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落合監督退任報道に中日ファンは怒り心頭/高度な理論の落合野球/高木次期監督はしばらく黙ってろ!

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落合監督退任報道に中日ファンは怒り心頭
日刊SPA!2011.10.06 ニュース
 高木監督は立浪監督への布石とも言われているが……。確かに立浪監督を待ち焦がれるファンは多い。だが、落合監督退任に至るフロントの対応にファンは辟易している。
 リーグ優勝回数3回、日本一1回、Bクラス入りに至っては0回。これは落合博満という野球人が監督に就任してから積み重ねた記録である。そして今年。就任8年目のシーズン終了を待たずして、落合監督退任の一報が球界に激震を走らせたことは記憶に新しい。
 落合監督退任に関して、新聞やテレビなどでは様々な憶測を呼んだ。球団首脳陣からは観客動員の減少を押しつけるかのような発言が飛び出し、新聞は解任の裏事情をあれやこれやと書き連ね、後任の高木守道氏の「イチロー獲得」発言などを持ち上げた。落合監督退任に至る一連の報道は落合監督の業績を称えながらも、その不器用な生き様が引き起こしているといった論調が一般的である。地元名古屋のメディア関係者に話を聞いた。
 「落合監督は新聞やテレビでご存じのように、本当に何も話してくれない。これは親会社である中日新聞に記者に対しても同じです。記者たちと落合監督の関係は就任以来、ずっと悪いのは事実です。ですから今回の退任に一番ホッとしているのは中日の番記者など、メディア関係者でしょう。高木守道次期監督は、イチロー、川上、福留獲得発言などを見ての通り、落合監督とは真逆のリップサービスで、すでに記者たちの心を掴んでいます」
 メディアを敵に回した結果、どれだけ結果を残そうとも高木監督への期待が膨らんでいるという。だが、こうした一連の報道に違和感を覚え、怒り心頭なのが何を隠そう当の中日ファンなのだ。
 「11年に一度だけ、優勝すれば天変地異や政変が起こると揶揄され、Aクラスにはいるものの勝ちきれないチーム。それが今までの中日という球団。でもね、落合監督の就任以来、僕ら中日ファンは勝つ喜びから優勝する喜びを味わえるようになったんだわ」
 と語るのは中日ドラゴンズ私設応援団にいたこともある三十代の男性だ。さらに彼は続ける。
 「落合監督が無愛想なのもわかる。でも、僕らは別に監督を見るために球場には行っとらんでしょう。観客が減っとるって言うけど、そんなもん営業努力しとらんもん。着ぐるみ(ドアラ)だけで客が来るほどファンはバカじゃない。監督じゃなくて、球場に魅力がないもん。それを監督にせいしたら、もう、可哀想だわ」
 さらにさらに彼は続ける。
 「高木さんで、コーチもまた中日のOBにしたら、ファンが増えるみたいなことも言っとるみたいだけど、よう考えてみやぁ、高木さんの現役の頃見とる人って今の40代以上だわ。僕ら30代からすれば10.8で勝ちきれんかった監督くらいのイメージだもん」
 と落合監督退任にショックを隠しきれない様子。だが、こうした落合監督退任にショックを受ける中日ファンの声は多い。
◆お前らは中日の味方なのか?
 「地元のマスコミは本当に落合監督が嫌いなんでしょうね。名古屋でやってる中日の応援番組であるにも関わらず、中日OBの解説者が嬉々として『優勝はヤクルト』や『今日の試合は負けます』なんて言うんです。優勝がかかったこの時期になんてことを……と。もし、あいつらが入閣してコーチになったら、それこそファン辞めるかも」(30代・男性)
 OB解説者が自分の応援するチームを貶めるような発言をするとは……。この情報はローカル番組ではあるがツイッターなどを通じて、全国の中日ファンが知ることになり、予想に反して“今日の試合”に勝ってしまい、彼ら元中日エースとその女房役のOBたちへのファンからの評価はさらに下がったのであった。
 ◆中日新聞に物申す!
 「大本営(中日ファンが中日スポーツを揶揄してするときに使う言葉)は親会社のくせになんもスクープがあらせん。報知やデイリー読んだ方が中日の情報が充実しとったことがあるくらい。中日の写真はカラーででかいけど、情報が薄っぺらだわ」(40代男性)
 親会社である中日新聞、中日スポーツは他社と比べて番記者の数も突出して多いという。配慮か、はたまた怠慢か……。
 ◆営業努力してんのか!
 「いろんな球場行ったんですが、その中でも自分のファンである中日のナゴヤドームは魅力がないのは哀しい。球場グルメもたいしたことないし、ファン向けのイベントも魅力的じゃない。ロッテみたいに終わったら外でファンと喜んだり、球場グルメを充実させてたりして、野球以外のプラスアルファの要素がほしい。だいたい客が減ったとか言ってるけど、シーズンチケット頼みの体質も問題じゃないでしょうか? 一般のお客さんが行きたいと思う球場をまずは作るべきですよ。昔と違って今は野球以外のエンターテイメントは山ほどあります。そういうことわかってないと思いますよ」(40代男性)
 ナゴヤドームへの不満の声も多数。メジャーリーグを見習ってボールパークを目指してみては。また、「ナゴヤ球場のアットホーム感が未だに名残惜しい。古いファンはあのナゴヤ球場のアットホーム感があるから、今のナゴヤドームに上手く馴染めないんじゃないかな」(40代男性)という声も。
 ◆業績を残した監督の退任を喜ぶな!
 「中日ファンが集まる店として有名な店の人に取材して、落合やっぱダメじゃんみたいな記事を目にしたんですが、ハッキリ言って不愉快です。なかには落合退任記念飲み会を主催したお店もあるみたいで、そんな店の人を中日ファン代表みたいに取り上げて監督退任を肯定してほしくない」(20代女性)
 コチラの話もファンの間では割と有名な話。ファンであるなら自分のチームの監督が辞めさせられて喜ぶなんてことはないんじゃ……。ちなみに友人の浦和レッズファンは「成績残してる落合クビにして喜ぶなんて、ファンとしては正気の沙汰じゃないな。まぁ、ウチのフィンケが辞めたらマジでパーティやるね。うれしくて」だとか。
 ◆なぜ、地元マスコミから落合の声が聞けないんだ!
 「結局、我々中日ファンは8年間かけて落合監督という野球人の魅力にどっぷりハマッてしまったわけです。コメントが取れない記者の人たちはそりゃ大変だと思うけど、純粋に落合野球の魅力を伝えきれない記者達にも問題ありますよ。喋らない、コメント取れないって言うけど、じゃあなんで日テレに出て江川にはペラペラ喋ってんだよって。そもそも落合監督の独占インタビューをやるべき、載せることができるのは中日新聞や地元のテレビなんじゃないんですか?」(30代男性)
 意外と多かったのが、監督退任を決めた首脳陣ではなく地元のメディアや親会社である中日新聞への不満の声だ。
 ◆高木次期監督はしばらく黙ってろ!
 「高木さんはシーズンオフになるまでテレビとかマスコミに出ないでほしい。イチロー獲得だとか、川上や福留にオファーとか、優勝争いの集中を削ぐようなことを言うな!と思う。二軍は優勝して投手や外野手、特に外野手は堂上兄弟や松井、大島という若手が育ってきてるのに、今さら感があります。OBなのにそう言うこと知らないのかと思います。来年から高木さんがやるのはわかったし、やる以上は応援します。だから、今は黙って球場来て若手の成長をちゃんと観ておけって本気で思います」(20代男性)
 高度な理論の落合野球を見続けることによって、ファンの目が肥えたことは間違いない。落合監督就任によって最も育ったのは、玄人はだしなファンの目なのかもしれない。
 とにもかくにもペナントレースも残りわずか。幸か不幸か退任の一報以降、中日の調子は尻上がり。一気呵成に追い上げ、奇跡の大逆転を引き起こそうとしている。だが、これも穿った見方ではあるが、「退任が引き金で選手にハッパをかけた首脳陣の思惑通りなのかも……それならば、“悔しい優勝”になっちゃうかも」(30代女性)という声もある。いずれにせよ近年まれに見るデッドヒートが繰り広げられているセ・リーグからは目が離せない。
 取材・文/テポドン

関連;落合博満監督 退任/落合さん・小沢一郎さんがいなくなることは、プロの仕事師がいなくなること2011-09-23 | 野球・・・など
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〈来栖の独白〉
 記事の趣旨に、概ね同感である。落合中日は「高度な理論の落合野球」で心行くまで愉しませてくれた。だから、「業績を残した監督の退任を喜ぶな!」。バカ丸出しの高齢「高木次期監督はしばらく黙ってろ!」。
 それにしても、昨日健太〈カープ広島〉に勝って、ヤクルトと並んだ。「“悔しい優勝”になっちゃうかも」。


小沢一郎氏 初公判 全発言/『誰が小沢一郎を殺すのか?』

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小沢元代表 初公判の全発言
10月6日 14時0分NHKニュース
 民主党の小沢元代表がみずからの政治資金を巡って収支報告書にうその記載をしたとして強制的に起訴された事件の初公判が開かれました。【小沢元代表の発言のすべてです】
 今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。
 指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。
 百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。
 また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。
 そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。
 贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。
 だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。
 それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。
 なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。
 それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。
 この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。
 オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
 それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
 おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。
 衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。
 議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。
 日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
 東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。まだ間に合う、私はそう思います。
 裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。

関連;小沢氏 初公判 10月6日/大善文男裁判長=極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた2011-08-12
   ;前原誠司外相辞任と『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉2011-03-07
p47〜
 歴史が示すように、日本では政党政治は発展しなかった。しかも1世紀以上を経たいまなお、それはこの国にとって大きな問題であり続けている。だからこそ民主党は与党となっても悪戦苦闘を続けているのだ。政党政治が発展しなかったからこそ、軍事官僚が、当時の日本の10倍にも達する産業基盤を有する国アメリカを相手に戦争をはじめても、それに対して日本はなんら対処することができなかったのだ。
p48〜
 小沢氏をはじめとする改革派政治家たちはみな、彼らにこそ国家を運営する権利があり、義務があると信じている。官僚が国に滅私奉公する善なる存在であるなどと、彼らはもちろん考えてはいない。我々が一歩退いてみるとき、小沢氏のような政治家をつぶそうとするメカニズムは、近代国家の道を歩みはじめたばかりの当時の日本で、すでに機能していたことがわかる。つまり日本の近代化が推し進められるのとときを同じくして、政治家に対する陰謀も進行していったということだ。そして小沢氏こそ、この百数十年もの長きにわたり、連綿と続けられてきた陰謀の犠牲者にほかならないのである。
p50〜
 そして体制の現状維持を危うくする存在であると睨んだ人物に対して、その政治生命を抹殺しようと、日本の検察と大新聞が徒党を組んで展開するキャンペーンもまた、画策者なき陰謀にほかならない。検察や編集者たちがそれにかかわるのは、日本の秩序を維持することこそみずからの使命だと固く信じているからである。そして政治秩序の維持とは旧来の方式を守ることにほかならない。そんな彼らにとって、従来のやり方、慣習を変えようとすることはなんであれ許しがたい行為なのである。この種の画策者なき陰謀で効果を発揮するツールこそがスキャンダルである。そして検察や編集者たちは、そのような人物があらわれたと見るや、まるで自動装置が作動しているのではないかと思えるほどに、予想に少しも違(たが)わない反応を見せる。
p60〜
 欧米諸国を参考とした大日本帝国憲法もほかの法律も、専制的な権力から国民を守ることを想定したものではなかった。つまり日本の当局は欧米の法律を参考にしはしても、その「精神」を真似ることはなかったというわけだ。そして今日、もちろん不当なあつかいから国民を守るべきだという理念はあり、それが過去数十年で強められてきてはいても、現実には、それはいまなおきわめて曖昧模糊とした感情の領域に押しとどめられている。そのため大抵の日本人はいまだに、法律というのは単に政府が人々の行動を抑制するための手段なのだ、と見なしている。これに関して忘れてはならない事実がある。東京大学法学部というのは、日本の政治システムの最上部を占める高官を輩出することで知られているわけだが、その教授陣はいまだに法律を官僚が統治に利用する手段にすぎないととらえている。そして彼らはそうした視点に立って、学生に教え続けているのである。要するに、時代が変わったとはいえ、法律は権力エリートが用いるツールであるとする見方は、日本では以前とまったく変わっていないということなのだ。
 また日本の官僚たちの間では、自分の目的を達成するために、法律のなかから適切なものを選び出すという習慣が長いこと続いてきた。そして自分たちの計画が法律の文言に抵触しかねない場合は、実に巧に新しい解釈を考え出す。このように日本では、法律というのは当局にとって、あくまでも秩序を維持するためのツールでしかない。そのため、国民みずからが与えられているはずの権利を政治システムの上層部に対して主張する目的で、法律を利用するよう奨励されているなどということは決してないのである。
p64〜
 1960年代と70年代に日本の政治、そして権力構造について研究していた時期、私はそのようなやり方が繰り返し行われていることに気づいた。だからこそ日本の政治・経済について初めて執筆した著書〔『日本/権力構造の謎』〕のなかで、「法を支配下におく」という1章を設けたのだ。
 私はそのなかで、権力者の独り歩きを可能にするような方法で、日本では法律は支配するのではなく、支配されているのであって、この国の権力システムにおいて、法律は政治に関して許容すべきこととそうでないことを決定づける基準にはなっていない、と説いた。すなわち独り歩きをする日本の権力システムに対して、異議を唱え、改革を加えようとする者を阻止するような仕組みがある、ということだ。本書のテーマに当てはめて解説するならば、小沢氏のような野心的な政治家、あるいは彼のように改革を志す政治家が将来何人あらわれようと、現体制はあくまでそれを拒むというわけだ。
 いま、小沢氏の政治生命を抹殺しようと盛んにキャンペーンが繰り広げられているのも、これによって説明がつく。
p65〜
 99・9%という「無謬」
 中立的な権威としての法律を日本の政治システムから遠ざけておくやり方はそのほかにもいくつかある。法律が非公式な政治システムに対して、なんら影響をおよぼすことが許されないとしたら、ではなにがシステムをつかさどっているのか?。それは暗黙の了解事項、つまり不文律であり、記憶のなかで受け継がれる古い習慣だ。裁判官もまた体制に大きく依存している。最高裁事務総局に気に入られるような判決を下さなければ、地方に左遷されかねないことを、彼らは考えないわけにはいかない。戦前、戦後を通じて日本の裁判官たちは、法務省のトップクラスの検察官を恐れてきた。これが99・9%という人間の検察の有罪判決率を可能にした理由の一つである。
 つまり、みずから裁判にかけたケースで99・9%の勝利をおさめるに日本の検察は、事実上、裁判官の役割を果たしているということになる。つまり、日本ではわずか0・1%、あるいはそれ以下に相当するケースを除いては、法廷に裁判官がいようといまいと、その結果に大した違いはないということだ。
p68〜
 しかし日本に関してもうひとつ気づいたことがある。それは社会秩序を傷つけかねないどんなものをも未然に防ぐという検察の任務が、政治システムにおいても重視されているという事実だ。当然、そのためにはシステムの現状を維持することが必要となる。問題は、現状をわずかでも変える可能性があると見れば、どんな人間であっても既存の体制に対する脅威と見なしてしまうことである。そのような姿勢は当然のことながら、小沢氏のみならず、日本という国家そのものにとっても望ましいものではない。なぜならば多くの日本人は長い間、権力システムの改革が必要だと考えてきたからだ。後述するが、自民党と日本の秩序をつかさどる人々との間には、一種、暗黙の了解のようなものがあり、それが50年にわたって保たれてきたのだろう。そして自民党が政権の座を追われたいま、単に自民党とは行動の仕方が違うという理由で、体制側は民主党を、小沢氏という個人とともに、脅威を与える存在と見ているのだ。
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『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉2011-07-30 


・「日本人のあり方」が日本国の大きな資源
上杉隆氏(以下、上杉): 公開討論会を始めたいと思います。その前にウォルフレンさん、一言ごあいさつを頂けますか。
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏(以下、ウォルフレン): 今日はこのような機会をつくっていただき、お招きいただいたことを大変うれしく、また光栄に思っている。日本は第二次世界大戦以降、最大の災害に接した。災害に対する日本の皆さんのあり方と措置は、世界中の人たちの心の琴線に触れた。それは皆さんが冷静に対応されたことからだと思う。
 この大災害に対して、日本の皆さんが心してあたったことで、国際的には日本人の威信が高くなったと思っている。災害に瀕して、非常に尊厳を持って、秩序正しくあたられた。お互いに「大変だった」という言い方をせず、お互いを助け上げる、引っ張り上げるような対応だった。「日本の人たちはすごいな」ということを、多くの友人から聞いた。その時も、そして今も思っているのだが、日本の皆さんのあり方、これが日本の皆さんにとって、また日本の国にとって大きな資源だと思っている。
 この数年、日本の私の友人からは、「本当にイライラしてどうしようもない」という話を聞く。政権も交代したのだし、「何とか政治の体制、構造が変わってほしい」と、「より良い制度ができることを期待していたのに・・・」ということを聞いている。こういう大災害に接した時こそ、何か壮大なことができる、ひとつの大きな窓が開かれたという気がする。それを可能にする資源というか材料というのは、日本の皆さんの中にあると思う。そういう壮大な何かをしなければならない、今がその時期だ、という話を今日はできればと思って来た。
 個人的なコメントをさせていただくが、家内と私は災害(東日本大震災)が起きたあの時期、日本にいなかった。普通は日本にいて、この本(『誰が小沢一郎を殺すのか?』)が出版された時期でもあったから、通常であれば日本にいたのだが、息子がちょうど誕生したので、たまたま日本にいなかった。そういう時に災害が起きた。家内と私は「日本にいるべきだった」という気持ちがした。それだけ日本に対して深い気持ちを持っていた。日本の市民ではないし、日本の国籍を持っているわけではないけれど、日本をそれだけ近く感じているという立場からお話させてもらいたい。
・お悔みを申し上げるのが政治家の仕事なのか?
上杉: まずは「3.11」の震災について、その震災後のことについてお話を頂ければと思う。今ウォルフレンさんからお話いただいたので、小沢さんの方から。「3.11」の国を揺るがすような大震災以降、どうも既存メディアでは小沢さんの影が見えなかったのでは、何もしていないのではないか、という声もあった。果たして小沢さんはどのような活動をされていたのか。「3.11」の発災以降のことも含めて、お話をいただければと思う。
小沢一郎衆院議員(以下、小沢): 今度のいまだかつて経験したことのないような大災害、私も被災県の岩手県の出身だけれども、特に福島県の原発の損壊と放射能汚染の問題、それが非常に深刻な事態だと、私は当初から機会ある度に訴えてきた。このような時にあたって、今ウォルフレンさんが指摘されたが、世界でも非常に評価されるような日本人の長所が発揮されていると同時に、日本人の欠点も露呈されているというのが、正直なところではないかと思っている。長所というのは、それは一般的に言われているように、こんな大災害にもかかわらず、みんな一生懸命力を合わせて復興のために頑張っていること。その忍耐と努力と、そして能力というのは、当然日本人として誇っていいことだと思っている。
 ただ、放射能汚染といういまだかつて(ない)、ある意味においてはチェルノブイリやスリーマイル以上に、非常に大きな危険性を秘めているこの原発の事故と放射能汚染の拡大――。これほどの大きな深刻なことになると、単なる個人的な力の発揮ということ以上に、本来もっと国家として前面に立って、そして英知を集めて思い切って対策を講じていく仕組みと姿勢が必要だと思う。けれども、どうもその意味において、政治の面だけではなくて、一般の国民の中からもそういった強い要求というか、動きというものがなかなか出てこない。まさに非常に日本的な現象だと思っている。ほかの国ならば、こんなに黙って現状を見過ごしているような国民は多分ないだろうと思う。大きな大きな国民運動にまで広がりかねないと思うが、そういう(大きな運動にならない)ところがちょっと日本の国民性というか不思議なところであって、「まあまあ」という中で個人が一生懸命頑張っている。
 上杉さんがマスコミの話をしたけれども、マスコミ自体も、政治が何をすべきか、政治家が何をすべきかと(報じない)。お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか? お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか? というふうに私はあえて憎まれ口をきくけれど、やはり政治の役割というのは、そういうことではないと思う。このような深刻な事態をどのようにして克服していくか、そのためには政治の体制はどうあるべきなのか、政治家はどうあるべきなのかと考えるのが、本当に国民のための政治家のあり方だと私は思っている。そういう意味で、今後もいろいろとご批判は頂きながらも、私の信念は変わらないので、その方向で頑張りたいと思う。
・財源があろうがなかろうが、放射能を封じ込めろ
上杉: 引き続いて、お二方に質問を。自由報道協会の面々は発災直後から現地に入り、取材活動をずっと行ってきた。その取材の中で相対的に、結果としていま現在、県単位で見ると岩手県の復興が意外と進んでいるという報告が上がってきている。おべんちゃらではなく。(小沢氏の)お膝元の岩手県の復興が進んだという見方もできるが、一方で岩手県だけがそういう形で支援が進めばいいのかという疑問もある。そこで、これはウォルフレンさんと小沢さんお二方に伺いたい。仮に現在の菅政権ではなく、小沢一郎政権だったらどのような形で国を復興させたのか。また、もし小沢一郎総理だったら、具体的な方法としてどのような形で今回の震災に対応したのか。ご自身のことでお答えにくいかもしれないが、まず小沢さんから。
小沢: 岩手県の震災復興の進捗具合が大変良いとお褒めいただいているが、別にこれは私が岩手県にだけ特別何かしているということではない。ただ、それぞれの国民あるいは県民の努力と同時に、地域社会を預かっている知事はじめ、それぞれの任務にある人たち、トップが先頭に立って、そしてその下で皆があらゆる分野の活動で一生懸命やっている。岩手県が他の県に比べて良いとすれば、そういう体制がきちんとされているので、復興の進捗状況が良いと言われている理由ではないかと思っている。
 私の場合は、かてて加えて原子力ということ、放射能汚染ということを強く主張している。これはもちろん東京電力が第一義的に責任を持っていることは間違いのないことだけれども、日本が政府として国家として、原子力発電を推進してきたことも事実だし、原発の設置運転等については許認可を与えている。そういう意味から言っても、また今日の放射能汚染が依然として続いているという非常に深刻な事態を考えると、東京電力が第一義的責任者だといって済む状況ではないのでは。東京電力にやらせておいて、政府はその後押しをしますよ、支援しますよというシステムでは、本当に国民・県民の生活を守っていくことはできないのではないか。
 やはり政府、国家が前面にその責任をもって、最も有効と思われる対策を大胆に(行う)。これはお金がいくらかかる、かからないの問題ではない。メディアも含めてすぐ財源がどうだなんていう話が、また一般(財源)の時と同じような繰り返しの話ばかりしているが、そんな問題ではない。極端な言い方をすれば、財源があろうがなかろうが、放射能汚染は何としても封じ込めなければいけない話で、それは国家が政府が、前面に立って全責任でやる。私はそういうシステムを、仕組みをもっともっと早く、今でも遅くないから構築すべきだと思っている。今なお、東京電力が第一義的責任というやり方をしていたのでは、多分解決しないのではないかと思っている。
・菅さんは一人で何でもできると思い込んでいる
上杉: ウォルフレンさん、同じ質問だが、もし菅総理ではなくて小沢一郎総理だったら、この震災に対してはどうなっていたか。
ウォルフレン: いろいろな面があると思うが、まず3月11日にあの災害が起きた当時、私は阪神・淡路大震災の時と比べて政府の対応はどうだったかと、直感的に思った。当時の政府の対応と比べて、今回はずっと早く迅速に動いたという気がした。私はそのストーリーを書き、世界中に報道された。その時に私が言ったことは、「半世紀続いた一党体制が崩れて、新しい民主党という政党のもとに政権が建った。その政権は本当に国民のことを、人のことを大事に考えて中心に置いている」という書き方をした。ところが、せっかくの初動後の時間が経過するに従って、壮大な画期的な改革をする機会が与えられたにも関わらず――それはキャリア官僚の体制の上に政治的なコントロールを敷くということだったが――そこに至らないでズルズル時間が経ってしまった感じがする。
 なぜ、そうなってしまったのかを考えたわけだが、1993年という年以降、政治の改革をしようと集まった政治家たちが、新しい民主党という党をつくった。そして官僚体制に対して、政治がきちんとコントロールしよう、今までなかった真摯な政府をつくろうという人たちだったのに、どうなってしまったのかと思った。何が起きてしまったのか、正直いって私自身は分からない。ただ、ひとつ考えられるのは、首相が一人で何でもできると思ってしまっているのではないか、ということ。数日前に日本に来て、その間多くの方々といろいろ話をして感じたのは、どうも菅さんは、時々いいアイデアもあるのかもしれないが、それを自分一人でやるだけの政治力があると思い込んでしまっているのではないか、ということだ。
 菅さんにしても、誰であっても、一人ではとてもできないことではないか。災害に対処しながら、また原発事故に対処しながら、今までの官僚体制に政治がコントロールしていく――それを同時にやるのは大変なことだ。細かいことは存じ上げないが、原発事故が起きたということは、多くの人たちが新しいところで生活を始めなければならない。再定着が必要になってくるわけだから、政治家一人ではとても負えるものではない。民主党をつくった人たちが、官僚制度の上に政治的なコントロールを敷こうと、そして本当に政府をつくろうと、同じ志を持った民主党の政治家たちがお互いに、一緒に協力をしていかなければできないことなのだ。
 災害が起きる前年、去年の秋だったけれど、少なくとも三人(小沢氏、鳩山由紀夫氏、菅直人氏)のトロイカ体制という話を聞いた時に、ある意味では当たり前だが、私はすごく良いアイデアだと思った。明治維新ひとつをとってみても、一人で誰がやったというわけではない。志を同じくした人たちが、一緒にやったことだった。戦後の復興にしても同じ。皆で一緒にやって初めてできたこと。半世紀に渡って一党支配の体制を崩した新しい政党が、新しいシステムをつくる。それにはトロイカであれ、グループであたっていかなければならないと、私は去年思ったものだ。
 小沢政権ができた場合に、この災害にあたってどう対応されたかのは分からない。けれども、私は小沢さんは「官僚を制する」というよりは、「官僚と一緒に仕事をする」能力がある方だと思っているし、権限の委譲もできるし、官僚の下に置かれることは絶対にない方だと思っている。小沢政権ができた場合には、きちんと然るべき人たちと協調体制のとれた対応をとっていかれるのではないかと思う。
・現状を維持しようとする日本の免疫システム
上杉: (ウォルフレン氏が書かれた)『誰が小沢一郎を殺すのか?』という本のタイトルも衝撃的だが、その中で小沢一郎さんに対して、日本国内の権力構造が"人物破壊"のキャンペーンを張っているとウォルフレンさんは指摘している。「世界的に類を見ない人物破壊」――少し聞きなれない言葉だが、ウォルフレンさん、せっかくだから小沢さんが横にいらっしゃるので、この本で書ききれなかったこと、そしてぜひ聞いてみたいことを質問してはどうか。
ウォルフレン: 前にも言ったように、私は特別小沢さんを知っているわけではないし、友人ということでもない。小沢さんよりはむしろ、菅さんの方をよく知っているし、それよりさらに鳩山さんを知っている、ということが正しいかと思う。私が関心を持っているのは、政治体制をきちんと制する、その現象をもたらすためのタレント・才能を持った方、こういう有能な人を抹殺するというメカニズム、そのシステムに非常に関心を持っているわけだ。
 この(日本の)マスコミの問題というのは、不思議な逆説的な現象を呈している。マスコミの主流派は「政治的なリーダーシップが欠如している」「なぜ、そういう政治家が出てこないのか」と言うが、出てくるとその人を抹殺しようとする。なんて奇妙なシステムだと思っている。私はマスコミ自体が悪いからそうなっているとは言わない。ただ、どうも「既存の秩序を守る」――それが自分たちの義務であるかのようにマスコミが思っているのではないか。20年〜25年、私はいろんな官僚やシニア編集者の方々と会い、話し合う機会があった。彼らはどうも秩序が覆ることや、それが脅かされることに対して、恐れを感じている。現体制を何としても守りたい、という気持ちがあるのではないか。
 また検察の小沢さんに対するやり方というのは、外から見ると、本当に馬鹿げていると言わなければならない。だから「日本には免疫システムがあるのだ」というふうに言うわけだ。私があえて「民主党政権になっても、小沢さんが首相にはならない」と予測したのは、2009年の春だったと思うが、先ほど言った"現状を維持しようという免疫システム"が存在しているから、そう思ったのだ。名前を忘れてしまったけれど、自民党のある人が私に漏らした。「検察が小沢さんに対してああだこうだ言っていることを代議士全部にやったら、国会は空っぽになってしまう」と言っていた。それで12月になって検察が十分な証拠が集まらなかったと言ったら、朝日新聞の論説のところで「証拠はないけれども彼は有罪だ」という言い方をした。どうやってそんなことが言えるのかと思う。
 検察審査会というものがある。いつ、どのようにできたか知っている日本の方は少ないと思うが、これはアメリカの占領下でできたシステムだ。どうやって検察審査会ができたのか、経緯を知らない方も多いと思うので、少し説明する。アメリカの占領軍は、日本の法務省を信頼しなかった。信用できないと思った。だから市民による、検察体制を審査しようというものをつくった。そういう新しい制度をつくって、日本にデモクラシー、民主政治を根付かせようとした。法務省関係者は非常に抵抗したが、抵抗しきれずに最終的には検察審査会なるものができたのだ。ところが、その検察審査会が今まで発動されたのは、交通事故とか軽犯罪とかそういうことだけだった。小沢さんのことにあたっては、どこから取り出してきたのか知らないけれども、"魔法の何か"を使った。それで、客観的に物事を見ることが大事だと思うわけだ。私は小沢さんのファンでもなければ、小沢さんの特別な友達でもないが、日本の政治状況を客観的に見るということでやっている。
・民主党の主張を実現する最大のチャンス
上杉: 小沢さんに対して質問は?
ウォルフレン: 本(『誰が小沢一郎を殺すのか?』)を読んで下さったのだろうか? 本を読んで、何か私の書いていることに過ちがあったら、指摘していただきたい。過ちから学ぶことが多いものだから。
小沢: もう読ませていただいた。本の中でも、私があまり露骨に言えないことを正確に言っていただいた。非常にわが意を得たりというか、よくここまで客観的に、公正に見て書いていただいたと思っている。
上杉: この本にも書いてあり、先ほどのウォルフレンさんの言葉の中にもあったが、日本は総理をつくるという形でマスコミ、国中が持ち上げる。持ち上げておいて、そういうリーダーができるとつぶすという、非常に不思議な国だと言っている。小沢さんとしては、その実感はあるか?
小沢: やはり日本社会の、日本人の特殊性ではないだろうか。歴史的な何千年の経過の中で、強力なリーダーというのはほとんど必要なかった。平和で豊かな国だったから。「和を以て貴しと為す」という言葉に代表されるような、いわゆる悪く言えば「談合社会」、良く言えば「コンセンサスの社会」というのが出来上がっていて、それは結局、結論は誰も責任をとらなくてもいい仕組み。
 だから今の状況を見て申し上げたいことは、われわれ(民主党)は官僚主導の政治から、政治家主導、国民主導の政治に変えるんだ、そして国民の皆さんの生活を第一にしていく政治を実現するんだと、皆さんに訴えて政権を任せてもらった。ところが現実には、自民党の時よりひどいじゃないかという批判もあるくらいに、官僚機構に乗っかっているだけ。こういう非常事態においては、まさにわれわれが主張した国民主導の政治を実現するために、国の統治の機構、中央集権から地方分権、いろいろな制度を含めて、震災に対処するという大義名分があるから、思い切ってやればできる絶好の機会。ウォルフレンさんも言っているが、われわれの主張を実現する最大のチャンスだ。
 ところが結果としては、今言ったように、「今まで以上に悪いじゃないか」と酷評される。そのゆえんは何かというと、国民主導、政治家主導の政治というのは、政治行政の政策を決定し実行する時に、国民そして国民の代表である政治家が、自分自身の責任で決定し実行するということだ。それがなければ国民主導とか政治家主導なんていうのは、ただの言葉でしかない。政治家が責任を取らないなら、何で官僚が言うことを聞くのか? 「俺が責任を取るから、こうこうこういう方針でやってくれ」と言えば官僚はついてくる、無茶苦茶な話でない限りは。だから、「それは俺は知らない、そっちで決めたんだ、あれはどうしたんだ」と、そういうことをやっていたのでは、われわれの主張はまったく国民に対してウソを言ったことになってしまう。なので私は、遅かりしだが、今からでも遅くないから、こういう危機にあたってこれをうまく活用して、本当の政治家主導の政治を実現して、「国民の生活が第一」というわれわれの訴えたキャッチフレーズに恥じることのないような震災対策、政治を実現しなくてはならない、そう思っている。
・トロイカ体制なくして菅総理なし
上杉: まさしくこの「3.11」の国難の後に、政治的な団結そして主導が望まれるわけだが、ウォルフレンさんの先ほどの言葉から代弁して質問する。当初、民主党政権に交代したときには、トロイカ体制ということで小沢さん、菅さん、鳩山さんの3人に期待したとあった。この震災においては、トロイカ体制どころか党内バラバラ、与野党との連携もできていない状況になっている。当事者である小沢さん、そのトロイカ体制すらできない理由は一体どこにあるのか。
小沢: それは菅さんに聞いてもらわないといけない。ウォルフレンさんも仰ったように、一人で全部できるわけがないから、神様じゃないから、いろんな皆さんの知恵と力を借りてやる。そのことはその通りだ。しかし、それぞれの部署、それぞれの責任ある立場にある人、なかんずく日本の政治機構の中では総理が絶大な権限を持っている。だから菅さんは、僕や鳩山さんのことは別に相手にしなくてもいいが、自分の責任でちゃんとやれればそれでいい。けれども、なかなかその時々に思いついたことを仰るが、すぐに撤回したり、あるいは自分の言葉に責任を持たない。それがやはり最大の問題ではないだろうか。
 何度も言うが、政治家、特にトップのリーダーは自分の言ったこと、自分の言動に責任を持たなければ誰もついてこないし、国民も全然信用しない。政治家の言うことなんかみんなウソっぱちだという話になってしまう。私はそれは今日の日本にとって非常に不幸なことだし、また将来の日本にとってもそういう事態が続くと、日本には永久に民主主義は根付かないということを非常に恐れている。こういうような形で、ぜひマスメディアもオピニオンリーダーというならばきちんと、それらしい論評と報道をしてもらいたいと思っている。
上杉: 今度はお二人に伺いたい。いま小沢さんの口からも、菅直人首相――今回の震災後、一応日本という国を率いているが、どうも海外からの評価では原発対応を含めてあまりうまくいってない、酷い、うんざりしているような状況を作り出しているというのが現状だ。その菅さんは6月2日、大手メディアの報道によれば、不信任案採決の直前に一定の目処ということで退陣を事実上表明されたが、いまだ総理の座に居座っている。菅さんについて、ウォルフレンさんが最も親しい一人というが、一体なぜ辞めないのか、そして彼は何をすべきなのか教えていただきたい。
ウォルフレン: 菅さんを知っていると言ったが、それほど知っているわけではないから、なぜこういうことになっているかは私にも分からない(笑)。菅さんが総理になったこと自体、小沢さんはもちろん鳩山さんも含めて、そういう(トロイカ)体制があったからこそ、総理になれたということ。そもそも93年に一緒にスタートしたが、特に小沢さんなくしては民主党はまとまらなかっただろうし、民主党がなければ菅政権などあり得なかった。菅さん自身、小さな存在の政治家でしかなかっただろうと思う。私は公約を実行するためには、いま小沢さんが仰ったように、やはりキャリアの官僚制度に対してきちんと政治家がコントロールすること、一緒にやっていくしかないと思う。
・今の状況を予測していたから、不信任案賛成の結論に至った
上杉: 同じ質問で、菅さんはなぜ辞めないのか、そして何をすべきなのか、ウォルフレンさんよりは(菅さんに)親しい小沢さんに伺いたい。
小沢: 菅さんの性格とか人間性は、私は知りません。私の常識ではなかなか理解できないという程度。ただ問題はすべて、日本社会、日本人のあいまいさ。あの時に辞めると言ったとか言わないとか。今度は菅さんは国会でも「私は辞めるなんて言ったことない」なんて後で言う。何事もクローズとあいまいさがいけない。私はそういう点でえらく批判されるけれど、まったく逆で、会談するにしても何するにしても、オープンで話して平気だし、記者会見で言うことと個人的にしゃべることは同じだ。
 そういう、きちんとしたオープンで明確なお互いの意見の交換、やりとり、詰めを日本人は嫌う。皆いい加減な言葉でごまかしてしまう。何の会議でも、皆さんの会社でも同じだと思うが、そうすると誰も傷つかない。結論を出さなければ。何となくということで、誰が決めたんだ、何となくあの会議で決まったということになる。だから、何となくの結論に意に沿わない菅さんは、「俺はそんなこと言った覚えはない」ということになるわけだ。そういう意味では私は単なる感情論や、何となくそうだろうという憶測の類で、大事なことを話し合ってはいけないと、そう思っている。日本人的常識では、菅さんはもう辞めるみたいなことを言ったんだろうけど、その常識が通用しない相手だとどうしようもないわけで、今のようになってしまうわけだ。私が制度的に総理を、内閣を辞めさせるには不信任案の通過しかないという結論に至ったのは、まさにこういう状況を予測していたからだ。
 私はそういう意味でもう少し、日本社会にオープンな、公正客観的な、そして正確な、必ず議論をし結論を出すという習慣を、日本人自身が身につけなければいけないのではと思っている。日本の会議というのは、民主党も自民党と同じだが、絶対に多数決しない。多数決の決を採れと言っても採らない。そうするとカドが立つとか波風がどうのこうのと言う。だから自民党では、何度も言うが、意見がまとまらない、どうしても反対者がいるときは、反対者に最後の会議に欠席してもらって、全会一致ということにするわけだ。民主党では、そもそもその決も採らないので、私は民主主義ということを一体理解しているのだろうかとさえ思うくらいだ。そこははっきりと自分の意見を言い、はっきりとした結論を得て、そして皆で得た結論には従う、そういう習慣を早く日本人は身につけなければいけないと思っている。
・選挙や政治活動への公権力の直接行使は後進国的
上杉: いま小沢さんも言及された「オープンなところで」ということでは、実は自由報道協会の会見――今回は公開討論会だが、過去最多の参加は小沢さんの4回。菅直人総理はずっと申し込んでいるが、0回だ。そういう意味でも、どちらがオープンかということは実績として皆さんご存じだと思う。ところが日本のメディア、記者クラブになると、「密室政治の権化」みたいな形の小沢一郎という像が出てくる。ウォルフレンさん、この全くの逆転状況はどうして起きていると思うか。
ウォルフレン: マスコミはいろんなことを言うと思う。私がこの本を書いたのは、皆さんに説明したいこともあるが、私自身も自分なりに結論を見出したいということもあった。なぜ一人の政治家に対して、かくも長い間――世界中そんなことはどこにもないが――こういう抹殺のキャンペーンを、しかも成功裏に続いているかというのが分からない。あえて言うならば、現状を維持できなくなるとか、壊れることへの恐れではないかと思う。「ウォルフレンさん、どうしたら良いと思いますか? 日本は何をしたら良いと思いますか?」とよく聞かれるが、本を読んでくださってからお聞きになれば、お答えしたいと思う。
 今ちょっと閃いたアイデアがある。結構良いアイデアかもしれない。国民は民主党に政権を託した。それは民主党のトップの人たちが集団で公約したことを実行してくれると思ったからだ。日本の国民が選んだのは政治家であって、検察やマスコミを有権者が選んだわけではない。日本の皆さんは法務大臣に対して陳情書を一緒に書いたらいいと思う。法務大臣、政治家であるあなたを私たちは選んだのだと。だから選ばれた権限を持って、小沢一郎のこの裁判を終わらせてほしいと、そして彼がリーダーとしてやるべきことを出来るような道を開いてほしいと、法務大臣に訴える。新聞は無視するだろうから、相当声を上げないといけない。そういう陳情書を出すということ、それから「そうだそうだ」と声を上げないと物事は起こらないと思う。ちょっと閃いたアイデアだが、効果が出るかもしれない。
上杉: 法務大臣への陳情は、皆さん気が向いたら勝手にやってください。私がここで煽ったりするとまたいろんなことを言われるので。今ウォルフレンさんの言葉であったが、いわゆる日本のシステムの問題、そして検察のことにも触れられた。その検察の問題に関して、当事者ということでお答えにくいかもしれないが、一連の検察のシステム、それに対する国の対応などは、小沢さんからご覧になってどうか。最近、石川知裕(衆議院議員)さんの検察側から出されていた証拠、検事の調書が不採用になったという非常に珍しいことがあった。それも含めてお答えいただければと思う。
小沢: 個別の問題については差し控える。私ども(民主党)のマニフェストというか主張の一つだが、いわゆる民主主義の根幹である選挙――これは主権者が唯一主権を行使する場だ。この選挙によって選ばれる政治家は、主権者たる国民自身を代弁して代表して活動するわけだ。その選挙とか政治活動については、欧米社会で見られるように、やはり独立した第三者的機関が、選挙や政治活動の管理・指導を行うというシステムを、私は作るべきだと思っている。直接、警察や検察が選挙のことや政治活動について公権力を行使するという仕組みは、私はいわば後進国的な要素を強くするばかりであって、健全な民主主義の発展のためにはよろしくないと思う。
 例えば選挙でも何でもそうだが、本当に些細なことまで言えば、個人の皆さんも年がら年中ずっと、朝から晩まで監視されていたとしたら、ちょっとした道交法違反とか軽犯罪法違反とかに触れない人は、まずいないだろうと思う。そういうことを考えてみれば、まさにスピード違反だろうが、駐車違反だろうが、立小便だろうが、公権力がとにかく介入することになれば何でもできるわけだ。1億2000万人を全員監視するわけにはいかないが、特定の人間にターゲットを絞ってやったら、誰もこれから免れる人はいないのではないだろうか。全員罪人になってしまう。
 選挙というものは、1億の主権者が参加する大事な民主主義の原点だ。1億人も参加するから、投票するほうも投票されるほうも、いろいろな問題点は些細なことを含めればたくさんあるはず。根本的な買収とか供応とかは別にして、ちょっとしたことで全部公権力が介入することになったら、今の日本がそうだけれども、狙われたらアウトだ。こういう中では民主主義は定着しないと思っていて、そのため制度的にしっかりと選挙や政治活動を監視する国民を代表する第三者機関、選挙委員会という仮の名をしているけれど、そういうものを作って、きちんと選挙の公明性、公正を確保していくというふうに、仕組みを変えないといけない。(今は)全部官僚機構で、あらゆる国民の生活の隅々まで官僚支配が行き届いている。これを打破するには、国民自身が自ら政治家を選んで、その政治家に思い切った活動をさせるというのが、私は民主主義の基本的なことであろうと思う。そういうようなことも一つの国民主導の政治への大きな改革であると考えている。
・今そこにある、もうひとつの危機
上杉: ウォルフレンさん、最後に一言。
ウォルフレン: 一言だけ言わせてほしい。無関心になってしまうのは容易いことだと思う。大災害があった、復興しなければならない、原発の事故を起こした、大変だ――。それだけではない、もっと大きな危機があるんだということ。国際的な金融の動きをフォローしていれば、そしてアメリカ国内で起きていることに目を向けているならば、何かが終わりに来ていることを感じるはずだ。第二次世界大戦後の国際金融システム、われわれが暮らしてきた間ずっとあった体制が、終わろうとしている。ということは日本に大きな影響があるということだ。
 日本はきちんとした政治的な主導なくして、何の目的もなしに漂流することはできないはずだ。言葉だけで大変なことが起きると言ってるのではなくて、本当に深刻な問題なのだ。でも日本の皆さんには、より良い将来があって然るべきだと思う。最終的に申し上げたかったこと、結論として言いたかったのはそのことで、先ほどからも随分お話したし、この本にも随分書いてあるので、買っていただくことができるかなと思う(笑)。
小沢: 今のウォルフレンさんが指摘されたことは、大変重要なことだと思う。まだ日本人はそれをあまり深刻に受け止めていないけれど。報道でお分かりのように、アメリカでもヨーロッパでも、財政、金融の危機的な状況が今出て、みんな深刻になっているところだ。これはちょっと話が違うけれども、「ミスター円」と呼ばれた榊原(英資)氏が『世界同時不況がすでに始っている!』という本を書かれていて、私も読んだ。今日の日本社会の無責任体制の社会の中で――これは政治家だけの問題じゃない――政治経済あらゆる分野での総無責任体制の中で、経済が大恐慌でも起きた日には、全くもう混乱して無秩序な体制、社会に陥ってしまうのではないかという心配を、一方においてしている。内では原発の放射能汚染の問題、そして(外では)世界全体を覆っている財政金融を中心とした経済の問題、これをやはり日本人はもっともっと深刻にとらえて、その対処の仕方をあらゆる社会の分野で整えていかなくてはならないと思う。(了)(協力・書き起こし.com

