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厚労相に小宮山洋子氏・・・石井紘基氏が草葉の陰から嘆いているのが聞こえてきそうだ

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一川防衛相、「素人だから文民統制」=自民幹部「即刻辞任を」
  一川保夫防衛相が「安全保障は素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と発言していたことが分かり、自民党から3日、批判が相次いだ。同党は次期臨時国会などで野田佳彦首相の任命責任を追及する考えだ。
 一川氏は2日午前、防衛相に正式に就任する前に、一部の記者の質問に答える形で文民統制に関して発言。その後、「素人というのは国民目線でやりたいという意味だ。国民目線で国民の皆さんが安心できるような安全保障政策が大事だと思っている」と釈明した。
 これに対し、自民党の石破茂政調会長は3日午前、読売テレビの番組で「(発言は)明らかに間違いだ。政治家が実力組織を統制するのがシビリアンコントロールだ」と指摘。さらに「安全保障環境が大変なときに、間違えて言うような方を防衛相にするのは、自衛官の息子である野田さんらしくない」と述べた。
 同党の山本一太参院政審会長もTBSの番組で「一刻も早く辞めていただきたい。感情的に言うと最初から問責(決議案)を出したい。こんな気持ちの人に日本の防衛を任せられるのか、非常に不安だ」と厳しく批判した。(時事通信2011/09/03-10:51)
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新閣僚、早くも「不一致」=小沢氏処分見直し
 小沢一郎民主党元代表の党員資格停止処分見直しについて、2日の野田内閣の各閣僚記者会見では賛否が分かれた。党内融和を図るため小沢氏系議員を閣内に引き込んだことで、出だしから「不一致」が露呈する格好となった。
 小宮山洋子厚生労働相は「(野田佳彦首相が)ノーサイドと言ったことと、党で議論を重ねて出した結論を変えることは別だ。岡田克也前幹事長を中心に合意形成してきたものは守られるべきだ」と強調。平岡秀夫法相も「(新たな動きが)何もないのに見直すのは筋が違う。菅政権が決めたことは尊重されるべきだ」と述べた。
 一方、小沢氏に近い山岡賢次国家公安委員長は「(処分は)前執行部が決めたこと。圧倒的にその方法が支持されたわけではない。しっかり議論して、新たな方向性や結論を模索していくべきだ」と再考を求めた。
 平野達男復興担当相も「今は国難の時で小沢氏の力を借りることがあってもいい。党員資格停止が問題になるのであれば、一時的に棚上げや凍結することがあってもいい」と指摘した。(時事通信2011/09/03-00:02)
......................
〈来栖の独白〉
 外相に加えて、「文民統制」という言葉の意味すら知らない素人が防衛相になった。到底、難局にある日本外交を御してゆけるとは思えない。近年、どの世界においても「素人」ばかりとなった。政治の世界でも、小沢一郎さんのようなプロの政治家が、氏のほかに誰がいるだろう。菅元首相は「顔を見たくないか、ほんとに顔を見たくないか」と言ったが、見たくない顔ばっかだ。「ノーサイド」という言葉の響きは民主党内に向かって語られるときはある種寛容さを窺わせるが、政治が水っぽいノーサイドでは困る。曲げることのない理念、政策がなくてどうするか。政治家が「憎まれること」を恐れてどうするか。国民の利益のためには「憎まれること」を恐れず、捨石となって暮らしを守ろうとしないでどうするか。
 閣僚の顔ぶれには失望が大きいが、分けてもむかっ腹が収まらないのは、厚生労働相に就任の小宮山洋子氏である。許せない。以下のエントリ。

村上龍と小沢一郎
『日本病』の正体 石井紘基の見た風景
表ではトロイカ体制と言いつつ裏では「自党のカネ」を週刊誌にリークする奸(カン)執行部2010-08-31 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 日々坦々 表ではトロイカ体制と言いつつ裏では「自党のカネ」を週刊誌にリークする奸(カン)執行部
2010⁄08⁄31(火) 02:33
 トロイカ体制が聞いて呆れる。
 仙谷は、党内のカネの流れを財務委員長の小宮山洋子に調べさせ、それをAERAと週刊現代にリークしている。
 これだけでも、どれだけ異常なことか、日本政治史に残るほどの大きな汚点、お笑い種となるのではないか。
 自民党であれだけ派閥を中心とした権力闘争を繰り広げてきたが、こんなことは聞いたことが無い。憲政史上初めてではないだろうか。
 週刊現代によると、
≪仙石は、官房長官就任直後から、近いうちに小沢氏との全面対決が来ると予想していたのだろう。菅政権発足と同時に枝野幹事長らと話し合い、公認会計士を使って過去の党内のカネの流れを徹底的に調べさせた。担当したのは、財務委員長の小宮山洋子衆院議員。反小沢派の一角だ。この調査は参院選を挟み中断することもあったが、つい最近になって報告書が執行部のもとに上げられた。本誌は今回、この報告書の一部を入手した・・・≫
 仙谷由人、それをやるなら、官房機密費を洗い出せ!
 小宮山洋子、そんな卑しい仕事をしている暇があったら、あんたが選挙民に約束した特殊法人や特会を追及しろ!
 小宮山が、刺殺された石井紘基議員の補欠選挙で勝ったのは、「石井議員の意志を引き継ぐ」と選挙民に約束したから当選できたんだ。
 だが、引き継いだのは選挙区だけで、石井氏が取り組んだ、特別会計や特殊法人問題などは、当選後は知らん顔。
 完全に選挙民を裏切っている。政治とカネの問題をどうのこうの言うよりも、自分の掲げた公約に責任持て!
 本来ならば、娘の石井ターニャ女史を後継に、という声が大きかったが、まだ若いという理由だけで外され、ターニャ女史は小宮山の選挙応援をさせられた。
 その応援中にあまりに小宮山が、父である「石井こうき」の名前を連呼するので、「本当にこの人は父の意志を継ぐ気はあるのか。ただ名前を利用しているだけではないか」と当時の密着取材で語っている。

 その憂いが今や現実のものとなり、官僚が欲しいままに国民の税金を勝手に使っている特別会計に切り込むのでもなく、小沢憎しの一点で党のカネに切り込んでいるそんな姿を見たら、石井氏がなんて言うだろうか。
 小宮山洋子の選挙区は、私が住んでいる同じ世田谷区で、何回か演説にも立会い、ミーティングにも参加したことがある。とにかくあの笑顔で誤魔化されてしまう。
 だが言っていることはかなりキツイ。
 昨年の大久保秘書逮捕から、私のこの人を見る目は180度変わった。
一番最初に小沢さんに食って掛かったのがこの人だった。
≪「政権交代のための態勢をとることが第一だ。本当はここでお引きいただくのがいい。お詫びや言い訳をしながらでは厳しい選挙を勝てるとは思えない」と主張、民主党内で初めて公然と小沢の辞任を要求した。≫
 それから、この人を見るたびに、無意識の中でいつも付きまとっている"ある想い"があり、拒否反応的に嫌悪感を感じ、嫌な空気が漂う。
 それは、小沢さんに対する批判的言説もあるが、それ以上に石井氏の死去にともなう補欠選挙で参院から鞍替えして当選し、意志を引き継ぐどころか、こんにちまで何もしなかったことに対する怒りと無念な想いである。
 石井こうき氏が草葉の陰から嘆いているのが聞こえてきそうだ。
********** ******
 さて、そんな謀略の限りをつくす仙谷が、かつて、同じく小沢阻止に動いた時があったという。
 (まあ、民由合併の時も、若いもんをつついて、鳩山さんを脅して引きずり下ろしたが・・・)
 それを、先日紹介させていただいた、 『泣かない小沢一郎(あいつ)が憎らしい』から抜粋させていただく。
 「偽メール事件」で民主党に、強烈な危機感が生じ、後継代表に小沢さんの名前が浮上してきたときのことだ。
≪当時の状況について、自由党から小沢一郎に従ってきた或る議員は、こんな話をする。「前原誠司が民主党代表を辞任した頃、仙谷由人と、服役中の総会屋の癒着のニュースが出てきたんだよ。それは、獄中にいたWという総会屋が妻に宛てた手紙から露見し、それが小泉純一郎の飯島秘書の手に入ったらしい。小泉サイドから、仙谷由人に対して、それを表沙汰にしないための交換条件が提示された。絶対に、小沢一郎を、前原の後の代表にするな、という条件だった。これを、反小沢の急先鋒だった仙谷由人は、承諾した。この後、渡部恒三と手を組んで、『投票で次の代表を決めよう』と言えば、小沢は、身内の選挙が嫌いな男だから、絶対に立候補はしないだろう。だから投票で決めよう、と騒いで、小沢を下ろそう』という読みで話がつき、選挙になった。(P243)≫
 ということだ。結果は小沢さんが圧勝し、代表になった。
 ちなみに、この中に出てくる総会屋が、昨日のエントリーで書いた最後の総会屋・小川薫氏である。
 このとき、小沢さんが敷いたのが本当の意味でのトロイカ体制で、小沢代表、菅代表代行、鳩山幹事長だった。
 今回、このトロイカ体制という言葉に鳩山さんはコロッといってしまったようだ。
 以前より書いているが、鳩山さんは民主党を結党した人であり、とにかく民主党を守りたい、基本的には分裂させてはいけない、という意識が強い。
 今回はそこを突かれたようだ。
 そんな現状に、私がツイートしたものをまとめてみた。
≪鳩山さん、もういいよ、伝書鳩に徹するのは。カンさんは偏向報道の末の捏造世論調査で舞い上がっていてほくそ笑んでるんだから。挙党一致も上っ面で聞く耳なんぞ、最初っから塞いでるんだから。
 表面的な「トロイカ体制」なんて口では何とでも言える。今までのカンの発言と行動は、許すことはできない。「政治とカネの問題で国民にある種の不信を招いた。しばらくは静かにしていただいた方が本人にも民主党にも日本の政治にとっても 良い」これは絶対に許せん!
 首相と小沢氏31日会談へ 鳩山氏が仲介(共同) http://bit.ly/ceDa8N メディアは会談を既成事実化しようとしている。小沢さんがまだ何も返事もして無い段階で、もし、断ったらトロイカ体制を組む気がないと、てぐすねを引いて待ち構えている。
 鳩山さんは優しすぎるというか甘すぎる。小沢さんは絶対に会談という罠にはまったらダメだ。参院選で既に民意がはっきりカン政権にNOを突きつけた。こんな短期間で官僚に取り込まれた政権には、国民中心の政治などは出来るわけがない。小沢さんは絶対出るべきだ!
 メディアは(小沢・カン)会談を既成事実化しようとしている。小沢さんがまだ何も返事もして無い段階で、もし、断ったらトロイカ体制を組む気がないと、てぐすねを引いて待ち構えている。≫
 明日の公示までは何があるかわからない。
 一ついえることは、17年待ったんだから、どんなことになろうとも、日本の将来のためにも、これからも小沢一郎を支持していくことには変わりは無い。

『泣かない(あいつ)小沢一郎が憎らしい』世川行介著2010-09-01 | 政治/検察/メディア/小沢一郎


記者会見のオープン化/本来、政府の公的な記者会見への参加は一部メディアに限定されるべきものではなく

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「公的な記者会見の全面オープン化」に関する要望書
 by: fpaj - 2011年9月2日 金曜日

内閣官房長官 藤村 修 殿
「公的な記者会見の全面オープン化」に関する要望書
平成23年9月2日
 野田内閣が発足するにあたり、民主党が政権交代前から約束してきた「公的な記者会見の全面オープン化」に関して、下記の通り要望いたします。
 本来、政府の公的な記者会見への参加は一部メディアに限定されるべきものではなく、取材・報道を目的としたすべてのジャーナリスト等に幅広く開放されるべきものです。報道の多様性と自由な取材機会を保障することは、民主主義国家であれば当然に認められる権利です。
 憲法で保障された「言論の自由」が損なわれることのないよう、一層の配慮をお願いします。

1. 内閣総理大臣記者会見、官房長官記者会見への自由報道協会所属記者の参加
以上
 
自由報道協会 代表  上杉 隆

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ニコニコニュース 小沢一郎記者会見 一問一答2011-01-28 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 ニコニコニュース【速報】小沢一郎記者会見 一問一答 NCN 1月27日(木)18時13分配信
 近く強制起訴される見通しの小沢一郎・元民主党代表が、2011年1月27日、「フリーランス・雑誌・ネットメディア有志の会」の主催により記者会見を開いた。
司会・フリーランス 上杉隆(以下、上杉):小沢さんは1993年に自由党を立ち上げた時に会見をフルオープンにした。その後、新進党、自由党、民主党になってからも一貫してオープンで、フリーランス、海外メディア、雑誌、インターネットなどの媒体にもきちんとした形で色々な話しをしている。その中で93年の同じ時期、記者会見会見は「サービスだ」と言ったと報道されたが、その真意は。
小沢一郎(以下、小沢):その言葉が一人歩きしまして、長くマスコミの皆さんから批判されたのですが、我々の仕事も、政治家も、あるいは行政も、国民の皆さんに対するサービス。それをできるだけ国民の皆さんのためにやるということではないかと。そういう意味で、公共サービスは色々な使い方をされているけれど、それが、「してやってやる」というように捉えられたのが誤解の元ではないか。
上杉:記者会見というのは公的な機関で開かれており、当然国民の共有する情報である。公人の会見はどの国でも開かれているが、日本では「記者クラブ」という形でうまくいってない。小沢さんが言ったのは、公共、公財が記者会見だと。全員が公平に会見に入ろう、という意味が、20年間逆に伝わっていた。20年間心折れることはなかったか。
小沢:(笑って)気分はよくないですけどね。報道の中身が正しいか間違っているかは別にして、受け取る一般国民の皆さんが、特に最近はインターネットをはじめ色々な媒体が増えているので、少しでも国民の皆さんに、正確な、公正な情報が伝わるようにしなくてはいけない。そのためには我々もできるだけ、気分的には嫌々ながらでも、一生懸命勤めなきゃならないと思っている。
上杉:今日は、インターネット媒体がほとんど。ニコニコ動画、ビデオニュース・ドットコム、Ustreamなどで加工することが無い。多様な価値観のもと、多様な質問をさせて頂きたい。
 小沢さんが中国を訪れたときに習近平さんが「天皇陛下に会わせろ」と言ったことが、傲慢だというような報道がされている。対中政策のなかでそういうことが行われたのか、事実なのか。
小沢:中国は超大国ひとつでもあるが、大きい国であろうが小さい国であろうが、日本の事実上、憲法上の元首である天皇陛下、しかも世界で唯一の長い伝統・歴史のある天皇陛下に、外国の、しかも共産主義を国の国是としている中国の、次のボス、ヘッドと思われる人が何としても会いたい、拝謁を願い出ているということは、日本にとっていいことだし、誇らしいことだと思っている。両国の友好関係を推進するという意味に置いても、日本の天皇陛下に会いたいという熱い思いが、彼らにあるということは、日本にとってもいいことじゃないかなと思って、これは天皇陛下にお聞きすれば必ずお会いするというに決まっていると、一行政官僚が判断する話しではないだろうという話をして、内閣としてもそれはそうだということで実現した、というそれだけのこと。
フリーランス 岩上安身(以下、岩上):ウィキリークスが伝えたところの情報に関連したことを聞きたい。今年2月3日(発言ママ)、ソウルでカート・キャンベル米国務次官補が、韓国の大統領府の金星煥外交安保首席秘書官のと会見をして、民主党政権は、これまでの自民党政権と全く違うと、やりづらいと。この時は、鳩山政権で、岡田さんが幹事長時代だったが、当時の岡田克也外相、菅直人財務大臣ら次の世代のメンバーに働きかけをしようという話し合いが持たれた、という会談内容が暴露された。これは、次の世代、今の菅政権、それから岡田さんの鳩山政権時代と全く違うスタイルを見ていると、アメリカからの働きかけによって政策や政権運営のスタンスが変えたのか、という気がしてならない。この2月3日の前日2月2日、小沢さんはキャンベルと会談されている。もし、小沢さんに対しても働きかけがあり、小沢さんがアメリカの言い分を呑んでいることがあったら、アメリカは鳩山政権、小沢さんが支えていた鳩山政権を認めて存続を願ったかもしれない。しかし、それをひっくり返してでも、違う政権を望んだという推測も成り立つ。キャンベルとの話し合いはどういうものであったのか。明らかになった会談の内容で、アメリカの圧力はどんなものであったのか、結果として菅政権はどのように変化したのか、小沢さんの考えをお聞きしたい。
小沢:ウィキリークスの事実確認をしていないし、する術をもっていないので、本当かどうかわからない。論評することはできない。庁院内幹事長室で、確か、彼と大使と一緒においでになって、会いたいということで、外交に関することは担当していないので結構ですと言ったのだが、どうしても会いたいと言うので会った。アメリカから圧力という類のものは一切感じていない。もし、やりにくいやつという印象を、彼が本当に持ったとしたら、多分僕のことですからズケズケと色々なことを言いましたから、驚いたのかもしれません。僕の知ってるアメリカの友人、政府・民間移動が激しいのでどちらというわけではないが、少なくとも私の性格やら主張やら、きちんとわかってくれている人もいっぱいいるので、初めてだったので、こんなに生意気な日本人がいたと思ったのかもしれません。内容は、特別の二国間関係の話ではなかったと思う。訪米の話があって、いいですよと。そちらが来いというなら、行ってもいいですみたいなことを言ったような気がするが、その中で、若干アメリカ政府の対応について、厳しいことを言ったかもしれない、気がする。政策的な話でなくて、中国で国交回復35周年ということだったので、盛大にやろうと大勢人数で行っただけの話であって、僕は20年以上前からやってますし、自民党を出てからはずっと野党だった。野党であるにも関わらず、党首であれ、そうでないにも関わらず、中国では準国賓で迎えてくれたというような話をしましたね。アメリカにはそういうことは無いけれども、ということを言ったかもしれません。そこが中国というのは先を考えて、僕にどうこうするというわけでなく、日本との先を考えて、読んで、ちゃんときちんとやるし、それから個人的には中国との草の根活動をやってますし、そういう意味で彼らは信義を重んずるということは間違いないですから、私の正義を汲んでくれていたということは、裏打ちになったのかもしれない。そのような類のことは話した。日米関係では、僕はジョン万次郎の草の根交流をやっているし、その他の子どもたちを呼んだりもやっているし、そこの違いが若干あるという話しをしたかもしれません。
岩上:菅政権になってから、今の政権と前の政権と比べると、政策をどんどん変わっている。党運営のやり方もかなり変えている。挙党態勢とは言えない。明らかに我々が2009年に思っていた民主党と違う。小沢さんはどうかんがえるか。
小沢:おっしゃった点は、私も心配している。本来の民主党、初心を忘れず謙虚に、勇敢に、勇気を持って国民との約束の実現に向けて頑張るという姿勢が必要だなと思っている。その他のことについて、アメリカのそういった直接、間接の働きかけによって変わったということはないだろうと思う。現実に、この間、日米関係が基軸だと突然おっしゃられたが、菅さん自身のそうした方がいいという判断でやっているのではないか。
週刊金曜日 伊田浩之:以前「グランドキャニオンに柵は無い」という表現で、「新自由主義」を主張していると見られていた。今は、セーフティネットをしっかり張らねばならないと言われている。ということは、市場に、マーケットにすべてを任せるだけではうまくいかない、と変わったのか。変わったならなぜかわったのか。
小沢:「グランドキャニオンに柵は無い」ということは、危険であることは当たり前の話で、別に仕事で行ってるわけじゃなく、プライベートな観光で、九分九厘の人は行っている。欧米的な考え方で言えば、プライベートなことまで政府や公的な機関が責任を持ってやる必要はない。自己責任で、自分で危ないことわかって端っこの方や、谷間へ降りたり行っているのだから、どうなろうが自分の考え方でやって下さいと。私も自分自身のことは、自分で判断し責任をもつ、自立が必要だということは全く変わってない。政治、行政、金融、国民全体の生活と安定、平和そういうものを考えた場合には、好きなように勝手にやれ、という範疇のものではないし、それでは政治ではない。そこは弱いもの、強いもの能力に差があるし、そこを少なくとも憲法の条文でいえば、健康で文化的な生活を営む権利を有するという、そういうみんなが安定した生活が営めるようにと、その上での自由競争というのが、本当の意味での憲法の精神でもあり、自由主義というものの本来の、近代的な考え方だと思う。小泉改革なるものが、規制の撤廃だけバンバンその部分だけを推し進めたゆえに、格差社会というゆがんだ社会を作りだしてしまった。これは自由競争も野放しすれば弱肉強食ですから、当然、政治の立場としては、大部分の多くの人が安定した生活を送るようにきちんと作っていく、後は自分で行うというのが、近代自由主義、新自由主義の理念というものではないかと思う。
日本インターネット新聞社 田中龍作:小沢さんほど「記者クラブ」メディアによって悪役のイメージが作られ、国民の頭にすり込まれた政治家はこれまで史上例がない。記者クラブは百害あって一利なしだと思うが、小沢さんにとって記者クラブメディアの新聞、テレビ、通信社というのはどういう存在なのか。
小沢:あまり記者会見する意味がない。(会場から大笑い)いくら言っても、説明しても、全くわかってくれないし、報道してくれないし、なんのために記者会見するのかわからない。同じ記者会見でも、外国人特派員協会の記者会見は、その意味ではスッキリしていい。要するに意見が違ってても、自分の意見をきちんと言いさえすれば、あなたの意見はそうなったのねと、解ったと、となる。最近はあんまり行かない、また片言隻句を採り上げられて、余計なことになってはいけないから行きませんけど、そういうことなら記者会見はいいと思う。
フリーランス 畠山理仁:国民の税金の使途に対する目が厳しくなっている。首相官邸、各省庁には記者室と称する無料のオフィスがある。それは記者クラブの記者たちが独占的に使用している。現在、各記者クラブは「財政が厳しく増税をしなくちゃいけない」と一生懸命言っているのに、不思議なことに都心一等地の記者室の家賃を一円も払っていない。報道に携わるすべての人にオープンであれば、国民の知る権利の代行者として、記者室を無料で使うことは十分にありえるが、現在記者クラブは閉鎖的で、記者室の無料占有だけでなく、記者会見の場にもフリーの記者を入れずに排除して入れないようにして情報を独占にしている。総務省では記者クラブのために用意された職員が、記者室で使う枕を繕っている。こういった現状を小沢さんはご存知か。特権的、閉鎖的な記者クラブへの便宜供与について、仕分けをしたり、応分の負担を求めたりしていく考えはあるか。
小沢:そういう細かなことだけではなく、もっと大きな既得権が認められていると思う。その意味では、もっとフェアなお互いのメディア同士の、フェアな競争、そのためにはオープンで、そういう風にならなきゃいけないだろうと思っている。今の状況は、いわば政治家のほうに最終的には全責任あるわけだが、僕はそれはよろしくないと、もっとフェアに、そして誰にでも公平公正にするべきだと思っている。
フリーライター 村上隆保:厳しい質問だが、近いうちに小沢さんは強制起訴される見通しだが、その後の政治家としての活動はどのようにするつもりか。
小沢:国民の皆さまの要請に従って行う。変わりない。
ニコニコ動画 七尾功:今、(ニコニコ動画には)4万7,000人の方、若い視聴者がこの会見を見ている。小沢さんには初めて質問させて頂くが、視聴者から質問を募集していて、それを代読させて頂く。小沢元代表の政治理念についてお伺いしたい。小沢さんはよく議会制民主主義の重要性・定着について発言している。これは政治家小沢さんとしての基本理念のひとつだと思うが、小沢さんの言う「議会制民主主義」とは何なのか。なぜそれが我が国において重要なのか、改めて教えて欲しい。
小沢:政治は国民みんなのため。物事を決めるにはみんなで話し合って、最終的には多数決で決める以外ない。いずれにしてもみんなで話して決める。民主主義は直接民主主義と間接・代議制民主主義というのがある。スイスは直接民主主義をとっているが、小さい地域や小さい人数ならば全員参加して決めればいいことだが、大きくなると全員参加は物理的に不可能になり、代議制ということになる。結局、国民の代表選んで、物事を決めて政治を行うことになる。それが議会制民主主義。1億2,000万人全員が集まって議論して決めるというのは、物理的に、あらゆる意味で不可能なので、結局みんなの代表を選んで、代表を通じて物事を決めていく。それがごく当たり前の帰結なので、みんなの意見を交わしてみんなで決めていく。それが議会制民主主義。別な言葉では政党政治ともいえる。一人では出来ないので考え方が似た人が集まって政党を決める。議会制政治は政党政治ともいえる。いずれにしろ、基本は国民みんなが話し合って、結論を出そうということ。
七尾:今、議会制民主主義の定着に、問題があるということは。
小沢:日本は、まだそういう習慣、発想、風土が定着していない。特に明治以降の近代で、遅れを取り戻せということで、中央がものを決めて、みんなで一致団結して頑張ろうということでやってきましたから、みんなの意見を戦わせて、集約して、物事を決めるという民主主義の習慣が定着していないので、それを早く定着させたい。
ビデオニュース・ドットコム 神保哲生:具体的な政策について伺いたい。イギリスでイラク戦争の検証という作業が行われている。イラク戦争が結果的にアメリカが大義として掲げていた大量破壊兵器も見つからなかったし、アルカイダとのリンクも立証されなかった。要するに間違った戦争だったのではないかということを前提に、なぜイギリスはそれを支持してしまったのかを検証しており、先週、ブレア元首相が調査会に呼ばれて厳しい質問がされた。一方で、日本もイギリスと同時期に強い語調でイラク戦争を支持し特措法を定め、自衛隊も送っている。日本ではこれに対して検証しようとする動きが今のところまったくと見られない。以前、岡田幹事長に政権交代があったのだからこういう時こそ検証すべきではないかと申し上げたのだが、実は特措法は民主党も賛成しているからとお答えを頂いて、どうもそれをしようとする動きがなかった。小沢さん自身がこのような調査会で、あの戦争がなぜ日本は真に受けてイラク戦争を支持したのか、正しかったのか。まず、それが必要だったのかを一点。それが必要だということであれば、小沢さんがそのような調査を呼びかけて先導するつもりはないか。
小沢:英国は民主主義の最も先進国といわれ、それが定着している国でもある。色んな問題でそのような検証作業が行われているのではないかと思う。日本の場合では、私は参加すべきではないと思う。国連の活動ではないので、参加は憲法上許されないと思っている。その趣旨で発言してきた。イラク戦争そのものの善し悪しの検討、それと同時に日本の在り方としての、考え方としての、両面あるとおもう。例えイラク戦争が大量破壊兵器が現実に見つかって、アメリカの言う通りであっても、国際社会の合意を得ないものに、日本が軍事力を提供するというのは、憲法に違反している、という考え方だ。両面あるが、日本にとってはその1点だけの検証でいいと思う。僕一人ではそういうことだが、党なら党、政府なら政府の中で、きちっとした考え方を取りまとめる作業が必要だと思う。
大川興業 大川豊:金正日料理人の藤本健二さんと親しくしている。ずっと話をしてきたが、金正恩氏の性格からして、最初にまず哨戒艦の海軍で、次は陸軍か空軍に花を持たせるのだろうという風にお互い話をしておりまして、そうしたら延坪島砲撃の陸軍があった。次は空軍でないかと思う。中国との太いパイプを持っている小沢元代表に、北朝鮮にどう対応していくのがいいのか。2月16日が誕生日なので、何か大きな動きがあるかもしれないので、お伺いしたい。
小沢:北朝鮮全体の話としては、背景は中国ですから、中国が了承せずして戦争も始められませんし、何も実質的には大きな事はできないと思う。中国の朝鮮半島の基本政策は、「現状維持」だと思う。今の金王朝をいいと思ってるかどうかわからないが、良くても悪くてもこれを倒してどういう政権を作るか、現実には難しいから、現状維持だろうと思う。中国が今のままの中国である限りは、大動乱も起きないし、結果としては今のまま推移すると思う。中国の動向次第だろう。
NPJ 日隅一雄:議会制民主主義の定着の前提として、国民、有権者が必要な情報を入手できることが前提となっていると思う。情報公開の問題や機密費の問題、あるいは例えば捕まった人が自分自身の情報を得られるかなど、色々な場面で情報を得ることについて、日本は十分に機能していると考えているか。また、これまでどういう対応をしてきたか。
小沢:私はずっと以前から、日本をフリーで、フェアで、オープンにするべきだと主張してきた。あらゆる分野で、もっとオープンな社会にしなくてはいけない。そうしないと情報が国民に開示されないということになる。ただ、アメリカほど何でも出せばいいかはわからないが、欧州並くらいには社会としてオープンに、日本はしなくてはならない。日本とアメリカは、どっちかと言うと両極端。そのためには、国民自身が「情報が欲しい」とならないと、そしてその情報を咀嚼して判断する、という習慣が身につかないと意味がない。国民の側がもっと成長して、官庁も民間も情報を出せ、というようにならないと、現実的にはオープンになってこないんじゃないかと思う。要するに国民次第。
(不明):卵が先か鶏が先かに思うが。
小沢:それは国民が先だ。主権者だから。国民がきちっとしなければ。国民と同じレベルの政治家しか出ないとよく言う。それが民主主義の本質。国民がもっと自覚して賢明になることだと思う。
フリーランス 島田健弘:デフレについて伺いたい。今の日銀総裁の人事は、小沢さんが反対して白川さんに決定した。日銀の金融政策はまだまだ不十分。総裁の選出について、振り返ってどう思っているか。また、小沢さんなりのデフレの脱却の策があれば教えて下さい。
小沢:基本的に私は、天下りは全面禁止にすべきだと思っている。考えは変わらない。そのためには、役人だって食っていけなきゃいけないから、ちゃんとした身分保障も考えないといけない。その両方ができて、はじめて天下りは無くなると思う。英国の官吏の制度を勉強すればすぐわかると思う。今のデフレの景気、経済は、金融政策によって解決する余地は狭まっていると思う。ずっとゼロ金利をしてきた。そうなると、ひとつは財政の出動。もうひとつは個人消費を高めることを考えないといけない。アメリカではGDPの7割が個人消費、日本は6割。そのためには、やはり将来の先行きの見通しを、きちんと国民自身にわからせるような政治を行うこと。それから、富の配分をもう少し一般の人たちに手厚く配分すること。例えば、少し前に景気がいい、史上最高の景気だと言われることがあったが、そのときも株主配当と経営者の所得は大きく増えたが、一般勤労者は7〜8%所得が減っている。これでは、社会保障、年金も何か訳がわからない、所得も減る、個人消費が伸びるわけがない。私としては二本柱、個人消費が伸びる手立てをきちっと考えること、それから必要な財政出動をするべきだと思う。財政出動だと言うと、何でも国債をバンバン発行するイメージになるけど、そういう意味で言ってるわけではない。いくらでも有効なお金の活用がもっとあると思う。そういう意味の効果的な財政出動。この二本柱だと思う。(了)

