オウム公判終結:あの時…/1 「信者は加害者で被害者」
地下鉄サリン事件から16年、「狂気の果て」に27人の命を奪った一連のオウム事件の全公判が21日、終結した。教団の「凶行」は坂本堤弁護士一家殺害事件を起こした22年前から外に向かい、拠点を構えた場所では周辺住民との間で常にトラブルが絶えなかった。「宗教の自由」というハードルを抱えた難しい捜査、反省を深める元信者への「極刑」の宣告。教団と関わらざるを得なかった人たちは何を思い、どう踏み出したのか。「あの時」を追った。
◇なぜ凶暴化、今も疑問に−−旧上九一色村住民代表・竹内精一さん
89年。オウム真理教は山梨県上九一色村富士ケ嶺地区(現富士河口湖町)に進出した。竹内精一さん(83)は翌年、地区でオウム真理教対策委員会を作って反対運動に取り組み、毎日見回りをした。ほとんどの幹部に会い、大勢の信者や家族と接した。逃げてきた信者をかくまって家に帰るよう説得し、旅費を貸して駅まで送った。わずか1日で教団に連れ戻されたこともある。「ショックだった。オウムはとてつもなくしつこい集団だった」
◇
サリンを製造したとされる第7サティアンの解体(98年12月)を最後に村内の教団施設は全て取り壊され、表面上は富士山を望む静かな土地に戻った。第2、3、5サティアンがあった「第一上九」跡地(約7000平方メートル)は町営公園になった。
ここで殺害された信者がいた。片隅に慰霊碑が建っている。だが、碑には何も書いていない。何が起きた場所か分からないのが不満だ。今年の春、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚がいた第6サティアン跡地に10人くらいが来ていた。古い信者が新しい信者に「聖地」を見せているようだった。
数年前、東京都世田谷区の教団施設を訪ねた。「事件の時、私たちはいなかった」と若い信者が話していた。いまだに教団が残っていることに戸惑う。オウムが何をやったのか、信者自身が知らないのはよくないと思う。
裁判では長い割に真実があまり出てこなかった印象だ。どうして凶暴な集団になり、なぜあんなことをしたのか。そこが一番知りたかった。それが分からなければ今の信者はなかなか抜けていかないのではないか。
松本死刑囚が語らないのは、意気地がないんだと思う。松本死刑囚と上九一色村長の面談に同席したことがある。さんざん私の悪口を言った後、私が名乗るとしどろもどろになった。彼は逮捕された時も現金を枕元に置いて隠れていた。「こんな情けない男と戦っていたのか」と失望した。教祖としての価値がなかったということだ。
オウムには顔写真を撮られて脅され、電話を盗聴された。もしかすると、自分も殺されていたかもしれない。どんな理屈をつけてもオウムは国民にとって加害者だが、松本死刑囚や一部の幹部を除いて、信者は加害者であると同時に被害者でもあると感じる。会ってみると、ほとんどの信者はひどい人間とは思えなかった。将来の戒めのためにも、せめて幹部には裁判で全て語ってほしかった。【聞き手・長野宏美】=つづく
◇たけうち・せいいちさん
山梨県上九一色村富士ケ嶺地区(現富士河口湖町)の農家。教団撤退を求めて同地区オウム真理教対策委員会副委員長を務めた。名前や顔を出して教団を追及し、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚から「村民を反オウムに駆り立てた」と名指しされる。信者に脱会を呼びかけ、脱会を願う信者の家族らと手紙のやりとりを続けた。
毎日新聞 2011年11月22日 東京朝刊
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オウム公判終結:あの時…/2 警察、裁判に歯がゆさ
◇日本脱カルト協会理事、弁護士・滝本太郎さん
オウム真理教と対峙(たいじ)した20年余はあっという間だった。
教団との関わりは坂本堤弁護士の「失踪」がきっかけ。司法修習生の時から、私が加わっていた医療訴訟弁護団などに出入りしていた坂本弁護士とは、よく酒を酌み交わした。情熱家で愛嬌(あいきょう)があって、好漢だった。
89年10月、坂本弁護士から「オウム真理教のこと、一緒にやってもらえませんか」と相談を持ちかけられた。目的は信者救出だからやっかいだと思い、断った。しかし翌月、「一家が失踪した」と聞いて、悔やんでも悔やみきれなかった。オウムの仕業と確信し、仲間の弁護士らと警察に要請したが、神奈川県警はまともに動かなかった。
95年1月に「オウム真理教家族の会(旧・被害者の会)」の永岡弘行会長が猛毒のVXをかけられた事件でも警視庁は当初、自殺未遂だと判断した。私にスミチオンという農薬の入った湯飲みのにおいまでかがせ、「これで自殺を図った」と言い張った。この時、警察がしっかり動いていたら、地下鉄サリン事件も起きていなかったはずだ。
裁判も歯がゆい思いがした。麻原(松本智津夫死刑囚)の公判では1審弁護団が初公判で本人の起訴内容の認否を妨げた。2審弁護団は期限までに控訴趣意書を出さず裁判を終わらせてしまった。元幹部の裁判でも審理を急ぐあまり、マインドコントロールや薬物使用の実態が明確にされなかったのは残念だ。
いま再び(後継教団の)「アレフ」や「ひかりの輪」に入信している若者たちがいる。入信者は「現在の教団は悪いことをしていない。いい人ばかり」というが、オウム事件は「いい人が、いいことをするつもりで人をあやめた事件」であることを忘れてはいけない。再び同じ悲劇は起こりうるのだ。
死刑が確定した元幹部7人に、上告中に面会した。林泰男死刑囚は礼儀正しい好青年だった。早川紀代秀死刑囚も「宗教好きのただのおじさん」。そうした元幹部らが再び、拘置所内で孤独を強いられている。せめて拘置所の単独室内で花を栽培させるなど、現実感覚と命の大切さを実感させてほしい。
元幹部を死刑にすることで喜ぶのは、麻原だけだ。麻原は弟子を含めた他人と社会を破壊したかったのだから。麻原を除く12人の死刑を執行しないよう訴え、信者をゼロにするための活動を続ける。それこそが「信者を含めた弱者の救済」に奔走した坂本弁護士への供養になると考えている。【聞き手・伊藤一郎】=つづく
◇たきもと・たろう
94年5月、オウム真理教に絡む民事訴訟に出廷するため甲府市の甲府地裁に出向いた際、駐車場に止めていた車にサリンをまかれ中毒症状を起こした。95年6月に脱会信者の立ち直りを目的とした「カナリヤの会」を結成。現在も支援活動を続ける。毎年9月、坂本弁護士一家の遺体が発見された現場で供養を続け、命日の11月には鎌倉の墓に参る。日本脱カルト協会(JSCPR)理事。弁護士。54歳。
毎日新聞 2011年11月23日 東京朝刊
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オウム裁判:岡崎死刑囚から「司法取引」持ちかけられた
95年の地下鉄サリン事件発生時、東京地検次席検事として捜査を指揮した甲斐中辰夫弁護士(元最高裁判事)は、オウム公判終結について「真相解明と適正な刑罰を科す目的を達成でき、ほっとしているが、時間がかかりすぎた」と述べた。
「今、取り調べのやり方が議論になっているが、この事件はまさに取り調べで解明した事件。物証がほとんどないですから」と振り返る。その一方、「もっと早く何とかならなかったのか」との思いが残るという。
「一つ言えるのは坂本(堤弁護士一家殺害)事件。岡崎(一明死刑囚)が神奈川県警に早い段階でしゃべりかけた。坂本さんがいなくなってしばらくしてから。ただ、条件は『自分の刑を軽くしてほしい』と。でも(現行法制下では司法取引を)やっちゃいけないので応じなかった。その結果、岡崎はしゃべらなくなり、地下鉄サリンも起きた。僕らは後で知ったことですけど」
当時のことを明かした上で、こう述べた。「取り調べの可視化(録音・録画)をするなら司法取引、刑事免責は絶対必要だと思う。あの時に司法取引ができたら……」
毎日新聞 2011年11月22日 2時30分
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◆死刑でよい 岡崎死刑囚の執行停止を 岡崎死刑囚が再審を請求、オウム事件では初 オウムの岡崎死刑囚の再審請求、最高裁が棄却
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オウム公判終結:あの時…/3 捜査は「戦時態勢」で
◇元東京地検刑事部副部長・神垣清水さん
オウム真理教事件は「犯罪を超えた犯罪」だった。サリンや毒ガス兵器など、自衛隊の協力がなければ特定できなかった前代未聞の凶器。自分たちの国家を樹立するという教団の目的。従来の犯罪の枠を明らかに超えていた。テロというより“戦争”だった。
麻原(松本智津夫死刑囚)はある意味、天才だった。信者に家族や財産を捨てさせ、自分にすがるしかなくする。寝させない、食べさせない。薬物の投与。マインドコントロールによって、殺人を「ポア」という独特の教義で正当化し、戦争をするための土壌を作り上げた。
戦争は一度では終わらない。地下鉄サリン事件後も、駅のトイレで青酸ガスを発生させたり、東京都知事宛てに小包爆弾を送りつけたり。これほど捜査機関を連続的、波及的に挑発した犯罪集団はかつてなかった。
捜査機関もいわば「戦時態勢」。検察庁も37の地検が関わり、150人の検事を動員した。駆使した刑事訴訟法の罪名は約50に及ぶ。労働者派遣法、電波法、道路運送車両法。あらゆる法令を使い、信者を検挙した。平時なら「違法な身柄拘束」と言われかねない逮捕も、世論やマスコミからの異論はなかった。国民の安全を守ることが至上命令だった。
日本は平和ぼけしていたのだと思う。カルト集団の凶悪事件を経験していなかったこともあるが、過激派による事件も少なくなり、警備・公安部門の気の緩みもあった。諜報活動の懈怠やリスク管理の甘さを逆手に取られたのが、オウム事件だった。
地下鉄サリン事件から半年後の95年9月、新潟県の山中で坂本堤弁護士の遺体発掘の場に立ち会ったことを鮮明に思い出す。5年以上たっているのに、奇跡的に内臓などが残っていたため、身元確認と死因の特定につながった。現場は標高1000メートルの沢地。冬は凍結、夏もチルド(冷蔵)状態になるため、腐敗しなかったのが原因だったが、坂本さんの怨念を感じた。
東京地検特捜部から刑事部に異例の応援を取り、担当検事は「検察サティアン」と呼ばれた空き部屋の簡易ベッドで寝泊まりした。「何があっても責任は自分が取る」と言ってくれた上司。麻原への絶対的な帰依心を持っていた新実智光死刑囚と、とことん向き合って自白調書を取った部下。苦労を共にした“戦友”たちとは今も年に1度、懇親会を開いている。
検察史上に残る事件の教訓を、後輩たちが生かしてくれることを切に願う。【聞き手・伊藤一郎】=つづく
◇かみがき・せいすい
地下鉄サリン事件(95年3月)発生時の東京地検刑事部副部長。オウム真理教事件の検察捜査の中心人物として、常時60人の検事を指揮し、「身柄班」「裏付け班」「ブツ読み班」の差配に当たった。計7年に及ぶ特捜部時代には、ロッキード事件やリクルート事件にも携わった。最高検総務部長、千葉、横浜両地検検事正を経て、現在、公正取引委員会委員を務める。岡山大法学部卒。広島県呉市出身、66歳。
毎日新聞 2011年11月24日 東京朝刊
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オウム公判終結:あの時…/4 「拙速」裁判、真相隠す
◇松本智津夫死刑囚の1審弁護団長・渡辺脩さん
オウム真理教事件とは何だったか。一言で言うと「真相は闇の中」。検察も裁判所も、事件がなぜ起きたのかを調べようとしなかった。弁護団は、一宗教団体から起きた事件なのだから、宗教団体の活動が、どこから犯罪にとゆがんでいったのかを調べる必要があると主張した。だが、警察も検察も、殺人集団なのだから人を殺した点さえ立証すればいいという姿勢だった。
検察から、教祖の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚と実行行為を結びつける証拠は出なかった。メディアは、弁護人が無駄なことをやっていると言ったが、無罪推定の原則に例外を認めてはいけない。証拠がなければ無罪だ。弟子が事件を起こしたことには争いがなく、教祖としての社会的責任はあると思うが、刑事責任は別の話だ。
審理の過程で松本死刑囚とコミュニケーションが取れなくなった。原因ははっきりしている。月3〜4回の審理スピードが速すぎ、じっくりした打ち合わせができない。前の公判の尋問調書ができるのが次の法廷の前日で、打ち合わせ時間もない。毎日のように接見していたが、世間話の交じらない接見など、人間らしい接見にならない。彼も言いたいことがあっても言う暇もない。切迫したスケジュールの中で弁護団との信頼関係が壊されていった。
教団幹部の被告が証人に立ち、弁護人が尋問する時に、松本死刑囚は怒った。弟子がかわいいからだが、なぜ弟子に尋問をする必要があるかという打ち合わせも十分できなかった。それまでの関係は非常に良く、彼は弁護人の接見が楽しみだったと思う。だが、その後、自分で別の世界に入り込んでしまった。誰も信頼できなくなったからだろう。
裁判は(1審に)7年10カ月かかったが、それでも急ぎすぎた。「早く判決を出せ」というマスコミの騒ぎで、弁護活動は大幅に制限された。つくづく「これで法治国家か」と思った。17の訴因で起訴しながら、短期間で結審しろと要求してくるのは「争うな」という意味だ。処罰を前提にしている。
もし、裁判員裁判で松本死刑囚の公判が行われていたらと仮定する。公判前整理手続きで弁護人が整理に応じなければ、公判が開けない。そうなると、裁判所が取りうる唯一の措置は、国選弁護人を解任して、言うことを聞く弁護人を選ぶことだろうが、実質的なリンチだ。裁判は生き物であり、初めから型枠にはめるのは無理なのに、7年10カ月の裁判でもそれが行われてしまった。【聞き手・石川淳一】=つづく
◇わたなべ・おさむ
61年弁護士登録。95年10月、松本智津夫死刑囚の1審弁護人に選任され、12人の国選弁護団の団長を務めた。弁護団の多くが「子供が学校でいじめられる」などと実名公表を控える中、頻繁に記者会見を開いた。04年2月の死刑判決に対し即日控訴し、会見で「検察の主張を上塗りしただけの判決」と批判した。日弁連刑事法制委員会・裁判員問題検討部会副部会長。78歳。
毎日新聞 2011年11月25日 東京朝刊
オウム公判終結:竹内精一さん/滝本太郎さん/神垣清水さん/1審弁護団長・渡辺脩さん
「63年矯正局長通達」とオウム裁判終結後/ 死刑について、他人事とせず、自分のこととして考える
「1963年矯正局長通達」とオウム裁判終結後を考える
〈来栖の独白〉
今月11月18日、21日、オウム事件の上告審判決があり、オウム裁判は終結した。その少し前から、メディアは麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の再審請求の行方を報道していた。メディアとしては、裁判終結とともに松本死刑囚の死刑執行の近々の可能性を探ったのだろう。
裁判終結に伴って、オウム関連の報道記事が氾濫した。私の心に掛かったのは、被告の母親の姿であった。例えば次のような記事。
弁護士一家殺害審理終了:募るやり切れない思い
カナロコ(神奈川新聞)2011年11月19日
判決が言い渡された最高裁第2小法廷には中川智正被告の母(76)の姿があった。
傍聴席の最前列、死刑を告げる判決をじっと目を閉じて聞き、閉廷の際には小さな体を折り曲げ、正面におじぎをした。
覚悟して久しいことを示すように開口一番、「当然の結果です」と言った。
遠く西日本の地方都市から拘置所の息子への接見に向かい、その際には鎌倉・円覚寺の坂本弁護士一家の墓に参ることもあった。それでも救われない心。
この日も「たった一人の命ですが、少しでも償いになれば。でも、大勢の命を奪い、償いにはなりませんが」。自らに向けるように「わが子を(死刑で)失い、少しでもご遺族の気持ちに近づくことができれば」と静かに話し、タクシーに乗り込んだ。
オウム真理教家族の会代表の永岡弘行さん(73)は、1カ月前に中川被告と接見したことを明かした。「太ったなあ、表情が穏やかになったなあ、と声を掛けると、笑みを浮かべていた」
かつて自身の長男も入信。わが子を教団から取り戻す親たちの運動の先頭に立ち、中川被告の母とも行動を共にした。やがて母は「加害者の母」に。一方の永岡さんはVXガスで教団に殺されかかった。この日、目に涙をため「一連の事件を食い止められなかったわれわれ大人の責任。死刑判決に申し訳ない気持ちだ。お母さんにも掛ける言葉がない」とやり切れなさを募らせていた。
今回初めて、中川被告が私と同郷であると知った。岡山大学付属小中から名門朝日高校、そして京都府立の医学部へ進んだ。中川氏入信から逮捕・起訴、上告棄却と、中川氏のお母上には心の休まる日はなかったであろう。わが子が人を殺め、裁判にかけられ、死刑判決を受ける。これほど辛い母は、いない。遠く岡山の地から、わが子を案じて東京小菅へ通う。裁判は、人の心身を根こそぎ疲弊させる。
>「たった一人の命ですが、少しでも償いになれば。でも、大勢の命を奪い、償いにはなりませんが」
胸、裂ける思いで、このように云われたに違いない。これほどに悲しい母を私はこの世で知らない。
オウムの裁判が終結した今、メディアが旗振り役となって、国民の関心は死刑執行へと移った。これまでは、死刑確定しているといえども、未決の被告人と大差なかった。全員が確定するまでは死刑の執行はない。しかし全員が確定者となれば、死刑執行に対して完全に無防備となる。
加賀乙彦著『死刑囚の記録』から抜粋したい。少し古くて、1980年12月に書かれた<あとがき>である。
中公新書『死刑囚の記録』
ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は禁止すべきだということである。
死刑の方法は絞首刑である。刑場の構造は、いわゆる“地下絞架式”であって、死刑囚を刑壇の上に立たせ、絞縄を首にかけ、ハンドルをひくと、刑壇が落下し、身体が垂れさがる仕掛けになっている。つまり、死刑囚は、穴から床の下に落下しながら首を絞められて殺されるわけである。
死刑が残虐な刑罰ではないかという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。
たとえば1948年3月12日の最高裁判所大法廷の、例の「生命は尊貴である。一人の生命は全地球より重い」と大上段に振りあげた判決は、「その執行の方法などがその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」として、絞首刑は、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」などとちがうから、残虐ではないと結論している。すなわち、絞首の方法だけにしか注目していない。
また、1959年11月25日の古畑種基鑑定は、絞首刑は、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じないと推定している。これは苦痛がない以上、残虐な刑罰ではないという論旨へと発展する結論であった。
しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。
加賀氏は「死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。」と言う。
それに呼応するように(?)、行刑施設の管理運営上の指針ともいわれる1963年矯正局長通達「死刑確定者の接見及び信書の発受について」(「63年通達」)は、確定死刑囚処遇の基本を次のように言っている。
「罪の自覚と精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるように配慮すべきであるので処遇に当たり、心情の安定を害するおそれとなる交通も制限される」
死刑制度とは、施設(東京拘置所)職員も、苦難を強いられる制度といえる。
「罪の自覚と精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるように配慮」するのは、並大抵ではない。管理能力には限界がある。「精神の安静」という大前提のために外部との交通が狭められるかもしれない。死刑囚への来信に精神の安静を損なうようなこと(情報)が書かれてあれば施設は困るであろうし、接見においても然りであろう。そうなれば、拘置所は外部との扉を徐々に閉ざすのではないか。
罪の自覚と精神の安静裡に死刑の執行を受けるために、人(死刑囚といえども、人)が人との交わりなしに、外界と隔離されて生きる・・・。
日々、そのような死刑囚に接し、挙句、死刑執行に直接手を下さねばならない刑務官の「精神」も苛酷であるに違いない。死刑存置賛成が大半を占めるこの国の国民は今や「オウムに死刑執行を」と口々に求めるが、次の意見から考えてみたい。
絞首刑は憲法36条の禁止する残虐な刑罰か/死刑の苦痛(残虐性)とは、死刑執行前に独房のなかで感じるもの
論壇時評【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】(抜粋)
日本は、「先進国」の中で死刑制度を存置しているごく少数の国家の一つである。井上達夫は、「『死刑』を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』)で、鳩山邦夫法相の昨年の「ベルトコンベヤー」発言へのバッシングを取り上げ、そこで、死刑という過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある、という当然の事実が忘却されている、と批判する。井上は、国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。(大澤真幸 京都大学大学院教授)
オウム真理教の事件は多くの問題を国民に提起し、裁判では解明しきれず、司法の限界も感じさせた。加えて、死刑制度を存置するこの国の国民一人一人に、死刑について、他人事とせず、自分のこととして考えることを要請しているように思えてならない。裁判員・法務大臣・刑務官に丸投げするのではなく、自らが「判決」し、死刑執行命令書に「サイン」し、刑場に赴いて「執行」する。そうすることで初めて、死刑を自らのこととして考えうるのではないだろうか。
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◆確定死刑囚の処遇の実際と問題点---新法制定5年後の見直しに向けて(明治大学名誉教授・弁護士 菊田幸一)
◆死刑とは何か〜刑場の周縁から
◆「神的暴力」とは何か(上) 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い
◆絞首刑は憲法36条の禁止する残虐な刑罰か/死刑の苦痛(残虐性)とは、死刑執行前に独房のなかで感じるもの 2011-11-11 | 死刑/重刑/生命犯 問題
オウム裁判終結 同じ過ち繰り返さぬため
2011/11/24付 西日本新聞朝刊
日本のみならず世界を震撼させた無差別テロは、1995年3月に起きた。神経ガスのサリン散布で多数の死傷者を出した地下鉄サリン事件である。2カ月前には阪神大震災が発生している。日本人が、そして日本社会が忘れてはならない「戦後50年」の出来事だった。
あれから16年−。ほかに坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件など数々の凶悪事件を起こしたオウム真理教をめぐる一連の刑事裁判が、事実上終結した。裁判では計189人が起訴され、首謀者とされる教団元代表の松本智津夫死刑囚ら13人の死刑が確定することになる。
確かに法的裁きは終わったかもしれない。だが、長い歳月が過ぎたいまも、真相は闇の中に閉ざされたままである。
なぜ多くの信者が松本死刑囚の言動を信じたのか。どうして教団は凶悪化の道を進んだのか。なぜ事件は起きたのか。こういった謎の解明に向けた取り組みを私たちは怠ってはならないだろう。
同時に、いま明らかになっていることから教訓を引き出すことも重要だ。
ヨガサークルとして出発したオウムは87年、オウム真理教を名乗り、このころから、異様な集団生活などが知られるようになる。「子どもがオウムから戻らない」という相談も警察などに寄せられた。89年には東京都から宗教法人の認証を受けるが、その1年前には富士山総本部で在家信者が死亡する事件が起きている。教団暴走の萌芽とも見てとれる。
しかし、行政や捜査機関、メディアは「宗教の問題」として積極的に関与しなかった。教団内部で何があっているのか、その後も一部を除き、立ち入ろうとしなかった。ここにマスコミも含め、大きな反省点があることは否めない。
90年2月の衆院選の際には松本死刑囚ら信者が大量立候補するなどして、教団の知名度を上げていった。地下鉄サリン事件時には出家信者が約1400人、在家信者は1万人以上いたといわれる。