小沢一郎氏 裁判/大善文男裁判長は将来が約束されたエリート判事 登石郁郎裁判長以上に体制寄り

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小沢初公判 検察を痛烈批判「国家権力の乱用」「裁判打ち切れ」 傍聴希望者2146人が長い列
日刊ゲンダイ2011年10月6日
 小沢一郎・民主党元代表(69)と司法権力との最後の闘いが始まった。政治資金規正法違反罪に問われた小沢の初公判が6日、東京地裁(大善文男裁判長)で行われ、小沢は罪状認否で起訴内容を全面否認し、無罪を主張。その後、約10分間にわたって意見陳述を行い、検察の捜査のあり方を「国家権力の乱用」と痛烈に批判した。
 小沢は午前9時半前、東京地裁に歩いて入った。SP数人に先導され、9人の弁護士に囲まれながら、ゆっくりとした足取りで法廷に向かった。
 初公判は10時に始まった。検察官役の指定弁護士が起訴内容を読み上げた後、小沢は罪状認否で「指定弁護士が述べたような事実はありません」と述べ、起訴内容を全面否認した。
 ハイライトは罪状認否に続く意見陳述。小沢は「検察官の違法な捜査で得られた供述を唯一の証拠としており、直ちに打ち切るべきだ」と主張。「証拠もないのに特定の政治家を狙ったことは、国家権力の乱用で、法治国家では許されない」と検察の捜査を強く批判、全面対決の姿勢を見せつけた。
 続いて弁護側も意見陳述を行い、「虚偽記載はなく、元秘書との相談や、指示もなかった」と無罪を主張した。
 公判では、石川知裕衆院議員(38)=1審有罪、控訴=ら元秘書3人との共謀が最大の争点となる。虚偽記載が成立するかどうかや、起訴が適法かどうかも争われる。
 指定弁護士側は冒頭陳述で、小沢と元秘書との関係について、「重大な問題はすべて小沢被告の指示に従い、独断で事を運ぶことはなかった」と指摘した。
 弁護側は午後に冒頭陳述を行い、元秘書との共謀について、石川らの供述には任意性がないとした上で、「収支報告書の記載はすべて秘書に任せており、把握していなかった」と訴えるとみられる。
 東京地裁前には、朝早くから49の傍聴席を求めて2146人が抽選に並んだ。
<裁くのは体制ベッタリのエリート判事>
 公判を指揮する大善文男裁判長(51)とは、いかなる人物なのか。
 元秘書3人に妄想判決を下した登石郁朗裁判長(57)のように検察寄りで権力ベッタリなのか。
 判事の人間性によっては「民主主義国家では考えられない」判決が出る異常事態を見せつけられた直後だけに気がかりだが、大善裁判長は将来が約束されたエリート判事。登石裁判長以上に体制寄りなのだ。
「裁判官といっても、しょせんは官僚。常に判事同士で出世を争っています。大善裁判長の経歴をみれば出世コースを歩んでいるのは明らか。同期73人の判事の中でも『高裁事務局長』『司法研修所教官』を経験し、東京高裁刑事部の総括(裁判長)を狙える条件をクリアした数少ない判事です」(司法関係者)
<小沢意見陳述 要旨「私を抹殺することが目的」>
 小沢一郎民主党元代表が初公判で述べた意見の要旨は次の通り。
 検察の不当、違法な捜査で取られた調書を根拠に誤った判断がなされた。この裁判は打ち切るべきだ。百歩譲って裁判を続けるとしても、罪に問われるようなことは全くない。国民から何の負託も受けていない捜査機関が国家権力を乱用した。汚点として後世に残る。議会制民主主義を阻害する恐れがある。
 収支報告書の間違いは修正することで処理され、済まされてきているのに、私の団体のみ1年有余にわたり、実質的な犯罪の証拠はないのに強制捜査を受けた。もちろん収賄などの実質的な犯罪は全くない。なぜ私のケースだけ突然、強制捜査されねばならないのか。これでは公正で厳正な権力の執行とは言えない。実質的な犯罪がないと判明した時点で捜査を終結すべきだったのに、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸している。小沢一郎を標的にしたもので、私を抹殺することが目的と推認できる。明白な国家権力の乱用で、到底許されない暴力行為であり、表舞台からの抹殺で残酷なものだ。
 選挙は国民が主権を行使する唯一の機会で、とりわけ2年前の総選挙は戦後初の本格的な政権交代が予想された。そのような時の恣意(しい)的な権力の行使は許されない。国家権力の介入を恐れる政治はもはや民主主義ではなく、戦前の過ちを繰り返すほかない。裁判長、裁判官の見識ある判断をお願いする。
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〈来栖の独白〉
 人には「生まれ合わせ」「運」というものがあるのかもしれない、と溜め息をついてしまう。小沢さんは、不運だ。この裁判は、恐らく敗けるだろう。とても勝ち目はない、この裁判長では。
 いま一つ。本件は、検察審査会が決定した強制起訴の第1号だ。検審の決定は、「市民(国民)による決定」を標榜している(事実はそうではないが)。ならば、エリート裁判官がおのが出世を棒に振ってまで小沢氏に肩入れする(「無罪」を与える)とは、考えられない。検審の強制起訴を受けて被告人を有罪とし、検審制度を意義足らしめる。そのポイントにより、大善文男判事は目出度くステージを一段上がるのである。こんなチャンスを棒に振る官僚はいない。
 小沢さんは、よくよく不運だ。恐ろしい国だ、この国は。
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「広島女児殺害事件」司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ2010-08-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 〈来栖の独白 2010/08/07〉
 憲法76条3項は「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と裁判官の職権行使の独立を認めている。が、ここ(当該事件裁判)で私が見たものは、司法制度改革へ舵を切った最高裁に逆らうものは出世の道から外される、という「官僚司法」のありようであった。司法制度改革とは、核心司法、拙速裁判である。最高裁は「当事者が立証しようとしていない点まで立証を促す義務はない」とし、本件の精密な審理を望んで地裁へ差し戻した楢崎康英高裁裁判長を家裁へ転任させている。
 ・光市母子殺害事件(差戻し)・広島女児殺害事件控訴審裁判長だった楢崎康英氏が山口家裁所長・・・ 
〈来栖のつぶやき〉2009/10/14
  家裁とは・・・。しかも、広島家裁ではなく、(広島管区)山口とは。何があったのだろう。60歳ということだが、定年は65歳だ。光市事件差し戻し控訴審・広島女児殺害事件控訴審判決では、メディア・世論に評価されたと私は受け止めていたが。
 追記 2009/10/16Fri.
 本日、広島女児殺害事件上告審判断があった。高裁へ差し戻しということである。
 楢崎さんには、相手が悪かった。裁判員参加という不合理な制度を推進する大本山に立てついたような格好になった。楢崎さんは精密司法(1審へ差戻し)に「死刑」を展望していたのかもしれないが、最高裁の拙速志向(核心司法)とは相容れなかった、ということか。核心司法によって本件のように、今後いのちを得ること(死刑回避)になるのならいいけれど。 
 昨年だったか、東海テレビ「裁判長のお弁当」に登場した元裁判官下澤悦夫さん。若い頃、「青年法律家協会」に所属し、退会・退官勧告に従わなかったので、地方の家裁・簡裁を転々とさせられ、生涯一裁判官で終わった。「そりゃぁ、上に行きたいって気持はありましたよ。だけど・・・」と語っていた。ご自分の信念を曲げてまで・・、ということだろう。清廉な人格でいらっしゃると感服した。
 楢崎さんの場合、高裁刑事部で裁判長まで務めた人である。所長ポストであれ、家裁への異動はどうなのか・・・。存分に腕が振るえるとは思えない。簡裁であっても、同様である。
 「裁判官の独立」につき憲法は“良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束される”と、謳っている。が、新藤宗幸著『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕(岩波新書)の中に、次のような文脈があった。
“司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。
 裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
 政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。 ”
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小沢氏 初公判 10月6日/大善文男裁判長=極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた2011-08-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 来年4月判決 小沢「無罪」最大の難関は超カタブツ裁判長 日刊ゲンダイ2011年9月10日
 人生初の判断を下せるのか
 検察審査会に強制起訴された民主党の小沢一郎元代表に対する判決が、来年4月下旬に言い渡されることになった。
 司法関係者の間でも「無罪は確実」といわれ、政界をメチャクチャにした不毛な争いにはサッサとケリをつけて欲しいが、心配のタネがある。小沢裁判を担当する東京地裁の大善文男裁判長2 件(51)の存在だ。
 大善裁判長は1986年任官。東京地裁を皮切りに名古屋地裁、高松地裁、広島高裁の判事を経て、昨年4月に東京地裁刑事11部の総括判事となったベテランだが、司法界では「堅物判事」として有名だ。刑事事件が専門のある弁護士は「無罪判決を一度も出したことがないのでは」と言うほど、極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた。
 被告人が「無罪」を主張しようが、お構いなし。淡々と実刑判決を言い渡す。全面無罪を主張する小沢にとっては、ちょっと厄介な裁判長なのだ。
 大善裁判長のクールさが如実に表れたのは、昨年6月の裁判員裁判。都内で起きた2件の強盗事件を巡り、強盗致傷罪に問われた被告の事件への関与が争われたケースである。
「被告は、実行犯で知人の男に『強盗を指示した』として逮捕されたが、捜査段階から一貫して容疑を否認。唯一の証拠は『指示された』という実行犯の供述だけでしたが、その実行犯が公判の過程で『実は自分ひとりでやった』と供述を翻したのです。実行犯の捜査段階での供述と公判での証言のどちらが信用できるのか。判断の難しいケースですが、大善裁判長はアッサリと『捜査段階の供述の方が具体的かつ詳細に状況を述べている』と検察側の主張を支持。被告を『否認を続け、反省の態度が全く見られない』と断罪し、懲役9年の実刑判決を言い渡したのです」(司法記者)
 小沢の元秘書3人の裁判では、検察調書の大半が「任意性」を否定され、証拠として採用されなかったが、大善裁判長の手にかかると、どう転ぶか分からない。
 来月スタートの裁判で、カタブツ判事は小沢に“人生初”の無罪判決を言い渡すのか。常識的な司法判断を期待したい。
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小沢氏初公判 第3の検察と化した記者クラブ
田中龍作ジャーナル2011年10月6日 20:53
 初公判を受けての小沢氏記者会見。会場は立錐の余地もないほど記者やカメラマンで埋め尽くされた。
 土地購入をめぐる政治資金規正法違反(虚偽記載)で検察審査会の議決によって強制起訴された小沢一郎・元民主党代表。6日夕方、初公判を終え国会内で記者会見を開いた。
 小沢氏は法廷で行った意見陳述をもう一度読み上げた。続いて記者クラブ幹事社からの質問だ。筆者は会見が始まる前、記者クラブから出されるであろう質問を予想し、それをツイートした。「秘書が有罪になったが…」「議員辞職はしないのか?」などだった。
 幹事社(今月はテレビ朝日、共同通信)はものの見事に筆者の予想に沿った質問をしてくれた。テレビ朝日の記者が「秘書が有罪になったことの道義的責任は?」「議員辞職しないのか?」と質問したのだった。
 小沢氏は次のように答えた―
 「私も私の秘書も有罪とされるようなことはしていない。有罪の証拠はない。裁判官が自分の推測にもとづいて判決を下した。(議員辞職など)そのようなことは考えていない」。
 共同通信記者の質問は―
「野党は証人喚問を要求しているが、国会で責任を果たす予定は?」
「4億円の原資は何だったのか?」
 小沢氏の回答は―
 「3権分立を何と考えているのかね。君はどう考えているのかね」。
小沢氏から逆質問されると、共同通信の記者は絶句してしまった。
 「4億円は自分のお金です。検察に聞いて下さい。検察が1年以上、私の知らないことまで捜査しているのだから」。
 検察リークを垂れ流していることへの強烈な皮肉だった。
 検察審査会が第2の検察と言うなら、記者クラブは第3の検察である。
 筆者も毎度おなじみのワンパターンな質問をした。情けない話だが、この問題に行き着くのである。
 「小沢さんがこうまで検察とマスコミに狙われるのは『検察人事』『記者会見のオープン化』『クロスオーナーシップ』に踏み込もうとしているからではないか?」
 小沢氏はこう答えた。「検察人事に介入したことはない。記者会見は開かれたものでなければならない。(クロスオーナーシップについては)集中排除の法律を守らなければならない」。
 「あいつ(田中)はいつも同じ質問ばかりだな」とバカにされるのは承知のうえだった。記者クラブ制度と検察の体質を改善しない限り、日本という国が破滅に向かうと思うからである。
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小沢一郎氏 初公判 全発言/『誰が小沢一郎を殺すのか?』2011-10-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 小沢元代表 初公判の全発言〈10月6日 14時0分NHKニュース〉
  今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。
 指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。
 百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。
 また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。
 そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。
 贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。
 だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。
 それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。
 なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。
 それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。
 この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。
 オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
 それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
 おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。
 衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。
 議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。
 日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
 東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。まだ間に合う、私はそう思います。
 裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。

民主党の小沢一郎元代表、東京・世田谷区の自宅から救急車で病院に搬送される

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民主党の小沢一郎元代表、東京・世田谷区の自宅から救急車で病院に搬送される
FNNニュース
6日夜、民主党の小沢一郎元代表が、東京・世田谷区の自宅から救急車に乗せられ、病院に運ばれた。
症状などはわかっていないが、運ばれた際、意識はあったという。
小沢元代表は、心臓に持病があり、過去にも入院歴がある。
(10/06 23:53)

小沢一郎元代表「左の尿管結石」/裁判への影響

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小沢元代表は尿管結石=入院先の病院が発表
WSJ Japan Real Time2011年10月7日13:18
 民主党の小沢一郎元代表が緊急入院した東京・千駄木の日本医科大付属病院は7日午後、担当の医師が記者会見し、元代表の病状について「左の尿管結石と診断した」と発表した。血圧や脈拍などに異常はないという。
 元代表は6日夜、腰痛を訴えて都内の自宅から緊急入院した。医師は元代表の現在の様子について「かなり痛みも取れ、落ち着いた状態だ」と述べた。また、治療のため、1週間程度の入院を見込んでいることを明らかにした。
 政治資金規正法違反罪で強制起訴された元代表の次回公判は14日に予定されている。裁判への影響について、医師は「本人に伺わないと、申し上げることは困難だ」と述べた。[時事通信社]
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小沢氏は「尿管結石」と説明 現職閣僚「メディアにいじめられてかわいそう」
産経ニュース10月7日(金)11時10分
 民主党の小沢一郎元代表は6日深夜、腰の痛みを訴え、東京・世田谷区の自宅から救急車で文京区の日本医科大付属病院に搬送された。意識はあり、命に別条はないというが、そのまま入院した。小沢氏は7日午前、民主党の輿石東幹事長に電話し、「尿管結石」と説明した。また、小沢氏の主治医が7日昼に記者会見し、病状について説明する予定だ。
 小沢氏は、輿石氏に「腰が痛いので病院へ行ったら、尿管結石だった。お騒がせしちゃったね」と笑って語った。一方、小沢氏の秘書は7日未明、同病院で記者団に対し「いろいろと原因を検査している。主治医の報告を待たないと、出られる状態かどうかもちょっと(わからない)」と答えていた。
 小沢氏は6日、東京地裁での初公判終了後、国会内で記者会見に臨み、夜は都内の中華料理店で側近議員らと会合した。会合中、腰をさすりながら「痛いんだよな」と訴える機会が幾度もあったという。
 午後9時ごろに帰宅後、腰の痛みが激しくなり、午後11時すぎに救急車を電話で自宅に呼び、かかりつけの医師がいる病院へ同11時半ごろに向かった。
 小沢氏が緊急入院から一夜明けた7日午前、政府・与党関係者は情報の確認に追われた。
 民主党幹部の一人は「政界への影響はあるだろうが、小沢氏は党員資格停止なので、民主党は放っておくべきだ」と、平静に努めるべきとの考えを示した。小沢氏に近い現職閣僚の一人は「情報は聞いていないが、メディアなどにいじめられてかわいそうで、気の毒だ」と語った。
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小沢氏初公判 第3の検察と化した記者クラブ
田中龍作ジャーナル2011年10月6日 20:53
 初公判を受けての小沢氏記者会見。会場は立錐の余地もないほど記者やカメラマンで埋め尽くされた。
 土地購入をめぐる政治資金規正法違反(虚偽記載)で検察審査会の議決によって強制起訴された小沢一郎・元民主党代表。6日夕方、初公判を終え国会内で記者会見を開いた。
 小沢氏は法廷で行った意見陳述をもう一度読み上げた。続いて記者クラブ幹事社からの質問だ。筆者は会見が始まる前、記者クラブから出されるであろう質問を予想し、それをツイートした。「秘書が有罪になったが…」「議員辞職はしないのか?」などだった。
 幹事社(今月はテレビ朝日、共同通信)はものの見事に筆者の予想に沿った質問をしてくれた。テレビ朝日の記者が「秘書が有罪になったことの道義的責任は?」「議員辞職しないのか?」と質問したのだった。
 小沢氏は次のように答えた―
 「私も私の秘書も有罪とされるようなことはしていない。有罪の証拠はない。裁判官が自分の推測にもとづいて判決を下した。(議員辞職など)そのようなことは考えていない」。
 共同通信記者の質問は―
「野党は証人喚問を要求しているが、国会で責任を果たす予定は?」
「4億円の原資は何だったのか?」
 小沢氏の回答は―
 「3権分立を何と考えているのかね。君はどう考えているのかね」。
小沢氏から逆質問されると、共同通信の記者は絶句してしまった。
 「4億円は自分のお金です。検察に聞いて下さい。検察が1年以上、私の知らないことまで捜査しているのだから」。
 検察リークを垂れ流していることへの強烈な皮肉だった。
 検察審査会が第2の検察と言うなら、記者クラブは第3の検察である。
 筆者も毎度おなじみのワンパターンな質問をした。情けない話だが、この問題に行き着くのである。
 「小沢さんがこうまで検察とマスコミに狙われるのは『検察人事』『記者会見のオープン化』『クロスオーナーシップ』に踏み込もうとしているからではないか?」
 小沢氏はこう答えた。「検察人事に介入したことはない。記者会見は開かれたものでなければならない。(クロスオーナーシップについては)集中排除の法律を守らなければならない」。
 「あいつ(田中)はいつも同じ質問ばかりだな」とバカにされるのは承知のうえだった。記者クラブ制度と検察の体質を改善しない限り、日本という国が破滅に向かうと思うからである。

