いにもかかわらず、一切そうした点への検証はない。相変わらず、おめでたい人たちである。
政府が、その政権運営、権力維持、情報管理のために行うメディア戦略をスピンコントロールという。情報統制の基本中の基本で、もはや世界中の国では常識となってさえいるこの言葉を、日本のメディアだけが扱わない。
米国ではベトナム戦争の70年代、そして冷戦末期の80年に、メディア統制のために盛んに語られた政治用語のひとつでもある。実際、ホワイトハウスの記者会見場は“スピンルーム”とも呼ばれ、日常的に、記者たちが政府のスピンを警戒する空気ができている。
政治権力とメディアの緊張関係の有無を確認する際、スピンという言葉が多用されだしたら、政府の不健全な目論見が存在するというシグナルにもなっている。つまり、それほど米国の政界やメディア界においては、一般化されている用語なのだ。
英国でも同じような状況だ。いや90年代以降は、英国こそスピンコントロール大国となり、政府とメディアの数々の戦いが見られた。スピンドクターのアラステア・キャンベル首相補佐官へのニュースの扱いだけをみても、スピンに対するメディア側の警戒ぶりがわかるというものである。なにしろ、彼は、英国では、スピンによってイラク戦争を開戦させた男として認識されているほどだ。
いずれにしろ、そうしたスピンは世界中の政府内で実行され、また世界中のメディアやジャーナリストたちが、その目論見と戦っているというのが現状なのである。そう、世界で唯一、記者クラブのある日本を除いては――。
断言しよう。なでしこジャパンへの国民栄誉賞は、日本政府のスピンである。しかも、世界のレベルからみたら、あまりに単純で幼稚なスピンコントロールである。
だが、日本のメディアはその程度のスピンすら見抜けない。きっと、よほど愚鈍の集まりなのだろう。なぜならば、仮にスピンだと知っていて報じていないのならば、相当悪質な集団ということになる。それは次のニュースで明らかだ。
*国民栄誉賞のリークと同時に何が起きていたか
政府が、なでしこジャパンへの国民栄誉賞検討のリークをはじめた8月1日、何が起きたか考えてほしい。それは、世界中の科学者たちを震え上がらせる、とんでもないニュースとして、日本でも報じられている。
〈東京電力は1日、福島第1原発1、2号機の原子炉建屋の西側にある排気塔下部の配管の表面付近で、計測器の測定限界に相当する事故後最高値の毎時10シーベルト(1万ミリシーベルト)以上もの高い放射線量を計測したと発表した――(以下略)〉(毎日新聞)。
新聞・テレビはこの恐ろしいニュースをこの日以降、十分に報じたとはいえない。10シーベルトという致死量を軽く上回る放射線検出の大ニュースは、国民栄誉賞という人体に何の影響もないどうでもいいニュースに取ってかわってしまった。
とくに民放テレビは、このニュースを朝から晩まで流しつづけ、政府のスピンに自ら協力しているかのようである。
3月、筆者は、測定器の不備による作業員への被曝の可能性を危惧して、その安全管理と健康調査の是非を公開するよう、東京電力の記者会見で繰り返し質問した。
当時、東京電力は1シーベルト以上の放射線を測る機器はないと断言し、2号炉外のピット周辺で計測した作業員の健康調査の結果すら発表しようとしなかった。
ところが、ふたを開けてみれば、10シーベルトである。しかも、きちんと測れる機器があるではないか。東京電力はまたしても記者会見でうそをついていたのである。
3月以降、作業に携わった作業員はのべ何万人にも上る。その作業員の被曝の可能性は否定できない。早急な検査が求められる。
なにしろ10シーベルトを超える放射線が検出された場所の近くで、鉛などの防護服や遮蔽壁などを使わず、彼らは普通に作業してきたのだ。
しかも、3桁の作業員の行方がわからないという。いったい政府はその責任をどう取るつもりなのか。また、メディアはなぜ、この人類史上、類を見ない大ニュースを大きく扱わないのか。
なでしこも世界一ならば、10シーベルト超の検出も世界一である。せめて同程度に報じて、国民に知らせるべきではないか。政府のスピンに甘んじて乗って、自らの仕事をサボっている場合じゃないのである。