もちろん、教団が引き起こした一連の事件は、独裁的立場にあった松本死刑囚の特異な思想が大きな要因であることは間違いない。しかし一方で、多くの若者たちが狂信的に松本死刑囚に付き従って残虐な犯罪行為に手を染めていったことも、また紛れもない事実である。
「松本死刑囚の命令に疑いを持つことさえ許されず、思考停止状態だった」
地下鉄サリン事件でサリン製造を主体的に行うなど重要な役割を果たした元幹部の弁護側は、上告審の弁論で、こう主張して死刑回避を求めたという。この言葉の中にこそ、オウム真理教事件の本質が隠されているのではないか。
人間の持つ最も優れた能力は、思考することだろう。人類がこれまで地球上で生き残ってきたのは、自ら考えて判断する力があったからである。その思考が奪われたら、どうなるか。再び同じような「犯罪集団」を生み出さぬためにも、このことを社会全体で再確認したい。
玄葉外相 日帰り訪中に飛行機チャーター代1200万円/「偉くなることばかり考えていてはダメです」小沢一郎氏
ふざけるな!玄葉外相 日帰り訪中に飛行機チャーター代1200万円
日刊ゲンダイ2011年11月25日
国民には「増税」大臣は「ムダ遣い」
国民の税金をなんだと思っているのか。玄葉光一郎外相(47)が、バカ高いチャーター機を使って訪中したことに批判が噴出している。
23日日帰りで中国を訪問した玄葉大臣。大新聞テレビは「外相訪中 異例の厚遇」などとヨイショしていたが税金の無駄遣いもいいところだ。飛行機代に1200万円も使っていた。霞が関関係者がこう言う。
「頻繁に外国を訪問する外相が、隣国の中国に行くのにわざわざ飛行機をチャーターするなんて聞いたことがない。定期便を使うのが当然です。チャーター機を使うのは、定期便の飛ばない辺境の国へ行く時か、邦人救出など緊急の時というのが常識ですよ。定期便なら羽田―北京往復は、正規料金でも26万円。1200万円もかけるなんて異常ですよ。贅沢すぎる。民主党は『財政が破綻する』と国民に増税を強いているのに、大臣が無駄遣いしているのだからメチャクチャです」
さすがに外務官僚もチャーター機を使うことに難色を示したらしいが、玄葉大臣のたっての希望だったという。そもそも、この時期に訪中する必要があったのかどうか。つい最近、野田首相がAPECで胡錦濤主席と会ったばかりだし、12月の訪中も決まっている。
「政経塾出身の玄葉大臣は、エリート意識が強いナルシシスト。外相になったらチャーター機くらい当たり前と思っているのでしょう。やっかいなのは、政経塾の同期で、同じ当選6回の前原誠司(49)に強いライバル意識を持っていることです。前原政調会長が外交に口を挟むと反発して暴走しかねない。チャーター機を使って訪中したのも、存在感を誇示したかったのでしょう」(民主党事情通)
なぜ、チャーター機を使ったのか外務省に問い合わせたが、締め切りまでに回答がなかった。
しかし、民主党にはこんな大臣しかいないのか。国民に負担増を求めておいて無駄遣いなんて許されない。
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『小沢一郎 語り尽くす』TPP/消費税/裁判/マスコミ/原発/普天間/尖閣/官僚/後を託すような政治家は 2011-11-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
小沢一郎 すべてを語る TPP、消費税、政治とカネ、原発… 聞き手;鳥越俊太郎(サンデー毎日2011/11/27号)
鳥越:民主党内で、小沢さんが後を託すような政治家は出てきていますか。
小沢:基礎的な勉強をさせなければダメですね。トップリーダーも、若ければ良いというものでもない。実務的な実践を段階的に積んでいかないと、イザという時の判断ができない。30代、40代で良い人たちはいると思いますよ。ただ、基礎的勉強をしなきゃね。すぐに偉くなることばかり考えていてはダメです。
『采配』落合博満/孤独に勝たなければ、勝負に勝てない/3つの敵/「負けない努力」が勝ちにつながる
『采配』
Diamond online
【第1回】2011年11月21日 落合博満
■孤独に勝たなければ、勝負に勝てない
「一人で過ごすのは好きだけれど、孤独には耐えられない」
最近の若い選手に対する印象だ。これは、子供の頃からの生活環境も大きく影響していると思う。
親子3代同居が核家族化し、少子化も手伝って一人部屋を与えられる子供が増えた。テレビゲームや携帯電話の急速な普及も、一人で過ごす時間を作り出している。プロ野球界の環境の変化も例外ではない。その昔、遠征先の宿舎は旅館が多く、首脳陣や一部のベテランを除いて大部屋で過ごしていた。しかし、現在はホテルの個室が大半である。
これ自体はいいか悪いかではなく、完全に時代の流れだ。生活様式や食生活が純和風から欧米型になっているのと変わりない。その中で、若い選手たちも一人で過ごす時間が長くなっている。
「最近の若いヤツらは、終業後に飲みに誘っても来ない」
管理職世代のそんな嘆きもよく耳にするが、若者たちの気質の変化には配慮してもいいと思う。
プロ球団の遠征先での食事は、ホテルの宴会場を借りて会場にしていることが多い。ドラゴンズでは、約1ヵ月にわたって寝食をともにする春季キャンプ中は、それを選手用と首脳陣用に分けていた。
食事の時間くらい上司の顔を見なくてもいいだろうと考えたからだ。夕食をサッと済ませ、自室でパソコンに向かっていようが、奥さんや彼女と長電話していようが構わない。プロ野球選手は、グラウンドで結果さえ残してくれればいいのだ。
ところが、そのグラウンド上でひ弱さを見せるようだと、「若者の気質に配慮して」などとも言っていられなくなる。
自分の時間は一人で過ごしたいのに、グラウンド(仕事)では「どうすればいいですか」、「何か指示を出してください」、「これで間違っていませんか」という頼りなげな視線を向けてくる。
それでは困る。自分一人で決めねばならないのだ。
選手は誰でも可愛い。すぐにでも助け舟を出してやりたいと思うのだが、バッターボックスにいる選手のもとへ足を運び、肩に手を置いて「頑張れ」と励ましてやることはできない。
野球は9人対9人で戦うチームスポーツだが、実際は投手と打者による1対1の勝負である。しかも、投手の指先をボールが離れると、コンマ何秒で勝負がついてしまう。
そんな一瞬の勝負に、長々とアドバイスしている時間はない。
一般社会でもそれと同じような場面があるはずだ。
若手もベテランも関係なく、お客さんのところへ一人で営業に行ったり、会社の責任者として取引先などへ一人で行かされたりすることもあるだろう。
会社を背負って、勝負を背負って、たった一人で複数の相手に立ち向かう場面では、緊張感とともに孤独感を抱くだろう。その孤独感は、「一人で過ごせること」とはまったく意味合いが違う。
孤独に勝てなければ、勝負に勝てないのだ。
――明日は、野球選手にもビジネスマンにも共通する、自らが戦う「3つの敵」について語ります。(連載全4回、まとめ記事作成・編集部)
【第2回】 2011年11月22日 落合博満
■ビジネスマンも野球選手も、3つの敵と戦っている
ビジネスマンもプロ野球選手も、仕事を「戦い」や「闘い」にたとえれば、自分のスキルを成熟させながら、3つの段階の戦いに直面することになる。
それは、自分、相手、数字だ。
学業を終えて社会に出たら、まずは業種ごとに仕事を覚え、戦力になっていかなければならない。教わるべきことは教わり、自ら考えるべきことは考え、早く仕事を任されるだけの力をつけようとしている段階は自分との闘いだ。
正しい方法論に則って努力すれば、ある程度まで力をつけることができる。プロ野球選手で言えば、育成の場であるファームから勝負の場である一軍へ昇格し、25人のメンバーに定着していく段階を指すのだろう。
半人前、一人前になれば、営業職なら外回りをして契約を取る。それまでに教えられたこと、経験したことを元に成果を上げようとする段階では、どうすれば相手を納得させられるか、信頼を勝ち取れるかなど、相手のある戦いに身を置く。プロ野球選手なら、どれだけ相手に嫌がられる選手になれるかを考えるのだ。
そして、営業成績でトップを取れるような実力をつけたり、職場には欠かせないと思われる存在になれたら、自分自身の中に「もっと効率のいいやり方はないか」、「もっと業績を上げられないか」という欲が生まれる。
現状のままでは評価されなくなるという切迫感、これで力を出し切ったとは思われたくないというプライド、さらなる高みを見てみたいという向上心とも向き合いながら、最終段階として数字と闘うことになる。契約数アップ、開発時間の短縮、コストの削減――プロ野球選手ならば、打率、防御率など、数字と闘えるようになれば本当の一人前、一流のプロフェッショナルということになる。
ただ、この“数字と闘う”は、一流のプロでも容易ではない。
毎シーズン、開幕前に「三冠王を獲ります」と宣言してプレーしてきた私でさえ、数字との闘いに勝てなかった経験は何度かある。だから、監督として「おまえも数字と闘える段階になったな」とは口が裂けても言えないものだ。
2011年のドラゴンズは打線が低調だった。特に左右の主軸である森野将彦と和田一浩の調子がいっこうに上がらなかったことには、ファンの皆さんもやきもきしたと思う。彼らを間近で見ている立場から言えば、和田が不振に喘ぐかもしれないという想定はしていた。2010年はセ・リーグの最優秀選手に選ばれたものの、よりシンプルな打ち方を身につけようと新たな取り組みをしていたからだ。
和田のように実績を残している選手が、さらに高度な技術を習得しようとした場合、そのプロセスにおいて以前のような成績を残せなくなるリスクはある。それでも新たな段階に進もうとするか、現状のままでやっていこうとするか。それは和田自身が判断することであり、私も口を挟むことはできない。和田本人が決断した以上、それをサポートするために我慢も必要だと腹を括っていた。
やや予想外だったのは森野のほうだ。前後の打者の不振によって「自分が打たなければ」と気負いすぎたか。2011年から「飛ばない」と言われているボールを使用することになったが、それを気にし過ぎて形を崩したか。どちらも遠因にはなったのかもしれないが、私が感じた中で一番の原因は“数字と闘った”ことだと思う。
プロ野球の試合が行なわれる球場では、打席に立つ選手の打率、本塁打、打点という主だった数字をオーロラビジョンに表示する。開幕直後はともかく、1か月が過ぎても、2か月が過ぎても数字が伸びてこないと、どうしても打席に入る際に気が滅入ってくる。
対戦相手も、はじめのうちは「森野がこのまま終わるわけがない」と思っているから、場面によっては四球で勝負を避けたりするのだが、次第にオーロラビジョンに表示されている数字を信用するようになってくるのだ。
つまり、一軍に昇格してきたばかりの投手まで、「あの(高くない)打率なら、俺も森野さんを抑えられるんじゃないか」と考え、思い切ったボールを投げてきたりする。相手が大胆に攻めてくれば、当然、森野は対処にてこずるだろう。
そうした、さまざまな要素が悪循環となり、本当にわずかの違いなのだが、打撃を小さくしてしまったという印象だ。私も森野に「数字とは闘うな」と助言したが、打席に向かう際にはどうしてもオーロラビジョンを見てしまうものだろう。
このように、数字とは厄介なものである。
自分が残している結果をただ表すだけ。どんなに一生懸命に営業しても、契約を取れなければ「0」としか表せない。数字ははっきりと現状を映し出してしまう。それだけに数字と闘うのは苦しいのだが、そこは苦しさを噛み締めながら、自分で乗り越えていくしかない。
そして、数字と闘った経験のある者は、苦しむ後輩にタイミングを見計らって「数字と闘えるようになったら一人前だ。でも、今は数字とは闘うな」と助言してやりたい。
最終段階での闘い、一流のプロフェッショナルの闘い、それが数字だ。数字は自身の揺るぎない自信にもなるが、魔物にもなる。それゆえ、スランプに陥った時には、数字の呪縛から解き放つ術も知らなければいけないのだ。
――明後日は、「勝つために目指してきたこと」について語ります。(連載全4回、まとめ記事作成・編集部)
【第3回】 2011年11月24日 落合博満
■「負けない努力」が勝ちにつながる
野球の試合では、
?先発投手が互いに3点以内に抑えて投げ合っているような展開を投手戦
?反対に両軍の打線が活発に機能し、5点以上を取り合っているような展開を打撃戦
と呼ぶ。皆さんは、どちらの試合展開が好みだろうか。
私はドラゴンズの監督に就任してから、ずっと投手力を中心とした守りの安定感で勝利を目指す戦いを続けてきた。なぜなら、投手力はある程度の計算ができるのだが、打撃力は「水もの」と言われているように、10点を奪った翌日に1点も取れないことが珍しくないからだ。
どんな強打者を集めても、何試合も続けて打ち勝っていくことは至難の業である。だからこそ、優勝への近道として投手力を押し出した戦いをしていく。
打者出身の私の考えとしては意外に思うかもしれないが、これは私の好みではなく、勝つための選択なのだ。
ただ、投手力を前面に押し出すとは言っても、肝心なのは投手力と攻撃力の歯車がいかに噛み合うかということ。すなわち、投手陣と野手陣に相互信頼がなければならない。いくら投手が1点も取らないよう、いいピッチングをしても、打者が一人も打たなければ勝ちはない。その逆もしかり。
では、投手陣と野手陣の相互信頼はどうやって築いていくものだろうか。
監督になったつもりで考えてほしい。0対1の悔しい敗戦が3試合も続いた。ファンもメディアも「打てる選手がいない」と打線の低調ぶりを嘆いている。この状況から抜け出そうと、チームでミーティングをすることになった。監督であるあなたは、誰にどんなアドバイスをするか。
恐らく多くの方は、打撃コーチやスコアラーの分析結果も踏まえて、3試合で1点も取れない野手陣に効果的なアドバイスをしようと考えるだろう。技術的な問題点を指摘するか、「気合いを入れよう」と精神面に訴えるか。ソフトに語りかけるか、檄(げき)を飛ばすか。コミュニケートする方法も慎重に考えながら、何とか野手陣の奮起を促そうとするのではないか。
つまり、「0対1」の「0」を改善するという考え方だ。私は違う。
投手陣を集め、こう言うだろう。
「打線が援護できないのに、なぜ点を取られるんだ。おまえたちが0点に抑えてくれれば、打てなくても0対0の引き分けになる。勝てない時は負けない努力をするんだ」
プロ野球界では、先発投手が6、7回を3点以内に抑えれば「仕事をした」と言われる。つまり、3失点以内で負ければ「打線が仕事をしていない」、3点以上奪っても負けると「投手が仕事をしていない」ということになる。投手戦、打撃戦の区別もここからきているのかもしれない。
待ってほしい。
勝負事も含めた仕事というのは?生き物?だ。経験に基づいたセオリーは尊重するとしても、一歩先では何が起こるか本当にわからない。
ならば、打線が3点取れなくても勝てる道を見つけ、10点奪ったのに逆転負けしてしまうような展開だけは絶対に避けなければいけない。そうなると、「3失点以内なら投手は仕事をした」という考え方はできないと思う。投手には、あくまで打線の調子を踏まえた上で?勝てる仕事?をしてもらいたい。
繰り返すが試合は「1点を守り抜くか、相手を『0』にすれば、負けない」のだ。
また、得点できない野手を集めてミーティングをすると、呼ばれなかった投手陣は「俺たちは仕事をしているんだ」という気持ちになり、チームとしての敗戦を正面から受け止めなくなる。このあと、また同じような状況になっても、「悪いのは野手陣だろう」と考えてしまい、ここから投手陣と野手陣の相互信頼が失われていくものだ。
スポーツ紙を読むと、3失点で完投しながら打線が2点しか奪えなかった、つまり「2対3」で負けた試合で、その投手がこうコメントしているのを目にするはずだ。
「負けたのは悔しいですが、自分の仕事はできたと思っています。次も頑張ります」
私はその記事にポツリとつぶやく。
「先発投手が黒星を喫したら、仕事をしたことにはならないだろうに」
そもそも、チームスポーツで「仕事をした」と言えるのは、チームが勝った時だけである。
20対19という大乱戦でも、この試合に先発し、5回を10失点で白星を得た投手は、内容は最悪だが仕事はしているのである。しかし、0対1で完投しながら負けた投手は、厳しいようだが仕事をできていないのだ。
一般社会において、あと一歩で契約を取れなかった社員が「自分の仕事はしました」と胸を張るだろうか。前回からの成長ぶり、その仕事にベストを尽くせたかどうかの評価は別の次元の話であり、契約を取れなければ仕事をしたとは言えない。それと同じことだ。
私のように考えると、さぞかしドラゴンズの投手陣は大変だろうと思われるだろう。仕方がない。野球の勝敗の80%は投手が握っていると言われるように、投手は守りの中で唯一、ボールを投げることで「攻撃できる」役割なのだし、投手が投げることで試合が動くという性質上、野手はどうしても受け身の立場だからだ。
しかも、投手が自分の手でボールを投げられるのに対して、野手はバットという道具を使って打ち返さなければならない。自分のコンディションに加え、バットも上手く使いこなせなければ結果を残せないのだから、チームで勝つという唯一最大の目標を達成するためには、パフォーマンスをある程度計算できる、投手を中心に試合運びを考えざるを得ない。
ここでも大事なのは、原則だ。
負けない努力が勝ちにつながる。この考えだ。
その1勝をつかむために、誰を信頼し、誰を中心に戦っていくのか。ここがブレてしまっては、チームワークも、選手の目指す方向性もおかしくなってしまう。これは皆さんの仕事でも同じだと思う。とりわけ厳しい時代においては、この考えはしっくりくるのではないだろうか。
――明日は最終回、「こんなリーダーを目指してほしい」という落合博満氏からのメッセージです。(連載全4回、まとめ記事作成・編集部)
【最終回】 2011年11月25日 落合博満
■できる・できない、両方がわかるリーダーになれ
「毎シーズンAクラス(3位以上)に入れるチームを作ることができた要因は何ですか?」
そう問われた時、私が唯一はっきりと答えられるのは「選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったこともあるから」ということである。
日本のプロ野球界では、いわゆる「野球エリート」と呼ばれる人が監督になるケースが多い。長嶋茂雄さんや王貞治さんに代表されるように、高校・大学時代から豊かな将来性を嘱望され、注目された中でプロ入りすると、期待に違わぬ活躍を見せてスターとなる。現役を退く際にも「近い将来には監督に」という期待を寄せられ、ほどなく監督に就任するという野球人生だ。
このタイプの監督は、ドラフト1位など高い評価で獲得した選手をしっかりとレギュラーに仕上げていく。時にはポジションを空けてレギュラーに据え、一軍で実戦を経験させながら一人前にしていく。
ただ、その一方ではドラフト下位で入団してくるような無名の選手を育てるのが得意ではない。無理もない。自分自身が潜在能力に恵まれ、順風満帆な野球人生を過ごしてきたゆえ、“できない人の気持ち”が理解できないのだ。
「プロに入ってきたんだから、そんなことくらいはできるだろう」
そういう視点だと、できない選手が「能力がない」、「努力をしていない」と見えてしまう。野球界では「名選手、名監督にあらず」と言われていた時代があったが、その原因はまさにこういうことだったのだと思う。長嶋さんが監督1年目に球団史上初の最下位になった時、「四番に長嶋がいない」と漏らしたという。これこそ「何でもできた人」ゆえの悩みだったのではないか。
そんなスター監督とは正反対に、選手時代には高い実績を上げられなかったものの、若くして指導者の道に入り、コツコツと経験を積み重ねて監督に就任する人もいる。コーチや二軍監督を経験していれば、先に書いた“できない人の気持ち”は手に取るように理解できるから、若い選手を厳しさの中から育てていく手腕に長けている。人当たりがよく、辛抱強さも備えていることで、チームの風通しもよくなることが多い。ところが、このタイプの監督は主力選手、すなわち“できる人の思い”をなかなか理解できない。
人によっては、スター選手に嫉妬心を抱いて無用な衝突を起こしたりする。そして、ベテランから若手に切り替えるタイミングを間違えることもある。
私は現役時代に7人の監督の下でプレーし、こうした印象を持っていた。そして、自分自身がどちらのタイプでもないことが、指導者になった時には生かせるのではないかと考えていた。
高校時代は先輩からの鉄拳指導が嫌で入退部を繰り返し、大学は中途退学。社会人の東芝府中も当時は強豪チームではなかったから、プロ入りできること自体を「儲けものだ」と考えているような選手だった。また、プロ野球選手になれば、すぐにクビになっても“元プロ野球選手”になれる。残った契約金で飲食店でも開けば、野球の好きな人は集まってくれるかもしれないなどと考えているような選手だったのである。そして、2年間は一軍とファームを行ったり来たり。そうした下積みを経験したのち、三冠王を3回手にしてプロ野球界のトップにも立った。
つまり「できない人の気持ち」は、若い頃の私自身の気持ちそのものである。
そして、チームを背負う主力選手の思いもまた、存分に味わってきているのだ。
こうした経験を経て監督になっているから、ドラフト1位だからという理由だけでポジションを与えるようなことはしない。逆に、ドラフト6位だから、ファームから下積みをさせようとも思わない。目をギラつかせ、「俺はこの世界で絶対に一流になるんだ」という若手を見つければ、彼らの自己成長をサポートしてやろうと考えるだけである。
こちらからは教えないし、育てようともしない。
ただ、私に突っかかってくるのなら、いくらでも相手になる。昔の職人の世界なのかもしれないが、時代が移り変わっても、それがプロフェッショナルというものなのだと思っている。そして、ファームでもがいている若手には、彼らの気持ちを察しながら課題を示す。チームを背負って戦う選手には、気持ちよくプレーできる環境を整える。それをある程度までできたことが、チームの成績として反映したのではないだろうか。
ビジネスの世界にも、一流大学から大手企業に進んだエリートもいれば、コツコツと下積みから這い上がった人もいるだろう。さまざまな歩みをしてきた人がさまざまな思いを抱えているだけに、少しでも「できる人の思い」「できない人の気持ち」、両方を理解できるリーダーになってもらいたい。
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落合博光
1953年生まれ。秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。
1979年ドラフト3位でロッテオリオンズ入団。81年打率 .326で首位打者になり、以後83年まで3年連続首位打者。82年史上最年少28歳で三冠王を獲得、85年には2度目の三冠王とパ・リーグの最優秀選手(MVP)に輝いた。86年には史上初の3度目、2年連続の三冠王を獲得。
1998年現役を引退。その後、野球解説者、指導者として活動し、2004年より中日ドラゴンズ監督に就任。2007年にはチームを53年ぶりの日本一に導く。就任から8年間、2年に1回以上はリーグ優勝ないしは日本一、Aクラス入りを逃したこともない。2011年は球団史上初の2年連続リーグ優勝を果たし、「常勝チーム」を作り上げた。
2007年には、プロ野球の発展に大きく貢献した人物に贈られる正力松太郎賞を受賞。2011年には競技者として、日本の野球の発展に大きく貢献した功績を永久に讃え、顕彰する「野球殿堂」入りを果たす。
著書は、『コーチング―言葉と信念の魔術』(ダイヤモンド社)、『落合博満の超野球学1、2』『プロフェッショナル』『野球人』(ベースボール・マガジン社)、『勝負の方程式』(小学館)など多数ある。
『采配』
「邪念を振り切り、今この瞬間に最善を尽くす」――監督就任から8年間、4度のリーグ優勝、1997年の53年ぶり日本一、2011年には球団史上初となるリーグ連覇を達成。偉業ともいえる圧倒的な成績を残し、チームを「常勝チーム」へと変貌させた名将が、現役時代には決して語ることのできなかった「采配」の秘密を今、明かす。
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◆落合監督と選手たちとの8年/先発ピッチャー、川崎/情の采配を捨てた理由/物言わぬ指揮官、沈黙のわけ2011-11-16 | 野球・・・など
◆他の監督とはここが違う 落合博満だけに見えるものがある2011-11-03 | 野球・・・など
◆日本シリーズ オレ竜逆転先勝!延長戦采配ズバリ/ 野村克也×落合博満2011-11-13 | 野球・・・など
◆中日ファンは優勝してもまだまだ怒り心頭【後編】地元メディア関係者に聞く お家騒動と優勝
◆中日ファンは優勝してもまだまだ怒り心頭【中編】「落合の野球を見ていた人間とは思えない!」
◆中日ファンは優勝してもまだまだ怒り心頭【前編】
◆落合監督退任報道に中日ファンは怒り心頭/高度な理論の落合野球/高木次期監督はしばらく黙ってろ!