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オープン化した首相会見で、あえて「質問」しなかった2010-04-01 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 オープン化した首相会見で、あえて「質問」しなかった筆者の思い【週刊 上杉隆】
DIAMOND online 2010/04/01
 2010年3月26日、鳩山首相の記者会見がオープン化された。政権発足から約200日、ずいぶんと時間はかかったものの、これで総選挙前の「公約」の一部を果たしたことになる。
 その日の会見では、これまで記者クラブの壁によって参加を認められなかった、フリーランス、ネット、海外メディア、雑誌の記者の一部が参加し、質問をすることも可能だった。「オブザーバー」としての参加までしか認められなかった過去のクラブ主催の会見と比較しても、これは日本の憲政史上特筆すべき画期的な出来事である。
 ところが、案の定といっていいだろう、記者クラブメディアからの反応は極めて芳しくない。批判的であるならばまだしも、中には一文字も報じずに「黙殺」を決め込んでいる読売新聞のようなメディアもある。
会見の記者クラブ独占は「人権侵害」で「日本の恥」
 そもそも記者会見のオープン化は、国民の知る権利や情報公開の見地から言っても、ジャーナリズム自身が追求すべきことである。それは先進国であろうが、独裁国家であろうが世界中で不断に行われているメディアの当然の仕事のひとつだ。
 ところが日本の記者クラブメディアだけは逆なのだ。戦後65年一貫して自らの既得権益を守ることに汲々とし、同業者を排除し、世界中から批判を浴び続けているにもかかわらず、自らの都合のみでその不健全なシステムを維持してきた。
 それはまさしく、「カルテル」(孫正義ソフトバンク社長)であり、「人権侵害」(日本弁護士連合会)であり、官僚と結託して国民を洗脳し続けていた「日本の恥」(米紙特派員)なのだ。
 そうした背景から、会見当日、フリーランスのジャーナリストとして初めて発言の機会を得た筆者は次のように「質問」したのだ。
〈先ほど朝日の記者が、総理はもう少し記者会見を開けということだったんですが、全く同感ですが、ただ、回数ではなく参加した記者、いわゆる国民にもう少し開いた形でやっていただきたいと思います。まずお願いです。
 今日は、そうはいっても記念すべき日になりました。先ほど総理も言及されたので、あえて記者クラブ、そしてこのクラブの会見の主催権、官房機密費の問題、あるいは官房長官の問題については、とやかく申し上げません。
 ただ、随分と経ちましたが、総理が日本の民主主義にとって貴重な一歩となる公約をお守りいただいたことに、まずは敬意を表します。
 そして、戦後65年、これまで国民の知る権利、情報公開の立場、会見のオープン化に向けて努力をしてきたすべての人々、それから世界中のジャーナリストに代わって御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。質問はありません。以上です〉(首相官邸HPより)
http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201003/26kaiken.html
 この「質問」に対しての記者クラブメディアからの反応は予想通りであった。翌日の朝刊は、筆者に対して批判的な論調で占められた。
〈会見の開放を求めていたフリー記者の上杉隆氏は「世界中のジャーナリストに代わってお礼申し上げたい」と首相に感謝したが、「質問はありません」と質問しなかった〉(毎日新聞)
http://mainichi.jp/photo/news/20100327k0000m010074000c.html
〈フリーの記者からは会見オープン化を一層進めるよう求める質問が相次いだ。「世界中のジャーナリストに代わってお礼申し上げたい」と意見だけ述べ、質問しなかった記者もいた〉(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0326/TKY201003260444.html?ref=reca
〈首相の弟、鳩山邦夫元総務相の秘書だったフリー記者は、首相会見のオープン化について「世界中のジャーナリストに代わってお礼を申し上げる。質問はありません」と賛辞を贈った〉(東京新聞 3月27日朝刊)
〈質疑自体は必ずしもかみ合わなかった。出席したフリーランス記者の上杉隆氏は「世界中のジャーナリストに代わって御礼申し上げたい。質問はありませ ん」と“珍質問”〉(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100326/plc1003261836031-n1.htm
(注・読売新聞はニュース自体を扱わず「黙殺」している)
 確かに、筆者は「質問」をしなかった。最初に記したように、それは本来ジャーナリズムがすべきことを、内閣総理大臣という権力側の人間に代行してもらっているという点で、何より「御礼」を述べたかったからだ。
 世界中で、ジャーナリズムが公権力に情報公開を進めるよう圧力を掛けつづけている。ところが日本だけは、公権力側がオープンにしましょうと言っているのに、メディア側がそれを妨げているというまったく異常な状態に置かれ続けている。見事に本末転倒している。
 告白しよう。その本末転倒を知らしめるために、筆者は首相会見の「質問」を確かに利用した。もちろんそれは戦略的に行なったものであり、記者クラブ側の反応も予め想定していたものであった。
 まず「質問」をしないことで、NHKの生中継を観ている国民に、この世の中には「記者クラブ」という問題が存在させることを狙ったのだ。
 多くの日本国民は、所詮「記者クラブ」はメディア自身の小さな問題でたいした事柄ではないと「洗脳」されている。
 だが、記者クラブ問題は「メディア」の問題ではなく、霞が関および日本の統治機構全体の問題であることは、本コラムの読者であるならば説明は不要であろう。
 日本のメディアではタブーとなっている「記者クラブ」という文言を、あえて「質問」しないことで浮き上がらせたかったのだ。
 さらに、筆者は、鳩山首相に「讃辞」のみを贈ることで、会見のオープン化という仕事をサボっている記者クラブの記者たちへの「皮肉」とした。
 また、一時間という制限された時間内に、できるだけ多くのフリーランス記者の質問機会を確保するため、最初にまとめて「御礼」を述べ、回答を求めないことで時間の短縮を図ったのだ。
 これは後付けの言い訳ではない。その証左として、筆者の戦略と思考は、明日(4月1日)発売の拙著「記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争」(小学館)に記している。ちなみに脱稿は首相会見の3週間前、3月初旬のことだった。
 政権交代から200日。本来ジャーナリズムが果たすべき役割を代行してくれた鳩山首相に、改めて御礼を述べたい。

閣僚会見のオープン化「世界中のジャーナリストに代わってお礼申し上げたい。質問はありません」
小沢幹事長問題ではっきりした メディアと国家権力の危険な関係
「記者会見開放運動」卒業宣言! 上杉隆

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平岡秀夫法相 死刑執行は「考えていく」/ 死刑は教材か/「目には目を」の報復、すべきでない