小沢一郎元代表の「暗黒裁判」は、米CIAと東京地検特捜部、マスメディアの共謀共同事件だ

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小沢一郎元代表の「暗黒裁判」は、米CIAと東京地検特捜部、マスメディアの共謀共同事件だ
板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」2011年10月06日20時54分13秒
 小沢一郎元代表の政治資金管理団体「陸山会」の政治資金収支報告書に記載した記述が、「虚偽記載ではないか」として政治資金規正法違反(虚偽記載罪)に問われた刑事裁判(別名「暗黒裁判」)の初公判が10月6日、東京地裁104号法廷で開かれ、人定質問、起訴状朗読、冒頭陳述が行われた。
 この裁判の核心は、政治資金収支報告書への「記載」は、総務省や都道府県選挙管理団体の指導により許されている「簡略記載」と「政治資金の実際の動き」とのズレを証拠に基づいて証明できるか否かにある。通例では、「ズレ」が発見されれば、「修正すればよし」とされてきた。しかも、「簡略記載」と「政治資金の実際の動き」を完全に一致させるのは、極めて難しい。小沢一郎元代表のように、巨額の資金を個人的に保有し、出入りが激しい政治家の「個人的な資金の動き」と「政治資金の実際の動き」とを峻別しにくい場合があるからである。外部の者が、これを見極めるのは、至難の業でもある。
 ところが、東京地検特捜部は、「陸山会」の政治資金収支報告書に正確に反映されていない「資金の動き」があったのではないかという「疑い」に基づき、確たる証拠もないのに、「見当」をつけて、小沢一郎元代表の周辺捜査と強制捜査を展開した。
 この捜査の最大の問題点は、「中国寄りの小沢一郎潰し」に懸命になっていた米CIA(米国大使館内「日本管理委員会の対日工作担当者マイケル・ジョナサン・グリーン戦略国際問題研究所日本部長)から強い働きかけを受けて着手された。
 米CIAの背後には、小沢一郎元代表を敵視する米国最大財閥のディビッド・ロックフェラーがおり、「小沢の政治生命を断て!」と狂ったように命令していたという。小沢一郎元代表が、英国財閥ジェイコブ・ロスチャイルドやバチカンとの緊密な関係を持ち、しかも、中国共産党1党独裁の北京政府の胡錦涛国家主席をはじめとする首脳陣と親密に交流し、「日米中は、正三角形の関係にある」と豪語していたことが、気にいらず、目障りだった。
 そのうえ、小沢一郎元代表が、米国政府(背後にディビッド・ロックフェラー)に、いちいち物申すことに、強い警戒心を抱いていた。「敗戦国の政治家は、米国の言うことに素直に従っていればいい」という態度である。
 そこで、マイケル・グリーンは、小泉純一郎元首相、竹中平蔵元総務相と蜜某し、小沢一郎元代表を東京地検への告発者として、いわゆる正体不明の「市民団体」を仕立てて、東京地検特捜部内の米CIA要員(駐米日本大使館1等書記官経験者)である副部長検事らに捜査させたのである。
 だが、いくら小沢一郎元代表を尋問しても、有罪を立証できる証拠が得られず、2度にわたり「不起訴処分」にせざるを得なかった。
 このため、マイケル・グリーンは、小泉純一郎元首相、竹中平蔵元総務相は、次なる作戦の乗り出した。怪しげな「市民団体」に東京検察審査会に「不起訴処分を不服」とする申立てをさせたのである。
 そのくせ、マイケル・グリーンはもとより、カート・キャンベル国務次官補らは、米国が経済的にピンチに立たされると、小沢一郎元代表を必要と感じて、ネコ撫で声でにじり寄ってきては、「裁判をクリ−ンしてやるから、日本政府にカネを出させろ」と要求してきているという。
 しかし、これらの一連の動きに対して、マスメディアは、一斉に「小沢一郎潰し」の論調を強めた。とくにワシントン特派員として在米中、米CIA要員にされて帰国した「ワシントン帰り」の記者たちが、「反小沢一郎」の急先鋒として、世論を煽り立て、主導したのである。怪しげな「市民団体」の正体を暴こうともしないのは、これ自体が、マスメディアの怪しさを証明している。
 全国紙のいわゆるスター・ライターの大半は、米CIA要員とみてよい。読売新聞は、「米CIA広報紙」と言われてきただけに、ある意味で非常に分かりやすい新聞である。また、米国に嫌われた政治家は、「駐日米大使館発、週刊文春の記事」により、「政治生命を絶たれる」とさえ言われてきたのは、有名である。
 こうしたマスメディアの世論操作が、こうも簡単にできるのは、日本国民の大半が、ズバリ言えば、「愚民」なるが故にである。この論調に易々と乗ってしまうのが、あの「みのもんた」(敬称略)らの軽薄キャスターや司会者、あるいは訳知り顔のコメンテイターであった。唯一まともなのが、ジャーナリストの江川紹子さん(神奈川新聞記者出身)であると言える。
 小沢一郎元代表が、初公判後の記者会見で、「怒り」を露にしていた。記者のなかから、「国会での説明責任」を聞かれて、質問者があまりにも無知なのに怒ったのである。「君はどう考える? 三権分立が分かっているのか」と。弁護士でありながら法廷に立った経験がほとんどない自民党の谷垣禎一総裁ら野党党首が、「国会での説明責任を果たせ」と述べていたが、逆に言えば、野党は、まさしく、日本国憲法の遵守義務に違反する発言をしているのである。
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小沢一郎元代表「23年の死闘」は、「ウォール街デモ」と「小沢一郎暗黒裁判」で結末を迎えるのか
板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」2011年10月06日 00時09分27秒
 小沢一郎元代表「23年の死闘」の結末がいま、2つの現象として、私たちの眼前に現出している。その1つが、「小沢一郎元代表の刑事裁判=暗黒裁判」(東京地裁104号法廷で6日午前10時から初公判)であり、もう1つが、「米国最大財閥のディビッド・ロックフェラーの没落」とこれを背景とする「ウォール街などで発生した各地の大規模デモや暴動」である。
 この2つの現象の元凶は、「強欲資本主義」を主導した「ディビッド・ロックフェラー」による「大博打の大失敗」にあった。このことに早くから気づき、「日本の資産防衛」に懸命になったのが、小沢一郎元代表であった。
 要するに、「ディビッド・ロックフェラーに日本の国民の血と汗の結晶である資産が食い物なされる」と警戒し、ディビッド・ロックフェラーを「最大の敵」と見做して、徹底的に抵抗してきた。これに対してディビッド・ロックフェラーは、黙っていなかった。手下たちに「小沢一郎元代表を叩き潰せ」と命じたのである。
 ロックフェラー財閥は、米国GDPの60%を担ってきた文字通り、巨大財閥である。そのディビッド・ロックフェラーは、ソロモン・ブラザーズが1980年代に開発した「モーゲージ債」や高度の金融工学と情報機器の発達を生かした「株式の裁定取引」などで、傘下の証券会社メリルリンチを参戦させて、巨利を得てきた。しかし、ソロモン・ブラザーズが2000年代に開発した「モーゲージ債」技術が高度化した「サププライム・ローン」組み込み証券を、自らがオーナーの国際金融機関である「シティグループ」に購入させたのが、運のつきになってしまった。やはり傘下のリーマン・ブラザーズがサブプライム・ローンの破綻により発生したいわゆる「リーマン・ショック」(2008年9月11日)が原因で、倒産寸前に追い込まれたのである。幸い、ゴールドマンサックス社(ジョン・デビッドソン4世がオーナー)のヘンリー・ポールソンCEOが、ブッシュ政権2期目最後の財務長官に引き抜かれていたので、「公的資金の投入」措置を受けて、辛うじて、一瞬、救済された。これにより、米国経済は、再生に向かうと思われたけれど、これは、焼け石に水だった。
 然るにシティグループ以下、傘下の企業の経営は、経営難から再生することはなく、悪化の一途を辿った。その果てに、困ったときの「悪の戦争経済」というように、「第3次世界大戦」に向けて、傾斜し始めたのである。
 そうしたなかで、米国経済は悪くなる一方で、失業率は9・1%と高水準で推移しており、オバマ大統領は、ついに「私は負け犬だ」と弱音を吐き出し始める始末である。このため、ディビッド・ロックフェラーから「世界銀行総裁になれ」と言われて、一時は、政界引退を申し渡されていたヒラリー・クリントンが、2012年秋の大統領選挙に立候補するという噂まで、飛び出してきている。これもディビッド・ロックフェラーが失脚したことから、強力な後ろ盾を失ったがための新たなる動きの1つである。
 こうした政治状況のなかで、毎日新聞毎日jpが10月3日午前10時58分、「米国:『ウォール街デモ』各地に飛び火」という見出しをつけて、以下のように報じた。
 「【ニューヨーク山科武司】世界金融の中心地、米ニューヨーク・マンハッタンのウォール街周辺で経済格差の拡大に抗議する若者らのデモは700人以上が逮捕された翌日の2日も続き、1500人以上が集会に参加した。行き過ぎた市場主義に異を唱える運動はボストンやシカゴ、西海岸ロサンゼルスなど全米各地に拡大中で、海外に飛び火する可能性も浮上している。抗議運動はインターネットの会員制交流サイト・フェイスブックや簡易ブログ・ツイッターなどを通じて賛同者を増やしている。デモ参加者の一人はAP通信に『私たちの活動を伝える動画を見ている視聴者は3万人以上いる』と語った。ボストンでは、バンク・オブ・アメリカ前で約1000人が抗議、24人が逮捕された。共同通信によると、ロサンゼルスでは数百人が市庁舎近くに集まり、経済政策の恩恵を受けているのは人口の1%にすぎないとして『我々が99%だ』と書かれたポスターを手に大通りを練り歩いた。サンフランシスコ、シアトルなどでも抗議運動が行われたという。デモを展開する抗議団体のウェブサイトによると、デモ計画は全米50州のうち44州の計115都市で進行中。抗議団体はフェイスブックなどを通じて、東京やロンドンなど海外でも同様の抗議行動を繰り広げるよう呼びかけている。抗議団体の拠点であるマンハッタン南部のズコッティ公園は2日、警官が取り囲み、通行人が様子をうかがおうとして立ち止まろうとすると「交通の邪魔になる」と立ち去るよう促した。集会の参加者は『たとえ1人が逮捕されても、2人が(運動に)参加する」などと書かれたプラカードを掲げ、警官と無言でにらみ合った。周辺では、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルをもじったミニ新聞「オキュパイド・ウォールストリート(占拠されたウォール街)・ジャーナル」が配られた。『革命が始まっている』との見出しの記事は、今回の運動を1960年代の平和運動や中東の民主化運動『アラブの春』になぞらえ、『米国も歴史の節目にある』と指摘。『2500万人以上が無職で、5000万人以上が健康保険に入っていない』『我々のシステムは壊れている』と訴え、大企業や富裕層による富の独占を批判した」
 米国では、最近、全国的に暴動が頻発しており、大袈裟に言えば、「内乱」に発展するのではないかと憂慮されてきた。中国と違い、民主的なルールが普及しているので、「暴動→暴動→革命」というような極端なことは起きにくいと思われてきた。しかし、今回の社会不安は、相当に異常である。
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マイケル・グリーンという後ろ盾を失い、支離滅裂の小沢報道を続ける日本マスメディア2010-09-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

 『小沢革命政権で日本を救え』日本文芸社刊
p82〜
前原誠司や長島昭久はマイケル・グリーンの忠実な子分
副島 (前部分略)民主党の“黄門さま”の渡部恒三議員(元衆議院副議長)の息子である渡部恒雄氏の経歴と正体もばらしてしまいました。
 渡部恒雄はマイケル・グリーン前東アジア上級部長の忠実な教え子であり、CSIS(戦略国際問題研究所)非常勤研究員を名乗っています。それだけでなく、オヤジの渡部恒三議員の頭をおかしくしています。このバカ息子と同じく小泉進次郎・衆議院議員もCSISの大学院を出ており、マイケル・グリーンが論文を書かせています。
 もう一人彼らの育ての親はコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授です。日本研究の大家でテレビによく出てきます。
 前原誠司・国交大臣と長島昭久・防衛大臣政務官もマイケル・グリーンの忠実な子分です。長島政務官は、何の臆することなく、「鳩山政権は、アメリカの言うことを聞くべきだ。今の対立的な日米関係は、危険である」と、アメリカ側の代言人(スポークスマン)のようなことを連呼しています。
 検察・警察と国税庁という二大実働部隊が鳩山民主党政権に対する反政府クーデター計画を立てて動いていると私は考えています。検察・警察は30万人、国税庁・税務署は20万人の実働部隊を持っている。公務員組織ですから恐ろしいのです。彼らがやがて統制経済体制(コントロールド・エコノミー)になったら、資産家と経営者層に襲いかかっていくのです。私はこのことを心底、恐れています。
 この反政府クーデター計画のもう一つの勢力が、アメリカの手先となっているNHKを含むテレビ6社と、大手新聞5社の計11大メディアです。これらの大メディアは、「三宝会」という政治部長会議を密かに開いています。マイケル・グリーン前東アジア上級部長と長島昭久、渡部恒雄らも出席して、「小沢一郎を逮捕し、有罪として葬り去るための謀議」を企てました。
佐藤 そのマイケル・グリーン前東アジア上級部長やマイケル・シファー国防次官補代理たちは、いわゆるジャパン・ハンドラーズで安保マフィアですね。しかし、私は彼らの時代はすでに終わっていると思います。
p135〜
副島 (前部分略)そしてその娘さんがルイザ・ルービンファイン女史で、彼女は小沢一郎著『日本改造計画』の英語の元版を書いている。彼女はハーバード大学博士号を持つ女性で、国務省に所属しています。小沢はこのようにして育てられた男です。「日本改造計画」で小沢一郎が打ち出した案を、自民党が利用しながら日本は進んできました。
 小沢一郎の親分はジェイ・ロックフェラー(ジョン・ダヴィットソン・ロックフェラー4世、ウエストバージニア州選出の上院議員で、現在73歳)です。小沢はこの人との盟約関係で生き延びてきました。
 2009年3月1日に、政治資金疑惑で大久保隆規・公設第1秘書が逮捕されて、小沢攻撃が激化しました。小沢を逮捕するのを阻止するために動いたのは、私の考えではジェイ・ロックフェラーから頼まれたマイケル・アマコスト元大使と、かつて副大統領まで務めたウオルター・モンデール元大使だったでしょう。もう1人、トム・フォーレー下院議員だと思います。この3人の民主党の大物で、日本大使を経験した人たちが小沢を守ったのです。というのが私の考えです。(後部分略)
佐藤 検察は、小沢一郎に関するそのあたりの事情について気づいていない。ブッシュ時代のアメリカとのつながりで、自分たちの知らないアメリカの盾が、自分たちにまだあると勘違いして突き進んでいるということですね。
副島 そうです。検察には、恐らくもう、アメリカからの後ろの盾はないですよ。
佐藤 リチャード・アーミテージ元国務副長官とか、マイケル・グリーン戦略国際問題研究所(CSIS)上級顧問とか、カート・キャンベル元国防副次官補とか、このようなブッシュ政権時代の利権政治屋、いわば安保利権屋に、いい調子でやられているというのはおかしな話です。
 その点、やはり鈴木宗男・新党大地代表は立派な政治家です。キャンベル元国防副次官補が会見を申し込んできたとき、鈴木宗男さんは、「僕はあなたと会いたくない」、「見苦しい」「目障りである」と、言いました。今、こんなことを言えるのは彼一人しかいないです。民主党側も自民党も、まったくだらしのない状態です。
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小沢一郎氏 初公判 全発言/『誰が小沢一郎を殺すのか?』2011-10-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
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小沢一郎が語った「原発/国家のリーダー(衆愚の中からは衆愚しか)/マスコミは日本人の悪いところの典型」2011-09-19 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
        

 『悪党 小沢一郎に仕えて』石川知宏 元小沢一郎秘書・衆議院議員著(朝日新聞出版)
--第3部〈対決〉より部分抜粋転写--
p220〜
小沢 役所は、クリーンで、コストの安い、安全なエネルギーであるみたいな宣伝文句を言っていたんだけども。いまの現実もその当時も、あまり変わりないのは、結果的に原発からできる高レベル放射性廃棄物の処理の方策が、いまだ適当な策がないんだよ。ボクは当初から、役所の宣伝文句は別として、過渡的なエネルギーとしては仕方がない。石油もないからね。石炭だってないし、事実上。だから過渡的なエネルギーとしては仕方ないけども、いずれ新しい、クリーンで、しかも日本で大量に生産できるエネルギーっちゅうものを考えなければダメだというふうに思ってきたし、オレは言ってきたんだ。
石川 はい。
小沢  だからいま、六ケ所村かな、ガラス固化で地中に埋めるという技術をフランスから導入したけどね、もう40年近く前から言ってきたことなんだ。だけどそれは技術として完成していないんだよ。ガラスに固めて埋めたってね、地震でつぶれっかもしれないしね。だから、高レベル放射性廃棄物っつうのはいまの事故でよくわかったけどもコンクリから鉄骨から、なにからみんななんだよ。だから本当は宇宙に飛ばすのが1番いいんだけども、とにかくこの処理はどこの国もまだ確実な方法は見つかっていないんだよ。まあ、見つかるわけないんだけどな。
石川 この間、三陸に被災地の慰問に行った時、三陸は地盤が固いと聞きました。津波被害を受けなかった地区では地震によって倒壊した家屋は少なかったそうです。岩手に原発がないというのは、先代(小沢佐重喜)だったり、ほかの岩手選出の政治家、小沢先生も含めて、誘致運動を止めたということでしょうか。当時は福島にあれだけ原発を持ってきているのに。
小沢 いや、止めたわけではない。結果として、だな。別に岩手がいいというオファーが強くあったわけでもなかったし、ぜひともほしいということもないし。だから、結果として何もなし。1つはね、むしろ電力会社の方がリアス式海岸があまり適してないと考えた節もあるな。オレも積極的にあれこれ運動はしなかった。
石川 やはり青森に六ケ所村があって、福島に原発があって・・・。
小沢 うん、岩手にはないわな。
石川 世間では「岩手は小沢一郎が思い通りに動かしている」と常に言われています。岩手に原発がないのは、「小沢先生ががんばったから」という都市伝説のような噂もあるらしいのですが、結果的には誘致する機運がなかったということでしょうか。
小沢 オレもあまり積極的に引っ張ってこようという気はなかったな。まあ、あの、みんなアレなんだよ。交付金狙いだから。だから、事故が起きない限りはカネをいっぱいもらうからいいっちゅうことになったけど、いまにして考えれば事故が起きて現地の人も大変だし、国全体が大変なんだ。
p226〜
石川 ロシアは北方領土、中国は尖閣諸島に目をつけています。歴史からいうと第1次世界大戦後に列強が中国に入り込んでいったように、いま日本が周辺諸国から攻め込まれようとしています。これだけ好き放題にやられてしまっているのは、やはりリーダーの責任でしょうか。
小沢 リーダーのせいではあるけれど、それ以前に日本人自身の問題だな。よく言うように、国民のレベル以上のリーダーは出ねえんだよ。衆愚の中からは衆愚しか生まれない。だから国民のレベルアップをしないとリーダーも育たない。その意味でどうしたらいいのか。そういうことをもう少し日本人は自分で考えなきゃいけないな。
石川 はい。
小沢 いまの震災を例にすると、マスコミを含めてバカみたいに、やれ挙国一致だ、やれいま政権を変えるのはどうだ、ってアホみたいな議論をしている。これは日本人的な議論だ。欧米では違うんだよ。危機だからこそ強力な政権とリーダーを作らなければならないっちゅうのが彼らの考え方だよ。日本人はみんな丸く丸くなろうとする。丸くなって、談合ばかりしていたって解決しねえんだよ。原発事故にしても誰も責任をとらない。誰が責任者なのか、誰が決めているのか。わけがわからない。そこをマスコミが一緒になってもっと仲よくなれって。何を考えているんだよ。
石川 まあ、そうですね。
小沢 マスコミは日本人の悪いところの典型なんだ。国家の危機を経験してきた欧米人は、危機のときだからこそ強いリーダーを選ぶ。第2次大戦前のイギリスはチェンバレンという首相がいて、ヒトラーと妥協して「チェンバレンの平和」と言われたんだな。それが結局はヒトラーの勢力を増大させてしまった。そのときにイギリス人は最も批判の多かったチャーチルを首相に選んで、チェンバレンを降ろした。危機だからこそ変えた。危機じゃなかったらチャーチルは総理にならなかった。発想が違うんだよ、ゆでガエルみたいな日本人とな。
(中略)
p229〜
石川 産経新聞には私も先生もたたかれてきましたが、小沢一郎が総理にふさわしい人1位になっていました。国民の期待が高まれば、先生はそれに応える思いがあるのでしょうか。
小沢 おう、そういや、この言葉が好きで机に取っておいたんだ。「人事を尽くして天命に遊ぶ」。「天命を待つ」「天命に従う」が普通の言葉なんだよ。これは自分で自分に期待感がこもるだろ。自分のいいように天命が回ってくりゃいい、と。それじゃ、本当のアレじゃない。「天命に遊ぶ」ってのは、確か戦前の左翼が言ったんだよ。だからあまり言うなと忠告する人もいるけど、オレは最高に気に入っているんだ。期待するでも何でもない。待つんじゃねえんだよ。
石川 では、チャーチルのように70代でも総理に・・・。
小沢 そんなスケベ根性を起しちゃダメだっつってんだよ。人事を尽くすことが大事。それぞれが自分の立場、職責で全力を尽くせば世の中はよくなるんだよ。見え透いた根性を起すからみんなおかしくなるんだよ。
石川 なるほど。私も政治家として肝に銘じます。
小沢 お前も、まだまだだな。いまの民主党の欠陥は、俗に言う「雑巾がけ」、基礎的な鍛錬、基礎的な勉強もしないで偉くなっちゃったヤツばっかなんだよ。だから危機が起きるとどうしたらいいかわからなくなるんだよ。基礎的な修行を積み、経験を積み、知識を積み、そしてこういう時はこう、ああいう時はこうと、自分の価値判断基準、政策判断の基準っつうのが自然と作られてくる。それがピョンと偉くなっちまったもんだから。
石川 福田康夫政権で大連立騒動の時に私は先生に反対しに深沢まで行きましたけど、あの時は「先生は何でそんなことするんだ」という考えでした。
小沢 そうだったかな。
石川 でも、先生の言うとおりに「やっぱり大連立にしておけばよかった」と書く報道機関が最近になって多くなった気がします。
小沢 いい加減だからな。マスコミが時代遅れなんだよ。マスコミがダメだから日本がおかしくなっている。もっと合理的に論理的に、先見性を持ったオピニオンリーダーじゃなくちゃダメなんだよ、マスコミは。逆だもん。官僚と一緒になって足引っ張っているだけだから。意見を封殺する。
石川 大連立は、やはり民主党に経験を積ませないといけないと思ったからでしょうか。
小沢 うん。それが大きいね。それと政権交代への近道でもあった。わからねえんだからしょうがねえ。だからちゃんと相談したんだから、役員会で。1人でやっていて、誰も文句言わなかった。菅なんか何も言わなかったよ。
石川 そうでした。
小沢 これが権力の差よ。オレが総理だったら、あの時、誰も文句言わないよ。当時は野党の党代表だったから、みんな後になってワーワー言いだして。
石川 はい。
小沢 その程度だ・・・みんな。はあー(大きくため息)。
石川 歴史が動こうとしているときにお時間いただいてありがとうございました。あしたも裁判です。
小沢 そうか。
(2011年5月31日、チュリス赤坂内の小沢一郎事務所にて) 

何としても小沢一郎を潰したい大マスコミと司法が素人機関を使って犯罪者扱いし、刑事被告人にしてしまう

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小沢無罪でないと大変なことだ なぜ暗黒裁判に大騒ぎするのか
日刊ゲンダイ2011年10月7日
<本来、検察が2回も不起訴にした人物がシロウトの手で裁判にかけられること自体が民主主義国で許されないはず>
 昨夜、小沢一郎が病院に救急搬送された。過労か心労か重体か、本当のところはまだ不明だが、無理もない。検察に狙われてから2年半。小沢にとっては悪夢のような毎日が続いてきた。69歳。いくら剛腕でも参ってしまって当然だ。
 「地元・岩手が大地震でやられ、小沢さんとしては政策や仕事がしたかったはず。でも、ずっと身動きの取れない立場に追いやられ、裁判闘争がついて回った。意地だけで元気な姿を見せていたけど、これだけストレスがたまる日が続けば、倒れてもおかしくありませんよ」(民主党関係者)
  強制起訴された6日の自分の裁判で、小沢は裁判長や指定弁護士を前に、「直ちに裁判を打ち切るべきだ」「明白な国家権力の乱用だ」と強い言葉で持論を展開。続く記者会見でも、大手メディアの記者たちの質問を蹴散らしていた。やはり凄みがあるし、スケールが違った。
  こんな強い信念と迫力をもった政治家こそ今の日本には必要不可欠で活用すべきなのに、まったく狂っている。この国の大マスコミは暗黒裁判を後押しし、あおることしかやらないのだから、どうしようもない。小沢の緊急入院に対しても、なんの罪悪感もない。
  あらためて聞くが、そんなに小沢は罪人なのか。そもそも何が悪いというのか。検察審査会という法律シロウトの集まりが小沢を法廷に引きずり出したが、小沢本人の政治資金規正法事件は検察捜査で2度も不起訴だった。だれも逆らえない最強の東京地検特捜部が1年半も強制捜査を続けながら、ついに立件できなかった事件である。検察は完敗したのだ。
  それなのに、何としても小沢を潰したい大マスコミと司法が、シロウト機関を使って寄ってたかって犯罪者扱いし、刑事被告人にしてしまう。民主主義国では許されないことだが、それが当然のごとくまかり通っている。恐ろしいし異常だ。
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小沢一郎氏 裁判/大善文男裁判長は将来が約束されたエリート判事 登石郁郎裁判長以上に体制寄り2011-10-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
小沢氏 初公判 10月6日/大善文男裁判長=極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた2011-08-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 来年4月判決 小沢「無罪」最大の難関は超カタブツ裁判長 日刊ゲンダイ2011年9月10日
 人生初の判断を下せるのか
 検察審査会に強制起訴された民主党の小沢一郎元代表に対する判決が、来年4月下旬に言い渡されることになった。
 司法関係者の間でも「無罪は確実」といわれ、政界をメチャクチャにした不毛な争いにはサッサとケリをつけて欲しいが、心配のタネがある。小沢裁判を担当する東京地裁の大善文男裁判長2 件(51)の存在だ。
 大善裁判長は1986年任官。東京地裁を皮切りに名古屋地裁、高松地裁、広島高裁の判事を経て、昨年4月に東京地裁刑事11部の総括判事となったベテランだが、司法界では「堅物判事」として有名だ。刑事事件が専門のある弁護士は「無罪判決を一度も出したことがないのでは」と言うほど、極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた。
 被告人が「無罪」を主張しようが、お構いなし。淡々と実刑判決を言い渡す。全面無罪を主張する小沢にとっては、ちょっと厄介な裁判長なのだ。
 大善裁判長のクールさが如実に表れたのは、昨年6月の裁判員裁判。都内で起きた2件の強盗事件を巡り、強盗致傷罪に問われた被告の事件への関与が争われたケースである。
「被告は、実行犯で知人の男に『強盗を指示した』として逮捕されたが、捜査段階から一貫して容疑を否認。唯一の証拠は『指示された』という実行犯の供述だけでしたが、その実行犯が公判の過程で『実は自分ひとりでやった』と供述を翻したのです。実行犯の捜査段階での供述と公判での証言のどちらが信用できるのか。判断の難しいケースですが、大善裁判長はアッサリと『捜査段階の供述の方が具体的かつ詳細に状況を述べている』と検察側の主張を支持。被告を『否認を続け、反省の態度が全く見られない』と断罪し、懲役9年の実刑判決を言い渡したのです」(司法記者)
 小沢の元秘書3人の裁判では、検察調書の大半が「任意性」を否定され、証拠として採用されなかったが、大善裁判長の手にかかると、どう転ぶか分からない。
 来月スタートの裁判で、カタブツ判事は小沢に“人生初”の無罪判決を言い渡すのか。常識的な司法判断を期待したい。
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「救急で小沢一郎氏が病院へ搬送」のニュースと田中角栄氏/ 小沢一郎氏vs記者クラブメディアの戦い2011-10-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 〈来栖の独白 2011/10/07Fri.〉
 小沢一郎氏の裁判(初公判)のあった昨夜、小沢氏が救急で病院へ搬送された。左尿管結石と判明した。
 私には、田中角栄元首相が重なってならない。いわれなく刑事被告人とされ、政界・官界・司法・メディアから総攻撃、集中砲火を浴びて政治生命を絶たれた挙句、病を得た。
 祈らずにはいられない。「角栄さん。どうぞ、これ以上、あなたの愛弟子にあなたと同じ道を歩ませないでください。災難を取り除き、守ってあげて下さい」と、祈らないではいられない。国民は失ってはならない、小沢一郎という政治家を。
 田原総一朗氏と田中森一氏の対談(検察を支配する「悪魔」)を想起する。以下。
田原:「“そもそもロッキード事件はアメリカから降って湧いたもので、今でもアメリカ謀略説が根強く囁かれている。僕は当時、“資源派財界人”と呼ばれていた中山素平(そへい)日本興業銀行相談役、松原宗一大同特殊鋼相談役、今里広記日本精工会長などから、「角栄はアメリカにやられた」という言葉を何度も聞かされた。中曾根康弘元総理や、亡くなった渡辺美智雄、後藤田正晴といった政治家からも、同様の見方を聞いた。
 角栄は1974年の石油危機を見て、資源自立の政策を進めようとする。これが、世界のエネルギーを牛耳っていたアメリカ政府とオイルメジャーの逆鱗に触れた。
 このアメリカ謀略説の真偽は別にしても、検察は当時の日米関係を考慮に入れて筋書きを立てている。結果、角栄は前総理であり、自民党の最大派閥を率いる権力者だったにもかかわらず検察に捕まった」
田中:「ロッキード事件に関わったわけではないので、詳しいことはわかりませんが、検察内部で先輩たちから聞くところによると、時の権力が全面的にバックアップしてくれたので、非常にやりやすかったそうです。
 主任検事だった吉永祐介あたりに言わせると、「あんな簡単でやりやすい事件はなかった」---。
 普通、大物政治家に絡む事件では、邪魔が入るものですが、それがないどころか、予算はふんだんにくれるわ、いろいろと便宜を図ってくれるわけです。三木武夫総理を筆頭に、政府が全面的に協力して、お膳立てしてくれた。
 ロッキード事件では超法規的な措置がいくつもある。
 アメリカに行って、贈賄側とされるロッキード社のコーチャン、クラッターから調書を取れた。相手はアメリカ人だから、法的な障害がたくさんある。裁判所だけでなく、外務省をはじめとする霞が関の官庁の協力が不可欠です。とりわけ、裁判所の助力がなくてはならない。
 政府が裁判所や霞ヶ関を動かし、最高裁が向うの調書を証拠価値、証拠能力があるとする主張を法律的に認めてくれたばかりが、コーチャン、クラッターが何を喋っても、日本としては罪に問わないという超法規的な措置まで講じてくれた。贈賄側はすべてカット。こんな例外措置は現在の法体制では考えられません。弁護人の立場から言えば、非常に疑問の多い裁判でもあった。
「贈」が言っていることを検証しないで、前提とするわけだから。贈賄側が死んでいれば反対尋問はできないけれど、本来は、原則として仮に時効にかかろうが、贈賄側を一度、法廷に呼び出して供述が本当なのか検証するチャンスがある。
 ところが、ロッキードではなし。それで真実が出るのかどうか、疑わしい限りです。しかも、贈賄側は一切処罰されないと保証されて、喋っている。その証言が果たして正しいか。大いに疑問がある。
 それぐらい問題のある特別措置を当時の三木政権がやってくれるわけです。つまり、逮捕されたときの田中角栄は、既に権力の中枢にいなかったということなのでしょう。」
 ところで、何かあると鬼の首でも取ったように直ぐに、国会での説明責任や議員辞職を迫る国会議員(自民党の谷垣総裁は弁護士資格を有しているはずだが、毎度「辞職」を迫る筆頭だ。無罪推定の原則をお忘れのようだ)やメディア。小沢氏の言うように、三権分立が解っていない。国会議員を辞職させる権限は国民にしかない。国民が「選挙」で辞めさせるのである。
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私の面倒を見てくれた政権の座にある人物が1日中、椅子に座らされて、1人でいるのは耐えられなかった2011-10-04 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
フラッシュバック:小沢氏、再び法廷に
WSJ Japan Real Time2011/10/3 16:48.
政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で強制起訴された小沢一郎・民主党元代表の初公判が6日、東京地裁で開かれるが、同氏が師と仰いだ田中角栄元首相の裁判が改めて思い出される。田中元首相は国防関連最大手、米ロッキードからの収賄罪に問われた。
政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢一郎・民主党元代表の初公判が6日、東京地裁で開かれる。当時まだ若かった小沢氏は、1977〜83年にわたった191回の公判全てに出席した。審理の結果、田中元首相には有罪判決が下った。田中派議員のなかでも、毎回公判に出席したのは小沢氏1人だけだった。
小沢氏は毎回終了までとどまり、田中元首相と目が合うのを待って深くお辞儀をしたと伝えられる。
政治ジャーナリスト渡辺乾介氏が執筆した1992年の本のなかで、小沢氏は心情的にそうした、と述べたと引用されている。この本の出版に当たり、小沢氏は渡辺氏と長時間にわたり会談したという。「あの人〜ひとつの小沢一郎論〜」と題するこの本の中で、小沢氏は私の面倒を見てくれた政権の座にある人物が1日中、椅子に座らされて、1人でいるのは耐えられなかった、と語ったと記されている。
政治資金規正法違反の嫌疑について、小沢氏は自身の不正行為を否定している。田中元首相も収賄罪で不正行為を働いたことを否定し、有罪判決を受けた後も陰の実力者の地位に君臨した。
小沢氏はその後何年にもわたって田中元首相を擁護し、不当に罰せられたと指摘した。小沢氏は2006年に出版された別の本のインタビューで、田中のオヤジが完璧だと言っているのではない、と語ったという。田中さんだけじゃなく、国民も政治家も官僚もみなやっていたことだと述べ、田中元首相はスケープゴートにされたと言及した。
小沢氏は自身の裁判でも同様の弁護を行っている。田中元首相の裁判の最中でさえ、小沢氏は法廷に立つことを予想していたかのようだ。小沢氏は、政治家として裁判で同じ立場に置かれたら、どうすべきかと考えていたと、1992年の本の出版に際しての渡辺氏とのインタビューで語っていた。自分だったらどうするかと、公判の間、ずっとそういったことを考えていた、と語っていた。
記者:Jacob M. Schlesinger
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未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸/小沢一郎の日本再造計画2011-05-05 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