亀井静香、政治生命をかけた最後の大勝負/小沢Gの中には、みんなの党との連携を模索する動きもある
亀井新党 小沢のひと声で100人集結
日刊ゲンダイ2011年11月26日
みんなの党がクッションになれば、橋下も乗る
「オールジャパンでわが国の国力をアップする方策を考えないといかん」
国民新党の亀井静香代表(75)が25日の会見で新党構想をブチ上げた。これに呼応するように、東京都の石原慎太郎知事も同日、「政界再編の力は大切だ。選挙制度を変えてドイツみたいに3つの政党になって……」と定例会見で講釈を垂れていた。
「亀井氏の頭の中には、菅政権末期から『救国内閣』の構想があり、石原都知事ら保守政治家の力を結集させようと動いていました。ところが、菅前首相には相手にされず、野田政権になっても半ば煙たがられる存在になっている。悲願の郵政改革法案は、今国会でも成立が危ぶまれている状況です。亀井氏としては、民主党にコケにされたという思いがあるのでしょう。“それならこっちにも考えがある”と、政治生命をかけた最後の大勝負に出ようとしているのは間違いありません」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)
24日の昼には、亀井・石原コンビと、たちあがれ日本の平沼代表、園田幹事長が会談。新党構想を協議したという。だが、こんなジイサン連中が集まったところで、すぐに立ち枯れになるだけ。そこで、亀井が触手を伸ばしているのが、橋下前大阪府知事の「大阪維新の会」や大村秀章愛知県知事の「日本一愛知の会」、そして民主党の小沢グループとの連携である。
小沢は最近、「増税を強行すれば党運営が厳しくなる」と発言するなど、増税路線を突き進む野田政権批判を強めている。
「亀井氏は、小沢氏とも直接会って新党の話をしています。一方で、小沢Gの中には、みんなの党との連携を模索する動きもある。地域主権や公務員改革など政策面で組める部分が多いのです。亀井構想を突き放した橋下氏もみんなの党がクッションになれば、小沢Gとは組めるでしょう」(鈴木哲夫氏=前出)
政治評論家の有馬晴海氏は「大阪ダブル選で橋下陣営が圧勝すれば、新党構想に一気に弾みがつく。大阪で自民と民主が組んでも維新の会に敗れたとなれば、次の選挙で第3極が大躍進する可能性があるからです」と話す。
この混沌は、まさしく政界再編前夜の様相だ。小沢はどう動くのか。小沢Gの中核議員は現状をこう明かす。
「親方(=小沢)からは、『今は動くな』と言われている。誰と組むつもりかは分かりません。しかし、いったん親方が『これで行く』と決めたなら、一致団結して動く準備はできています。もちろん、離党もいとわない。民主党内で集結する人数は、菅内閣に対する不信任決議案で集結した70人がベースで、さらに上積みがある。当時は不信任案可決に同調しなかった議員の中にも、反TPPや反増税で民主党を離れかねないのがいるし、参院民主党にも離党予備軍は20人近くいますから」
亀井新党に小沢Gが合流すれば、第3極は100人規模の一大勢力になる可能性があるのだ。
小沢は25日、西岡武夫前参院議長の「参院葬」に参列し、友人代表として時おり声を詰まらせながら哀悼の言葉を送った。
「西岡先生の思いを胸に、日本の国と国民のため、最後のご奉公の決意で、今後とも全力で政治に取り組んでまいりたい」
最後の奉公が、亀井との共同戦線になるのか。
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“新党は亀井氏の一人芝居”
NHK NEWS WEB 11月26日 20時10分
たちあがれ日本の平沼代表は、東京都内で開かれた会合で、国民新党の亀井代表が年内にも保守勢力を結集した新党を結成したいという意向を示していることについて「亀井氏の一人芝居だ」と述べ、否定的な考えを示しました。
国民新党の亀井代表は年内にも保守勢力を結集した新党を結成したいという意向を示しており、24日、たちあがれ日本の平沼代表や東京都の石原知事と会談したほか、民主党や自民党の議員らと会合を重ねています。これについて、平沼氏は、26日、東京都内で開かれた会合で「亀井氏の話は彼の一人芝居だ。たちあがれ日本としては何ら関与していないし、参画することは決めていない。石原知事も政界再編は必要だと思っているが、亀井氏の動きとは一体ではない」と述べ、否定的な考えを示しました。そのうえで、平沼氏は「保守再編の起爆剤になるのがたちあがれ日本の立党の精神で、自民党や民主党の保守派の議員とで政界再編をやっていきたい。民主党もだめだが、自民党も耐用年数を過ぎており、それに代わる第三勢力を作っていきたい」と述べました。
◆「小沢一郎裁判はドレフェス裁判だ」/角栄をやり、中曾根をやらなかった理由/絶対有罪が作られる場所2011-11-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
<有料メールマガジン「週刊・山崎... | 「小沢事件」と「ドレフュス事件...>
文藝評論家 山崎行太郎2011-10-08
青山繁晴や関西テレビをはじめ、テレビや新聞は、何故、検察の問題を、たとえば「検察と米国」というポストコロニアリズム的な植民地支配の実態を報道しないのか。あるいは「検察と米国」の植民地支配の実態を報道できないのか。マスコミもまた、そのポストコロニアリズム的な植民地支配の「手先」となっているからではないのか。テレビや新聞で、米国の日本支配に加担するジャーナリストよ、「国家とは何か」を哲学的に思考したことはないのか。
日本という国家が、いまだに米国のポストコロニアリズム的な植民地支配の対象になっていることを象徴する「小沢一郎暗黒裁判」が始まった。小沢一郎は「意見陳述」で、「裁判そのものの無根拠性」と、「検察との全面対決」の姿勢を鮮明にした。小沢一郎は、「裁判はただちに打ち切るべきだ」「明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為」と激しく検察を批判した。日本の現役政治家で、最高実力者の一人である小沢一郎が、国家権力の象徴である検察や裁判所などを標的に、左翼系の革命家顔負けの「闘争宣言」をするということは、日本という国家にとっても明らかに異常事態である。佐木隆三は、田中角栄の裁判を傍聴したが、田中角栄は検察などを激しく批判するようなことはなかった、と暗に小沢一郎が「小物」であるかのように、テレビのインタビューでコメントしていたが、佐木隆三の「裁判報道」の思想的レベルを象徴していると思わないわけにはいかなかった。所詮、佐木隆三なんて、こういう究極的・本質的、政治的な裁判闘争というような場合には役立たずの「三流の通俗作家」でしかないということを自分から暴露している。検察そのもの、裁判そのもの、を一度も疑って考えたことがないということが、佐木隆三のコメントから読み取れる。 毎日、裁判所に通って、裁判を傍聴しているとはいえ、検察や裁判所の周辺情報を、芸能レポーター並みに書くしか能はないのだろう。
さて、「裁判傍聴記者」に堕落した佐木隆三がそうであるように、あるいは「真犯人は小沢一郎、主役は小沢一郎・・・」「小沢一郎は湾岸戦争で一兆円フトコロに入れた・・・」と関西テレビで、気でも狂ったかのように叫びまくる妄想病患者・青山繁晴も、こんな確証のないガセネタを堂々と放送して恥じない人権無視の妄想テレビ局「関西テレビ」も問題外としても、日本の新聞やテレビの記者たちは、「小沢一郎暗黒裁判」の深層、「小沢一郎暗黒裁判」の真相を報道することは出来ないように見える。
司法記者クラブの情報を、馬鹿の一つ覚えのように、批判的考察なしに、垂れ流すことしか出来そうもない。まさに東浩紀のいう「動物化するポスト・モダン」である。ブタなみの思考力というわけである。
せっかく、裁判、検察、国家などの本質について考えてみるいい機会なのに、むしろそれを必死で隠蔽し、国民の眼から遮断しようとしているわけである。一昨日の「小沢一郎記者会見」でも、自民党の幹部あたりが盛んに叫んでいる謀略発言に単純に洗脳されたのか、「国会で説明するつもりはないのですか・・・」と質問した若い記者(TBSの馬鹿記者?)がいたが、逆に小沢一郎に、「君は三権分立を知らないのか・・・」「もっと勉強してから質問しろ・・・」と恫喝されていたが、テレビや新聞の記者の頭の悪さを象徴する一幕であった。
さて、小沢一郎は、「意見陳述」で、検察による国家権力の乱用を指摘し、検察を激しく批判した。つまり「小沢一郎暗黒裁判」の本質が、有罪か無罪かというレベルの問題ではなく、検察そのもの、あるいは裁判そのものの根拠が問題であることを宣言した。
僕は、小沢一郎の検察批判から、中国の文化大革命時代の末期の「四人組裁判」とイラクの米国主導の違法な「フセイン裁判」などを連想した。民主主義がどの程度成熟しているかどうかはともかくとして、日本のような民主主義国家で行われる裁判としては明らかに異常事態である。
日本の国家権力は、乱暴な裁判を承知の上で「四人組裁判」を強行しなければならなかった中国や、アメリカという国家外の外国勢力によって主導された違法裁判「フセイン裁判」を受け入れざるを得なかったイラク・・・並みに追い詰められている、つまり今の日本は、文化大革命の頃の中国や、米国に占領されたイラク並みに「国家的危機」状況に追い詰められているということなのか。少なくとも「小沢一郎暗黒裁判」は、日本が、国家的危機に追い詰められていることを象徴している。
そこを語れない日本の新聞やテレビは、もはやジャーナリズムでさえない。国家権力の補完装置、「国家のイデオロギー装置」(ルイ・アルチュセール)でしかないことを自ら暴露していると言わなければならない。
したがって、「小沢一郎暗黒裁判」の表層的現象を追いかけるだけでは、つまり政治資金収支報告書の虚偽記載や記載時期のズレがどうだとか、共謀・共犯が成立するかどうか、あるいは小沢一郎は金権政治家かどうか、というような表層的なことに眼を奪われていると、本来の「小沢一郎暗黒裁判」が提起している問題の本質を見失うことになる。何故、国民もマスコミも、そして官僚や政治家たちも、「小沢一郎暗黒裁判」に固唾をのんで見つめているのか。「小沢一郎暗黒裁判」が日本国家の独立という問題に直結する裁判だからだ。だから、我々は、政権交代を前にして「小沢事件」なるものが始まって以来、何か次々と起こったかを忘れるべきではない。
つまり「小沢事件」が、いつ、どのようにして始まったのか、「検察審査会」のいかがわしさ、「マスコミ報道」の政治性、「在日米軍司令部」の動き、さらには「東京地検特捜部」という組織は実は米占領軍主導で構想された組織であることなど、「小沢一郎暗黒裁判」の本質的な問題を追及していかなければならない。テレビや新聞の記憶喪失的な、表面的な裁判報道に洗脳されてはならない。
敵は、政権交代を目前にして、米国の植民地支配に逆らう小沢一郎という日本の国民政治家を、法廷という場所に引きずり出し、さらし者にし、「国民生活第一。」を政治信条とする小沢一郎の政治的パワーを奪取すること自体が、最大の目的なのだ。
それ故、小沢一郎が「意見陳述」で言っているように、この裁判自体を、ただちに打ち切るべきなのだ、という思想と心構えを持つことが必要だろう。「小沢一郎暗黒裁判」の結果が問題なのではない。「小沢一郎暗黒裁判」そのものの政治性が問題なのだ。(続く)
(続きは、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから、http://www.mag2.com/m/0001151310.html
◆『小沢一郎 語り尽くす』TPP/消費税/裁判/マスコミ/原発/普天間/尖閣/官僚/後を託すような政治家は 2011-11-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆小沢一郎×田原総一朗 徹底生討論 『日本をどうする!』in ニコファーレ〈前〉2011-11-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆「小沢一郎×田原総一朗 徹底生討論 『日本をどうする!』in ニコファーレ」〈後〉2011-11-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「オウム松本智津夫死刑囚は完全に拘禁反応 治療に専念させ、事件解明を」加賀乙彦氏 医師として自信
オウム公判終結:あの時…/6止 教祖自白なく真相闇に
◇精神科医として松本死刑囚に接見、加賀乙彦さん
真相が何も分からないまま、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚には「死刑」という結果だけが出た。もっと時間をかけて彼から言質を引き出し、なぜ教養や技術のある精鋭たちが彼の手の内に入って、残酷な殺人事件に引き込まれたのか明らかにする必要があった。それが裁判所の使命なのだが、放棄してしまった。私はこの裁判が終結したとは思っていない。法律的には死刑が確定したが、松本死刑囚の裁判は中途半端に終わってしまい、裁判をしなかったのと同じだ。
06年、弁護団の依頼で松本死刑囚に東京拘置所で接見した。許された時間は30分だけ。短時間では何も分からないと思うかもしれないが、私には自信があった。医師として、過去に何人もの死刑囚を拘置所で見ているが、松本死刑囚は完全に拘禁反応に陥っていた。何の反応も示さず、一言も発しない。一目で(意識が混濁した)混迷状態だと分かった。裁判を続けることはできないので、停止して治療に専念させるべきだと主張したが、裁判所は「正常」と判断した。
拘禁反応は環境を変え時間をかけて治療すれば治る病気だ。かつて東京拘置所で彼と同じ症例を4例見たが、投薬などで治すことができた。治療すれば、首謀者である彼の発言を得られた可能性があっただけに残念だ。
結局、松本死刑囚から何一つ事件についてきちんとした証言が得られないまま裁判は終結した。このまま死刑が執行されれば、真相は永久に闇に葬られてしまう。オウム事件の裁判ほど悲惨な裁判はないと思う。世界的にもまれな大事件を明らかにできないままでは、全世界に司法の弱点を示すことになる。
なぜ松本死刑囚に多くの若者が引きつけられ、殺人行為までしてしまったのか。信者の手記など、文献をいくら読んでも私には分からない。教祖の自白がなければ、なぜ残酷なことをしたのか解明もされず、遺族も納得できないはずだ。
「大勢を殺した人間は早く死刑にすべきだ」という国民的な空気にのって、裁判所もひたすら大急ぎで死刑に走ったように感じる。だが、真相が闇の中では「同じような事件を起こさせない」という一番大切な未来への対策が不可能になってしまう。再びオウム真理教のような集団が生まれ、次のサリン事件が起こる可能性も否定できない。形式的には裁判は終わったが、彼らを死に追いやるだけで、肝心な松本死刑囚が発言しないでいる今、あの事件は解決したと思えない。【聞き手・長野宏美】=おわり
◇かが・おとひこ
精神科医として東京拘置所に勤務し、大勢の死刑囚の診察に携わる。上智大教授などを務め、79年から創作活動に専念。医師の経験を基にした作品も多く、死刑囚が刑を執行されるまでを描いた小説「宣告」や、死刑囚との往復書簡集「ある死刑囚との対話」など著書多数。06年に弁護団の依頼で松本智津夫死刑囚に接見し「正常な意識で裁判を遂行できない」と、公判停止と治療を訴えた。82歳。
毎日新聞 2011年11月27日 東京朝刊
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◆オウム裁判:13被告、死刑確定へ 執行可否、次の焦点
<追跡>
オウム真理教の一連の事件を巡る公判は21日、元幹部の遠藤誠一被告(51)に対する最高裁判決で終結し、教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)ら計13人の死刑判決が確定する。刑事訴訟法の規定に従い法務省は今後、死刑の執行を検討していくとみられるが、松本死刑囚側は精神障害があると主張する。果たして執行に至るのか。その可否が、時期とともに注目される。
06年に死刑が確定した松本死刑囚は現在、東京拘置所の単独室に身を置く。関係者の話を総合すると、最近はほとんど言葉を発せず時折小声でなにかをつぶやく程度。日中はほぼ正座かあぐら姿で身動きしない。拘置所職員が食事を手伝うこともあったが、今は自分で食べている。家族が拘禁反応の治療が不十分として起こした訴訟の確定記録などによると、01年3月から失禁し、トイレを使ったのは07年に1度あるだけだという。逮捕時の長髪は短く切られ、ひげも落とした。
風呂や運動を促せば反応がみられるが、家族らの面会には応じていない。関係当局の間では「いろんな見方はあるが、言葉の意味は理解できており、精神障害ではない」として、死刑執行を停止するケースには当たらないとの見解が一般的だ。
刑訴法は判決確定日から6カ月以内に法相が死刑執行を命じなければならないと定めるが、共犯の被告の裁判や本人の再審請求の期間は6カ月に算入しないとしている。全被告の判決が確定することで「共犯者」というハードルは越えた。ただ、松本死刑囚は2回目となる再審請求審(昨年9月請求、今年5月に東京地裁が棄却)が東京高裁で続いている。他の死刑囚も再審請求の動きが目立つ。
一方、政府は「6カ月規定」について「違反しても直ちに問題とはならない『訓示規定』にとどまる」との見解だ。00〜09年に執行された死刑囚の判決確定から執行までの平均期間は5年11カ月。
執行命令は時の法相の姿勢次第という現実もある。執行を命じなかった法相も少なくない。民主党政権下での執行は1回、2人にとどまる。平岡秀夫法相は今月11日の閣議後会見で「個々の事案は、死刑が厳しい重大な罰であることを踏まえ慎重に判断する」と述べるにとどめた。
毎日新聞 2011年11月22日 東京朝刊
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<2006年の記事>
■弁護団が麻原鑑定書公開
東京高裁からオウム真理教の麻原彰晃被告(50)=本名・松本智津夫、一審死刑判決=の精神鑑定の依頼を受けた精神科医が「訴訟能力あり」とする鑑定書を提出したことをめぐり、麻原被告の弁護団は二十一日、鑑定書の詳細を公開した。弁護側は鑑定結果に反発し、来月十五日までに反論書を高裁に提出する方針。
鑑定書によると、麻原被告の拘禁反応は平成八年に行われた教団元幹部の井上嘉浩被告(36)=二審死刑判決、上告中=の証人尋問をきっかけに表れたが、「精神障害的要素はなく、最初から裁判上の利害の認知から発していた」という。
麻原被告の現在の状態について「会話が通じることはほとんどない」としているが、入浴時に麻原被告が東京拘置所の職員の指示に従っていることに着目。「相互に意思疎通が生じている」と分析している。
これらを踏まえ、「被告人がものを言う能力がないという根拠はどこにもなく、虚偽性、逃避願望が強い」と結論付けている。
弁護団は二十日に鑑定書の全文を入手し、「(鑑定書を)公開することにより、弁護士が立ち会えずに行われた鑑定の不公正を是正したい」としている。麻原被告の弁護団は二人だったが、今月になって新たに三人が選任され、計五人になっている。=産経新聞2006年 2月21日16時21分更新
■裁判の遂行は不可能 加賀氏が松本被告と面会
オウム真理教松本智津夫被告(50)=教祖名麻原彰晃、1審死刑=の弁護団の依頼で、精神科医で作家の加賀乙彦氏(本名・小木貞孝)が24日、東京拘置所で松本被告と面会し「外界に対する反応がみられない混迷状態で、裁判を遂行させることは不可能だ」と述べた。
加賀氏は24日午後、約30分間にわたり弁護士とともに面会。松本被告は加賀氏の問い掛けに無反応で、足や胸を手でさすり続けていたという。弁護団の依頼で松本被告と面会した精神科医は6人目。 =共同通信2006年 2月24日20時56分更新
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『悪魔のささやき』集英社新書
小学生殺人、放火、村上ファンドetc.…人はなぜ思わぬ悪事に手を染めてしまうのか!?
精神科医として、作家として日本人の心を見つめてきた著者による緊急提言! 人は意識と無意識の間の、ふわふわとした心理状態にあるときに、犯罪を犯したり、自殺をしようとしたり、扇動されて一斉に同じ行動に走ってしまったりする。その実行への後押しをするのが、「自分ではない者の意志」のような力、すなわち「悪魔のささやき」である―。精神科医、心理学者、そして作家として半世紀以上にわたり日本人の心を見つめてきた著者が、戦前の軍国主義、六〇年代の学園闘争、オウム真理教事件、世間を震撼させた殺人事件など数々の実例をもとに、その正体を分析。拝金主義に翻弄され、想像を超えた凶悪な犯罪が次々と起きる現代日本の危うい状況に、警鐘を鳴らす。
加賀乙彦(かが おとひこ)
一九二九年、東京生まれ。本名・小木貞孝。東京大学医学部医学科卒業。東京拘置所医務技官を務めた後、精神医学および犯罪学研究のためフランス留学。
帰国後、東京医科歯科大学助教授、上智大学教授を歴任。日本芸術院会員。
『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)の他、『フランドルの冬』『宣告』『湿原』『永遠の都』『雲の都(第一部 広場、第二部 時計台)』など著書多数。
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◆『悪魔のささやき』『手毬』2006-08-25 | 読書
刑務所や留置場が失業者や行き場のない高齢者の収容所となっているとすれば・・・
中日新聞を読んで 「高齢失業者と留置場」後藤昌弘(弁護士)
2011/11/27 Sun.
最近の紙面は不景気な記事ばかりである。円高で、企業の海外移転がさらに進むとも云われている。
先日、久しぶりに国選弁護事件を担当した。数年前までは義務として定期的に割り当てられていたのだが、最近名古屋でも弁護士が激増し、名簿に登録していても割り当てられることがほとんどないのである。
罪名は窃盗。中年男性の被告人がコンビニでおにぎりとカップ麺各1個を万引きした事件である。被害金額は238円、同種前科もない。被告人は数年前に解雇され、失業保険の期間も切れ、求職中だった。独身で被害弁償をする親族もない。
求刑は「罰金20万円」。被告人には実刑と同じだと思ったが、裁判所は拘留期間のうち40日分について刑に服したと計算し、かつ1日5千円に換算し、判決当日被告人は釈放された。なんのことはない、逮捕されてから裁判が終わるまで留置場や拘置所にいただけである。これまでなら起訴猶予とされた事案であるが、窃盗に罰金刑ができてから、こうした処理が増えているそうである。
被告人質問で、きちんと生活保護を受けるようにと説教して裁判は終わったが、どうも釈然としない。仕事が見つからない状況では再犯を防ぐには生活保護を受けさせるしかないが、健康で働く意欲もあるのに、生活保護を受けなさいと言うことが正しいのだろうか。必要なことは被告人に仕事を与えることである。2か月間3食付で留置場に入れ、形式的な裁判だけする、そんなことに費用をかけるなら、一昔前にあった失業対策事業に予算を回し、被告人に仕事を与えた方が本人も喜ぶと思う。
最近刑務所の受刑者が高齢化していると聞く。刑務所や留置場が失業者や行き場のない高齢者の収容所となっているとすれば、これほどの不幸はない。国費の無駄でもある。早く失業問題に本腰を入れてもらいたいと痛感する。
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◆札幌刑務所・拘置支所が施設内部を公開/秋田刑務所受刑者 高齢化進む/岡山刑務所 塀の中の暮らし2011-09-28 | 社会
◆「岡山刑務所」塀の中の運動会/塀の中の暮らし
◆服役19回の知的障害者/国の福祉政策、問題ないのか/『累犯障害者』2011-05-25 | 社会
◆山本譲司著『累犯障害者』獄の中の不条理 新潮社刊
「(死刑)刑場、国民から視察の希望があっても公開することは考えていない」野田総理
裁判員への刑場公開 考えていないと総理
サーチナ2011/11/27(日)16:19
野田佳彦総理は裁判員制度の下で死刑の判断を求められる可能性のある裁判員に刑場視察をさせる考えがないか、福島みずほ社会民主党党首に訊ねられ「公開することは考えていない」と答えた。
福島社会民主党党首は「裁判員裁判の実施によって国民は死刑の判断を求められる可能性があるため、十分な情報の公開が必要」として、裁判員をはじめ「視察を希望するすべての国民に対し東京拘置所以外の刑場も含めて刑場を公開するべきである」として政府に見解を求めた。野田総理は裁判員を含め、国民から視察の希望があっても「公開することは考えていない」とした。(編集担当:福角忠夫)
◆絞首刑は憲法36条の禁止する残虐な刑罰か/死刑の苦痛(残虐性)とは、死刑執行前に独房のなかで感じるもの 2011-11-11 | 死刑/重刑/生命犯 問題
論壇時評【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】(抜粋)
日本は、「先進国」の中で死刑制度を存置しているごく少数の国家の一つである。井上達夫は、「『死刑』を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』)で、鳩山邦夫法相の昨年の「ベルトコンベヤー」発言へのバッシングを取り上げ、そこで、死刑という過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある、という当然の事実が忘却されている、と批判する。井上は、国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。(大澤真幸 京都大学大学院教授)
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◆死刑とは何か〜刑場の周縁から
消費増税「乱暴に過ぎる」=小沢一郎氏 鹿児島県霧島市で開かれた民主党衆院議員の会合で
消費増税「乱暴に過ぎる」=小沢氏
WSJ Japan Real Time2011年11月27日20:06 JST
民主党の小沢一郎元代表は27日、鹿児島県霧島市で開かれた同党衆院議員の会合で、来年の通常国会への消費増税関連法案の提出について「国民の大きな負担になることを言っているが、ちょっと乱暴に過ぎないか」と野田政権の方針を批判した。
小沢氏は「(民主党は)大改革で無駄を省き、それによって生まれた財源をわれわれの新しい政策の財源にしようと言った」と表明。「大改革が進んでいない、緒に就いていない中で国民に負担を求めるのは乱暴ではないか、という考えは私1人ではない」と強調した。
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◆小沢一郎×田原総一朗 徹底生討論 『日本をどうする!』in ニコファーレ〈前〉2011-11-20
〈ニコニコニュース(オリジナル)2011年11月20日(日)15時01分配信〉より抜粋
小沢: だけど野田さんは外国に行ってもどこに行っても、消費税(の増税を)やるって言ってるでしょ。
田原: 小沢さんは反対でしょ?