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死刑 当面執行せず 法相意向
2011年9月3日 東京新聞 朝刊
 平岡秀夫法相は二日夜、初登庁後の記者会見で、死刑執行について「国際社会の廃止の流れや、必要だという国民感情を検討して考えていく。考えている間は当然判断できないと思う」と述べ、当面執行しないとの認識を示した。
 平岡法相は「大変厳しい刑。慎重な態度で臨むのは当然だ」とも指摘。法務省内に設置された死刑に関する勉強会の議論を引き継ぎ、整理した上で判断すると説明した。
 死刑をめぐっては、千葉景子元法相が昨年七月二十八日、民主党政権下で初めて二人の刑を執行。その後、法相に就任した柳田稔、仙谷由人、江田五月の三氏は一度も執行しなかった。
 また取り調べの録音・録画(可視化)の導入論議について、平岡法相は「目指すべきは全事件・全過程可視化だ」とした上で「ただ費用や効率などの課題を総合的に考えるべきだ」とも述べた。
 特捜部については「独走するようなやり方は改善すべきだが、特捜部が果たした役割は非常に大きい」として今後も存続すべきとの立場を明らかにした。
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〈来栖の独白2011/09/03〉
 聞き飽きた、もう。法相が代わるたびに「考えていく」である。「死刑」は、まるで法相と国民のための教材、「後回し」「先送り」可能な大人しい(永遠の)教材のようだ。だが、この人権と命に関する高邁な命題は、ポピュリズム(政治家や国民)が考え、判断する事柄ではないのではないか。「和をもって尊しとなす」(談合)精神風土の我が国にあっては、死刑についていくら考えても、感情を超克した「撤廃」などという結論は芽すら出ないように思えてならない。
 フランスのごとく、秀でて優れた人物が国民世論をリードして決断(英断)する以外、解決を見ないのではないか。
 「死刑に関して国民的議論を起こす契機に」と元法相千葉景子氏は2010年7月28日死刑執行し、8月には刑場の公開もしてみせた。が、メディアも国民も、死刑廃止論者の法相が執行命令書に判を押したことに騒ぎ、そして東京拘置所刑場を怖いもの見たさで眺めただけだった。どこからも死刑制度に関する真摯な議論はわかなかったように思う。そして直ぐに忘れられた。
 死刑は、教材ではない。。
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死刑執行 法相は職責から逃げるな
産経ニュース2011.9.5 02:55
 野田佳彦内閣の平岡秀夫法相は就任会見で、死刑執行について「国際社会の廃止の流れや、必要だという国民感情を検討して考えていく。考えている間は当然判断できないと思う」と語った。
 当面、執行はしないと述べたに等しい。だが、刑事訴訟法は死刑確定から6カ月以内に刑を執行することを定めており、「死刑の執行は法務大臣の命令による」と明記している。
 法相に就任してから考えるのでは遅い。職責を全うできないなら、最初から大臣就任の要請を受けるべきではなかった。
 民主党政権の法相は2年の間に千葉景子、柳田稔、仙谷由人(兼任)、江田五月の各氏に続き、平岡氏で5人目となる。この間に死刑が執行されたのは、千葉氏が法相当時の2人だけだ。
 最後の執行以降に16人の死刑が確定しており、死刑囚は過去最多の120人に達している。
 退任間際に執行命令にサインした千葉氏は死刑の執行にも立ち会い、「改めて死刑について根本からの議論が必要と感じた」と語った。千葉氏は執行後、死刑の存廃も含めた制度の在り方を研究する勉強会を法務省内に設置した。刑の執行が、勉強会設置のための政治的パフォーマンスに使われたように受け取れた。
 在任中に一度も執行しなかった江田氏は7月、「悩ましい状況に悩みながら勉強している最中だ。悩んでいるときに執行とはならない」と発言した。
 平岡法相の就任会見の言葉と酷似している。平岡法相もまた、死刑の執行を見送り続けるのではないかと危惧する理由だ。
 国民参加の裁判員裁判でも8件の死刑判決が言い渡され、すでに2件で確定している。
 抽選で審理に加わり、死刑判決を決断した裁判員らは、究極の判断に迷いに迷い、眠れぬ夜を過ごした苦しい日々と胸の内を、判決後の会見などで語ってきた。
 国民に重い負担を強いて、その結論に法務の最高責任者が応えられない現状は、どう説明がつくのだろうか。
 法相の勝手で死刑が執行されないことは、法や制度そのものの否定だ。裁判員の努力に対する愚弄だといわれても仕方あるまい。
 刑は粛々と執行されるべきものだ。法相はその職責から逃げてはならない。
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死刑 進まぬ議論/法相に執行を拒む権限はあるのか/法務大臣には死刑執行の法的義務は存在しない2011-08-13 | 死刑/重刑/生命犯 問題  
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法務大臣には死刑執行の法的義務は存在しない=安田好弘/死刑執行1年、千葉景子元法相決断の背景2011-07-29 | 死刑/重刑/生命犯 問題
  今回、千葉さんが、「死刑執行するのは法務大臣の義務だ」と言っています。実は、過去、法務省はそのようには言っていませんでした。これを言い始めたのは、後藤田元法相です。彼が1993年3月に死刑執行を再開した後に、自己の行為の正当化のために言い出したことです。彼に対しては、志賀さんや倉田哲治弁護士などが直接会って、執行をしないようにと話をし、彼はそれに対してよく考えてみるとか、団藤さんの本も実際に読んでみるとか、言っていたわけです。ところが彼は死刑を執行し、法務大臣には死刑執行をする法的義務がある、だから執行しないのは怠慢だし、執行しないならば法務大臣を辞めるべきだと、そもそも執行しない者は法務大臣に就くべきではない、と言い出したのです。今回の千葉さんも、詰まるところ同じことを言っているのです。
 私たちはその当時から、法務大臣には死刑執行の法的義務はないのだと言い続けてきました。これはスローガンとして言っていたわけではなく、法的根拠を持って言ってきたわけです。刑事訴訟法の475条第1項を見ていただければわかりますが、死刑執行は法務大臣の命令による、としか書いてないわけです。法務大臣が死刑執行をしなければならない、とは書いていません。これは法務大臣以外の者が死刑執行を命令してはならないという制限規定です。第2項に6ヵ月以内に執行命令を出さなければならない、となっていますが、これは法務省自らが訓示規定と言っているわけでして、絶対に守らなければならないというものではないわけです。
 法務省が言っていますが、法務大臣の死刑執行はどういう法的性質のものかというと、死刑執行を法務大臣の権限としたのは(権限です。義務とは言っていない)、死刑執行は極めて重要な刑罰なので、政治的責任を持っている人間しか命令してはならないものだ。法務大臣は政治的責任を負っているのだから、いろいろの社会的状況を考慮して、政治的な決断として執行を命令するのだ、という言い方をしています。ここからは義務だという発想は出てこないのです。法務省設置法という法律がありまして、法務省の責任や役目を示したものですが、3条、4条にはっきり書いてありますが、法務省の任務に、「基本法制の整備」、「刑事法制に関する企画立案」とあります。彼らの責務として法体制を改革したり改善したり、法律を新しく制定したり、法律を改正したり、ということがあるわけです。ですから法務大臣は死刑執行をすることが義務ではなく、死刑制度について改善したり、新しい死刑制度に関する企画を出したり、その企画が通るまで死刑執行を停止すると、いったようなことが法務大臣の義務としてあるわけです。千葉さんの発言は、これを完全に無視した発言であるわけです。
 さらに言いますと、官吏服務紀律という勅令がありまして、昭和22年に一部改正されており、国務大臣はこれに従わなければならないとされています。その1条には「国民全体の奉仕者として誠実勤勉を主とし法令に従い各職務をつくすべし」とあって、権限を行使する場合は、公僕として法律に則って職務を果たせという職務規範はあっても、死刑執行を命令しなければならないというような、羈束(キソク=つなぎとめる、拘束する)的に、必ず一定の行為を行わなければならないというような職務規範は予定されていないわけです。このように、法の規定からしても、また過去の法務省の理解ないしは解説からしても、法務大臣に死刑執行命令をする義務があるというのは、間違い以外何ものでもないと考えます。この点についても議論しなければならないと、私は思っています。
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死刑執行1年、千葉景子元法相決断の背景
神奈川新聞2011年7月28日
 昨夏の死刑執行と刑場初公開から1年経過するのを前に、千葉景子元法相が神奈川新聞社のインタビューに応じ、決断の背景を語った。千葉氏が死刑廃止論者だったため、波紋が広がった執行。「それまでの延長からすれば執行しないのが素直な選択だったかもしれないが、それでは他の課題も一歩も先に進まない気がした」と、刑場公開などを進めるため批判覚悟で決断したことを明かした。異例の立ち会いは、「明確な責任者が誰もいない状況で、国家の権能として死刑を執行するのは非常に無責任ではと感じていた」と説明した。
*批判覚悟で踏み出す
 千葉氏は一昨年9月、法相に就任。執行は参院選で落選後の昨年7月28日だったが、「法相就任時から、私は執行しませんと言って終われるのか、それでいいのかと思っていた」。
 本格的な検討を始めたのは昨年1月ごろ。実際に執行されることになる2人の記録の読み込みなどを始め、副大臣らとも議論を重ねた。いずれ執行を決断しなければならないと覚悟を固めつつあった。法務官僚から催促されることはなかった。
 このころ、想定外の事態が起きた。小沢一郎氏の政治とカネの問題が急展開し、法相が持つ検事総長への指揮権の発動に、与党内からも意見が来るなど忙殺され、落ち着いて検討する余裕がなくなった。
 選挙も近づいてきた。「死刑の問題を騒然とした選挙の中で扱われるのは本意ではない」。選挙後に最終判断をすべきと考えていた。
 落選により刑場公開なども実現できぬまま法相を退任すると思っていたが、菅首相は当面の続投を指示。これを受けて結論を出し、執行の手続きを進めたいと担当部署に伝えた。続投決定から数日後のことだった。
 執行時は法相として初とみられる立ち会いも行った。「死刑は裁判所が判決を出し、大臣が執行命令を出すが、執行にあたっての責任は誰が負うのか。少なくとも最終判断者が状況を知らないのは無責任、国家権力として責任があいまいという違和感がベースにあり、執行を決断した場合には立ち会わねばならないと考えていた」
 執行当日に所感を問われたときは言及を避けたが、1年後の今、こう語った。
 「法に基づき、形式的には厳粛な形をつくっているにもかかわらず、ああいう非人間的で無機質な死に方、命の絶たれ方とは、何なのだろうと、非常に違和感を覚えた」
*国民的な議論深めて
 昨夏の死刑執行命令とほぼ同時に、千葉景子元法相は刑場の初公開と死刑制度の存廃を含めたあり方を検討する勉強会の設置を指示した。背景には裁判員裁判の存在もあった。千葉氏は神奈川新聞社の取材に、「市民が死刑判決に関わるのだからこそ、裁判員だけが悩むのではなく、真っ正面から国民的な議論をしなければいけないと思った。そのための一つの資料が刑場公開だった」と語った。
 昨年1月ごろ、複数のメディアが法務省に刑場公開を求めてきた。関係幹部は困難との認識を示し、千葉氏と副大臣らも個別の請求は断るしかないとの認識で一致。ただ、「何もしないで、いいというわけにはいかない」と話し合った。千葉氏は何らかの公開が考えられないか関係幹部に持ち掛けた。が、反応を見て、そのままでは進展しないだろうと感じた。
 千葉氏が刑場公開と勉強会設置を指示したのは昨年7月。執行する意向の伝達とほぼ同時だった。死刑廃止論者だった千葉氏の命令による執行に対し、新聞の見出しでは「変節」などの文字が躍った。批判を受けるのが確定的な中、なぜ、踏み切ったのか。
 「論理的には執行しないまま、刑場の公開や存廃も含めて死刑制度を検討することはありうるが、現実的には一つ一つの課題を明確に区別し解決するのは難しいと感じた。全体的に動かし始めないと、一つも進まないと思った」
 「刑罰は国家の根幹、国家の意思そのもの。死刑制度を動かすには、法相としての責務を棚上げにしたままでは進まないと思った。信条に矛盾するが、法相として死刑問題を問いかけるには決断が必要と思った」
 勉強会は執行の9日後に開催、刑場公開は1カ月後に実現した。千葉氏は9月に退任、後を託した。以来、法相は交代が相次ぎ、法務省は大阪地検特捜部の不祥事を受けた改革に追われるなど、死刑論議は進展していない。一方、裁判員裁判では少年に対しても含め、8件の死刑判決(うち横浜地裁2件)が出た。
 「刑場公開などは動きだす契機になったと思うが、ようやく歩みだした段階だ。裁判員裁判では死刑にするかどうかの判断を市民が回避できるようにすることや、評決の仕方を検討する必要があるのではないか。勉強会は閉鎖的に終始せず、さまざまな意見や情報を国民に提供しながら議論を進めてほしい。議会も対立的な意見を乗り越え議論しようという努力がいささか欠けていたと、反省している」
 決断から1年。元法相は今、こう考えている。
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死刑 悩み深き森/千葉景子さん「執行の署名は私なりの小石」(朝日新聞2010/11/20Sat.)
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「死刑とは何か〜刑場の周縁から」より
 中公新書『死刑囚の記録』
 ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は禁止すべきだということである。
 日本では(略)死刑の方法は絞首刑である。刑場の構造は、いわゆる“地下絞架式”であって、死刑囚を刑壇の上に立たせ、絞縄を首にかけ、ハンドルをひくと、刑壇が落下し、身体が垂れさがる仕掛けになっている。つまり、死刑囚は、穴から床の下に落下しながら首を絞められて殺されるわけである。実際の死刑の模様を私は自分の小説のなかに忠実に描いておいた。
 死刑が残虐な刑罰ではないかという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。
 たとえば1948年3月12日の最高裁判所大法廷の、例の「生命は尊貴である。一人の生命は全地球より重い」と大上段に振りあげた判決は、「その執行の方法などがその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」として、絞首刑は、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」などとちがうから、残虐ではないと結論している。すなわち、絞首の方法だけにしか注目していない。
 また、1959年11月25日の古畑種基鑑定は、絞首刑は、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じないと推定している。これは苦痛がない以上、残虐な刑罰ではないという論旨へと発展する結論であった。
 しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。
 なお本書にあげた多くの死刑囚の、その後の運命について知りたく、法務省に問い合わせたところ刑の執行は秘密事項で教えられないとのことであった。裁判を公開の場で行い、おおっぴらに断罪しておきながら、断罪の結果を国民の目から隠ぺいする、この不合理も、つきつめてみれば、国が死刑という殺人制度を恥じているせいではなかろうか。
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「『神的暴力』とは何か(上)死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い」より
 暴力を抑止する贈与こそは、「神話的暴力」を克服する「神的暴力」の原型だと言ったら、言いすぎだろうか。チンパンジーなど大型霊長類の分配行動(贈与)は、物乞いする方が至近で相手の目を覗きこむといった、スキンシップにも近い行動によって誘発される。森達也が教誨師や(元)刑務官から聞き取ったところによれば、死刑囚は、まさにそのとき、一種のスキンシップを、たとえば握手や抱きしめられることを求める。死刑の暴力の恐怖を、身体を接触し分かち合う感覚が中和しているのである。
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「目には目を」の報復、すべきでない/6割以上が死刑賛成という世論に迎合せず、仏大統領は死刑を廃止した2010-10-14 | 死刑〈国際〉
 死刑制度:フォール駐日仏大使に聞く 「死刑廃止は民主主義の一部」
 ◇ミッテラン大統領の信念 決定後は存続派少数に
 今月10日は「世界死刑廃止デー」。欧州連合(EU)は同じ民主主義国として日本や米国の死刑制度に厳しい目を向ける。フランスのフィリップ・フォール駐日大使に、同国が死刑を廃止した経緯などを聞いた。【専門編集委員・西川恵】
−−大使の父(モーリス・フォール氏)は死刑を廃止する社会党のミッテラン政権の最初の法相でした。
 ・ミッテラン氏が81年5月に大統領に当選すると、死刑廃止を打ち出すため父を法相に任命した。しかし父は死刑廃止には賛成だったが優先課題ではなく、1カ月でポストを去った。代わって弁護士のロベール・バダンテール氏が法相になり、死刑廃止を打ち出す。
−−ミッテラン大統領の死刑廃止は信念ですか。
 ・大統領は選挙中から最優先の社会政策として死刑廃止を公約した。第一に死刑は犯罪の抑止にはならないこと。第二に、これはフランス人道主義の系譜だが、国家は野蛮な行為に対し野蛮な行為で応えるべきでないとの信念だ。犯罪には罰を与えなければならないが、目には目をの報復はすべきでないとの考えがある。最近、日本でも冤罪事件があった。万一、死刑に処した人間が冤罪だったら取り返しがつかない。第三に死刑廃止論者であるバダンテール氏の影響だ。同氏はフランスで最後の死刑囚となる2人の被告人の弁護をしたが、いつ死刑が執行されるかおびえながら過ごす非人間的な残酷さを大統領に説明し、大統領も深く納得した。
 ◇世論に迎合せず
−−当時、フランスでは世論の60%以上が死刑賛成でした。
 ・大統領にはドゴール(元大統領)に通じるものがあった。それは世論に迎合しない姿勢だ。死刑廃止は不人気のテーマで、人々は「我々は死刑廃止のために彼を選んだのではない」と言っていた。しかし大統領は選ばれたばかりで支持率は高く、廃止できると踏んだのだろう。
−−廃止法は大統領当選5カ月後の81年10月に公布されました。
 ・国民議会(下院)で363対117で可決された。興味深いのは死刑賛成だった世論は、廃止が決まると少数になった。政権が代わったら死刑復活を図るのではとの観測もあったが、そういうこともなかった。07年、政府が憲法を改正し、死刑廃止を条文に盛ることを諮った時、上下両院合同議会は828対26の圧倒的多数で認めた。死刑廃止はもはや不可逆だ。
−−EUは日本の死刑制度を批判しています。
 ・欧州にとって死刑廃止は、表現や集会の自由と共に民主主義の一部。日本に政治的圧力をかけるつもりはなく、友人としての勧告だ。ただ日本のような民主主義国で、死刑に対する疑問が生じないのは不思議だ。議論が起こることを望んでいる。
−−日本の世論の多数は死刑賛成です。
 ・政治家の勇気ある行動がなければ、何も起こらない。「さあ、やろう」という政治家が出ることが大事だ。そうでなければ世論は変わらない。
 ◇EU、日米に圧力強め
 民主主義、人権の価値を共有する日本とEUにとって、死刑制度はノドに刺さった骨となってきた。日本は「死刑制度の是非は各国が判断すること」とするが、EUは日本や米国に暫定措置として、一定期間の死刑執行停止を求めている。
 EUにとって人権秩序の構築は重要な外交目標で、死刑廃止要求はその一環だ。EUに加盟するには死刑廃止は条件で、トルコも加盟交渉を前にした02年、有事の時の国家に対する裏切り行為を除き死刑廃止を決定。世界的にも死刑廃止は広がりつつある。
 こうした中で、EUが厳しい目を向けるのが民主国家の日本と米国。EUは昨年、民主党政権で、死刑廃止論者の千葉景子氏が法相に就任したことを歓迎。フランスなど何カ国かの大使は同法相と面会し、死刑執行の停止を求めた。それだけに今年7月28日、2人の死刑囚の刑が執行された時、EUは失望を隠さなかった。
 人権問題で指導的役割を果たす欧州47カ国参加の欧州会議(本部・ストラスブール)で日本と米国はオブザーバーだが、死刑制度で改善がなければオブザーバー資格をはく奪することなども時折、検討されている。EUの死刑廃止圧力は今後さらに強まりそうだ。
毎日新聞 2010年10月14日 東京朝刊 
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人権と外交:死刑は悪なのか2010-11-26 | 死刑〈国際〉
 人権と外交:死刑は悪なのか/1 姦通罪で石打ち刑、イラン再検討
 ◇死刑廃止へ国際圧力 孤立する日本、論議自体を拒絶
 女は肩まで、男は腹まで地中に埋められ、5〜10人のイスラム教信者に死ぬまで石を投げつけられる。罪状が重いと石は小さくなる。大きすぎると、即死してしまうことがあるからだ。逃げられたら死なずに済むが、助かった話を聞いたことはない−−。
 パリで会った亡命イラン人のムスタフェ弁護士は、苦い表情で石打ち刑の様子を説明した。非公開なので執行現場を見たことはないが、遺体を確認しに刑場へ入ったことがある。血まみれの石や人肉が散乱していた。
 7年前にイラン国内で石打ち刑反対の活動を始めた。以来、7人は刑を執行されたが、10人の判決をむち打ち刑などへ変更させ、現在14人が石打ち刑の執行を待つ身だ。
 サキネさんもその一人。恋愛関係になった男が夫を殺害。殺人には関与していなかったが、姦通(かんつう)罪で石打ち刑を言い渡された。
 ブログや英紙を通じたムスタフェ氏の訴えに、欧州で反響が広がった。身の危険が迫ったムスタフェ氏は8月、ノルウェーに亡命して活動を継続。カーラ・ブルーニ仏大統領夫人が「フランスは見捨てない」と署名を呼びかけ、サルコジ大統領も外交演説で非難し、クシュネル外相(当時)は欧州連合(EU)全加盟国で圧力をかけるよう求めた。
 ◇反イスラム警戒
 反発していたイランが、適用する刑の再検討を明らかにしたのは10月。ムスタフェ氏は「イランは欧米のイスラム嫌いが広がるのを気にしている。政府は石打ち刑廃止の法改正も検討しているが、いずれは死刑廃止につながっていくのが怖いのだ」と解説する。
 姦通罪も石打ち刑も宗教に基づく法律も、日本とは別世界の出来事に映る。同じ死刑のある国とはいえ、日本の場合は罪状といい司法手続きといい処刑方法といい、全く異質だ。だが、その差をどう言い表せばいいのか考えると、実は難しい。イランよりは文明的な死刑……。はるかに人権を尊重した死刑……。
 死刑廃止をめざす欧州の非政府組織(NGO)の集まりで、01年から3年ごとに世界大会を開いているECPM(本部・パリ)。事務局長のシュニュイアザン氏が語った。
 「死刑は犯罪者より市民を怖がらせるためにある。イランの街角で人々の声を集めると、実は死刑反対が多い。国家が抑圧に利用していると理解しているのだ。核問題で国際社会が圧力をかけると、政府は世論の反発をあおって国粋主義に走るが、人権問題では国内世論の後ろに隠れることができない」
 イランは特異な死刑国家として、集中的に死刑廃止の国際圧力にさらされるが、外交の駆け引きを通じて、死刑の正否を自問している。日本が「世論の支持・安定した運用」を盾に、世界の廃止論議とほとんど没交渉なのとは対照的だ。
 日本でも裁判員裁判で死刑への関心が高まったかに見えるが、評決に加わる一般人のストレスを気遣うくらいで、死刑の是非をめぐる論議が起きているとは言い難い。
 ◇「特殊な国」
 一方、欧州では、嫌でも死刑廃止運動の世界的な勢いを実感する。今年だけでも、
 2月=ジュネーブで第4回死刑廃止世界大会。約100カ国の約1900人が参加。日本の死刑も議論に。
 5月=ピレー国連人権高等弁務官が訪日し、千葉景子法相(当時)に死刑の一時停止を要請。2カ月後、千葉氏は死刑を執行。
 8月=石打ち刑を巡り、イランとフランスなどEUが応酬。
 10月10日=世界死刑廃止デー。各地で集会。
 11月=国連人権理事会(ジュネーブ)の定期審査で、EU諸国が米国に死刑廃止を勧告。国連総会第3委員会(ニューヨーク)で、2年ぶり3回目の死刑執行の一時停止決議(日本は反対)。
 「死刑外交」と呼ぶべき世界があり、日本は廃止論議自体を拒絶している。「死刑は内政問題。自国のことは自国で決める」という立場だが、これは人権問題で非難される国が釈明する時の決まり文句にほかならない。
 廃止運動の側からも「日本は死刑が文化に浸透している」(シュニュイアザン氏)「社会の風景になっており、議論がないので別の観点で見ることができない」(仏社会学者ガイヤール博士)と半ば突き放した言葉が漏れる。
 死刑反対派と称していた千葉前法相による唐突な死刑執行は、事後に十分な説明や議論がないこともあって、「話が通じない特殊な国」という日本異質論に輪をかけた。
 「死刑国家の中の優等生」の座に安住するうち、日本は世界の流れの外に置かれている。論理は正しくても、持説に固執するあまり変化をとらえ損ねると、孤立していくのが外交の現実だ。
 日本の常識は、世界の潮流とどうすれ違っているのか。「死刑外交」のうねりと向き合えるのか。理解と議論の糸口を探る。【ジュネーブ伊藤智永】=つづく
毎日新聞 2010年11月22日 東京朝刊
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人権と外交:死刑は悪なのか/2 世論の85%以上が死刑支持
 ◇「日本に説得力なし」 西欧廃止派「議論ないことの表れ」
 85%を超える世論の圧倒的な支持−−。日本が死刑を維持する最大のよりどころだが、国際的な死刑廃止論議では、ほとんど説得力を持っていない。
 死刑が廃止か停止されている世界の3分の2の国で、「有権者の大半を喜ばすために死刑を廃止するなどということは、起きたこともないし、あり得ない」(仏社会学者ガイヤール博士)からだ。
 フランスの経験が示唆に富む。今でこそ死刑廃止運動の旗振り役を自任するフランスが、廃止に踏み切ったのは1981年、ミッテラン社会党政権が誕生した時。世論は死刑維持に賛成6割、反対3割だったが、新大統領は死刑廃止論で著名なバダンテール弁護士を法相に起用し、2人の政治リーダーシップで廃止を断行した。
 以後18年間、各種世論調査で死刑廃止賛成が反対を上回ったことは一度もない。むしろ凶悪事件の後など事あるごとに、死刑復活法案が約30回も議会に提出されてきた。世論は絶えずぶれる。
 ◇仏でも長い議論
 99年に初めて賛否が並び、やがて死刑反対5割・賛成4割と逆転してからは、傾向が定着。07年、憲法に死刑廃止が明記された時、議会は世論の賛否比率を大きく超える圧倒的大差で承認した。今後フランスで死刑が復活することはない。
 「まず社会での議論だ。普通の人々がお茶を飲み食事をしながら、死刑の賛否を話題にするくらいでないと始まらない。死刑賛成が6割に減ったら、次は政治の勇気。廃止されても、死刑反対が多数になるには教育が必要で、1世代はかかる。85%という数字は、まだ議論が行われていないことの表れだ」(ガイヤール氏)
 他の西欧諸国も、ファシズムによる大量処刑の反省(ドイツ)など、廃止のきっかけはまちまちだが、議論を基に政治が断行し、世論がためらいながら後を追う流れは共通している。米国でも、最近の廃止例は州知事の政治決断だった(ニューメキシコ州)。
 理不尽な仕打ちに報復したい、暴力に暴力で応えたいというのは、ある意味で自然な感情だ。残虐事件が起きると死刑支持論がぶり返すのは、死刑廃止国でも変わらない。
 ◇感情と司法ズレ、政治が懸け橋に
 「世論は胸と腹で考えるが、司法は頭で考えないといけない。被害者と遺族はいかにひどい目にあったか社会に認知を求めている。そのために死刑が役に立たないと分かるには時間がかかる」(パリ第10大学のデジヌ教授)
 渡るのに長い年月を要する感情と司法のずれ。そこに橋を懸け、世論が渡るのを待つのも、選良たる政治家の役割だという。
 死刑廃止の道筋は、日本の民主主義が迷路にはまっている世論の不確かさと政治のリーダーシップの関係に、ある試練の機会を投げかけているようだ。
 「議論を起こすための死刑執行」という千葉景子元法相の言い分は、議論と政治と世論の役割関係をごちゃ混ぜにしている点が、西欧の死刑廃止派を驚かせ、あきれさせた。それは日本の死刑廃止運動が、西欧の理屈を移植するだけで、日本の民主主義政治の問題として考えてこなかった底浅さの帰結でもある。【ジュネーブ伊藤智永】=つづく
毎日新聞 2010年11月23日 東京朝刊
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人権と外交:死刑は悪なのか/3 途上国で広がる死刑廃止
 ◇背景に弾圧、抵抗の歴史
 「中心課題は三つ。中国は、少数だが死刑廃止の模索が動き出している。米国も廃止する州の数は増えていく。一番難しいのはイスラム原理主義国だ」
 10月10日の世界死刑廃止デーに合わせて8日開かれたパリ弁護士会館の集会で、死刑廃止運動のシンボル的な存在であるバダンテール元仏法相は熱弁を振るった。
 中国の模索とは、反体制運動のことではない。司法界の中枢に、成長を続ける経済大国として、司法の近代化や社会の開放が進めば、死刑廃止も視野に入れなければならないという考えが生まれていることを指す。
 フランスは中国の司法官100人を招いて研修を行った。バダンテール氏は訪中した際、元検事総長から「機は熟していないが、将来は廃止へ向かう」と説明されたという。
 死刑判決はすべて最高人民法院が再審理し(07年)、死刑適用の罪の数を減らす(10年)といった微々たる変化も表れている。
 そもそも死刑の全容と実態が不明なので、「改革など信じられない」(アムネスティ)という反応はもっともだが、死刑廃止が政治主導で進む以上、死刑廃止運動にとって中国は、硬直した日本より変化の兆しが見えるという評価になる。
 「驚くことに、死刑廃止と民主主義の成熟度には、比例関係があまりない。独裁国で廃止されたり、民主主義が発達しすぎて廃止できないこともある」。ジムレ仏人権大使の指摘は興味深い。
 死刑廃止国が世界の3分の2に上るのは、南米やアフリカで広がったのが大きい。植民地からの独立、独裁者の交代といった政治の転換が起きると、死刑廃止は「前時代との決別」を印象づけるのにうってつけだ。新しい権力者たちは、死刑が権力の道具に使われる危険を知っている。
 「死刑は私的レベルでは報復だが、国家の力という本質も持つ」(仏社会学者ガイヤール博士)。弾圧や抵抗といった厳しい政治体験を通じ、市民が死刑に「国家の力」を見て取るか、報復という私的な次元にとらわれているかによって、死刑に関する議論も政治も世論も大きく違う。
 韓国は死刑制度は残るが、金大中政権以来13年間、執行がない。軍部による弾圧の経験が国民に生々しく共有されているからだが、凶悪犯罪に世論が憤激して死刑を叫ぶのは日本と変わらない。
 日本の死刑支持率が高止まりし、政治の動きも鈍いのは、死刑の理解が私情のレベルに偏っていて、国家の力を見て取る思考が貧しいからだ。しかし世界の現実は、死刑論議が各国の国際感覚や政治レベルを試す先鋭的な問題に他ならないことを示している。【ジュネーブ伊藤智永】=つづく
毎日新聞 2010年11月24日 東京朝刊
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人権と外交:死刑は悪なのか/4止 フランス、授業で死刑議論
 ◇「廃止は文明化の過程」
 「どうして大統領は何もしなかったの」
 「検事はなぜそんなにしつこく攻めるの」
 10月8日、パリ近郊の公立中学校。米国人女性キリヤンさんが、殺人罪で2度死刑を求刑され、服役16年目に冤罪(えんざい)と分かって釈放された体験を語ると、13〜15歳の生徒たちから率直な質問が飛んだ。憲法に死刑廃止が明記されている国とはいえ、日本では想像しにくい授業風景だ。
 「議論や教養、思想がなければ、自動的に死刑賛成になる。死刑廃止は文明化の過程の一つ。文明化とは教育だ。死刑廃止に教育は欠かせない」(社会学者ガイヤール博士)
 授業の後、生徒たちに意見を聞くと、「フランスの死刑廃止を誇りに思う」「国が殺すのは考えられない。人間的でない」「発展している国は廃止すべきだ」などの答えが多く、「日本には死刑があるの」と驚かれた。
 先進国で死刑を続けるのは今や日米だけ。日本に「死刑外交」での孤立感が薄いのは、どこかに「米国だって……」という甘えがあるからではないか。だが、日米の実情にはかなりの落差がある。
 米国の死刑廃止論議は欧州より古い。現在、全米で15州が廃止、残る35州のうち12州は10年以上執行がない。州議会や市民レベルで死刑の是非や処刑、公開の仕方について議論の積み重ねがある。
 72年に連邦最高裁が「死刑は残虐な刑罰に当たる」と違憲判決を出し、全米で執行が停止されたこともある(4年後に合憲判決)。02、05年には欧州での判例を根拠に、知的障害者と18歳未満の死刑に違憲判決が出された。
 「私個人も含め多くの米国人が死刑に反対し、死刑が制限されるよう提唱してきた」
 11月5日、ジュネーブの国連人権理事会で、欧州各国が米国に国全体での死刑廃止を迫ると、元米国務次官補のコー米国務省法律顧問は当たり前のように答え、耳目を引いた。米国は執行停止にも同意していないが、「死刑外交」での態度は、拒絶一辺倒の日本とは明らかに異なる。
 死刑廃止か存続か。論理を突き合わせても、なかなか黒白はつかない。それでも廃止論に勢いがあるのは、人間の理性と進歩を信じる限り、必ずや死刑廃止に行き着くべきもの、という理想に依拠しているからだ。
 新興国も途上国も世界の大勢は、これから発展しようと勇んでいる。先進国で流行の保守主義は理性と進歩の過信を疑うが、否定もできない。死刑廃止論は、理性と進歩を信じて変化を求めるうねりに乗って広がり、衰退気分に浸る日本は「今まで通りではダメなのか」と抵抗する側に押しやられている。
 文化や宗教、経済発展の違いはあっても、人権尊重は今や世界中が目指す理念となり、死刑廃止は人権普遍化のシンボルの一つになりつつある。【ジュネーブ伊藤智永】=おわり
毎日新聞 2010年11月25日 東京朝刊
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犯罪とゆるし アーミッシュの寛容
 自動車や電気を拒み、非暴力を貫く米国のキリスト教の一派、アーミッシュ。06年秋、彼らの学校を男が襲い、女児5人を射殺した。惨劇の直後、彼らは自殺した犯人の家族を訪ね、「ゆるし」を伝える。不寛容が襲う世界を驚かせた行動は何を教えるのか。ノン・フィクション作家、柳田邦男さんと、米国の研究者、ドナルド・クレイビルさんが語り合った。(
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アフリカ東部ソマリア 死ぬまで石を投げ付ける「石打ちの刑」による公開死刑2009-11-20 | 死刑〈国際〉
 「石打ち」で女性を公開処刑=ソマリア
 【ロンドン時事】アフリカ東部ソマリアのイスラム系武装勢力アル・シャバブの支配下にある村でこのほど、姦通(かんつう)罪で有罪を言い渡された女性(20)に対し、死ぬまで石を投げ付ける「石打ちの刑」による公開死刑が執行された。
 英BBC放送によると、離婚後に未婚男性と関係を持ったとされるこの女性は17日、約200人の群衆の目前で石を投げられ、死亡した。男性は100回のむち打ちに処されたという。
 アル・シャバブの支配地域では厳格なイスラム法が適用されており、アル・シャバブの解釈では、離婚後でも不倫と見なされる。支配地域で姦通罪で石打ちの刑が執行されたのは昨年以降で少なくとも4例目。(時事通信2009/11/19-06:28)
 *女性失明事件の加害者に「目には目を」の刑執行へ イラン
 2009.02.20 Web posted at: 12:21 JST Updated - CNNワールド イラン テヘラン(CNN)
 イランの裁判所で、女性の顔に酸をかけて失明させたとして有罪となった加害者が、イスラム法の「目には目を、歯には歯を」の原則に従い、同じ方法で失明させる刑罰を受けることが確定した。女性の弁護士によれば、数週間以内に執行される見通しだ。
 被害を受けたのはアメネ・バハラミさん(31)。2002年、大学で電子工学を学んでいた24歳の時、同じ大学に通う当時19歳のマジド・モバヘディ受刑者に出会った。モバヘディ受刑者はバハラミさんに近づこうとしたが、拒否されるといやがらせを繰り返し、「結婚を承諾しなければ殺す」などと脅迫した。
 2004年11月、勤務先の会社から帰宅しようとバス停へ向かっていたバハラミさんを同受刑者が襲い、顔に酸を浴びせた。バハラミさんは重傷を負って視力を失った。同受刑者は2週間後に自首して犯行を自供。2005年に有罪を言い渡され、以来収監されている。バハラミさんの弁護士によると、同受刑者に反省の色はみられず、「愛しているからやった」などと話しているという。
 イランでは通常、被害者が加害者に「血の代償」と呼ばれる賠償金の支払いを求めることができるが、バハラミさんはその代わりに、モバヘディ受刑者の目に酸をかけて失明させる刑罰を要求。昨年末に地裁がこれを認める判決を下し、同受刑者が控訴していたが、高裁が今月、棄却を決めた。
 一部の人権団体などからは「残酷すぎる」と批判の声が上がっているが、バハラミさんは「復しゅうが目的ではない。今後同じ思いをする人がないようにとの願いから決めたこと」と説明している。
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 (マタイによる福音書5、38〜) “目には目を、歯には歯を、と命じられている。しかし、わたしは云っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。(略)求める者には与えなさい。あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは云っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。(略)あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい” 