「救急で小沢一郎氏が病院へ搬送」のニュースと田中角栄氏/ 小沢一郎氏vs記者クラブメディアの戦い

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〈来栖の独白 2011/10/07Fri.〉
 小沢一郎氏の裁判(初公判)のあった昨夜、小沢氏が救急で病院へ搬送された。左尿管結石と判明した。
 私には、田中角栄元首相が重なってならない。いわれなく刑事被告人とされ、政界・官界・司法・メディアから総攻撃、集中砲火を浴びて政治生命を絶たれた挙句、病を得た。
 祈らずにはいられない。「角栄さん。どうぞ、これ以上、あなたの愛弟子にあなたと同じ道を歩ませないでください。災難を取り除き、守ってあげて下さい」と、祈らないではいられない。国民は失ってはならない、小沢一郎という政治家を。
 田原総一朗氏と田中森一氏の対談(検察を支配する「悪魔」)を想起する。以下。
田原:「“そもそもロッキード事件はアメリカから降って湧いたもので、今でもアメリカ謀略説が根強く囁かれている。僕は当時、“資源派財界人”と呼ばれていた中山素平(そへい)日本興業銀行相談役、松原宗一大同特殊鋼相談役、今里広記日本精工会長などから、「角栄はアメリカにやられた」という言葉を何度も聞かされた。中曾根康弘元総理や、亡くなった渡辺美智雄、後藤田正晴といった政治家からも、同様の見方を聞いた。
 角栄は1974年の石油危機を見て、資源自立の政策を進めようとする。これが、世界のエネルギーを牛耳っていたアメリカ政府とオイルメジャーの逆鱗に触れた。
 このアメリカ謀略説の真偽は別にしても、検察は当時の日米関係を考慮に入れて筋書きを立てている。結果、角栄は前総理であり、自民党の最大派閥を率いる権力者だったにもかかわらず検察に捕まった」
田中:「ロッキード事件に関わったわけではないので、詳しいことはわかりませんが、検察内部で先輩たちから聞くところによると、時の権力が全面的にバックアップしてくれたので、非常にやりやすかったそうです。
 主任検事だった吉永祐介あたりに言わせると、「あんな簡単でやりやすい事件はなかった」---。
 普通、大物政治家に絡む事件では、邪魔が入るものですが、それがないどころか、予算はふんだんにくれるわ、いろいろと便宜を図ってくれるわけです。三木武夫総理を筆頭に、政府が全面的に協力して、お膳立てしてくれた。
 ロッキード事件では超法規的な措置がいくつもある。
 アメリカに行って、贈賄側とされるロッキード社のコーチャン、クラッターから調書を取れた。相手はアメリカ人だから、法的な障害がたくさんある。裁判所だけでなく、外務省をはじめとする霞が関の官庁の協力が不可欠です。とりわけ、裁判所の助力がなくてはならない。
 政府が裁判所や霞ヶ関を動かし、最高裁が向うの調書を証拠価値、証拠能力があるとする主張を法律的に認めてくれたばかりが、コーチャン、クラッターが何を喋っても、日本としては罪に問わないという超法規的な措置まで講じてくれた。贈賄側はすべてカット。こんな例外措置は現在の法体制では考えられません。弁護人の立場から言えば、非常に疑問の多い裁判でもあった。
「贈」が言っていることを検証しないで、前提とするわけだから。贈賄側が死んでいれば反対尋問はできないけれど、本来は、原則として仮に時効にかかろうが、贈賄側を一度、法廷に呼び出して供述が本当なのか検証するチャンスがある。
 ところが、ロッキードではなし。それで真実が出るのかどうか、疑わしい限りです。しかも、贈賄側は一切処罰されないと保証されて、喋っている。その証言が果たして正しいか。大いに疑問がある。
 それぐらい問題のある特別措置を当時の三木政権がやってくれるわけです。つまり、逮捕されたときの田中角栄は、既に権力の中枢にいなかったということなのでしょう。」
 ところで、何かあると鬼の首でも取ったように直ぐに、国会での説明責任や議員辞職を迫る国会議員(自民党の谷垣総裁は弁護士資格を有しているはずだが、毎度「辞職」を迫る筆頭だ。無罪推定の原則をお忘れのようだ)やメディア。小沢氏の言うように、三権分立が解っていない。国会議員を辞職させる権限は国民にしかない。国民が「選挙」で辞めさせるのである。
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私の面倒を見てくれた政権の座にある人物が1日中、椅子に座らされて、1人でいるのは耐えられなかった2011-10-04 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
フラッシュバック:小沢氏、再び法廷に
WSJ Japan Real Time2011/10/3 16:48.
政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で強制起訴された小沢一郎・民主党元代表の初公判が6日、東京地裁で開かれるが、同氏が師と仰いだ田中角栄元首相の裁判が改めて思い出される。田中元首相は国防関連最大手、米ロッキードからの収賄罪に問われた。
政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢一郎・民主党元代表の初公判が6日、東京地裁で開かれる。当時まだ若かった小沢氏は、1977〜83年にわたった191回の公判全てに出席した。審理の結果、田中元首相には有罪判決が下った。田中派議員のなかでも、毎回公判に出席したのは小沢氏1人だけだった。
小沢氏は毎回終了までとどまり、田中元首相と目が合うのを待って深くお辞儀をしたと伝えられる。
政治ジャーナリスト渡辺乾介氏が執筆した1992年の本のなかで、小沢氏は心情的にそうした、と述べたと引用されている。この本の出版に当たり、小沢氏は渡辺氏と長時間にわたり会談したという。「あの人〜ひとつの小沢一郎論〜」と題するこの本の中で、小沢氏は私の面倒を見てくれた政権の座にある人物が1日中、椅子に座らされて、1人でいるのは耐えられなかった、と語ったと記されている。
政治資金規正法違反の嫌疑について、小沢氏は自身の不正行為を否定している。田中元首相も収賄罪で不正行為を働いたことを否定し、有罪判決を受けた後も陰の実力者の地位に君臨した。
小沢氏はその後何年にもわたって田中元首相を擁護し、不当に罰せられたと指摘した。小沢氏は2006年に出版された別の本のインタビューで、田中のオヤジが完璧だと言っているのではない、と語ったという。田中さんだけじゃなく、国民も政治家も官僚もみなやっていたことだと述べ、田中元首相はスケープゴートにされたと言及した。
小沢氏は自身の裁判でも同様の弁護を行っている。田中元首相の裁判の最中でさえ、小沢氏は法廷に立つことを予想していたかのようだ。小沢氏は、政治家として裁判で同じ立場に置かれたら、どうすべきかと考えていたと、1992年の本の出版に際しての渡辺氏とのインタビューで語っていた。自分だったらどうするかと、公判の間、ずっとそういったことを考えていた、と語っていた。
記者:Jacob M. Schlesinger 
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もはや関係修復は不可能 小沢一郎氏vs記者クラブメディアの戦い
Diamond online 週刊・上杉隆【第195回】2011年10月7日
‡この事件は小沢一郎という政治家と司法、霞ヶ関、マスコミとの戦いである
 陸山会事件における小沢一郎氏本人の裁判がようやく始まった。
 きょう、東京地裁では初公判が行われた。これによって、2009年3月の大久保元秘書の逮捕からスタートした政治資金規正法違反事件の本番がようやく訪れたということになる。
 なにしろ長かった。その一年半余りの間、元秘書の逮捕、代表辞任、政権交代、検察審査会、党員資格停止、さらに3人の元秘書の有罪判決などがあり、きょうに至っているのだ。
 これまで自由報道協会の記者会見以外ではほとんど語ることのなかった小沢氏だったが、初公判を受けて、早速、今夕、議員会館で簡単な記者会見に臨んだ。
 筆者自身も、この事件については2009年3月3日、つまり、事件当日から追っている。
 端的にいえば、この事件は、小沢一郎という政治家と、現在の日本の権力システム――司法(裁判所)、霞ヶ関(検察)、そしてマスコミ(記者クラブ)――との戦いに他ならない。
 今回もまた、世間にほとんど知られていないマスコミとの戦いが繰り広げられている。
 そこで、筆者自身の取材を振り返る意味でも、また、小沢氏のマスコミとの戦いを検証する意味でも、きょうの会見を振り返ってみようと思う。
 なお、筆者も会見には出席したが、小沢氏の発言の引用については、より公平性を期すため、すべて産経新聞のウェブ版に拠った。さらに、文意のまとまったパラグラフについては省略をしないことにする。そのため、引用部分が長くなるがそこはご海容いただきたい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111006/stt11100618560018-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111006/stt11100619050019-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111006/stt11100619350020-n1.htm
〈えーそれでは私から最初に申し上げさせていただきます。私が主張したい内容は、本日の法廷で裁判長の許可をいただいて意見を申し述べましたので、そのことにほとんど含まれておりますので、ここで改めて私の意見の陳述をもう1度繰り返させていただきます。あん?そうかな。立った方がいいのかな。座った方がいいのか。立った方がいい。よしよし。今日ぐらいサービスしよう。大丈夫。
 裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の起訴状に対し、私の見解を申し上げます。指定弁護士の主張は、検察の不当・違法の捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくものに過ぎず、この裁判はただちに打ち切るべきであると考えます。百歩譲って裁判を続けるにしても、私が罪に問われる理由はまったくありません。本件では政治資金収支報告書に間違った記載をした事実はなく、従って政治資金規正法のいう、虚偽記載に当たる事実はありません。
 ましてや、私が虚偽記載について、共謀したことは断じてありません。また、本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民からの何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を濫用(らんよう)し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります〉
‡テレビでは仏頂面がおなじみだが 実は「いい感じ」のスタートが多い小沢会見
 冒頭からいきなりカメラマンへのサービス精神を発揮した小沢氏だが、じつは普段の自由報道協会の会見でもこうした「いい感じ」で始まることが多い。
 ところが、実際テレビなどで映像が使われる段になると不機嫌で怒ったような顔ばかりが使用される。単純な印象操作だが、それも徹底していれば影響は大きい。実際、小沢氏はそうしたアンフェアな報道姿勢に不満を持っており、それは、後の小沢氏自身の言葉からも読み取ることができる。
〈実際、日本外国特派員協会の会長でもあったオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクターアサシネーション、人物破壊は世界的に類を見ないと言っています。人物破壊とはその人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺、アサシネーションであり、生命を奪う殺人以上に残酷な暴力だと思います。
 それ以上に本件で特に許せないのは主権者たる国民から何も負託されていない検察、法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒涜(ぼうとく)侵害したことであります。
 一昨年の衆院総選挙の直前に、何の根拠もないのに検察当局は捜査逮捕権という国家権力を乱用して、いきなり野党第一党の代表である私を狙って強制捜査を開始したのであります。衆議院総選挙は国民が自ら主権を行使して、直接政権を選択することのできる唯一の機会に他なりません〉
‡言外に日本のメディアを批判した小沢氏 しかし質疑応答スタートの一言は……
 ここでは小沢氏自身は触れていないが、この「人物破壊」には記者クラブメディアも加担していると言外に表明しているのだ。海外メディアの日本の団体のトップであった人物に語らせることで日本のメディアのアンフェアさを述べているのである。
〈日本は戦前、行政官僚、軍人官僚、検察警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで国家権力を濫用し、政党政治を破壊しました。その結果は無謀な戦争への突入と、悲惨な敗戦という悲劇でありました。教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません〉
 さらに小沢氏はそれを戦前の大本営発表になぞらえて批判している。日本の記者クラブシステムの打破は、20年来の小沢氏の持論でもある。
 だが、それを本当に理解している人物は少ないのかもしれない。なにしろ会見の司会を担当した側近議員ですら、完全オープンでの記者会見の意味を理解せず、いきなり次のように語って質疑応答を始めたのだった。
「それでは幹事社の方から質問をお願いします」
 それでは、小沢一郎氏と記者クラブメディアの戦いをノーカットで見てみよう。
――テレビ幹事社として2点伺う。まず今日の初公判を終えての現在の心境、率直なご感想をお聞かせいただきたい。初公判を終えての現在の心境を率直に一言お願いしたい
〈今申し上げた通り、私の今回の捜査、そして検察審査会による強制起訴。これは全く、今申し上げました通り、不当な捜査であり、また、今日の裁判も一時も早く止めるべきであるというふうに申し上げました。その通りであります〉
――元秘書3人が一審で有罪判決を受けたことを含め、刑事責任とは別に道義的責任を問う声もあるが、ご自身の今後の政治活動はこれまで通り続けられるのか。議員辞職や離党についてはどのようにお考えか
〈今の文章でもお分かりいただけたと思いますけれども、私も、私の秘書も有罪と認定されるようなことは何もしておりません。この間の判決についても何ら法的な証拠も何もない。裁判官が自分の推測と推断で事実を認定し、それに基づいて判決を下すと。前代未聞のことであり、私は司法の自殺に等しいと思っております。従いまして私どもが何か違法なことをしたというならば、あんたが今使った言葉の中の、色々なことについて考える余地はありますけれども、何にも違法なことをしておりませんですから、そのようなことを考えるつもりは全くありません〉
――国会での説明責任についてうかがいたい。野党は証人喚問が必要だと主張している。かつて小沢氏は政倫審への出席を表明した経緯もあるが、公判がスタートしたとはいえ、司法の場とは別に国会で説明責任を果たす考えはあるか
〈君はどう考えているの? 司法の公判が進んでいるとき、他の立法権や、その他のこと、いろいろと議論すべきだと思ってんの? あんたは。あんたの見解は?〉
――司法手続きは重要だと思うが、国会での説明も一方では重要なことだと思う
〈あっ、そうなの。じゃ、三権分立を君はどう考えているの? だから、ちゃんとよく勉強して筋道立った質問してください。司法で裁判所っちゅうのは、最高の、最終の法に基づき、根拠に、証拠に基づいて判断をする場所でしょ? それが、いろいろな力や感情によって結果が左右されるようなことになってはいけないから、司法は司法で独立しているわけでしょ。うん。もうちょっと勉強してから、また質問をしてください〉
――今回の虚偽記載の件に関し、小沢氏が用立てたとされる4億円の原資は何だったのか
〈原資は私のお金です。詳しく聞きたければ検察に聞いてください。強制捜査、1年以上もやって、国会で説明する、君たちに説明するどころじゃないでしょ? 強制捜査をずっとやってんですよ。私の知らないことまで全部調べておりますから、お聞きください〉
 司会の岡島一正民主党衆院議員「フリーランスの記者の質問を2問ほど受けます」
――(TBS松原キャスター)2004年に小沢氏の政治資金管理団体「陸山会」は銀行から4億円の融資を受け、そこに小沢氏も署名しているが、これはなんのための融資だと考えるか。指定弁護士は虚偽記載の隠蔽工作ではないかと見ているが、どう考えるか。どう説明するか
 岡島氏「質問はフリーの人を優先してということなんで」
――あのー、いやー。
 岡島氏「フリーの方と知らないで私、指したんで」
〈(質問者に対し)ちゃんと、あんた、ルールを守らなくちゃだめだよ。答えるけども〉
岡島氏「フリーの方、もう一度お願いします」
〈(テレビ局からの質問はすでに)代表してやったんでしょ?〉
 岡島氏「フリーだと思ったんで。フリーじゃないと知らなかったものですから、すみません」
――(自由報道協会・田中龍作記者)小沢氏がこうまで検察とマスコミに狙われるのは、検事総長をはじめとする検察の人事、記者会見のオープン化、新聞社がテレビ局を持つという奇妙奇天烈なクロスオーナーシップに踏み込むからではないかとみる向きもある。小沢氏はどう考えているか
〈あのー、私は検察の人事であれなんであれ、官僚の人事にいろいろ干渉したり、口出したりすることは、したことはありません。ただ、それとは別に、今もう一つ言った、マスコミもいわゆる法律的にも集中排除の原則というのは法的にちゃんと規定されております。そういうことと同時にですね、私はやはり、どういう分野であっても程度の差はあれ、自由な競争というものが必要だと思っております。ですから、身近なことでいえば、会見でも、ずーっと以前から私はどなたでもどうぞというふうにオープンにいたしております。それが私の基本的考え方です〉
――それが記者クラブに嫌われた原因か
〈それは分かりません〉
 岡島氏「さっき、私の仕切りの言葉が悪かったので誤解されたかもしれません。まず、フリーの方、あとおひとり」
――(ニコニコ動画・七尾功氏)
 今回の裁判では小沢氏への支持、不支持を超えて司法のあり方そのものを疑問視する声が非常に多い状況となっている。一方でマスメディアのいう世論というものがあり、昔からこうした声は正反対の意見が多いわけだが、もう少し考えを聞かせてほしい。また、今後の対応は
〈はい、あのー、私はテレビ、新聞のやっている世論調査、国民の声というものがまったくデタラメとは申し上げませんけれども、しかし、必ずしも全国民のまんべんなく意見を代表しているというふうにも思えません。ですから、もし、その通りであるならば、私自身が選挙に受かることもなかったでしょうし、こうして政治家として活動が許されることもなかったと思います〉
〈ですから、賛否両論、いろいろ私に対してはあると思います。それは当然です。しかし、それが一方的なものであるとは私、思っていませんので、がんばってくれという大勢の方もありますし、私自身、なんら一点もやましいこと、ありませんので、今後もがんばっていきたいと思っております〉
 岡島氏「(記者会見に同席した民主党の階猛、辻恵両衆院議員に対し)補足ありますか。特にない。それではこの会見は、これで質問を終わらさせていただきます。ありがとうございました」
〈はい、ありがとう〉
 これでわかるだろう。もはや小沢一郎という政治家と既存の記者クラブメディアとの関係修復は不可能なのだ。
 こんな状況で健全な記者会見ができるはずもない。フェアな議論はフェアな舞台にしか宿らない。
 小沢一郎氏がマスコミを人物破壊を行う「敵」のひとりとみなしている理由はここにある。
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小沢氏初公判 第3の検察と化した記者クラブ
田中龍作ジャーナル2011年10月6日 20:53
 初公判を受けての小沢氏記者会見。会場は立錐の余地もないほど記者やカメラマンで埋め尽くされた。
 土地購入をめぐる政治資金規正法違反(虚偽記載)で検察審査会の議決によって強制起訴された小沢一郎・元民主党代表。6日夕方、初公判を終え国会内で記者会見を開いた。
 小沢氏は法廷で行った意見陳述をもう一度読み上げた。続いて記者クラブ幹事社からの質問だ。筆者は会見が始まる前、記者クラブから出されるであろう質問を予想し、それをツイートした。「秘書が有罪になったが…」「議員辞職はしないのか?」などだった。
 幹事社(今月はテレビ朝日、共同通信)はものの見事に筆者の予想に沿った質問をしてくれた。テレビ朝日の記者が「秘書が有罪になったことの道義的責任は?」「議員辞職しないのか?」と質問したのだった。
 小沢氏は次のように答えた―
 「私も私の秘書も有罪とされるようなことはしていない。有罪の証拠はない。裁判官が自分の推測にもとづいて判決を下した。(議員辞職など)そのようなことは考えていない」。
 共同通信記者の質問は―
「野党は証人喚問を要求しているが、国会で責任を果たす予定は?」
「4億円の原資は何だったのか?」
 小沢氏の回答は―
 「3権分立を何と考えているのかね。君はどう考えているのかね」。
小沢氏から逆質問されると、共同通信の記者は絶句してしまった。
 「4億円は自分のお金です。検察に聞いて下さい。検察が1年以上、私の知らないことまで捜査しているのだから」。
 検察リークを垂れ流していることへの強烈な皮肉だった。
 検察審査会が第2の検察と言うなら、記者クラブは第3の検察である。
 筆者も毎度おなじみのワンパターンな質問をした。情けない話だが、この問題に行き着くのである。
 「小沢さんがこうまで検察とマスコミに狙われるのは『検察人事』『記者会見のオープン化』『クロスオーナーシップ』に踏み込もうとしているからではないか?」
 小沢氏はこう答えた。「検察人事に介入したことはない。記者会見は開かれたものでなければならない。(クロスオーナーシップについては)集中排除の法律を守らなければならない」。
 「あいつ(田中)はいつも同じ質問ばかりだな」とバカにされるのは承知のうえだった。記者クラブ制度と検察の体質を改善しない限り、日本という国が破滅に向かうと思うからである。


「米原女性殺人事件」二審大阪高裁も懲役17年 森田繁成被告の控訴を棄却

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米原女性殺人、二審も懲役17年 大阪高裁、被告の控訴を棄却
中日新聞2011年10月7日 夕刊
 滋賀県米原市で2009年6月、交際相手の会社員小川典子さん=当時(28)=を殺害したとして、殺人罪に問われた無職森田繁成被告(42)の控訴審判決が7日、大阪高裁であった。古川博裁判長は、懲役17年とした大津地裁の一審判決を支持し、被告側の訴えを棄却した。
 森田被告は逮捕時から一貫して罪を否認しており、控訴審でも無罪を主張。被告人質問では「私の衣服に血液反応がなく、私が現場にいた証拠もない。原審は(被告を犯人と決めつけた)検察ストーリーにさらに上乗せしたあり得ない判決」と訴えていた。
 一審判決は、森田被告が小川さんを瀕死(ひんし)の状態にして汚泥タンクに落とし、窒息死させたと認定していた。
 一審の裁判員裁判は犯行の直接的証拠がない中、29日間にわたり審理し、昨年12月に判決を言い渡した。森田被告は即日控訴していた。
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裁判員裁判の孕む致命的な問題点を露呈した「米原女性殺人事件」「鹿児島夫婦殺害事件」2010-11-05 | 被害者参加・裁判員裁判

農薬分析、検察主張と合致 名張毒ぶどう酒、副生成物ない可能性

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農薬分析、検察主張と合致 名張毒ぶどう酒、副生成物ない可能性
中日新聞2011年10月8日朝刊
 三重県名張市で1961年、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件の第7次再審請求をめぐる差し戻し審で、事件当時の捜査側鑑定について、犯行で使われたとされる農薬からは副生成物が検出されない可能性を示す専門家の分析結果が、依頼した名古屋高裁に提出されたことが7日、弁護団の会見などで分かった。検察側の主張に沿う内容で、弁護側は「評価に値しない」と批判するが、奥西勝死刑囚(85)の再審をめぐる審理の行方に影響を及ぼす可能性も出てきた。
 事件当時、三重県警の依頼を受けて同県衛生研究所が行った「ペーパークロマトグラフ試験」と呼ばれる鑑定では、奥西死刑囚が犯行で使ったと自供した農薬ニッカリンTに含まれる副生成物「トリエチルピロホスフェート」が、現場に残されたぶどう酒からは検出されなかった。
 昨年4月に審理を差し戻した最高裁決定はこの点について、/(1)/犯行で使われたのはニッカリンTではないのか/(2)/当時の鑑定手法では検出できなかったためか―を明らかにするため、事件当時の鑑定に近い手法で再鑑定するよう名古屋高裁に求めていた。
 弁護団によると、今回提出された鑑定書には、当時の手法で鑑定した場合、焦点の副生成物が検出されない可能性を示すデータが盛り込まれていた。事件当時、飲み残したぶどう酒をエーテルという薬品で抽出し、抽出物を濾紙(ろし)に染み込ませて物質を特定する鑑定が行われたが、今回の鑑定では、新たに製造したニッカリンTからは、副生成物をエーテルで抽出できなかった。
 この結果について弁護側は「エーテル抽出の条件が当時の鑑定と違っている」として問題視していないが、名古屋高検の幹部は「大きな意味を持つ」と評価する。
 弁護側はこのほか、再製造したニッカリンTに水を混ぜて成分を分析した結果、副生成物は24・7%含まれており、弁護側の主張(17%以上)通りの結果が出たと公表。一方、製造時のニッカリンT自体の成分を分析すると副生成物は検出されず、こちらは検察側の主張通りの結果だったとした。
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〈来栖の独白〉
 当該事件についての報道に接するとき、私にはきまって割り切れない思いが湧く。
 カトリック名古屋教区正義と平和委員会にいたころ、産業廃棄物処分場のことで岐阜県御嵩町の柳川町長さんと何度かご一緒した。柳川さんはNHKの記者でいらした時、名張毒ぶどう酒事件の奥西氏にインタビューしたことがあり、「自分のちょっとした気持ちから」と言って目を落とした奥西氏の仕草に、「真犯人だ」と直感したといわれるのだ。以下の記事である。
 私には、柳川さんの直感を捨て去ることができない。土台、私などには判断尽きかねることだが、白よりも灰色に近い、そんな気持ちが拭えない。
 弁護団は、決まって言われる。「奥西さんは高齢であるので、一日も早い雪冤と自由を」と。無実ならば、弁護団のおっしゃる通りだ。が、・・・・。私などには、判断尽きかねる・・・。

名張毒ぶどう酒事件異議審決定 唯一目をひいた記事2006-12-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
  「大きな事件を、自分のちょっとした気持ちから・・・。何とお詫び申し上げてよいか分かりません」ぼさぼさの頭、落ち窪んだ目。奥西死刑囚は終始、うつむいたまま、ぽつりぽつりと語った。わずか三分間の短いやりとりだった。1961年4月3日の正午過ぎ、三重県警名張署の宿直室で、異例の容疑者の記者会見が行われた。事件発生から7日目。自白の模様はテレビ中継され、新聞各紙にも載った。「はめられた」。奥西死刑囚は45年経った今も、このインタビューを悔やむ。「警察から『家族を救うために会見して謝罪しろ』と言われ、取調官が書いた文を(暗記して)読んだだけ」と裁判官にあてた手記でも訴えた。
 柳川さんは当時、NHKの三重県警担当キャップ。記者クラブの代表取材の一員として、奥西死刑囚の話を聞いた。柳川さんによると、会見は「報道陣が警察に押し込む形で」実現した。その前日、県警幹部が「奥西の妻」犯行説を明らかにしたばかり。一晩で犯人が一転したことに「記者たちはいきり立っていた」という。
 待ち構えた容疑者の第一声。「ちょっとした気持ちから・・・」。冒頭の言葉に柳川さんは「真犯人」と直感したという。うなずける。本当の動機はそんなものだろう。単純に困らせてやろうとしたのだ。「うーん」。迫真の受け答えに次の質問が思い浮かばなかった。
 ただ、その後の司法判断は無罪から死刑に、そして再審開始決定から取り消しに。この取材を機に、「人は判断を誤る」と、死刑廃止論に傾いた。自身は十年前、暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う被害者になった。それでも、いくら犯人が憎くても、死刑はいけないと思う。柳川さんは、奥西死刑囚に呼びかける。「お互い生きているうちに、もう一度会ってみたい。無実を訴えるなら、今度は目と目を合わせて」


 「ちょっとした気持ちで・・・」逮捕後、記者会見で犯行を認めた奥西死刑囚(左)=1961年4月、三重県名張市で
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名張毒ブドウ酒事件 辛い地元住民「無罪ならやっていない証拠を示して」 
毒ぶどう酒事件の人々 〈1〉晴れぬ疑心、残る傷〜〈6〉恨むよりも生きる