小沢: 僕は今やるということは反対です。
田原: そこそこ。だから、小沢さんの顔色うかがって、いい加減にごまかしごまかししやったら、小沢さんも消費税増税を呑んでくれるんじゃないかと(野田総理は)思っている。
小沢: 消費税については我々は選挙の時に何て言ったかというと、行政、財政、この抜本的改革をして無駄を省いて、それを我々の新しい政策の財源にしますと。そして4年間は消費税増税はしませんということを国民の皆さんに言って来た。
田原: 確かに当時の首相の鳩山(由紀夫)さんはそう言いました。
小沢: そして、今まだ行財政の抜本的改革というのはほとんどできていないわけですよ。それをやらないでいて、お金がないから消費税(増税)というのは国民に対しての背信行為だと。だから僕は「賛成できない」と。
田原: 確かに、鳩山さんはあの政権を取る前からマニフェストを発表しました。そのマニフェストには仰ったように4年間は増税しないと。さらに子ども手当が月に26,000円、段階的に高速道路無料化、あるいは公立の高校の無償化、さらには農業に対する個別補償の問題ということを約束しました。ただし、その時に鳩山さんは、9月16日の記者発表で、実は自民党の予算は無駄が多い、だから民主党が政権を取ったら初年度で7兆円減らすと。それで、4年間で16兆ないしは17兆円減らすと約束したんですね。初年度全然減ってないじゃないですか。
小沢: うん、ですからなぜかというんですね。
田原: そう、そこ。
小沢: 民主党政権になって、そこは僕もなかなかもどかしいところなんですが、予算編成はどうやって作られているかというと、結局今の民主党政権になっても自民党時代の時とずっと同じようにやられてるんですね。
田原: どういうことですか?
小沢: 要するに各省がそれぞれの今までの自分たちの視野の範囲内で、自分たちで全部原案を作って来るわけです。そしてそれを全部集めたのが総予算で、政府内閣・大蔵省(財務省)を主導して、枠は決めますよ。だけどこれは一律のカットなんですね。例えば100兆円なら100兆円と決めれば、全部集めると120兆円なれば20兆円削るというだけで、政策的に「この政策は生かそう」、「この政策はボツにしよう」という選択をせずに、各省から上がってきたものを全部集めて予算を作ると。だから絶対お金が足りるわけないんですよ。
田原: いや、だからね。何で鳩山さんは首相で、「7兆円減らして来ない。ダメだ、やり直せ!」って言えないんですか?
小沢: だからそこが、なかなかその通り行かなかったというところは本当に・・・。
田原: ちょっと言っちゃいけないんですが、当時小沢さんは幹事長ですね。だから小沢さんが「やんなきゃダメだ」と言えば・・・。
小沢: いや、野党の時には「国民主導・政治家主導の政治を実現するんだ」と。
田原: 言ってました。
小沢: 言いました。そのためには、まず1つの方法として、政府与党一体の仕組みを作ろうということで、僕は幹事長として、また副代表やなんかも、党の幹部もみんなシャドーキャビネット、ネクストキャビネットに入ってたんですよ。ところが政権を取った途端に、結局党の幹部は「もう入らない」と。
田原: 何?
小沢: その政府に。
田原: 政策にはタッチしない?
小沢: ということに仕切りされたんですよ。
田原: なんで? そんな馬鹿な。だって民主党で一番の政策通が小沢さんじゃないですか。小沢さんを外して、予算組むなんてむちゃくちゃじゃないですか。
小沢: いや、僕は別に。そういう方針だということですから。
田原: 誰がそんな方針決めたんですか?
小沢: それはたまたま、その時は鳩山総理でしたけども。
田原: 鳩山さんが勝手に決めたわけ?
小沢: いや、勝手というわけじゃないでしょうが。そういう方針だということだったので、僕もああそうですかということで。
田原: そんなに小沢さんって大人しい人ですか。
小沢: いや、大人しいですよ(笑)。
田原: だって本当に、日本の政治家で一番政策に詳しいんだから、キャリアも十分あるし、自民党でも幹事長もされたわけだし。そういうところは鳩山さんに言ってあげればいいと僕は思う。
小沢: ですから、そこをごちゃごちゃにして混乱させてはいけないと思いましたから。
田原: でもその結果大混乱じゃないですか。つまり「7兆円減らす」と言って減ってないと。もう今年なんて何兆円減らすかもなくなっちゃった。16兆円も17兆円もどこかいっちゃった。めちゃくちゃじゃないですか。
小沢: ですから、今までと同じやり方、同じ予算編成、予算配分の仕方をしてたら、お金が出てくるはずないんですよ。
田原: ないですよ、それは。
小沢: みんな役所が目一杯、俺のほうがいっぱい取ろういっぱい取ろうという話ですから。だからそれを取捨選択して、政策の優先順位をつけていくのが政治家の役目なんですね。
田原: だからそれは、各省で言えば大臣の役割だし、そのために小沢さんは大臣だけじゃなくて副大臣、それから政務官を置いて、役人の言う通りにしないでおこうと、ちゃんと政治家主導をやろうと。それで、大臣がいて総理大臣がいたと。何もできなかったのはどうしてなんですか?
小沢: いっぺんでも描いた通りにできなくては、私はやっぱりそういう努力をしていかないと国民から見放されると。言ってることと、現に政権取ったらやってることと違うという話になっちゃうんで。
■「官僚も馬鹿じゃない。今までと同じでいいとは思っていない」
田原: そこなんですよ。でね、鳩山さんが(総理大臣を)辞めた。菅(直人)さんになった。また何もやってない。これは何ですか。
小沢: ですからどうしても、そこは少し経験不足の面もあると思います。やっぱり役人さんは知識もあるし、官僚機構としては強大ですしね。ついついそこにおんぶしちゃうということになっちゃってるんですね、きっと。
田原: だけど、小沢さんが一番尊敬されてらっしゃる田中角栄(元総理大臣)さんは、その官僚を使うのが実にうまかった。そういう意味では実は小沢さんも非常にうまいんだと思う。
小沢: ただ僕の主張している革命的なことというのは、行政官僚にとっては改革ですから、必ずしも賛成ではないんですよ。
田原: それは腹の中ではそうだけど、小沢さんは力が強いから「反対」って言えませんよ。
小沢: だけど官僚も馬鹿じゃないですし、今こういう難しい時代に今までと同じやり方でいいとは思ってないですよ。優秀な奴ほど。
田原: そうですか。
小沢: それは絶対そうです。もちろん自分たちの利害もありますけどね。ですから、筋道の通った政治家がきちんとした理念と見識を持って政策決定をしていけば官僚も従うんですよ。そこをどうしてもついつい・・・。
田原: 何でできないんだろう? 自民党はそれができなかった。だから国民は自民党を見放して、民主党なら小沢さんがいらっしゃるからできるんじゃないかと思って、民主党政権にしたんですよ。
小沢: だけど僕一人でできるわけじゃないですからね。
田原: だけど今も、さっきの言葉では野田さんもまた官僚任せと。困っちゃいますね。
小沢: ですからTPPの話にしても、野田さんが多少反対があろうがこれはやるんだと、その決断はそれはいいと思うんですよ。それだったら、そう言ったとか言わないとかごちゃごちゃしないで、その筋道を通してもらうのがいいと思うんですがね。
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◆『小沢一郎 語り尽くす』TPP/消費税/裁判/マスコミ/原発/普天間/尖閣/官僚/後を託すような政治家は 2011-11-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
小沢一郎 すべてを語る TPP、消費税、政治とカネ、原発… 聞き手;鳥越俊太郎(サンデー毎日2011/11/27号)より抜粋
*基礎訓練なしに偉くなっても
鳥越:そういう中で、政権の組み替え、政党の再編成は考えられますか。
小沢:民主党が2年前に国民が期待したことをやろうと一生懸命頑張っている姿を見せさえすれば、支持は戻ると思う。悪戦苦闘しているけれども進もうとしている姿に、国民は良い感情を持つのではないか。みんな自覚を持って頑張らないと。それぞれの部署の人が責任を持ち、決断してやっていくということじゃないでしょうか。責任を持たないと、結局、役人の言う通りになっちゃいます。
鳥越:次期衆院選や民主党次期代表選について考えることはありますか。
小沢:野田総理も(安住淳)財務大臣も、消費税(増税)をやるって言っているでしょ?来年1月の通常国会に(関連法案を)出すとなると、来月にはおおよその成案を作っておかなければならない。消費税は直接、個々の国民全部に響きますからね。まして今は世界的大不況が来るかもしれないという時、国内では東日本大震災の影響がある時に、消費税増税というのは、僕は納得できない。もうひとつ、2年前に「(衆院議員任期の)4年間は(消費税増税を)やりません」と約束して政権がスタートしたわけですから、それを反故にすることにもなる。両方の面で、ちょっとどうかなと思います。
鳥越:小沢さんは消費税を上げることには反対?
小沢:今、現時点で上げることには賛成できないですね。ただ、総理と財務大臣が(消費税増税を)言っちゃってますからね。12月には成案、来年1月の通常国会には法案を出すと、よその国まで行って話しているわけですから、ちょっとこれはしんどい。このまま衆院選をすれば問題にならない。ベタ負けですね。
鳥越:あまり明るい材料がありませんね。
小沢:初心に帰ることだと思います。人間ですから約束したことが100%できないのは仕方ない。しかし、約束を守ろうと努力する姿が尊い。最初からやれないとというのでは「一体、何のための政権交代だったんだ」ということになる。真摯な努力の姿を原点に返って取り戻すというのが、いいのではないでしょうか。
鳥越:しかし、小沢さんがそう言っても松下政経塾出身の政治家たちは全然違う動きをしています。
小沢:彼らもそういう公約の下で当選してきた。
鳥越:でも公約がほとんど実行されていません。
小沢:それがちょっと問題でしょうね。困ったことですけど……。
鳥越:困ったとおっしゃいますが、国民も困っているんです。
小沢:そう。そのツケが国民に行くから、国にとっても国民にとっても困ったことになっちゃうということ。非常に心配です。
鳥越:小沢さんがもう一度、政権運営に携わる道はないのでしょうか。
小沢:僕自身は別にどうでもいい。問題は、民主党の場合はみんな基礎的な訓練をしないままポッと偉くなっていること。ベースがないので、何か問題に突き当たった時に「これはこうしよう、ああしよう」という判断ができなくなっているのではないか。仕方ない面もありますが、世界、世の中は待ってくれない。
鳥越:ギリシャに端を発した金融。経済危機ですが、良いのは中国くらいで、ほとんどダメですね。
小沢:欧米がダメになれば中国にも影響するでしょう。中国のバブル経済が弾けそうになっていますが、本当に弾けたら動乱です。中国は政治的動乱を伴うので大変ですよ。
鳥越:経済や金融がグローバル化した結果、一国の問題が世界に波及する事態になった。ギリシャがデフォルトでダメになれば欧州の銀行や米国の銀行がダメになり日本も影響を受ける。そういう時に国民にしっかり支持されている政権がないと困ります。打つ手はありますか?
小沢:妙薬というのはないですね。国民との約束を守る姿勢で政権を運営することからですね。
鳥越:強制起訴による裁判が続いています¨行動の自由を奪われているということはありますか。
小沢:「そんな立場なのに何だ」と、また批判されますからね。あまり過激な言動をするわけにはいかないし、多少は制約されますね。元私設秘書の石川知裕衆院議員ら3人に対する東京地裁の有罪判決は、びっくりしました。
鳥越:驚きました。全部「推認」でした。「多分そうだろう」と(笑)。
小沢:ハッ、ハッ。
元オウム・広瀬健一死刑囚が手記を公開
2011年11月28日月曜日 カルト新聞
元オウム・広瀬健一死刑囚が手記を公開
オウム真理教による地下鉄サリン事件の実行犯の一人として2009年に死刑が確定した広瀬健一死刑囚が、獄中で手記をしたため、公開を要望しています。広瀬死刑囚から手記を託されたA氏からの提供で、広瀬死刑囚による直筆の手記の一部を掲載します。手記は現在も獄中からA氏のもとに送られてきており、12月上旬には完結する見通しとのことです。
広瀬死刑囚は、1995年にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件に実行犯として関わったほか、自動小銃密造事件に関与。教団内では「科学技術省次官」の地位にありました。2009年に死刑が確定しています。
一方、広瀬死刑囚から手記の公開を託されたA氏は、死刑確定の半年ほど前から広瀬死刑囚と文通を始めたといいます。A氏のもとに送られてきた広瀬死刑囚の手記には、以下のような記述があります。
【広瀬健一氏の手記】
(略)
地下鉄サリン事件においては、一三人の方々の尊い生命を奪い、五〇〇〇人以上の方々に重軽症(ママ)を負わすという大罪を犯しました。被害関係者の方々の苦痛の激しさは、私の想像が及ぶべくもないものと存じ上げます。謝罪の言葉も見つかりません。また人として許されない残酷な行為をしたことは、慙愧に堪えません。その贖罪は、私の命を捧げてもかなわないと存じております。
私がサリンを発散した車両では、一人の方が亡くなられ、また一人の方が重篤な障害を負われ、今も闘病生活を続けておられます。(略)このような重大な結果を自身の行為によって招いたという事実、そして被害関係者の方々が今も言葉に余る悲しみや苦痛に耐えていらっしゃるという現実が私の心から離れることはなく、生き続けていることが真に申し訳なく思います。
そのような状況においてまた、私には心苦しいと思うことがあります。それは、約束である手記の出版を果たしていないことです。地下鉄サリン事件の被害関係者の方々が原告となられた民事裁判において、代理人の方から手記を出版するようにとのお話があったのです。元信徒の手記を含む多数のオウム関連書籍が存在する今、軌を一にするものを上梓できるはずがなく、いかなる手記を執筆すべきか迷い続けて参りましたが、贖いに向けた行為をせずに無為に日々を過ごすのは許されないと思い、決心するに至りました。
少しでも何らかの役に立つことを願い、一般社会の方々や信徒・元信徒たちから寄せられた問いを念頭に置いて、執筆させていただきたく思います。
(略)
そして広瀬死刑囚は、一連の事件とオウム真理教の教義との関連や、教祖・麻原彰晃の発言を綴っています。
【広瀬健一氏の手記】
(略)
麻原において、CSI(教団の科学班:本紙註)のメンバーを意識してヴァジラヤーナの救済を説いていた事実から、この教義によって信徒を強化し、違法行為に導く意図があったことは明らかです。また元より、私どもは麻原から、ヴァジラヤーナの救済であることを明示された上で、教団の武装化を命じられていたのです。
(略)
A氏は、手記の公開を望む広瀬死刑囚の意向にそって、手記の一部を公開することにしたとのことです。原稿は現在も継続してA氏のもとに送られてきており、今回掲載するのは「序章」から「第3章2節」までのそれぞれ抜粋で、計39ページ分です。最終的な分量や内容はA氏も「わからない」そうですが、残り10数ページで12月上旬には完結するのではないかとのこと。本紙でも今後、新たな原稿が届くごとに追加していく予定です。
なお広瀬死刑囚の意向としては、一部をネットで公開の後、何らかの形での出版を望んでいるといいます。
オウム真理教の事件をめぐっては、11月21日に最高裁判所が遠藤誠一被告の上告を棄却し死刑が確定。これによって一連の刑事裁判が全て終結しました。しかし本紙既報の通り、同日、オウム真理教家族の会などが、教祖・松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚以外の12人について死刑執行を回避すべきとの声明を発表。記者会見で、「松本智津夫以外の人たちの多くは、カルト問題やオウムに対してきちんとしたことをやっていく大事な証人」(オウム真理教被害対策弁護団の事務局長・小野毅弁護士)などとしています。
今回公表された手記も、死刑囚が発信する貴重な証言の一例でしょう。
【広瀬健一死刑囚の手記】
序章
第2章第2節
第2章第4節
第3章
【関連記事】
オウム裁判終結、オウム家族の会などが「麻原以外の死刑回避」求める
投稿者 藤倉善郎 時刻: 10:00:00 ラベル: オウム真理教
橋下連合の圧勝で、行政も国政もこう変わる/清掃工場基準から、大阪市・堺市あわせて31区を7区に・・・
大阪市は24区から5区に削減ーー大阪ダブル選挙「橋下連合」の圧勝で行政も国政もこう変わる
「大阪都」「道州制」実現へのハードルを乗り越えよ
現代ビジネス2011年11月28日(月)高橋洋一「ニュースの深層」
大阪ダブル選挙で、橋下・松井の維新連合が、既成政党の連合に圧勝した。11月14日付け本コラムで書いたように、この選挙は「大阪都構想」の是非を問うていったが、つまりは地方自治について新しい枠組か従来の枠組かの争いだった。その本質は、既得権者のしがらみなく改革するか、地方公務員などの既得権者を守って改革をしないかだ。幸いにも、大阪府民・市民は賢明だった。しがらみない改革の道を選び、既得権者にノーをいった。
結果は橋下維新の圧勝だったが、えげつない週刊誌の個人攻撃を「結構毛だらけ」と見事に逆手にとった橋下氏は別としても、平松氏は直前まで劣勢と伝えられていた。決定的になったのは、24日(木)に予定されていた平松・橋下両氏のテレビ討論を平松氏がドタキャンしたことだろう。
司会者が公平でないというのがキャンセルした理由といわれているが、そんなことは前からわかっていたことだろう。あえて不利な場合でもそれをアピールして、橋下氏を利用できる。政治家は、官僚の下書きに頼らず、瞬間の反射神経を要求されるが、平松氏はその才能がなかったということだろう。
*まず焦点は水道事業の改革
ノーを言い渡された既得権者は、民主、自民、公明、共産の既存政党、地方公務員やその関係者、関西電力などである。
橋下氏が当選会見でいっていたように、まず、職員基本条例や教育基本条例をどうするかだ。もちろん今回の選挙の争点であったわけで、民主主義の観点からいえば府議会なども無視できないはずだ。
すんなりいくかどうか、多少不安もあるが、小泉氏の郵政選挙の時、選挙がなかった参院議員も総選挙後、反対から賛成に回った人が多かった。もし議会に良識があれば、職員基本条例や教育基本条例は成立するだろう。 校長を公募制とするなどの教育基本条例は、選挙前に「教育の政治的中立性」を侵すといわれたが、教育を文科官僚と教育委員会・教員集団の既得権者が専権領域としたいだけだ。本来の「中立性」は、教育内容が党派的な偏ったものになってはならないということで、政治が教育に口を出してはならないという意味ではない。
また、職員基本条例は、渡辺喜美みんなの党代表がやろうとしていた国家公務員制度改革を地方で先にやろうとしているものだ。だからこそ、大阪の地方公務員が猛反対していた。しかし、民意はやはり公務員制度改革を望んでいたのである。
橋下氏の「大阪都構想」の実現には、ハードルは数多くある。まず、「大阪都移行本部」が作られその中で、東京都の「都区協議会」にならって、大阪府と大阪市の「連絡協議会」が作られるはずだ。その中で、今の制度でもできることが行われるはずだ。
その中で、具体的な焦点は水道事業だろう。橋下氏が大阪府知事になったとき、平松大阪市長と水道事業で話合いが行われた。そのとき、水道事業の二重行政が解消できていれば、今回のダブル選挙はなかったはずだ。それだけに水道事業改革について、橋下氏は是非ともやらなければいけない。
*大阪都構想の実現に必要な法律の改正
もし、「大阪都構想」どおり、大阪市の「区」が東京のような特別区になれば、大阪市はなくなり、大阪府と大阪「特別区」になる。今の制度では、「特別区」は、上下水道・消防のような広域事業は行わないで、都の役割になっている。これから類推すると、水道事業は大阪市から大阪府に移管されていい。平松氏が大阪市の水道事業を残したいということから、橋下氏との友好関係が崩れたといわれているので、橋下氏は自分で大阪市長になって、水道事業を大阪府に移管するだろう。
東京都は、地下鉄、バスなどの事業も行っている。これらの広域事業も「特別区」の仕事ではない。地下鉄やバスは大阪市の事業になっており、金食い虫になっている。これらの事業の一部は民営化されたりして、残りは大阪府に引き渡されるだろう。
これらの改革のためには、多くの条例が必要だ。これまで、面白いことに、地方の条例について、議員提案はできないという総務省が流した都市伝説がある。もちろん、「普通地方公共団体の議会の議員は、議会の議決すべき事件につき、議会に議案を提出することができる」(地方自治法112条)と定められている。しかし、国会でほとんどの法律が内閣提案になっているように、地方議会でも地方政府提案が多い。それでは、こうした改革は難しくなるので、政策を条例化するスタッフが必要になるだろう。
大阪という地域の選挙であったが、橋下氏は「大阪都構想」によってその先に道州制を見据えている。また、公務員制度改革を進めている。その影響は国政にも及ぶだろう。
「大阪都構想」の実現には国の法律改正が必要だ。東京都と特別区ができたのは戦時体制下だ。それを追認して今の地方自治法になっている。
「大阪都構想」と「道州制」で、橋下氏は各党と協議するだろう。そこで、各党は本物の地方分権の意欲が試される。野田政権は年末に消費税増税に動くので、政局も流動化しやすい。橋下人気を頼りに、基本的な政策抜きにしてすり寄る政党もあるだろう。そうした政党は政策本位の橋下氏に化けの皮をはがされるに違いない。
*大阪市・堺市あわせて31区を7区に
最後に、特別区移行にあたって、どのくらいの「区」の数にしたらいいのかを検討しておこう。
ここでは、清掃工場(ゴミ焼却施設)を一つの基準として考えてみよう。もちろん市の行政はゴミ焼却以外にも多くあるので、実際には清掃工場だけの観点では考えることができない。ただ、各政令市でゴミ焼却事業は共通のものであり、その規模に応じて一つの清掃工場をカバーする区の数に一定の関係がある。それを使って、カバーする区の標準的な数より、大阪市のそれが大きければ、それは大阪市の区の数が多いとみなすことができる。
大阪市と堺市はともに傾向線(図は略 来栖)よりかなり上に位置している。その分、区の数が多すぎるのだ。傾向線の上にあるためには、大阪市は今の24区から17区へ、堺市は今の7区から5区に減少させていいくらいだ。つまり、大阪市と堺市を合わせて、区長公選を行うなら、少なくとも清掃工場基準でみても、今の31区を22区に減らさなければ効率的な行政ができない。
しかし、これは大阪市の清掃工場の規模があまり大きくなく、効率的でないことを前提とした数だ。東京特別区並みを目指すなら、大阪市は今の24区から5区へ、堺市は今の7区から2区に、今の31区を7区にする必要がある。
こうした効率的な清掃工場は迷惑施設ではなく、地域のエネルギーセンターになる。関西電力を敵に回して電力改革をするなら、住民サービスと一石二鳥になる清掃工場の再編も一緒に行ってはどうだろうか。
いずれにしても、橋下構想の「大阪都」、「道州制」を実現させるには、国の法律レベルの改正などでいくつかのハードルがあるが、是非乗り越えてもらいたい。
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◆橋下徹氏「今の権力構造を変えるには、坊ちゃんやお嬢ちゃんじゃできませんよ」/透けるポピュリズム2011-11-05 | 政治
◆政党政治が崩れる〜問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム
二大政党へ失望感 ポピュリズムの色彩 論壇時評 金子勝(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)
落合博満『オレ流采配』/「完全試合直前」山井の交代、アライバ謎のコンバート、WBCボイコット・・・
落合博満「今明かされる『オレ流采配』の真実」
「完全試合直前」山井の交代、アライバ謎のコンバート、WBCボイコット・・・
現代ビジネス2011年11月28日(月)フライデー
■落合博満監督の信念は〈最大のファンサービスは、あくまで試合に勝つこと〉。最後までブレることはなかった
例えば0-1の敗戦が続いたとする。普通なら、打線の奮起を促すところだが、中日・落合博満監督(57)は違う。
〈投手陣を集め、こう言うだろう。「打線が援護できないのに、なぜ点を取られるんだ。おまえたちが0点に抑えてくれれば、打てなくても0対0の引き分けになる。勝てない時は負けない努力をするんだ」〉〈試合は「1点を守り抜くか、相手を『0』にすれば、負けない」のだ〉
0―1ではなかったものの、第1戦、第2戦ともに延長戦を2―1のロースコアで制した日本シリーズの戦いぶりに、確かに?オレ竜野球?の真髄が見て取れた。〈 〉内の言葉はすべて、落合監督の10年ぶりの書き下ろし作―その名もズバリ、『采配』(ダイヤモンド社)内での言葉だ。本誌は11月21日発売の本書をいち早く入手。そこには?不言実行の男?が胸に秘めていた「オレ流采配の真実」が記されていた。いくつか抜粋しよう。