「民法大改正で喜ぶのは、学者と法律関係の出版社、弁護士だけ」後藤昌弘弁護士/ 『官僚の責任』古賀茂明著

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中日新聞を読んで 「民法大改正という問題」後藤昌弘(弁護士)
2011/09/04 Sun.
 3.11の大震災以来、最近では菅直人首相の退陣まで、紙面は大きなニュースに事欠かないが、将来大きな影響を与えるはずなのにほとんど報じられない事態が今水面下で進行している。それは、民法の大改正である。
 数年前から法務省で民法の債権法の改正が検討されている。既にパブリックコメントの手続きも終わり、来年あたりには具体的な改正案が発表されるかもしれない。しかし、なぜ今改正する必要があるのか理解できない。
 弁護士を30年あまりしているが、債権法全面改正の必要を感じたことは1度もないし、金融機関などの依頼者からも、そんな声は全く聞かない。必要なら部分改正で足ることである。
 民法、特に債権法は社会の基礎である。庶民でもクレジット・住宅ローン程度の契約書は経験する。企業ならば取り交わす契約書の量は膨大である。こうした契約書について、債権法が変われば全面的な見直しが必要となる。コストは莫大なものになるだろう。しかも、広告費などと違い、これは管理費であり、売り上げなど少しも全く貢献しない。完全に無駄なコスト負担を押しつけられることになるのである。
 債権法の改正で喜ぶ人は、本の売れる学者と法律関係の出版社、そして契約書の見直しで仕事の増える弁護士だけではないだろうか。官僚も、仕事が増えて人員増が見込めて、あるいは歓迎するのかもしれない。しかし、大多数の市民・企業にとっては、何のメリットもなく思われる。
 今、円高で経済は低迷している。震災の復興も必要である。推進論者は、判例理論を取り込むなど民法を分かりやすいものにするのだという。しかし条文数は今の約千条の数倍になると予想されている。大量の条文の理解は市民の大きな負担ともなる。1部の学者や官僚の手柄作りに国民が巻き込まれるとすれば問題ではないだろうか。広く論議を望みたい。
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〈来栖の独白〉
 民法大改正は恐らく官僚の「仕事増やし・人員増」が主たる目的だろう。3.11で、相当「仕事」は増え、「天下り先」も増えたと思うが。
 古賀茂明著『官僚の責任』〈権限争議という無益な争い〉に、以下のようなことが書かれてある。
p67〜
 権限争議と呼ばれるものがある。ひと言でいえば、省の縄張り争いだ。省の境界線上で、どちらが陣地を広げるかという争いである。ちょうど私が入省したころ、唖然とした記憶がある。
「次世代基盤技術研究開発制度」なるものを、通産省が創設すると発表した時のことだった。戦後、欧米先進諸国に追いつけ追い越せでやってきた結果、日本の科学技術は世界トップレベルになった。そこで、「これからはモノマネではなく、創造的な技術開発をしなければならない」との観点から--もっともこれは、いまもずーっといいつづけていることなのだが--具体化した構想だった。
 じつは、それまでこうした基礎研究は科学技術庁が担い、通産省は技術の商業化を推進するという役割分担がなされていたのだが、時代が基礎研究重視という流れになったこと、もっといえば、そう言えば予算が取れると通産省が踏んだことから、構想を打ち上げたのだろう。
 ところが、「基礎研究はわれわれのデマケ(デマケーション=領域)」、つまり、縄張りだとの認識が科技庁にはある。そこで科技庁でも似たような制度を立ち上げることになった。しかも、そのための新しい組織もつくる計画が立てられた。
 結果、予算を握っている大蔵省から「ほとんど同じだから、どちらかにしなさい」との指導があり、通産省と科技庁のあいだで連日、それこそ徹夜で協議が行われることになった。
 ただ、「やはり基礎研究は科技庁」というデマケがあるから、どうしても通産省は押され気味になる。そうして最終的には下りなければならなくなるわけだが、科技庁としてもあまりに通産省を痛めつけるのは得策ではない。業界に「科技庁の研究には協力するな」と注文をつけられかねないからだ。そこで、妥協策を探ることになる。結果、「科技庁はきちんと法律も組織もつくり、予算を取る。ただし、通産省にも大蔵省が予算だけはつけてあげましょう」となり、表向きは痛み分けで終わった。
 ただし、その裏では担当の局長どうしが相談し、「新しくできる組織の理事のなかに通産省OBを採用する」などという覚書が交わされ、互いの公印を押して手打ちとなった。
 滑稽なのはそれからだ。
 そうやって上のほうでは了解ができても、直接闘ってきた現場は納得できない。彼らが純粋に、「政策としてどちらがいいのか」との観点で闘ってきたのは事実。それなのに、上から突然「打ち方やめ」との命令が下ったのである。
「このあたりが収めどきだから」
 そう言われても、意味がわからない。
「いや、これで手を打ったんだから」
「おかしいじゃないですか」
 そう言って、むかしの青年将校のように局長室に乗り込んでいっては、涙を流して帰ってくるのである。傍から見ているとドラマのようだ。それなりに感動的でもあった。けれども、その光景を見ていた当時、官僚1年生の私には--口には出せなかったが--すごく違和感があった。
「科技庁だろうと通産省だろうと、どっちがやったっていいじゃないか。そんなことでどうして泣かなければいけないんだ・・・」
「今日は飲むぞ!」
 悔し涙を流した先輩に誘われて、べつに飲みたくもない酒につきあわされた挙句、愚痴を聞くハメになったのだが、その席でも私はこう思わざるをえなかった。
「たしかにこの人たちは涙を流してがんばっている。それは認める。けれども、それは要するに権限をこかのところに取られないようにするため、つまりは省益のためで、断じて国益のためではない。少しも国民のためにはならないどころか、無駄な労力と税金が使われるだけじゃないか・・・」
 国民からすれば、国として政府がやってくれればいいのであって、どちらが管轄しようとまったくかまわない。しかし、こういうことが、法律をつくるときにはすべての省庁でくりかえされる。いかに官僚が国民のことを考えていないかを示す典型例だと思う。(〜p70)

放射性物質で汚染されたがれきや土壌を一時的に管理する「中間貯蔵施設」を福島県内に建設したい

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東日本大震災 放射性ごみ貯蔵/場所や保管期間を早く示せ
河北新報 社説 2011年09月05日月曜日
 唐突な施設設置の打診に、不信感や怒りが噴出したのは当然だ。福島第1原発事故という未曽有の災害に苦しむ中、住民や自治体にまた一つ、重荷を押しつけようというのだろうか。
 事故で発生した放射性物質で汚染されたがれきや土壌を一時的に管理する「中間貯蔵施設」を福島県内に建設したい意向を、政府が県などに伝えた。
 今後、除染などを進める上で、汚染物質の適切な管理・保管が不可欠との考えからだ。ただし、最終処分場にすることはないと強調している。
 だが、肝心の施設の建設場所や保管期間などには言及していない。住民にとっては、不安ばかりが残ったとも言える。
 県や地元自治体が受け入れの可否を検討しようにも、材料が決定的に不足している。政府は丁寧な状況説明と、具体的な情報の提供を急ぐべきだ。
 放射性物質で汚染された廃棄物や除染作業で発生した土などについて、政府はこれまで市町村ごとに仮置きする方針を示してきたが、その後の処分方法には触れてこなかった。
 先月26日に発表した基本方針で「処分場の確保は国の責任で行う」と明記。進め方については、「早急に処分場建設のロードマップを作成して公表する」との表現にとどめていた。
 除染作業が本格化すれば、汚染土壌などの廃棄物が大量に発生する。住宅地に近い仮置き場を、長期間にわたって放置するわけにはいかない。そこで中間貯蔵施設が浮かび上がったということなのだろう。
 突然の話に、佐藤雄平福島県知事は「困惑している」と繰り返した。事前の打診は全くなかったという。不快感をあらわにしたのもうなずける。
 放射性物質の飛散や、地下水の汚染などを防ぐ設備を想定しているとみられる。しかし、設置場所や規模、保管期間などによって施設の持つ意味合いは、大きく変わってくる。
 細野豪志原発事故担当相は「一定期間貯蔵できなければ、仮置き場と変わらない」と語った。ある程度の耐用年数を持った施設にしたいようだ。
 貯蔵の対象をどこまで広げるかも注目される。浄水場で出た放射性物質を含む汚泥などを対象とする可能性を、政府は否定していない。
 環境省は先に放射性濃度が1キログラム当たり8千ベクレル超、10万ベクレル以下のがれきや汚泥の焼却灰などについて、管理型最終処分場での埋め立てを認める方針を示した。これらの中間貯蔵を、どう位置付けるかも課題となろう。
 最終処分場にしないことを明言したとはいえ、県外に施設を造るのは容易ではない。福島の廃棄物を受け入れるところがあるかは不透明だ。
 住民や自治体は、中間貯蔵施設が事実上の最終処分場になることを最も警戒している。建設は到底認められないとの声が、一部で上がっている。
 議論を始めたいなら、政府は施設の具体的な内容に加え、最終処分場の建設場所をいつまでに決めるのかなどを、早急に明確にしなくてはならない。
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〈来栖の独白〉
 「放射性」ゴミ(=廃棄物)なら、「中間貯蔵施設」といっても「永久保存施設」を意味する。高レベル放射性廃棄物のリスクが消えるのには、途方もない時間がかかる。永久保存施設と云われて易々とOKを出す自治体など、あるはずもない。原発の受け入れにしたところで、札束(電源3法 交付金)で頬を叩かれ、地域はOKした。
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放射性物質の灰、セメント・コンクリートで埋立/福島に中間貯蔵施設、知事は反発/線量低下、帰宅に20年以上2011-08-28 | 地震/原発
映画「100,000年後の安全」地下500? 核のごみ隠すオンカロ/原発から出た放射性廃棄物を10万年後まで保管2011-06-01 | 地震/原発
高レベル放射性廃棄物、危険性が消えるまでには十万年/文明転換へ覚悟と気概2011-05-09 | 地震/原発
原発の「ごみ」行き場なく/「核半島」六ヶ所村再処理工場/東通原発/大間原発/核燃料 中間貯蔵施設2011-04-28

ケビン・メア元国務省日本部長「私は見た! 何も決められない日本の中枢」アメリカは何もかも知っている

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特別インタビュー ケビン・メア元国務省日本部長「私は見た!何も決められない日本の中枢」 アメリカは何もかも知っている
2011年09月06日(火)週刊現代
 「ゆすり発言」で日本部長を解任されたメア氏は、その後日本の復興支援の最前線に身を置いた。メア氏の口から、アメリカが見た原発事故の真相が語られる。

*東京在住米国人「全員避難」
 はじめに、みなさんにひとつ衝撃的な事実を明かしましょう。3月17日、アメリカ政府が原発より半径50マイル(80キロ)圏内にいる在日アメリカ人に退避勧告を出したことは覚えていますよね? あのとき「アメリカが退避勧告を出したということは、状況は相当悪いに違いない」という話が日本人の間で広まったと聞きますが、実は私たちはそれよりさらにハイレベルの対応を検討していたのです。
 日本の復興支援にあたるタスクフォースのメンバーは、3月16日未明の時点で、日本政府よりもさきに、原発の炉心が融解していると判断していました。このままでは最悪の場合、メルトダウンして、使用済み核燃料が燃え、放射性物質が広範囲にばらまかれる可能性がある。そのことがホワイトハウスをはじめとする政府機関との電話会議で伝わると、ある政府高官が「東京在住の米国民9万人全員を避難させるべきだ」と衝撃的な提案を口にしたのです。
 もしも9万人のアメリカ人が一斉に避難していたらどうなったでしょうか。日本の人々も敏感に反応して、避難を考えるようになり、空港や道路は大混雑を起こして、日本はパニックに陥ったでしょう。それだけは避けなければなりませんでした。本当に難しい決断でしたが、私は「一斉避難は時期尚早です」とこの高官の説得に当たりました。
 幸いにして私の意見が通り、なんとか50マイル圏内からの退避勧告で済んだのですが、もし一斉避難が実行されていれば、日米関係は大きな亀裂が走る瀬戸際に立たされたでしょうね。そのことを考えると、今でもゾッとします。これはひとつの事例でしかありませんが、原発事故処理の舞台裏では、おそらくみなさんが想像する以上に深刻な議論がなされていたのです。

 1984年に駐日米国大使館経済担当二等書記官に就任して以来、日米間の強固な関係構築に努めてきたケビン・メア元国務省日本部長。日本人の妻を持ち、日本の政治から文化にまで精通する対日政策のエキスパートである彼は、東日本大震災が発生した後、日本の復興を支援するタスクフォースのメンバーとしてその辣腕を振るった。「トモダチ作戦」の遂行にも携わったメア氏が、原発事故処理の舞台裏と日本の危機管理システムの問題点、そしてこの国の将来についての本音を明かす。
 
 みなさんもご承知のように、私は共同通信の「ゆすり発言」の記事(3月6日、当時国務省の日本部長であったメア氏が、昨年末にアメリカの大学生らに行った講義で「日本人は合意重視の和の文化をゆすりの手段に使う」「沖縄はごまかしの名人で怠惰」などと発言した、と報じた記事)によって、「最も愛した日本で、一番嫌われたアメリカ人」になってしまいました。
 最初にお伝えしておきたいのですが、この共同通信の「ゆすり発言」報道は事実無根のものです。このことの経緯や詳細については、先日出版された私の著書((『決断できない日本』文春新書))に書きましたので、そちらをぜひご一読いただきたいのですが、私はこの事実無根の記事によって、3月10日に日本部長を更迭されてしまったのです。
 すぐに「あの報道は正確ではないんです」と反論しようとも考えたのですが、国務省は私の発言を禁止し、弁解の場を与えてくれませんでしたので、私は国務省を去ることで自らの潔白を証明しようと決意しておりました。
 まさにそのとき、東日本大震災が起こったのです。
*東電からの問い合わせ
 私はこの悲劇を前に、日本部長の経験者として自分になにができるのかを真剣に考えました。ちょうどそのとき、私の上司であるドノバン筆頭国務次官補代理から「対日支援のタスクフォースを立ち上げる。日本に精通している君の力が必要だ。国務省を去ろうという君の気持ちは分かるが、しばらく国務省に残って、対日支援のコーディネーターをやってもらいたい」との依頼があったのです。私もまったく同じことを考えていましたので、自分の力が日本の復興の役に立つなら、と直ちにこのオファーを受けました。
 それからはホワイトハウスや国防省、在日米軍、在日米大使館などと日本の諸機関との間の調整に当たりましたが、震災発生後の約1ヵ月は不安と落胆の連続でしたね。
 正直なところ、地震発生直後はここまで危機的な状況に陥るとは考えてもいませんでした。ところが、11日の深夜に、背筋が凍るような情報が私のところに入ってきて、その認識を改めることになったのです。「東京電力から『在日米軍のヘリで、真水を大量に運べないか』との問い合わせがあった」と。
 私は駐日大使館で環境・科学技術担当公使を務めたことがありましたので、原子力分野にもある程度の知識を持っていました。ですから、東電が真水を求めていると聞いたとき、「これは原子炉の冷却装置が壊れているな」と即座に分かりました。原発事故から間もなく半年が経ちますが、3月11日以降の1週間、どれだけの危機感を持ったかは、いまだに鮮明に覚えています。
 福島第一原発が深刻なトラブルに見舞われているということが、日本政府からの情報ではなく、東京電力からの水面下の要請で明らかになったということに驚かれるかもしれません。とにかく、日本政府からも東京電力からも正確な情報が寄せられなかったために、状況がどれだけ悪いのか、あるいはどれだけ悪い方向に向かっていくのか判断ができませんでした。これは相当私たちをいらだたせました。
 欧米メディアを中心に「日本政府は不都合な情報を隠しているのではないか」との指摘がありましたが、対日支援の現場にいた私からすれば、実際のところは情報を隠していたのではなく、彼らは単に正確な情報を持っていなかったのだと考えていました。日本からの情報がないから、アメリカ側がどの程度のレベルの対策をとる必要があるのかも判断ができませんでした。
 冒頭でアメリカの高官が「9万人の在東京アメリカ人の避難」を検討していたことを明かしましたが、これも情報が不足していたために、こうした事態を予測しておく必要があったのです。しかし危機管理という意味では、最悪の状況を考えることも重要です。そして、あらゆる可能性を検討した上で、様々な対応策のなかからどれを選ぶかを、責任ある立場の人が最終的に判断する。これが政府の役割です。
 ところが3月11日以降の日本政府の対応を見ていると、この基本的な意思決定のシステムがまったく機能していなかったように思えるのです。
*責任を取るのが大嫌い
 具体的な事例をひとつ示しましょう。原発事故の後、アメリカは日本側に「こうしたことなら支援ができますよ」という品目を連ねたリストを送りました。ところが、日本からは「ヘリコプターを何台支援してほしい」という回答ではなく、「そのヘリコプターはどんな仕様なのか。もしも放射能で汚染されてしまった場合は、どんな補償が必要になるのか」といった100項目にわたる「質問」が返ってきたのです。
 一刻を争う状態なのですから、とにかくまずは「ヘリコプターを貸してくれ」と支援を受け入れるべきでしょう。ところが、彼らはもし問題が起きたとき、自分たちがその責任を取ることをおそれて、何も決めようとしなかったのです。まさに決断ができないのです。
 これは現場レベルにとどまる話ではありません。日本のトップである菅直人総理も、「自分は関係ない」と言わんばかりに責任を逃れようとしていたフシが各場面で見られました。たとえば、電源喪失から1週間が経過し、東電にも打つ手がなくなってしまったとき、菅総理の命令で自衛隊のヘリを1機飛ばして、空から放水したことがありましたね。
 この光景を見たときの、アメリカ政府のショックは大変大きかったのです。仮にも大国である日本ができることが、ヘリ1機を飛ばして放水するだけだったのか・・・と。しかもこの放水は、原子炉冷却にはまったく効果がなかったわけですから。
 実は、この放水の前日、アメリカ政府は藤崎一郎駐米大使を国務省に呼び出して、「日本政府は総力を挙げて原発事故に対処するように」と異例の注文を付けていたのです。というのも、ホワイトハウスは菅政権が原発事故の対応を東電任せにして、自分たちにはまるで責任がない、これはあくまでも一企業の問題だとでも言いたげな姿勢でいることに懸念を持っていたので、「このままでは日本が大変な危機に陥る」ということを伝えたかったのです。東電は発電が本業で、事故対応のプラント会社ではないからです。
 ところがその要請のあとに行われたのが、あのヘリでの放水だったので、「これが日本の総力か」と悲嘆に暮れたのです。別の見方をすれば、ヘリ1機を出してそれでよしとする菅総理の姿勢をみて、やはりこの問題を東電任せにしようと考えているのだな、とさらにホワイトハウスは疑念を強めたはずです。
「もし菅内閣でなければ、もっとスムーズに原発問題を処理できたのではないか」との声も聞かれました。たしかに菅内閣の対応に不信感を持ったことは事実です。しかし、別の内閣であればうまくいったかというと、そうとは言い切れません。というのも、日本には致命的な欠点があり、残念ながら私が日本に携わったこの19年間、それはほとんど改善されていないからです。
 その欠点とは「決断できない」というとてもシンプルなものです。日本ではいまだ「和をもって貴しとなす」という考えが尊重されているようですね。しかし、これは平時においては長所となるかもしれませんが、危機的状況においてはむしろデメリットの方が大きいのです。
 まず、全員の考えをまとめていけば、結論を出すのに時間がかかります。さらに問題なのは、もしその結論が間違っていたとしても、誰に責任があるのかがまったく分からなくなることです。責任の所在が明確でなければ、大胆かつスピーディーな決定は下せませんからね。
 ここでもうひとつ衝撃的なお話をしましょう。少し古い話になりますが、1985年に御巣鷹山で飛行機の墜落事故が起こったとき、米軍は日本政府に「御巣鷹山と横田基地はそれほど離れていないから、すぐにでも捜索部隊を救助に向かわせることができる」と提案しました。ところが日本政府は、この提案を断ったのです。
 おそらく仮に問題が起こったときに、誰も責任をとりたくなかったのでしょう。しかし、私はもしこのとき米軍の支援を受けていれば助かった人もいたはずだと、今でも思っています。震災対応のタスクフォースで働く中でこのときのことを思い出しながら、日本政府が今回もまた「決断できない」という病を再発させてしまったことに、とても残念な気持ちになりました。
*決断できる総理を
 ただ、誤解をしてほしくないのですが、確かに日本政府の対応に落胆することは多かったけれども、だからといって日米関係にヒビが入った、ということはありません。地震が発生した後、ワシントンでは「どんな支援で日本を助けられるか」という方法についての議論はありましたが、「日本を助けるべきかどうか」については、一切議論はありませんでした。日本を救うことは、われわれにとっては話し合う必要がない当然のことなんです。日米関係は地震が起きたぐらいでは揺らがない、ということです。
 しかし、日米関係は別として、私は震災以後の日本の国際的な地位---特に経済力のプレゼンスが低下することを危惧しています。
 最も分かりやすいのは、いまだに電力が十分に供給されていないこと、そしてこの状況がすぐには改善されないことです。電力は経済活動の源であり、十分な電力が供給されないのであれば、日本が世界に誇る強力な経済は維持できません。これから日本の原発をどうするかという議論がなされていますが、もし誤った結論を出せば、世界経済における日本のプレゼンスは低下することになるでしょう。
 それ以上に、根本的な問題として日本人が日本の将来に対して自信をなくしてしまっていることが心配です。これはみなさんの方が思い当たることは多くあるでしょうが、いまの日本の状況はアメリカが'70年代に陥った危機とよく似ているのです。ベトナム戦争によるショックとスタグフレーションをはじめとする経済問題に見舞われたアメリカでは、「このまま衰退の道を進むしかない」と皆が思いこんでいました。そこにレーガン大統領が現れて、様々な改革に着手しました。
 私はレーガン氏の支持者ではありませんが、しかし彼が変化のための決断をいくつも下して、国民に自信を与えたことは否定できません。日本にも強いリーダーが現れ、国民に強い自信を与えてくれればよいのですが。
 まさに日本ではいま、次の総理が誰になるのかが注目されていますね。私もしばしば「誰が次の総理にふさわしいと思いますか」と聞かれますが、それは日本のみなさんが決めることで、私が何か口を出すことではないと答えています。しかしこれまでに述べてきたように、決断力を持ち、決断に対して責任をとれる人でなければ、今の日本を正しい方向に導くことはできないでしょうね。
 しかし私は、日本の将来を決して悲観的には見ていません。反対に言えば、強い責任感と決断力を持つリーダーが現れれば、状況は一気に好転すると思いますよ。日本は潜在的にはまだまだ裕福な国ですし、国際的にも重要な地位にいることは間違いありません。強力なリーダーのもと、原発問題に早急に対処し、東北地方の復興に取り組めば、遠くない将来、もう一度日本に活力が戻ってくる。少なくとも私はそう信じています。「週刊現代」2011年9月10日号より
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ケビン・メア著『決断できない日本』 普天間から福島まで、代償の大きい日本の優柔不断2011-08-20 | 政治〈国防/安全保障/領土  
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民主党大会 小沢氏演説=この理念に沿った政治をこの国が渇望しないはずがない2010-09-15 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 民主党代表選に於ける小沢一郎氏演説
〈前段略〉
 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。
 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。
 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。
 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。
 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。
 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一縷の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。
 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。
 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。
 私は40代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。
 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。
 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。
 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。
 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、(※)地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。
 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。
 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。
 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。
 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。
 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。
 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。
 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。
 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代に松明を引き継ぎたいと思います。
 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。
...
〈来栖の独白2010/09/15〉
 「クリーン」などといった意味不明、空虚な言葉の1つもなく、肝心なことが言い尽くされて、素晴らしい演説だ。憲法一三条の理念を、小沢さん自身の言葉で語っている。この政治家を、国民が必要としないはずがない。この理念に沿った政治を、この国が待望しないはずがない。
 *強調(太字・着色)は来栖