小沢一郎「抹殺裁判」わが国はいつからこんなに恐ろしい国になったんだ/4億円の「出所」は解決済み

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4億円の「出所」は解決済み メディアは「逃げるな!」の大合唱だが…
日刊ゲンダイ2011年10月8日
<「二転三転の説明」批判もお門違い>
 「(土地購入の)原資は私のお金だ。詳しいことは、私の知らないことまでぜーんぶ調べた検察に聞いて!」――尿管結石の苦痛に耐えての会見でイライラが募ったのか。小沢の憮然とした態度に大マスコミは猛反発だ。土地購入のために用立てた4億円の出どころについて、「逃げずに『真実』を語れ」「二転三転の説明はおかしい」と叩きまくっている。だが、小沢がウンザリするのはムリもない。実は4億円の「出どころ」については、とうに解明済みなのだから……。
 初公判でも検察官役の指定弁護士側は、4億円の出どころを「政治活動の中で蓄えた簿外の表に出せない資金」と決め付けていた。大マスコミも検察も指定弁護士も、この4億円にこだわるのには理由がある。「原資を明快に説明することが困難」(元秘書3人の公判の判決文)ということにしないと、なぜ収支報告書にウソの記載をしたのか、という動機がなくなる。「4億円=説明できない怪しいカネ」という構図でなければ、小沢を攻撃する材料を失ってしまうのだ。
  本当に4億円は怪しいカネなのか。真相は小沢の言う通り、「私のお金」が正解だ。
 「小沢さんは父親から信託を引き継いだ遺産3億円を元本に、80年代から90年代にかけて5年満期の『ビッグ』を3回は更新していたはずです」
  この発言の主は、小沢家が父・佐重喜氏の時代から取引していた安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)神田支店の当時の担当者。ビッグとは、半年複利の変動金利型の高利回りで、バブル期に高い人気を誇った金融商品である。
  実は週刊ポストが昨年2月にこの担当者への直接取材に成功し、小沢が98年のビッグ解約時に元利合わせて、少なくとも3億6000万円の払い戻しを受けたという証言を引き出していた。これこそが、4億円の出どころである。
  大マスコミも4億円の出どころを疑うなら、この担当者を捜して話を聞けばいい。疑惑を抱いたら、自らの足で取材し真相を解明するのが、マスコミの本来の務めだ。勝手に怪しいと決め付けたカネについて、取材対象者の説明を待つだけなんて、怠慢極まりない。
<本をただせば「私のお金」に行き着く>
 土地の購入資金を聞かれた小沢が「献金してくれた皆さまのお金」「銀行融資」「金庫で保管していた個人資産」と説明を変遷させてきたことも、大マスコミはやり玉に挙げている。だが、初公判でも登場した問題の土地の購入プロセスは複雑だ。
 「まず小沢が用立てた4億円をもとに『陸山会』名義で定期預金を組み、この定期預金を担保にして、銀行から小沢が4億円の融資を受け、ただちに陸山会に転貸した。そして陸山会は、この借入金で土地を購入したのです。転貸分の借入金の返済には、陸山会が集めた献金も含まれています」(司法関係者)
  つまり土地購入の原資には、小沢が説明した「献金」も「銀行融資」も「個人資産」も含まれており、本をただせば、小沢が最後に説明した「私のお金」にたどり着く。それだけの話だ。小沢の説明は分かりにくいが、決してウソではない。
  恐らく検察は土地購入プロセスは当然として、4億円の「真の出どころ」まで知っている。大マスコミは4億円の出どころを知りたければ、一蓮托生の検察に聞けばいい。検察が口ごもるのなら、自分たちにとって都合の悪い事実だからだろう。大マスコミも4億円の出どころを真剣に調査しないのは、「怪しいカネ」でいてくれた方が、小沢攻撃にとって都合がいいためだ。
  検察と大マスコミこそ、4億円の出どころから逃げ回っている。
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この国が恐ろしいのは、総ての権力が同じ方向を向いて走り、正義より自分たちの足元ばかり気にしている点だ2011-10-03 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 小沢「抹殺裁判」わが国はいつからこんなに恐ろしい国になったんだ
【これでいいのか暗黒ニッポン】秘書3人の「とんでもない有罪判決」に誰もが口をつぐんだ
 ならば、小沢一郎を贈収賄で逮捕したらどうか。秘書3人に対する東京地裁判断によれば、小沢はゼネコン談合の元締めで、見返りに1億円の闇献金を受け取った重罪人だ。しかし、判事も検察も、「アイツは大悪人」と吠え立てる新聞・テレビや野党でさえも、そうはいわない。「法と証拠」に基づく公正な裁判だと誰も信じていないからだ。目的は「小沢の政界退場」のみ。日本は恐ろしい国になった。
*裁判長は「検事の身内」
 小沢一郎・民主党元代表の元秘書3人の判決内容は1週間も前から司法記者クラブにリークされていた。
 「全員有罪で禁固刑が出される。判決文は相当長いものになる」
 という内容で、もちろん政界にも広く伝えられていた。日本の司法が、いかに政治勢力、行政権力、報道権力と癒着し、最初から出来レースで進められているかを示す“証拠”だ。
 情報通り、9月29日、登石郁郎裁判長は3時間以上にわたって判決文を読み上げ、石川知裕被告以下3人全員に執行猶予付きの禁固刑を下した(3人はただちに控訴)。
 「異例の法廷」だった。検察が提出した証拠のうち、石川被告らの調書11通を「不正な取り調べが行われた」と認定して不採用にしており、一時は「無罪判決確実」とみられた。なにしろ、もともと物証のほとんどない裁判で、検察の頼りは、脅しや不正によって作り上げた調書ばかりだったのだから当然である。村木事件で証拠のFDをを改竄して冤罪事件を起した前田恒彦元検事が取り調べを担当し、石川知裕は別の検事が不正な取り調べを行った模様を録音していた。
 この奇怪な判決文を書いた裁判長の経歴に、ヒントがあるかもしれない。
 登石裁判長は93年から3年間、法務省刑事局付検事として勤務した経験を持つ。裁判所と法務・検察の人事交流(判検交流)は毎年、数十人規模で行われており、かねてから「99・9%有罪」という日本の「検察負け知らず裁判」の温床だと批判されてきた。
 そうした声も意識したのだろう。裁判官が法務省に出向する場合、ほとんどが民事局で、刑事局は少ない。法廷で顔を合わす検事と隣の席で仕事をするのは、いかにも癒着に見える。が、登石氏はその数少ない1人だった。その“貴重な人材”が検察の威信をかけた裁判うを担当し、現場の検事からは「これで勝った」と喝采が出たのは偶然なのか。
 結果を見て思えば、登石裁判長は最初から判決を決めていたのではないか。だからこそ証拠不採用で「検察に対しても厳しい姿勢」を演出し、癒着との批判をかわそうと考えたなら筋は通る。
 判決のおかしさは、「小沢は大悪人」と呼ぶマスコミや野党、そして検察にもよくわかっている。だから、はっきりと「談合の見返りに裏献金を受け取った」と認定されているのもかかわらず、これを「贈収賄事件」という者が出てこない。
 新聞の論調も判決直後は威勢がよかったが、その後は「野党が証人喚問を要求」などと、ずいぶん及び腰である。
 「さすがに判決文を読んで、社内やクラブ内でも、これはヤバイんじゃないかという声が多かった。報道も慎重にしている」
 民法司法クラブ記者は声を潜めて語る。そう思うなら、「慎重に小沢批判」ではなく、堂々と裁判所批判」をすればいいが、そんな度胸はどこにもない。
*「同じ罪状」は枚挙に暇なし
 裁判とは、「法と証拠」に基づいて進められるべきものだ。それをしないのは独裁政権か、民主主義以前の社会である。日本はどちらだったのだろうか。
 「法」の観点から、専門家は判決に強い疑義を提起している。
 小林節慶応大学法学部教授(憲法)は刑事裁判の原則に反すると指摘する。
「判決は憲法31条に基づく『推定無罪』の原則をないがしろにしている。今回は逆に、『疑わしい』ことを理由に有罪判決が出ている」
 判決文には「推認される」「〜と見るのが自然」など、裁判官の心証だけで重要な争点が事実と認定されている箇所が非常に多い。
 落合洋司弁護士は、その推定のずさんさに、元検察官らしい視点で大きな危険を見出す。
 「裁判官が石川、池田両被告の調書11通を不採用にしたことで、3被告の共謀を示す証拠と証言が何もなくなった。ところが、判決は『会計責任者だから知っていたはず』『強い関心を持っていたはず』といった程度の推論を重ねて共謀を認定している。『合理的で疑い得ない立証』は不十分です。こういった手法が採用されれば、冤罪が生み出される危険が懸念されます」
 次々と発覚する冤罪事件の共通する原因は、検察の「自白調書主義」と裁判官の「検察絶対ドグマ」だった。それが全く改められなかったのだから、検察関係者たちが「画期的判決」と膝を打ったのも道理だ。
 法律論でいうなら、もうひとつ完全に無視されたのが「法の下の平等」だ。
 公判では、陸山会の土地購入が正しく報告されていたかという容疑(これ自体が形式犯罪でしかないが)とともに、西松建設からのダミー献金事件も併せて審理された。
 ここでも検察側の立証は完全に腰砕けになり、検察自身が証人に立てた西松建設元部長が、「政治団体はダミーではなく実体があった」と証言した。ところが判決は、「政治団体としての実体はなかった」とし、違法献金だったと認定した。
 では百歩譲ってそれが正しいとしよう。
 問題の西松建設の政治団体からは、小沢氏以外にも自民党の森喜朗・元首相、二階俊博・元経済産業相、尾身幸次・元財務相、民主党の山岡賢次・国家公安委員長、国民新党の自見庄三郎・金融相をはじめ多くの政治家が献金やパーティ券購入を受けている。当然、彼らも小沢氏と並んで違法献金を立件されなければならないはずだ。
 ところが検察は、森氏や尾身氏ら自民党実力者には捜査さえ行なわず、二階氏については会計責任者を事情聴取しただけで不起訴にした。
 それに、このケースのような企業や業界が作る政治団体は、どこも同じような運営をしている。これがダミーというなら、恐らく政治家の9割以上が違法献金を受けていることになる。
 また、陸山会(小沢氏の政治資金管理団体)が違法だと断じられた政治団体による不動産取得についても、町村信孝・元官房長官は政治資金で不動産を購入し、堂々と政治資金収支報告書に記載していた。しかも町村氏の場合、買った不動産は後に自宅として格安で買い取ったのである。さらに、みんなの党の江田憲司・幹事長はじめ、素知らぬ顔で小沢批判を繰り返す政治家のなかに、20人以上の「不動産購入者」がいる。
 今回、大問題のように論じられている収支報告書への「期ずれ記載」や「不記載」に至っては、まさに枚挙に暇がない。2011年の政治資金収支報告書の修正は現在までに約500件にも達している。すべて会計責任者を禁固刑にすべきだ。
 そもそも、小沢氏が問われた個人的な運転資金の貸付など、どの政治家も報告書に記載していない。小沢氏だけが正直に書き、それが「書き方が違う」と断罪されているのである。
*「4億円の原資」真相証言
 「証拠」の面では、判決はもっとデタラメだ。
 登石裁判長は、水谷建設から小沢氏側への1億円闇献金を認定した。
 ダム建設工事に参入するため、当時の社長が04年10月5日、石川被告にホテルの喫茶店で5000万円を渡し、さらに05年4月19日に、大久保被告に5000万円を渡したという。
 そう推定された根拠は、当時の社長が「渡した」と証言したことと、当日の喫茶店の領収書があっただけ。一方で、元社長の運転手の業務日誌にはホテルに行った記録はなく、社長から報告を受けていた同社の元会長も、「会社から裏金が出たことは事実だが、渡されたとは確認していない」と証言し、元社長による横領の疑いを強く匂わせた。
 例によって裁判長は、元社長の証言と領収書を「信用できる」、受け取りを否定する被告らの証言は「信用できない」として、あっさり裏金を認定した。
 よく考えてもらいたい。表ざたにできない違法な献金を、社長が1人で紙袋に入れて持っていき、政治家本人もいない、しかも衆人環視の喫茶店で、秘書に「はい、どうぞ」と渡すことなど考えられるだろうか。
 「裏献金を渡す場合、渡すほうも受け取るほうも、カネが行方不明になることを1番恐れる。あとから、“そんなカネは知らん”となっても誰も真相解明できないからだ。だから受け渡しの際には双方とも複数の幹部が同席して秘密を共有し、相互監視する。密室でやることはいうまでもない」
 自民党のベテラン秘書はそう解説する。この通りの場面がバレた珍しいケースが、自民党を揺るがした日歯連事件だった。
 ところで、そもそも検察は、土地購入に充てられたとされる「4億円」の原資に闇献金が含まれていたかどうか立証していない。それなのに地裁が無理に闇献金を認定した理由は、この4億円を「原資を明確に説明することが困難」(判決文)としないと、なぜ収支報告書に記載しなければならないか、という動機が説明できなくなるからだ。
 それにしても、不記載とされたのは「4億円」を借り直したり、返済したりした1部のやり取りだけで、現に報告書には「小澤一郎借入金 4億円」と記載されている。検察や裁判所の見解によれば、小沢氏の事務所では、表に出せないカネを報告書に堂々と記載するのだという。どう繕っても無理筋の解釈なのだ。
 本誌は検察もマスコミも明らかにできなかった4億円の原資について、10年2月12日号で明らかにした。小沢氏の父・佐重喜氏の代から取引していた旧安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)神田支店の当時の担当者への直接取材に成功し、小沢氏が父から相続した個人資金を「ビッグ」という貸付信託で運用し、解約時には元利合わせて少なくとも3億6000万円の払い戻しを受けていたという証言を得た。しかも、当時の貸付信託では利息分の記録が残らず、検察が「4億円の原資が足りない」と考えたのは、利息を見落としていたからだろう、というプロならではの指摘もあった。
*小沢の罪状は国家反逆罪か
 今回の事件が小沢事務所ぐるみの贈収賄であるなら、ただちに小沢氏本人を含めて容疑者を逮捕すべきだ。それこそが政治浄化につながる。が、第1章でも触れたように、新聞・テレビもこれが本当に贈収賄だとは思っていない。「ゼネコン裏金 認定」(朝日)などと報じながら、なぜか政治資金規正法違反より重大な公共事業をめぐる贈収賄事件を独自に検証しようとしないのがその証拠だ。
 わかりやすいのがTBSである。同局は検察が小沢氏への事情聴取に乗り出した昨年1月、「ウラ金献金疑惑、居合わせた人物が核心証言」と銘打って、水谷建設元社長が石川被告に5000万円を手渡した場に同席したという人物の証言を“スクープ”した。ところがその後、この証言は2度と放映されていない。以前、本誌が「放映しないのか」と問い質した際も、「何ともいえない」と尻込みした。つまり、ガセネタだという自覚があるのだろう。
 今回、思いがけず裁判所がそれを追認してくれたのだから、今こそTBSは封印した“スクープ”をまた出せばいい。今度はお墨付きがあるのだから、「これが真相だ」と押し切れるかもしれない。が、そうはしようとしない。
 ここに、この事件の最もどす黒い裏がある。
 つまり、マスコミ、政界、そしていまやそれらを完全に掌握してコントロールする霞が関の巨大権力の目的は、政治浄化でもなければ犯罪の立件でもない。「小沢の政界退場」さえ実現できれば、あとはどうでもいいのである。
 新聞や野党の言葉をよく見ればわかる。「小沢は議員辞職せよ」とはいっても、「贈収賄で逮捕せよ」とは決して言わない。小沢氏が、それら既存権力に20年にわたって嫌われ続けてきた経緯と理由は、ここで述べる紙数はない。が、小沢氏を支持する国民も、そうでない国民も、同氏がマスコミ、既存政党、官僚から恐れられ、嫌われていることは否定しないだろう。
 かのロッキード事件での「コーチャン証言」をご記憶だろうか。検察は、田中角栄元首相に賄賂を渡したとされたロッキード社元会長のコーチャン氏に、免責と引き替えに調書を取る「嘱託尋問調書」という超法規的手段を用い、田中氏を有罪に導いた。さすがに最高裁は同調書には証拠能力がないとしたが、田中氏は公判の長期化で復権の機会がないまま死去し、公訴棄却された。
 一方、後に発覚したグラマン事件では、米国証券取引委員会が岸信介元首相、福田赳夫元首相らに賄賂が渡されたことを告発したが、日本の検察は政界捜査を断念した。
 官僚出身で親米派だった岸、福田氏らは当時の「国家権力」にとって重要な人物であり、一方で「叩き上げ」「列島改造」の田中氏は時のエスタブリッシュメントにとっては目障りで、アメリカからも脅威とみられて警戒されていた。
 裁判は「法と証拠」に基づくものだとすでに述べたが、その根拠にあるべき最も重要なものは「正義」である。国家権力が法を曲げて個人に牙をむくことは、あってはならないが起こりうることだ。しかし、先進国家では誰かが「正義」を奉じてそれを暴き、止めようとするものである。
 この国が恐ろしいのは、すべての権力が同じ方向を向いて走り、正義より自分たちの足元ばかり気にしている点だ。これは一政治家に対する好悪、一事件の真偽を超えた問題である。
 恐らく、このような裁判がまかり通り、誰も「おかしい」と口を開かなくなれば、小沢氏自身も「有罪確定」とみて間違いない。その罪状は何だろう。「国家反逆罪」だといわれればわかりやすいが、そんな気の利いた言葉は、荒涼とした今の権力からは出てこない。
 その法廷で裁かれるのは、この国の「正義」なのかもしれない。
※週刊ポスト2011年10月14日号
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大林宏検事総長「小沢氏を有罪とする証拠はない」/検察審に知ってほしい小沢土地取引の真実2010-10-01 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 永田町異聞2010年10月01日(金)
検察審に知ってほしい小沢土地取引の真実

 小沢氏の「政治とカネ」問題は存在しない。9月2日の当ブログ のタイトルである。
検察が立件し、小沢一郎の元秘書ら3人を逮捕、起訴した、いわゆる陸山会の政治資金収支報告書「虚偽記載」事件。これが、明白なる捏造であることを、指摘したのが9月2日の記事だ。
 その根拠は、問題となった土地の「登記簿謄本」にある。ここに全てが語られているといってもいい。
 筆者は、お会いしたこともない「一有権者 檀 公善」と名乗る方からのメールで、そのことを知り、「登記簿謄本」などを確認したうえ、檀さんをDさんとして、ブログに書いた。
 土地取引の動きを知る最も客観的で基本的な資料を、検察が調べていないはずはない。
 そこに確かにある事実を無視して、架空の事件をでっちあげたことに戦慄をおぼえると同時に、いまだに「登記簿謄本」の物語をいっさい伝えようとしないメディアの「不正義」に、深い落胆と憤りをおぼえる。
 檀さんとはいまもってお会いしたことはないが、時おり、活動ぶりをメールで伝えていただいている。
 前にも書いたように、檀さんは政治活動家でもなんでもない。ご本人が「一有権者」といわれる通りだと思う。
 「政治については、どちらかというと無力感を感じるままに疎んじてまいりました。しかしながら、最近の小沢バッシングについては、小沢支持・不支持という立場を超えて異常だと思ってまいりました」
 メールに書かれた上記の思いが、檀さんを突き動かした。檀さんは、陸山会政治資金報告書、登記簿謄本、確認書、関連法律、検察審査会議決などを、すべてチェックしたうえで、こう確信した。
 「少なくとも懸案となっている04年、05年、06年の政治資金報告書について、記載漏れも、期ずれも、虚偽の記載も一切なく、パーフェクトに整合的なもので、小沢疑惑なるものは全く根拠のないものである」
 そして、確認した事実について記述した無料のチラシを作成、配布することを計画し、奥さんと二人で立ち上がった。
 札幌での民主党代表選の街頭演説会に東京から夫妻で駆けつけ、8000枚のチラシを配りはじめたら、まわりの見知らぬ聴衆がチラシの内容に共感して手伝ってくれたそうだ。
 ネットで知り合った仲間も増えつつあるが、より多くの人々に伝えるには、これだけでは限界があるのも事実。マスメディアが「登記簿謄本の事実」を伝えようとしないなか、検察審査会の小沢氏に対する二回目の議決が間近に迫っている。
 檀さんは「小沢氏が好きとか嫌いとか、支持するとか支持しないというレベルの問題ではなく、民主主義に根ざした法と正義の危機をどうするのかという国家存亡の大問題なのです」と言う。見知らぬ11人の審査員のうち、たとえ1人、2人でも事実を知ってくれたら、と願っているのだろう。
 檀さんは最近、以前よりさらに検証、整理された文章をまとめ、筆者にメールで送ってくれた。
 そこには「登記簿謄本が語る事実」がくっきりと描き出されている。以下に、そのごく一部を抜粋したものを掲載するが、その前に検察審査会が第1回目の審査で小沢氏を起訴相当とした「容疑事実」が端的にいえば下記のような内容であったことを頭に入れておいていただきたい。
 「小沢氏は秘書と共謀して、陸山会が04年10月に約3億4千万円で土地を購入したことを04年の収支報告書に記載せず、05年1月7日に取得したと05年の報告書に虚偽記入した」
 (以下、檀氏の文章より抜粋)
 そもそも陸山会のような政治資金団体は、権利能力なき団体であって、不動産を所有したり登記することはできません。 
 ですから、陸山会と買主である小澤一郎個人の間にしかるべき取り決めがない限り、陸山会は不動産をもつことはできません。
 本件土地に関しては、登記上小澤一郎個人の所有権が確定した05年1月7日に、陸山会と小澤一郎個人との間に確認書を交わすことによって、やっと実質上陸山会のものになりました。 
 したがって直接売主から買った買主は、あくまでも小澤一郎個人ということになります。登記簿謄本を見てみましょう。
 「平成17年1月7日売買」とされ、【権利者その他の事項】を見ると、「所有者 岩手県水沢市袋町2番38号 小澤一郎」となっています。
 もちろん旧字体の「澤」が使われています。 これで売買が行われた日は05年1月7日で、買主は小澤一郎個人であることが明確に立証されました。 
 ついでに「2」の上段を見てみると、「平成16年12月29日」には、「10月5日売買予約」によって、「所有権移転請求権仮登記」がなされており、【権利者その他の事項】欄でも、「所有者」ではなく「権利者」と表示されています。つまり、検察が土地を買ったとする04年10月29日には、売買は行われていないことが見てとれます。
 売買を実行しようにも、できない事情があったのです。それは【表題部】の【?地目】が「畑」になっていることで分かります。地目が「畑」の場合、農地法5条によって、直ちには売買できないのです。 
 この規定は、農地が市街化地区であるか否かによって異なり、市街化地区の場合は、地元の農業委員会に届け出、受理通知書を発行されるまで、所有権移転はできません。
 本件土地では黒く塗り潰されていますが、売主は非耕作者である不動産業者であることから、市街化区域の農地であることが分かります。
 したがって04年10月29日に代金全額を払っていても、登記は「所有権移転請求権仮登記」どまりでしかなかったのです。 
 もともと買主は陸山会ではなく、小澤一郎個人であるわけですから、04年の収支報告書に本件土地の代金や土地を記載することはありえないわけで、不記載の罪など、とんでもない言いがかりです。 もちろん小澤一郎個人は陸山会に単に名義を貸した形式的な所有者であり、本件土地の所有者は実質的に陸山会であるから、当初から陸山会が代金を払って購入したという解釈ももちろんありでしょう。
 三氏の弁護団の方針も、購入者は陸山会であるとしているようですが、私としては、最も説得力があるのは、客観的な公文書の記載を基準にすることであると思いますし、そうすれば収支報告書との整合性は完璧であり、不記載や虚偽記載による「期ずれ」など何一つない「白より白い真っ白」であると考えています。
 それでは本件土地が実質的にいつ陸山会のものになったのかというと、繰り返しますがそれは「確認書」が交わされた05年1月7日です。
 本件土地の登記上の所有権を陸山会に移転することは不可能です。そこで登記上の所有者を小澤一郎個人としたまま、実質的な所有者を陸山会にするため、登記が完了した05年1月7日の日付で、陸山会代表小沢一郎と小澤一郎個人との間で、その主旨を明記した確認書を交わしたのです。 
 そこには次のような文言があります。「あくまで本物件は甲が甲の資金をもって購入するものであり、乙個人は本件不動産につき、何の権利も有さず、これを甲の指示なく処分し、または担保権の設定をすることはできない。売買代金その他購入に要する費用、並びに、本件不動産の維持に関する費用は甲がこれを負担する」 
 そしてこの確認書のとおり、陸山会は1月7日当日に、土地代金に登記料、登記手数料等の諸費用を加算した金額を含む4億1500万円を小澤一郎個人に支払ってこれを事務所費とし、本件土地を資産とし、05年の収支報告書に記載しています。
 実にまっとうな記載であるにもかかわらず、検察はこれを虚偽記載として、大久保氏と池田氏を起訴しています。
 すでに報じられているように、大久保、石川、池田の三氏は、公判の場で罪状を否認することを表明しています。
 すると初回の検察審査会の議決における直接証拠は破綻するわけですから、連動して起訴相当の議決も揺らいでしまいます。 
 初回の議決において、被疑事実からは外されていますが、池田氏起訴の被疑事実の中には、陸山会が小沢氏から借り入れた4億円の不記載がありました。
 しかし04年の収支報告書には、この4億円は、しっかりと記載されています。もともと検察は、この4億円の中に、水谷建設からの裏献金5千万円が含まれているというストーリーを描き、経費30億円とされる史上空前の捜査にもかかわらず何一つ証拠が出て来ないために、小沢氏を不起訴にせざるをえなかったわけですが、実はこの4億円は、小沢氏が銀行からの融資金を、そのままそっくり陸山会に転貸したもので、そこに水谷建設からの裏献金が紛れ込む余地など寸毫もありえないものです。
 小沢氏は、本件土地の代金3億4200万円について、湯島の自宅を売り、今の自宅を建てた際に残った2億円と、家族名義の口座からの3億6千万円の計5億6千万円の一部であると説明しています。家族名義とは妻名義のことであり、検察もその預金口座を確認しているはずです。
 小沢氏をめぐり、泰山鳴動、鼠一匹すら出て来なかったことは、逆に小沢一郎なる政治家がいかにクリーンであるかを裏付けた形になっていますが、マスメディアは、いたずらに検察のリーク情報による空前の報道合戦を展開し、小沢バッシングの集中豪雨を降らせ続けてきました。
 大林宏検事総長が日本記者クラブでの講演で、「小沢氏を有罪とする証拠はない」と言ったとき、記者クラブ所属のマスメディアは全てこの重大な発言を無視し、報道しませんでした。
 このように、きわめて意図的に小沢氏を金まみれの政治家としてイメージづけるマスメディアの小沢バッシングに乗って、事実に基づかない議決を再度繰り返すことになれば、わが国の民主主義に根ざした法と正義は、完全に死に絶えてしまうでしょう。
新 恭(ツイッターアカウント:aratakyo)
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小沢氏の「政治とカネ」問題は存在しない2010-09-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 小沢氏の「政治とカネ」問題は存在しない
BLOGOS新恭提供:永田町異聞 2010年09月02日11時29分

 前回8月30日の記事で紹介したDさんが、作成したチラシのPDFをメールに添付して送ってくれた。
 タブロイド版の新聞のような本格的なもので驚いたが、実物はこちらを見ていただきたい。
 前回も書いたが、Dさんは陸山会の政治資金収支報告書、土地の登記簿謄本、確認書、関連法律などを仔細に調べ、「陸山会の報告書に不記載も、期ズレも、虚偽もない」という確信を抱くにいたったという。つまり、小沢一郎氏に「政治とカネ」なる問題は存在しないというわけである。
 そこで、筆者は、Dさんのチラシに書かれた「事実経過」を確認する作業から始めることにした。
 問題の土地は東京都世田谷区深沢8丁目28番地5号の476平方メートルである。この土地の登記簿謄本の記載から次のことが分かる。
 小澤一郎氏は、2004年10月5日、所有者である東洋アレックスという不動産会社からこの土地を購入するため、「売買予約」をし、10月29日に「所有権移転請求権仮登記」をしたうえで、翌05年の1月7日に「所有権移転登記」を完了している。
 「小澤」は小沢個人のとき。陸山会代表としては「小沢」と使い分けていることに留意願いたい。
 なぜ、陸山会が契約しなかったかというと、人格なき社団のため不動産登記ができないからである。
 小澤氏は「所有権移転請求権仮登記」をした10月29日に3億4200万円を売主である東洋アレックスに支払った。
 小澤一郎名義で所有権移転登記を完了した05年の1月7日、小澤一郎は、小沢一郎を代表とする陸山会との間で下記の確認書を交わした。
 「本件不動産は甲(陸山会)が政治活動に使用するため売主より購入するものである。ところが、甲は法律上、人格なき社団であるため、甲の名義で不動産を登記することができない。そこで便宜上、乙(小澤個人)を甲の代表者として明記したうえで、売主との間で不動産売買契約を締結し、また、乙の名義で所有権移転登記申請を行うものとする(登記済み権利書は甲または甲の設定する者が保管する)。しかし、あくまで本物件は甲が甲の資金をもって購入するものであり、乙個人は本件不動産につき、何の権利も有さず、これを甲の指示なく処分し、または担保権の設定をすることはできない。売買代金その他購入に要する費用、ならびに本件不動産の維持に関する費用は甲がこれを負担する。」
 この確認書に基づき、同じ1月7日、陸山会は小澤個人が立て替えていた3億4200万円に登記関係の諸費用を加えた3億4264万円を小澤個人に支払った。
 小澤氏はあらかじめ、陸山会の資金が土地購入により減少することを見越し、04年10月29日に小澤個人が3億4200万円を売主に支払うと同時に、4億円の銀行融資を受け、そのまま陸山会に転貸した。
 陸山会は即日、その資金を2億円の定期預金2本に組んだ。
 陸山会は定期預金を05年、06年と2億円ずつ解約して小澤個人に返済した。これは収支報告書で確認できる。小澤氏は07年に4億円を銀行に返済した。
 この間、陸山会の収支にかかわる資金の動きは、04年10月29日に小澤個人から転貸された銀行融資4億円、05年1月7日に小澤個人へ支払った土地取得代金など3億4264万円、05年、06年に小澤個人に返済した2億円ずつ計4億円である。
 これらはいずれも各年の収支報告書にもれなく記載されており、虚偽記載はどこにも見当たらない。
 検察は04年10月29日に陸山会が土地代金3億4264万円を支払ったのに不記載としたが、これは前述したとおり、小澤個人が3億4200万円を支払ったものである。陸山会の報告書に記載されたとしたら、それこそ虚偽記載にあたる。
05年1月7日に陸山会が、小澤氏の立て替えた3億4200万円に登記関連費用を加えた3億4264万円を小澤個人に支払った時点で、報告書に記載しており、この処理こそ論理的、合理的である。
 小沢氏を起訴相当とした東京第五検察審査会の示した「容疑内容」は以下のようなものだった。 
 「04年分の陸山会収支報告書に、土地代金の支払いや土地を記載せず、05年分の収支報告書に、土地代金分を含む約4億1500万円を事務所費として支出し、土地を05年1月7日に取得したと虚偽記入した」
 陸山会が土地代金を小澤個人に支払って土地を取得したのは05年1月7日であるから、小澤個人と陸山会の確認書に法的問題がない限り、虚偽記入という検察審査会の判断は事実誤認といわざるをえない。
 ただここで小澤氏が04年10月5日に売買予約をし、10月29日に「所有権移転請求権仮登記」をした段階、つまりまだ本登記に至らない時点で、土地代金全額を支払っているのはなぜかという疑問を抱く読者もいるだろう。
 これについて、Dさんは次のように解説する。
 「おそらく売主が『全額現金をいただけるなら、登記を来年の1月1日以降にして、来年分の固定資産税を当方で負担します』と言ったのではないかと推測します。税法によれば、1月1日の所有者がその年の固定資産税を負担することになっているからです。そしてこのような『操作』は、不動産取引においてはきわめて常識的で日常的なことです」
 さらに、こういう疑問も湧くだろう。なぜ陸山会なり、小沢氏はこうしたことを説明しないのか。Dさんの推測を参考に紹介しておく。
 「1月7日の本登記までの実務は、小沢氏側の、たとえば石川氏であるとか、あるいは出入りの司法書士などではなく、すべてプロである東洋アレックス側で行ったものと推測します。石川氏や大久保氏は当時の記憶脳や思考脳が混乱して、検察の手玉に取られたのではないかと思われます。1月7日といえば、言ってみれば御用始めの時期であり、1月1日の所有者が固定資産税を負担するということを念頭において進めた実務の結果としては、大いにありうる日付です」
 なかなかの推理ではないか。判断は読者にお任せしたい。
 いずれにしても、ここで強調したいのは、筆者が確認した限りでは、陸山会に収支報告書の記載上の不備が見い出せないということである。
 そして、不思議なのは、登記簿謄本など関係資料のチェックは取材のイロハであるにもかかわらず、なぜマスメディアは前述したような正確な事実関係を無視して、検察の発表なりリークなりを鵜呑みにした報道を続けたのかということだ。
 もし、公的な資料に記載された事実経過を知りながら、あえてそれを無視した報道を繰り返してきたとすれば、国家、国民の利益を損ねる大いなる犯罪といわねばならない。

暴力団を暴力団たらしめてきたのは、抗争の歴史?