*采配(1)絶対的信頼
3度も三冠王を獲った男が「投手力」を中心とした守りの野球を推し進めたのは〈私の好みではなく、勝つための選択〉だった。そしてその大事な投手陣を、落合監督は完全に任せ切った。
〈監督を務めて8年間、私が先発投手を決めたのは一度しかない。就任直後の2004年、開幕戦に川崎憲次郎を先発させた試合だ。つまり、私が監督になってからの2試合目からはすべて、森繁和ヘッドコーチが決めていた〉
誰が先発か知らない日もあった。
〈顔は怖いし、言葉遣いが少々乱暴に聞こえることもあるが、選手に対して並々ならぬ愛情を持っているのがよくわかる男だ〉
とは彼の森コーチ評だ。一度、実力を認めたら、責任持って100%任せ切る。この胆力と信頼が部下を育てるのだ。
*采配(2) 勝つことが最優先
'07 年の日本シリーズ第5戦。先発の山井大介(33)は8回まで日本ハム打線をノーヒットに抑えていた。完全試合達成となれば日本シリーズ史上初の快挙だったが、落合監督が9回のマウンドに送ったのは守護神・岩瀬仁紀(37)だった。
〈この日本シリーズの流れを冷静に見ていった時、もしこの試合に負けるようなことがあれば、札幌に戻った2試合も落としてしまう可能性が大きいと感じていた〉〈私はドラゴンズの監督である。そこで最優先しなければならないのは、「53年ぶりの日本一」という重い扉を開くための最善の策だった〉
ここで降板させたら、何と言われるか。だが、点差はわずかに1点。山井は右手薬指のマメを潰している―邪念を振り払い、選択したのが岩瀬の投入だった。
〈私の采配を支持した人には日本シリーズを制した監督が多いな、ということ以外、メディアや世間の反応については、どんな感想を抱くこともなかった。(中略)采配の是非は、それがもたらした結果とともに、歴史が評価してくれるのではないか〉
周囲に惑わされず、勝利のために最善を尽くす。リーダーはブレてはいけないのだ。
*采配(3)「アライバ」シャッフル
落合采配・最大のミステリーとしてファンの間で語られているのが、セカンド・荒木雅博(34)&ショート・井端弘和(36)の「アライバコンビ」のシャッフルだろう。6年連続でゴールデングラブ賞を獲った二人の守備位置を、 '10 年シーズンから落合監督は入れ替えたのだ。
〈彼らの適性だと判断した〉〈?慣れによる停滞?を取り除かなければいけない〉
というのがその理由。この年、荒木は自己最多の20失策を記録。井端は体調不良もあり、リタイア。コンバートは失敗に見えた。だが、指揮官はへこたれない。
〈この先、(荒木が)二塁手に戻るようなことがあれば、間違いなく以前を遥かに超えたプレーを見せるはずだ。遊撃手を経験したことにより、荒木の守備力は「上手い」から「凄い」というレベルに進化しているのだ〉
*采配(4) ベテラン重用の理由
落合政権下でレギュラーを奪取した生え抜きの野手はなんと、森野将彦(33)だけ。「若手を使わず、ベテランを贔屓する」と批判される所以(ゆえん)だが、この点、落合監督は否定しない。まだ時間がある若手と先がないベテラン、〈どちらがここ一番の場面で力を出すのか。それを考えると、ベテランを起用せざるを得ない〉と明言しているのだ。実際、日本シリーズで和田一浩(39)、谷繁元信(40)らが活躍しているだけに重い言葉である。
冷や飯を食わされている側にも目を向けよう。1年目から3割近い打率をマークしたのに出場機会が激減。「落合にスポイルされている」とファンに噂されている藤井淳志外野手(30)については、新聞紙上でのコメントと同様、〈勝負どころの打球判断に不安を感じていた〉と語っていた。だが、他の選手もエラーはする。彼が目の敵にされた理由はおそらく、別頁のこんな記述の中にある。
〈何も反省せずに失敗を繰り返すことは論外だが、失敗を引きずって無難なプレーしかしなくなることも成長の妨げになるのだ〉〈注意しなければ気づかないような小さなものでも、「手抜き」を放置するとチームに致命的な穴があく〉
*采配(5) WBCよりも契約
輝かしい成績を残したオレ竜、唯一の暗部が第2回WBCだろう。落合監督は代表監督就任を固辞。ドラゴンズの選手たちも辞退したことで、「球団をあげてボイコットするのか!」と批判されたのだ。
監督は今も納得がいっていない。自分は「優勝に向けて全力を尽くす」という中日との契約を優先させるべきであり、選手たちは〈契約書には明記されていない仕事をする場合には本人の意思が第一に尊重されるべき〉だったからだ。
「辞退理由を述べろ」との当時の論調はこう退けた。〈(故障など)選手のコンディションとは、言わば一事業主にとって?企業秘密?なのである〉と。
連覇しても解任。その無慈悲な現実を突きつけられた落合監督が口にしたのは、「契約だから」という一言だった。
オレ流とミスターとの比較、若手を伸ばすコツなど、同書には他にも落合節がビッシリ。自らの人生を采配するヒントになること、うけあいだ。
「フライデー」2011年12月2日号より
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◆原優勝手記で落合挑発? WBC選手出さず、故障者隠し…
2009年9月25日16時56分配信 夕刊フジ
優勝手記での巨人・原辰徳監督(51)の挑発的な発言に対し、中日・落合博満監督(55)がどう反撃するか。消化試合になった28日からの今季最後のナゴヤドーム3連戦にも興味がわき、本番のクライマックスシリーズ(CS)が面白くなってきた。
24日付の読売新聞のスポーツ面に載った原監督の優勝手記。興味深かったのは、今年3月に行われたWBCの日本代表選手に中日が1人も派遣しなかった件に関してだ。
「WBCに中日の選手は一人も出場しなかった。どんなチーム事情があったかは分からないが、日本代表監督の立場としては『侍ジャパン』として戦えるメンバーが中日にはいなかったものとして、自分の中では消化せざるを得なかった」
全員出場辞退した中日勢抜きでWBCを連覇した結果があるから言える言葉だが、その後に刺激的な発言が続いている。
「野球の本質を理解した選手が多く、いつもスキのない野球を仕掛けてくる中日の強さには敬服するが、スポーツの原点から外れた閉塞感のようなものには違和感を覚えることがある。今年最初の3連戦、しかも敵地で中日に3連勝出来たことは格別の感があった」
チームの機密を盾に故障者も明かさない落合流管理野球を真っ向から批判したようなもの。それだけに、落合監督としても黙って受け流せる言葉ではないはず。
巨人のリーグ3連覇が決まった後、「オレがこの状況に手をこまねいていると思うか? 見くびるな」と声を大にし、10月17日から始まる3位とのCS第1ステージ、21日からのリーグ優勝の巨人との第2ステージへ向け万全の備えを宣言している。
今季ペナントレース最後の顔合わせになる28日からのナゴヤドーム3連戦にも興味が出てくる。本来なら単なる消化試合に過ぎないが、原監督の刺激的な優勝手記で何が起こっても不思議ではなくなったからだ。見どころ満載のCSのリハーサルとしてハプニングがあるのかどうか。乞うご期待だ。(夕刊フジ編集委員・江尻良文)
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◆『采配』落合博満/孤独に勝たなければ、勝負に勝てない/3つの敵/「負けない努力」が勝ちにつながる2011-11-25 | 野球・・・など
消費税引き上げのための「使い捨て」野田政権 選挙モードに入るのか?/小沢一郎氏/亀井静香氏/地域政党
選挙モードに入るのか?
2011年11月28日00:46 田中良紹の「国会探検」
第三次補正予算は成立したが、震災からの復興体制が万全になったとは言えないうちに、解散・総選挙の話が与野党双方から出始めた。
きっかけは11月3日、G20の首脳会議に出席した野田総理が「2010年代半ばまでに消費税を段階的に10%に引き上げる」方針を示し、「消費税法案を2011年度内に提出する」事を国際公約したからである。同行記者団には「法案の実施前に国民の信を問いたい」と述べた。
21日には五十嵐文彦財務副大臣が「2013年10月以降に消費税率を1回目として2〜3%引き上げ、残りの2〜3%は15年4月か10月になる」と野田総理の発言を補足した。実施予定の2013年10月以降というのは現在の衆議院議員の任期を越えており、その前に必ず総選挙は行なわれる。しかし法案を決める前に国民の声は聞かないと言う。
民主党は2009年の総選挙で「消費税を4年間は上げない」事を国民に公約して政権交代を果たした。従って引き上げの実施時期は公約を守った事になるが、決めるのはそれより1年以上も前なのである。しかも決める前に信を問わず、決めた後で信を問うというのは、いかにも霞が関の官僚が考えそうなやり方である。
官僚から見れば野田総理は消費税引き上げを決めてくれれば良い訳で、それで野田政権が潰れてもその後の政権が増税路線を引き継ぐと見ている。おそらく野田総理は「市場の信用を失わないために日本は財政再建の強い姿勢を国際社会に見せる必要がある」と言われ、G20で消費税引き上げを国際公約にした。
しかし国際公約にすると総理は逃げる事が出来なくなる。国際公約を守らなければ政治責任を問われて退陣に追い込まれる。07年の参議院選挙に敗れた安倍総理は、国際公約していたインド洋での海上給油が「ねじれ」によって不可能になった事に気づいたところで退陣を表明した。
そうした意味で野田政権は官僚にとって消費税引き上げのための「使い捨て」政権であり、国際公約した事で「二階に上らされた」と見る事ができる。ハシゴを外される可能性がないわけではない。
野田総理の国際公約を見て政局が動き出した。自民党の谷垣総裁は「増税をやるなら決める前に総選挙で国民の信を問うべきだ」と言い、石原幹事長は「自民、公明、民主の3党が消費税法案の成立と引き換えに話し合いで解散する」可能性に言及した。自民党は民主党が消費税増税に踏み込んでくれれば政権奪還の勝機と見て、早期解散を求めている。
一方、民主党では小沢元代表が野田総理の政権運営を厳しく批判し始めた。消費税増税を決めて早期解散に追い込まれれば民主党は大惨敗する可能性に言及した。
そして政界には再編に向けた動きも加速してきた。石原幹事長は「民主党と自民党の二大政党がいずれも増税を巡って分裂する」と言い、国民新党の亀井代表は政界再編を見据えた新党構想を発表した。
亀井代表が新党構想を打ち上げた背景には、国民新党にとって最重要課題である郵政改革法案の成立が見通せない苛立ちがあり、こちらも連立離脱をちらつかせて野田政権を揺さぶっている。震災からの復興を万全にするには、郵政改革法案を成立させ、郵政株の売却によって増税を圧縮する方法がある。公明党は賛成しているが、自民党の小泉改革支持派が反対している。
野田総理が消費税増税を言い出して自民党を選挙モードに追い込み、対立を先鋭化させてしまえば、郵政改革法案を成立させ、郵政株の売却で復興増税を圧縮する事も出来なくなる。亀井氏にすれば政策の優先順位が逆だと言いたいところだろう。
亀井氏の新党構想は「一人芝居」と政界から冷ややかに見られたが、連携する相手の中には既成政党と一線を画す地域政党が含まれていた。その地域政党の代表格である「大阪維新の会」は27日の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙で圧勝した。愛知県と名古屋市でも見られたが、こうした地域では既成政党はもはや守旧政党である。
2年前の総選挙での民主党に対する熱い期待は幻想であった事が分かり、とはいえスキャンダル攻撃しか出来ない自民党には一層の幻滅を感じ、国民は地方首長の唱える「改革」にしか光明を見出せなくなっている。これら地方の「第三極」は必ずや国政を目指して選挙に候補者を擁立してくる。「第三極」は今や再編の柱の一つである。
この夏に野田政権が誕生したとき、その課題は震災復興と原発事故対応の一点に尽きると私は思っていた。それを万全にした上で定数是正と選挙制度改革の難題に取り組み、さらには世界経済危機に対する経済の舵取りが問われていた。それで任期1年を燃焼しつくす。選挙モードに火をつける段階ではないと思っていた。
ところが国際公約をした以上、野田総理は消費税引き上げに突き進むしかない。「使い捨て」になるかもしれない路線である。野田総理は次期通常国会で2013年実施の増税を決めようとしているが、現在の世界経済を見れば、2013年の日本経済がどうなるか予測などつかない。
ヨーロッパの経済危機は中国経済に影響を及ぼし、それが日本経済にも波及してくる。一方で震災復興と原発事故を乗り越える事は急務である。その行方が分からずとも増税を決め、選挙モードに入る事は、この国の行方を神のみぞ知る世界に委ねる事になる。
・田中良紹(たなか・よしつぐ)
1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。
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大阪ダブル選挙「維新の会」が制す 市長選は橋下氏が大差の勝利
J−CASTニュース2011/11/27 21:35
40年ぶりとなった大阪府知事・大阪市長の「ダブル選挙」は、いずれも地域政党「大阪維新の会」の勝利が確実となった。
前大阪府知事の橋下徹氏(42)と、現職で再選を目指した平松邦夫氏(63)の一騎打ちは橋下氏が得票数で大きく差を広げたと見られる。
*橋下新市長「広域行政は府知事が決定権」
大阪府知事・大阪市長選は2011年11月27日に投票が行われた。投票が締め切られた20時、NHKなど主要メディアが事前情報や開票所での出口調査をもとに「当確情報」を発表。7人の新人候補で争われた府知事選は、「大阪維新の会」公認で前府議の松井一郎氏(47)が、前大阪府池田市長で民主党府連や自民党府連が支援した倉田薫氏(63)らを破って初当選を果たすことが確実となった。
市長選では、「大阪都構想」を掲げて府と市の再編を主張する橋下氏と、「大阪都構想」を「市民にとってメリットは全くない」と批判し、真っ向から対決姿勢を強めていた平松氏との間で、激しい選挙戦が繰り広げられた。投票日前日の26日にも、橋下陣営には石原慎太郎東京都知事が、一方の平松氏には民主党国会対策委員長の平野博文衆院議員らが応援にかけつけ、それぞれ支持を訴えた。しかしふたを開けると、早々に橋下氏の当選確実が報じられた。
松井氏、橋下氏はそろって20時40分ごろに報道陣の前に姿を現し、「勝利宣言」。最初に挨拶に立った松井氏は投票率が高かったことに触れて、「まず、政治に関心をもっていただいたことに感謝を申し上げたい」とひと言。「二元行政と呼ばれた今までの行政を根元から変えていく、そのスタートラインに立てたことをうれしく思っている」と話し、今後の橋下氏との連携を強調した。
一方の橋下氏は、「大阪府庁、大阪市役所、教育委員会は今回の選挙の結果を重く受け止めてほしい」と促した。さらに、広域行政は府知事が決定権を持つことが必要だと指摘。「大阪市長は大阪市民の票しか得ておらず、大阪全体のことに市長が口を出すのはおかしい」と話したうえで、これまでの大阪府と大阪市の「争い」に終止符を打ちたいと述べた。
*「民意を無視する職員は大阪市役所から去ってもらう」
その後開かれた共同記者会見で、橋下氏は「大阪都構想をやりたい、という強い思いが多少なりとも有権者に伝わったのではないか」と勝因を分析する一方、「まだ不十分、さらに説明しなければならない」と語った。続けて、「市職員の給与体系の見直し、また一部職員は政治を軽く見ているので、そのような職員の意識を変えていく。さらに区長の位置づけなど組織全体も見直していく」と今後のビジョンを明らかにした。市役所職員に向けては「民意に基づいてしっかりやろう、という気持ちになってくれるかどうか。民意を無視する職員は大阪市役所から去ってもらう」と厳しい口調だった。
一方、市長選に敗れた平松氏は会見で、「早々と残念な結果が出てしまったことで、私の力不足を痛切に感じている」と固い表情のまま支持者に対して謝罪。「4年間大阪市長として、市民の皆さんにいかに行政が寄り添えるかと2期目に挑戦したが、果たすことが出来なかった」と無念の様子を見せた。橋下氏については「強い相手だった」とだけ話した。
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◆消費増税「乱暴に過ぎる」=小沢一郎氏 鹿児島県霧島市で開かれた民主党衆院議員の会合で2011-11-27 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆亀井静香、政治生命をかけた最後の大勝負/小沢Gの中には、みんなの党との連携を模索する動きもある2011-11-26 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆橋下徹 それでも「圧勝」の異常選挙/ とっくに終わっている「古い力」に頼んだ平松陣営の愚2011-11-15 | 政治
麻原彰晃死刑囚〈=意識混濁・拘禁症状〉の「Xデー」/ オウム中川智正被告側が訂正申し立て
麻原彰晃死刑囚の「Xデー」 法務省のメンツで年内に来るか
NEWSポストセブン2011.11.28 16:00
11月22日、大手新聞各紙に「オウム裁判終結」の見出しが並んだ。その背景を大手紙司法担当記者が明かす。
「これだけ大きく報じたのは、裁判終結が麻原はじめオウム真理教の死刑囚たちの刑執行に大きく関わってくるからです。我々は麻原の死刑執行が年内いつ行なわれてもおかしくないと見ています。すでに予定原稿の準備は半ば終わっていますから」
麻原死刑囚の控訴が棄却され、死刑が確定したのは2006年のことだ。確定死刑囚の刑執行までの平均拘置期間は5年11か月。共犯者の裁判が終結したことで、いつ麻原死刑囚の「Xデー」が訪れても不思議ではない。
一方、麻原死刑囚の年内執行説が囁かれるのには、こんな事情もある。法務省関係者の話。
「昨年7月、千葉景子法相のサインによって、2人の死刑囚が執行されて以降、死刑は行なわれていません。1年通じて死刑が未執行ならば1992年以来で19年ぶりの事態になる。メンツを気にする法務官僚たちは焦っていることでしょう。
遠藤誠一被告の判決期日は今月に入る前に確定していたので、省内では約1か月前から麻原死刑囚の刑の執行へ向けた協議がされていました。当然、最終的な決断をする平岡秀夫法相にも、その声は届いています」
遠藤被告を加えると確定死刑囚は129人に達する。この数は過去最多である。ある法曹ジャーナリストは、「これは法務官僚の沽券に関わる問題」と語った。
「確定死刑囚が過去最多に達したのは、麻原に加えオウムの幹部信者12人がそこに加わったという要素もある。だから法務官僚は幹部信者らの刑の執行の流れを以前から作ろうとしていますが、そのためにはまず、麻原の執行がなされなければならないという考えです。
公判で検察側は、“主犯”麻原が事件を主導して、幹部信者たちが“従犯”として凶悪犯罪に手を染めたというストーリーを描いたからです。法務官僚は、“過去最多の確定死刑囚”“年間死刑執行ゼロ”を回避するためにも、麻原の手続きを迅速に進めたいのです」
オウム事件の被害者側からも、刑の執行がなされない限り、事件は終息しないとの声が多い。地下鉄サリン事件で夫を亡くし、16年半にわたりオウム裁判の傍聴を続けた高橋シズヱさんも、強い思いを述べる。
「法治国家で死刑という制度がある以上、それに値する犯罪を起こして刑罰を下されたなら執行されるべきです」
※週刊ポスト2011年12月9日号
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「オウム松本智津夫死刑囚は完全に拘禁反応 治療に専念させ、事件解明を」加賀乙彦氏 医師として自信2011-11-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
オウム公判終結:あの時…/6止 教祖自白なく真相闇に
◇精神科医として松本死刑囚に接見、加賀乙彦さん
真相が何も分からないまま、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚には「死刑」という結果だけが出た。もっと時間をかけて彼から言質を引き出し、なぜ教養や技術のある精鋭たちが彼の手の内に入って、残酷な殺人事件に引き込まれたのか明らかにする必要があった。それが裁判所の使命なのだが、放棄してしまった。私はこの裁判が終結したとは思っていない。法律的には死刑が確定したが、松本死刑囚の裁判は中途半端に終わってしまい、裁判をしなかったのと同じだ。
06年、弁護団の依頼で松本死刑囚に東京拘置所で接見した。許された時間は30分だけ。短時間では何も分からないと思うかもしれないが、私には自信があった。医師として、過去に何人もの死刑囚を拘置所で見ているが、松本死刑囚は完全に拘禁反応に陥っていた。何の反応も示さず、一言も発しない。一目で(意識が混濁した)混迷状態だと分かった。裁判を続けることはできないので、停止して治療に専念させるべきだと主張したが、裁判所は「正常」と判断した。
拘禁反応は環境を変え時間をかけて治療すれば治る病気だ。かつて東京拘置所で彼と同じ症例を4例見たが、投薬などで治すことができた。治療すれば、首謀者である彼の発言を得られた可能性があっただけに残念だ。
結局、松本死刑囚から何一つ事件についてきちんとした証言が得られないまま裁判は終結した。このまま死刑が執行されれば、真相は永久に闇に葬られてしまう。オウム事件の裁判ほど悲惨な裁判はないと思う。世界的にもまれな大事件を明らかにできないままでは、全世界に司法の弱点を示すことになる。
なぜ松本死刑囚に多くの若者が引きつけられ、殺人行為までしてしまったのか。信者の手記など、文献をいくら読んでも私には分からない。教祖の自白がなければ、なぜ残酷なことをしたのか解明もされず、遺族も納得できないはずだ。
「大勢を殺した人間は早く死刑にすべきだ」という国民的な空気にのって、裁判所もひたすら大急ぎで死刑に走ったように感じる。だが、真相が闇の中では「同じような事件を起こさせない」という一番大切な未来への対策が不可能になってしまう。再びオウム真理教のような集団が生まれ、次のサリン事件が起こる可能性も否定できない。形式的には裁判は終わったが、彼らを死に追いやるだけで、肝心な松本死刑囚が発言しないでいる今、あの事件は解決したと思えない。【聞き手・長野宏美】=おわり
◇かが・おとひこ
精神科医として東京拘置所に勤務し、大勢の死刑囚の診察に携わる。上智大教授などを務め、79年から創作活動に専念。医師の経験を基にした作品も多く、死刑囚が刑を執行されるまでを描いた小説「宣告」や、死刑囚との往復書簡集「ある死刑囚との対話」など著書多数。06年に弁護団の依頼で松本智津夫死刑囚に接見し「正常な意識で裁判を遂行できない」と、公判停止と治療を訴えた。82歳。
毎日新聞 2011年11月27日 東京朝刊
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オウム裁判:13被告、死刑確定へ 執行可否、次の焦点
<追跡>
オウム真理教の一連の事件を巡る公判は21日、元幹部の遠藤誠一被告(51)に対する最高裁判決で終結し、教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)ら計13人の死刑判決が確定する。刑事訴訟法の規定に従い法務省は今後、死刑の執行を検討していくとみられるが、松本死刑囚側は精神障害があると主張する。果たして執行に至るのか。その可否が、時期とともに注目される。
06年に死刑が確定した松本死刑囚は現在、東京拘置所の単独室に身を置く。関係者の話を総合すると、最近はほとんど言葉を発せず時折小声でなにかをつぶやく程度。日中はほぼ正座かあぐら姿で身動きしない。拘置所職員が食事を手伝うこともあったが、今は自分で食べている。家族が拘禁反応の治療が不十分として起こした訴訟の確定記録などによると、01年3月から失禁し、トイレを使ったのは07年に1度あるだけだという。逮捕時の長髪は短く切られ、ひげも落とした。
風呂や運動を促せば反応がみられるが、家族らの面会には応じていない。関係当局の間では「いろんな見方はあるが、言葉の意味は理解できており、精神障害ではない」として、死刑執行を停止するケースには当たらないとの見解が一般的だ。
刑訴法は判決確定日から6カ月以内に法相が死刑執行を命じなければならないと定めるが、共犯の被告の裁判や本人の再審請求の期間は6カ月に算入しないとしている。全被告の判決が確定することで「共犯者」というハードルは越えた。ただ、松本死刑囚は2回目となる再審請求審(昨年9月請求、今年5月に東京地裁が棄却)が東京高裁で続いている。他の死刑囚も再審請求の動きが目立つ。
一方、政府は「6カ月規定」について「違反しても直ちに問題とはならない『訓示規定』にとどまる」との見解だ。00〜09年に執行された死刑囚の判決確定から執行までの平均期間は5年11カ月。