※憲法第13条
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」

菅直人前首相の資金管理団体「草志会」、政治資金規正法違反容疑/ 東京地検が告発状受理

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菅前首相への告発状受理=政治団体献金めぐり−東京地検
 菅直人前首相の資金管理団体「草志会」が、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体の派生団体に献金していた問題で、市民団体が前首相に対する政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑の告発状を東京地検に提出し、受理されていたことが6日、関係者の話で分かった。
 政治資金収支報告書によると、草志会は2007年、神奈川県内の政治団体「政権交代をめざす市民の会」に対し、複数回に分けて計5000万円を献金した。
 告発状によると、収支報告書に記載された全ての収支を時系列に並べると、一時的に資金残高がマイナスとなる期間があるという。このため、本来は記載すべき収入があったはずなのに、記載しなかったとしている。(時事通信2011/09/06-11:51)
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水に落ちた犬を叩け---退陣する菅直人首相が、東京地検特捜部の「標的」になった。
週刊現代 永田町ディープスロート 2011年09月05日(月)

「縮小した独自捜査部門のネタ探しに必死の東京地検特捜部が、蓄積してきた数ある『政治とカネ』案件に菅直人首相の案件を追加したようだ。一部の特捜幹部は菅首相の資金管理団体の不可解なカネの動きに関心を示し、すでに関係資料を読み始めている」(全国紙社会部デスク)
  事の発端は8月11日にさかのぼる。この日行われた参議院予算委員会で質疑に立ったのは、税理士資格を持ち政治資金分析に定評のある自民党の西田昌司参院議員。菅首相をこう問い詰めた。
「残高がマイナスになることはありえない。収支報告書の記載はでたらめだ」
  舌鋒鋭く迫った西田議員に対する菅首相は、
 「まだ足し算も引き算もしていない。必要であれば(調べて)報告する」
 としどろもどろだった。
  国会質問は普通、相手方に事前に通知して行うが、西田議員はこの?爆弾?を事前通知なしでぶつけている。ちなみにその日は法務省の西川克行刑事局長が別件の政府参考人として出席していた。
  当の西田議員が語る。
「私が追及したのは、菅首相の資金管理団体『草志会』に絡む問題。ここの収支報告書を丹念に調べ、いつどんなカネが入り、出ていったかを整理し直した。すると残高が赤字になっているのに、数百万円単位の献金を行っているということがわかった。借入金の記載はない、ではこのカネはどこから出たのか。あるいは本当に寄付されたのか。そこで虚偽報告ではないかと問い詰めたんです」
  結局その場は「虚偽報告というのは取り消せ」と言う菅首相と、「政治資金虚偽報告だ。虚偽の寄付金なら脱税になる」と言う西田議員が互いに譲らず、議論は平行線をたどった。
  元最高検察庁検事で筑波大学名誉教授の土本武司氏はこう指摘する。
「帳簿上では赤字なのに、寄付をしているというのは異常事態。収入をきちんと記載していない可能性がある。捜査は簡単、会計書類をすべてチェックすれば、おのずと事実関係は明らかになる。政治資金規正法違反として立件するのはそれほど難しくない」
  これとは別に検察はいま、今春に問題化した菅首相の「外国人献金」について告発を受理、すでに捜査を開始している。
「となれば西田氏の追及した?疑惑?と合わせて、菅首相周辺のカネの流れを洗うことになる。もう遠慮はしないということだろう」(前出・デスク)
  一方、菅首相がいま御執心なのが「植物党構想」というノンキなもの。
  会合の席で突然ぶち上げたのは7月下旬のことで誰も本気にはしていなかったが、退陣を間近に控えたいま設立に向けて動きを加速させている。
  植物党とは、日本の豊かな環境を保持し、その環境資源をもとにバイオマスエネルギーの発展とさらなる実用化を目指すものとされている。
  最近では作家の養老孟司氏を官邸に呼んで「バイオマスが持つ可能性は非常に大きい。引退後はこの研究に力をそそぎたい。東北をバイオマスの拠点にするのはどうか。大変なポテンシャルを持っている」などと発言。養老氏に今後もよきアドバイザーとなってくれるよう求めたという。
「菅首相は側近のひとりである田坂広志・内閣官房参与にも、『菅内閣が終わった後も植物党構想にかかわってくれないか』と打診したそうです。田坂氏本人は退任後は別の働き口を考えているようで、あまり気乗りした様子ではなかったとも聞いていますが」(菅首相をよく知る1年生議員)
  菅首相は退陣後の活動を考え始めているようだが、特捜部の捜査が本格化するのはいつごろか。
「国税、証券取引等監視委員会、警察、公正取引委員会からの受け皿を拡充し、新生特捜部の第一号案件が今秋に摘発される見通しだが、負けは絶対に許されないため、手堅いものだけがリストアップされているという。強制起訴された民主党の小沢一郎氏の裁判のメドがついた後が注目だ」(検察OB)
  菅首相は政界に影響力を残す形での退陣を目論んでいるが、すでに自分の尻には火がついていることをご存知だろうか。『週刊現代』2011年9月10日号より

『認知症のはなし』認知症の予防は、可能ではないかと考えられています

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『認知症のはなし』23回 国立長寿医療研究センター内科総合診療部長・遠藤英俊
2011/09/06Tue.中日新聞
■予防■
*生活習慣病の治療を
 認知症の予防は、可能ではないかと考えられています。
 最近の疫学調査では、脳血管障害があるとアルツハイマー型認知症になりやすいといわれています。高血圧症があると約3倍なりやすく、糖尿病があると約2倍なりやすいという報告もあります。
 つまり今やアルツハイマー型認知症は生活習慣病の1つと考えることもできます。若い時からの高血圧症や糖尿病などの治療や予防が、アルツハイマー型認知症につながる可能性があります。
 運動は、認知機能の低下を軽減する可能性があります。中でも有酸素運動が良いとされ、具体的には1日30分以上、週3回以上歩くのが目安です。
 脳を刺激するため、趣味の活動や好奇心を持ち続けることも重要です。料理を続けることや旅行の企画なども良いとされています。相手と言葉のやりとりをする会話を多くすることも必要です。認知機能低下の予防には野菜、果物の摂取の重要性もいうまでもありません。
 適量の赤ワインも推奨されています。赤ワインの成分のうち、体の酸化を防ぐポリフェノールの1種、レスベラトロールの摂取が良いのではないかと報告されています。


国際秩序 『乱』の時代 中国が世界とどのように付き合うかは、21世紀の国際政治の最大のテーマ

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世界を語る 国際秩序 乱の時代
日本経済新聞 特集 2011/09/04Sun. 閻 学通(ヤン・シュエトン)・中国清華大学国際関係研究院長
 中国が世界とどのように付き合うかは、21世紀の国際政治の最大のテーマといえる。中国を代表する外交論客、閻 学通・中国清華大学現代国際関係研究院院長に展望を聞いた。
ーー米国債は格下げされ、欧州は債務危機に陥っています。中国から見て世界はどのように映りますか。
 「1文字で表せば『乱』。先進国だけでなく、中東でも衝突が続く。私に言わせれば至って自然なことだ。世界唯一の超大国だった米国が後退を始め、国際秩序は移行期に入った。移行期に国際政治は不安定になるものだ。
ーー世界は徐々に多様化に向かうのでしょうか。
 「そうは思わない。経済力、軍事力など物質的な力、いわゆる『ハードパワー』で測れば世界は米中の2極体制に向かっている。今後10〜15年で、米国との力の差を縮小する国は中国しかいない。日本もドイツも英国も、米国との差は開いていくだけだ」
 「しかし国力を定義するのはハードパワーだけではない。同盟国との戦略的な友好関係も力の源泉だ。米国は世界の70か国以上と同盟・協力関係を持ち『同盟の力』では断トツな存在だ。中国はパキスタン、北朝鮮とは友好関係にあるが本格的な同盟関係とはいえない。中国が米国に並ぶ超大国になるには、周辺国との戦略的な同盟関係を強化しなければならない」

 

ーー同盟関係はどのように築くものですか。
 「周辺国に安全保障を提供することだ。経済的な結びつきがいくら深くても安全保障の連帯にはかなわない。例えば中国はもう何年も日本の最大の貿易相手国だが、米国に代わる存在にはなれない」
ーー多くの国が米国と同盟関係を結ぶのは、自由や民主主義という価値観を共有するからではありませんか。
 「それは典型的な西洋型の解釈だが正しくない。米国がどこよりも多くの同盟関係を持つのは、どこよりも出費して安全保障を提供しているからだ」
ーーしかし尖閣諸島や南シナ海の領有権を巡る中国の姿勢を見て、同盟関係を結びたい国はないのでは?
 「あなたは米国の友好国にしか注目していない。中国に安全保障を提供してもらってもいいと考えている国は少なくない。パキスタンが典型例だが、最低でも10か国はあげられる。北朝鮮もそうだし中国の西の国境に接するカザフスタン、キルギス、タジキスタン、東南アジアではミャンマー、ラオス、カンボジア、南アジアではネパール、バングラデシュ、スリランカが中国と安全保障関係に違和感を覚えていない。日本や韓国やベトナムだけがアジアではない」
■□ ■□ ■□
ーー世界が2極に向かうとすれば、中国はどんな「極」を担いますか。
 「孟子、老子、荀子ら中国古代の賢人らは、それぞれの時代に中国がどんな大国であるべきかを盛んに議論していた。彼らは3つのリーダーシップがあるとみていた。『専制』と『覇権』と『王道』。専制は圧倒的な軍事力で世界の秩序を維持しようとする。覇権は軍事力と同盟関係の拡大で世界に影響力を行使していく。今の米国がこのタイプ。同盟国から信頼されなければならないので行動は自制され、専制よりはましだ。ただ、覇権はダブルスタンダードを招く。中東でも、米国は同盟国バーレーンには決して武力介入しないが、非同盟国のリビアでは為政者を排除するための軍事行動に参加する」
 「古代の賢者が最適な道と考えたのは孟子が唱えた『王道』だ。わかりやすく言えば、『人情のある権威』だ。王道は軍事力と道徳規範の2つで指導力を発揮する。国際的な基準、ノルマを順守する。同盟国と仲良くするだけでなく『徳』によって非同盟国も味方につけていく。中国は王道を目指さなければならない。こうした方向性を世界に発信すべきだが、今の外交方針は永遠に先頭に立たないとの立場だ。これでは世界の疑心が深まるばかりだ」
ーー中国は国際社会でより責任ある行動を取るべきだということですか。
 「そうだ。しかし、それには?小平氏が掲げた『韜光養晦(とうこうようかい)=能力を隠して力を蓄える』を改めなければならない。?小平氏は、まず中国の物質的な力を高めることを優先していた。当時の経済力は世界で8位や9位。世界2位になった今の時代には適さない」
■□ ■□ ■□
ーー日本人として中国の外交転換は心配です。
 「日本は世界2位の地位を失ったばかりで心配するのは理解できる。しかし日本の後退は政治指導力の問題だ。『荀子』によれば、国は小さくても政治が強ければ、国は強くなる。10か月に1度、首相を取り換えていては強い指導力が生まれるはずがない」
ーー選挙を経ていない中国の政治は強いといえますか。
 「強い政治とは何か。人々が幸せであることだ。人を幸福にするのはお金ではなく、フェアで公正な社会だ。今の中国では汚職や格差など社会の矛盾を修正し『調和のとれた社会』を目指す政治勢力と経済発展を重視する勢力が激しい闘争を繰り広げている。特に地方の書記や省長は経済発展を重視する。経済さえ成長すれば政治も安定するという見方が強いが、逆だ。?小平氏の改革開放政策が成功したのは毛沢東氏の階級闘争を大胆に切り替える政治力を発揮したからだ。
ーー徐々に西洋のように自由で民主的な国に向かうということではありませんか。
 「違う。西洋型の自由民主主義は自由選挙と表現の自由さえあれば、たとえそれが混乱や貧富の差や民族間の衝突を生んだとしてもかまわないとする。結果よりプロセスの重視だ。私は結果を重視する。民主主義は社会秩序とセットでなければならない。秩序のない民主主義を混乱といい、民主主義のない秩序は全体主義と呼ぶ。インドやフィリピンは民主主義だが腐敗や社会の不公正は深刻だ」
ーー米国はどんな方向に向かうとみていますか。
 「来年の大統領選挙で新しい指導体制が生まれれば衰退を食い止めることができるかもしれない。オバマ大統領は協調主義外交を取り、同盟の力を高める能力はある。しかし米国のハードパワーを高める能力が決定的に欠けている。借り入れに頼っていては復活できない。クリントン元大統領のように財政黒字を拡大し、ハードパワーを高めるレーダーを必要としている」  *強調(太字・着色)は来栖

閻 学通Yan Xuetong(ヤン・シュエトン)
 1952年、天津市生まれ。黒竜江大卒、米カリフォルニア大バークレー校で博士号取得。政府系シンクタンクを経て清華大教授。専門は国際関係。文化大革命で東北部の農村に放され、16歳から9年間過ごした。「苦難を経験していない人は国際関係について楽観的になる傾向がある」と語る。2008年に米誌フォーリン・ポリシーが選ぶ「世界で最も影響力を持つ知識人 100人」に入った。

<インタビューを終えて>
 先月、バイデン米副大統領が訪中した。四川省成都で専用機「エアフォース2」から出てきた副大統領が手にしていたのが閻教授の新著だった。6月に北京市内で開かれた外国特派員協会主催の講演でも、米、仏、スイスなど各国大使館の政務担当者が駆けつけ、立ち見が出るほど盛況だった。中国外交の先行きのヒントを得ようと多くの人が耳を傾ける。
 タカ派のリアリストだ。ブッシュ前米政権で強硬外交を主導したネオコンになぞらえてネオコム(ネオコミュニスト、新共産主義派)と呼ぶ人もいる。主張は大胆で時にゾッとする。それでも不思議と説得力があるのは米欧の収縮と中国の拡大が目に見える現実として存在しているからだろうか。
 言論統制がある中国で自国批判をする識者は少ない。閻教授が古代の賢者を引用するのは彼らに主張を代弁させている側面がある。辛口コメントもよく見ると現指導部への批判はない。
 それでも政治・経済両面で?小平路線を「時代遅れ」と言い切るのは新鮮。共産党と政府の重要機関が集まる「中南海」はベールに包まれているが、そうした議論はあるのだろう。(北京=守安健)

玄葉光一郎新外相へのシグナルは出ている 「ロシアの声」(旧モスクワ放送)/北方領土問題をめぐって

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玄葉光一郎新外相へのシグナルは出ている  ロシアが信頼を寄せる前原路線ならば北方領土・日露関係に大きな動きも
現代ビジネス 2011年09月07日(水)佐藤 優
 ロシアは野田新政権の外交政策に強い関心をもっている。「ロシアの声」(旧モスクワ放送)の日本向け放送を通じ、継続的にシグナルを流している。「ロシアの声」は政府の統制下にある。ロシア政府が公式には言いにくい本音を日本に対して伝える機能を果たしている。ただし、ロシア政府の利益に反する報道や論評は一切行わない。
 日本政治に関する「ロシアの声」が報じる論評では、ロシア科学アカデミー極東研究所のキスタノフ日本研究(調査)センター長が、観測気球をあげる役割を担っている。キスタノフ氏は、大阪の総領事館、東京の通商代表部で長く勤務した日本専門家だ。
 9月3日、「ロシアの声」は、「日本の新内閣組閣発表」という目立たないタイトルの論評を放送したが、その中で玄葉光一郎外相にシグナルを送っている。それではこの論評を見てみよう。
 
*北方領土問題をめぐって野田政権とは対峙しない
〈 日本の新内閣組閣が2日に発表された。新内閣が行う外交路線にはいかなる変更があるのだろうか。
 新内閣の顔ぶれを見ると、構成員全体が非常に若返ったのがわかる。また重要なポストにはまったく新しいメンバーが就いた。新外相に就任したのは47歳の玄葉光一郎氏だ。ここ最近、日本は領土問題で近隣諸国との関係を急激に悪化させてしまったことから、新外相は就任早々から関係改善の重い任務を背負うことになるのは必至だ。
 玄葉氏は国家戦略担当、宇宙開発担当大臣を務めたものの、外交分野では経験がない。ロシア科学アカデミー極東研究所日本調査センターのキスタノフ氏はこの点を指摘し、次のように語っている。
「玄葉氏自体についてあまり知られていない。国際政治で彼はまだ『だめになってはいない』。しかしながら、野田首相の先に行った声明からある程度の推測を行うことはできる。というのも国際舞台で日本がどういう外交政策をとるかは野田首相の決定にかかっているからだ。新首相は領土問題で日本の国益を強く主張していく構えだ。
 これはまず中国、韓国との問題においてそうであり、首相に就任する前の段階ですでに口にしていたが、就任後も同じことを繰り返している。南クリル問題では今のところ声明は表されていないが、全体として強硬なトーンであり、この問題に対する立場が近い将来柔軟化することはありえないと思う。」 〉(http://japanese.ruvr.ru/2011/09/03/55605354.html)
 
 外交の経験がない玄葉氏を外相に据えた人事を、ロシアは野田首相が官邸主導外交を行おうとする強い意欲を示したものと見ている。領土問題に関して、野田首相は強硬路線を取るというのがロシアの認識だ。ただし、中国との尖閣問題、韓国との竹島問題が優先されるので、北方領土問題をめぐって直ちに野田政権とロシアが対峙するような状況にはならないと見ている。
*石橋湛山のロシア外交を引き合いに
 「ロシアの声」は、玄葉外相の政治哲学に関しても強い興味を示している。
 
〈 玄葉新外相は個人サイトで座右の銘を「不失恒心」と書いている。これは自分の使命を忠実に守り、心に決めたことをやりとげることを意味する。
 また尊敬する人物についてはチャーチルと石橋湛山を挙げているが、石橋氏とは1956年鳩山内閣の後首相に就任し、全体としては前鳩山内閣の路線を継続した政治を行って、「独立外交」と中国、ソ連との経済関係の発展を推し進めた人物だ。玄葉新外相も石橋氏、チャーチル同様、こうした健全な思考や柔軟性を発揮するだろうか? 〉(同上)
 
 玄葉外相が、石橋湛山のようにロシアとの独自外交を展開する腹があるかと水を向けているのだ。ここで、キスタノフ氏がコメントを行う。
 
〈 キスタノフ氏は、玄葉氏は外相の座にあって進化することのできる人物だと期待したいとして、さらに次のように語る。
「前原前外相も就任当初は非常に強硬な態度で領土問題に臨んでいたが、就任中のたった半年間でも進化があった。私には、前原氏は南クリル諸島を自国の領土だとして一歩も引かない日本の立場と、島で協力を開始したいという願いをマッチさせるアプローチの方法を模索していたように思える。もし前原氏が影響力のある政治家として、こうした路線をとることが長期的視点では日本の国益に適うことを新内閣にわからせることができるなら、前向きな結果が生まれるかもしれない。
 野田新首相は就任後初めて行った記者会見で声明を表し「中国、韓国、ロシアという近隣諸国と友好関係を維持していきたい。日本は経済外交に大きな意味を置いている。その目的は健全なアジア太平洋地域を創設することだ」と述べている。これが通常行われるような単なる外交的な発言ではなく、期待の持てるものであることを祈りたい。 〉(同上)

 ロシアは前原誠司元外相を、柔軟かつ聡明な政治家であると高く評価している。それは、北方四島は日本固有の領土であるという日本の原理原則を崩さずに、ロシアと妥協できる方策を前原氏が外相在任中に本気で追求したからだ。
 野田新政権が対露外交において前原路線を採用するならば、ロシアとしても妥協に応じ、北方領土問題を含む日露関係を全面的に発展させる可能性が生まれるというシグナルをロシアは野田首相、玄葉外相に対して送っているのだ。
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ロシアは野田新政権を日露経済協力に誘おうとしている/原発政策を見極めながら、LNGカードを切ってくる2011-09-02 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
野田新政権の課題は中国の圧力を跳ね返すことだ/尖閣諸島は、日本が実効統治する日本固有の領土である2011-08-31 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
前原氏の北方領土視察、次期首相就任にらんでいた/国際政治が力の均衡によって動くことを冷徹に認識2011-08-25 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
「日本の国内法においてA級戦犯は戦争犯罪人ではない」という認識は、日本政府の公式見解である2011-08-18 | 政治〈国防/安全保障/領土〉

国が原発周辺住民や企業に給付金を支払い、電気料金を一部肩代わりする「原子力立地給付金交付事業」

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天下り団体が独占受注 原発立地の電気料金割引業務
中日新聞2011年9月7日 08時50分
 原発が立地する地域への電気料金の割引事業をめぐり、経済産業省OBが4代続けて理事長を務める財団法人が、割引分の現金を各世帯などに給付する業務を事実上、独占的に受注していることが分かった。経産省などが通達や給付金の運用規則で財団に半ばお墨付きを与えていた。地域振興を名目に国から交付された原発マネーが、特定の天下り団体に流れ込んでいる。
 この財団法人は電源地域振興センター(東京都)。自治体から業務を受注した後、実際の業務は電力会社に丸投げし、2010年度には、計約3800万円(決算額)を得ていた。
 割引制度は、国が地方自治体に給付金を交付した後、自治体がセンターに補助金として支出する。10年度は、北海道や福井、静岡、滋賀など原発が立地したり隣接する15道県に計約210億円が交付され、センターが住民への支払い業務のすべてを受注。給付金の計算や住民らへの現金振り込みなどの実務は、電力会社が行っていた。
 経産省などは04年に定めた運用規則で、給付業務の主体を原発設置の円滑化に資する事業を行う公益法人などに限定。それ以前も、センター設立直後の1990年から、原則としてセンターを活用するよう各自治体に通達を出していた。通達は2005年に廃止されたが、同様の業務を行う公益法人は他になく、事実上の独占が続いている。
 経産省資源エネルギー庁電源地域整備室は「今はどの団体を選ぶかは各自治体の裁量に任せている」と説明する。しかし、原発立地県の担当者からは「慣例としてお願いせざるをえない」との声が出ている。
 センター理事長で、元中小企業庁長官の新(あたらし)欣樹(きんじゅ)氏は「電力会社がちゃんとやっているかどうかをみたりしている。(業務の)丸投げじゃない」と説明している。
 ■電気料金の割引制度 正式名称は「原子力立地給付金交付事業」で、地域振興を名目に自治体に対して行う立地対策の一つ。国が原発の設備能力などに応じて、周辺地域の住民や企業に給付金を支払い、電気料金の一部を肩代わりする。2010年度は105万世帯の家庭と企業が割引対象となった。東京電力柏崎刈羽原発が立地する新潟県では、原発周辺の住民に年間約9500〜1万9000円が給付される。

玄葉外相が基本知識すら欠いたイカレた発言を続ければ、北方領土交渉において日本は窮地に追い込まれる

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北方領土問題に関し玄葉新外相がロシアに送った危険なシグナル
2011年09月07日13時00分 佐藤優の眼光紙背:第112回
 9月2日、玄葉光一郎新外相が就任記者会見を行った。北方領土に関する記者と玄葉外相の応答を外務省HPから正確に引用しておく。

【北海道新聞 相内記者】北方領土問題です。ロシア要人が次々と訪れ、社会基盤整備も急速に進んでいる北方領土ですけれども、北方領土問題をどのように取り組み、対処されていかれようと思っていらっしゃるか。
 それと、前原元大臣が四島で日露共同経済活動は何かできないか双方議論していくということを提唱され、ロシア側も同意されましたけれども、大臣はどのようにお考えになられるか、教えてください。
【大臣】これは言うまでもなく、日露間の最大の懸案だというように思います。これはこれまでの歴史的なそれぞれの諸文書が、あるいは諸合意がございますけれども、北方四島の問題の帰属、その帰属の問題をしっかり解決しながら、いわゆる平和条約を締結すると。1956年に日ソ共同宣言があって、そのときに、残念ながら領土の問題があり、平和条約にしなかったという経緯があるわけでありますので、それをどういうように進めていくかというのは、前原元大臣がいわば仕掛けをされたその点についてもよく検討して、基本的にはその考え方を継承したいなと現時点では考えております。