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「暴力団の抗争はPR経費みたいなもの」と暴力団研究第一人者
 島田紳助の引退で暴力団の存在がクローズアップされている昨今だが、端的にいってしまえば、暴力団を暴力団たらしめてきたのは、抗争の歴史である。流された夥しい量の血こそが、闇にあって組織の存在を浮き彫りにする。紳助がすがった威光も結局はそこにある――暴力団研究の第一人者、ジャーナリスト・溝口敦氏が「戦後」を総括する。
* * *
 戦後、神戸が産み出した日本一はダイエーと山口組だけと、かつては言われていた。
 しかし今、ダイエーは凋落して昔の面影はなく、山口組だけが暴力団組員2人のうち1人は系列組員というガリバー型寡占を誇っている。構成員数でいえば、2位は東京の住吉会、3位は稲川会であり、山口組以下の上位3団体は「広域団体」として警察の扱いも特別だが、内実は2、3位が連合しても、山口組一つに及ばない。
 戦後の焼け跡から再スタートを切ったころには、どの組もドングリの背比べだった。団体間で大きく差が開いた理由は、組員が命と懲役をかけて戦う抗争からどれだけ逃げなかったかによる、といえそうだ。
 たとえばA組の組員がB組の組員とケンカして、殺したとする。A組は多額の香典や弔慰金を持ってB組を訪ね、「殺った組員は警察に自首させます。どうかこれで勘弁して下さい」と持参のカネを差し出して詫びる。これで次の抗争(報復のための2次抗争、再報復のための3次抗争など)がなしですむなら、合理的で、人道にもかなっていると、一応いえるかもしれない。
 だが、年がら年中カネで解決では、暴力団はジリ貧になる。なぜなら暴力団である以上、周りに恐れられてナンボだからだ。一昔前、組の幹部はよく「ケンカに勝てば、自然にカネが湧いてくる」と口にした。地元企業の社長などは何かトラブルを抱えたとき、抗争に勝った組を訪ねて、解決してくれるよう頼む。負けた方に頼んだら、持参のカネが死に金になることが明らかだからだ。暴力団同士が商売(シノギ)の場でバッティングし、互いに名刺を交換した場合、退くのは必ずケンカに負けた組である。
 暴力団が抗争すると、経費が掛かる。実行犯の組員が逃亡すれば潜伏するための旅費、宿泊費、生活費。逮捕され、また服役すれば、弁護士代、面会・差し入れ費、留守家族の生活費、あらゆる局面でカネがかかる。
 敵側の首領1人を殺すためには尾行などの所在確認、追跡要員、3〜4人から成る襲撃部隊、現場指揮者、見届け要員、逃走幇助要員など、平均して10数人の組員が必要になる。首尾よく敵首領の殺害に成功しても、早晩、警察の摘発を受けて、前記の諸経費がかかる。暴力団の出費が巨額に達することは容易に想像できよう。
 ひきくらべ相手側に弔慰金を払うことで抗争を回避するのは、抗争した場合の経費をカットする経済合理性にちがいない。費用対効果の点からは暴力を振るってばかりではいられない。しかし暴力団が周囲に「恐怖印」のイメージを印象づけるためには、抗争回避は得策ではない。
 結局、山口組は他の暴力団に比べて、数年ごとに血で血を洗う大抗争を繰り返すことで、今日の大を築いたともいえよう。だいたい抗争は利害関係のない野次馬にとって、大きければ大きいほど面白く、一種の娯楽になり、慰めになる。こうした抗争の効果で山口組幹部の名を聞けば、なんとなく顔が思い浮かぶマニアさえいる。つまり抗争により組や幹部の知名度、認知度が上がり、ひいてはそれが強さイメージにつながっていく。たまの抗争は組のためのPR経費といって過言ではない。
※週刊ポスト2011年10月14日号
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和田アキ子 島田紳助さん/うらぶれて袖に涙のかかるとき人の心の奥ぞ知らるる/士は己を知る者の為に死す2011-09-01 | 社会 

中電・上越火力発電所

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まず1基を11月に試運転 中電・上越火力を公開
中日新聞2011年10月8日朝刊
設置が完了し、試運転の準備が進む1号系列1号機の蒸気タービン=新潟県上越市で
 中部電力は7日、新潟県上越市で建設中の上越火力発電所を報道関係者に公開した。発電設備4基のうち1基は、来年7月の運転開始に向けて来月から試運転に入り、早ければ年内にも発電をしながら正常に稼働するかを確認する作業に移る。中電は「試運転段階で発電量を確実に見込むのは難しい」として、今冬の供給力には含めていないが、多少の上積み効果は期待できそうだ。
 1号系列と2号系列で2基ずつ建設する計画。出力は各59・5万キロワットで4基の合計は238万キロワット。来年7月以降、1基ずつ運転を始め、2014年5月に全基を稼働させる予定。
 最初に運転開始する1号系列1号機は、発電機やタービンなど主要設備の組み立てがほぼ完了した。同系列2号機や2号系列1号機も組み立てが進み、全体で1500人が作業に当たっている。
 一方、燃料の液化天然ガス(LNG)を貯蔵するタンクは3基中1基が完成した。8日にはLNGを積んだタンカーが初めて来航する予定で、1号系列1号機の運転に向けた準備が本格化する。
 中電にとって上越火力発電所は、電力供給区域外の日本海側に設置する初の火力発電所で、長野県など内陸部への電力供給の安定性を高める狙いがある。また、既存の火力より発電効率が高いため、燃料消費や二酸化炭素(CO2)排出量を減らすことにもつながる。
 現在は発電出力が高い火力や原発はすべて太平洋側にあるため、送電が長距離にわたる内陸部では電力ロスが大きくなる。上越火力4基の出力は中電の発電設備全体の7%に相当。完成すれば、日本海側からも送電できるため、効率的に供給できる。
 年間発電電力量は、長野県内の消費電力の8割に相当する約145億キロワット時を見込み、約60キロ離れた新北信変電所(長野市)に送電する。
 発電方式は、LNGを燃料にガスタービンと蒸気タービンを組み合わせて発電機を回す最新鋭の「コンバインドサイクル方式」を採用。発電効率の低い旧式火力の運転を減らすことで、年間でLNG消費量を60万トン、CO2排出量を160万トンそれぞれ削減できると試算する。
 一方、浜岡原発(静岡県御前崎市)と比較すると、4基の出力は浜岡の3、4号機の合計に匹敵する。中電は「エネルギー資源に乏しい日本にとって、原子力は欠かすことのできない電源」とすみ分けを強調するが、原発への社会不安が解消されなければ、最新鋭火力の新設が浜岡原発の再開論議にも影響を与えそうだ。 (大森準)

「死刑弁護人」安田好弘弁護士の人間像に迫る/東海テレビ 2011/10/10/00:45〜

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東海テレビ「死刑弁護人」安田好弘弁護士 人間像に迫る
 山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で主任弁護人を務めた安田好弘弁護士の人間増に迫るドキュメンタリー「死刑弁護人」を東海テレビが制作した。10日午前零時45分から東海エリアで放送する。引き受け手の少ない死刑求刑事件の被告の弁護を数多く担当する姿を通じ、裁判員制度導入後の司法の在り方を問う。(服部聡子)
*職責全う 格闘描く
 コンビで秀作ドキュメンタリーを生んできた阿武野勝彦プロデューサーと斉藤潤一ディレクターが放つ司法シリーズの8作目。2008年に放送した3作目の「光と影〜光市母子殺害事件 弁護団の300日」の取材を通じ、安田好弘弁護士と出会ったのが制作のきっかけだ。
 「弁護士の職責を全うしようとする生き方をきっちり描きたいと思った」と斉藤ディレクター。マスコミ嫌いの安田弁護士を説得し、昨年8月から9か月間、カメラを回した。
*「死刑は解決にならぬ」
 安田弁護士は63歳。従来の供述を覆して殺意を否定する主張を展開し「鬼畜」とバッシングを受けた光市の事件以外にも、和歌山毒カレー事件の林真須美死刑囚やオウム真理教事件の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚らの重大な死刑求刑事件を数多く担当してきた。
 番組では「死刑は何の解決にもならない。事実を出すことで本当の反省と贖罪が生まれる」と、現場を徹底的に歩き、資料の山と格闘する多忙な日常や、死刑廃止運動の取り組みを追う。その一方で、生死に直結する死刑事件を背負う重みや、被告が生きた社会的背景も浮き彫りにする。
 無期懲役の判決を受けながら服役中に自らの命を絶った新宿西口バス放火事件(1980年)の丸山博文受刑囚に対し「ちゃんと弁護してなかった」と悔やむ表情が印象的だ。「死刑の絡む事件の弁護は、最後まで背負うこと」との言葉が重い。
 過去の事件の関連映像を盛り込み、放送時間は1時間45分とシリーズ最長。ナレーターは、反原発活動で注目を集める俳優の山本太郎が担当した。斉藤ディレクターは「少数派の意見をしっかり伝えることが裁判をいろんな見方で考えることにつながる」と語る。
            ◇      ◇
 放送は当初、9月上旬の予定だったが、東海テレビの「ぴーかんテレビ」の不適切なテロップ表示問題を受けて延期に。さらに同コンビが手掛けた番組「記録人 澤井余志郎〜四日市公害の半世紀〜」は日本民間放送連盟賞最優秀賞辞退に追い込まれた。阿武野プロデューサーは複雑な心中を明かしながら「信頼を回復していくのは大変だが、番組以外にお返しできるものはない。礎となるような番組をこつこつ作っていくしかない」と語った。 ◆安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利 』 ・ 『光市事件 裁判を考える』2008-05-13 | 読書 
〈来栖の独白2008/05/13〉
 昨日セブンイレブンで、『死刑弁護人 生きるという権利 』 ・ 『光市事件 裁判を考える』の2冊を受け取る。
 『光市事件 裁判を考える』(現代人文社編集部)は、『光市裁判』『あなたも死刑判決を書かされる』(共にインパクト出版会)を読んだ者には、つまらない。佐木隆三氏の頁は、分けても不快である。
 『死刑弁護人 生きるという権利 』の安田さんの記述は、幾つかの箇所で強く共感を覚えるものだ。
 昨年だったか、愛知県で元妻を人質に男が立て籠もり、警官に発砲して死亡させた事件があった。投降する犯人の姿に、私は、〈ああ、この瞬間から、この人は、一人になることは出来なくなるのだな。常に監視のなかに置かれることになる〉と感じた。この事件ではないが、『死刑弁護人 生きるという権利 』 のなかに、安田さんの以下のような記述があって、奇妙に切ない。
 “大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
 と慨嘆する。”
 安田さんは、次のようにも、言う。
 “いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。”

 安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫
p3〜
 まえがき
 いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
 それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かもしれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
 どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
 大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
 と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
 それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
 それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし、私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
 麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、私には、それが残念でならない。麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
 事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった、環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情がまったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
 ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
 私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
 麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた。裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
 多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
 この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れしつづけていきたいと思っている。(〜p5)
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秋葉原殺傷事件 地裁 判決文要旨/ 土浦8人殺傷事件(金川真大死刑囚)/ 安田好弘著『死刑弁護人』2011-03-25 | 秋葉原無差別殺傷事件 
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国家と死刑と戦争と【2】
弁護人・被告人の抵抗を潰す「司法改革」
 「司法改革」という言葉を皆さんご存じかと思います。その「司法改革」の要として裁判員制度の導入があると説明されています。この裁判員制度の導入を言いだしたのは、最高裁でも法務省でもありません。それは、内閣に設置されている「司法改革推進本部」---内閣直属の機関が、突然言いだしたわけです。その理由とするところは「広く国民に司法を開放し、国民の司法に対する信頼を獲得する」と法律の冒頭で謳っています。司法の公正を維持するというのではなく、司法の国民的な信頼を維持する、つまり国家的な司法に切り替えるということなんです。簡単に言ってしまえば、国民を総動員する司法をつくり上げようということです。そして裁判員制度の実現のために必要であるとして出てきたのが「公判前整理手続」の導入と「新たな国選弁護人制度」の導入であるるわけです。国民の皆さん方に裁判員になって協力してもらうのだから、なんとしてでも裁判は迅速にしなければならない。裁判員に対し、せいぜい3〜5日くらいの拘束期間で裁判を終わらせなければならない。そのためには、その裁判の前の段階で弁護人と裁判所と検察官が「公判前整理手続」という手続きを行って、下ごしらえする。つまり争点とか証拠の整理をすべて密室で事前に終わらせたうえで裁判にかけるという制度を、彼らは作り上げたのです。談合裁判なんです。公判を数日で終わらせるためには、この公判前整理手続を新設するだけでは間に合わない。それで、さらに拙速裁判(彼らは「裁判の迅速化」と呼んでいますが)、つまり連日開廷、継続審理、主尋問と反対尋問は同日中に行わなければならない、ということを定めたのです。これによって死刑事件はどういうことになっていくのでしょうか。
 皆さん方もおわかりだと思いますが、死刑事件は長い時間と多大の調査、そしてまず本人自身が事件と正面から向き合う、そういう態勢が整って初めて真相が解明されます。長い時間をかけて初めて被告人自身が裁判で当事者として自ら主張し、自らの権利を守っていこうとすることができる、ということは私たちが過去何度も体験してきたことです。しかし、この「公判前整理手続」あるいは「裁判の迅速化」によって、その機会が完全に奪われてしまうわけです。例えば昨年、神戸で行われた裁判では、「公判前整理手続」が行われて、起訴されてからわずか3ヵ月で死刑判決が出ました。公判は数回だったようです。本件は控訴されないまま確定しています。
 それから次に新たな国選弁護人制度の導入です。これは、弁護人が公判前整理手続に出頭しない恐れがある場合、あるいは出頭しても中途で退席する恐れがある場合、あるいは公判についても同じですが、そのような場合には、裁判所は新たな国選弁護人を選任することができるという規定が設けられたのです。ですから例えば大道寺さんたちがやろうとした、弁護人を解任して弁護人不在の状態で、とにかく裁判を進行させないということは、およそできなくなってしまったのです。弁護人が裁判所の不当な訴訟指揮に対して抗議する、その抗議あるいは抵抗の手段として残されていた法廷のボイコットという手法が、完全に封じられてしまった。弁護人が法廷をボイコットすると、直ちに裁判所の言いなりになる国選弁護人をつけられて裁判を終結させられてしまうわけです。
 私たちは麻原彰晃さんの裁判のとき、当時弁護人は12名おりましたが、1度だけですが全員が裁判を欠席したことがありました。ボイコットしたわけです。裁判所は私どもの事務所に電話してきてなんとか出廷してくれと言ってきました。私たちは全員それを拒否して出なかった。これまでならば、彼らはそれ以上のことはできないわけです。結局その日の裁判は取りやめになりました。裁判所はそれに懲りたのか、いくらかは反省して訴訟指揮を緩めてきました。しかし今後はそのようなことはできない。裁判所の権限が強化されて、そういうときは弁護人に出頭命令が出され、それだけでなく在廷命令が出るわけです。そしてそれに従わなければ、直ちに科料という制裁に処せられることになります。(中略)
 どういう場合にそれができるかというと、例えば弁護人が公判前整理手続事実関係について否認するという意思を表明した場合、裁判所がその手続に被告人を呼び出して直接被告人に対して「本当に否認するのか」と問いただす、つまり言外に弁護人の言うことに従わずにさっさと認めたらどうか、と問いただすことができる。当然被告人は裁判官の顔色をうかがって「否認する」とは言い切れない。結局「争いません」と言わざるをえない。裁判所は弁護方針にまで直接介入・干渉することができるわけです。また、こういう場合、裁判所は、弁護人と被告人に対し、連名で書面を出せと要求することができることになりました。結局、弁護人は被告人の意思に従わざるをえず、被告人は裁判所の意向に従わざるをえない。そういう制度に新刑事訴訟を変えてしまった。
 皆さん方は、これまで死刑事件にかかわってこられておわかりと思いますが、事件を起こした人というのは、その起こした瞬間から、すでに自分の命を捨てています。1日も早く処刑されてこの世から消えることを彼自身は願っている。そういう中で、弁護人が一生懸命彼を励まし、一つ一つ事実について検証していこう、検察官が出してくる証拠について確認していこうよと呼びかけても、被告人からは「とにかく裁判を早く終わらせてくれ」と求められるわけです。そういうことを新しい法律が見越して、被告人がそういう状態にいる間に裁判を終わらせてしまおうというのが、この新しい法律の狙いです。
「裁判員制度」の導入は徴兵制と同じ
 すでに言いましたとおり、裁判は、公判前整理手続や新たな国選弁護人制度の下で完全に争う場面そのものが剥ぎ取られた上で公判が始まります。判決は市井の裁判員6名と裁判官3名の9名の多数決によって決められるので、当然社会の世論がそのまま裁判に反映されることになります。有罪無罪から始まって死刑か無期かに至るまで、多数決、つまり今のc。今の世の中では8割近い人が死刑を容認しています。マスコミの事件報道の氾濫により、殆どの人が治安が悪化していると思い込んでいます。さらに多くの人が犯罪を抑止するためには厳罰が必要だと確信しています。そういうものがそのまま法廷に登場するわけです。それだけでなく、被害者の訴訟参加によって被害者の憎しみと悲しみと怒りがそのまま法廷を支配するのです。法廷が煽情化しないはずがありません。感情ほど強烈なものはありません。感情に対しては反対尋問も成立しません。感情は理性を凌駕します。まさに法廷はリンチの場と化すのです。
 従来キャリア裁判官によって裁判制度は維持されてきました。なぜキャリア裁判官制度を私たちは選択したか。キャリア裁判官でなければ維持できない原則が司法にあるのです。それは、世論に影響されない、政治的な圧力にも影響されない、そして無罪推定の原則の下に事実を認定し、法の下に量刑を判断する---それはアマチュアではだめで、専門的な教育を受け、トレーニングを積んだ職業的な技能と倫理観に支えられた専門家によって初めて公正な裁判が維持できるという制度設計、戦前あるいは過去の裁判制度の弊害を見たうえでの私たちの知恵として、安全弁として職業裁判官制度を選択してきたのです。
 もちろん今の裁判官が高邁な思想や堅固な職業意識で支えられているわけではありません。現在、彼らの意識の中には無罪推定の原則はありません。検察官の言うとおりに事実を認定し、99,9%の事件について有罪判決を出す、チェック機能さえ有していないのが現在の司法裁判官の実態です。彼らは腐敗し堕落しきっているのですが、裁判員制度の導入によって、私たちが従来のキャリア裁判官制度に託した理念や思想さえも破壊してしまおうというわけです。これを単純に言ってしまえば、「司法の規制緩和」以外の何ものでもない。裁判員制度は規制緩和の一環として導入されたと言われています。それは、裁判制度を、商業的あるいは資本主義的な目的のために、有効に活用しようというのです。まさに司法そのものが国家政策を推進するものとしての新しい役割を与えられたわけです。
 ここでぜひ皆さんに考えていただきたいのですが、今の日本の法律の中で、私たち一般市民が国家的な権力行使行為に強制的に駆り出されるという法律は存在しません。強制的に義務を課せられるというはありますが、それはせいぜい徴税の義務とか、もっぱらサービスを提供させられる義務なのです。しかし、今回はサービスの提供ではない。裁判という権力を行使する機関の一員として私たちは義務づけされて国家行為をさせられるのです。参加しなければ10万円という科料を科せられます。これは戦後始まって以来の法律です。よく考えてほしい。死刑判決、それは行政府に対する殺人命令です。つまりそれは銃をかまえてその引き金を引くのと同じことです。それは、敵対する市民に向かって銃の引き金を引くのと同じこと、つまり戦闘行為そのものです。私たちは「判決」という、いかにもスマートな国家行為に参加させられるようにみえて、実はそうではない。敵を拉致して財産を没収する(これが罰金刑です)、捕虜として拘禁して強制労働をさせる(懲役刑の宣告はまさにそれです)、これを私たちは今回の裁判員制度によっていや否応なしにやらされる。これは徴兵制度そのものではないかと私は思うのです。裁判員になる確率は3500人ないし4000人に1人といわれています。しかし現在の自衛隊の規模で、徴兵制を導入するとなると、連れて行かれる人を全人口で割れば数字に大きな差はないだろうと思います。裁判員制度に動員される私たちと徴兵制に駆りだされる私たちと、型は違っても基本的に同じ構造を持っていると思います。
 話は元に戻ります。どうして彼らは、最高裁だけでも毎年16億ものカネをつぎ込んで、談合しマスコミを買収してまでも裁判員制度を実現しようとするのか。私はその裏に21世紀の徴兵制の導入、そしてさらに裁判員制度の導入によって抵抗する被告人・弁護人の排除、そして国民から拍手喝采を受ける刑罰の実現という、彼らが絶対に実現したいものがある。だからこそ、これほどまでに裁判員制度導入についてあからさまな宣伝行為というよりは情宣活動をやっているんだと思います。
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『年報死刑廃止08』【犯罪報道と裁判員制度】ー安田好弘弁護士の話抜粋
 一つ理解していただきたいんですが、裁判員裁判が始まると言われていますが、実はそうではないのです。新しく始まるのは、裁判員・被害者参加裁判なのです。今までの裁判は、検察官、被告人・弁護人、裁判所という3当事者の構造でやってきましたし、建前上は、検察官と被告人・弁護人は対等、裁判所は中立とされてきました。しかし新しくスタートするのは、裁判所に裁判員が加わるだけでなく、検察官のところに独立した当事者として被害者が加わります。裁判員は裁判所の内部の問題ですので力関係に変化をもたらさないのですが、被害者の参加は検察官がダブルになるわけですから検察官の力がより強くなったと言っていいと思います。(中略)
 司法、裁判というのは、いわば統治の中枢であるわけですから、そこに市民が参加していく、その市民が市民を断罪するわけですね、同僚を。そして刑罰を決めるということですから、国家権力の重要な部分、例えば死刑を前提とすると、人を殺すという国家命令を出すという役割を市民が担うことになるわけです。その中身というのは、確かに手で人は殺しませんけれど、死刑判決というのは行政府に対する殺人命令ですから、いわゆる銃の引き金を引くということになるわけです。
 今までは、裁判官というのは応募制でしたから募兵制だったんです。しかも裁判官は何時でも辞めることができるわけです。ところが来年から始まる裁判員というのは、これは拒否権がありませんし、途中で辞めることも認められていません。つまり皆兵制・徴兵制になるわけです。被告人を死刑にしたり懲役にするわけですから、つまるところ、相手を殺し、相手を監禁し、相手に苦役を課すことですから、外国の兵士を殺害し、あるいは捕まえてきて、そして収容所に入れて就役させるということ。これは、軍隊がやることと実質的に同じなわけです。(略)
 裁判員裁判を考える時に、裁く側ではなくて裁かれる側から裁判員裁判をもう一遍捉えてみる必要があると思うんです。被告人にとって裁判員というのは同僚ですね。同僚の前に引きずり出されるわけです。同僚の目で弾劾されるわけです。さらにそこには被害者遺族ないし被害者がいるわけです。そして、被害者遺族、被害者から鋭い目で見られるだけでなく、激しい質問を受けるわけです。そして、被害者遺族から要求つまり刑を突きつけられるわけです。被告人にとっては裁判は大変厳しい場、拷問の場にならざるを得ないわけです。法廷では、おそらく被告人は弁解することもできなくなるだろうと思います。弁解をしようものなら、被害者から厳しい反対尋問を受けるわけです。そして、さらにもっと厳しいことが起こると思います。被害者遺族は、情状証人に対しても尋問できますから、情状証人はおそらく法廷に出てきてくれないだろうと思うんです。ですから、結局被告人は自分一人だけでなおかつ沈黙したままで裁判を迎える。1日や3日で裁判が終わるわけですから、被告人にとって裁判を理解する前に裁判は終わってしまうんだろうと思います。まさに裁判は被告人にとって悪夢であるわけです。おそらく1審でほとんどの被告人は、上訴するつまり控訴することをしなくなるだろうと思います。裁判そのものに絶望し、裁判という苦痛から何としても免れるということになるのではないかと思うわけです。(略)
 つまり、刑事司法は従来、本当は人を生かし、自由を守り、命を守り、そして名誉と財産を守るシステムだったはずのものが、実は人を破壊し、専ら人に苦痛を与える場所というふうになっているわけです。そういうものを防ぐために、少なくとも理性と法で支配される場、少なくとも事実が公正に評価される場、人が人として評価される場でなければならないのですが、ますますそれと逆行していく。その最たるものが裁判員裁判ではないかと思うんです。
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「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法
2、光市事件最高裁判決の踏み出したもの

 僕も全く同じ考えを持っています。光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べていますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでしょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
 ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。このように、死刑の適用の是非を、こういう政策的な問題にしてしまうこと自体、最高裁そのものが質的に堕落してしまったというか、機能不全現象を起こしているんですね。ですから第三小法廷の裁判官たちは、被告人を死刑か無期か翻弄することについて、おそらく、何らの精神的な痛痒さえ感じることなく、もっぱら、政治的な必要性、思惑と言っていいのでしょうが、そのようなことから無期を死刑にひっくり返したんだと思います。悪口ばっかりになってしまうんですけど。
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心に刺さった母の言葉「名古屋アベック殺人事件」獄中21年の元少年2009-02-21 | 死刑/重刑/生命犯 問題
日本の死刑状況について 無期懲役者の手紙から(名古屋アベック殺人事件)弁護士 安田好弘
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【光市事件弁護人更新意見陳述書】
(2)被告人が目標とする先輩の存在
 なお、本件弁護人の1人は、かつて、本件でも、本件よりも犯情が重いにも関わらず無期懲役が適用された事例として挙げられているアベック殺人事件の控訴審(名古屋高裁平成8年12月16日判決・判例時報1595号38頁)の弁護人を担当した。
 この事件は、少年らが2名のアベックの男女を殺害した強盗強姦殺人事件で、主犯とされた当時19歳の少年には1審では死刑が宣告された。しかし、彼は、「どうか生きて償いをさせて欲しい」と訴え、控訴審では、被告人及び弁護人によって徹底して事実の見直しが行われ、平成8年12月、無期懲役に減刑され確定した。彼は下獄してから10年6ヵ月となり、現在は38歳となっている(弁22)。彼の名前はS君という。
 しかし、S君の裁判の審理においては、被害者遺族は、こぞって、捜査段階及び1審の公判廷において、「被告人らを一生恨む。全員死刑にして欲しい」との厳しい意向を示し、1審判決後も、検察官に対し、「死刑は当然である。」と訴えていた。(前掲名古屋高裁判決)。
 ところが、S君のお母さんから平成17年5月に届いた手紙の中に、
 「今回は少しうれしいお知らせができます。Sがここ数年作業賞与金を遺族の2家族の方に詫び状を添えて送っていたのですが、今年は、Aさん(被害者)の父様より礼状が届いたとの手紙が来ました。(略)Sも、びっくりするのとうれしいのと心の中は大変だったと書いてありました。事件の後、家に主人と二人でうかがった時は、奥様がとても気をつかっていただき、その後二度ほどお会いしたのですがご主人は私たちに決して会ってくださることはありませんでした。その方が、自分の今の生活の事等を書いて、頑張るようにと書いて下さったとの事、少し私もうれしく思い、主人の仏前に知らせました。これからもAさんの気持ちを大切に頑張る、と書いてありました。」とあった(弁20)。
 これは、S君が生きて償うことを実践してきたことの積み重ねによってもたらされたものである。
 生きて償うとは、何時までも贖罪の心を忘れることなく被害者のことを思い謝罪を続けることである。そして、そのことを通して再び人間としての信頼を取り戻していくということである。それは、決して生やさしいものではない。しかし、1審判決の死刑を控訴審で無期懲役に減軽されたS君は、それから10年を経過する今日も実践し続けているし、将来も決して変わることはない(弁21)。
 そのS君と被告人は文通を始めた。
 被告人は、文通を通じてS君の生き方に触れた。S君からもらった手紙を読み涙を流した。被告人は、現在自らの歩むべき道として、S君の生き方を学んでいる。
 被告人と同じく、少年時代に2名を殺害してしまったS君が無期懲役で刑務所で服役し、1ヵ月働いて作業報奨金が約1万円くらい得られる状況でありながら、そのほとんどすべてを被害者の遺族に送金している。被害者は、このようなS君の生き方に触れて、償いとは何か、反省とは何かを深く考えるようになってきた(弁23、24)。
(⇒光市事件 menu
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【光市事件弁護人更新意見陳述】
 被告人は、被告人と同じような過ちを犯し、控訴審で死刑から無期懲役に減刑されて現在××刑務所に服役している先輩と知己を得た。彼は、今から21年前、友人らとともに2件の強盗殺人事件を犯した。無期懲役が確定して××刑務所に服役してすでに9年になる。彼は、毎年欠かさず遺族に謝罪の手紙を書き、作業報奨金を贖罪金として送り続け、反省と贖罪の人生を送っている。もちろん、彼は、未だ、被害者遺族に赦されてはいないが、今では「寒い日が続いていますが、風邪をひかぬように頑張ってください。貴殿からのお金は前回同様仏前に供えさせていただきました。私も女房が他界してから急に弱くなり、色々病気と戦っています。心臓・たんのう・腰痛・今回は膝の手術をやりましたが、それが失敗して4回も同じところを切開した為、歩行が出来なくなり、現在はリハビリに通っています。前回貴殿に返事を書かなければいけないと思いながらも出すことが出来なかったのは、病気で悩み苦しんでいた時で、非常にすまないことをしたと思っています。お許しください。今晩も11時を過ぎましたのでここで筆を置きます。ありがとうございました。おやすみなさい。」「今年も残り少なくなりました。健康の様子何よりです。私も年と共に弱くなり、昨年に続き今年は2回長期入院致しまして、返事も出さず失礼致しました。Aの供養代はありがたく仏前に供えさせていただきます。時々刑務所内の放送を見ることがあります。大変だなと思いますが、罪は罪としてそれに向かって立派に更生してくれることを願っています。寒さに向いますが、くれぐれも身体に気を付けてください。」と被害者遺族に声をかけてもらえるまでになっている。
 被告人は、この先輩のように、生きて反省と贖罪の人生を生きることを切望している。弁護人は、被告人がしっかりと更生することを確信している。そして、××刑務所の先輩もそして被告人も、いずれの日か、被害者遺族に赦される日がくることを確信している。
 このことも、弁護人は、当公判廷で立証しようとしていることである。そして、弁護人は、差戻控訴審の審理を始めるにあたって、裁判所に対し、「今一度、被告人を信じてみようではないか」と、強く、求めるものである。 
(⇒光市事件 menu) 
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光市事件 加害者側に焦点 東海テレビが制作「光と影」