執行命令は時の法相の姿勢次第という現実もある。執行を命じなかった法相も少なくない。民主党政権下での執行は1回、2人にとどまる。平岡秀夫法相は今月11日の閣議後会見で「個々の事案は、死刑が厳しい重大な罰であることを踏まえ慎重に判断する」と述べるにとどめた。
毎日新聞 2011年11月22日 東京朝刊
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オウム中川被告側が訂正申し立て 上告棄却の死刑判決
地下鉄、松本両サリンや坂本堤弁護士一家殺害などオウム真理教の計11事件で殺人罪などに問われた元教団幹部中川智正被告(49)の弁護人は28日、死刑の一、二審判決を支持して上告を棄却した18日の最高裁判決に対する訂正を申し立てた。
訂正申し立ては、最高裁判決に誤りがあるとして行う最後の不服申し立て手段だが、量刑が覆ったケースはない。申し立てが棄却されれば中川被告の死刑が確定する。
一連の事件では松本智津夫死刑囚(56)=教祖名麻原彰晃=ら11人の死刑が既に確定したほか、21日にも元幹部遠藤誠一被告(51)の上告が棄却され、死刑確定の見通しとなっている。
2011/11/28 19:33【共同通信】
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◆麻原彰晃氏に死刑執行あるのか/ 『年報 死刑廃止2011』3.11以降も出続ける死刑判決2011-11-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
◆オウム裁判終結/河野さん「死刑廃止すべき」/法相“死刑執行は慎重に判断”/家族の会「死刑執行回避を」2011-11-22 | 死刑/重刑/生命犯 問題
◆「63年矯正局長通達」とオウム裁判終結後/ 死刑について、他人事とせず、自分のこととして考える2011-11-25 | 死刑/重刑/生命犯 問題
◆オウム裁判終結/暴走生んだ「共同幻想」/教祖は私たちの『欲望の象徴』だった2011-11-22 | 死刑/重刑/生命犯 問題
「橋下徹・大阪維新の会」圧勝/パンとサーカスで大衆を煽動するポピュリズム/光市事件懲戒呼びかけ
政党政治が崩れる〜問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム
論壇時評 金子勝(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)2011/02/23Wed.中日新聞
歴史の知識を持つ人にとって、今日の日本政治には政党政治が崩壊する臭いが漂っている。約80年前の大恐慌と同じく、今も百年に一度の世界金融危機が襲っており、時代的背景もそっくりだ。
保坂正康「問責国会に蘇る昭和軍閥政治の悪夢」(『文藝春秋』3月号)は、昭和10年代の政治状況との類似性を指摘する。
保坂によれば、「検察によるまったくのでっち上げ」であった「昨年の村木事件」は、財界人、政治家、官僚ら「16人が逮捕、起訴された」ものの「全員無罪」に終る昭和9年の「帝人事件」とそっくりである。それは「検察の正義が政治を主導していく」という「幻想」にとらわれ、「いよいよ頼れるのは軍部しかいないという状況」を生み出してしまった。
ところが、「民主党現執行部」は「小沢潰しに検察を入れてしまうことの危険性」を自覚しておらず、もし小沢氏が無罪になった時に「政治に混乱だけが残る」ことに、保坂は不安を抱く。さらに「問責決議問題」は「国家の大事を政争の具にした」だけで、「事務所費問題」も、国会を「政策上の評価ではなく、不祥事ばかりが議論される場所」にしてしまった。
保坂によれば、「最近の政党が劣化した原因」は「小泉政権による郵政選挙」であり、その原形は「東条内閣は非推薦候補を落とすため、その候補の選挙区に学者、言論人、官僚、軍人OBなどの著名人を『刺客』としてぶつけた」翼賛選挙(昭和17年4月)に求めることができるという。そしてヒトラーを「ワイマール共和国という当時最先端の民主的国家から生まれたモンスター」であるとしたうえで、「大阪の橋下徹知事」が「その気ならモンスターになれる能力と環境があることは否定できない」という。
保坂とは政治的立場が異なると思われる山口二郎も、「国政を担う2大政党があまりにも無力で、国民の期待を裏切っているために、地方政治では既成の政治の破壊だけを売り物にする怪しげなリーダーが出没している。パンとサーカスで大衆を煽動するポピュリズムに、政党政治が自ら道を開く瀬戸際まで来ている。通常国会では、予算や予算関連法案をめぐって与野党の対決が深刻化し、統治がマヒ状態に陥る可能性もある」(「民主党の“失敗” 政党政治の危機をどう乗り越えるか」=『世界』3月号)という。
山口も同じく、「小沢に対する検察の捜査は、政党政治に対する官僚権力の介入という別の問題をはらんでいる。検察の暴走が明らかになった今、起訴されただけで離党や議員辞職を要求するというのは、政党政治の自立性を自ら放棄することにつながる」とする一方で、「小沢が国会で釈明することを拒み続けるのは、民主党ももう一つの自民党に過ぎないという広めるだけである」という。
そのうえで山口は「民主党内で結束を取り戻すということは、政策面で政権交代の大義を思い出すことにつながっている。小沢支持グループはマニフェスト遵守を主張して、菅首相のマニフェスト見直しと対決している」と述べ、民主党議員全員が「『生活第一』の理念に照らして、マニフェストの中のどの政策から先に実現するかという優先順位をつけ、そのための財源をどのように確保するかを考えるという作業にまじめに取り組まなければならない」と主張する。そして「菅首相が、財務省や経済界に対して筋を通すことができるかどうか」が「最後の一線」だとする。
しかし残念ながら、菅政権は「最後の一線」を越えてしまったようだ。菅政権の政策はますます自民党寄りになっている。社会保障と税の一体改革では与謝野馨氏を入閣させ、また米国の「年次改革要望書」を「グローバルスタンダード」として受け入れていくTPP(環太平洋連携協定)を積極的に推進しようとしている。小泉「構造改革」を批判して政権についたはずの民主党政権が、小泉「構造改革」路線に非常に近づいている。
まるで戦前の二大政党制の行き詰まりを再現しているようだ。戦前は、政友会と民政党の間で政策的相違が不明確になって、検察を巻き込みつつ、ひたすらスキャンダル暴露合戦に明け暮れて国民の失望をかい、軍部の独裁を招いた。現在の状況で総選挙が行われて自民党が勝っても、政権の構成次第では様相を変えた衆参ねじれ状態になり、また野党が再び問責決議を繰り返す状況になりかねない。
このまま政党政治が期待を裏切っていくと、人々は既存の政党政治を忌避し、わかりやすい言葉でバッシングするようなポピュリズムの政治が広がりかねない。何も問題を解決しないが、少なくとも自分で何かを決定していると実感できるからである。それは、ますます政治を破壊していくだろう。
いま必要なのは歴史の過ちに学ぶことである。それは、たとえ財界や官僚の強い抵抗にあっても、民主党政権はマニフェストの政策理念に立ち返って国民との約束を守り、それを誠実に実行する姿勢を示すことにほかならない。 *強調(太字・着色)、リンクは来栖
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◆「小沢一郎氏を国会証人喚問」の愚劣2011-10-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆『小沢一郎 語り尽くす』TPP/消費税/裁判/マスコミ/原発/普天間/尖閣/官僚/後を託すような政治家は 2011-11-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆「小沢一郎裁判はドレフェス裁判だ」/角栄をやり、中曾根をやらなかった理由/絶対有罪が作られる場所2011-11-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆小沢一郎氏 初公判 全発言/ 『誰が小沢一郎を殺すのか?』2011-10-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
「大阪維新」圧勝 既成政党不信の帰結だ
中日新聞 社説 2011/11/29 Tue.
大阪でのダブル選挙に勝利した橋下徹前府知事率いる「大阪維新の会」。今年四月の統一地方選後も続く地域政党の好調さを見せつけた。底流にあるのは既成政党に対する有権者の根強い不信感だ。
圧勝と言っていい。「大阪都構想」を実現するために知事職をなげうって市長選に挑んだ橋下氏が思い描いた通りの結果だった。
地方選と国政とは直接関係ないとはいえ、二大政党の民主、自民両党が党本部レベルでは「不戦敗」を決め込み、地方組織に選挙戦を委ねた結果、惨敗したことの意味は大きい。
振り返ってみよう。
二〇〇九年の衆院選。民主党への政権交代は、国民のための政治を実現したいという有権者の思いが結実した結果だったが、それはあっさりと裏切られる。
特に東日本大震災以降、国民の眼前で繰り広げられたのは菅直人前首相の震災・原発対応の不手際と、脱原発を口実にした政権延命策。そして与党内の混乱と、国会での不毛な与野党対立だ。
首相が交代したかと思ったら、いつの間にか、消費税率引き上げが既定路線のように語られる。与党も野党も、政府を正すという本来の役目を果たし切れていない。
国民の命と暮らしを守るための政治が、逆に命と暮らしを危うくしている現実に、国会で除染の遅れを叱った児玉龍彦東大教授でなくとも「一体何をやっているのですか」と怒りたくもなる。
行き場を失った既成政党支持層や無党派層が維新の会に流れたのは、出口調査で明らかだ。
民主、自民両党が党本部レベルで不戦敗としたのは、次期衆院選をにらんで橋下氏との対立を決定的にしたくなかったからだろう。それは保身のための浅慮である。
政党は政策実現のための政治集団だ。もし目指す方向とは違う動きが出てくれば止めるのが本来の役割だ。それを放棄することが、既成政党不信をより深くしていることになぜ気付かないのか。
橋下氏は市職員給与の見直しや各種団体の補助金削減など市政の抜本改革に乗り出す。その政治手法には独裁的との批判もあるが、役人の壁に敢然と立ち向かう姿勢に有権者の期待は大きい。
それは地方政治だけでなく国政でも同様だろう。今回の選挙に限らず既成政党は、国民には既得権益の擁護者に映る。その根本を変えない限り、新党をつくったり政界を再編したりしても、国民のための政治を実現するのは難しい。
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橋下旋風―政党は「敗北」から学べ
朝日新聞 社説 2011/11/29 Tue.
大阪ダブル選で、既成政党は完敗した。市長選では民主、自民の2大政党に、共産党まで支援に回った現職が負けた。
圧勝した大阪維新の会の橋下徹代表は、記者会見で「政党は政策も政治理念もないことを有権者に見抜かれていた」と切って捨てた。
大阪での政党の惨敗といえば、1995年の横山ノック知事当選がある。あのときは東京の青島幸男知事とともに、与野党相乗りへの批判票がタレント候補に雪崩を打った。
だが、今回は政党不信より、橋下氏への期待感が大きかったように見える。政党にとってはより深刻な事態といえる。
閉塞感の漂う、ふるさと大阪をいかに元気にするのか。各党には、橋下氏をしのぐ具体的なビジョンも政策もなく、政党が力負けした格好だ。
敵をつくり、「○か×か」で問う橋下氏の政治手法には、強引だとの批判がつきまとう。目玉の大阪都構想だけでなく、教員や公務員の規律を強める基本条例案も賛否が割れている。
政党側は橋下氏に、「独裁」だとの批判もぶつけた。
そんななか、投票率は近年にない高さを記録した。有権者を突き動かした理由には、いまの政治のありようへの強い不満もあったに違いない。
民主党も自民党も、有権者の歓心を買うような甘い公約を並べたてる。玉虫色の表現で、その場しのぎを重ね、ものごとを決めきれない。
こんな政治にへきえきした有権者が、良きにつけあしきにつけ、信念を掲げ、説得の前面に立つ橋下氏の指導力に賭けてみたいと思うのは、自然なことだったのではないか。
いわば大阪ダブル選は、力不足の既成政党による政治の迷走から抜け出したい有権者の意思表示だった。各党は「ひとつの地方選挙」「大阪の特殊事情」などと片づけてはいけない。
敗因をきちんと分析し、手を打たねばならない。政党政治の将来にもかかわることだ。
橋下氏は都構想の実現に向けて、近畿一円での国政進出も視野に入れる。この勢いなら、国会でのキャスチングボートを握る可能性もある。だから、みんなの党の渡辺喜美代表や国民新党の亀井静香代表が、橋下氏に連携を呼びかけている。今後も同じような動きが続くだろう。
しかし、各党は心しておくべきだ。政治理念や政策のすりあわせを後回しにして、橋下人気にあやかるかのような接近ならば、既成政党への失望をさらに深めるだけだ。
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◆橋下徹 それでも「圧勝」の異常選挙/ とっくに終わっている「古い力」に頼んだ平松陣営の愚2011-11-15 | 政治
◆光市事件懲戒呼びかけ 橋下知事が逆転勝訴/これでもう、あの種の刑事弁護の引き受け手はいなくなるだろう2011-07-15 | 光市母子殺害事件
〈来栖の独白2011/07/15〉
最高裁は橋下氏の発言を「配慮を欠いた軽率な行為」としながらも、懲戒請求の呼びかけによって「被告弁護団側の弁護士業務に多大な支障が生じたとまではいえず、その精神的苦痛が受忍限度を超えるとまでは言い難い」と結論付けた。
メディアに煽動されネットも一体となって大規模に展開された「私刑」を、精神的苦痛が受忍限度を超えるとまでは言い難い、というのである。これではもはや、あの種の刑事弁護の引き受け手はいなくなるだろう。悪しきポピュリズムが、メディアのみならず法廷をも席巻している。
どこを見渡しても、プロがいない。法廷にも、政治にも。
メディア、市民感覚から、痛みが感じられない。テレビ(新聞も)は私刑法廷と化し、他者の痛みを慮るやさしさ、センシティブな気配を窺いようもない。
生粋の弁護士安田好弘氏は、その著書『死刑弁護人』のなかで、云う。
“私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。”と。
*安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫
p3〜
まえがき
いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かもしれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし、私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、私には、それが残念でならない。麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった、環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情がまったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた。裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れしつづけていきたいと思っている。(〜p5)
◆バッシング渦中の安田好弘弁護士に再び聞く
◆被害者の感情に全面的に依拠するという安易なワイドショーの規範
◆橋下徹氏による懲戒扇動事件の第一審判決(全文)
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◆光市母子殺害事件差し戻し審
「週刊ポスト」2007,8,17・24
弁護団の依頼により元少年被告人の精神鑑定を行った野田正彰氏(関西学院大学教授・精神科医)の話
広島拘置所の面会室。透明なアクリル板をはさんで、山口県光市母子殺害事件の被告人Aと私が初めて対面したのは、今年1月29日のことです。
Aの口調はボソボソと頼りなく、内向的な印象を受けました。感情も表にほとんど現わさない。拘置中に『広辞苑』をすべて読んだというだけあって、難解な言葉も使うのですが、概念をよく理解していない。およそ26歳とはほど遠く、中学生、否、小学生のような印象を最初に抱きました。
しかし、淡々と話していても、ひとたび父親のことが話題にのぼると、Aは心底怯えた表情を見せる。Aは「捕まったとき、これで父親に殺されなくてすむと思った」とすら語った。それは、父親の暴力がどれほどAの心を傷つけていたのかを物語っていた。
その日を機に、2月8日、5月16日と、計3回合計360分超に及ぶ面談が始まったのです----。
ここにきて、Aの主任弁護人である弁護人安田好弘弁護士ら21人の弁護団に対して、脅迫や嫌がらせが続発しています。日弁連や朝日新聞社あてに送られた脅迫文には、弁護人安田氏を「抹殺する」と脅し、銃弾のような金属片まで同封されていたと報じられています。
安田氏の依頼でAの精神鑑定をした私に対しても、<(野田は)犯人を擁護し、遺族を深く傷つける証言を行った。また、シンポジウムでは遺族本村洋に対し、「社会に謝れ」などの脅迫・侮辱的な暴言を吐いた>などと、まだ公判で証言もしていないのにデマが意図的に流されていた。さらに、勤務先である関西学院大学には、電話やメールで「辞めさせろ」「大学の恥」などの抗議がありました。ネットには、私が死刑廃止論者であるとして、Aの死刑を阻止するために弁護団に協力しているとの書き込みもありました。
私は精神科医として病気の診断をするのであり、刑の判断は司法が行うものです。
しかしマスコミ、とりわけテレビは偏向報道で大衆裁判の風潮を煽った。「凶悪犯を弁護するとは何事だ」とばかりに、弁護団を犯人と同一視し、憎悪の感情を扇情的に煽り続けた。
*「父に殺されると思った」
そもそも、安田弁護士が依頼してきたのには理由があります。
Aの述べることがよく理解できず、またあまりの幼さに驚いた。その上、家庭裁判所の調査官(3名)による詳細な「少年記録」には「AのIQは正常範囲だが、精神年齢は4,5歳」と書かれていた。
また、生後1年前後で頭部を強く打つなどして、脳に器質的な脆弱性が存在する疑いについて言及していました。
さらに広島拘置所では、Aに統合失調症の治療に使う向精神薬を長期多量に服用させていました。当惑した弁護団が精神鑑定を求め、裁判所が認めたのです。
精神鑑定では、Aへの直接面談以外にも、Aの父親、実母方の祖母、実母の妹、Aの友人にも話を聞いています。Aの生育歴、人格形成の経緯を多角的に調べました。結果、私は「Aは事件当時、精神病ではなかった。しかし、精神的発達は極めて遅れており、母親の自殺時点で留まっているところがある」という結論を下しました。
なぜ、Aには精神的発達の遅れがあったのか。理由を知るためには、Aの幼少期まで遡らねばならない。
Aは1981年、山口光市で、地元の新日鉄に勤務する父と、母の間に長男として生まれました。2歳年下の弟とともに育てられましたが、家庭は常に「暴力」と「緊張」そして「恐れ」に支配されていました。
父親は、結婚直後から、母親に恒常的に暴力を振るっていたようです。これは実家の母や妹が外傷を見ています。
父親から暴力を受け続ける母親の姿は、Aにはどう映っていたのでしょうか。
Aはやがて、母をかばおうとするようになります。これを契機に、父親の暴力の矛先は押さないAにも向うようになった。「愛する母を助けてあげられない」という無力感にも苛まれる。幼児期、父親に足蹴にされ、冷蔵庫の角で頭を打ち、2日間もの間朦朧としていたこともあったそうです。
小学校1〜2年生ごろに海水浴に行った際には、一親は、泳げないAが乗ったゴムボートを海の上で転覆させ、故意に溺れさせた。また、小学3〜4年生ごろには、父親に浴槽の上から頭を押さえつけられ、風呂の水に顔を浸けられたといいます。この時、彼は「殺されると思った」と感じている。
父親の暴力は、些細なことから突然始まるために、Aは、どう対応すればいいのか分からなかった。
Aが母親を守ろうとすると、父から容赦ない暴行を受け、逆に母親がAを守ろうとすると、父は母に対して暴力を加えた。
「どうしようもなかった、何もできなかった、亀になるしかなかった。僕は守れなかった」
面接中あまり感情を表現しないAですが、母のことになると無力感に顔を歪めていました。
このようにAは、常に父親の雰囲気をうかがってびくびくするような環境で育ちました。本来、愛を与えてくれるはずの親から虐待され続けたA。そして、彼の人間関係の取り方、他人との距離の置き方は混乱してゆくのです。
*「母の首つり遺体」の記憶
父親の暴力に怯える母とAは、ともに被害者同士として、共生関係を持つようになります。
母親は親族からも遠く離れ、近くに相談相手もおらず孤立した生活を送っていた。その中で、長男のAとの結びつきを深めていった。母親はAに期待し、付っきりで勉強を見た。Aも、母親が自分の面倒を見てくれることが本当にうれしかったと語っています。
そしてAが小学校の高学年になると、2人の繋がりは親子の境界をあいまいにする。母子相姦的な会話も交わされるようになりました。
母親から「将来は(母とAとで)結婚して一緒に暮らそう。お前に似た子供ができるといいね」と、言葉をかけられたことがあったといいます。
「母の期待に応えられるかどうか、本当に似た子が生まれるのか不安だった」と、Aは当時の心境を振り返っています。
Aは私との面談で、母親のことをしばしば妻や恋人であるかのように、下の名前で呼んでいました。それほど母親への愛着は深く、母親が父親の寝室に呼ばれて夜を過ごすと、「狂いそうになるほど辛かった」とも話しています。
母親は虐待により不安定になり、精神安定剤や睡眠薬にも頼るようになり、自殺未遂を繰り返しました。そして、Aが中学生(12歳)の時に38歳で自殺します。その際、自宅ガレージで首を吊った母親の遺体を、Aは目撃している。
Aにその時の状況を聞くと、求めてもいないのに詳しい図面を描き始める。それほどその時のショック、精神的な外傷体験は鮮明に記憶されている。Aは「(母親の)腰のあたりがべったり濡れていた。その臭い(自殺時の失禁)も覚えている」と語りました。
彼はまず、「父親が愛する母を殺したのだ」という念を強くします。これには二重の意味がある。
「父親の虐待で母が死を選んだ」という思い。さらに、父親が第一発見者を祖母から自分へ変えたことから、「父親が直接殺したのではないか」という疑いです。
母を殺した父を殺そうと包丁を持って、眠っている父のもとに行ったこともあったが、かわいそうで実行できなかったともいっています。弟と2人で殺すことを考えたが、まだ負けると断念したともいっています。
同時に、Aは「母親を守れなかった」との罪悪感も募らせていった。後追いして自殺しない自分を責めてもいます。
こうした生育歴と過酷な体験により、Aの精神的発達が極めて遅れた状態になったと考えられる。理不尽な暴力を振るう父親を恐怖し避ける。一方、母親とは性愛的色彩を帯びた相互依存に至った。父親の暴力がいつ始まるか、怯えながらの生活は他人との適切な距離感を育むことを阻害した。Aは、他人との交流を避け、ゲームの世界に内閉していった。
そして、母親の死の場面は、強烈な精神的外傷としてAの心に刻まれた。この精神的外傷は、以後、何度となく彼の心の内を脅かすこととなりました。
*死刑になれば「弥生さんの夫に」
検察はAの犯行を、計画を立て、女性だけの家に入り込んで強姦しようとした、としています。ところが、犯行当日、Aはなんとなく友人の家に遊びに行って過ごし、友人が用事があるというので、たまたま家に帰った。そして、何となく時間を潰すために近くのアパートで無作為にピンポンを押していった。そこに、緻密な計画性は認められない。
たまたまドアを開けた本村弥生さんが、工事用の服を着ていたAを見て、「ご苦労さま」と受け入れた。その時、Aは弥生さんの先に、かつてすべてを受け入れてくれた亡き母を見ていたと考えられるのです。
弥生さんの抵抗に驚いたAは、殺害に至る。プロレス技のスリーパーホールドで絞めた行為をAは、「ただ、静かにしてもらいたかっただけ」と語っている。殺害後、ペニスを挿入したことについては、母親との思い出がフラッシュバックしたと考えられます。理由は首を絞められた弥生さんが失禁したこと。その異臭で母親の自殺の光景が蘇った。そこで母親と一体になろうとした思いに戻っていったのかもしれません。
ただし、A本人は、このセックスを「死者を蘇らせる儀式。精液を注げば生き返ると思った」とも主張していますが、これはどうか。当時、本当にそう考えていたかは疑問も残り、後付けの可能性もあります。
夕夏ちゃんを殺害して、遺体を押し入れの天袋に入れた行為はどうか。本人は、「押入にはドラえもんがいて、何とかしてくれると思った」と話していますが、彼は夕夏ちゃん殺害について私に「思い出せない、分からない」と答えている。ですから、犯行時にドラえもんの存在が思い浮かんだかどうかはわかりませんし、これも後付けの可能性がある。