 この玄葉外相の発言を東京のロシア大使館、SVR(露対外諜報庁)ステーションは、正確に翻訳し、モスクワのクレムリン(大統領府)、首相府、外務省、ヤーセネボ(SVR本部)に送っているはずだ。露外務省とSVRの日本専門家は、玄葉外相から政治的シグナルが送られてきたと受け止め、鋭意分析していることと思う。
 外交は言葉の芸術である。特に就任記者会見の場は、新外相が政治的メッセージを発出する重要な機会だ。外交やインテリジェンスの常識的文脈で読み解くと、玄葉外相は3つの重要なシグナルを送っている。
 第1は、「平和条約を締結する」ではなく「いわゆる平和条約を締結する」ということである。外交の世界で「いわゆる」がつくとつかないでは、まったく意味が異なる。「いわゆる平和条約を締結する」ということは、平和条約以外の条約締結の可能性について玄葉外相が水を向けたものとロシアの日本専門家は受け止める。「北方四島の問題の帰属、その帰属の問題をしっかり解決(する)」ということと、北方四島の日本への返還を実現する(あるいは日本の主権を確認する)ということは、外交的に位相を異にする概念だ。
 北方四島の帰属の問題の解決ということならば5通り(日4露0、日3露1、日2露2、日1露3、日0露4)の可能性がある。仮に北方四島のすべてがロシアに帰属するということで、両国が合意すれば、それでも領土問題の解決になる。平和条約を締結することは、北方領土問題の最終解決になるという合意が日露間に存在する。日本の原則的な立場は、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島からなる北方領土に対する日本の主権(もしくは潜在主権)を確認し、平和条約を締結するということだ。今回、玄葉外相が「いわゆる平和条約」と「いわゆる」をつけ、その記録を日本外務省HPに掲載したことにより、ロシア側は日本側が平和条約に至らない中間条約の検討を始めたと受け止める可能性がある。
 第2は、「これまでの歴史的なそれぞれの諸文書が、あるいは諸合意」の中で、玄葉外相があえて1956年の日ソ共同宣言のみについて言及したことだ。これまでの外相は、1956年の日ソ共同宣言について言及する際は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することに合意した1993年の東京宣言、あるいは日ソ共同宣言と東京宣言の双方について言及した2001年のイルクーツク声明についても明示的に言及した。今回、就任記者会見という重要な場で、玄葉外相が歯舞群島と色丹島の引き渡しについてのみ記した日ソ共同宣言だけに言及したことを、第1の「いわゆる平和条約」発言とあわせて、ロシアの日本専門家は、玄葉新外相が二島返還で中間条約を締結するというシグナルを出したと受け止める。
 第3は、今年2月、モスクワで行われた日露外相会談で前原外相がラブロフ外相に対して行った北方領土における日露の共同経済活動に関する提案を念頭に置いて「前原元大臣がいわば仕掛けをされた」と述べたことだ。ロシアの日本専門家は、「仕掛け」という外交的に自国の行為を指すときに用いられることが滅多にない単語の翻訳に苦慮したことと思う。ロシアの日本専門家が用いる標準的な大辞典であるN・コンラド監修『和露大辞典』で「仕掛け」を引くと、「ヒートロスチ(хитрость)」、「トリュク(трюк)」という訳語が記されている。「ヒートロスチ」という言葉は「ずるさ」、「トリュック」という言葉は「トリック、策略」を意味する。現職外相が、元外相の重要提案について、このような否定的評価をしたことについて、ロシアの日本専門家は当惑していることと思う。
 いずれにせよ、玄葉外相の発言をどう読み解くか、露外務省とSVRの日本専門家は頭を悩ましているはずだ。ロシア側は眼光紙背に掲載された筆者のロシア関連の論考には目を通しているらしい。そこで筆者の見立てを率直に述べたい。玄葉光一郎氏は、外相に就任したのが嬉しくて、舞い上がり、思いついたことをよく考えずに口にしているだけだ。こういう不規則発言を分析しても判断を誤るだけである。
 外務省のロシア・スクール(ロシア語を研修し、対露交渉に従事することが多い外交官のグループ)の諸君にお願いがある。北方領土問題について、人前に出しても恥ずかしくない基本知識を玄葉外相にたたき込む努力を全力で、可及的速やかに行って欲しい。このままだと玄葉外相がイカレた発言を続け、北方領土交渉において日本が窮地に追い込まれる状況が近未来に生じる。それを防ぐのが、国民の税金から給与を得ている国家公務員であるロシア・スクールの諸君の仕事だ。(2011年9月7日脱稿)  *強調(太字・着色)は来栖
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佐藤優(さとう まさる)
 1960年生まれ。作家。1985年に外務省に入省後、在ロシア日本大使館勤務などを経て、1998年、国際情報局分析第一課主任分析官に就任。2002年、鈴木宗男衆議院議員を巡る事件に絡む背任容疑で逮捕・起訴。捜査の過程や拘留中の模様を記録した著書「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社、第59回毎日出版文化賞特別賞受賞)、「獄中記」(岩波書店)が話題を呼んだ。2009年、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決が確定し外務省を失職。現在は作家として、日本の政治・外交問題について講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。近著に「予兆とインテリジェンス」(扶桑社)がある。
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玄葉光一郎新外相へのシグナルは出ている 「ロシアの声」(旧モスクワ放送)/北方領土問題をめぐって 2011-09-07 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
ロシアは野田新政権を日露経済協力に誘おうとしている/原発政策を見極めながら、LNGカードを切ってくる2011-09-02 | 政治〈国防/安全保障/領土〉

中国から見た野田新政権 「中庸」の政治を期待するも「緊密経済」「離心政治」の矛盾は解決せず

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中国から見た野田新政権 「中庸」の政治を期待するも「緊密経済」「離心政治」の矛盾は解決せず
Diamond online 2011年9月8日DOL特別レポート
 中国では、野田新首相に対してA級戦犯発言に注目が集まる一方で、「中庸」の政治姿勢に期待する声もある。ただ、来年の日中国交正常化40周年を前にしても、緊密さを増していく経済と離心していく政治の矛盾は解決できそうにない。(在北京ジャーナリスト 陳言)
*戦犯問題と日米同盟 野田氏の政治的イメージ
 日本では野田新内閣を表すのに「ドジョウ」という言葉をよく聞くが、野田新首相自身の言葉である「中庸」はあまり聞かない。しかし、中国のテレビ、新聞では、野田内閣を「中庸」内閣と見ており、あるいは中庸になってもらいたいという気持ちで、そのように野田内閣に期待をかけている。
 台湾の学会に参加しながら、テレビの取材を受けた清華大学の劉江永教授は、「野田さんは、中庸の政治を行うだろう」と何度も話した。また週刊経済新聞の『経済観察報』(2011年9月5日付け)でも、日本人評論家の遠藤大介氏の記事が「オブザーバー」紙面のトップを飾り、さらに他の紙面も借りるほど、「中庸政治」について十二分なスペースを割いて論じている。
 たぶん両者とも月刊誌に発表した野田新首相の論文「わが政権構想 今こそ『中庸』の政治を」を読んで、野田内閣をそのように見ていたのだろう。一方、大衆紙の『新快報』(2011年9月1日)は、中庸に期待をかけるより、先の民主党代表選では外交などはあまり議論されなかったことでもあり、「60日間ぐらいは、新内閣を静観しよう」と書いている。
 遠藤論文では、あえて中国や日本で注目されている「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」という野田新首相の持論にはまったく触れずに、野田内閣の対中外交の可能性については、以下4点にまとめていた。
1)アメリカの国益に背くような対中政策は取らず、
2)政治より経済と金融の面でまず中国と話し合い、
3)中日外交よりも多国間の外交を重視し、
4)日本の国家利益を優先にして、その利益に反する中国の行動に対してはしっかりとした措置を取る。
 中国の一部マスコミがA級戦犯問題に論点を集中させているなかで、遠藤氏は、悲観的に中日関係を分析している。対話よりも遠回りの対立から、最終的には直接な対抗までエスカレートするだろうという予測が、彼の論文からは読み取れる。遠藤論文の順位付けから見ると、野田内閣は何よりもアメリカの利益を守り、その次に中日の経済、さらに中国とは直接な外交よりも、その他の国々も巻き込んでの対中外交を展開して、最後に日本の国益も守ると言っている。
 中国で日本の政治経済について長く発信してきた評論家として、そのような論法は中国人読者に理解しやすいし、また遠藤氏なりに野田内閣の対中外交を予見してもいる。中国のマスコミも国内の評論家より、むしろ日本の評論家の論文を掲載して、本当の日本を紹介しようと努めている。
 日米関係の強化は、野田内閣の最優先課題だという点では、劉江永氏も同様の考えを持っている。野田新首相は、たしかに財務大臣として外務大臣よりも多くの外国を訪問してきた。しかし、外交に長けているという話はあまり聞かない。中国については直接の発言はほとんど見かけない。日本の月刊誌の論文を読んだであろう劉氏たちには、どうしても日米同盟重視の印象が残る。
 松下政経塾のOBとしては、その中国観は、まず民主党元代表の前原誠司氏(現政調会長)の姿勢が代表的なものであった。前原氏は「現実的な脅威」という言葉を好んで使っており、中国では「脅威」という言葉を直接使って中国人に話をしていた。野田氏は「脅威」とまでは言っていないが、日本の月刊誌に掲載した論文から見て、中国を懸念の対象と思っており、この点では松下政経塾の共通した認識だろうと思われる。
 A級戦犯発言を別にして、野田首相の対中感情は、好き嫌いで分けるとすれば、とても「好き」の分野になく、またそれは松下政経塾のOB政治家だけでなく、現在の日本に漂っている嫌中ムードによくマッチしていると思われる。
*緊密さを増していく経済と離心していく政治の矛盾
 40年前、中国と日本の国交正常化にあたって、「政経分離」か「政経不分離」かの議論を盛んに行った時期があった。冷戦構造の中では、短期的には政治的友好関係を結んだ時期もあったが、冷戦崩壊に伴い、中日間の政治分野では常に離心力のほうが強く、経済はそれに反して求心力が強かった。両者のバランスを取ることは、たいへん難しいことである。
 政治的な混乱は、それをさらにエスカレートさせている。菅内閣までの5つの日本の内閣は混乱しており、野田内閣も引き続き混乱していくだろうと、日本の評論家である劉檸氏は見ている。
 中日経済関係は相互補完を特徴としており、ほとんどの分野で直接な競合関係にはならない。国際市場でもそうであるし、中国国内市場で見ても、日系企業はハイテクなどの分野でものづくりをしており、物流でもそれなりの先進性を持っており、中国企業と直接に競合していない。
 中国市場では、日系企業がまず韓国系企業と家電の分野で、台湾企業とハイテク部品の分野でそれぞれ競合しているが、本当に中国企業と直接対抗しているわけではない。経済については、この中日の相互補完関係はしばらく継続していくだろうと思われる。
 しかし、政治の分野は必ずしも順調ではない。歴史問題は長年にわたって両国関係に影響を与えている。「歴史的な和解に至らず、結局、中日両国は相互信頼の関係をなかなか創り上げられない」と、中国社会科学院日本研究所長の李薇氏は言う。「戦争をめぐる日本社会の認識と記憶は、日本社会を分断している。国内に統一した歴史認識がないので、中国などアジアの被害を受けた国に向かい合うとき、日本から出された声は、往々にして曖昧であり、矛盾している」と、李所長は野田内閣が発足してからすぐ、大衆紙『環球時報』に小論文を公表した。野田内閣もそのような矛盾を解決することは、難しいだろうと思われている。
 そうすると、野田内閣時代に、中日政治関係の好転はあまり予見できないだろう。政治と経済の関係においては、こらからも中日がこの相反する2つの方向を内包しながら展開していくが、野田内閣はバランスが取れるか、そもそもそのバランスを考えているかについて、中国の研究者はなかなか結論が出せないままである。
*政治安定は2013年以降迷うばかりの中日関係
 前述した遠藤大介氏は、野田内閣が長期政権になるだろうと推測しているのに対して、劉檸氏は再び短命内閣になるのではないかと見ている。脱官僚、脱原発、脱小沢の3つの「脱」が、菅内閣の特徴だと劉は分析する。その3つの脱はほぼすべて未完成のまま、菅内閣は辞職した。次の野田内閣は、官僚や原発からの「脱」の文字は、「脱落」していくが、脱小沢は党内で引き続いて継続していき、禍根も残していくだろう。短命の原因は、そこにあると見ている。
 財政、経済に詳しいと言われる野田首相は、増税というはっきりしたスローガン以外に、産業空洞化、エネルギー不足、財政赤字をどう解決していくか、明確な方針を持っているわけではない。円高が継続していくなか、日本経済は「失われた30年」という歴史上に希に見る難境に陥る可能性もある。
 「日本国民はそのうちに、野田内閣が党内の闘争に明け暮れ、経済政策が欠如していると見抜くと、またすぐ忍耐力がなくなる。2009年にあれほど民主党に期待をかけた日本人は、今度、野田内閣にもう1回期待をかけているが、結局また早く失望していくのではないか」と、日本専門家は言う。自民党から民主党への権力移譲によって、日本の政治の混乱は続き、どうしてもあと1回は選挙をやらないと、「日本の政権交代は機能しないだろう」と、同専門家は見ている。
 日本国内政治が不安定な中で、中日の政治関係が安定を保つことも難しい。来年9月29日に中国と日本は国交正常化して40周年に迎えるが、「不惑の中日関係を創り上げていく」ムードは、少なくとも現在の中国にはあまりない。
 現在、中国人にとってわかりやすい「中庸」という言葉を、野田政権の分析のキーワードにして、あまり過激な中日関係(中日友好、あるいは逆に反日嫌中)をつくらないことが、なによりも重要であろう。短命内閣の噂を撃退するには、野田内閣の対中政策、アジア政策のお手並みを、早く拝見したいところだ。
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国際秩序 『乱』の時代 中国が世界とどのように付き合うかは、21世紀の国際政治の最大のテーマ2011-09-06 | 国際/中国
 世界を語る 国際秩序 乱の時代
日本経済新聞 特集 2011/09/04Sun. 閻 学通(ヤン・シュエトン)・中国清華大学国際関係研究院長
 中国が世界とどのように付き合うかは、21世紀の国際政治の最大のテーマといえる。中国を代表する外交論客、閻 学通・中国清華大学現代国際関係研究院院長に展望を聞いた。
ーー米国債は格下げされ、欧州は債務危機に陥っています。中国から見て世界はどのように映りますか。
 「1文字で表せば『乱』。先進国だけでなく、中東でも衝突が続く。私に言わせれば至って自然なことだ。世界唯一の超大国だった米国が後退を始め、国際秩序は移行期に入った。移行期に国際政治は不安定になるものだ。
ーー世界は徐々に多様化に向かうのでしょうか。
 「そうは思わない。経済力、軍事力など物質的な力、いわゆる『ハードパワー』で測れば世界は米中の2極体制に向かっている。今後10〜15年で、米国との力の差を縮小する国は中国しかいない。日本もドイツも英国も、米国との差は開いていくだけだ」
 「しかし国力を定義するのはハードパワーだけではない。同盟国との戦略的な友好関係も力の源泉だ。米国は世界の70か国以上と同盟・協力関係を持ち『同盟の力』では断トツな存在だ。中国はパキスタン、北朝鮮とは友好関係にあるが本格的な同盟関係とはいえない。中国が米国に並ぶ超大国になるには、周辺国との戦略的な同盟関係を強化しなければならない」

 

 ーー同盟関係はどのように築くものですか。
 「周辺国に安全保障を提供することだ。経済的な結びつきがいくら深くても安全保障の連帯にはかなわない。例えば中国はもう何年も日本の最大の貿易相手国だが、米国に代わる存在にはなれない」
ーー多くの国が米国と同盟関係を結ぶのは、自由や民主主義という価値観を共有するからではありませんか。
 「それは典型的な西洋型の解釈だが正しくない。米国がどこよりも多くの同盟関係を持つのは、どこよりも出費して安全保障を提供しているからだ」
ーーしかし尖閣諸島や南シナ海の領有権を巡る中国の姿勢を見て、同盟関係を結びたい国はないのでは?
 「あなたは米国の友好国にしか注目していない。中国に安全保障を提供してもらってもいいと考えている国は少なくない。パキスタンが典型例だが、最低でも10か国はあげられる。北朝鮮もそうだし中国の西の国境に接するカザフスタン、キルギス、タジキスタン、東南アジアではミャンマー、ラオス、カンボジア、南アジアではネパール、バングラデシュ、スリランカが中国と安全保障関係に違和感を覚えていない。日本や韓国やベトナムだけがアジアではない」
■□ ■□ ■□
ーー世界が2極に向かうとすれば、中国はどんな「極」を担いますか。
 「孟子、老子、荀子ら中国古代の賢人らは、それぞれの時代に中国がどんな大国であるべきかを盛んに議論していた。彼らは3つのリーダーシップがあるとみていた。『専制』と『覇権』と『王道』。専制は圧倒的な軍事力で世界の秩序を維持しようとする。覇権は軍事力と同盟関係の拡大で世界に影響力を行使していく。今の米国がこのタイプ。同盟国から信頼されなければならないので行動は自制され、専制よりはましだ。ただ、覇権はダブルスタンダードを招く。中東でも、米国は同盟国バーレーンには決して武力介入しないが、非同盟国のリビアでは為政者を排除するための軍事行動に参加する」
 「古代の賢者が最適な道と考えたのは孟子が唱えた『王道』だ。わかりやすく言えば、『人情のある権威』だ。王道は軍事力と道徳規範の2つで指導力を発揮する。国際的な基準、ノルマを順守する。同盟国と仲良くするだけでなく『徳』によって非同盟国も味方につけていく。中国は王道を目指さなければならない。こうした方向性を世界に発信すべきだが、今の外交方針は永遠に先頭に立たないとの立場だ。これでは世界の疑心が深まるばかりだ」
ーー中国は国際社会でより責任ある行動を取るべきだということですか。
 「そうだ。しかし、それには?小平氏が掲げた『韜光養晦(とうこうようかい)=能力を隠して力を蓄える』を改めなければならない。?小平氏は、まず中国の物質的な力を高めることを優先していた。当時の経済力は世界で8位や9位。世界2位になった今の時代には適さない」
■□ ■□ ■□
ーー日本人として中国の外交転換は心配です。
 「日本は世界2位の地位を失ったばかりで心配するのは理解できる。しかし日本の後退は政治指導力の問題だ。『荀子』によれば、国は小さくても政治が強ければ、国は強くなる。10か月に1度、首相を取り換えていては強い指導力が生まれるはずがない」
ーー選挙を経ていない中国の政治は強いといえますか。
 「強い政治とは何か。人々が幸せであることだ。人を幸福にするのはお金ではなく、フェアで公正な社会だ。今の中国では汚職や格差など社会の矛盾を修正し『調和のとれた社会』を目指す政治勢力と経済発展を重視する勢力が激しい闘争を繰り広げている。特に地方の書記や省長は経済発展を重視する。経済さえ成長すれば政治も安定するという見方が強いが、逆だ。?小平氏の改革開放政策が成功したのは毛沢東氏の階級闘争を大胆に切り替える政治力を発揮したからだ。
ーー徐々に西洋のように自由で民主的な国に向かうということではありませんか。
 「違う。西洋型の自由民主主義は自由選挙と表現の自由さえあれば、たとえそれが混乱や貧富の差や民族間の衝突を生んだとしてもかまわないとする。結果よりプロセスの重視だ。私は結果を重視する。民主主義は社会秩序とセットでなければならない。秩序のない民主主義を混乱といい、民主主義のない秩序は全体主義と呼ぶ。インドやフィリピンは民主主義だが腐敗や社会の不公正は深刻だ」
ーー米国はどんな方向に向かうとみていますか。
 「来年の大統領選挙で新しい指導体制が生まれれば衰退を食い止めることができるかもしれない。オバマ大統領は協調主義外交を取り、同盟の力を高める能力はある。しかし米国のハードパワーを高める能力が決定的に欠けている。借り入れに頼っていては復活できない。クリントン元大統領のように財政黒字を拡大し、ハードパワーを高めるレーダーを必要としている」  *強調(太字・着色)は来栖

閻 学通Yan Xuetong(ヤン・シュエトン)
 1952年、天津市生まれ。黒竜江大卒、米カリフォルニア大バークレー校で博士号取得。政府系シンクタンクを経て清華大教授。専門は国際関係。文化大革命で東北部の農村に放され、16歳から9年間過ごした。「苦難を経験していない人は国際関係について楽観的になる傾向がある」と語る。2008年に米誌フォーリン・ポリシーが選ぶ「世界で最も影響力を持つ知識人 100人」に入った。

<インタビューを終えて>
 先月、バイデン米副大統領が訪中した。四川省成都で専用機「エアフォース2」から出てきた副大統領が手にしていたのが閻教授の新著だった。6月に北京市内で開かれた外国特派員協会主催の講演でも、米、仏、スイスなど各国大使館の政務担当者が駆けつけ、立ち見が出るほど盛況だった。中国外交の先行きのヒントを得ようと多くの人が耳を傾ける。
 タカ派のリアリストだ。ブッシュ前米政権で強硬外交を主導したネオコンになぞらえてネオコム(ネオコミュニスト、新共産主義派)と呼ぶ人もいる。主張は大胆で時にゾッとする。それでも不思議と説得力があるのは米欧の収縮と中国の拡大が目に見える現実として存在しているからだろうか。
 言論統制がある中国で自国批判をする識者は少ない。閻教授が古代の賢者を引用するのは彼らに主張を代弁させている側面がある。辛口コメントもよく見ると現指導部への批判はない。
 それでも政治・経済両面で?小平路線を「時代遅れ」と言い切るのは新鮮。共産党と政府の重要機関が集まる「中南海」はベールに包まれているが、そうした議論はあるのだろう。(北京=守安健)
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バイデン副大統領訪中で米国が見せた中国に対する配慮/日米中のトライアングル、米中2国間の関係に2011-08-30 | 国際/中国
 毎年首相が交代する日本の不安定な政治によって、グローバルの場における日本の存在が薄れている ・・・・

国が原発周辺住民に電気料金を一部肩代わりする「電源地域振興センター」 職員の半数、電力会社から出向

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職員の半数、電力会社から出向 原発立地振興の財団法人
中日新聞2011年9月8日 09時02分
 原発が立地する周辺地域に電気代の一部を給付する業務を財団法人「電源地域振興センター」(東京都)が独占してきた問題で、同センターの職員の約半数は、電力会社からの出向者で占められていることが分かった。出向者の給与も電力各社が負担していた。公益法人でありながら、電力業界寄りともいえるセンターの体質が浮かび上がった。
 電源地域振興センターは、本紙の取材に対し、37人の職員(2011年3月現在)のうち、18人が東京電力や中部電力など電力会社11社からの出向者ということを明らかにした。
 直接雇用されているのは全職員の半分以下の16人で、残る3人は立地自治体からの出向者。センターは「どこの自治体から出向しているかは答えられない」と話した。
 3人いる常勤役員のうち一人は、関西電力からの出向者で、報酬は同社が負担。他の2人はともに経済産業省OBで、理事長は元中小企業庁長官の新(あたらし)欣樹(きんじゅ)氏、理事は元中部経済産業局電力・ガス事業北陸支局長の笠原彰氏。年間報酬の規定上限は、理事長が1900万円、理事が1550万円となっている。
 人件費のほか、電力各社はセンターに年会費も納めている。東芝や日立など原子炉メーカーなども支払っており、年会費の合計は1億1478万円(10年度)とセンターの重要な収入源になっている。
 本紙の取材に、東電は「出向目的は立地対策や地域振興のノウハウを得るためで、給与の契約はコメントできない」と話している。
 職員も収入も電力会社頼みの状況にセンターは「人件費をかけない分、立地自治体に提供するサービスを充実できる。電力業界寄りの仕事は一切していない」と強調している。
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国が原発周辺住民や企業に給付金を支払い、電気料金を一部肩代わりする「原子力立地給付金交付事業」2011-09-07 | 地震/原発
  