大マスコミが伝えない小沢一郎 憂国論

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大マスコミが伝えない小沢一郎 憂国論
2011年10月7日(金)10時0分配信 日刊ゲンダイ
<「日本はゆでガエル」だ。中国の経済混乱に強い危機感>
 10月3日、民主党の小沢一郎元代表が、自ら塾長を務める「政治塾」で講演した。大マスコミは、小沢が「今のまま総選挙をしたら、どの政党も過半数を取れない」と発言したと、まるで“談合”したかのように揃って同じ内容を報じていたが、40分間の講演で、そんな選挙予想みたいな話は一瞬のこと。メーンテーマでも何でもない。むしろ小沢が強調したのは、この国に対する強い危機感だった。
「未曽有の危機と誰もが言うが、しゃべっている本人も聞いている人も本当にそう思っているとは思えない。『ゆでガエル』の話、知ってます? カエルは徐々に温めるとそれに適応していくが、ある段階で耐えられなくなった時はすでにゆで上がっている。日本はどうも、それと同じような状況にある」
 特に懸念しているのは米景気後退とユーロ危機の影響だ。
「まだ民主主義が定着していない国や民主主義とは異なる政治体制の国は経済の破綻が政治的な混乱・動乱につながる可能性がある。日本も例外ではないが、日本以上に混乱と動乱が予想されるのは中国。高成長のバブルがはじけると、政治的な自由を求めた大衆の不満に加えて、ただでさえ存在する貧富の格差に不況が追い打ちをかけ、共産党一党独裁は不可能になると私は思っている。以前から中国の指導者にも伝えているが、共産党一党独裁の政治体制と市場経済は絶対両立しない。必ず矛盾をきたす。そういう動乱の時代は私が死んでからにして欲しいと思っていたが、ここ数年なのか分からないが、それほど遠くない将来にそういう結果が出てくるのではないか。日本がまずしっかりして、中国のソフトランディングをはからなければならない」
<リーダーシップと政策に、実は関心がないのがマスコミだとズバリ>
 危機下の政治については、こんな認識だ。
「マスコミは口を開くと『リーダーシップだ』『政策だ』と言うが、それに一番関心がないのはマスコミ。少しでもリーダーシップを発揮しようとする人物が現れると、それを叩いて足を引っ張って潰す。日本はリーダーを好まない歴史的社会だった。日本的なやり方は波風立てず、和気あいあい。政治の大事なテーマがなんとなく決まる。しかしいったん危機的な状況の時には、誰も責任を取らず、思い切った決断ができない。事なかれ主義になる」
 これじゃあ、大マスコミが重箱の隅の報道しかしなかったのも当然だ。
 閉会中にもかかわらず、講演には40人前後の衆参の小沢グループ議員も駆けつけた。小沢周辺がこう言う。「小沢さんは最近特に、『何としても』とか『強烈に』という強調語をよく使う。野田政権は民主党の原点からどんどん遠ざかっていくし、ますます危機感が高まっているのでしょう」
 マスコミシャットアウトの質疑応答では、ざっくばらんなやりとりもあったという。最近、野田政権にスリ寄っている経団連については、こう皮肉った。
「結局、最後はお上頼み。昔、経済が右肩上がりの時は『政治は三流、経済は一流』と言っていたのに、ひとたび経済がダメになると『何とかしてくれ』と言ってきた。それで私は『あんたたち、政治は三流なんだから、政治に頼むな』と言った。だから嫌われたんだ」
 国民に伝えるべき面白い話がたくさんあるのに、こと小沢となると、大マスコミはいつも“ステレオタイプ”なのだ。
(日刊ゲンダイ2011年10月4日掲載)
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日本を語ろう フツーの市民vs小沢一郎/最も国民の生命、財産、人権を守るべき裁判所/民主主義国家/2011-10-05 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 ■今回の判決について
小沢;
 この間の判決は大変びっくりしました。というのは、独裁国家でとにかく気に入らんヤツはみんな有罪にしちゃえという社会なら別ですが、「法と証拠」、いわゆる民主主義国家で何の証拠もないのに裁判官が独断で、その推測に基づいて有罪を決めてしまうというのは、ちょっと民主主義国家では考えられない結果だったものですから、ほんとにびっくりしております。
 今度の私と私の政治団体に対する最初の捜査から、なんか僕が不正なカネを貰っているに違いないという前提で捜査が、しかも強制捜査が突然始められたわけですね。
 中味は結局1年以上かかって調べても、そういう問題はなかったという検察の結果で、そうすると残ったのは何かというと政治資金収支報告書の書き方の話なんですね、ここに書けばよかった、こう書けばよかったと、いう類の話で、そういうことは、ずっと何百件、何千件と、事務的間違いですから、仮に間違いだったとしても、いっぱいあって、大概それは修正報告で全部許されて、許されてというか当たり前なんですけれどもそこの中に他の犯罪が絡んでいれば別ですけれども、収支報告の書き方の問題なんかは、そもそもそういう強制捜査とか、検察の捜査になじまない、いわば指導して修正すればいいわけですから。
 そういう結果だったから結局は、検察も起訴するには至らなかったということだと思うんですけれども今度の裁判は、結局、それを不正な金銭の授受があったんだということを推測で前提にしてしまって、それで、有罪だと、こういうふうに決めちゃったものですから、なんていいますか、二重にですね、びっくりしました。
 私自身が何としてもこの国を変えなくちゃいけないと、まあ、日本人自身の意識も含めて今までのままではダメだと、国民の生活を長年にわたって、将来にわたって安定させ、守っていくためには変えなくちゃいかん、というのを強烈に思ってますので僕自身。
 ということは、旧来の今までの体制を変えるということになるますね、制度とかいろんな仕組みとか行政であれ、何であれ。
 それは今までの体制の中で、既得権を持っていた方々にとってはものすごく、ある意味で恐怖といいますか、あいつだけは許せない、あいつだけは国政の先頭に立たせてはいかんとという意識が働くんじゃないでしょうか。
 ですから、民主党に所属してますから、そして民主党内閣ですから、今は民主党うんぬんということになりますが、民主党というよりたぶん、僕自身だろうと思います、その彼等の狙いは。
 僕個人云々というよりも、こういうような民主主義国家と言われている、あるいは自負している国で、社会でこういうような事が起きると、こういう裁判が行われているということが非常に心配ですね、行われたということが。
 ですから、誰かがあれをおとしいれてやろうと思ったら、あいつはこうこう、こういうことしたと、いうとその一方的な意見だけで、じゃあ、判決が、裁判が左右されちゃうのかということになったら、本当にもう暗黒社会になっちゃいますね。
 ですから、その意味で僕自身どうのこうのではなくて日本の社会、最も国民の生命、財産、人権を守らなければいけない裁判所までが、そういうようなことになってしまっている、まあ、劣化っていうんですかね、なんか、そういうふうになっちゃっているっていうのが非常に心配ですね。
■民主主義国家とは
小沢;
 民主主義ということの実態はそれぞれの国や地域において、必ずしも同じではない。どこから始まったのか。ギリシャからという人もいれば、ゲルマンの森という人もいるし、イギリスという人もいる。
 日本は日本人の歴史や風土にあった民主主義国家であればいいと思う。そういうことを勘案した上でも、日本は本当の民主主義国家になってない。日本人自身が認識しなければならない。
 結局はお上信仰が残っている。何かあると政府が悪い、あれが悪いと、そういうこともあるが、それに全部負わせている。一人ひとりが自立した個人であることが前提。日本人はどうしても歴史的に豊かに過ごしてきたから余り波風を立てないで、丸く丸くと。自己主張を軽くして満場一致でやればいいという考え方が強い。
 「和を以て・・・」というが結果は誰も責任をとらない。誰が決めたか分からない、なんとかくみんなで決めて、それがうまくいかなかったら、誰も責任を取らない。そういうような風土というか風潮が日本社会にはある。しっかりと自らの判断や責任を大事にする相手の判断も大事にすること。そういう意識改革をしていかないと、民主主義が根付かない。
 特に戦後日本がアメリカにいろいろな意味でおんぶにだっこだった。そのほうが楽、気楽でいい。特に戦後芽生えてしまい、何かあったらカネを出せばいいと。
 それはアメリカからも軽蔑される。独立した国家だと認められない。日本の特質・・・そうした経緯で歪んでしまった。
 戦後も敗戦のどん底で全てアメリカの技術や経済をもらって、市場も開放してもらってある意味しょうがなかった。
 今はアメリカ自体がおかしくなっている。世界全体が安定した時代ではない。
 今の生活を享受しながらしかも平和にやっていこうというならば、自分自身が努力し、意志をもっていかないと、安定した平和を維持できなくなる。
小沢;
 議論しなくても日本は平和で豊かに暮らしてきた。古代もはるかに大陸よりも豊かだった。みんな平和に愉しく豊かに暮らしてきた。自己主張するなという風土ができあがった。
 今はそういう時代ではなくなった。
 日本人はどうしても意見をガンガン言い合うと感情的になって喧嘩になる。ですから日本の社会は、多数決というものは絶対しない。会社でもどこでも、多数決というのは、しない。政治でも組合でもしない。執行部に一任してくださいとなる。一致しなかったら、ずっと議論をやるわけにはいかない。
ここを直さなければならない。
 ぼくは日米交渉を3回した。アメリカの指導者が日本を信用しないのは意見を言わないから。「前向きに検討する」といわれOKだと思ったらNOだったと驚いている。
 日米同盟というが、アメリカは日本を信用していない。大事な決断を日本はしない。何かあるとアメリカに聞きに行く。
■メディアとネット
小沢;
 またテレビ新聞のことを批判すると、あれなんですけど(笑)。ネットもそのままを流してくれる。テレビ新聞で何をしゃべってもその通り伝えない。こういったけど実はこうだと、全部偏向した報道したものになる。国民のみなさんに真意が伝わらない。正確に伝えて、良いか悪いかは国民のみなさんが判断してくれればいい。
■民主主義の手だて
小沢;
 官が全てを治めていたからでしょうね。官主導で中央集権で、全ての権力が官僚機構に集まってますから。どうしてもその人たちのやり易いように解釈するし面倒くさいことはなるべくさけたい。
 それを解決する一つは地方分権で、身近な問題は地方に任せる。
 そう言うと、「地方にカネも権力も任せたら酷いことになるんじゃないか」といわれるが、それは傲慢すぎる。仮におかしな問題が出たら、地方のほうが住民からのチェックが効く。国家だとわからない、霞が関で何をしているか。だからチェック機能が働く。
 国は外交や防衛に専念する。天下国家のことを議論する。君らは青春を犠牲にして一所懸命勉強して官僚になった。なんでそんなチマチマしていることをしているんだと。もっと天下国家のことをやればずいぶんよくなる。
■陸山会裁判の判決は法治国家の終焉 日本は独裁国家 証拠も確たる証言もないところで裁判官が推測で有罪だと、あるいは天の声があったと、ゼネコンからの1億円の闇献金があってそれを受取ったと。単に三人の証言なんですよ。西松建設事件は東京地検特捜部が1年以上かけて100人以上の検事をおそらく税金を30億円以上使ってるんですね。それで徹底的にゼネコンを強制捜査して叩いたんだけど何も出てこない、立件できなかった。立件できないことを別の裁判で、それが訴因でもないことなのに、1億円をあったと勝手に認めた。
■東日本大震災 原発
小沢;
 それぞれ内閣の総理以下、役所も一所懸命やっていると思いますが、こういう今までないような災害ですから。
 私も災害県岩手県の出身の一人ですが、内閣が先頭に立ってあらゆる手段を講じて復興しなければならないのは当たり前ですが、自然災害、これはもっと復興のためにやれとか金をつぎ込めということはありますが、幸い生き残ったものがお互い力を合わせて、街づくりをする、自分たちの生活を立ち上げるというのが十分可能だが、原発の問題だけは一般の人がどうしようかと思っても出来ない話ですし、このままだと前から言っているが、これを放置していれば日本の復興とか再建とかはありえない。
 仰るとおり溶融して解けたものが下に落ちてますし、大量の燃料があるわけです。水で冷やして一所懸命冷やしてを爆発を止められたとしても、燃料がそのままのこっている。地中で、地下水にいったり海水にいったり、空気中にもウランがあるんですから出てるんです。
 菅さんの時から言っているが、みんな東電の責任ばかり、第一義的には東電なんですよ。「悪いんだ。悪いんだ」と言っても何も解決しない話なんです。ですから国家的な深刻なはなしですから政府が表に立てと。
 今の仕組みは東電が前に立って、お金なり何なりを政府が東電に対して支援するかたちになっている。そうじゃないと、まずは原発そのものを知恵を集めて封じ込める。
 これは何兆かかろうが何十兆かかろうがやんなくちゃならないんですよ。それも政府が直接、前面に出てやると。
 近所の人は、いずれ帰れると政府もいっているが、帰れないんですよ、ほんと近い人は。そうすると、新しい生活を始めなきゃならないわけですよ。ところが帰れるようなことを言うものだから、新しい生活を違う場所でやろうという気持ちにならない。なんとなく、帰れるだろう、帰れるだろうということになって、結局は不安定なまんま。仰るように、棄民、置き去りにされ、捨て去られたようなかたちでいっぱい多くの人がいるということですから、やっぱり本当に当分は、ここは住めないと、住めないと、
そこにおった人たちに対しては、キチンと生活の安定、これからの生活を支援するために政府が全部やりますよ、ということを生活面でやらなければならない。
 あるいは生産、農林水産、いろいろありますけれども、そういう一般生活の面でも、ぼくは政府が、これいっぺんにはできないですよ。これ莫大な金額を要しますからね。
しかし、現実に今生活がこれじゃあおくっていけないという人が出てきちゃってわけですから、そういう人たちに対する生活の支援というのは、当面、政府がやっていくというのは必要だと思います。
 何よりもだけどこの原発をね、まあいろんな知恵を出せば、封じ込めることが可能だというふうに聞いております。ですから、これはやっぱり国家が、内閣がそのトップは総理大臣が、やっぱり決断してね、やるべきだと私は思いますね。
 さっき言いましたようにね、日本には最終の決断する人がいないんですよ。その立場にある人でさえ、最終決断をしないわけですね、なるべくしないようにしている。
 だから自分で責任を問われるのがどうだこうだとか、そんなことを心配している状況ではもうない、というふうに私は思いますので、野田総理には蛮勇をふるってでも、大いなる決断をしてもらって
是非、積極的な、それこそ、今の問題だけではなくて将来にわたってずっと影響があることですから、是非、やってもらいたいと思っています。
■小沢さんがもし即時全基停止して廃炉といえば、ある意味、日本に革命が起きるんじゃないか
小沢;
 僕は原子力というのは過渡的なエネルギーだということを最初から言い続けてきたんですが、若干、私も含めまして日本人が、原子力は安全で安く発電できるという、その神話に安住し過ぎたきらいがあるんじゃないかなと、そう思っています。ですから、こういうことを契機にですね、ほんとにエネルギー政策を考えなくてはいけない。
 過渡的エネルギーだという以上は、いつか止める話になりますが、今、全部・・・、正確に試算してみないと、国民みなさん、特に生産活動や何かに障害が生じなければ、原子力やる必要はないと思います。
 ただ、国民みなさんも電気の消費やいろんな意味で利便を享受しているわけですね。だから、原子力は嫌だけど、電気はいっぱい使いたいとか、いう話になっちゃうとそれは不可能な話になりますから、そういう意味でお互いが生活をちゃんと考えた上でどこまでどうやれるのかとはっきりわかりさえすれば、私は可能なことだと思っています。
 まあ、いずれにしても、ドイツは11年後に止めるということを決めました。ただドイツの場合は、ものすごく品質のいい石炭や、その他いっぱいありますからね。ドイツのように日本もいけるかどうかはわかりませんけれども、やっぱり自然なクリーンエネルギーの開発を少し怠ってきたという、ツケがですね、出たんじゃないかと思いまして、できれば、だから原発というのは精査してみて、国民みなさんが「よし、それでいこうや」という合意さえできれば、止めていいと思いますね。
 情報を国民皆さんに開示してこなかったというのは事実だと思います。
 爆発の直後からいわゆる国の原子力に密接に関わっているひとは別として、専門の客観的な学者の方々は、もうあれで完全に炉もメルトダウンしているし燃料もそうなっているに違いないと、いうことを最初っから言ってましたね3月の時点から。だけど「そんなことない、そんなことない」と言い続けて、三ヵ月後ですかね、やっぱりメルトダウンして今度はメルとスルーしていると。これはもうほんとに、やっぱり政治家が、それなりの責任をもって、情報をきちんと出すということは、原子力は特に命に関わることですから、何としても必要だと思いますね。
 ただ、さっき言ったように出して、情報によって起った責任をどうしようとか、じゃあ出すのはいいけれども、どういう対策をおまえは持っているのかと言われたらどうしようとか。そういう話になっちゃうもんですから、結局みんな事なかれの形に落ち着いちゃっている、というのが今の政治・行政の一番欠点だと思いますね。
■ビデオレターの配信して、ユーチューブに定期的に出して。小沢さんが考えていることがわからない。アメリカの茶会派のロンポールさんは75歳ですが、毎日ビデオレターを出していて世界に配信している。それを見てみんな支持している。TPPなどテーマごとに。こういった座談会も月一でやっていただけると。500人から1000人の大集会をやってほしい。
小沢;
 はい、はい。考えます。
 民主党政権が果たして2年前の国民の皆さんの熱狂的な支持に、今までの2年は振り返らずに、これからの2年でありますから、ここでほんとに信頼を取り戻せるような、政治をちゃんとやれるかどうか、それを国民皆さんも、また私たちもキチッと見つめていきたいと思います。
 それと今もう一つ心配なのは経済なんですね、やっぱりEU、ユーロの危機は救済のあれがドイツでも可決されまして、一応、当面回避された形になってますけれども、決してそれは根本的な解決になってないんで、ぼくは、いずれ通貨危機ユーロ、それからアメリカの不景気、これは全世界的なものになる恐れがあると思ってます。
 ですから、国内では一番、原発の問題を抱え、ここに通貨、金融恐慌そして世界恐慌的なものが一緒になってきたら、とてもじゃないけど、それこそまだ民主主義も十分に成長して無い日本ではヒッチャカメッチャカになっちゃう可能性があると。
 そしてその時に、やはり一番、僕はこれも前から心配していることですが、国内では、政治不信、政党不信、政治がゴチャゴチャになると、必ず日本では極端な議論がおきます。これを一番してるんです。
 やはり極端なナショナリズム、あるいはテロリズムが加わったり、そういう国内の日本人の心理的にものすごく不安定な状況になることが一つと。
 それから、国外のことではユーロなど、経済的危機でも政治的動乱にはつながりにくいですね、欧米のあれは。ただ、中国の場合は、今ちょっと調子悪くなってきてましたね。それから自由、政治的自由を求めている運動に対してすごい弾圧を加えております。
 しかし、ここでね、バブルが弾けちゃったらもう権力で弾圧したって、何したって、とてもじゃないけど止められないですよ、大衆の動きは。そうすると中国が政治的動乱になる恐れあると。
 僕は、中国の指導者にも面と向かって言ってきてますけどね、「共産党独裁と自由経済、そして民主主義というのは両立しないと、かならず矛盾が起きるよと、コペルニクス転換をあなたがたがするなら別だけど、多分できないだろうと。必ず共産党独裁は崩壊するよ」と、言ってるんですよ、幹部の連中に、ウン、と頷いてますけども。だけど本当に深刻な話になるんですよ、そうすると。
 だからその意味で、そういうことにならないように日本が中国を助ける必要もあるし、日本が他人様を助けるためには日本自身がしっかりしなければならないし、そういう、いっぺんにいろんな問題が重なってきちゃうということがあると、今の日本の何やかや色いろ問題を抱えていながらも、みんな一定の生活を維持してやってるわけだけども、これができなくなる恐れもあると、ということで非常に心配をしております。
■陸山会事件なんかがなければ、「小沢首相」。今も続いていた。
小沢;
  ぼくもね、皆さんのご期待に添える力があるとは思っていませんが、ただ、自分がそういう立場に立ったらば自分の責任やら、責任回避あるいはなんていいますか、ポジションだけにすがりついたりという類のものだけは絶対したくないし、しないでやりたいと、その気持ちだけは持っております。  *強調(太字・着色)は来栖


五木寛之著『親鸞』 自分が既に救われた身だと気づいた時、思わず口からこぼれでる念仏/ パウロ書簡

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五木寛之著『親鸞』274回 2011/10/08 Sat.
〈前段略〉
「おすわりなされ」
 と、親鸞はあぐらをかいて言った。その声には、弁円がこれまできいたことがないような温かさがあった。
「山伏、弁円と申す」
 弁円は親鸞と対座して、かるく頭をさげた。そんな自分が信じられないような気がした。
〈この男、おれとは器がちがう〉
 弁円は正直にそう思った。春風のように心をとろかす暖かさでもなかった。いま目の前にいる親鸞がはなっているのは、すべてを受け入れ、すべてを包みこもうとするおおらかさだった。そしてそれは、人の性格からくるものではないだろう。
 太刀を前にして、あれほど自然でいられたのは、勇気とか、度胸とか、そういうたぐいのものとは、まったくちがった何かのせいではないのか。
「いろいろわけはおありだろう」
 と、親鸞はいった。
「しかし、わたしを殺しても念仏は消えまい」
 弁円は親鸞の顔をまっすぐ見て言った。
「われらは山中修験の功徳を世間の人びとに伝えて生きている。病気平癒を祈り、家内安全、五穀豊穣を願う。そのための呪文と、そなたたちの念仏と、どこがちがうのだ。共に神仏への祈願であろう。南無阿弥陀仏、阿弥陀さま、すくってください、と念仏するのであろうが」
「念仏のことを、ふだんから考えておられたようだな」
「そうかもしれぬ」
「では、申し上げよう。われらがとなえている念仏とは、依頼祈願の念仏ではない。阿弥陀さま、おすくいください、と念仏するのではないのだ」

  

五木寛之著『親鸞』275回 2011/10/09 Sun.
 親鸞の言葉に、弁円(べんねん)はとまどいをおぼえた。
「依頼祈願の念仏ではない、だと? しかし、後生に浄土へいけますように、と念仏しているではないか」
「そうではないのだ、弁円どの」
 親鸞は膝をのりだして、弁円にいった。
「おすくいくだされ阿弥陀さま、ではない。われらの念仏とは、自分がすでにしてすくわれた身だと気づいたとき、思わずしらず口からこぼれでる念仏なのだ。ああ、このようなわが身がたしかに光につつまれて浄土へ迎えられる。なんとうれしいことだ。疑いなくそう信じられたとき、人はああ、ありがたい、とつぶやく。そして、すべての人びとと共に浄土へいくことを口々によろこびあう。その声こそ、真の念仏なのだ。そなたも、わたしも、身分も、修行も、学問も、戒律も、すべて関係なく、人はみな浄土へ迎えられるのだ。地獄へおちたりはしない。そのことを確信できたとき、念仏が生まれる。ただ念仏せよ、とは、それをはっきりと感じとり、ああ、ありがたい、とよろこぶべし、ということなのだ」
 弁円はしばらく黙っていた。よくわからないが、かすかに心にひびいてくる何かがある。
「信が先、念仏は後、ということでござるか」
「念仏するなかで生まれてくる信もある、とわたしは思う」
 弁円の体の奥深いところで、少しずつ動きだすものがあった。自分はいま、とほうもない大きな転機にさしかかっている、と彼は感じた。
 向きあっている親鸞の姿が、しだいに大きくなり、自分を包み込む気配があった。
「その念仏を学びとうございます」
 と、弁円はいい、その自分の言葉におどろいた。床に手をついて頭をさげている自分がふしぎだった。
「親鸞さまの、弟子にしてくださいませ」
「念仏の道に、師匠、弟子ということはあるまい」
 と、親鸞はいった。
「共に念仏する仲間だ。われらはそれを、御同朋(おんどうぼう)とよぶ。手をあげなされ。正直にいうが、わたしはそなたのような直情熱血の人が好きなのだ。自分のなかに放蕩の血が流れているのかもしれぬ。きょうからはよき念仏の兄弟として生きていこうではないか」
 弁円は、思わず熱いものがこみあげてくるのを感じた。 ◆五木寛之氏の『親鸞』、イエスそしてパウロ・・・「私たちが救われたのは、行いによるのではなく」2009-07-07 | 仏教/親鸞/五木寛之・・・ 
〈来栖の独白2009-07-07 〉
  毎日、私は新聞連載の小説、五木寛之氏の『親鸞』を読む。これまで私に深く影響を与え、人生を形成した書物は、幾つかあった。いま『親鸞』は紛れもなく、そういう作品である。魂が揺るがされてならない。そのような日常が昨秋から続いている。沈思黙考させる。その向こうに、イエスやパウロの姿が彷彿する。パウロは言う、「私たちが救われたのは、自らの力によるのではなく、神の賜物による。行ないによるのではない」と。「救われるのは」、とは言っていない。「救われたのは」、と(過去形・完了形で)言っている。
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五木寛之著『親鸞』より
 「これまで世間に信じられている善行とは、たとえば、大きな塔を建てることや、立派な仏像を造らせることや、そして金銀錦などで美しく装飾された経典などを寄進することや、豪華な法会を催すことなどが善行とされてきたのだよ。身分の高い人びと、ありあまる財産をもつ人びとや富める者たちは、きそってそんな善行にはげんできた。しかし、そんな余裕のあるのは、選ばれた小数の人たちだ。いまさらわたしがいうまでもない。天災や、凶作や、疫病がくるたびに、どれほど多くの人びとが道や河原にうちすてられ死んでいくことか。かつて養和の大飢饉のときには、赤子を食うた母親さえいたときいている。世にいう善行をつとめられる者など、ほんのひとにぎりしかいない。その日をすごすことで精一杯の人びとがほとんどなのだ。そんな人たちを見捨てて、なんの仏の道だろう。法然上人は、仏の願いはそんな多くの人びとに向けられるのだ、と説かれた。たぶん、世間でいう善行などいらぬ、一向に信じて念仏するだけでよい、とおっしゃっているのだ」
「善行はいらぬ、となれば、悪行のすすめともうけとられましょう。そこが危ういところですな」
「それだけではない。書写を終えたのち、またそのことについては話をすることにしよう」
 綽空は礼をいって、犬麻呂の屋敷をでた。懐に選択集をしっかりと抱きしめ、道を急いだ。

 選択(せんちゃく)本願念仏集の書写にとりかかる前に、綽空は繰り返し、声に出してその文章を読んだ。
 読みすすむうちに、綽空は総毛だつような戦慄をおぼえた。
〈あのおだやかな法然上人が---〉
 そこにしるされているのは、春の風のような師の温顔から発せられる柔和な声とは、まったく別な、厳しくも鋭利な言葉である。
 権門や貴族たちからも慕われている聖僧法然上人の、おだやかな優しさはどこにも見られないのがおどろきだった。
 物事をきっぱりと二つに峻別する。
 その二つの、どちらが正しく、どちらが優れているかを言下に断定する。そして、迷うことなく一方を選びとる。
 これまでの尊いとされてきた聖行(しょうぎょう)が、片端から切り捨てられていく。
 既存の諸宗のすべてが否定され、最後に仏の本願によって選びとられた念仏ただ一つがのこる。
 その分別の激しさ、厳しさには、息をのむような仮借のなさがあった。
 読みすすむ綽空の膝の上の手が、ぶるぶると震えてくる。目のなかに、強い言葉が突き刺さる。つきるところは、声にだして念仏すること、ただそれだけを説きつづけているのだ。われらは末世の凡夫である。罪悪の軽重をとわず、煩悩の大小によらず、ただ仏の本願による念仏によってのみ救われるのだ、と、一分の迷いもなく語られていた。
 往生之業(おうじょうしごう)、念仏為本(ねんぶついほん) 。
 念仏門以外の多くの宗派にとって、その大胆な切り捨てられかたには、耐えがたいものがあるにちがいない。だからこそ、この書は秘められなければならなかったのだ。
 綽空は世俗と上手につきあっているかのように見える法然上人の、氷のように厳しい信念の裸の姿を見た、と思った。
 料紙に一字ずつ正確に書き写すことには慣れている。
 しかし、その作業をつづけるうちに、綽空は自分の命が筆先に吸いとられていくような気がした。
 師に出会ったよろこびに酔っていた愚かな自分を、筆先を刃(やいば)にかえて突き刺すのだ。
 いまこそ、本当の法然上人の真実に触れたのだ。その感激と自責の念で、思わず涙があふれてくるのを、綽空はとめることができない。
 幾夜ものあいだ、彼は一睡もせず、食事もとらず、ものに憑かれたように筆をすすめた。
--------- 
・エフェソの教会への手紙 2章4〜6節/ 8〜9節
 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。/ 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行ないによるのではありません。それは、だれも誇ることのないためなのです。
・マタイ18,12-14/ ルカ15,3-7
 ある人が羊を100匹持っていて、その1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、迷い出た1匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた99匹より、その1匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅ぶことは、あなたがたの天の父の御心ではない。

小沢一郎裁判=「官僚支配に従う者」と「国民主権を打ち立てようとする者」とを見分けるリトマス紙である

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リトマス試験紙
田中良紹の「国会探検」日時:2011年10月9日