ただし、彼が、自分の中に閉じこもり、ファンタジーの世界に生きていたということは事実でしょう。
また、彼は、自分の母親や弥生さんが死んでしまったこと、死は無であることを認識しているかどうか。「死んでいるが、生きている」と二重の思いを語ります。
「もし僕が死刑になって、先に弥生さん、夕夏ちゃんと一緒になってはいけないのではないか。再会すれば、自分が弥生さんの夫になる可能性があるが、これは本村さんに申し訳ない」と語るA。世間は反省の気持ちもない傲慢な主張と受け取るかもしれませんが、実際の本人は十分に反省する能力もないほど幼稚だからこそ、弁護団でさえ戸惑うようなことを平気でいうのです。
繰り返しますが、彼は事件当時、統合失調症や、妄想性障害のような精神病ではありません。しかし、精神的発達は母親の自殺の時点で停留しており、18歳以上の人間に対するのと同様に反省を求めても虚しい。本人も混乱するばかりです。さらにいえば、父親の暴力への恐怖、母親への感情を分析していけば、Aの発展を促すことは十分に可能だと考えられる。
例外なく、殺人は最悪の行為です。しかし、事件は事実に向かって調べられなければならない。精神鑑定は、精神医学に基づいて、多元的に診断されるものです。
もちろん、妻と1歳にも満たない子どもという最愛の2人が殺されている被害者遺族が、Aへの怒りと憎悪を強めていくことは痛いほど理解できます。
しかし、その感情をさらに煽るようなマスコミ報道は許されない。
Aが死刑になるかどうかは、裁判所、司法が決めることです。解明された事実を正しく伝えることが、マスコミの役割ではないか。どのメディアも、犯人憎しの報道で同じ方向を向いて、事実を追う媒体はまったくありません。これは「ジャーナリズムの放棄」を意味するのではないか。
さらにいえば、Aが苦しんできた家庭内暴力のような不幸な現実に光をあてることも、マスコミの使命ではないか。
公判の最後、「事件を通して、いったい何を考えなければならないのでしょうか」との問いが投げかけられた。私は「社会は、(Aを)殺せというだけでなく、彼がこれほどの家庭内暴力に対し誰にも助けを求めることができなかったことへの反省はないのでしょうか」と答えた。二度とこのような不幸な事件を繰り返させないためにも、皆が冷静に考えることを望むばかりです。
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<弁護士懲戒呼びかけ>橋下大阪知事が逆転勝訴 最高裁判決
毎日新聞 7月15日(金)16時25分配信
橋下徹大阪府知事が知事就任前に出演したテレビ番組で、山口県光市母子殺害事件の被告弁護団に対する懲戒請求を視聴者に呼びかけた発言によって「請求が殺到して業務に支障が出た」として、弁護団のメンバーら4人が橋下氏に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は15日、360万円の支払いを命じた2審判決(09年7月)を破棄し、弁護団側の請求を棄却した。
最高裁が今年6月に弁論を開いたため、2審判決の見直しが予想されていたが、橋下氏側の逆転勝訴が確定した。
橋下氏は07年5月、出演した民放番組で、被告少年(事件当時)の殺害動機を「失った母への恋しさからくる母胎回帰」と位置づけた弁護団を批判。「(弁護団を)許せないと思うなら、一斉に弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」などと発言した結果、08年1月までに4人に約2500件の懲戒請求が寄せられた。
1審の広島地裁判決(08年10月)は「(橋下氏の)発言の一部は名誉毀損(きそん)に当たり、懲戒請求の呼びかけも不法行為になる」と判断して800万円の賠償を命じたが、広島高裁は弁護団批判の部分について「意見や論評の域を出ていない」と名誉毀損の成立を否定し、懲戒請求の呼びかけに限定して賠償を命じていた。【伊藤一郎】最終更新:7月15日(金)17時10分
【小沢一郎】ドリームプロジェクト 2011年11月28日
ozawa_jimusho小沢一郎事務所
昨日のDP(ドリームプロジェクト)の昼食会の動画が、You Tubeにアップされました。是非ご覧下さい。URL:http://www.youtube.com/watch?feature=player_profilepage&v=Mrm45ItRoFU
獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました/拘禁反応によって昏迷状態に陥っている
加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書2006年8月17日第1刷発行
p145〜
獄中の麻原彰晃に接見して
2006年2月24日の午後1時、私は葛飾区小菅にある東京拘置所の接見室にいました。強化プラスチックの衝立をはさみ、私と向かい合う形で車椅子に座っていたのは、松本智津夫被告人、かつてオウム真理教の教祖として1万人を超える信者を率い、27人の死者と5千5百人以上の重軽傷者を出し、13の事件で罪を問われている男です。
p146〜
04年2月に1審で死刑の判決がくだり、弁護側は即時、控訴。しかし、それから2年間、「被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない」と松本被告人の精神異常を理由に控訴趣意書を提出しなかったため、裁判はストップしたままでした。被告の控訴能力の有無を最大の争点と考える弁護団としては、趣意書を提出すれば訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうと恐れたのです。それに対し東京高裁は、精神科医の西山詮に精神鑑定を依頼。その鑑定の結果を踏まえ、控訴を棄却して裁判を打ち切るか、審議を続行するかという判断を下す予定でした。2月20日、高裁に提出された精神状態鑑定書の見解は、被告は「偽痴呆性の無言状態」にあり、「訴訟能力は失っていない」というもの。24日に私が拘置所を訪れたのは、松本被告人の弁護団から、被告人に直接会ったうえで西山の鑑定結果について検証してほしいと依頼されたためです。
逮捕されてから11年。目の前にいる男の姿は、麻原彰晃の名で知られていたころとはまるで違っていました。トレードマークだった蓬髪はスポーツ刈りになり、髭もすっかり剃ってあります。その顔は、表情が削ぎ落とされてしまったかのようで、目鼻がついているというだけの虚ろなものでした。灰色の作務衣のような囚衣のズボンがやけに膨らんでいるのは、おむつのせいでした。
「松本智津夫さん、今日はお医者さんを連れてきましたよ」
私の左隣に座った弁護士が話しかけ、接見がはじまりましたが、相変わらず無表情。まったく反応がありません。視覚障害でほとんど見えないという右目は固く閉じられたままで、視力が残っている左目もときどき白目が見えるぐらいにしか開かない。口もとは力なくゆるみ、唇のあいだから下の前歯と歯茎が覗いています。
重力に抵抗する力さえ失ったように見える顔とは対照的に、右手と左手はせわしなく動いていました。太腿、ふくらはぎ、胸、後頭部、腹、首・・・身体のあちこちを行ったり来たり、よく疲れないものだと呆れるぐらい接見のないだ中、ものすごい勢いでさすり続けているのです。
「あなたほどの宗教家が、後世に言葉を残さずにこのまま断罪されてしまうのは惜しいことだと思います」
「あなたは大きな教団の長になって、たくさんの弟子がいるのに、どうしてそういう子供っぽい態度をとっているんですか」
何を話しかけても無反応なので、持ち上げてみたり、けなしてみたり、いろいろ試してみましたが、こちらの言うことが聞こえている様子すらありません。その一方で、ブツブツと何やらずっとつぶやいている。耳を澄ましてもはっきりとは聞こえませんでしたが、意味のある言葉でないのは確かです。表情が変わったのは、2度、ニタ〜という感じで笑ったときだけ。しかし、これも私が投げた言葉とは無関係で、面談の様子を筆記している看守に向かい、意味なく笑ってみせたものでした。
接見を許された時間は、わずか30分。残り10分になったところで、私は相変わらず目をつぶっている松本被告人の顔の真ん前でいきなり、両手を思いっきり打ち鳴らしたのです。バーンという大きな音が8畳ほどのがらんとした接見室いっぱいに響き渡り、メモをとっていた看守と私の隣の弁護士がビクッと身体を震わせました。接見室の奥にあるドアの向こう側、廊下に立って警備をしていた看守までが、何事かと驚いてガラス窓から覗いたほどです。それでも松本被告人だけはビクリともせず、何事もなかったかのように平然としている。数分後にもう1度やってみましたが、やはり彼だけが無反応でした。これは間違いなく拘禁反応によって昏迷状態におちいっている。そう診断し、弁護団が高裁に提出する意見書には、さらに「現段階では訴訟能力なし。治療すべきである」と書き添えたのです。
拘禁反応というのは、刑務所など強制的に自由を阻害された環境下で見られる反応で、ノイローゼの一種。プライバシーなどというものがいっさい認められず、狭い独房に閉じ込められている囚人たち、とくに死刑になるのではという不安を抱えた重罪犯は、そのストレスからしばしば心身に異常をきたします。
たとえば、第1章で紹介したような爆発反応。ネズミを追いつめていくと、最後にキーッと飛びあがって暴れます。同じように、人間もどうにもならない状況に追い込まれると、原始反射といってエクスプロージョン(爆発)し、理性を麻痺させ動物的な状態に自分を変えてしまうことがあるのです。暴れまわって器物を壊したり、裸になって大便を顔や体に塗りつけ奇声をあげたり、ガラスの破片や爪で身体中をひっかいたり・・・。私が知っているなかで1番すさまじかったのは、自分の歯で自分の腕を剥いでいくものでした。血まみれになったその囚人は、その血を壁に塗りつけながら荒れ狂っていたのです。
かと思うと、擬死反射といって死んだようになってしまう人もいます。蛙のなかには、触っているうちにまったく動かなくなるのがいるでしょう。突っつこうが何しようがビクともしないから、死んじゃったのかと思って放っておくと、またのそのそと動き出す。それと同じで、ぜんぜん動かなくなってしまうんです。たいていは短時間から数日で治りますが、まれに1年も2年も続くケースもありました。
あるいはまた、仮性痴呆とも呼ばれるガンゼル症候群におちいって幼児のようになってしまい、こちらの質問にちょっとずれた答えを返し続ける者、ヒステリー性の麻痺発作を起こす者。そして松本被告人のように昏迷状態におちいる者もいます。
昏迷というのは、昏睡の前段階にある状態。昏睡や擬死反射と違って起きて動きはするけれど、注射をしたとしても反応はありません。昏迷状態におちいったある死刑囚は、話すどころか食べることすらしませんでした。そこで鼻から胃にチューブを通して高カロリー剤を入れる鼻腔栄養を行ったところ、しばらくすると口からピューッと全部吐いてしまった。まるで噴水のように、吐いたものが天井に達するほどの勢いで、です。入れるたびに吐くので、しかたなく注射に切り替えましたが、注射だとどうしても栄養不足になる。結局、衰弱がひどくなったため、一時、執行停止処分とし、精神病院に入院させました。
このように、昏迷状態におちいっても周囲に対して不愉快なことをしてしまう例が、しばしば見られます。ただ、それは無意識の行為であり、病気のふりをしている詐病ではありません。松本被告人も詐病ではない、と自信を持って断言します。たった30分の接見でわかるのかと疑う方もいらっしゃるでしょうが、かつて私は東京拘置所の医務部技官でした。拘置所に勤める精神科医の仕事の7割は、刑の執行停止や待遇のいい病舎入りを狙って病気のふりをする囚人の嘘や演技を見抜くことです。なかには、自分の大便を顔や身体に塗りたくって精神病を装う者もいますが、慣れてくれば本物かどうかきっちり見分けられる。詐病か拘禁反応か、それともより深刻な精神病なのかを、鑑別、診断するのが、私の専門だったのです。
松本被告人に関しては、会ってすぐ詐病ではないとわかりました。拘禁反応におちいった囚人を、私はこれまで76人見てきましたが、そのうち4例が松本被告人とそっくりの症状を呈していた。サリン事件の前に彼が書いた文章や発言などから推理するに、松本被告人は、自分が空想したことが事実であると思いこんで区別がつかなくなる空想虚言タイプだと思います。最初は嘘で、口から出まかせを言うんだけれど、何度も同じことを話しているうちに、それを自分でも真実だと完全に信じてしまう。そういう偏りのある性格の人ほど拘禁反応を起こしやすいんです。
まして松本被告人の場合、隔離された独房であるだけでなく、両隣の房にも誰も入っていない。また、私が勤めていたころと違って、改築された東京拘置所では窓から外を見ることができません。運動の時間に外に出られたとしても、空が見えないようになっている。そんな極度に密閉された空間に孤独のまま放置されているわけですから、拘禁反応が表れるのも当然ともいえます。接見中、松本被告人とはいっさいコミュニケーションをとれませんでしたが、それは彼が病気のふりをしていたからではありません。私と話したくなかったからでもない。人とコミュニケーションを取れるような状態にないからなのです。(〜p151)
「死刑にして終わり」にしないことが、次なる悪魔を防ぐ
しかるに、前出の西山医師による鑑定書を読むと、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性の無言状態にある〉と書かれている。偽痴呆性というのは、脳の変化をともなわない知的レベルの低下のこと。言語は理解しており、言葉によるコミュニケーションが可能な状態です。西山医師は松本被告に3回接見していますが、3回とも意味のあるコミュニケーションは取れませんでした。それなのにどうして、偽痴呆性と判断したのでしょうか。また、拘禁反応と拘禁精神病は違うものであるにもかかわらず、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく〉と、あたかも同じ病気で片や病状が軽く、片や重いと受けとれるような書き方をしてしまっている。
鑑定書には、さらに驚くべき記述がありました。松本被告人は独房内でみずからズボン、おむつカバー、おむつを下げ、頻繁にマスターベーションをするようになっていたというのです。05年4月には接見室でも自慰を行い、弁護人の前で射精にまで至っている。その後も接見室で同様の行為を繰り返し、8月には面会に来た自分の娘たちの前でもマスターベーションにふけったそうです。松本被告人と言葉によるコミュニケーションがまったく取れなかったと書き、このような奇行の数々が列挙してあるというのに、なぜか西山医師は唐突に〈訴訟をする能力は失っていない〉と結論づけており、そういう結論に至った根拠はいっさい示していない。失礼ながら私には、早く松本被告人を断罪したいという結論を急いでいる裁判官や検事に迎合し、その意に沿って書かれた鑑定書としか思えませんでした。
地下鉄サリン事件から11年もの歳月が流れているのですから、結論を急ぎたい気持ちはわかります。被害者や遺族、関係者をはじめ、速やかな裁判の終結と松本被告人の断罪を望んでいる人も多いでしょう。死刑になれば、被害者にとっての報復にはなるかもしれません。しかし、20世紀末の日本を揺るがせた一連の事件の首謀者が、なぜ多くの若者をマインド・コントロールに引き込んだのかは不明のままになるでしょう。
オウム真理教の事件については、私も非常に興味があったため裁判記録にはすべて目を通し、できるだけ傍聴にも行きました。松本被告人は、おそらく1審の途中から拘禁ノイローゼになっていたと思われます。もっと早い時期に治療していれば、これほど症状が悪化することはなかったはずだし、治療したうえで裁判を再開していたなら10年もの月日が無駄に流れることもなかったでしょう。それが残念でなりません。
拘禁反応自体は、そのときの症状は激烈であっても、環境を変えればわりとすぐ治る病気です。先ほど紹介した高カロリー剤を天井まで吐いていた囚人も、精神病院に移ると1カ月で好転しました。ムシャムシャ食べるようになったという報告を受けて間もなく、今度は元気になりすぎて病院から逃げてしまった。すぐに捕まって、拘置所に戻ってきましたが。
松本被告人の場合も、劇的に回復する可能性が高いと思います。彼の場合は逃亡されたらそれこそたいへんですから、病院の治療は難しいでしょうが、拘置所内でほかの拘留者たちと交流させるだけでもいい。そうして外部の空気にあててやれば、半年、いやもっと早く治るかもしれません。実際、大阪拘置所で死刑囚を集団で食事させるなどしたところ、拘禁反応がかなり消えたという前例もあるのです。(〜p153)
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◆「オウム松本智津夫死刑囚は完全に拘禁反応 治療に専念させ、事件解明を」加賀乙彦氏 医師として自信2011-11-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
オウム公判終結:あの時…/6止 教祖自白なく真相闇に
◇精神科医として松本死刑囚に接見、加賀乙彦さん
真相が何も分からないまま、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚には「死刑」という結果だけが出た。もっと時間をかけて彼から言質を引き出し、なぜ教養や技術のある精鋭たちが彼の手の内に入って、残酷な殺人事件に引き込まれたのか明らかにする必要があった。それが裁判所の使命なのだが、放棄してしまった。私はこの裁判が終結したとは思っていない。法律的には死刑が確定したが、松本死刑囚の裁判は中途半端に終わってしまい、裁判をしなかったのと同じだ。
06年、弁護団の依頼で松本死刑囚に東京拘置所で接見した。許された時間は30分だけ。短時間では何も分からないと思うかもしれないが、私には自信があった。医師として、過去に何人もの死刑囚を拘置所で見ているが、松本死刑囚は完全に拘禁反応に陥っていた。何の反応も示さず、一言も発しない。一目で(意識が混濁した)混迷状態だと分かった。裁判を続けることはできないので、停止して治療に専念させるべきだと主張したが、裁判所は「正常」と判断した。
拘禁反応は環境を変え時間をかけて治療すれば治る病気だ。かつて東京拘置所で彼と同じ症例を4例見たが、投薬などで治すことができた。治療すれば、首謀者である彼の発言を得られた可能性があっただけに残念だ。
結局、松本死刑囚から何一つ事件についてきちんとした証言が得られないまま裁判は終結した。このまま死刑が執行されれば、真相は永久に闇に葬られてしまう。オウム事件の裁判ほど悲惨な裁判はないと思う。世界的にもまれな大事件を明らかにできないままでは、全世界に司法の弱点を示すことになる。
なぜ松本死刑囚に多くの若者が引きつけられ、殺人行為までしてしまったのか。信者の手記など、文献をいくら読んでも私には分からない。教祖の自白がなければ、なぜ残酷なことをしたのか解明もされず、遺族も納得できないはずだ。
「大勢を殺した人間は早く死刑にすべきだ」という国民的な空気にのって、裁判所もひたすら大急ぎで死刑に走ったように感じる。だが、真相が闇の中では「同じような事件を起こさせない」という一番大切な未来への対策が不可能になってしまう。再びオウム真理教のような集団が生まれ、次のサリン事件が起こる可能性も否定できない。形式的には裁判は終わったが、彼らを死に追いやるだけで、肝心な松本死刑囚が発言しないでいる今、あの事件は解決したと思えない。【聞き手・長野宏美】=おわり
◇かが・おとひこ
精神科医として東京拘置所に勤務し、大勢の死刑囚の診察に携わる。上智大教授などを務め、79年から創作活動に専念。医師の経験を基にした作品も多く、死刑囚が刑を執行されるまでを描いた小説「宣告」や、死刑囚との往復書簡集「ある死刑囚との対話」など著書多数。06年に弁護団の依頼で松本智津夫死刑囚に接見し「正常な意識で裁判を遂行できない」と、公判停止と治療を訴えた。82歳。
毎日新聞 2011年11月27日 東京朝刊
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◆地下鉄サリン事件から16年/「麻原は詐病やめよ」土谷正実被告死刑確定2011-02-17 | 死刑/重刑/生命犯 問題
中日春秋
2011年2月17日
とても印象深い裁判がある。地下鉄サリン事件で殺された女性の母親が訴えた。「目を開けてください。娘を殺された母はこんな顔をしています」▼ふてくされたように座っていた青年の目が初めて開いた。涙で顔をぐしゃぐしゃにした母親と目が合ったが、動揺が見えたのは一瞬だけだった。「サリンを造ったその両手を切り落としてください」。父親を殺された娘が叫んでも、表情は変わらなかった▼猛毒のサリンやVXガスを製造した土谷正実被告は、当時三十二歳。最高裁第三小法廷で一昨日、上告が棄却され、死刑判決が確定する。「被告の豊富な化学知識や経験なくしては各犯行はなしえない」。判決がそう指摘した通り、教団の武装化を支えた幹部の一人だ▼麻原彰晃死刑囚の「直弟子」を名乗り、反省のかけらもなかったその態度が、最近になって変わったと知って驚いた。極刑を恐れた教祖が、詐病に逃げ込んだと考えるようになったという▼地下鉄サリン事件から十六年。十人の幹部の死刑が確定、上告中の被告は二人だけになったが、生真面目な青年たちがなぜ、無差別殺人を犯したのかという素朴な問い掛けに十分答えるだけの検証がなされたのか心もとない▼サリン事件以降、「罪と罰の座標軸が変わった」 (森達也著『A3』)。日本社会を根底から変えた事件が急速に風化してゆくことを憂う。
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「麻原は詐病やめよ」=死刑覚悟、婚約者に思いも ―取材に土谷被告
とれまがニュース2011年02月15日
土谷正実被告(46)は15日の上告審判決を前に、東京拘置所で複数回、時事通信の取材に応じた。オウム真理教(現アレフ)と絶縁したことを明らかにした上で、元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(55)に対し、「詐病をやめ、事件について話してほしい」と訴えた。
元幹部の多くが事件後、松本死刑囚への信仰を捨てる中、土谷被告は一審で自らを「尊師の直弟子」と呼ぶなど、最近まで、帰依を続ける数少ない一人とみられていた。
土谷被告は取材に対し、松本死刑囚が公判で事件についてほとんど語らなかったことなどから、「帰依に迷いが生じ、日を追うごとに疑いが強まっていった」と告白した。
不信感が決定的になったのは2006年末、松本死刑囚が公判で精神疾患の兆しを見せたという雑誌記事のコピーを読んでからという。同死刑囚を「麻原」と呼び捨てにし、「過去の公判から見て精神病のはずがない。弟子に責任を押し付けて詐病に逃げた」と非難。「宗教をかたり、個人的な思いから弟子に武器を作らせた。憤りを感じる」と話した。
事件の犠牲者や遺族には、「『すみませんでした』としか言えないが、それでは軽過ぎる」と謝罪した。「死刑は覚悟している。最高裁判決に期待するものはない」と淡々と語る一方で、勾留中に知り合った婚約者の女性(36)のことを、「今の生きがい。彼女が生きる限り生き続けたい」と話すなど、複雑な心境ものぞかせた。(了)[時事通信社]
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オウム真理教:死刑確定へ 土谷被告の手記の要旨
◇土谷被告の手記の要旨◇
一連のオウム事件の犠牲になられてしまったご遺族、被害者の方々へ心の底からおわび申し上げますと同時に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
95年に私は逮捕されました。その時点での私は、捜査が進むにつれ、もろもろの出来事が麻原死刑囚(以下、Aと表記)の説法通り「国家権力による陰謀」であることが判明していくことを期待していました。ところが逆に、捜査が進むにつれてAの言葉がうそであることが次々と暴露されていきました。
私もとうとうAから気持ちが離れそうになったのでした。ところが、私がある宗教体験をし、それまで以上のはるかに強いAへの帰依心が芽生えてしまったのでした。そのため、私は初公判で職業を「麻原尊師の直弟子」と述べ、一貫して帰依を表明し続けていました。
私に転機が訪れたのが、A法廷への弁護側証人としての出廷経験でした。私の期待に反してAは一言も証言しないまま、1審を終えてしまいました。このことで私に迷いが生じました。教団とのあつれきが生じ始めたのも、04年春ごろからでした。私はAには堂々と証言してほしかった。「Aは弟子をほっぽらかしにして逃げたのではないか」という思いが日を追うごとに強まっていき、Aへの帰依心は弱まり始め、埋めがたい溝がひろがり始めていました。
Aへの帰依心がはっきりと崩れ始めたのは、06年暮れ、A裁判の1審判決日におけるAの挙動について記されている雑誌記事を読んだ時でした。「Aは詐病に逃げた」と思うしかなくなりました。