 天下り団体が独占受注 原発立地の電気料金割引業務
中日新聞2011年9月7日 08時50分
 原発が立地する地域への電気料金の割引事業をめぐり、経済産業省OBが4代続けて理事長を務める財団法人が、割引分の現金を各世帯などに給付する業務を事実上、独占的に受注していることが分かった。経産省などが通達や給付金の運用規則で財団に半ばお墨付きを与えていた。地域振興を名目に国から交付された原発マネーが、特定の天下り団体に流れ込んでいる。
 この財団法人は電源地域振興センター(東京都)。自治体から業務を受注した後、実際の業務は電力会社に丸投げし、2010年度には、計約3800万円(決算額)を得ていた。
 割引制度は、国が地方自治体に給付金を交付した後、自治体がセンターに補助金として支出する。10年度は、北海道や福井、静岡、滋賀など原発が立地したり隣接する15道県に計約210億円が交付され、センターが住民への支払い業務のすべてを受注。給付金の計算や住民らへの現金振り込みなどの実務は、電力会社が行っていた。
 経産省などは04年に定めた運用規則で、給付業務の主体を原発設置の円滑化に資する事業を行う公益法人などに限定。それ以前も、センター設立直後の1990年から、原則としてセンターを活用するよう各自治体に通達を出していた。通達は2005年に廃止されたが、同様の業務を行う公益法人は他になく、事実上の独占が続いている。
 経産省資源エネルギー庁電源地域整備室は「今はどの団体を選ぶかは各自治体の裁量に任せている」と説明する。しかし、原発立地県の担当者からは「慣例としてお願いせざるをえない」との声が出ている。
 センター理事長で、元中小企業庁長官の新(あたらし)欣樹(きんじゅ)氏は「電力会社がちゃんとやっているかどうかをみたりしている。(業務の)丸投げじゃない」と説明している。
 ■電気料金の割引制度 正式名称は「原子力立地給付金交付事業」で、地域振興を名目に自治体に対して行う立地対策の一つ。国が原発の設備能力などに応じて、周辺地域の住民や企業に給付金を支払い、電気料金の一部を肩代わりする。2010年度は105万世帯の家庭と企業が割引対象となった。東京電力柏崎刈羽原発が立地する新潟県では、原発周辺の住民に年間約9500〜1万9000円が給付される。
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「原子力」天下り 結ぶ 「原子力村」霞が関一帯に密集2011-07-16 | 地震/原発


 
 中日新聞 特報 2011/05/18 Wed.
 連休の谷間に当たる今月2日、経済産業省は幹部OBの電力会社への再就職状況を公表した。過去50年に68人。これはこれで驚くべき数字だが、調べてみると、電力会社のほかにも、原子力関連の公益法人や独立行政法人への「天下り」の実態が分かった。電力会社に中央省庁、そして関連の公的な法人。一覧にすると、都心に根付いた「原子力村」の存在が浮かび上がってくる。(篠ケ瀬祐司)

関係17団体に36人 経産・文科省出身者目立つ
 本紙が、原子力行政に携わる経産省と文部科学省が受け持つ公益法人を中心に、原子力や放射線に関連する29の公益法人や独立行政法人をピックアップし、これらの団体の監事以上の役員について経歴を調べたところ、官僚のOBは17団体に36人(うち非常勤15人)いた。
 目立つのは、両省の出身者。東京電力福島第1原発の事故以来、有名になった原子力安全・保安院の元幹部や、原子力安全委員会の事務局を経験した人もいる。
 こうした団体の業務内容をチェックした。財団法人「日本立地センター」(東京)は原発や核燃料サイクル施設などの建設のため、地域住民らに広報する団体。同じく「原子力安全技術センター」(同)は、試算結果の公表遅れが問題となった放射性物質の拡散予測システム「SPEEDI」を運用する。
 いつものことだが、こうした法人に再就職した官僚OBはどの程度の報酬を手にしているのか。
 発展途上国の原子力導入に関する技術協力を行う社団法人「海外電力調査会」(東京)の専務理事の報酬年額は、上限で約2千90万円まで認められている。
 この団体の2009年度の事業収入約14億4千万円の8割ほどは、東京電力など全国の電力10社と、電源開発、日本原子力発電の会費・分担金が占めている。
*高給の原資に電気料や税金
 電力会社を支えているのは市民らの電気料金。その1部が官僚OBの高給の原資にも使われていることになる。
 原子力施設での核燃料物質の分析などを担う財団法人「核物質管理センター」(東京)の専務理事の報酬年額は約千5百万円。09年度事業収入のうち、9割以上は国からの事業だ。官僚OB役員の報酬を市民の税金が支える仕組みだ。
 原子力施設の検査や原発設計などの安全性を評価するという独立行政法人「原子力安全基盤機構」(東京)。公開されている09年度の理事長の報酬は年額で約千9百万円。原発など発電施設のある地域の振興を事業内容とする財団法人「電源地域振興センター」(同)の理事長報酬も年額千9百万円(上限)だ。
 こうした実態に対し、政界からも厳しい目が向けられている。
 衆院で経産省OBの電力会社への再就職を追及した塩川鉄也衆院議員(共産)は「電力業界本位の原発政策推進の見返りに、経産省官僚が電力会社に天下っている。この構造は電力会社を頂点に広範な関係団体への天下りで成り立っている。関係団体への天下りも禁止し、産官の癒着構造を断ち切るべきだ」と指摘する。
 ナトリウム漏れ事故などトラブル続きで休止中の高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)を設置した独立行政法人「日本原子力研究開発機構」(茨城県東海村)では、3人の官僚OBが役員を務める。機構側は「3人はいずれも専門家としての知見を期待され、公募で選ばれた」と説明する。
 同機構にはもう1人、文科省から現役出向中の役員がいる。こうした現役出向や公募をどう考えるか。
 公務員制度改革を掲げるみんなの党の山内康一衆院議員は「若手官僚の現役出向は現場経験を積ませる意義があるが、50代以降の官僚では事実上の勧奨退職(肩たたき)による天下りだ。公募でも、募集要件が官僚出身に有利になったり、募集側、応募者双方が行政を介して知り合いなら“原子力村”的ななれ合いが生じたりする可能性がある」と語る。
 「こうした『偽装現役出向』や『やらせ公募』がないか、チェックする必要がある」

  
霞が関一帯に密集
 「原子力村」とは、産・官・学が一体となって原子力行政を推進してきた体制を指すが、官僚OBの再就職を調べる過程で、中央省庁がある東京・霞が関近くに原子力関連団体が多く集まっていることに気付いた。
 原発事故での避難区域同様、経産省総合庁舎を中心に半径5百?の円を描いてみた。すると、官僚OBの役員がいない団体を含め、原子力関連の財団法人など3か所、電力会社の東京支社2か所がこの範囲に収まった。同省別館にある原子力安全・保安院はもちろん、文科省、原子力安全委員会もこの圏内だ。
 半径1?まで拡大すると、さらに3つの財団法人などがエリア内に入る。東京電力本店や、電力2社の東京支社、首相官邸や国会議事堂もこの「1?圏内」だ。
 中央省庁と関係団体の距離について、前述の山内氏は「原子力に携わってきた人たちは出身校が同じだったり、長年仕事での付き合いがあったりして、気心が知れていることが多い。そうした人たちが物理的に近接した『原子力村』にいると、癒着を生みやすい」と警鐘を鳴らす。
*物理的近さも癒着の一因に
 官僚OBが役員を務める場合は、特に注意が必要だとみる。山内氏は「“スープの冷めない距離”に事務所を置くと、簡単に現役官僚を呼び付けることができるし、自分も役所に乗り込みやすい。現役時代と同じ地域に勤め、同じようなメンバーと慣れ親しんだ店で飲食する。原子力村のやすらぎを覚える分、まだ権限があると錯覚しやすい」と、市民との距離を案じた
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原発問題の裏にある経産省・東電「天下り・利権の構図」/退職勧奨を受けた古賀茂明キャリア官僚VOL.1〜3 2011-07-25 | 地震/原発

繰り返し問われた「牛を屠る」仕事に就いた理由

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繰り返し問われた「牛を屠る」仕事に就いた理由 児玉清さんと私(2)
 佐川 光晴

JBpress2011.09.08(木)
 児玉さんがカバンから取り出した2冊の本『生活の設計』と『牛を屠(ほふ)る』は、どちらも私の労働経験を題材にした作品である。ただし、前者は小説で、後者はノンフィクションという違いがある。
 私は作家になる前、大宮にある屠畜場の作業員として働いていた。1990年7月16日から2001年2月10日までの10年半にわたり、主に牛の解体作業に携わった。
 大宮食肉中央卸売市場・大宮市営と畜場(現さいたま市食肉中央卸売市場・さいたま市営と畜場)はJR大宮操車場の北端に位置し、北関東一円と東北地方さらには北海道から運び込まれる牛や豚を屠畜して、出来上がった枝肉を競りにかけて首都圏に流通させている。
 牛に関していえば、品川区にある芝浦屠場が高級な肉牛ばかりを扱うのに対して、大宮屠場は乳牛としての役目を終えたホルスタインの牝牛を中心に、ランクがあまり高くない牛を引き受けていた。
 私の在職中は、1日平均、牛が100頭、豚が400頭くらいだったと思う。季節によって差があり、夏場は少なく、冬場の方が断然多い。牛の場合、11月中旬から2月中旬までは連日150頭が続き、それを20人足らずの作業員で解体していくのだから、脇目も振らずにひたすらナイフをふるい続けるしかない。
 生きている牛は温かく、解体されてゆく牛は熱い。裂かれた喉から溢れ出る血液、皮の下から現れる脂と筋肉、そして大きな腹にたっぷり詰まった内臓からも大量の熱気が放出される。コンクリート打ちっぱなしの作業場は真冬でも大型扇風機が回されて、それでも我々は大汗をかいた。
 1990年代に、1日平均100頭の牛を解体する屠場で、ナイフを基本に作業をしていたのは日本全国で大宮だけだったのではないかと思う。もろもろの事情から機械化が遅れたのが原因で、おかげでナイフの扱い方を徹底的に仕込まれた。
 文章はとても自慢できないが、ナイフの扱いについてならば、今でも胸を張りたい気持ちがある。それもこれも作業課の先輩たちが手取り足取り教えてくれたからで、この場を借りて、改めてお礼を申し上げたい。
 私がデビュー作となる『生活の設計』に取り組んだのも、大宮食肉荷受株式会社作業部作業課に所属していた我々の労働を記録しておきたいというのが大きな動機だった。ただし、小説という体裁を取ったために、職場の様子については書き切れない事柄も多かった。それは読む側も物足りなく感じていたようで、解放出版社の編集者の勧めにより、私はデビュー10周年の記念の年に『牛を屠る』を世に問うたのである。
                ★     ★     ★     ★
 児玉さんとの対談は『おれのおばさん』(集英社)の刊行に際して組まれたものだった。しかし、開口一番、『生活の設計』と『牛を屠る』に触れたところを見ても、児玉さんが屠畜の仕事に関心を抱いていることがよく分かった。そして、写真撮影のために屋上に向かうエレベーターの中で、児玉さんは私に言った。
 「大変恐縮だけど、手を見せてもらってもいいだろうか?」
 「はい」と答えて、私は左手を差し出した。
 『牛を屠る』には、私の左手に関する記述がある。詳しくは同書の<「逃げや」と「まくり」>の章を読んでもらいたいが、牛の皮を剥いていると、重たい皮を繰り返し引っ張るために、左手の爪と指先が変形してくる。
 具体的には、爪は大きく分厚くなり、指先は団扇のように膨らむ。しかも爪の先が開いてそこからゴミが入るため、爪が根元まで真っ黒になってしまう。反対に、爪がすり減り、指先がウインナーソーセージのようになってしまう人もいる。
 私の爪はどちらでもなかった。5年ほど働いたところで気づいたのだが、爪はいくらか厚くなっていたが、その変化は他の作業員たちに比べれば微々たるもので、爪が開いて隙間にゴミが入ることもなかった。
 「いい爪だね。おれのと取り替えてもらいたいくらいだよ」と作業課の先輩に言われて、私は驚いた。もともと男性にしては手が小さく、こんな手で牛の解体作業が上達するのかと悩んだこともあったのに、10年働いて腕前は上がっても、私の手にさしたる変化はなかった。
 そんな説明を手短にしていると、「本当に小さな手だね」と児玉さんは笑顔で言い、ご自分の手を広げて見せてくれた。それは大きな男らしい手だった。
                ★     ★     ★     ★
 写真撮影の間も児玉さんは終始笑顔で、私のおしゃべりに相づちを打ってくれた。しかし、屋上から2階の会議室に戻って椅子に着くと表情が一変し、真剣な顔で『おれのおばさん』の感想を述べられて、対談が始まった。
 興味のある方は、「青春と読書」(2010年6月号)を最寄りの図書館等で探していただければと思う。写真も3枚掲載されているが、対談での2人の位置関係を明かしておけば、児玉さんと私は、長さ10メートルはある細長いテーブルの端に、ほぼ向かい合うかたちで座っていた。私は右端の椅子に座り、児玉さんは端から2番目の椅子に座っておられたので、お互いの視線はテーブルをやや斜めに横切ることになる。これはカメラマンからの注文で、その方が写真を撮影しやすいとのことだった。児玉さんの背後がガラスで、私の背後が壁になる。集英社の方々は細長いテーブルの半分より向こう側に、固まって座っていた。
 『おれのおばさん』について一頻り話すと、児玉さんは居住まいを正してから、身を乗り出すようにして言った。
<児玉 ぼくが佐川さんにお目にかかりたいと思っていた理由の一つは、『牛を屠る』、『生活の設計』といった作品で、生きること、働くことの壮絶感みたいなものを、自分の胸元にいきなり匕首を突きつけられたようなところがあったからなんです。我々がのほほんとして肝腎なところを見過ごしてきたことを、佐川さんに教えていただいたといいますかね。
 佐川 ぼくが大宮のと畜場に飛び込んだのは、ある偶然なんです。そこで働いてもかまわないとなったときに、ぼくにとって大事なのは、それを選んだ理由よりも拒まなかったということの方なんです。と畜場で働くという選択肢を拒まないだけの根拠がぼくにはあった。それは児玉さんが偶然ではあれ役者という道を拒まずに続けたのと似たようなことかもしれません。
 児玉 いや、ぼくの場合は、拒んだけど行っちゃったんですよ。
 佐川 しかし、決定的には拒んでいない。
 児玉 たしかに。>
「青春と読書」2010年6月号、児玉清×佐川光晴 青春という名の驕傲
 こう書き写すと、すらすら話が進んだようだけれど、実際にはこのくだりだけでも30分はかかったように思う。
              ★     ★     ★     ★
 「きみはどうしてそこに行けたのか?」
 児玉さんから繰り返し問われて、私は答えに窮した。
 「ぼくが屠畜場で毎日ナイフを持って働いている理由? よし、説明してみよう!」とは、単行本『生活の設計』(新潮社)の帯に記された惹句である。しかし、私は260枚の長篇小説によってもその理由を説明しきれていなかった。
 その点は、『牛を屠る』においても同様であるにもかかわらず、児玉さんはしつこいくらいに理由を尋ねてきて、音を上げかけた時にようやく思いついたのが、「拒まなかった」という言葉だった。
 確たる理由や目的によって『牛を屠る』仕事に就いたのではなく、ある偶然によってそこで働けるとなった時に、私はそれを拒まなかった。そして、ナイフを握って働くうちに、働き続けてもいいと思うようになっていった。
 自分のことながら、誠にしっくりくる説明で、児玉さんが私を追及してくれなければ、「拒まなかった」という表現は出てこなかったと思う。
 続いて私は、職業安定所の女性職員から、明日にでも面接を受けられますがと問われた時に、「少し考えさせてください」と答えてもよかったのだと気づいた。実際、希望する職種を編集者から屠畜場の作業員に変更したいと申し出た時に、私に何か当てがあったわけではなかった。
 子供の頃、近所に屠畜場があったわけでもなく、親戚が働いていたわけでもない。それでも私にはナイフを持って働きたいという強烈な衝動があり、思い切って申し出てみたところ、すぐにでも働かせてくれそうな展開になったのである。
 だから、「少し考えさせてください」と言ったところで、なにも問題はなかったはずだ。ところが私は、なんとしてもその場で返事をしなければならないと思い込んでいた。
 「では、お願いします」と頼んだ時の、全身がしびれた感じを、私は今でも憶えている。
 この下りも対談の場で児玉さんに話したのだが、そこはすっかりカットされてしまっているので、この場を借りて再現しておきたい。
 午後4時過ぎから、1時間の予定で始まった対談だったが、気がつくと窓の外が夕焼けになっている。しかし、児玉さんは一向に話をやめる気配がなく、我々はさらに話し続けた。
・佐川 光晴 Mitsuharu Sagawa
 1965年東京生まれ。北海道大学法学部卒業。出版社、屠畜場の勤務を経て、2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞受賞を受賞しデビューする。2002年『縮んだ愛』で第24回野間文芸新人賞を受賞。その他の著書に『ジャムの空壜』『銀色の翼』『金色のゆりかご』『牛を屠る』『おれのおばさん』(第26回坪田譲治文学賞受賞)などがある。
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結婚のかたち 死に物狂いで止めておくべきだった原発2011-04-07 | 地震/原発


聞き飽きた、もう。法相が代わる度に、死刑について「考えていく」「国民的な議論を進めたい」

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死刑制度:平岡法相「国民的な議論を」
2011年9月13日 20時40分 更新:9月13日 23時33分
 平岡秀夫法相は13日、報道各社のインタビューで死刑制度について「執行するかしないかだけでなく、制度を国民と一緒に考えたい。国民的な問題提起をどう受け止めるかも考えたい」と制度存廃の是非も含めた国民的な議論を進めたいとの意向を示した。一方で「死刑執行を停止する判断に立つことはできない。死刑執行命令が法相の職責であることは十分承知している」との認識を示した。
 取り調べの可視化については「刑事司法制度全体の見直しの中で一番大きな課題は可視化だ。できるだけ早く結論を出して実行していきたい。全事件、全過程(での導入)が一つの理想」と述べ、早期法制化に意欲を示した。毎日新聞【石川淳一】
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平岡秀夫法相 死刑執行は「考えていく」/ 死刑は教材か/「目には目を」の報復、すべきでない2011-09-03 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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〈来栖の独白〉
 聞き飽きた、もう。法相が代わるたびに「考えていく」「国民的な議論を進めたい」である。「死刑」は、まるで法相と国民のための教材、「後回し」「先送り」可能な大人しい(永遠の)教材のようだ。だが、この人権と命に関する高邁な命題は、ポピュリズム(政治家や国民)が考え、判断する事柄ではないのではないか。「和をもって尊しとなす」(談合)精神風土の我が国にあっては、死刑についていくら考えても、感情を超克した「撤廃」などという結論は芽すら出ないように思えてならない。
 フランスのごとく、秀でて優れた人物が国民世論をリードして決断(英断)する以外、解決を見ないのではないか。
 「死刑に関して国民的議論を起こす契機に」と元法相千葉景子氏は2010年7月28日死刑執行し、8月には刑場の公開もしてみせた。が、メディアも国民も、死刑廃止論者の法相が執行命令書に判を押したことに騒ぎ、そして東京拘置所刑場を怖いもの見たさで眺めただけだった。どこからも死刑制度に関する真摯な議論はわかなかったように思う。そして直ぐに忘れられた。
 死刑は、教材ではない。
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死刑 進まぬ議論/法相に執行を拒む権限はあるのか/法務大臣には死刑執行の法的義務は存在しない2011-08-13 | 死刑/重刑/生命犯 問題  
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法務大臣には死刑執行の法的義務は存在しない=安田好弘/死刑執行1年、千葉景子元法相決断の背景2011-07-29 | 死刑/重刑/生命犯 問題
  今回、千葉さんが、「死刑執行するのは法務大臣の義務だ」と言っています。実は、過去、法務省はそのようには言っていませんでした。これを言い始めたのは、後藤田元法相です。彼が1993年3月に死刑執行を再開した後に、自己の行為の正当化のために言い出したことです。彼に対しては、志賀さんや倉田哲治弁護士などが直接会って、執行をしないようにと話をし、彼はそれに対してよく考えてみるとか、団藤さんの本も実際に読んでみるとか、言っていたわけです。ところが彼は死刑を執行し、法務大臣には死刑執行をする法的義務がある、だから執行しないのは怠慢だし、執行しないならば法務大臣を辞めるべきだと、そもそも執行しない者は法務大臣に就くべきではない、と言い出したのです。今回の千葉さんも、詰まるところ同じことを言っているのです。
 私たちはその当時から、法務大臣には死刑執行の法的義務はないのだと言い続けてきました。これはスローガンとして言っていたわけではなく、法的根拠を持って言ってきたわけです。刑事訴訟法の475条第1項を見ていただければわかりますが、死刑執行は法務大臣の命令による、としか書いてないわけです。法務大臣が死刑執行をしなければならない、とは書いていません。これは法務大臣以外の者が死刑執行を命令してはならないという制限規定です。第2項に6ヵ月以内に執行命令を出さなければならない、となっていますが、これは法務省自らが訓示規定と言っているわけでして、絶対に守らなければならないというものではないわけです。
 法務省が言っていますが、法務大臣の死刑執行はどういう法的性質のものかというと、死刑執行を法務大臣の権限としたのは(権限です。義務とは言っていない)、死刑執行は極めて重要な刑罰なので、政治的責任を持っている人間しか命令してはならないものだ。法務大臣は政治的責任を負っているのだから、いろいろの社会的状況を考慮して、政治的な決断として執行を命令するのだ、という言い方をしています。ここからは義務だという発想は出てこないのです。法務省設置法という法律がありまして、法務省の責任や役目を示したものですが、3条、4条にはっきり書いてありますが、法務省の任務に、「基本法制の整備」、「刑事法制に関する企画立案」とあります。彼らの責務として法体制を改革したり改善したり、法律を新しく制定したり、法律を改正したり、ということがあるわけです。ですから法務大臣は死刑執行をすることが義務ではなく、死刑制度について改善したり、新しい死刑制度に関する企画を出したり、その企画が通るまで死刑執行を停止すると、いったようなことが法務大臣の義務としてあるわけです。千葉さんの発言は、これを完全に無視した発言であるわけです。
 さらに言いますと、官吏服務紀律という勅令がありまして、昭和22年に一部改正されており、国務大臣はこれに従わなければならないとされています。その1条には「国民全体の奉仕者として誠実勤勉を主とし法令に従い各職務をつくすべし」とあって、権限を行使する場合は、公僕として法律に則って職務を果たせという職務規範はあっても、死刑執行を命令しなければならないというような、羈束(キソク=つなぎとめる、拘束する)的に、必ず一定の行為を行わなければならないというような職務規範は予定されていないわけです。このように、法の規定からしても、また過去の法務省の理解ないしは解説からしても、法務大臣に死刑執行命令をする義務があるというのは、間違い以外何ものでもないと考えます。この点についても議論しなければならないと、私は思っています。
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死刑 悩み深き森/千葉景子さん「執行の署名は私なりの小石」(朝日新聞2010/11/20Sat.)
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「死刑とは何か〜刑場の周縁から」より
 中公新書『死刑囚の記録』
 ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は禁止すべきだということである。
 日本では(略)死刑の方法は絞首刑である。刑場の構造は、いわゆる“地下絞架式”であって、死刑囚を刑壇の上に立たせ、絞縄を首にかけ、ハンドルをひくと、刑壇が落下し、身体が垂れさがる仕掛けになっている。つまり、死刑囚は、穴から床の下に落下しながら首を絞められて殺されるわけである。実際の死刑の模様を私は自分の小説のなかに忠実に描いておいた。
 死刑が残虐な刑罰ではないかという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。
 たとえば1948年3月12日の最高裁判所大法廷の、例の「生命は尊貴である。一人の生命は全地球より重い」と大上段に振りあげた判決は、「その執行の方法などがその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」として、絞首刑は、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」などとちがうから、残虐ではないと結論している。すなわち、絞首の方法だけにしか注目していない。
 また、1959年11月25日の古畑種基鑑定は、絞首刑は、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じないと推定している。これは苦痛がない以上、残虐な刑罰ではないという論旨へと発展する結論であった。
 しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。
 なお本書にあげた多くの死刑囚の、その後の運命について知りたく、法務省に問い合わせたところ刑の執行は秘密事項で教えられないとのことであった。裁判を公開の場で行い、おおっぴらに断罪しておきながら、断罪の結果を国民の目から隠ぺいする、この不合理も、つきつめてみれば、国が死刑という殺人制度を恥じているせいではなかろうか。
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「『神的暴力』とは何か(上)死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い」より
 暴力を抑止する贈与こそは、「神話的暴力」を克服する「神的暴力」の原型だと言ったら、言いすぎだろうか。チンパンジーなど大型霊長類の分配行動(贈与)は、物乞いする方が至近で相手の目を覗きこむといった、スキンシップにも近い行動によって誘発される。森達也が教誨師や(元)刑務官から聞き取ったところによれば、死刑囚は、まさにそのとき、一種のスキンシップを、たとえば握手や抱きしめられることを求める。死刑の暴力の恐怖を、身体を接触し分かち合う感覚が中和しているのである。
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「目には目を」の報復、すべきでない/6割以上が死刑賛成という世論に迎合せず、仏大統領は死刑を廃止した2010-10-14 | 死刑〈国際〉
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人権と外交:死刑は悪なのか2010-11-26 | 死刑〈国際〉 
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犯罪とゆるし アーミッシュの寛容
 自動車や電気を拒み、非暴力を貫く米国のキリスト教の一派、アーミッシュ。06年秋、彼らの学校を男が襲い、女児5人を射殺した。惨劇の直後、彼らは自殺した犯人の家族を訪ね、「ゆるし」を伝える。不寛容が襲う世界を驚かせた行動は何を教えるのか。ノン・フィクション作家、柳田邦男さんと、米国の研究者、ドナルド・クレイビルさんが語り合った。(
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アフリカ東部ソマリア 死ぬまで石を投げ付ける「石打ちの刑」による公開死刑2009-11-20 | 死刑〈国際〉
 「石打ち」で女性を公開処刑=ソマリア
 【ロンドン時事】アフリカ東部ソマリアのイスラム系武装勢力アル・シャバブの支配下にある村でこのほど、姦通(かんつう)罪で有罪を言い渡された女性(20)に対し、死ぬまで石を投げ付ける「石打ちの刑」による公開死刑が執行された。
 英BBC放送によると、離婚後に未婚男性と関係を持ったとされるこの女性は17日、約200人の群衆の目前で石を投げられ、死亡した。男性は100回のむち打ちに処されたという。
 アル・シャバブの支配地域では厳格なイスラム法が適用されており、アル・シャバブの解釈では、離婚後でも不倫と見なされる。支配地域で姦通罪で石打ちの刑が執行されたのは昨年以降で少なくとも4例目。(時事通信2009/11/19-06:28)
 *女性失明事件の加害者に「目には目を」の刑執行へ イラン
 2009.02.20 Web posted at: 12:21 JST Updated - CNNワールド イラン テヘラン(CNN)
 イランの裁判所で、女性の顔に酸をかけて失明させたとして有罪となった加害者が、イスラム法の「目には目を、歯には歯を」の原則に従い、同じ方法で失明させる刑罰を受けることが確定した。女性の弁護士によれば、数週間以内に執行される見通しだ。
 被害を受けたのはアメネ・バハラミさん(31)。2002年、大学で電子工学を学んでいた24歳の時、同じ大学に通う当時19歳のマジド・モバヘディ受刑者に出会った。モバヘディ受刑者はバハラミさんに近づこうとしたが、拒否されるといやがらせを繰り返し、「結婚を承諾しなければ殺す」などと脅迫した。
 2004年11月、勤務先の会社から帰宅しようとバス停へ向かっていたバハラミさんを同受刑者が襲い、顔に酸を浴びせた。バハラミさんは重傷を負って視力を失った。同受刑者は2週間後に自首して犯行を自供。2005年に有罪を言い渡され、以来収監されている。バハラミさんの弁護士によると、同受刑者に反省の色はみられず、「愛しているからやった」などと話しているという。
 イランでは通常、被害者が加害者に「血の代償」と呼ばれる賠償金の支払いを求めることができるが、バハラミさんはその代わりに、モバヘディ受刑者の目に酸をかけて失明させる刑罰を要求。昨年末に地裁がこれを認める判決を下し、同受刑者が控訴していたが、高裁が今月、棄却を決めた。
 一部の人権団体などからは「残酷すぎる」と批判の声が上がっているが、バハラミさんは「復しゅうが目的ではない。今後同じ思いをする人がないようにとの願いから決めたこと」と説明している。
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 (マタイによる福音書5、38〜) “目には目を、歯には歯を、と命じられている。しかし、わたしは云っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。(略)求める者には与えなさい。あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは云っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。(略)あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい” 