 小沢裁判は、明治以来の官僚支配に従う者と、日本に国民主権を打ち立てようとする者とを見分けるリトマス試験紙である。裁判の結果とは別に、誰が官僚の手先で民主主義を破壊する者かがあぶり出される
 初公判での小沢一郎氏の陳述は、私がこれまで書いてきた事と軌を一にするものであった。私が書いてきたのは以下の事である。事件は政権交代を見据えてその推進力である小沢氏の政治的排除を狙ったものである。しかし十分な材料がないため捜査は無理を重ねた。目的は有罪にする事ではなく小沢氏の排除であるから、メディアを使って無知な大衆を扇動する必要がある。大衆に迎合する愚かな政治家が小沢排除の声を挙げれば目的は達する。
 民主主義国家における検察は、国民の代表である国会議員の捜査には慎重の上にも慎重を期さなければならない。それが国民主権の国の常識である。国家機密を他国に売り渡すような政治家や、一部の利益のために国民に不利益を与えた政治家は摘発されなければならないが、その場合でも国民が主権を行使する選挙の前や、政治的バランスを欠いた捜査をやってはならない。民主主義の捜査機関にはそれが課せられる。
 ところが一昨年、小沢氏の秘書が突然逮捕された「西松建設事件」は、政権交代がかかる総選挙直前の強制捜査であった。しかも政治資金収支報告書の記載ミスと言えるのかどうか分からないような容疑での逮捕である。これで逮捕できるならほとんどの国会議員が摘発の対象になる。そんな権限を民主主義国家が捜査機関に与えて良い筈がない。
 しかも捜査のやり方が極めて異常であった。かつて私が東京地検特捜部を取材したロッキード事件も奇怪な事件で、事件の本筋とは言えない田中角栄氏が逮捕され、国民は「総理大臣の犯罪」と思い込まされたが、それでも当時は手順を踏んだ捜査が行なわれた。ところが今回は国会議員に関わる事件であるのに検察首脳会議を開かず、「若手検事の暴走」という前代未聞の形での着手である。
 それほどの異常な捜査を新聞もテレビも追及する側に回らず擁護する側に回った。平均給与が全産業を上回るほど利益追求に走った新聞とテレビは、国税や検察がその気になれば、脱税などの犯罪で摘発される可能性があり、財務省や検察を批判する事など恐ろしくて出来ないからだろう。
 そして案の定、愚かな政治家が「政治的道義的責任」などと騒ぎ出し、国民生活のために議論しなければならない国会の審議時間を削るような事を言い出した。「国会で国民に説明責任を果たせ」と言うのである。そんな馬鹿な事を言う政治家が世界中にいるだろうか。「説明責任(アカウンタビリティ)」とは会計用語であり、国民から預った税金の使い道について「官僚には説明する責任がある」という意味である。
 前にも書いたが、アメリカのクリントン大統領には「ホワイトウォーター疑惑」と呼ばれるスキャンダルがあった。アーカンソー州知事時代に不動産業者に便宜を図って違法な献金を受けた疑惑である。事件が発覚した後に自殺者も出た。特別検察官が選ばれて捜査が開始された。しかしクリントン大統領に「議会で国民に説明しろ」などという声は上がらない。議会が喚問したのは検察官である。議会は行政府をチェックするところであるからそれが当たり前だ。説明責任があるのは政治家ではなく検察官僚なのである。それが日本では逆転している。
 日本の捜査機関は国会に呼ばれてもろくに答弁しない。「捜査中につきお答えできない」で終わる。サリン事件が起きた時、日本の警察は国会でそう言って答弁を拒否したが、同じ頃にアメリカ議会ではFBI、CIAが議会に喚問され、アメリカ国内でのオウム真理教の活動について捜査内容を証言させられた。そのビデオテープを自民党議員に見せたら「うらやましい」と言った。日本の国会は行政府に舐められているのである。
 「ホワイトウォーター疑惑」に関わったとされるヒラリー夫人は大陪審に喚問されて証言した。しかし議会には喚問されない。司法が追及している時に、議会が同じ事をやる意味はないし、議会にはそんな暇もない。ところがこの国では不思議な事が続いてきた。何かと言えば「国会で証人喚問しろ」と言うのである。それがどれほど意味のないバカバカしいパフォーマンスであるかを、政治家はイヤというほど見てきた筈だ。
 ところが今回も野党の党首クラスが揃いも揃って「証人喚問」などと騒いでいる。全く学習効果のない哀れな連中である。ロッキード事件以来続けられてきた「政治とカネ」のスキャンダル追及ほど民主主義政治の足を引っ張ってきたものはない。国民の税金の使い道を徹底して議論しなければならない予算委員会で、日本の政治は肝心要の事をやらずに政治家のスキャンダル追及に力を入れてきた。大衆に気に入られたいためである。
 下衆(げす)な大衆は権力者の凋落を見るのが何より楽しい。それが自らの生活を貶める事になるとは思わずに「やれ、やれ」となる。直接民主制であった古代ギリシアでは有能な政治家ほど大衆から妬まれて追放された。偉大な哲学者ソクラテスは愚かな大衆から死刑判決を受けた。ギリシアの民主主義は長く続かなかった。民主主義は厄介なもので、大衆が政治や裁判を直接左右すると民主主義は潰れるのである。それが歴史の教訓である。
 明治以来の官僚支配の背景にも官僚勢力とメディアによる大衆の扇動があった。政党政治家の原敬が暗殺され、反軍演説をした斉藤隆夫が衆議院から追放され、田中角栄が「闇将軍」となった背景にもそうした事情がある。
 小沢陳述はそうした過去にも触れつつ、検察権力の横暴と議会制民主主義の危機を訴えた。しかしそれに対するメディアの反論は、「検察が不起訴としたのに検察を批判するのは筋が違う。起訴したのは検察審査会だ」とか、「4億円の出所を言わないのはおかしい」という瑣末なものである。
 すべての問題の発端を作ったのは検察で、目的は小沢氏の政治的排除にあるのだから、そもそも不起訴にして大衆の扇動を狙っていた。従って乗せられた方ではなく乗せた方を批判するのは当然である。また自分の財布の中身をいちいち説明しなければならない社会とはどういう社会なのか。それが違法だと言うなら、言う方が違法性を証明しなければならない。それが民主主義社会のルールである。「政治家は公人だから」と言ってあらゆる責めを負わせるのは、国民主権を嫌う官僚の昔からのやり口である。
 ともかく初公判後の記者会見で小沢氏は検察とメディアに対し闘争宣言を行なった。潰れるか潰されるかの戦いを宣したのである。検察もメディアも引けないだろうが、不起訴処分にした検察は既に一歩後ろに退いており、前面に立つのは司法とメディアである。
 行政権力の手先だと世界から見られている日本の司法とメディアがこの戦いにどう対抗するのか。小沢氏を潰そうとすればするほど、民主主義の敵に見えてくるのではないかと私には思える。
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小沢一郎氏 初公判 全発言/『誰が小沢一郎を殺すのか?』2011-10-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 〈小沢元代表 初公判の全発言〉
 今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。
 指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。
 百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。
 また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。
 そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。
 贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。
 だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。
 それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。
 なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。
 それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。
 この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。
 オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
 それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
 おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。
 衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。
 議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。
 日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
 東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。まだ間に合う、私はそう思います。
 裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。
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民主党大会 小沢氏演説=この理念に沿った政治をこの国が渇望しないはずがない2010-09-15 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 民主党代表選に於ける小沢一郎氏演説
〈前段略〉
 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。
 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。
 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。
 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。
 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。
 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一縷の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。
 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。
 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。
 私は40代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。
 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。
 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。
 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。
 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、(※)地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。
 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。
 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。
 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。
 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。
 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。
 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。
 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。
 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代に松明を引き継ぎたいと思います。
 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。
 ※憲法第13条
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
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『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉
p47〜
 歴史が示すように、日本では政党政治は発展しなかった。しかも1世紀以上を経たいまなお、それはこの国にとって大きな問題であり続けている。だからこそ民主党は与党となっても悪戦苦闘を続けているのだ。政党政治が発展しなかったからこそ、軍事官僚が、当時の日本の10倍にも達する産業基盤を有する国アメリカを相手に戦争をはじめても、それに対して日本はなんら対処することができなかったのだ。
p48〜
 小沢氏をはじめとする改革派政治家たちはみな、彼らにこそ国家を運営する権利があり、義務があると信じている。官僚が国に滅私奉公する善なる存在であるなどと、彼らはもちろん考えてはいない。我々が一歩退いてみるとき、小沢氏のような政治家をつぶそうとするメカニズムは、近代国家の道を歩みはじめたばかりの当時の日本で、すでに機能していたことがわかる。つまり日本の近代化が推し進められるのとときを同じくして、政治家に対する陰謀も進行していったということだ。そして小沢氏こそ、この百数十年もの長きにわたり、連綿と続けられてきた陰謀の犠牲者にほかならないのである。
p50〜
 そして体制の現状維持を危うくする存在であると睨んだ人物に対して、その政治生命を抹殺しようと、日本の検察と大新聞が徒党を組んで展開するキャンペーンもまた、画策者なき陰謀にほかならない。検察や編集者たちがそれにかかわるのは、日本の秩序を維持することこそみずからの使命だと固く信じているからである。そして政治秩序の維持とは旧来の方式を守ることにほかならない。そんな彼らにとって、従来のやり方、慣習を変えようとすることはなんであれ許しがたい行為なのである。この種の画策者なき陰謀で効果を発揮するツールこそがスキャンダルである。そして検察や編集者たちは、そのような人物があらわれたと見るや、まるで自動装置が作動しているのではないかと思えるほどに、予想に少しも違(たが)わない反応を見せる。
p60〜
 欧米諸国を参考とした大日本帝国憲法もほかの法律も、専制的な権力から国民を守ることを想定したものではなかった。つまり日本の当局は欧米の法律を参考にしはしても、その「精神」を真似ることはなかったというわけだ。そして今日、もちろん不当なあつかいから国民を守るべきだという理念はあり、それが過去数十年で強められてきてはいても、現実には、それはいまなおきわめて曖昧模糊とした感情の領域に押しとどめられている。そのため大抵の日本人はいまだに、法律というのは単に政府が人々の行動を抑制するための手段なのだ、と見なしている。これに関して忘れてはならない事実がある。東京大学法学部というのは、日本の政治システムの最上部を占める高官を輩出することで知られているわけだが、その教授陣はいまだに法律を官僚が統治に利用する手段にすぎないととらえている。そして彼らはそうした視点に立って、学生に教え続けているのである。要するに、時代が変わったとはいえ、法律は権力エリートが用いるツールであるとする見方は、日本では以前とまったく変わっていないということなのだ。
 また日本の官僚たちの間では、自分の目的を達成するために、法律のなかから適切なものを選び出すという習慣が長いこと続いてきた。そして自分たちの計画が法律の文言に抵触しかねない場合は、実に巧に新しい解釈を考え出す。このように日本では、法律というのは当局にとって、あくまでも秩序を維持するためのツールでしかない。そのため、国民みずからが与えられているはずの権利を政治システムの上層部に対して主張する目的で、法律を利用するよう奨励されているなどということは決してないのである。
p64〜
 1960年代と70年代に日本の政治、そして権力構造について研究していた時期、私はそのようなやり方が繰り返し行われていることに気づいた。だからこそ日本の政治・経済について初めて執筆した著書〔『日本/権力構造の謎』〕のなかで、「法を支配下におく」という1章を設けたのだ。
 私はそのなかで、権力者の独り歩きを可能にするような方法で、日本では法律は支配するのではなく、支配されているのであって、この国の権力システムにおいて、法律は政治に関して許容すべきこととそうでないことを決定づける基準にはなっていない、と説いた。すなわち独り歩きをする日本の権力システムに対して、異議を唱え、改革を加えようとする者を阻止するような仕組みがある、ということだ。本書のテーマに当てはめて解説するならば、小沢氏のような野心的な政治家、あるいは彼のように改革を志す政治家が将来何人あらわれようと、現体制はあくまでそれを拒むというわけだ。
 いま、小沢氏の政治生命を抹殺しようと盛んにキャンペーンが繰り広げられているのも、これによって説明がつく。
p65〜
 99・9%という「無謬」
 中立的な権威としての法律を日本の政治システムから遠ざけておくやり方はそのほかにもいくつかある。法律が非公式な政治システムに対して、なんら影響をおよぼすことが許されないとしたら、ではなにがシステムをつかさどっているのか?。それは暗黙の了解事項、つまり不文律であり、記憶のなかで受け継がれる古い習慣だ。裁判官もまた体制に大きく依存している。最高裁事務総局に気に入られるような判決を下さなければ、地方に左遷されかねないことを、彼らは考えないわけにはいかない。戦前、戦後を通じて日本の裁判官たちは、法務省のトップクラスの検察官を恐れてきた。これが99・9%という人間の検察の有罪判決率を可能にした理由の一つである。
 つまり、みずから裁判にかけたケースで99・9%の勝利をおさめるに日本の検察は、事実上、裁判官の役割を果たしているということになる。つまり、日本ではわずか0・1%、あるいはそれ以下に相当するケースを除いては、法廷に裁判官がいようといまいと、その結果に大した違いはないということだ。
p68〜
 しかし日本に関してもうひとつ気づいたことがある。それは社会秩序を傷つけかねないどんなものをも未然に防ぐという検察の任務が、政治システムにおいても重視されているという事実だ。当然、そのためにはシステムの現状を維持することが必要となる。問題は、現状をわずかでも変える可能性があると見れば、どんな人間であっても既存の体制に対する脅威と見なしてしまうことである。そのような姿勢は当然のことながら、小沢氏のみならず、日本という国家そのものにとっても望ましいものではない。なぜならば多くの日本人は長い間、権力システムの改革が必要だと考えてきたからだ。後述するが、自民党と日本の秩序をつかさどる人々との間には、一種、暗黙の了解のようなものがあり、それが50年にわたって保たれてきたのだろう。そして自民党が政権の座を追われたいま、単に自民党とは行動の仕方が違うという理由で、体制側は民主党を、小沢氏という個人とともに、脅威を与える存在と見ているのだ。
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〈来栖の独白〉
 田中良紹氏の「試験紙」は、小沢一郎氏についての私が読んできた論評の類のなかで、最も端的、秀逸である。一言の過不足もない。小沢氏の裁判(沙汰)について語るとき、ロッキード事件を踏まえているか否かで、論評の出来が違ってくる。無論、田中良紹氏のそれの素晴らしさは、「ロッキード」だけではない。
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『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉2011-07-30

楽天・山崎が退団/中日・平田は6年目で初の2けたHR〜落合さんが丹精した果実。たわわに実った。

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楽天・山崎が退団…中日電撃復帰も
サンケイスポーツ2011.10.10 05:04
 不惑の大砲、涙の別れ−。楽天は9日、山崎武司内野手(42)が今季限りで退団すると発表した。2005年の球団創設時から、主砲としてチームを支えてきたベテラン。球団はコーチ就任を打診したが、山崎は現役続行を希望して辞退。10日のロッテ22回戦(Kスタ宮城)に出場し、慣れ親しんだ仙台に別れを告げる。
 4−3で勝利したロッテ戦後に急遽、開かれた退団会見。ガキ大将をそのまま大きくしたような、やんちゃな42歳、山崎の瞳から大粒の涙がこぼれた。
 「いつかは、こんな日がくるのは分かっていた。いい夢を見させてもらって、みんなにありがとう、と言いたい。間違いなく、この仙台にきてよかった、と思います」
 8月には史上17人目となる400本塁打を記録したが、2年契約の2年目となった今季は右手薬指の骨折や足の故障にも悩まされ、打率・227、11本塁打、48打点と低迷。若返りを図るチーム方針もあり、来季の構想から外れた。
 05年の球団創設時からチームを支えてきた功労者に対し、球団はコーチ就任を打診していたが、あえて現役続行を選んだ。10日のロッテ戦を楽天でのラストゲームとし、他球団からのオファーを待つ。
 「自分の心の中の火を消そうとしたが、消えなかった。リスクはあるが挑戦して、納得した上で今後を決めたい。悔いはあるよ。だから続けるんだ」と意欲も十分。東北のファンから愛された主砲が、杜の都を去る日がきた。(桜木理)
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楽天山崎、仙台に別れの一打 涙のヒーローインタビュー
 「代打・山崎」が告げられると、楽天ファンの万雷の拍手が球場を包んだ。10日、Kスタ宮城でのロッテ戦七回1死無走者。今季限りで退団して現役続行を目指す42歳に、特別に用意された1打席。ベテランは痛烈な中前打で仙台に別れを告げた。
 楽天が新規参入した6年前から主軸としてチームを引っ張ってきた。2004年オフにオリックスを戦力外になった男は07年に2冠王となり再び輝いた。「仙台ではいいことしかなかった」。最後となったお立ち台で「こんなに寂しいヒーローインタビューは初めて」と涙を流した。
 後輩たちの胴上げで宙を舞い、最後の挑戦への一歩を踏み出した。
2011/10/10 19:18【共同通信】
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中日が先勝!平田は6年目で初の2けたHR
2011.10.10 20:34
 快音とともに、美しい放物線がバックスクリーンへと描かれた。首位攻防第1ラウンド、落合監督の秘蔵っ子が号砲を鳴らした。平田の先制2ランにナゴヤドームが震撼した。
 「とにかく先制点が欲しかったので、次につなげようという気持ちで打席に入りました。打った瞬間に入ったかなと思ったのですが、一生懸命走りました」0−0で迎えた二回だった。二死から右前に弾き返した谷繁を一塁に置いて、カウント2−1からの4球目。真ん中付近にきた130キロシュートを見逃さなかった。持ち前のフルスイングで10号2ラン。1日の阪神戦(甲子園)以来、8試合ぶりの一発で先手を奪った。
 入団6年目にして、初めて本塁打数を2けたに乗せた。大阪桐蔭高3年の時、右肩を痛めていた平田を回避し、履正社の岡田貴弘(T−岡田、現オリックス)獲りへ動こうとする球団に“待った”をかけたのが指揮官だった。
 五回には二死一、三塁から、井端が左翼線を破る適時三塁打で追加点。「ストライクは全部いこうと思った」と話した。攻撃陣の勢いが戻ってきた。投げては山井が7回無失点で3勝目(2敗)。球団史上初の連覇へ。投打がかみ合い、ヤクルトとの4連戦の初戦を獲った。
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〈来栖の独白〉
 楽天・山崎選手、ありがとう。スポーツ選手は咲く花のようだ。
>自分の心の中の火を消そうとしたが、消えなかった。リスクはあるが挑戦して、
 ひたすらだ。いのちの限りに咲く。ゆえに私も心を込めて、その「ひたすら」と「潔さ」を見る。愉しむ。
 高木(次期)中日監督は、山崎をとるだろうか。「OB野球」などという御仁だから、呼ぶかもしれぬ。山崎は星野監督の時代に追われてオリックスへ行き、楽天へ渡った。そして今、再び星野楽天から戦力外の通告を受けた。
 中日落合さんは、多くの選手を育てた。平田も、その一人。若い人が育ってきた。彼らが中日を勝たせている。落合さんが丹精した果実だ。たわわに実った。これを、凡庸な年寄り高木が相続する。高木には取り立てて才能もセンスもないが、落合さんから受け継ぐ果実によって、Aクラスに留まることができるかもしれない。
 本日の対ヤクルト戦。4連戦の初日。勝ってよかったが、浅尾を使いすぎてはいないか。きょうは、岩瀬を使うべきではなかったか。長い連戦。大事に使っていかねば・・・。どこかで1日くらいは負けも覚悟して、投手のやりくりも大切だ。
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落合監督退任報道に中日ファンは怒り心頭/高度な理論の落合野球/高木次期監督はしばらく黙ってろ!2011-10-06 | 野球・・・など
落合博満監督 退任/落合さん・小沢一郎さんがいなくなることは、プロの仕事師がいなくなること2011-09-23 | 野球・・・など

死刑囚の家族もまた被害者になりうる/『いや、ここには死刑はいらない』と言える社会の一つひとつの存在

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死刑囚の家族「自分の経験を伝えてもらいたい」
2011-10-10 15:00 エティエンヌ・シュトレーベル, swissinfo.ch
 死刑囚の家族もまた被害者になりうる。あるスイス人フォトジャーナリストがそんな現実を目の当たりにした。
 10月10日は世界死刑廃止デーだ。ファビアン・ビアシオ氏はアメリカ、テキサス州の「死刑の首都」で2004年に執行された死刑を思い起こす。
 「死刑に関わるルポを書きたかった」。2004年にテキサスへ渡った動機をビアシオ氏はそう語る。
 だが渡米後まもなく、ビアシオ氏はこの地で歓迎されていないことに気がつく。「刑場へも死刑囚棟へも足を踏み入れることはできなかった」。ハンツビル(Huntsville)はテキサスの「行刑首都」だ。この州の死刑はすべてここで執行される。
 その後、ある囚人の訪問者リストに名前を連ねることができ、なんとか死刑囚棟の面会室に入り込むことができた。そのときジェームス・コルバーンさんの妹、ティナ・モリスさんと知り合った。「ティナは私の隣に座っていた。兄を訪ねて来ていたんだ。死刑執行日の前日だったが、その執行は延期された」
もう一つの被害者家族
 ビアシオ氏は、ティナさんが何か特別な話を聞かせてくれるかもしれないと思った。死刑はもう一つの被害者家族を生み出す。その家族とは加害者の家族だ。「加害者は被害者の家族に大きな苦しみをもたらした。そして今度は、国が加害者の家族に大きな苦しみをもたらす」とビアシオ氏は説明する。
 彼はこのルポを「ある死刑執行の日記」と呼ぶ。その中に収められた写真が、兄ジェームスさんの死刑執行1週間前のティナさんの姿を写し出している。「私は写真家であるだけでなく、彼女の随伴者であり運転手でもあった」とビアシオ氏は言う。
 その1週間、ティナさんにとって家族の存在は大きかったが、死刑囚棟を最後に訪問したときは、家族の誰1人としてそばに寄せつけないほどティナさんは打ちのめされていた。「家族はあまりにも近すぎた。自分の息子やパートナーに打ちのめされている自分の姿を見られるのが嫌だったんだと思う。だが、私の存在はまた別だった」とビアシオ氏は分析する。
 「ティナ、君がまいっている写真、君が泣いている写真も撮るよ」。ビアシオ氏は事前にそう伝えていた。「彼女はそれに同意していた。自分の経験をほかの人に伝えてもらいたかったんだ」
「2回目は死んでいた」
 ジェームスさんは統合失調症だった。「ジェームスが殺人を犯したのはその病気のせいもあった。彼はある女性を料理包丁で刺し殺したんだ」。ビアシオ氏はティナさんのその兄ジェームスに2回しか会っていない。
 「1度、死刑囚棟で30秒ほど受話器を持ち、ガラス越しに話をした。本人が面会を求めたのでなければ基本的に話はできないため、とても短い会話しかできなかった。2回目に会ったとき、ジェームスはもう死んでいた」
 死刑囚棟での面会は常に防犯ガラスで遮断されている。家族との対面も例外ではない。「実際に体に触れることができるのは死刑が執行された後。最後の抱擁も握手もできない」
委託による致死
 アメリカには死刑廃止に関心のある人はほとんどいないとビアシオ氏は言う。オバマ大統領もそうだ。「そうすれば多くの票を失う。死刑反対を表明しているのは小さな人権団体だけだ」
 一方、ヨーロッパで死刑を執行しているのはもはやベラルーシ1カ国のみ。アメリカにはなぜヨーロッパのように死刑を排する気運がないのだろう。ビアシオ氏は「宗教的な理由が多くを占めていると思う。目には目を、歯には歯をという旧約聖書の考え方がアメリカ人の精神に深く根ざしている」と推測する。
 ビアシオ氏はまた、国が執行する死刑は「委託による致死」だと言う。「最終的に判決を実行に移すのは2人の死刑執行人だ。身元を明かされない2人が、隣の薄暗い部屋でそれぞれ一つのボタンを押す。そのうちの一つが薬物注射のメカニズムを作動させ、死刑囚に薬液を注入する。別のボタンはダミーでそのメカニズムに接続されていない」。つまり、どちらが刑を執行したのかわからない仕組みになっている。
 ビアシオ氏は、そもそも社会を機能させるための対策として死刑を認める。「だが、誰もが自己を改善するためのチャンスを与えられるべきだということは往々にして忘れられてしまう」
残る思い出
 「あのとき、心理的な苦しみは身体的な痛みをも引き起こしうるということを学んだ。あの一週間のティナほど苦しんでいる人間を見たことがない。それは私にとってもショックだった」
 チューリヒ近郊の町ヴィンタートゥール(Winterthur)で写真展を開催した際、ビアシオ氏はティナさんと再会した。ジェームスの死刑執行1年後のことだった。「彼女はギャラリーで写真を、自分の経験を見ていた。それは信じられないくらい強烈な時間だった」
 ビアシオ氏は「テキサス州ハンツビルの生と死(Leben und Sterben in Huntsville, Texas)」をインターネット上で見られるスライドショーに作り直した。「ティナはそれを毎日見ている。あの死刑執行は彼女の人生の一部だ。彼女はこのトラウマとともに生きていかなければならない」
計り知れない苦しみ
 複数の調査で、加害者の死刑執行後も犠牲者の家族の心理状態はあまり改善されないことが明らかになっている。そのためアメリカでは、殺人の犠牲者の遺族が協会を作り、死刑反対を訴えている。
 「国家権力による暴力の独占をこんな残虐なやり方で行えば、社会は野蛮化すると思う」とビアシオ氏は危惧する。
 「自分のどこか奥深くで、死刑は間違っていると思っている。2010年に死刑再導入についてスイスで論議が起こったときは少し心配だった。何かひどい事件が起こりでもしたら、スイスではきっと過半数が死刑に賛成するに違いないからだ」
 ビアシオ氏はテキサスで、死刑が計り知れない苦しみをもたらすのを目の当たりにした。「その責任を持ち、『いや、ここには死刑はいらない』と言える社会の一つひとつの存在をうれしく思う」
 (独語からの翻訳、小山千早)
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◆ マタイによる福音書5、38〜
  “目には目を、歯には歯を、と命じられている。しかし、わたしは云っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。(略)求める者には与えなさい。あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは云っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。(略)あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい”

犯罪とゆるし アーミッシュの寛容
 自動車や電気を拒み、非暴力を貫く米国のキリスト教の一派、アーミッシュ。06年秋、彼らの学校を男が襲い、女児5人を射殺した。惨劇の直後、彼らは自殺した犯人の家族を訪ね、「ゆるし」を伝える。不寛容が襲う世界を驚かせた行動は何を教えるのか。ノン・フィクション作家、柳田邦男さんと、米国の研究者、ドナルド・クレイビルさんが語り合った。(

The Death Penalty 死刑の世界地図

東海テレビ「死刑弁護人」 / 小沢氏「僕の支持者は微動だにしない。お天道様がちゃんと見てるよ」

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〈来栖の独白2011/10/12Wed.〉
 10月10日0時45分からの東海テレビ「死刑弁護人」(安田弁護士の人間像に迫る)を見た。劣悪な放送時間帯につき、録画しておいて、お昼に見た。1時間45分ほどのドキュメンタリー。内容については、「安田さんの信条、生き方を是とする」とだけ述べるに留めたい。
 ここでは、番組の最終部分、「安田事件」が2審で敗訴となった、そのシーンを考えてみたい。安田裁判の報告会のシーン。岩井信さんの涙が止まらない。安田さん有罪判決を受けて、若い岩井さんの無念の涙がとまらない。。
 昔、「カトリック正義と平和協議会」死刑分科会に岩井さんをお呼びし、お話をお聞きしたことがあった。その頃、岩井さんはまだ弁護士ではなかった。「弁護士を目指して勉強しています」と言われ、安田さんのところへ出入りして、安田弁護士を敬愛している気配がうかがわれた。やがて首尾よく弁護士登録され、安田さんと同じ感性で活動されるようになった。
 その岩井さんが、ビデオで、泣いていた。ご本人の安田さんはと云えば、にこやかな笑顔である。周囲への気遣いもあるのかもしれないが、禁固刑でもないのだから、弁護士としてやっていくには別段支障ない。明るい、やさしい笑顔である。
 さかのぼれば、安田弁護士逮捕の理由は、オウム真理教松本智津夫被告(当時)の裁判(審理)引き伸ばしに業を煮やした当局が仕組んだものだった(安田さんたちは「はめられた」と表現した)。ことほど左様に、安田弁護士は社会を敵に回すような重大事件を多く担当するゆえに、数々の嫌がらせ、バッシングに曝されてきた。普通の神経ではもたないような人物破壊構造である。怒り心頭に発した安田さんは「チクショー」と記している(獄中メモ)。
 が、2審判決を受けての安田さんは明るい。いかなる逆境にあっても、自分はやましい生き方はせず、そして自分を信じてついてきてくれる仲間がいる。これが、笑顔の理由ではないか。
 いま一度、私は、岩井さんの泣き顔を思い出す。いい顔だ。人が人のために泣く、とてもよいことだ。人のために悲しんだり、喜んだりすることが、だいじだ。人間らしい行為だ。私はキリスト者だが、このように書くとき、けっしてパウロの言葉〈ローマ人への手紙12章15節〉の勧めに依拠しているのではない。自然に、そう感じて書いている。
 附記しておくが、安田さんの2審判決の前日が、光市事件の差し戻し2審判決の日であった。この期日を私は極めて意図的、作為的なものと受け止めている。裁判所の期日指定は決して偶然に任されてはいない。当局はすべてを用意周到にやる。そのように感じた。
 小沢一郎さんは、検察・裁判所・メディア、加えて政治家たちにより、政治生命すら危うくされるほどの厳しい状況が長年にわたって続いている。しかし、氏は、御自分を保っている。氏自身の精神の強靭さもあるだろうが、氏を理解し、信じて、ついてゆく人がいる。そのことが、氏を絶望から護っているのではないか。
 そういえば、親鸞さんは、「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」(たとえ法然上人に騙され、お念仏して地獄に落ちたとしても、私は決して後悔はいたしません)と、歎異抄に云う。「何をやってもダメな私。地獄へ行くのは決まっているようなもの」との諦念はあっただろうが、それ以上に、師法然に寄せる深い信頼が、「法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも」と言わせたのではないか。「地獄におちたりとも」・・・これは、すごい。並みの人間関係で言える言葉ではない。
 安田さんや小沢さん、そして親鸞さん。このような人間関係に身を置くとき、幸せな人生といえるのではないだろうか。泣く岩井さんの顔も、慈しみに満ちた安田さんの顔も、実によかった。
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「死刑弁護人」安田好弘弁護士の人間像に迫る/東海テレビ 2011/10/10/00:45〜2011-10-08 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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平成15年12月24日宣告 平成10年刑(わ)第3464号 強制執行妨害被告事件 東京地方裁判所刑事第16部《川口政明,早川幸男,内田曉》 被告人 安田好弘
強制執行妨害罪・安田好弘被告に逆転有罪
 2008年4月23日14時0分配信 産経新聞  
 旧住宅金融専門会社(住専)の大口融資先だった不動産会社に資産の差し押さえを免れるように指示したとして、強制執行妨害罪に問われた弁護士、安田好弘被告(60)の控訴審判決公判が23日、東京高裁で開かれた。池田耕平裁判長は、1審東京地裁の無罪判決を破棄し、罰金50万円(求刑懲役2年)の逆転有罪を言い渡した。
 判決によると、安田被告は、不動産会社社長(72)=懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決確定=らと共謀し、同社の所有するビル2棟の賃料の差し押さえを免れるため、平成5年3月〜8年9月、ビルをダミー会社に転貸したように装い、計約2億円を隠した。
 安田被告が、ビルを別会社に転貸して賃料を移し替えるというスキームを考案したことには争いはない。控訴審では、このスキームが強制執行を免れる目的で提案されたものか否か▽社長らとの共謀の有無−などが争われた。
 検察側は、安田被告が提案したビルの転貸は「結果的に強制執行妨害を生じさせることは明らかで違法」と指摘。共犯者の供述などからも「共謀が認められる」と主張していた。
 一方、弁護側は1審の約1200人を大きく上回る約2100人の弁護団を結成。1審同様に「事件は捜査当局が作り上げたもの」などと無罪主張していた。池田裁判長は、共犯者の供述内容を認めた上で、「幇助(ほうじょ)犯にとどまる」と判断した。
 1審判決は、安田被告との共謀を認めた共犯者らの供述を「信用できない」と判断。「スキームは適法な再建策。強制執行逃れの指示ではない」として無罪を言い渡した。
 安田被告は、22日に広島高裁で死刑判決が言い渡された山口県光市の母子殺害事件など多くの刑事事件で弁護人を務めているほか、死刑廃止運動の中心的存在としても知られる。
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所謂事件名『光市母子殺害事件』差し戻し控訴審判決文要旨 2008年04月22日 広島高裁 楢崎康英裁判長 言い渡し    

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小沢氏「僕の支持者は微動だにしない。お天道様がちゃんと見てるよ」2011-01-18 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

       
 小沢元代表「僕の支持者は微動だにしない」
田中龍作ジャーナル 2011年01月18日
 小沢一郎元代表。熱燗を啜りながら政治哲学を語った。この日も適量の2合を飲んだ。
小沢一郎元民主党代表が17日、都内の料理屋でフリー記者らと懇談した。記者クラブメディアや菅執行部が「離党」「議員辞職」と喧しいなか、小沢氏は政治や人生を縦横に語った。
 筆者は懇談会・開始時刻の夕方6時より数分前に会場の料理屋に着いた。小沢氏はすでに来ていて、先着のフリー記者らと冗談を言い合っていた。マスコミが喧伝する倣岸不遜さはかけらもない。
 ジャーナリストの江川紹子氏が「これだけ叩かれても頑張ることができるのはどうしてか?」と尋ねた。
 小沢氏は「それは支持者がしっかりしているから。僕の支持者は微動だにしない」と話し、マスコミに右顧左眄する最近の政治的風潮を嘆いた。
 「民主主義の基本は選挙」が小沢氏の政治哲学だ。民の声を政治に反映させる最大の機会が選挙なのである。
 若かりし頃の小沢氏は国会会期中、選挙区に帰らなかったという。その代わり夏休みは2ヶ月間ベタッと張り付いて有権者の家を一軒一軒訪問したのである。
 小沢氏は自民党幹事長時代、鶴田浩二の「傷だらけの人生」がオハコだったそうだ。
♪何から何まで真っ暗闇よ。筋の通らぬ事ばかり。右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の絡み合い。どこに男の夢がある。♪
 「今の永田町こそ、この鶴田浩二の歌がぴったりじゃないですか?」と筆者は聞いた。
 「お天道様がちゃんと見てるよ」。強制起訴だ、離党勧告だと騒がれても平常心を失わない小沢氏の姿勢を象徴する言葉だった。

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