97年に地下鉄サリン事件のご遺族の証言を聞き、非常にこたえました。帰依心が揺らがないよう懸命だった私ですが、やはりご遺族の証言には耐えられませんでした。ご遺族の証言に対して何と言えばよいのか、言葉が見つかりませんでした。「すいませんでした」では、あまりに軽すぎる。
「自分自身の気持ちに素直でいれば良かったんだな」と私は悔悟の念にとらわれるのです。自分自身の考えでは上層部の指示や決定を「嫌だ」と思ったけども、「無心の帰依」「無智の修行」だと盲従し、一連の凶悪犯罪に加担してしまったのでした。
私がAに望むことがあるとするならば、「詐病をやめて、一連のオウム事件に関連する事柄について述べてほしい」という一点に集約されます。
毎日新聞 2011年2月15日 20時55分
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関連:松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)裁判
だからこの国のマスコミはダメなのだ 更迭 田中聡防衛局長のレイプ暴言を黙殺した大マスコミ
だからこの国のマスコミはダメなのだ 更迭防衛局長のレイプ暴言を黙殺した大マスコミ
日刊ゲンダイ2011年11月30日
報じたのは琉球新報1社だけ <ちゃんちゃらおかしい、今になっての大騒ぎ>
防衛省沖縄防衛局の田中聡局長(50)が「レイプ発言」で更迭された。仲井真弘多・沖縄県知事は「コメントしたくもない」と吐き捨てていたし、沖縄県民の感情を考えるまでもなく、こんな暴言局長はクビが当然だが、驚くのは大マスコミのフヌケぶりだ。問題発言は大勢の記者が聞いていたのに、報じたのは「琉球新報」1社のみ。大マスコミは慌てて、後追いしたのである。
問題発言が出たのは28日夜。沖縄防衛局が県内外の報道各社に呼びかけ、那覇市内の居酒屋で開かれた懇親会の席だった。
「会合には琉球新報のほか、読売など計9社の記者が出席しました。この席で、一川保夫防衛相(写真)が県への環境影響評価書の提出時期を明確にしないことについて質問が出ました。これに対し、酔った田中局長が『これから犯す前に犯しますよと言いますか』などと口を滑らせたのです。田中局長は本省の広報課長も経験し、今年8月に沖縄防衛局長になった。記者の扱いは慣れているつもりだったのでしょう。地方のトップになって、カン違いしたのかもしれない。いずれにしたって、あまりに非常識な発言です」(沖縄県政事情通)
フツーの記者であれば、すぐに反応して当然だ。ところが、この暴言を問題視し、29日の朝刊で報じたのは「琉球新報」のみ。在京メディアは騒ぎが広がってから慌てて後追い報道する始末で、しかも「非公式の懇談会」「オフレコ発言」と付け加えた。自分のところが遅れた“言い訳”をしたのである。
これじゃあ、報道機関失格だが、大新聞・テレビがスルーした発言が後に問題化したことは過去にもある。7月に松本龍前復興担当相が宮城県庁を訪れた際、村井嘉浩知事に「国は何もしないぞ」と怒鳴った時もそうだ。松本は発言の後、「今の言葉はオフレコ。書いたらその社は終わりだから」とドーカツした。在京メディアはこれにビビった。最初に一部始終を放送したのは地元の「東北放送」だけだった。元共同通信社記者で、同志社大社会学部教授の浅野健一氏はこう言う。
「今回の発言は非常にヒドイし、こんなことを平然と言う人物が役所の幹部に就いていることも問題です。たとえ懇親会であっても、社会的影響力のある『公人』なのだからメディアは報道しなければなりません。しかし、今の記者クラブメディアは弱腰だから、オフレコと言われると報じない。ジャーナリズムとは何かを理解していないのです」
ふだんから役人にヘーコラして発表モノばかり報じているから、こうなるのだ。田中局長が泥酔して軽口をたたいたのも、記者をナメ切っている証拠である。しかも、防衛省は「記者との信頼関係が崩れた」なんて寝言を言っている。どうしようもない役所と記者だ。
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沖縄「犯す」発言 政府の本音が露呈した
中日新聞 社説 2011年11月30日
在日米軍基地の74%が集中する沖縄県。その基地負担軽減に汗を流すべき官僚になぜ、県民を蔑(さげす)むような発言ができるのだろう。配慮を欠くというよりも、それが政府の本音だからではないか。
その発言は二十八日夜、那覇市内の居酒屋で行われた記者団との懇談で飛び出した。発言の主は防衛省の田中聡沖縄防衛局長。
一川保夫防衛相が米軍普天間飛行場の代替施設として名護市辺野古に新しい基地を造るための環境影響評価書を年内に提出すると断言しない理由を聞かれ、「(女性を)犯す前に『これから犯しますよ』と言いますか」と発言した。
懇談には沖縄県政を担当する県内外九社の記者が出席。記事にしないオフレコが前提の発言だったが、地元紙の琉球新報が二十九日付朝刊一面トップで伝えた。
「公的立場の人物が人権感覚を著しく疑わせる蔑視発言をした。慎重に判断した結果、オフレコだったが、県民に知らせる公益性が勝ると考え報道した」(普久原均編集局次長)という。
発言の重大性を鑑みれば報道するのは当然だろう。まずは琉球新報の報道姿勢を支持する。
移設手続きを女性暴行に例えるのは女性蔑視にほかならない。
そればかりか、普天間飛行場の返還協議が一九九五年の米海兵隊員による少女暴行事件を契機に始まった経緯を承知していれば、女性暴行を例に引く発言などできるはずがない。更迭は当然だ。
もっとも、防衛官僚からそうした発言が飛び出すのは、人権感覚の欠如はもちろん、米軍基地は沖縄に押し付けて当然という政府の傲慢(ごうまん)な姿勢があるからだろう。
沖縄居座りを求める米政府の顔色をうかがい、沖縄県民とは向き合おうとしない。普天間の国外・県外移設を提起する努力もせず、辺野古への県内移設しか選択肢はないと強弁する。これではどこの政府かと言いたくもなる。
日本政府よりも米知日派の方が状況をより正確に認識している。
ナイ元米国防次官補は米紙への投稿で県内移設は沖縄県民には受け入れがたく、米海兵隊の豪州配備は「賢明」と記した。モチヅキ米ジョージ・ワシントン大教授らは米CNNへの寄稿で在沖縄海兵隊の米本土移転を提起した。
日米両政府は県内移設がもはや困難だと率直に認め合い、新たな解決策を探り始めてはどうか。それが日本政府には、沖縄県民の信頼を回復する唯一の道である。
落合監督の『采配』を読もう/選手の情報をむやみに語らない 個人事業主の権利を徹底的にリスペクト
ビジネスマンよ、落合監督の『采配』を読もう
Diamond online2011年11月30日 山崎元[経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
*ソフトバンクVS中日 極上の緊張感があった日本シリーズ
つい先日まで戦われていた福岡ソフトバンク・ホークス対中日ドラゴンズの日本シリーズは、久しぶりに快適な緊張感を覚えながら観戦した野球の試合だった。
近年、テレビで放映される野球の試合自体が減ったが、サッカーのような一瞬も目を離せないスポーツと比較して、いかにも弛緩して見えることが多かった。しかし、今シリーズは、一球一球の「間」に緊張感が漂い、久しぶりに真剣勝負を堪能した気分になった。
この緊張感の源は、明らかに中日ドラゴンズの監督だった落合博満氏だったと思う。今期の数字を比較した段階では、中日がソフトバンクに勝てるとはとても思えなかった。
しかし、落合監督なら、これを何とかするのではないかという不気味さがシリーズ全体を支配した。特に、ソフトバンクの一線級のピッチャーと戦って、何とも打てない(本当に、打てなかった)中日打線で勝利をもぎ取った第一戦、第二戦の両チームを金縛り状態にするような緊張感は、腕組みをしながらじっと戦況を見つめる落合監督が作ったものだろう。
こういう試合が見られるなら、球場にも行きたいし、テレビでも野球を見る気になる。巷間言われるところでは、落合氏は、集客効果の悪い監督だと球団に嫌われて、乱暴にもシーズンの途中に今季限りでの解任が発表されたとされている。
しかし、筆者には、せっかく落合氏が極上のコンテンツを作っているのに、中日球団の営業努力が不十分で集客が減ったように思えるのだが、どうなのか。これは、たぶん来期の中日の様子を見ると、何が問題だったのかがわかるのだろう。
さて、つい先日まで中日ドラゴンズの監督だった落合博満氏は『采配』(ダイヤモンド社)という本を著した。これは、現代のビジネスパーソンが読む価値のある本だと思うので、紹介してみたい。
*落合監督の根底にある考え方 全てのビジネスパーソンは「個人事業主」
筆者の読むところ、「采配」の最大のメッセージは、野球の場合は全ての選手・監督・コーチ・球団スタッフ、また野球関係者だけではなく、全てのビジネスパーソンは基本的に「個人事業主」なのだという考え方の徹底にあると思う。
マネージャーとしての落合氏は、部下である選手を徹底的に競争させ、競争の文脈の中で鍛え上げて、パフォーマンスを発揮させる。だが、選手が落合氏のチームの中でパフォーマンスを上げ得る「ポジション」を得ることは、容易ではない。
たとえば、自分から「痛い」と予め言い訳をするような選手を、落合監督は使わない。せっかく掴んだ、あるいは掴みかけたレギュラーのポジションを簡単に明け渡すような選手は戦いには使えないということなのだろう。
「采配」の中には、中日の選手のポジション争いの実例が出てくるが、選手に嫌われることを一切恐れず、厳しい評価と使い方に対するバランスを公平性で保つ落合流のマネジメントが語られている。
ビジネスパーソンのマネージャーの場合、自分自身がマネージャーであると同時にプレイヤーであることが多いので、自分も含めた公平性という難しい問題が出てくるが、マネジメントの基本は同じだ。
近年、日本の会社で、ベテラン社員の持つ技や顧客が後の世代に十分伝えられていないのではないかという問題が生じているが、社員それぞれが「個人事業主」なのだとすると、会社が期待するような「引き継ぎ」が自然に起こると考える方がおかしい。
個々の社員に対する公平な扱いと共に、後進の育成に関してはマネジメントの積極的関与が必要だ。
レギュラーのポジションは、選手同士で決着をつけさせろと落合氏は言う。また、個人が勝負に必要な孤独に耐えるためには、「野心」を持てとも落合氏は言うのだが、落合氏の言う「野心」とは、相対的な競争の中で「何が何でも勝つ」という決意のことだ。
近年の日本企業では、「競争」と「野心」によるマネジメントが後退しているような感じを受けるのだが、ビジネスパーソン読者は、どのように思われているだろうか。
一方、落合氏のマネジメントは、鉄拳制裁のような安易な田舎芝居に頼らない。彼は、鉄拳制裁が嫌で大学の野球部を辞めた人だ。活躍の場を与えるか否か――。これが最も厳しく有効なインセンティブであることを、かつて「下積みも、頂点も知っている選手」であり、個人事業主的な選手を突き詰めた落合氏はよく知っている。
*選手の情報をむやみに語らない 個人事業主の権利を徹底的にリスペクト
そして、非情なまでに厳しい評価者・マネージャーである一方で、落合氏は、個人事業主である選手の権利を最大限尊重する。
特筆に値するのは、選手の情報に関する徹底的な管理だ。
落合氏は、選手の体調に関する情報は、個人事業主たる選手にとって企業秘密に匹敵する重要情報だという。表の故障・隠れた故障を問わず、監督がぺらぺらと選手の体調についてメディアに話すことは、戦いに不利であると同時に、個人事業主である選手に対する背信行為なのだ。
レギュラークラスで戦い続けている選手は、ほぼ必ず「どこが痛い」といったトラブルを抱えているものだが、時には、監督にも不調を隠してポジションを維持し続けるものなのだと落合氏は語る。
選手に関する技術的な情報監理も徹底している。本の中では、セカンドとショートの共に名手である荒木選手、井畑選手のコンバートに関するエピソードが語られているが、読者が最も知りたいと思うコンバートの技術的理由に関しては、「2人の技術に関わることは記述を避けるが」と断って、語られず終いなのだ。
本が出た時点では、落合氏は中日の監督を解任されることが決まっており、この気遣いは、当面の落合氏の利害から発生したものではないだろう。選手に対して当然払うべき敬意の表れであると共に、これが落合氏のプロ(野球人)としての倫理感なのだろう。
そしてもちろん、これは、落合氏が再びユニフォームを着て仕事をする際に必要な「信用」に関わる問題でもある。
*個人事業主をリスペクトする姿勢は 今の企業においても尊重されるべき
ちなみに落合氏は、「選手がユニフォームを脱ぐときの去り際はきれいにする方がいい」とも言っている。今後も、野球に関わる世界で食べていくとすると、球団と険悪な関係になって引退すると、後々不都合が多いのだという。ビジネスパーソンにとっても、転職や退職の際に参考になる考え方だ。
日本のビジネスの世界では、かつてよりも企業というものが頼りないものになって来た。今や企業は、社員の一生の生活の面倒を見ることができる存在ではなくなった。
特に、こうした環境では、相手が上司であっても、部下・同僚であっても、1人1人が個人事業主として一国一城の主なのだという前提で付き合うべきだろう。
ちなみに、三度三冠王を獲った落合氏の「実績」に対するこだわりは、並々ならぬものがある。現在の中日の選手(野手)で、実績において自分を上回る選手がいない以上、彼らは落合氏の言うことを聞くのが当然だと氏は考えているし、200勝を達成した山本(昌)投手、300セーブを達成した岩瀬投手のような実績のある選手だけが、ユニフォームを脱ぐ時を自分で決めることができるのだ、とも言っている。
自分の仕事の実績をもって、胸を張ることができるマネージャーがどれだけいるかと考えると、日本のビジネス界はまだまだ甘いのではないかと、思わずにはいられない。
*勝負の分かれ目はどうやって「差」を作るか 野村ID野球に対する「落合流基礎体力野球」
落合・中日はいかにして勝って来たのか。
おおよそ勝負事には全て、相手に対して何で「差」を作って勝っていくかというゲーム・プランが必要だ。落合氏は、どう勝負したのか。
監督としての勝負のあり方については、たとえば、データを駆使して作戦を考え、選手にも考えさせる「ID野球」で有名だった野村克也氏との比較で、自分の戦略を説明している。
落合氏によると、かつてヤクルト・スワローズを率いた際の野村監督は、選手の基礎体力や基本的な技術がかつてよりも落ちていることを、感じていたはずだという。そこで、当時の野村監督は、これを頭脳の強化で戦うことにしたのだろう。
一方、落合氏は、「12球団一」と言われるハードなトレーニングで、基礎体力を強化することと、技術の基本を徹底することによって、中日を勝たせることを基本戦略とした。頭よりも前に体を鍛えることで、差を作ろうとした。
落合氏は、2004年の監督就任当時にキャンプ初日から紅白戦を行なうことを選手に通告し、キャンプインまでに野球ができる体を作ることを要求した。また、他球団が四勤一休を基本とするキャンプのスケジュールを、中日は「六勤一休」として、選手を鍛え上げた。
厳しい練習で基礎体力ができたお蔭だろう。中日は、特に体力的にきつくなる夏場以降の戦いにおいて優位に立つことができ、シーズン後半に強いイメージが定着した。
ビジネスの世界に目を転じると、そもそも「何で勝とうとするのか」が明確でないチーム(企業)があまりに多いように見える。たとえば、製品にもビジネスモデルにも特徴が感じられない、似たような家電メーカーが数社、日本国内では「大手」と呼ばれて競争している。
あるいは、外資系証券から世界のライバルに勝てるとは思えない事業部門を買って、プレイヤーを上手くマネージできずに、かえって会社がプレイヤーたちの喰い物にされている感のある大手証券会社がある。彼らは、漫然とライバルの真似をしながら、自分が勝てる幸運を待っているだけのように見えるのだが、どうなのだろうか。
ところで、ID野球的なデータの活用は、落合氏自身も「嫌いでない」と言っており、また中日は、落合氏の監督就任以来、データを集めるスコアラーを他チームの2〜3倍有していることでも知られている。しかし、データの集め方、使い方に類する技術的な問題について、落合氏はこの本でほとんど何も語っていない。
*『采配』で語れらなかった胸の内 落合監督には「続編」がありそう
ちなみに、落合氏が「秘密」を開陳しているのは、自分の選手時代のエピソードだけであり、これは掛け値なしに面白い。データマンの錯覚を利用して「外角球が得意な落合」というイメージを作り、実際には、内角や真ん中の球をよく打っていた、という話が出ている。現役当時、このことは、奥さんや息子さんにも話さなかったそうだ。詳しくは本を読んで欲しい。
「六勤一休」のキャンプや、川崎憲二投手を開幕戦に先発させて選手の人心を掴んだ最初のシーズンのエピソードなどは、たぶんすでに表に出ているので、説明してもかまわないのだろう。
しかし、データの使い方のような監督としての技術論に関わる情報は、これから再び監督としてユニフォームを着るかも知れない「個人事業主」たる落合氏にとっては、まだまだ企業秘密なのだろう。
監督としての落合博満氏には、遠からぬ時期に「続編」がありそうだ。いつなのか、どのチームなのかはわからないが、再登場を大いに期待したい。
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鈴木宗男元議員 12月6日にも仮釈放へ
鈴木宗男前議員 年内にも仮釈放へ 政治活動には制限(11/30 17:10、11/30 19:00 更新)
「鈴木宗男」の記事をお探しですか?最新関連記事が 13 件 あります。 受託収賄やあっせん収賄など四つの罪に問われ、懲役2年の刑が確定して服役中の新党大地代表、鈴木宗男13 件前衆院議員(63)が、刑期満了を前に栃木県にある民間参画型の刑務所「喜連川(きつれがわ)社会復帰促進センター」から年内にも仮釈放される見通しとなった。鈴木前議員は当面政治活動が制限されるが、道内政界の動向にも影響を与えそうだ。
仮釈放は同センター所長が申請し、関東地方更生保護委員会が審議して決定する。「再犯の恐れがない」など更生が期待できる場合などに認められる。<北海道新聞11月30日夕刊掲載>
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鈴木宗男元議員を仮釈放へ 収監1年、6日にも
受託収賄やあっせん収賄など四つの罪で懲役2年、追徴金1100万円の刑が確定し服役中の新党大地の代表鈴木宗男元衆院議員が、12月6日にも仮釈放されることが、複数の関係者への取材で分かった。
鈴木代表の服役期間は、捜査や公判段階での勾留日数が差し引かれ、満期だと昨年12月の収監から約1年5カ月後の来年4月の見通しだった。
最高裁は昨年9月、一、二審の有罪判決を不服とした鈴木代表側の上告、異議申し立てを相次いで棄却。鈴木代表は10月に食道がんの手術を受けた後、12月に収監され、喜連川社会復帰促進センター(栃木県さくら市)で服役していた。
2011/11/30 18:44【共同通信】
◆鈴木宗男氏 満期を待たずに年内保釈の可能性か2011-05-22 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
〈来栖の独白2011-05-22 〉
アジア太平洋資料センター(PARC)が実施している「PARC自由学校」によれば、【15.検察は「正義」か?】の講座2011年12月に、日程調整中ながら、「刑期を終えて私が語りたいこと」とのタイトルで、講師として、鈴木宗男氏(新党大地代表、前衆院議員、現在栃木県の喜連川社会復帰促進センターで受刑中)の名がある。
http://www.parc-jp.org/freeschool/2011/pdf/fs_2011_all.pdf
満期を待たずに保釈の可能性があるということか。満期なら来年5月ごろ出所予定のはずだ。
ホリエモンも確定し、閉塞感に心腐らせる私に、やっと少し、小窓が開いた感じだ。
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◆ムネオ日記「それでは行って参ります。私は元気です。私はへこたれません」2010-12-08 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
ムネオ日記
2010年12月6日(月) 鈴 木 宗 男
昨夜は鈴木家全員で家内の手作りの夕食。何とも言えぬ格別な味がした。
孫の元気な姿が神々しく見える。
いよいよ収監の日、家内は私の大好物をしっかり用意してくれる。
娘とたわいのない会話をしながら一緒に明治神宮に向かう。厳粛な気持で「真実が明らかにならなかった悔しさ無念さを正直に思いながら、国家の安泰と世界平和」を祈念する。見事な天気のもとで参拝し心洗われる思いである。
多くの人から「身体に気をつけて」と、電話・FAXが入る。かけがえのない素晴らしい凄い後援者にめぐまれ感謝の気持で一杯だ。
松山千春さんから「ムネオさん胸を張って堂々と行って下さい。足寄が故郷の我々はどこまでも一緒です。居ない間のことは心配しないで任せて下さい」と励ましを受ける。私にとって一番の「お告げ」であり、精神安定剤である。
松山千春さんはじめ北海道・全国の後援会、新党大地の皆さんしばらく留守をしますがどうぞ宜しくお願い致します。
それでは行って参ります。私は元気です。私はへこたれません。私には心ある人が付いています。お目にかかれる日を楽しみにしています。ごきげんよう。
.... .... ......
〈来栖の独白2010-12-08〉
こんなひどい濡れ衣を着せられ、そのため失職させられても、正義を離さず、人への温かい思いやりと感謝を忘れずに生きる人がいる。国の平和を祈念する人がいる。
小沢一郎氏と同様に宗男氏も、年齢を考えるなら、1年半ほどの期間が空しくてならない。取り返すことの出来ない損失である。国の大きな間違いに、怒りが込み上げる。
◆鈴木宗男氏収監?/冤罪なのに選挙民が選んだ代議士をこんな簡単に失職させてよいのか
◆鈴木宗男氏収監?「これからも権力と闘う」/暴走する検察 東京地検特捜部の惨憺たる内情
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◆検察は行政の一部である。次の法務大臣は、冤罪の構図を徹底的に検証すべきである2010-09-15
2010年9月15日(水) 鈴 木 宗 男
民主党大会終了後、小沢先生から電話があった。弾んだ声で元気いっぱいだった。まだまだ期するものがあるという気迫が感じられた。その声に安堵したものである。
10時から「取調べの全面可視化を実現する議員連盟」の第13回会合に出席。
10日に判決のあった村木厚子元厚労省局長の弁護人を務めた弘中惇一郎先生が、検察の調書の取り方、暴走について話す。
続いて私が、「取調べの全面可視化を是非とも実現して戴きたい。私の活動はもう何日かしかない」と、出席議員の皆さんに心からの魂の訴えをさせて戴く。
発言の機会をつくってくれた川内博史会長、辻恵事務局長はじめ、役員の皆さんに心から感謝したい。
新聞を整理していると、9月12日付東京新聞「こちら特報部」の「本音のコラム」に、山口二郎先生の記事を見つける。多くの人の声を代弁していると思うので、読者の皆さんにお知らせしたい。
... ... .... .... ....
本音のコラム 裁判と政治
9月8日、最高裁判所は鈴木宗男議員の上告を棄却し、実刑判決が確定した。9月10日、大阪地裁は郵便不正事件で起訴された厚労省の村木厚子氏に無罪を言い渡した。二つの裁判に直接のつながりはない。それにしても、鈴木氏の上告棄却のタイミングがきわめて作為的だと感じるのは、勘ぐりだろうか。
検察がしばしば事件を捏造し、無実の人の罪に陥れることは、近年明らかになった冤罪事件が物語っている。村木氏の事件も、検察の歴史に汚点を加えることになるのだろう。鈴木氏の事件についても、検察の主張が事実なのかどうか、裁判の場で徹底した審理を行うべきであった。
鈴木氏に連座する形で背任罪に問われ、有罪が確定した佐藤優氏の書物を読むと、検察が事実に基づいて適正な捜査を行ったとは、私には思えない。
民主党代表選挙で小沢一郎氏が勝てば、検察や裁判所に対する政治からの風当たりが強くなることが予想される。最高裁はそれを察知して、厄介な案件を片づけたのではないか。鈴木氏の有罪確定は、裁判所が本来果たすべき役割を放棄した結果だと、私は思う。 裁判所に政府が介入することはできない。しかし、検察は行政の一部である。次の法務大臣は、冤罪の構図を徹底的に検証すべきである。(9月12日付東京新聞25面)
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◆ アジア太平洋資料センター(PARC)
◆堀江貴文氏への重すぎる実刑確定と、それでも止まらない大手メディアの“社会的リンチ”2011-05-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