厚労省 刑務所などの出所者 生活保護は「刑務所所在地」から転換、「申請地」で

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出所者:生活保護は「申請地」で 「刑務所所在地」から改正
 刑務所などの出所者に対して生活保護を実施する自治体について「刑務所の所在地」と定めた通知を、厚生労働省が約50年ぶりに改正し、出所者が申請した自治体が責任を負う方針に転換したことが分かった。国が障害や高齢のため自立困難な出所者への福祉的支援を始める中、刑務所のある自治体から負担増を懸念する声が上がったり、刑務所の周辺自治体で出所者の申請が断られたりするトラブルも相次いでいた。
 厚労省は今年4月1日付で通知の「刑務所の所在地」の規定を削除した。生活保護法では「居住地がないか明らかでない要保護者は現在地(所在する場所)を所管する福祉事務所が実施責任を負う」と定めている。1963年4月の旧厚生省社会局長通知では刑務所または少年院から釈放・仮釈放された者について「帰住地がないか、または明らかでない場合は、当該刑務所または少年院の所在地を現在地とみなす」と規定、帰る先のない出所者は刑務所所在地の自治体が生活保護を実施すると解釈されていた。
 厚労省と法務省は09年度から障害や高齢の出所者の受け入れ先を調整し、福祉サービスにつなぐ地域生活定着支援事業を開始。これを機に生活保護の実施責任について自治体からの照会が増えた。出所から半年たって刑務所所在地に保護を申請するケースなどに対し、所在地自治体から苦情もあったという。
 また、国内最大規模の府中刑務所がある東京都府中市などが09年11月、実施責任や費用負担が所在地自治体に集中しないよう求める要望書を、国に提出するなどの動きもあった。【牧野宏美】毎日新聞 2011年9月15日 東京朝刊
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「岡山刑務所」塀の中の運動会/塀の中の暮らし
出所後受刑者の生活支援。 高齢者がJR下関駅に放火した事件、犯行動機に「再び刑務所に入るため」2008-08-07 | 政治(経済・社会保障)

岩手県知事選、達増拓也氏が他候補を大差で破り再選

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岩手知事に達増氏再選  自民支援候補ら大差で破る
岩手日報(共同通信配信)2011年09月11日
 東日本大震災の影響で統一地方選から延期された任期満了に伴う岩手県知事選は11日投票、即日開票され、無所属の達増拓也氏(47)=民主推薦=が、自民党などが支援する元県議高橋博之氏(37)ら無所属新人3人を大差で破り、再選を果たした。
 被害の大きかった東北3県で初めての全県選挙で「復興の在り方」が争点となった。震災直後から陣頭指揮を執ってきた達増氏は、今後も復興のかじ取り役を担う。投票率は59・92%で過去最低だった2007年の前回を8・61ポイント下回った。
 県議選(定数48)も同日投開票され、民主党は数人の候補者を擁立した複数区で伸び悩み、目標の過半数には達しないことが確実になった。
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「菅政権は去年の参院選以後、王道を歩まず、邪道に邪道を重ねた」達増拓也 岩手県知事2011-06-06 | 政治
 菅首相退陣で復興連合政権の樹立を!
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)
 ついに菅首相が退陣することになった。
 やはり、参院選で大敗し、民意による不信任を受けた首相が、自ら作ってしまった「ねじれ国会」を切り盛りして政権を運営するということが、無理だったのだ。
 宇野宗佑首相、橋本龍太郎首相は、参院選大敗で「ねじれ国会」を作ってしまった際に、すぐに退陣した。その後にそれぞれ自公民路線、自自連立ができて、自衛隊のカンボジアPKO派遣や日本経済の景気回復という難局に取り組んだ。一方、安倍晋三首相はすぐに退陣をせず、政権は行き詰って、後になって結局退陣することになった。
 参議院の多数に支えられずに、政権を運営することは、まず無理なのだ。まして、選挙で参議院の多数を失った首相が、そのまま首相に居座ろうとすることは、どだい無理なのだ。退陣こそ王道だ。
 菅政権は去年の参院選以後、王道を歩まず、邪道に邪道を重ねた。もともと自民党の主張だった消費税引き上げを内閣の目玉政策にした。TPP参加という、大向こうのウケをねらうような新政策を突然ぶち上げた。党の代表選挙で次点となった有力者である小沢一郎氏を排斥し、マスコミ論調や自民党などの一部に媚を売ろうとした。
 これらの邪道路線は、去年の参院選の民意に反するだけではなく、「生活が第一」マニフェストで政権交代を実現させた一昨年の衆院選の民意をも裏切るものだった。民意に反したことに加えて、一方で自民党などを愚弄して不信と怒りを買い、もう一方で政権交代の盟友を虐げてきた。この邪道路線が、大震災後の対策にも深刻な影を落とし、内閣不信任案の可決やむなしという状況をもたらし、菅首相退陣という当然の結果になったのだ。
 ついては、一日も早く、衆参両院の過半数に支えられた、強力な内閣を作って欲しい。復興連合政権の樹立である。そして、被災者支援、復旧・復興を力強く進めて欲しい。原発事故の収束も、もちろんだ。
 ここで、民主党には猛省を求めたい。去年秋の代表選挙で菅首相の続投を決め、邪道路線にお墨付きを与えたことは、民主党全体の罪である。邪道路線に対して抵抗する民主党内有志が存在し、その粘り強い運動が今回の内閣不信任案可決やむなしから菅首相退陣への流れを作ったということは評価できる。しかし、邪道路線が国の政策をぐちゃぐちゃにし、そして大災害への対応を鈍らせた罪は、極めて重い。その罪は下野に値するほどだ。
 菅首相の次の総理大臣を当然民主党から出せるとは、思うべきではない。邪道路線を推進してきた菅内閣の閣僚や党幹部が、復興連合政権の首相になるべきではない。自民党やその他の党から総理大臣を出す方が、筋が通る局面である。
 なお、民主党の「生活が第一」マニフェストは、一昨年の衆院選で圧倒的な国民の支持を受けたのであり、その全面的放棄を自民党などが求めるのは、自重すべきだ。被災者支援や復旧・復興を進めるにあたり、「生活が第一」という理念はますます重要である。他方、大震災という緊急事態において、マニフェストに掲げた政策の内容を修正したり、優先順位を変えることは、当然必要である。超党派で、国民本位の議論をして、復興連合政権の基本政策を決めて欲しい。
 最後になるが、内閣不信任案に賛成した松木、横粂両議員を民主党が処分するのは、おかしい。菅首相本人が退陣すると言うのだから、首相の退陣を求める内閣不信任案に賛成するのは、首相の意に沿う。菅首相が退陣を決断した時点で、民主党の幹事長なり国対委員長なりが、自民党などに内閣不信任案の撤回を求めるべきであった。どうせ首相は辞めるのだから。そうすれば採決をする必要はなかった。意味のない採決であった。
 内閣不信任案を提出し、賛成した自民党などともこれから連携しようというのだから、松木、横粂両議員を罰するのは本当におかしい。邪道である。
 一日も早く邪道に決別し、政治の王道を歩み、被災者支援と復旧・復興、そして原発事故の収束を力強く進めていただきたい。  *強調(太字)は、来栖
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「小沢一郎」の人間力/周りの人たちは小沢に惚れ込み、仕えている。彼はウソをつかない。2011-06-06
WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)2011/5/27 小沢一郎元民主党代表インタビュー「天命に遊ぶ」2011-06-03 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
「16人の会派離脱」好感=平野貞夫元参院議員=達増拓也岩手県知事/上杉 隆2011-02-18 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
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日本で人気がある排除の論理=何かに反対することで自分を売り込む<アンチ左、アンチ右、反小沢>2010-10-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 達増拓也:反小沢の背景にある冷戦思考の呪縛 日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)
 検察審査会が小沢一郎氏の強制起訴を議決した。陸山会問題は石川、池田両氏の逮捕・起訴の妥当性すら疑わしいものであり、会計責任者だった大久保氏の起訴は、厚生労働省の村木局長事件をでっち上げた前田検事の取り調べによるものである。検察の暴走以上の暴走を、検察審査会がやってしまった。
 検察審査会に申し立てを行ったのは、「在日特権を許さない市民の会」の代表であると、本人がブログで公表している。ブログによると、「小沢一郎という巨悪を眠らせてはいけないこともありますが、外国人参政権実現のために誰よりも積極的なこの民主党大物政治家の動きを止めなければならないからです。」とのことであり、政治的目的のための申し立てであった。
 そもそも、西松事件、村木事件、陸山会事件と、検察特捜部が無理をしてまで小沢氏やその関係者(村木局長は石井一参議院議員を介して関係するという見立て)に罪を着せようと暴走したのは、どんなことをしてでも政権交代は阻止すべき、小沢一郎首相の実現は阻止すべき、という空気が検察組織を取り巻いていたからではないか。去年の春頃には、麻生首相も民主党のマニフェストをバラマキと批判し、「小沢一郎は社会主義者になった」と公言していた。首相が先頭に立って、小沢氏を保守主義の敵、日本の敵とみなす異常な空気を日本国内に広げていたのではないか。
 いわゆる保守主義者、愛国者が小沢氏に罵詈雑言を浴びせ続けている一方で、左翼的な立場からは、小沢一郎氏は自民党的な古い政治家でダーティであるというバッシングが続けてられている。右からも左からも叩かれるのである。
 実は、小沢一郎氏は、自民党幹事長だったころから、ポスト冷戦=冷戦後の日本のあるべき姿を真剣に考え、脱冷戦構造をめざす改革を強力に追求してきた一番の政治家である。小沢氏は新進党時代から世界各国の自由党の集まりである自由主義インターの会議によく参加していた。英国の今の自由民主党の系列であり、権威主義でなく、社会主義でない、という路線。ブレア労働党の「第三の道」を先取りする路線であった。規制改革と社会保障の充実、地方分権、国連中心の安全保障、等々、右と左の対立という冷戦時代の枠組みを超えていく改革を小沢氏は目指してきた。
 グローバル化でますます不安定になる経済社会に対応するため、市場メカニズムを尊重しつつもセーフティネットを強化する、右と左の合わせ技。日本の自民党が政権を手放すことになったのは、セーフティネット強化は社会主義的で良くないという冷戦思考の呪縛にとらわれ、右であることにこだわり、みすみす格差社会化を招いた事が本質的原因だったのではないか。
 一方、民主党で反小沢のスタンスをとる議員たちは、市場原理主義的な小泉−竹中路線に共感し、国民生活を守ることよりも財政再建を前面に押し出す向きがある。安全保障政策では、冷戦時代の日米同盟を維持できればよいという、対米従属的な姿勢が強い。政策面では右なのだが、保守政治家の行動様式を忌み嫌い、小沢氏にダーティのレッテルを張る点では左である。
 このように、冷戦時代の左右対立の思考にとらわれ、アンチ左とかアンチ右とかを行動原則にしている者たちが小沢バッシングに走るのだが、日本の政界関係者の多くがこのように動く。また、日本のマスコミや言論界も、左右対立の図式に乗っかって商売をする傾向が未だに強く、マスコミが右からも左からも小沢バッシングをするという異常事態が発生する。マスコミ論調=世論として迎合を旨とする者たちも多く、その中での今回の強制起訴騒ぎである。
 これは、日本に一番必要な改革路線を一番真剣にやろうとしている小沢氏を、寄ってたかって引きずり降ろそうとする、日本にとっての最大不幸である。
 小沢氏は、元自民党の政治家であれ、元社会党の政治家であれ、それぞれのいい所を合わせてグローバル時代に対応していけばよいとしており、排除の論理の正反対である結集の論理で動いてきた。一貫して、改革の旗の下に多数を形成する努力をしてきた。しかし日本で人気があるのは排除の論理である。アンチ左、アンチ右、そして反小沢。何かに反対し、攻撃することで自分を売り込む手法。そういう人たちが、偉くなり、頂点を極める日本である。
 レミングの集団自殺のように破滅に向かって狂奔する日本。しかし、「オザワ現象」を巻き起こした、自分で見聞きし自分で考え自分で判断する日本国民は、未だ少数ながら確かに存在する。「オザワ現象第二ステージ」で強制起訴騒動を乗り越え、脱冷戦=日本一新の改革へとつなげていかなければならない。
投稿者: よろんず 日時: 2010年10月10日 09:19

鉢呂大臣辞任 流れをつくったのは経産官僚か/古賀茂明氏の出処進退にみる 公務員制度の摩訶不思議

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鉢呂大臣辞任 流れをつくったのは経産官僚なのか
日刊ゲンダイ2011年9月15日

「反原発人事」を進めた矢先の引きずり降ろし劇
  鉢呂吉雄・前経産相を辞任に追い込んだのは経産官僚なのか――!?
  信憑(しんぴょう)性に疑問符が付いた「放射能うつす」発言騒動に、“黒幕”の存在がささやかれ始めた。
  そもそも赤坂の議員宿舎の発言現場にいた記者は数人。だれもメモを取っていないから、報じた新聞テレビは今も「裏取り」できず、苦し紛れの検証記事を載せている。「ホントに言ったの?」と思われるのも当然だ。その“真相”について、東京新聞・中日新聞の長谷川幸洋論説副主幹は鉢呂の単独インタビューに成功し、本人の声を「現代ビジネス」にこう書いた。
 〈政府はエネルギー政策を大臣レベルの「エネルギー・環境会議」と、経産省の「総合資源エネルギー調査会」の二段構えで検討する段取りになっていた。(中略)総合資源エネルギー調査会は私が着任する前の6月段階で、すでに委員の顔ぶれが内定していた。全部で15人のうち3人が原発反対派で残りの12人が賛成派だ。私は事故を受けて、せめて賛成派と批判派が半数ずつでないと、国民の理解は得られないと思った。それであと9人から10人は反対派を加えて、反対派を合計12〜13人にするつもりだった〉
  つまり、鉢呂は経産省の「原発偏重人事」に難色を示し、見直しを指示していたのだ。
  あらためて鉢呂事務所に事実関係を聞くと、「事実です。(鉢呂は)『結論は(脱、親原発の)両論併記でも構わない』と考えていたと思います」と答えた。
  官僚は意に反する大臣は平気で売り飛ばす。かつて外務省を「伏魔殿」と呼んで外相を追われた田中真紀子や、「ミスター検討中」とバカにされた長妻昭元厚労相もそうだった。
  現場の記者でさえ、悪ふざけだと思ってメモにもしなかった「放射能うつす」のオフレコ発言をたきつけて、大きな問題にして、大臣辞任の流れをつくってしまう――。官僚がメディアにリークし、政治家を追い込んだとしたら「小沢事件」と同じ構図だ。「脱官僚」の看板を下ろした野田政権では、官僚の高笑いが聞こえるばかりだ。
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枝野経産相も排除するのか 改革派官僚・古賀氏「仕事なければ辞職」
J-CASTニュース2011/9/15 14:29
 「日本中枢の崩壊」などの著書でも知られる経済産業省の改革派官僚、古賀茂明氏(56歳、大臣官房付)が2011年9月14日、12日に就任したばかりの枝野幸男・経産相に「私に仕事を下さるのか」と打診する電子メールを送った。
  古賀氏が、「勤務時間前」の9月15日朝、情報番組「モーニングバード!」(テレビ朝日系)に出演して明らかにした。古賀氏は同じメールで、「仕事が与えられなければ、辞めるしかない」との考えも伝えている。まだ回答はないという。
*鉢呂氏のときは「辞職の手続きを」
   古賀氏は、本来は異動待機ポストである「官房付」に09年末から異例の長期間、「塩漬け」にされている状態だ。具体的な仕事は、ほとんど与えられていないという。公務員制度改革に熱心な古賀氏に対し、主流派官僚らが強く反発しているため、とみられている。
   古賀氏は9月7日、鉢呂吉雄・前経産相にも同様の趣旨のメールを送っていた。メール送付後ほどなく、同省の「事務方」から辞職の手続きを進めるよう言われたという。「(鉢呂)大臣がそう言っています」との説明だったそうだ。
   ところが、その鉢呂氏は、「死の街」発言などの責任を取り、9月10日夜に辞任会見を開いた。このため、古賀氏は、人事権者である新大臣に改めて自身の仕事の有無について質問した形だ。
   古賀氏をめぐっては、橋下徹・大阪府知事が代表を務める地域政党、大阪維新の会が、府知事選候補として接触していた。しかし、9月9日、維新の会幹部が、古賀氏の擁立断念の考えを示した。
*「いじめですよね」の声も
   また、古賀氏は6月末に経産省の松永和夫・前事務次官から、7月15日付での勧奨退職の打診を受けていたが、古賀氏は応じなかった。
   枝野経産相が鉢呂氏と同様の判断を示せば、古賀氏は近く退職する運びになりそうだ。「モーニングバード」で、今後の身の振り方を尋ねられた古賀氏は、公務員でいるか、公務員を辞めているかにかかわらず、「たたかう成長戦略を実現する改革に関わることができるよう努力していきたい」と話した。
   番組コメンテーターで作家の立花胡桃氏は、古賀氏への処遇について「いじめですよね」と話していた。一方、鉢呂氏の前の海江田万里・元経産相が、古賀氏の「勤務時間内の対マスコミ関連の仕事」を問題視する発言をしたこともある。9月14日の「モーニングバード」では、古賀氏の同番組への過去の出演は、以前から勤務時間前だったと説明した。
   枝野経産相は、どんな判断を下すのだろうか。
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官僚・古賀茂明氏の出処進退にみる 公務員制度の摩訶不思議2011-07-14 | 政治
原発問題の裏にある経産省・東電「天下り・利権の構図」/退職勧奨を受けた古賀茂明キャリア官僚VOL.1〜32011-07-25 | 地震/原発

トヨタ、インドネシア新工場建設を発表─生産能力60%超増強へ

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トヨタ、インドネシア新工場建設を発表─生産能力60%超増強へ
WSJ Japan Real Time 2011/9/15 15:22【ジャカルタ】
 インドネシアを走る新車の半数以上は、トヨタ自動車とその子会社のダイハツ工業が生産したものだが、両社は同国の悪名高き交通渋滞は「日本製」ではないとする。
 インドネシアに進出して40年が経過したトヨタは、同国の道路を支配している。トヨタ車は市場の40%近くを占め、ダイハツは15%を占める。成長する同国の市場に合わせるためトヨタは新工場の建設を発表、今後2年間で生産能力を60%以上拡大するという。
 同グループの今年のインドネシアでの販売台数は50万台近くになる見通し。だが、グループの経営陣は、交通渋滞が拡大しているのはトヨタの責任ではなく、道路とドライバーによるものだという。
 ダイハツ工業のマネジング・ディレクター、アメリア・トゥジャンドラ氏は「インドネシアは経済成長に見合うだけの道路を建設しておらず、多くの道路が傷んでいる」と話す。
 また、同国の時代遅れの交通管理システムや、乱暴なドライバーを取り締まれないことが、問題を悪化させている。トゥジャンドラ氏は、「交通があまりコントロールされていないため問題が起こっている。例えば、バスは車の間をジグザグに走り抜け、客の乗降のためならどこでも停車する」という。
 インドネシア政府は急ピッチで道路の改修を進めているといい、鉄道などの公共交通も開発しているという。
 ジャカルタの交通問題は急成長中の新興国に典型的なものだが、さらに記録的なまひ状態に向かいつつあるように見える。トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・インドネシアの野波雅裕社長によると、トヨタ本社の経営陣がインドネシアで何時間にも及ぶ交通渋滞を経験したとき、中にはこれ以上同国で多くの自動車を売れないのではないかと懸念した人もいたという。
 野波社長は日本の経験を思い出し楽観的になろうという。14日の新工場建設開始に先立ち同社長は、1960年代、70年代に、日本にも交通渋滞はあったと話し、もし交通渋滞が売り上げを決めるなら、渋滞のない東京や名古屋ではもっと車が売れるはずだと述べた。
 トヨタは同社工場への訪問者に対して、交通渋滞のつらさを軽減する方法を手配していた。14日、日本のジャーナリストたちが乗ったバスは、警官に先導されて新工場へ向かったのだ。それでも60キロの道のりに90分かかった。
 VIP以外に対しても、トヨタは方策を考えているという。この先販売する車の台数を減らす計画はないが、より小型の車の販売を増やすという。渋滞のために、小型車の人気が高まっているためだ。
 記者:Eric Bellman

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